第16話
帝国と連合が戦争を終結させてから早くも一ヶ月が過ぎた。戦争こそ終わったが、それで全て解決したわけではない。終わりはまた、始まりでもあるのだ。
それを体現するかのようにマクギルの執務室はその慌しさを極まらせていた。
「これがヘラス帝国から提示された書類っ。こっちが…」
「そっちの承認は済みましたっ」
マクギルの秘書たちは右往左往しながら、その本懐をとげていた。
ヘラス帝国との和平。情勢が不安定な中で掴み取った確かな未来の希望。本来ならば、戦争が起きずにこのような仕事が出来ればよかったがそれは贅沢というものだろう。
「マクギル先生。こちらがヘラス帝国の書類をまとめたものになります」
そんな中、少年と言えるほどの若い秘書がマクギルの机に書類を積み重ねる。書類は十分にまとめられ、要所が簡潔に記されていた。
マクギルは詰まれた書類を確認し、改めてその優秀さを確認する。
少年の名はクルト・ゲーデル。彼はもともと
タカミチやクルトのように
それを裏付けるかのように、彼は詠春から神鳴流を学ぼうと技を見よう見まねで習得してきたという事実がある。
しかし、それは一人の男に対する反抗心によって大きな転機を迎える。その男とは、何を隠そうハジメである。クルトにとってハジメがとってきた手段というものは許容できるものではなかった。
そもそもクルト自身その才能を活かし、実直に
そんな彼にとってすれば、ハジメほどの男がなぜそのような手段をとっているのか理解できなかった。
「なんで…貴方ほどの力がありながら、なんで、こんな手段でっ」
今彼らが仕事をこなしている部屋。マクギルの執務室ではマクギル、ハジメ、クルトの3者が揃っていた。きっかけは、クルトの申し出である。話がしたいと。察したマクギルが3者を自らの執務室へと招いたのだ。
そこで、まるで夢を壊されたような悲痛な声でクルトはハジメに問いかける。実際、彼にとってハジメが得た情報というものは得がたいものだということは容易に理解できた。しかし、得るための手段を知った瞬間愕然とする。彼にとってそのような手段で得られたものに何の価値があるというのか。
故に、嘆き問うたのだ。なぜ、あなたはこのような手段まで用いてまで戦いにのめり込むのかと。
激昂したクルトとは対照的に、ハジメは至って平常運転であった。眉一つ動かさず、煙草を片手に紫煙を吐く。
ハジメは、冷徹さと深遠を思わせるその瞳でクルトを射抜く。今まで味わったことの無い感覚をクルトは味わう。それは
「っ」
思わず怯んだクルトは、しかし、目をそらすことは無く。自身は間違っていないのだと、改めてハジメに物申す。
「貴方が、ナギさんたちと協力すれば。きっと…世界は救えるんですっ」
どれだけ才能があろうとも、クルトは純粋であり、子供であった。力があれば、その先に救える未来があるのだと。それは決して間違ってはいない。シンプルであるが故に、一つの真理でもある。
だが、世界はそんなシンプルには出来てはいない。彼がそれを知るには、
だからこそ、ハジメは突き放した。夢を見て力を振るうことはかまわない。しかし、それで救われる世界など限られている。世界は、そんな綺麗にできていない。
「阿呆が…小僧。人一人の力がどれだけ無力か、唯一つの情報が国一つの行く先を決めることを、知っているか?」
どれだけ力を持っていようとも、極論それは戦いでしか発揮されることは無い。だが、情報はその戦いすらも未然に防ぐことが可能となる。たとえ戦いではない場所で、その手をどれだけの血で染めようがハジメがやることなどただ一つ。『悪・即・斬』の信念のもとにただ切り捨て、その先へ行くだけなのだ。
「それでもっ」
クルトに続ける言葉など無かった。頭の片隅では理解していた。必要なことなのだと、誰かがしなくてはいけなかったことなのだと。それでも、暗殺という手段で裁くべきではないと思わずにはいられない。
彼は、正しいことを言えば、為せば、それで悪は裁かれるのだと本気で信じていたのだから。だが、それを誰が責められようか。
苦悶の表情を浮かばせるクルトに、ハジメは一瞬で背後を取る。クルトから見れば消えたようにしか見えなかっただろう。ハジメはそのままクルトの頭を後ろから鷲づかみ、床へとたたきつけた。
これには、静観していたマクギルも驚きから腰を浮かべる。
「小僧。どれだけ力を持っていようとも、それは国を…世界を救うことなど出来ん」
「そんなことっ…うぅ」
地に這い蹲り、呻き声を上げるクルト。そんなクルトを尻目にハジメは手を離し、もはや用は無いと踵を返す。
部屋を出る直前、ハジメは立ち止まる。
「…それでも納得できないというならば、マクギルの下について、世界を…人の醜さを知ることだな」
振り返り様にクルトを見る目は厳しさを持ちながらも、どこか期待の色をにじませていた。今度こそ用は無いと、ハジメはそのまま部屋を出るのだった。
「大丈夫かの?クルト君」
マクギルはそっと、クルトに近づく。少年の願いは聞き届けられることは無く、今まで為して来た事すらも認めてもらえないようなものであった。
挫折も致し方なし。マクギルはそう考えていた。
だが、彼はたとえ子供であったとしても、
クルトは、たたき伏せられた上体から両手をついた。その顔は窺い知れないが、噛み砕かんばかりに歯を食いしばる音が微かに聞こえる。
悔しさがあった。自分の力のなんとちっぽけなことか。情けなさがあった。自分はどれだけ子供なのか。だが、それでも前に進まなければ始まらないと、道標を示された。ならば、自分の目で確かめるしかないではないか。
「…マクギルさん」
「なんじゃ?」
「僕が見ていたものは、信じていたものは、まやかしだったのでしょうか?」
「さて…な。否定はせん。じゃが、それを決めるのもまた、おぬしなんじゃろうて」
ハジメが言うものだけが全て正しいわけではないだろう。しかし、正しいと思わせるだけの、信じられるだけのことをハジメはしてきた。それはハジメにしかできない、できなかったことだろう。
だが、それだけではダメなのだとマクギルは思う。確かにハジメは悪を滅ぼすことは出来よう。しかし、世界を救うには、平和をもたらすにはそれとは違う何かを担う人間が必要なのだと。
クルトは俯かせていた顔を上げ、マクギルを見る。その瞳にはまだ頼りないが好ましい光が宿っていた。
「僕を…僕を秘書にしてください。ハジメさんが言っていたことがどういうことなのか。僕は、自分で知らなくてはいけないっ」
マクギルは、顔を綻ばせる。たとえ今、世界に危機が迫っていたとしても、目の前には未来を担うものがいる。志を受け継ぐものがいると思えた。故に、答えは決まっている。
「良かろう。未来あるものを導くのもわしの役目じゃろうて」
あれから、クルトは
マクギルのもとで育てられたクルトは、政治家としての才覚を開花させる。といっても、未だ未熟者であるとして戦争が終わった今でも秘書を継続中である。戦後の処理が終わったとき政治家クルト・ゲーデルが生まれるであろう。
マクギルが詰まれた書類を処理し、秘書たちもそれぞれの仕事をこなしていく中に突然の訪問者が現れる。慌しい音が廊下から聞こえてくるのをまず最初に気づいたのはクルトであり、その手を止め扉の方へと視線を移す。音は扉の向こうで止まり、扉はけたたましい音を立てて開かれた。
その向こう側にいた人物にクルトは若干眉をひそめる。
「どうした?タカミチ」
訪問者はタカミチであった。よほど慌てていたのか、息を荒げながらも呼吸を整えている。問いかけにその目を向ける。
視線が合ったクルトは、若干の違和感を感じ取る。今でこそお互いの領分は分かれているが、少し前まではガトウの後ろで共に行動していた好敵手であった2人。気に食わないところもお互いにあり、認めている部分もお互いにある。そんな間柄のクルトだからこそ、タカミチのその表情に違和感を感じ、それは嫌な予感へと変わる。
「マクギル議員、クルト…っ。アリカ王女が、捕まったっ」
タカミチの言葉に、執務室にいた全員がその動きを止める。マクギルも驚きのためか目を見開く。
「なんじゃと?」
「確かな情報です。ガトウさんが、早くマクギル議員に伝えろと」
その言葉に、マクギルはすぐさま情報の確認を急ぐ。ガトウが直接伝えず、すぐさま行動に移すほどの非常事態。クルトは歯をかみ締める。
「なんというタイミングで…っ。保身にばかり長けた連中がっ」
拳を握り締め、机へとたたきつける。
「マクギル先生、まずいです。まだ、全員を捕らえるほどの材料が無いっ」
「分かっておる…。牽制も無意味じゃったか」
マクギルが確認を終える。確かに、アリカ王女を捕らえるように命じたのは
「マクギル
執務室に突然の勧告が響き渡る。声の主は多数の兵士を引き連れた初老の男。その見慣れた顔と勧告の内容にマクギルの表情が驚愕に染まる。
驚いているのはマクギルだけではない。何よりも、これだけの兵士が殺到してなぜその報告が来ていないのか。この場で冷静に全てを把握できるような人間はおらず、また、出来るわけもない。
「ツヴァイフェル…お主」
「マクギルよ。少々派手に動きすぎだな…おかげで楽に事が進んだがね」
最早言葉も出ない様子のマクギルに対し、ツヴァイフェルと呼ばれた男は愉快そうに顔を歪める。マクギルの戸惑いも無理は無い。元老院の中でもマクギルに近い位置にいるものの一人であったのが目の前にいる男。ツヴァイフェル・ベーゼなのだから。
戦争の最中。中立の位置に立っていた人間は少なからずいた。それは元老院でも例外ではなく、その中の一人がツヴァイフェル・ベーゼという男だった。最終決戦へ向けて行動していたマクギルの協力者となってくれた人物であり、中立だけでなく保守派にも働きかけてくれた。
そんな彼が、今このタイミングでマクギルに対し反旗を翻したのだ。それを知るクルトも愕然とする。そして、理解する。元老院を甘く見ていたことを、元老院は既に自分たちが都合の言いように脚本を書き終え、そのための配役を決めてしまっている。
この段階まで来てしまっては、覆すことは容易ではないとクルトは思い至る。それは当然マクギルも同じ。
突然の来訪者にそばにいたタカミチが身を翻すも、護衛によって取り押さえられる。この場にいることが既に捕らえられる理由として成立してしまっている。為すすべなく組み伏せられたタカミチはただ歯噛みするのみ。
マクギルや他の秘書たちもおとなしくツヴァイフェルの前に連なった護衛たちの前に移動し、捕縛される。ここで暴れては、後に響くことを皆理解している。しかし、その顔は芳しくない。なぜならその後が来るか現状では分からないからだ。
「ふん。置かれている立場は理解したようだ…連れて行け」
マクギルたちの様子にツヴァイフェルが頷きながら声をかける。その言葉に護衛たちが反応し、マクギルたちを次々と連れて行く。クルトは、自身の無力さと失望感に押しつぶされながらも、冷静に、冷徹にただ機会を待つ。現状を覆すことのできるそのときを。
向かう先は元老院議事堂、そこで開かれるは裁くための一方的な喚問。老獪な者たちの脚本が用意されている法廷へマクギルたちは向かうこととなってしまった。
プロローグ的な話なので短め。
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