マキアス・レーグニッツ。享年一七歳。
告別の式は、仲間たち立っての希望でトールズ士官学院にて執り行われることになった。
講堂の中央をたくさんの花が埋め尽くしている。彩りに包まれた中心に、一つの黒い棺があった。その周りに彼の仲間――喪服に袖を通したⅦ組の面々が顔を揃えている。
皆、一様に鎮痛な面持ちだった。
「――その汚れなき魂は女神の元へと旅立たん。どうか彼に安らかな眠りを――」
胸前で手を組み合わせ、ロジーヌが祈りを捧げる。
「……では、皆さん」
彼女が促すと、仲間たちは重い足取りで棺に歩み寄った。
「この花、私が育てたんだよ」
柔らかな乳白色の花を手にし、フィーはその一輪を棺に添えた。
「僕のバイオリン……心が落ち着くって言ってくれたよね」
エリオットが静かな旋律を奏でる。それは彼に贈るレクイエムだった。
「副委員長として私をサポートしてくれて……いつも助かっていましたよ」
丸眼鏡の奥に見えるエマの瞳は、留めきれない涙で溢れていた。
次にガイウスが、リィンが、ミリアムが、ラウラが、アリサが、旅立つ友に最後の言葉をかけていく。
そして――
「……ユーシス」
リィンが振り向いた先に、黙したまま立ち尽くす彼の姿があった。
「何か言ってやることはないか?」
「ふん」
いつも通りに鼻を鳴らして、ユーシスは憮然として棺の前に進んだ。
彼は口を開こうとしなかった。どれだけの時間、沈黙していただろう。
「お前は」
不意に言った。ほとんど聞こえないような、小さな声だった。
「阿呆だ」
その後に何か付け加えたようだったが、それは誰の耳にも届かなかった。もはや日常の光景となっていたユーシスとマキアスの小競り合い。もうそれを見ることは叶わない。それきり喋らなくなったユーシスの心中は、仲間たちにも推し量りようがなかった。
「マキアス君っ!」
参列する学生たちをかきわけて、ステファンが駆け寄ってくる。肩を激しく上下させて、ひどく狼狽していた。彼は第二チェス部の部長、マキアスの先輩だ。
「はは。起きてくれよ、マキアス君。昨日の勝負を中断したままだろう? さあ、君の番だ。また僕を驚かすような一手を見せてくれ」
ステファンは両腕で抱えていたチェス盤を棺の上に差し出そうとする。
リィンはその肩にそっと手を置いた。
「ステファン先輩」
「来週は第一チェス部との交流試合があるんだ。少し前までは考えられなかった。今から楽しみだよ」
「ステファン先輩、マキアスは――」
「マキアス君に初戦を頼みたいんだ。構わないかな? まあ、君ならどこでも問題ないと言ってくれるんだろうが」
「先輩、マキアスはもう――」
「僕は認めないっ!!」
リィンの手を振り払い、ステファンは声を荒げた。
「認めないぞ、僕は……! 嘘だろ!? 嘘だって言ってくれよ、マキアス君!」
盤上からこぼれ落ちたチェスの駒が、冷たい講堂の床に散らばった。
「……誰かステファン先輩を落ち着ける場所へ」
目を伏せたまま、リィンは言った。二年のロギンスとクレインがやってきて、取り乱すステファンをなだめながら、保健室へと連れていく。
そういえば、とリィンは講堂内に視線を巡らせた。マキアスと仲のよかったアランの姿はどこにも見えない。きっと彼もまだ現実を受け入れられないのだろう。
ステファンと入れ違うように、入り口の扉が開いた。そこに立つ人物を見て、今度こそリィンは言葉を失った。
カール・レーグニッツ。マキアスの父親だ。
いつものスーツにネクタイ。しかしスーツの襟はずれていて、ネクタイはゆがんでいる。その息は荒い。
呼吸を整えて、乱れていた服装を正す。一応の体裁を取り繕ってから、カールは参列者に深く一礼をした。
ゆっくりとした歩調で、花々が飾られた中央へと向かう。
誰一人として、彼にかける言葉を持たなかった。静寂の空間に、コツコツと革靴の音だけが響く。
「知事閣下」
たまらずリィンが何かを言おうとする。カールは手だけでそれを制して、「気を遣わなくていい」と力ない笑みを浮かべてみせた。
「マキアス」
息子の名を呼ぶ。返事はない。
「棺を開けてくれないか。顔が見たいんだ」
そばに立つロジーヌに言う。彼女はためらっているようだった。
「で、ですが」
「頼む」
頭まで下げられては断ることはできなかった。「……では」と、それでも躊躇したような手つきで、棺の顔部分だけをスライドさせる。四角く開いた黒い穴を、カールはのぞき込んだ。
しばし呆然としていたが、次第にその肩が震え出し、押し殺したような嗚咽が大きくなった。
棺の中に入れた手が、何かを引き上げる。
「っ!」
もう見ていられなかった。皆が辛そうに目を背けていた。
眼鏡だった。砕けて、焼け焦げて、原型さえわからないぐらいに曲がってしまった、彼の魂の欠片。
「それだけしか、見つからなかったそうです」
ロジーヌが告げると、カールは膝からくずおれた。
「マキアス……マキアス……おお……」
うわ言のように繰り返してその名を呼ぶ彼の手には、壊れて二度と直ることのない眼鏡だけが、固く握りしめられていた。
すすり泣く声が、講堂内に広がっていく。
直情的で、怒りやすくて、頑固で。でも生真面目で、誠実で、優しいやつだった。
今までありがとう、マキアス。そして、さようなら。
この先どれだけ時間が経とうとも、自分たちがその名を忘れることはないだろう。
あいつは誰よりも。そう、誰よりも。
チェスと眼鏡が似合う男だった――
「って、死んでないからな!」
その場の誰しもが、そんな悲しすぎる未来を瞬時に想像した時、立ち込める噴煙の中から、ショットガンを構えたマキアスが飛び出した。
「俺のことも忘れんなよ!」
アーツによる突風が生み出され、晴れた視界の中にトヴァルも立っている。
かなり危ういところだったが、地雷からの脱出に成功していたのだ。その後にアーツをぶつけて地雷を爆発させたのは、てっとり早い後処理と目くらましを兼ねてのことだった。
多量の汗でずれて、滑りやすくなっていたのだろう。爆風に煽られて、マキアスの眼鏡はどこかにいってしまっていたが。
「最強の猟兵団なんて知るものか! 覚悟してもらうぞ!」
「おう! もっと言ってやれ、マキアス!」
予想以上の爆薬だったらしく、二人とも髪やら服やらがちょっと焦げている。マキアスには腹痛という大敵もあったのだが、それはどうやら持ちこたえたようだ。
死の間際まで追い詰められていた彼らの剣幕たるや、それはもう凄まじいものだった。
「地雷から抜け出したか」
「おお、やるもんやな。フィーが手ほどきしてやったんか?」
感嘆の声をもらすレオニダスに、からからと笑うゼノ。
「それはしてないけど。これで二対六。まだやる?」
「当たり前や」
即答する。
「確かにゼノなら罠を使えば単独戦闘で多人数を相手にできるしね。レオは素手でもできるんだろうけど」
彼らにとって、人数差は戦力差ではないのだ。確かに頭数の有利フィーたちにあったが、戦術に長けた熟練の猟兵が相手では、さほどの優位にもならない。
「さて、仕切り直しといこうやないか」
双方が武器を構え直した時、
『貴様ら、そこで何をしている!』
拡声機越しの横柄な声が、閑散とした一帯に響き渡る。
ずずんと地面を唸らせて、機甲兵が姿を見せた。
間道側から現れた機甲兵。その数は四機。その内の一体は指揮官タイプだった。
緑色に塗装された量産機が《ドラッケン》。青色で塗装された隊長機が《シュピーゲル》である。
一ヶ月前にトリスタを襲撃したものと同型だ。
シュピーゲルの外部スピーカーを通じて、操縦者の男が言った。
『猟兵ども。部隊にも合流せずにこんなところにいたのか。作戦は伝えていたはずだが』
ゼノは肩をすくめた。
「おお、怖い怖い。まあ、雇われの身やし、ここらで引くしかあらへんな」
「仕方ないだろう。ではフィー、またな」
「あ……」と何かを言おうとしたフィーに背を向け、ゼノとレオニダスはその場を去る。
『お前たちは一般人だな。なぜこんな場所にいるのか、答えろ。まさか正規軍の協力者か?』
リィンたちを睥睨するシュピーゲルが、手に持つ大剣を向けてくる。その威圧だけで、足を引いてしまいそうになった。
「どうするの?」
セリーヌがリィンを見上げていた。
正規軍が駐留している演習場は、おそらく敷地の反対側だ。機甲兵が四機。奇襲をかける気だろう。ここで自分たちが逃げるなり、やり過ごすなりしたところで、もはや戦闘は避けられない。
やるしかない、とリィンは拳を固めた。
『こいつらを拘束しろ』
隊長機が指示を出す。
「ど、どうしよう」
「あの時はⅦ組総がかりで一機を倒すのが精一杯だったのに、この人数では……!」
マキアスとエリオットが焦りを見せる中、
「みんな、下がっていてくれ」
リィンは握った拳を掲げていた。
思い返すのは、ユミルでの戦闘。力に呑まれた自分の暴走だ。苦いものが喉の奥から込み上がってくる。
「兄様……!」
「大丈夫だ」
胸中を察したのだろう。心配そうに見つめてくるエリゼにそう返して、リィンはさらに意識を集中した。光が足元から立ち昇る。
できるのかではない。やらねばならない。敵を打ち倒す為ではなく、仲間を守る為の力の行使。
見誤るな、己の戦う相手を。忘れるな、力を振るう理由を。
「力を貸してくれ、ヴァリマール!」
弾けるような脈動が全身を走り、意志を乗せた声が飛ぶ。遥か遠くで何かが立ち上がった音を、リィンは確かに聞いた。
ドラッケンが一歩を踏み出した。胃の腑が浮き上がる程の大きな衝撃。
『貴様ら、そこに一列に並べ』
操縦兵が言った。
「リ、リィン」
エリオットが不安げにこちらを見る。
『どうした、早くしろ。何なら一人ずつ捕まえて、無理やりにでも整列させてやろうか』
男の声が苛立たしげなものになった時、上空が
ガレリア要塞の門を飛び越え、頭上で旋回、急降下。リィンたちに腕を伸ばそうとしていたドラッケンを膝蹴りで吹っ飛ばしてから、ヴァリマールは粉塵を蹴立てて着地した。
「セリーヌ!」
「行くわよ!」
光が体を包み、騎神の核へと吸い込まれていく。
白く染まる視界から戻った時、リィンはヴァリマールの操縦空間に座っていた。正面モニターに目をやると、シュピーゲルを最後衛とした陣形へと変わっている。先ほど倒れた機体も、すでに体勢を立て直していた。
前衛には二機、中立ちに一機のドラッケン。
『な、なぜここに灰色の騎士人形が!? まさか、お前たちが報告にあった……!?』
やはりヴァリマールの情報は貴族連合軍に回っている。かなりの警戒対象のようだ。ならば退いてくれる可能性もあるかとも思ったが、『ドラッケン全機に告ぐ。あの騎士人形を行動不能にしろ。可能ならば鹵獲だ』とシュピーゲルは剣を構えていた。
「どうするの? さすがに素手であの数相手じゃきついわよ」
「ああ、そうだな」
視認できる限りでは、ドラッケンの二機が大剣、一機が機甲兵用速射銃。シュピーゲルは剣に加え、腰部に銃もマウントしている。
確かに厳しいが――
「頼むぞ、ヴァリマール」
『承知シタ』
駆動系を霊力が伝い、機体の内側から唸りを上げた。
剣を横に構えたドラッケン二機が左右から迫る。両方同時は相手にできない。まずは左の敵だ。こちらも素早く前に出て間合いを潰す。これはフェイント。近間で動けなくなった相手から即座に身を翻し、右側の敵に向き直った。
肉薄し、その喉元を片手でわし掴む。
「ブースト! 一瞬でいい!」
背部バインダーが展開。瞬間に放出された霊力が、爆発的な推力を生み出す。ドラッケンを掴んだまま高速移動。門の内壁に叩きつける。
破砕し、バラバラと剥落する岩壁を被りながら、ドラッケンはくずおれた。機体はまだ動ける程度の損傷だが、衝撃で操縦兵が気を失っていた。
「スラスター使うなら一声かけなさいよ!」
リィンの太ももにしがみ付きながら、セリーヌが言った。
「言ったぞ、ヴァリマールに」
「アタシにもよ!」
倒れた機甲兵。その手から離れ、近くに横たわる大剣に目が向く。あれがあれば――
「っ!」
シュピーゲルと後続のドラッケンが銃を斉射してきた。間一髪で飛び退いて弾丸をかわす。急激な回避機動。ガクンと正面に引っ張られるような衝撃が、リィンとセリーヌを連続して襲った。
「ユミルに戻ったらっ! ぐっ! 絶対つけるぞ、シートベルト!」
「戻れたらね!」
容赦のない火線にさらされ、剣から遠退いてしまう。その無防備な背後に、もう一体のドラッケンが剣を振り上げていた。さっきフェイントにかけたやつだ。コケにされたと思っているのか、どこか挙動が荒々しい。
腰を軸に急転回。相手には相対したが、今度は避けられるタイミングではなかった。
「リィン! もう一度スラスターで距離を!」
「いや――!」
視界の中で、切り下ろされた刃先が大きくなる。
落ち着いて見据えろ。手の平に意識を集中しろ。騎神は応えてくれる。
相手の動きに合わせて、一歩踏み込む。間合いは詰め過ぎない。迫る刀身の腹を右手甲で制しながら、半身になって左手を敵の右手首に伸ばす。斬撃の勢いも利用しつつ、こちらの右手と左手の位置を入れ替えるようにして、剣の柄ごと相手の腕をひねり上げた。
ベキリと鈍い圧壊の音。ドラッケンの右手首が根元から、関節上ありえない方向にへし折れる。
そして、数秒前までその手にあった大剣は今、ヴァリマールの手に移っていた。
「な、何したの? 白刃取りってやつ?」
「無刀取りだ」
ほぼ全ての流派に伝わる“剣が折れた時、または最初からない状態”の為の技術だ。その種類も多岐に渡り、力学を利用して素手で刀身を折る技もあれば、今のように流れを制して相手の武器を奪う技もある。
もっともあくまで技術の話であって、これを実戦でやろうとするなら、相当の度胸と胆力、錬度が必要となるが。
本来、感覚のある人間なら、手首が折れる前に痛みで剣を離していただろうが、機甲兵ではそうはいかない。反応が遅れた代償を、きっちりその身で受けることになる。
そして今の一連のヴァリマールの動きは、機甲兵には決して真似できないものだった。
今日合流したばかりのエリオットたちは、その光景を呆然と眺めていた。
「す、すごいよ」
「圧巻だな……」
「リィンの――人間の動きだった」
口々に感想をもらしながら、彼らは戦闘に巻き込まれない位置まで下がる。
その間にも右手が壊れたドラッケンは、奪われたばかりの大剣で反撃の横薙ぎを受けていた。細かな破片を散らしながら、胴体と生き別れになった首が宙を舞う。
その脇をかすめ、ヴァリマールが駆ける。思い出したように後衛のドラッケンが銃を向けてきたが、引き金を引くより早く閃いた刃が、右肩口から腕までを丸々切り落とした。
「い、いけるかも。でも……」
続く言葉を詰まらせて、エリオットは魔導杖を握りしめた。
結局またリィンに頼っている。自分たちの力は、巨人同士の戦いに介在する余地さえない。
それは仕方がないことなのかもしれない。所詮は生身の人間だ。たとえばアーツを放ったところで、援護どころか足止めにすらならないだろう。
だがそれでは、無力に膝をついた一か月前のあの日と同じではないか。
「……リィン」
続けざまに剣の柄頭で、ドラッケンの頭部を打ち据える。よろめきながらも何とか持ちこたえていたが、追撃の拳を食らって、敵機は今度こそ地面に倒れ込んだ。
これでまともに戦える機甲兵は、隊長機だけだ。
まさか四機だけで正規軍と事を構えるはずはないだろうから、挟撃や援軍を手配している可能性はあるが。しかし、ここでこの小隊を止めることが出来れば、それも退かせることができるかもしれない。
リィンも機を逃すつもりはないらしく、ヴァリマールをシュピーゲルに特攻させた。
大剣の一刀を見舞う――その刹那。
見えない何かに弾かれたように、ヴァリマールがたたらを踏んで後退する。
シュピーゲルの前に、一瞬だけ現れた青白く光る壁。
「あ、あれは――」
崩れたバランスを取り直しながら、リィンは歯がみする。
あの青い防護障壁。一か月前、トリスタに侵攻してきたスカーレットも使用していた。確か彼女はこう言っていた。
「リアクティブアーマー……!」
いかなる攻撃も寄せ付けない絶対防御。あの日、自分たちが敗退した要因の一つだ。
シュピーゲルが扇状に銃を連射してきた。反射的に横っ飛びにかわす。避けきれずに左肩に被弾。何とか装甲で食い止める。
怯まず攻める。しかしまた弾かれた。シュピーゲルは銃から剣に持ち替え、隙を見逃さず反撃してくる。
「くそっ!」
「まずいわ。霊力の残量も減ってきてる」
『リィン』
ヴァリマールの声が届く。
『アノ力ノ使用ヲ推奨スル』
「あの力?」
『ゆみるノ戦闘デ使用シタ力ダ。解析シタガ、相手ノ障壁ハ一定以上ノ物理力ナラ突破デキル』
核の中であの力を使った時、確かに騎神自体の力も跳ね上がった。一定以上といっても、戦車の砲撃クラスでは歯が立たないはずだが。ヴァリマールが言うなら、全開の騎神の力であれば、相手の防御を貫くことも可能なのだろう。だが、それは――
「俺は……使わない」
『ナゼダ』
「自分の身以上に、仲間を危険に晒すからだ」
怖れが消えない。怒りと憎しみに支配されてしまう感覚が、暗い衝動に意識を預けてしまいそうになる己の弱さが。
「早く構えて! 来るわよ!」
「くそっ!」
今一度悪態をついて、機体を後退させる。相手も警戒しているのか、深追いはしてこなかった。
一体どうすれば、あの防御を抜けられるのだ。
無駄は承知で再度特攻を仕掛けてみるか? 望みは薄いが、態勢さえ崩せれば――
モニターに映るシュピーゲルを見据えた時、《ARCUS》に通信が入った。
「誰からだ?」
腰元のフォルダから取り出す余裕はない。手探りで操作して応答ボタンを押す。スイッチ切り替えでスピーカーモードに。
『――ますか。リィンさん、聞こえますか』
落ち着いた女性の声。聞き覚えがあった。
「クレア大尉!?」
鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト大尉だ。彼女も無事だったのか。一体どこから通信を?
『話は後です。現時点で判明しているその防御システムについて、簡単に要点だけ伝えます』
「え?」
戸惑うリィンに構わず、クレアは続けた。
『まず障壁を展開できる領域は機体前面のみ。エネルギー源は内部導力に依存していますから、それゆえ常時展開状態というわけにはいきません』
「こっちの攻撃に合わせるように防御しているということですか」
「そうです。そして障壁は内側にも同様の効果を及ぼしています」
「内側? ……そうか」
リアクティブアーマーを展開している最中は、相手も攻撃ができない。内側からも銃弾を通さず、下手に剣を動かせば前面の障壁に接触する。堅牢な護りである反面、行動を制限されるデメリットがあったのだ。
『有効な手段は大まかに二つあります。それは――』
「意識外からの不意打ちか、カウンター……ですか?」
『さすがですね』
すでに向かい合っている以上、不意打ちは無理だ。ならばカウンターにかけるしかない。しかし再ガードされるまでのわずかな隙間を狙う上に、その一撃だけで仕留めなくてはならない。
かなりシビアなタイミングだ。
しかし事もなげに、クレアは不意打ちをすると言った。
『今から相手に隙ができます。そこを攻めてください』
「え?」
『機甲兵の目を狙撃します。そうすればコックピットに連動するモニターが映らなくなります。サブカメラに切り替えるにしても、障壁を展開するにしても、反応は遅れるはずです』
どこから狙撃するつもりか分からなかったが、それが言うほど容易いものでないことはリィンにも理解できた。
どの道手詰まりの状況。ここはクレア大尉の指示を信じるしかない。
『ただ、角度がよくありません。相手の位置はそのままで、もう少し左に向かせられますか?』
「やってみます」
あまり攻め気を出し過ぎて、その場から下がられてもいけない。剣は構えたままで、じりじりと回り込むように動く。シュピーゲルが首を巡らし、こちらの行動を視線で追ってくる。
まだなのか。もう少し移動してみる。相手が身構えた。まずい。来る――
一発の銃声。
シュピーゲルのゴーグル型のアイガードが弾ける。寸分違わず送り込まれた銃弾が、宣言通りの場所を貫いたのだ。
突然不調をきたしたモニターに混乱したのか、焦った操作が挙動に表れている。
今だ。
一息に跳躍して、大剣を一閃させる。狙うは胸部。コックピットブロックの上だ。
「やったの!?」
「いや……浅い!」
手ごたえはあったが、相手が機体を後退させたせいで、決定打には至っていなかった。アーマーの防御より、回避を優先したのだろう。隊長機を任されているだけあって、勘のいい操縦者だ。
割れたゴーグルの破片をパラパラと落としながら、シュピーゲルがこちらに顔を向ける。予備回線に切り替わったのか、視界も戻っているようだ。
これで振り出しに戻ってしまった。いや、警戒はより強くなる。さっきのような不意打ちも、もう通じない。
「クレア大尉――」
『いえ、大丈夫です。間に合いました』
砲撃音が轟いた。
真正面から飛来した砲弾が炸裂し、シュピーゲルは大きく仰け反った。演習場から聞こえてくるけたたましいキャタピラの音。戦車だった。それも七台。散開して陣を敷きながら、こちらに向かってくる。装甲に刻印された紋章――あれは第四機甲師団だ。
『おのれ……!』
煙る視界の中に機甲兵からの悪態が聞こえた。直後、スパーク光が粉塵を吹き散らす。間一髪でリアクティブアーマーを展開して、戦車砲の直撃から機体を護ったのだ。
中央に位置する一台の戦車――その上部ハッチが開いて誰かが出てくる。
「あ!」
その人物に最初に反応したのは、やはりエリオットだった。
「木偶人形ごときが我らの拠点を攻めるか。分をわきまえよ!」
拡声器も使わないのに、腹の底に響くような大音声。装甲を貫通して届くような精悍な声の主は、リィンも知っていた。
「全機、撃ち方構え!」
鼓舞して士気を高める意味合いもあるのか、戦車の砲塔の横に立ってサーベルを掲げる彼こそ、第四機甲師団を束ねる豪傑――オーラフ・クレイグ中将である。
よかった。無事だ。
変わらない父の姿を見て、まずエリオットが思ったことだった。
「姑息な奇襲などで我らの陣を破れると思っているのか。横断鉄道側から攻めてきた部隊は一機残らず片付けてやったわ!」
豪快に言い放ち、オーラフは右手を上にかざす。全ての戦車が一斉に主砲を機甲兵たちに向けた。
リアクティブアーマーが実装されているのは隊長機のシュピーゲルだけだ。リィンが圧倒した三機のドラッケンは、ようやく身を起こしたところだが、これだけの集中砲火を浴びれば今度こそ大破は免れない。
「それでも退かぬと言うなら、帝国最強の打撃力と評される力を存分に味わうこととなるが、如何に!」
『ぐっ』
わずかな逡巡を見せた後、シュピーゲルは剣を納めた。
『……双竜橋まで退くぞ』
足裏に内蔵されたローラーを起動させ、機甲兵たちは次々に撤退していく。
戦闘が終わった。
深く安堵の息をついたエリオットが、もう一度オーラフに目をやった時だった。
門をくぐる寸前のシュピーゲルが、急に振り返って銃口を持ち上げた。狙いはオーラフの乗る戦車に向けられている。
せめて“紅毛のクレイグ”だけでも落とせば、この後の指揮が崩れるとでも思ったのだろう。すでに引き金に指をかけていた。確実に撃つ気だ。
「とっ」
たとえ敵軍が相手でも、普通このような行動はしない。知れ渡れば自軍全体の恥となるからだ。規律に厳しく、統率の取れた軍隊ほど、そこは徹底している。
しかし軍を名乗るも、彼らは軍人ではない。戦いの中にある暗黙のルールを、知っているはずもなく、また思い至るはずもなかった。
「父さんっ!!」
吐き出された一発の銃弾。ヴァリマールの位置は戦車から遠い。エリオットが伸ばした腕は何の意味もなさない。
真っ白になった頭の中に、光が瞬いた。
エリオットの動きに同調したように、ヴァリマールがぐんと手を突き出す。
戦車の前、その上方に顕現された巨大な水塊が、瀑布となって一気に降り落ちる。アスファルトの地面を深くえぐる程に凄まじい圧の水壁の中に、その銃弾は飛び込んだ。
勢いを完全に殺すことは出来なかったが、押し潰されて射線が逸れた弾は、装甲側面をかすめるにとどまった。
『なっ!?』
シュピーゲルの操縦兵が驚愕に声を上げる。エリオットも含め、全員何が起こったのか分からなかった。
遅れてエリオットは気付いた。いつの間にか、自分の《ARCUS》が光を放っている。リンクの光軸はヴァリマールの胸――核に向かって真っ直ぐに伸びていた。
「な、なんだ、今の力は」
自分の手の平を眺めるリィン。セリーヌも戸惑っているようだった。
核内部、操縦空間が不思議な光に包まれている。澄んだ水色の光だ。
「エリオット……なのか?」
彼とリンクしている感覚だった。
シュピーゲルがもう一度銃を構えようとしている。
「エリオット!」
「うん!」
意志が淀みなく伝わる。
間違いなく《ARCUS》で繋がっていると確信したリィンは、先ほどと同じようにヴァリマールの手を前方にかざした。その動きに合わせて、エリオットが魔導杖を振り上げる。
水色の輝きが機体の全身からほとばしった。騎神を通して導力と霊力が一つに交わり、何倍にも増幅された力が爆ぜる。
地面から噴出した水柱が中空で龍のようにうねり、荒れ狂う水流と化してシュピーゲルに襲い掛かる。
『き、騎士人形がアーツを!? そんなバ』
続く言葉は聞こえなかった。撤退途中だったドラッケンもろとも呑み込んで、門の外まで押し流す。
もつれ合いながらもどうにか体勢を戻した後、彼らは逃げるように去っていった。
その光景を眺めながらリィンは呟く。
「騎神にこんな力が」
「……ないはずよ、本来は」
それだけを告げて、セリーヌの姿が消える。先にヴァリマールの核から外に出たようだ。
背中をシートに預けて息をつく。
モニターの端には戦車から飛び降りたオーラフが、満面の笑みを浮かべてエリオットに抱き付く姿が映っていた。
● ● ●
演習場に設置された第四機甲師団、臨時拠点。
急ごしらえではあったものの、元からその場所にあった設備や資材を流用する形で、駐屯地としての体裁はそれなりに整っていた。
食堂。宿舎。器材用倉庫。今リィンたちがいるのは、普段は作戦ブリーフィングなどに使う会議室である。
「――それで、今後おぬしらはどうするのだ」
大きな机を一同で囲む中、オーラフが言った。
この一か月の正規軍の実情は聞いた。
判明している情報だけで一から組み上げた“対機甲兵用戦術”で、一応は持ちこたえているが、十分な補給ができない現状では戦い続けることはできないとのことだ。
そして鉄道憲兵隊も肝心の鉄道を押さえられていては、迅速な機動力を基盤とした真価を発揮できないでいる。
トヴァルがリィンを見た。
「騎神の力。あれは貴族連合も正規軍も無視できるものじゃない。お前さんの戦いぶりをこの目で見た率直な感想だ」
「運用次第ではこの内戦に介入し、状勢に影響を及ぼすことも可能でしょう」
同席しているクレアが続く。
リィンはエリオットたちに、一人ずつ視線を移していく。見返すそれぞれの表情が全てを語っていた。
その問いに対する答えは最初から決まっている。というよりも――
「今はその答えを出せません。クレイグ中将」
「ふむ、なぜだ」
「Ⅶ組の皆がそろっていないからです」
はっきりと、そう告げた。
これだけの力を宙に浮かせたままというわけにはいかない。その理屈も分かっているつもりだった。
アルフィンの救出。士官学院の解放。筋としては貴族連合と戦うべきなのだろう。その為の分かりやすい図式としては、正規軍に組するのが妥当だということも。
しかし、違う。そうではない。
全員の意志を確かめるまで、Ⅶ組としての決断は出せない。
貴族連合を討てば、確かに戦いは収束する。状況としてはそれでいいのかもしれないが。
「俺たちが決める道の先には――」
クロウがいるから。
彼と次に出会った時、自分たちはどうするのか。どうするべきなのか。もちろん選択肢などなく、戦いになる可能性もある。
それも含めて、Ⅶ組としての決断が必要なのだ。
今、クロウがを自分たちのことをどう思っているかは分からない。ただそれでも、あの教室で一緒に過ごした彼は、まぎれもなくⅦ組だったと――そう思うから。
単なる敵という括りには、どうあってもできない。
「そうか、わかった」
言い淀んだにも関わらず、オーラフはうなずいた。
「おぬしらはあくまでも学生だ。戦線に加われなどと最初から言うつもりもない。全員無事に合流した後、改めてこの内戦における足場を見極めるがいい」
黙したままリィンの返答を聞いていたクレアは、一つうなずいてから口を開いた。
「それなら皆さん――」
● ● ●
「霊力の回復具合はどうだ?」
演習場の一角に控えるヴァリマールに歩み寄る。落ちかけた夕日が白い装甲を緋色に染めていた。
『アト数分アレバ、ゆみるニ戻ル程度ノ霊力ハ戻ルダロウ』
「分かった。頼むよ」
集合時間まではもう少しある。リィンは周囲を見回した。自分以外の仲間の姿がちらほら視界に入る。
エリオットは少し離れた場所でクレイグ中将と話していた。
宿舎前にいるマキアスは誰かと口論しているようだが、物陰に入っていて相手はよく見えない。
トヴァル、エリゼ、フィーは食堂近くの休憩スペースに集まって、何やら揉めている。
「みんな、どうしたんだ?」
「さあね」
独りごちたつもりの言葉に、足元から声が返ってきた。
「セリーヌか。いつの間にいたんだ?」
「なによ。いたら悪いわけ?」
「そんなことはないが」
相変わらず、つっけんどんな態度だが、別に機嫌が悪いわけではないようだ。行動を共にして日は浅いが、騎神の中といい、一緒にいる時間は長いので、何となくそのあたりが分かるようになってきた。
「聞きたいことがある」
「さっきの戦闘で使ったアーツのこと?」
「ああ。リンクしたような感覚もあった」
「分からないわ、アタシにも」
身軽に跳躍して、セリーヌはヴァリマールの肩まで駆け登った。
「あれが戦術リンクだったのは間違いないと思う。でも元々騎神に組み込まれていた機能ではないわね。だって《ARCUS》なんてものが出てきたのは、ごく最近の話だし」
「戦術オーブメント自体、導力革命以降の物だもんな。だったらなんで……」
「確かに準契約者もヴァリマールとは繋がってる。でもそれは、あくまで契約者の予備としてなのよ。特別な力を得たりするようなことはないはずだわ。少なくともアタシの知る限り、前例もない」
予備、という一語に引っ掛かったが、彼女に悪気はなさそうだった。
「じゃあ、やっぱり《ARCUS》が関係しているのか?」
「断言はできないけどね。もしかしたらアンタが起点になって、準契約者とヴァリマールとの繋がりを一時的に強化したのかもしれない。ツールとしての役割を果たしているのが《ARCUS》ってのは、まあ考えられる話かしら」
「俺が起点で……《ARCUS》がその中継か」
「仮説よ。あくまで」
核の中で見た、あの輝く水色。湖面をたゆたうような優しげなアクアブルー。エリオットの奏でるバイオリンの旋律を、色で表したらあんな感じなのかもしれない。
あれが彼の意思の色なんだろうか。仲間のそれぞれが、各々の光を持っているんだろうか。
だとするなら、俺の心は何色に映るんだろう。
「お待たせしました、兄様」
エリゼとフィーが戻ってきた。その後ろにトヴァルも続いているが、なぜか元気がない。また何かあったのかもしれないが、詳しく問いただすと傷口を拡げそうな気がしたので、リィンはあえて触れないことにした。
親子の会話が終わったらしく、エリオットも戻ってくる。
あとは――
「その……さっきは誤解してしまってすみませんでした」
「いえ、自分は当然のことをしたまでです」
「ふふ、優しいんですね」
「と、当然のことですから!」
そんなやり取りを交わしながら歩いてくるのは、妙に角ばった動きのマキアスと、軍服から私服に着替えたクレアだった。
リィンたちの前まで来ると彼女は言った。
「支度と引き継ぎで少々時間を取ってしまいました。お待たせしましたか?」
「いいえ、今来たばかりです!」
なぜか一緒に来たはずのマキアスが声を張る。「それはそうだと思うけど」と、フィーが冷静につっこんだ。
クレアはリィンたちに同行することになったのだ。
拠点であるユミルの防衛強化に尽力してくれるという。連絡のつかないミリアムを探したいという理由もあるそうだが。
今後、各方面での専門的なサポートも必要になってくる。クレアの申し出は願ってもないものだった。
「クレア大尉、私服にしたんだ?」
フィーが言った。
「さすがにあの格好では目立ちますので。おかしくはないでしょうか」
ライディングブーツにショートジャケット、そしてタイトスカート。腰には導力銃を収めるガンホルダーを巻いている。動きやすそうな軽装だ。
「ええ、見違えました」とリィン。
「うん、雰囲気も違います」とエリオット。
「似合わないはずがありません」とマキアス。
どことなく声が弾んでいる男衆。
かたや、フィーとエリゼは冷ややかな目で、そんな彼らを見ている。
(鼻の下伸びてるし、ほっぺた緩んでるし、目じり垂れてるし。もう一回地雷でも踏んでもらおっか)
(そうしましょう)
ぼそぼそと不穏な会話をしている少女たちに、トヴァルは言った。
「男ってのは綺麗な年上のお姉さんには弱い生き物なんだよ」
「そういうものなんですか」と釈然としなさそうなエリゼのとなりで、「でもサラに対してはあんな感じになってない気がする……」とフィーは頭をひねっていた。
「トヴァルさんも年上の女性に弱いんですか?」
「鼻の下伸びるの?」
「え? あ、ああ、いや、どうだろうな。ほら、クレア大尉は俺にしたら年下なわけで――」
なぜか弁解の言葉を並べ出すトヴァル。そこはかとなくエリゼたちの非難するような目が向けられる。
ややあって、ヴァリマールの霊力の充填が終わる。全快ではないが、精霊の道を開くぐらいはできるそうだ。ルナリア自然公園ほどではなくとも、一応この場所にも七耀脈は通っているらしい。
まだケルディック地方にいるという四人目のことは気がかりだったが、今から双竜橋を抜けて引き返すことはさすがに無理だった。
この先、仲間を探していく中で、再びケルディックに赴くか、他の場所で合流できることを望むしかない。
リィンはマキアスたちに目を向けた。
他のみんなもきっと無事だ。必ず全員を見つけ出してみせる。
新たにした決意を胸に、リィンは灰の騎神を見上げた。
「戻ろう、ユミルヘ」
~続く~
――Side Stories――
《エールオブモニカ②》
ガレリア要塞演習場にある簡易休憩所。食堂横にあるこの場所は、元々屋外ミーティングなどで使われていたのだが、現在はほとんど使用されていない。
今は少ないながらも保護された民間人のフリースペースとして解放されている。
その休憩所のベンチに腰かけ、背中を丸めている少年がいた。彼の目の前の机には、導力ラジオが置かれている。
「ええと……ムンクくん、元気を出して下さい」
そんな彼――ムンクに横から声をかけているのはモニカだった。
「はは、もういいんだ。ほっといてくれないか」
一方のムンクはあからさまに元気のない様子で、うっとうしそうな前髪を下に向けて垂らしている。
トリスタを出て、林道の中で出会った二人はそのままケルディック方面に進み、本格的な貴族連合の陣が敷かれる前に、正規軍に保護されたというわけだ。
以降はこの第四機甲師団の駐屯地で寝泊まりしている。
それから一か月、モニカは食堂の手伝いなどをしているのだが、ムンクはずっとこの調子だ。一日のため息の数は三桁に届くのではないかというほどだ。
「きっと直りますから。だから諦めないで下さい」
ムンクは首を横に振って沈黙する。
彼の消沈の原因は、この導力ラジオだった。
逃げる時にぶつけたか落としたか、小雨も降ったりしたので水が入り込んだか、とにかく不調で動かなくなってしまったのだ。
アーベントタイムの放送がうやむやの内に終了して、ただでさえ気落ちしているところに追い打ちをかけられた形だ。
モニカはそんなムンクに元気を出してもらおうと、事あるごとに声をかけているのだが、甲斐甲斐しい彼女の気遣いは今のところ全て徒労に終わっている。
(どうしたらいいのかしら……)
モニカは困り果てていた。ここまで一緒に逃げてきたのだ。放っておくことは出来ない。
とはいえ、かれこれもう一か月。自分の力だけではどうにもならないのかもしれない。
そんなことを思った時、
「あ、モニカ?」
「え? フィーちゃん!?」
その場に現れたのはフィーだった。彼女に続く形でエリゼとトヴァルもやってくる。
戸惑うモニカに、フィーは簡単に事情を説明した。
「そうだったんですか……じゃあラウラとはまだ合流できていないんですね」
「うん。でもきっと無事だよ」
「ええ、私もそう思います」
ラウラだけではなく、ブリジットもポーラもだ。自分がこうして無事なのだから、彼女たちだってどこかで無事だと――そう信じている。
フィーたちの視線がうなだれるムンクに向いていた。
「あ、実はですね――」
モニカも経緯を説明する。
「なるほどな。気持ちは分かるがずっと落ち込んでたってしょうがないだろ?」
トヴァルが言った。しかしこの手の声掛けは、モニカもやりつくしている。
「やっぱりその導力ラジオを直さないとダメみたいですね」
エリゼはガーガーと異音を立てるラジオに目をやった。
「衝撃で直ったりして」
フィーはラジオをひっくり返したり、ゴンゴン叩いたりし始めた。相変わらず黙ったままだが、ムンクはちょっと涙目だ。取り返す気力もないらしい。
「だ、ダメです」
代わりに制したのはモニカだった。何かを考えていたトヴァルが、少しして口を開いた。
「俺なら直せるかもしれないな」
「え?」
反応らしい反応を、初めてムンクが見せた。
「こう見えても機械関係には強くてな。まあ物は試しと思って、お兄さんに任せちゃくれないか」
ムンクの瞳に生気が戻る。「頼りになる人なんですね」とモニカは嬉しそうだった。
さっそく修理に取り掛かるトヴァル。
「うーむ。とりあえず中を見てみないことにはな。側面の四隅をネジ止めしてるみたいだ。ドライバーなんて借りられればいいが」
「ドライバー、ですか」
辺りを見回してみる。駐屯地だからその手の物はあるはずだが、先ほどからエンジニアが工具箱を片手に忙しなく動き回っている。
先の戦闘で戦車も出撃していたから、そのメンテナンスの為だろう。何十個とあるチェック項目を一つ一つ確認していくという、かなり神経と労力を使う作業だ。仕事中のメカニックに声をかける程の度胸は、さすがのモニカも持ち合わせていなかった。
「今は……ちょっと借りられそうにないです」
「そうか。せめて代わりになるものでもあればいいんだが」
「これ使ってみる?」
フィーが差し出したのは、双銃剣だった。
「ナイフの先は細くて尖ってるし、ネジ穴にうまく引っかければ何とかなるんじゃない?」
「じゃない? って言われてもな。まあ、やってみるか」
受け取った双銃剣の切先をネジ穴のくぼみに添える。慎重に力を入れると、少しずつネジは回った。とはいえ、かなり時間がかかる。残るネジは三つだ。このペースではすぐに陽が落ちてしまう。
ヴァリマールの霊力が戻り次第ユミルに戻るので、あまりゆっくりもできない。
トヴァルは額の汗を拭った。
「もう一本あるし、私も手伝おっか?」
フィーが対の双銃剣を、ラジオの隅に突き立てる。
「待て待て。刃物なんだし、こんなに近くじゃ危ないだろ」
「でも急がないと終わらないと思うけど」
「遊撃士の仕事は迅速かつ確実が基本だぜ。お兄さんの手際を見てろって。コツもつかめてきたしな。おっ!?」
二つ目のネジにかかろうとした時、手が汗でグリップから滑った。慌てて持ち手を掴み直す。その瞬間、指が双銃剣の引き金に掛かってしまった。
ズダンと響く銃声。
「きゃ!?」
身を固くするモニカ。ちょうど戦車の機動音と重なって、兵士にまで音は届かなかったようだが――導力ラジオのど真ん中に命中。背面まで貫通した銃弾は机を貫き、ムンクの足元に弾痕を残していた。
「は、ははっ……」
ラジオに空いた小さな破孔からあがる黒煙を眺めながら、ムンクは乾いた笑みを漏らした。
「はは、ははは……あはははっ! そうか、聞こえるよ。うんうん、なるほどね、分かった。これが世界の悪意なんだね!」
突如として彼は饒舌になった。
「お、おい! セーフティーかけてないのかよ!」
「最初からないよ。そんなの」
「普通あるだろ。てかつけろよ!」
「ナイトハルト教官が常在戦場の心持ちでいなさいって」
「そういう意味じゃないぞ、絶対!」
笑い続けるムンクを置いて、フィーとトヴァルはあれこれ言い合っている。
その折、エリゼはモニカに頭を下げていた。
「そ、そのモニカさん。申し訳ありません、この度はトヴァルさんが大変なことを……」
「ちょっと待ってくれ、お嬢さん。俺だけのせいじゃ――」
「トヴァル、謝らないとダメだよ」
「くっ!」
モニカは正気を失いかけているムンクの肩を揺さぶった。
「む、ムンクくん……しっかり! 自分をしっかり保って!」
急に笑みを止めたムンクは、焦るモニカを見返した。
「ああ、モニカさん。心配をかけたかな。僕はもう大丈夫だよ」
「よ、よかった。どうなることかと――」
「妙に気分がいいんだ。今なら何でもできそうだよ。脚立はあるかな? 屋根の上から飛んでみようと思うんだ。ふふ、きっと遠くにいけるはずさ。え? 崖から飛ぶ方がいいって? それもそうだね、そうしよう!」
「だ、ダメえええっ!」
変わらず導力波を受信しないラジオと、得体の知れない何かを受信しだしたムンク。
モニカの奮闘は始まったばかりだ。
☆ ☆ ☆
《真実のファインダー②》
それはレックスにとって予期しないことだった。
ガレリア要塞、第四機甲師団の拠点。その宿舎前で、レックスの前に立ちはだかるのはマキアスである。
「いいから退いてくれってば」
「そうはいかない。君の目的を話してもらおう」
学院を出たレックスだが、モニカやムンクのように道中で保護されたわけではない。彼は自分の足でここに来た。さらに居つくつもりもなく、気に入る写真が撮れたら出ていこうと思っている。
「まずはなぜ君がここにいるのかを教えてもらおうか」
「別に何だっていいじゃん。それにそこはお互い様だろ」
元々は戦場カメラマンを謳い、各地を回っていたレックスだったが、結局その方向性は持続しなかった。
肩書は自分で名乗っていただけだし、情報網もないから次にどこで戦端が開かれるなども分からない。
無論、戦場カメラマンは戦闘の場面だけを写真に収めるものではないが――何にせよ、彼は方向性を変えた。というか戻した。自分が得意とする被写体に。
それほど親しい間柄ではないが、お互い学生会館に部室を持つ彼らである。当然面識はある。レックスのマキアスに対する印象は“堅物”の一言だ。
だから、こんな場所でマキアスに出会ったのは、レックスにとっては完全な誤算だった。
「なんで邪魔するんだよ!」
「一般人が正規軍の宿舎に入ろうとしているのを見つけたんだ。それもコソコソと。怪しむのが普通だろう」
固い上に、変なところが鋭い。
話題を変える。
「……そういえばマキアスって眼鏡かけてなかったか?」
「説明すると長くなるが。その、なんだ……地雷で吹っ飛んだんだ」
短いじゃん。というか地雷ってなんだ? まあいいや。とりあえず隙をつくらないと。
レックスはびしっと遠くを指さした。
「あ! あんな所に新品の眼鏡が落ちてるぞ!」
「な、なに!?」
引っ掛かった。これが本当に学年首位の頭脳なのか。
「へっへーん。じゃあな!」
「ま、待て! 卑怯なマネを!」
憤るマキアスを背に、レックスは宿舎の中に走り込む。彼の目的はただ一つ。クレア・リーヴェルト大尉だ。
さっきから彼女は何度も宿舎を出入りしている。私物を運んだり片付けたりしているようだ。その理由は分からなかったが、これは千載一遇のチャンスだった。
噂に名高い氷の乙女。その素顔はいかに。ぜひともファインダーに収めたい。
簡素な廊下にいくつもの部屋が並んでいる。ここは違う。多分、一般兵が休息をとる詰所だろう。士官用の個室は――
「二階だな」
驚異的な勘である。
奥の階段を登り、二階へ。共用部の作りは一階と同じだった。出払っているのか人気はない。いや、一室だけドアの隙間から光がもれている。
カメラを構えて忍び足で近づく。
「見つけたぞ!」
マキアスが追いついてきた。
人差し指を口元に立て、小声で言う。
(静かにしろって。今その部屋にはクレア大尉がいるんだから)
(まさか君、彼女を写真に撮る気か!)
(だったら何だよ)
(させるものか)
マキアスは扉の前に立ち、レックスを阻む。
(どけよ!)
(どくわけないだろう!)
押し合いへし合いの最中、マキアスが言う。
(そもそも君、オカルト研究部のベリルさんと仲が良かっただろ。時々一緒に歩いているのを見たことがある)
(だからなんだよ)
(なのに他の女性の写真を撮ることにかまけて、彼女に悪いと思わないのか)
どうして写真を撮ることが悪いことなのか。どうしてそこでベリルの名前が出てくるのか。マキアスの言うことが、レックスにはよく分からなかった。
「悪いって……なんで?」
マキアスを押す力を弱め、レックスはそう尋ねた。意外そうな顔をしたのも一瞬、「それは――」とマキアスが口を開きかけた時、彼が背にしているドアが突然開いた。
支えがなくなって二人揃って倒れ込む。
「そこで何をしているのですか?」
凍るような冷たい声音が耳に届く。微笑を浮かべたクレアが二人を見下ろしていた。微笑していたが――その手には銃が握られており、筒先はしっかりこちらの額を捉えていた。
上半身は私服だ。着替え途中のタイミングだったらしい。
「違うんです。クレア大尉! 僕は彼を止めようと……!」
彼女は銃を下ろさない。
「マキアスさんと……そのご学友の方でしょうか。あなた達といえども、返答次第では然るべき制裁を受けてもうことになりますが」
目が本気だった。これが
軽い気持ちで手を出してはいけない相手がいることを、この日レックスは初めて知った。
☆ ☆ ☆
お付き合い頂きありがとうございます。
Prism of 《ARCUS》の意味が少しずつ表に出てきました。まだまだ序盤ではありますが。
悲しい冒頭からスタートしましたが、無事にみんなパーティインできました。
クレア大尉も同行し、イベントの幅が増えますね。前作ではちびっこトラップぐらいだったからなあ。
というわけで次回は休息日! 短編のノリは久々ですね。学院生達のサブストーリーも含め、前中後編でがっつりやろうと思います。
『ユミル休息日 前編』。一発目のタイトルは『フィーネさん』です。
まーたわけの分からんものを出してきやがってって感じでしょうか。
次回もお楽しみ頂ければ幸いです。