虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第79話 精霊窟

 なんの冗談だろうと、改めて上から下まで読み直す。

 時間がなかったのか、その報告文書は箇条書きでまとめられた簡素なものだった。内容はこれである。

 

 ①騎神の新たな太刀の手がかりを求めて、技術的な協力をG・シュミットに取り付けようとした。

 ②その打ち合わせの最中、学院生であるステファンがシュミットに囚われている可能性が浮上。

 ③博士と面識のあるジョルジュからの進言で、その性格上、彼の身の安全は保証できない状況にあることが発覚。

 ④安否確認と、場合によっては救助の必要がある為、アルフィン皇女の認可の下、急遽ルーレ工科大学への潜入ミッションを立案。

 ⑤0時、作戦決行。潜入班はジョルジュ、ユーシス、マキアス、エリオット、ガイウス、セリーヌ、アルフィン皇女。

 ⑥0時50分、G・シュミットをルーレ総合病院に救急搬送。

 以上。

 

「ちょっと待って下さい。大事な部分がごっそり抜けてるんですが」

 何度読んでみてもそれ以上のことが書かれていない報告書を、リィンは脇に置いた。ミッシングリンクの五十分間で、いったい何が起こったと言うのか。

 その疑問に対するトワの返答は一言だった。

「うん。そうだね」

「そうだねって……特に⑤と⑥の間が不明ですし、アルフィン殿下が潜入メンバーに入っていますし……誤表記ですか?」

「ううん。一文字も間違ってないよ」

 残念ながら、と小さくこぼしたトワの顔には疲れが見える。

 ということは本当なのだろう。博士の病院送り。

 トワはリィンの容態を確認する為と、件の顛末を報告する為に、この医務室を訪れていた。ベッド横の椅子に腰かけて、シャロンが記録していた体温の変動表に目を通している。

「うん。今朝からは平熱だね。昨日より顔色も良くなってるみたいだし、安心したよ」

「ご心配をお掛けしました。けど今は俺よりトワ会長の顔色のほうが悪い気がしますけど」

「んー……夜中からずっと動き回ってたからね……。さすがに疲れ気味かも」

「なんならちょっと寝ていきませんか? 俺は構いませんので」

「はいっ?」

 見開いた目の意味を、リィンは遅れて理解した。

「いやっ、もう俺も起きますから! ベッド空きますから!」

「不用意だよ。発言が不用意だよリィン君は。そういうのアリサちゃんとラウラちゃんに言っちゃダメだからね!」

「なんで二人限定……?」

 もうっ、とトワは腰に手を当てた。

 現状は困ったことになっている。活路になり得たかもしれない道を、自分たちで潰してしまったのだ。

 もしも俺が行っていたとしたらどうだろう。詳細が不明なのでなんとも言えないが、結果は――変わらないような気もする。

 ならば切り替えよう。ここから必要なのは次の打開策。騎神の力に耐えうる剣の材料を始め、その精製法の確立と、それを実現できる技術者の捜索。

 簡単にまとめてはみたが……都合よくあるのか、そんなもの。

『うーん』

 先の展望が見えず、異口同音にうなった時、医務室の扉が開いた。

「ここにいたのか、トワ。もうリィン君も大丈夫かい?」

 ノックも忘れて入ってきたのはジョルジュだった。走ってきたらしく、息が上がっている。

「見つかったよ。ヴァリマールの太刀に関する新たな手がかりが」

 

 

《――精霊窟――》

 

 

 ブリッジには昨日の会議メンバーがそろっていた。広い艦橋だ。これだけの人数が詰めても、スペースにはまだ余裕がある。

 リィンが姿を見せると、皆が心配と安堵の声をかけてきた。入れ替わり自分の前に立つ仲間の顔を見れば、やはり体調管理も重要な仕事の一つだと、改めてそう思える自分がいた。

 その一つ一つに応える最中、ジョルジュが場の進行をする。

「これで全員だね。それじゃあ始めよう。昨日はまあ……色々あって博士の協力は得られなかったわけだけど」

 相変わらず“色々”の部分がリィンには分からなかった。

 ジョルジュの横に立つアルフィンは、なんとなく気まずそうに床に視線を逃している。似たような消沈ぶりが、他の男子たちにも垣間見えた。

 そういえば彼らが昨日の潜入班のメンバーか。察するに不足の事態が起きたようだ。笑えないレベルのアクシデントが。

「つまりヴァリマールの剣の話はいったん白紙になった。けどまだ完全に真っ白にはなってない。ここからの説明はステファン君に頼もうか」

「任せてくれ!」

 気合いも十分に、ステファンは皆の前へと進み出た。その手に一冊のファイルを持っている。

「このファイルはシュミット博士のものだ。なぜ僕がこれを持っているかについては、山あり谷ありのスペクタクルストーリーで話せば長く深くなるんだが」

「いや短いし浅いよ。彼、何度も博士の研究室から逃げ出して、その都度捕らえられたらしいんだけど、その脱走中に駆け込んだ書庫でこれを見つけたそうだ。で、とっさに服の背中に隠し持っていたって経緯」

 ジョルジュが補足する。五秒で終わる短さだった。「むう……」と、諸々付け加えたいことがあるようなステファンだったが、ひとまず本題を進める。

「とりあえず判明していることから伝えようか。まず貴族連合が所有する機甲兵。この設計図面を引いたのはシュミット博士だ」

 騒然となる一同の中で、「……実は予感はあったんだけどね」と、ジョルジュはため息まじりに重ねた。

「あんなものを実現できる技術者なんてそうはいない。基本フレームの設計ベースになってるのは《オルディーネ》みたいだ。それだけじゃない。あの列車砲や、ノルドで強い影響を及ぼしたっていう導力波妨害装置も彼の作品(、、)だね」

「つまりシュミット博士は貴族連合の協力者だった……?」

「それは多分違う」

 アリサの疑問にジョルジュはかぶりを振った。

「興味を持ったから作った。それだけだろう。むしろそういう人だから、良くも悪くも出方次第ではこちらの協力も取り付けられると踏んでいたんだけど……その話はもういいか。重要なのは、そのファイルに騎神の情報もあったことさ」

 ステファンがファイルのページをめくる。オルディーネから採取したらしいデータが、博士の自筆で殴り書きされていた。

「ふふ、このファイルを手に入れた僕は、みんなにとって救世主にも等しい存在だね。さあ思う存分に見てくれ!」

 オルディーネのスペックや能力については触れられていないが、武装やその素材についての詳細が載っている。

 そう、素材だ。

「ゼムリアストーン。霊力の伝導性に優れ、騎神のフレームをも構成している物質。その硬度と特性から、武器の材料としても適している。オルディーネの双刃剣も間違いなくゼムリアストーン製だ」

 リィンは息を呑んだ。ようやく可能性の芽が見えてきた。

 しかしまだ問題は残っている。その疑問をアンゼリカが口に出した。

「ゼムリアストーンはごく稀に発見される特殊な鉱物と聞いたことがある。剣、それもヴァリマールが扱うサイズのものを精製するとなると、相当な量が必要になると思うが。そのあたりはどうなんだい?」

「うん。ここからは手掛かりなし。お手上げだね。ついでに言えば、このファイルにはゼムリアストーンの精製法に関する記載までがない。現状は材料がわかったっていう、それだけさ」

 そこまで都合のいい話はないらしい。

 方向は見えども、行動しようがない。残念ながらステファンは救世主とまではいかなかった。

 これ以上の議論は重ねるにも重ねようがなく、当面は情報収集を兼ねた本来の遊撃活動に戻るというところに話がまとまりかけた頃合いで、

「その石があるかもしれない場所ならわかるわよ」

 セリーヌが言った。いつものすまし顔で、リボン付きの尻尾を振っている。見計らったかのようなタイミングだった。

「あれは微細な霊力が集まって、長い年月をかけて結晶化されたもの。だから霊力の通り道――七耀脈の収束点にゼムリアストーンは生まれるのよ」

「七耀脈の収束点って言われてもピンと来ないんだけど」

 猫が玩具で遊ぶように、フィーはセリーヌの尻尾をピシパシ叩く。

「やめなさいよ! つーかあんたは知ってるでしょ! ほら、ノルドのあそこ!」

「ああ、もしかしてあの遺跡?」

「そう。精霊窟と呼ばれてる場所よ」

 フィーが風読みの技能をラカンから伝授された遺跡だ。

 彼女から聞いた話では、遺跡の奥には巨大な石扉があって、それ以上進むことができなかったらしい。そしてその扉にはトールズ士官学院の旧校舎と同じ、不可思議な紋様が刻印されていたという。

 気になってはいたが、確認に行く余裕もなく、ひとまず保留されていたことだった。

 リィンが言う。

「精霊窟……フィーの話では上位三属性も働いていたらしいが、いったいどういう場所なんだ? そこでなら確実にゼムリアストーンは手に入るのか?」

「質問は一つずつにしてよ。場所についての説明はあとでエマから聞いて。それとゼムリアストーンだけど、必ずあるとは限らない。よしんばあったとしても一つの精霊窟だけでは、太刀を作るほどの量は到底まかなえないでしょうね」

「複数の遺跡を回らないといけないってことか。だけど……」

「そ、現在場所まで判明している精霊窟は二つ。一か所でどれだけの量が入手できるかわからないし、ちょっと心許ないわよね」

 ガレリア間道とノルド北東部。偶然にも発見することができた精霊窟はそれだけだ。他がどこにあるか、ある程度地域を絞らなければ、セリーヌにも正確な探知は難しいという。

「東部では残り二つか……どうにか位置を特定できればいいんだけどな」

「……? なんであと二つってわかるの?」

 訝しむ様子でセリーヌが見上げてくる。

「なんでって……」

 当然にその理由を告げようとして、ようやくリィンは違和感を覚えた。

 なんでだ。どうして俺はそう思った。精霊窟なんて言葉でさえ、今初めて知ったばかりなのに。

 頭がずきりと痛む。とっさに押さえたこめかみの奥で、不意に映像が浮かび上がった。

 これは地図だ。黄ばんで薄汚れ、ところどころが破れている古ぼけた地図。どこで見たものだろう? ごく最近――そう、あれは――。

「ローエングリン城の……あの部屋か」

 痛みの引いた頭を持ち上げて、リィンはかすむ視界にエマを映した。

「覚えてるか、委員長。ローエングリン城を二人で散策していた時、隠し通路を抜けた先にあった部屋のことを」

「……ええ。肖像画の飾られていた部屋ですね」

「あの部屋の壁には地図が張られていた。250年も前のものだし、領地の線引きなんかは今と大きく異なってたんだが……。その地図には丸印でマーキングがされていた。合計四つの丸印だ。その内の二つが、すでに見つけた精霊窟の場所と一致してる」

「リィンさん、まさか……」

「あとはエベル街道とノルティア街道。残りの精霊窟は多分その周辺にある」

 ブリッジの空気が明らかに変わる。

 自分でもおかしなことを言っている自覚はあった。丸印は偶然の可能性もあるし、よりにもよって精霊窟を指すなど出来過ぎている。少なくとも現時点で断定はできない。

 だが確信がある。遥か過去に存在した何者かも、精霊窟を訪れようとしていたのだ。おそらくはあの部屋の主と、行動を共にした者が――

「アンタ、大丈夫?」

 セリーヌの声が届き、リィンの思考は中断された。

「色々突飛過ぎるわ。精霊窟と聞いただけで、その地図とやらを思い出すなんて。普通、繋がらないでしょ。それになんで250年だなんて具体的な年数が出てくるのよ」

「……直感だ」

「はあ?」

 そうとしか言いようがなかった。呆れ半分でありつつも、「……まあ、案外当たりかもだけどね」と、セリーヌはリィンの勘を肯定した。

「確かにエベル街道とノルティア街道の一部には七耀脈が走ってる。調べてみる価値はあるかもしれない」

 行動は決まった。

 ゼムリアストーン入手の為に、まず探索すべきはすでに判明している二つの精霊窟。話は実行メンバーの割り振りへと移っていく。

 続くブリーフィングの中で、リィンはあの部屋のことを思い出していた。

 地図の他に、壁に飾られていた肖像画。額縁が割れ、絵も劣化してしまったのだろう。かろうじてブロンド髪の女性であることはわかったものの、そこに描かれていた人物の顔は判然としない。

 額の下部には名前の記載もあったが、削れた文字は読み取れなかった。読み取れなかったが――

「リアンヌ・サンドロット……」

 我知らず口に出した途端、自らが知るはずのない記憶が不定形な波紋を広げた。

 炎と噴煙が燻る視界の向こうで、ランスと思える三角錐の影が揺らいでいる。可憐な声音と共に、リィンは硬質な甲冑の音を聞いた気がした。

 

 ●

 

 不可思議な空間だった。

 土と石でできた回廊が連なるように続き、複雑な迷宮を作り出している。どのような力が働いているのか、物理法則には縛られないらしく、建築構造上では通常まずあり得ない高低差をも成立させていた。

 七耀脈の影響をダイレクトに受けているからだろう。

 地下であるにも関わらず、植物は生い茂り、至るところに太い蔓が巻きついている。わけても目を引くのは下層から高層へと、広大な空間を縦貫する巨木だ。生命をみなぎらせ、今もなお成長を続けているのであろうそれは、しかし地上に突出することなく、力強い枝と根をフロア全域に張り巡らしていた。

 ガレリア間道の外れに佇むこの遺跡の名は地霊窟という。四つある精霊窟の一つである。

「――騎神は今から約1200年前、大崩壊の前後に造られたと伝えられています」

 足元の蔓を注意深くまたぎ、エマは説明を続けた。「造った? 誰がだ?」と地霊窟探索班の一人、ガイウスが訊く。

地精(グノーム)と呼ばれる職人集団です。彼らが騎神を造った目的までは伝わっていませんが、元々この場所はゼムリアストーンの精製を促す為に建てられたそうです」

 セリーヌからの受け入りですけど、とエマは付け足した。

「その鉱石を騎神のフレームに使ったということだな。リィンは知っていたのか?」

「いや、知らなかった」

 マキアスに話を振られ、リィンは首を横に振る。

 全て初めて聞く内容だった。

 騎神の生まれた理由、そして旧校舎で眠っていた経緯については、ヴァリマールに訊いてみたりもしたが、彼は分からないとしか言わなかった。記憶回路が欠損しているそうだ。

 そのやり取りを思うともなしに思い出したリィンは、俺と同じか、と奇妙な符号の一致を感じた。

 記憶とは己を構成するもの。そうであれば記憶を失った人間は不完全であるとも言える。

 なら、もしも記憶を取り戻したら――

「ねー委員長、このふわふわした光はなにかな?」

 ミリアムの弾んだ声に、リィンは地面に落ちていた視線を正面に戻した。周囲に柔らかな光が球となって浮かび上がり、そして薄れて消えていく。無数に繰り返されるその光景は、地霊窟の中腹を越えたあたりから特に目にするようになってきた。

「精霊の生み出すエネルギーの欠片――つまりこれが霊力(マナ)ですね。普通は見えないんですけど、特殊な場所なので視認できるようです」

「特殊な場所って、上位三属性が働いてるってこと?」

「そうですね。似たような現象ならルナリア自然公園でもあったとセリーヌから聞いています。漠然というなら“空気が濃い”んでしょうね」

「わからなーい」

「ふふ、ごめんなさい。とりあえず人体に害はないですよ」

 エマはよしよしとミリアムの頭を撫でた。

 地霊窟の探索メンバーはリィン、エマ、マキアス、ミリアム、ガイウスである。終わりの見えない土石の道を、上って下って迂回しつつ、一同はさらに遺跡の中を進む。

 その途中、魔物も襲ってきた。魔獣とは違う、上位三属性の影響を色濃く受けた異質の存在だ。

 悪い足場の中でも機敏に動けるリィンとガイウスが前衛、変則的多角度からの援護ができるミリアムとマキアスが中衛、回復役に徹するエマが後衛を務めた。

「行き止まりか」

 隊列の先頭を行くリィンが立ち止まる。大きな石の壁が進路を塞いでいた。回り込めるようなルートは見当たらない。

 リィンの横からガイウスが歩み出る。

「風が抜けている。まだ先はあるようだ。任せてくれ」

 そう言うと、石壁の前で彼は槍を構えた。呼吸を整えて精神を集中しているようだが、目は閉じていない。

 なにかをじっと見定めて、おもむろに槍を繰りだす。

 石壁の中央からやや左下に、鋭い一突きが刺さる。たったそれだけだったが、ピシッと壁面に走った亀裂はみるみると拡がり、やがて崩壊が連鎖するように石は砕けた。

 マキアスが感嘆の声をもらす。

「聞いてはいたが、すごいな。物質構造上の脆弱点なんて、目で見えるものなのか?」

「概ね勘だから言葉では説明しにくい。……まあ、クララ部長なら見えているかもしれないが」

 石の目の見切りを教えた――と言っても、彼女からのアドバイスはないに等しかったらしい。それで物にできたガイウスの資質も見事と言える。

 しばらく進むと、今度は道が途切れていた。向こう側までざっと五アージュ程度。飛び越えられる距離でもなく、このままでは先に進めない。

「ボクの出番だね!」

「アガートラムの間違いじゃないのか」

「むっ、そうだけどさ」

 マキアスの茶々入れに頬を膨らましつつ、ミリアムはアガートラムを呼び出した。

「ガーちゃん……床!」

 思い浮かばなかった結果のストレートなネーミングに従い、アガートラムはその形状を変化させる。びょーんと体を薄く伸ばして、途切れた道と道の間に銀色の橋をかけてみせた。

「はーい、みんな渡っていいよ。マキアス以外ねー」

「なんでだ!」

「べーだ。ガーちゃん、マキアスが通るとこに穴開けちゃって」

「やめっ、うおお!?」

 律儀に命令を実行したアガートラムによってマキアスが死にかけつつも、リィンたちは順調に歩を進める。

 空気が重くなった気がした。霊力の濃度が高くなっているのかもしれない。

 終点が近いな、そうリィンが予感した時、(――聞こえますか、リィンさん)と、頭の中にエマの声が響いた。(前を向いたままで、足は止めないで下さい)とも制され、反射的に後列の彼女を振り返ろうとした体をどうにか留める。

(念話術で話しかけています。接続中はリィンさんが思った表層の言葉が私にも聞こえます。ちょっとだけお話しましょう)

 表層ということは深い感情まで読み取れるわけではないということか? 試しにリィンは心に(構わないが、どうしたんだ)と思ってみる。すぐに返答があった。

(みんなの前で話すのもどうかと思ったので。ちなみに表層というのは言葉通りです。考えの裏まで読み取れるわけではないので、あくまでも普通の会話だと思って下さいね)

(こんな術まで使えるんだな。驚いたよ)

(最近覚えました。いくつかの欠点はあるんですけど、この場では大きな問題に派生しませんので)

(わかった。それで話ってなんだ?)

 派生する問題というのも気になったが、とりあえず話を聞く。

(……ブリッジでのやり取りが気がかりで。あの壁掛けの地図についてリィンさんが話した時のことです)

(ああ、セリーヌにも言われたが……本当に偶然――勘だ。どうしてあれを思い出したのか、自分でもわからない)

(ただ思い出したんですか? それとも知っていたんですか?)

 その微妙なニュアンスの違いに、リィンは逡巡した。

 セリーヌに指摘されたとおり、精霊窟という言葉だけでは、あの地図とまず繋がらない。当て推量にしても、かけ離れ過ぎている。

 説明のしようがないから、勘という言葉を使った。しかし勘にも理由がある。無意識下の根拠と呼ばれるものだ。

 知らないことは思い出せない。パズルのピースがそろっていても、全体像が分からなければ、どこにもはめ込めないのと同じように。

 ならば。たとえば。

(知っていたから、思い出せた……?)

 ズキリと頭の奥が痛む。瞬間にノイズが走り、念話の接続が不安定になった。

(リィンさん!? 大丈夫ですか?)

(……問題ない。最近ちょっと変かもしれないな。みんなには黙っていて欲しい)

(それは……はい。でも無理はしないで下さい)

 ここしばらく自分の中の何かがおかしい。

 幻聴のように“己の剣”を問われたり、見覚えのない光景が心に浮かんだり。

 いつからだと自問してみれば――それはヴァリマールに乗ってからだった。さらに言えば、騎神リンクを多用するようになってから、それらは顕著に現れるようになった気がする。

 仮に原因がそれだとして、このまま過剰な力の行使を続けたら、俺はどうなる。

(もしかしたら、リィンさんの記憶と関係しているのかもしれません。失った記憶と)

(俺の記憶……)

 戻りかけているのか、まさか。だが自分の記憶と今回の精霊窟の一件、なんらかの関わりがあるとは思い難いが。

 そういえば体調不良でうやむやになっていたが、マキアスとヴィヴィが俺の記憶のことで試したいことがあると言っていた。

(委員長。もし記憶が戻ったら、俺は――)

 言葉にするのをためらい、リィンは心の声をつぐむ。聞かれたくないことと察してくれたらしいエマは、(終点が見えてきました。念話の接続を解きます)と会話を中断した。(でも思い詰め過ぎずに、相談して下さいね?)と念押されたのを最後に、彼女の声が聞こえなくなる。

 進路の先に、旧校舎と同様の紋様が描かれた巨大な扉が佇んでいた。

 エマが古の(まじな)いを唱えると、茫洋とした光が紋様に宿り、重い音を震わせながら石扉が開いていく。

 この奥にゼムリアストーンがある。

 ただならぬ気配に先んじて太刀に手掛けつつ、リィンはさっきの言葉の続きを思う。

 記憶を思い出すことは、今の自分にはない過去が追加されること。記憶とは人格を形成する一部。

 人格、心。

 失われた記憶が自らに溶融された時、果たして俺は、今の俺のままでいられるのだろうか。

 

 

「広いねー。っていうか広すぎない?」

 ぐるりと首を巡らすミリアムにならって、リィンもその空間を見渡してみる。

 石扉を抜けた先に広がっていたのは、とてつもなく巨大な空洞だった。地下をこれほどの規模で彫り抜くなど、人間の力ではまず不可能だ。ますますもって地精とやらの技術、技能の高さに驚かされる。

 ほとんど地上に到達しているのではないかと思える天井の高さは、見上げるだけで首が痛くなってくる。足元の床は石造りだが、ここまでの道のりと違って整然とした継ぎ目を浮かせていた。

 神殿。

 霊力に満ちた光が絶えず漂うその様を視界に収めて、リィンはそんな印象を受けた。

 ここが地霊窟の最深部。奥には円柱のような建造物があり、階段で登れるようになっている。この場を神殿と呼ぶなら、あれは祭壇か。おそらくはあそこに――

「もう少しだ。慎重に行こう。……向こうの班も気になるところだが」

「戦力は均等に割ってるんだ。大丈夫だろう。それに途中まではフィーが先導できるわけだしな」

 もれたリィンの呟きにマキアスが応える。

 封印を解除できるセリーヌがもう一班に入り、現在は風霊窟の探索も同時に進めている最中なのだ。無事は信じるより他なく、「そうだな」と返したリィンが一歩踏み出した時だった。

 黒とも紫とも言えない暗い光が、渦を巻いて正面に集まっていく。

「警戒しろ!」

 ガイウスの鋭い声が弾けた時には、その人型は顕現していた。騎神や機甲兵と同じ体格を有し、禍々しい光を巨躯から立ち昇らせている。

「魔煌兵か……!」

 アイゼンガルド連峰で目覚めたばかりのリィンを襲い、ユミルの郷にまで侵入してきた異形の敵。

 全員が即座に隊列を展開し、臨戦態勢になる。

 厳しい戦闘が始まる。誰しもがそう思った直後、魔煌兵は動きを止めた。そして攻撃の意志を見せることなく、地面に生まれた闇のような黒ずみへと沈んでいく。

「なんだ……?」

 敵は完全に消えた。

 解けない警戒を抱えながら、リィンは気配を探ってみる。なにも感じない。ガイウスも同じようだった。

 それでも不用意に動かず、しばらくは各々で武器を構えていたが、結局それ以上のことは起こらなかった。

 いつまでもは足を止めていられない。

 改めてリィンを先頭に祭壇へと向かう。長く放置されていたはずだが、そこに続く階段に欠損らしき欠損は見受けられなかった。

 十アージュ程度の階段を上りきる。そのスペースの中央には台座らしきものが配置されていた。

 そこに近付くにつれ、固めていたリィンの拳が緩く開いていく。

「そんな……」

 ゼムリアストーンはなかった。

 

 ●

 

 もう一班からの報告を聞くに、風霊窟にもゼムリアストーンはなかったそうだ。

 その後、リィンの推察を元にセリーヌが新たに発見したエベル街道の水霊窟、ノルティア街道の火霊窟の探索も続けて行ったが、結果はどこも同じ。

 目的の鉱石は欠片さえ見つからなかった。

「まさか四つ回って収穫ゼロだなんて。さすがに予想外だったわ……」

 疲れを隠せない声音で言い、セリーヌは尻尾を床に垂らす。

 水霊窟では水をふんだんに使った仕掛けのオンパレードで、トラップの解除手順を間違っては何回も入り口まで押し戻された。水を吸って重くなった服も難敵だった。

 火霊窟では遺跡内部に充満する熱気のせいで呼吸さえままならず、汗さえ蒸発する環境の中、魔物以上に脱水症状と戦いながらの行軍となった。ここを捜索を担当したメンバーは、こんな遺跡を作った地精のことが嫌いになったと口をそろえて宣言した。

 そんな心ないダンジョンを短時間で走破してきた上に結果も出なかったとなれば、Ⅶ組勢の心身の消耗は大きい。カレイジャスのブリッジに戻った彼らは、一人残らず疲労困憊の面持ちである。

 皆への労いの言葉をかけたあとで、トワが報告内容を取りまとめた。

「精霊窟自体は機能していたけど、ゼムリアストーンの精製には至っていなかったんだね。単に前回に採取されてから時間が短かったのか、それとも精製条件が整っていなかったのか、その理由はわからないけど」

 可能性は考えられるが、確証はない。ただ結果として手元にあるのが、目的の鉱石は手に入らなかったという事実のみだ。

 壁に背を預けつつリィンは自らの手を眺めた。

 体が重く感じるのは肩透かしの虚脱感からか、先日の体調不良がぶり返したからか。

 せっかく得た手がかりが次に繋がらない。ヴァリマールの新たな太刀は、本当に作ることができるのだろうか。

 それに懸念事項はまだある。

「……魔煌兵の目的はなんだったのかな」

 地水火風、四つの精霊窟の最深部に出現した魔煌兵は、四体とも何もせず消えてしまった。

 リィンは顔を上げた。

「だけど確かに俺たちを見ていたように思います。それと消える瞬間に何かを――」

 何かを言った気がした。

「リィン君?」

「いえ……やはり行動の意図が読めません。ゼムリアストーンを持ち去ったわけでもなさそうですし」

「……うん、そうだね」

 口から出かけた言葉をとっさに変える。

 地図の一件もあるのだ。魔煌兵が何かを言ったなどと伝えれば、また心配をされてしまう。

 聞き間違いだと思いたい。そもそも魔煌兵に確たる意思があるのかも不明だ。

「とりあえずみんなには休んでもらうね。他に手がかりがないか、もう一度ステファン君が持ってきてくれたノートをチェックしておくから」

 トワが言ったその時、唐突に強力な波動が駆け抜け、ぞくりと全身の肌を粟立たせた。

「……!?」

 なんだ、今のは。

 周りを見ても、誰も気付いている様子がない。いや、エマとセリーヌの表情は変わっていた。困惑の色を浮かべ、顔を見合わせている。

 彼女たちに遅れること数秒、その異変にブリッジの計器が反応した。

「な、なにこれ? 針路は合ってるのに、方角が急にでたらめに……!」

「艦内のシステムチェックと並行して、原因の特定を急ぎます」

 観測席のヴィヴィとリンデが、姉妹そろって声を上げる。セリーヌは「無駄よ」と、すかさず二人に言った。

「おそらく強い霊力が影響したんだわ。けど導力波じゃないから艦の機器じゃ観測も出来ない。発信源をアタシとエマで探ってみるから、全員静かにして」

 場所による濃度の違いはあれど、微量な霊力は大気中に常に存在している。それらが導力器(オーブメント)になんらかの不具合を及ぼすことはない。それこそ上位三属性の働くフィールドでもない限りは。

 ほどなく艦の機能は正常に戻った。

 精神を集中するエマとセリーヌは、少しすると閉ざしていた目を開いた。

「……見つけた。しかもこの感じ、まったく同じだわ。エマはどう?」

「ええ、私もそう思う。これは……五つ目の精霊窟」

 あの地図には四つの印しかされていなかった。当時はなくて、現代ではあるということか。

 だが精霊窟が作られたのは、千年以上も前。年数的なつじつまが合わない。

 まさか、今出現した……?

「委員長、場所は特定できるか?」

「はい。霊力の波を逆にたどってみます。これは……この位置は――ユミル渓谷。その一点から大きな力を感じます」

 流れの大元を感知したらしいエマがこちらに向き直る。そこは自分にとって始まりの場所だった。

 騎神の剣、記憶の揺らぎ、遺跡の出現。果たしてそれらに因果はあるのか。

 氷霊窟。

 不意に浮かんだ言葉が、リィンの胸中をざわめかせた。

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

《世直し任侠譚⑦》

 

「うし、だいぶ体の感覚も戻ってきたな」

 医療用のテントの中、簡易ベッドから身を起こしたクレインは、両手をグーパーと開いてみる。それなりの体力の回復を実感し、「お前はどうだ? 痛めたの腕だっけか?」と、彼はとなりのベッドで休むハイベルに顔を向けた。

「大丈夫だよ、この程度。動くには問題ないから」

 そう返すハイデルの右腕には包帯が巻かれている。

 二人が安静のために滞在しているのは、鉄道憲兵隊の仮設駐屯地だった。ルーレ市と黒竜関を繋ぐ街道の中腹地点に設けられた拠点で、情報収集及び正規軍との連絡役としての役割を担っている。

 急造の拠点とはいえ、装甲車数台に戦闘装備も整い、十人を超える隊員が常駐していた。

「動けるようになったんなら、早めに出て行かないとな」

「え、なんで?」

「精鋭部隊のTMPだぞ。成り行きで拾ってもらったけど、やっぱ俺らはお荷物だ」

「そうだけどさ。……もうちょっとぐらいいいじゃないか。まだケガ治りきってないし」

「完治まで居座る気かよ。さっき問題ないって言ってただろ」

「え~……」

「失礼しますね」

 澄んだ声音が二人の会話を止めた。テントに入ってきたのはクレア・リーヴェルトだ。

 正義の戦隊《ジャスティスツー》として活動していたクレインとハイベルは、車で逃げた強盗を追い、その過程で絶体絶命の危機に陥った。

 それを間一髪のところで救ったのが、偶然近くを通りがかったクレア大尉だった。彼女は二人を介抱すると言い、自分の部隊で身柄を預かったのである。

「二人ともずいぶん良くなったようですね。ひどい打ち身でしたけど、骨折していなかったのが不幸中の幸いでした」

「すみません、俺らのために手を割かせてしまって。十分回復しましたし、ぼちぼち出ていきます。お礼は改めてさせて下さい」

 実直な性格そのままに、クレインは頭を下げる。クレアは優しげに微笑んだ。

「私があなたたちを保護したのは単にケガをしていたからではありませんよ。今日の情勢下でも士官学院生として恥じない行動をしていたからです。その勇敢さに敬意を表して、と言いましょうか」

 ちょっと無茶し過ぎた感は否めませんが、と一言添えた上で彼女はこう続ける。

「それにトールズのOGとしてお節介心が湧いたというのもあります。だから気にせず、ゆっくりと傷を癒して下さいね。もちろん戦闘状態になれば離れてもらうしかないですけど」

「はあ……何から何までお世話になります。ほら、ハイベルもお礼言えよ」

 うつむくハイベルは小さく肩を震わせていた。

「ま、眩し過ぎて直視できない……胸の高鳴りがやばいよコレ……ふしゅう……」

「ハイベルさん? もしかしてケガが痛むんですか?」

 ぴくっと彼は反応した。眉を凛々しく上げ、声も渋めの低いトーンに変えて言う。

「大丈夫ですよ、この程度。動くには問題ありませんから」

「良かった。あら包帯が解けてますね。緩かったのかしら」

 クレアはハイベルの腕を取ると、手際よく包帯を締め直した。 

「きつくありませんか?」

「……心は少し」

「なんなんだよ、お前」

 骨の抜けきった友人の顔を見て、クレインは凝った首を回した。

 

 

「お前って年上好きだったんだな」

「な、なんだ。藪から棒に」

 なまった体に喝を入れるべくテントを出て早々、やれやれとクレインがぼやく。出し抜けに突っつかれ、ハイベルは視線を空へと逃がした。

「つーかさ、ココさんのことはいいのかよ」

「なんで彼女の名前を出すんだ。関係ないだろう。……それにココさんには……タリムさんがいるし」

 ケルディックの農家で世話になった娘だ。彼女も居候の身だったが、なにかと二人の面倒を見てくれた。

 ハイベルにとっては甘酸っぱさと、ちょっとだけ苦みのある思い出である。

「むしろ僕はクレインに聞きたいな。クレア大尉に魅力を感じない男がいるか?」

「そりゃすごい人だと思うけどさ。それとこれとは話が別だろ?」

「感性を疑うね。ちょっと君の好みのタイプを教えてくれ」

「家庭を支えてくれる女性だ。弟妹たちを可愛がってくれて、お袋との折り合いも良ければいいな。ついでに料理もうまけりゃ文句なし」

「勢い重視かと思えば、そこだけは堅実な理想じゃないか……」

 出歩いている彼らを見かけた隊員たちは、忙しい中でも気さくに声をかけてくれた。

 手伝えることがあるはずもなく、二人は手頃な石段に腰を下ろす。

「あー、装甲車の整備とかできたらなあ」

「手持ち無沙汰は申し訳ないよね。雑務でもいいから仕事が欲しいけど」

 はあーと深く吐息をつくクレインとハイベルは、同時に空を見上げた。まばらに雲が散る青い空に、一機の飛行艇が飛んでいる。軍用機ではない。一般の旅客用だろう。

「このご時世に優雅なもんだぜ」

「運行してる便もあるのか。ふーん」

 大した興味もなく、何気なくその行方を目で追う。

 ひときわ大きな雲に隠れて船体の影も見えなくなった頃、「ルーレ市内、第二連絡班より緊急通信!」と、隊員の一人がクレアを呼んだ。

 位置が近かったので、クレインたちにも通信内容は聞こえた。

『ルーレ空港を発った旅客飛行艇が、三十分後に進路を大きく変更した模様。管制室からの通信にも応答なし。レーダーによる補足区域を離れたため、旅客機の現在地は不明とのこと。対応の是非を問う』

「了解。単なる機器トラブル……ということはなさそうですね。ハイジャックの線を視野に入れましょう。そちらでは乗組員名簿の確認と照合、それと不審者の目撃情報を集めて下さい。このあとの行動プランは私が考えます」

 他にもいくつの指示を出したあと、クレアは通信を切った。

「え、さっきの飛行艇ってそういうあれか」

「最大級のトラブルがここで来たよ……」

 聞き耳を立てていた二人は、雲間の向こうを眺めた。

 通信機の前でクレアは思案している。

「とはいえ正規軍の布陣を崩せない現状でどう動くべきか……もう少し情報があれば……」

「クレア大尉!」

 クレインとハイベルは立ち上がって、彼女の前に出た。

「事情は聞きました。俺たちにも協力させて下さい」

「件の飛行艇なら、さっき見かけました。おおよその進路は分かります」

 しかしクレアは首を縦に振らない。

「あくまでもあなたたちは民間人。私の管轄内で危険に巻き込むわけにはいきません」

「士官学院生です。一般人よりは役に立ってみせます」と引かないハイベルに続き、「いい作戦だってあるんですよ!」と、クレインも食い下がる。

「しかし……いえ、わかりました」

 動かせる人手と個々の能力、そして時間的猶予の有無。

 それらを勘案した結果、やむを得ずの体でクレアは了承した。

「一時的に私の指揮下に入ってもらいます。なにか策があると言いましたね」

「それは……クレイン、僕にも教えてくれ」

 ハイベルも知らないことだった。

 自信もたっぷりにクレインは言う。

「まずはこれを受け取って下さい」

「なんですか?」

 差し出すクレアの手に彼が押し付けたのは、水色のマスクとマフラーだった。それを見たハイベルの顔色が、そのマスク以上に青くなる。

「三人目、よろしくお願いします」

 事態の呑み込めないクレアをよそに、ジャスティスツーはジャスティススリーになった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――another scene――

 

「まだ通信状態は回復しないのか!」

 焦りを滲ます声音で、彼は部下をどなりつけた。

「この雪のせいです。もう少し時間を下さい」

「さっきも同じことを言っていただろう! 身代金の要求が出来なきゃ元も子もないんだぞ!」

 苛立ちまぎれに近くの椅子を蹴り飛ばす。けたたましい音がブリッジに響き渡り、人質たちが身を強張らせる気配が伝わってきた。

 ああ、ちくしょう。飛行艇を奪うところまでは順調だったのに。

 口中に悪態をつく彼は、この猟兵団《バグベアー》のリーダーだった。

 かつて帝国解放戦線のギデオンに雇われ、ノルド高原にて実習中のⅦ組と交戦した者たちである。その後は正規軍に捕縛されていたのだが、内戦の混乱に乗じて逃げ出すことに成功していたのだ。

 身代金さえ手に入れば、こんな残党ではなく新たな猟兵団として旗揚げができる。

 綿密な作戦を考え抜き、落ち度はなかったと自負しているが、唯一の誤算は進路を変えた先の空が悪天候だったことか。

 不幸中の幸いは不時着した場所だ。ここアイゼンガルド連峰の一角は、切り立つ山々が死角になっていて、捜索の手がかかったとしても早々には発見できない。

 とはいえ、そのせいで通信機能が使えないのだから、やはり不運の部類に入るだろうが。

「うぅ……帰りたいよう……」

「大丈夫、大丈夫だから……」

 ぐすぐすとすすり泣く声が耳に障った。そちらに目を向けてみれば、黒い制服に身を包んだ少女が二人、身を寄せ合っている。二十人近くいる人質の中で、もっとも年少の二人だ。

 確か聖アストライア女学院の生徒だったか。定期運航便に乗ってバリアハートの実家にでも帰るつもりだったのだろう。子供だけで飛行艇に軽く乗れるとは、実家は相当な金持ちに違いない。身代金上乗せだ。

「うるさいぞ、黙っていろ!」

「ひっ」

 鋭くにらみ付けると、口を押えて必死に泣き声をもらすまいとしている。

 こちらも事が予定通りに運ばず苛立っているのだ。

 他の人質たちへの見せしめも兼ねて、頬に一発仕置きをしてやろうかと女生徒に近付いていった時、一人の男が声を発した。

「やめたまえ」

 一固めにしてある人質たちの中で立ち上がったその男は、目深なフードを頭に被っている。

 こんなヤツ、乗客にいたか?

「年端も行かない少女に手を上げるなど、とても看過できるものではない。実に良くないね」

「ご立派な正義感に痛み入るが、すぐにお前は自分の行動を後悔することになる」

「おや、穏やかではないな」

「こっちに来い。そう、そこの部屋だ」

 彼が指し示したのは空き部屋である。

「なぜそこで?」

「こう見えて俺は優しいんだ。そちらの善良なお客様方に、お前がボロ雑巾のようになるのを直に見せない為の配慮さ」

「なるほど。同感だね」

 余裕ぶっていられるのも今の内だ。聞くに耐えん程の、おぞましい悲鳴をぶちまけさせてやる。こういうのは声だけで、見えない方が効果的なんだよ。勝手に悪い想像をしてくれるからな。

 フードの男を連れて、彼は空き室の中に入った。

 猟兵のリーダーたる彼は、様々な不幸に見舞われた男だった。年齢にして二十七歳。生まれ、経歴、その中には同情に足る出来事も少なからずあった。

 だが彼の最大の不幸は、装備であるメットを取ったその素顔が、年相応に精悍で男前だったことだ。

「ア―――――――――ッ!!」

 聞くに堪えないおぞましい悲鳴が船体を揺らした。

 

 ほどなくフードの男は部屋から出てくる。リーダーは出て来ない。

 猟兵たちが彼を取り囲んだ。

「てめえ、なにしやがった!」

「許さねえ、ここで始末してやる」

「覚悟しやがれ。人質が一人減る程度、こちとら痛くもなんともねえんだよ!」

 罵詈雑言を受けて、男の口元が歪む。彼は笑っていた。

「血気盛んなことだ。勘違いしないでもらいたいが、私は君たちに害を与えようとは思っていない。むしろ協力者と認識して欲しいね」

「協力者あ?」

「いかにも。不幸な事故によって、君たちのリーダーは倒れてしまった。身代金の要求と交渉、逃走ルートの構築、その後の拠点の手配まで、おそらく彼が段取りを組んでいたのだろう。このままでは計画倒れは避けられないと思うが」

 ざわつく猟兵たちは一瞬沈黙し、図星という顔を見せた。

「私が後を引き継ごうじゃないか。どのみち頭打ちの状況であれば、この私に賭けてみないかね。分の悪い賭けではないと約束しよう」

 男の言葉には、相手の気持ちを誘導する巧みさがあった。

 難色を示していた猟兵たちも、気付けば彼に従っていた。

「けどよボス。俺たちに協力して、あんたに何のメリットがあるんだよ」

 すでに頭目扱いである。

「私には私の目的がある。差しあたって欲しいのは、この飛行艇だ」

 かつて《(ギデオン)》に雇われていた猟兵たちは、《(ガイラー)》によって新たな支配を受けようとしていた。

 少女を助ける為に立ち上がったはずの人間が、わずか十分足らずでテロリストのリーダーとなっている。二十名あまりの人質の表情は、一人の例外もなく暗く沈んでいた。

 

 

 ★ ★ ★

 

 




『精霊窟』をお付き合い頂き、ありがとうございます。

ヴァリマールの太刀の為に皆が奔走していますが、まだハードルは残っていますね。個人的に水霊窟は涼しげで好きなダンジョンの一つでした。
ゲームではバリアハート解放を挟んでの精霊窟攻略ですが、当作ではまとめて行っています。
リィンのいる班は地霊窟、水霊窟探索。もう一班で風霊窟、火霊窟探索です。

風霊窟では風に煽られたアリサのスカートが大変なことになって、水霊窟では水をかぶったエマがすけすけになって、火霊窟では暑さに耐えかねたフィーが脱ぎだして――そんなハプニングがありつつも、紳士なオールカットで進行しました。
そうなった理由はGが割り込んできたせいで、本編が圧迫されたせいです。

シュミットの強制退陣に端を発する剣探しと、ハードモードに突入した飛行艇救出作戦を、引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。



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