虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第85話 紡いできた先へ

 ブレードの先が地面に垂れる。あえぐように肩で呼吸をする。この人数差を相手に一人で立ち回るのは、さすがに厳しかった。

 それでも落ちかけていた視線を持ち上げ、サラは残り数名となった敵勢を見据えた。

「ここまでとはな……正直恐れ入る」

 《北の猟兵》のリーダーが言った。双竜橋で話したのも彼だ。自分が団に所属していた時は、役という役にはついていなかった彼が、いかな功績を上げたのか頭目に昇進している。こういう業界だから、単に入れ替わりの繰り上げ昇格かもしれなかったが。

「まだまだやれるわよ。噛みつかれたくなかったら下手に近づかないことね」

 周囲に倒れた猟兵たちの中心で、額にかかった前髪をかき上げる。体力の消耗を物ともせず、強い意思を湛えた瞳が闇に浮き立っていた。

「団を抜けて鈍ったかと思いきや……あの頃とは別種の凄みも増した。その理由が知りたい」

「あたしはあの子たちの教官だから。守るものができると引き下がれなくなるの」

「ノーザンブリアは守るものではなかったと言うことか? お前にとってノーザンブリアとはなんだったのだ」

「大切な人が眠る大事な故郷。今でもそう思ってる」

「ならばなぜ捨てた」

「捨てたつもりはないわ。ただ、このエレボニアも同じくらい大切に思ってる。第二の故郷と言えるくらいに。生きる場所が変わっただけよ」

 しばし黙考していた敵のリーダーは、おもむろにライフルの筒先を下ろした。

「……興醒めだ。ここらが引き際だろう」

「どういうつもり?」

「どうもこうもない。報酬分は働いている。これ以上は過ぎたサービスだ。オーロックス砦は壊滅的なダメージを受けた。戦況がどう傾くかはわからんが、拠点防衛などはそもそも契約に含まれていないからな」

 そう言うと、彼は踵を返した。他の団員が倒れた仲間に肩を貸しに向かう。サラを攻撃するつもりはないようだった。私怨ではなく、あくまでも契約上の敵として戦っていたということか。

「我らは撤退する。もう帝国の中で出会うこともあるまい。次に戦場で見えた時は容赦せんがな」

「次……」

 その場を離れようとするリーダー。その襟首を、サラは後ろからわし掴んだ。

「な、なにをする!?」

「次はないわ」

 押し殺したような低い声で告げる。

「なに勝手に納得して帰ろうとしてるの? あんた達はもう、やらかしたあとなのよ」

「貴様っ、せっかくこちらが見逃してやろうと……!」

「認識を変えた方がいいわね。私が見逃さない側」

 事態に気づいた他の猟兵たちが銃口を向けてきた。

 振り向けないながらも気配で察し、「撃つな! 俺に当たる」とリーダーは焦って部下を止める。

「貴様は自分でやっていることがわかっているのか。我々が倒れれば故郷への送金が止まる。そうなれば――」

「そこに生きる人たちは困るでしょうね。でもなんとかなるでしょ」

 リーダーの言葉を引き継ぎ、そう押しかぶせる。

「あんたたち一団の稼ぎだけで、ノーザンブリアの人々の口が賄えているわけじゃない。諸外国で活動してる《北の猟兵》は他にも多いはず」

「だとしても収入の一角を担っているのだぞ。確実に影響を及ぼす。困窮の時代からここまで生活水準を戻すのに、どれほどの時間と労力がかかったか知らぬわけはあるまい!」

「もちろん知ってる」

「うぐぇ……」

 襟首を締める力が増し、リーダーが苦しげにうめいた。

 かつてのノーザンブリア大公国、その公都ハリアスクに出現した通称〝塩の杭”によって、人も物も含め国土の大半が塩の結晶と化した。

 およそ三日で〝塩の杭”は縮小し、封聖省から派遣されたとある星杯騎士の手によってそれは回収されたものの、大混乱は収まる気配を見せず、国家元首の逃亡とも相まって、ついには国一つを崩壊せしめる暴動へと発展した。

 やがてアルテリア法国の承認を受けてノーザンブリアは自治州となるが、産業基盤を回復することは叶わず、今日に至るまで貧困は続いている。

 他国への影響も少なからずあった。当時ノーザンブリアと交易を行っていた旧ジュライ市国にも経済的な困窮をもたらし、その状況を利用する形でエレボニア帝国はジュライに鉄道網を開設した。

 そして一年後、鉄道は爆破事故に遭う。その一件に端を発し、ジュライはエレボニアに合併される道をたどることになるのだ。

 自分と関係ない話ではなかったから、サラもある程度は聞き及んでいた。

 計略的な手腕をもって合併の話を半ば強引に押し進めたのが、かのギリアス・オズボーン宰相だったこと。

 最後まで合併に反対していた当時の市長は、あろうことか爆破事故の容疑をかけられ、議会を追放されてしまったこと。その後に市長がどうなったかまでは知らないが――

「何か一つが壊れれば、それに関わる何かも壊れてしまう。ケルディックも同じこと。戻りかけた流通が失われた。元の暮らしを取り戻すまでに、悲しみが癒えるまでに、どれほどの時間を費やせばいいのか見当もつかない」

 一瞬で生活が壊された絶望と、魂が失われたような虚脱。そして復興への途方もない道のり。

 その苦しみを身をもって知っているはずなのに、どうして誰かを同じ目に合わせることができる。

「わ、我々は故郷の為に……!」

「それは大義名分とは言わない。都合のいい棚上げって言うの。もっと簡単な言葉に置き換えるなら正当化よ」

「……っ! 足だ! 足を狙え!」

 振り解けないと判断したらしく、会話を断ってリーダーが叫ぶ。

 銃声が響き、サラに向けられていた銃口の一つが弾け飛んだ。撃ったのはサラだった。

 たじろぐ猟兵たち。首がさらに圧迫され、リーダーはもう言葉も発せられない。

 ノーザンブリアの人々に恨まれるだろうか。今度こそ裏切り者の烙印を押されるだろうか。

 それでかまわない。悲劇的な背景だからと目をつむって彼らを逃がせば、私は二度とケルディックの人たちと顔を合わせることができなくなる。

 発露した怒りに重なるがごとく、紫がかった雷光が薄闇を走った。

「帝国の中でもう出会うことはない、か。勘違いしてるみたいだから言っとく。……あんた達がエレボニアを出ることはないのよ」

 

 

 《――紡いできた先へ――》

 

 

 鋼の装甲は特殊コーティングまでなされているらしく、こちらの攻撃が通らない。

「動きは鈍いが、恐ろしく硬い。ショットガンの弾まで防がれる」

 人形兵器《スレイプニルA》と交戦するマキアスが、こちらに声を飛ばしてくる。もう一体の《スレイプニルB》を相手取るユーシスは「泣き言は聞かん。どうにかしろ」と、視線を敵から外さないまま返した。

 堅牢な造りになっている指令室だが、暴れ回る人形兵器に耐えうるほどの強度はないらしい。弾痕だらけの壁面に、めくり上がった床。椅子やら机やら盾代わりにしていた遮蔽物は、すでに原型を留めていない。

「ははは! どうだ! 誠心誠意詫びるなら、ここで手打ちにしてやらんでもないぞ」

 部屋の隅っこで哄笑を上げるヘルムートに合わせたかのように、敵機の動きが止まった。

 いちいち相手にする余裕もなく、マキアスはユーシスの近くまで戻ってきた。

「公爵は制御装置の類を持っているようだ。あの人形兵器は自律型みたいだが、それさえ奪えれば……」

「この状況で父上までたどり着けるものか。よしんば行けたとしても、素直に制御装置とやらを渡してもらえるとは思えん」

「それはそうだが……」

 ならば行動できないくらいに破壊するしかない。元々そうするつもりで戦っていたわけだ。今さらの確認ではある。

「ミラーデバイスかショットガンで間接を狙えないか?」

「デバイスは数に限りがある。撃ち落とされたら終わりだし、使いどころを間違えたくない。それとショットガンは散弾だから精度が低い。接近すれば行けそうだが、下手に近づけば蜂の巣だ」

「蜂の巣になりながら近づけばいいだろう」

「殺す気か! 君の魔導剣はどうなんだ。装甲ごと吹き飛ばせないのか?」

「やれるとは思うが……単独では溜めの時間が稼げない。お前がおとり役になるのなら話は別だが」

「どうあっても僕を危険な目に合わせたいらしいな!」

 トヴァルの改造のおかげで《ARCUS》の高速駆動はできる。それでも初級アーツなら三秒、中級なら五秒のチャージが必要になる。

 人形兵器の外装を一撃で貫くなら、中級を発動させる必要があるだろう。しかし五秒も足を止めるのは、こちらから的にしてくれと頼んでいるようなものだ。

「エマ君の転移術やミリアムのトランスがあれば、かなり戦術の幅が拡がるのに……」

「エリオットの移動駆動も有用性が高い。一撃必殺のガイウスもだ」

 効果的な能力を持ち合わせる仲間が、ことごとくこの場にいない。

 ない物ねだりに嘆息をこらえつつ、ユーシスは言った。

「役に立たないな、お前は」

「その台詞はそのまま返すぞ!」

 スレイプニルAとBが再び動き出す。ガゴンガゴンと弾丸を再装填する音が聞こえた。ほとんど更地の化した空間では、これ以上凌ぐことも避けることもできない。

「とにかく走り回れ! あわよくば同士討ちさせるんだ」

「もっとマシな策は思いつかんのか!」

 魔導剣さえ発動できれば。その隙のない相手に歯がみしつつ、ユーシスは一つの気がかりに思考を向けた。

 アルフィン皇女がここに現れれば、敵を殲滅せずとも全ての片がつく。だが仲間たちはまだ来ない。皇女の足に合わせたとしても、とっくに到着している頃なのに――

 

 

 絶妙な時間差で放たれた連続矢が、フィーの機動力を封じていた。彼女のスピードをもってしても、エンネアの懐には迂闊に踏み込めない。弓が主武装なのに、近距離にも対応してくる。

 さらに闇に紛れて上空に射った矢が落ちてくる。「上です!」と叫んだエマに反応したミリアムが、アガートラムを傘状にトランスさせた。

 上方に守りの意識が向いたミリアムの隙をついて、一足飛びに間合いを詰めたアイネスがハルバードの横薙ぎを繰り出す。間髪入れずに転移術が発動。一秒前までミリアムがいた位置に、長大な斧が振り抜かれた。

 今度はミリアムを助けたエマに向かって、エンネアの弓が引き絞られた。

「――ミラージュショット」

 岩さえ貫通するほどの、紫光をまとう豪速の矢。自分が狙われていることにエマが気付いたのは、すでにそれが弓から放たれたあとだった。

 エマは自身の前に転移陣を出現させる。そこに飛び込んだエンネアの矢は、宙に現れた別の転移陣から飛び出した。角度を変え、斜め上からアイネスの足元にズドンと落ちる。

「むっ!?」

 不意の一撃にアイネスの体勢がわずかに崩れた。

 好機は見逃さず、ガイウスの槍がハルバードを狙う。ほとんど同時、ムービングドライブでの駆動を終えたエリオットの《クリスタルフラッド》も放たれた。

 刺突が斧に接触する寸前、アイネスを中心に光の壁が立ち昇り、勢いの乗った穂先は阻まれる。アーツも同様に防がれた。地面を走る凍てつく冷気が、光の壁の前で霧散して消失する。

「物質の結合点を打つ武器破壊ができるのか。〝盾”が間に合わねば危なかった。それに走りながらアーツを駆動させる者も初めてだ。あなどれんな」

 言いつつハルバードを振るい、アイネスはガイウスを押し返した。

 やはり一流の実力者。構えから一点突貫の理合を見切るなど、一朝一夕で身につく観察眼ではない。

「よそ見なんて余裕ですわね!」

 つかのま仲間たちに向けていた視線を自身の相手に戻し、ラウラはデュバリィの一刀を受け止めた。

「戦力差を把握したかっただけだ。そなたから意識はそらしていない」

「んきー! 減らず口!」

 上段からの切り下ろし。返す刃での逆袈裟。そこから脇に構えての横薙ぎ。足運びにフェイントも入れてきた。左手の盾で体を隠しつつ、電光石火の突きへと続く。

 流れを途切れさせない理想的な連撃の組み方だ。以前ならとても捌ききれなかっただろう。

 しかし蒼耀剣ならば追いつける。

 左小指を起点とする、剣先までの力の伝わり方に淀みがない。体と剣の動きが合致している。

 ラウラは巧みに剣を振るい、デュバリィと何度も切り結んだ。

「予想以上に良い剣のようですが、それで勝てると思っているなら甘いですわね!」

「負けるつもりで戦う勝負などない」

「ああ、それは確かに……って誰が納得するものですかっ!」

 負けを前提に戦ってなどいないが、すんなり勝てるとも思っていなかった。仲間たちも同様だ。全員で連携を取って立ち回ってくれているが、なかなか突破口は切り拓けない。

 相手の実力は底が見えない。どこかで切り崩されるとしたら、おそらくこちら側だろう。時間の問題だ。どうする。

 激しく打ち合う最中で、ラウラは判断を迫られた。

 鉄機隊の目的はアルフィンの奪取。彼女を逃がすなら、拮抗状態にある今を置いて他にない。だがどこへ? カレイジャスに戻るには遠すぎる。単身でオーロックス砦に行かせるには危険すぎる。離れていない場所で、彼女を守れるとすれば――

「殿下、リィンと合流して下さい!」

 近くの木の陰に隠れていたアルフィンがぴょこっと顔を出した。

 リィンは今、この近辺でヴァリマールと霊力の強制回復中のはずだった。十分な戦闘ができずとも、騎神がそこにいるというのは、それだけで脅威になり得る。鉄機隊の三人もおいそれと手出しはできまい。

 それに回復度合いによってはオーロックス砦までの護衛も任せられる。

「は、はい!」

 状況は理解しているらしく、アルフィンは駆け出した。

「あ、皇女が!」

「行かせん!」

 追おうとするデュバリィとアルフィンの間に、ラウラが立ち塞がった。

「どこまでも邪魔をして……!」

「それはこちらの言うことだ。追わせるわけにはいかない」

「時間稼ぎはさせませんわ。すぐに終わらせます」

 大剣を肩に担ぐように構えると、デュバリィは体を半身に引いた。光が剣に宿り、圧が増大する。これは必殺の一撃だ。

 こちらも相応の技をぶつけなければ、ここでやられると直感した。この局面で出せる同格の剣技は、ただ一つ。

 ラウラは蒼耀剣に精神を集中させた。己自身を一振りの剣と成すように、気を鋭く研ぎ澄ます。

「獅子洸翔斬。父上から託されたアルゼイド流の奥義だ」

「プリズムキャリバー。たゆまぬ研鑽の果てに磨き上げた剣技です。傍流のそれとは格が違うということを、身をもって思い知らせてやりますわ!」

 二つの闘気がせめぎ合い、その余波が空気を振動させていた。

「何を理由にアルゼイドの技を傍流と呼ぶかは知らないが、ではそなたは自らを正当だと胸を張れるのか?」

「……なんですって」

「直接関わらずともケルディックのことを容認し、さらには皇女殿下を狙う。鉄騎隊に連なる名を掲げる資格はない。槍の聖女――リアンヌ・サンドロットに仕えしかの隊は、もっと高潔であったはずだ」

 デュバリィの剣先がぴくりと震えた。すっと目が細くなる。じだんだを踏むでも、口をついて言い返してくるわけでもない。本物の怒りの表れだった。

「私たちは主の命に従うだけ。そこに善悪は関係ありません。あるのはただ不変の忠義のみ」

「主とは誰だ」

「使徒第七柱、アリアンロード様」

「道理の通らない命令を下す者ならば、いかなる輩であろうとも看過しない。いつか私の剣で――」

「それがリアンヌ・サンドロットその人だったとしても?」

 遮って告げられた言葉に、ラウラの思考も遮られた。何を言われたのか、とっさにはわからなかった。

 動揺が足をぐらつかせる。デュバリィに合わせていた焦点がぶれたのは、ほんの一瞬のことだった。

 しかし致命的な間だった。

 え、と思った時には遅く、あ、と思った時には敵の剣が目の前にあった。

 

 ●

 

 連結を解かれた法剣が自在に宙を踊り、うねる炎の軌跡を描く。

 《ケストレル・ビヴロスト》の変則的な斬撃は、《レイゼル》の性能をもってしても容易には避けられないものだった。

 しかも法剣は二本。軌道を見切って第一刃をかわしても、巧みな時間差で第二刃が追い詰めてくる。切り返す刃の俊敏さは、まるで獲物に襲い掛かる蛇のようだ。

「早い……!」

 近接は相手の独壇場か。操縦桿を弾いて、アリサはレイゼルを後退させた。

 すかさずケストレルが追撃を仕掛けてくる。肩部から小型ミサイルと脛部から榴弾砲が各四発、計八発が発射された。さらに後ろに飛び退きつつ、アリサは左手に持った中距離ライフル《オーディンズサン》を前方に突き出した。

 乱射で弾幕を張って迎撃。闇に咲き乱れた爆光が、オーロックス砦前の半壊した敷地を赤く照らす。

 撃ち落とせなかった数発が至近距離で爆発した。叩きつけられるような衝撃がコックピットを横殴りにする。横転は命取りだ。オートバランサーとマニュアル操作を織り交ぜつつ、レイゼルの姿勢制御を行う。

「っ、砂塵で視界が悪いわ。でもそれはお互い様ね!」

 アリサはアサルトラインを振るう。足でも腕でも絡みつきさえすれば、即座に切断して機動力を削げる。四本の鋼線が舞い上がる粉塵を引き裂いた。

 ケストレルが榴弾をばらまく。自機とレイゼルの間に落ちたそれらは、猛烈な爆風を広範囲に押し広げた。衝撃に煽られたアサルトラインの軌道が乱れる。

 滞留する噴煙を突っ切って、ケストレルが肉薄してきた。正面から受け止めたレイゼルの両手と組み合う。同格の膂力だ。ぎしぎしと鋼鉄の軋む音に混じって、スカーレットの声が聞こえた。

『この程度かしら?』

「そんなわけないでしょ!」

 敵はレイゼルから離れないように立ち回っていた。黒龍関のこともある。警戒しているのだろう、一発逆転があり得るオーディンズサンのトールハンマーバレットを。

 アサルトラインの対策も立てていたようだ。こちらが右手を動かそうとすると、先んじて爆発系の弾薬を使ってくる。ずいぶんと荒いが、精細な操作を要する鋼線には最適な対応だと言える。

 アリサは再スキャンした敵機の情報に視線を走らせた。

 交戦開始時よりも機体内部の熱量が上がってきている。ぞっとした。そんな状態で火砲を使っているなんて。いつ誘爆を起こすかわかったものではない。

 ケストレルの腕を振り払うと、レイゼルは後ろに向き直った。ランドローラー起動。急速にその場を離れ、敷地を囲む岩壁をブースターの推力も使って乗り越える。

『この後に及んで逃げる――なんてないわよね。ええ、乗ってあげる』

 ケストレルが追ってきた。あの火力相手に平坦なフィールドはやりにくい。岩壁の向こうは無秩序に拡がる樹林地帯だ。

 この一帯のルートを通って、ラウラたちはアルフィンをオーロックス砦まで護送する算段である。時間を考えると、彼らはとうに林を抜けている頃だ。派手に暴れても問題はない。

 機甲兵の全長に匹敵する大きさの木々の間を抜けて、レイゼルは樹林帯の中腹まで進む。

 後方からアラーム。ロックされた。ケストレルの腕部に装備されていた機関銃が火を噴き、連続する銃声が背後でけたたましく弾ける。乾いた土くれが着弾の衝撃に跳ね上がった。

 足裏のグランドホイールをフル回転。機体の向きを変えつつ、レイゼルの左腕を正面に突き出すと、アリサはブレイズワイヤーを射出した。アンカーを巨木の幹に貫通させ、傘を開いて固定する。

 ヴァルキリーブーストで急加速。レイゼルはびんと張ったワイヤーを振り子のように利用して、土を蹴立てながら大きくアーチ状に旋回した。

「っ! くうぅっ!」

 強い加圧が右側に集中する。右のサイドディスプレイに頬を押し付けられながら、アリサは最大まで伸ばしたアサルトラインを振り抜いた。

 横四閃(、、)に触れるもの全てを刈り取り、丸太と化した大量の木々がケストレルに殺到する。さらにブレイズワイヤーを刺したままの巨木を力任せに引き抜く。メキメキバキバキと根元から引っぱりあげ、全身の力を総動員してケストレルに投げつけてやる。

 回避できる攻撃密度ではない。ケストレルは立ち止まり、残されていた残弾を一斉に撃ち放った。

 大爆発。木っ端微塵となった丸太の屑片が、赤黒い炎に巻かれて散り散りに消える。

『――ねえ、あなたはどうして戦っているの?』

 ノイズの向こうからスカーレットの声が届く。同時に法剣も飛んできた。腕のショートシールドでいなしつつ、アリサは問い掛けに応じる。

「守りたいから。取り戻したいから。そのためよ」

『月並みな答えだけど、そうなんでしょうね。同じ質問をヴァルカンにされたリィン君も、似たようなことを言っていたわ。録音で聞いたの』

「リィンだけじゃない。私たちはみんな、その想いでカレイジャスに乗ってる。だから諦めずに戦ってる」

『だったら教えて。守りたいものもなく、取り戻せるものもない人間はどうしたらいいのか。戦うことしかできない人間が、戦う理由を失ったら何が残るのか。動く(むくろ)と変わらず、呼吸をしているだけの人間は生きていると言えるのか』

 法剣が鋭くしなる。反射的によけるアリサ。レイゼルの真後ろ、斜めに両断された大木が、中程からずれるようにして倒れた。すさまじい高熱が擦過したせいで、その断面は黒く炭化している。

「あなたの事情は知らない。でも何があったにしても解放戦線に入って、クーデターを起こしたのは事実でしょ! 都合のいいことを言わないで!」

『鉄道網の拡大でね、故郷を失ったの。私がオズボーンを恨んだ理由はそれ。我慢すれば良かったのかしら? ささやかな立ち退き料を握りしめて、仕方のないことだと慎ましやかに生きれば良かったのかしら?』

「そうは言わないけど……!」

『けど、なに?』

「他に方法はなかったの!? 戦う以外に方法は! 誰かを傷つける道を選んだら、今度はあなたが恨む人が出てくるのに!」

『聞き飽きてるわ、その手の理屈。世間知らずのお嬢さんね。感情は理屈じゃないのよ』

 スカーレットを納得させる答えを持っているはずもなかった。

 感情は理屈じゃない。当然だ。けれど他人がその人の感情を知ることはできない。いや、知ることは聞けばできる。感じることができないのだ。だから本質的な部分で理解ができない。

 そして個人の想いを実感として識る方法など、この世のどこにもありはしない。

『ああ、深く考えなくてもいいわ。ちょっと訊いてみただけだから。もう答えは出てるもの』

「え?」

『ヴァルカンと同じよ。生きた証を刻み付けて、自分自身に区切りをつける。その最期に相応しい相手をあなたに決めた。リィン君じゃなくてね。さあ、私の期待に応えてちょうだい!』

 会話を断ち切って、ケストレルが猪突してくる。全弾を使い切って用済みになった武装と、全身の追加装甲を解除(パージ)した。抜き身の刃となった紅い機体が、本来のスピードを取り戻す。

 アリサはアサルトラインで牽制する。紅耀石の特性を宿すケストレルから、勢いよく熱気が発せられた。膨張する空気圧に、鋼線が押し返される。

 ならばとブレイズワイヤーを撃つ。機敏に回避したケストレルは、一本の法剣をワイヤーに絡みつかせた。

「あっ!?」

 しまった。これでは巻き戻せない。いや電撃を走らせれば有効――遅かった。相手はすでに剣を手放している。こちらも強制パージしかない。アリサは左のショートシールドごと、ブレイズワイヤーを腕部から切り離した。

 跳躍して距離を詰めたケストレルが、膝蹴りを打ち込んできた。コックピット狙いだ。両腕で胸部を防御。重い衝撃にレイゼルがたたらを踏む。

『ふふ、どうしたの? 動きが鈍くなった気がするけど。もっと楽しませてもらわないと』

「……戦いは楽しむものじゃないわ。少なくとも私にとっては」

『あなたの主義はどうでもいい。乗り気になれないなら、ケルディックのことを思い出しなさい。燃え朽ちた町の風景を。傷ついた人々の表情を。どう? やる気出たかしら』

 操縦桿を持つ手がこわばる。

 ああ、そうだった。この人はケルディックが襲撃されることを知っていた。知っていて、放置した。そういうことか。

「どうせ自分はここで終わるから、関係ないからって、そう思ってたの……?」

『だとしたら?』

「許せない」

 アリサはレイゼルに《レヴィル》を装備させた。特殊合金製の片刃ナイフだ。

『ナイフ一本って、本当にやる気ないわけ――え?』

 腰裏のマウント部のロックが外れ、そこにホールドしていたオーディンズサンが地面に落ちる。アサルトラインが収納されている右腕のショートシールドも外れた。

 そして背負っている大型ブースター、ヴァルキリーユニットも接続ボルトが解除され、ユニットごと背中からずずんと落下した。

 レヴィル以外の武装を解いたのだ。

『なにを……!?』

 戸惑うスカーレットには無言を返し、アリサはレイゼルの〝六番目”の兵装を選択した。

 ぐんと機体の内奥が微震する。操縦席の証明が落ち、モニターも光を失い――、一瞬のあと回復した。〝切り替わった”のだ。

 操縦桿を握り直す。フットペダルに足を乗せる。ここからは次元が違う。

「フルストームモード起動」

 

 

 ナイフ以外の武装を解除するなんて、いったいなんのつもりだ。

 迷わず攻撃するべきかもしれなかったが、意図の読めない相手の行動に、スカーレットはひとまず様子をうかがう。

 レイゼルの周囲がざわめいていた。

「これは磁場?」

 石が勝手に転がり、落ち葉が破ける。

 あの長距離砲を撃つ直前の現象に酷似していた。なにを仕掛けてくるのか、スカーレットは身構えた。

 レイゼルがわずかに前傾姿勢になる。まともに視認できたのはそこまでだった。

 敵の足元が爆ぜた。そう思った時には、その姿を見失っていた。直後、機体の左側に振動。振り向けたメインカメラにレイゼルが大映しになる。逆手に持ったナイフの切っ先が、ケストレルの肘関節に入っていた。

 まずい。このナイフは電気を伝う。

「このっ!」

 腕をひねって、刃から逃れる。スパーク光が虚空に瞬くのが見えた。一秒遅かったらやられていた。

 ケストレルは腰を軸に回転し、法剣を360度に薙ぐ。連結を外した刃の一つ一つが宙を走り、火の粉を撒きながら周りの木々を切り払う。しかしレイゼルには当たらない。捉えられない。また見失った。

 敵を捕捉できないまま、背、足、腕に立て続けに攻撃を受ける。対応しようとする矢先から裂かれていく装甲。砕けた破片が宙を舞う。

「調子に乗るのもその辺りにしなさいよ!」

 法剣が跳ね、縦横無尽に波打つ。派手な泥しぶきが視界の高さにまで飛んだ。攻防一体の陣に、ようやく朱色の影が離れた。

 レイゼルの装甲の奥、機甲兵の骨格を成すフレームが青白く発光している。

 速さと一括りにできないほどの異常なスピード。確か彼女は〝フルストームモード”と言っていた。そうか、これが――

「エネルギーの内部転化……!」

 スカーレットはその可能性があることを、レイゼルの戦闘データを分析した整備主任から聞かされていた。

 背部の大型ブースター、可変型アサルトライフル、風で操る鋼の糸、電気を伝うワイヤー。それらは全て、翠耀の生む力を外部供給する形で機能させている。

 だが個別に武装に七耀石をセットすれば、わざわざ機体からエネルギーを分配しなくても済む話なのだ。

 フレームにまで翠耀石を組み込み、機体自身に風と雷の特性を宿した、その理由。

 再びレイゼルが動く。滑らかに曲げた関節から、閃光がほとばしった。

 接近されたら手がつけられない。もう一度広範囲に刃の防御を。

 剣を振るおうとした時には、懐に踏み込まれたあとだった。圧倒的な瞬発力からの、銀色に煌めく一閃がモニターに刻まれる。

 左肩から先が操作に反応しなくなった。装甲の隙間から導力信号の伝達ケーブルを切断されたのだ。だらりと腕が垂れ、力を失う。

 背面に二つあるブーストバインダーを開き、最大出力で後退。とにかく距離を開けなくては。まだ右腕は生きている。

 しかし容易く追いつかれた。減速しない直角機動で背後に回られ、ナイフを突き立てられた右側のブーストユニットが、小さな爆発を起こして黒煙を噴く。

「こうもあっさり後ろを取られるとか、冗談きついわ」

 機能不全のアラームが鳴り響くコックピットで毒づきながら、スカーレットは機体の姿勢制御に集中した。機甲兵同士の戦闘は、転倒した方がほぼ無条件で負ける。

 あの超スピードの理由は察していた。

 導力駆動から電力駆動に切り替えたのだろう。正確には反応速度を統括する伝達系に、莫大な電気を通しているのだ。

 もっとも理由はともかく、原理まではわからない。整備主任が理論を説明してくれたが、専門職の長広舌は聞き流してしまった。

 それでも理解できたことが二つある。

 電気は導力にも似た〝信号”の送受信ができるということ。

 電気が物質を伝う速さは、導力のそれよりも遥かに速いということ。

 もしも50年前に導力革命が起こらなかったら、発展していたのは電気の特性を利用した技術だったとも言われている。

 そしてその特性を外ではなく内側に向けることによって、機体の速度とレスポンスに直結させた。それがエネルギー転化、フルストームモードとかいう能力の正体だ。

 しかも高速移動の補助として、背部に集中させていた圧縮空気を、機体の数カ所から噴出させている。正面への突破力を減衰させた代わりに、全方向への俊敏さが跳ね上がっていた。

 武装を外したのは、機体を軽くするためと、攻撃手段としての意味がなくなるからだろう。

 あれほどの速さの中では、ライフルの照準も鋼線のコントロールも、まず追いつかない。ただ一つ、腕と同一の操作で扱えるナイフを除いては。

 レイゼルの装備を見た時、あのナイフには違和感をもった。特殊装備で固められた武装の中で、ひどく地味に思えたのだ。

 間違いだった。あれは近接特化となるフルストームモードにおいて最大の効果を発揮するよう設計された、もっとも危険な武器だ。

 尋常じゃない。機体も、操縦士も。

 あれほどの動きに振り回されているのだから、コックピットの人間もただでは済まない。交通事故を連続で起こすような衝撃と加圧に、普通なら一分と耐えられないはず。

 そこまで考えて戦慄した。そう、耐えられないのだ。つまりあの娘は――

「一分以内に倒すつもり? この私を……!?」

 なめるな。やれるものなら、やってみろ。

 並列式オーバルエンジン全開。バースト限界まで出力を引き上げる。熱の揺らぎがケストレルの姿をゆがめ、背に吹き荒れた火炎が悪魔の羽のように禍々しく蠢いた。

 飛び火が木々に燃え移った。倒れ、散乱した丸太も伝い、ケストレルとレイゼルを囲むようにして円状に炎のフィールドが形成される。

 法剣を突きの形に構える。ダークフェンサー。これが私の最後の技。貫いてみせる。敵機もナイフを順手に持ち構えた。刃から激しいスパークが散っている。

 両機、同時に動いた。

 高熱と火炎を従え、ケストレルが突撃する。

 烈風と轟雷をまとい、レイゼルが疾駆する。

 互いの間合いを瞬時に侵略し、二つの硬質な残光が激突する。すれ違うコンマ一秒に、稲妻が炎を切り裂いた。これまでで一番大きな破砕音が、コックピットの下から突き上がる。

 ああ、負けた。機甲兵の腰の奥には、姿勢制御用のジャイロや、上半身と下半身を繋ぐ重要な機関がいくつもある。それを穿たれた。

 でもまだかろうじて動ける。無理やりに背後に振り向くと、レイゼルもこちらに向き直っていた。感触で浅いと判断したのだろう。

 二撃目の準備はケストレルの方が早かった。このタイミングなら確実に貫ける。完全に機能を失う前に、スカーレットは法剣を突き出そうとした。

 その刹那、視界に小さな人影がよぎった。

「えっ!?」

 アルフィン皇女が炎の壁の内側に立ち尽くしている。なんでそんなところに。攻撃の軌道上に彼女はいる。このままでは伸ばした剣の切先が当たってしまう。

 スカーレットは反射的にスティックレバーを弾いて、剣をそらした。結果、レイゼルからも外れた。その隙に体勢を戻したレイゼルが踏み込んでくる。

 とっさにリアクティブアーマーを発動。障壁でレイゼルをはね返した。やってしまった。こんな状態でリアクティブアーマーを使えば――

『やめて下さい! アリサさん、スカーレットさん!』

 こちらに走ってきたアルフィンが、二機の間に割って入る。そこで初めて彼女の存在に気付いたらしく、アリサは驚いた声を上げた。

『ど、どうして殿下お一人で!? 他の護衛は!? オーロックス砦には!?』

『襲撃を受けまして……ラウラさんの指示でリィンさんと合流するつもりだったのですが……』

 林の中を走り回っている内に、方向がわからなくなったのだろう。そして自分たちの戦いの場に巻き込まれたというところか。

 スカーレットはケストレルがまだ動くか試してみた。低い異音がうなるだけで、まともな反応は返してこなかった。一応ジャイロが生きているらしく、立っていることはできたが。

『スカーレットさんでしょう? もう戦闘を終わらせて下さい』

「お断りよ。どいてちょうだい。まだ決着はついてないから」

『決着って……もう戦えないじゃないですか。早く出てきて、ケガをしてるなら傷の手当てを』

「なにを考えているの、あなたは」

『え?』

 モニター越しの丸い目が見上げてくる。

「手当てをしてくれるのね。ありがとう。優しいわ。そのあとは? 軍に引き渡し? どんな実刑が私を待っているのかしら」

『そ、そんなこと、わたくしは……』

「じゃあ逃がしてくれるの? 嬉しいわ。逃げた私は力を戻して、またあなた達の敵として現れるわよ」

 顔をうつむけて、押し黙るアルフィン。

「そういうことよ。一時の施しが何になるっていうの。深くも考えずに、自己満足の偽善を押し付けようとしないで」

『あなたね……!』

 アリサが怒気を孕んだ声を発する。

『待って、アリサさん』

『ですが』

『お願いします』

 レイゼルを制すると、アルフィンは一歩前に出た。燃え続ける炎に囲まれて、皇女の影が地面に揺れる。

『お話をしましょう、スカーレットさん』

「話すことなんかないと思うけど」

『スカーレットさんが戦う理由、聞こえていました。故郷を奪ったオズボーン宰相を恨んでいたんですね』

「そうよ」

『復讐を果たした今は、自分に区切りをつけるために戦ってるとも。ヴァルカンさんもそうだったって』

「そうね」

 不意に出た名前に思う。最後の時、自らに訪れた結末にヴァルカンは満足していたのだろうか。満足は多分していない。でも納得はしていたはずだ。

『区切りだなんて、どうして言うんですか。どうして終わりを自分で決めちゃうんですか。生きる方法なんて他にもいっぱいあったのに』

「生きる方法はあるのかもね。でも生きる目的がない」

『それでも――』

「生きていればいつかは見つかるって? くだらない。そもそも望んでいない。押しつけがましいね。他人事のように言うけれど、皇族も関係ないわけじゃないのよ」

 言葉が止まらなかった。

「オズボーンの強硬策は明らかにやり過ぎだった。貴族派だとか革新派だとか頭がごたついている間に、結局鉄道網は拡大されていった。政治の席には直接入らずとも、皇帝が異を唱えることはできたわよね。歯止めをかけるための機会も、その手段もあった。でもそれはしなかった」

『そんな……けどお父様は国を、民を大切に考えるお方です。それは間違いありません』

「玉座に腰かけて国を憂う。それで救われる人間がいると思って?」

『………』

「八つ当たりなのはわかってる。でも恨まずにはいられないのよ。生活を壊したオズボーンも、オズボーンの政策を許した政治体制も、体制を敷いたエレボニアという国も……国の頂上に座って、形のない責任を背負った気になっている皇族も」

 怒りも憎しみも、心の内に留めておくには大き過ぎた。膨れ上がって、破裂してしまいそうだった。なにかを否定し続けないと、自分が保てなかったのだ。

「あなたが嫌いよ、お姫様。早く私の前から消えてちょうだい」

 戦って、戦って、そうしてたどり着いた果ての終着点。やっと見つけた区切りの時。もう楽になりたい……

『うそ』

 アルフィンが言った。

『わたくしを嫌いって、うそでしょう』

「おめでたいわね。本心よ」

『だとしたら、あんなに毎日手料理を作ってくれるはずがありません』

 パンタグリュエルに軟禁していた時の話だ。

「あれは命令だったのよ。皇女に倒れられでもしたら、利用できるものも利用できなくなるし。だいたいあなた、一口も食べなかったでしょうが」

『今はちょっと後悔しています。わたくしも意地になっていましたので。でもわかっていましたよ。元気にしようとしてくれていたこと。気持ちを込めて作ってくれていたこと。本当にわたくしが嫌いなら、あんな料理は出てきません』

「ち、違う。違うわ」

『スカーレットさんは優しい人です』

 操縦桿を握る手が紅潮する。首元が熱くなる。

「優しくない! 聞いていたなら知っているでしょう! 襲撃を受けるって知っていながら私はケルディックを見捨てたのよ。他人なんてどうでもいいって思ってる!」

『それもうそ』

 静かにアルフィンは重ねた。

『あの時、わたくし達を町の外に連れ出したのは、機甲兵の急襲に巻き込まないため。そして外から戻ってきた方が、事態を迅速に収められると判断したから。違いますか?』

「……!」

『スカーレットさんにとって、わたくし達があの場にいるのは予想外だった。もし機甲兵が町に現れたら、迷わずリィンさんはヴァリマールを呼ぶ。当然機甲兵の操縦士たちはいきなりの事態に驚き、応戦せざるを得なくなる。被害はもっと大きくなっていたはずです。事実、あとから騎神が登場したことで、機甲兵は交戦姿勢を見せずにすぐ撤退しました』

「おかしい話じゃない。本気で私に助ける気があるのなら、襲撃が来るって声を上げる方が早い。それをしてない時点で、見捨ててるっていうのよ」

『悩んでいたんでしょう? どうすればいいか、わからずに。だから教会で祈っていたんです。あの祈りの先はヴァルカンさんじゃなくて、本当はケルディックの人々へ向けていたもの』

「どこにそんな根拠があるのよ。いい加減にして。いい加減にしてよ!」

『だって教会で振り向いたスカーレットさんの顔、とてもつらそうでした。苦しそうでした。まるで答えの出ない問いに追い詰められていたみたいに』

「……やめてよ、お願い」

 どうしようもないことだった。声を上げるにも上げられず、見捨てて町を離れる踏ん切りもつかず、もう祈るしかなかった。少しでも早く気づいて一人でも多く逃げて欲しかった。

 教会で偶然彼らに出会った時、それを思いついた。だけど事情の説明はできない。だからあんな手段をとった。

 そうすれば町を守れるかもしれないし、自分に敵意を向けさせることもできるから。

 全部アルフィンの言う通りだった。

 恨んで、恨まれるだけの人生の最後に、誰かに理解してもらえた。もうそれで十分。その想いが巡り、瞳の奥が熱くなった。留めきれなくなったしずくが、一粒だけスカーレットの頬を伝う。

『そこから出てきて下さい。終わろうだなんて考えないで』

「無理よ。もういいの。やっぱり先は望まない。望めない」

『どうして……!』

「言ったでしょう。生きる目的がない。生きる方法がない。仮にそれが見つかったとしても、今度は生きる場所がない」

 この内戦がどんな結果に転ぼうとも、テロリストの過去に変わりはない。当たり前の人生を過ごすことはないし、また過ごしてはいけないとも思う。

 土台ここが頭打ちなのだ。我が身の前後を省みず、ただがむしゃらに駆け抜けた先の行き詰まり。私は全てを失い、そしてこれから得られるものもない。

「わかったらそこをどきなさい!」

『わからないからどきません!』

「聞き分けのない……! だから嫌いなのよ!」

『わたくしはスカーレットさんが好きです! それに生きる場所ならあります!』

「無責任なことばかり言って! だったら教えなさいよ!」

『あなたを!』

 燃え盛る炎の中で、アルフィンは叫んだ。

『あなたを、わたくしの騎士に!!』

 

 ●

 

 鋼の腕の打ち払いを受け止めきれず、ユーシスは吹っ飛ばされた。

「ユーシス! うおっ!?」

 その背中を受け止めたマキアスは、しかしこらえきれずに一緒に倒れてしまう。うめくクッションから立ち上がり、ユーシスは魔導剣を構え直した。

「お前も早く立て」

「誰のせいでこけたと思ってるんだ……」

 手を貸してやる余裕もない。二機のスレイプニルは健在。魔導剣さえ発動できれば勝機もあるが、問題はその時間を稼げないことだった。チャージの五秒が永遠と思えるほどに長い。

 マキアスは(すす)で汚れた眼鏡を押し上げた。

「……アルフィン殿下、遅すぎるな」

「何かあったと考えるべきだろう。《ARCUS》に通信は?」

「ない。あったとしても取れる状況じゃないが」

 連絡もなく、ここまで遅れるなど、トラブルが起きたとしか考えられない。だとして確かめる方法もなく、ユーシスは焦る胸中を顔に出さないよう努めた。

 嘲るようにヘルムートが言う。

「どうしたどうした? 威勢がいいのは最初だけだったな。手も足も出ないだろう。ふははは」

 相変わらず部屋の隅で、彼はにたついている。

「他人から借りた力で、ああも粋がれるものなのか」

「なんだと、貴様」

 マキアスの言葉を聞き留めたヘルムートの目が険しくなる。

「ふん、思慮の浅そうな下民が。付き人を選び間違えたな、ユーシス」

「こっの!」

「二つ訂正します。その男は安い挑発にも乗るし、なにかと節操なく騒ぎ立てますが、決して浅慮ではありません。そして付き人でもない」

 ではなんだ? 自問して、自答できない自分にユーシスは戸惑った。友人というならリィンはそう呼んで差支えないだろう。だがレーグニッツはどうか。その言葉には少し当てはまらない気がした。

「なんにせよ従える人間を誤ったと言っているのだ。いいか、自分の周りに置く者は、自身のステータスそのものだ。添え物の格が下がれば、己の品位も落ちる。今お前が愚かなことをしているのは、少なからず周囲の影響でもある」

「何度でも言います。従えてなどいません。仲間たちからもらったものは、良い影響ばかりです。屋敷にいるだけでは知ることもできなかったでしょう。こうしてここにいるのも自分の意思。愚かなことをしているつもりはありません」

「いつから私に意見できるほど偉くなった! それがすでに愚かなことなのだ!」

 長年の条件反射で口を閉ざす。その目だ。俺を身内として見ない、乾いた視線。胸が締めつけられるようで、正面から目を合わせられなくなる。

「いい加減にしろ!」

 横からマキアスが会話を割った。

「愚かなのはあんただ! なんでケルディックのことを悪びれる素振りさえないんだ! どれだけの被害が出たか知らないんだろう!?」

「口の利き方に気を付けろ、下民が! そんなもの報告書で知っている。さほどのものではなかったではないか。死亡者もたったの一名だ」

「お前……!」

 かみしめた奥歯から血がにじむ。怒りに指先がしびれた。頭蓋に電流が走ったかのようだった。

 拳を握りしめてユーシスは押し黙り、マキアスは足を踏み鳴らして前に出た。

「なにがたったの一名だ。その一人がいなくなって、どれだけの人が悲しんだと思ってる。紙の上でしか人間を数えないから、そんなことを平然と口にできるんだ!」

「分を弁えんか! 誰に向かって物言いをしている!」

 いきなり前進してきたスレイプニルAが、マキアスを打ち据えた。ショットガンで防御したが、大した意味はなかった。背後の壁にぶち当たってくずおれる。

 それでも彼はショットガンの筒先を杖代わりに、かろうじて膝を立てた。

 ユーシスはマキアスに駆け寄った。

「煽るようなことを言うな。正面からぶつかって勝てる相手ではないぞ」

「うるさい。君が言わないから、僕が言うんだろう」

 よろめきながら立ち上がると、なおもマキアスは前に出る。満身創痍のその姿に、ヘルムートはうっとうしそうに嘆息を吐いた。

「見苦しい。ユーシス、そいつを止めろ。二人でひざまづいて頭を垂れるなら、此度の狼藉の罪を軽くしてやらんでもない」

「聞くな、ユーシス」

「早くしろ。父の命令だ!」

「息子に命じる父がいるもんか! お前なんか父親じゃない! その資格がない!」

「黙れ!」

 スレイプニル両機が、ぐんと駆動音を響かせて、腕部砲口の照準をマキアスに向けた。発砲。転げるようにしてマキアスは床に逃れる。

「子が親に尽くすのは当然のことだ。それをしないやつは出来損ないだ!」

「逆だ! 親は無償で子に心血を注ぐ。そこに見返りは求めない。少なくとも僕の父さんはそうだった。自分のことで精一杯だろうに、いつも僕のことを気にかけてくれていた」

 マキアスは顔を上げる。必死に立ち上がる。ここは引き下がってはいけないところだと、そう言われている気がした。

「与えることをせず、あまつさえ奪ったお前が、臆面もなく父親なんて名乗るなっ!」

 立ち上がった途端にまた殴打。今度は防御も取れなかった。脇腹に食らって数アージュ転がる。

「お、おい!」

「げほっ、かはっ、くそ……」

 むせ込むと同時に少量の血を吐いた。内臓を痛めたのかもしれない。下手をすれば命に関わる危険もある。

 もうここまでだ。父上に頭を下げよう。このままだとレーグニッツがもたない。それで助かるものがあるなら――

「絶対にダメだぞ、それだけは」

 ユーシスの肩をつかみ、マキアスは体を起こす。息も絶え絶えに、ヘルムートをにらみつける。

「父親だって言い張るなら、知っているのか。ユーシスの好きな食べ物や嫌いな食べ物を。得意な教科や苦手な教科を。趣味を、趣向を、知っているのか?」

「知らん。知る必要がない」

「誕生日にユーシスが欲しかったものを知っているか。豪華な食事でも寄贈品でもない。慇懃にかしずく大人たちの態度を嬉しく思ったこともない。たった一つだ。たった一言、誕生日を祝ってくれる父親の言葉さえあれば良かったんだ」

 ユーシスは当惑した。こいつは何を言っている。なんでそんなことを言う。なんでそれを見たように語っている。

 ドクン、と脈動がした。

 軽いめまいが視界を揺らし、ユーシスの脳裏に映像が浮かび上がる。そこは濃淡だけで表現されたセピア色の世界だった。

 どこかの家のリビング。テーブルの上には冷めたオードブル。二人分のケーキ。いずれも宅配で注文していた品だ。

 すまん、遅れた、と玄関から背広姿の男性が走ってくる。カール・レーグニッツだ。おかえり、と応じたのは少年のマキアス・レーグニッツ。

 向かい合った親子はささやかな誕生会を始める。

 

 チェスはどうだ?

 面白いよ、でも同年代じゃ相手にならない。

 そうか、すごいな。

 

 他愛のない言葉が交わされる。ふとカールが食事の手を止めた。

 

 すまんな。寂しい思いをさせて。

 大丈夫、チェス盤を見てると飽きないし。寂しくないよ。

 

 かちゃかちゃと食器の音が妙に大きく響く。

 違うくせに。本当は寂しいと言いたいくせに。最初は楽しくてのめり込んだチェスが、孤独を紛らわす為の物になっているのだろう。

 誕生日。そういえばそれが今回の、俺とお前の諍いのきっかけだったか。

「は……?」

 一秒にも満たない意識の乖離だった。正常に戻った視界は、先ほどまでと変わりがない。

 なんだ今のは。

 確かに視えた。レーグニッツらしき少年の姿が。

 幻? 彼の記憶? そうではない気がした。そうだ。幻とも記憶とも何かが異なっている。

 あいつも俺に関わる何かを視たのか? だから妙なことを口走った? 

 いや、それもおかしい。あいつが言ったさっきの言葉には、単なる記憶の追体験では決して汲み取れないもの(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)が含まれていた。

 そもそもこの現象はいったいなんなのか。

「これは……」

 専用ホルダ(ドラウプニル)ーに接続している《ARCUS》が熱を発していた。まばゆい燐光を散らして、力強い息吹を伝えてくる。

 この場にあるもう一つの《ARCUS》も同様だった。双方から走ったリンクの光軸が、中心点でぶつかって繋がる。

 

 俺はお前と反りが合わない。

 僕もそう思っている。

 なんというか、友人と呼ぶには不適当だ。

 仲良しってわけじゃないしな。

 ただまあ、いないとつまらんとも思う。

 ああ、僕もだ。

 俺は多くのものを持っていた。だが父上だけはいつだってどこにもいなかった。

 僕は大したものを持っていない。だけど父さんだけはいつでもそこにいてくれた。

 羨ましかったのかもしれない。俺が欲しくて、手に入らないものを持っているお前が。

 お互いさまだ。父さんが帰って来ない時、誰でもいいからそばにいて欲しいと孤独に苛まれた夜は、僕にもある。

 俺はここで負けたくない。父上を前にもう一歩も下がりたくない。

 反りは合わないが、気は合うな。見せてやろう。オットーさんも、きっと見てくれている。

 

 その時、確かに通じた確たる意思。言葉が伝わらないはずのリンクで起きた、刹那の疎通。

「いくぞ、マキアス」

「……! 呼んだな、やっと、僕の名を」

「? お前がそう呼べと言ったのだろう」

「言ってないぞ」

 なぜ今さら彼をそう呼んだのか、自分でもよくわかっていなかった。

 やれるか? と送る意思に、やれる、と意思が返ってくる。共有する怒りと悲しみを、この光に走らせて――

『オーバーライズ!!』

 合図も号令もなく、二人は同時に言い放った。

 《ARCUS》から生み出される輝きが明度を増す。それらは瞬くように反射を重ね、虹色のプリズム光を膨れ上がらせた。

 

 

 ――続く――

 

 


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