虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第74話 ルーレ寄航日(二日目) ~夢にて夢みて

 それを作ろうと思ったのは気まぐれで、構想段階からここまで早く形になってくれたのは運の要素も強い。

 ジョルジュは工房内の作業机の前に立っている。彼の手元には四角い箱があった。

 金属板で覆われた二〇リジュ四方の立方体には、いくつかのスイッチとメーターが取り付けてあって、その内部はごちゃごちゃしたケーブルやら基盤らしきものが収納されている。

「問題は効果を発揮するかどうかか。こればかりは試してみないとわからないしなあ」

 今は深夜の二時。これの作成に取り掛かったのは昼の二時頃だったはずだから、まるまる半日。

 また集中し過ぎて時間を忘れてしまったらしい。睡眠時間をきっちり確保するように、トワから何度もたしなめられているのに。

 いやいや、だからこれを作ったんじゃないか。

「よっと、結構重いな……」

 ジョルジュはそれを床に移動させた。

 そのすぐ横に仮眠用のマットを敷く。少しでも柔らかいものの上で寝てと、トワが用意してくれたものだ。

「いいお嫁さんになるよ、トワは」

 気の遣い方が上手だし、タイミングもいい。加えて家事全般もそつなくこなすパーフェクトぶり。

 彼女の心を射止める幸運な男性は果たして誰だろうか。その候補にアンゼリカが入らないことを願うばかりだ。

 マットに太身を沈ませたジョルジュは、自前の毛布にくるまった。

 そして装置のスイッチを入れた。

 睡眠は時間よりも質だと言う。しかし自分は艦内メンテ、機器開発、レイゼルの整備と、多忙極まる業務のおかげで、まとまった休息時間が取れない。

 だから短時間でも集中して眠れるよう、まずは質の向上を図ってみることにしたのだ。

 睡眠とは脳の働きの一種である。

 脳の仕組みについては現代医学でも完全に解明されていない。分野として最先端を担っているのはクロスベルのウルスラ医大と聞いているが、それでも多くは依然として未知の領域だという。

 細かいことはさて置くとして、つまり睡眠の質を高めたければ、脳に対してなんらかのアプローチが必要ということになる。

 たとえば入眠前に音楽を聞いてリラックスしてみたり、反復作業を行うことで意識を鈍くしてみたり、あるいは就寝と起床のサイクルを一定化することで、眠る時間帯を脳に刷り込ませてみたり――。

 一般的なのはそれらだが、ジョルジュはまったく違う角度からのアプローチを試みた。

 それは《ARCUS》。

 戦術リンクに代表される導力波を用いた技術を、ここに転用できないかと考えたのだ。

 魔導剣作成の折に、ジョルジュはユーシスの《ARCUS》にも改造を施している。その時に内部の仕組みも――全てではないが――理解していた。

 あれは意識と意識の波長を調定して繋げるもので、本来は微弱な生体信号を拡張する機能が備わっている。それが第六感的な感応を可能にしているのだが、ここで重要なのは《ARCUS》は外部から脳にアクセスするような類の端末ではないということだ。

 ならば、この技術を転用しても脳に影響はでない。仮に失敗しても人体に関わる重大なリスクは発生しない。その目算もあって、ジョルジュはそれの作成に着手した。

 あれやこれやとパーツをかき集め、半分以上は勢いで形にしていく。途中トランス状態になっていたらしく、どのように作ったのかはっきり覚えていない部分もあるが。

 とにもかくにも、その結果完成したのがこの装置だった。

「さあ、うまくいってくれよ……」

 ジョルジュはすでに起動している装置に意識を集中した。強いイメージを頭に浮かべてみる。リンク機能の応用で、操作は必要なく、あとは機械が勝手に汲み取ってくれるはずだった。

 が、待てども反応はない。その内にガチンと音がして、導力源が落ちてしまった。

「あ、あれ? ……なんだ、失敗か」

 そう簡単にはいかないか。今からもう一度いじり直すには、さすがに時間が遅い。

 ふわーあと大きなあくびをして、ジョルジュは目を閉じた。疲れていたのだろう。あっという間に深い眠りへと落ちていく。

 それから三〇分。室内には彼のいびきしか聞こえない。

 不意にブンと低い起動音がした。枕元の立方体が薄い光を滲ませている。Ⅶ組が戦術リンクを使う時と同色の発光だった。

 ジョルジュはこの装置の作成に失敗したと思っている。そうではなかった。正しく作動していたのだ。しかも本人の想定を遥かに超える凄まじい出力で。

 不可視の波動がリング状に拡散された。光の速さでカレイジャスから放たれ、ルーレ市を駆け抜け、果ては帝国全域に押し拡がった。

 広く、広く、《ARCUS》の特性ゆえか、縁ある人々を巡りながら。

「うーん……」

 ごろりと寝返りを打つジョルジュ。起きる気配はない。

 彼が作ったもの。それは――

 “見たい夢を見る”装置だった。

 

 

《☆★☆夢にて夢みて★☆★》

 

 

 気付いた時、ジョルジュは布団の中にいなかった。辺りはうす暗く、月明かりが足元を照らしている。

 石畳の大通り。赤い街並み。遠くにたたずむバルフレイム宮。ここは帝都ヘイムダルだ。間違いない。

「なんでこんなところに……いや、そうか」

 ぼやけていた思考がはっきりしてくる。さっきまで自分はカレイジャスの工房にいたはずだ。ということは。

「せ、成功してたんだ。夢を見る機械……!」

 それは稀代の大発明と言えた。

 夢の解釈は多岐に渡るため、それらの定義の可否を一概に断ずることはできない。

 だが一説によれば、夢は記憶の整理を行っているそうだ。たとえば前日に何かつらいことがあっても、夢を介することで脳がポジティブに切り替わり、翌日には無自覚ながらも心身のリフレッシュが進んでいるという。

 しかしそれは脳の働きとして自動で行われる為、自分の意思ではコントロールできない。

 もしも現実に似た虚構の空間で、いかなる制限も咎めもなく、自分のフラストレーションを任意に発散できたとしたら、どうだろう。

 より効率よく気分の入れ替えができるのではないか。つまりは睡眠の質が向上するのではないか。

 ジョルジュはそう仮定したのだった。

「ははは、すごい、すごいな!」

 手のひらを握って開く。飛び跳ねる。走り回る。風だって感じられる。空気に匂いがある。

 まるで本物のフィールドだ。それなのにどれだけ動いても疲労を感じない。当然のことだ。実際の体は休眠中なのだから。

 運動感覚を残したまま、これが夢の中に構築された世界であると自覚できることが重要なのだ。

 どこまでもいける。どこまでもいこう。

「上機嫌だね、ジョルジュ」

 後ろから呼びかけられ、振り返る。驚きはしなかった。なにせ自分の夢である。

「やあ、アン」

 アンゼリカ・ログナーがそこにいた。いつもの濃紺のバイクスーツではなく、学院祭で見たドレス姿だった。

 彼女は困ったように笑う。

「似合わないだろう。君に見られるのは気恥ずかしいものがあるな」

「そんなことはない。よく似合ってる」

「世辞でもそう言ってもらえると嬉しいね」

「本心さ。アンに嘘はつかないよ」

「ありがとう」

 現実ではまず言えないだろう言葉が、スラスラと口から飛び出してくる。我知らず自分が望んでいることなのか、眼前のアンゼリカは少し照れたような反応を見せてくれた。夢って最高だ。

「今日は帰りたくない気分だ。エスコートはしてもらえるのかな?」

「もちろん」

 差し出された手を優しく握り返す。その瞬間に、ジョルジュのくすんだつなぎ服は、高級感のあるスリーピーススーツに変わっていた。

「アンはどこに行きたい?」

「君の行きたいところだ」

 彼女の手を引き、ジョルジュは歩き出す。誰もいない夜のヘイムダルに二人きり。不思議な心地だった。

 大通りをそれて小道を進む。ここはどこの地区だったか。どこでもいい。いつしか彼らは裏路地に入っていた。

 ふと景色に違和感を覚えた。しかし手に触れる温もりが全てを些事に変えていく。

 少し開けた場所に出ると、ジョルジュは不意に立ち止まってアンゼリカに向き直った。

「どうしたんだい。ここが終着点ではないだろう?」

「終着点か。ああ、違うよ。僕が求めているのは……この先なんだと思う」

 言うか。言ってみるか。どうせここは夢の中。自分だけの世界。

 そうわかっていても心臓が爆発しそうだった。

「ア……アン!」

 言え、言うんだジョルジュ・ノーム。夢の中でさえ想いを打ち明けられない男が、ことさら現実で何を伝えられるというのか。

「聞いてくれ。僕は――」

 その時、近くで爆発が起きた。民家の一つから、炎と黒煙が噴き上がる。

「な、なあ!?」

 突然、月明かりが巨大な影に遮られる。アンゼリカをかばいながら、ジョルジュは頭上を見上げた。

 一隻の巨大な飛行戦艦が空を埋めている。カレイジャスでもパンタグリュエルでもない。真っ黒い威圧的なシルエット。まさかあれが砲撃をしてきたのか。

「ふははははーっ!!」

 上空に響き渡る笑い声。甲板の先に誰かが立っていた。その人影に目をこらす。

 蝙蝠の羽を連想させる外套が、バタバタとはためいていた。闇をまとうような出で立ちは、夜の支配者とでも呼ぶべきか。

 にわかに周囲が騒がしくなった。

「ま、魔界王子……あれは魔界王子リィンだ!」

「逃げるのよ! 痛いファッションを強要されるわ!」

「あんなの着せられたら、もう生きていけない……!」

 どこから湧いて出たのか、カスパルが走り去り、その後にポーラとモニカが続き、他にもわらわらと現れた学院生たちが逃げ惑う。

「あ、あかんやつや。あれはあかんやつや……」

 ただ立ち尽くし、空を眺めるベッキー。その表情には絶望しかなかった。

 呆然としているのはジョルジュも同じである。

 え、これ僕の夢だよね。普通はある程度、自分の思考や経験に基づく構成になるんじゃないのか? 僕の頭の中って、実はこんなにも予測不可能だったのか?

「アン、とにかく僕らも逃げよう。こっちに――あれ?」

 アンゼリカの姿は消えていた。自分の服もスーツからいつもの黄土色のつなぎに戻っている。

 空から居丈高な声が地上に届いた。

「まずは手近なブティックから破壊してやる。その後で俺専用のイカしたコスチューム店をオープンだ。黒のレザージャケットとシルバーアクセは外せないよなあ!」

 帝都中からブーイングの嵐が巻き起こった。そんなチョイスだからギラギラになるのだろうとか、見るに耐えないぞ魔界王子、とか好き放題に言われてしまっている。

「ええい、うるさいハエ共が!」

 黒い戦艦から砲弾が発射された。ジョルジュの真横の建物に命中。運悪くここがブティックショップだったのだ。崩れた瓦礫が襲いかかってくる。

「うわあああ!?」

「危ない!」

 飛び込んできた人影に突き飛ばされる。間一髪で瓦礫から逃れたジョルジュは、のろのろと体を起こした。知覚があるから痛みも感じてしまう。

「大丈夫ですか、ジョルジュ先輩」

「う……アリサくんか? ありがとう、助かったよ」

「ええ、早く逃げて下さい」

 アリサはジョルジュを立たせた。

「君は?」

「まだ私にはやるべきことがあります」

 アリサはリィンに険しい視線を向けている。炎がくすぶる一帯の中で、彼女は懐から取り出した謎のステッキを振り上げた。

「プリティー、キューティー、セレブリティ! チェーンジアーップ!!」

 不明な掛け声に続いて、ステッキの先端から溢れた光がアリサを包み込む。キラキラしたエフェクト全開で、辺りがまばゆく輝いた。

 やがて光が収まると、アリサの衣服は完全な別物になっていた。ピンクのふりふりミニスカートに純白のニーソックスは、衣類というより仮装用のコスチュームと呼ぶべき代物だ。

「魔法少女まじかる☆アリサ! あなたのハートを狙い撃ちよ!」

 キュッピーンと顔前の横ピースが決まる。

 まじかる☆アリサがステッキを一振り。魔法の力とやらによって、彼女は宙に浮き上がる。そのまま魔界王子めがけて上空へと飛び立った。

「なっ……」

 絶句する一方で、同時にジョルジュは理解もしていた。

 夢を見る装置の元になっている機構は、《ARCUS》だ。

 意識が発する波長を汲み取り、それをもう一度本人にフィードバックすることによって、客観性と主観性を兼ね備えたイメージ世界を夢という形で作り出す。

 基本構想はそうだった。しかし《ARCUS》の機能には続きがある。

 それは複数の波長を調定化して、リンクすること。本来は二つの《ARCUS》があって初めて意味を持つ機能だが、なにせ今回は仕様が違う。

 おそらくこの装置は今、他者の意識を一方的に拾い上げて、勝手に取り込んでいる。

 つまり不特定多数の人間の夢が、強制的に繋がっている状態なのだ。

「どれだけの範囲でどれだけの人が影響を受けているかはわからないけど……そういうことか」

 ジョルジュは昨晩の“人には言えない騒動”のことを、話こそ聞き知っていたものの、実際に魔界王子なリィンを見たわけではない。しかし彼は残念極まりない衣装をまとって、確かにこの夢に存在している。

 彼の話を聞いた自分が想像で生み出したイメージとも考えられるが、あまりにもディテールが精細過ぎる。おそらくは実際にそれを見た誰かの影響だ。

 さっき路地裏に足を踏み入れた時に、どこかおかしいとは思ったのだ。ヘイムダルの路地裏になど入ったこともないのに、当たり前に道が続いていたことに。あれも誰かの記憶が再現されていたのだろう。

 そもそも夢の舞台がヘイムダルというのも妙だった。自分の印象強い場所が構築されるなら、トリスタや士官学院辺りが自然なのに。

 心理学の書籍で、“人間同士の深層意識は無意識下に繋がっているという概念”について読んだことがある。大多数の知る帝都がフィールドに選ばれているのはその影響かもしれない。

 それはともかくとして。

 空で激しい戦いが始まっていた。街中に砲弾の雨が降り注ぎ、そこかしこで爆発が起こっていた。

「これは危険かもしれないな。でもこの夢の核になっているのは僕だから、僕が起きさえすれば――」

 どうやって。どのようにして起きればいい。

 夢の中とはいえ、実感としてはこのとおり覚醒している。すでに起きている状態から、さらに起きるというのはどんな感覚なんだ。

 まずい。夢が終われない。

 まさか現実の自分が目を覚ますまで、このままなのか。

 目を覚ましたとして僕の精神は正常に体に戻っているのか。ここに取り残されたりしないのか。仮にここで死んでしまった場合、意識上でどのような処理がなされるのか。

 冷静に考えてみれば、不明な点が多過ぎる。

「アン! アンどこにいるんだ!?」

 彼女だけは守らねば。たとえ本物の君じゃなかったとしても。

 ジョルジュは戦火広がるヘイムダルを駆けまわった。

 

 ●

 

 煉獄戦艦《ミッドナイトヘブン》。

 帝都の空を席巻する漆黒の戦闘飛行艇の名である。武器満載、なんだかゴテゴテ。航空力学を完全に無視し、男子が格好よさだけを追求したようなフォルムは、製作者(想像者)の偏った趣向が窺える。

 その戦闘艦の周囲では、魔界王子と魔法少女が戦っていた。自在に空中を疾駆し、幾度も火花を散らして交錯する。

 魔界王子ことリィンは言った。

「ことごとく俺の邪魔をして、目障りな女め。しかしそれも今日で終わりだ。ここで貴様を倒し、我がファッションこそを時代の最先端に据え置いてくれる!」

 魔法少女ことアリサは言った。

「そんなことになったら世界中の人の笑顔が失われるわ。絶対に阻止してみせる!」

 何度もぶつかり合う二人。リィンの振るう太刀を、アリサは魔法の力を込めたステッキで受け止めた。

「集え、暗黒の瘴気よ! 我が剣に宿り、欺瞞に満ちた正義を打ち砕くのだ!」

「打ち合うたびにいちいちうるさいわね!」

「閃け、ヴァリアブルダークネスソード!」

「そういうのがうるさいんだってば!」

 リィンの剣圧に押し切られる。一振りごとに無駄にかっこいいポーズを決めているから、すぐの追撃は来ないが、それでも劣勢なのはアリサだった。

 このままでは世界が痛みに覆われてしまう。

「なかなかしぶといな。ならば最強の奥義を受けるがいい。塵も残さんぞ!」

 リィンの服がさらに禍々しく変貌する。一般人感覚であれば罰ゲームに等しい衣装だったが、彼は満足気な高笑いを上げていた。

 組み合わせた両の手に、なにやら不穏な力が収束されていく。

「くらえ! ミッドナイトレーザー!!」

 極太の黒い光線が、アリサめがけて照射された。逃げられる速度ではない。彼女も魔法少女の力の全てを解放した。「あなたにお届け、愛と希望の流れ星!」と、大気を焼き焦がして迫るレーザーにも臆さず、お決まりの前口上をしっかり叩きつけ、

「ラブ・シューティングスター!!」

 必殺の一撃を放つ。

 幾重もの光の矢が束なり、一つとなった光軸が闇の力を撃ち抜いた。

 強大なエネルギーの奔流に飲み下された魔界王子リィンは、「お前も技名叫んでるだろうが……!」と、末期の言葉を吐き捨てると、その身にまとうギラギラのコスチュームと共に消滅した。

「や、やったわ。これで平和が――」

「ふわーっはっはっはー!!」

 さらにでっかい高笑い。

 《ミッドナイトヘブン》の甲板の先に、またしても誰かが立っている。風になびくは、白いコートに短い金髪。

「魔界大帝トヴァル見参! 前座は終わりだぜ。この俺が来た以上、お前らに一切の救いはない!」

 地上から追加のブーイングが飛んでくる。

 あいつまた余計なことをしにきたぞとか、最低のバッドタイミング野郎めとか、聞いていて不憫になるくらいの集中放火だった。

「ぬぐぐ、言わせておけば……! 俺は魔界王子のように甘くはねえ。この街もろとも消し去ってやる!」

 戦艦底部の砲塔が、全て眼下に向けられた。

「俺がこの右腕を振り下ろすと同時に、全弾が発射される。ほーら、下ろしちまうぞお?」

「や、やめなさい!」

 ぶらぶらと挑発的に腕を振るトヴァル。彼を止める為に、アリサはもう一度ラブ・シューティングスターを撃とうとする。しかし発動しない。魔力が尽きてしまっていた。

「さあ懺悔の時間だぜ!」

「懺悔するのはあなたです」

 その手が砲撃の号令を発する寸前、後方から飛来した何かが、トヴァルの後頭部をスパーンとはたいた。

「魔法少女まじかる☆エリゼ。ダメダメな人にお仕置きです」

 アリサと同系統のコスチュームを身につけたエリゼが、くるくると宙を舞ってキラリーンとポーズを決める。

「うおっ? エリゼお嬢さん……あっ」

 バランスを崩した上、甲板の先端に立っていたのが災いした。前のめりになったトヴァルは、そのまま足を滑らせて船外へと転落していく。

「たっ、助けてくれ!」

「助けません。トヴァルさんは特に」

「まじかよおぉー!!」

 トヴァルは飛べないらしく、地上まで真っ逆さまに落ちていった。

 魔界大帝の地味過ぎる最後を眺めつつ、アリサは言った。

「エリゼちゃんも魔法少女だったのね。ありがとう、助かったわ」

「ええ、内緒にしていたんですけど。あ、これは限定品のマジックステッキです」

「うそ! それ私、手に入らなかったのよ。応募の懸賞だったじゃない」

「私は運良く当たりました。変身できるようになったのはそれからです」

「羨ましいわ。当時は運営会社の母体ごと買収しようかとも考えたんだけど、さすがに母様が乗ってくれなかったの。だから私のステッキは市販品よ」

「でも一番グレードの高いエメラルドバージョンじゃないですか。強い魔法の力を感じますね」

 現実と夢の入り混じった会話である。それを当然と話している本人たちに違和感はない。

「クハーッハッハッハーッ!!」

 しつこいくらいの高笑い。

 《ミッドナイトヘブン》の甲板に、またしても誰かが出てきていた。しかも今度は三人だ。

 彼らはそれぞれで名乗りを上げた。

「魔界暴風、ガイウス!」

「魔界眼鏡、マキアス!」

「魔界猛将、エリオット!」

 リーダー格らしいエリオットが前に進み出る。彼は侮蔑的な笑みを浮かべていた。

「聞け、帝都の愚民ども! 我は魔界猛将エリオット・クレイジーである。今宵、貴様らの悲鳴が止むことはないだろう。無様に泣いて命を乞い、醜い死のステップを踏むがいい!」

 これでもかと立て続けに帝都に危機が訪れる。

 ガイウスが続いた。

「魔界大帝トヴァルは我々の中でポテンシャルが最弱。彼を倒したからと希望は持たないことだ」

 マキアスも続く。

「魔界王子リィンは我々の中でファッションセンスが最悪。彼を倒したことは……まあ、良かったんじゃないかと思う」

 《ミッドナイトヘブン》の船首部分が変形した。外装が展開され、巨大な主砲がせり出してくる。一発でヘイムダルを壊滅できる代物だ。

 アリサは焦りを見せた。

「あ、あんなの反則よ。防ぎようがないじゃない。それに魔界の幹部が三人もだなんて……」

「諦めないで、アリサさん。私たちならきっと勝てます」

「どうやって――え、私たち?」

 その時、街の一角に青い光が立ち昇る。それは変身の光だった。そこに現れた人物は、闇夜を裂いて飛翔し、アリサの前までやってきた。

「魔法少女まじかる☆ラウラ。切って捌いて成敗だ!」

 ふりふりのコスチュームをひるがえし、キラキラリーンと輝きを散らせてポージング。もうお決まりである。

 ちなみに彼女はステッキではなく、魔法少女らしからぬ物々しい大剣を携えていた。なにを切った後なのか、ちょっと血がこびりついていたりする。

「エリゼちゃんの言う通りです。私たちの力が合わされば倒せない敵はいません」

「えっ?」

 不意の声にアリサが振り返ると、背後ににもう一人の魔法少女がいた。

「魔法少女まじかる☆エマ。あなたを導いちゃいますよ?」

 例にもれずの決め台詞と決めポーズ。

 やたらと胸が強調されたデザインのコスチュームだった。エマはステッキではなく魔導杖を持っていたが、それには星やら月やらのアクセサリーが飾りつけられ、華やかにデコレーションされていた。

「なんだか魔導杖がゴージャスじゃない?」

「見た目が煌びやかじゃないと商品化した時に売れませんので。あと一応キャラ付けの為に、ほうきで飛ぼうかとも考えたんですが、市場の需要を鑑みて控えることにしました」

「身もフタもないことを……。魔法少女っていうか、あなた本職でしょ。魔女でしょ」

「わ、私だって魔法少女になりたかった頃があります」

「無条件で夢が叶ってる気もするけど……。魔女が魔法少女に憧れるってどうなのかしら。……で、そっちの二人はなに?」

 エマの両どなりにフィーとミリアムが控えていた。どちらもネコだかイヌだかを模した着ぐるみを身につけている。

「まじかる☆マスコット一号のフィーネさんでございます」

「同じく二号のミリーちゃんだす」

 うにゃっと鳴いて、二人でポーズを決める。リハーサル不十分なのか、微妙にタイミングがずれていた。

「この手のものに必須のマスコットキャラクターです。可愛いでしょう? マスコットとはいえ、ちゃんとした魔法少女枠ですよ」

「やっつけ仕事感がすさまじいわ。魔法少女四人に対してマスコット二人って、なんだか中途半端だし。まあ、可愛いは可愛いけど」

「フィーちゃんとミリアムちゃんに似合うコスチュームを、ミヒュトさんのお店で探しまして。どうにかセットで購入できたんですけど、奨学金受給者には手痛い出費でした……」

「店のチョイスが間違ってると思うのよ」

「それはともかく」

 この話題を長引かせたくないのか、エマは半ば強引に話を変えた。

「全員そろったところであれをやりますよ。皆さん配置について下さいね。それではアリサさん、お願いします」

「仕方ないわね……いくわよ!」

 アリサをセンターにして、六人は空中に横並ぶ。

 一斉に腕をばばっと天に掲げ、

「愛と!」

「正義と!」

「絆と!」

「希望と!」

「愛と!」

「愛と!」

 がっつり台詞を忘れたフィーとミリアムが、アリサの担当の愛を連呼し、愛多めの前口上ができあがる。

 二人をひとにらみしつつもアリサは声を張った。

「六つの想いを力に変えて、輝く魔法が悪を討つ! まじかる☆ガールズ、ここに参上!!」

 魔法少女たちの最高のポーズが炸裂し、派手派手なライトエフェクトが六人の背後に咲き乱れた。雑魚敵ならこれだけで倒せる勢いだ。

「茶番は終わりだ、まじかる☆ガールズどもめ」

 ここでガイウスが口を開く。名乗り中は攻撃しない悪役の鏡だった。

 マキアスがおもむろに謎のスイッチを取り出した。

「これは最強の威力を誇る我らが奥の手、《ミッドナイッ砲》の起動装置だ。ボタン一つで発射できてしまうぞ」

「な、なんでそんなお手軽仕様なのよ」

 手のひらに収まる程度のそのスイッチを見て、アリサは気付いた。

「メーターみたいなのが付いてるけど、それなに?」

「よくぞ聞いた。これは悪メーターというものだ。人は誰しも心に負の感情を持っている。それらを吸収することで《ミッドナイッ砲》の威力は極限まで高まるのだ。このメーターがマックスになった時が貴様らの最後と知れ!」

「いや、あの……多分それもうマックスになってると思うんだけど」

「は?」

 端末から嫌な感じのオーラがあふれ出し、ゲージはすでに振り切られている。

「な、なぜ。さすがに早すぎるぞ。少なくとも一万人分の負のエネルギーが必要なはずなのに……まさか!」

 驚くマキアスは、エリオットに視線を移した。

「猛将の力か!」

「ふん、たかが主砲一つ起動させるだけだというのに大袈裟なことだ」

 魔界猛将エリオットは、まじかる☆ガールズを睥睨した。「許さん、許さんぞ、貴様ら……」と、ひどく憎しみのこもった声音で言う。

 その異様な圧に、アリサたちは身構える。尋常ではない怒りがほとばしっていた。

「なにが魔法少女だ。変身の基本は服が破れ散るところからだろうが! それにもっと媚びに媚びたあざといポーズを取れ! 女豹のように腰をくねらせてみろ!」

「魔法少女のポーズが女豹って、いや過ぎるわ……」

「いやらし過ぎるだと!? どこにいやらしさがある!?」

 猛将はとってもクレイジー。一万人分のマイナスエネルギーを一人でまかなっているのも納得である。

 とにもかくにも主砲起動。ゴウンゴウンと艦内ジェネレーターが稼動し、どす黒い光が砲塔に集まっていく。

 このままでは帝都が壊滅してしまう。

「あんたたち、今こそ力を合わせる時よ! 六人のまじかる☆パワーを結集させて、究極魔法を発動させなさい!」

 いつの間にか、エマの肩にセリーヌが乗っていた。

「待って待って、ちょっと待って。わざわざ着ぐるみ買わなくても、そこにマスコットいるじゃないの」

「私もそうしたかったんですけど、セリーヌが嫌がったんです。『ただいるだけのマスコットじゃなくて、魔法少女を影ながら支えるアドバイザー的な立ち位置で、サブキャラクターなりにファン人気の高いポジション』が良いとか言って」

「よ、余計なこと暴露してんじゃないわよ!」

 アリサの指摘に、隅々まで白状するエマを、セリーヌが慌てて止めた。

「いいからほら撃ってくるわよ! 合わせた合わせた!」

「雑っ」

 セリーヌに急かされ、アリサを中心に六人は集まった。そしてそれぞれの武器を重ね合わせる。

 魔法少女なのにステッキは二つだけで、あとは大剣と魔導杖と双銃剣、しまいにはアガートラムが銀腕を振り上げていた。

 まじかる要素は少なかったが、正義とか愛とか、そんな感じの力を気合いでひねり出す。膨れ上がる光が柱となって雲を穿ち、さらに上へと伸びていった。

 ゴゴゴと鳴動する空。

「来た!」

 まじかる☆ガールズの想いが一つとなって、巨大な隕石を宇宙空間から呼び寄せた。圧倒的な質量を持つそれが、黒き戦艦を押し潰そうと落ちてくる。

『ラブデストローイ・メテオーッ!!』

 乙女たちの声がそろう。魔法少女とは思えぬ破壊の奥義。ネーミングにデストロイが入っている時点で、ファンシー感は消え去っている。

 猛将エリオットが怒りに目を見開いた。

「船首上げ! たかが岩の塊、我が悶気を込めた主砲で吹き飛ばしてくれるわ!」

 《ミッドナイッ砲》が発射された。

 黒い瘴気をまとった砲弾と、摩擦熱で赤く染まった隕石が激突する。

 轟音が爆ぜ、天が破裂した。

 

 ●

 

 光と闇がぶつかり合うその光景を、離れた場所から見ている者たちがいた。

 ヘイムダル、サンクト地区。密集する民家の屋根の上である。

「まじかる☆ガールズ……少しは力を付けたようだけど、まだまだね。大いなる災いが間もなく訪れる。その時、あなた達の魔法がどこまで通じるか見物だわ」

 いかにも含みありげにサラ・バレスタインが言った。

「大いなる災いと言うのでしたら、まさに今がそれですけども」

 横から口を挟んだのはシャロン・クルーガーだ。

 遠くの空で破砕された隕石が無数の流星と化して、帝都に振り落ちていた。煉獄戦艦《ミッドナイトヘブン》も豪雨よろしく岩の破片を浴びて、ずたずたになりながら地上へと落下していく。

 それを眺めるサラとシャロンの服は、魔法少女のコスチュームだった。

 レザーブーツにマイクロミニスカート、胸元が開いた薄手の上衣はなんともアダルトな装いだ。

「人命救助から行っとく? あ、でも消火を先にした方がいいかしら。――って、あんた、いつまでそうしてんのよ」

「あ、やっ」

 サラはうずくまっているクレア・リーヴェルトの腕を引いて、無理やりに立たせる。彼女ももちろん二人と同系統のコスチュームだ。

 クレアはひどく恥ずかしげに身をよじっている。

「なーにかまととぶってんのよ」

「ぶってません! というかこの衣装はなんなんですか。ちょっと動いただけで、み、見えちゃいますよ?」

「この期に及んで煮え切らないわね。そういうのをぶってるってーのよ。シャロンを見習いなさい、ほら」

「まじかーる★シャロン! ですわ?」

 シャロンはそこはかとなくセクシーなポーズを決める。すらりと伸びた白い太ももがまぶしい。そこにのぞくガーターベルトは必須アイテムだ。

 本人はノリノリである。

「ですわ? って言われても……」

「はい、わかったらあんたもやる。『まじかーる★クレア』ってやりなさい」

「む、無理です。絶対無理です。だいたい魔法少女って言っても、もう少女と呼べる年齢ではないですし……」

「ああ? 心は汚れなき純粋な少女よ!」

「純粋な少女は「ああ?」とか言いませんから!」

「まあまあ、お二人とも」

 ポーズを取らせようとするサラと抵抗するクレアの間に、シャロンがやんわりと割って入った。

「ここはクレア大尉が引くのが良いでしょう。リーダーがそう仰るのですから」

「え? リーダー? あたしがリーダー?」

 戸惑いつつもサラは嬉しそうだ。

「ええ、もちろん。わたくしは23歳、クレア大尉は24歳、サラ様は25歳。年功序列で満場一致ですわ」

 ピキッとサラのこめかみに青筋が走る。シャロンはくすくすと笑った。

「ちょっと四捨五入してみましょうか」

「潰すわよ。魔法の力で叩き潰すわよ」

「まあ、ステッキを棍棒代わりに使うだなんて。《物理少女ふぃじかる★サラ》などの名前の方が良いのでは」

「きー!」

 揉めに揉めるまじかる★レディーズ。

「だーもう! らちがあかないわ! こんなことやってる間に、がんがん被害が拡がってるし!」

「正義と愛で召喚した隕石が、守るべき都市に破壊を撒き散らしていますわね」

「とりあえず名乗りを挙げなきゃ始まんないのよ! やるのよ、やんなさい!」

「うぅ……不本意ながら了解しました……」

 サラの剣幕に押し切られ、クレアはしぶしぶうなずいた。

 誰も見ていない屋根の上で、三人は前口上を声高らかに叫ぶ。

「お酒と紳士が生命線! 情熱のレッド、まじかーる★サラ!」

「敵をまとめて横一線! 妖艶のパープル、まじかーる★シャロン!」

「戻れなくなる境界線……。冷静のブルー、ま、まま、まじかーる★クレア!」

 半ばヤケになったクレアが宣言し、それぞれの決めたポーズの後ろで赤、紫、青の爆煙がドゴーンと上がった。

 

 ●

 

 崩壊していく世界。景色が削れて、歪んでいく。大地が虚ろに消えかかり、空に稲妻のような亀裂が生まれた。

 夢が終わろうとしているのだ。

「うわあ! 早く起きてくれ、現実の僕!」

 降り注ぐ隕石の欠片や瓦礫から、ジョルジュは必死に逃げている。

 今何時だ。体感としては一時間弱と言ったところだが、実際はどのくらいの時間が経過しているのだろう。

 もう朝になっていて自然と目を覚まそうとしているのか、あまりにもショッキングな夢だからうなされて起きようとしているのか、それはわからないが。

 同じように逃げ惑っていた登場人物が次々と消えていく。一足早く彼らも起きたか、あるいは主である僕の夢が終わりかけているからか――それもわからない。

 わからないことの方が多いのだ。とにかく目覚める前に、瓦礫に押し潰されるようなことがあってはならない。まずは正常に現実へと帰還せねば。

「そっちの道は塞がれているよ、ジョルジュ」

 炎から逃れるために手近な横道に入ろうとしたジョルジュに、落ち着いた声音が投げられる。

 アンゼリカだった。

「無事かい、アン! ケガはないんだね?」

「このとおりさ」

 夢の中の人物に確認するには意味のないこと。しかし訊かずにはいられなかった。

 もう一つ。そんな状況ではないが、ジョルジュには気になることがあった。彼女の服がバイクスーツに戻っている。

「ドレスじゃないのか?」

「動きにくかったからね。君はそっちの方が好みだったかな?」

「い、いや。そういうわけじゃないんだけど……」

 なんだかおかしい。最初に彼女が登場した時と違って、自分のペースで話ができない。

「とにかく逃げよう。火が回ってきた」

「それには同意だが、残念ながら逃げ場がない」

 進もうとしていた道は崩れてきた瓦礫で埋まり、他のいくつかの道も炎が揺らいでいて抜けられそうにない。

 ならば元来た道を戻るしか方法がない。

 振り返って、しかしジョルジュの足は止まる。

 ここまで来た道が消えてしまっている。欠落した風景の先は、どこまでも空虚な白い闇が続いているだけだった。

 立ち尽くすジョルジュは、アンゼリカに言った。

「すまない。君を巻き込んでしまった。」

「なぜジョルジュが謝るんだ?」

「それは……説明が難しいんだけど。というか、こんな状況でもアンは慌てたりしないんだな」

「それはまあ、慌てたところでどうにもならないからね」

 強いな。やっぱり。

 Ⅶ組が発足される一年前、自分たちにも特別実習があった。課題の中で魔獣との戦闘になったこともある。

 君が前衛。僕は後衛。

 いつだって僕は、君の背中を見ていた。

 ある戦闘で、僕の援護が遅れたせいで、君が傷を負ってしまったことを覚えている。君は大したケガじゃないと笑っていたけれど。

「はは……僕は頼りないだろう。動きも鈍いし、迷惑をかけたこともあったと思う」

「ジョルジュ?」

「カレイジャスに乗ってからもそうさ。僕は技術班で前線には出ない。戦闘になれば誰かに頼るしかないんだ」

「バックアップがあるから前衛組は心置きなく戦える。君がいることは、私にとって何より心強いことなんだよ」

 地面である範囲が狭まってくる。意識が何かに引っ張られているような感覚だ。

 辺りが暗くなる。これは影だ。隕石に撃ち抜かれた戦艦が、空から落ちてくる。ちょうどこの場所に向かって。

「アン、伏せろ!」

 自分の体を覆い被せて、彼女を守ろうとする。

「夢の中だけど、これくらいの恰好はつけさせてくれ」

「ふふ、頼りになるじゃないか。だが少々重い。君の健康の為にもダイエットを提案させてもらおう」

「……一つ訊いてもいいかな」

「どうぞ」

「もしかして君は、本物のアンか?」

 自分が夢で見ているアンゼリカ。他の誰かが見ているアンゼリカ。あるいはその二つが混ざったアンゼリカ。

 そのどれかと思ったが、もう一つ可能性がある。

 アンゼリカ自身が見ている夢のアンゼリカ。すなわち、本人だ。

「さあ。夢の中のことはわからないね」

 彼女はそう言って笑った。

 同時《ミッドナイトヘブン》が地に落ちる。全ての景色が消し飛んだ。

 

 

「――わあああああっ!!」

 自分の絶叫で跳ね起きる。

 呼吸も荒く、汗まみれのジョルジュは辺りに視線を振った。

 工房に敷かれたマットの上に自分はいる。かけていたはずの毛布は足元で団子になっていた。よほど寝相悪く動いたのだろうか。

 そこで例の装置のことを思い出した。夢を見る機械である。

 装置は作動していない。沈黙したまま、完全に止まっている。開発に失敗したから、朝になったら片付けようと思っていたのだ。

「……ま、無茶のある構想だったか。でも何かしらの夢は見た気がするんだけどな……」

 得てして夢は思い出せないことの方が多い。脳には夢を長期間記憶する機能が、そもそもないからだ。これは情報を整理して、不要物を排除しようとする夢の働き自体に起因するものだという説もある。

 つまり解消したはずのストレスの元を、留めておく必要がないということなのだろう。

「よっ……やっぱり重いっ……!」

 これを持つのは寝起きの体に堪える。ジョルジュは整備室の片隅に装置を運ぶと、そこに置いてある箱の中へと押し込んだ。失敗品を入れておく為に用意した、大きな木の箱だ。他にもジャンク品や壊れたパーツなんかが、無造作に詰められている。

「んー……でも妙に気分がリフレッシュできているような……それは気のせいか。装置は動いていないわけだし」

 伸びをしながら、ジョルジュは木箱に背を向ける。

 彼は気付いていなかった。

 その大いなる発明が成功したことにも。まだ導力源が落ちていないことにも。夜になるとオートで作動する状態になっていることにも。

 扉が外側からノックされる。

「おはよう。もう起きているかな」

 入ってきたのはアンゼリカだった。

「おはよう、アン。ええと、今何時だ?」

「朝の八時だ。今日はずいぶんゆっくりじゃないか。いつも朝早くから機材の点検をしているのに」

「久しぶりに熟睡したせいかな。よく眠れたんだ」

「奇遇だね。私も昨晩はぐっすり寝たよ」

 アンゼリカは戸口に寄りかかる。朝八時と言うのは、彼女にしても遅い頃合いだ。本当に良く眠っていたのだろう。

「ところで僕になにか用事かい?」

「いや……特に用事はない。なぜか、ふと足がこちらに向いてね。いい時間だし、一緒に朝食でもどうだい?」

「ああ、行こう。洗面を済ましてくるから待っててくれ」

 珍しいこともあるものだ。

 不思議に思いながら、ジョルジュは手早く身支度を整える。

 支度途中、アンゼリカはこんなことを言った。

「そういえば昨日はジョルジュと顔を合わせていなかったな」

「ん? そうだね。僕は昼からこの部屋にこもっていたから」

「……ふむ。ここに来る前に君に会った気がするのだが……」

「既視感というやつかい? ……でも僕も同じような気がするよ」

 小首をかしげながら、お互いを見る。どうにも腑に落ちないものが、二人共にあるようだった。

「もしかしたら夢で会ったのかもしれないね。ジョルジュはどう思う?」

「さあ。夢の中のことはわからないけど」

 ん?

 自分の口から出た言葉に違和感を覚えたのも一瞬、「それはそうだ」とアンゼリカが小さく笑った。

 ジョルジュの支度が済む。

「お待たせ」

「では出発だ。それにしてもシャロンさんの料理が朝から食べられるなんて最高だと思わないか」

「同感だね。あれほど美味しいとは思わなかったよ」

「ここにニコラス君が加われば盤石なんだが、どこで何をしているのやら」

「彼の料理もいけるって聞くけど、僕は食べたことが無くて。そうそう料理といえばラウラ君が――」

 たわいのない雑談を交わしながら、二人は肩を並べて食堂に向かった。

 

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

《修道女の願い⑥》

 

 わけもわからず彼女は巻き込まれていた。

 飛来する隕石の破片から逃れようと、闇夜のヘイムダルを走り回っている。

「ここまでくれば大丈夫かしら……」

 喘ぎ喘ぎ、ロジーヌは空を仰ぐ。

 ここはオスト地区の路地裏である。災禍を避けている内に、いつの間にかたどり着いていたのだ。

 一番被害が大きそうなのは、やはり戦闘の直下にあったドライケルス広場だろう。ここもまだ安全とは言えない。少し遠いがマーテル公園まで避難した方がいいかもしれない。

 さすがに導力トラムも止まっているはずだから、徒歩でいくしかない

 再びロジーヌが足を動かそうした時、近くから物音がした。ビクリとしてそちらを振り向くと、薄暗い景色の中に人影が浮き立っている。

 その人影はぼそぼそとつぶやきながら、近付いてきた。

「くそっ、魔法少女どもめ。滅茶苦茶やってくれるな……この地区には僕の家もあるっていうのに……ん?」

 その人物と目が合う。

 ロジーヌはそれが誰かわかった。

 さっき空から響いていた声の一つと同じ。確か――魔界眼鏡マキアスだ。あの戦艦からかろうじて離脱していたのだろう。

 彼もロジーヌに気付いた。眼鏡が怪しく鈍色(にびいろ)に光る。

「なんだ、お前は……いや誰でもいい。お前を人質にしてやるぞ。くっくっく」

「な、なんの人質なんですか?」

「知るか。人質を取る方が悪い感じがするだろう」

「そう言われましても……」

「ヒアーッハーッ!!」

「きゃあ!?」

 いきなりマキアスが飛びかかってきた。身を屈めてよけるロジーヌを頭上を飛び去り、その後ろのゴミ捨て場へとダイブする。運悪く、今日は生ごみの日だった。

 山のように重なっていたゴミ袋に突っ込んだ彼は、じたばたともがきながら這い出てくる。頭の上には魚の骨やら卵のからやらが乗っかっていた。

「くさっ! よくもやってくれたな、修道女風情が。くさっ!」

「ご、ごめんなさい。でも私、なにもやってませんけど……」

「黙れえっ!」

 眼鏡のレンズからビームが発射された。逸れた熱線が地面をかすめ、そこに黒い焦げ跡を刻む。

「きゃっ、やめて下さい!」

「やめてと言われてやめないから悪なんだ!」

「誰か……」

 周囲には誰もいない。

 またマキアスのメガネが光を放ち始める。本気で撃ってくるつもりだ。でも盾にするものも、隠れる場所もない。

 誰か、誰か助けて――

「そこまでだ」

 何者かの声が割って入る。そばの民家の屋根に誰かが立っていた。

 鮮やかなブロンド髪に、純白のタキシード。そして目元を隠すマスク。

 あれは、あの方は。

「ノーブル仮面さま!」

「とう!」

 ノーブル仮面とやらは跳躍し、くるくると三回転半宙返りを決めて、ロジーヌの前に着地した。

 彼は腰の騎士剣を抜き放つと、白銀の切先をマキアスに向けた。

「荒んだ時代が生み出した哀れなメガネモンスターめ。このノーブル仮面が成敗してくれる!」

「ああ……」

 凛々しい立ち姿に、ロジーヌは軽いめまいを覚えた。

「誰がメガネモンスターだ! 好き放題に言ってくれるな!」

「本体がどちらかを考慮するならば、確かにメガネモンスターというより、モンスターメガネのほうが妥当かもしれんが」

「そんな話はしていない! 食らえ!」

 勢いよくメガネビーム発射。ノーブル仮面は騎士剣を縦に構える。刀身を鏡のように利用して、ビームをマキアスにはね返した。

「ぐああああ!?」

 マキアスが悶絶している隙を突いて、「シュトラール!」と指笛を拭く。道の向こうから走ってきた白馬に、ノーブル仮面は飛び乗った。

「はっ!」

 加速し、マキアスとのすれ違いざまに騎士剣を一閃。どこから出現したのか、無駄にきらびやかなバラの花びらが舞い踊る。

「帰るがいい。魔界のメガネショップにな」

 決め台詞炸裂。眼鏡を両断されたマキアスは、断末魔の叫びを上げてくずおれた。

 あばたもえくぼ状態のロジーヌもノックアウト寸前だ。ノーブル仮面は彼女をシュトラールの背に引き上げた。自分の前にロジーヌを座らせる。

「あ、あの」

「ここは危険だ。安全な場所まで移動するぞ」

 ハイヤッと気勢をかけると、白馬から一対の翼が生えた。シュトラール・フライトモードである。

 ロジーヌとノーブル仮面を乗せた天馬が、大きな満月を背景に空を駆ける。

 そこは二人だけの世界だった。

「今日もあなたに助けられました。私はなにもお返しできていないのに」

「気にするな」

 ぶっきらぼうに彼は言う。いつものことだ。

 ノーブル仮面さま。いつも私がピンチになった時に助けてくれるノーブル仮面さま。

 あなたは誰なのですか? どうして正体を教えて下さらないのですか? 目元しか隠れていないアイマスクで、ほとんど顔は丸見えなのに、なぜか私は気付くことができない。

 吐息がかかるほど、今はこんなにも近い。少しだけならいいかしら。あなたが私の思うとおりの人であるのなら。 

 しなやかな白い細指が、ノーブル仮面のマスクにかかって――

 

 

 そんなところでロジーヌは目を覚ました。

「………」

 教会の一室。間借りさせてもらっている私室――そのベッド上だ。

 夢は間もなく忘れてしまうが、記憶として残る期間には個人差がある。ロジーヌは覚えている方だった。

 思い返し、頬が赤らむ。

 私ったら、なんて夢を……。

 枕元の時計を手繰り寄せる。朝の四時。外も暗く、さすがにまだ起床する時間ではない。

「もう少し寝ないと……」

 睡眠不足で昼のお勤めに支障が出てはいけない。礼拝中にうたた寝なんかしてしまったら、大変なことになる。

 それに今もう一度眠れば――

 急に恥ずかしくなる。毛布を頭までかぶり、ロジーヌは身を小さくした。

「夢の続き、見られるかしら」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 





その銀色の箱は、機能を停止していなかった。

夜ごとに輝き、光を放ち、夢の世界を押し広げた。

箱は自らが創造した世界を《ロア=ヘルヘイム》と名付けた。

しかし箱には、まだ名前がなかった。

箱は自らに名を付ける《王》の出現を待った。

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