虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第71話 ミッドナイトヘブン

 

 “合流した学院生たちも増えてきたから、空き部屋を利用してそれぞれのスキルを活かしてみたらどうかな。”

 それはトワからの提案だった。

 実際、カスパルなんかはすでに武器メンテナンスを取り扱う工房を開いていた。

 これが中々好評で、実戦の機会も多いⅦ組メンバーは、頻繁に彼の店に足を運んでいたりする。目利きが抜群に良いらしく、武具の不調の原因を一発で見抜いてしまうのだとか。

「ウチも負けてられへんな。よっと」

 ベッキーは段ボール箱をどさっと床に置く。中身はケルディックから持ち込んできたアイテムの数々。いくつかはルーレの骨董品店で安く仕入れてきた掘り出し物もあった。

 カレイジャスの資金で購入するものは食料、薬、生活必需品に限られている。しかしそこは学生。趣向品だって欲しい。

 たとえば女子なら整容に使う物品。過度のおしゃれではなく身だしなみの範囲なら、ちょっとした化粧品だってあってもいいだろう。

 この状況下で贅沢をするわけではない。だが過度の節制は士気の低下をまねく。

 そうやって探していくと、男女問わず細かな雑品には需要があると思えた。需要と供給。商売人の好きな言葉である。

 そう考え至れば、彼女の行動は早かった。

 艦がルーレに降りるや物資補給班に加わり、買い物がてら町中を物色して回る。老舗らしき卸売り店を見つけ出し、得意の話術で店主と親しくなる。そこで得た情報をもとに、使えそうな売買ルートを割り出し、そこに関わる商人たちとまた親しくなる。

 《紅き翼》の搭乗員であることを明かし、アルフィン・ライゼ・アルノールの名前をちらつかせ、自分と繋がりを持つことの有益性を感じさせれば、彼らの協力を得ることは難しくなかった。

 入用なものを原価で買い付け、あとは損益分岐を見極めながら、良心価格で学院生たちに販売する。

 薄利多売の真髄だ。

「店構えはどないしようか。人情味あふれる地域密着感が出せれば理想的やなあ」

 戦闘艦で地域密着などあったものではないが、ベッキーは上機嫌に店の設えを考えている。

 部屋の外に置いてある残りの段ボール箱を取りに通路まで出たところで、彼女の視線がふと何かを追った。

「今、なんか……」

 少し離れた通路を人影が横切った。すぐに角の向こうへ行ってしまったので、顔までは見えなかった。

 しかし服はかろうじて視認できた。

 やたらと攻めている――攻めまくっているそのデザインは、多くの物が流通するケルディックにおいても目にしたことがない。

 学院生、臨時クルー、搬入作業員。その誰とも違う。

「あ、あかんやつや……これはあかんやつや!」

 すぐさまベッキーはブリッジに内線を飛ばした。

 

 

《★★★ミッドナイトヘブン★★★》

 

 

 侵入者の可能性あり。

 ベッキーからの報告を受けたトワは、そう判断した。

 ただし、あくまでも可能性。断定するには情報が少ない。

「さて、どうする?」

 艦長席のかたわらに立つアンゼリカが訊いてくる。父親とのいざこざも片付けた彼女は、さっそくカレイジャスに搭乗してくれた。

 トワを補佐できる能力と関係があることから、アンゼリカのポジションは副艦長だ。判断力と機械適正も高いため、艦の主操舵をも担当する。

 そんな彼女の右肩は包帯で固定されていた。ゲルハルトとの勝負で脱臼してしまったせいだ。しばらくは前衛での戦闘ができない。

「まだなんとも……難しいところかな」

 そう答えて、トワは艦長帽をかぶり直した。

 ベッキーが加入したのはごく最近だ。多くのクルーがいる艦内で、彼女にとっては見慣れない人物の方が多いはず。今手元にある情報だけで、たとえば人員を割いてまで、その人物の捜索にあたれと指示を出すのは早計に思えた。

 できれば、もう少し確実な目撃証言が欲しい。

「お伝えしたいことがあります。あくまでも私見ですが」

 たまたまブリッジに居合わせたマキアスが、トワに進言する。彼はいつも通り、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

「件の侵入者……結社《身喰らう蛇》の手の者――しかも執行者である可能性が高いと、僕は考えます」

 彼の言葉を聞いて、ブリッジのクルーたちの表情が一瞬で強張った。静かな緊張が張りつめていく中、トワは努めて冷静に訊き返す。

「どうしてそう思うの? 情報なんて服装のことぐらいしかないんだよ」

「その服装が問題なんです。思い出して下さい、今まで遭遇した結社の執行者を。たとえば《怪盗紳士》ブルブラン。彼の装いは袖や裾にフリルをあしらった奇術師スタイルで、無駄に主張の激しい白マントを着用し、おまけに羽付きの仮面を顔にかけています」

 トワはブルブランを見たことがない。しかしマキアスの説明を聞けば、その怪しさは十分理解できる。

 昼に出会えば変人で、夜に出会えば変態だ。

「次に《劫炎》のマクバーン。僕は彼とユミルで交戦しています。冬だというのにばっくり開いた胸元。威圧的な赤色のジャケットコートは足首に届く程に末広がり、上衣下衣にはそこまでやる必要があるのかというくらい、装飾の留め(ひも)をくぐらせていました。にも関わらず、靴は紐靴じゃないという……!」

「その、別に靴はいいんじゃないかな……。冬なのにばっくり系ファッションって言ったらフィーちゃんもそうだし……」

「ですが可能性は考慮すべきです。ベッキーからの報告では、その侵入者疑いの人物も“あり得ない服装”だったのですから」

「うーん、それはそうだけど」

 服装は闇のような漆黒で、ギラギラに煌めく銀の紋様付き。じゃらじゃらとしたチェーンアクセサリもぶら下げていたらしい。蝙蝠の羽を連想させるコートだかマントだかを羽織り、顔は判然としなかったがゴーグルのようなものをかけていたという。

 おまけにその人物も胸元の開いたばっくり系ファッションだったとか。

 一瞬しか見えなかったベッキーに、これほど鮮明に映像を焼き付けたのだ。並大抵のインパクトではない。

 トワは頭を抱える。

 まさか服装だけで結社の刺客と判断できるはずもない。しかし目撃情報を信じるなら、執行者たちの奇抜なそれと似通う部分も確かにある。

 そしてマキアスの言った“可能性は考慮すべき”との指摘。

 艦長たる自分の最たる役割はリスク予測と管理である。不測の事態には徹頭徹尾、備えに備え、何もなければそれで良いというスタンスでいなければならない。いわゆる“かもしれない”思考だ。

「……そうだね。マキアス君、Ⅶ組のみんなに個別連絡して、状況を伝えて。侵入者と仮定して、現在の場所を突き止めよう」

 艦内放送で周知しては、相手にもばれてしまう。Ⅶ組同士で連携を取りながら、悟られないよう包囲を狭めていくのが良策だ。

 トワは指示を付け足した。

「アリサちゃんとリィン君にはまだ連絡をしなくていいよ。今、二人とも外出中だし」

「かまわないんですか?」

「うん。二人には戻ってきた時点で協力してもらうから」

 少し前にアリサが外出許可を取りに来たのだ。思い詰めていると思うから、リィンを気分転換に連れ出したいと。

 トワはそれを了承した。彼には体の休息もそうだが、心を休めることが必要だ。

 だから今は、リィンに余計な負担をかけたくないというのが本音のところだった。

 マキアスもそれは察してくれたらしく、一斉通話の連絡先からアリサとリィンを外した。

「それじゃ、慎重にお願いね」

「任せて下さい」

 トワの念押しにうなずいて、マキアスはさっそく全員と話をつけていく。

 この時誰一人として、外出していた二人が予定時間よりも早く戻り、すでに艦内にいるとは考えなかった。

 船体を叩く雨音が激しくなる。遠くの空に雷鳴が轟いていた。

 

 ●

 

 医務室を出たリィンは談話スペースのソファーに座っている。珍しく誰もいない。

 落ち着ける時間だった。色々なことを考えるには丁度いい。今後の情勢、行動、自分の気持ち、そしてヴァリマールの新しい剣。

 それらを頭に浮かべたリィンは、一人首を横に振った。

「いけないな、これじゃ……」

 せっかくアリサが気分転換に連れ出してくれたのだ。今は休むことに集中して、悩む時は仲間と悩もう。

 一人で抱え込むなと、散々言われたじゃないか。

 悪い癖だと自戒しながら、ソファーから立ち上がる。

 今日一日は念のために医務室で過ごすよう、セリーヌから言われていた。

 騎神の力を過度に使用した反動が、どのような形、タイミングで出るかはわからない。今は普通に歩けていても、時間差でダメージがフラッシュバックするおそれもあるらしい。

 万が一変調の予兆があった場合でも、医務室ならナースコールで人を呼べる。もっとも艦内には医療スタッフが常駐していないから、コールを押すと、トワかシャロンが駆けつけることになっているそうだが。

「とりあえず行くか」

 しかし医務室とは反対方向に歩き出す。先に乾燥室に寄っておきたかったのだ。そこに普段の服を干してある。

 リィンは今、ギラッギラでバリッバリの服を着ていた。

 ちなみに着替えを取りに行こうとしているのは、少々服のサイズが小さいからという理由であって、別にデザインがアレだからというわけではない。

 通路の真ん中で、不意に立ち止まる。接近する人の気配を察知した。

「誰かがこっちに近付いてきてるな。……違う方向から行くか」

 あまり出歩いている姿を見られては、また体調を気遣われるかもしれない。

 人目を避けながら、リィンは乾燥室へ向かうことにした。

 

 

「――というわけだ。みんな、気を抜かずにな」

 改めて事の次第を説明したマキアスは、油断なく周囲を見渡した。

 カレイジャスの三階はいわゆる生活区画で、仮眠室、医務室、洗濯室、乾燥室、倉庫、空き部屋などが集中している。

 ここにマキアスに召集されたⅦ組メンバーが集まっていた。もちろんリィンとアリサ以外だが。

 ユーシスがやれやれと腕を組む。

「まずはお前がだろう。先走りしてミスをやらかしても、面倒を見てやるつもりはないぞ」

「余計な一言を言わずに了解と応じられないのか、君は」

「ふん」

「鼻を鳴らしたな! こっちこそ君のフォローなんかしないからな!」

「そんなもの最初から期待していない」

「まあまあ、お二人ともその辺りで……」

 場所と状況を弁えないいつもの小競り合いを、委員長のエマがやんわりと仲裁した。

「いや、僕は事を荒立てるつもりはないんだ。ただユーシスがいちいち文句を言うから……」

「なぜお前が場を仕切っているのか、それが疑問なだけだ」

「このっ……!」

「やめておきましょう、ね?」

 エマは柔らかく微笑しつつ、どこか圧の滲んだ声音で言い含める。彼女の後ろでは、怒らせない方がいいと言わんばかりに、フィーがこくこくとうなずいていた。

 ユーシスとマキアスは口をつぐみ、お互いの険を引く。

 エマがまとめ役を代わり、続けて言った。

「《ARCUS》は通信状態にして、常にブリッジと繋いでおくようにして下さい。トワ会長から状況に応じた指示を出してもらえます」

 艦内フロアには警備上の観点から、いくつか定点カメラが設置されている。全ての角度をカバーできるわけではないが、それらの映像はブリッジのスクリーンでも見ることができるのだ。

 最初に不審者の目撃情報があったのはこの三階。非常階段口とエレベータ前を映すカメラでは、その人物は今のところ確認できていない。

 つまりこのフロアから別の階には移動していないと考えられる。

 とはいえ艦内は非常に広い。もし隠れられでもしていたら、早々には見つけられないだろう。

「相手の目的がわからない以上、後手に回りたくはありませんね。幸い、こちらがすでに勘付いていることは知られていません。うまく立ち回って逆に退路を塞いでしまいましょう」

 万が一のため、全員武器は携行することにした。最悪は直接戦闘も覚悟せねばならない。

 付かず離れずの距離を保ちつつ、彼らは静かな捜索を開始した。

 

 ●

 

 時間が経つにつれ、目撃情報は増えていった。

 ブリッジ席の一つに座るヴィヴィが、振り向いて声を上げる。

「また報告入りました。内線繋ぎます。3FのB室から――ってカスパルじゃない」

『ヴィヴィか? この通話ってトワ会長にも聞こえてるんだよな。Ⅶ組が探してるっていう不審者、俺見たぞ』

「カスパルくん、詳しく聞かせてくれる?」

 カメラ映像からは目を離さず、トワは言った。

『船尾側に続く4番通路に入っていくのを見ました。多分そいつで間違いないと思います』

「特徴は?」

『……説明が難しいんですけど、すごい禍々しいっていうか、黒いオーラの出ている服を着ていました』

「服だけ? 顔はわからない?」

『すみません。目がそっちにばかり向いてたので……ただ一つだけ言えるのは、そいつは相当やばいヤツだってことです。普通じゃありませんよ、あんな……!』

 カスパルは見たものをうまく言葉にまとめられないようだった。

 彼だけではない。侵入者らしき影を目撃したほぼ全員が、その顔に目が向かず、衣服にばかり着目しているのだ。

 内線での通話を終えたトワは、となりに控えたままのアンゼリカを見やった。彼女も思案顔を浮かべている。

「アンちゃんはどう思う? みんなが顔を見てないって変だよね」

「ふむ……たとえば相手の意識をずらすような術を使っているかもしれないな」

「そんなことができるの?」

「たとえば手品師が使うミスディレクション。武道においても所作一つで意識を誘導する技術はある。高度な技だ。それを実際に侵入者が使っているのだとしたら、かなりの手練れであることは間違いないだろう」

「執行者……」

 不穏な一語がよぎる。

 双竜橋、黒竜関。カレイジャスを運用してから、自分たちは貴族連合の拠点に損害を与え、結果としてそれらを奪還してきた。

「彼らにしてみれば我々は目障りな存在だ。停泊中の隙をつく形で、結社のエージェントを差し向けてくるというのは、十分あり得る」

「目的は私たちというより、艦そのものかな。カレイジャスが機能を失ったら、それだけで私たちは動けなくなるし」

 三階に忽然と現れたことが、外部の人物であることを裏付けている。前後部デッキのどちらかを侵入経路として使ったのだ。

「アルフィン殿下は?」

「まだ騒ぎのことはお伝えしていない。念のため、部屋外には護衛役を数人配置したがね」

「エレベーターのロックと非常扉の封鎖は?」

「完了している。最優先でやってもらうようマキアス君に指示を出しておいた」

「ありがとう」

 これなら他の階に行くことも、他の階から来ることもできない。艦の心臓部たる機関室に近付けるわけにはいかないのだ。

 この一時間程度のことだが、アンゼリカが横にいるおかげでトワの負担は少なくなっていた。対等に意見を交わし、下す判断をより確実なものにしてくれる。

 なによりトワの考えを察して、先回りの指示を出せる人間など彼女以外にいない。

「うまく包囲を狭めていけば、元来た道からお帰り頂けるかもしれない。そうなればひとまずの安全は確保できるわけだが……トワはそれは望まないな?」

「うん、可能な限り対象を確保しよう」

 仮に撤退したとしても、二度目の侵入をしてこないという保証はない。もしかしたら、すでに艦内に何かを仕掛けられている場合もある。

 捕まえて素性と目的を暴くことが先決だ。

「相手がいる場所はわからないけど、捜索済みの場所――つまりいない場所ならわかる。ここからは私が指示を出すね」

 あとは絞り込むだけ。

 艦内フロアマップを正面スクリーンに映し出すと、トワはひじ掛けに設置されている通信機を手にした。

 

 

「トワ艦長から通信が入りました。みなさんの《ARCUS》にも音声を転送しますね」

 エマはジョルジュが追加してくれた同時通話モードに切り替える。親機として受信した導力波を分散させ、それぞれの《ARCUS》にトワの声を届かせた。

『色々な情報を総合した結果だけど、件の人物はやっぱり侵入者と断定したよ。それもかなりの実力を持って、私たちに敵対する勢力からの。マキアス君が言うように執行者かもしれない』

 ごくりと全員が息を飲む。

 アンゼリカが言葉を継いだ。

『今後の防衛手段を見直すためにも、できる限り捕縛して情報を得る必要がある。私たちの誘導に従って、あくまでも自然に歩を進めてくれ。必ず相手を追い詰めてみせる』

 この場にそろった八名――エマ、マキアス、フィー、ガイウス、ラウラ、ユーシス、ミリアム、エリオットは三班に分かれ、各々で別ルートを進んだ。

 

 Aチームはユーシスとマキアスだった。

「よりによって、なんでまた君となんだ……」

「こちらのセリフだ」

 よりによって、というよりか、例によって、である。

 エマが即席で作った組み分けだが、性格はともかくとして、二人の能力の相性は良かった。

 マキアスのミラーデバイスは広範囲で複数の敵を相手取れ、ユーシスの魔導剣は一撃の突破力が高い。バランスがいいのだ。ネックとなる魔導剣のチャージ時間も、ミラーデバイスのサポートがあれば容易に稼ぐことができる。

 三人、三人、二人での班員編成の中で、彼らが二人チームを担うのは、それで戦力が保たれているからだった。

『Aチームは左翼2番のルートを通って、船尾側へ移動して下さい』

 トワからの指示通りに進んでいく。

 途中に空室や物陰も確認したが、まだ侵入者らしき人物は発見できない。

「くそっ、どこにいるんだ。早く見つけないと」

「お前、何を焦っている?」

 落ち着きなく視線を動かすマキアスに、ユーシスが言った。

「こういう時に浮足立つな」

「僕は焦ってなんか……いや、そうだな。すまない」

 珍しくマキアスは素直に謝った。意外に思ったのか、ユーシスは眉をひそめる。

「そろそろリィンとアリサが外出から戻ってくる頃だろう。その前に片をつけたかったんだ」

「……ああ、わからんでもないが」

「僕らはリィンに頼りすぎている。そしてリィンはそれに応えようとしてくれる。自身の負担を顧みようともせず」

 機甲兵戦になれば自分たちはどうしても後衛に下がらざるを得ない。もちろん騎神リンクを繋ぐことで共に戦っている。こちらの目を活かしてサポート、フォローもしている。

 だがやはり身体的な疲弊は、リィン本人に蓄積されてしまうのだ。

「それに加えて、今回はヴァルカンのこともある。背負い込むなと言っても、背負い込むのがリィンだ」

「だからこの程度のトラブルはさっさと収めて、余計な面倒に巻き込むことなくリィンを休ませたい。そういうことか?」

「短絡的な発想なのは承知してる。だが今回ばかりは……」

「いや、俺も同感だ。たかが結社の刺客一人でいちいち騒いでいては、リィンも休まらんだろう」

 マキアスは小さな笑みをこぼした。

「まさか君と意見が合うとはな」

「不本意ながら、とは言っておこう」

 

 

「フィーちゃん、ミリアムちゃん。なるべく私から離れないでくださいね」

「了解」

「りょーかい!」

 エマ、フィー、ミリアムがBチームである。

 こういう時には合理的に動くフィーと違い、こういう時でもミリアムは予測不能の動きをする。

 対象を見つけたとしても、トワの指示があるまで直接的な接触はしないことになっていた。ミリアムが問答無用で相手に襲い掛からないように、その制止役がエマなのだ。

「ねえ、いいこと考えたんだけど」

「なんですか?」

 捜索の最中、フィーがエマにこんな提案をした。

「転移術での移動先って任意で選べるでしょ。それを利用した委員長の必殺技」

「必殺技ですか? 転移術でというのはちょっとイメージが湧かないですが……」

「まず敵の足元に転移陣を敷いて、その敵を真上に飛ばす」

「それで?」

「そうすると落下してきた敵は、また転移陣に引っかかる。で、また真上に飛ばす。それを永遠に繰り返す。名付けて無限転移ナイトメア」

「最終的には?」

「足元の転移陣を突然消して、頭から地面に激突させる」

「極悪ですね……」

 以前にカレイジャスから落下した際、転移術を繰り返して使い、地上まで降り立ったことがあった。

 その時に転移前と転移後で、物理運動はリセットされないと判明している。

 つまりフィーのいうやり方だと、転移を繰り返すごとに落下エネルギーは加算されていき、その反復回数次第では、ビルの屋上から地面まで叩き付けたと同等の衝撃を生み出すことも可能なのだ。

 魔女のフィニッシュブローというには、あまりにもえげつない力技である。

 何を想像したのか、ミリアムはケラケラと笑っていた。

「どう?」

「……ちょっと使わないかもしれないですね」

「残念」

 使えないではなく、使わない。話で逸れていた警戒の意識を、周囲に向け直そうとした矢先、

「でもいざという時は使った方がいいと思う」

 わずかに硬さのある口調でそう重ねられ、エマは思いがけず立ち止まった。

「なりふり構っていられない時は私もそうする。どんなこともするよ」

「フィーちゃん?」

「そうじゃないと、誰かが代わりに無理することになるし」

 何のことを言っているのか、誰のことを指しているのか、エマにもわかった。

「そう……ですね。フィーちゃんの言う通りです」

「じゃあ使う? 無限転移ナイトメア」

「それはまあ……選択肢の一つとして前向きに検討します」

 誰しもがリィンを案じ、そして自分にできることを探している。

 一方的に寄りかかるのではなく、互い支え合うのが仲間であるならば。

「まずは敵を捕らえましょう。私たちの力、全てを使って」

 

 

 表向きは冷静にしていても、ラウラの心中は揺れていた。

「ラウラ?」

 エリオットに呼ばれても、

「どうした?」

 ガイウスに肩を叩かれても、

「………」

 無言で歩き続ける。Cチームの移動ルートは、右翼側から船尾側に繋がる3番通路だった。

「僕たち、なにか怒らせることしたかな」

「怒っている感じではないが……考え込んでいるというか」

 背後の二人のやり取りは耳に届いていたが、頭には届いていなかった。

「はあ……」

 時々こんな嘆息をついては、ラウラは物憂げな視線を周りに巡らしている。

 事態の重さは理解していた。しかし集中できない。気にかかるのは、やはりあのこと。

 アリサがリィンと一緒に出かけている。

 わかっている。沈んだ彼の気持ちを慮ってのことだろう。ルーレは彼女の故郷でもあるから、気分転換になる場所でも知っていたのかもしれない。

 わかっている。それだけだ。わかっているつもりなのに……どうやっても頭からそのことが離れてくれない。

「ああ!」

 雑念を振り払うようにぶんと頭を振る。長いポニーテールがエリオットを打ち据え、「ぷあ!」と間抜けな悲鳴が通路に反響した。

『どうしたの? なにかあった?』

「い、いえ。異常なしです。すみません」

 声を聞き留めたトワからの通信が入り、ラウラは罰悪そうに謝った。

 アンゼリカの音声が割って入ってくる。

『ここまでで全チームから発見報告はない。そのおかげで逆に相手のいるポイントが絞れてきた。おそらくB区画付近と想定できる』

 B区画は倉庫に並び、洗濯室や乾燥室などがある。侵入者の目的がそこにあるとは考えにくいことだった。

『内部構造を知らないから迷っているのかもしれないな。艦内は広く、通路も多い。経路図がなければ思うようには進めないはずだ。昨日搭乗したばかりの私もそうなのだから、その者にとっても同じだろう』

 その時、急にガイウスが足を止めた。

 声は出さず、その場から動くなと手で制してくる。

「どうした?」

「この先に誰かいる。一人だ」

「確認する」

 通路の角際に立つと、ラウラは手鏡を取り出した。この手の物は身だしなみの必需品として常備している。それを角からすっと差し出し、先の様子をうかがってみた。

 鏡面に映るのは報告で聞いていた通り、怪しい風体の男だった。

 その装いを見て確信した。かつてない危険な敵だ。

 《ARCUS》を口元に寄せ、小声でトワに告げる。

「侵入者を発見しました。このまま拘束しますか?」

『待って。その位置ならいい策が使えるから。ちょうど他のチームも来てくれたみたい』

 向かいの通路にAチーム――マキアスとユーシスの姿が見えた。エマ、フィー、ミリアムのBチームも近くの物陰に控えている。

 すでに仲間たちも臨戦態勢だ。

 ここでようやくラウラも気持ちを切り替える。 

 今アリサはリィンを連れ出してくれている。ならば私は彼の帰ってくる場所を守ろう。帰ってきた彼に何かあったのかと問われれば、何も気にするなと笑顔で言ってあげよう。ゆっくり休んでくれと。

 皆も似たような事を思っているはずだ。

 ラウラは蒼耀剣を強く握りしめた。

 固唾を呑んで、全員がトワの号令を待つ。

『準備はいいかな? いくよ……隔壁閉鎖! 総員突撃!!』

 

 

「よし、やっと回収できた」

 乾燥室から出てきたリィンの腕には、洗濯済みの普段着があった。いつも身につけている旅装だ。動きやすくて、やはりこれが一番しっくりくる。

「それにしても、ここまで来るのに時間がかかってしまったな」

 人の気配を避けてきたのだが、どこかその動きが妙だったというか。やたらと大回りしながら、複数の人間がじりじりと自分に近付いてきていたのだ。もちろん偶然なのだろうが。

 さらにリィンは定点カメラにも映らないようにしていた。映像はブリッジでも見れるから、下手に自分が動いていると知られると、また無用な心配をかけるかもしれない。

 それはさすがに気にしすぎと思わないでもなかったが、一度気にしてしまうと気になるものだった。

 そういうわけで彼は、今の今まで誰の目にも留まらなかったのだ。

「さて……ロッカールームに戻るか」

 今度はどのルートで向かうのがいいだろう。そんなことを考えた時、異変が起きた。

 ガゴンと何かの機械が作動する音。続いて天井から隔壁が降りてくる。あっという間に通路が塞がれ、それ以上奥へ進めなくなってしまった。

「な、なんで……!?」

 隔壁シャッターは防炎、防煙、防衛などの緊急時にしか閉じられないはずだ。

 それが起動している。しかしアクシデントを知らせるような艦内放送はなかった。動作不良でないのなら、不測の事態が発生したことになる。

 急ぎ状況を確かめなければ。杞憂ならばいいが、もし想定できる中で最悪のことが起こっているのだとしたら――

「みんなが危ない!」

 敵がいる可能性。誰一人として、手を出させるものか。

 弾かれたように踵を返し、漆黒のジャケットがはためく。

 駆け出そうとするリィン。が、止まる。理解の追い付かない光景がそこにあった。

 守りたいはずの仲間が暴徒の群れと化して、袋小路に追い込まれる形となった自分に襲い掛かってくる。

 みんなが危ないというか、危ないのはみんなだった。

 十字槍が、ミラーデバイスが、魔導杖が、双銃剣が、アガートラムが、魔導剣が、容赦のない威力を撒き散らしながらリィンの視界を埋め尽くす。

 叫び声もあがらなかった。

 

 

 バキバキ、ドキューン、グサッ、ボグッ、グチャッ、ゴキッ――

 通信越しに届く騒音が止んだのは、突撃号令を発してからおよそ30秒後のことだった。

 どさっと何かが床にくずれ落ちる音を最後に、急に静かになる。しかし誰も報告を入れてこない。

「みんな……?」

 応答は途切れたままだ。トワは通信機をぐっと握りしめる。頬をひとすじの汗がつたう。

 まさか全員やられてしまったのか? たったの数十秒で? だとしたら敵の実力を見誤った私の判断ミスだ。

 たとえば隔壁閉鎖を前後で仕掛けて、閉じ込める方が効果的だったのかもしれない。他にも方法はいくつもあったのに。

 いや、そんなことを考えるのは後でいい。早く救援を送らないと。だけど誰がいる? 執行者と渡り合える人物でなければ意味がない。そうだ、サラ教官――はダメだ。夜のルーレで飲んでくるとか言っていた気がする。頼みのアンゼリカは脱臼のせいで、満足に戦えない。

 どうすれば。

『あー、トワ艦長……聞こえますか』

「マキアスくん!? 状況は!?」

 ようやく報告が入る。しかし言葉が続かない。苦々しげに喉をうならすだけだ。

『………』

「マキアスくん?」

『あー……えー……ちょっと言葉で説明しにくいので、ブリッジで映像を確認して下さい。定点カメラの前に移動しますので』

「? うん」

 ずりっずりっと何かを引きずる音。まもなくブリッジの大型モニターに、騒ぎの元凶が大写しになった。

 両側からマキアスとユーシスに拘束され、ぐったりと頭を垂らすリィン・シュバルツァーが。

 その場にいたクルーたちにどよめきが起こった。トワも口を半開きにして固まる。

「それってリィンくん……なのかな」

 目の当たりにしても半信半疑だった。すごいことになっている。パーティーの仮装か何かだろうか。だとしても、だとしてもだが。

 さしものアンゼリカも目を細めていた。

「尋常ではないファッションセンスだが……そういうのは個人の自由だし、私はいいと思うよ。ああ、個人の自由さ」

 一連の騒動を申し訳程度のフォローが締めくくる。なんだか気まずい沈黙の中で、ヴィヴィだけが肩を震わせて必死に笑いをこらえていた。

 

 

――続く――

 

 

 

 

 

――another scene――

 

 それはリィンと分かれて少し後のことだった。

 同じくずぶ濡れになって、女子用のロッカールームで着替えをしようとしていたアリサは、奇しくもその服を発見していた。

「うそ、やっちゃったわ……」

 私用ロッカーの奥から出てきたそれは、服というより衣装と呼ぶべきものか。

 子供の頃に流行っていた小説作品がある。不思議な力を手に入れた女の子の物語だった。

 ジャンルは冒険活劇だが、当時としては珍しく女子主人公で、アクションあり、恋愛ありのストーリー。世の少女たちは、その作品に熱中した。

 アリサも例外ではなく、まだ仕事にかかりきりになってしまう前のイリーナにねだって、様々なグッズを買い集めたものだった。

 中でも主人公が変身したあとの衣装は、可愛さの中に格好良さもあって、作中の挿絵で紹介されるや爆発的な人気を博した。

 それが、今この手にある服である。

「間違って持ってきちゃったのかしら」

 ラインフォルトビルの私室から着替えをいくつか運んで来たのだが、その中に混じっていたのだろう。気付かなかった。

「こんなの着たらさすがに恥ずかしいし、そもそも着れないし……って、あら」

 冗談半分で試しに袖を通してみたら、なぜか入った。

「………」

 周りを見る。ロッカー内には誰もいない。こそっと通路の様子ものぞいてみる。近くには誰もいない。

 懐かしさの後押しもあって、ささっとその衣装を着てみることにした。

 ちょっとだけ、一瞬だけ。誰に向けるわけでもなく、一人そう胸中に繰り返しながら。

 着替えが済むと、アリサはロッカー内の姿鏡の前まで移動した。

「あはは、恥ずかし」

 ツインテールを括る真っ赤なリボン。ふとももまで届くニーソックス。ピンクとホワイトを基調とした、フリルのあしらわれたミニのワンピース。

 子供の頃と同じだ。

 そこでふと思いついた。

「誰もいないわよね……」

 もう一度周囲を確認する。通路も確認する。オールクリア。無人地帯だ。

 よし、やっちゃおう。

 こほんと咳払い。すーっと息を吸う。

 くるりと華麗にターンして、

「あなたにお届け、愛と希望の流れ星! まじかる☆アリサ、ラブ・シューティングスター!!」

 びしっとポーズを決めて、ウインクと同時に必殺の名台詞を高らかに宣言する。自分でも驚くほど、あの頃のキレは健在だった。

「まだやれるわね。なーんて」

 パシャッ。

 唐突に背後が光った。

 振り返った先に、シャロンの姿があった。ロッカールームの扉から顔をのぞかせて、その手には最新モデルの導力カメラを携えている。

「……何をしてるの」

「説明がご入用でしょうか」

 パシャ、パシャと、シャロンは話しながらもシャッターを切り続ける。

「私がこれを着れるのって」

「はい。いつでもお召しになれるよう、お嬢様の成長に合わせて定期的に新調しておきました」

か」

 パシャッとフラッシュ。

「そのカメラを渡して」

「まあ、怖いお顔」

「渡しなさい」

「ダメですわ」

 アリサはじりっと間合いを詰める。シャロンは余裕の態度を崩さない。さらにパシャッと追加の一枚を撮られる。

「渡してくれないと本気で怒るわよ。実力行使で奪い取るけど?」

「それはつまり、このわたくしにラブ・シューティングスターを撃つということで?」

「撃たないし! 撃てないし! あーもう!!」

 悪戯に満ちた笑みを浮かべ、シャロンが逃げる。

 写真流出を阻止すべく、まじかる☆アリサは全速力で艦内を駆け回る羽目になった。





《ミッドナイトヘブン》をお付き合い頂きありがとうございます。

この衣装を知らない方はなんのこっちゃと思われるかもしれないので、補足説明をさせて頂きます。

閃の軌跡Ⅱ発売にあたって、『ゲームの予約本数に応じてグレードを引き上げ、様々なアイテムの無料DLCを配信します』という内容のお知らせが公式HPで発表されました。
その結果、五段階あるグレードの四段階目まで届いたのですが、そこの特典の中にリィンの《人には見せられない》コスチュームが入っていたのですね。(アリサのはグレード5でしたが、後日有料配信)
あれを着用してストーリーを進めたが故に、重要なシリアスシーンが台無しになったプレイヤーが続出!……したかはわかりませんが、大きな傷痕を残していったことは間違いありません。
私の好きなアニメ作品のセリフを借りれば『それが痛みだ!』という感じでしょうか。祝福ではない。

ちなみにまじかる☆アリサと魔界王子なリィンの共演は、この先にとある形で果たされます。ようするに二人の恥辱はまだ終わっていないのですね。

では次回からルーレ寄航日ですが、合流する学院生も増え、本筋のオリジナル展開も大きく動く区間となります。

では次話タイトルは『ミリアムを泣かせ!』です。
タイトルは間違っていません。これまた大丈夫でしょうか。

引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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