エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
吸血鬼の真祖にして数世紀を生きてきた生粋の魔女。
そんな彼女の始まりは、数世紀前にさかのぼる。
時は中世の欧州。そこで彼女は生まれ、何不自由なく生活できるほどには恵まれていたが、ごく普通の”人間”の少女として生きていた。
領主の城にある庭で花遊びにふけながら、本を読む。そんな暮らしをしてきた彼女であった。
しかし、それは十の誕生日を迎えた日に終わりを迎える。
彼女が目が覚めたとき、体の違和感に気づく。胸元に短剣が刺さっていたのだ。何が起きているのかも理解できない彼女は、呆然と回りを見た。
そこには、日ごろ見てきた御付のメイドと執事が物言わぬ骸となって横たわっており、部屋の入り口にはこの城の主が佇んでいた。
―素晴らしい―
領主は狂気に満ちた瞳と笑みでそう彼女を讃えた。彼女は問う。コレは何なのかと。私はどうなってしまったのかと。震える声で何も知らぬ少女は涙ながらに聞いた。
―君は吸血鬼……不滅の存在となったのだ―
―語り部の一人となったのだ―
恍惚に歪む顔。領主は、震える少女に近づき未だ刺さったままの短剣の柄を握る。そして次の瞬間、少女の悲鳴が部屋に木霊した。
領主は、短剣で少女の胸をえぐり、切り裂き、それでもなお治癒される少女の肉体に歓喜した。
―素晴らしいっ素晴らしいぞ―
―やめてっ―
少女は、思いっきり身をひねり、その手を領主の体にたたきつけた。破裂音が小さく響いた後、少女の体が鮮やかな紅に染まった。
目を見開いたまま、小さなしゃくり音を上げる。目の前には領主だったものの下半身が、ズタズタな切断面を残して立っていたが、崩れ落ちるように倒れた。
それをスローモーションで見ているかのように少女は見ていた。
そこから先のことは彼女は正確には覚えていない。どうやって、その城から出たのか。その城の者たちはどうなったのか、彼女が知ることは無かった。
雪道を一人、赤と白と金に彩られた少女は、ただがむしゃらに走り続けた。これは、悪い夢なのだと、早く目覚めてくれと願い続けながら。
結局、これは夢などではなく現実で。何処とも知れぬ山の上で太陽を浴びた彼女は、その気持ち悪さに日陰へと逃げた。それは彼女が吸血鬼であることを悟らせるには十分で、少女はその事実に独り、咽び泣いた。
人がいる場所にいなければ生きていけない。ただの人間の少女であった彼女では無理からぬことであった。だが、何不自由なく暮らしていた彼女に生活能力などあるわけも無く、知っている者に頼るしか考え付かなかった。
そこで彼女は直面する。自らが化け物であることを、恐怖の対象であることを。
朗らかな笑みを浮かべながら本について語り合った姉のような人は、自身の姿を見たときに悲鳴を上げる。いつもおいしい食事をご馳走してくれた叔父は恐ろしいまで目を吊り上げ、怒鳴り散らしながら聖水を浴びせられた。
浴びせられた場所は赤く焼けたようにただれた。その様に、住民たちはただ恐怖した。
もう、かつての自分の居場所など何処にもないのだと無理やり自覚させられたまま、瞳に涙をため彼女は走り去っていった。
それから数ヶ月は、まさにぎりぎりで彼女は生きてきた。魔法を知る立場に会ったことも功を奏したのだろう。曲がりなりにも
獣を狩るには初級の魔法と、その肉体の性能があれば十分だった。その時代で生活するためには十分な能力を彼女は持っていた。
だが、それも長くは続かなかった。
吸血鬼である彼女は、人間たちにとって狩るべき対象になっていた。どこからともなく吸血鬼の噂は広まり、彼女は野原にいることさえ許されない存在になっていた。
そこで行われるは大規模な吸血鬼狩り。日陰者として、狩った獣の皮などで生活していた彼女はその話を聞き、その地を後にした。
魔法を知る少女にとって、たとえその肉体が
時代が戦争を求めていたこともあってか、彼女は日々力をつけながらその数十年を生き抜いた。その過程の中で吸血鬼の弱点も克服されていった。
戦争も終わり、国に多少の平穏がもたらされれば、彼女の平穏も終わりを告げた。魔女狩りだ。
2年といれば、少女の異様さに誰もが気づく。たとえ夜に出歩かなくても、彼女の姿は幼いままなのだから。1年も経たない内に街を転々としながらも生きていた。
しかし、居心地が良かったこともあったのだろうか。長くいすぎてしまったことがあった。
教会は、少女のことをかぎつけ彼女を磔にし、火刑に処した。
しかし、不滅の
彼女は欧州を脱し、大陸へと旅に出た。その頃には、魔法で生み出した人形の従者がおり、彼女も戦うことに、殺すことにも随分と慣れていた。
何年か後、魔法世界の話を聞いた彼女は非合法に魔法世界へと訪れることにした。もしかしたら受け入れられるかもしれないと僅かな希望を胸に秘め。
しかし、その希望も呆気なく打ち砕かれることになる。彼女の居場所など何処にもなかったのだ。
彼女は魔法世界と旧世界を行き来しながら、百数十年のときを過ごし旧世界の南洋の孤島に居を構えてからは、数百年のときを過ごした。
その間にも、彼女が手をかけることとなった人間は数多く。だが、自分に立ち向かってくる存在が死を覚悟した者になってきたときには、楽になったものだと少女は思えるようになってしまっていた。
しかし、近代になれば誰も知らぬ孤島など無くなる。彼女は久しぶりに魔法世界へ行くことを決めたのだった。
そこで待ち構えていたのは、自らを狙う冒険者たちだった。
彼らは
再生を許さない剣で傷つけられ、魔法の行使を鈍くさせる水をかけられた彼女は随分と弱体化した。
それでも、冒険者たちに勝ち目など最初から無かったが。
腕を切り落とされ、従者である人形が分断されたとき、彼女はキレた。静かにその怒りを全身にたぎらせながら冒険者たちと相対する。
彼女の意思に鼓動するかのように、闇の魔力がその腕に纏われた。
残された左腕をただ横に振り払う。それだけで左前方にいた4人の上半身と下半身は永久に別れをつげ、その命も消えうせた。
発狂したかのように、一斉に襲い掛かる残りの冒険者たち。
だが、彼らはもう彼女に触れることすらかなわなかった。
彼らの、いや周囲の森が凍りつく。少女は凍てついた目で彼らを睥睨し、詠唱を終えた。
―おわるせかい―
砕け散っていく冒険者たちに目を向けないまま、従者を拾い集め彼女は去った。
どのくらい歩いたのだろうか。彼女はふらふらになりながら、山を登る。
右腕に視線を向けるエヴァンジェリン。腕に力が入らないことは、傍目にも分かるほどであった。また、その肉体も魔法具による傷で、完全な治癒には至っていない。こればかりは時間を待つしかない。
ただの吸血鬼であるならば致命傷の傷も、
(なぜ私はこんな姿で生きながらえているのか……)
不意に思い、自嘲気味に笑みを作る。もう死ねることはないと分かってはいても、思ってしまうことがある。危機に瀕したからだろうか、久々にそんなことを思ってしまう。だが、影にしまっている従者を思い出し、自然と早足になる。
それがいけなかったのだろうか、不意にバランスを崩した。いや、正確には地面が傾いたのだ。地面がひび割れ体が宙に投げ出される。魔法具の後遺症だろう、魔力がうまく練れないせいか、自然の法則にしたがってその体はただ落ちていく。
(私も終わりか)
これだけの高さがあれば、もしかすれば死ぬのかもしれない。化け物である自分がこういう終わり方をするのは滑稽だが、それもありかもしれないと、どこか諦めている頭で思う。
だが、その体はそれ以降落ちることは無かった。左手が何かに握られていることに気づいたエヴァンジェリンは、ゆったりとした動作でその握っている者を見上げる。
「危なかったなぁ。ガキ」
微笑を浮かべたまま、青年は呆けたままのエヴァンジェリンに話しかける。
そして、その青年の微笑を見たエヴァンジェリンは、ただこう思うのだった。
(まぶしい…)
それは、それまでの一生を闇に歩いてきたエヴァンジェリンにとって初めて差し込んだ光であった。
ナギはエヴァンジェリンを引っ張り上げ、先ほどの山道へと戻った。
「れ、礼を言う」
エヴァンジェリンは普段言うことのない言葉を言うことが照れくさいのか、頬を染めどもりながらもそう告げた。ナギはそれに笑いながら気にするなといい、先を進んだ。
それについてくるかのようにトトッと歩き出したエヴァンジェリンを後ろに見ながら、奇妙な同行者が増えたことにナギは笑みを浮かべた。
山脈を抜けるとすでにあたりは薄暗くなっていた。
ナギは近くを流れる川から魚を獲ってきて、焚き火をしながら夕食の準備を進めていた。ちなみにエヴァンジェリンもそこに同席しており、ナギは2人分の魚に木の串をさしていく。
満月だからだろう、エヴァンジェリンが受けた傷も癒える速度が上がり、多少の力は戻ってきていたが目の前の男と離れる気にもならずにいた。
「ほら、食えよ」
ナギが出来た焼き魚をエヴァンジェリンに手渡す。それを素直に受け取り、食す。
不思議と笑みがこぼれるのをエヴァンジェリンは気づかず、そんな様子を眺めていたナギは満足そうに自分も焼き魚を食べ始める。
(こうして、誰かと食事をするのはいつ以来か…)
少なくとも数百年は昔だろう。そんなことを思い出しながら、ナギを見ると自らを眺めて笑みを浮かべていることに気づき、何事かと思う。
「な、何だ?」
「いや、うまそうに食うなって」
気づけば、魚は骨だけになっており、気恥ずかしさを感じるエヴァンジェリンだった。
「あ、う。ええい、もうひとつ寄越せ」
「はははっ。ほらよ」
照れ隠しにもう一本焼き魚をもらい、視線をナギからそらしながらもくもくと食べるエヴァンジェリン。
(不思議な奴だ……)
ちらりとナギを見ながら、今まであったことのない人間だとエヴァンジェリンは思う。そして、無意識にこんな疑問が口に出た。
「お前は……誰だ?なぜ、私を助けた?」
その疑問に、ナギは焼き魚を食うのを一旦やめる。
「あん?さあな、なんとなくじゃね?」
ナギからしてみれば、当たり前の行動だったのか。特に思うところは無く、故にそんな答えを返すのだった。
これには、エヴァンジェリンも黙るしかなく、2人は再び焼き魚を食べ続けるのであった。
ナギが通った山の頂に、ラカンは一人遠くを見るように景色を眺めていた。
「こんくらい高ければ、見えると思ったんだがなぁ」
高いところから見れば、目的の人物である闇の福音を見つけられると思ったのだろうか。ラカンの頭の中では見つかるものだと思っていたらしい。
(まぁ、
そう考えたラカンは、手を合わせ目を瞑る。意識を集中させながら、自然の鼓動を自らの感覚に取り込んでいく。彼から言わせれば、なんとなく探索できるような感じだ。
カッと目を見開くと同時に溢れる大量の気。それは、風のように全方位に向かいあたり一面に流れるのだった。
山が、森がざわめくこと数秒。
「ふむ。なんとなくしか分からんな」
それでお、強者がいるということが感覚で分かったらしいこの男は、その方向へととりあえず歩を進めることを決めた。
「な、なんだ今のは……」
「龍でも出たのかも知れねぇな」
ぴりぴりと肌をさす感覚に、ナギとエヴァンジェリンは警戒を強める。焚き火の火を消し、辺りは月が照らす光だけが差し込む。
しばらくすると、ナギがある方向へと体を向けたまま杖を構えた。それにあわせるようにエヴァンジェリンはナギの背後に位置を取った。
「こっちに来るな……そのまま隠れてな、ガキ」
「二度とガキというな……私を甘く見るなよ」
若干怒気を孕んだ声のエヴァンジェリンに、ナギは向かってくる何かに対して意識を向けることにした。
「っ」
森から飛び出てきた影に、ナギは無詠唱で数十にのぼる魔法の矢を放つ。それに対応するかのように影も、魔法の矢を撃ち落していく。
一度矛を交えれば互いの実力が分かるというもので、ナギは相手と距離をとる。それは相手も同じようでお互いに一定の距離をとったまま敵の姿を見据えた。
「あん?」
「んん?」
そして、お互いに顔を知る相手だったと気づくのだった。
ひとまず、互いの事情確認のため再び火をたいて一堂に会する3人。
「ぷくく、おいおいマジか。
「ほう、いきなりいい度胸だな筋肉だるま」
ラカンは含み笑いにエヴァンジェリンの正体に正直な感想を述べる。テオドラから渡された写真は幻覚なのだろう大人の状態で写されたものだったのだから仕方ないといえば仕方ない。
その物言いに青筋を額に浮かべながら立ち上がるエヴァンジェリン。
話についていけていないナギは、興味なさげに食事を再開していた。
そんなナギの様子をちらりと確認したエヴァンジェリンは、妖艶さを伴った微笑を浮かべる。
「そうだな、筋肉だるまもお前にも紹介をしておこう」
纏っていた黒のローブがはためく。影から浮かび上がるは従者である人形。回復した際に直したのだろう、元の姿を保ちその上背を超える剣を両手に携えていた。
「私の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……
客観的に見れば、幼女が胸を張る微笑ましさを感じるようなものだ。だが、エヴァンジェリンを風格が、瞳がそれを強者としてのそれにみせていた。
それを感じ取ったのか、ラカンは先ほどとは種類の違う笑みを浮かべる。さも愉快そうに、大声を上げて笑う。一頻り笑った後、ラカンの目はバトルジャンキーのそれになっていた。
「いいな、いいじゃねえか。ちょっと遊ぼうぜ」
「くく、八つ裂きにしてやろうか」
「オオ、随分乗リ気ダナ。御主人」
そんなラカンにエヴァンジェリンはくつくつと笑いかけ、従者であるチャチャゼロは主人の機嫌が良いことを悟る。
「いいか、貴様良く見ておけ。私がどんな存在なのかをその目に焼き付けろ」
「俺もう眠いんだけど」
「いいから見ておけっ」
食事を終えたのか頬杖しながら、やり取りを見ていたナギは欠伸をしながら適当に返事を返す。そんなナギに不満げな視線を送りながらもチャチャゼロを前衛に据え、思考を切り替える。
先ほどからガキという扱いが気に食わなかったという理由から、このバトルに意欲的なのは彼女しか知らない。
月光が差し込む森の中、エヴァンジェリンとラカンが相対する。
「さて、600万ドルの賞金首がどんなもんなのか見せてもらおうか」
「金に目が眩んだ愚か者は、短命なものさ」
仕掛けてこないならば、こちらからいかせてもらおうか。そう呟いてチャチャゼロに契約を通じて魔力を付与させ強化する。飛び跳ねるように懐へと入ったチャチャゼロにラカンは驚きの声を上げながら迎撃する。
しかし、人形ゆえの利点。その身軽さと軽さから振るわれる動きと強化による一撃の重さはラカンの予想を上回る。
「うおっ」
懐から回転し、一瞬で背後に回ったかと思えば、上空、足元とラカンを翻弄しながら切り刻んでいくチャチャゼロ。数が多いのか対処しきれずに攻撃が幾つか通る。
「ドウシタ?コンナモンカ筋肉ダルマ」
一切手を緩めずにラカンに喋りかける。その言葉にラカンは余裕の笑みを浮かべる。気勢をあげ一転、守勢から攻勢に出てチャチャゼロに打撃を繰り出した。数百年の経験からか、チャチャゼロは目の前の男の強さを一瞬で理解する。
(ヤベエっ)
打撃は凄まじい速度でチャチャゼロの頭をかする。さらに連撃が続き、その一撃はチャチャゼロを粉砕しようとうなりを上げる。嵐を前にしているかのような拳の連撃に、いつしか動ける領域が狭まっていることにチャチャゼロは気づかない。
「チャチャゼロっ退けっ」
エヴァンジェリンが叫ぶように命令する。しかし、時間稼ぎは十分。魔法使いとは究極的には砲撃としてその火力を振るえば良いというのが彼女の考えであり、戦い方だ。
周囲の闇が濃くなり、凍えるような冷たさを持つそれが広がっていく。
「む」
ラカンは体の違和感に気づく。足元が凍っている、いや腕が体が凍り始めていた。
エヴァンジェリンは密かにほくそ笑みながらラカンが凍りいく様を見届けていた。
闇を媒介にし空間を凍りつかせていく魔法は、敵を無力化する際に彼女が良く利用するものだった。対策さえされていなければまず間違いなく氷の像が出来上がる。
今回も自分の力を分からせるために行使し、この後どう料理しようか考えていた。だが、それは早計であり相手が悪かった。
なぜなら、規格外の英雄『千の刃』ジャック・ラカンが相手なのだから。
「フンっ」
一息で空間を包む極寒の闇に皹が入る。強まるラカンの気にその皹は見る見るうちに広がり、最後は呆気なく霧散した。
すでに無力化したものだと思っていたエヴァンジェリンは唖然としながらラカンを見る。自然と疑問が口に出る。
「ど、どうやって……」
「気合だ。大抵のことは気合でなんとかなる」
「なってたまるかーっ」
親指をぐっと立てながら笑みを浮かべ答えるラカンに、エヴァンジェリンは全力でツッコんだ。当然だろう、そんな訳の分からない理論で自身の魔法が解かれたのだから。
「それにしても……互いに見誤っていたらしいな」
首を鳴らしながらエヴァンジェリンを見据えるラカンはそう口にした。それにエヴァンジェリンは眉をしかめながらも同意した。彼女の思惑を斜め上の方向で打ち破った相手として認めざるを得ない。
「仕切りなおしだ、全力で楽しもうぜ」
そういったラカンの体がぶれた。次の瞬間、チャチャゼロの剣とラカンの拳が衝突していた。その衝撃波で周囲の木々が揺らめく。
「チャチャゼロ、全力でやって構わん」
「オーケーオーケー。久々ダナ」
更なる強化の魔法がチャチャゼロにかけられる。膂力はラカンに負けるが、打ち合いはそれだけで決まるものではないとその身で示すとおりに拮抗している。
「知ッテルカ?人形ノ体ハコンナ事モ出来ルンダゼ?」
チャチャゼロの間接が大きく曲がりながら、脚に供えられた刃がラカンの首元へと伸びていく。それをラカンが叩き落すが、その勢いでチャチャゼロは反転。足元からの振り上げがラカンの顎を狙う。
「うおっあぶねっ」
一歩退いてそれを避けるが、横から闇の吹雪がラカンを飲み込む。
吹雪が止んだ場所には、ラカンが平然と立っていた。実質2対1の状況という中で、それでもラカンは楽しそうに笑みを浮かべる。
「無傷とは呆れる」
(チャチャゼロ……1分だ)
(マジカ……了解ダ)
チャチャゼロに念話を送りながら、悪態をつく。普通の冒険者程度なら一瞬で消し飛ぶであろう一撃もラカンの前では意味をなさない。呆れた丈夫さである。
今度はチャチャゼロからラカンへと吶喊する。何処に隠し持っているのか数多の剣を出しながら、ラカンを翻弄する。
チャチャゼロの戦い方が変わったことなどラカンはすぐに気づいた。しかし、気づけたからといってそうやすやすと術者に向かわせるような相手ではない。
(おいおい、あれはまずいんじゃねえか?)
背筋に嫌な汗が流れるのをラカンは感じながら、チャチャゼロを潰そうと拳を振るった。
「羅漢萬烈拳!!」
目にも留まらぬ乱撃にチャチャゼロの握る剣が砕け散るが、その体は風のように舞いながら回避する。しかし、それを待っていたかのようにラカンはその腕を掴み、振り返りながらエヴァンジェリン向けて投げ放った。
「&羅漢大暴投!!!」
そして、そのままの姿勢で彼は凍った。
宙へと浮いていたエヴァンジェリンは、投げられた従者を華麗に受け止める。
「ご苦労だったなチャチャゼロ」
「大変ダッタゼ」
すでに景色は一変していた。木々も大地も凍りつき、そこを支配するのはエヴァンジェリンの膨大な魔力。冒険者たちを相手取るときは桁違いの魔力を使った魔法。中心となっているのは氷の像と化したラカンであり、氷柱がそこかしこに飛び出ている。
「安心しろ、次は殺す気でやってやる」
すでに聞こえていないだろう事は分かっていながらも、エヴァンジェリンは笑みを浮かべて最後の詠唱を終える。
―おわるせかい―
砕け散っていく世界。木々も大地も等しく砕かれ、霧散していく。すでに空高く非難していたナギは綺麗なものだと思いながらその光景を眺めていた。
心配などしていない。ナギはラカンがどれだけ出鱈目なのかを知っているのだから。
「ハーハッハッハッハ。見たかっ筋肉だるまっ」
エヴァンジェリンは哄笑しながら辺りを見回す。周囲は随分と見晴らしの良い光景に様変わりしていた。これだけの規模で魔法を行使したのは彼女自身久しぶりなのか随分と機嫌が良さそうである。
「いやー今のは結構危なかったぜっ」
「だから何で生きているっ」
氷で埋まっていた地面からラカンが当然のように飛び出す。今度はさすがに無傷といかなかったのか、いたるところが凍りつき、凍傷のようなものが見受けられる。
エヴァンジェリンが取り乱す。あまりの想定外に驚きを隠しきれない。
拳をたたき合わせ、気合を一つ。ラカンはエヴァンジェリンの目の前に現れた。そのまま流れるように右拳をエヴァンジェリンの腹に当てる。
「なっ」
「零距離全開!ラカン・インパクトっ!!」
あたり一面は眩いほどの光に包み込まれる。それはまるで太陽のようであり、そこから一つの影が凄まじい速度で落ちていった。
落下した場所は陥落し、森は吹き飛んだ。落下したのはエヴァンジェリン。腹には穴が開き、口からは血を吐いた。
されど、彼女は吸血鬼の真祖。不滅の体は即座に修復していく。しかし、凄まじい衝撃だったせいだろうか、未だに体が震える。
「おーすげぇな、
ラカンがチャチャゼロ片手に降りてくる。ひょいっと人形をエヴァンジェリンの元へと放り投げる。
「ふん、貴様のような出鱈目人間が言う言葉ではないな」
そう悪態をつきながら立ち上がる。一瞬でチャチャゼロを修復する。再び向かい合う二人が思うことはただ一つ。
まだやれるな?
それだけだった。片方は詠唱を唱え、もう片方は気を体に纏わせながら笑みを浮かべる。戦いはまだまだ続く。
それはまるで、自然災害がぶつかり合うような戦いであった。
「いやーやりすぎじゃね」
それをずっと眺めていたナギは止めることもなく、そのまま静観して眠りに着いた。
帝都ヘラス。執務室の一室である部屋で帝国の第三皇女であるテオドラは執務をこなしていた。
しばらく仕事をしていると来客を告げるベルが鳴る。
「通せ」
政務に携わるようになったといっても来客を選ぶほど忙しくなった身でないテオドラは、傍らにつく秘書に許可を出す。
数分すると、来客がテオドラの執務室に通された。来客はラカンに仕事を頼むよう仲介させた諜報のものだった。
「何用じゃ?」
「はい、ラカン様からの報せが届いたのでその報告に…」
そう告げる彼は、どこか具合が悪そうにしながらここへきた目的を話す。
「おお、そうか。続けよ」
「はい。報告によりますと、討伐へ向かった冒険者たちは全員死亡が確認されました」
想定内だったのだろう、特に取り乱すことなくテオドラは頷く。しかし、若干その目は悲しそうに伏せられた。
「そして、
「あやつは本当にもう……」
これも、予想はしていたのだろう、うなだれながらも頷く。
「あと、申し訳にくいのですがその戦闘の跡がこちらです」
そういわれて提示された画像はただの荒地だった。テオドラはこれはなんなのかと茶を飲みながら首を傾げる。
「ここはヘラス南西の森があった場所です」
告げられた言葉にお茶を盛大に噴出したテオドラ。御付のメイドたちが慌てふためきながら対処している。
「な、なんじゃと?」
「ですから、森があった場所です」
若干涙ながらに真実を告げる。変わり果てた国土に乾いた笑いしか出ない。詳細を述べると、山は二つなくなり、森は半分以上が消えた。最早違う土地である。
「それと……追加の報告としてもう一つあります」
「あ~なんじゃ?」
早く言えと手を振るテオドラ。差し向けた手前これらの件は彼女自身が奔走することになるからだろう、もうすでに疲れきっていたが、更なる追い討ちが存在する。止めとも言う。
「ラカン様はナギ様と合流したようなのですが……その金髪の少女がともにいたという報告が」
その報告を聞いたとき、テオドラは呻き声を上げながら倒れるのであった。
感想、誤字脱字などありましたら報告していただけると嬉しいです。