Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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夜→翌朝~夢の欠片~

ーーinterlude2-2ーー

 

 

「はふぅ……」

 

 夜。 一日の疲れを息に乗せて吐き出し、イリヤは自室で寛いでいた。 何となくベッドに腰を下ろし、何をするのでもなく、ぼーっとベランダを見つめる。

 今日は別に、普段通りだった。 いつも通り学校に行って、友達と騒がしい学園生活を送る。 夕方になれば家に帰って、温かい家庭と家族が待っていて、さてもう寝るだけ。 そんな当たり前の生活が重荷になるわけがない。

 全ては昨日。 自分の知らない自分が生まれて、滅茶苦茶に引っ掻き回したことだ。

 彼女ーークロと名乗るアレは、大空洞から逃げるように去り、その途中で兄に襲いかかり、傷を負わせた。 ルビーによると、幸い士郎の怪我は軽傷で、魔力を使いすぎただけらしい。 風邪の原因もそれらしく(何か魔力を抜かれただの怪しい単語が出たが)、命に別状はない。

 しかし、そんなことはどうでも良い。 イリヤにとって重要なのは、自分と同じ顔を持つ誰かが、士郎を傷つけたこと。 そのことが何より、イリヤの心を引き裂いたのだ。

 

(……守るって、言ったのに)

 

 あのとき約束した。 兄が守ってくれるなら、自分はそんな兄を守ろうと。

 傷だらけになって、包帯が身体中を埋め尽くして、目を開けることすら辛そうな、そんな状態でも戦うことを止めない。

 単純に。 もう、見たくないと思った。 大切な人が傷つく姿を、自分は見たくない。 そんな姿になってまで戦ってほしくない。 だから兄が自分を守ってくれるなら、自分はそんな兄を守らなければならない。

 彼はきっと、自分が事切れるその日まで、傷なんて癒さず戦い続ける。 その身を貫く一つ一つの剣を、無理矢理引き摺りながらも、最期には笑って死んでしまう。 そんな危うさがあったのだ。

 考えすぎだとは思わなかった。 それどころか確信している。 美遊のときも、たった一人で戦っていたと言う。

 

(……頑固、というか)

 

 昔からそうだ。 セラが料理を作ると言っても、話を聞かずに自分で作って手痛く失敗したり。 あるいはいきなり足を怪我したと思っていたら、自分の背丈と同程度のバーで走り高跳びをしていたり。

 昔から無茶をしては転んで、擦りむいたことなんか忘れたみたいに、また転ぶ人だ。 そんな彼をみんなで心配していたし、これからも心配するに違いない。

 けれど、そんな彼だから、きっと間違っていることは許せないのだ。 美しいモノを愛するように、彼は誰が相手でも信念を押し通せる。

 

「あー……そう言えば、確かよく公園でイジメっ子が居たら、助けようとしてたっけ」

 

 身体は小さいのに、泥だらけになる喧嘩は負けたことがない。 とかく公園では、砂を投げつけるという何でもありの乱闘をよくしていたモノだ。 仮に負けても、彼は泣かないで、イジメられていた子供に手を差し伸べていただろう。

 だから困ったことに、そんな士郎に助けられたことが、山程ある身で、今更どうこう言う資格はないのかもしれない。 例え兄妹であっても、だ。

 だからこれは、我が儘だ。

 彼が勝手に、消えてしまわないように。 イリヤがそう思って、あのとき約束した。

 

「……」

 

 もう逃げないと決めた。 然り、兄を傷つけたことは認めよう。 イリヤなら分かる、アレが自分自身だということは。

 でも、だからこそーー彼女を許すわけには、いかない。

 

「……何かわたし、ちょっとバイオレンスすぎるかも……」

 

 許すだの許さないだの、いつからそんなことを考えるようになってしまったのか。 自分の汚い、独占欲にも似た親愛が、制御出来ないほど肥大している。

 その証拠に、アレが兄を傷つけた、それだけで自分は砲撃を放った。 アレに防がれたとき、お前が傷つけた事実は消えないのだと言われるようで、心が掻き乱され、自分はカードすら使おうとしたのを覚えている。 もし美遊が居なかったら、即座に展開し、呪いの朱槍でアレの心臓を消し飛ばしていただろう。

 

「……危ないよね。 あのままだったら、わたし」

 

 アレを、殺してた。 言葉にしないだけに、その事実はイリヤの心に深く残る。

 奮起することと、憤怒することはまるで違う。 理性を持って傷つけることは覚悟の上だが、感情的で無意識に傷つけることは、取り返しのつかない事態を引き起こす。

 そう、イリヤが士郎を傷つけたように。

 あんな過ちは犯してはいけない。 そんなことは分かっている。 けれど、イリヤとてまだ子供。 しかも大事な約束を引き千切られたのだ、抑えが効かないのも仕方ないかもしれない。

 が、そんなことは所詮言い訳だ。 アレを殺したとき、自分はもう士郎の側には居られないだろう。 予感ではなく、そう断定出来る。

 だとすれば、アレをどうしたら良いだろう?

 アレは兄を殺そうとした。 拘束してからも、その気なら殺すと言っていた。 イリヤすらもだ。

 当初は上等だ、やれるもんならやってみやがれこの泥棒猫め表出ろ大体夏じゃないのにどうして日焼けしてんだ夏先取りすぎなんだよその色気わたしにもくれよつかそもそも誰だよわたしこんな破廉恥でまいっちんぐな格好したら恥ずかしさで死ぬから早くはっ倒す来いよこの野郎ハーリーハーリー……と、少ないポキャブラリーで思い付く罵詈雑言(イリヤ的には)を心の中で捲し立てたものだが、今はもうそこまでではない。 精々その余裕な顔殴り飛ばしてやると息巻いた程度である。

 さて、とはいえどうしたものか。 何度かベッドの上で、ごろんごろんと転がってみたが、天啓が舞い降りるわけもない。 散々考え抜いて、そろそろ髪をぐしゃぐしゃになるまで振り回したくなる寸前まで眉間に皺を寄せ、そうしてイリヤは結論を出した。

 

「……ん、寝よ」

 

 明日みんなで考えよう。 それが答え。

 再三言うが、イリヤはまだ小学生。 もっと言えば、走り回っては転んでを繰り返すお年頃である。

 いくら大人びていようとも、まだまだムツカシイことは後回しにしてしまうのだった。 それが正しいかはさておき、である。

 

「よいしょっと……」

 

 照明が落ち、ぴょん、とまたベッドに身体を投げる。 今日は珍しく、ルビーも居ない。 姉妹機であるサファイアに用事があるらしく、今日は帰ってこないのだとか。 イリヤからすれば、色々と大助かりで、例えばこうして静かに眠れるのも一因だ。

 

(……お兄ちゃん、大丈夫かな)

 

 どうして、ただの風邪なのに、そんなことを思ってしまったのか。

 その疑問を忘れてしまったことを、後々後悔すると知っていれば、そんなことはしなかっただろうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん。

 一定の感覚で、世界に鳴り響く。 それはまるで、製鉄所で鉄を打つように淡白で、しかし雄々しい音だ。 鳥が翼を羽ばたかせるがごとく、剣は研がれ、剣は輝き、剣は振るわれていく。

 微睡む意識でそれは、心地よい時計の針を思わせる。 ぎぃん、ぎぃんと刻んでいくのは、人の夢。 イリヤも同じように、その夢を見ようと目を閉じようとした。

 しかし。

 

「そんな男が他人の助けになるなどと、思い上がりも甚だしい……!!」

 

 憤然とした声が、それを錆びた剣で断ち切った。 その声で、思わずイリヤは目を開ける。

 目の前に広がっていたのは、夢の世界などではない。 しかしそれでも、イリヤはその世界に圧倒された。

 実質的には、何もない。 地面は砂利だけで、空は汚れた煙が立ち込めている。 遠目に見えたのは歯車のようだが、それよりも焦げ臭くて埃っぽい上に、花も草木も生えておらず、建築物だって見当たらない。

 だがそこには一つだけ、存在を許された物があった。

 剣だ。 それも一本や二本ではない。 空虚な荒野を埋めるほどである。 まさに無限、しかも同じ剣は一つとしてなかった。 名は同じかもしれないが、しかしそこにある剣は、命のようにこの世界に芽吹いている。

 そう、ここは丘だ。 剣の丘。 世界に二つとないたった一つの世界。

 なのに、どうしてだろう。

 どうして自分には、この世界に圧倒はされてもーー虚しさしか湧き上がらないのか。

 

「そうだ、誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた!」

 

 言葉は豪雨で、声は(イカズチ)のよう。 一定の感覚で、美しい調和を保っていた剣戟は、既に自己を罵り痛め付けるだけの拷問具と化していた。

 

「故に、自身からこぼれ落ちた気持ちなどない。 これを偽善と言わず何という!」

 

 叩きつけられる剣は、次々と破壊され、破片となり、世界から消え失せていく。 命だった剣が彼の魂から滑り落ち、夢が現実に蹂躙される。

 それの、何と痛々しいことか。 男は今、自らの世界を、自らの夢を、自ら造り上げた命で必死に否定している。 この世界は、夢を追い続けた男が、その生涯をもって築いた、言わば彼の人生の答えだ。 無限の剣は誰の墓標で、荒廃した世界は誰の心なのか。 それを考えていくだけで、男が後戻り出来なくなっても、それでも突き進んだ愚者というぐらいは理解し得る。

 

「この身は誰かの為にならなければならないと、強迫観念に突き動かされてきた。 それが苦痛だと思う事も、破綻していると気付く間もなく、ただ走り続けた!」

 

 だから、余計に胸が痛い。

 その結論に至るまで、彼はどれだけの地獄を目にしたのだろうか。 苦しんだだろう。 辛かっただろう。 心はこんなにも荒れて、亡くしたモノを忘れないよう、悼むために、体は剣で出来ていると言い聞かせた。 それがいつしか、本当に剣しかない、何もない世界が理想となってしまっても、それでも構わないと殉じた。 それほどの夢を彼は誰かに向けてぶつけ、否定している。 恐らく彼と、同じ夢を持つ者へと。

 その胸中に、一体どれだけの想いが錯綜していたか。 夢への熱意、届かないことへの絶望、折り重なる挫折、信じた理想の光。

 

「だが所詮は偽物だ。 そんな偽善では何も救えない。 否、もとより、何を救うべきかも定まらない!」

 

 その告白は、男が振り下ろす剣よりも、なお鋭く誰かを傷つける。 その証拠に、その誰かはもうフラフラで、傷が無いところを探す方が難しい。 目を男から逸らそうとして、釘付けになっており、心は当に折れていた。

 なのに、どうして。

 どうしてその体は未だ、立ち止まらないのか。

 

「その理想は破綻している。 自身より他人が大切だという考え、誰もが幸福であってほしい願いなど、空想のおとぎ話だ」

 

 中頃から、ぽっきりと折れた剣を握り。 ただ否定という名の刃を、誰かは受け続ける。 そんな行為に、どれだけの意味があると言うのか。

 諦めてしまえば良いのに。

 その誰かが、男のことを一番よく分かっているから、心は当に折れていたというのに。

 それでも誰かは、体を剣に預け、踏ん張り続ける。

……けれど、それも終わりだ。

 誰かの体が立ち止まる。 剣を支えにするが、その様は許しを請う罪人のそれだ。 運命から抗った罪人は、速やかに処刑されるだろう。

  ちく、という痛みが、胸に走る。 もう見ていられない。 こんなにも無価値で、無意味で、それでいてどうしようもなく救いのないことがあるのか。 男が誰かを殺そうと、誰かが男を殺そうと、二人が辿る道は平行線。 交わることはないだろうに、その道は重なってしまう。

 涙が溢れる。 何故こんなにも悲しいのか、胸が切なくなるのか、イリヤには分からない。 分からないけれど、それでもーーその誰かが、もう折れてしまうと思った。

 いけない。 イリヤは声に出す。 出して、止めようとする。

 

「……お願い……もう、やめて……!」

 

 が、そんな声など、届くわけもない。

 男が、言う。

 誰かの先を体験した、その意味を。

 

 

「そんな夢を抱いてしか生きられないのであればーーーー抱いたまま溺死しろ」

 

 

 人の織り成す、欠片のユメ。

 それが、泡沫と消える。

 誰かは上を向くことすら出来ず、ただ男の剣に甘んじてーー。

 

 

 

 

 

 ぶちん、という頭痛が、その全てを吹き飛ばした。

 

「………………?」

 

 目を開けてみる。 そこは自室。 空気は煙に埋もれていないし、地面だってファンシーなカーペットに包まれている。 寝台にセットした時計は、午前四時を指している。

 そうか、夢か。 何処と無くはっきりしないが、さっきのは全て夢なのか。

 

「あ……あはは」

 

 何となく、笑った。 自分の想像力もそうだが、あんな夢を見てしまう自分の心に呆れた。 どんな頓珍漢な妄想をすれば、あれほどリアリティのある夢が見られるのか。 しかし、今回はその妄想に安心した。

 一息つく。 うねるような熱さはもうない。 それだけで現実に戻ってこれたのだと、深く実感する。

 

「む。 どうなされました、イリヤさん?」

 

 と。 いつの間に帰ってきていたのか、ひょっこりと顔を出すステッキが一つ。 ルビーだ。

 

「ルビー? 戻ってきてたの?」

 

「はい。 もう所用は済みましたので。 で、どうされました? 十歳ちょいのロリが息を切らすシーンは、夜中の三時辺りがピークですよ?」

 

「あ、うん。 心配してるのか心配させようとしてるのかどっちかにしてくれないかな」

 

 夜明け前なのにアクセル全開の発言に、冷静に対処するイリヤ。 受け流し方が板に付きすぎているのは、辱しめを受けながらも必死に学んだ処世術である。 夢を売る魔法少女は、実は一番夢を叩き壊された被害者でもあるのだ。

 これ以上は面白くないと踏み、ルビーは空咳を打つ。

 

「んん……全くイリヤさんは、最近面白味がありませんねー。 が、それは置いておいて、ホントにどうしたんです? 何か真っ青ですよ顔」

 

「え、そう? そ、そっか……確かに怖い夢だったけど、顔に出るぐらいだったんだ……」

 

「夢? イリヤさん、もしかしてたかが夢を見たぐらいでそんな色気出せるんですか?……いやー怖いですね最近の小学生。 兄は大変ですようんうん」

 

 また話が変な方向に逸れそうなので、すかさずイリヤは、夢の話をする。

 

「……でね、夢の話なんだけど。 何かスッゴいファンタジーな夢だったんだけど……ルビーが見せたりしてないよね?」

 

「しませんよそんなこと。 寝てる間にそんな、ソリッドブックもといR-指定グリグリ入るような演出は。 私は人を驚かせるのが好きなので、するなら起きてる間にしかしません、えへ☆」

 

「……ああうん、そうだね。 ルビーは人を汚すのが好きだもんね……でも、ホントに怖い夢だったんだよ? 剣が地面から、ぶわーっと生えてて」

 

「は?」

 

 流石のルビーも、イリヤの言っていることが信じられなかったのか。 くねくねと動いていた体が急に固まり、すぐにイリヤを真っ直ぐと見据える。

 

「……剣が、生えてた?」

 

「うん。 何か凄い数の剣が、なにもない丘に刺さってて……そこで誰かが戦ってる、そんな夢。 鬼気迫ってたから、こっちまで怖くなっちゃった」

 

「ふーむ……剣、ですか……」

 

 ぶつぶつとひとりごちるルビー。 こんな風に、彼女(……で良いのか?)が、イリヤを放っといて考え込むことは余りない。 そういうときは、何かしら事件の匂いを嗅ぎ付けたときだけだ。

 

「気になるの?」

 

「ああいえ。 ですがその夢、もしかしたらクラスカードが関わってるかもしれませんね」

 

「カードが?」

 

 どうしてカードの話になるんだろうか。 その疑問を、ルビーは一つ一つ解いていく。

 

「イリヤさんは過去、二度に渡り英霊の力をその身に宿しています。 一度は私無しで、二度目は私有りで。 しかしそんな大それたこと、何の後遺症もなく出来るハズがありません。 人にとって、英霊の力など毒にしかなりませんから」

 

「……えーと、つまり?」

 

「今回見た夢というのは、もしかしたらその英霊の生前だったのかもしれませんね。 剣の丘なんてモノ、史実では聞いたことがありませんから、相当古い時代か、それともマイナーな英霊でしょうか」

 

「へー……」

 

 いきなり英霊の記憶だと言われても、実感が湧かない。 だが他人の記憶だと言われたら、何となく頷ける。 あんなモノ、トラウマになってなければ可笑しいし、忘れている方が不自然だ。

 

「英霊かぁ……」

 

 そういえばアレも、自分と同じようにクラスカードの力を使っているのだ。 となると、あの正体が分からない英霊のことも、アレなら知っているのかもしれない。

 それは同時に、英霊のシンボルたる宝具も使用できるということだ。 一度取り込んだから分かるが、あの英霊自体のスペックはそれほどでもないのだが、武具による爆発力は凄まじい。 もし戦うことになれば、自分は勝てるだろうか。

 兄を付け狙い、自分すら殺そうとする少女。 もし本格的に命を狙われたとき、果たして自分はどんな行動を取るのか。

 

「……イリヤさーん? そろそろ寝ないと、今日寝不足で居眠りしたら、私マジックペンでラクガキしちゃいますよー?」

 

「さらっとわたしの社会的地位を貶めるのはやめて!? 絶対ダメだよね、多分取り返しがつかない系のヤツだよね!?」

 

「アハハー☆」

 

「マジだ、笑いから漏れる邪悪なカンジが!?」

 

 ぎゃーぎゃー騒いでも、朝は来る。

 ちなみにイリヤはこの日、久しぶりに授業で眠りこけ、藤村太河からモンゴリアンチョップを食らったりするのだが……それはまぁ、回避しようがない未来なので、ここでは触りだけにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱は下がった。 体も軽い。 これなら今日から学校へと行けるだろう。 玄関の床を踵で叩きながら、見送りに来たセラへ告げた。

 

「じゃ、セラ。 行ってくるよ」

 

「はい……ですが、本当に大丈夫ですか? 昨日は食欲がなかったようですし、今日もまだ顔色が少し悪いように見えます。 大事を取って、休んだ方が良いのでは……」

 

 そう心配そうに言うセラは、いつもより真剣味が二割増しだ。事実、セラの言う通りだったのだから、こう言われても仕方ないだろう。

 しかし、これとそれとは話が別だ。

 ルビーが言うには、俺の寿命は五年で消える。 更には魔術師として生きるのなら、半年しか生きられないらしい。

 半年。 たった半年で俺は死ぬ。 最早元の世界に帰る帰らないの話どころではない。 このままでは帰る前に、ここで死んでしまう可能性があるのだ。

 しかしだからと言って、立ち止まっていては本当に死んでしまう。

 魔術は使う。 幸い魔術回路が暴走しなければ、癒着は加速しない。 暴走しないラインまでなら、リスクなく魔術は使える。 一昨日の魔術戦が良い例だ。 そこまでギリギリ使いきり、障害を排除しながら、元の世界へ帰る手立てを探す。 どうにかして。

 アテはある。 ルビーとサファイアの二人だ。 二人に魂の癒着を止める方法と、元の世界へ帰る方法を考えてもらう。 大師父とやらに帰してもらうことも考えたのだが、『あのジジイがそんな殊勝なことやるわけない』と一蹴されてしまったため、頼れる相手は二人しか居ない。

 何処もかしくも行き止まりだ。 この世界にも何やら俺達の聖杯戦争と関係する問題もあるし、この三つを半年で解決出来るとは思えない。 そもそもいつまで魔術を暴走させないで使えるかも分からないのだ、床に伏せてそのまま死ぬ、なんてこともあり得る。

……けれど俺は、死ねない。

 まだこんなところでは死ねない。 あの男に言った、お前に追い付く日など来ないと。 イリヤに言った、お前を守るのだと。

 だから、まだ死ねない。

 顔を上げて。 俺は握り拳を見せた。

 

「大丈夫だよ。 もう目眩だってないし。 大体、熱もないのに学校なんか休めないだろ?」

 

「それは病み上がりのあなたが言うことではありません! 私は奥様と旦那様から、この家の全てを託されたのです。 もしものことがあったらそれは私も悲しいですが、それ以上にお二方にどう申せと言うのです?」

 

「そんなの、俺が無理したって言えば済む話じゃないか。 セラの職務怠慢でもなんでもない、ただ俺がヤンチャしただけのことだ」

 

 ぬぬ、と俺の言い分に唸り、反論しようと口を開いたセラ。 しかしそこで飛び出したのは、諦観の込められたため息だった。

 

「……全く。 最近は悪知恵を働かせるようになって。 一体何処で教育を間違えてしまったのでしょうか……ああ奥様、このセラに育児は荷が重かったようです……」

 

「いや、セラがそうやって心配するから、こっちとしてはその心配を取り払おうと必死なんだけど……」

 

「あなたが四六時中危なっかしいからいけないんですよっ!」

 

 がーっ、と腕を振って怒鳴り込んでくるセラに、苦笑いしか溢せない。 いや、全くその通りだ。 昔からぼけっとしてるとは言われるけど、こっちだって危機感ぐらいはあるしなぁ……。

 

「よし、これ以上は泥沼な冷戦になりかねないから、この話は終わり。 とにかく俺は学校に行くからな、セラも良いか?」

 

「……誠に不本意ではありますが、了承しました」

 

 渋々ではあるが了解も得たし、一件落着。 よしこれで、

 

 

ーーーーサァ、約束ノ刻限ダーーーー

 

 

 ふら、と体が一瞬重心を放棄する。 立ち眩みだ。 後頭部に手を当て気付けとして引っ掻いてみたが、効果は薄い。

……今のは、一体何だ。 浮かれるなと、この日常でそれを忘れるなと、誰かがそう言っているのか。 セラには立ち眩みが分からなかったみたいだが、俺の行動に不審なモノを感じ取ったらしく、

 

「……士郎?」

 

「……もう行くよ、そろそろ行かないと間に合わない。 おーいイリヤ、置いてくぞー!」

 

 わー待って待ってすぐ行くー!、という声が洗面所から返ってくる。 イリヤは慌てて洗面所から飛び出したのだが。

 

「あで!?」

 

 フローリングの窪みにでも引っ掛けたか、いきなりずべしゃあー!、とヘッドスライディング。 体は床と密着しながらも、伸びた手が俺の足をむんずと掴む。

 

「……いだい……」

 

「だろうな、そりゃあ」

 

「そしてお兄ちゃんも冷たい……うぅ、セラぁああ……」

 

「な、泣いてはいけませんイリヤさん。 むしろ朝から不運なことが起きたことで、今日は何も起きないと考えるべき、です……多分」

 

「不運の始まりな気がするよぅ……」

 

 涙目で座り込むイリヤ。 額は赤く腫れているが、今だけだろう。 恐らく痛みも。 大したことじゃない。

……が、まぁしょうがない。

 

「ほら、立てるか?」

 

「……うん」

 

 手を取って、イリヤを立ち上がらせる。 少し汚れた制服を整えながら、

 

「ありがとう、お兄ちゃん。 何か朝から慌ただしいね、わたし」

 

「全くだ。 イリヤは俺から見ても危なっかしい。 何もないところで転ぶなんて、イマドキ居ないぞそんな人」

 

「こ、転んじゃったのはわたしのせいじゃないもん! ちょっと急ごうと思った結果であって、転んだのはちょっと眠かっただけだし!」

 

「じゃあまずは、早起き出来る努力からしような、うん」

 

 痛いところを突かれたと言わんばかりに、のけ反り、頬を膨らませるイリヤ。 いつも寝起きが良いとは言えない我が妹だが、今日は輪にかけて酷かった。 何度呼んでも来ないもだから、二階まで行って叩き起こしたのだ。 目に毒ではあったが、今回は何とか成し遂げた。

 何やらぶつぶつと呟いているが、そんなところもまた可愛らしい。 帽子の上から、イリヤの頭に手を置いて、今度こそセラに告げた。

 

「じゃ、行ってくる。 今日は遅くなるけど、夕飯前には帰ってくるよ」

 

「言っておきますが、手伝いは無用ですのであしからず。 イリヤさんもお気をつけて、足下をよく確認なさってくださいね?」

 

「セラまで!? うぅ、いってきまーす……」

 

 ガチャ、と俺達二人は並んで家を出る。

 と、ドアを閉めた矢先だった。

 

「ごきげんよう、シェロ! 今日も良い朝ですわ、まるで私達のために設えたような! 二人『で』登校するためのような!」

 

 物凄く聞き覚えのある声が、耳にするりと入ってきた。

 

「お、おおぅ……お、おはよう、ルヴィア。 朝から元気だな」

 

「はい。 それはもう、私はシェロと居られるのならばどこでも!」

 

 玄関前、もっと言えば家の敷地前。 高らかに、それでいて近所迷惑にはギリギリならないレベルの挨拶をしてくれたのは、ルヴィアだ。 身振り手振りを交える姿は様になるが、朝からミュージカルでも見ている気分になる。 実際、その丹念にセットされたであろう髪と容姿は舞台で映えるだろう。

 

「る、ルヴィアさん……」

 

 そんな彼女の勢いに圧されていたのは、俺だけではなかったらしく。 目元をヒクつかせるイリヤに、ルヴィアは目を丸くした。

 

「あら、ごきげんようイリヤスフィール。 居ましたの?」

 

「そりゃ居るよ、わたしとお兄ちゃんの家だもん!?」

 

「そうでしたわね……まぁ良いでしょう。 それでは二人とも、こちらへ。 お送り致しますわ」

 

 送る? と、俺の疑問を解くように、ルヴィアが翻る。 そこには、テレビとかでしか観れないような、とても長い黒のリムジンが駐車ていた。 右から左まで、首を振ること九十度。 イリヤと共に、開いた口が塞がらないまま、

 

「る、ルヴィア……送るって、これでか?」

 

「?……そうですが、何か問題が?」

 

「ああいや、そんな当然みたいな顔されたら、こっちも返す言葉がないというか……なあイリヤ」

 

「うん。 むしろこんなモノで送られるほど、リッチな生活をしていない小市民というかですね……」

 

「???」

 

 忘れていた。 ルヴィアは仮にも、宝石を媒体とする魔術の名家なのだ。 それもこの若さで、既に当主なのである。 当然このような扱いはされると分かっていたが……。

 

「それにしたって、登校にリムジンって……遠坂と真逆すぎないか……」

 

「ふ、あの女とは立場上比べられるのは仕方がないことですが、財政面では話にはなりませんわ。 そもそも魔術の名家でありながら、あそこまで電卓が似合う女は居ませんことよ。 ああ、日本ならそろばん、でしたか? 何にせよ、極東の芋女にはイモい小道具がお似合いですわ」

 

「ルヴィアさん、ホントにリンさんのこと嫌いなんだね……」

 

「勿論。 あの女さえ居なければ、今頃私は大師父の弟子として、エーデルフェルト家を一段と飛躍させるハズでしたのに……あの芋娘のせいで……!!」

 

 口から出るわ出るわ、遠坂への罵詈雑言。 終いにはお決まりの高笑いまで響き、ルヴィアはご満悦である。 一体何が駆り立てるのかは知らないが、多分俺とアーチャーみたいな関係だと思えば何となく理解出来る。 流石にここまでオープンに敵対心をひけらかすことはないけど。

 

「というわけでシェロ、イリヤスフィール。 学校へお送りします。 ほら、ドアを開けなさい、侍女!」

 

 まるで女王のような口振りだ。 やっぱり古い上流家庭にもなると、威厳とかあるのかなぁと思っていたら。

 

「……かしこまりました、おじょう、さ、……ま……」

 

 何か見覚えのあるミスパーフェクトが、メイド服を着て、人生のドン底のような表情をして控えていた。

 

「……とお、さか……?」

 

「リンさん……?」

 

「え、衞宮くん!? えっ、ちょ、な、なんで!? 確かイリヤを送ってくって、それに声も気配もしなかったのに……!?!?」

 

「オーッホッホッホッ!! かかりましたわね、遠坂凛! そのメイド服には、認識阻害の呪詛を仕込ませておきましたわ! そう、対シェロ限定の!」

 

「ハァッ!?!?」

 

 聞いてねーし!?、と言う表情で、頭を抱える遠坂。 何かアレである、起死回生の一手を打ったのにそんなこと無駄なんだウハハチェックメイト、みたいな。 つまりいつものうっかりだ、うん。

 そんな大人(実質的には子供)の争いを目にし、イリヤは戦々恐々とする。

 

「ああ、なんて酷い……! こんな、こんな酷い魔術は見たことないよ、わたし……!」

 

「凛さん相手ならクリティカルヒットでしょうねー、この魔術。 ああいや、以前の凛さんなら引っ掛かることなんてなかったんでしょうけど」

 

 イリヤの髪から顔を覗かせ、隠しきれない笑いを漏らすルビー。 平常運転なのは分かっているが、それはそれとしてまたガソリンが投下される。

 

「さぁ遠坂凛! 資金欲しさに当主としてのプライドまで投げ捨てた姿を、殿方に見られた気持ちはどうですの!?」

 

「うぐぐぐぐ……!!」

 

 ご丁寧にも事態を把握出来るキーワードを含ませ、ルヴィアは遠坂を煽る。 恐らくこの前のクラスカード回収任務で、資金難に陥った遠坂が、やけくそになってルヴィアのところに働こうとしたのは良いものの……といったところか。 迂闊にも程があるぞ遠坂、トロイの木馬でもしようと思ったら木馬ごと爆撃されたみたいじゃないか……。

 

「うぐぐぐ……わ、笑うなら笑いなさいよ……わたしはこうでもしないと生きていけないだけで、別にあなたに見られて恥ずかしいことじゃ……!」

 

「いや遠坂、家訓的にそれどうなんだ。 優雅じゃないぞ全然、泥臭いぞ」

 

「黙れーーっ!! こんにゃろう、ふざけやがってちきしょーーっ!!」

 

 頭の抱え方がサマになりすぎてる辺り、遠坂は何処でも貧乏クジ担当なんだなぁ。

……しかしまぁ、なんだ。

 遠坂のメイド服姿が、こんな形でも見られたのは、少し嬉しい。 なんてったって、好きな女の子が可愛い服を着ているのだから、誰だって嬉しいに決まってる。

 正直最初に固まっていたのは、そのメイド服があまりに綺麗で、可憐で、そして鮮やかに見えたからであって。 心底俺は、この女の子に魂を絡め取られているらしい。 なんて、こんなところで再確認してしまった。

 

「……帰らなきゃな」

 

 今頃、遠坂やセイバーはどうしているだろうか。 思い出そうとして、慣れた頭痛を乗り越えてはみるけれど、その顔はボヤけてよく見えない。

 けれど思い出は、言葉は覚えている。

 だから早く、帰らないと。

……もう、長くは生きられないのかもしれないけれど。 それでも、帰るべき場所は、あそこにしか無いのだから。

 

 

「ああ、醜い女の争いは、こうやって白日の元に晒されるんだね……」

 

「自分からバラしていくんで、もう公開処刑のレベルですけどね。 お兄さんの顔が良い感じに固まってますよー」

 

 

 やめろ、今遠坂の尊厳を何とか保とうと必死なんだから!?

 その後、美遊がリムジンから出てくるまで、場は主にルヴィアのせいで混迷を極めていた。

 

 

 


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