虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第69話 命に色があるならば

 正面の扉を蹴り飛ばす。

 靴跡のめり込んだスチール製のそれが、けたたましい音を立てて奥側へと倒れていく。びゅうと強い風。一面を照らす陽光が眩しかった。

 砦内部に進入したアンゼリカは、さしたる時間もかけずにこの場所へとたどり着いていた。

 途中、お出迎えの屈強な兵士たちが道を阻んでいたが、全員一発で沈めてきた。ひとまずの手加減はしておいたが、まだ目は覚まさないだろう。

 ここが黒竜関の屋上。

 トールズ士官学院の屋上よりも二回りは広いだろうか。よく知った学び舎と違って花壇もベンチもなく、資材のいくつかが積み上げられているだけの殺風景なスペースの中央に、がっしりした体躯の男が立っていた。

「ずいぶん遅かったな。途中で力尽きたのかと思ったぞ」

 眉間にしわを寄せ、腕組みをしたまま男は言う。張りのある精悍な声だ。

「ウォーミングアップをする時間くらいは差し上げようという配慮さ。なまった相手を倒したところで意味がないからね」

「抜かしおるわ」

 すました声でアンゼリカが答えると、男――ゲルハルト・ログナーは上着を脱ぎ捨てた。ブラウスの上からでもわかるたくましい筋骨は、日々肉体の鍛錬を欠かしていない証だった。

 眼下の敷地では、リィンたちが領邦軍部隊と戦っている。

 怒号、銃声、砲声、爆音。それらが入り混じって、この屋上にまで届いていた。

「さて、こちらも始めよう。そして早く終わらそう。双方無用な被害は少なくしたい」

 腰を落として半身になり、軽く脇をしめる。何千、何万と繰り返してきた泰斗の構え型だ。

 ゲルハルトは吐き捨てるように言った。

「それが放蕩の最中に身に付けた力か。そんな下らぬ物の為に時間を費やしたこと、身をもって後悔するがいい」

「親父殿にとってはそうだろう。だが私にとっては違う。社交ダンスのお勉強をするより、よほど有益なことだった」

「先を見据えんが故に出る言葉だな」

「大切なのは今だ。私は私の望むままに生きていたい」

 それを傲慢というのなら、そうかもしれない。己の意思を曲げずに行動して、周囲に迷惑をかけたことがあったとも自覚している。

 ならば慎ましやかに生きるというのは、自分を抑え、他人と協調し、道を譲ることだろうか。

 間違っていない。悪いことではない。

 しかし、それが全てと言えるほど高尚な生き方なのか。

 すれあって、ぶつかって、けずりあって、初めて分かり合える関係もある。

 そうやって繋がった先の、忙しなくも楽しかった日々は、いつだって輝いていた。充実していた。私にとって何より価値のあるものだった。

「分かり合った、か。……そう思っていた」

「なに?」

 怪訝顔をするゲルハルト。彼に向けた言葉ではなかった。

 クロウ、知っているか。私が本当に殴りたいのはな――

「言葉はもう不要か」

「何を今さら」

 闘気が揺らめき、弾けた。二人同時に地を蹴る。

 相対する距離が瞬時に詰まり、風を切る互いの拳が交錯した。

 

 

《――命に色があるならば――》

 

 

 敵機の間をすり抜けながら踊るように回転し、機甲兵用に強度を増した鋼の糸をドラッケンに巻き付ける。

 同時にリバースロール。巻き取る力で接触面を切断しつつ、アサルトラインが右腕のショートシールドの中へと戻っていった。

 切り離された首、右肩、左腕、左足が、残骸となって地面に落ちる。これで三機目のドラッケンをばらしたところだ。

「広く展開しながらも、うまく包囲してくる。やっぱり統率が取れてるわ」

 《レイゼル》の操縦席で、アリサはモニターに表示される情報に視線を走らせた。機甲兵、装甲車、歩兵。敵の数を数えるのが馬鹿らしいほどだ。

 だが対応はできる。

 フィーのスピードが歩兵の隊列をかき乱し、エマの転移術が相手を惑わす。マキアスがミラーデバイスで牽制し、その隙をついてラウラが確実に敵を減らす。

 その彼らを押さえようと近付く機甲兵は、このレイゼルが逃さず仕留めていく。

 リィンとヴァリマールは他の隊長機を足止めしてくれていた。

 そう、連携ではこちらも負けていない。

『アリサさん、増援です! 右方より二機!』

「了解よ!」

 エマが通信で敵の接近を教えてくれた。今度もドラッケンだ。しかし装備が違う。

 一体は両手にハンドアックスを持っていて、もう一体は自動式回転のこぎり――特大サイズのチェーンソーを携えていた。

 ドラッケンの数は特に多い。マルチロック機能が混乱しないよう、アリサは敵機ごとに『A、B、C』とアルファベットの判別マーカーを割り振った。

「また物騒なものを持ち出してきたわね……これも第五開発部が作ったのかしら」

 対戦車用の武器とは思えない。明らかに機甲兵戦を想定して作られたものだ。機能的なシステムロックは万全であるものの、内戦後期にもなれば奪われる機体もあると踏んでいたのだろう。

 肉薄してきたドラッケンAがハンドアックスで殴りつけてきた。勢いのある鉄斧を、アリサは腕と一体になったショートシールドで受け止める。レイゼルの足が止まったところに、ドラッケンBがチェーンソーを薙いでくる。

 正面のドラッケンAを押し退けて、横に回避。高速回転するのこぎり刃が、コンクリートの地面を激しく削った。白い粉塵が噴きあがる。

「あ、危ない。冗談じゃないわ」

 ドゥルンと唸りをあげるチェーンソー。この武器相手では、さすがの鋼糸も分が悪い。

 もう一撃が来る。すかさずアリサはアサルトラインを飛ばした。狙うのはハンドアックスを持っている方のドラッケンAだ。

 四本ある糸のそれぞれの先端には、楕円状の重しが付いている。その重しから空気を噴出させることで、微細なコントロールを可能にしているのだ。これも翠耀の特性を利用したものだった。 

 巧みに稼働したアサルトラインがドラッケンAの四肢を拘束する。速やかに自由を奪った上で、その機体を自分の前に引き寄せる。

 盾代わりにされたドラッケンAの背部に、チェーンソーが振り下ろされた。裂かれた装甲から、大量の火花が撒き散らされる。

 攻撃した側のドラッケンBは焦った様子でチェーンソーを引き、とっさに距離を開けようとした。敵の操縦に動揺を感じる。好機だ。

 左腕のブレイズワイヤーを射出。弾丸の速度で撃ち出されたアンカーが、ズドンと腹部に突き刺さった。

 衝撃にのけぞるドラッケンBだが、無理やり上半身を戻してチェーンソーを持ち上げようとしていた。ワイヤーを断ち切るつもりだろうが、もう遅い。

「あきらめて」

 ワイヤーを流れる高電流。重要な基盤を片っ端からショートさせられたドラッケンは、機能不全を起こして動かなくなった。

 接近警報。左方からシュピーゲルが近付いてくる。あれは面倒な相手だ。

「せー……っの!」

 ワイヤーに繋がったままのドラッケンBをぶん回し、地面を滑らす形で投げつけてやる。細身のフォルムからは想像できないほどの凄まじい膂力だ。

 リアクティブアーマーは使わせない。猛スピードで鉄塊の殴打を食らったシュピーゲルは、いくつかの装甲車と数体の機甲兵まで巻き込みながら、黒竜関に隣接する運河へと転落した。

 それでも敵は、まだまだ来る。

『後ろだ、アリサ!』

「えっ!?」

 ラウラが警戒を発した直後、強い衝撃に体を揺さぶられる。回り込んでいたドラッケンCに、背中から組み付かれていた。

 正面にドラッケンD。すでに大剣を構えて、こちらに特攻している。

「このくらいで……ヴァルキリー起動!」

 圧縮された膨大な空気を、背部のウイングユニットから一気に放出する。

 敵にしてみれば、眼前で爆発が起きたに等しい。堪える術なく吹き飛ばされたドラッケンCが、きりもみしながら宙を舞う。

 反動で急加速。迫っていたドラッケンDとの間合いをこちらから潰して、首元に片刃ナイフ――レヴィルを突き立てる。紫電が瞬いた。

 黒煙を吐いたドラッケンDは、大剣を落として倒れゆく。

「続いてマーカー『E、F、G』設定。後続のドラッケンを掃討するわよ」

 グエン・ラインフォルトが孫娘の為だけに製作した最強の機甲兵。

 風をまとい、雷を従え、嵐を体現する朱色の機体が巨人たちの戦場を蹂躙する。

 

 

「すごいな……」

 思わずリィンはそうつぶやいた。

 アイゼングラーフを止めた直後で憔悴していた彼が、レイゼルとアリサの戦いぶりをまともに見るのは、実は初めてだった。

 アリサがドラッケン部隊の中枢に大打撃を与えたおかげで、敵の指揮系統が混乱している。目に見えて連携の動きが鈍くなっていた。

 向こうは任せて良さそうだ。

「こっちも負けていられないな。いくぞ、ヴァリマール」

『霊力ハ全快シテイル。存分ニちからヲ振ルエ』

 目の前には《ヘクトル》が三機。アリサと同様、便宜的にマークを割り当てる。ヴァリマールの場合は数字のⅠ、Ⅱ、Ⅲだ。

 高い攻撃力を誇る重装型機甲兵。まともに正面からやり合うなら、相応の損傷を覚悟しなければならない。

 仲間たちが《ARCUS》を頭上に掲げた。いつでも騎神リンクに力を注げるというサインだ。アリサをのぞき、この場で扱える能力は《ブレイブ》《レイヴン》《アイアン》《ミラージュ》の四種。

 《ARCUS》を複数通信モードに変更。これで全員同時に会話ができる。なにかと便利だろうと、ジョルジュが付けてくれた新機能だ。

 ヴァリマールが剣を抜くと同時、ヘクトルたちが肩のキャノンを稼働させた。

「先手は譲らない。フィー!」

『了解』

 まずは《レイヴン》で先制。三次元機動で砲撃の嵐をくぐり抜け、ヘクトルⅠに勢いのある膝蹴りを打ち込んだ。

 しかし受け止められる。パワー不足だ。

「ラウラ!」

『承知!』

 即座に《ブレイブ》に切り替え、さらにブースターも使う。推力も加算して膝を押し入れ、相手の体勢を崩してやった。

 敵はよたつきながらも肩部キャノンをこちらに向けてくる。撃たれるよりも早く、リィンは砲塔をつかんで力任せにもぎ取った。

 その砲塔で頭部に一撃。首のフレームがへし折れ、砕けたゴーグルフェイスが飛び散る。

『狙ワレテイルゾ』

 ヴァリマールの警告。残った二機が銃を連射してくる。

 マキアスの《アイアン》とリンク。琥白色をまとう装甲が銃撃を弾いた。

 ヘクトルⅡとヘクトルⅢは左右に分かれて距離を取りつつ、脚部のウェポンラックを展開した。放たれた計四発の小型ミサイルが、ロケットモーターで加速しながらヴァリマールに迫る。

 これは避けきれない。リィンは地面に手をかざし、地属性のアーツを発動させた。隆起した大地が路面を突き破り、前面に土砂の盾を形成していく。

 直撃。役目を果たした土盾が、爆発の威力からヴァリマールを守った。

 仲間たちは飛び火を受けていないか。塵芥の立ち込める視界を探ってみると、彼らはうまく物陰に退避していたようだった。

「さすがに火力が強い。こちらも立ち回りを考えないといけないが……」

 フィーからの通信が入った。

『リィン、あれやってみない? 委員長もいいよね』

『ええ、いい機会です』

 エマも同意してくる。

 連携戦術の一つとして、前々から試していたことがあるのだ。確かにいい機会かもしれない。

「そうだな。やってみよう」

 リィンはエマとリンクし、《ミラージュ》の能力を使用する。

 オーロラに似た光のカーテンが拡がり、一帯に銀耀のフィールドを作り出した。そこにヘクトルたちを囲むようにして、ヴァリマールの虚像がいくつも出現する。

 幻惑に支配された二機のヘクトルは、でたらめな方向に射撃を繰り返していた。

 《ミラージュ》の能力は持続させつつ、《レイヴン》も発動。白銀の輝きの中に漆黒が混ざっていく。

 重奏リンク状態となったヴァリマールは、剣を突きに構えた。動きを投影された虚像の全てが、本体の動作をまねる。 

「行くぞ!」

『波長を合わせて!』

『せーの』

 意思と声をそろえて、三人は異口同音に言い放つ。

『シャドウブリゲイド!』

 全てのヴァリマールが中心に向かって一斉に突撃する。迎撃しようと銃を乱射する敵機だが、本物の騎神は一体だけだ。

 高速で交錯する虚像に紛れて、実体の大剣がヘクトルⅡを背中から貫いた。

 《レイヴン》の速度であっても、この短距離、しかも突きならば、左右のバランスを崩す心配はない。

 個々の能力を合成する重奏リンク。その特性を利用した連携技である。

 残るヘクトルⅢも同様に撃破。まともな反撃もしてこなかった。

「アリサもほとんど片付けてくれたみたいだ。歩兵は退いてるし、あとはアンゼリカ先輩がログナー侯に勝てば――」

『マダダ。何カガ来ル』

 ヴァリマールが告げた直後、地面が大きく揺れた。

「地震? ……いや、違う」

 黒竜関の正面門。その大きな鉄製の扉が、何物かの手によって内側からこじ開けられていく。メキメキと金属がひしゃげる歪な音が響き、完全に開かれた砦の内部から山のようなシルエットが姿を見せた。

「な……」

 それが機甲兵であると、すぐには判別できなかった。

 騎神に乗ってなお、見上げるほどの巨体。物々しい武装をあらゆる部位にマウントするその姿は、山というより全身銃機の城砦に思えた。それらの重量を支える下半身は無骨そのもので、足を模してはいるものの台座のような形状をしている。

『よお、リィン・シュバルツァー』

 威圧的な太い声。

「ヴァルカン……!」

『どこにでも現れやがって。双竜橋での借りを返してやる。この《ゴライアス》でなあ!』

 大地を震撼させるほどの雄叫びが突き抜ける。

 相手は明らかなパワータイプ。正面からやり合うのは得策ではない。こちらにはエマとフィーがいる。また連携技を使って、多角度から切り崩せばいい。

 先に仕掛けるつもりでリィンが動きかけた時、足元が鋭く弾けた。

『撃タレテイル。止マルナ』

「狙撃か! どこからだ?」

 続け様の銃弾がすぐ近くをかすめた。《ミラージュ》の影響下にある一帯で、ピンポイントで自分を狙ってくる。つまり相手がいるのは効果の及ばないフィールドの外だ。

 ヴァリマールのセンサーがその敵の位置を割り出した。

『熱源感知。距離ハ――北西1800アージュ』

「なっ……」

 1800。馬鹿な、そんなに遠くから。こちらから反撃する手立てがない。

 姿の見えない相手の狙撃をかわしながら、この強大な敵と戦わなくてはならないということだ。

『全力できやがれ。お前の抵抗を、全てこの手で握り潰してやる』

 地鳴りを轟かせ、ゴライアスが前進した。

 

 

「次弾装填っと。この距離だとさすがに一発は無理ね」

 黒竜関から1.8セルジュ離れた切り立つ崖の上に、狙撃手はいた。伏せ撃ちの構えになって、スナイパーライフルのスコープに片目を接着させるのは、赤い機甲兵《ケストレル》だった。

 長距離用狙撃銃《マグニ》を装備している状態では、《ケストレル・スルーズ》と呼ばれている。

 マグニの威力は凄まじい。この距離でも分厚い鉄板を貫くことが可能だ。

 ゴライアスとヴァリマールが戦闘を始めた。

 激しい衝突の音が、風に乗ってここまで聞こえてくる。彼の激情さえも伝わってくるようだった。

 ヴァルカン。

 荒々しく、猛る炎のような戦いぶりだ。とても彼らしい。今日までの激動の人生を集約し、あらん限りに表現しているみたいだ。

「……不安になるのよ、そういうの」

 討つべき敵を討ち、そこで次の目標を見つけることができなかった自分たちは、心のどこかで“区切り”を探している。

 区切り。落としどころだ。

 これ以上の未来をつかめず、望めず、なにより望まず、この世界から去る時をただ待っている。

 それなのに無為には消えたくないと思う自分もいる。なんだっていい。消えるなら消えるで、確かに自分が生きた証を残してからいきたいのだ。

「……ずっと戦ってばかりだったしね。残せるものなんてないのかもしれないけど」

 だったら最後まで戦いたい。せめて戦いの中で終わりたい。

 命に色があるならば、精一杯鮮やかに咲き誇って、それから全てを散らしたい。

 争いを起こし、多くの人々の平穏を奪っておきながら、それは身勝手な言い分だともわかっている。けれどそうしたい。結局のところ、私たちは利己的なのだろう。

 だから、こうして、ここにいる。

「あなたもそうなんでしょう?」

 届くはずの無い言葉をヴァルカンに向ける。通信も範囲外だ。

 不安に思うのは、彼を案じたからではない。置いていかれそうな気がしたからだ。

「それにしても、あの機体は……」

 灰の騎神と共闘している朱色の機甲兵。動きの癖でなんとなく察しがついた。あのブロンド髪のお嬢さんだ。

 ユミルで交戦した時は半壊のドラッケンを繰って、ケストレル相手に必死で食い下がってきた。性能差もあって追い込まれることはなかったが、あのコントロールセンスには正直驚かされたものだ。

 その彼女に、ハイスペックの機体が渡っている。

「どこで手に入れたのか知らないけど厄介ね。とても厄介。新品のようで悪いけど、ここでスクラップにしておいた方が良さそう」

 引き金に指をかけると、心が高揚していくのが感じられた。

 撃つ前に、スコープを黒竜関の屋上に向けてみる。精細には映し出せないが、そこの戦いはまもなく終わろうとしているらしい。

 親子ゲンカ、大いに結構。ケンカできる相手がいるというのは、存外幸せなことなのだ。

「クロウ、ヴァルカン……私ね。あなた達がケンカしたのを見て――」

 どこか嬉しくて、ちょっとだけ羨ましくて、どうしてか寂しかったのよ。

 砲身を構え直したスカーレットは、先の言葉を口にすることなくトリガーを引いた。

 

 ●

 

 彼を単なる同級生から“友人”と意識したのはいつからだったか。その言葉が適当でないなら“悪友”のほうがしっくりくる気もするが。

 日常的にケンカを繰り返していた頃か。導力バイクの製作に皆で着手した頃か。あるいは士官学院の屋上で戦術殻相手に、初めてリンク戦闘を成功させた時からか。

 屋上――? そうか、ここも屋上だったか。

「う……」

 朦朧としていた頭を振る。首にずきりと痛みが走った。屋上端に積み上げられていた資材の山に、アンゼリカの体は埋まっている。

「その程度か」

 視線を上げると、両腕を組んだゲルハルトが視界を塞いでいた。

 思っていたよりもずっと強かったというのが、アンゼリカの率直な感想だ。

 圧倒されるほど実力に開きはないものの、体力と腕力が想像より遥かに上だった。技の多様さではこちらが有利だが、あの強靭な肉体はそのことごとくをはね返してくる。

 前後の記憶が曖昧だ。どうやら一瞬の隙を突かれて大きいのを一発もらってしまったらしい。

「娘の顔面に拳を入れる父親がいるとはね」

「父親の腹に足を入れる娘に言われたくはない」

「まったく、嫁入り前だというのに」

「嫁に行くつもりなどなかろう。せっかくお前の為に用意してやった見合いの話を、次から次に棒に振りおって」

「私の為ではなく、家の為でしょう」

「貴族家の子女として生まれた以上、それは当然として受け入れろ。ましてや四大名門、なにもかも自由にというわけにはいかんのだ」

 それは理解しているつもりだった。いつかは家の為に生きる日がくる。だが、

「心まで縛られたくはない。私の人生は私の選択で決めていく」

「この後に及んで物事の正否を論じるつもりはない。言っただろう、お前に正義があるのなら――」

 アンゼリカの襟首をつかんだゲルハルトは、彼女を片手で引きずり上げた。頭にかぶっていた木片がパラパラと落ちる。

「力で示してみせよと!」

 ぶんと力任せに投げられる。屋上の反対側まで飛んだアンゼリカは、背中を強く鉄柵にぶつけた。これがなかったら下まで転落していただろう。

「かっ……」

 肺の空気が絞り出され、勝手に声がもれ、ずるりとへたり込む。

 柵の隙間から眼下の様子が見えた。冗談かと思うほど巨大な機甲兵が、ヴァリマールとレイゼルと戦っている。すでに敷地は滅茶苦茶だ。

「確かゴライアスだったか。あの男め、黒竜関を破壊するつもりではあるまいな」

 ゲルハルトが近付いてくる。

「お前を倒せば戦闘も終わる。愚かな娘よ。せめて私の手で引導を渡してやろう」

 動かなければ。しかし立ち上がれない。

 先に岩石のような拳が持ち上がり、そして躊躇なく振り下ろされた。

 

 

「回り込めるか!?」

 殺到するミサイルの群れをかわしながら、リィンはアリサに呼びかけた。『やってみるわ!』と通信を返してきた彼女の声が、続く爆音にかき消される。

『甘えんだよ!』

 ヴァルカンが叫び、全方位に銃弾の嵐を浴びせかけた あらゆる角度をカバーできる位置に、大小様々な銃器が装備されている。攻撃の密度の濃さは、まるでハリネズミだ。

「アリサ!」

『っ、大丈夫!』

 弾幕の中からレイゼルが飛び出した。背部のブースターを噴かして、急速に離脱する。

 彼女の操縦技術をもってしても、容易に近付けない。

 《レイヴン》の速度で翻弄しようにも、死角がないから隙を突けない。かといって《ミラージュ》の幻惑を使えば、効果範囲外にいる狙撃手がすぐに本体を狙い撃ちしてくる。

 どうにかして懐に入り、《ブレイブ》で底上げした攻撃を入れることができれば。

『どうした! もっと攻めてこい!』

「ダメージ覚悟でいく! いいな、ヴァリマール!」

『応!』

 ブレードを背に戻し、《レイヴン》で正面に特攻する。

『はっ! そうでなくちゃ張り合いがねえ!』

 ゴライアスはひび割れた地面に両手を刺し込み、メキメキと岩盤を持ち上げた。

『うおらあああっ!!』

 直径8アージュはあろうかというそれが、ヴァリマールに投げつけられる。

 横回避をしかけたが、かろうじて思い留まる。ヴァルカンはそれを待っている。無理な避け方をしてスピードが落ちた瞬間に、砲弾を叩き込むつもりだろう。

 フルブーストで最高速度へ。ヴァリマールは地面を擦るほどに低空で翔び、向かってくる岩盤をぎりぎりで潜り抜けた。背後で派手な破砕音が響く。

『いい胆力だ!』

「はあっ!」

 体をひねりながら柄をつかみ、急浮上と同時に切り上げる。その一刀をゴライアスは腕で直接防御した。

 刃が装甲に傷を入れたが、裂くには至らない。初動から攻撃までが早すぎて、《ブレイブ》へのリンク切り替えが間に合わなかったのだ。

 ゴライアスが腕をねじる。剣が弾かれ、手から離れてしまった。

『ぼさっとしてんなよ!』

 向けられた腕――その袖口から放射された火炎が、ヴァリマールを呑み込まんばかりに膨れ上がる。こんな武器まで装備しているのか。だが直接の威力はミサイル弾に比べれば低い。まずは一度距離を開けて回避だ。

 後退しかけたその時、また狙撃された。弾丸が右足を擦過する。

「うっ?」

 意識が逸れたせいで、跳躍のタイミングが狂ってしまった。そのわずかな隙に、炎の壁を突き破った巨大な手がヴァリマールの胴体をわしづかんだ。

「しまっ……」

『ドレッドバスターだ。ばらばらになっちまえ』

『リィン、逃げて!』

 アリサが援護射撃をするが、無意味なことだった。

 ゴライアスの胸前まで持ち上げられたヴァリマールに、右肩の大型キャノン砲が突き付けられる。収束した高エネルギーがゼロ距離で炸裂した。

 爆炎にまみれながら落下するヴァリマール。

 装甲の各部が剥落しているものの、原型は留めていた。

「ぐ……マキアスか、助かった」

『ミリアムがいればシールドを張れたんだけどな。まだ気は抜くんじゃないぞ』

 彼の機転でとっさに《アイアン》を繋いでくれたらしい。

『小賢しいじゃねえか。なら直接押し潰すまでだ!』

 ゴライアスの両腕が頭上に迫る。ヴァリマールはプレス機のようなそれを受け止めた。

「重奏リンクはマキアスとラウラでいく! 頼むぞ!」

 発動中の《アイアン》に《ブレイブ》が重なる。走行するアイゼングラーフを真向から止めてみせた合成能力が、ヴァリマールの全身にほとばしった。

 

 

 ヴァリマールとゴライアスが組み合いを始める。

 その最中、アリサは狙撃手の姿を探していた。

 リィンの動きが止まっている今、彼を後ろから撃たれるのが一番まずい。敵のモラル次第ではあるが、最悪アンゼリカを標的にされる可能性もあるのだ。

「どこなの……」

 さっきヴァリマールが北西1800アージュと言っていた。地形データを見る限りでは、その辺りは崖が密集していて、高低差も多い。

 かならずそのどこかに潜んでいるはずだ。

 メインカメラを最大倍率に。ズームアップされた画像がモニターに映し出された。慎重に左右にカメラを振る。

「……いた」

 拡大したせいで粗い画面だったが、そこに一瞬だけ赤色がよぎる。

 伏せ撃ちの体勢のせいで、上半身の一部しか見えないが間違いない。ユミルで戦ったあの機体。名はケストレル。ということは狙撃手はスカーレットだ。

「遠い……でもやるしかないわ」

 大型アサルトライフル、《オーディンズサン》に持ち替える。

 銃身の両側面が前後にスライドし、砲口が三段階にせり出してくる。内部から回転してあらわれたスコープが銃身上部に接続され、オーディンズサンはスナイプバレルモードに切り替わった。

 通常状態より3.2アージュ長くなった長砲身の狙撃銃を、両腕で支えるようにして構える。

 出力を高めて、発砲。

 吐き出された弾丸は秒速980アージュで飛び、しかし目標の80アージュ手前に着弾した。しかも弾はかなり東に流されている。

 外れることはわかっていた。

 今の一発はスカーレットの意識を自分に移すためだ。リィンを狙わせるわけにはいかない。

「来た!」

 ケストレルが応射してきた。ここから動きたい衝動をぐっとこらえ、その場に留まる。相手の弾はレイゼルから十数アージュ左に離れた場所に着弾する。

 この距離で早々当たるはずがないのだ。最初の一発を目印にして、環境データを入力しながら少しずつ弾道を調整していく他ない。

 だからもう動けない。動けば射線がリセットされてしまう。しかしそれは相手も同じ。

 ここからはいかに早く、そして正確に相手を捉えるか。条件はこちらが不利である。

 向こうが風上。さらに高位置。そして武器の射程距離。

 スナイプモードにしたオーディンズサンでも、1800アージュは届くか届かないかの距離だ。仮に届いたとしても、有効射程外。減衰した威力では、決定打を与えられない。

 最初から長距離専用の設計にしている相手の狙撃砲の方が、威力、射程ともに上だ。

 二発目。風向き、風力を測定。

 三発目。距離と減衰比を計算。

 四発目。左右の微調整。

 五発目。上下の微調整。

 神経を削るような銃撃の応酬は続き、徐々に互いの位置へと狙いを近付けていく。

「通った……!」

 アリサの撃った七発目が、敵のいる崖の50アージュ手前に着弾した。届いてはいないが、射角はこれでいい。

 同時、ケストレルの弾もレイゼルのわずか手前に落ちた。

 次だ。次の一発で決まる。

 アリサは足裏のフックを地面に刺し込み、機体を固定した。レイゼルの手の内にあるコネクターを、オーディンズサンのグリップに接続する。

 これが奥の手。使わせてもらいます、お祖父様。

「連立式オーバルエンジン、出力全開」 

 生み出された大電力が、オーディンズサンに伝流していく。

 導力ではない。電力だ。

 導力とはすなわち、あらゆる物の動力。七耀石から抽出される、汎用性に極めて優れたエネルギーである。

 かの革命以降、オーブメントを介した導力は火を生み、水を生み、風を生み、人類の文明とその発展に多大な貢献を果たしてきた。

 それだけに今では火自体を火力に、水自体を水力にといった技術は前時代的で、効率の悪いものと考えられている。もちろん小さな名残はある。ケルディックの風車などがそれだ。

 エネルギーの二重転用など誰も着手しなかった。実用できることが少なく、意味の薄いことだと分かり切っていたから。

 だがグエンはそう考えなかった。導力がもたらす翠耀の特性をフルに活用してみせた。

 やはり祖父は天才だ。

「出力臨界突破、エネルギー変換値80……90……95パーセント。銃身内部に擬似ダブルレール生成、正常電位確認。全リミット、及び安全装置解除。即時射撃体勢へ移行――」

 大気がざわつき始める。レイゼルを中心に磁場が発生していた。

 もう射角調整の必要はない。アリサはトリガーに細い指をかけた。空気感で分かる。まさに今、スカーレットも引き金を絞ろうとしている。

「………――――」

 無意識に呼吸が止まる。

 可変式電磁加速砲《オーディンズサン》トールハンマーバレット――発射。

 砲声が轟き、レイゼルの各部関節が反動に軋んだ。踏ん張る後ろ足が地面に沈む。トリガーを引いた直後に勝負は決していた。

 雷神の一撃。

 遷音速の七倍に達した雷光の矢が虚空を貫き、1800アージュの彼方にいたケストレルの狙撃砲を、機体の右半身ごと吹き飛ばした。

 崖からケストレルが落ちていく。レイゼルも片膝をついた。

 今のが紛れもない最強の一発。その分エネルギー消費も半端ではない。連立式オーバルエンジンの導力回復力をもってしても、レイゼルはしばらく動けなくなる。

 だがこれで遠方の脅威は払った。

「リィン、アンゼリカさん……あとはお願い」

 ヴァリマールは依然としてゴライアスの腕を受け止め続けている。ゲルハルトを倒したら屋上からサインをすると言っていたアンゼリカの姿は、まだ見えなかった。

 

 

「……どういうつもりだ、アンゼリカ」

「どうもこうもない」

 ゲルハルトの拳をアンゼリカの左手が受け止めていた。本当は右手も使いたかったが、うまく動かせない。多分肩が脱臼している。

「指一本でも動かせる内はあきらめない。そうすると決めた。これは私のルールだ」

「ぬうっ!?」

 ミシッと左手の圧が強くなる。ゲルハルトは拳を引こうとするが、アンゼリカは離さない。

 右腕をだらりと垂らしたまま、立とうとする。もう立てないというのは、体が勝手に言っているだけだ。そんな雑音など精神力でねじ伏せてやればいい。

 歯をくいしばって、ひざの笑う足で立ち上がった。乱れた前髪の隙間から、ゲルハルトをにらみつける。

「お前は……!」

「親父殿――父上。父上は私がどうして戦っているか、おわかりですか。実家に楯突いてまで」

「そんなもの、くだらん反抗心であろうが」

「違います。私は……」

 アンゼリカはわずかにうつむいた。

「私は何もできなかったから」

「なんだと?」

 ゲルハルトは眉をひそめた。

「トリスタが貴族連合に襲撃を受けた日、私はルーレにいた。豪奢な屋敷の中で、連日変わらない張りのない一日を過ごしていた。学院が占拠されたと知ったのは事が起こった三時間後……それは全てが終わったあとだった」

 煤けたバイクスーツではなく、貴族らしい優美な衣服を身に付けて、侍女が淹れてくれた紅茶を自室で飲んでいた時だ。

 外が妙にざわついていたから、ふと導力ラジオをつけてみたのだ。そこから流れる情報を聞いて、ただ呆然とした。

 あの時の紅茶は、これまでの人生で最低の味がしたのを覚えている。

「今思えば、半ば強引に私を休学扱いにしてまで実家に引き戻したのは、トリスタとトールズ士官学院が制圧対象になっていることを知っていたからでしょう」

「その通りだ。父として娘の身を案じてやったのだ。そのおかげでお前は戦禍から免れることができた」

「そう、そのおかげで私は……その場にいることができなかった」

 クーデター勃発の引き金となったオズボーン宰相の暗殺。それを実行したのがクロウだと知ったのも、ずいぶん後になってからだ。

「もしも私が学院に残っていたとしたら――」

 強い後悔が身を苛む。

 トワは。ジョルジュは。大切な場所を守るために、最後まで戦った。堂々と構えて、正門の前に立ち続けたと聞いている。

 その姿は学院生たちの最後の支えだっただろう。物怖じしない背中がそこにあったからこそ、皆はパニックを起こさず統制を維持できたのだ。

 私は彼らを誇りに思う。

 けれど、本当はトワたちも怖かったはずだ。先の望みなど見えなかったに違いない。

 もしも私が学院に残っていたとしたら――残っていたとしても、どうにもならなかっただろう。そんな状況をたかが一人の力で覆すなんて無理な話だ。

 それでも、そこにいることができたなら……! 

「恐怖も! 絶望も! 共有はできたはずだ! 同じ痛みを感じられたはずだ! 同じ時に! 同じ場所で!」

 ゲルハルトの拳をつかむ手に、握り潰さんばかりの力がこもる。

「ぬっ、ぐ! 離さんか! は、離せっ!」

 何度も鉄柵に叩きつけられる。それでもアンゼリカはゲルハルトを離さない。死んだって離すつもりはなかった。

 ぐっと体をひねり、脱臼した右肩を自分から鉄柵に押し付ける。そのまま無理やり――

「うっ、うああああっ!!」

 関節を入れる。激痛で意識が飛びそうになる。息を吸うことさえままならない。

「はっ、痛くっ、ない……っ!」

 この程度を痛みと呼べるものか。

 前足を踏み込む。後ろ足を踏みしめる。丹田に力を集中。血潮たぎる右手で拳を固める。

 知っているか、クロウ。私が本当に殴りたいのはな。

 君ではなく、父上でもない。

 君の抱えていた本心にも気付けず、友人の窮地にそばにいることさえできなかった、誰よりも不甲斐ない私自身なんだよ。

「らあっ!!」

 激発する寸勁。波状に伝搬する衝撃が筋肉の鎧を穿つ。渾身のゼロ・インパクトが、ゲルハルトの体軸の中心を捉えた。

「がはっ、んんぐぐ……ふんぬうぅう!」

 しかしゲルハルトは耐える。鬼と化した形相で踏みとどまり、剛腕を振り上げてきた。あきれた打たれ強さだ。

 アンゼリカは限界だった。焼け付くような肩の痛み。それでも再び右拳を腰に構える。

「父上え!」

「アンゼリカア!」

 繰りだされる鉄拳。

 それがアンゼリカに届くことはなかった。失速した拳が彼女の頬をかすめると、ゲルハルトは前のめりに倒れ込んだ。息切れしながら、ごろりと仰向けになって彼は言う。

「……腹の奥が痺れている。重い鈍痛が抜けていかん」

「浸透勁ですので。無理に動かない方がいい」

 ゲルハルトが顔をしかめた。

「動きたくとも動けんわ。それが放浪生活で得た技か」

「その一つです。本当に手に入れた大切なものは、これではありませんが」

 アンゼリカは気力で立ち続けた。

「私の勝ち。それでいいですか」

「………母親に似たのは容姿だけだったな。その性格はいったい誰に似たのやら」

「どう考えても、父上でしょう」

「ふん……どうだか」

 顔をそむけられる。とうとう最後まで、ゲルハルトは自分の敗北を口に出さなかった。だがもう彼の中でも、親子ゲンカは終わっているようだった。

 アンゼリカのひざが折れた。受け身を取ることはおろか、腕でかばうことさえできず、彼女は顏から床に突っ伏した。

「っ……」

 ここで気を失えたら楽なのだが、まだ仕上げの仕事が残っている。勝利宣言だ。

 本来なら、勝利後の自分の姿を屋上から見せることになっていた。しかし這うこともできそうにない。せめて言葉だけでも伝えなくては。

 痛む腕を苦心して使い、アンゼリカは《ARCUS》を取り出した。

 

 

 ゴライアスが押し潰そうとし、ヴァリマールが押し返そうとする。

 純粋な力と力がせめぎ合っていた。

「なんてパワーだ……!」

 双竜橋でヘクトルと戦った時と同じだ。機体が生み出すエネルギーの全てを、腕部に一極集中させているのだろう。だがゴライアスの元々の出力は、ヘクトルと比べ物にならない。《ブレイブ》と《アイアン》を使った重奏リンクにも拮抗してくるとは。

 アンゼリカからの通信があったのは、つい今し方だ。かなり苦戦させられたらしいが、ゲルハルトとの戦いを制したそうだ。

 戦闘中のドラッケンやシュピーゲルはおらず、歩兵も撤退を始めていた。狙撃もいつの間にか止んでいる。

「もう退いてくれ。ここまでだ」

 ヴァルカンに呼びかける。苛立った声が返ってきた。

『ああ? 何言ってやがる』

「ログナー侯が負けを認めた。戦いは収束してる。これ以上は無意味だ」

『馬鹿か、てめえは』

 ヴァルカンは辟易したように吐き捨てた。

『あの親子が勝手に交わした口約束だろうが。個人的にそういうノリは嫌いじゃねえが、そこに俺らまで付き合う理由があるのかよ。黒竜関は落とせない拠点だ』

「貴族連合の一角が負けたと言ってるんだ。そっちの雇い主だろう!?」

『あいにく俺は本隊方だ。ログナーのおっさんと直契約してるわけじゃない。それにな、戦ってる相手を前にして、黙って退けってのが気に入らねえ』

「ヴァルカン!」

『甘ちゃんが。ちっとは腹くくってみろ!』

 ズンと圧が強くなる。ぎしりとヴァリマールが軋み、耐荷限界を示すように(ケルン)内部に赤い警告色が滲みだした。

「まだ大丈夫か!?」

『長クハ保タナイ。早メニ勝負ヲ決メロ』

 モニターに表示されている機体情報に目をやる。

 脚部、腰部、肩部、背部に加圧による損傷が発生している。深刻なダメージだ。フィードバックされた痛みがリィンにも伝わっていた。

 どうやったらここまで戦える。何を思ったらここまで怒れる。

 どうして。なんで――

「なんで戦ってるんだ?」

 結実した疑問が胸に留めきれなくなった。

 貴族連合の協力者だからという立場ではなく、建前でもなく。その激情の根元はどこにあるのか。

 不意に発されたその問いに、ヴァルカンがわずかに戸惑ったように感じた。

『……俺が訊かれることになるとはな』

「え?」

『答える前に俺からも質問だ。同じ内容でなんだが、お前はなんで戦ってる』

「取り戻すためだ」

 自分でも意外なほど、あっさりと言葉が出た。

『取り戻す? トリスタの町や学院生活をってとこか』

「そうだ」

『その取り戻す対象に、クロウは入ってるのか?』

「そうだ」

 それこそ想定外の問いだったが、肯定する。これはあいつに追いつく為の戦いでもあるから。

『聞かせろ。どうやってだ』

「それは……」

『お前は甘ちゃんだが、馬鹿じゃねえよな。クロウだけでなく、たとえば俺やスカーレットが、この後の世界を当たり前に生きられると本気で思うか?』

 それは無意識に避け続けてきた問題だったのかもしれない。頭の片隅で本当は気付いていた。取り戻すと豪語したところで、具体的な方法がないことは。

 仮にクロウが戻ってきたとしても、自分たちが受け入れたとしても、きっと世界は受け入れない。

 学院に通い直して、卒業して、人生を歩んでいく。

 できるわけがない。 

 彼が、彼らしく生きられる世界は、どこにもないのだ。

 リィンは沈黙を返答にする他なかった。

『そうだろうよ。貴族連合がこの内戦に勝利したとしても、大きく変わる話じゃない。第一その仮定なら、クロウはお前らのところには戻らねえしな』

 自分たちが勝ち、以前の政権体勢に戻れば、オズボーンを撃ったクロウは罪人。大陸全土への手配と、相応の刑が彼を待っている。

 貴族連合が勝ち、貴族主体の政権体勢になれば、その立役者たるクロウは英雄。非は是となり、裁かれもしないだろう。

 どちらが良いのか、リィンにはわからなかった。そしてそのどちらも、自分たちが望む未来ではない。

『落としどころがあるなら教えてくれや。どうなんだ、ええ?』

「ぐっ、あっ!」

 ゴライアスの出力がさらに高まる。噴き出す高熱の排気が景色を歪めていた。

「……俺にはまだわからない。クロウが戦ってる理由を――あいつの過去を知らない。だから、それを知れば……同じ目線に立つことができれば、違う道が見つかるかもしれない」

『甘ちゃんらしい発想だな。反吐が出る。所詮はぬるま湯に使ってきただけのガキか』

「俺だって失くしたものはある……!」

 言い返さずにはいられなかった。

『クロウから聞いてるぜ。お前、記憶がないんだってな。それがどうした』

 さらにかかる圧迫。《アイアン》を発動させていなければ、とうに体中のフレームがへし折れている。

『お前のは失くしちまったことと、思い出せないことへの苦しみだ。俺らのは奪われたことと、取り戻せないことへの怒りだ。質が違う。そんな程度で同じ目線に立とうなんざ、百年早え』

「なにが奪われただ。一方的な物言いで……! あんたのは自業自得もあるだろう!」

 自分が率いていた猟兵団が、オズボーンに返り討ちにされた。ヴァルカンが鉄血宰相を恨む理由はそれだ。

『言われるまでもなく、とっくに承知してるぜ。わかってねえ、つくづくわかってねえなあ……!』

 炎のような熱気が吹き荒れた。ゴライアスの鉄面がヴァルカンの強面と重なって映る。

『恨みも怒りも理屈じゃねえ! 溶岩のように湧き出してくるグズグズの感情なんだよ! 止めようとして止められるもんじゃねえんだ! てめえだってそうだろう!?』

「一緒にするな!」

『パンタグリュエルで“鬼の力”とやらを使おうとしてただろうが! あのどす黒い力が、お前の感情から発したものじゃないと否定できるか!?』

 言葉を失った。その通りだと理解してしまった。

 忌まわしき力と認識していながら、自分に課した枷は感情によってたやすく壊れていく。

 ユミルで父を撃たれ、憎しみに呑まれて暴走した自分と、何かを奪われ、復讐に身をやつすしかなかった解放戦線の人間たちとで、何が違うというのだ。

 そばに止めてくれる人間がいたかどうかの差だけで、心に流れた負の感情に、違いと呼べるものはないではないか。

『集中ヲ乱スナ!』

 ヴァリマールの喝に、リィンはびくりとした。

「ヴァリマール、俺は……」

『戦闘以外デ、私ニ助言デキル事ハ多クナイ。ダガ、コノ背ノ後ロニ、仲間達ガイル事ヲ忘レルナ』

 手を添えていた水晶球を強く握る。リィンは意識を据え直した。

 ここで終わってしまえば、出すべき答えも出せなくなる。仲間も守れなくなる。

 思考を切り変えろ。アンゼリカと同じだ。ここで示すべきは、力。

「問答なら戦いの後でだ。退かないなら力尽くで退かせるぞ!」

『やっと腹を決めやがったか。最初からそうしろって言ってんだろ!』

 《ブレイブ》の特性を四肢に集中し、ブースターも全開にしてゴライアスに抵抗する。両肘の関節が赤熱し、火花を散らしていた。

 組んだままの敵の両腕から炎を浴びせられる。ガトリング、機銃、ミサイルも至近距離で全弾発射された。立ち昇る火柱に装甲を焼かれる中、リィンは極限まで高めた《アイアン》の防御力でしのぎ切る。

「おおおお!!」

 気合いでゴライアスの腕を弾き返す。炎をかきわけて前に出て、開いた懐にヴァリマールの拳を打ち込んだ。

 強烈な一打だったが、浅い。

 しかしゴライアスは、がくんと上半身をうなだれた。急に力を失ったみたいに。

「……?」

『ああ、畜生。つまんねえ幕引きだな』

 耳朶を打つヴァルカンの悪態。

 ヴァリマールが言った。

『下ガレ、リィン。アノ機体ハ爆発スル』

「何を言ってるんだ?」

 スキャンされたゴライアスのデータが表示される。

 オーバルエンジンの熱量が異常だった。完全にオーバーロードしている。あの巨体でエネルギーの一極集中は負荷が大き過ぎたのだ。

 熱はなおも上昇中。いつどこで誘爆を起こすか分からない。

「すぐに脱出するんだ! 聞こえてるだろう!」

『うるせえな』

 まったく焦りのない落ち着いた声だったのに、なぜか胸の奥がざわついた。嫌な予感がした。

 ヴァルカンはあそこから出るつもりがない。

「だめだ!」

 考えるより先に、ヴァリマールの腕を繰る。何重にもなっていた胸の装甲を剥ぎ取り、コックピットユニットを露出させる。慎重に最後の防護板をはがすと、操縦席に収まるヴァルカンの姿が見えた。

 リィンは核の外に出た。

『危険ダ、戻レ!』

 ヴァリマールの制止を聞かず、その腕の上を伝ってゴライアスの胸部に取り付く。垂れている邪魔なケーブルの束を除けながら、リィンは操縦席に足をかけた。

 ヴァルカンは驚いていたが、すぐに破顔した。豪快な笑い方だった。

「なんつー顔してやがる。でもまあ、ちょっとはマシになったか」

「そんなことを言ってる場合じゃない! 機体から出てくれ!」

「かまうな。お前こそ離れろ。俺と心中したいのか?」

 ゴライアスの状態に気付いている。その上で彼は動こうとしていない。

「なんで!」

「戦うしかできなかった」

「え?」

 虚を突かれて、リィンはヴァルカンを見返した。

「俺の戦う理由だ。さっき答えてなかったろ。期待外れだったか? どうせまっとうに生きられない俺には、それしか道が残っていなかった」

 ゴライアスのどこかから、何かを引っかくような異音がした。

「俺が言ったこと、忘れんなよ。命があることが生きてるってことじゃねえんだ。区切りをつけて死ぬことが救いってこともある」

「そんなの救いとは思えない。思いたくない……」

「そりゃ価値観の相違だ」

 望まぬ生を強いることは独善的なのか。ならばもしクロウが先を望んでいなかったら。あるいは望んで命を失う選択をするのなら。俺にできることは何もない。そういうことなのか。

「なんだ。来たのかよ」

 ヴァルカンの視線がリィンの後ろに移動する。振り向くと、西の空にオルディーネが見えた。こちらに向かってきている。

 異音が大きくなった気がした。もう幾何(いくばく)の猶予もない。

 リィンは目一杯に腕を伸ばした。

「来い! 早く!」

「お前、ブレねえな。……ったく」

 苦笑を浮かべたヴァルカンは、差し伸べられたリィンの手を握り返した。ゴツゴツした岩のような手。武器しか持ってこなかったのだろうその手は、痛々しいぐらいに傷だらけだった。

 いきなり強くつかまれ、リィンはぐいと操縦席に引きずり込まれる。

「俺はここでいい」

 どこまでも頑なな言葉のあとで、彼は小さく一言付け加えた。その言い方はまるで――

 同時、これまでで最大の異音と衝撃が足元を突き上げた。逃げる暇もなく、それができる体勢でもなかった。

 リィンの視界が真っ赤に染まる。ゴライアスが爆発した。

 

 

 ――続く――

 

 

 




 お付き合い頂きありがとうございます。年の瀬で何かとバタバタしていたせいで、いつもより更新が遅くなってしまいました。この話が年内最後の更新となります。
 今回は本編のコラム付きなので、あとがき少々長めです。

 《虹の軌跡》面倒なオヤジ枠に一人追加しました。
 ①ガイラーさん(エマにとって)
 ②ケインズ(エリオットにとって)
 ③ヴィクター(リィンにとって)
 ④カール(エリゼにとって)
 ⑤ゲルハルト←NEW!

 ゲルハルトは親父補正をかけているので、ちょっとだけ強めです。ガッチンムッチン仕様のアンゼリカパパでした。
 ルーレ編のタイトルにはその話を象徴するカラーが入っていまして、『黒、銀、灰、白、紅、紺、藍』に続き、最後の《命に色があるならば》で締めとなります。次回から寄航日で、がっつり日常回ターンです。



 前回のあとがきでも少し触れましたが、レイゼルの武装が出揃いましたので、それらの正式名称と名前の由来をこの場を借りてご紹介したいと思います。
 本編中では細かく説明されない設定なので、読み流して頂いても問題ありません。

『名称』
《レイゼル》……グエン・ラインフォルト製アリサ・ラインフォルト専用機甲兵・改修型シュピーゲルカスタム。

『主武装』
Ⅰ・高圧縮空気放出ウイング《ヴァルキリーユニット・ラーズグリーズ》……高密度に圧縮した空気を展開したウイングから一気に放つことで、極めて短距離の瞬間的な加速を行う。持続ブーストではないので、長距離移動を目的としないブリッツ戦法や急速離脱に使用する。名前が長いのでアリサはウイングユニットや、単にヴァルキリーなどで呼ぶ。

Ⅱ・導体性フォローハンドルナイフ《レヴィル》……特殊合金製で電気を通しやすい材質でできた片刃ナイフ。鋭い切れ味を誇るが、その用途は装甲の隙間からケーブルを断ち切ったり、内部に電撃を流すことを主としている。

Ⅲ・可変式電磁加速砲《オーディンズサン》……ギミックの仕込まれた大型アサルトライフル。変形機構により連射に秀でたノーマルモードから、長距離狙撃に秀でたスナイプバレルモードにチェンジする。スナイプモードの時にのみ、連立式オーバルエンジンが生み出す導力を電力に変換することで、一撃必殺のトールハンマーバレットを使用可能。リアクティブアーマーさえも容易に貫くが、一発でほとんどの力を使い切ってしまう。

Ⅳ・四連ストリングススライサー《レイジング・アサルト》……右腕のショートシールド内に収納されている対機甲兵用に強度を増した鋼糸。糸の先端についた重りから空気を噴出することで、ある程度自由に動すことができ、巻き取る力で敵の装甲ごと切断する。最初は開発陣も正式名称で呼んでいたが、わかりやすいアサルトラインとなり、さらにAラインやA装備などと言われるようになった。扱いの基礎はアリサがシャロンからみっちり叩き込まれている。

Ⅴ・導体性ワイヤーショット《レイジング・ブレイズ》……左腕のショートシールド内に収納されているワイヤーガン。ヴァルキリーの仕組みを転用し、圧縮空気で撃ち出している。先端の形状はアンカーで、ワイヤーは電撃を走らせる。ブレイズワイヤーと呼ばれる経緯はアサルトラインと同じ。


『名前の由来☆北欧神話のコラム』


《ヴァルキリー》……白鳥の羽衣と甲冑、ペガサスがトレードマークの女神様。斃れた戦士の魂をヴァルハラ宮殿に運ぶ女神たちの総称ですので、ヴァルキリーさんという個人名ではありません。主にはオーディンの娘たちで構成されていて、伝承ではオーロラの光は空駆けるヴァルキリー達の甲冑の輝きと言われています。美人さんぞろいでお酒のおもてなしもしてくれるので、魂を選定されたい(死にたい)男子続出。

《ラーズグリーズ》……ヴァルキリーの一人。名前の意味は“計画を壊すもの”です。


《レヴィル》……レギンという人が所有している剣の名。レギンはファーブニル(ファフニールやファフナーとも呼ばれる竜。竜族ではなく人間(ドワーフ)が変身しています)のお兄さん。なおこのレギンさん、性格悪し。


《オーディンズサン》……北欧神話の主神“オーディンの息子”の意味で、つまりは雷神トールを指します。炎のような瞳と赤髭を持つ男神。強大な力を有しますが、最後はミドガルズオルム(古ノルド語ではヨルムンガンド)という大蛇と相打ちになって力尽きます。彼が持つ雷神の槌、トールハンマーという名前は有名ですね。

Ⅳ、Ⅴ
《レイジング(レージング)》……巨大狼フェンリルを縛るために使用された“革の戒め”の意味を持つ鉄の鎖。しかしフェンリルの拘束には失敗。最終的にはグレイプニルという魔法の紐が使われます。ちなみにフェンリルはトールと相打ちになったミドガルズオルムのお兄ちゃん。

etc
《ケストレル・スルーズ》……長距離狙撃砲《マグニ》を装備したケストレルの呼称。レーダー機能とロック機能、演算処理能力が大幅に強化され、優れた弾道計算を可能にしている。マグニ接続中は操作レスポンスがやや悪くなるため、持ち前の俊敏性が制限されていた。
《スルーズ》は“強きもの”を意味するヴァルキリーの一人で、トールの娘でもある(諸説あり)
とてもお綺麗な方ですが、求婚しようとするとお父さんから夜通し尋問まがいのことをされ、最終的には石化しちゃう。

《マグニ》……スルーズの兄弟。ただし母親は違う。トール亡き後のミョルニル(トールハンマー)の所有者。とっても力もち。でもちょっと自信家なところがあったりする。



閃Ⅲの情報も公開され、ますます楽しみな2017年ですね!

最後になりましたが、今年一年お付き合い頂きありがとうございました。来年も虹の軌跡を宜しくお願い申し上げます。


【挿絵表示】



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