Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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三日目~少女、挫折~

ーーinterlude3-1ーー

 

 

 自己が体から離れ、他人の記憶を見る。 一度、英霊をこの身に夢■召■したせいなのだろうか。 自分はそれを一つも残さず、追体験(インストール)する。

 とはいえ、この英霊はそこまで物覚えが良い方ではないらしい。 最早生前のことなどほとんど覚えていないのだろう、色褪せた写真を紙芝居のように見せられる。

 そう。 ただの写真。 色など白と黒で、人物の判別すら難しい。 なのに、そこにある地獄だけは、どんなモノよりもおぞましくーーそれでいてこの上ない悪夢だった。

 時代は現代。 場所は町。 人の営みしかないハズの場所は炎に包まれ、その中を、恐らく英雄となる少年が歩いていた。

 怒号、悲鳴、嗚咽、絶叫。 おおよそ人が、何もかもかなぐり捨てて、他人へ助けを求める声を、悉く耳から削ぎ落とす。 見えている死体、突き上げられた手、祈るような横顔、それらを視界から叩き出す。 生きたいと思って歩いているわけではないけれど、それでも、ここには居たくはない。 少年は一人、ただ歩を進める。

 炎に焼かれたのか、それとも見捨てていった全ての人達に潰されたのか。 いや、恐らくどちらもだろう。 次第に目は色を無くし、少年はまるで肉の剥がされた骸骨のような不安定な足取りで、間違いなく人間としては手遅れだ。

 だから、動かなくなるのも当然のこと。

 終わりはすぐに来た。 そこらにある燃え落ちた灰に足を取られ、そのまま地面に倒れる。 それで切っ掛けとなったのか、少年は虚ろな目のまま、動こうとはしない。

 分かっている。 もう生きるのは無理だと、悟っている。 体は焼き尽くされ、心は押し潰され、ほぼ人形といっても大差ない少年。

 そんな風になってしまったからか。

 少年は、そこで初めて、何となく手を伸ばした。

 曇天の空は、悲しむように涙の雨を流している。 全身が雨に濡れるが、少年はついぞ伸ばした腕に、何も掴むことは出来やしない。

 

ーーああ。 空が、遠い、なぁ……。

 

 仰向けになった彼は、そんなことを思い、徐々に手から力を抜いていく。 これで終わり、生きるなんて、そんなユメも終わり。

 心が死んでしまったなら、最初からどうしようもない。 そう、天から地に落ちようとした、まさにそのときだった。

 

 この手に、温もりが出来た。

 

 

ーー……、……。

 

 その温もりは、人のモノ。 両の手で、小さな子供の手を握ってくれたその人は、そのままくしゃりと顔を歪ませた。

 こんな地獄で。 こんな人形にすら劣る者の手を、掴んで。 いっそ死んだ方がマシなんじゃないのかと思えるほど、傷ついたものを見て。

 それでも、男は火の海の中心で、こう言った。

 

ーー……生きていてくれて、ありがとう。

 

 その顔が。 泣いているのに、こんな地獄に居て、何一つ良いことなど無かっただろうに。

 何故そんなにもーー報われたと、幸せだと、そう心の底から思っているのだろうか。

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 分からないのに……その顔に今、自分は心の底から救われた。

 

 これは、救うのも救われるのも。 それはとても尊い奇跡なんだと実感した、最初のユメーー。

 

 

 

「……ん」

 

 鈍い頭痛がする。 ぎり、と万力で固定されたような痛みは、内側からか外側からかは分からない。 しかし意識を覚醒させるには、それだけで十分だった。

 彼女、イリヤは頭に手を当て、寝返りを打つ。 だが今の痛みで、眠気などすぐに吹き飛んでしまう。 イリヤはベッドから起き上がると、近くの鏡には自身の姿が見えていた。

 酷い顔だった。 目は真っ赤に腫れ、頬には涙の跡がいくつもある。 知らず、その跡をなぞり、すぐに顔を伏せて部屋を出た。

 

「……っ」

 

 昨日の晩、アサシンとの戦い。 結果的にイリヤの力でアサシンを退けたが……寝惚けているからだろう、そこからの記憶がスッポリ抜け落ちている。

 いつもなら何か言ってくれるハズのルビーも、今回だけは口を挟まない。 ただ髪の中に隠れているだけだ。

 

「……まぁ、良いのかな」

 

 思い出せないのなら、仕方ない。 さっさと身支度を済ませ、学校に行こう。 イリヤはそう思い、目を擦りながらリビングに来たのだが。

 

「……むむ。 イリヤ、おはよう」

 

 いつも朝は、慌ただしいリビング。 なのに今日はそんな影すら見せず、リズ一人が呑気にトーストを頬張っていた。

……どうしたのだろうか。 イリヤが尋ねる。

 

「おはよう、リズお姉ちゃん。……ねぇ、セラやお兄ちゃんは? もしかして何かあったの?」

 

「ん、そう。 士郎が夜中、事故を起こして病院送り。 セラはその付き添い」

 

「……は?」

 

 事故? 一体何のこと、なのか。 昨日は何も起こらなかった、そう何もーー。

 そのとき。

 忘れようとしていた全てを、ようやく思い出した。

 

「……ぅ、ぶ……」

 

 猛烈な吐き気。 それは記憶が一気に流れてきた頭痛よりもよっぽど、五臓六腑を突き抜けた。

 アサシンを倒すため、そこに居る全員に大怪我を負わせたこと。 セイバーとの戦いで、本当にあの騎士王に勝ったのは、自分だと言うこと。

 全てを思い出す。

 そう。 自分はあのとき、セイバーを倒した。 手段も知らずに、ただこの悪夢が終われば良いと願った。

 アサシンもそう。 兄を救うために兄そのものすら消し飛ばすほど、強く願った。

 全部消えろ、と。 この身を脅かすもの、誰かを傷つけるものーーその全てを消えろと願った。

 願い。 誰かの為であるハズの、その結果がこれ。 まるで願いそのものがねじ曲げられてしまったみたいに、悪い方へ悪い方へ流れるのは、何故なのかーー。

 

「コッソリ夜中に出掛けたら、そのまま自動車に轢かれて、みたいな? 幸い切り傷や打撲程度で済んだみたいだし、やんちゃするぐらいが男としては丁度良い。 だからイリヤが心配しなくても、モーマンタイ。 遅刻するべからず、セラからの言葉」

 

 イリヤの様子を察したか、リズはそう言って二枚目のトーストを手に取った。 それがリズなりの気遣いだと気づいたイリヤは、顔を洗ってくると一言だけ言って、洗面所へと駆け込んだ。

 病院送りということは、恐らくルヴィアが手を回してくれたのだろう。 ともすれば士郎は死んでいないし、あの死に体だった状態から何とか持ち直したのか。

 だとしても、素直に喜べないのはきっと。

 

「……ねぇルビー」

 

「はい、なんでしょうイリヤさん?」

 

 ルビーはいつものようにすぐ横で待機しているが、イリヤは彼女を見ずに告げた。

 

「……私、ミユ達も、お兄ちゃんも。 みんな傷つけたんだよね?」

 

「あー……そうですねぇ。 魔法少女としては、こりゃあかなりZero的要素が入ってきたと言いますか。 正直イリヤさんの力には目が点です、一般人どころか魔術師のレベルを大きく超えてますし」

 

「……違う」

 

 そう。 アレは違う。

 たまたま騙されて魔法少女をやっていたのに、いきなりこんなことになるわけがない 。 私は実はこんな力があったのでした、なんてあり得ない。 ただこんな力があったら良いな、まったり過ごせたらそれが良いな、と常々思っていた。

 だから、あんな力を発揮した私はーー私なんかじゃない。

 

「……私は。 お兄ちゃんを守ろうとしたのに、助けようとしたのに。 どうして」

 

 こんなことに、なっちゃったんだろう。

 誰も答えてくれないその問いは、少女の悲鳴に間違いない。 それを癒せるのはきっと、ルビーの役目ではないだろう。

 人工精霊はただ、聞き役に徹し続け。 少女は一人、挫折した。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めは最悪だった。 久々に、これ以上ないほど。

 

「……い、っつぅ……」

 

 朝日は瞼を強引に開けるかのように、俺を照らしてくる。 体にあるのは一年前に何度も感じてきた疲労感と、少しの眠気。 アサシンとの戦いで体はボロボロになるまで傷つけられたハズだが、致命傷はない。 それでも切り傷と打撲は酷くて、動くのにはかなりの激痛が走るが。 恐らくこの、胸元に貼り付けられたセイバーのクラスカードのおかげだ。 ともすれば起きないわけにもいかない、ゆっくりと俺は身体を起こしていく。

 一面に広がる、白。 カーテンも、シーツも、壁も、そして光すらも。 その全てが白で統一されているとなれば、心当たりは一つしかなかった。

 病室……つまり自分は昨日の戦いの後、どういうわけかこうして、生きているわけで。

 それで、左手が何かに包まれていることを、知った。

 

「……あ……え?」

 

 俺から見て左側。 丁度左手を掴んだまま、ベッドに体を預けている少女が居る。

 美遊だ。 眠っているのか、少し体を揺らしつつ、だが俺の左手は離さないとでも言うように、固く固く握っている。

……えーと。 これは一応、付き添ったは良いが、そのまま疲れて眠ってしまったということになるのだろうか……?

 

「……参ったな」

 

 起きた以上、元気な姿を見せねば付き添ってもらった意味がない。 しかしそうなると、この気持ち良さそうに眠っている美遊を、起こさなくてはならないわけで。

 正直、そんなことしたくない。 こうも深く眠りに入られると、起こす方もそれなりに罪悪感があるものだ。

 というか、今頃になって左手が痺れてきている。 小学生とはいえ、やはり人にのし掛かられると、血は流れにくいらしい。

……美遊には悪いが、こういうときは大抵起こさなかったら起こさなかったで叱られるし、覚悟を決めよう。 俺は彼女の肩を揺らしながら、なるべく優しく。

 

「美遊? おーい、美遊?」

 

「……ん」

 

 目尻をぴくぴくと動かす彼女は、やはり疲れているのだろう。 仏頂面な顔には皺まで出来ており、中々起きようとしない。

 全く……ここら辺はイリヤと似てるな、ホント。 だがこちらとて、ここまで来れば腹も据わるモノ。

 

「美遊? ほら起きたから、つか手がそろそろビリビリしすぎてヤバイから。 頼む、起きてくれ」

 

「……ぅ、ん……」

 

 肩を揺らすだけでなく、俺の左手をも揺らす起こし方には、流石の寝坊助さんも起きるようだ。 美遊は依然として手は離さないが、そのまま片手で目を擦りつつ、

 

「……あ、れ? お、お兄ちゃん……!?」

 

「うむ、起きたみたいでよろしい。 まぁ寝惚けてるようではあるけど」

 

 イリヤの友達からお兄ちゃんだなんて、一歩間違えば危ない関係だ。 もしセラや遠坂に察知されれば、すぐに家具とガンドが豪速球で俺だけに食らわせられるだろう。 世の中理不尽極まりない。

 

「あ、……ええっと、士郎さん」

 

「何だ……って、ああそうか。 はいクラスカード」

 

 貼られていたセイバーのカードを剥がし、美遊に返す。 彼女はそれを受けとると、

 

「あ、はい……あの、体の傷は大丈夫なんですか? 酷い怪我だったのに、その……」

 

 美遊が言わんとすることも、何となく分かる。 俺はあのときアサシン特製の毒に加え、魔力による爆発を直で浴びてしまい、火傷で皮膚なんて溶けたバターみたいになっていただろう。

 だが今の俺は打撲と切り傷、後は少しの火傷ぐらいで、戦闘は出来ないものの、命に別状はない。 俺は一応、美遊に尋ねた。

 

「傷が独りでに治っていったんだろ? しかも美遊が、より正確に言えばセイバーのクラスカードが近づくと、治るスピードが増したんじゃないのか?」

 

「……はい。 アレは、何なんですか? あんな魔術、見たことがないので……」

 

 美遊ーー強いては遠坂達の目からみれば、確かに魔術に見えたかもしれない。 だがアレは、魔術ではない。

 俺がアーチャーと死闘を繰り広げたとき、奴は言った。 彼女の鞘の加護によって、衛宮士郎は立ち上がっていると。

 そしてその鞘と言えば、剣とセットでなければ話にならない。 幸い剣の英霊であるセイバーに確かめてみれば、それの正体はすぐに分かった。

ーー全て遠き理想郷(アヴァロン)

 前回の聖杯戦争で、セイバーのマスターである爺さんが召喚の触媒として使用した、アーサー王が紛失したハズの宝具。 それが俺の身体の中に入っているらしい。

 セイバー曰く、長らく融合していたせいで、そのカタチは最早鞘ではないらしいが、その能力は変わらないようで。

 持ち主に不死性を与えると言う逸話通り、俺はまさに不死身の再生能力を発揮し、セイバーの魔力が残っていたあのときもこれのおかげでアーチャーに勝てた。 もし鞘が無ければ、俺は聖杯戦争なぞ勝ち抜くことは出来なかったし、そもそもセイバーと会うことも無かったかもしれない。

 

「……ちょっとな。 企業秘密というわけには」

 

「いきません。 あんな再生能力、明らかに死徒のそれでした……副作用が無いにしろ、あの能力があるからって、昨日みたいに自分の命を捨てるような真似は、やめてください」

 

「……いや。 そもそも起動しようとか思わなかったぞ、俺」

 

 美遊が目を見開く。 何故そんな顔するのか分からないが、宝具を発動なんてアーチャーでもあるまいし、出来るわけがない。 同じセイバーとはいえ魔力を込める、或いは契約をしなければ宝具は発動しないし、正直なところ死んだとばかり思っていた。 死ぬ気など毛頭無かったが。

 

「あの……それは制御が効かないモノなんですか?」

 

「うーん、ちょっと違うな。 存在を忘れてたと言うか……最後に発動したのが一年前だったから、記憶から抜け落ちてただけだな。 そういうこと」

 

「……じゃあ。 士郎さんは、死ぬと分かっててて、アサシンの攻撃からイリヤを庇ったんですか?」

 

「それも違う。 死ぬとか怪我するとか、そんなことを考えるよりも前に身体が動いてた。 それだけさ。 イリヤは妹だし、守るのは当然だろ?」

 

 美遊が考え込む。 恐らく頭で理解しないと、行動できないタイプなのだろう。 そして歪んだ俺の考えを、受け入れることが出来ないだけ。

 だが何を思ったのか。 美遊は一度俺の左手から離れると、次いでがばっ、と胸に抱きついてきた。

 

「……え?」

 

 いきなりのことで、俺は彼女が懐に来ることを許してしまったが……その身体が、震えていることに気づいた。

 何かを怖がるように。

 何かを知っているように。

 美遊は、口を開ける。

 

「……そんなの、ダメです。 絶対に、ダメ」

 

 振り絞った声に、一体どれだけの想いが込められていたのか。 少なくとも、俺に推し量れるような、ちっぽけなモノではない。

 

「私、あなたのような人を、知ってます。 その人はとても優しくて、でも不器用で。 笑わない人だけど、その夢は純粋でした。 その夢を叶えるために一生懸命頑張る姿に、何度救われたか、私は分からない……」

 

 ぎゅっ、と俺の服にしがみつくように。 美遊は懺悔染みたことを言う。

 

「……だから。 私の為に、その人が幾度も傷ついていくのが、嫌だった。 夢と私を天秤にかけて、それまで追いかけてきたモノとは真逆のモノになってまで、その人は私を守ってくれたけれど……涙が出るぐらい、嬉しかったけれど。 同時にそれが、堪らなく、辛かったんです」

 

 美遊が顔を上げる。 微かに残っている涙は、彼女にこべりついた後悔か。

 

「士郎さん。 あなたは、その人にーー私の兄に似てます」

 

「……美遊の兄に?」

 

「はい。 だからきっと、今回みたいに、イリヤを守っていけば……いずれ私の兄のように、あなたが一番苦しみます。 私は、あなたまでそうなってほしくない。 今回みたいに」

 

 が、俺は首肯せず、

 

「そんなこと言われたってな……イリヤを守るのは、兄として責任を果たさなきゃいけないし……何より俺が守らなくちゃ、誰がイリヤを」

 

「士郎さん」

 

 美遊が遮る。 彼女は手鏡を取り出すと、それを俺の方に向けた。

 

「……本当に、守りたいんですか? そんなに、苦しそうな顔で」

 

 そこには。

 守ると言う言葉とは裏腹に、決壊寸前まで涙を溜めた、自身の顔があった。

 

「……あ、れ?」

 可笑しいな……何で、こんなみっともない顔をしてるんだろう。 俺はイリヤを守る、守らなきゃいけないんだ。 なのに、どうして俺は、こんな。

 

「……もう良いよ。 もう、良いの。 そんなに追い込まれるまで傷ついてきたんだから、これからはあなたが守られないと、そんなの可笑しいよ」

 

「美遊……」

 

「だから」

 

 俺の歪さを、正すように。

 

 

「ーーあなたは、自分の為に生きてください。 そうしなければ、余りにも、報われない」

 

 

 そう、たった一つの願いを口にした。

……病室が静まる。 胸の中では、俺の答えを一人、目を真っ赤にして待つ、少女。

 俺は。

 

「……悪い美遊。 それだけは無理だ」

 

 当たり前のように、その切願を切り捨てた。

 

「……え」

 

「俺はイリヤを守らなきゃいけない。 だけどそれ以上に、俺は、そうしなきゃ生きてちゃいけない人間なんだ」

 誰かを殺すと言うことは、その殺した人間に関わった、全ての人の人生をも壊すということだ。 その輝きを代行できるモノは、何一つとしてない。 ましてやそれを無かったことにするなど、それで救われるのは自分だけ。

 だから、俺がエミヤシロウのモノを、引き継ごうと決意した。

 でも、本当はそんな決意、建前だっただろう。

 ただ俺は、この世界にある奇跡を、この手で守りたかった。

 だって、また会えたのだ。

 本当は涙が出るほど嬉しくて、そして抱き締めたくなるほど、彼女を求めていた。 唯一無二の家族との再会。 義理ではあっても、妹であっても、そもそも自分が知るイリヤスフィールではなくても、それは。

ーー衛宮士郎がずっとずっと、求めていたモノではなかったのか?

 

「……苦しくなんて、ないさ。 やっと、やっと会えたんだ。 だったら、だったら……」

 

 守るべき、なのに。

 心は嘘だと訴えている。

 

「……士郎、さん」

 

「分かってる。 本当は」

 

 何が切なくて、何が欲しかったのか。 それぐらい、もう俺は分かっていた。

 俺はただ、イリヤ()イリヤ()を重ねてしまっていた。 たったそれだけだ。

 性格も違う、考え方も違う。 でも根本的なことは全部一緒だ。 俺の家族だということは、一緒なのだ。

 だから重ねてーー当たり前のように、その虚しさに涙していた。

 時が経てば経つほど、言葉を交わせば交わすほど。 イリヤがもう居ないことを強く実感し、それでもまだイリヤを求めることを、誰かに許して欲しかった。 許されないことだとしても、俺は。

 

「……ああ」

 

 あのとき。 俺と初めて会って、殺そうとしたとき。 彼女は何を思って、殺そうとしたのだろうか?

 誰よりも知っている人なのに、誰よりも遠い人。 その想いも、願いも、知る方法はもうない。

 だから、守りたかった。

 この次こそは。 例えそれが自分しか救うことが出来ない、ただの自己満足でも。 それでも俺は、イリヤを守りたかった。

 苦しかったハズだ。

 寂しかったハズだ。

 妬んだハズだ。

 そうした胸を穿つモノを取り除けたのは、俺だけだったのに。

 だから、

 

「……守らなきゃ」

 

 重ねているつもりも無かったし、重ねようとさえ思っていなかった。

 でも、やはりイリヤは俺にとって特別だ。 そんなモノを無視できるハズがない。 細かな違いが浮き彫りになれば、それだけでもう耐えきれない。

 それでも良かった。 だから、涙した。

 泣いて、わんわん泣いて、そうしてそのユメを噛み締めていたかった。

 それが出来なかったのはきっと、俺は彼女を守れなかったから。

 

「ごめん、美遊。 多分、俺なんかが守ること自体が、烏滸がましいことなのかもしれない」

 

 所詮は紛い物。 そんなあやふやで、歪んだモノでは、何一つ守ることなど出来やしない。

 

「美遊の言っていることは正しいよ。 それでも、守らなくても良いとか、止まっても良いだなんて……そんなこと間違ってる」

 

 責任は果たす。 果たさなければ、それこそ誰も報われないではないか。

 俺が殺した、だからこれは譲れない。 例え誰であろうと、この責任は俺だけのモノ。 もしこれを放棄するということは、それはすなわち。

 それは、俺が俺として、破綻していくということに他ならない。

 

「……俺は、正義の味方を張り続けなきゃいけない。 そう誓って、ここまで来た。 その責任のために、少なくない人を傷つけてきたんだ」

 

 だったら答えは一つだろう。 考えるまでもないことだ。

 美遊が目を伏せる。 その姿に、胸が少し痛んだ。

 ああなるほど。 どうやら俺は本当に、美遊の兄貴とやらに似ているようだ。 目の前で泣いているこの少女に、ここまで入れ込むのだから。

 

「……お前の兄貴の気持ち、少し分かるぞ」

 

「え?」

 

「美遊は何というか、守りたくなる。 囚われのお姫様とか、捨てられた子犬みたいな感じかな」

 

「……!?」

 

 あ、一気に赤くなった。 ぼんっ、みたいな効果音までしっかり聞こえたし。 美遊はすぐに俺から距離を取り、パイプ椅子に座り直すやいなや、視線を逸らして。

 

「……誤魔化そうったって、ダメですからね」

 

「誤魔化そうだなんて、人聞きが悪いな。 本当のことなのに」

 

 全く。 自分の兄貴と俺を重ねてるんだから、必死に誤魔化そうとしてるのはどっちなんだか。

 小学生なのに、我慢しすぎだろう。 気恥ずかしさを向こうに追いやって、俺はそこを指摘する。

 

「……別に、兄貴みたいに接したって良いんだぞ? 美遊が呼びやすいように、したいようにすれば良い」

 

「っ、そ、それは……っ」

 

 あぁもう!

 

「そんな風に考え込むのは一向に構わないけど、少しは自分の気持ちに素直になれっ。 小学生は、多少ワガママ言ったって許される年頃なんだから」

 

 美遊が押し黙る。 彼女とて、事情があるハズだ。 それを無視するように怒鳴ってしまったが、こういう人間はしっかり言い聞かせれば効果がある。

 やがて、美遊は遠慮しているような、オドオドした声で。

 

「……本当に、良いんでしょうか。 それは、許されることなんでしょうか……」

 

「だからワガママなんだろ? 別に嫌なら良い。 でも、そうやって遠慮して、ずっと溜めてるようなことされても、そんなモノ全然嬉しくない」

 

 観念したか。 俺の強引な言葉に、美遊は苦笑いだけを溢して。

 

「……もう。 お兄ちゃんは、本当に、お兄ちゃんなんだから」

 

 そう、惚れ惚れするほど幸せそうな顔で、俺に告げた。

 

「ん、素直でよろしい。 あ、出来ればお兄ちゃんって呼ぶのは、二人の時だけにしてくれると……」

 

「え……なんで……?」

 

「いやいつでも呼んでくれて構わないぞ、誰の前でも! 何回でも!」

 

「うん!」

 

……ただ。 このもう一人の妹は、どうやら相当甘えん坊らしい。 年相応の表情をする彼女に、俺は必死に兄貴として振る舞った。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude3-2ーー

 

 

「じゃあ、またお見舞いに来るからね、お兄ちゃん」

 

 病室から出る。 入れ替わりに入っていったのは、衛宮士郎の家政婦らしい。 余程怒っているのだろう、その説教は部屋の外まで聞こえていた。

 ちょっとだけ、それが微笑ましい。

 美遊は廊下を歩いていくと、やがて利用者用に設けられている休憩室があった。 平日の昼間と言うこともあって、人の影は無く、見知った二人が距離を置いて鎮座するだけ。 その二人に、報告する。

 

「……士郎さんの意識が戻りました。 傷も残ってはいますが、命に別状は無いとと思います。 より正確に知りたいなら、後は自身で確認された方が良いかと」

 

 二人ーー凛とルヴィアは席を立ち、

 

「ん、報告ありがと。 クラスカード持ちとはいえ悪かったわね。 今なら誰も居ないし、ここで寝ててもバチは当たらないわよ?」

 

「些かエレガンスに欠けますが、私もそれには賛成ですわ。 隈が出来るまで頑張ったようですし、後は私達に任せなさい」

 

「……はい。 それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

 どっちかと言えば、隈など既にどうでも良いほど気持ちは高揚してるのだが……彼女達の優しさは、この身に染みた。 ありがたく美遊は長いベンチのような椅子に横になると、そこで二人が、

 

「それとーー良いこと、あったみたいね。 ちゃんと笑えるじゃない、あなた」

 

「その顔を大事になさい、美遊。 淑女の武器は、笑顔も含まれますわよ?」

 

 そう、妹の成長を喜ぶように、離れていった。

 

「……バレてた、かな」

 

 何がと言われれば、無論士郎に対しての想いだろう。

 昨夜士郎が倒れたとき。 一番取り乱したのは、美遊だった。 柄にもなく必死に、柄にもなく涙すらボロボロ溢して、美遊は絶望しかけていた。

 そんなときに、セイバーのクラスカードが唐突に光と魔力を発して、士郎の体が治りだすのだから、最早喜んで良いのかその異様な再生力に驚けば良いのか、よくわからなかっただろう。

 そうして淡々とこの病院に運び込まれたとき、凛とルヴィアが言ったのだ。

 

ーーそれじゃ、美遊はここで衛宮くんの意識が戻るまで監視してなさい。 片時も目を離さずに。

 

ーーそれまでは病室からは出ないこと。 これは、命令ですわよ?

 

 そう言われて、美遊は心底思った。

 ああ、この人達には勝てないな、と。

 きっと二人は、自分と士郎が只ならぬ関係であることに気づいている。 だからそれの邪魔をしないために、わざわざあんな遠回りに看病しろと言ってくれたのだ。

 感謝しても、しきれない。 おかげで、ようやく笑えたような気がしたから。

 

「……美遊様」

 サファイアが耳打ちする。

 

「私は、美遊様のことを何も知りません。 ただ、士郎様と触れ合う美遊様は……とても、輝いているようにも見えました」

 

「……うん、そうだね」

 

 肯定する。 ならばと、サファイアは続けて。

 

「美遊様は、イリヤ様のことをどうお考えですか?」

 

「?……どうって?」

 

「士郎様がああなってしまった原因は、イリヤ様にあります。 それを、何とも思われないのですか?」

 

「……あっ」

 

 忘れていた、すっかり。 そんな態度を示した美遊に、サファイアはリボンをへたりと揺らす。

 

「……美遊様。 まさか、失念されていましたか?」

 

「……うん」

 

 はぁ、というため息が聞こえなかった辺り、まだマシなのか。 だがサファイアはそんな空気を断つように、

 

「それで、どうなのですか? アレは、不可抗力だったで済まされるモノではありません。 一歩間違えれば私達まで死んでいたでしょう……それを、あなたは許せますか?」

 

 美遊は思い出す。 もう二度と、傷ついてほしくない人が傷ついたときを。

 そしてもう一度、思い出すーーイリヤが言ってくれた、初めての言葉を。

 

「……確かにイリヤは、お兄ちゃんを傷つけた。 私が何としてでも守りたいものを。 でも」

 

 肝心の本人が、こう言ったのだ。

ーーイリヤをあんまり、責めないでやってくれ。

 それは儚くて、苦しくて、どうしようもなく切ない願いで。 自分ではない誰かに、それが向けられていることが……とてつもなく辛くはあったけれど。 あんな顔をされたら、何も言えなくても。

 でも同時に、安心した。

 ああ、変わらないな、と。

 

「イリヤは私を友達だって、そう呼んでくれたから。 あの子が泣くのも、お兄ちゃんが傷つくのも、どっちも嫌だから」

 

 だから。

 

「ーーあの二人が居ない今日、全てを終わらせる」

 

 少女は天井を見据える。

 例えちっぽけでも。

 静かに燃える闘志は、鉄をも溶かす。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude3-2ーー

 

 

 

 

 

 

 

 良く悪いことばかり囁かれるが、入院食とはそこまで不味いわけではない。 ちゃんと栄養バランスを考え、かつ良い材料で調理しているのが入院食であり、単純にアレは患者に届くまでの時間や配膳の問題もあるんじゃないかと思うのだが。

 

「……うーむ」

 

 ただ、やはり実家のご飯が食べたいなぁ、と思うのは、元気な証拠なのだろうか。 それとも十七という歳だと、油っこい揚げ物や肉を食べたくなるだけか。 俺は腹をさすりつつ、すぐにシーツを被る。

 現在の時刻は、夜の九時前。 食事をしたのは既に数時間前だが、それでも入院食の味は口の中に染み渡っている。

 

「……ダメだ。 何か食べたい」

 

 こう、ジャンクフード的なものを。 ハンバーガーでも良いが、この場合はフライドポテトかチキンだろうか。 どっちにしろ、病院を抜け出そうものならまた面倒なことになりそうなので、出来ないが。

 あの後、遠坂やルヴィア、セラ達はお見舞いに来てくれたものの、結局イリヤは来てくれなかった。 セラ曰く『気分が悪いから』だそうだが……俺のことを気にしているのは明白である。

 

「……別に足や腕を失ったわけでもなし、生きてるんだから別に良いんだけど」

 

 それよりイリヤ本人の方が心配だ。 カレイドステッキの力をよく知らないが、昨日の爆発はランクに換算すると、Aに届くほどだった。 そんな魔力を一気に放出して、イリヤは大丈夫なのか?

……大丈夫なわけがない。 一魔術師が放出するには、余りにも規格外すぎる。 遠坂ですら、十個ある切り札を切らなければならなかったぐらいだ。 ましてやイリヤは子供、無事で済むハズがーー。

 と、そのとき。

 とんとん、と病室のドアをノックする音が聞こえた。

 

「……? はい、どうぞ」

 

 もう病院は閉まっているハズだ。 だとすれば、こんな時間に見舞いに来るモノなど居ない。

 消去法で考えれば、看護婦しか無いが……その選択肢に、もう一つ付け加えることが出来るのを、忘れていた。

 魔術師。 それも見慣れた/久しぶりに見た、よれよれの背広を着た、その男の存在を。

 

 

「ーー久しぶりだね。 気分はどうだい、士郎? 車に轢かれた割りには、随分元気そうじゃないか」

 

 衛宮切嗣。

 最早会うことすら叶わない、もう一人の人物と、俺はようやく邂逅した。

 

 


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