二日後、朝。
いよいよラスボスのAクラス戦を残すのみとなった俺たちは、教室で雄二から最後の作戦の説明を受けていた。
「まずは皆に礼を言いたい。周りからは不可能だと笑われながらもここまで来れたのは、他でもない皆の協力があってこそだ。感謝している」
壇上の雄二が、一緒にいることが多い俺や明久すらも覚えがないほど素直に礼を言った。
「ゆ、雄二、どうしたのさ。らしくないよ?」
「ああ、自分でもそう思う。だが、これは偽らざる俺の気持ちだ」
笑顔を向ける雄二。そんなことを言われると、こっちまで胸がいっぱいになってきてしまう。
「ここまで来た以上、絶対にAクラスにも勝ちたい。勝って、生き残るには勉強だけじゃないということを教師どもに突きつけるんだ!」
「おおーっ!」
「そうだーっ!」
「勉強だけじゃねぇんだーっ!」
最後の勝負を前に、全員の気持ちが一つになっている。そんなような気がした。
「皆ありがとう。それで残るAクラス戦だが、これは一騎討ちで決着をつけたいと考えている」
途端、クラスが一気にざわつき始めた。
「落ち着いてくれ。ちゃんと説明はする」
雄二がパンパンと机を叩いて皆を静まらせる。
「一騎討ちで戦うのは、俺と翔子だ」
Aクラス代表の霧島とFクラス代表の雄二。クラス間の戦争を代理で行うとなれば、このカードになるのは当然といえば当然だ。問題は現学年主席である霧島にどうやって雄二が対抗するのかだが、詳しいことは分からないが雄二のことだ、その辺りのこともしっかり考えているだろう。
「達哉よ」
すると、雄二の話を聞いていた俺のそばに秀吉がやってきた。
「どうした、秀吉?」
「昨日から姉上が『達哉と戦う』と意気込んでずっと部屋で勉強していたのじゃが、雄二の作戦で行くとその対決ができないのではないか?」
俺と優子は個人的に戦う約束を交わしている。秀吉の言う通り、このままではそれが実現できずに終わってしまうのは確実だ。
「ああ。その点ならまあ、大丈夫だろう」
しかし、俺は焦るでもなく秀吉にそう告げ、そっと耳打ちする。
「(ここだけの話、実は優子にだけ事前に俺たちの作戦を話した)」
「(なっ!? し、しかし、それはれっきとした裏切り行為で、もし雄二や他の皆にもバレたら……)」
「(ああ、そうだ。だからあくまで俺と優子が戦えるように、かつこっちがあまり不利にならないよう対策を練っておいた。恐らく雄二も大した問題じゃないと了承するはずだ)」
そう言うと、秀吉は「むう……」と一応の納得を見せた。
「(だからと言って許されることじゃないのは分かってる。雄二には全部終わったら俺から話すさ。だから秀吉、それまでこのことは他言無用で頼む)」
「(うむ……了解じゃ)」
秀吉が大きく頷いた。そして話が終わったところで、俺たちは再び雄二のいる壇上に目をやった。壇上では、ちょうど雄二が詳しい作戦の説明を行っているところだった。
雄二が展開しようとしている一騎討ちは、教科を日本史に限定。ただしレベルは小学校レベルで百点満点の上限あり。勝負方式も召喚獣バトルではなく純粋に点数でバトルするというものだった。
確かにこの方法なら満点が前提となり、ミスした方が負けるという注意力の勝負になるから、正面きって挑むよりかははるかに勝ち目がある。
「でもその場合、同点だったらきっと延長戦だよ? そうなったら問題のレベルも上げられちゃうだろうし、ブランクのある雄二には厳しくない?」
「おいおい明久、あまり俺を舐めるなよ? いくらなんでも、そこまで運に頼り切ったやり方を作戦などと言うものか」
と、明久の指摘を雄二は鼻で笑った。
「?? じゃあ、霧島さんの集中を見出す方法を知っているとか?」
「いいや。アイツなら集中なんてしていなくても、小学生レベルのテスト程度なら何の問題もないだろう」
それもそうだ。教師の監視がある中での妨害などたかが知れる。その程度のことに学年主席の集中が乱れるとは到底思えない。
ならば雄二の策とは何なのか。いい加減じれったくてイライラしてきた。
「雄二、あまりもったいぶるんじゃねえよ。そろそろタネを明かしたらどうだ?」
他のメンバーも、俺の言葉に頷いた。
「おっと、すまないな達哉。俺がこのやり方を選んだ理由は一つ。“ある問題”が出れば、アイツは確実に間違えると知っているからだ。その問題とは──『大化の改新』」
「大化の改新? 誰が何をしたのか説明しろ、とか? そんなの小学生レベルの問題で出てくるかな?」
「いや、そんな掘り下げた問題じゃない。もっと単純な問いだ」
「ふむ、単純というと……何年に起きた、とかかのう?」
顎に手を当てて呟いた秀吉に、雄二は「おっ」と眉根を上げた。
「ビンゴだ秀吉。お前の言う通り、その年号を問う問題が出たら俺たちの勝ちだ」
自信満々に言う雄二だが、正直あまり信じることができなかった。大化の改新の年号などという基礎的な問題を、果たして霧島が間違えるだろうか。
「大化の改新が起きたのは645年。こんな簡単な問題、明久ですら間違えない」
と、雄二は言ったが、明久は恥ずかしそうに手で顔を覆い隠していた。先生、ここに小学生以下がいます。
「だが、翔子は間違える。これは確実だ。そうしたら俺たちの勝ち。晴れてこの教室とおさらばできるって寸法さ」
うーむ、と各所から唸り声が聞こえる中、姫路がおずおずと手を挙げた。
「あの、坂本君」
「ん? なんだ姫路」
「坂本君は、霧島さんとは、その……仲が良いんですか?」
雄二はさっきから霧島のことを『アイツ』とか『翔子』とか呼んでいた。それは二人が幼馴染だからだと俺は以前に雄二から聞いて知っているが、他の者たちは知らないので姫路の問いに一様に頷いていた。
「ああ。アイツとは幼馴染だ」
「総員、狙えぇッ!!」
「なっ!? なぜ明久の号令で皆が急に上履きを構える!?」
「黙れ、男の敵! Aクラスの前にキサマを殺す!」
「俺が一体何をしたと!? そもそも、それなら達哉はどうなんだ! アイツは秀吉だけでなく、その姉の木下優子とも幼馴染だぞ!」
雄二が俺を指差した。あの野郎、さらっと俺を巻き込みやがって。
「あっ、そうだった! 達哉にも攻撃準備ッ!」
明久の指示で雄二を狙っていた半分が俺に上履きを構える。半分か。まあ、これくらいの数なら返り討ちにできないこともないが……。
「ちなみに、達哉はよく木下家に飯を食べに行くそうだ」
「総員、標的変更! 狙いは達哉一人だッ!」
「うおいっ!」
ていうか、何で雄二はそのことを知ってるんだよ!
「覚悟はいいか、達哉?……待つんだ須川君、靴下はまだ早い。それは押さえつけた後で口に押し込むものだ」
「ま、待つのじゃ皆の衆! 達哉を狙うでない!」
包囲された俺の前に立ち、必死で皆を宥める秀吉。なんて優しいんだ。男じゃなければ惚れてるよ。
しかし秀吉。今この状況において、お前の行動は男たちの俺に対する殺意を増大させるだけだ。
「こ、この男……秀吉と幼馴染というだけでも大罪だというのに、身を挺して庇われている、だとぉ……!?」
「もう我慢ならん! この大罪人の穴という穴に履き古した靴下を詰め込んでやる!」
男たちの得物が上履きから靴下へと変わり、強烈な臭いが風に乗って俺の鼻腔を破壊する。
「ちっ……おい明久。今すぐこいつらの武装を解除させろ。さもないと、血を見るのはお前だぞ?」
「ふんっ! この状況でそんなことが言えるとはな。やれるものならやってみろ!」
言ったな。後悔してももう遅いぞ。
「明久はこの前、ラブレターを貰っていた!」
嘘。嘘だが、次の瞬間、男子全員の標的が明久に変わった。ついでにその輪に姫路と島田も加わった。
「えっ、ちょ、な、なに? なんで皆、達哉じゃなくて僕を狙うの? それに姫路さんと美波もどうして僕に向かってカッターを投げようとしてるの? ちょ、ちょっと待って。一旦僕の話をきい──」
明久は血を見ることとなった。
「ま、とにかくだ。俺と翔子は幼馴染で、小さな頃に間違えて嘘を教えていたんだ」
集団リンチに遭っている明久を無視して話を再開した雄二。しかし、ほぼ全員が明久の処刑に夢中のため、聞いているのは俺と秀吉しかいなかった。
「アイツは一度覚えたことは忘れない。だから今、学年トップの座にいる」
一度覚えたことは忘れないほど頭がいい。しかし今回はそれが仇になる。
「俺はそれを利用してアイツに勝つ。そうしたら俺たちの机は──」
──システムデスクだ!
雄二は高らかに宣言した。
☆
「一騎討ち?」
「ああ。Fクラスは試召戦争として、Aクラス代表に一騎討ちを申し込む」
もはや恒例の宣戦布告。今回は代表の雄二を筆頭に、俺、明久、秀吉、姫路、康太、島田と首脳陣勢揃いでAクラスに来ていた。
このメンバーの中で一番注目を浴びていたのは明久だった。そりゃあ集団リンチに遭ってミイラ男と化してれば、嫌でも注目される。もはや誰なのかすらも分からない。
「うーん、何が狙いなの?」
そして現在雄二と交渉のテーブルについているのは、優子だった。優子には俺が事前にこちらの作戦を知らせているためにこれらの反応は全て演技ということになるが、彼女に秀吉ほどの演技力はなく、『やっと来た!』という期待たっぷりの笑顔がだだ漏れだった。
「もちろん、俺たちFクラスの勝利が狙いだ」
そんな優子の態度に首を傾げつつ、雄二は粛々と語る。
「……ところで、Cクラスとの試召戦争はどうだった?」
「時間は取られたけど、それだけだったわ。何の問題もなし」
秀吉の挑発に乗って昨日Aクラスへと攻め込んだ小山率いるCクラス。その勝負は半日で決着がつき、今や彼女たちはDクラスと同等の設備で授業を受けている。
「Bクラスとやりあう気はあるか?」
「Bクラスって………昨日来た
言って、優子はわずかに俺に視線を向けた。その目には明確に責めの念が込もっていた。まあ、無理もない。
「ああ、“アレ”が代表をやっているクラスだ。幸い宣戦布告はまだされていないようだが……さてさて、どうなることやら」
「……でもBクラスはFクラスと戦争したから、三ヶ月の準備期間を取らない限り試召戦争はできないはずよね?」
試召戦争を行う上での規則の一つ『準備期間』。
戦争に敗北したクラスは三ヶ月の準備期間を経ない限り戦争を申し込むことはできないというもので、負けたクラスがすぐさま再戦を申し込んで試召戦争が泥沼化しないための取り決めである。
「知っているだろ? 実情はどうあれ、対外的にはあの戦争は『和平交渉にて終結』となっていることを。規則には何の問題もない………Bクラスだけでなく、Dクラスもな」
「……それって、脅迫?」
「人聞きの悪い。ただのお願いだよ」
俺は根本のことが嫌いで、あいつのやり方を全否定したが、この交渉を見ているとどうにも雄二が根本のように見えてきて胸が痛い。心なしか優子も苛立ち始めているようだ。気持ち的には『焦れったい前置きはいいから早くこっちに条件を言わせなさい!』と怒鳴りつけたいのだろうが、優等生はこういう時に辛い。
「うーん………分かったわ。何を企んでいるのか知らないけど、その提案受けるわ」
「え? 本当?」
あまりにあっさりした(本当は焦れったくなった)答えにミイラ男、もとい明久が声を上げる。
「ええ。代表が負けるなんてありえないし………そもそもあんな格好した代表のいるクラスと戦争なんて嫌だもの」
そして満を持して、優子はここ一番に笑顔を見せながら、
「その代わりこっちからも提案。代表同士の一騎討ちじゃなくて、そうね……お互い五人ずつ選んで戦わせ、三回勝った方の勝ち、っていうのなら受けてもいいわよ」
「(なるほどのう。これが先ほど言っていた対策じゃな?)」
「(ま、そいうことだ)」
優子を見れば、『やっと言えた!』とでも言いたげなすごい嬉しそうな表情で俺を見ていた。可愛いが、もう少し我慢しなさい。
「なるほど。こっちから姫路が出てくる可能性を警戒しているんだな?」
「ええ。多分大丈夫だとは思うけど、代表が調子悪くて姫路さんが絶好調だったら、問題次第では万が一があるかもしれないし」
「安心してくれ。Fクラスからは俺が出る」
「無理ね。その言葉を鵜呑みにはできないわ」
これは競争じゃなくて戦争だからね、と優子は付け足す。雄二はしばらく口元に手を当てて考え込み、やがて口を開いた。
「いいだろう。その条件を呑んでもいい」
「ホント? 嬉しいな♪」
言葉はあくまで冷静に、しかし体いっぱいに優子は嬉しさを表現した。
「だが勝負する教科の決定権はこちらが貰う。そのくらいのハンデはあってもいいはずだ」
「え? うーん……」
と、笑顔から一転、真面目な表情で悩む優子。大きな目的は俺と戦うことにあるが、しかし彼女は交渉としてAクラスという看板を背負う立場にある身。この会話如何でクラスの将来が決まってしまう。それだけは何としても避けなくてはならない。
自然、判断も慎重にならざるをえないのだ。
「……受けてもいい」
すると、場にもう一つ凛とした声が鳴り響き、Aクラスの輪の中から一人の少女が姿を現した。
Aクラス代表・霧島翔子である。
「……雄二の提案、受けてもいい」
「代表、いいの?」
「……その代わり、条件がある」
「条件?」
「……うん」
頷いて、霧島は雄二を見た後に姫路を値踏みするかのようにじっくりと観察した。そして再び雄二に顔を向けて、言い放つ。
「……負けた方は何でも一つ言うことを聞く」
何の因果か、それは俺と優子が交わした約束と全く同じものだった。
「交渉成立だな」
「ゆ、雄二!? 何を勝手に! まだ姫路さんが了承していないじゃないか!」
ミイラ男がまた訳の分からないことを言っているが、無視してもよさそうだ。
「心配すんな。絶対に姫路に迷惑はかけない」
雄二もきっぱりと言い放つ。実際、どっちに転んでも姫路に迷惑はかからないしな。
「……勝負はいつ?」
「そうだな……10時からでいいか?」
「……分かった」
両クラスの代表の了解をもって交渉は終了。クラスに報告するために俺たちはAクラスを後にする。
“俺たちの”試召戦争の終結は、すぐそこまで迫ってきていた。
☆
「ふう、これで万事オッケーね。ありがとう代表。アタシの……ううん、“アタシたち”のわがままを聞いてくれて」
Fクラスの面々がAクラスを出て行った後、優子は空気を抜くように大きく息を吐いてソファーに背を預け、傍らに立つ自らの代表を見上げた。
優子の言葉に、霧島は小さくかぶりを振る。
「………気にしなくていい。優子にとってこの戦いが大事なものなら、私はどういう形になろうと一向に構わない。それに、お礼を言うなら私も同じ」
「え?」
「……私も、“きっかけ”を作ることができた」
霧島はほんのりと頰を染めながら言った。その姿を見て、優子も「あ〜」と思い出す。
「そういえば、代表“も”だったわね」
学園生活において優子が最も親しくしている女友達は霧島である。だから優子も霧島も、お互いのことはよく知っているつもりだ。
想いを寄せる人物なんかは、特に。
「アタシたちも、負けてはいられないわねぇ……」
「………うん。でも、私はともかく、優子は大丈夫? 神崎は強い」
「ええ、油断はできないわ。でも、絶対に負けられない。勝ってみせるわ。アタシのためにも、もちろんAクラスのためにもね」
優子は、力強く笑った。