辺りには、俺が討ち取った敵の死体が転がっていた。
戦端が開かれて既に七分が経過。雄二たちはとっくにFクラスに逃げおおせていて、俺も退却しようと思っていたが、予想以上に敵の攻勢が激しく機会を完全に逃してしまった。
「驚いたな。数ではこちらが圧倒的に有利なのに、まさかここまで粘るとは……」
仲間たちの屍を眺めながら、根本はゴクリと息を呑む。しかし、その顔にはまだ余裕の色が見て取れる。当然だろう。
数学
Fクラス
神崎達哉 116点
VS
Bクラス
加賀谷寛 167点
井岡隆文 125点
入江真美 189点
まだ何とか三桁得点を保ててはいるものの、今戦っているどの相手にも点数が負けている。それでもなお戦死していないのは、もはや根性論としか言いようがない。ヒットアンドアウェイ戦法で、攻撃を与えてからすぐ離脱の操作に全神経を集中させていた。
倒せそうで倒せない現状に業を煮やしたのか、根本は大きく溜息を吐いた。
「まったく、本当恐ろしい奴だよ……そんなお前に敬意を表して、選ばせてやる」
「なんだと?」
「なに、簡単な選択だよ。まず一つは、このまま俺たちに殺られて無様に補習室に連れられ、鉄人にガッツリと扱かれる」
チラリと根本は横に目を向けた。そこには、自分の召喚獣を倒されて戦死したBクラス生徒を両肩に担いだ鉄人が目を光らせて俺を睨んでいた。
「……で、もう一つは?」
「今すぐ投降し、明日の試召戦争には参加しないと俺たちに誓え」
「………………」
まあ、そう来るだろうとは思っていた。
「悩むまでもないだろう? このまま戦死すれば地獄の補習が待っているが、投稿すれば避けらるんだ。安心しろ。素直に降れば危害は加えないと約束する」
危害を加えないというのは、おそらく本当のことだろう。投降して明日の試召戦争の不参加を宣言すれば、危害を加えるまでもないのだし。そう考えると、消耗しきった今の俺にはその提案が魅力的に思えた。
鉄人の補習は死んでも嫌だ。なにせ、あれを受けたら趣味が勉強、尊敬する人物は二ノ宮金次郎になってしまうのだ。そうなってしまうくらいなら本当に死んだ方がいっそマシである。
ならば投降はどうだろうか。明日の試召戦争には出られなくなるが、鉄人の補習を受けなくて済む。雄二たちには申し訳ないが、まだこちらには姫路という切り札がいるわけだし、いくらでも挽回のチャンスはある。
ほら、魅力的だ。確かに悩むまでもない。
「…………根本」
「ん〜? なんだ、神崎?」
俺が根本を呼ぶと、彼はニヤリと口元を吊り上げた。正直言って薄気味悪いが、そんなことはもう気にならなかった。
「俺が投降すれば、お前たちは俺に危害を加えないんだな?」
「ああ、加えない」
「本当だな? 信じて良いんだな?」
「もちろんだ。もし破ったら坂本の所に行って敗北宣言をしても良い」
「そうか……」
根本からの確約も取った。もう聞くことは何もない。俺は大きく息を吸い込んだ。俺が何を言おうとしているのか根本も察せたようで、期待に大きく目を見開き、
そして──
「だが断る」
「…………は?」
瞬間、根本はキョトンと目を点にした。
驚いているようだな。根本はてっきり俺が素直に降伏すると踏んでいたのだろう。
「どうやら話を聞いてなかったようだな?」
「聞いてたよ。一言一句聞き漏らしなく。だが残念だったな、この神崎達哉の最も好きなことの一つは、自分が一番強いと思っている奴に『NO』と断ってやることだ!」
「どこの露◯先生だお前!」
なんだ、知ってたのか。シリーズの中でも特に有名な名言だから当然か。
「ま、真面目に答えるとだな。例えどんなに魅力的な提案をされたとしても、お前の言いなりになるってのがただ単純に気に食わないだけだ」
「くっ……上等だ。だったら今ここで貴様をぶっ殺して補習室に送ってやるよ! 殺れッ!」
激昂した根本が指示を下し、それに従ってBクラス生徒が一斉に飛び掛かる。余裕綽々に根本の提案を蹴った俺だが、だからと言ってこの場を切り抜ける打開策があるわけではなかった。点数も限界だ。俺はおそらく戦死するだろう。しかし、タダで殺られるつもりなど毛頭ない。
たとえ斃れたとしても、一人でも多く敵を道連れにしてやる!
そう覚悟を決め、俺は拳を固く握り締めた。
そして、槍を構えた俺の召喚獣と敵の召喚獣がぶつかり合おうとした、まさにその時だった──
「──
この場にいるはずのない、いて良いはずのない少女の声が全員の耳を打つ。そして次の瞬間、突如として間に割り込んできた一体の召喚獣が三体のBクラスの召喚獣を一刀両断した。
数学
Aクラス
木下優子 376点
VS
Bクラス
加賀谷寛 0点
井岡隆文 0点
入江真美 0点
「な、なにぃっ!?」
「お前は……木下優子!?」
現れたのは、優子だった。煌びやかな装飾が施された西洋鎧を纏い、長大な
「優子……どうして……」
俺でも予想できなかった彼女の登場に戸惑いながらも訊ねる。その問いに答えるためか、優子は振り返ろうとして、
「どういうことだ、木下優子! これは俺たちBクラスとFクラスの戦いだ。なのに何故Aクラスのお前が邪魔をする!?」
その前に根本からの怒りを含んだ質問が飛んで来て、彼の方に顔を向けた。しかし、優子が答えたのは根本の問いではなかった。
「ほら、なにボサっとしてるのよ。さっさとここから逃げるわよ!」
「あ、ああ!」
背を向けたまま優子は俺に告げる。俺も彼女の言葉に頷き、召喚獣を優子の召喚獣の隣に立たせた。
「くそっ、どうしてこんな時にAクラスが乱入してくるんだよ!?」
「せっかくもう少しで神崎を討ち取れるところだったのに……」
「どうする、根本?」
優子の乱入に気勢を挫かれ、敵の包囲網が僅かに崩れる。俺も優子も、その一瞬を見逃さなかった。
「優子、敵を引きつけてくれ!」
「分かったわ!」
俺たちは同時に動き出す。優子は敵の注意を引くために単身突撃し、俺は別の方向に駆け出し、その先にある消火器を手に取った。
「ま、まずい! 今すぐ神崎を討て!」
俺の行動の意味を悟った根本が慌てて指示を出すが、ことごとく優子に阻まれてしまった。俺は消火器の安全弁を引き抜き、ホースの先を根本たちBクラスへと向けた。
「覚悟しろ根本。どんなに姑息な策を練ろうと、俺が──俺たちが全力でお前をぶっ潰す。せいぜい首を洗って待ってるんだな」
射殺さんばかりの視線と挑戦状を叩き付け、悔しそうな表情を浮かべる根本たちに向けて一気に消化剤を噴射する。粉塵が辺り一面を覆い尽くし、現場は一気に混乱に陥った。
「今のうちに逃げるぞ、優子!」
「ええ!」
敵が俺たちの姿を見失った隙に俺は優子の手を取り、粉塵の中に突入。粉まみれになりながらもなんとか戦線離脱に成功したのだった。
☆
「ふい〜〜……なんとか逃げられたぜ」
かなり遠回りになったが、追っ手を撒いてFクラスのある旧校舎へと戻ってきた俺と優子。教室へと向かう道中、俺は大きく息を吐いた。
「もう、粉まみれじゃない。ホント最悪……」
と、隣で優子が愚痴をこぼした。俺も優子も、消化剤の中を突っ切ったことで全身真っ白に染まっていた。
「悪かったよ、優子。だけど、あの状況じゃああれくらいしか打開策が思い浮かばなくてな」
俺が持っていたハンカチで白く染まった顔を拭いてやると、途端に優子は顔を赤くして俯いた。
「ちょ、ちょっと! 一人でできるってば……」
「っと、すまんすまん。つい子供の時の癖が出た」
小さい頃、今よりもずっと活発的だった優子はいつも土や泥まみれになって、そんな彼女の顔を俺が拭いてやっていたっけ。
「もう……そう言う達哉だって、顔中粉だらけよ?」
「わぷっ!? お、おい、やめろっての!」
仕返しなのか、今度は優子が自分のハンカチで俺の顔を拭く。これも子供の時と同じ。俺が優子の顔を拭いてやれば、今度は逆に優子が俺も汚れた顔を拭く。まったく同じ状況だった。
「……ふふっ」
「……くっ」
俺も優子も、つい可笑しくなって笑ってしまった。
「なあ、優子。どうして助けてくれたんだ?」
一通り笑って、お互いに落ち着いてきた頃、俺は思い出したように訊ねた。
「それは……その……」
すると、優子はモジモジと赤面した。その可愛らしい姿に俺も思わず頬が熱くなってしまった。
答えるのに迷っていた優子は、やがて意を決したように顔を上げる。
「達哉が負けるところなんか、見たくなかったから……」
「……………」
チクショー、可愛い。人差し指と人差し指をツンツンと突き合わせているところなんか特に。
「ま、まあとにかく、おかげで補習室送りにならなくて済んだよ。ありがとな」
そう言って俺が優子の頭を撫でてやると、優子は気持ち良さそうに目を細めた。
「うん……それに、達哉と話したいって思ってたし」
「え?」
「あの……この前はごめんなさい。本当は逃げるつもりはなかったんだけど、いざ顔を合わせたら、なんて言えばいいのか分からなくなって……」
この前……というのはおそらく、Dクラス戦後の昇降口での出来事を言っているのだろう。
「……やっぱり優子は、“あの時”のことまだ気にしてるのか?」
単刀直入に聞くと、優子はコクリと小さく頷いた。
「だって“あれ”はアタシたちが悪いもの。アタシたちが“あの時”ちゃんとしていれば、達哉があんな怪我しなくて良かったのに……!」
悔しそうに歯を食い縛りながら、優子はぎゅっと拳を握り締めていた。そんな彼女の姿を見て、俺は大きく溜息を吐き、
ぴしっ。
「ひゃう!?」
優子の額に軽く指を弾いてやった。額を押さえながら、何が起こったのか分からないといったような表情をしている優子の肩に手を置き、俺は言う。
「だから、何度も言ってるだろう。俺は気にしてない。後悔もしていない。俺がそうしたかったから、お前たちを
むしろ、“あの時”何もしなかったら、その時こそ俺は後悔したに違いない。はっきりと断言できる。
「でも……」
それでも納得してくれない優子。こういう頑固一徹なところは昔から全然変わっていない。
まったく……、ともう一度大きな溜息をこぼした。
「よし、分かった。じゃあこうしよう」
そして、あまりに埒があかないので、俺は一つの提案をした。
「俺たちFクラスは、じきにお前たちAクラスに戦争を仕掛ける。この件については、その時に決着をつけよう」
「?……どういうこと?」
俺が何を言おうとしているのか分からず、優子は首を傾げる。俺は、フフン、と口の端を吊り上げて、
「簡単さ。戦争の時、俺は優子と勝負をする。その勝負で俺が勝ったらこの件に関しての全てを水に流してもらう。お互い、何も言いっこなしだ」
「……アタシが勝ったら?」
「優子が勝ったら、優子の言うことを何でも一つ聞いてやるよ」
「な、何でも?」
「ああ、何でも。その代わり、それで“あの時”のことは終わりにしてもらう」
そう言うと、優子はフフッ、と小さく笑みをこぼした。
「結局、どちらにしても水に流さなくちゃいけないんじゃない」
「ああ、そうだ。ちなみに拒否権はなし。もう決定事項です」
「何よそれ」
いささか強引ではあるが、優子みたいな頑固者にはこれくらいの強引さが時として必要だ。優子も優子で、言葉では文句を言いつつも、本心から不満はないようだった。そのまましばらく、優子は考え込むような仕草をしていたが、やがて納得したのか、大きく頷いた。
「……分かった、それで良いわ」
「よし、決まりだな」
交渉成立。俺たちは握手を交わした。
「そうと決まれば、アタシはもう帰るわ。さっそく勝負の時のために勉強しなくちゃ」
「ハッハー、やる気満々だな。ま、俺も負ける気はさらさらないがせいぜい頑張れ」
そう言うと、優子はムッと頰を膨らませた。
「なに余裕かましてんのよ? そもそもあなたたちはまだBクラス戦が残ってるんでしょ? 言っておくけど、あんな奴らに負けたら“あの時”のこと関係なしに言うこと聞いてもらうからね」
「ハッ、確かに今日はしてやられちまったが、同じ轍は踏まないさ。最終目標はAクラスのシステムデスク、元からBクラスごときに負けるつもりは毛頭ない」
「ふーん、言ったじゃない。だったらアタシたちは、そんなあなたたちをコテンパンにして卓袱台以下の設備にしてあげるわ」
さっきまでの仲睦まじい雰囲気はどこへやら、バチバチとお互い火花を飛ばし合う。そこにあるのは幼馴染という関係性ではなく、FクラスとAクラス──倒すべき敵同士という関係性だった。
「それじゃあね、達哉。あっ、あと達希さんにもよろしく言っておいてちょうだい」
「はいよ。姉貴も今朝まったく同じこと言ってたよ」
手を振って去っていく優子に俺も手を振り返して、彼女の姿が見えなくなってから俺はFクラスへと帰還した。
「ただいまーっと」
「達哉──っ!!」
できる限り消火器の粉を払い落としてからガラリと扉を開ける。すると、入ってすぐに涙目の秀吉が抱き着いてきた。
「良かったのじゃ達哉。お主が一人で殿を務めたと聞いて、生きた心地がしなかったのじゃ……!」
ぎゅーっと痛いくらいに締め付けられて、俺も二重の意味で生きた心地がしなかった。物理的意味と、癒しという意味で。
「無事で良かったぜ、達哉」
「本当だよ。なかなか戻って来なくて心配してたんだから」
雄二と明久が俺の帰還に嬉しそうな表情で近付いて来た。何故か明久は傷だらけだった。
「……何があったんだ、明久?」
「……色々あってね」
「実は神崎君と別れた後、Bクラスの別働隊の人たちに襲われてしまって、吉井君と美波ちゃんが囮になってくれたんです」
「そうだったのか」
根本は徹底的に俺たちを潰すつもりだったようだ。しかし幸いにもこの奇襲での戦死者はおらず、その結果を受けて根本が悔しそうに表情を歪めている姿を想像すると、なんとなく愉快な気分になった。
「でもアキったら、ウチのことも囮にして一人で逃げようとしたのよ? 酷いと思わない?」
「やだなー。僕は美波を信用していたからこそ進んで生贄にしようと腕がかつてないほどに痛いぃぃっ!!?」
「アンタ今ウチのこと生贄って言ったでしょ!?」
なるほど、つまりいつも通りバカなことをしてその罰を食らったわけか。いつも通りだから同情はしない。
しかし、『アキ』に『美波』か。経緯はどうあれ、島田に“進展”があったのは確からしい。よくやった島田。その調子で頑張れ。
「さて、と。しかし雄二、今日は随分と痛い目にあっちまったな。『神童』ともあろう男が、まさかこのままで終わるとは言わないよな?」
話を切り替えて、俺は雄二に問い掛ける。すると雄二はニヤリと笑った。
「当然だ。舐めた真似をしてくれたことを、奴らには後悔させてやる」
「だったら今回は俺も全力で手を貸す。明日の試召戦争、陽動なり捨て駒なり、好きに使ってくれ。大暴れしてやるよ」
「ほう……珍しくやる気だな。殿の時に何かあったのか?」
「まあな。少なくとも、絶対に負けられない理由ができただけだ」
そう言って、俺は教室の窓に目をやった。空はとうに茜色に染まっており、美しい夕陽が薄暗い教室を照らしている。
この夕陽の下を、彼女は今歩いている。その姿を想像して、小さく笑みをこぼすのだった。
ジョジョネタは正直やりたかっただけ。後悔はしていない。
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