虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第91話 バリアハート寄航日(三日目①) ~青い空に白の花を

 昨日は危ないところだった。

 綱渡りのごとくリスクにまみれた道を通っていたのだと、そう思い返したユーシスは今さらながらうすら寒いものを感じていた。

 ケルディックの一件で領主が拘束され、市中がざわついている最中、その息子が不良になって民家を襲撃したなどという事件が起きてみろ。号外の帝国時報が宙を舞うことは必定。

 嫌な予感はしていたのだ。マキアスの提案が、目的のゴールに綺麗に着地した(ためし)などない。

 あの後、すぐにクレア大尉がハンコック邸に駆けつけてきたのだが、ユーシスは連行されなかった。憲兵隊が邸宅に踏み入ってくる寸前に、エマが転移術で離脱させてくれたからだ。

 彼女もこのタイミングで俺が捕縛されることの意味をわかっていたからだろう。さすがの機転には感謝したいが、転移させられた先がハンコック邸の屋根の上というのが謎だった。

 よりにもよってなんでそこなのか。とっさのことで場所を選べなかったのかもしれない。身代わりになってくれた側面もあるので、余計な追及はしなかったが。

 苦労して屋根から敷地に降りたところで、運悪く興奮収まらぬシュザンヌたちに発見され、魔王軍の残党ですわとフライパンを投げつけられ――どうにかカレイジャスまで帰艦できたというわけである。

「腫れは少し引いたか……」

 撤退時に頂いたたんこぶをさすりつつ、痛みの程度を確認する。夜通し冷やしていたのが良かったようだ。

 ユーシスは朝食目当てに食堂へと向かっていた。ここしばらくは城館に詰めていたから、カレイジャスで寝起きしたのは三日ぶりである。

「なあベリル。飯食いに行こうって」

「行ってらっしゃい、どうぞ」

 途中、レックスとベリルとすれ違った。すたすたと早足で歩くベリルを、レックスが追っている。傍目にも険呑な雰囲気だ。「ついてこないで」と言い捨てて、ベリルは曲がり角に消えてしまう。「俺がなにしたってんだよ……」と、レックスは困り果てている様子だ。

 何事だ。声をかけてみるか? 口を開きかけた時、通路の向こうから敵意のある視線が注がれていることに気がついた。

 飛び猫だ。クロとか言った。信じがたいことに、オーロックス砦戦で協力してくれた魔獣だが、まさか普通に乗艦しているとは思わなかった。マキアス名義で乗艦申請書も提出したらしい。あいつはいったい何をやっている。

 クルーに何らかの危害が及んだ場合は即退艦という条件もついているそうだ。マキアス曰く、安全は保証できるという。

 うそをつけ。俺に対するこの野生の殺意はなんだ。シャーシャー鳴きながら牙を向いているではないか。背中を見せたら襲ってくるつもりだろう。

 不可解なことにこのような態度を取ってくるのは、俺にだけのようだ。まったく主人のしつけが行き届いていない。

 少し離れた一室の前にはドローメもいる。あそこはⅦ組女子の就寝部屋だ。よからぬことを企んでいるかのように、触手をうごめかしている。

 あとで二匹の退艦届を出しておいてやろう。あれは絶対なにかやらかす。

 朝っぱらから不穏な魔獣に気を取られている内に、ユーシスはレックスを見失ってしまった。

「……まあ構わんか」

 度を過ぎたトラブルなら、リィンあたりが勝手に巻き込まれて、そして解決するだろう。

 クロを警戒しつつ、その場を離れる。

 食堂はそれなりに混雑していた。キッチンではニコラスとシャロンが凄まじい手際で調理を進めていて、フロアではエミリーがせかせかと配膳、下膳、オーダーを一人でこなしている。

 空いている席に適当に座る。

 食堂の奥側のテーブルにアランとブリジットが見えた。彼らも朝食に来ていたらしい。

「あら、すごくおいしいわ」

「そんなのブリジットの作るご飯の方が……――~っなんでもない!」

 アランはソースの容器を卓上にだんっと置いた。

「きゃっ、ど、どうしたの?」

「なんでもないから……」

 その後ろのテーブルでは、雑誌で顔を隠したロギンスが「そこで尻込みすんじゃねえ……」と天井を仰いでいる。

 よくわからないやり取りだ。

 まあいい。こちらも早く朝食を済まそう。問題は山積みではあるものの、アルバレア家の処務はアルノーに任せられる段階にまでは落ち着いた。

 今日はようやく――

「おはよう、ユーシス。相席いいかな?」

「ああ、おはよう」

 同じく朝食を食べに来たエリオットが、同じテーブルにつく。

 メニュー表の類はない。食べたいものを伝えると、あり合わせの食材で工夫して、それが出てくるというハイポテンシャルなシステムだ。

 ユーシスはサンドイッチとトマトスープを、エリオットはトーストとスクランブルエッグを注文する。頭に浮かんだものを言ってみただけだが、普通にオーダーが通ってしまった。

「ニコラス先輩とシャロンさんのタッグ、すごいよね。この前なんか、お肉が食べたいなあって呟いただけで、頼んだ野菜スープがビーフシチューに変わって出てきたよ」

「厨房では錬金術でも使っているのか?」

「調理技術の域を越えてるよね。ところでユーシスの今日の予定は?」

「……食事を済ませたら、ケルディックに向かおうと思っている」

 焼き討ちの一件以降、ユーシスは一度もケルディックを訪れていなかった。

「ケルディック……そっか。ちょうどよかったって言っていいのかな」

「なんの話だ?」

「実はさ、ケルディックで演奏会をしようと考えてたんだ。急なんだけど今日の午前に。打ち合わせは昨日から何人かとやってたんだけど、ユーシスには伝えられなかったから」

「演奏会? そうだったか……」

「追悼と復興を願って。気休めにもならないかもしれないけど」

「いや、ぜひ頼む。俺に協力できることはあるか?」

 ちょうどエリオット、ハイベル、ミント、ブリジットと、吹奏楽部メンバーがそろったがゆえの提案でもあった。すでに楽器の調達は段取りがついているそうだ。

「うん。ユーシスには広場を使う承諾をもらってきて欲しいかな」

「任せておけ。楽器運びなども手伝おう」

「あ、それなら大丈夫」

「人手は足りていないだろう? 遠慮するな」

「転移術」

「理解した」

 便利な委員長だ。屋根の上には転移されないよう気を付けておけ。と、もちろんそれは口に出さないが。

「僕以外のⅦ組は裏方でのサポートになると思う。あとは部屋にいるマキアスにも声をかけなきゃ」

「まだ寝ているのか? 気が緩みすぎだ」

「うーん、起きてはいるみたいなんだけど、ベッドから出てこないんだよね。毛布にくるまって、ずっとぶつぶつ呟いてるし、時々すすり泣きみたいな声も聞こえるし。昨日なにかあったの?」

「ただの精神疾患だろう。気にする必要はない」

「だとしたら気にしてあげようよ……」

 ケルディックが負った傷は深い。追悼の演奏会。果たして受け入れてもらえるだろうか。いや、なにより俺がその場にいていいのだろうか……。

 朝食を終えたエリオットは一足先にマキアスのところへ向かった。

「マキアス……か」

 《ソルシエラ》のいざこざがあったせいで、うやむやになってしまったが、あいつと話ができていない。マキアスがいう〝気付き”というのは、あの虹色の光が生んだ現象についてだろう。

 俺にもわかっている。あの映像は確かに自身に関わるもので、しかし〝過去”や〝記憶”とは似て非なるもの。多分根底にあるものが違う。

 そう。あれは、おそらく――。

 

 

《☆青い空に白の花を☆》

 

 

 床に膝をついたまま、ベッドの端に額をつけてまどろんでいると、自分の手に誰かの手が触れる。

「え……?」

 アルフィンが顔を上げると、同じ高さにある目と目が合った。

「あ、あ!」

「おはよう、お姫様」

 かすれた声でスカーレットが言った。オーロックス砦での戦いで気を失って数日、ようやく意識を取り戻してくれたのだ。

「なんか声……出ない。……水」

「水ですね! わかりました!」

 いつ起きてもいいように、必要そうなものは全て部屋に用意してある。トワからは覚醒したらすぐに連絡するよう言われていたが、そんなものは後回しだ。

 アルフィンは水の入ったコップを差し出した。

「飲めますか?」

「ん」

 コップは支えたまま、ストローをスカーレットの口まで運ぶ。なかなか吸えない。何回かむせ込みながら、一口、二口、彼女はゆっくりと水を飲んだ。

「何か食べます? 欲しいものは?」

「今はいいわ。食べられそうにないから」

 喉が潤ったおかげか、多少通るようになった声で答える。スカーレットは周囲に首だけを巡らせた。

「ここ《紅き翼》の中よね。あなたの私室? なんで……?」

「そうですね。とりあえずあの後のことをお伝えしましょうか」

 ケルディックにあれ以上の被害はなかったこと、ヘルムート・アルバレアの顛末のことなどをかいつまんで説明する。

「……そう。それでどうして私は正規軍に引き渡されず、ここにいるのかしら?」

「私が無理を言って、カレイジャスに連れ込みました。今スカーレットさんは行方不明扱いで、憲兵隊を中心に捜索の手がかかっていると思います。クルーにも箝口令を敷きました」

「事が露呈したら大問題よ。そっちサイドでも反対意見は出たでしょうに」

「だから無理を言ったんです」

 特にトワ会長の反対を押し切った形だ。どうしてもダメって言うなら、甲板から飛び降りますとまで宣言した。その時のブリッジの空気は凍っていた。彼女には悪いことをしたと思っている。

 しかもその翌日にはマキアスが魔獣の乗艦を求めて、トワと長時間口論したらしい。

 結果、甲板から転落したのはトワで、それを魔獣がいかがわしい感じで救出したのだと聞いた。そしてなぜかリィンがお説教されたとも。

 その辺りの事情は知らないが、最近のトワの心労は大変なことになっていそうだ。

「私をかくまうことは、この艦にとって爆弾になる。わかってる? 私は帝国解放戦線の《S》よ」

「いいえ。あなたはこのわたくし、アルフィン・ライゼ・アルノールの騎士です」

「受けるなんて言ってないし」

「言いました。『まいったわね』って。あれはやるって意味です」

「どんな解釈よ! とにかく私は皇族の騎士なんかには絶対ならない!」

「あーあー! 聞こえません、聞こえませーん!」

 アルフィンは耳をふさいで、ぶんぶんと首を振る。

 口論では堂々巡りになると判断したようで、スカーレットは頭を枕にうずませた。体力も戻っていないから、あまり騒げないみたいだ。

「これお姫様のベッドよね。私がここで眠ってる間、あなたはどこで休んでいたの?」

「椅子とか?」

朦朧(もうろう)としていたけど、なんとなく覚えてる。あなたが体を拭いてくれたり、口を水で湿らせたりしてくれたこと。まともに横になってないんでしょ。……ごめんなさい、ありがとう」

 お礼を言ってくれたことが嬉しかった。アルフィンはにっこりと笑って、そばの棚からブラウンの眼帯を取った。いつもスカーレットが右目に巻いている眼帯だ。

「目、失明していたわけじゃなかったんですね」

「そうよ。ただのお飾り」

「どうしてですか? 視界が狭まるだけなのに」

 眼帯を受け取ったスカーレットは、しかし付けようとはせず、それをじっと見つめた。

「……知っていたわ。別に汚いだけの世界じゃないって。でもそこに目を向けてしまうと、憎むべきものを憎みきれなくなるかもしれない。他人の生活を(ないがし)ろにしてまで突き立てようとした復讐の刃が鈍る。だから眼帯は……その半分を見なくて済むように付けていたの」

「それでもスカーレットさんは、ケルディックの被害を少なくしようと動いてくれました」

「なんでかしら。眼帯がずれていたのかもね」

 自嘲のようにも聞こえた。彼女の道はどこにつながるのだろう。どこだっていい。私はあなたと共に生きて行きたい。

 現実的な問題として、騎士に迎えるには超えるべきハードルが多い。なによりまだ彼女自身が望んでいないのだ。

「機甲兵の中から出てきてくれなかったので、この前はスカーレットさんの顔が見えませんでした」

「戦いの最中にコックピットから出られるわけないじゃない」

「今は戦っていません。顔と顔を合わせられます。時間だってあります」

「……まあ、暇であることは間違いないわね。おしゃべりする?」

「ええ、たくさんお話しましょう」

 テロリストと皇女が向かい合う。

 今まで目を背けていたもう半分の世界を、いつかまっすぐに見つめられるように。

 さあ、炎に巻かれたあの日の続きを。

 

 ●

 

 演奏会という名目なので、ユーシスはさしあたって教区長に報告しておくことにした。

 ユーシス以外のⅦ組メンバーは、すでに会場セッティングに回っている。会場と言っても、中央広場にパイプ椅子を並べるだけだ。ステージもなければ、音響設備もない。

 教会に入ると、祈りを終えた一人の女性がちょうど席を立ったところだった。教区長に深々と頭を下げたあと、彼女は入口側に向かって歩いてくる。

 沈んだその面持ちを見て、ユーシスは一瞬息ができなくなった。

 ペルムだ。オットー元締めの奥方だ。

 声をかけていいのかわからず、またかける言葉もなく、そしてその場に立っていることもできなかった。

 とっさに近くの柱の陰に身を隠す。唇を噛んで、爪が皮膚に食い込むほどに、拳を握りしめた。

 処務に忙殺されることを理由に、マキアスの騒ぎに付き合うことを理由に、無意識の内に思考の隅に追いやっていたことだった。

 ペルムの姿を目の当たりにして、とうとう実感が湧いてしまった。自身の背で小さくなっていく鼓動の音を思い出してしまった。

 恨まなくていい。

 そう言い遺してくれたオットーの言葉は、自分にとって救いだった。けれど自分が自分を恨まなくても、他人は自分を恨むのではないか。恨まれて当然なのだ。

 父を止めることはできなかった。オットーを助けることもできなかった。逆に助けられた。ヘルムート・アルバレアを拿捕したことはけじめであって、ケルディックの人々への罪滅ぼしではない。なりもしない。

 長年連れ立った夫を失い、ただ悼み祈るしかない妻と、どうして顔を合わせられる。

 ユーシスはペルムが通り過ぎるまで、固く目を閉ざした。

 ほどなく教会の扉が閉まる音。行ってしまった……

 それでもしばらくは動けず、立ち尽くす。

 どれだけの時間そうしていたのか、静かに目を開けると、向かいに部屋が見えた。数人の話し声も聞こえる。どうやらあそこのようだ。

 ここにきたもう一つの目的。ユーシスはその部屋に足を踏み入れた。

 いくつか並ぶ簡易ベッドの間で、シスターたちが忙しなく動いていた。ある者は包帯の取り換えを、ある者は消毒液の補充を。

 ここは教会の一室を使った緊急の救護室だ。襲撃の直後はケガ人でごった返していたのだが、今では幾分落ち着きを取り戻している。

「見舞いなのだが、構わないだろうか?」

 近くにいたシスターの一人に声をかける。

「ええ、どうぞ。……あ」

「失礼」

 二の句を聞く前にユーシスは歩を進めた。シスターがこちらの顔を見て反応したのだ。

 一番奥のベッドに彼女はいた。その横に膝をつく。

「会いに来た。遅くなってすまなかったな」

 返答はなかった。

 ロジーヌの意識は戻らない。外傷はほとんどないそうだ。瓦礫から子供たちを守った際に、頭部に衝撃を受けたのがよくなかった。

 あの優しげな声も、いつもの笑みもない。繊細な顔立ちは以前のままだ。時間だけが止まっているかのように思える。

「もうすぐ演奏会が始まる。ここでも聞こえるだろう」

 ユーシスは広場に戻る必要がなかった。〝教区長に報告だけしてくれたら、君にやってもらうことはない。そのまま教会にでもいるといい”と、マキアスに言い含められたのだ。どうやら余計な気を回されたらしい。

 頬に涙のつたった跡があるのが気になったが、まああれだ。いつもの精神疾患だろう。

 両手で包むようにして、ロジーヌの手をふわりと握る。

 願わくば奇跡が――エリオットたちの奏でる音が、ロジーヌの心に届いてくれるように。それが、それだけが――

「ん……あ……ユーシスさん……?」

 焦点の定まった彼女の瞳がこちらを見ていた。普通に起きている。

「えっと……あの?」

「……お前、そこは演奏が終わってから目を覚ませ」

 よかった、本当に。

 握る手の力を強くして、ユーシスは顔を伏せた。

「状況は……なんとなくわかります。子供たちは?」

「無事だ。お前のおかげでケガもしていない」

「そうですか、安心しました」

 ロジーヌはしっとりと微笑んだ。心の底から安堵しているようだ。目を覚まして一番最初に訊くことがそれか。

「まず自分を案じろ。痛むところはないか?」

「大丈夫です。……ユーシスさん」

「なんだ?」

「オットーさんはご無事ですか?」

 起きたばかりの彼女に、今この場で伝えるべきか。はぐらかして、落ち着いてから伝えるべきか。

 一秒にも満たないその逡巡が、ロジーヌにとっては答えだったようだ。彼女の陰った表情を見て、ユーシスは歯がみした。

「そう……ですか。どうしてでしょうね。意識がない間のことは知らないはずなのに、その予感だけはありました。……ありがとうございます」

「何に対する礼だ」

「私を気遣おうとして下さったことに対して」

 ロジーヌの視線が窓縁の花瓶に向いた。白い花が飾られている。

 その花はユーシスにも見覚えがあった。元締めの家のリビングに活けられていたものと同じだ。おそらくそれをここに持ってきたのは――

「……ペルムおばさま。ユーシスさん、おばさまにはもうお会いに?」

「いや……会ってはいない」

「では行きましょう。私もいっしょに行きます」

 ロジーヌは身を起こした。ベッドについて上体を支える腕が震えている。当たり前だ。力は戻っていない。

「お、おい。無理をするな」

「今行かないと、ずっと後悔が残ったままになります。ユーシスさんが抱える必要のない後悔が」

 見透かされている。経緯なんてほとんど知りようもないのに。否定できずに、口をつぐむ他なかった。わかっている。あと伸ばしにしたところで、どうにもならないことは。

「それとユーシスさん」

「……そうだな、行こう。お前の言う通りだ」

「そうではなくて……」

「ん?」

 ロジーヌはモジモジと手を組んだ。

「ちょっと着替えたいので、反対側を向いて頂けると……」

 頭をかいて、ユーシスは無言で後ろに向き直る。

 俺にそこまでの察しがつくものか。

 

 

「もうそろそろ定刻か」

 演奏会の開始間近。中央広場に並べられた30脚近いパイプ椅子は全て埋まり、立ち見の人たちも増えてきていた。

 その顔に意欲や活気はなく、演奏を楽しみにしているとは思えない。何かやるらしいから、とりあえず来た。やることもないから、気を紛らわす程度にきた。

 少なくとも音楽を聞くことが目的ではなかった。どうだっていい。そんな捨て鉢な感情が伝わってくる。

 リィンはヴァリマールの(ケルン)の中で、彼らの悲憤を感じていた。

『一ツ、訊キタイ』

 ヴァリマールが話しかけてきた。

『ナゼ私ヲ、コノ場所ニ呼ンダ?』

「すぐにわかるさ」

 中央広場、エリオットたち吹奏楽部の立ち位置のすぐ後ろに、ヴァリマールは控えている。

 ケルディックの人々にとっては、機甲兵も騎神も大差がない。巨大な人型で、町を壊すことのできる畏怖の対象。

 だからこのタイミングでヴァリマールの姿を見せるのは、彼らの感情を逆なでするかもしれない。それはリィンも承知していた。

「狭くてすまない。もう少し我慢してくれ」

 リィンは核内のもう一人に言う。「これが騎神の中か。興味深いな」などと、上やら下やらをきょろきょろ眺めまわすのはラウラだった。

 彼女はリィンの膝の上に座っている。他にスペースがないのだ。

「水晶球には触らないようにしてくれ。まあ、それで動くことはないんだが」

「いや興味深い。まったく興味深い」

 頬がほのかに赤くなっている。しばらく黙ったあと、いたたまれなくなったのかラウラはこちらに顔を向けた。

「……近い。聞いてない」

「狭いとは言ったぞ」

「これほどとは思わなかった……」

 演奏会に関わるある演出の為にラウラは同乗を申し出てきたのだが、本来はそもそも乗る必要はない。しかしなぜか納得せず、『アリサも乗ったことがあるらしいし、これでイーブンだろう。……い、いや騎神の内部にも興味があるから? 私は騎神に興味深々なのだ!』と、よくわからない理由を持ち出してきて、強引に乗り込んできてしまった。

 吐息が触れあうほどに密着している。ふと上品な甘い香りがした。香水だろうか。ラウラもそんなものを使うんだな。

『心音増大、脈拍上昇、発汗感知、マダダ、マダ上ガッテイク。コレハスゴイ。コノ反応、心身ニ異常ヲキタシタモノト判断――』

『うるさい』

 二人同時にヴァリマールを一蹴する。モニターに一瞬グラフが映し出され、すぐに消えた。この状況に伴うバイタルサイン変動の推移のようだった。とんでもないデータを取られている。間違ってもカレイジャスに送信されないよう、あとで強く注意しておかなくては。

 モニターの角度が変わる。吹奏楽部が配置についていた。

 部長のハイベルが一礼をする。まばらな拍手。前口上もなく、演奏は静かに始まった。

 ハイベルがチェロ、エリオットがヴィオラ、ブリジットが第一バイオリン、ミントが第二バイオリンの弦楽四重奏だ。

 バイオリンに慣れないミントを、ブリジットがさりげなくリードする。ハイベルの力強いメロディに、エリオットが滑らかな曲調を加える。

 時に激しく、時に柔らかく、互いが互いをカバーするように、その旋律は鮮やかに流れた。

「リィン」

「ああ、やろう」

 ラウラとリィンは《ARCUS》でリンクする。騎神リンク発動。核が赤い光に包まれ、ヴァリマールに《ブレイブ》の特性が宿った。

 《ブレイブ》は主に物理攻撃特化の際に使用するが、このマスタークオーツの能力はそれだけではない。

 リィンは火属性のアーツの威力をギリギリまで弱めて、それをヴァリマールを中心にして広範囲に拡散させた。押し拡がった温かな空気が、町全体を包み込む。太陽にも似た橙色の輝きが、虚空を舞った。 

 ケルディックにだけ、春が訪れたかのようだった。

 人々のうつむけていた顔が自然と上がる。座っていた人が立った。泣いている人もいた。彼らの胸に、音楽が届いていく。

 そして演奏が終わった。吹奏楽部の四人が頭を下げる。今度は大きな拍手が起きた。鳴りやまない拍手は、いつしか町中に広がっていた。

 これで町の状況が変わるわけではない。失ったものが戻るわけでもない。それでも、少しでも前を向くきっかけになるのなら。

『コノ為ニ、私ヲ呼ンダノカ』

 ヴァリマールが言った。

「それもあるけどな」

『他ニモアルト?』

「下を見てくれ」

 ヴァリマールの足元に三人の子供たちがいた。ケルディックが襲われたあと、ヴァリマールに石を投げつけていた子供たちだ。

『んー、これ聞こえてるの?』

『でっか……』

『今さらビビんなって』

 などと、こそこそ話していて、その内に一人が言った。

『……あのさ。この前は機甲兵? っていうやつ、追い払ってくれてありがとう。俺、知らなくて……石も投げてごめんな』

 三人ともぺこりと謝る。

 リィンはヴァリマールからかすかな戸惑いを感じた。

『リィン、コレハ……?』

「わかってくれたんだろう。ヴァリマールは機甲兵と違うって。それを知って欲しかった」

『………』

 身をかがめたヴァリマールは、子供たちに両手を差し出した。それはリィンの操縦ではなかった。

『乗ルカ……?』

 子供たちは驚いたようだったが、やがて躊躇しながらも騎神の手のひらに順番に乗った。

 ヴァリマールは立ち上がると、腕を高く掲げた。

『すっげー! 遠くまで見える!』

『風車だ! あれ、うちの風車だぞ!』

『二人ともあんまり動かないでよ~!』

 大喜びだ。楽しそうにはしゃいでいる。

『……笑ッタ』

「しばらくそうしてやってくれ。落とすなよ?」

『承知』

 騎神がどうやって作られたのか、その理由も知らない。でも心がある。騎神は機械仕掛けで、ただ力を行使するだけの存在ではない。少なくともヴァリマールは違う。そう信じたい。

「優しいな、そなたは」

 ラウラがつぶやいた。

「リィン、午後の予定は?」

「特には何も。訓練室で稽古でもしようと思っていたけど」

「それはキャンセルだ。私のために時間を空けて欲しい」

「構わないぞ。どうしたんだ?」

 稽古をやめてくれとは、なんとも珍しい促しだ。そういえばラウラは俺に〝聞きたいことと、伝えたいことがある”と言っていた。そのことだろうか。

 彼女は一度口ごもり、さらに一拍置いて、

「うん。今日は私とデートをしよう」

 そう告げられた。

 

 ●

 

「だから無理をするなと言っただろう」

 ふらついたロジーヌの体を、ユーシスはとっさに支えた。演奏会の終わった広場を横目に見ながら、町の西側に向かって歩いている。

 教会から大した距離を移動したわけではないのだが、ロジーヌはここまでに何度もつまづいてこけそうになっていた。

「ごめんなさい……」

 と、あまり血色のよくない顔を上げる。本来なら絶対安静だ。意識を戻してから、まだ医師にも看てもらっていない。いつもの修道服に着替えてはいるが、横付けのボタンを一人で留められないほど、指先の感覚も戻っていなかった。

 元締め宅はもう見えていた。ロジーヌの歩調に合わせて、ゆっくりと扉前まで進む。そこに近付くにつれ、足が重く感じた。

 ノックはロジーヌがした。やがて家の中から足音が聞こえてきて、内側からドアが開かれる。

「はい、どちらさま……?」

「おばさま。ロジーヌです。ご心配を――わっ」

「ああ、女神よ!」

 その姿を見るなり、ペルムは勢いよくロジーヌを抱きすくめた。何度も頭を撫でまわして、体の不調を確認している。

「お、おばさま、私なら大丈夫ですから」

「ああ、ごめんね。よかった……よかった」

 ロジーヌから離れると、ペルムはユーシスを見た。すぐに態度を変え、うやうやしく礼をする。

「ユーシス様もわざわざ足をお運び頂いて。オットーも喜んでいると思います」

「俺は……」

 いざペルムの前に立つと、言葉は出てこなかった。謝罪でさえおこがましい気がしていた。

「オットー殿は……その……」

「葬儀は滞りなく済みまして、今は町はずれの集合墓地に」

「……そうか」

 指先が冷たくなる。喉が乾く。何も言えないでいるユーシスに「あなたが気に病むことではありませんよ」と、ペルムは諭すように言った。

「あの人の最期は聞き及んでいます。オットーは自分の意思であなたを守ったのでしょう。そこに後悔はなかったと思います」

 それはそうなのかもしれない。でも違うんだ。ずっと心に刺さったままの棘はそれじゃない。

 もしも、最初にリィンたちに同行するタイミングを遅らせていれば。もっと早い段階で父の凶行の予兆に気付けていれば。

 過去の分岐次第では、この状況を生み出さずにすんだのではないか。そしてその分岐に俺は関わっている。俺の選択次第で、オットー殿は命を失わずにすんだのではないか。

 詮無い思考だとは百も承知だ。それでもそう思ってしまう。

 だとしても詫びれることではなく、ユーシスは無言でいるしかなかった。

「………ユーシス様。しばしの不敬な態度をお許し頂けるでしょうか?」

 急にそんなことを言われ、ユーシスはわけもわからずうなずいた。ペルムは一度深呼吸をして、

「しっかりしなさい、ユーシス君!」

 ばんと強く両肩を叩かれる。電気が走ったかのようだった。

 あの時のオットーと同じ。領民が領主子息に向ける言葉ではなくて、大人が子供に繋いでいく言葉――

「私も、主人も、ケルディックの人たちも、誰一人あなたを責めてなんかない。恨んでなんかない。あなたも自分を恨んじゃだめ」

「オットー殿にも『恨まなくていい』と言われた……言われました」

「そうでしょう。私でもそう言うわ。あなたは優しいから、自分に責任を感じるはずだから」

「町になにも、できませんでした」

「ケルディックの負担を少しでも減らそうと、ヘルムート様に何度も減税をかけあってくれたことを、私たちは知ってる」

 ペルムはそっとユーシスを抱き寄せた。

「お父さんに剣を向けたんでしょ。つらかったね」

 目頭の内側が熱くなる。優しい心音が聞こえる。なんで俺にそんなことを……。

「ロジーヌちゃんもおいで」

 もう一度ロジーヌを呼ぶと、ペルムは二人を抱きしめた。

「二人ともよく聞いて。あの人の分まで生きようとは思わないこと。それはどこかで枷になってしまうから。重荷は背負わずに、あなた達はあなた達の人生を生きなさい」

 ペルムの顔は見えない。声が揺れている。多分泣いている。

「そしてどんな形でもいい。いつかちゃんと幸せになるの。それだけが、私と主人の願う全て」

「……おばさまから教わった調薬の仕方、必ず役立ててみせます。多くの人を助けてみせます」

「ロジーヌちゃんならできるわ。もう行くんでしょう? また顔を見せに戻っておいで。次は特製ハーブティーの淹れ方を教えてあげるからね」

 その手が離れていく。ペルムは咳払いをすると、口調を元に戻した。

「ユーシス様もこれからお忙しくなると思いますが、時々はケルディックにお立ち寄り下さい。町の人々も喜びます」

「……痛み入ります」

「それと」

 こほんこほんと咳払い二つ。

「大変な時ほど、そばで支えてくれる人は必要なもの。器量よし、気立て良し、そこにいるだけでメンタルが癒されるわけです」

「はあ……?」

「お、おばさまっ、またそういうことを!」

 疑問符が頭に踊るユーシスのとなりで、ロジーヌはあわあわと口元を押さえた。

「それも含めての幸せってことです」 

 ペルムは快活に笑ってみせる。《ブレイブ》の特性の残滓だろうか、温かな光が空へと昇っていくのをユーシスは見た。

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《芸術乱舞⑥》

 

 デートとは一体。

 およそラウラの口から出たとは思えない言葉に、リィンはしきりに首をひねる。

 稽古とか決闘とかの同義語だろうか。しかし稽古は休めと言われたし。とすれば、やはり言葉通りの意味なのか……?

 待ち合わせはバリアハート空港のゲート口に、あと一時間後。

 どうにも落ち着かない心地のリィンは、整備ドックを訪れていた。例のデータの流出を防ぐためにヴァリマールへの釘刺しと、あわよくばデータ自体を消去するためだ。

 どういう気の回し方をしたのか、その際の核内部の画像も取ったのだという。グラフデータとセットで医師に提出し、診断を受けるよう勧められたが、なぜだろう。その機密データがシャロンの手に渡る未来しか見えない。

 ドックはいつにも増して忙しそうだった。ジョルジュを筆頭に、作業クルーたちが慌ただしく走り回っている。

 《レイゼル》の点検修理のようだ。フルストームモードとかいう機能を使用した際に、ほとんどの武装をパージしたらしい。その再接続テストだろう。

 それともう一つ。レイゼルにそこまでの奥の手を出させた敵機――《ケストレル・ビヴロスト》も現在はカレイジャスに回収されていた。ヴァリマールの空間転移で運んだので、これは正規軍はもちろん、事後処理に立ち会ったクレア・リーヴェルトも知らないことだ。公式には、ケストレルはレイゼルとの戦闘で大破したことになっている。もっともクレア大尉のこと、その残骸がないことに疑問を感じているとは思うが。

 ドック内を奥に進む。

 ヴァリマールの待機場所のすぐそばに、横幅の広い大きな台があった。台の上に安置されているのが、氷霊窟で採取したゼムリアストーンだ。不可思議な光を滲ませる巨大な石柱の前で、リィンは足を止める。

 騎神の太刀となり得る材料。しかし唯一これを加工できるシュミット博士は、アルフィン殿下が女神の御許に特急便で送ってしまった。今なおルーレ総合病院で治療中である。

「シュバルツァーか。何をしている」

 不機嫌そうな声に呼ばれ、リィンは振り向く。クララがすぐ後ろに立っていた。

「ちょっとヴァリマールに用事がありまして。そのついでに、これも見に来ました」

 ゼムリアストーンを一瞥する。クララが声をかけてくることは滅多にない。そういう時は大体脱がされるのだと、ガイウスから教えてもらったことがある。まさか俺はここで脱がされるのか。絶対撮るなよ、ヴァリマール。

「ああ、そういえば有効な加工手段とやらをノームが調べていたな。どうでもいいが」

 ノームとはジョルジュ・ノームのことだ。手掛かりはまだ見つかっていない。

「ちょうどいい。貴様に用がある。そいつを見ろ」

 クララの目線がヴァリマールに移る。リィンも倣って、騎神を見上げた。特に変わった様子はない。

 ここで何もないと言うとクララから怒られるので、近付いてよく観察してみる。

「ん……?」

 灰色の装甲に無数の傷が走っていた。オーロックス砦での戦闘時のものか。演奏会に彼を呼んだ時は気付かなかった。

 しかし妙だ。この程度のダメージなら二日もあれば回復するはずなのに。実際、黒竜関戦のあともそうだった。

「回復の速度が、機体の損傷に追いつかなくなってきている」

「なんで今になって――」

「お前が原因だ」

 クララが押しかぶせた。

「戦闘報告書には目を通した。リアクティブアーマーに接触し、素手で無理やりこじ開けたそうだな。その直後に三種のマスタークオーツを合成した能力も使った。今までの戦闘履歴からすれば、下手をすれば命を落としかねないほどの消耗になっているはずだ」 

 その通りだ。そういえばアリサにも〝どうして平気なのか”と問われた。自分では力の扱いに慣れたものと思っていたが、もしそうでないとしたら、なぜ俺は平然としていられるのだ。

 いや、答えは一つしかない。

「ヴァリマールが俺にくるはずの反動を全部引き受けたから……?」

「そう。お前の無茶に付き合わされた挙句に、本来お前が受けるべきしっぺ返しまで食い止めたせいだ」

「そんな……」

 今は内部フレームを優先して修復しているそうだ。外装の回復までは、まだかなり時間がかかるという。

『気ニスルナ』

 会話を聞いていたらしいヴァリマールが口を挟んだ。

『私ノ判断ダ。ソレガ適切ダト思ッタ。主任モ、リィンヲ責メナイデ欲シイ』

「自分の体が壊れても戦いたいか」

『戦ッテ、起動者ノ脅威ヲ払ウコトガ私ノ役目ダ。ソノハズダガ……』

 双眼に光が揺れる。

『水ノちからデ、町ノ火ヲ消シタ。けすとれるノ異常加熱ヲ止メタ。火ノちからデ、冷エタ町ヲ温メタ。戦イノ是非ハ問ワナイ。ダガ何ノ為ニ戦ウカハ、考エルヨウニナッタ』

「ふん。思ったなど考えるなど、人がましいな、相変わらず。いや、前よりも悪化した」

『良クナイコトダロウカ』

「私の知ったことか」

 クララの三白眼がリィンを射竦めた。

「あと二回。この頻度で戦闘をするなら、私の見立てではヴァリマールが戦えるのは、回復量を考慮してもあと二回が限界だ。それ以上は機体かお前かが終わる。それほどダメージは深刻だ。人間でいえば、筋肉が断裂し、体中の骨にヒビが入っている状態だと思え」

 彼女がヴァリマールを名前で呼んだのは、リィンが知る限り初めてだった。

 あと二回。それが俺がヴァリマールと共に出撃できる回数。たったの二回で、みんなを、カレイジャスを守り、クロウの元へたどり着かねばならない。しかも機体ポテンシャルが万全でない状態で。

 できるのか、そんなことが。

 ただでさえ困難な道のりが、とうとう塞がれたように思えた。

「お前たちの新たな太刀を作ってやる」

「え」

 いきなり言われて、呆然とする。

 クララが舌打ちをした。

「聞こえなかったのか。ゼムリアストーンの太刀を作ると言った」

「き、急になんで? いえ、第一どうやって……? クララ先輩は加工の仕方を知ってるんですか!?」

「知らん。極めて特殊な鉱石だそうだが、鉱石には違いないのだろう。誰がウォーゼルに技術を伝えたと思っている」

「技術って……もしかして」

「ノームを呼んで来い。作業の土台と工学的な知識がいる。今日から睡眠はなしだとも伝えろ」

 クララは金属製の杭とノミを手にした。

「ゼムリアストーンの〝石の目”を、私が打つ」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――another scene――

 

《☆バリアハートでクロスハート☆》

 

 

 モニカはガレリア駐屯地、ポーラはケルディック方面、ブリジットはバリアハート。

 トリスタ襲撃以降、散り散りになってしまった彼女たちが、ラウラを中心にして顔をそろえたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 それは演奏会の前日の夜。すなわちアランとブリジットが合流した日の夜のことである。 

 カレイジャス3Fの談話スペースで、ラウラたちは再会談議に花を咲かせていた。

「三人ともトリスタを出ていたのには驚いた。しかし共に行動していたわけではなかったのだな。なんにせよ無事で良かったが」

 ラウラが言うと、モニカたちは下を向いた。空気がずぅーんと重くなる。

「本当はね、一緒に逃げようとしてたの。実際途中までは一緒だったし」

 モニカの表情が死んでいる。思い出したくないことがあるかのようだ。

「そうか。大変だったのだな……」

「大変だったというか、変態だったというか、大変な変態だったというか」

 いつもは勝気なポーラでさえも、生気を失った遠い目をしている。何があったのか、誰も詳しく語ろうとはしなかったが、「二度とアランに会えなくなるところだったわ……」とつぶやくブリジットの精神的ダメージが一番大きそうだった。

 そのことに触れたくなかったのか、ブリジットは話題を変えた。

「そうそう。みんなに紹介したい人がいるの。出てきてちょうだい」

「あはは、どうも」

 物陰に隠れていたコレットが、ひょこっと顔を出す。

「バリアハートで偶然出会ってね。ハウスキーパーのサポートとか、すごく助けてくれたのよ」

「みんなの顔は知ってるけど、学院じゃあんまり関わりなかったもんね。これから仲良くしてくれると嬉しいな。ポーラは同じクラスだけどね」

 言いながらコレットは席につく。

「ラウラさんもよろしく。あ、みんなと同じでラウラって呼んでいい? 友達の友達は友達ってね」

「もちろん歓迎だ。敵の敵は味方という言葉と同じだな」

「うん、それ違うね」

 コレットを交えて、五人で話が盛り上がる。乙女の必然というべきか、次第にテーマはこれへと移っていく。

「みんなどうなの。戦火の中で燃えるような色恋沙汰はないわけ?」

 ポーラがそんな話を振った。

「私は特にないねえ」とモニカは肩をすくめ、「そんなこと急に言われても」とブリジットは焦り、それを訳知り顔のコレットが楽しそうに眺める。

「わ、私もないぞ」

 ラウラが便乗すると、彼女以外の目が一斉に集中した。

「え、今の感じって?」

「ついに? ついに?」

「うそ、ほんと?」

 コレットをのぞく三人は、そっち方面に疎いラウラのために、料理指南をしたり、シチュエーション設定をしたり――いずれも不発に終わってはいるが――と色々気を揉んでいたのだ。

 散々質問攻めにされて、耐えきれなくなったラウラは真っ赤になって逃げようとして、しかし取り押さえられて、『ネタは挙がってんだよ』的な憲兵隊まがいの容赦ない尋問の果てに、とうとうリィンに対する気持ちを自覚したことを打ち明けた。というより白状させられた。

 それはもうすごい騒ぎだった。

 ラッパがあれば艦内中に響き渡るぐらい盛大に吹き鳴らしていただろう。カレイジャスをハイジャックして、空中から東部全域に祝福の紙吹雪を舞わせる案も出たほどだ。夏至祭もかくやというハイテンションだった。

「ああぁ~、言うな。頼むから大きな声を出さないでくれ! 人に聞かれる。そんなのいやだから……」

「お願いしますは?」

「うあぅ」

 スイッチの入ったポーラが、ラウラのあごをクイっと人差し指で上げる。完全に主導権を握られ、「お願いします……」と従順な瞳を潤ませたラウラに、「ああ、それ。すごくいい」と女王様は身震いをした。

「はいストーップ」

「そこまでにしましょ?」

 嗜虐のオーラをまとい始めたポーラ様を、こなれた感じでモニカとブリジットが止める。

 苦笑しつつ、コレットが訊ねた。

「それじゃ、ラウラはリィン君にアプローチとかしてるんだ?」

「……稽古に誘ったり、剣の話をしたり、あとは料理を作ったりしてるが……」

 料理と聞いたモニカたち三人が青ざめるが、コレットにその理由まではわからない。

「ダメだよ、もっと女の子らしい話をしなきゃ。料理は悪くないと思うけど、リィン君って鈍感そうだから、もっと押さないと気付かないんじゃないかな」

「女子らしい話と言われても困るのだが……。押すというのもよくわからない」

「女子が女子らしい話で困るって言われる方が困るよ。でも押すっていうのは簡単」

「ほう。というと?」

「デート」

「でえと?」

 ラウラはしばし考え込み、もう一度聞き返した。

「それはあれか。男女が二人で出かけるというあれか。あのデートか」

「そのデートだね」

「む、無理」

 道場での稽古なら問題ない。広場で乗馬するのもいい。並木道の散歩も悪くない。

 だがコレットが言うのはそういう類ではない。

 遊び目的で出かけ、ショッピングを楽しんで、おしゃれなディナーの雰囲気に酔い、二人で寄り添い夜空を見上げる――恋愛小説にもれなく登場しそうなシチュエーションのことだ。

 そんな場にいる自分を想像したラウラの頭から湯気が昇る。オーバーヒート寸前の彼女に、コレットはさらに詰め寄った。

「向こうが気付いてくれるのを待ってたら遅いよ。動かなきゃ進まないんだから。誘っちゃおう。ね?」

「ど、どう誘えと言うのだ!」

「明日に演奏会を企画してるんでしょ。まずはそこで二人っきりになる方法を考えよう」

「それこそどうやって……」

 いや、ある。今日の打ち合わせで、演奏中にヴァリマールと《ブレイブ》を繋いで、ケルディックを温かくしようというアイデアが、エリオットから出されたのだ。

 本来は外部から騎神リンクを発動すればいいが、準契約者なら騎神に乗り込むことができる。

 おそるべきはコレットの提案力だ。怒涛の勢いに押し切られてしまう。この手の話題の踏み込み加減は、他の三人よりもはるかに強い。

「仮にそこで誘ったとしても、私はデ、デ、デートなんかしたことがないぞっ」

「それは安心して。私たちが全力でバックアップするよ。職人通りのみんなから色んなアイテムをもらってきてるしね!」

 コレットはモニカ、ポーラ、ブリジットを順に見る。後方支援は整っていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 




《青い空に白の花を》にお付き合い頂きありがとうございます。

トリスタを出た生徒たちはロジーヌのカレイジャス乗艦をもって、ようやく全員合流となりました。同時にユーシスの気持ちにも、これでしっかり区切りがついたのだと思います。

ヴァリマールの新たな剣はクララ部長の手に委ねられましたが、故に製法はゲーム本編とは異なってきます。寝不足のジョルジュ先輩は、いよいよ眠ること自体を禁じられました。

そろそろバリアハート寄航日も大詰めです。次回はお嬢様のターン。引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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