虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第83話 祈り

 夕刻前にも関わらず、相変わらず賑わっている。

 土混じりのじゃり道を踏みながら、リィンはケルディックの街並みを見渡した。

 大市に響く威勢のいい客寄せの声。リヤカーを手に行き交う商人の靴音。町の外からは風車の回る重い音が届いている。

 秩序なく重なる音の数々が否応なく耳に飛び込んでは来るものの、それを騒々しいとは感じなかった。

「ここはいつ来ても活気がありますね」

 リィンの左どなりを歩くアルフィンが言った。その意見にはそのまま同意で、「ええ」とリィンはうなずく。

 一時は停滞していた流通の流れが戻りつつあるのだ。物が動けば売り手が動き、そこに買い手も動く。活気の元はまず人だ。

「で、買い出しはいいの?」

 そこはかとなく冷えた声に突っつかれる。右どなりを歩くアリサが、薄い目を向けてきた。

 露骨にではないが、どうも機嫌が良くないようだ。それくらいは俺にもわかる。

 どこに隠れているかも定かでない地雷を踏まぬよう、リィンは慎重に返答を選んだ。

「ガイウスたちが手分けしてくれている。俺たちは町の状況確認だ」

 それはトワからの指示だった。もっとも建前上であって、実際は皇女殿下の自由行動の付添人、及び護衛としての意味合いが強いのだろう。

 これはこれで重要な役割なのだが――

 アリサはリィン越しに言った。

「……あの、アルフィン殿下。少し近すぎではありませんか? それでは万が一の時、すぐお護りできる体勢に入れないので……」

「あら。アリサさんもしたいんですか。反対側どうぞ?」

 リィンの左腕に自分の腕を絡めるアルフィンは、にっこりと含みを持たせて微笑んだ。「そ、そんなことは言っていません」と、アリサはサイドテールを左右に振り乱す。

 アルフィンの警護なのだから、本来であれば彼女が中心で、リィンとアリサがその両脇を固めるのが好ましい。もしくは一人が後ろかだ。しかしなぜかリィンが中心で、その両側にアリサとアルフィンという並びである。

 これはいいのか。これでいいのか。

 疑問を持ちながら、リィンはぎこちなく歩く。目的の場所はない。アルフィンの行きたいところに付いていくのが基本だ。

 きょろきょろと首を巡らすアルフィンは、「次はあっちに行きましょう」と、楽しげにリィンを引っ張った。

「あっちって……教会ですか?」

「はい。教区長様にお話を聞いてみたいです。町の人たちの困っていることを直に聞いて、一番知っている方ですから」

「なるほど」

 皇女の物見遊山というつもりはないらしい。しっかり現状を把握しようとしている。

「アリサもかまわないか?」

「なんで私の了解がいるのよ。殿下の向かうところに付いていくんでしょ」

 ツンとした態度で応じられ、それ以上アリサに続ける言葉が思い浮かばなかった。正解の声かけがわからない。

 密かに苦悩する心情を知ってか知らずか、アルフィンはいたずらっぽい瞳で見上げてきた。

「大変ですね、うふふ」

「はあ……」

「もう少しわがままになっていいと思いますよ、リィンさんは」

「それは……前にも言われましたね。どういう意味だったんですか?」

 エリゼと一緒に《パンタグリュエル》までアルフィンを救出に行った時のことだ。再会した彼女にそう言われたのだ。

「正解を選ばなくてもいいということです。アリサさんにかける言葉に迷いましたよね、今」

 付け足しの一言は小声で言う。あまりの察しの良さに「は……」と恐縮し、リィンは心持ちあごを引いた。

 明け透けで飾らない言動は、心理を読み取る慧眼ゆえか。見透かされたという心地だ。

 相手にストレートに届く言葉。本人に自覚はないようだが、これが先天的な女王の資質なのだろう。 

「深く考えない方がいいんじゃないですか。選んだ時点では正解も間違いも決まっていませんし」

「時々、殿下は俺よりずっと成熟しているように感じます。物事の本質を捉えているというか……」

「そんなことありませんわ。わたくしだってエリゼと同い年ですのに。ねえ、リィン兄様?」

 からかうように顔をのぞき込んでくる。今度はアリサにも聞こえる声で言った。

「年下、同い年、年上。リィンさんのお好みの女性はどのタイプ? さあ言っちゃいましょう。ドンと来いです」

「は、いや、ええ?」

 ドンと来いとは、どう行けば。アリサは無言だが、横目でじっと見てくる。

 正解も間違いもないから、思うことを言えということか? 殿下のお戯れにも困る……。

 返答に窮していると、教会の入口は目前だった。話題から逃れるつもりもあって、先にリィンは扉を開いた。

「はぐらかされてしまいましたか」

「はは、ご冗談は程々にして頂かないと」

「これでけっこう本気なのですけれど」

 堂内に礼拝者は少なかった。赤い絨毯の上を歩いて奥へと進む。

 七色に輝くステンドグラスの下で、一人の女性がかしずいていた。リィンたちが近付くと、女性は立ち上がる。

 祈りを終え、振り向いたその顔に全員の足が止まった。ブラウンの眼帯に続いて、切れ長の瞳が三人を見据える。

「あら。こんなところで会うなんて奇遇ね。アルフィン皇女におかれましては息災のようで何より」

 スカーレットだった。彼女は粛々と頭を下げてみせる。

 即座にアリサは自分の背にアルフィンを押し隠し、リィンは腰の太刀をいつでも抜けるよう鯉口を切った。

「こんな場所で刃傷沙汰は止めたほうがいいんじゃない?」

「その通りだが、なんでここにいる」

「テロリストはお祈りしたらダメかしら」

 予期しない遭遇に、リィンは警戒の範囲を広げる。

 スカーレット一人か? クロウは来ていないのか? 貴族連合絡みなら結社の人間もあり得る。

「大丈夫。私一人だから。これは本当よ」 

「だとしたら、その理由を聞きたい」

 領邦軍が撤退したケルディックに、一人足を運んだ理由を。

 異様な雰囲気が伝わったのか、礼拝者たちがざわつき始める。

「灰の騎神の起動者、紅い機甲兵の操縦士、そしてエレボニアのお姫様……ね」

 口中につぶやき、ステンドグラスを一瞥する。彩り豊かな光を身に受けて、スカーレットは深緑色の瞳をわずかに細めた。

「場所を変えましょう。あなた達と話がしたいわ」

 

 

《――祈り――》

 

 

 湯気と共に立ち昇る香りが、鼻先をくすぐっていく。

 ペルム夫人の淹れてくれたハーブティーは文句なしの味だったが、心の底に残る澱が解ける気配はなかった。

「調薬の習得具合はどうだ?」

 ささくれた気を紛らわそうと、ユーシスは適当な話題を振ってみる。

 オットー元締めの邸宅。そのリビング。テーブルの向かいに座るロジーヌは「まだまだですよ」と、たおやかな所作でティーカップを置いた。

「調合比率が寸分変わるだけで効能も落ちてしまいますので、なかなか思うようにはいきませんね」

「練習用のハーブは足りているのか? なんなら調達してくるが」

「今のところは大丈夫です。市場に出回るようになったおかげで、安価で手に入るようになりましたから。お気遣いありがとうございます」

「そうか。ならいい」

 ハーブティーを口に運ぶ。やや冷めたが、風味はまったく落ちていない。

 キッチンカウンターの向こうから、ペルムが言った。

「ロジーヌちゃんは優秀です。教えたことをすぐに理解してくれますので」

 まるで自分の娘のことのように自慢気だった。

「賢いお嬢さんですよ、本当に。気配り上手で優しくて、おまけに美人で」

「ペルムおばさま……!」

 シューと頭から照れの蒸気が昇るロジーヌは、それ以上はやめて欲しいと目で訴えていたが、ペルムのベタ褒めは止まらない。

 ぶっちぎりで褒めちぎり、とうとうロジーヌが顔を伏せてしまったところで、二階からオットーが降りてくる。彼にも一連のやり取りは聞こえていたようで、楽しそうに笑っていた。

「その辺りにしておいてあげなさい。ロジーヌ君がかわいそうだ。ユーシス様も申し訳ありません。彼女の話になると妻はいつも熱くなってしまうのです」

「でもあなたもそう思いませんか?」

「それはまあ……思いもする。私たちは子供を授からなかったが……もしもロジーヌ君みたいな娘がいてくれたら――」

「絶対箱入りにするでしょう」

「うむ」

 グレーの髭をなぞって、オットーは肯定する。彼ら夫妻の言う光景を、ユーシスは想像してみた。

 笑い声の絶えない幸せな一家だろう。幸せな、普通の、一般的な家庭。そういえばロジーヌの家族のことは聞いたことがなかったな、とユーシスは思うともなしに思った。

 領主子息である自分が訪れると、最初は恐縮の極みだったオットー夫妻だが、こう何度も足を運んでいるとさすがに慣れたらしい。慇懃な態度は崩さないものの、多少なり砕けた会話もするようになってきていた。

 自分の割り当て分の買い出しは済ませている。集合時間にはまだ余裕があった。

 もう一口ハーブティーを飲もうとカップに手をかける。が、中身は空だった。ふと正面を見やると、ロジーヌは顔を上げていた。

「ハーブティー淹れましょうか?」

「いや、十分堪能した」

「ユーシスさん?」

「なんだ」

「なにかあったのですか?」

 カップの取っ手から離しかけた指先がぴくりと動く。

「どうしてそう思う」

「声色とお顔に出ていますから」

 口調には感情が乗らないよう努めたし、表情だって変えたつもりはない。普段通りに振る舞っていたはずなのに。

 ここ最近、ますますもってロジーヌの勘の鋭さに拍車がかかってきた気がする。

「少し苛立つことがあった」

「Ⅶ組のご友人のことで?」

「なにが友人なものか」

「マキアスさんのことですね」

「………」

 こいつの推察力はどうなっている。なぜレーグニッツのことだとわかる。本当に読心術でも使えるのではなかろうか。

「使えませんよ」

「な、なに?」

「予想で言いました。当たりましたか?」

「……お前には隠し事ができんな」

「はい」

 ロジーヌはどこか嬉しそうに口元を緩めた。

「ケンカでもされましたか」

「向こうが突っかかってきただけだ。いつもと同じでな」

 いつもと同じなのに、どうして苛立ちが消えないのだろう。

 決まっている。他人の背景を考えもしない、あの無遠慮な物言いが癪に障ったからだ。

「……深くは聞いてこないんだな。それとも、また察しているのか」

「私は魔法使いじゃありませんよ。ユーシスさんが言いたくないことはお聞きしません。でも早く仲直りできるといいですね」

「元々直すほどの仲でもない。……やはりハーブティーをもう一杯くれ」

 空のカップを差し出し、ユーシスは内心で嘆息した。

 

 

「んー……現場にいなかったから私にはなんとも……。でもこういうのって双方に非があるものだと思うけど」

「いいえ。今回ばかりはユーシスです」

 トワがなだめようとするも、マキアスはきっぱり否定した。

 カレイジャスの食堂である。いい匂いの漂ってくるその空間には、マキアスとトワの二人しかいなかった。

 カウンター奥の調理場では、シャロンとニコラスが夕食の準備に取り掛かっている。献立はビーフシチューのようだ。

「そう意固地にならずに。お互い謝って水に流そうよ。変なしこりを残したままだと、これからのことに影響が出ちゃうし」

「ユーシスから頭を下げてくるなら、聞いてやらないでもないですが」

「そういうスタンスはダメだよ……」

 忙しい時間を割いて自分の様子を見に来てくれたトワには申し訳ないと思う一方、腹に据えかねた苛立ちはどうしようもなかった。

「今に始まったことじゃない。前から思っていました。あいつは……ユーシスには他人に対する配慮が足りない。人にはそれぞれの事情があるものでしょう。そういったことを考えもしないで、無神経に思ったことをそのまま口に出す。それに悪びれない態度が癇に障るんです!」

 思い返すだけでも怒りが湧いてくる。

 彼は僕を名前で呼ぼうとしない。そんなことでいちいち考え込んでいた自分が馬鹿らしい。なんだというんだ、そんなもの。

 歩み寄る余地はないし、そもそもそんな必要もなかった。くだらない。ありていに言って、馬が合わない。

 買い出しに行ってくれた皆には悪いが、僕は行かなくて良かった。今は顔も見たくない。

「でもマキアス君……生まれも育ちも違うんだよ。当然性格も違うし、価値観だって同じじゃない」

「だから理解しろって言うんですか? 僕から? それこそユーシスが図に乗るだけだ。できません」

 この一件にトワは関係ない。わかっていたが、つい責め口調になってしまった。

 子供じみた態度だと自覚している。あの時、ユーシスが言われて欲しくないことを、なにか僕が言ったのだろうとも思う。

 でもそれはあいつだって同じだ。言われたくないことぐらい、僕にだってある。

「とにかく、僕からは絶対謝りません」

「うーん、困ったなあ……」

 トワが頭を抱えていると、艦内放送が流れた。

『ブリッジ、リンデよりトワ艦長へ。至急ブリッジへお戻り下さい。繰り返します、至急ブリッジへ――』

 どこか緊張の滲んだ声だった。

 得体の知れない不安が胸に湧き、マキアスとトワは思案顔を見合わせた。

 

 ●

 

 ケルディックの町から離れて少し、通ってきた西ゲートがずいぶん小さく見える。

 街道の外れで、スカーレットは足を止めた。

「この辺りでいいかしら」

「ずいぶん遠くまで来るんだな」

 リィンが言うと、スカーレットは肩をすくめて苦笑した。

「それはそうよ。正規軍も巡回する町だもの。そこまで私の顔は出回ってないと思うけど、万が一ってこともあるからね」

「そんなリスクがあるってわかってるのに、どうしてケルディックに来たんだ? しかも教会に」

「だからお祈りよ」

「それは――」

 何に対しての、と言いかけて留まった。胸が詰まる心地を味わいながら、リィンは続きの口を開く。

「……ヴァルカンの?」

「まあ、そんなところ。断っておくけど、あなたが気に病むことではないわ。そんな顔見たら、ヴァルカン怒ると思うわよ」

 俺はどんな顔をしていたのだろう。確かめるすべもなく、リィンは無言を返答にした。

「でも……一つ訊いていいかしら。ヴァルカンは最後に何か言っていた?」

「『俺はここでいい』って」

「そのあとは?」

「あと?」

 そういえば爆発に巻き込まれる寸前に、彼の口が小さく動いたような覚えがある。確か『お前は――』だったか。

 だがそこまでだ。続きは聞いていない。いや違う。

 続きは、なかった。

「なにも聞けていない。すまない」

「そう。いずれにしても自分で区切りをつけたんでしょ。本望だったはずよ。最後の相手があなただったのは、ヴァルカンにとって救いだったのかもしれない」

 救い。寒々しい響きだった。

 本当にそうなのか? 自分で選んだ結末だから? 俺が助けようとしたことも、助けられずに苦悩したことも、本来は必要のないことだったのか?

 スカーレットは視線をアルフィンに移した。

「お姫様。食事はちゃんと食べているのかしら?」

「おかげさまで。毎日三食、おやつ付きです」

「ふふ、私とヴァルカンの作った料理は、結局最後まで一口も食べなかったのにね。ま、今食べてるならいいけど」

 訝しげな表情で見返すアルフィンから視線を外し、続いてスカーレットはアリサを見た。

「あの紅い機甲兵の操縦士。あなたとは一勝一敗よね」

「……ユミルと黒龍関での戦闘のこと?」

「ええ。灰の騎神もいいけれど、あなたと戦いたいわ。アリサ・ラインフォルトさん?」

 冷たい風が吹き抜ける。落ちていた枯れ枝が道を転がっていった。

「私は好んで戦ってるわけじゃない。戦いたいって言われても、理由がなければ応じられないわ」

「大丈夫よ。あなたは私と戦うことになる。理由ならこれからできる」

「なにを……?」

 かすかに重低音が聞こえた。遅れて足元に微震が伝わる。ケルディックの方からだ。

 地面に落ちるスカーレットの瞳に、暗い影が差していた。

 

 

 制止の声も聞かず、ロジーヌが教会に向かって走っていく。

 その修道服の背中を追って、混乱の渦中にある町中をユーシスも走った。

「待て! 一人で行くな!」

 叫んだ声が轟音にかき消される。大市のゲートが鋼鉄の腕によって破壊された。

 大市の敷地内に侵入したドラッケンが、手近な屋台のテントを紙細工のように踏み潰す。悲鳴を上げる商人たちが転げながら逃げていく。

 襲撃は突然だった。なんの前触れもなかった。

 数機の機甲兵が町の東ゲートを蹴破ったのを皮切りに、猟兵の一団がケルディックになだれ込んできたのだ。

 宣戦布告もなければ降伏勧告もない。機甲兵は家屋を破壊し、猟兵たちは町の至るところに火を付けた。

 不測の襲撃ではあったが、居合わせたⅦ組はこれに即応した。しかしパニックに陥った町人たちの避難誘導は一括にできず、こちらも分散せざるを得ない状況になってしまっていた。

 最悪なのは駐留していた鉄道憲兵隊が、各地連絡の為に最小限の人数しか残っていなかったことだった。

 まさかそれを狙ったタイミングか。

 それにこいつらが来た方角。バリアハート方面の拠点は、もうオーロックス砦しかない。つまりクロイツェン領邦軍と、そこと契約した猟兵団。

 つまり、この襲撃を指示した人間は――

「っ……!」

 そんなはずはない。否定しようとしてしきれず、奥歯をぎりっと噛みしめたユーシスは、立ち込める黒煙を吸わないよう手で口を覆った。ぱちぱちと火の手が回り始めている。

 木造家屋が多い上に、この乾いた冬の空気。一棟にでも火が移れば、一気に燃え広がってしまう。

『やめろーっ!!』

 空が歪み、空間転移で呼び寄せられたヴァリマールが町に降り立った。リィンの叫びと同時にドラッケンに組みかかる。

 灰の騎神が現れるや、機甲兵部隊はすぐに撤退し始めた。猟兵たちも同様だ。戦うつもりなど最初からなかったかのように。

 双眸に殺気を(みなぎ)らせ、追撃の姿勢を見せるヴァリマールに、「町人の安全確保が先だ!」とユーシスは怒声を響かせた。

 声は届いたらしく、動きを止めたヴァリマールにリンクの光が走る。青く清らかな光。あれはエリオットだ。

 マスタークオーツ《カノン》が能力を発揮し、霧雨状になった水属性のアーツがケルディック全域に押し拡がった。たちまちに火が消えていく。

 わずかに晴れた視界にロジーヌの姿が見えた。教会横の花壇スペースで泣きじゃくる子供たちをどうにか落ち着かせ、避難させようとしていた。

 そのすぐ横を、ランドローラーで撤退するドラッケンが過ぎ去っていく。肝が冷える思いだったが、機甲兵は彼女らに攻撃を加えようとはしなかった。

 何事もなく通り過ぎかけたその時、右腕部にマウントしてあるシールドの上端が教会の屋根を擦過した。

 ガリガリと削られ、剥離した建材の砕片がロジーヌたちの頭上に降り注ぐ。

「避けろ!!」

 全速力で駆けつけるユーシス。一瞬遅れて事態に気付いたロジーヌは、子供たちを自分の体でかばった。

 魔導剣だ。氷で支柱を作るか、風で吹き飛ばすか。ダメだ、間に合わない。《ドラウプニル》から《スレイプニル》への導力チャージが間に合わない。

 柄にかけかけた手を離し、ユーシスはロジーヌの上に覆い被さった。

「ユーシスさん!?」

「動くな、絶対に」

 かばい切れる自信はない。だが守るにはこれしかなかった。

 背中に衝撃。ぐっと身を硬くしたが、建材の感触とは違う。

 これは、人――

「ユーシス君」

 首だけを巡らして、その人物を視界に入れる。オットーだ。ロジーヌとユーシスをかばうように、オットーが覆い被さっている。

 彼は『様』ではなく『君』と言った。その意味を汲み取る時間を、迫り来る瓦礫は与えてくれなかった。

 何を言えばいいのか。謝罪と言い訳が交互にユーシスの頭をかき乱す。

「違う、ち、父がこんな……」

「恨まなくていい」

 耳を(ろう)する騒音の中で、奇妙にはっきりと聞こえたその言葉。たったの一言が胸の奥深くに突き刺さる。

 一言も発せられないまま、ユーシスはただ守られた。

 

 ●

 

 火は消えた。エリオットの《カノン》の特性のおかげだ。

 それでも何棟かの家は完全に倒壊し、大市は破壊し尽くされた。いまだ煙るケルディックの町並は、悲憤に煤けてしまっている。

 来た時の活気は人々から消え失せ、鎮痛を通り越して呆然自失と言える面持ちを浮かべていた。

「なんで、こんな……」

 それ以上は言葉にならず、リィンは立ち尽くす。焼けた炭の臭いが、服にこびりついている。

 クレア率いる鉄道憲兵隊が到着したのは、つい先ほどのことだった。クレアは先頭に立ち、負傷者の救護にあたっている。機甲兵接近の知らせを受けて、トワが送ってくれた増援も先ほど着いたばかりだ。

 スカーレットに誘われて町の外にいたせいで、襲撃に気付くのが遅れた。彼女は知っていたのか、こうなることを。

 ならばなぜ外に連れ出した。黙ってあの場を離れれば済むはずなのに。行動の意図が読めない。

「ぐっ……」

 リィンはずきりと痛む胸を押さえる。

 ヴァリマールの中から町に火をつける猟兵を見た時、〝鬼の力”が一瞬発動した。ユミルへの襲撃と情景が重なって、怒りが沸点を超えたのだ。

 止まるという理性は働かず、機甲兵を引き裂いてやりたい衝動だけが膨れ上がった。

 正気に戻れたのは、安全確保を優先しろというユーシスの怒鳴り声のおかげだった。

「そうだ、ユーシス……」

 周囲を見渡すと、教会の前に彼の姿があった。うつむき加減の表情は見えない。

 オットーとロジーヌが担架で教会の中へ運ばれていく。その後に続くペルム夫人は泣いていた。

 まさか。

 リィンが駆け寄ろうとした時、カンと硬い音が聞こえた。振り返ると、待機中のヴァリマールに三人の子供たちが石を投げている。

「この、この……っ!」

「町を壊した機械人形の仲間だろ!」

 機甲兵と勘違いしているらしい。彼は君たちを守ったんだぞ。そう言うか迷って、リィンは黙った。

 守れていない。守れなかったのだ。

 ヴァリマールには悪いが、それで少しでも子供たちの気が紛れるのなら――

 不意にヴァリマールが動いた。腰をかがめ、彼は子供たちを手ですくおうとする。

「ヴァリマール!?」

 驚いた子供たちは一目散に逃げていく。彼らが見えなくなると、ヴァリマールはまた立ち上がった。

「いったいどうしたんだ」

『子供達ガ怒ッテイタ。泣イテイタ。コウスレバ、笑ウト思ッタ』

「ああ……」

 手の平に乗せて、高いところからの景色を見せてやるつもりだったのだろう。ユミルでキキとアルフにそうしていたように。

『町ガ焼ケテイル。昔ニモ同ジ光景ヲ見タ覚エガアル。ソノ時ハ……今ミタイナ気持チニ、ナッテイナカッタト思ウ』

 気持ち。思う。

 どこか無機質で機械的だったヴァリマールが、自らの感情に基づいた言葉を発している。欠損していたメモリーが回復しつつあるからか、あるいは彼自身の何かに変化が起きているのか。

 傾いた夕日が灰白の装甲を照らし、ヴァリマールはそれきり沈黙した。

 

 ●

 

 パンタグリュエルからカレイジャスへ。ルーファス・アルバレアの通信が入ったのは、その日の夜である。

 ケルディックの襲撃はヘルムート・アルバレアの指示であること。この一件に貴族連合は関与していないこと。そして、《紅き翼》に第三勢力として、クロイツェン領邦軍を討って欲しいこと。

 ルーファスの口から語られたのは、その三つだった。

 クロイツェン領邦軍を討つということは、つまりヘルムートの拿捕を意味する。客観的な立場から淡々と告げるルーファスを、リィンはわずかに訝しんだ。

 父の拘束は致し方なし。ケルディックの件は痛ましいことだ。そう口にするものの、大画面のモニター越しに映る顔に、感情の揺らぎは見えない。

 指揮官としての立ち振る舞いと理解できるが、こうなることをどこかで予期していたとも思える。

 盤上の駒を動かす目をした男は、ブリッジに集まった一同を今一度視界に入れてきた。

『ここから先の判断は君たちに任せよう。……ところでユーシスはこの場にいないのか?』

 その一言が事態に気付かせた。ユーシスの姿がない。

 ルーファスとの通信を終えてから全員の情報を統合すると、少なくともカレイジャスに戻ってからは誰も見ていないようだ。

 トワは至急ユーシスの所在確認をするよう指示を出した。

 あれだけのことを、しかも身内が起こした。彼の心中は察するに余りある。

 リィンは嫌な予感がしていた。

 とにもかくにもユーシスの捜索が行われる。

 一時間経っても発見できなかった。総出で艦内を探し回ったが、どこにもいないのだ。

 再びブリッジに集合したⅦ組勢の中で、ミリアムが言った。

「おかしいんだよね。さっきから《ARCUS》で呼びかけてるけど、ノイズばっかりで繋がらないし……」

「それはそうだよ。ユーシスの《ARCUS》ってもう通信できないんだから。って前のミーティングで報告あったよね」

 そう返すエリオットに、「あはは、聞いてない」と、ミリアムは能天気に笑った。

 魔導剣の外部パーツとして、ユーシスの《ARCUS》は特殊な改造を施された。結果、高速駆動と導力伝達を可能にしたが、その代償として通信機能が失われたのだ。

 その弊害が最悪のタイミングで訪れた。こちらからの連絡は取れず、彼の所在を知る手段がない。

「委員長、念話術はどうだ。遠隔での会話ができるのだろう?」

「さっきから試してはいます。大まかな場所がわかれば繋げられるんですが……少なくともやはりカレイジャスにはいないようです」

 ガイウスが提案するも、エマは首を振る。

 教会の前に立つ彼の姿を、リィンは思い返していた。

 おそらく自分が最後にユーシスを見た。そっとしておこうと思ったのが間違いだったのかもしれない。一緒に連れ帰ってくるべきだった。

「ねえ、ちょっと。そういえば……」

 一人一人を見回したアリサは、「今さらだけど」と前置きしてから言った。

「もう一人足りなくない?」

 

 ●

 

 いつか話せる日が来ると思っていた。いつか自分を見てくれる日が来ると思っていた。いつか認めてくれる日が来ると――。

 楽観的であることは自分が一番わかっている。けれどそう思わなければ、父とはずっと平行線のままだ。血をわけた親子。歩み寄る努力はするべきだ。

 たとえ父に疎まれていても、俺は父を疎んじてはいけない。

 そう自分自身に言い聞かせて、今日まで生きてきた。出奔してからも、その想いは変わらない。

 変わらないはずだった……。

 ユーシスは空を見上げた。雲のない夜空に満月が浮かび、広く散りばめられた星が瞬いている。美しいとは思わなかった。

 ひどく足が重い。もうどれくらい歩いたのだろう。一人ケルディックを出て、東トリスタ街道を通り、北クロイツェン街道を進んでいる最中だ。

 何も言わずにここまで来た。皆は怒っているだろうか。呆れているかもしれない。いずれにせよ、もう戻れない。この先、どんな顔をしてカレイジャスに乗艦し続けられるというのだ。

 仲間は気にするなと言うだろう。ユーシスのせいではないと言うだろう。

 無理だ。俺がそう思えない。

 道の先にバリアハートの門が佇んでいた。夜だが見張りも二人立っている。当然だ。

 どのみち町に入るつもりはなかった。脇道にそれたユーシスは、バリアハートの外壁に沿う形で、大きく東へ迂回するルートを取った。

 しばらく歩くとオーロックス峡谷道の中腹に抜けた。土の道から一転、ゴツゴツした石畳が敷かれている。整備されているはずの道がところどころ陥没したり、大きく欠けていたりするのは、機甲兵が隊列を成して進んだからだろう。

 このまま行けばオーロックス砦につく。多分、そこに父がいる。

 会ってどうするか、父を前にした自分がどうなるか、ユーシスにも分からなかった。

 なぜあんなことをしたと問い詰めるのか。捌かれるべき罪だから投降しろと勧告するのか。

 応じるどころか、まともに取り合ってもらえないのは目に見えている。その時は――。

 ユーシスは抜き身のまま持っていた魔導剣に目を落とした。その優美な拵えが、ひどく滑稽に映る。

 なにが剣とアーツの両方を兼ね備えるだ。使い勝手の悪い武器め。なにもできなかったではないか。なにを倒すことも、なにを助けることもできず。自分だけが生かされて。

 オットー殿は。ロジーヌは。

「遅かったじゃないか」

 不意に前方からぶつかった声に、ユーシスは顔を上げた。

 道の真ん中にマキアスが待ち構えていた。一人だけのようだった。

「なぜここにいる」

「どうせ戻って来ないと思った。そしてオーロックス砦に向かうだろうとも。ケルディックを襲撃した機甲兵はバリアハート方面から来たらしいからな」

 それで先回りをしたというのか。勘はいいが、間は悪い。よりにもよってこいつとは。最悪の気分だ。

 マキアスは近付いてきた。

「普通に追おうとも君がどのルートを通るかわからなかった。ここなら確実に捕まえられると踏んだんだ。僕も君と同じで、誰にも告げずにここへ来た」

「目的を聞いている。俺を止めにでも来たか? それとも連れ戻しにか? 余計な世話だ。とっとと帰――」

「オットーさんが亡くなった。ロジーヌさんの意識が戻らない」

 遮る声音でマキアスは告げた。血液が沸騰しそうになるのを堪えて、ユーシスは低い声で言った。

「わざわざそれを言いに来たのか」

 知っている。

 オットーは自分をかばって瓦礫を受けた。その鼓動が小さくなっていくのを、直に背中で感じていた。彼に当たらなかった石片が顔の横を過ぎて、自分の下にいるロジーヌの頭を打った瞬間も見た。意識を失っても、彼女は子供たちを最後まで離さなかった。子供たちにケガはない。

 なにもできなかった俺は無事だった。これほど情けないことが他にあるものか。

 そう、知っている。全部知っているのだ。それなのに、こいつは、いちいち、こんなところまで来て、そんなことを言う。

 強い苛立ちと怒りを鋭い瞳に湛えて、ユーシスはマキアスをにらんだ。

「もう一度だけ言う。とっとと帰れ。皆に俺はもう戻らんと伝えろ」

「なにか勘違いしてないか?」

 次の瞬間、唐突に月が視界に入った。遅れて顔面に重い衝撃が爆ぜる。殴られたと気付いたのは、路面に倒れてからだった。

 じんじんと痛む鼻柱を押さえながら、ユーシスはよろと上体を起こす。

「ぐっ……レーグニッツ、お前!」

「それは家の名だ。僕の名前じゃない」

「なにを……?」

「止めに来た? 連れ戻しに来た? 甘ったれの発想だ。悲劇の主人公ぶってるつもりか」

 マキアスは固く拳を握りしめた。

「立て、ユーシス。僕がここに来たのは、君を思いっきりぶん殴るためだ」

 

 

 ――続く――

 

 


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