虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第77話 流転する日々(後編)

《体育会系クッキング④》

 

「足の調子はどう?」

「まだちょっと痛いけど、普通に歩く分には問題ないわ」

 夕食の下準備にかかるニコラスが問うと、エミリーはそう答えた。

 気遣ってもらえたことが嬉しいのか、地面に敷いたシートに座ったまま足をパタパタと動かしている。

 数日前のこと。森に食料を探しにいった際、彼女は不注意から足をくじいてしまっていた。それからはニコラスが食材調達から調理までを一人でこなしている。

 林道の外れ。幸い近くに導力灯があったので、二人はここにテントを張って拠点にしていた。陽の落ちかけた夕暮れである。

「今日は何食べたい? 可能な限りリクエストにお応えするよ」

「なんでもいいわ。ニコラス君の作る料理はどれも美味しいもの」

「嬉しい褒め言葉だけど、作り手としてはやっぱり希望を言って欲しいかな」

「そう? だったら魚のムニエルが食べたいわ。前菜と合わせてコースで」

「ごめん、魚はないんだ。ムニエルなら小麦粉とバターもいるんだけど、それもない」

「わかってる。冗談よ。本当になんでもいいの」

 おかしそうにエミリーは笑った。最近は砕けた会話もするようになってきている。

 足をくじいて動けなくなっていた時、彼女は魔獣に襲われた。そこに間一髪でニコラスが助けに入って事なきを得たのだ。

 その時を境にエミリーの態度が少し変わった。

 元々良好な関係ではあったが、彼女からニコラスに声をかけることが増えている。

「それじゃあ、さっそく用意するから、ちょっと待ってて」

「はーい」

 ニコラスは簡易の調理器具をセッティングし、保管袋から必要な食材を取り出した。

 キクイモの根を香草で蒸し、カラシナの葉とヒラタケを塩コショウで炒める。全てニコラスが採取してきたものだ。冬でも山や野草地帯には食べられるものがちゃんとある。

 ほどなく、有り合わせの材料で作った夕食ができた。

「ん! おいしー!」

「気に入ってもらえて良かったよ。本当はそろそろ肉が食べたいけど、仕掛けた罠には何もかかってなかったし」

「残念ね。なに捕まえるつもりだったの?」

「野うさぎとか」

「そんな可愛い動物を捕るなんてかわいそう! ……とか言えたら女子らしいんだけどね。食べたいわ、うさぎ」

「高たんぱく低脂肪だからね、うさぎ」

 栄養素も味も鳥と似ている。だからうさぎも一羽二羽と数えるのか、それは定かではないが。

 食べ終わって、後片付けも済む。完全に夜になっていた。この暗闇では、もう下手に行動できない。あとはテントに戻って、朝になるまで休むのみだ。

 が、すぐに動こうとせず、エミリーはシートの上に寝転がった。

「ニコラスくん、上を見てみて。今日は雲がないから、星がきれいだわ」

「本当だね。満天の星空だ」

 果てない闇夜の海に、無数の宝石が散らばっている。どこまでも、どこまでも輝いていた。

「……ねえ、これからどうしようか」

「うん。僕も考えてる」

 このまま現状維持で生活するのは、二人にとって難しいことではなくなっていた。ただそれでは無為の日々の繰り返しだ。

 学院を自らの意思で出たからには、なにか有益なことをしたいと思っている。

 各地を巡る中で、情報収集はしていた。特に貴族連合の防衛線に関しては、裏道から直に確認したりしているので、かなり詳しいところまで把握している。しかしそれを伝え、活かせる場所がない。

「《紅き翼》に乗れたらねー。あれって学院関係者よ、絶対」

「グラウンドに降りてたこともあるし、そうだと思う。オリヴァルト殿下の艦だっけ」

 道端に捨てられていた帝国時報の記事から、カレイジャスの活動については二人も知るところだった。領邦軍の不当な検閲のせいで、ほとんどが否定的な記事に差し替えられてはいたが。

「学院を出る時に技術室から通信機なんて持ってくる頭はなかったし、こうなると偶然頭上を《紅き翼》が通るのを期待するしかないかなあ」

「それはさすがに確率低過ぎない? というか通信機は頭になくても、調理器具は忘れないのね。おかげで助かってるからいいんだけど」

 ニコラスたちが言う通信機とは、Ⅶ組が所有する《ARCUS》などのオーブメントではなく、固有の導力波を発する携帯機器のことだ。

 精度はそれほど高くないが、近辺の受信機に音声を飛ばすこともでき、主には災害時や遭難時に効果の期待できる、まだ一般には普及されていない軍事機器である。

 ちなみに技術室に保管されていたそれらは正規の品ではなく、導力学の授業で使うマカロフ教官のお手製だったりする。なお、性能は正規品より優秀だ。

「こんな夜空を眺めてると、色々思い出しちゃうわ。なんだか部活が恋しい。みんな元気かな……」

「エミリーさんって確かラクロス部だっけ?」

「そ。キャプテンよ。素振りの指導から折り合いの悪い後輩の面倒まで、なんでも来なさいって感じ」

「僕も後輩のケンカの仲裁はよくしてたな。お互い苦労してるね」

「ニコラスくんのは笑って済ませられるレベルじゃないと思うけど……」

 マルガリータとミリアムである。ひとたび諍いを起こせば、調理室が半壊するほどだった。

「学院か。やっぱり懐かしいな。ほんの二ヶ月ぐらい前のことなのに、ずっと昔の出来事みたいに思える。本当ならあと四ヶ月ちょっとで卒業だったんだよね」

「卒業……できるかしら」

「こんな状況だし、どうだろう。仮に学院に戻れてもカリキュラムや単位の都合もあるし。そこはもう教官方の采配に任せるしかないけど」

「そうね。ニコラスくんは卒業したらどうするつもりなの?」

 話題は進路のことに移った。

「まだなんとも……けどやっぱり料理には携わっていたいかな。できれば色々なところを巡りながら、そこでしか手に入らない食材を調理したいんだ。エミリーさんは?」

「私もはっきり決めてないんだけど、軍に入ろうとは思ってたの。憧れてる女性士官の方がTMPにいてね。その影響で」

「鉄道憲兵隊に? すごいな、精鋭部隊じゃないか」

「いきなり配属されることはないけどね。ただ目指したいとは思ってるわ。とりあえず事務方に回されるのだけは勘弁よ」

「エミリーさんらしいなあ。……お互い卒業しても、この街道生活の経験が活かせればいいね」

 各地を回るサバイバル生活。生きることへの執着とその手段は存外得難く、それだけにどの世界でも役に立つ。軍に入るならば、特に有用なスキルでもある。

「うん、お互いがんばろう。卒業したら……しても、たまには会いましょ」

「もちろん。その時は腕の上がった僕の料理を食べてもらうよ」

 草木を揺らして、冷える風が吹き抜けていく。

 夜空にオーバルエンジンの音がした。すぐ近く、頭上だ。闇を割くようして、紅い船体が悠々と飛んでいる。

「《紅き翼》!? 言ってたことが本当になっちゃったわ!」

「おーい!」

 二人はめいっぱいに両手を振る。

 カレイジャスは低空飛行していたが、そのまま通り過ぎてしまった。

「気付かないか……それはそうだろうけど」

「大丈夫よ」

 肩を落とすニコラスの前に出たエミリーは、火を灯した木の棒を高く掲げている。とっさに導力コンロを使ったらしい。

「SOSを伝える手段はいくつもあるわ。これは手旗信号の一種」

「いや、すぐに行っちゃったし、気付いてなさそうだよ」

「そこは運次第かしら。でも私たちって実力もだけど、運だって持ってる方だと思うの」

「なんでそう思うんだい?」

「こんな状況で、今日まで五体満足でやって来られたんだから」

 行き過ぎたカレイジャスが遠くで旋回した。サーチライトで路面を照らしながら、二人のいる場所に戻ってくる。

「ね? ちゃんと観測士が仕事してるみたいよ」

「ははは、エミリーさんには敵わないなあ。君にはいつも助けられてばかりだ」

「その台詞はそのままお返しするわ。ともかく街道生活もようやく終わり」

 カレイジャスが高度を下げてきた。強い風がテントを飛ばしそうになっている。

 エミリーは赤みがかったショートカットをかき上げた。

「これまでありがと。これからもよろしくね!」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《グランローゼのバラ物語 chu!⑤》

 

 その日の昼過ぎ。アリサとミリアムは黒竜関を訪れていた。現状査察をトワに頼まれたのである。

 敷地中の路面が砕け、地面は焼け焦げ、そこかしこに激しい戦闘の跡が残っている。

 その惨状にミリアムが目を丸くした。

「わー。これ元通りにするのにどれくらいの時間がかかるかな」

「さあ。瓦礫の撤去だけでも相当よ。それにいくつかややこしい問題もあるし」

 関所の所有権は正規軍に戻った状態だが、この後片付けはゲルハルト率いる領邦軍にさせるのだろうか。多分そうなるはずだ。

 思いつつ、アリサは敷地内を見渡した。

「機甲兵の残骸が混じってるのが面倒なのよ。当然この辺りの資材を正規軍は領邦軍に戻したくないけど、原状回復費を持つのは領邦軍でしょうしね。おとなしく言うことに従うかしら。余計な確執が生まれないことを願うばかりよ」

「それはアリサのせいでもあるんじゃないの? 機甲兵を何機破壊したか覚えてる?」

「いちいち数えてるわけないでしょ。……七機くらい?」

「十五機だって」

 ヘクトルなどの隊長機はリィンが相手してくれていたが、単純な総撃破数だけで言えば、アリサとレイゼルの方が多かったりする。

 アリサは黒竜関の正面ゲート前に視線を移した。あの場所でヴァルカンの繰るゴライアスと戦ったのだ。

 そこに見える一際大きな地面の焦げ跡は、その巨体が自爆した時のものだ。

 ヴァルカンとリィンの最後のやり取りは、アリサも聞いていた。ヴァルカンは人生に区切りを付けることを望んでいた。強く望んでいた。その彼をコックピットから引き出すことは、どうやっても、誰にも無理だっただろう。

 もし可能性があったとしたら、全ての決着よりわずかに遅れてやってきたクロウだけだったのかもしれない。

「……クロウ、なにを持って行ったのかしら」

「え?」

「ううん」

 あの時、ゴライアスの残骸に跪くオルディーネは、そこから何かの部品を回収していた。とても小さなパーツだったので、それがなんだったのかアリサにも判別できなかった。

「ねえ、ご飯食べて行かない? あそこ、ほら」

 ミリアムがぴょんぴょん飛び跳ねる。関所に併設された食堂があった。

「こんな状態で開いてるはずないでしょ。……あら」

 いい匂いが漂っている。忙しなく働く従業員の声も聞こえた。

「うそ、開店してる。ほんとに商売する人ってたくましいのね」

「あはは。さっそく入ろうよ。アリサのおごりで」

「ええ? なんでよ!」

「お小遣い持って来なかったんだもん」

「それなのに食事に誘うってどういうこと……あ、ちょっと待ちなさいってば!」

 呼び止める声に構わずに、ミリアムは食堂に入ってしまった。

 観念したアリサも続き、店内に足を踏み入れ、そして一歩目で硬直する。

「追加オーダー! ローストチキン三人前!」

「無理無理! 追いつきませんよ! オーブンだって他の料理で使ってますし!」

「肉だ! なんでもいいから肉を焼け!」

「ちょっと盛り付け手伝ってよ!」

「もう皿に乗ってりゃいいって! つーか食材のまま出しちまえ!」

 店の中は戦場だった。

 しかし満員御礼というわけではない。四つテーブルをくっつけた急ごしらえの大卓で、山のように積み上げられた皿に囲まれているのは、たった一人の客だ。

「え゛」

 アリサが低い声をもらし、「あ、マルガリータだ」と、ミリアムが災禍の中心を指さす。「ムフォッ!」と、あきらかに中骨のある魚を頭から丸のみすると、見目麗しきマルガリータ・ドレスデン嬢は二人に肉厚の顔を向けた。

「あらあん。ミリアムとアリサさんじゃなあい」

「お、お久しぶり。こんなところで出会うなんて。あなたも学院を出ていたのね」

「そうよお」

 ビリビリと腹の底が震えるほどのヘビーな声量。

 料理を運ぶホールスタッフたちが「オーダー以外で人語を話されたぞ……!」と、驚愕にどよめいている。

 ざっくりした経緯を聞くに、学院を出たはいいが街道で迷い、あちらこちら放浪した末にたどりついたこの食堂を宿代わりにしているとのことだった。持ち金は十分にあるそうだが、店の人たちの顔から察するに、そういう次元の話ではないらしい。

 まさか先の戦闘中もここにいたのだろうか。いや、さすがにそれはない……か?

 同じ調理部であるミリアムは、なおも食べ続けるマルガリータに軽い口調で言った。

「そんなに食べたらさー、今以上に太っちゃうよ?」

「ミッ、ミリアム!」

「このガキャア……」

 アリサは慌ててミリアムの口を塞いだが、遅かった。

 がたんと椅子が後ろに倒れる。ゆらりと席を立ったマルガリータは、口から「ゴパア!」と熱気のかたまりを吐き出し、すでに鉄球のような拳を握り固めていた。

 押し寄せる圧力に、皿という皿が木っ端微塵に砕け散る。

「ああ、レイゼルで来れば良かったわ……」

 嘆くアリサと反対に、ミリアムは落ち着いていた。

「マルガリータはカレイジャスに来ないの?」

「この状況で説得してどーするのよ!」

 返答もなく、拳が振り上げられる。本気になった彼女の一撃なら、店が跡形もなく消し飛んでしまう。もれなく損害報告書に追記だ。

「逃げるわよ!」と、アリサが腕を引くが、ミリアムは動かなかった。アガートラムを出そうともしない。

「ボクわかるよ。ヴィンセントの為なんでしょ。学院を出たのも、ここでご飯を食べ続けてるのも」

 ピクリとマルガリータが反応した。

「いつかヴィンセントの力になれるように力を蓄え続けてるんだよね」

「……ヴィンセント様は今もどこかで戦っていらっしゃるわあ。将来の妻たる私が側に駆けつけ、お力添えするのは当然のことよお」

「え? ちょっと待って」

 アリサはとっさに割って入った。

「私たち、各地を回る中で多くの学院生に出会ったわ。けどヴィンセント先輩には会ってない。あれほど目立つ人なのに、情報さえ入っていないのよ。もしかして先輩、まだ学院にいるんじゃないかしら」

 つまりマルガリータの思い違いだ。だが下手を言って地雷は踏みたくない。

 アリサは慎重に言葉を選んで続ける。

「ほら先輩ってお優しい人じゃない? なら敵を倒しに戦線に出るよりも、みんなを守るために学院に残った可能性の方が高いわ。フェリスもいたんだったら、なおのことよ」

 この説得は当たりか、はずれか。息を飲み、アリサは最悪の事態にも備えた。

 ブッシュウッー! と、多量の熱気がマルガリータの鼻から排出される。蒸気の尾を引いて、拳がゆったりと降りてきた。

「確かに……ヴィンセント様は慈愛に満ちた方だしぃ、学院の民草をお守りになっているに違いないわあ」

 当たりだ。

「そうよ! だから――」

「なんであなたがヴィンセント様のことをそんなにわかるのかしらねえ? ……まさかあ」

「違う違う違うから!」

 そんなややこしい勘違いはまっぴらごめんだ。アリサは首をぶんぶんと横に振る。

「まあいいわあ。カレイジャスとかに乗ってあげるわよお。どうせトリスタに行くんだしい」

「乗るのね……それはそれでアレだけど……。とりあえずお会計してきてくれる?」

「グフッ、ヴィンセント様、お待ちになっていてえん」

 艶やかなくちびるがニンマリと歪むのを見て、アリサは不穏な思惑を感じ取っていた。

 横からミリアムが袖を引っ張ってくる

「ねえねえ、ボクたちのご飯は? ここで食べて行かないの?」

「いや無理でしょ」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《――合わせ鏡に映るのは――》

 

「完全な修復にはどの程度かかりそう?」

 メンテナンスハンガーに収まるケストレルを見上げたスカーレットは、右目を隠す眼帯にそれとなく指を這わせた。

 立ち入り禁止のテープが張られた一帯の中では、複数の整備員が忙しなく赤い機体に取り付いている。

「急ピッチで進めておりますから、あと数日といったところかと」

 作業の手を止めて近付いてきた白衣の男は、彼女にそう説明した。白髪の混じる初老の彼は、整備開発部の総括役だ。《パンタグリュエル》の設計にも参加していたと聞く。年齢と立場の割には丁寧な人というのが、スカーレットの印象だった。

「長距離狙撃装備にした《ケストレル・スルーズ》に攻撃を届かせるだけでなく、その右半身まで吹き飛ばすとは……報告を受けた時は正直あり得ないと思いました」

「そうね。撃たれた時は私も何が起こったのか分からなかった。意図してコックピットを避けたのだとしたら、なめられたものだけどね。戦闘データと一緒に録画映像も回しておいたけど、もう見てもらえた?」

「画像解析に時間がかかりまして、つい先ほど」

「1・8セルジュ離れてたんだから、解像度の低さは我慢してよ。で、あなたはあの朱色の機甲兵をどう考察するの?」

「は……」

 わずかに言葉を詰まらせた彼は、一拍の間のあとで「異常です」と告げ、右腕部の取り換えに入ったケストレルに視線を転じた。

「他を翻弄する圧倒的なスピード。フォルムからは想像できないパワー。さらに機体自体を一つのオーブメントに見立てて、翠耀石をその機構に組み込んでいますね。断片的な映像から推察するだけでも、確実に既存の機甲兵のスペックを遥かに凌駕しています」

「完全なワンオフ機というわけね。それにしてもあんなもの、いつの間に開発していたのかしら。正規軍から受領したとかだったら、《紅き翼》の意義を貶めることもできるんだけど」

「それはわかりませんが、あれの素体はシュピーゲルです。ところどころに機体本来の癖も窺えます。大方鹵獲したものを改修したのでしょう。操縦席周りのシステムロックを解除したというのは考え難いことですが」

「元がシュピーゲル? それはおかしい話に思えるけど」

「あの出力のことですね。予想ですが、新型のオーバルエンジンが搭載されています。おそらく二台が相互に連動するタイプの。そうでなければあれほどの高出力と持続力は両立できません」

「連立式……なるほど」

 彼は一流の技術士だ。限られた戦闘データからここまで的確に分析するのは、さすがと言える。そんな彼でも、G・シュミットから機甲兵開発の全権を移譲された際は、その複雑な整備方法にひどく頭を抱えたそうだが。

 全権の権限委譲と言えば聞こえは良いが、その実情は丸投げである。以降の開発も、協力も、助言でさえ、シュミット博士は取り合わなかったという。

「あのお嬢さんの機甲兵とやり合うには、単なる修復じゃ無理ってことね」

「お嬢さん?」

「こっちの話。そうね、だったらケストレルのエンジンも強化してもらえる? そうすれば少なくとも出力は並べるわけだし」

 彼は首を横に振った。

「相互連動するエンジンなど、そう簡単には作れない。それこそシュミット博士と同レベルの高い技術力と発想力がなければ」

「あなたには不可能ってこと?」

「恥ずかしながら」

「だったら連立式じゃなくていい。並列式ならできるでしょう。今すぐに取り掛かって」

「そ、それはいけません! 確かに出力は増しますが、完全に規格外の仕様です。安全性が保障できない上、いつゴライアスと同様のオーバーロードを起こすか――」

「私は相談してるわけじゃないの」

 スカーレットの左目が凄みをもって細まる。彼は口をつぐまざるを得なかった。

「力と速度を両立させた上で、こちらも機体に七耀属性の一つを宿す。ケストレルをあの朱の機甲兵と同格以上にして」

 そう切り上げて、踵を返す。せめてもの抵抗なのか、「改修用の部品がありませんよ!」と追いかけてきた声に「ゴライアスの予備パーツがあるでしょ」と、振り返りもせずに一蹴したスカーレットは、絶句した気配を背にその場を遠ざかった。

 安全性など求めていない。その場で燃え尽きてしまうようなブースト強化で構わない。

 どうせ次の出撃を最後にするつもりなのだから。

 

 ●

 

「来たか。どこ行ってたんだ?」

「整備ドック。ケストレルの修復具合を見てきたの」

「ああ」

 指定の時間より遅れてきたスカーレットに、クロウは大仰に肩をすくめてみせた。

「こっぴどくやられたもんな」

「うるさいわね。あんなのが出張ってくるなんて想定外よ。いったい誰が開発したのやら」

「そんなのグエン・ラインフォルトだろ」

「どうしていきなりその名前が出てくるわけ?」

「どうしてって……アリサが操縦してたんだろ。って、お前は知らないんだったか?」

「アリサ……? あのお嬢さんの名前?」

 スカーレットは要領をつかめないらしく、細い眉をひそめている。学院潜伏中の報告書には、Ⅶ組のプロフィールも一応記載しておいたはずなのだが。

「アリサ・ラインフォルトはグエン・ラインフォルトの孫娘だ」

「え、そうなの!? あー……合点が行ったわ」

「ノルドで機甲兵が鹵獲されたって知った時、嫌な予感はしてたんだよな。なんか見落としてるって感じが、ずっと頭のすみに引っ掛かってた」

 その正体がこれだ。

 ノルド地方にグエンがいることは知っていた。帝国を代表する叡智の持ち主が、手に入れた機甲兵をそのままにしておくはずがなかったのだ。

 まさかハイエンド仕様に改修した上、孫娘本人に託すとまでは想像できなかったが。

 加えるならアリサ自身の操縦技術も生半可じゃない。機械への理解は幼少からの努力で、それを操るセンスは天性のものだろう。

「正規軍からの譲渡にならないよう、じいさんから孫娘へのプレゼントってことにしたんじゃねえか。スケールのでかい贈り物だな」

 じいさん、と口から出た言葉が、ふと懐かしい感情を揺さぶった。

「だとしても間接的な正規軍の加担は明らかね。つつけば出てくるものもあると思うわ。内部パーツ調べれば一発よ」

「それこそ、あの機体を捕らえでもしないと無理な話だ」

 一応言ってみた程度だな、とクロウは察する。今さら正規軍の加担どうこうを気にしてはいまい。半分は関係ないことと、一歩離れて見ている節がある。

 ここはいくつかある通信室の一つだった。蒼の騎士からの命令ということで、今は一時的に人払いをしてある。

 話に区切りがついた頃合いで、スカーレットの目が近くのデスクに移った。

「……それが、そうなの?」

 そこに手のひら大の金属箱が置かれている。表面は焼け焦げ、角は少しへこんでいるが、それでも立方体としての形を保っていた。

「そう、ゴライアスのブラックボックス。オルディーネのスキャンで探し当てて、あの場から回収したもんだ」

 特殊型を含む機甲兵の隊長機モデルには、このブラックボックスと呼ばれる装置が搭載されている。

 戦闘データを自動で記録し、CVR(コックピットボイスレコーダー)としての機能も兼ねたものだ。非常に頑強な外装に覆われているのは、その目的から大破した後でも回収できるようにという理由による。

「もう中身のレコーダーは抜き取って、読み取り専用の機器に接続してある。熱で周りが溶け固まってたみたいでな。開けるのに時間がかかっちまった」

「これを聞くのは私たちが最初?」

「だな。そう手配しといた」

 クロウは通信室のコントロールパネルを操作した。カリカリと音がして、データのローディングが始まる。

 少しすると音声が再生された。

 ザザザと砂嵐のような音だけが続く。複数のダイヤルを調節。ノイズを小さく、声を大きくしていく。

『――前は、ロウやスカ――—を…――っているのか』

 雑音に混じって聞こえる太く低い声。リィンとの会話のようだったが、ほとんど聞き取れない。

『――う――しか、できなかっ――』

 データが欠損しているのだ。ブラックボックスを覆う防護板は、機体が全壊しても耐えられるよう相当強固に作られているのに。耐荷限界を超えるほどの凄まじい爆発だったのだろう。

『来い! 早く!』

 唐突にリィンの声が弾ける。ヴァルカンを助けようとしているのか。迷わず手を伸ばす彼の姿が容易に想像できた。どこまでもあいつは変わらない。

 だが。

『俺はここでいい』

 はっきりと聞こえたその言葉。

 わかっていた。ヴァルカンが自分で自分を終わらせたことは。

 再生の残り時間を見るに、今のが彼の最後の言葉。そう思ったが、

『お前は――』

 まだ続く。しかしそこで一際大きなノイズが走り、そして沈黙した。ゴライアスが爆発したのだ。

 しばしの静寂のあと、スカーレットはうつむけていた顔を上げた。

「……なにを言おうとしたのかしらね」

「さあな。データの復元ができないかは、技術部に確認しとく。また時間かかりそうだが」

「そうね。できれば聞いてあげて」

「俺一人で聞くのかよ?」

「ケストレルの改修が済み次第、私はパンタグリュエルを離れるわ。バリアハート方面、オーロックス砦にね。ヴァルカンの役割を引き継いでの査察役よ」

 バリアハート方面というならアルバレア公爵か。最近どうも動向が気になる。威光の陰った権力者というのは、その復権を急くあまり、得てして選択を誤りがちだ。自滅するだけなら捨て置きもするが……。

「じゃあね」

「おう」

 短い別れの挨拶。またね、ではなかった。

 一人になった室内で、クロウは席に座る。もう一度音声データを再生してみるも、やはり同じところで途切れてしまった。

 その先のデータは単に破損しているのか、それとも言う前に終わったのか。

 ヴァルカンの言った“お前”は、俺のことだ。

 あの時、オルディーネの(ケルン)越しに、あいつと目があった気がした。距離は離れていたが、確かに向き合っていたと思う。

 しかし、言葉は交わせなかった。

「……結局、ケンカ別れになっちまったな」

 戦うばかりで傷だらけだった人生の最後に、お前は何を言い遺そうとしたんだ。

 もう問い質すことさえできない。

 

 ●

 

 窓の外には清潔感のあるテラスがあって、さらにその向こうには短く刈り込まれた芝が広がっている。

 窓から眺める何気ない景色一つをとっても、非の打ちどころが見当たらない。

「映えのない景色ですみません。春になれば花壇も賑わうのですが……」

 それでも申し訳なさそうに言うセドリック・ライゼ・アルノールは、ふわりと湯気の立つティーカップを卓上に置いた。

 恐縮の極みで、エリゼは頭を下げる。

「本当に申し訳ありません。殿下にこのようなことを……」

「あはは、気にしないで下さい。僕からお誘いしたわけですし」

 今日のエリゼは午後から休みだった。シフト式であてがわれた半休である。

 セドリックに声をかけられたのは、清掃用具を片付け、午前の持ち場である中央棟から私室のある西棟に戻ろうとした時だ。『じきゃっ、時間が空いているなら、こ、この後のティータイムにちゅきっ、付き合ってもらえませんきゃっ……か』、と何度も台詞をかんでのお誘いだった。

 用事もなければ断る理由もなかったエリゼは、その足でセドリックの滞在する貴賓室を訪れるに至ったのだ。

 塵一つない絨毯が敷かれ、高級な調度品に彩られた部屋に二人きりである。

「味はいかがですか?」

「とても素晴らしいです」

 世辞ではなかった。

 湯の温度、葉を蒸らす時間、注ぎ方。きっちりと基本に沿った紅茶の淹れ方を実践している。

 彼はとても紳士的だった。

 エリゼを席につかせると、手づから茶菓子もカップも用意した。もちろんそのまま座り続けるなどあり得ないエリゼは、自分が代わると申し出たのだが、セドリックはにこやかに笑いつつも応じてくれなかった。

 厚意とはわかっていたものの、皇族付きの侍女としての立ち振る舞いを学んできた身としては、なんとも落ち着かない。

「殿下はコーヒーなのですね。 あら、それにブラックを……?」

「え、ええ。なにかおかしいですか?」

「いえ、姫様からセドリック殿下はコーヒーを好まれないとお聞きしたことがありまして。飲むにしてもミルクと砂糖はかなり多めに――」

「そんなことはありません!」

 強めにセドリックは否定した。

「アルフィンはいつも僕のことを子供扱いするんです。飲めますよ、飲めるんですよ、ブラックコーヒーくらい。僕も十五歳になりました!」

「し、失礼しました。あの……私も十五ですけど、コーヒーは苦手ですよ?」

 ユミルでマキアスに挽き立てのコーヒーを飲ましてもらったことがあるが、あまりの苦さに目を見開いてしまったものだ。

 別にコーヒーが飲めないから子供というわけではないと思うけど……。

 年齢に関しては一応フォローのつもりでそう言ったのだが、セドリックは「僕は男ですから!」と、息を巻いてブラックコーヒーをぐびりと喉に通した。

「うぇ……」

 たちまち渋いしかめっ面になる。

「無理はなさらない方が……」

「うん、おいしいです。けふっ」

 そう言うのであれば、これ以上は何も言わない。

 セドリックとアルフィンは、双子ながら性格が離れている。人目を集めやすいアルフィンに対して、セドリックはどちらかと言えば引っ込み思案だ。口ゲンカでアルフィンに勝ったところも見たことがない。完全な決着がつくまえに、自分が仲裁に入るというのもあるが。

 年頃であれば対抗心も湧く。苦めのコーヒーで背伸びをしようとするのは、そういうことだろうか。

 セドリックはケフケフむせ込みながらも、どうにかコーヒーを飲み終えた。胃のあたりをさすりながら、彼は言う。

「お仕事で困っていることはありませんか? 何か力になれるなら、遠慮なく言って下さい」

「お心遣い感謝します。今のところ順調……はい、順調です」

 一瞬あの三人組――というかセラムの顔がよぎったが、表情には出さずにそう答える。彼女だけは相変わらずエリゼを目の敵にしている。それで困ることはないが……まあ、気は遣う。

「殿下こそ不自由はありませんか? 保護という名目とはいえ、これは――」

「わかっています。軟禁ですよね」

 今のは失言だったかもしれない。内心焦ったエリゼだったが、セドリックは気にした様子もなく会話を続けた。

「実は先だって連絡がありまして、カイエン公が近々僕に会いに来るそうです。見てもらいたいものがあるとのことで」

「見てもらいたいもの……?」

「それが何かはわかりませんが、いずれにせよ彼とは一度話がしたいと思っていました。これ以上無意味に戦禍を広げることなく、早急に内戦を収束させるよう働きかけるつもりです。どうにか正規軍の代表との会談の席も設けられたら良いのですが……」

 カイエン公爵。パンタグリュエルで対面したあの男の目は、未来を見据えたように語る口とは裏腹に、奥の見えない濁りがあった。直感が信用のできない相手と告げている。

 ユーゲント皇帝とプリシラ皇妃を差し置いて、セドリック皇太子に直謁見する理由はなんだ。

「エリゼさん?」

「あ、いえ。殿下のお気持ちがカイエン公に伝わることを、私も願っています」

 胸中に湧いた不穏な予感は押し隠し、エリゼは笑顔でそう答える。

 頬をほのかに赤らめたセドリックは、茶請けのクッキーを口の中へと放り込んだ。

 

 

 その後も取り留めのない話をし、長めのティータイムが終わった時には夕刻になっていた。

 中央棟を出たエリゼは庭園を迂回しながら西棟に向かっている。そろそろ日勤を終えたリゼットが戻ってくる頃だから、夕飯の支度をしないといけない。

 彼女は残業をしないから、いつも大体同じ時間に帰ってくる。曰く『上司がだらだら残ってたら、部下が帰りにくいだろ』だそうだ。

 副隊長となった彼女の人望が、厚いのか否かはわからない。ただ、うまく立ち回っているのだろうとは思う。

 今日の献立はなににしよう。リゼットが厨房から拝借してくる食材のおかげで、メニューには困らない。

「よう」

 庭園の中程を過ぎた時、不意に声をかけられる。振り返ると、風に揺れる銀髪を、沈みかけた夕日が暗い赤に照らしていた。

 にっと笑うクロウ・アームブラストが、気さくな仕草で近付いてくる。

「久しぶり――ってほどでもないか。変わりないか?」

「おかげさまで」

「そいつはなによりだ」

 ここカレル離宮への移動にあたり、最大限の便宜を図ってくれた人。それは理解していたが、どうしても警戒の姿勢は解けない。

「私に何か用ですか」

 距離を取るつもりの第一声を言い放ち、臆さない視線をクロウに向ける。

 あなたは敵。姫様とセドリック殿下を引き離すきっかけを作った敵。兄様たちがあなたをどう思うか知らないけれど、少なくとも私にとっては。

「ルビィに会いに来たんだよ。ビーフジャーキー持ってな」

 ほれ、と右手の小袋を持ち上げてみせる。

「どうしてルビィちゃんはあなたに懐くのでしょうね」

「犬にしがらみは関係ねえからな」

 相変わらずの態度と掴めない言動。自分に用事があったわけではなさそうだ。ならば早々に退散しよう。

 クロウに一瞥を残して歩き出そうとし、ふとその表情に目が留まった。いつもと変わらず、むしろいつもより軽薄に笑んでいる。

 けど。

「……もしかして、元気ないんですか?」

 かすかに驚いた表情になって、クロウはエリゼを見返した。

「なんでそう思う」

「なんとなくですけど、雰囲気でしょうか」

「……お前の兄貴って朴念仁だろ。色々鈍いし」

 急に変わった話に訝しみつつも否定はしきれず、「それはまあ、はい」と、エリゼはつい肯定した。

「でも相手の心情を察する力は、きっちり備わってた。やっぱ兄妹か。そういうとこ似てるぜ」

「じゃあ元気ないんですね」

 無言を返答にしたクロウは、近くのベンチに腰かけた。すぐに帰る気は失せ、エリゼもそのとなりにちょこんと続く。

 何かあるのかと思いきや、会話はそれきりだった。彼は遠くの空を眺めている。

 その横顔をちらりと見て、エリゼは言った。口に出すかどうか、迷っていた問いだった。

「あなたの戦う理由を教えてください」

「またいきなりだな。知ってどうする」

「事情を理解せずに、悪い人と決めつけるのもどうかと思っただけです」

「どんな事情があろうが、悪い人っつー事実は動かんだろ」

「理解した上で、悪い人にします」

「はっ」

 本当はずっと気になっていた。単なる悪と括れないこの人の背景を。

 彼の言う通り、知ってどうなるものでもない。それでも知るべきと感じる自分がいる。

「いいぜ」

「こちらから質問していてなんですが、いいんですか?」

「先に言っとくが大した話じゃない。ありふれた話の一つで、それを許容できたか、できなかったかってだけの話だ」

 そう前置きして、彼は静かに語り始めた。

 

 ●

 

「遅いよ! 今日午後休って言ってたじゃん。あたし飢え死ぬよ!?」

 私室の扉を開くなり、そんな声が飛んできた。寝転がっていたベッドから半分身を起こし、先に帰っていたらしいリゼットが恨めしそうな顔をこちらに向けている。「ごめんなさい、すぐに夕飯の支度をしますから」と、手荷物を置いて、エリゼはキッチンに移動した。

 まだ献立は決まっていなかったが、適当に何か炒めよう。炒め物はそれだけで料理だ。野菜と肉が入っていたら、とりあえず文句はでないだろう。

 まな板に食材を並べ、包丁を取り出す。淡い照明を反射する鈍色の刃が、ふとクロウの銀髪と重なって映った。

 彼の過去を知った。

 引き金の理由を知った。

 聞いて良かったとも、聞かない方が良かったとも、半分ずつの感情がない混ぜになってしまっている。

 どんな経緯を聞いたとしても同情するつもりはなかったし、彼自身がそんなことを望んでいないのもわかっていた。

 許せない気持ちは変わらない。ただ憤懣をぶつけるだけの対象としては、もう見られない。

 Ⅶ組の人たちには、もちろん兄様にも一切なにも伝えていないという。『それこそ言ってどうなる話でもないし、話したら今のお前と同じ顔をするだろ』と、彼は私の頭を軽く叩いた。

 嫌な気持ちにはならなかった。ただ思いのほか優しかったその仕草が、不思議と悲しく感じられた。

 冷える前に戻れよ、とだけ言い残すと、彼はベンチを後にした。

「エリゼ」

「はい?」

「元気ないね」

 ベッドに座ったまま、リゼットはこちらを見ている。

「なんでそう思うんです」

「雰囲気。それにいつものあんたならさ、あたしが飢え死ぬって言ったら、じゃあ飢え死んで下さいって返すだろ」

「言いませんよ……」

「夕飯はあとでいい。ちょっとこっち来な」

 手招きに促されるまま、エリゼはリゼットの横に座った。

 詮索はして来なかった。

「なにも訊かないんですか?」

「察するにセラムたちのこと……じゃあないね。そこではもう落ち込まないと思うから。それ以外のなにかで、言いたくないことか、言えないことでしょ。無理に訊くつもりはないよ」

「だったら、どうして横に呼んだんです」

「誰かが近くにいるだけでも落ち着けるもんさ。お姉さんの胸に飛び込んでくるかい? あんたの二倍はあるよ」

「二倍はないです。せいぜい1.72倍です」

「細かいっての。ぜったい寝てる間に調べたろ……」

 間の抜けたやり取りで、幾分気分も軽くなる。

 少しだけ分かった気がした。

 人それぞれの事情。ここに至るまでの道のり。その人の今を形作るのは、その人の過去。そうして形成された人となりを理解することの意味。

 理解とはまず知ること。知れば物の見方も変わる。それが良いことか悪いことかは別にして。

「……リゼットさんはどうして貴族連合にいるんですか? 教えて欲しいんです」

 それを今聞こうと思ったのは、クロウとの話のあとだったからかもしれない。

「あんたが元気ない原因ってそれ?」

「違います。でも考えがまとまるかもしれないから……」

 リゼットは少し思案する素振りを見せ、

「……ん。もったいぶる話でもないし、そういえばその内教えるとも言ったしね」

 どこから話すか、と白い天井を見上げると、ややあって口を開いた。

「あたしはラマール州の貴族家の生まれでさ。家族は父親と兄貴が三人。母親はあたしを生んですぐに亡くなった。流行り病だったらしい。ちなみに男爵家。あんたと同じだね」

「そうだったんですか……」

「あまり大きな家柄じゃなくて、仕切る領地も小さなもんさ。でも父さんは領民から慕われてた。誰かが体調を悪くすれば、直接家まで出向いて見舞うような人だったから。そういう気質を引き継いでか、兄貴たちも領主子息って肩書を鼻にかけないし、客観的に見ても良い風土が作れていたね」

 一つ一つの出来事を思い返すように、しかし淡々と彼女は語る。

「数年前のある日。ギリアス・オスボーン名で通達文が送られてきた。その近辺に鉄道を通すから、領民共々土地を立ち退けって。他の地区でそういう話は聞いてたけど、いよいよここもかって感じだった」

 強行的な鉄道網の拡大。それらに端を発する領地持ちの貴族の不満は、エリゼも知るところだった。

 ならば通すだけ通させて、線路際に住めばいいという理屈ではない。家があり、畑がある。家はともかく大規模な畑の移動は、そう簡単にはいかない。一度リセットしたところで、作物がもう一度育つまでには時間と手間がかかる。

 当然、その間は収入も止まる。現実問題として、生活が成り立たない。立退料という、勝手のいい手切れ金を渡されたとしてもだ。

「父さんは抵抗したね。直訴、抗議文、あの手この手で。露骨な嫌がらせが始まったのは、立退き通知に応じず半年が経った頃かな。商人を抱え込んだんだろう、まず作物の種が買えなくなった。うちは農地運営がメインだったから、それだけで大打撃だ」

「そんな……」

「父さんは普段から税収率を抑えてた。ぎりぎりで回してた。だから蓄えもなかった。それが仇になった。その状況を凌げるだけの財力がなかったんだよ。ま、遅かれ早かれって話ではあるんだけどさ」

 つまり全てわかった上での計略だ。そのあとの流れは、エリゼにも容易に想像できた。

「領民のみなさんは……」

「お察しの通り。食い扶持を探して、一人、また一人と領地を離れていった。やむを得ずっていう人がほとんどだったけど、父さんには堪えたろうね。領地もまともな運営ができなくなって、積み重ねてきた心労もたたって、あっけなく倒れて、ほどなく父さんはこの世を去った」

「……それでリゼットさんは宰相を憎んで、領邦軍に入ったのですか?」

「違うよ。第一、その頃は領邦軍がここまでの事を起こすなんて考えもしてなかったし」

 リゼットはあっさり否定した。

「しばらくは兄貴たちと一緒に行動してたんだけど、いつの間に別れてた。それはともかく、当然あたしにも食い扶持は必要なわけで。でも一般の客商売って貴族の従業員は敬遠されがちでね。扱いが面倒なイメージあるし。で、行きついた先が領邦軍」

「お兄様たちは?」

「進みたい方向が違っただけで、別に仲をこじらせて別れたわけじゃないよ? しばらくは手紙のやり取りもあったけど、それもいつからか途絶えてた。その後の行方は知らない。兄貴たち今頃、どこでなにやってんのかね」

 彼女の表情に一抹の憂いが漂う。

「父さんにくっついて子供の頃から狩りをやってたから、ライフルの腕前だけは新兵の頃から一番だった。んで勤務態度も表面上は真面目にしてた。領邦軍が貴族連合としてクーデターを起こすって個人的に聞かされたのは、一応上官の信頼もあったからだと思う」

 その時、リゼットに申し渡された配置こそが、このカレル離宮。

 その時点で皇族をここに軟禁することは、内々で決まっていたという。女性隊士は少ないから、護衛と世話係を兼ねた役どころとして丁度良かったのだろう。

 そしてクーデターが起こり、内戦にまで発展し、その中でリゼットとエリゼは出会った。

「経緯はこんなところ」

 不思議だった。というより疑問だ。

 その語り口調から、家族を大切にし、領民も好きだったと感じ取れる。

 それなのに憎しみを抱いたわけでもなく、生きる為の手段の一つとして領邦軍に入隊したのはどうして?

 エリゼはそれを、そのまま質問した。

「そりゃ思うところはある。けど恨んで何か変えられる? 世の流れに個人じゃ抗えない。なら流れのままに生きるしかない。父さんのことは忘れたりしないし、今でも尊敬してる。でも終わった過去は割り切るしかないんだよ」

 それも一つの考え方であり、生き方。他人がそうあれかしと肯定できるものでも、ましてや否定できるものでもない。

 飄々としていられるのは、あまねく不遇を飲み込んだが故か。

 ただ理由なく胸に込み上げるものが結露して、知らず雫としてこぼれ落ちていた。

「なんで泣くの?」

「わかりません……どうしたらいいかわからなくて……」

「なんであんたがどうにかする必要があんのさ。やっぱ変なやつだねえ」

 優しくリゼットはエリゼを抱き寄せる。

「しばらくそうしてな。そんで落ち着いたらご飯作ってよ」

「野菜炒めでいいですか」

「えー……昨日もじゃん。だったら肉多めにして」

 夕刻にベンチで聞いたことと重なる話だった。

 置かれていた立場は違うものの、意図的に作られた状況に押し出されるようにして、当たり前に過ごしていた場所と、そして近しい肉親を失った。

 二人に違いがあるとすれば――ああ、そうか。

 

『――ありふれた話の一つで、それを許容できたか、できなかったかってだけの話だ』

 

 過去を語る前に告げられた、クロウのその言葉。

 それはどちらがいいということではなく、ただあり得たかもしれない選択の先。

 ようやくわかった。

 リゼット・ヴェールは、不条理に抗う道を選ばなかったクロウ・アームブラストの姿だ。

「あのー、もういいでしょ。ご飯は?」

「……1.69倍」

「どさくさに紛れて、なに計測し直してんのよ」

 そして気付く。

 自分とは真反対の性格ながら、短期間で親しくなり、頼ることもできる相手。エリゼとリゼットの関係は、リィンとクロウのそれに似ていた。

 だから、今なら実感として理解できる。その彼に裏切られる形となってしまった兄の心中が。

 もしもその境遇が自分にも訪れたとしたら、それはとても辛いことだろう。

 

 

 ――続く――

 

 


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