虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第82話 隔てられた声に

「大変な目にあわせたな。怖かっただろう」

 カレイジャスの二階通路、外へと繋がるゲートの前でリィンは言う。いまだに傷心の他の女学生二人とは異なり、「ええ、少し」と返してきたミュゼは存外たくましい。もっとも女学生たちの反応の方が普通なのだろうが。

「ケガをされた方はいるのですか?」

「君を含めてゼロ人だ。というかミュゼが一番危なかったんだぞ」

「ですよね」

 ハイジャック事件は解決した。

 捕縛した猟兵たちはクレアたちに引き渡し、その後は脱走に続く今回の事件も合わせ、改めて罪を問われるという。

 ただ彼らのリーダーは取り逃がした。エマとの交戦中に不意の爆発に巻き込まれて、展望デッキから落ちてしまったそうだ。

 その男の指揮下にあったはずの猟兵たちだが、誰もリーダーの顔を覚えていないと口をそろえている。思い出そうとすると一様にひどい頭痛に襲われ、うずくまってしまうのだ。演技をしているようには思えなかった。

 件の人物と戦闘していたエマは疲労が重すぎて、今は仮眠室で寝込んでいる。

 アリサからの話では、うわ言で『男子の皆さん、ごめんなさい……ごめんなさい』と、涙まじりに毛布にくるまっているらしい。あとで様子を見に行こう。

 そんなことを思っている内に、気付けばミュゼの顔が近くにあった。

「飛行艇から落ちた時に助けて下さってありがとうございました。リィンさんが灰色の騎士人形を動かしていたなんてビックリです」

「驚かしてすまない。あの場ではヴァリマールを呼ぶ以外に方法がなかった」

「あの騎士人形のお名前ですか? かっこいいですね。でも……」

 ちょいちょいと頭を下げるよう促される。リィンが応じると、さらに顔を寄せたミュゼが耳元でささやいた。

「リィンさんもかっこよかったですよ。ドキドキしちゃいました、私」

 とてもエリゼと近い歳とは思えない、なんとも大人びた艶のある声音だった。向かいの通路にいるアリサとラウラが、ひどく鋭い視線をこちらに注いでくる。

 体を離したミュゼは、出口ゲートに向き直った。

 カレイジャスはルーレ空港に停泊している。人質にされていた旅客たちを搭乗地に戻すためだ。元々の目的地であるバリアハートには、カレイジャスでは近付けない。

 事件翌日の今日。他の乗客たちはすでに退艦しており、ミュゼが最後の一人だった。

「必ず内戦を収束させる。状況が落ち付けば西部にも戻れるはずだ。まあ、女学院に無事の報告を入れるのを優先すべきかもしれないが」

「身の振り方はゆっくり考えることにします。女学院に関しては――うん、なんでもないです」

「そうか? とにかく気を付けてな」

「はい、色々とありがとうございました」

 貴族子女らしい品の良いお辞儀をすると、ミュゼはカレイジャスを後にした。

 艦からの渡し橋を歩き切り、空港側の床に足をつけたところで彼女は振り返る。若草色のくせっ毛を揺らして、ミュゼはリィンに手を振った。

「ご縁があったら、またお会いしましょうね」

 

 

《――隔てられた声に――》

 

 

 カレイジャスは巡回飛行中である。

 その日の午後、一同は訓練室に集まっていた。各々が《ARCUS》を手に、二人一組を適当に作る。

『オーバーラーイズ!』

 口火を切るフィーとミリアムの声が重なり、いつも通り何も起こらない。二人の掛け声を合図に、それぞれのペアが戦術リンクを繋ぐ。

 リィンの相手はラウラだった。宙を走る光のラインが《ARCUS》同士の接続を示した。

「どうだ?」

「……いつもと変わらないな」

 ラウラに問われて、リィンはかぶりを振った。

 意思の伝達はなされている。言葉が伝わるわけではないが、思考から続く行動を漠然と察することができる。意識の幅が拡張されるような感覚――。

 そう、いつもの感覚だ。

 トヴァルから示唆された戦術リンクの新たな可能性。従来のスペックを越えた能力を発揮するであろう、名付けて《オーバーライズ》。

 限られた人数の中で戦力増強の足がかりになるならと、リィンたちも時間を見つけては色々試してはいるのだが、思わしい結果はいまだ出ていなかった。

 ラウラが一歩近づいてきた。

「ふむ、距離の近さで影響は出ないか。当たり前と言えば当たり前だが」

「離れ過ぎるとリンクブレイクは起こすけどな」

 有効距離超過が原因で起こる現象だ。距離に比例して徐々にリンク効力が弱まるのではなく、予兆なくいきなり途切れるのだ。断線に近い。

 距離にさしたる影響はないと言いながらも、ラウラはさらに一歩近づく。「……別角度からのアプローチを考えよう」と、妙な提案をしてきた。

「わ、私のことを考えてみてくれ」

「ラウラを? 考えるって、どう……?」

「なにかこう……色々あるだろう。技術的な強化ではないのだから、心情面の及ぼす影響が大きいかもしれない」

「なるほど」

 一理ある。リィンは正面にラウラを見据えた。

 彼女のことを考えながら、集中を高めていく。何かが変わる気配は一向にない。リンクで重要なのは、意思の波長を重ねることだ。

「ラウラも俺に意識を向けてくれ」

「えぁ!? あ、ああ、そうだな。それはそうだ」

 至近距離で見つめ合う二人。リィンは至極真面目な顔だ。ラウラは途中でうつむいてしまった。

「む、無理」

 リンクを通じて伝わってくる。ラウラは落ち着いていない。集中も乱れている。彼女にしては訓練中に珍しいことだった。

「どうしたんだ。顔を上げてくれ」

「そんなことを……言うな」

「俺を見るだけだ。できるだろう?」

「ん……うん」

「なにやってるのよーっ!」

 割り込んできたアリサが、二人の間を引き離す。後ろによろけるリィンに、彼女はぐっと詰め寄った。

「ねえ、なにしてるの? なにしようとしてたの?」

「お、オーバーライズ?」

 他に返しようもなく、問われた通りに答えてみる。視線を天井に逃がしながら、ラウラも「お、オーバーライズだ」と、赤い頬のままフォローを入れた。

 あれやこれやとアリサに詰められる最中、近くにいたミリアムとフィーの会話がリィンの耳に聞こえてきた。

「で、ミリアムって誕生日いつなの?」

「んー、いつだったっけ。起きた日ってことでいいのかな……?」

 内容は誕生日について。早くもオーバーライズの訓練に飽きつつあるようだった。確かに手掛かりもなく、無為にリンクを繰り返すだけでは飽きもするだろうが。

 二人はぺたんと床に座り込んだ。

「フィーの誕生日は? お祝いしてあげるよー」

「生まれた日はそういえば知らないかも。団長に拾われた日を一応の誕生日にしてるんだよね。歳が一つ増える日」

「あはは、テキトー」

「ミリアムに言われたくないけど」

 その辺りのことは二人とも気にしない性格らしい。

 生まれと言うなら、自分だって定かではないのだ。しかも拾われた日を誕生日にするというのは、フィーとまったく一緒である。

 俺がいつ、どこで生まれたか。気にならないではないが、こうして皆の中で生活していると、それが全てではない思える自分がいる。出生の不明に引け目を感じていたのが、ずいぶん昔のことのようだ。

 アリサの責めを依然として受けながら、リィンは頭の片隅で思った。

「リィン、聞いてるの!?」

「聞いてるが……なんで怒られているかがわからないんだ……」

 その折、ミリアムはユーシスに絡んでいた。

「ねー、ユーシス。ユーシスの誕生日ってどんな感じなの? おいしいご飯とか出るの?」

「誕生会のことか? 来賓客は多かったぞ。主には立食パーティーの形式だったが」

 ユーシスも休憩中だからか、今日は邪険に追い払わずミリアムの相手をしている。

「立食パーティ! いいな、食べたい! 食べ回りたいよ~」

「挨拶に来る客の対応ばかりで、俺はほとんど料理を口にする時間がなかったがな」

「なんで? ユーシスの誕生日会なんでしょ」

「そういうものだ」

「ふーん、マキアスは?」

 ミリアムはマキアスに話を振った。彼は訓練相手であるガイウスとのリンクをいったん切る。話題は聞こえていたらしく、「誕生日か……」と、束の間の物思いに馳せた。

「どうせ大した催しでもなかったのだろう」

 マキアスが口を開く前に、ユーシスが言った。それはいつもの皮肉混じりの軽口だった。マキアスの眉根がぴくりと動く。

「なんだと」

「ふん、違うのか?」

「慎ましやかではあったが」

「物は言いようだな」

 普段ならマキアスが突っかかって、ユーシスがいなして終わり。そんな流れが通例なのだが、今日は何かが違った。

 ここで引かず、マキアスも言い返した。棘のある物言いだ。

「君こそ、パーティーだけ派手に開いて友達の一人も来なかったんじゃないのか? 寂しい誕生日だ」

「誕生会など対外折衝の場の一つに過ぎん。お前に理解できるとは思っていない。少し黙っていろ」

「ああ、僕には理解できない。ただ分かるのは、やっぱり寂しい誕生日だってことだ」

 冷えた空気が降りてくる。二人とも鋭くにらみ合ったまま、無言だった。

 異様な雰囲気にはリィンも、周りの皆も気付いていた。しかし仲裁に踏み込めない。普段のような、目に見える争いではなかったからだ。

 マキアスとユーシスは静かに憤っている。原因は分からない。触れてはいけないものに、意せずしてお互いが触れてしまったような――

 ほどなくすると、ぶつかっていた視線が同時にそれた。

 訓練を続行する声も、さりとて切り上げる声も上げられず、妙な沈黙が染みていく中で不意にドアが開く。

「皆さん、もうちょっとしたら買い出しの時間です。準備して下さいね?」

 弾んだ声音が淀みを晴らす。登場したアルフィンがにこりと笑い、場の空気をわずかに緩ませた。このあとは艦の不足品を買い回りにいく段取りになっている。

 無邪気な一声を撤収の合図とし、各々が片付けを始めた。

 アルフィンはリィンの腕にぴょんと組みついた。

「わたくしも外出していいって、トワさんから許可をもらいました。リィンさんにはまた護衛役を務めて頂きますよ。うふふ」

「で、殿下?」

 ぎゅっとしがみつかれる。アリサとラウラがじとりとした視線を注いでくる。背中に汗がにじんできた。どうにも居心地が悪い。

「ええと、運搬用の台車を用意してきますので。買い出しはルーレでしたか」

「あら、お聞きになっていないんですか? ルーレ空港に定期便が停泊中でして、カレイジャスが入港できないんですよ」

「ではどこに?」

「ケルディックです。お買い物、楽しみですね」

 艦の進路はすでにケルディックに向いていて、あと三十分ほどで到着だという。手にしていた《ARCUS》を腰のホルダーに戻し、リィンは彼らに目をやる。

 背を向け合うマキアスとユーシスは、その後一言も言葉を交わそうとしなかった。

 

 ●

 

 バリアハートの東に位置するオーロックス砦は、戦略上重要とは言い難い拠点だ。

 オーロックス峡谷を背面に構え、そこから北上する街道もあるにはあるが、使用されない廃道となって久しい。廃道はガレリア要塞方面にも抜けているから、警戒するとすれば正規軍の奇襲か。

 しかし奪還意義の少ないこの場所を、リスクを冒してまで攻めてくるとは考えにくいことだった。

 つまるところ、現状の戦局において、プラスもマイナスも及ぼさない外れの拠点と言える。

 そのオーロックス砦の三階。指令室前の通路で、スカーレットはノックする手を硬直させたまま、立ち尽くしていた。

「――わかったら、すぐ猟兵どもに指示を回せ。早くしろ。機甲兵も出せ。構わんと言った!」

 室内から響くヒステリックな声の主は、ヘルムート・アルバレア公爵である。

 スカーレットがオーロックス砦を訪れたのは、クロイツェン領邦軍の動向を確認するため。要はヴァルカンが担当していた査察役の引継ぎとしてだった。

 ケストレルの強化改修も完了し、《パンタグリュエル》を発って一日。さしたるトラブルもなくここに到着したスカーレットは、ひとまずヘルムートへの着任挨拶を済まそうとしていた。

 歓迎されないことはわかっていたし、気乗りのしない定番儀式ではあったが、スルーもできない。

 そして彼が私室としても使っている指令室まで足を運び、ノックをしようとしかけたところで、その一言を聞いてしまった。

 この男は自身の領地を、ケルディックを――

「あら、あなた?」

「え?」

 びくっと背が震えた。通路の向こうから、甲冑姿の女性が歩いてくる。《神速》のデュバリィだ。

「スカーレット……でしたわね。どうしてここにいるのですか」

「ヴァルカンの後釜って感じよ。そちらは? クロスベルに出張中って聞いてたけれど」

「先ほど帰ってきたんです。大変な目に遭いましたわ。あの特務支援課とやら……」

 デュバリィは疲れているようだ。こうしてまともに話すのは初めてかもしれない。

 元々彼女はアルバレア公の監視役でもあったそうだ。着任のタイミングとして任務がかぶってしまう形だが、まあ問題はないだろう。

 ちなみにデュバリィの相方であるマクバーンはここにいない。退屈だと言って、早々に旗艦に戻ったのだという。

「私の心労の半分は彼ですけどね。腹立たしい……」

「お察しするわ」

 今はじだんだを踏む元気もないみたいだ。ふとデュバリィが気遣わしげな視線を向けてきた。

「あの……さっき後釜って言ってましたけど、前任の彼は?」

「ヴァルカンはもういないの」

「黒龍関で?」

「ええ」

 それだけで察したらしいデュバリィは、続けて訊いてきた。

「クロウは彼に会えたんですか?」

 変な質問だと思った。いや、あの時クロウが来たのはもしかして。

「あなたがクロウの背中を押してくれたの?」

「そんな大層なことはしていません。あーだこーだ理屈付けで動こうとしないから、ちょっと喝を入れただけで」

「そう。お礼を言わせてちょうだい。ありがとう」

「べ、別に……そんなのいいです」

 わたわたと照れたように身を引くデュバリィ。多分素直な性格なのだろう。時間があればもう少し話をしてみたい。

 時間があれば、か。スカーレットは開きかけた口を閉ざした。

 デュバリィが閉まったままのドアを見る。

「公爵に挨拶は済ませましたの? まだでしたら私も戻りの報告をするので、一緒に入りますか? 正直気乗りしませんけど」

「同感よ。でも大丈夫、もう済んだから」

 扉前から離れたスカーレットは、一人歩き出した。

 ヘルムートの顔を見る気にはなれず、整備ドックに搬入されているケストレルの状態を見に行くことにした。あのレイゼルという機甲兵と同じく、七耀の属性を宿した機体。

 《ケストレル・ビヴロスト》。この力なら、おそらくはレイゼルに勝てる。

「……ほんと、間の悪い」

 ああ、聞かなければ良かった。いいえ、聞いたところで変わりはない。

 あと数時間後にケルディックが燃える――

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《魔獣珍道中⑦》

 

 クロイツェン地方のとある渓谷道。整備された歩道からは離れた裏道である。

 放置されて数年経つだろう場所は道と呼べるものですらなく、遊撃士連れであってもまず人間が通ることのない地帯だ。

 もちろん導力灯など設置されておらず、奔放に伸びる草木が秩序なく幅を利かせている。

 その少し開けた一区画に、魔獣の群れが縄張りを作っていた。いや、群れと言うには多過ぎる。加えて統率が取れている様は、一団とでも呼ぶべきか。

「キュキューイ!」

 一匹のドローメが触手を振り上げ、号令の鳴き声をかける。彼女がこの団のリーダーだ。すぐに配下の魔獣たちが集合する。

 昆虫型、獣型など、その種は様々。交戦する機会がなかったので、不定形型はいない。

 彼らは皆、このドローメ――ルーダによって倒された魔獣たちだ。各地を巡り続け、戦い続け、そして勝ち続けた結果、ここまでの規模の集団になったのだ。

 が、今この場にルーダの相方である飛び猫――クロの姿はない。魔獣より魔獣らしい人間――おそらく女――に教われて以降、その安否は未だ不明のままである。

「キュキュッ、キュー(あんた達、全員そろってる?)」

 ルーダが言うと、《ブレードホーン》のツノスケは「ブォッブォッ(いますよ、姐さん!)」と、突出した角を振り上げた。

 他にもササパンダー、サメゲーター、ダイオウヤンマ、にがトマトマン、黒ヒツジン、ザウタス、etc――多くの魔獣が顔をそろえている。もっともこれらの呼称は人間が勝手に定めたものではあるが。

「キューッキュ(明日には移動を開始するわ。そのつもりでいて)」

 そうルーダが伝えると、《リッパースクロウ》のジャックが口を挟んだ。

「コニャッ、コン(今度はどこへ行こうってんだ?)」

「キュキュ(南よ)」

 ルーダにはマキアスの大体の場所が感知できる。

 少し前までマキアスたちは〝精霊の道”を使っていた。だから近くに来たと思ったら突然遠くに行ってしまったりと、点と点を瞬間的に移動していて追いつくことができなかった。

 しかし今はカレイジャス。高速ではあるものの、あくまでも線の移動である。ルーダの一団は確実にマキアスまでの距離を狭めてきていた。

 《サンダーハイドラ》のヴァイロンが前に出てきた。複数の蛇頭を持ち上げ、その中の一つが不服そうに喉を鳴らす。

「ジャラララ(頭目が言うことに異を唱えるつもりはねえよ。けどな、マキアスとかいう人間だったか? そいつを見付けて、それからどうすんだよ。いい加減、その先を教えて欲しいもんだね)」

「アギャースッ!(姐さんに口答えすんな! その四つ首絡ませて欲しいか!?)」

 鋭い牙で威嚇するのは《サメゲーター》のシャクティである。威嚇にも動じず、「シャランラー(やれるもんならやってみろ)」と、ヴァイロンはうねうねと首を波打たせた。

「アギャギャ……(軟弱な蛇野郎なんざ、ひと噛みで終わりだね)」

「シャーラッ(歯の間に肉が挟まってんぞ、跳ねっ返りのサメ娘が)」

 対峙する二匹の唸りが、一触即発の空気を揺らす。

「キュ――あんた達、やめ――)」

「メェンメ~(ケンカはだめよぉ?)」

 ルーダが仲裁するより早く、《黒ヒツジン》のメリーが悩ましげな鳴き声をもらした。

「ンメェエエェ(ルーダの指示は絶対よ。それに私たちの最終目標なら示してくれるわ。いずれちゃんと、ね?)」

「キュー(ええ、その通りよ。だから落ち着きなさい)」

 メリーはそのオトナな雰囲気から、皆のまとめ役になることが多い。〝怒らすと怖いメリー姉さん”で通っている彼女にもたしなめられれば、二匹とも牙を引かざるを得なかった。

 群れから少し離れたところ。齢170歳の最年長である亀型魔獣《ザウタス》のフリードリッヒが、「ホジャア(若さとは、いいのぉ)」と、しわがれた鳴き声をもらす。

 その場はなし崩し的に解散となった。

 

 

 日暮れ前の小川が、赤みがかった輝きに煌めく。どこかで魚が跳ねた。その水面にゆらゆら揺れる触手が映っている。

 岸辺にいるのは、ルーダ一匹だった。

 ヴァイロンに指摘されたこと。わかってはいたのだ。全員を率いていく上で、方向性を示さねばならないことは。

 〝マキアスという人間の元まで行く”

 それが現在、部下たちに伝えてある目的。それ以上のことは伝えていない。

 皆が不安に思っている。相手は人間。相容れない存在。自分たちは彼らの敵であり、彼らは自分たちの敵である。どうやろうとも覆らない現実だ。

 会ったあと、どうするのか。問題はそこだった。彼は私たちを敵視したりはしない。それをどう伝えたら、みんなが理解してくれるのだろう。

「ポムッ(なーに一人でたそがれてんのよ)」

 ぽむっぽむっと飛び跳ねながら、ルーダの横に《ポム》がやってきた。彼女はキャサリン。ルーダと年齢が近く、仲の良い間柄だ。

「キュウ……(別に……)」

「ポムポム(考えてたんでしょ。これからのこと。私もヴァイロンの言うことはもっともだと思うの。人間は理解できない種族だわ)」

 キャサリンもそう言う。

 彼女はかつて人間に命を奪われかけていた。一度ならず何回も。

 その人間たちはキャサリンをしばし凝視すると、いきなり『シャイニングじゃない方かよ! 期待させやがって!』と、こぞって肩透かし感を怒りに変えて襲い掛かってきたのだという。

 理不尽極まりない凶行を受けて、キャサリンは人間を嫌悪していると聞いたことがあった。

「キュッ!(あの人は他の人間とは違うわ。心配しなくていい)」

「ポムゥポッ(もちろん私たちはあなたについていく。でもね、怖いのよ。こちらが何もしないのに、攻撃を加えてくる人間たちが)」

「キュキュン(大丈夫。信じて)」

「ポムン(信じさせるのが、あなたの仕事よ)」

 ルーダの一団は、ボスを頂点としたピラミッド型の組織構造ではない。ルーダの意思は尊重されるものの、厳格な上下ではなく、フラットなファミリーに近い。

 人間社会で例えるなら、一部の猟兵団に似ているかもしれない。

 太陽が沈む。明かりのない暗がりに、小川のせせらぎだけが聞こえていた。

 

 

「ゴアッ!(大変よ!)」

 翌日の昼前。移動を開始しようとしていたルーダたちの前に、《コドモドランゴ》が駆け込んできた。

「キュキュ?(どうしたのよ、のぶみ)」

 ルーダが問うと、フローレンス・のぶみは言った。

「ゴアッシュギャア!(戻って来ないのよ、サンダが! 木の実を探しに行くって出てから、もう二時間になるっていうのに)」

 《畑あらし》のサンダだ。ケルディック地方で倒した最初の舎弟である。その分付き合いも長く、ルーダも彼を可愛がっていた。

 出発の時間は伝えている。それでも戻って来ないと言うことは、サンダの身に何かが起きたのだ。

 そう判断したルーダは指示を発した。

「キューウキュッ!(全員、サンダの捜索をお願い!)」

 群れが散開し、それぞれの能力でサンダを探した。

 《バイトウルフ》のハチは鼻で臭いをたどり、《ウイングスネイク》のヒュギは空から一帯を見下ろす。 

 発見の報告はすぐに入った。

 すぐにルーダたちはその地点に向かう。岩場を離れた森の中、大きな木の上でサンダが震えている。

 その彼を落とそうと大木に体当たりを繰り出しているのは、凶暴で巨大な蜥蜴(とかげ)型魔獣《スケイリーダイナ》だった。

 ルーダは身構えた。

 サンダはスケイリーダイナの縄張りに踏み込んでしまったのだ。よりにもよってあんなに強いヤツが、こんなにも近くに縄張りを張っていたなんて。

 しかし助けないという選択肢はない。

「キョッキュー!(やるわよ。かかりなさい!)」

 ルーダの号令で、一斉に仲間の魔獣たちが攻撃を仕掛けた。スケイリーダイナがぎろりと鋭い目を動かす。

 先行した《ダイオウヤンマ》のレオナルドが、敵の頭突きを食らって吹き飛んだ。空中戦闘では無類の強さを誇る彼だが、圧倒的な威力に体勢を立て直すこともできず、激しく墜落する。

 その間に後ろに回り込んだヒュギは、スケイリーダイナの背にかみつく。スネイク系特有の毒を流し込むつもりだったが、分厚く固い皮膚に牙が通らない。すぐに振り解かれ、また頭突きをかまされる。ヒュギも倒れた。

「ギャアアアア!」

 凶暴な雄叫び。森が轟音に打ち震えた。

 《にがトマトマン》のムーマは、いつの間にやらスケイリーダイナの足に踏み潰されていた。大量の果汁がちょっとアレな感じで、地面に真っ赤な池溜まりを広げる。

「フシュウ……フシャ!(アタシの出番ね。覚悟はよろし? ホアタッ!)」

 軽快なステップを踏むのは、《ササパンダー》のリンリンだ。隙の無い足運びで接近し、スケイリーダイナの頭突きを際どくかわした。無防備になった脇腹に「ヒョウッ!」と拳をめり込ませる。

 が、ぎゅるんと勢いのついた太い尻尾に打ち据えられ、リンリンは宙を舞った。パンダ的な白と黒のコントラストが鮮やかに回転する。

 ここまで強いとは。またたく間に仲間の数が減っていく。

 ルーダは二本の触手を伸ばし、スケイリーダイナの足に絡みつかせた。押さえきれない。引きずられていく。

「アギャア!(姐さんに何してくれてんだ、このトカゲが!)」

 シャクティが尻尾にがぶりとかみつく。これは効いたようで、スケイリーダイナがよろめいた。

「ゴギャッ。ンー、ゴギャッ!(離れてシャクティ。とっておきを撃つから)」

 フローレンス・のぶみは大口を開けると、喉の奥から火球を吐き出した。

 しかし熱波を物ともせず、スケイリーダイナが特攻してくる。炎を払う回転尻尾に巻き込まれ、のぶみとシャクティはそろってダウンする。

 二匹だけではない。今の一撃で周りにいた仲間のほとんどがやられてしまった。

 ツノスケはブレードホーンの宿命なのか、長い角が木に突き刺さって動けないでいるし、敵を悩殺しようとしていたメリー姉さんは、間抜けな恰好で気を失っていた。

「キュキュッ!(私がこいつの気を引くから、今の内に逃げなさい!)」

 木の上のサンダに叫び、残り一匹となったルーダは、体の内部に蓄えた導力を解放した。

 スケイリーダイナの開けた口の中に、氷柱が突き上がる。それはつっかえ棒の役割を果たし、敵の攻撃手段を封じるはずだった。しかし意味はなさなった。強靭な顎が、たやすく氷をかみ砕いてしまう。

 反撃の頭突きを正面から受けたルーダは、背後の木の幹に叩きつけられた。やわらかボディが激しく波打ち、二本の触手が力なく垂れる。

 戦う力はもう残っていなかった。

「グルルル……」 

 ゴロゴロと喉を鳴らし、よだれを滴らせる大トカゲがにじり寄る。

「ウホッ(待ちな)」

 ルーダの背後の巨木。その上から一頭の《ゴーディオッサー》が、スケイリーダイナを睥睨していた。

「ウホウ、ウホウッホ(そいつに爪先でも触れてみろ。その瞬間、てめえは無様に吹き飛ぶことになるぜ)」

 彼の名はゴディ。かつてルナリア自然公園で、マルガリータからルーダをかばい、生死不明になっていた(オス)だった。彼はルーダに言う。

「ホッホッホゥ(自分でも生きてるのが不思議なくらいだ。実際、何度も死にかけた。けどな、お前の触手を想うと、すげえ力が湧いてくんだ。へっ、ガラにもねえか。どうせ拾ったこの命、惚れた女のために使うのが男の生き様ってやつよ)」

 ドコドコと胸を打ち鳴らしたゴディは、木の枝で反動をつけて飛び降りる。

 スケイリーダイナの痛烈な尻尾アタックが、彼の顔面を強打した。

「グホゥッ!?(グホゥッ!?)」

 無様に吹っ飛ばされ、あっさりと退場するゴディ。彼の消えていった方向から派手な着水の音が響く。

 再びスケイリーダイナの目がルーダに向けられる。とどめを刺すつもりだ。もうどうしようもない。

 サンダは……サンダは逃げられただろうか……。

 ルーダが一つ目を持ち上げると、サンダの背中が目の前にあった。

 スケイリーダイナの膝ほどの体躯もない《畑あらし》が、ルーダを守ろうと立ちはだかっている。

「キュッ!?(なにをやっているの!? 逃げなさいって言ったでしょう!)」

「じ、じぇじぇ(い、いやだよ。姐さんを見捨てるなんて、僕にはできない)」

「キュウ!キュ!(あなたの敵う相手じゃない! 早く逃げて!)」

「じぇじぇじぇ(仲間のみんなが好きだ。優しい姐さんが大好きだ。みんなで会いに行くんでしょ。マキアスって人間のところに)」

 スケイリーダイナが一歩近付く。ずんと地面が震えた。

「キュキュー!(ダメ! 逃げて! お願いだから!)」

「じぇーいっ!(僕が相手だ。化け物トカゲ!)」

 ぐあと鋭利な牙がサンダに迫る。

 どうにか守ろうとルーダが触手を振るったその時、飛び込んできた小さな黒い影がスケイリーダイナの顎をかち上げた。

 予想外の一撃にたたらを踏んだスケイリーダイナを見据えつつ、地に降りた黒い毛並の《飛び猫》は言った。

「シャー(いい気合いだ。男の面構えになったな)」

 サンダの短い尻尾がピンと立つ。

「じぇ、じぇじぇ、じぇー!(く、く、クロの兄貴ぃー!)」

「キュウ……(遅いのよ……どこで何してたの? 可愛いガールフレンドまで連れちゃってさ)」

 ルーダの目線の先、クロの後ろには白飛び猫が控えていた。

「ニャニャン(シロです。よろしくね)」

「シャシャー(積もる話はあとだ。先にあいつを片付ける)」

 クロとシロは羽を羽ばたかせ、体を浮き上がらせた。

 高速で交差しながらスケイリーダイナを翻弄し、すれ違いざまに蹴りを何度もいれる。しかし相手の体力は底なしだ。一向に倒れる気配がない。

「シャアシャ(埒があかないな。あれをやるぞ)」

「ニャッケー(オッケー)」

 シロは空に向かって「ニャニャーン!」と、甲高い鳴き声を響かせた。ざわざわと木々の枝葉が騒ぎ始める。

 ほどなく上空に大量の飛び猫が姿を見せた。百匹はいるであろう一軍が、グルグルと旋回している。

『シネヤー!(飛び猫奥義! 百裂肉球拳!!)』

 二匹が同時に鳴き声を上げると、空に生まれた飛び猫サークルがばらりと形を崩し、全方位からスケイリーダイナへと殺到した。

 まさに数の暴力。一発ずつは軽くとも、ダメージが確実に累積されていく。それらを振り払おうと、スケイリーダイナは尻尾をぶん回した。飛び猫たちは一か所にかたまり、その強烈な一撃を受け止める。

 彼らは口々に「シャラア!(お嬢と若の為じゃけんのお!)」、「にゃふぎゃ!(おんどりゃ、どこの組のもんじゃい!)」などとぎゃいぎゃい叫び、スケイリーダイナを威嚇しまくっている。

 最後にその一塊のまま距離を離すと、そこから再加速。まるで一個の生物のようにうねり、鉄球のごときフルパワーの殴打をスケイリーダイナのどてっ腹に集中させた。

「ムギャオオオ!!」

 爆発的な威力が弾け、ついに強大な敵は力尽きた。土ぼこりを巻き上げて、スケイリーダイナは巨体を地に沈ませる。

 ようやく死闘が終わりを迎えた頃、文字通り亀の歩みで現場に到達したフリードリッヒじいさんは、「ホジャジャ(どうやらワシが出るまでもなかったようじゃな)」と、大物感満載に首を甲羅の中に引っ込ませた。

 

 ●

 

「ギャロロロ!(いやー、どうもこの度は調子こいてスンマセンっした! ホント悪気はなかったっていうか、ね。わかるっしょ姐さん方、兄さん方?)」

 ルーダたちに囲まれたスケイリーダイナは、へこへこと調子良く頭を下げる。

「ギャロッ、ハギャッ!(自分、スケゾー言いますねん。へへ、皆さんの末席にでも加えてもらえたらなーなんて。きっちり働きますぜ?)」

 シャクティが言った。

「アギャギャッス(ルーダ姐さん。こいつ体でかいし、食べていいかな。みんな腹いっぱいになるよ)」

「ギャ!?(か、勘弁してくれや、サメの姉さん。俺あスジ張ってるから美味くねーし。あ痛! 言ってるそばから噛まんでくだせえ!)」

「キュキュンキュ(やめなさい、シャクティ)」

 ルーダの一声でシャクティが退がる。

「キュッキュー(いいわ、仲間にしてあげる。その代わり面倒事は起こすんじゃないわよ)」

「ギルルル!(ありがてぇ……! このスケゾー、どんな敵も蹴散らしてみせまさあ!)」

 ルーダは考えた。

 そう、自分たちにはそれしかない。前へ進むために、戦い続ける。運よく今日は勝ったが、明日は負けるかもしれない。

 自然界にはスケイリーダイナよりも強い魔獣なんてごまんといる。いつまでもそれらと遭遇しない保証なんてなかった。

 強いものが弱いものを淘汰する魔獣の世界。

 ルーダは初めて思った。戦わなくていい世界が欲しい。誰にも命を脅かされることなく、平穏に暮らしたい。

 いつかのあの日、傷ついた自分とクロをかくまってくれたマキアス。その彼のいる場所は、なんと居心地の良かったことだろう。

 ルーダはかたわらのクロに話しかけた。

「キュキュ……(ねえ……)」

「シャッ(言われなくてもわかる。ルーダの好きにしろよ。俺は賛成だ)」

 相棒の後押しを受けて、ルーダは群れの中心へと移動した。

「キューキュ! キュキュン!(みんな、聞きなさい! 私たちの最終目的を今から通達するわ)」

 一瞬で静かになる。

「キューキュキュキュ、キュ(知っての通り、私たちはマキアス・レーグニッツという人間に会いに行く。人間は確かに私たちを敵視する。そして私たちも人間を嫌う。でも彼は違う。マキアスは私たちを守ってくれる)」

 相容れない種族同士は争うしかない。今も昔も。

 でもあの日の小さな出来事を、私は忘れていない。彼が出してくれたコーヒーの香りを、今でも覚えている。

「キュキューン(彼は私たちを裏切らない。だから私たちは彼の力になる。ただ庇護を受けるんじゃない。支え合うのよ。彼はその架け橋となる存在)」

 ざわめきが起こった。「人間と?」「できるわけがない」「殺されるかもしれないのに」などと、ネガティブな意見が重なる中、「ニャア……(架け橋……)」シロが澄んだ声を発した。彼女は静かに続ける。

「ニャン、ニャンニャニャ、ニャンニャンニャン(“その者、漆黒の煌めきを双眼に宿し、交わらぬ種を繋ぐ架け橋とならん。失われし楽園の復活は彼のものと共に”……おじいちゃんから教えてもらった飛び猫族の伝承よ)」

 シロの言葉をきっかけにして、他の魔獣たちが騒ぎはじめた。

「シャララ……(そういえば似たような話、俺の一族にも伝わってるけど……)」

「ポムポム?(え? 私のとこにもあるよ?)」

「ギュルルル(俺はお袋から聞いたが……)」

 伝承の始まりがいつなのか、誰なのかはわからない。しかし根元を同じくするそれは、種族の垣根を越えて現代にまで伝え残っていた。

 たどり着くべき安寧の土地。約束されたユートピア。

 かつて〝黒の王”と〝白の(みかど)”との激闘の果てに失われたとされる最後の楽園。

 その復活こそが、全ての魔獣の遺伝子深くに刻まれた悲願。

「キューキュ!!(私たちを導くマキアスこそ、新たな〝黒の王”に相応しい! 彼は閉ざされた扉を開いてくれる)」

 触手を掲げ、ルーダは強く宣言した。

「キュッキュキュー!(彼と共に創りましょう。レーグニッツ王国を!)」

 

 

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