虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第84話 訣別の剣

「あたしね。六年前まで《北の猟兵》のメンバーだったの。ケルディックを襲った猟兵団よ」

 それを口にするのは、サラとしてもためらうところだった。しかもこのタイミングで。

 いや、このタイミングだからこそか。

 ブリッジからミーティングルームに場所を移し、教え子たちに自身の過去を告げる。

「――とある一件でベアトリクス大佐――教官に助けられてね。その縁もあって、士官学院の教官なんてやらせてもらってたわけ」

 ルーファスからの打診を受けたトワが、どのような判断を下すかはわからない。だが放置はないだろう。

 おそらく《紅き翼》はヘルムートの身柄確保に動く。ならばかつての同志と刃を交えることになる。

 双竜橋で《北の猟兵》と交戦した時、撤退する彼らを追撃することはできた。まだ戦力を削ごうと思えばできたのだ。

 それはしかなかった。彼らの送金で生き繋いでいる故郷が――ノーザンブリアの光景が脳裏によぎったから。

 甘い判断だった。戦力を削いだところで今回の事態が避けられたとは思わないが、それでも。

 話を聞き終えて、Ⅶ組の面々の反応は様々だった。

「まあ、納得する部分もあるな……」とリィンがつぶやき、「あの強さだもんね」とエリオットが続き、「うむ」とガイウスがあっさり納得する。

 男子たちは戦闘力基準で私を見ている。どういうことよ、これ。納得しちゃうあたりがどういうことよ。

「サラ教官……」とアリサが見つめてきて、「サラ教官……」とエマが見つめてきて、「サラ教官……」とラウラが見つめてくる。

 女子たちは私の過去を勝手に悲劇的に想像しているらしく、同情的な瞳を潤ませていた。

 そりゃ楽な人生じゃなかったけど、こっちもこっちでどういうことよ。フィーはあくびしてるし。

 でもみんな案外普通だ。

 サラはちらりとラウラに目をやる。以前、フィーが猟兵だと知った時、彼女は態度を硬化させた。

 その後の特別実習でその見識を改めているが、だとしてもラウラの心情に与える影響はないか、それが少し心配だったのだ。

 当のラウラはと言えば、

「人には色々あるのだな……」

 しみじみとそんな言葉をもらしていた。本当にそれだけの感想らしく、サラはどこか拍子抜けした心地になった。

 半年前の彼女であれば、まず出なかったであろう言葉。気づけば教える者の手の平に収まらず、己の想像の枠の外にいる。

 きっと、これを成長というのだろう。

 小さな嬉しさを表現する方法が他に思いつかず、サラはラウラの頭にポンと手を添えた。

「そ、色々あったの」

「な、なにをするんです」

「ん? さあ」

「さあって……」

 過去と今。自分の立ち位置は再確認できた。たとえ故郷の為であったとしても、ケルディックを焼いたことに情状酌量の余地はない。

 古巣を相手に戦う決意はすでに固まっている。

「戯れている場合ではないでしょう」

 照れたのかラウラが身を引く。

「なにが?」

「マキアスとユーシスの居場所はわからないままです。早く所在を確認しないと。ケルディックまで捜索範囲を広げるべきだと思うのですが。どういうわけかマキアスも通信に出ませんし」

「ああ、それなら大丈夫」

 楽観的に言うと、ラウラは眉根を寄せた。

「そんな呑気な……」

「私たちが今優先してやるべきは、いつでも動けるように準備しておくこと。皇女殿下の承認を得た時点で、正式にトワから行動に関する通達が来るわ」

「二人は後回しにすると?」

「怖い顔やめなさいって。言ったでしょ、人には色々あるって。それはもちろんあの子たちにも」

 納得いかなさそうに小首をかしげるラウラに、サラは察した笑みを浮かべた。

「そういう色々の解決ってね、結局ぶつかり合うしかないのよ」

 

 

《――訣別の剣――》

 

 

 マキアスの拳がユーシスの頬を打ち、ユーシスの拳がマキアスの腹に入る。

 一発、一発、まだ一発。打っては打たれ、打たれては打つの繰り返し。

 通る者など一人もいないオーロックス峡谷道のど真ん中。月明かりの下で、二人はただ殴り合っていた。

「再確認したぞ。僕はやっぱり君が嫌いだ!」

「こちらのセリフだ!」

 なにを今さら。怒気を引き受けたユーシスの一撃が、マキアスを捉える。しかし相手はよろめかず、腕をそのまま絡めとってきた。

「ぬぐっ……だあ!」

 体を返したマキアスの一本背負い。ぐるんと視界が回り、背中から路面に叩きつけられる。

「かっ……!」

 衝撃に肺の空気がはき出され、つかの間に息が詰まった。呼吸を整えるより早く馬乗りになったマキアスが、容赦の欠片もなく喉輪をつかみ上げてくる。

「文系だとなめてもらったら困るぞ。近接戦闘の心得はあるんだ!」

「お前にあるなら、当然俺にもあるだろうが!」

 足で蹴り上げて、マキアスを頭側に押し投げる。「うおっ!?」と縦回転したマキアスが、ユーシスと入れ替わりで背中を強打する。

 すぐさまマウントポジションを奪い取り、思いきり殴りつける。軽くいなしてやろうと思っていたはずなのに、いつしか止めきれなくなった感情が溢れ出していた。

「お前に! なにがわかる!?」

 自分の領地を、領主である父が焼いた。守るべき領地を、自らの手で。俺はなんの為にそこにいたのだ。

 昨日まで当たり前にいた見知った人が、今日にいなくなるなんて誰が想像できる。この悲憤がお前なんかにわかるものか。

 ぎっとにらみつけるも、マキアスは言い返してきた。

「ケルディックに潜伏してる時、オットーさんにはずっと世話になった。僕だって当たり前に受けいれられることじゃない」

「僕だって、だと? 俺とお前を同列で考えるな。俺には責任があった。お前とは感じている重みが違う」

「それが悲劇の主人公ぶってるって言うんだ! どうせ背負えた責任でもないくせに」

「貴様……!」

 体の軸を使って、マキアスは力いっぱいに横に転がった。離れ損ねたユーシスは受け身も取れずに右肩を地面にぶつけた。痛みを無視して、同じように横に転がってやる。目まぐるしく上下を入れ替えながら、道から外れた土の上で、互いに何度も拳を振り下ろす。

「お前などに理解できるわけがないだろう! 俺が今まで、どんな思いで父上に……!」

「わかってたまるか! 君だって僕の考えてることは理解できないだろう!」

「同列で物を語るなと言っている! 失くしたものもない人間が」

 マキアスの目が険しくなる。口に出してから言ってしまったと苦い気持ちになったが、一瞬の後悔は激情がかき消した。

「それで仲間に線を引いて、一人で父親の元へか。会ってどうするつもりだったんだ」

「それは……投降を促す為に。応じてもらえなければ力づくでも……」

 離れたところに転がっている魔導剣を一瞥する。他の誰にも頼めない。俺だからやらなければいけないことだ。

「口だけだ。君にはできない。肝心なところで、君はきっと非情になりきれない」

「さっきからいちいち……! 知ったようなことを言うな!」

 それだって自分でわかっている。もし父上がすまなかったと詫びたなら、追い詰められていたのだと事情を吐露したなら、俺は振り上げた剣を下ろしてしまうかもしれない。

 ケルディックのことは許せない。初めて父に対する明確な怒りを感じている。けれど自分を見てくれない親であろうとも、血の繋がりがある。どれだけ冷酷に突き放されても、同じことを父にはできないだろう自分がいる。

 わからないんだ。

 教えてくれ、オットー殿。俺はどうしたらいい。あなたが言い遺した言葉が、ずっと耳から離れない。

「俺は……町の人々の期待を受けていた。査察に入っていた時から、ずっと。期待に応えたかった。どうにかして彼らの負担を減らしたかった……」

 Ⅶ組と合流する前、査察を行っていた時にオットーに言われたことがある。私たちはあなたに頼るしかないのだと。

 だから父に何度も掛け合った。徴税を見直して欲しいと。

 検討さえしてもらえなかった。重い心持ちでそのことをオットーに伝えたら、自分たちの為に動いてくれたことが嬉しいと、そう笑ってくれた。

 優しい人だった。

「恨まなくていい。オットー殿が最後に言った言葉だ」

「オットーさんが……そう言ったのか?」

「そうだ。あれほどのことをした父を恨まなくていいと――」

「こっの馬鹿野郎!!」

 下に敷いていたマキアスが跳ね起き、視界の全部が彼の頭で埋まる。いきなり鼻に食らった頭突きに、ユーシスは後ろに倒れ込んだ。

 立ち上がったマキアスは怒鳴り声を響かせた。

「本物の馬鹿か君は! そんなもの、君が君自身を恨まなくていいって意味に決まってるだろうが!」

「……!?」

「最後の最後まで、オットーさんはユーシスのことを案じたんだ! 自分を責めないようにってな! 背負い込む君の性格をわかっていたから! それなのに君は彼の意を汲み取ってない大馬鹿者だ! そんなこともわからないくらい……追い詰められていたのか」

 オットーはあの時、ユーシス君と言った。様ではなく。

 それは領民が領主へ向けた言葉ではなかった。先逝く大人が、後を生きる子供に託した言葉だった。

 長年連れ添った妻でもなく、苦楽を共にした町の人たちにでもなく、人生の最後に振り絞る願いを俺なんかに――

 今さらながらに思い至った胸中が、深く強くえぐられる。殴られるよりもずっと痛い……。

「辛いくせに、泣きたいくせに、叫びたいくせに、黙って一人で耐えようとする君が、僕はなにより気に入らない」

 ふらつきながらマキアスが近付いてくる。あいつも足にきているのだ。ユーシスは立ち上がった。同じように膝が震えている。

 感情を吐き出し尽くして、殴って殴られて。その痛みと引き換えに、自分の存在全部を縛る鎖が、解けていくような気がしていた。

「ずけずけと心の中を当てるな。気に入らないのはお互いさまだ」

 最後に残ったのは意地だった。あいつより先に倒れたくない。取っ組み合う理由なんて、もうどうでもよかった。

 同時に繰りだされた拳が交錯し、互いの顔面を打ち据える。

 撫でる程度の威力。限界を迎えたのも同時だった。二人そろって力尽き、どさりと土の上に倒れる。起き上がることもできなかった。

「好きなように殴ってくれたな。……痛いぞ」

「よく言う。僕の方が痛いんだ」

「いや俺の方が痛い」

「僕だ」

 腫れあがった顔に拭きつける風の冷たさが心地いい。仰向けで倒れた視界に星が映っていた。綺麗だと思えた。

 寝そべったまま、マキアスが言う。

「で、これからどうするんだ」

「……やはり父の元に向かおうと思う。償いは……どんな形でもするべきだ」

「一人で行くのか?」

「いや……ついて来てもらえると、助かる」

「ああ」

 マキアスは《ARCUS》を取り出した。

「まずはみんなに連絡だ。オーロックス砦に入るにしても策がいるし、なにより心配してるはずだ。僕も黙って出てきたからな。謝る理由でも考えておいてくれ」

 その時、渓谷道に隣接する林の奥にざわめく気配を感じた。

 枝を踏む音に混じる、多くの低い息遣い。気配は次第に明瞭さを増していき、囲まれていると知れた。

「……最悪の事態だ。ユーシス、魔導剣は?」

「そこだ」

 近くに白銀の刀身が横たわっている。数アージュの距離だが、動く体力はほとんど残っていない。戦う力となると、なおさらだ。

 撃退はおろか、抵抗さえできない二人――まずはマキアスに、林の奥から二つの影が飛びかかった。

「逃げろ!」

「うわあ!」

 自分と同じだ。動けるはずもない。成すすべなく襲われるマキアス。なんとか追い払おうとユーシスは這って近付くが、

「嘘だろう。なんでこんなところに……? まさか追ってきたのか?」

「お、おいお前、何を」

 マキアスの様子がおかしい。

「久しぶりだな、ルーダ、クロ!」

 彼は自分の胸に飛び込んできたドローメと飛び猫を抱きしめていた。

 

 ●

 

「この状況はいったい……!?」

 まあそうなるだろう。そのリアクションにはまったく同意で、「見ての通りだ。俺にもわからん」と、ユーシスは困惑するエマに返した。通信を受けて、彼女だけ転移術で先行して来てくれたのだ。

 二人が視線を重ねる先にいるのはマキアスと、彼を取り巻く魔獣の群れだった。魔獣の陰に見え隠れして、マキアスの姿はよく見えなかったが。

「もしかしたら、もう食われているかもな」

「そ、そんな」

「一応レーグニッツらしき人影は動いているみたいだが」

(むさぼ)られている最中の付随運動かもしれません。せめて眼鏡だけは回収してあげたいですが……」

 心配する態度で酷いことを言う。だとするなら、とっくに食い終えてこちらに牙を向けそうなものだが、そんな気配もない。

 近づくに近づけず立ち尽くしていると、いきなり人垣ならぬ魔獣垣が左右に割れて、最奥に位置するマキアスが確認できた。無事のようだった。

「エマくんも到着したか。二人ともこっちに来てくれ」

「え、そっちに行くんですか? け、けど魔獣が……」

「お前はいったい何者なんだ……」

 大丈夫だからと手招きするマキアスに促され、ユーシスとエマは両端に魔獣が並ぶモンスターロードの真ん中を歩く。

 ヒツジン、サンダーハイドラ、ポム、サメゲーター、ゴーディオッサーなど多種多様の魔獣たち。さらにはスケイリーダイナという討伐指定を受けるような大物まで控えている。

 確かに襲われないが、正直生きた心地がしない。必然、警戒しながら二人は冷や汗だらだらで進んだ。

「この魔獣たちはクロとルーダの傘下らしい。だから僕たちに攻撃はしてこない」

「そのドローメと飛び猫のことか? お前とそいつらの関係が不明過ぎるぞ」

「説明すると長くなる。とにかく敵意は向けてこないと理解してくれ」

「その飛び猫、俺に敵意むき出しなんだが」

 バタバタと羽を羽ばたかせ、シャーと威嚇してくる。

「ん、本当だな。嫌われることでもしたんじゃないか?」

「初対面だ」

 魔獣相手にこの言葉が適当なのかは疑問が残るところだ。初対面と言いはしたものの、どこかで見たような覚えはあった。飛び猫の顔など全部同じだから、気のせいに違いないだろうが。

「どうしたんだ、クロ。ちょっとは落ち着かないか」

 マキアスが言うと、飛び猫は大人しくなる。

「会話しているのか!?」

「できるわけないだろう。冗談も休み休み言いたまえ」

「……この状況がすでに冗談みたいなものだ」

 触手をマキアスに絡めるドローメは、マキアスに懐いている。というより甘えている感じだ。そのドローメがキューッと鳴いた。

「お、おい、聞いたか! ルーダが鳴いたぞ!? 初めて鳴き声を聞いた! 感動だ……」

「いい精神科医を知っている。近い内に紹介してやろう」

 魔獣と戯れるマキアスはいったん置いて、ユーシスは改めてエマに向き直った。

「面倒をかけた。勝手な行動を取ってすまなかった」

「無事で良かったです。お気持ちは……察します。さてこれからですが、ひとまずカレイジャスに帰艦しましょうか。ミーティングも途中ですので」

 エマの話ではオーロックス砦への進攻は決定しているという。目的はやはりヘルムート・アルバレアの拿捕。しかしまだ作戦プランは立っていないらしい。

「あるぞ、作戦」

 急に話に入ってきたマキアスが言う。

「エマ君には悪いが、カレイジャスとこの場所でもう一往復頼みたい。転移術でこちらに移動させて欲しいものが二つある」

「それは構いませんが、二つ?」

 エマの確認にうなずくと、ユーシスに視線を転じる。

「オットーさんの弔い合戦だ。目に物見せてやろうじゃないか。彼らも協力してくれるようだしな」

 ドローメが触手で地を打ち、飛び猫が空に鳴き声を響かせる。傘下の魔獣たちが雄叫びを上げ、百匹近い飛び猫の群れが上空に姿を現した。

「お、お前、何を考えている?」

「君の予想通りだ」

 マキアスは不敵にメガネを押し上げた。

 

 ●

 

 午前3時50分。この真夜中に、通路を足早に進む影が一つ。

 急いた気持ちに押されながらも極力音を立てぬよう、絨毯の上を滑るがごとく歩く。一級の家柄に長年仕えたが故の条件反射だ。

「閣下、公爵閣下」

 オーロックス砦に設えられた専用の仮眠室である。

 ノックは忘れず、しかし応答は待たずにドアノブを回す。それほどにアルノーは焦っていた。公爵家の熟達執事と言えど、経験したことのない事態が迫っていたのだ。

 安眠を邪魔されて、ヘルムート・アルバレアは不機嫌な声で言った。

「なんだ、アルノー。何時だと思っている」

「は、申し訳ございません。ですが至急お伝えしたいことがございまして……」

 うっとうしそうに顔をしかめるヘルムート。

「二階城壁を担当する巡回兵からの報告です。望遠にて確認した内容ですので、詳細は不確かなのですが」

「さっさと話せ」

「一頭の馬がこちらに向かってきております。ご容貌からおそらくはユーシス様かと」

「どういうことだ。今さら頭を下げに来おったのか? なんにせよ面会は朝まで待たせろ。非常識この上ない」

「そ、それが……」

「くどいぞ! 貴様も早く下がらんか!」

 苛立ちを顕わに声を荒立てる。恐縮の姿勢を見せつつ、アルノーはそれでも続けた。

「一つ見慣れない乗り物がユーシス様と並走しています。鉄の馬とでも申しましょうか。眼鏡の男が操縦しているようです」

「何者だ?」

「不明ですが……その者の後ろには、おびただしい数の魔獣が付き従っています」

「は、はあ!?」

 ヘルムートはベッドからずり落ちた。

 

 

「本当に大丈夫なんだろうな!?」

 ユーシスはシュトラールの背から、導力バイクで並走するマキアスに叫んだ。声を張らないと、風とエンジン音で言葉がかき消されてしまうのだ。

 後ろに続く魔獣の群れが、ドドドと土煙を巻き上げて、全速力でユーシスたちを追ってくる。

「追いつかれた俺たちが先に踏み潰されるオチはごめんだぞ!」

「しつこいな! 何度も大丈夫だと言っただろう。なあルーダ?」

 マキアスはリュックサックよろしく背負っているドローメに振り返った。キュッ! と一鳴きして、ルーダは赤い目玉をユーシスに向ける。

 本当に意思が通じているのか。事実、自分たちが襲われない現状にあっても、ユーシスはいまだに半信半疑だった。

「今更しのごの言っても始まらんか……おい前を見ろ!」

「うわっと!?」

 道にまで幅を利かせている木の枝を、マキアスは急ハンドルを切って避ける。

「気を抜いているとクラッシュするぞ。前みたいに」

「確かに機甲兵のパンチは死ぬかと思ったが……」

 エマに転移を頼んだのはバイクと馬である。

 マキアスが導力バイクを操縦できるのは、リィンに教わっていたからだった。

 クレア大尉とタンデムするシチュエーションに備えてという動機ゆえか、テンションを上げ過ぎたマキアスはレイゼルの鉄拳制裁を受けて一度散っていた。

「見えてきたぞ。あれがオーロックス砦だ」

 峡谷道の終着点にの鉄の要塞が鎮座していた。横広がりの無骨な景観は、侵略者を阻むという冷えた威圧だけを発している。

 父の心根がにじみ出ているようだ。我知らず奥歯を噛んだユーシスは、「気負うなよ」とたしなめられる一声に意識を正面に戻した。

「ここからだぞ。頭数は比較できないくらい不利なんだからな」

「それをお前の策で巻き返すのだろう」

「わかってるじゃないか」

「ふん」

 二つ開きの砦門が閉じられようとしていた。高さは四アージュ強。たやすく乗り越えられるものではない。相手はこちらの接近に気付いている。

「歓迎はしてもらえないらしい」

「当然の対応だな。ならーー」

 ユーシスは手綱を繰り、マキアスはアクセルグリップを回し、

『正面突破だ!』

 異口同音に気勢が弾け、シュトラールと導力バイクが加速する。

 門扉は完全に閉められてしまった。門兵が止まれと叫んでいる。

「チャージは済んだ。手荒く行かせてもらう」

 右手に剣を構え、その剣先を馬上から地に擦過させる。

 《ARCUS》にセットしてあるクオーツが生み出す導力は、専用オーブメントホルダー《ドラウプニル》を経由することで増幅し、《スレイプニル》へと伝達される。

 刀身から琥珀色の光がほとばしった。

 魔導剣(オーバルソード)発動。ブーストアップされた土属性アーツ《グランドプレス》が、進行方向の地面を荒々しく隆起させた。バキバキと門に向かって岩盤がめくり上がり、大地のスロープが形成されていく。

「お前の面倒までは見れん。そっちはそっちで何とかしろ」

「言われるまでもない。――ルーダ!」

 キュッと了解の意思を返したルーダが、二本の触手を振り上げる。その先端から青い光が走り、マキアス側には氷のスロープ台が出来上がった。

 各々でこしらえた急造坂を駆け上がり、口をあんぐり開けて固まる兵士の頭上と砦の門を、白馬と鉄馬が力強く飛び越える。

 路面を砕き割る勢いで敷地内に着地するや、二人はバイクと馬から降り、素早く周囲を確認した。

 広い敷地。その一帯を取り巻くのは岩の壁と、その向こうに群生する林だ。自然のバリケードと言ったところだろう。

 機甲兵が戦闘する広さは十分あるが、生身の侵入者には大げさだと思うのか、まだ出てきていない。

 歩兵は現れている。領邦軍と猟兵部隊だ。抑えがたい怒りが湧いてくる。衝動に任せるままに剣を振るいたくなる。

「こいつらか、町を焼いたのは」

「ユーシス」

「わかっている。手順は間違えない」

 閉じている門の内側に魔導剣を押し当てる。赤い光が渦を巻き、強化圧縮された《イグナプロジオン》がその威力を爆裂させた。

 高熱に炙られた鉄の門が中心からひしゃげ、ぐずぐずになって吹き飛んでいく。

「馬鹿げた力だ……」

 吹きつける熱波を腕で払いながらマキアスが言う。

 剣を軸にアーツを押し固めるという魔導剣の特性上、物体に接触した状態で発動すれば、その強大な威力が生む反動の全てを身一つで受けることになる。

 半ば感覚の失せかけた痺れる右腕を押さえながら、ユーシスは再び正面に振り返った。

 その凄みに、敵は足を止める。その中の一人が言った。

「ユーシス様、公爵閣下は面会の席を設けております。どうか剣を納めて頂きたい。我々はあなたにお怪我を負わせたくありません」

「納めるつもりの剣なら初めから抜いていない。それに怪我をするのはお前たちだ。そうだろう、レーグニッツ」

「まったくその通りだ。さあ、道を開けろ。さもなくば――」

 マキアスはショットガンを空に向けて、一発撃った。

 開戦の合図がこだまし、地鳴りと咆哮が押し寄せる。

「――痛い目を見るぞ」

 破壊した門から魔獣の群れがなだれ込んできた。ぎょっと目を見開く敵兵たちめがけ、ルーダとクロを先頭に魔獣たちが突っ込んでいく。

 サメゲータに追い立てられ、スケイリーダイナの頭突きで吹っ飛ばされ、ヒツジンに殴られ、サンダーハイドラに絞められ、無数の飛び猫に空に連れ去られ、領邦軍兵士はまともな対応さえ取れずに蹴散らされていった。

「今の内だ。砦内部に進入するぞ!」

「あ、ああ。本当に俺たちに攻撃してこないとは……」

 領邦軍はともかく、猟兵は魔獣のあしらいに慣れている。場の混乱は一瞬だと考えるべきで、しかし一瞬さえあればいい。作戦はここから連鎖する。

 魔獣たちの隙間を走る二人の遥か頭上、暗い空に灰の騎神が姿を見せていた。

 

 

「信じられない光景だが……マキアスの言う通りになってるな」

 高度300アージュに滞空するヴァリマールの(ケルン)から、リィンは地上の状況を見ていた。縦横無尽に大量の魔獣が暴れている。

 エマ()てにマキアスの作戦を聞いた時、何度も訊き返した。

 プランの中に魔獣を組み込むなど前代未聞だからだ。それを説明するエマでさえ、どうしたものか頭を抱えるほどに。エリオットとガイウスが〝問題ない”と強く推さなければ、まず可決されない立案だっただろう。

 二人だけは事情を知っていたらしい。マキアスが戻ってきたら、ちゃんと話すとのことだったが。

「……! 来たか」

 オーロックス砦の東側、整備ドックから機甲兵が出撃してきた。数は八。ドックの規模からして、おそらく全機投入。魔獣の群れを一気に追い払うつもりのようだ。

「やるぞ、ヴァリマール」

『了解シタ』

 普段と変わらないはずのヴァリマールの声に、リィンは小さな違和感を覚えた。無機質で平坦。けれど何かが違う。低く、どこか圧がある。

「もしかして怒っているのか?」

『怒ル……?』

 しばし沈黙したあと、ヴァリマールは言った。

『ワカラナイ。タダ、子供達ハ笑ッテイタ方ガ良イト思ウ』

「そうか。……俺もそう思うよ」

 ずくずくと胸のあざがうずいた。ケルディックを、町の人たちを、オットーさんを思うと苦しい。黒い感情が腹の底で湧き、全身を蝕んでいこうとするのがわかる。

 〝鬼の力”が騒ぎだしている。

『大丈夫カ?』

「ああ、怒りに呑まれたりはしない」

 今はまだ。言外につけ加え、リィンは深く息を吸った。

「今からすることは、はっきり言って非効率的なやり方だ。もっと堅実な方法は他にある」

『承知シテイル』

「この一撃のあと、俺たちは戦線に参加できなくなる。だけど、あえてやる。理屈じゃないんだ」

『ソレモ承知シテイル。私モ全力ダ』

「ありがとう。――委員長、アリサ!」

 呼びかけに応じて、地上から上る二つのリンクラインがヴァリマールに到達した。

 掲げた腕の先、上空に光の陣が浮き立った。一つでは終わらない。次々と生成された銀と金に輝く光陣が、鳴動を伴いながら夜空を埋め尽くしていく。

「マキアスからのオーダーだ。魔獣たちには絶対に当てないでくれ」

『問題ナイ。見ルガイイ』

 機甲兵が出てきた途端、魔獣たちは撤退した。敷地には一匹も残っていない。シュトラールも逃げている。統率のとれた見事な引き際だ。

 リィンは操縦桿代わりの水晶球に両手を添えると、強い思惟を注いだ。

 重奏リンクで繋いだマスタークオーツは、アリサの《エンゼル》とエマの《ミラージュ》だ。

 すなわち《アルテアカノン》と《クラウ・ソラリオン》――空属性、幻属性の最上位アーツの合成――!

「いけえっ!!」

 錯綜しながら、無数の光の柱が降り落ちる。闇を切り裂く鮮烈なレーザー光が大気を焼き焦がし、地表をえぐり抜き、一方的な破壊を撒き散らした。

 機甲兵部隊は全滅。八機残らずスクラップだ。コックピットは外してあるものの、五体満足で人型を残している機体は皆無だ。散々たる有様と化したオーロックス砦の敷地に、ばらけた残骸として転がるのみである。

 操縦席から這い出てきた兵士たちは、恐怖と絶望が混ざった表情でこちらを見上げていた。

「ぐっ……地上に降りて霊力の強制回復を。一発でほとんど使い切った」

『ワカッテイル。後ハ仲間達ニ任セルガイイ』

「ああ。けどもう一つ。外部に拡声で俺の言葉を聞こえるようにしてくれ」

 セリーヌに教えてもらったことがある。騎神はその大き過ぎる力ゆえ、神にも悪魔にもなり得る存在なのだと。

 機甲兵の操縦士たちは、今まさにヴァリマールを悪魔そのものだと思っているだろう。

 それでいい。神様なんかじゃ、決してない。

 リィンは叫んだ。

「これが騎神だ! 機甲兵が何機がかりであろうとも太刀打ちできない力だ! まだ向かってくるなら容赦はしない。圧倒的な力をもって、抵抗の意志を削ぐ。お前たちがケルディックにそうしたように!」

 

 

 オーロックス砦方面からビリビリと波動が伝わってくる。羽を休めていたフクロウたちが、轟音に驚いて飛び立っていった。

「こちらも動く! 全員陣形を乱すな」

 群生する木々から隠していた身をさらし、ラウラは号令を発した。『了解』と、それぞれの武器を手にメンバーが応じる。

 四方向をカバーするⅦ組のフォーメーション。その中心にいるのはアルフィンだ。彼女は皇族の正装たる紅いドレスをまとっている。

「皆さん。足手まといは承知の上ですが、どうかよろしくお願いします」

「殿下にはかすり傷一つ付けさせません。ご安心を」

 そう言いつつも気が気でないというのが、別班の班長を務めるラウラの本音だった。

 正真正銘の鉄火場。乱戦になれば皇女とわからず剣を向けてくるかもしれない。流れ弾もある。アルフィン自らが盾になったルーレの時とは、状況と環境が違う。

 責任重大だ。苦い生唾を飲み下し、ラウラは作戦内容を反芻した。

 最終目的はヘルムート・アルバレアの拿捕。

 《作戦A》はマキアスとユーシスのオーロックス砦進入。魔獣の撹乱で混乱を引き起こし、機甲兵部隊を出撃させる。

 《作戦B》は機甲兵部隊の掃討、及び歩兵隊の戦意喪失。リィンとヴァリマールによる上空からの広範囲攻撃を行う。

 そして自分たちが担うのが、《作戦C》。ユーシスたちの説得にヘルムートが強い抵抗を見せた場合、アルフィン皇女の令旨をもって強制的に従わせる。

 とはいえエレボニアの皇女が、戦場のど真ん中を縦断するわけである。当然反対意見は出たが、令旨だけでは弱いと彼女自身が同行を強く希望した。

 アルフィンの姿を直に見せることは、全ての貴族に対して切り札になり得る。そしてヘルムートはおそらくユーシスたちの説得に応じない。

 トワにしてみればまたもや苦渋の決断だったが、護衛を厳にという絶対条件の元、この要望を承諾した。もっともアルフィンは承認が降りずとも無理やりついてくる勢いだったが。

「殿下、決して我々から離れませんよう」

「はい――きゃっ!?」

 アルフィンを背に隠しつつ、ラウラは剣を抜いた。

「ご無礼を。もう来ました」

 本来なら砦周辺の林を隠れ蓑にして、ギリギリまで交戦を避けて接近する算段だった。捕捉されるのが予定よりだいぶ早い。まだ林の中腹部を過ぎたところなのに。

 《北の猟兵》の小隊がこちらに向かってくる。

 荒唐無稽な作戦の裏に、別動隊がいると読んだのだろう。魔獣の襲撃とはまともにやりあわず、ヴァリマールの攻撃からも逃れた者たちだ。しかもこちらが林中のルートを通ってくるとも察しての先押さえ。

 混乱の最中での頭の切れ方からして、《北の猟兵》でも実力者ぞろいだ。おそらくは指揮官のいる本隊か。

「陣形を保ちつつ各個撃破! 突破する!」

「待ちなさい。あたしが引き付けるから、あんた達は先に行きなさい。殿下の警護を薄くしたらダメよ」

 ラウラの指示の横から、サラが一人で先行する。

「サラ教官!? 待っ――」

 サラと《北の猟兵》の関係は聞いた。過去に一つの区切りを付けようとしているのかもしれない。しかし人数差と戦力差がある。一人ではさすがに無謀だ。

 援護を回すべきだ。こちらの人数を割ったとしても、最少で二人はいる。

 エリオット、エマ、ガイウス、フィー、ミリアムから二人。

 個人のスキルを身に付けてから、能力の方向性の違いはより顕著になった。すなわち汎用性の〝ムービングドライブ”か、応用性の〝転移術”か、変則性の〝トランス”か、一対多数の〝風読み”か、一点突破の〝石の目の見切り”か。

 それは刹那の判断だった。

「エリオットとフィーがサラ教官の直援についてくれ! 猟兵制圧後に合流を!」

 すでに交戦しているサラは、巧みに敵勢を誘導しながら、こちらの進路から離れつつある。

 とにもかくにも移動を始めねば。

 正面に戻した視界に、唐突に剣閃が走った。ラウラは反射的に剣を立てて受け止める。

「そなたは……!?」

「ア、ル、ゼ、イ、ドの娘~!」

 (しろがね)の軽鎧をまとうデュバリィが、競り合う剣の向こうでぎりぎりと歯を軋っている。

「夜中に奇襲とはやってくれましたわね。こんのぉ……久しぶりにベッドで寝てたのにぃ!」

 ちょっと寝ぐせがついていた。鉄機隊の《神速》だったか。《パンタグリュエル》で対峙して以来だが、まさかオーロックス砦に詰めていたとは。

 ギンと剣を払い、互いに間合いを取る。

「剣を変えたようですね。ふうん……」

「エリオット、フィー、走れ! 私が食い止める」

 ユミルでデュバリィと戦った時は、相手の早さに押し切られた。しかし蒼耀剣なら体捌きがついていける。切り結べる。

 指名を受けた二人が動きかけた時、「止まれ!」とガイウスが叫んだ。

 直後、頭上を覆う枝葉の隙間から無数の矢が飛来する。恐るべき正確性で迫る矢じりの雨を、傘状にトランスしたアガートラムが防いでくれた。

「あ、あぶなかったー。ありがと、ガーちゃん」

「あら、面白いことをするのね」

 柔和な声音が染み、緩いウェーブの青髪がふわりと揺れる。白銀の弓を携えた甲冑の女性が、落ち着いた物腰で薄闇から歩み出てきた。

「初めまして。鉄機隊が一人、《魔弓》のエンネアよ。いつもうちのデュバリィがお世話になっているそうで」

 微笑を浮かべるエンネアは、水面に波紋を立てないほどの繊細な手付きで、アリサのそれよりも一回りは大きい弓に矢をつがえた。

 あの所作だけでもわかる。一級の射手だ。彼女の射線からは容易に逃れられない。

 フィーが身を低くした。エマも魔導杖を構える。能力的にこの場を抜け出せるのは、自分たちだけだと判断したのだろう。

 フィーは元々サラの援護に送るつもりだったが、アルフィンがいる以上、転移術を欠けば万が一の事態に対応できなくなる。この状況でエマに抜けられるのはまずい。

 どうメンバーを配分する。

 その一秒にも満たない逡巡を、地を砕くような轟音が破った。近くの巨木が()に裂け、メキメキと左右に分かれて倒壊する。

「悪いが一人もここから逃がすつもりはない」

 巻き上がる土煙の中に、長身の影が浮き立つ。武人然とした佇まいのその女性は、身の丈以上もあるハルバードを片手に担ぎ、やはりデュバリィたちと同様の甲冑を身に付けていた。

「同じく鉄機隊、《剛毅》のアイネスだ。見知りおきを願おう」

 ぶんと回したハルバードの風圧で木の葉が浮く。

 鉄機隊が三人。隊というからには一人ではないと思っていたが、このタイミングで立ちはだかってくるとは。

 作戦の障害である事とは別に、ラウラは小さな憤りを感じていた。

「そなた達、いずれも武芸事に関わる者と見受けるが……恥ずべきと思わないのか」

「な、なにがですの?」

 虚を突かれたというふうに、デュバリィが見返してくる。

「ケルディックのことを知らないわけがないだろう。非道を容認して、アルバレア公に助力することに何も思わないのかと訊いている!」

 鉄機隊と鉄騎隊との関連はわからない。それでもその名を掲げるならば、実直であり正道を通るべきだと思う。

 いや、そうあって欲しい。

「……知っています。正確には事が起こったあとに知りました。私たちは今日ここに到着したばかりですので」

「そうか。その上での立ち位置がそこか」

「勘違いしないで欲しいですわ。私たちはアルバレア公の命令でここにいるわけじゃありません。カイエン公の依頼です」

 すっとデュバリィの大剣が持ち上がる。剣先が示す先にいるのはアルフィンだった。

「アルフィン皇女、あなたの身柄をもらいうけます」

「わ、わたくしを?」

「《紅き翼》の奥に居座られれば手は出せませんが、この場に来ている今が最大の好機。僥倖ですわね」

 アルフィンを後ろにかばいながら、ラウラは剣を対峙させた。

「この期に及んでまだ殿下を何かに利用する気か。パンタグリュエルでのことは、エリゼの件で痛み分けになったはずだぞ」

「もともと侍女一人とつり合う話ではないでしょう。足りないそうです、〝アルノールの血”が。このままではあれが目覚めない――」

『デュバリィ』

 エンネアとアイネスが同時に諌める声を発した。

「口が軽いぞ。軽々に情報を与えるな」

「まだ寝ぼけてるのかしら。よだれの跡、残っていてよ?」

「えあ!? な、なんでもっと早くに教えてくれませんの!」

 ごっしごしと口元を拭うデュバリィに、「うそよ」と、エンネアはさらりと告げた。失態を押し隠すかのように、デュバリィは大声を張った。

「もうもうもう! とーにかく宣言の通り! やりますわよ!」

「言われなくても」

「わかっている」

「たまには了解とかで返してほしいですわ……さて」

 空気が変わる。まぎれもなく戦闘の圧だ。領邦軍やそこらの猟兵とは比べ物にならない、本物の強者の闘気がぴりぴりと肌を刺す。

 メンバーの配分などと、甘いことを考えていられる相手ではなかった。サラ教官への援護は無しだ。

 ここを凌がねば、先さえない。

「鉄機隊に命ずる。アルフィン皇女を――」

「Ⅶ組総員に告げる。アルフィン皇女を――」

 デュバリィは大剣を下段に、ラウラは蒼耀剣を上段に構えた。

「奪いなさい!!」

「守り切れ!!」

 両陣営の指示がぶつかり、戦端を切る剣戟が反響した。

 

 

 建物に被害はないものの、辺りは滅茶苦茶だった。

 以前、ノルドの監視塔で初めて騎神リンクを使った際も《アルテアカノン》で一帯ごと吹き飛ばしたが、重奏リンクによって《クラウ・ソラリオン》を融合された今回の力はその比ではない。

 敷地内は控え目に言って壊滅状態である。

「すごいわね……」

 それ以外に感想が出てこない。原型を失った正門を抜けた先、めくり上がった岩盤を足場として、レイゼルのコックピットの中からアリサはその光景を眺めた。

 敵の歩兵隊が姿形を残して無事なのが奇跡的だ。そのほとんどが戦意を喪失している。

 リィンが全ての攻撃の着弾点を制御したのだろう。

 アリサは不安に駆られた。

 リィンはこの短期間で力の扱いが異常と思えるほどに向上している。それは喜ぶべきことなのだろうか。戦いの中で得る力は、果たして彼にとって正しい道へと(いざな)ってくれるのか。

 そんな疑念がよぎった刹那、操縦席に敵機警報が鳴り響いた。

 即座に視線を走らせる。どこだ。前後左右にはいない。とすれば上。角度を変えたメインカメラが敵影を捉えた。

 オーロックス砦の頂に歪な人型が見えた。

『ようこそ。来てくれると思っていたわよ』

 外部マイクから届くスカーレットの声。

 青白い光を滲ませる満月を背景に、深紅の機甲兵――《ケストレル》が立っている。

「あなたには聞きたいことがあるわ」

『何かしら。質問によってはお答えしかねるけど』

 こちらも外部マイクで応じつつ、アリサは敵機の情報をスキャニングした。

 ケストレルの外装が変わっている。装備も違う。

「どうしてケルディックから私たちを連れ出したの」

『ああ、そのこと。邪魔だったからよ、あなた達が。下手に騎神でも呼ばれると、せっかくの作戦が台無しになっちゃうかもしれなかったし』

「作戦ですって? あんなものが作戦だなんて、どうかしてる」

『そうね。どうかしてるのよ、私』

 スキャンが終わった。最新型の導力演算機が吸い取れるだけの機体データを抽出し、正面モニターの端にそれらの情報を表示する。

 全身に追加装甲が施されていて、各部に火器も搭載されている。規格に覚えがあった。多分《ゴライアス》のパーツを流用したのだろう。

 元が細身の機体なのにナンセンスな改修だ。あれでは本来の機体スペックを活かせない。すぐにエンジンの出力が不足して――

「え?」

 一瞬流しかけたその情報をアリサは二度見した。

 出力値がレイゼルと並んでいる。連立式オーバルエンジンが生み出すエネルギーと同格だ。けれど他の数値の変動が激しい。この兆候は――

「まさか並列式で作ったの!?」

『さすがはラインフォルトのお嬢様。メカニックの知識もあるのね』

 連立式最大のメリットはその出力もさることながら、二つのエンジンを相互連動させることによる安定性と回復力だ。だから単機で長時間の行動ができるし、七耀の特性を機体に組み込むなんて芸当も実現できた。

 だが並列式は違う。単に二つのエンジンを同時駆動させているだけである。確かに出力は跳ね上がるし、余剰エネルギーも生まれるが、安全性の保障がない。リミッターの外れた爆弾を常に抱えているようなものだ。

「なんて物に乗ってるのよ……」

『言ったでしょう。どうかしてるって』

 ケストレルが両手に携えた二振りの法剣を振るう。一対の連結刃が虚空を裂き、勢いよくしなった剣先が空気を弾く音を発した。

 刃の通り道に赤い軌跡が刻まれる。うねる炎が剣を包んでいた。機体全身から噴き上がる熱気が、紅い装甲を蜃気楼のように揺らしている。

『フレームに組み込んだのは紅耀石。炎熱の力を宿した《ケストレル・ビヴロスト》が、あなたの《レイゼル》を焼き尽くす』

「ここで私が負けるわけにはいかない。かかる火の粉は払うだけよ」

『風を受けて火は大きくなるもの。どちらの能力が相手を上回るか、それだけの話ね』

 そう、負けるわけにはいかない。

 機甲兵部隊を殲滅するヴァリマールの力を目の当たりにしても、まったく戦意喪失しないであろう敵――スカーレットと、彼女が繰るケストレルを制圧すること。

 これがアリサに任せられた《作戦D》。

『最後のダンスに付き合ってもらえて光栄よ。さあ、踊りましょうか』

 Fの形に似た背部のブーストバインダーが展開し、跳躍した《ケストレル・ビヴロスト》が炎の剣を一閃させる。

 ヴァルキリーユニット起動。後方に圧縮空気が爆ぜ、同じく跳躍した《レイゼル》が右手のアサルトラインで迎え撃つ。

 月光に映える紅と朱が交錯し、衝突の火花が闇に散った。

 

 ●

 

「始まったみたいだな。タイミングは理想的だ。急ごしらえの作戦に、みんなよく合わせてくれた」

「ああ、俺たちも急ぐぞ」

 断続的な振動が足元から伝わって来ていた。

 オーロックス砦内部、二階に続く階段をユーシスとマキアスは駆け上る。魔獣の襲撃に出払わせる目論見は成功し、兵士たちの姿は少ない。

 基地の規模としては中程度。事前にクレア大尉を通して手に入れた見取り図では、指令室は三階に位置している。多分、父はそこだ。

 わずかに重たくなった足取りを察してか、マキアスが言った。

「まずは説得からなんだ。落ち着いていこう」

「先走るつもりはない」

 一言そう返して、階段の先を見上げる。

 正規軍のバックアップはない。帰還した鉄道憲兵隊とガレリア要塞から赴いてくれた第四機甲師団は、ケルディックの守りを固めている。

 この状況下で再襲撃はないだろうが、そんな説明をしたところで町人の不安が拭えるわけもない。目に見える形での安堵が必要だったのだ。突然の災禍から一日も経たない今、恐怖で眠ることすらできない人も多いはずだ。

 二階に到達。飾り気のない通路を走り、さらに上を目指す。

「お止まり下さい!」

 三階への階段の手前、一人の老執事がレイピアを構えていた。

「どけ、アルノー!」

「この場の守護を公爵閣下より命じられております。たとえユーシス様であっても退くわけには参りません」

「ならばどかせるまでだ!」

 勢いよく踏み込み、剣を振るう。しなやかに動いた相手のレイピアが刃先をそらし、流れのままの突きを繰り出しきた。

 体をひねってかわし、ユーシスは足払いを仕掛ける。アルノーは飛び退き、鋭い蹴足を回避した。

「お強くなられましたな。士官学院で鍛えた技が冴えております」

「お前には稽古でもやられっぱなしだったな」

 アルノーにも色々なことを教わった。思えば兄とこの執事だけだったのかもしれない。自分を自分として見てくれたのは。

 どこかで心を許していた。口に出したことはないが信じていた。信じていたのに――

「止められたはずだ、お前なら! なぜ父上に進言しなかった!?」

「私は公爵様に使える身。主と何かを論ずる立場にはございません。それに――」

 そこまで言いかけて、アルノーは押し黙った。その先はわかっている。それに『言ったところで聞き入れてもらえない』だ。

 出奔した俺にお前を責める資格はない。だが、それでも。

「それでも止めろ! 付き従うだけが執事の役目か! 俺が城館を脱出する時、シュトラールを小屋から放したのはお前だろう!」

「ユーシス様……!」

 滞空するミラーデバイスが二人の周りに飛ぶ。鏡面を反射したレーザー弾が、ユーシスとアルノーの間を割った。

 マキアスの援護だ。アルノーがたじろいだその隙に、ユーシスは魔導剣をチャージした。

「俺の背中を押してくれたお前が、今なにを思って俺の前に立ちはだかっている!」

 切り上げと同時に発動した《ハイドロカノン》が、アルノーを呑み下す。猛る水流に押し流され、壁に叩きつけられたアルノーは、レイピアを手放してくずおれた。

「……よかったのか?」 

「かまうな」

 濡れた刀身を振るい、水滴を払う。

 どうせ気絶などしていまい。レイピアの落とし方が少し不自然だった。命令に背けない立場での、最大限の便宜のつもりなのだろう。

 倒れたアルノーを見やりつつ、その横を過ぎて三階に急ぐ。

「説明した通り、アルフィン皇女が別動隊とこちらに向かってる。殿下の足に合わせるから多少遅れるとは思うが、ほどなく僕らと合流することになるだろう」

「なるべく殿下の手はわずらわせたくない。父上に戦闘停止の指示を最優先で出してもらう必要がある」

 アルフィンがこの場に現れれば、さしもの父も頭を垂れる。それは確定だ。皇族の意向にたてつくのなら、そもそも守りたいはずの既得権益が根底から消失することになるからだ。

 だが皇女がこの場にたどり着く為には、敵勢の剣林弾雨を抜けてこなければならない。何かあれば取り返しがつかない。サラ教官と残るⅦ組で護衛についているらしいから、ひとまずの戦力は申し分ないと思うが。

 三階はわかりやすく指令室のみだった。見るからに堅牢そうな扉が、室内への入口を塞いでいる。

「ノックは?」

「任せる」

 マキアスはショットガンを扉の固定具に密着させ、何発も撃った。施錠部を破壊。あっさりと扉が開く。

 広い指令室の最奥、執務机の前でヘルムート・アルバレアが待ち構えていた。眉間にしわをよせ、その表情は険しい。

「ユーシス。貴様、何をやったかわかっているのか?」

 それがヘルムートの第一声だった。

「ここをどこだと思っている。オーロックス砦だぞ。この私が座する拠点だ。(わきま)えんか!」

「不躾な時間であることはお詫びします、父上。……なぜ私たちがここに参じたか、ご理解はされていますか」

「大方ケルディックのことだろう。町人代理として異議申し立てにでも来たか? それともまた税率引き下げの陳情か?」

 本気で言っているのか。なぜこの段になって、町の人々が申し立てを行うのだ。なぜ自分で焼けと命じた領地から、この上まだ税を徴収しようという頭があるのだ。

 違う。何もかもが違う。

「どうか軍に出頭して頂きたい」

「なにを言い出すかと思えば。どうせ町の連中にくだらんことを吹き込まれたのだろう」

「は……?」

「奴らは領民でありながら、事あるごとに減税を乞う。許されざる怠慢だ。あまつさえクロイツェン領邦軍の撤退を喜んだそうではないか! この制裁は当然のことだ!」

 そんなことで。そんなことでケルディックは襲われたのか。

 町人が怠慢だったことは一日たりともない。日々の生活に必死だった。彼らが喜んだのは大市の流通が戻ったことであって、決して領主の管理を離れたからではなかった。状況が落ちつけば、オットーを筆頭に皆が税を収めるつもりはあった。

「もう無理だ、ユーシス。僕は我慢ならない。息子の君の前ですまないが、話せる相手じゃない」

 マキアスが肩を震わせている。

 認めたくなかったが、同意だった……。

「父上。投降を拒まれるのでしたら連行します。〝何をやったかわかっているのか”と問いましたね。逆です。あなたは裁かれなくてはならない」

「愚かな真似をする。お前をアルバレア家で引き取ってやったのは間違いだった。ハモンドあたりにでも押し付けて、平民の世界で一生を終えさせれば良かったのだ」

 どこまでも厄介者としてしか見ていない言葉に、顔をうつむけてしまいそうになる。覚悟はしていた。それでも実の父親に言われたくはなかった。

 ヘルムートが片腕を掲げる。

 彼の左右の空間がぐらりと歪み、ずんぐりとしたフォルムの人形兵器が二体現れる。

 重厚感のあるボディに鋼の手足が付随しているが、頭部と思しきパーツは見られない。ラインフォルト社で交戦した《レジェネンコフ零式》のようなわかりやすい人型ではなく、全身に火器を搭載した重機という印象だ。

「《身喰らう蛇》の者から受領した拠点防衛型人形兵器《スレイプニル》だ。返り討ちにしてくれる!」

「……因果なものですね。俺の剣も《スレイプニル》という名です」

 アーツと剣の融合を果たした魔導の剣。二つの統合を成すという意味では、平民と貴族の血が流れる自分を体現しているとも言える。

 ユーシスは《スレイプニル》と《ドラウプニル》を接続した。ガード部の魔玉が導力の輝きを散らす。

 使い勝手の悪い、何も守れない剣ではない。使い方次第で、何だって守れる剣だ。

 今度こそ、俺は。

「もう意思は揺らがない。この剣と共に俺は信念を貫き通す。それがオットー殿への誓いだ!」

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 


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