虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第7話 再会

「そういうわけや。まあ、気いつけて行けばええわ」

 最後にそう付け加えると、ベッキーは「はああ……」と深いため息をついて家の中に入っていった。

 やるせないオーラが漂うベッキーの背中を見送りながら、エリゼはリィンに言った。

「兄様のご友人の方ですよね。なんだか元気がなかったようですが」

「ああ、クラスは違うけどな」

 リィンも彼女の憂鬱な足取りを目で追う。

 街道を下り、ケルディックの西側ゲートをくぐった一同は、とある民家の軒先で座り込むベッキーと出会った。

 一か月前に学院を出てから、彼女は実家のあるこのケルディックに帰っていたのだ。

「いつもはもっと勢いがあるんだが……」

 ずいぶんと意気消沈した様子である。話を聞いた感じでは、士官学院云々のことではなく、単に大市が縮小してしまったことが、モチベーション低下の主な原因らしい。

「なんにせよ、いくつかの情報は手に入ったな」

 巡回する領邦軍を視界に入れながら、トヴァルはそう言った。

 ベッキーの話では、やはりトリスタから出た学院生は多いとのことだ。しかし、彼らは執拗に貴族連合に追われていたわけではない。ベッキー自身、領邦軍からいくつかの尋問は受けたが、今では町を出歩くぐらいは問題ないそうだ。

「けど、アンタたちⅦ組は確実にマークされているわね。最前線で抵抗したわけだし、何より《灰の騎神》のことは貴族連合も警戒しているでしょうし」

「ああ。学生服じゃないけど、目立つ行動は控えないとな。というかセリーヌも人前では喋らないでくれよ?」

「言われるまでもないわ」

 取ってつけたようにニャアと鳴き、セリーヌは涼しい顔で首を巡らせてみせた。彼女なりに“猫っぽい動作”は心得ているらしい。意識していなくても十分猫っぽいぞ、と思ったがそれは口に出さなかった。無用な引っかき傷は避けておきたい。

「じゃあ、さっそく行ってみるかね」

「ええ」

 去り際にベッキーはこう言っていた。

 ケルディックには自分以外にも逃げてきた学院生がいる、と。

 

 

 その学生とは教会の中で再開した。

 ベッキーは場所までを言わなかったから、民家やら宿屋やら、果ては駅まで探し回る羽目にはなったのだが。

「そうでしたか、Ⅶ組の皆さんを探してケルディックまで――」

 神妙な面持ちでリィンの話を聞き終わり、その学生――ロジーヌは伏せていた目を上げた。トリスタでも教会の手伝いをしていた彼女は、ケルディックでも同様に、この場所に身を寄せたのだという。状況が落ち着くまでここにいたらいいと言う教区長の厚意に甘えた形だ。

「それで、他のⅦ組の生徒には会っていないか?」

「えっと、あの、それはですね」

 急に言葉がたどたどしくなったロジーヌは、礼拝堂横にあるドアの一つに一瞬だけ目をやり、そしてまた正面に視線を戻した。

「どうしたんだ?」

「……すみません、お会いしていないんです」

 申し訳なさそうに、彼女は頭を下げた。

「そうか……」

 そもそもⅦ組が追われているというのなら、領邦軍が歩き回るような町中にはいないと考えるのが普通だろう。ヴァリマールの感知があったから、ケルディック地方にいるのは確かなのだが――

 そこまで考えて、リィンはふと一つの疑問を抱いた。

 そういえば、どうしてロジーヌはトリスタを出たのだろう。彼女は性格的に学院の中でおとなしくしていそうなイメージだ。トリスタ教会の子供たちのこともある。

 なのに、なぜ。

 訊ねていいものか、わずかな逡巡の間に「あら?」とロジーヌが小首を傾げた。

 その視線はリィンの後ろ――エリゼに向けられている。子供好きの目になっていた。

「そちらの方は」

「ああ、俺の妹の――」

「妹のエリゼと申します。いつも兄がお世話になっております」

 リィンの紹介より早く口を開くと、エリゼはスカートの裾を持ち上げて粛々と一礼をした。

「ロジーヌです。こちらこそリィンさんにはいつもよくして頂いています」

「いつも……?」

「ええ、いつも」

 その一語にピクリと小さな反応をするエリゼ。ロジーヌは柔和な微笑みを浮かべたままである。エリゼとて、それがただの社交辞令だとは分かっていたが。

 清楚な佇まい。優しげな相貌。ありていに言うなら、彼女は美人だ。

「ど、どうした?」

 じとりとした目付きでエリゼに見つめられ、リィンはたじろいだ。何か言いたいことがあるらしいが、何が言いたいのかは分からない。

 それが分からないということが、さらにエリゼのご機嫌を損ねることに繋がる。その辺りは心得ているので、リィンは必死にエリゼの視線の意図を読み解こうとした。しかし彼は、伊達に朴念仁と呼ばれているわけではなかった。

 やっぱり、分からない。

 エリゼの横で、トヴァルが苦笑した。

「そこは機微ってやつだろ。なあ」

「それをアタシに言わないでよ」

 瞬間、全員が凍る。

 当たり前のようにセリーヌが人前でしゃべった。

「え、今」

『だあああっ!』

 ロジーヌが開きかけた口を、リィンとトヴァルが大声でかき消す。礼拝に来ていた何人かが驚いてこちらを振り返っていた。

 即座に身を翻したエリゼはセリーヌを抱え上げ、「し、失礼しました!」と戸口に駆け出す。リィンたちも全速力で後に続いた。

「あ、あの?」

「幻聴だ!」

 戸惑うロジーヌにそれだけを言い放ち、三人は疾風のように教会を飛び出した。

 

 

「……本当にこれでよかったのでしょうか」

 リィンたちが去った後、ロジーヌは小さく言った。なぜか猫がしゃべったことには、あまり驚いていないようだった。

応接室の扉が開き、中から出てきたユーシスは「いらん演技をさせたな」と彼女のそばに歩み寄った。

 町中にいたリィンに先に気付いたのはユーシスだった。教会に彼らが来ることがあれば、自分の事は伏せるようにとロジーヌに頼んでいたのだ。

「いえ、私は構わないのですが……」

「どうやら変わりはないようだ。あの遊撃士と、あいつの妹まで同行していたのは気になるが」

 遠目だったが一ヶ月ぶりに見る顔は、思いのほか壮健そうだった。無事と知って、やはり安堵はしたが。

 今は顔を合わすべきではない。

「リィンさん、きっと心配しています。お顔だけでも見せてあげたら良かったのでは……」

「今の俺と話していれば嫌でも目立つ。騒ぎが広がれば領邦軍も出てくる。そうなればこの町にもいられなくなるだろう。それに――」

「もう立場が違う、ですか?」

 濁した語尾を、ロジーヌが継いだ。言い淀んだ言葉をピタリと当てられて、ユーシスは意外そうな目を彼女に向けた。

「そうだ。すでに進む道も違う」

「そうでしょうか」

 柔らかい口調で、ロジーヌは続けた。

「道はいくつもあるものです。分かれ道の先で、また同じ道に繋がることもあるかもしれません」

「………」

 自分にしか出来ないことをやると決意して、レグラムを離れた。もちろん仲間たちと対立するつもりなど毛頭ない。

 だが、立ち位置が変われば、取れる行動も自ずと制限されてくる。彼らに同行し、その力となることはもう叶わない。

 それは初めから分かっていたことだ。分かっていて、実家に戻ることを選んだのだ。

 迷いはない、はずなのに。晴れきらない心の曇りが、胸中に小さな疑問を生む。

 アルバレア家の者として。Ⅶ組の一員として。どちらが、あるべき自分の姿なのだろうか。

 その葛藤を見透かしたように、

「ユーシスさんはユーシスさんですよ」

 柔らかな微笑を浮かべ、ロジーヌはそう言った。

 

 

「人前じゃ話さないって言ったろ。焦ったぜ」

「アンタが話を振ってきたからでしょうが!」

 やれやれと肩をすくめるトヴァルに、セリーヌは食ってかかる。

 大市の奥。ちょっとした休憩スペースのベンチに、リィンたちは腰を下ろしていた。一同、横並びに座り、いまだ動悸の収まらない胸を撫で下ろしている。ちなみにセリーヌはエリゼの膝の上だ。

 エリゼは興味深げに周囲の喧騒を見渡していた。

「これが大市ですか。こんなに活気があるものなんですね」

 威勢のいい客引きの声に、驚いている様子の彼女に「いや、以前はこんなものじゃなかった」とリィンもまばらな雑踏に目をやった。前はもっと活気があった。今は店頭に並ぶ品数も少ない気がする。

「そうなんですか?」

「ああ、物流が制限されているからなんだろうな」

 そんな会話をする兄妹はよそに、トヴァルとセリーヌはまだやりあっていた。

「大体アンタも、ああいう時こそ上手くごまかしなさいよ」

「無茶いうなって。猫のフリは慣れてるんだろ?」

「周りが猫扱いしないと、アタシだってやりにくいんだから」

「まあまあ、セリーヌさん。そんなに怒らないで下さい」

 憤るセリーヌの下あごを、エリゼは優しげな手つきで撫で上げた。

「フニャア~……って、猫扱いするんじゃないわよ!」

「どっちなんだよ……」

 休憩所に一人の少年が近付いてきた。エリゼは慌ててセリーヌの口を押さえ込む。いきなりの不意打ちホールドに「むぐっ!?」とセリーヌは喉を詰まらせた。

「へへ、兄ちゃんたち。新聞買わない?」

「新聞?」

「うん、新聞。買わないと後悔するよ。絶対買うべきだよ」

 唐突な売り込み。商人の町らしいのかは分からないが、強引な勧め文句だった。

 適当にあしらうのも気が引けたので、100ミラを支払って新聞を購入する。一仕事終えたかのように、少年は満足気に去っていった。

「なんだったんだ?」

「小遣い稼ぎだろ。たくましいもんだぜ」

 トヴァルは新聞を開いた。その両脇に移動し、エリゼとリィンも紙面をのぞき込む。

 内容はここ最近の情勢が主だった。しかし、

「こりゃまた、好き放題書いてんな。いや、書かされてるんだろうな」

 厳しい検閲があるんだろうと、トヴァルは浅く嘆息した。

 貴族連合の優勢を露骨に押し出す記事ばかりだ。正規軍を賊軍呼ばわりまでしている。

 その中で一際大きな見出しに目が留まる。タイトルは『レーグニッツ帝都知事、逮捕』だった。罪状が確定したので、正式逮捕ということだが、肝心の罪状については詳細に記載されていなかった。

「罪状なんざ、後付けで何とでも出来る。世論を貴族連合側に向かせるのが重要なんだろう。ネガティブキャンペーンってやつだ――ん?」

 はらりと一枚の用紙が地面に落ちる。新聞の最終ページに挟まっていたらしい。拾い上げたエリゼは、「なんでしょうか?」と訝しげにそれを眺めた。

 マス目状に十字の線がいくつも描き込まれ、そこにいくつかのアルファベットが散りばめてある。

「兄様、分かります?」

「さあ。トヴァルさんは?」

 読み終わった新聞を折り畳みながら、ほとんどその用紙も見ずにトヴァルは答えた。

「クロスワードパズルの一種だろう。新聞社によっては、時々そういうのを挟み込んでることもあるんだよ。解けた人には抽選で懸賞を――とか言ってな」

「そうなんですか。でもこんな状況でそういう遊びを……」

「大方、解いて出てくるメッセージは風刺的なものじゃないか? 毎度検閲で記事を改稿させられてるんだったら、不満を持ってる記者も出てきそうだしな。ペンでできるささやかな抵抗ってやつだ」

 納得できる理由に思えた。

 ただ、少し視界の端に映った程度だが、その内容が手書きに見えたことにリィンは若干の疑問を抱いた。あの几帳面な文字はどこか見覚えがあるような――

「気になるなら解いてみるかい、お嬢さん」

「やりません」

 子供に遊びを勧めるような口調でトヴァルが言うと、エリゼはすました顔をして、その用紙を彼に返した。

「はは、まあそんなにゆっくりできるわけでもないしな。さて、と」

 ベンチから立ち上がったトヴァルは、近くの屑入れに歩み寄って、

「余計な荷物は増やさない。旅の基本だぜ」

 読み終わった新聞とそのゲーム用紙らしきものを、躊躇なくぽいっと捨てる。手をパンパンと払いながら、彼は戻って来た。

「しかし、みんなに繋がる情報が中々見つかりませんね」

「ケルディック方面も広い。そろそろ町の外も視野に入れるべきかもな」

 ぼやくリィンにトヴァルが言った時だった。

「君は――リィン君……だな?」

 背後から名前を呼ばれ、リィンはぎくりと身を固くした。制服じゃないからそうそう見つからないと思っていたが。

 どうする。逃げるか、やり過ごせるか。

 息を呑んで、振り返る。声の主が視界に入ると、思わず安堵の息がもれた。

「オットー元締め」

 大市を取り仕切る初老の男性だ。ケルディック実習の際に、リィンとは面識がある。

 オットーは周りに注意しながら小声で言った。

「大事ないようでよかった。君たちⅦ組は領邦軍に手配されている。町を出歩いて大丈夫かね」

「今のところは問題ありません。私服ですし目立たないようにしていますので」

「そうか。それで、彼らにはもう会ったのかい」

「彼ら?」

 まだ事情も説明していないのに、なぜオットーがそんなことを言ったのか分からなかった。顔を見合わせるリィンたちの様子を見て、彼もまた不思議そうな顔をした。

「会いに来たんじゃないのかね? マキアス君たちに」

 

  ● ● ●

 

「……この場所のはずだが」

 東ケルディック街道に点在する風車小屋の一つ――その入口扉の前でリィンたちは足を止めた。

 オットー元締めの話によれば、マキアス、エリオット、フィーの三人はこの小屋に隠れているのだという。全ては元締めの便宜によるもので、一か月前にケルディックへ逃げ延びてから、彼らはここを拠点にしていたらしい。

「オットー元締めから預かってきた鍵だ。リィン、お前さんが開けるのがいいだろう」

 トヴァルから手渡された風車小屋の鍵をリィンは受け取った。

 ようやくここまで来た。中に人の気配は……ある。

 逸る気持ちを抑え、静かに鍵を差し込んだ。カチリと音がして扉が開いていく。

 

 感動的な再会――にはならなかった。

 小屋の中に入ってすぐ視界に飛び込んできたのは、力なく床に横たわるマキアスとエリオットの姿。半死半生といった風体で、苦しそうなうめき声を上げている。

 そんなマキアスの上半身を起こしたフィーが、彼の口にスプーンで何かを注ぎ入れようとしているところだった。

 ペースト状にすり潰された、得体の知れない緑色の物体を。

 リィンは瞬時に理解する。

 これは惨劇が起こる一歩手前の光景だ。不意に妙な懐かしさを感じたが、今はそれどころではない。

「ま、待つんだ、フィー!」

 駆け寄ってその手首をつかむ。

「え?」

 驚いた顔をして、フィーが見返してくる。瞳が大きく開かれていた。

「リィン……?」

「ああ、俺だ。心配をかけたな。というかこの状況は一体――」

「……ちょっと痛い」

「あ、すまない」

 ついつい力を入れて握ってしまっていた。フィーの手首から自分の手を離す。急に圧が緩くなったせいか、彼女が持っていたスプーンが、するりと指の間から抜け落ちた。

「むぐっ」

 そのままスプーンはマキアスの口の中に落下した。泥のような緑色が喉の奥へと消えていく。

 直後、彼の体がびくりと大きく跳ね上がり、そして何の反応も返さなくなった。

 

 そこからは野戦病院さながらの迅速な応急処置だった。

 簡単な診断と、その手当くらいならトヴァルにもできる。エリゼが実家から持って来ていた薬の数々も功を奏した。セリーヌも回復の術を駆使して力になった。

 各々の奮闘の甲斐もあり、やがてマキアスとエリオットは話をできるくらいには回復したのだった。二時間くらいはかかったが。

「疲労と腹下し。あとは軽度の脱水が憔悴の主な原因だ。少し休めば動けるようにはなるさ」

「助かりました。ありがとうございます。……リィンも」

 座ったまま壁に背を預けてトヴァルに礼を言うと、マキアスはリィンに視線を移した。

「ああ、そっちこそ無事でーー」

 無事ということにしておこう、と苦笑いを交わしていると、マキアスのとなりに座るエリオットがと安堵の息をついた。

「何回、母さんに会った夢を見たかわからないよ」

「そ、そうか」

 聞くところによると、事の発端はフィーが採取してきた野草を口にしたことからだったらしい。同じものを食べていたはずだが、体調を崩したのはマキアスとエリオットだけ。そんな二人を心配して、フィーはさらに薬効のある(ありそうな)野草を調達し、彼らに与え続けたのだという。

 善意なのは分かっていたので、断り切れずに食べ続けて――今に至る悪循環だったそうだ。

「二人とも、よくなって良かったね」

「ああ、……フィーが看病してくれたおかげだ」

 引きつる頬を必死で隠し、マキアスはフィーに笑ってみせた。こう見えて彼は人情に厚い。人の厚意を無下にはできない男だった。

 リィンに向き直るフィー。

「それじゃ、情報交換する?」

「ああ、頼むよ」

 簡単にお互いの経緯を報告しあう。

「それじゃあ、私たちの方から」

 一か月前、リィンがヴァリマールと戦線を離脱してすぐ、彼らはその後を追おうとする《蒼の騎神》を決死の覚悟で食い止めていた。だが生身の力で騎神に抵抗できるはずもない。防戦も限界が近付いてきたその時、上空に現れたのが、紅き翼《カレイジャス》だった。

「それで、カレイジャスが相手の騎神を引きつけている内に、私たちは逃げることが出来た。固まっても逃げられないから、三方向に分かれて。ここにたどり着いてからは、貴族連合の動向を調べたり、諜報活動をしたりが主な行動だったかな」

「そうだったのか。ん?」

 ヴァリマールの探知ではケルディック地方に四名と言っていたはずだったが。

「今さらだが、ここにはこの三人しかいないのか?」

「逃げてくる時からこのメンバーだったけど」

 単独で行動している仲間の誰か、ということだろうか。いずれにせよ、フィーたちにも分からないようだった。

「次はこちらだな」

 リィンもここに至る流れを説明する。

 アイゼンガルド連峰で目を覚まし、ユミルの実家に戻っていたこと。そのユミルが猟兵の襲撃を受け、その中でアルフィン皇女を誘拐されてしまったこと。彼女を助ける為、そして仲間と合流する為、トヴァルとエリゼも同行の上、ケルディックまで精霊の道を使って飛んできたこと。

「それは……君も大変だったな」

 マキアスが言った。

「それで首尾よく、僕の暗号文を解いてここまでやってきてくれたというわけだな」

『暗号文?』

 トヴァル、リィン、エリゼ、セリーヌが異口同音に言って、それぞれが顔を見合わせた。

「え? ほら、新聞を勧めてきた少年がいただろう。前の実習で君に会っているらしくてね。顔も覚えてると言うから、リィンを見かけたらそれを渡すように頼んでおいたんだが」

「ああ、その子供には出会ったが。暗号文?」

「体調が優れない中、最後の力を振り絞って書いたんだ。あのマス目が入った一枚ものの用紙。一縷の望みと言っても過言ではなかったな」

 全員の表情がさーっと曇る。

「あ、あれはトヴァルさんが」

 リィンが言いにくそうに口を開き、

「ただのクロスワードパズルだとか言って」

 セリーヌが言葉を続けて、

「……捨てました」

 エリゼが締めくくる。

 絶句したマキアスがトヴァルを見上げる。信じがたいモノを見る目とは、まさにこのことだった。

 一縷の望み。それを容易くゴミ箱に捨て去った張本人は、顔面に大量の汗を浮かべながら、天井に向けた視線をいつまでも動かそうとしなかった。

 

  ● ● ●

 

 風車小屋を出た一同は、東ケルディック街道をそのまま東に進んでいた。

 一度騎神のところに戻り、霊力の回復を待ってユミルに帰還する。その選択肢もなかったわけではないが、話し合った結果、彼らはガレリア要塞を目指すことにしたのだった。

 理由はいくつかある。

 ガレリア要塞には現在、正規軍、第四機甲師団が駐屯している。そこにはエリオットの父、オーラフ・クレイグ中将がいるはずだ。正規軍の状況と、うまくいけばナイトハルト少佐の安否も分かるかもしれない。

 そして、ここに来るまでに見てきたものは貴族連合軍の側面。改めて正規軍の動向を知る必要があった。

 この帝国がどこに向かおうとしているのか。その中で自分たちの進むべき道を見定める為にも――

「あ、見えてきたよ」

 エリオットが言った。

 視線の先に、川を横断する巨大な吊り橋が掛かっていた。これがケルディック地方とガレリア方面の東西を結ぶ関所――双竜橋である。

 幾つもの尖塔を携えて、物々しい大口を開けた建物が、橋の中腹にどんと構えているが、あれが双竜橋の中継地点となる砦だ。指令室などの設備もある軍事拠点で、平時であれば正規軍が詰めているのだが、今は貴族連合軍が仕切る陣地の一つとなっていた。

 ガレリア要塞に向かうならここを抜けるしかない。しかし当然、橋のど真ん中を突っ切るような真似はできない。橋の入口には見張りの兵士が立っており、その少し離れた場所には機甲兵も控えていた。

 厳重な警備である。おまけに橋を抜けた先の街道も封鎖されている可能性が高い。

「フィー、何か考えがあるんだったな?」

 リィンの問いに、フィーは「あれ」と、何かを指し示す。

 双竜橋の横、フェンスで区切られた先にある線路を、轟音と共に貨物列車が駆け抜けていくところだった。

 

 彼女の策はこの大陸横断鉄道――その砦内部を通る貨物整備用の単線を使って、ガレリア間道側に抜けようというものだ。上手くいけば警備の裏をかくことができるかもしれない。

 万全とは言えないリスキーな方法には違いないが、現時点ではもっとも現実的な手段でもあった。

 問題は一つ。その線路側に降りる整備用の通路を発見することである。

「見つかりませんね……」

 少し疲れた様子で、エリゼが小さく息をつく。

 あまり表だっても動けないので、橋手前に隣接する待合所で聞き込みをすること十数分。未だ成果はなかった。

 待合所を利用している通行客が少ないのも、有益な情報を得にくい理由の一つでもある。

「うーむ、そう上手くはいかないものだな」

 手頃な席に腰掛け、マキアスは渋面を浮かべる。深く嘆息を吐いて、背もたれを軋ませた時だった。

「お困りのようだね」

 落ち着いた男の声がした。物置代わりに使っているという通路の入口に、誰かが立っている。目深にかぶったフードで顔は分からない。

「誰だ?」

 真っ先に警戒したトヴァルに、「さあ、誰かな」と唯一見える口元を緩ませるが早いか、男は踵を返して通路側に走り出した。

「あ! 待――」

 待てと発するより早く、その脇を敏速な影が疾駆する。フィーだった。彼女は目にも止まらぬ速さで、男に追いつくと、一息に足払いを仕掛けた。

 がっと足を取られ、男はずでんと横転する。

「チャンス」

 遅れて到達したリィンが、男の背中にまたがって羽交い絞めに。さらに出遅れたマキアスとエリオットが、二人がかりで男の腕と足を押さえつける。そこからさらに遅れて続いたエリゼは、どうしたらいいか分からなかったが――とりあえず男の靴を脱がして奪っておいた。

 容赦ないバースト攻撃だった。

「……お前さんたち、行動力あるよな」

 何やら感心した様子のトヴァルが最後に歩み寄って、そのフードを引っぺ返す。

「うう、皆さん、ひどいですよ~」

 ジタバタさせていた手足を観念したように止め、ぐったりと床に顔をうずめるのは、トマス・ライサンダー教官だった。 

 

 ● ● ●

 

 狭いダクトを這い出ると、視界いっぱいに光が拡がる。二度三度と目をこすって、フィーは自分の後に出てきたエリゼに手を貸してやった。

「あ、ありがとうございます」

「別にいいよ」

 当初の目論見通り、ここは線路上だ。先ほどの通路の奥の排気ダクトが、ここに通じていたのである。

 教えてくれたのは、トマス教官だった。

 多くの学生たちと同様、彼もあの日に学院を離れていた。直接接触するのはリスクがあるとの考えから、フードで身を隠して、陰から他の生徒のサポートも行っていたとのこと。

 トマスも双竜橋付近の様子を見にきたのだが、そこでリィンたちを発見。例によって正体をばらすことなく、助力しようとしたのだが、まさかの捕縛にあった、という流れらしい。

 フィーは思う。あのフードを被っている方が怪しいし、目立つのではないか、と。

 ちなみに彼は同行しなかった。各地を回れるだけ回り、引き続き他の学生たちのサポートに注力するそうだ。

「なんというか意外だったな」

 ダクトでついた煤を払いながら、リィンは言った。

 意外、というかフィーにとっては疑問の方が大きかった。

 フードを被っていたトマス。授業で顔を合わすトマス。雰囲気がまったく異なっていた。リィンの言葉を借りるなら、“気配”が違うとでも言うべきか。たかがフード一つで、あそこまで雰囲気を変えられるものなのか。

 もっとも、彼の授業では寝ていることの方が多かったから、“普段の雰囲気”自体をあまり覚えていないのは否めないが。

 そして、もう一つの疑問。いつからトマスが待合所の中にいたかということである。

聞き込みの最中に新たな利用客が入ってきたりはしなかった。そしてあらかじめ待合室の中にいた人たちには、全員に声をかけている。あの通路だって一応の確認はしていた。

 彼はどこにもいなかったはずなのだ。

 

 

 そこからは思いのほかスムーズだった。

 見張りや巡回の兵士に見つかることもなく、線路沿いを身を屈めて歩き、中継地点の砦を抜けた。

 途中で右手に道をそれて、ガレリア間道へと入る。

 舗装はされているが、険しい丘陵地帯だ。大陸横断鉄道が通ってからは、ほとんど裏道になっている。仕事で通ったことがあるというトヴァルの案内で、一行は歩を進めた。

 この様な道に慣れないエリゼは、少しずつペースが落ちていく。息も荒かった。

 少し休みたい。だが、それは言えなかった。

「エリゼ」

 そんな彼女の横に歩み寄って、手を差し出したのはフィーだった。

「あ、フィーさん」

 その手を握り返して、「ごめんなさい、大丈夫です」とエリゼは笑った。

 リィンの反対を押し切る形で同行してきたのだ。すぐに音を上げるようではいけない。ルナリア自然公園でグルノージャに追われた時みたいに、足手まといにはなりたくなかった。

 無理に浮かべた笑顔と見抜かれたらしく、フィーが先を行くトヴァルたちに声をかける。

「靴ひもが切れちゃったみたい。代わりは持ってるから、取り替えるまで少し待ってて」

 フィーはその場にかがみ込んだ。目だけを向けて、エリゼにも座るように促す。

 彼女の靴ひもは切れていなかった。

 フィーのとなりに腰を降ろすと、申し訳なさげにその横顔に目を向けた。

「その……ありがとうございます。気を遣って頂いて」

「ん、いいよ」

 無表情で淡白な返しだったが、優しい人だと思った。

 エリゼを見返して、フィーは言う。

「本当はリィンに声をかけて欲しかったりして」

「そっ、そんなこと――」

 変わらない淡々とした口調。それが軽い冗談なのだと気付くまでに、少しばかりの時間を要した。

「……ちょっとありますけど」

 つい本音を口に出してしまったのは、彼女が自分と同い年だったからか。フィーは少しだけ頬を緩めると「朴念仁だからね」と、離れた所で休憩しているリィンを一瞥する。

 エリゼはくすりと笑みをこぼした。

「どうしたの?」

「私もそう思います」

「そっか」

「そうです」

 小さく笑い合ってから、エリゼは立ち上がった。同年代の女の子とこのようなやり取りをするのは、アルフィン以外ではずいぶん久しぶりだ。

「動ける?」

「もう大丈夫です」

 お友達になってくれるかしら。なんて頭の隅で考えながら、そよぐ銀髪に目を落とす。

 フィーも立ち上がってリィンたちの所に向かおうとした。しかし不意に彼女の動きが止まる。

「フィーさん?」

 無言で切り立つ岩壁の上を見上げていた。エリゼもその視線を追ってみたが、崖上には何も見えない。

「どうかしたんですか?」

「……何でもないよ」

 

 それは戦いにおける嗅覚だった。

 たとえば鋭敏に殺気を感じ取ったり、迫る危機を直感が告げたり。いずれにせよ、形のない何かを察知するということである。それは先天的に受け継いだ才能でもあるし、後天的に訓練で身に付けることもできる。

 “気配を読む”ということで例を上げるなら、ガイウスは前者で、リィンは後者と言える。もっとも、その“気配”に関する捉え方も、言葉が同じだけで本質はまた違うのだろうが。

 なんにせよ、フィーは感じた。

 自分に向けられた意識を。

 殺気ではない。明確な敵意でもない。さりとて味方というわけでもなさそうだった。

(……興味?)

 少し違う気もしたが、この言葉が一番近いかもしれない。

 気付いているのは自分だけか。あるいは自分にだけ、それが向けられていたか。

 何だっていい。警戒を厳に。

 それに、この感覚。心当たりがないでもなかった。

「ん?」

 道中、トヴァルが足を止めた。リィンが訊ねる。

「どうしたんですか?」

「いや、以前通った時はこんな道はなかったと思うが……」

 唐突に出てきた脇道だが、別に不自然な様子はなかった。気になったのか、トヴァルはその道に入っていく。

「なんだ、こいつは?」

 少し進むと、周囲を高い崖に囲まれた奥まった場所に出た。その中心に、見慣れない様式の建造物があった。遺跡、と呼ぶべきだろうか。年代は定かではなかったが。

「セリーヌ、どうかした?」

 エリオットが言う。

 セリーヌは黙ってその建物を見ていた。何かを知っているようだったが、それをこちらに教えるつもりはないらしい。

 結局、その場所には入らなかった。先を急ぐ方が先決だ。

 道を引き返す途中、フィーはその遺跡に振り返った。

 地の底で何かが蠢いている音がする。これも長く戦いに身を置いていた者特有の嗅覚、直感かもしれなかった。

 なんだろう。

 ここは自分たちにとって、なにか重要な場所になるのかもしれない。しかし、自分自身にとって重要となるのは、“ここ”ではない気がする――

 そんなことを、フィーは漠然と予感していた。 

 

 

 連なる勾配を何度も上がり下がりして、曲がりくねった歩道を道なりにひたすら歩く。

 一応、舗装された道だが、使用されなくなって久しいのだろう。草葉や植物の蔓が道の中央付近まで伸びていて、見た目にも荒れ放題という状態だった。

「はあ、はあ」

 吐き出した白い息が、眼前で薄れていくのを眺めながら、マキアスは肩で呼吸をしていた。

 体調は戻りきっていない。というか絶賛不調中だ。幾分はマシになってはいるが、腹の調子もまだ悪い。後ろに続くエリオットも似たり寄ったりに違いない。

 願わくば、これ以上のトラブルが降りかかりませんように。

 そんなことを胸中で女神に祈りながら坂の一つを越えた時、ようやく目的地が視界に入った。ガレリア要塞だ。

 近付くにつれ、その惨状があらわになっていく。

 威圧的ともいえた重厚な佇まいはすでになく、閑散として荒涼な風景だけが広がっている。

 がなり立てるような戦車のキャタピラの音も、規則正しい兵士の軍靴の音も、怒号飛び交う演習の音も。数か月前に見た何もかもが無くなってしまっていた。

 今となっては虚しさしか喚起されない要塞の門をくぐる。正面遠くに見えたのは、屋台のアイスクリームのように繰り抜かれた外壁の破孔。その巨大さはアイスなどと比べるべくもないが。

 さらにその向こうに見えるのがクロスベル自治州だ。

「なんだ、あの光?」

 目を細めて、マキアスはそれを注視する。クロスベル市一帯が青白い半球状の光の膜に覆われていた。

「クロスベルは何らかの力を手に入れたらしい。それもとてつもなく大きく、絶対不可侵な力を。諸外国からの干渉も一切断ち切ってるって話だ」

 そう言いながら、トヴァルもまたその異様を眺めていた。

 見渡してみたところ、第四機甲師団どころか、人ひとり見当たらなかった。

「とりあえず、もう少し奥に行ってみるか」

 先頭を歩くトヴァルに、皆も続こうとした矢先。

 

 ――カチッ

 

「みんな、動かないで!」

 そんな音がしたと同時、鋭い声をフィーが飛ばす。何事かと全員が歩を止めた。ただ一人、その小さな音を聞き逃さなかった彼女は、にわかに焦りの滲んだ顔で、全員の足元に視線を走らせた。

 そして、こう告げる。

「マキアスは絶対に動いたらダメだよ」

「な、何で僕だけなんだ? 説明してくれ」

「今、地雷を踏んでるから」

「じょっ……」

 冗談だろう? そう言って笑い飛ばしたかったが、先ほどの異音は確かに自分の足下から鳴っていた。そしてフィーのこの表情。

 最悪の事態が起こっていると理解した。

「ど、ど、どうすれば。って君たち、なぜ僕のそばから離れていく!?」

 速やかに、そして鮮やかに全員がマキアスの周りから撤退していた。

「マキアス、あきらめるな!」

 エリゼを背に隠しながら、リィンはじりじりと後退し続けている。妹の安全確保が露骨すぎるぞ。

「う、うん。きっと大丈夫だよ」

 そんなエリオットが一番離れていたりする。せめて隠れている遮蔽物から顔くらい出したまえ。

「とりあえず君たち、戻って来るんだ!」

「えっ?」

「え」

「………」

 なんだ、この反応。いや、確かに一度距離を取って、打開策を模索するというのは間違ってはいないのだが。なおも開き続けていく距離に、一抹の不安を感じてしまう。

「……いるんでしょ、二人とも」

 不意にフィーは口を開いて、その視線を頭上に向けた。門の上に二つの人影があった。

 跳躍した影が、すたんと着地する。

「なんや、気付いとったか」

「腕を上げたな」

 瞳に微かな郷愁の色を映して、フィーは彼らの名を呼んだ。

「久しぶり。レオ、ゼノ」

 

 

 フィーとその男たちの会話から拾うに、独特の訛りで話す細身の男がゼノ。がっしりした体躯の偉丈夫がレオニダスだ。

 すでに彼らの手には武器があった。

 ゼノが携えるのは身の丈近い銃身の先に、刃渡り40アージュほどの鋭利な刃を接続させたブレードライフル。

 レオニダスが右腕に装着しているのが、いくつもの機構を仕込んだ、肩まで覆うほど巨大な強化鉄甲――マシンガントレット。

 どちらも正規で出回るような品ではないし、何より易々と扱える代物でもない。

「レグラムで会った二人……?」

 思いがけない再会だったらしく、リィンは目を細めた。

「面識があるのか? だが油断するなよ、お前さんたち」

 相手の一挙手一投足に警戒しながら、トヴァルはスタンロッドを引き抜いた。

 彼らの左胸に掲げられた紋章。流れるようでありながら、攻撃的なフォルムの翼鳥。あれこそが《赤い星座》と双璧を成す大陸最強の猟兵団の証。

「やつら、《西風の旅団》だ」

「その名前、以前フィーがいたっていう……」

 構えることもなく、妙にリラックスした物腰。気負いもせず、ただ自然とそこに立っている。少なくとも、素人目にはそう見えるだろう。

 だが、トヴァルは肌で理解した。

 これは闘争心と呼吸が一体になっているような、熟達した戦士の佇まいだ。こいつらは最初から戦いにきている。どんな説得や交渉も意味を成さない。

 そして、それを理解している者がもう一人――

「マキアスをお願い」

 そう告げると、フィーは両手に双銃剣を従え、力強く地面を蹴る。

 旧知の会話を突然断ち切っての特攻だった。

 彼女から向けられた一瞥で、即座にトヴァルは察した。

「全員、援護を! 手数で攻めろ!」

「な、何が!?」

 唐突に始まった戦闘。リィンたちは状況が飲み込めていなかった。

「《西風》がああして立ち塞がっている以上、話し合いはありえない。マキアスは俺が何とかする。その時間稼ぎだ!」

「っ! 了解しました!」

 相手がどう出ようとも、地雷という先手を打たれている事実は揺るがない。戸惑いで挙動が一拍遅れたが、リィンたちもすぐに戦闘態勢に移行する。

 抜刀しながら前陣に駆け出すリィンの後ろで、エリゼとエリオットが《ARCUS》を構えた。

 姿勢を低くして鋭い軌道で迫るフィーに、ゼノとレオニダスは満足気にうなずいた。

「ええ反応や」

「勘も鈍っていないようだ」

 フィーの狙いはゼノだった。

 瞬く間に距離が詰まり、双銃剣とブレードライフルが甲高い音を立てて衝突する。

 

「今の内だ。動くなよ!」

「ト、トヴァルさん……」

 フィーたちが少しでも猟兵たちを抑えている間にと、トヴァルはマキアスの傍らで身をかがめた。

「そんな顔すんなって。お兄さんに任せときな」

 まずは状況を見極めなくては。

 第一に地雷の種類。接触式なら踏んだ時点で爆発している。だがこれは違う。踏んだ後に足を離すことによって起爆する感圧式だ。

 第二に接触式ではなく感圧式にした理由。いくつか考えられるが、かかった者と救助を行う者の二人の動きを止めることができるからか。とはいえ、相手の真意はまだ読めない。

 そして、フィーが意表を突く形で肉薄し、今なお近接戦を挑み続けているのは――

「遠隔操作式の可能性もあるってことだ」

「それって、どういう……」

「スイッチ一つでドカンだな」

「はっ!?」

 未だに爆発していない現状を鑑みるに、その可能性は低いかもしれない。だが万が一そのタイプだった場合、相手の指先の動きのみでこちらが吹っ飛ぶことになる。

 その隙を与えない為に、フィーは途切れることのない連撃で攻めているのだ。攻撃はゼノに集中している。この手のトラップは彼が得意とする戦法なのかもしれない。

 いずれにせよ、長く保つ戦い方でないのは明白だ。早く状況を打破しなければ。

(どうする……)

 地雷の解体などやったことはない。その知識もない。感圧式という前提なら、どういう対処が考えられる?

 圧を緩めなければ、ひとまず爆発はしないのだ。それなら――

「地雷と靴をテープできつく固定した後、靴底だけを切り離して脱出ってのはどうだ」

「テープは持っているんですか?」

「ないな」

「……トヴァルさん」

 そんな目で見るなよ。お兄さんも必死なんだ。

「遠隔操作式の可能性に賭けて、スイッチを押される前にダッシュしてみるのはどうだ。案外すんなり逃げられるかもしれん」

「その見解が間違っていたら?」

「死ぬな」

「……トヴァルさん」

 分かってる。言いたいことは分かってる。考えろ。今あるもので出来ることを。圧が浮かなきゃいいんだ。だったらこれでどうだ。

「どっちの足で地雷を踏んでるか分かるか?」

「異音がしたのは右足だった気が……」

「右だな。ちょっと待ってろ」

 トヴァルは辺りに散在する瓦礫の中から、大きめに砕けたコンクリートブロックの欠片を探し出した。両腕に抱えるほどの大きさ。重量もかなりのものだ。

 それを地面に下ろして、マキアスの右足の外側にピタリと密着させた。

「な、なにを?」

「いいか。今からこのブロックとお前さんの足を入れ替える」

「できるんですか!?」

「ちょっとずつずらしながらな。俺がブロックを押すから、その動きに合わせて動け。重心を落としたまま足を滑らすように。絶対に浮かすなよ。呼吸は腹式にして、なるべく回数も減らしてくれ」

「ま、待って下さい。心の準備が」

「準備中に吹っ飛んだらどうすんだ。腹をくくれ。……やるぞ」

「うわ、うわああ!」

 ブロックに添えた手に力を入れる。上から斜め下に押し込むイメージだ。ズッと音を立てて、ほんのわずかにブロックがずれた。

 まだいけるか。いや、焦るな。ゆっくりでいい。集中しろ。

 今までの人生で一番長い時間だった。冬だというのに、滴る汗が止まらない。

 押して、止めるの繰り返し。精神も削られる。

「半分きたな……もう少しだ」

 亀の歩みほどの鈍さだが、それでも確実に進んでいた。

「トヴァルさん」

「ああ、順調だ。心配するな」

「トヴァルさん、足が」

「ん?」

 マキアスの顔を見上げる。真っ青だった。

「足が……つりそうです」

 ぴくぴくぷるぷると、膝が細かく震えていた。

「ま、待て。あと半分なんだ。なんとか」

「それと」

 頬を引きつらせて彼は言った。

「腹の具合がその、芳しくありません。それも非常に……」

 下腹がギュルルと唸っていた。よくよく見れば、青くなった顔にあぶら汗が滲んでいる。

 当たり前のことだった。つい数時間前まで、相当の体調不良だったのだ。薬を飲んだだけで、万全のコンディションになるわけがない。おまけにこの極限の緊張状態だ。

「耐えるしかないぞ。それよりもここで足が浮くと全部終わっちまう。下腹に力を入れて重心を落とすんだ」

「いやっ、それは余計にまずいんですがっ」

 みるみる内にその表情から余裕が失せていく。虚ろな視線が宙を泳ぎ始める。「トヴァルさん、トヴァルさん、トヴァルさん……」などと、何かを懇願するように俺の名前をひたすらに連呼しだした。

 なんてことだ。これほど過酷なミッションは初めてかも知れない。

「………」

 急に静かになる。波を越えたのか。

 一瞬の安堵を感じた刹那、まるで何かを悟ったような、安らかな声音でマキアスは言った。

「チェックメイト」

 待て待て待て。

 しかし、その足はすでに浮いて――

 

 一閃した双銃剣が空を切る。

 この近間での連続した攻防はフィーといえども、かなりの体力と集中力を要する。その上、相手はゼノ。相手を引きつけておけるのも、そろそろ限界だった。

 リィンたちは三人がかりでレオニダスを相手取っているが、それでも押しきれていない。

「ずいぶん必死やなあ。仕掛けた地雷は、挨拶代わりのあれ一個や。怒ってるんか?」

「私に対してならともかく、仲間に余計な手出しはしないで」

「へえ……」

 仲間という言葉に、ゼノは反応したようだった。

「こんだけ距離を詰めてくるんは、あれが操作式の爆弾で、しかもスイッチを俺が持ってるかもしれんと思っとるんやろ」

 こちらの考えは読まれている。当然だ。罠使い(トラップマスター)の異名を持ち、しかも自分にそういった指導をしたのは他ならぬこの男である。

 これが顔合わせ程度の手合せということは感じていた。彼らが本気なら、むしろこの程度では済んでいないが――だからといって、あの地雷がダミーなどという半端は絶対にない。

「別に遠隔スイッチとかのタイプやないで。そこは安心したらええわ」

「どうだか」

 ゼノにもレオにも問い質したいことは多い。

 なにせ、今の今まで消息さえ掴めなかったのだ。それがいきなり現れた上、ろくに事情を説明するつもりもないときたものだ。

 この二人だけじゃない。みんなのことは心配していた。

 一年前、団のみんながいなくなってサラに出会うまで、自分は失意に暮れていた。

「………」

 口に出したことはないけど――あの時はつらかったんだよ。

 うまく言葉にできない。吐き出したい気持ちがあるけど、形になって出てこない。突然再会してやっぱり動揺しているらだろう、気持ちの整理も出来ていない。出来ていないけど――はっきりした理由も分からないけど

 ……珍しく、私は苛立ってる。

「よっと!」

 ブレードライフルの横薙ぎ。かがめた頭のすぐ上を刃が通り抜ける。同時に双銃剣の引き金を引いた。足下を狙って撃つ。武器を振った勢いを利用して、ゼノは射線上から素早く回避する。目標を逃した弾丸がアスファルトを弾けさせた。

「反応も狙いもええ感じや。一年ちょっと見ない内に成長したな。身長はまだまだやが」

 軽口を叩きながら、ゼノは距離を取ろうとする。させない。さらに飛び込んで一撃。こんどはライフルの銃身で受け止められた。

「ただまあ、手出しすんなっちゅうのは聞けへんな」

「?」

「今の雇い主は貴族連合でな。レオニダス共々、機甲兵の使い方とかを連中に指導しとる」

「そう」

 別に驚きはしない。意外にも思わなかった。団がなくなったとしても、猟兵なのだ。戦いの中で生きることは普通の感覚だ。

「今までどこにいたの」

「色々やな」

 やはりはっきりと答えない。

 飄々とした態度で攻撃も質問もかわすが、反撃の打ち込みには容赦がなかった。

 トヴァルとマキアスはまだなのか。彼らがトラップを抜けさえすれば、自分の間合いで戦える上に、二人も戦闘に加わることができるのに。

 攻め手は緩めないまま、二人のいる場所に目を向ける。

 爆発が起こったのは、まさにその瞬間だった。

 地面が破裂し、大気が激しく打ち震える。粉塵が巻き上がり、黒煙が立ち込めた。

「あ……」

 粉々に砕けたアスファルトの破片が振り落ちる中に、フィーは見てしまった。

 原型を留めないほどにひしゃげたそれが、踊る火の粉に巻かれる様を。不規則に回転するそれが、細かな輝きをばらまきながら宙を舞う光景を。

 魂の片割れともいうべき彼の眼鏡が、木っ端微塵に爆散していた。

「マキアス……?」

 

 

 

 ~続く~

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《魔獣珍道中②》

 

 ケルディック街道の外れ。人通りもない荒れたあぜ道を、二匹の魔獣――飛び猫とドローメが歩いていた。

 飛び猫はクロで、ドローメがルーダという名だ。

 マキアスを探して彼らが旧校舎を出てから、はや三日。二匹はようやくここまでたどり着いていた。

 もちろんマキアスの居場所など彼らには分からない。しかし、本能というべきか、野生の直感というべきか。クロたちは着実にマキアスのいる方向に向かって進んでいた。

 こっちにいるぞ、というのが何となく分かるらしい。

 ざわ、と不自然に近くの草むらが揺れた。二匹は動きを止める。

 クロは毛を逆立てて牙をむき、ルーダは触手を草むらに向けていた。これは警戒だ。

「シャー!」

 隠れてないで出てきな、遊んでやるからよ。クロはそんなことを言った、かもしれない。

「ギュニャッ!」

 気付いていたか、思ったより鈍くはないようだ。不敵に言い放ったような雰囲気で、草むらから一匹の魔獣が飛び出してきた。

 全身を茶色の体毛に覆われた小型魔獣、《畑あらし》だ。ケルディック近辺に生息し、畑の作物を荒らすことからその名で呼ばれている。

 ここは彼の縄張りだった。

「シャシャッー」

 この先に用がある。そこを退いてもらう。

「ギュニャーニャ!」

 ここを通りたかったらリンゴの一つでも置いていくんだな。

 多分、そんな会話をしていたりするのだ。

 相対し、にらみ合う畑あらしと飛び猫。強い風が吹き抜け、近くの木から枯れ葉が舞った。それが合図となったように、二匹は同時に動く。

「シャッ!」

 先制の跳び蹴りをクロが見舞う。畑あらしは飛び退いてかわした。反撃の体当たり。クロは素早く身を返し、それを避ける。

 滑空、旋回で畑あらしを翻弄するクロ。機動力は飛び猫が上だった。どうした、毛むくじゃら。動きが止まって見えるぜ――ぐらいは言っちゃってるだろう。

「ギュギュル!」

 劣勢の畑あらしだったが、クロが急接近した一瞬を見逃さず、勢いよく両足をばたつかせた。

 畑あらしの十八番、砂かけだ。視界を潰された上、細かなつぶてが体を擦過する。飛行姿勢を崩されたクロは地面に顔面から落下した。

 ダメージですぐに動けない彼に、畑あらしが迫る。過信と慢心が視野を狭めたな。その目障りな羽根をちぎって、ただの猫っぽい生き物に変えてやる――とか、そんな感じの目つきだ。

 爪をむき出しにして、畑あらしが跳躍する。しかし彼の攻撃はクロに届かなかった。

「キュギュッ!?」

 畑あらしの足に触手が巻き付いていた。ルーダだ。そのまま持ち上げ、畑あらしを宙吊り状態にする。

 おいたが過ぎるわね、坊や。今度は私と踊ってくれるかしら。ルーダはきっとそう言ったに違いない。

 逃れようとした畑あらしはじたばたともがく。その間にクロは体を起こしていた。

「シャーッ」

 飛びかかるクロ。宙吊りになった畑あらしの無防備な腹に、渾身の一撃。

「ギュムッ」

 止まらない。二撃、三撃と短い腕を打ち込み続ける。

「ホギュッ! ギュムゥッ!」

 四撃、五撃、六撃。もはやサンドバッグ状態だ。

 攻撃に合わせて、ルーダが触手をタイミングよく動かす。リズムに乗りつつ、ワン・ツー・スリー・フォー、ロケンロール! ……などとはさすがに言っていなさそうだが――これが慈悲のない自然界のルール。やるかやられるかだ。

 八撃目が入ったところで、「ギュムルルゥ……」と、とうとう畑あらしは降参した。許して下さい、仲間に入れて下さいの意である。

 触手の拘束から解かれ、ポイっと投げ捨てられる畑あらし。

 ほどなく、クロとルーダは先の道を進んでいた。

 その時、不意に大気が震える。人間ならまず気付かない程の微細な振動だった。それがガレリア要塞で爆発した地雷の音であると、この二匹の魔獣には知る由もなかったが。

 遥か遠くから風に乗って届いたのは、懐かしいコーヒーの匂いと、何かが焼け焦げたような臭い。

 不吉を孕んだ風を身に受けながら、クロとルーダは言い知れぬ不安を感じていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 




いなくなってしまった眼鏡(マキアス)のこと


     時々でいいから


        思い出して下さい




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