事態が短時間で収拾できたのは、その場にユーシスがいたことに加え、ハモンドが買い出しから帰ってきたことも大きかった。
騒動の収まった《ソルシエラ》のテーブルの一つに、騒動に関わった人たちが座っている。
何はともあれ、まずは状況の整理と情報の交換が必要だった。
「わかった。つまりこういうことだな」
マキアスが全員の話を取りまとめる。
アランとロギンスは諸々の弁済をするために《ソルシエラ》で働いていた。先ほどは客のクレーム対応をしていてヒートアップした。
ブリジットはバリアハートの貴族の屋敷でハウスキーパーをしていた。いつも手伝ってくれるコレットへのお礼も兼ねて、今日は《ソルシエラ》に出向いてきた。
マキアスとユーシスは積もる話もあったので、ランチがてらに《ソルシエラ》まで足を運んだ。
そして全員が鉢合わせた。そういうことらしい。
「結局これからどうするのだ。カレイジャスへの乗艦は問題ないが、そちらの事情は」
図らずも合流となった二組に、ユーシスが今後の意向を確認する。
まずはコレットが言った。
「私は乗ろうと思ってるよ。ただ職人通りでお世話になった人たちに挨拶はしたいから、早くても今日の夕方以降かな」
少し悩んだ様子でブリジットが続く。
「私も同乗したいけど、あの子たちを置いてはいけないし……どうしようかしら」
なぜかアランに目をやり、すぐに視線を外す。
ロギンスは横に座るアランの脇を肘でつつき、「この娘がブリジットなんだな?」と小声で訊いている。先輩がなにか余計なことを口走らないかと、アランは気が気でないようだった。だからなのか、彼は先に自分から口を開いた。
「俺とロギンス先輩も合流自体に問題はないんだけど、色々と弁済しないといけないものが多くてさ。もう少し時間かかりそうだよ。ですよね、先輩」
「ん、おう。絨毯また変えなきゃいけねえしなあ」
近くのテーブルの足元には、消えないスープの染みが残ったままである。ロギンスとトラブルになったクレーマー客の仕業ではあるが、そこはやはり彼の対応にも原因の一端はあったりした。
ユーシスはこれまでの分と合わせた概算被害総額を聞いて、「……ふむ」と腕を組む。
「なんなら俺がオーナーに口利きしよう。弁済に関してはどうとでもなる」
「ユーシス、それはよくない」
ハモンドはユーシスの叔父だ。その関係を知っているのはこの中ではマキアスだけである。賛成はできなかった。血縁を頼りに無理を通すのはどうしても気が引ける。
「僕に任せてくれ。ちょっと掛け合ってくる」
そう言って立ち上がると、マキアスは走って店を出て行った。
その40分後に彼は戻ってきた。上着の内ポケットから取り出したA6サイズの小さな用紙をテーブルに置く。
ユーシスはしかめっ面でそれを見下ろした。
「これは資金運用許可書か? カレイジャスで使用しているものだな」
「その通りだ。経費で落とせないか、アルフィン殿下に直談判してきた。ほら、正式な認可も頂いている」
用紙の下部に『Alfin Reize Arnor♡』と可愛らしいサインが書かれていた。ハートマーク付きだ。
「お前ちょっと待て。額の欄が空白だぞ。決裁金額の記載もないまま、サインをして頂いたのか?」
「もちろん経緯は説明しようとしたさ。けど一秒で『承諾しちゃいますっ』ってペンを持たれて……」
「トワ会長には話を通したのか? あとで叱責を受けても知らんぞ」
「していない。殿下の認可とはいえ、やはりまずいか……」
「店側に請求書を発行してもらって、改めて会長に申請しろ。それが無難だ」
「……そうだな。そうするか」
至極まっとうな提案に、マキアスも同意せざるを得なかった。
肩をすくめるユーシス。
「経費運用におけるアルフィン殿下の判断の迅速さには何かと助かっているが……それは経費の出所がオリヴァルト殿下だから迷わないのだろう」
「兄の財布を躊躇なく開く妹っていうのは凄まじいよな……。しかも皇子殿下だし。僕たちには真似できそうもない」
「まったくだ」
話もまとまり、ユーシスはハモンドを呼んだ。事情を説明し、請求書を用意するように頼む。
ほどなくハモンドは《ソルシエラ》の請求書を持ってきた。
「では請求先の宛名はどうしましょうか?」
「ああ、そうだったな」
カレイジャスは組織名ではないので、それは書けない。今さら思い至り、ユーシスとマキアスは顔を見合わせ、シンクロしてうなずき、異口同音に言った。
『オリヴァルト・ライゼ・アルノールで』
《☆☆ブリッジオブラブ A⇔B★★》
つまるところ、もっともカレイジャスに乗りにくい状況にあるのはブリジットだった。
彼女にハウスキーパーを任せているハンコック男爵夫妻の元々の話では、12月の下旬――すなわち、もうまもなく屋敷に帰ってくる予定ではあるそうなのだが。
ただ子供たちの両親が戻ってきたとしても、ブリジットは容易に家を出られないという。理由は一つ。
「アラン一人に任せて大丈夫なのか……?」
マキアスは窓の隙間から、心配そうにリビングの様子をうかがう。ハンコック邸の庭の裏手に控えるのは、彼の他にはユーシスとロギンスだった。
「わからんが、適役というのなら仕方あるまい」
「男見せろよ、アラン」
成り行きを見守るしかないユーシスに、やたらと強い押しでアランを送り込んだロギンス。尚、コレットは件のあいさつ回りで離脱している。
アランはブリジットのとなりで、リビングのソファに腰かけている。その二人に対面して同じくソファに座るのは、三人の子供たち――姉のシュザンヌ、弟のカテル、妹のハイネだ。
子供たちはブリジットお姉様が大好きだ。しかるに両親が帰って来ても、彼女がいなくなるとなれば大泣きする。できれば納得の上で送り出して欲しいというのが、ブリジット自身の気持ちであった。
そういうわけで、前もっての説得である。そして第三者側の説得役として、白羽の矢が立ったのが幼馴染のアランなのだった。
子供たちに事情を説明するアランは、近い内にブリジットがカレイジャスに乗り込むことを告げた。
「アランさんとか仰いましたね。話は以上で?」
長女のシュザンヌがソファの背もたれを軋ませる。どこか冷えた口調だ。
「ああ。だけど心配はいらないよ。だからみんなも笑顔でブリジットを見送ってくれたら――」
「一つ」
人差し指をピシッと立てて、シュザンヌはアランの言葉をさえぎった。
「心配いらないと言いますが、根拠が見えません。危険ではないのですか?」
「えっ? それは……カレイジャスは最新機だし、色んな装備もある。専門的な知識を持つクルーも多くいるから」
「はあ、違いますわ。あなたはどうなのです。ブリジットお姉様をお護りできるほどの実力はなさそうにお見受けしますが」
ずばっと切り込むシュザンヌの目は敵意に満ちている。彼女だけではない。細かな話は理解できないものの、ブリジットが連れて行かれると認識しているらしいカテルとハイネは、すでに泣きそうになっていた。
「ははは、大丈夫だ。フェンシングの心得ならある。学院に入学して、ずっと真面目に練習していたからね」
「大会などでの実績は?」
「……いや、特に」
「お話になりません。しかも学院に入学してって、まだ半年でしょう。素人がサーベルの扱いに慣れたぐらいで一端の剣士気取りだなんて勘違いも甚だしいですね。ご自身の実力を正しく把握できなければ、戦場での引き際を見誤りますわよ」
「す、すみません」
言葉の刃がアランを串刺しにした。若干傷つきながら、ブリジットに小声で訊ねる。
「この子、いくつなんだ?」
「11歳よ。変ね、普段はこんなこと言わないんだけど。どこでこんな言葉を覚えたのかしら……」
すまし顔のシュザンヌは、さらに質問を重ねてきた。
「あと一つ。あなたはブリジットお姉様とどのようなご関係でして?」
『えっ!?』
アランだけでなく、ブリジットもビクッと反応する。
「そ、それは……子供の頃からの幼馴染で」
「ふーん。昔からのお友達、ですか。その関係はこれからも同じということですか?」
ビクビクッと二人の姿勢が否応なく正される。「な、何を言うの?」と焦るブリジットは、しかし横目でちらりとアランを見やった。アランは答えられない。
「ちょっと待ってくれ。これなんの質問なんだよ……」
「失礼ながらアランさん。あなたの所得は? 一か月単位で結構です」
「いや、俺学生なんだけど!」
「では将来の見通しはいかがです。どのような進路をお考えで?」
「まだはっきりとは……とりあえず正規軍への入隊は考えてたけど」
「何年目で昇進なされるご予定ですか? その時に推薦してもらえるようなコネクションの構築はいつ頃までに?」
「わかるわけないだろ!」
「甘い。人生設計が」
八葉一刀流並の鋭さだった。窓の外で聞き耳を立てるマキアスたちも絶句である。
精神的ダメージが甚大なアランに、シュザンヌはとどめの一撃を放った。
「お引き取り下さいませ。あなたにお姉様はお任せできません」
「強敵過ぎる……」
「あれは僕にも無理だ。最近の子供ってませてるんだな。さっき玄関先に塩を撒いてたぞ」
「なんか東方の風習らしい。意味は知らないけど」
「ま、あまり気にしないことだ」
マキアスはがっくりと肩を落とすアランを励ました。子供たちをなだめ付かせるブリジットを残して、男性陣はカレイジャスへの帰路についている。
ロギンスがアランの額を小突いた。
「お前もお前だぜ。なんではっきり言わねえんだ。『俺の女だ。文句あんのか、ガキ共』ってな」
「な、ななな!? なんですか、それ!?」
「はあ? ブリジットに会ったら告白するって言ったろ。絶好のチャンスだったじゃねえか」
マキアスの目が驚きに開く。
「そんなところまで話が進んでいたなんて……僕はアランを応援するぞ!」
「違うって! ロギンス先輩が勝手に言っているだけで!」
「てめえ、俺のこれまでの指導を無駄にする気か」
メキメキと拳に青筋が浮き上がる。アランはことあるごとに、ロギンスから半強制的な恋愛指南を受けていたのだ。知識が偏っているのか、ちょっと古めのシチュエーションばかりだったが。
「しかし解決できるのか? あの子たちの両親が帰ってき次第、無理やり出て行くことは可能だが、それは彼女が望まないのだろう」
騒々しい彼らを、ユーシスが当面の問題へと軌道修正する。
ふうむ、と全員が考え込んだ。相手は子供なのだ。理屈で押して、納得するようなものでもない。
カレイジャスが停泊している空港に差しかかった辺りで、「そうだ!」とマキアスが声を上げた。
「要はアランが認められればいいんだな。いい方法がある」
「また妙な思いつきか。問題ないのだろうな?」
「大丈夫だ。それにこの方法はユーシスも知っているぞ。子供相手に正攻法でいくことはないんだ」
「……お前、まさかまたあれを」
思い当たるものがあったようで、ユーシスの頬が引きつる。「他に手段は思いつかない」と断言し、マキアスは足を早めた。
午後一時。空では黒と白の戦術殻が錯綜し、インコの甲高い鳴き声が響いていた。
●
「なるほど。それで私のところに」
ビリヤード台から離れ、エマは言う。
転移術の練習をしていたらしい。先だっての飛行船ハイジャック事件以降、彼女は術の特訓にさらに取り組むようになった。『このままじゃ、男子のみんなが……』と不穏なことを時折呟きながら、必死で力を身に付けようとしている。
にわかに騒がしくなった場をうっとうしく思ったのか、エマの練習に付き合っていたセリーヌは遊戯室を出て行ってしまった。
「どうか僕たちに協力して欲しい。アランの力になりたいんだ。あの時のように」
マキアスの言う〝あの時”とは、数か月前、アランとブリジットのデートを影ながら支援しようとした時のことである。
「その際の顛末は後日に私も聞きましたが、失敗してますよね?」
「うっ。あ、あれはみっしぃが……」
デート中の雰囲気を良くしようと様々な仕掛けを施したものの、突如現れた謎のみっしぃにことごとく邪魔されたのだ。しかもその正体はクラスメートの一人だった。
「今回は小さな子供たちを巻き込むのでしょう? 下手に失敗すると、アランさんの印象がもっと悪くなってしまうかもしれません。そうなれば、彼らの好意的な意思をもってブリジットさんを送り出してもらうという目的が、完全に達成不可能になります」
「そこをなんとか――」
「俺からも頼む」
ここでロギンスが、深く頭を下げた。
「アランのいいところをわからせてえ。ここ一番では頼りになるやつだって、ブリジットにも見せてやりてえんだ」
普段荒っぽいだけに、後輩のために頭を垂れる姿は、アランの胸にもくるものがあったようだ。目頭を押さえて、「ロギンス先輩……」と天井を見上げている。
上級生の嘆願を受けては、エマも断れない。彼女はうなずき、微笑んだ。
「顔を上げて下さい。わかりました。みんなで全力を尽くしましょう」
「おお……! 恩に着るぜ!」
「ですが前回以上に失敗できないのは言った通りです。ですので必要なメンバーを集めるのと――」
丸眼鏡がきらりっと光る。
「今回は私も出ます」
劇団ミルスティン再結成。一同が沸き立った。
ところ変わって、食堂である。
艦内の食材を消滅させんばかりの勢いで料理を平らげるマルガリータを、厨房のニコラスが一人で相手取っている。恐るべき手際で、あっという間に完成させた料理を、彼女の前に絶え間なく運び続けていた。手伝いのエミリーはアリサと外出中でいないのだ。
「ンゲフォッ。さすがはニコラス部長だわあ。我が家の専属調理士になって頂きたいぐらいよお」
「ははは、変わりないようでよかったよ。さあ、どんどん食べてくれ」
料理研究会の先輩だからか、さしものマルガリータもニコラスには無礼を働かない。もっともミリアムとのケンカ中は周りが見えなくなるらしく、気づかずにはね飛ばしたり、引き倒したりしたことは数えきれないほどあるが。
離れたテーブルに着くクレインは、タワーと化した皿の山を眺めていた。
「やべえな、あれは。何枚か皿もいっしょに食ってんだろ。口の中に工場に置いてあるようなプレス機あるぞ、絶対」
「あまり目を合わせすぎると危険です。Ⅶ組の男子全員で挑んで返り討ちにあったこともありますので」
「まじかよ……」
驚愕するクレインは、慌てて視線を正面のガイウスに戻す。
ひょんな出来事をきっかけに、彼らには交友関係があった。
飛行船ハイジャック時に合流して、そこからオーロックス砦戦と続いたので、二人で時間をとって話すのは久々だった。今はクレインの街道暮らしの話を聞いている。
「それにしてもクレイン先輩はどこでも変わらないというか、トリスタを出てからも色々と動いていたんですね」
「まあな。ハイベルといっしょにケルディック方面を抜けてクロイツェン州に入ってきたんだ。うやむやになっちまってるけど、兵士も二、三回殴ってるし、領邦軍には手配されたままだろうな」
「それは先輩にとって見過ごせないことがあったからでしょう」
「よくわかってるな。……やっぱガイウスしかいねえか」
「なにか?」
クレインは卓上に黒色のマスクを差し出した。
「話の中でも紹介したが、それが正義戦隊ジャスティスフォーの証だ。いや、お前が入隊してくれればジャスティスファイブになる」
「俺が正義の戦隊に……」
「実はついさっきもパトロール中に強盗を捕まえたところでな。クレア大尉――いや、ジャスティスブルーに引き渡してきたところだ。……どうだ。やってみないか?」
「ふふ、先輩の誘いに返事が必要ですか?」
「お前ってやつは……!」
ガイウスがマスクを手に取る寸前、
「やっと見つけたぞ!」
こけそうになりながら、マキアスが食堂に走り込んでくる。
「そんなに急いでどうかしたのか?」
「頼みがあって来たんだ。力を貸してもらえないだろうか」
「それは是非もないが、俺に頼みというのは?」
呼吸を整えて、マキアスは言う。
「君に魔王になって欲しい」
「……魔王?」と訊き返すガイウスに「そう、魔王」とマキアスは大まじめに肯定した。およそ日常生活では出てこないであろう言葉に「待て待て待て!」と、クレインが割って入る。
「おかしいだろ! なんで正義の戦隊に誘ってんのに、同時に魔王の勧誘が来るんだよ!? 逆だろ! 真逆の存在だろ!」
マキアスは眼鏡を押し上げた。
「申し訳ありません、クレイン先輩。そちらの事情は知りませんが、友人を助けるために僕たちには魔王が必要なんです」
「人助けに必要な魔王ってなんだ!? 断れ、ガイウス!」
「お、俺は……しかし」
困惑の極みのガイウスに、マキアスとクレインが詰め寄る。
「冷静に考えろ。お前は正義の体現者だ!」
「惑わされるんじゃない。君こそ魔王に相応しい人物だ!」
ガイウスの額にあぶら汗がにじむ。純粋な心が不意打ちの板挟みに苦しんでいた。
「くそっ、こっちは急ぎなんだ。悪いが来てもらうぞ!」
埒があかないと判断したらしいマキアスが、ぐいっと腕を引っ張って有無を言わせずガイウスを連れて行く。
後輩をみすみす悪に渡すまいとクレインが正義の何たるかを叫ぶが、工事現場のごときマルガリータの咀嚼音にあえなくかき消された。
●
「ふむ、役割の話だったか」
「無理やり連れ出してすまなかった。クレイン先輩にはあとで僕から事情を話しておくよ」
マキアスの説明には理解を示し、ガイウスも劇団入りとなった。
貸し切った訓練室には、他にユーシスとロギンス、そしてエマがいた。人数だけ多くても収集がつかない。ひとまずはこの四人で策を練る。
面々を見回して、ロギンスは首をかしげた。
「アランはどこ行ったんだ? あいつが主役みたいなもんだろ?」
「子供たちには会わないようにして、ブリジットさんのところへ。さすがに承諾はいりますからね」
マキアスがそう答える横で、ガイウスがユーシスに訊ねた。
「俺たちに付き合ってくれて大丈夫なのか? 立場上、やることも多いと思うのだが」
「ある程度は落ち着いたからな。アルノーもいるし、城館の方は問題ない。できればケルディックに向かいたいところだが……まあ、成り行きだ。割り切るしかあるまい」
エマが全員の前に進み出る。
「それでは皆さん。さっそくお稽古ですが、その前に確認をしましょう。目的はブリジットさんを快く見送ってもらえるよう、アランさんが子供たちに認められること。その為に必要なシナリオは――」
わかりやすくストーリープロットを語って聞かせる。内容は前回の踏襲というか、シンプルなものだ。
ブリジットを狙う悪いヤツがいて、それをアランが撃退する。話の柱はそれだけだった。
「配役はロギンス先輩が親玉的不良。ユーシスさんが参謀的不良。マキアスさんが狂犬的不良。ガイウスさんが魔王です」
「どんな世界観なんだ。そしてなんで僕はまた狂犬なんだ……。ならエマ君の役割は?」
「魔女です。悪しき魔女です。演じるのにちょっと抵抗はありますけど……がんばります」
不良と魔王と魔女は果たして同じベクトル上に存在していいものか。マキアスは疑問に思ったが、口には出さなかった。ストーリテラーはいつだってエマ団長である。
そして演技の先生も彼女だ。役割に応じた個別指導が入るが、これがまた厳しい。
「ロギンス先輩はもっと横柄に。普段の三割増しぐらいで丁度いいと思います。『あ?』とか『お?』などを会話に挟み、積極的に威嚇していって下さい」
「三割増しって、俺は元々そんなに横柄じゃねえよ。アランもそう思うだろ……ってアランいねえのか」
素直にロギンスは稽古に励んでいる。いないとわかっているアランをうっかり何度も呼ぶあたり、街道暮らしでの彼のパートナーぶりが窺えた。
「ユーシスさんは常に悪いことを考えて、表情に油断ならない雰囲気を出しましょう。あごの角度を傾けて、むき出しの見下し感を演出して下さい」
「むき出しの見下し……言いにくいな」
「言う必要はないですけど」
くいっくいっと挑発的にあごを上げて、不敵な笑みを口元に乗せる。いいマッチングだったのか、普段の彼との違和感がなかった。
「マキアスさんは尖兵です。唸って叫んで吠えて怖がらせて下さい。子供たちには申し訳ありませんが、どれだけ緊迫した空気を作れるかで、見せ場でのアランさんの印象が変わります」
「そ、そうか。まさに狂犬だが、僕にできるのか……?」
どうにも自信なさげに、目つきを悪くしたり、歩き方を工夫したりと四苦八苦する。
「ガイウスさんは……セリフを口に出すのが苦手でしたよね」
「ああ、しかしやらせて欲しい。俺も協力したい」
以前のヘイムダルの不良役でも、トリスタ教会でやった劇の王様役でも、彼は初めての演技に苦労した。セリフは棒読みになるし、下手に周りがアドリブなど入れようものなら、即座にフリーズである。
だが意気込みは無駄にできない。エマは魔王っぽいセリフをいくつか試しに入れてみた。
「では続いて下さい……『くくく……感じるぞ、淀んだ血を。懲りもせずにその血を流すことしか知らぬ愚かな人間ども。型にはまった仮初の平和など、この魔王が焼き尽くしてくれるわ!』……どうぞ」
「か……! ぬ……! は……っ!?」
一語たりともまともに出てこなかった。それでもガイウスはがんばる。単語にわけて確実な発声を続けていく。
エマの指導に妥協はなく、ついていく団員も演技の稽古に精を出した。
これなら明日には物になるだろう。誰もが手応えを感じ始めていた矢先のこと、
「た、大変だ!」
息を切らしたアランが訓練室に駆け込んできた。
「子供たちの両親が今日の夕方に帰って来るぞ!」
『今日の夕方!?』と、驚く全員の練習の手が止まる。
「手紙が来てたんだよ。屋敷のポストには今朝投函されてたみたいだが、ブリジットが気づいたのはさっきだ……!」
子供たちの両親であるハンコック男爵夫妻は、内戦下で自身の領地の様子を見に行っていた。
戦局が変わるに従い、彼の領地は戦域からも外れ、ひとまずの安全確保はできた。
バリアハートの情勢が変わったことを知ったので、急ぎ屋敷に戻ろうと思う。
子供たちに安心してもらえるよう、まずは手紙を出した。
要点だけ拾うと、こんな感じだ。
「まずいぞ、エマ君!」
「ええ……想定外です」
ハンコック夫妻が帰ってくれば、さすがに家に乗り込むことはできなくなる。両親がいるからお役御免で、ブリジットが快く送り出してもらえるという話でもない。後ろ髪を引かれながらカレイジャスに乗艦することを彼女は避けたいと思っている。
実際、夫妻さえいればハウスキーパーを切り上げて、乗ることは乗れるだろう。しかし今回に限って必要なのは、結果ではなく過程だ。
現在時刻は15時過ぎ。夕方というのが具体的に何時なのかはわからないが、17時と仮定するとあと二時間。
エマは決断した。
「このままやりましょう。話の大筋さえ頭に入れておけばなんとかなります。あと一時間半で詰め込めるだけ詰め込んで、敢行するしかありません。急がないと。扮装に使う小物の用意も必要です!」
「ちょっと待ってくれ!」
マキアスが言った。
「一時間半も費やすって!? 移動時間を含めると、そこまでの時間は取れないぞ!」
「邸宅までは私の転移術で向かいます。空港から貴族街までおよそ1.1セルジュ。二回の転移で到達できます。十秒も要りません」
ピリピリと空気が張りつめる。本番前の役者さながらの緊張感を、それぞれが滲ませていた。
「アランさんは先に行ってブリジットさんに再説明を! 以外のメンバーは全速力で劇の準備を!」
●
リビングには重苦しい空気が流れていた。
向かいのソファの左端にはハイネが、右端にはカテルが、真ん中にはシュザンヌが座っている。
「帰ったと思えば、また戻ってきたのですね。それでご用向きは?」
腕を組んだシュザンヌが、相も変わらず敵意に満ちた目でこちらをにらんでくる。
「い、いや。えーと……」
アランは口ごもった。
なぜ俺は11歳の少女のプレッシャーに押されているのだろう。
となりにはブリジットがいる。詳しい話をしたかったが、先に子供たちに捕捉されてしまったが為に、彼女には『今からちょっとした芝居が始まるから』程度のことしか伝えられなかった。
シュザンヌはツインテールの片側をくるくるといじりながら、
「優柔不断。目の前のチャンスをつかみ損ねる典型ですわね」
「うぐっ」
「ま、負けないで、アラン」
今ひとつ状況を把握できていないブリジットだが、とりあえず応援してくれている。
リビングの一角に柱時計があった。時刻は16時30分。そろそろか? そう思った時、窓の外にかすかな光が見えた。来た。転移術とかいう移動法だ。
作戦では不良に扮したマキアスが最初に入ってくる手はずになっている。しかしできるのか。ヘイムダルの時の不良役でもけっこうボロがあったのに、ことさら今回は急ごしらえ。不安しかないが……。
「ヒアーッハァーッ!!」
蹴り開けられた玄関扉から、絶叫と共にマキアスが突入してきた。
ワックスで固めた髪の毛は逆立ち、目線は左右で違う方向を向き、下品に舌を垂らしている。完全に非合法の薬物とお友達の面がまえだ。見ているだけで不快感を催す不規則な千鳥足に加え、どこで調達してきたのか右手には年季の入った斧を携えていた。
仕上がり過ぎだろ。なんだそのクオリティ。不良の域を突破して、もはや眼鏡の殺人鬼。確実に何人かは手をかけたであろう猟奇的な出で立ちに、ブリジットがわかりやすく身を引いている。
「ヒーッヒィ! ちょうどいいとこに女がいるなあ? ウィヒッヒー!」
下世話な声で甲高く鳴く。ブリジットの腕に鳥肌が立っていた。
マキアスがアイコンタクトをしてきた。
わかっている。予定通りお前と立ち回りを演じればいいんだな。そうこうしているとユーシスとロギンス先輩がやってくるから、それをまとめて撃退する。そのあとに上位の敵として魔女と魔王が出てくるから、それもやっつける。
なぜ不良や魔王がハンコック邸を狙って来たかの説明は不要だ。子供たちはそんなことを気にしない。
全てはシナリオ通りに運ぶのみ。
「わ、悪い人ですわー! ハイネ! カテル!」
しかしアランより先に、シュザンヌが動く。弟妹を連れてキッチンへ。しまった。怖がらせ過ぎた。役に入り込んでいるのか、かまわず「ウィッヒッヒー!」と眼鏡の殺人鬼はカクカクと気味の悪い動きでブリジットに迫っていく。
アランは焦ったが、シュザンヌたちはすぐに戻ってきた。
「ブリジットお姉様をお守りするのよ!」
「うん!」
「なの!」
子供たちはキッチンで調達してきた器具を一斉にマキアスに投げつけた。
まずパスタ用の麺棒が喉に埋まる。
「ウィッ!?」
続いてスープ用の鍋がみぞおちを叩く。
「ヒッ!?」
そして縦回転するフライパンが股間にめり込む。
「ヒィ……」
それぞれクリーンヒット。一つも外さず人体急所だ。青い顔をしてマキアスはうなだれる。内股のまま、くずおれてしまった。額を床にこすりつけながら、ピクピクと両肩を震わせている。気の毒としか言いようがない。
声をかけようにもかけられず、アランが立ち尽くしていると、新たな人影が戸口に現れた。
「ふん、生意気な子供たちがいるようだな?」
ドア枠に背中を預け、クールなポーズで登場したのはユーシスだった。予定の展開とは早くも違うものの、さすが状況に合わせた変更を入れてくる。彼はおよそ少年少女に向けるとは思えない悪意に満ちた嘲笑を浮かべていた。
「まとめて売り飛ばしてやるぞ。お前たちならばさぞ高く売れることだろう。そこのブリジットとやらも一緒にな」
エッジの利いたサングラス。オールバックの金髪。それだけでユーシスは近寄りがたい雰囲気を醸し出している。道を歩けばもれなく避けられる人だ。
「売り飛ばすって、どこへですの?」
「それは……あれだ。闇ルートを使って地下組織だろうな。すごく危険な……とにかく危ない地下組織だ。子供なんかは、特に危ないのだ」
急にふわふわした話になる。設定を詰め切れなかったらしい。
「バリアハートにはそんな地下組織がありますの……?」
「あるぞ、地下水路もあるくらいだしな」
地下水路があったら地下組織もある理屈はアランにはわからなかったが――シュザンヌは会話で気をそらした隙をついて、「ていっ」と拾い上げたフライパンを思いきり投げた。
鉄のフライパンの底が、ガンッとユーシスの顔面を直撃。クールなポーズから一転、うめきながらうずくまる。
これまたやばい。バリアハート市民が領主子息の顔にフライパン攻撃である。公になれば前代未聞の大事件だ。むしろ領主子息が、バリアハート市民を売り飛ばすと言っている時点で大事件なのかもしれないが。
「だらしねえなあ、てめえら!」
ドスの利いた低い声。二人目がまさかの返り討ちにあったところで、三人目がずかずかと入ってきた。
不良の親玉のロギンスだ。
彼も仕上がっている。黒い革ジャンパーを素肌に着こなし、太い鎖をクロスして胴体に巻きつけ、肩やら膝にはトゲトゲのオプションが装備されていた。顔はサインペンで書かれた傷が無数に走り、彼のアレンジだろうか、頬には荒々しい文字で『kill
もう方向性がアレ過ぎる。相手は子供なのに、配慮の欠片も感じられない。きっと時間に追われるまま、勢いだけで形にしてきたのだろう。
「次から次になんですの! 出て行って下さいまし!」
気丈にもシュザンヌは引き下がらない。強気な態度で牽制する。これが本当の襲撃者相手であれば、すでに殊勲賞ものの働きだ。
だがこれ以上はまずい。万が一、ロギンスまでが不意打ちフライパンの餌食になってしまえば、自分の見せ場がなくなる。最低一人は目の前で倒しておく必要があった。
「下がってて!」
シュザンヌを背に隠し、アランはロギンスに特攻した。事情は理解しているらしいロギンスもうなずく。
先輩、すみません。一発だけいかせてもらいます。
「オラアッ!」
強烈な一発が、メゴッとアランのボディに炸裂した。掟破りのカウンターだ。「な、なぜ……?」とスローで倒れゆくアランに、「あ、やべっ」とロギンスの小声が届く。
床に這いつくばるアラン。幸い意識は飛んでいなかったが、すぐに動けるようなダメージでもなかった。吐き気が喉までせり上がってくる。
ロギンスは罰悪そうに言った。
「あーわりい。アランを見たら先に手が出たっていうか……」
どんな条件反射だ。誰かこの人に倫理の意味を教えてくれ。
その折、姿勢を低くしたシュザンヌが、視線をかいくぐってロギンスに近づいていた。
「隙ありですわ!」
「あっ。でえええええっ!?」
土のぎっちり詰まった鉢植えが、ロギンスの足の小指めがけて振り下ろされた。ずむっと命中。末端神経の激痛が頭のてっぺんまで突き抜け、彼の表情は劇画のごとく崩壊する。痛みが伝わるまでの寸分の間が、妙にリアルだった。
不良は全滅。ついでにアランも行動不能。ブリジットは困惑。子供たちは興奮状態。
そんな混沌としたリビングの真ん中に、唐突に光陣が描かれた。予定のタイミングに合わせて、エマが転移してきたのだ。
「うふふ、人の子らよ。我が下僕共をよくもやってくれたわね。だけどここまで。地の底より這い出でし魔王が、お前たちを煉獄に誘ってあげましょう」
世界観変更である。黒いとんがり帽子に、手袋、ブーツ、ズパッと深いスリットの入ったセクシーなロングスカート。眼鏡は外して、口調は居丈高。なんでも立ち振る舞いのモデルは彼女の姉らしい。どんな気合いの入ったお姉さんだ。
ちゃきっとシュザンヌがフライパンを構えた。
これもロギンスの仕業だろうか、柄に『
「えっ?」
そこでようやく総崩れになった役者たちに気付いたらしい。不良三人がノックダウンしているのはいいとして、そのやられっぷりが打ち合わせより激しいことと、このあと魔王を倒すべきアランまで横たわっていることに。
「あ、ちょっ……」
転移を止めることはできないようだった。
立ち昇る光の中から、大きな影が輪郭を浮き立たせる。パカラッと蹄が床を打ち、筋骨の盛り上がった黒い馬と、その背にまたがる魔王が満を持して登場した。
要するに、マッハ号とガイウスである。彼はゴテゴテのデコレーションと、悪魔染みたメイクを施されていた。角も生えている。
家に現れた巨大な馬と魔王を見上げる子供たちは、口を開いたまま静止している。
アランは起き上がれないまま、エマに目をやる。アクシデントが発生したことは察したらしいが、出口のなくなった劇にどう収拾をつけるかを考えているようだ。「ど、どうしましょう。転移術で全員を送り返しても意味がないし……子供に暗示は使いたくないし……私が、私がなんとかしないと……」などと、ぶつぶつ呟いている。
ここからガイウスのセリフだ。
本来は――〝くくく……感じるぞ、淀んだ血を。懲りもせずにその血を流すことしか知らぬ愚かな人間ども。型にはまった仮初の平和など、この魔王が焼き尽くしてくれるわ”――なのだが。
「人間どもよ……っ」
いきなりセリフの順番を間違った。予定と違う場の状況に、練習通りの言葉がでなかったのだ。
それでも彼は、無理やりに意味を繋げようと、セリフの言葉をひねり出した。
「くくく……血の流れに淀みを感じるぞ。知らずの内にコリ固まった愚かな肩など、この魔王がほぐし尽くしてくれるわ!」
「それじゃあ腕のいい整体師じゃないですか……」
エマがとろんとした目でつっこんだ。
がらんと、フライパンがシュザンヌの手から落ちた。力なく両膝をつき、カテルとハイネもしりもちをついた。
「もう、もう終わりですわ……」
一騎当千の活躍を見せたシュザンヌだったが、魔王ガイウスは彼女の心をへし折った。目からは光が失せ、死んだ魚のそれのようになっている。抗う気力を根こそぎ削がれ、涙さえ流せていない。11歳の少女を本気で絶望させていた。
その時、マッハ号がぶるるとうなった。魔王が訝しむ。
「どうしたのだ。むっ!?」
跳ね上がる前足。ソファとテーブルを蹴倒して、マッハ号は部屋中を暴れまわった。
街中を歩いて連れてくるわけにもいかず、エマの転移術で移動させてきたのだが、いきなり変わった景色と倒れた数人を見て、ひどく興奮してしまったのだろう。
「どうどう!」と、ガイウスは必死に手綱を繰ってなだめようとする。しかし落ち着かない。ぶつかった戸棚が派手に倒れ、残らず割れた食器が散乱した。
制御を失ったマッハ号がシュザンヌに向かう。
「ひっ!?」
「危ない!」
ブリジットはシュザンヌをかばおうと、彼女に覆い被さった。エマが転移術で離脱させようとしていたが、間に合わない。
弾かれたように身を起こすアラン。ロギンスパンチのダメージは無視して駆け出した。
頭から飛び込みんで二人を抱え、勢いのままマッハ号から逃れる。間一髪のタイミングだ。
アランは体中のあちこちをぶつけたが、ブリジットとシュザンヌは腕の中で守り通した。ケガはさせていない。
「アラン! 大丈夫!?」
「ア、アランさん……わたくし」
心配そうに二人がのぞき込んでくる。
「……生きてるよ、一応」
そう言って、首を傾ける。真横になった視界の中、二人の人物が玄関に入ってくるのが見えた。
17時ジャスト。ハンコック夫妻の帰宅だった。
「ただい……ま」
久方ぶりに子供たちに会えると思って嬉々としていたのだろう。弾んだ声は、しかしすぐに途切れた。
男爵は口を半開きにして、まばたきさえ忘れて室内の惨状を呆然と眺めている。奥方は一歩うしろで硬直していた。
魂を失ったかのように微動だにしない子供たち。倒れているギラギラの不良たち。《女神のとこへ逝っちまいな》と書かれた杖を携えるセクシー魔女。そして荒廃したリビングに君臨する黒い馬と、圧倒的な存在感を放つ騎手の男。
惨状のリビングに一歩も踏み出せないまま、ハンコックは馬の男に問うた。
「お前は何者だ?」
「魔王だが」
「ま、魔王が我が家に……!?」
「魔王だからな」
ここにきて堂々と振る舞うガイウス。
セオリー通りに憲兵隊を呼ばれた。
●
「痛っ」
「ご、ごめんなさい。しみる?」
消毒液の染み込んだガーゼを、ブリジットは慌てて傷だらけの腕から離した。「……いや、全然?」と、そこは強がったアランに、「なら良かった」と、追撃のガーゼが当てられた。
痛い。靴の中の親指がぎゅーっと縮こまる。歯の根がカチカチと合わず、背中に大量の汗が噴き出た。
日は落ちて、もう夜。マキアスたちより一足先にカレイジャスに戻ったアランとブリジットは、その足で医務室までやってきていた。ブリジットの乗艦手続きを後回しにして、アランの手当てである。子供たちにもよくやっていたのか、手際は良かった。
「みんな遅いわね……」
「……そろそろだと思うけどな」
あの後、急行してきた憲兵隊はクレア・リーヴェルト大尉だった。アルバレア城館に詰めていたから、すぐに駆けつけてきたのだという。『やっとジャスティスブルーから開放されたと思ったのに……今度はなんなのでしょうか……』と、ずいぶん疲れた様子で肩を落としていた。
事情聴取と注意ぐらいはさせてもらいましょうか、と劇団ミルスティンの団員たちは、《氷の乙女》に連行されてしまった。ハンコック邸の物品破損の弁償代は、『請求書の宛名はオリヴァルト・ライゼ・アルノールで……』とその場でエマが話を付けていたりする。
知り合いだというから大丈夫だとは思うが、気になるのはマキアスの様子か。クレア大尉が登場した時の彼は、世界の終わりに直面したかのような顔をしていた。
尚、アランとブリジットはお咎めなしだ。『そいつらは関係ねえよ。俺らの悪ふざけにたまたま居合わせただけだ』と、ロギンスが無理やりに押し通したおかげで、こうして先に帰艦できている。もっともクレアもその辺りに事情がありそうなのは、なんとなく察していそうだったが。
「まあ、大丈夫だろ。それよりも子供たち、やっぱり泣いてたな」
「……うん。足にしがみつかれちゃって、「行かないで」って。ちゃんとまた会いに来るからって、なんとか離してもらったけど……」
「ブリジットに懐いてたもんな」
快く送り出してもらうというのは、自分が認められようがなかろうが、けっきょく無理な話だったのかもしれない。二か月近く面倒を見てくれたお姉さんなのだ。もっと一緒にいたかっただろう。
「そういえば家を出る時、シュザンヌがアランに何か言ってなかった?」
「〝助けてくれてありがとうございます”だって」
「ほら。いい子でしょ?」
「ああ」
続けて耳元で、『これからブリジットお姉様をお守りして下さいまし。約束ですわよ』ともささやかれたが、あれは……。
いつの間にか、ブリジットの手当てが止まっている。処置の済んだアランの腕を支えたまま、くすりと微笑した。
「少したくましくなった? 腕、前より筋肉がついた気がする」
「街道暮らしが長かったし、何回も魔獣を追い払ったし、自給自足だったし。はあ、ブリジットの作ってくれたご飯が懐かしかったよ」
「え……」
こちらを見る視線を、アランは思わず避ける。何も考えずに言ってしまった。
「そ、そうなのね。私、ハウスキーパーしてたから料理のレパートリーが増えたの。前より腕も上がってると思う……たくさん作ってあげるね」
会話が途切れた。静かな医務室。二人分の小さな吐息だけが空気を揺らしている。胸の鼓動が早くなる。
不意にロギンスの言葉を思い出した。
『次にブリジットに会ったら、お前から好きだと告白しやがれ』
好意はもちろんある。ただそれがどのような感情の好きなのかはわからなかった。当たり前に顔を合わせていた日々が消えた時、彼女の無事だけを考えるようになった。
今こうして再会して、とても安らいでいる自分がいる。そばにいると、全部が温かくなる。自分でも馬鹿らしいと思うが、その笑顔だけで救われた気持ちになる。
それはつまり、そういうことなのだろう。
「ブリジット!」
「は、はい」
まっすぐに目を見る。緊張が伝わったのか、ブリジットの背すじが伸びる。心臓が爆発しそうだ。なんだこれ。とてつもない勇気が必要じゃないか。何を言えば。どう言えば。もしも――もしも失敗したら、それで全てが終わってしまうのか。せっかく再会できたのに、この関係が崩れてしまうのか……?
「あ、えっと……食堂行かない?」
「え、ええ。お腹は空いてるけど……それだけ?」
「………ん」
「……うん」
どこか残念そうに、そしてほっとしたように、ブリジットは立ち上がる。
「食堂はこのフロアにあるから。俺トイレに行ってくるよ」
「わかったわ。先に行って待ってる」
足音が遠ざかっていく。しばらくして席を立つと、アランは頭を医務室の壁にゴンとぶつけた。俺ってやつは。
二回目をぶつけようとした時、急に体が壁から引き離された。
背後から首に回ってきた太い腕が、アランを羽交い絞めにする。
「よお……」
「うぐっ、ロ、ロギンス先輩!? 戻ってたんですか……? ていうか苦しっ」
「見てたぜ、根性無しが」
「見てた!? いつから!?」
「『ご、ごめんなさい。しみる?』からだな」
寒気のする裏声でロギンスは言う。
「最初からじゃないですか!」
「騒ぐんじゃねえ」
「ぐええ……」
さらに絞められる首。浮き上がる足。殺人鬼だ。殺人鬼がここにもいた。
「ったくだらしねえ。最高のシチュエーションだったろうが。医務室には内鍵も付いてるし、見ろ。おあつらえ向きにべッドもある。聴診器、看護エプロン、絆創膏……おっと駆血帯までありやがる。なのにお前と来たら……!」
「ひ、飛躍し過ぎ……!」
何に使うんだ、そんなもの。
力を緩められ、アランは床に両手をついた。ぜいぜいと肩で呼吸をする。首を上げると、かがみ込んだロギンスの顔が目前にあった。
「安心しろ。長い付き合いだからな。お前の性格もわかってるつもりだ」
「……は、はあ?」
「途中で投げ出したりはしねえ。お前の告白は俺が必ず成功させてやる」
任せとけよ。力強くそう告げると、ロギンスはアランの背中をバンと叩いた。
――続く――
――Side Stories――
《看板娘の奮闘日記④》
「これで一通り回れたかなー」
職人通りに立ち並ぶ店舗をぐるりと見渡して、コレットは「ん~」と伸びをした。
バリアハートにたどり着いて以来、思い返せばずいぶんと長い間お世話になってしまった。
ただの居候にはなりたくなかったから、最初は部屋を貸してくれている宿酒場《アルエット》の手伝いをしていた。色々な店に顔を出している内に、職人通りの人たちとはすっかり顔なじみになっている。
顔出しついでに表に立って集客したり、若者のトレンドなんかについて情報提供したりと、明るい働き者としてコレットの評判は良かった。
仕立て屋、宝飾店、工房、各種露店。今や、すれ違えばあいさつを、立ち止まれば世間話をする仲である。
『えー!? コレット姉ちゃん行っちまうのかよ!』
というのが、最初に出立を告げたビスケの第一声だった。生意気盛りの少年。彼は《アルエット》の店長、ジオラモの息子だ。
ビスケはコレットを実の姉のように慕っていた。ちょうどシュザンヌたちがブリジットにそうであるように。
彼女たちより年齢が上のぶん、まだ物わかりも良く、不満げではあったが納得はしてくれた。『近くに来たら寄ってくれよ。絶対だかんな』と、何度も何度も念を押されたが。
弟がいたらあんな感じなのかな、などと思いながらコレットは職人通りのアーチの向こう、貴族街へと視線を転じた。何が見えるわけでもない。
「ブリジットさんの方はどうかな?」
シュザンヌたちを納得させるべく、なにやら一計を講じるとは聞いている。しかしコレットの興味はそこではなかった。
アラン君とうまくいけばいいな。である。
関係について直接は教えてもらっていない。でもやり取りや空気感でわかる。お互いがお互いを想っているけれど、踏み出せていない。踏み出し方がわからない。
その辺りは乙女センサーが感知していた。
「えへへ、今度詳しく聞いちゃおうっと」
そんな話は大好物。ひっかき回すつもりはない。作戦立案、後方支援が私の役目。《紅き翼》に乗って、上空での恋物語も楽しそうだ。
ただ懸念事項はある。自分の天敵もすでにカレイジャスに搭乗しているらしい。ことあるごとにはだけた上半身で迫ってくるあの男が。
何かしらの防衛手段は用意しておいた方がいいかもしれない。あの使い勝手が良かった〝異様に硬い石”は、もう手元にないのだから。
一抹の不安は頭の片隅に残りつつも、荷物をまとめるために再び《アルエット》へ。
「えっ、え!? みんなしてどうしたの!?」
扉を開けた先では、職人通りの人たちが集合していた。
「コレットちゃんが出て行くって聞いたからさ」
「見送りにね。体には気をつけなさいよ」
「いつでも遊びに来いよ。待ってるからな」
自分たちの店を空けてまで、わざわざ来てくれたのだ。
「あ、ありがとう……ありがとう、みんな……」
涙で滲んだ視界にビスケが近づいてきた。
「カレイジャスって戦闘することもあるんだろ。これ、お守り代わりに持ってってくれよ」
手渡されたものを見る。キラキラと輝くそれは、研磨した宝石を連なったリングにはめ込んだものだった。護身用の暗器である。
「ダボス工房とターナー宝飾店の合作だぜ。普通にアクセサリーで良いと思ったんだけど、オッサンたちが心許ないって聞かなくて」
いつかバリアハートを出る時に持たせようと、前からこっそり作成してくれていたそうだ。
そのほかにも店ごとに持ち寄って、アクセサリーの材料や研磨に使う道具を箱いっぱいに持たせてくれた。そういう類に関わる技術も、ちょくちょく教えてもらっていた。こうなることを見越して、自分にスキルを学ばせてくれていたのか。
感謝で胸がいっぱいだ。
「でも物騒だろ。コレット姉ちゃんには合わないかな……?」
「そんなことないよ、ビスケくん」
受け取った暗器を、すちゃっと右拳に装着する。計測したかのようなフィット感だ。
ゼムリアストーン・ナックルに代わる、彼女の新しい力。その名もジュエリー・メリケンサック。
「これならやれるから」
あのハッスルしたカサギン――カスパルを。
コレットは強く拳を握った。
★ ★ ★
《ブリッジオブラブ A⇔B》をお付き合い頂きありがとうございます。
順調に借金額が増えていく皇子殿下はさておき、なにはともあれ一気に四人が合流できました。
終盤に向かうにつれ、《紅き翼》の恋模様は色々と進展していきます。うまくいきそうな人、いかなさそうな人、アプローチしている人、ケンカしかけている人、これから始まるかもしれない人――その内、カレイジャスの空を飛ぶエフェクトにハートマークの帯が追加されそうです。
サイドストーリーはコレットですが、この話は前作の『ちょっとだけ閃Ⅱ(前編)』の《ウォールオブハート》に繋がる話です。ようやくここまで書けました。
次回はバリアハート寄航日三日目に突入です。引き続きお楽しみ頂ければ幸いです!