虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第68話 紺藍の天秤

 多くの銃口が向けられている。

 この中の誰かが小さな気まぐれを起こしただけで、全てが終わってしまう。内心はとても平静ではいられなかった。

「どうしました? 撃たないのですか」

 アルフィンは毅然とした態度を貫いた。ここはわずかな弱みも見せられない場面だ。

 ユーシスたち潜入班がラインフォルト本社のハイデルを確保するまで、カレイジャスを守るための時間稼ぎ。

 手詰まりだったトワに、自分が盾役になると提案したのは他でもないアルフィンだった。

 もちろん止められた。絶対に了承できないと。しかし彼女は制止を受け入れなかった。

 そう、これは自分で決めたこと。

「だ、代役の可能性もある。本物の皇女殿下であるはずがない……」

「あら。わたくしの姿を見て、声を聞き、その上で偽物であると?」

「う……」

 指揮官の男は困惑している。どのような指示を下すべきか、まだ判断できていない。

 これでいい。徹底的に困らせ、そして打開案を思いつかせない。少しでも今の状況を長引かせなければ。

 気付かれてはならない。実はこちらが圧倒的に不利であることに。

 あえて護衛は連れてこなかった。控える者たちがいれば、彼らは少なからず警戒する。警戒すればこそ、冷静な思考が戻ってくる。

 この人数差と戦力差。今一番されてまずいのは、力押しで来られることだ。

 だからアルフィンは単身で姿をさらす選択をしたのだ。これが一番相手を惑わせられる。

「……全員、一度銃を下ろせ」

「なりません。銃口は常に私に向けておきなさい」

「そ、そのようなことを仰っては」

 極限の緊張状態を保っておかねば、正常な判断を下されてしまう。

 すなわちアルフィンを取り押さえ、その身柄を盾にカレイジャスに侵入するという選択を。

 カレイジャスの前部デッキにはセリーヌが待機している。万に一つ強硬手段に出られた際、転移術でアルフィンを救出できるようにと、トワが指示した保険の策だ。

 しかし術を展開するにはタイムラグがある。その間に兵士たちがアルフィンに接近し過ぎれば、彼らも一緒に転移させてしまう。

 どのみち綱渡りの賭けだった。

「皇女殿下はなぜここにいらっしゃったのですか? その目的をお聞かせ願いたい」

 部下の一人が言った。指示の責任が一手にのしかかる隊長と違って、まだ冷静に物事を考えている。

 ハイデル取締を押さえに来たなどと言えるはずもない。曖昧な答えも逆効果になる。

「逆にお聞きします。なんだと思いますか?」

「え」

「考えてごらんなさい。わたくしがここに来た理由を。思い当たる節はないのですか?」

 返答に困る問いが来たら、こう答えるようトワから言われていた。それは確かに効果的だったようで、兵士たちは居心地悪そうに互いの顔を見合わせる。

 他にもいくつものパターンを用意してあった。あとは度胸とハッタリをどこまで押し通せるか。

 汗ばむ手の平を隠す。足の震えを悟られないように力を込める。

 皇族とはいえ、所詮は力ない小娘。そう思われてはダメなのだ。

 ただ凛として、ここに立つ。

「わからないのですか? どうなのです!」

「うぅっ」

 エリゼは自分を助ける為に各地へ同行し、必死で体を張ったと聞いている。何度も危ない目にあいながら、パンタグリュエルまでたどり着いてくれたのだ。

 今度はわたくしの番。皇女という肩書も、わずかばかりの権威も、この身でさえも、全てを使ってあなたを助けてみせる。

 カレイジャスの奥で守られるだけの、お飾りのお姫様なんかには絶対ならない。

 

 

《――紺藍の天秤――》

 

 

「迅速に行くぞ。俺たちが遅れれば、その分だけ殿下の身が危険になる」

 走りながらユーシスが言った。

「了解だ」

「うん、急ごう」

「ガーちゃんで飛んでいけば早いんだけど、目立っちゃうからなー」

 続くガイウス、エリオット、ミリアムが順に応じる。彼らがハイデル確保班のメンバーだ。

 アルフィンが市内警備の領邦軍を引き付けている内に、ユーシスたちは後部デッキから降りて、目立たないよう迂回しながら発着場を抜け出ていたのだ。

 誰にも見咎められずに二層区へと進み、一同は視界に収まりきらないラインフォルト本社ビルを見上げた。

「ここからどうする。ユーシス」

 ガイウスが問う。捜索範囲は広く、しかも縦長の構造。全フロアをしらみ潰しにしていく時間はない。

 ユーシスは建物の脇の小道を指し示した。

「正面からの進入は無謀だろう。裏手に回るぞ。これほど大きな企業なら、従業員が使う通用口ぐらいあるはずだ」

 オフィスで勤務している社員たち全てが領邦軍に加担しているわけではなさそうだが、かといってすんなり迎え入れてくれる道理はない。

 周囲に気を払いながら、ビルの裏へ。物資搬入時の為か、コンクリート舗装された広いスペースになっている。

 屋内への入口はすぐに見つけることができた。

「あ、鍵がかかってるよ」

 ドアノブに手をかけたエリオットが表情を曇らせた。

 横の壁に認証用のパネルが併設されている。パスコードを入力しないと、ロック解除にならない仕組みだ。

「大手の一流企業なら当然のセキュリティか……」

「ちょっとどいててね」

 思案するユーシスの横からミリアムが出てくる。彼女はアガートラムを呼びだした。

「お、お前……こんなところで、まさか」

 扉を打ち破るつもりだ。

 アガートラムの右手が持ち上がる。「待っ」とユーシスが制止の声を言いかけた時、すでに銀腕は扉めがけて振り下ろされていた。

 派手な破砕音が響き渡り、警備員たちがすぐに駆けつけてくる――事態にはならなかった。

 耳に届いたのは、『シャッ』という風切り音のみ。遅れてドアが、ぎいっと開いていく。

 ミリアムは自慢げに言った。

「ふっふーん。驚いた? ボクだってちゃーんと考えてるもんね」

 アガートラムの腕の先端がナイフのように鋭利に、そして透けるほどに薄くなっていた。

 ミリアムは扉の隙間に刃を通して、施錠部だけを切断したのだ。それで警報装置が作動しなかったのは、ただの運であるが。

「部分的なトランスか。意外に役立つようだ」

「むっ、意外ってなにさ。まだまだこんなんじゃないからね!」

 むくれるミリアムはアガートラムを引っ込める。

 開かれたドアの向こう、通路を進んだ先に従業員用のエレベーターがあった。

 直通でいけるのは20階までだった。オフィスフロアの上階は会議室が主のようで、幸い社員に出くわすことはなかった。

 23階がイリーナが執務を行う会長室。24階がラインフォルト家の居住フロア。

 おそらくこのどちらかにハイデルはいる。

「説得だけで済めばいいが、そうならない可能性も大きい」

 ユーシスの言葉にそれぞれが同意を返した。

 内戦前から根回しをし、狡猾にラインフォルト社の実権を手にした男。兄のゲルハルトとは違って、搦め手で世を渡り、恥ずべきを恥と感じない神経の持ち主。

 己自身を武器にできない人間は、必ず保身の策を近くに用意している。ふと自分の父とも重ね合わせたユーシスは、湧いてきた苦い気持ちを振り払うように足を早めた。

 ここからは階段を使って移動する。ロックされている区画や部屋はあったが、入口と同様にアガートラムが鍵を切断しつつ進んだ。

 エリオットが不安そうにユーシスに話しかける。

「僕たちって普通にまずいことしてるよね……設備壊し回ってるわけだし。イリーナ会長怒らないかな?」

「かもしれん。いざとなったらアリサに口利きをしてもらう他あるまい」

「それこそアリサが怒るよ、絶対」

 21階、22階にハイデルの姿はなかった。

 23階に到達する。ガイウスが全員に注意を促した。

「人の気配がある。一人のようだ」

 清潔感のあるロビーの奥に会長室の扉が見えた。

 慎重に近付き、両開きの木製ドアを開く。鍵はかかっていない。

 警戒しつつ、一同は足を踏み入れる。

 高級絨毯の敷かれた室内は広く、天井も高い。壁面のほとんどはガラス張りで、市内を一望できる見晴らしとなっていた。

 棚やラックなどの余計な備品は見当たらず、大きめの執務机だけが日当りのいい一角に設置されている。

 そこに一人の男が座っていた。

「やれやれ、アポぐらいは取って欲しいものだね。最低限の礼儀だよ?」

 うんざりした口調で男は言う。

「失礼を。我々は《紅き翼》からの派遣員です。学生の身ゆえ、多少の不作法には目をつむって頂きたい」

 ユーシスは一歩前に出た。

「あなたがハイデル・ログナーか?」

「いかにも。しかしそういう時は役職を付けて呼ぶものだ」

「役は与えられるものであって、かすめ取るものではない」

「ほう」

 ハイデルの眉がぴくりと動く。

「単刀直入にこちらの要望をお伝えする。決裁権の全てをイリーナ・ラインフォルトに返上し、速やかな退陣を願う。すでに彼女の身柄はアイゼングラーフから奪還している」

「ああ、知っているとも」

 軽い動作で、ハイデルは椅子から立ち上がった。

「ザクセン鉄鋼山内部の監視カメラを、こちらのモニターに中継していたからね。跳ねっ返りの姪が君たちの仲間を先導していたことは把握している。すぐにアイゼングラーフを発車させるよう指示を出したのも私だ。残念ながら騎士人形に止められたそうだが」

「イリーナ会長は別ルートでこちらに向かっている。病気と偽っていたはずの彼女が帰還すれば、どのみちあなたは権限を譲渡しなければならなくなるだろう」

「それはどうかな」

 昏い笑い声。線の細い肩が小刻みに上下に揺れる。

「ここまで知っている私が、傍観しているだけのはずがなかろう。イリーナ()会長にはとっくに刺客を差し向けている。街道をのこのこ歩いてくるなら、どんな事故に遭っても不思議ではあるまい」

「もう自分が会長気取りか。ゲスめ」

「言葉を慎まんか、礼儀知らずのガキが!」

「礼儀を語りたければ、他人の家に土足で上がり込むその厚顔無恥から正すがいい!」

「小賢しいことを言う!」

 ハイデルは手にしていた遠隔スイッチを押した。

 自動で入口の扉が閉まる。室内のどこからか、機械の起動音が聞こえた。

「出でよ、《レジェネンコフ零式》!」

 空間に青白い稲光が走り、異形の人形兵器が現れる。これは転移ではない。どのような手段でか透明化させていたのだ。

 頭部に牛の角を模したような兜。重厚な装甲をまとう、どっしりとしたフォルム。手には太刀のように反りのある片刃剣が握られている。

 特長的な立ち姿は甲冑をまとった騎士というより、東方の鎧武者を連想させた。

 そのレジェネンコフ零式が三体。

「ただでさえ強力な機体だが――さらに!」

 ハイデルは手元の端末を操作し、データを三機に送信する。

 情報をロードしたレジェネンコフ零式たちは、太刀を鋭く構えてみせた。

「……! 八葉一刀流!?」

「そうとも、お前たちの仲間の一人が使っていただろう。鉄鋼山のカメラに記録されていた太刀筋、体捌き、技をスキャンさせてもらった。ここで全員消してしまえば、私の地位が揺るぐことはない!」

 不快な高笑いを聞きながら、腰の魔導剣(オーバルソード)を引き抜く。

「想定はしていたが、交渉は決裂だ。人形兵器を撃破後、ハイデル・ログナーを確保する。戦闘陣形を取りつつ各自散開」

『了解!』

 背後の応答を受けるより早く、ユーシスは強く床を蹴っていた。

 

 ●

 

 ひとまず座る。一分も経たずに立ち上がる。適当に歩いてみて、目についた椅子にまた座る。ちょっとしたらまた立ち上がる。

 その繰り返しだった。

「なーにやってんだ、俺は」

 パンタグリュエルの来賓区画をうろつき回っていたクロウは、不意に立ち止まってわしゃわしゃと頭をかきむしった。

 つい先ほど、ノルティア州の領邦軍から旗艦宛てに緊急通信が入ったのだ。

 ザクセン鉄鉱山に騎神が現れて、走行するアイゼングラーフからイリーナ・ラインフォルトを奪還したという。

 そうなるに至った経緯はまだ不明だが、察しはつく。

「ルーレ……ま、ゼリカだろうな」

 杓子定規の型に嵌るのを嫌うやつだ。おとなしく屋敷で父のログナー侯に従っているわけがない。反骨精神をたぎらせて、家を飛び出したに決まってる。

 そしてどのタイミングかでリィンたちと連絡が付き、成り行きか利害の一致を理由にした共同戦線を張っている。とまあ、こんなところだろう。

 イリーナの解放に成功したとすれば、その後の展開で重要になってくるのは、兵器開発の指示権を持つハイデル・ログナー。そして領邦軍の指揮権を持つゲルハルト・ログナー。

 この二人のキーマンと見て間違いない。

「場所で考えるならラインフォルト本社と黒竜関……衝突は避けられねえな」

 ラインフォルト本社はともかく、黒竜関にはヴァルカンとスカーレットがいる。しかもどちらも新型機を携えてだ。

 リィンも力を付けてきているようだが、ここはそう易々と突破できない。おそらくこちらが押し切る。

 ――だから、俺は行かない。行かなくても結果は変わらないから。

「あら、そんなところで何をしていますの?」

 懊悩とした思考を巡らすクロウに、デュバリィが近づいてきた。相変わらず愛想の無いむっつり顔だ。

「手持ち無沙汰なんでな。適当に時間潰してるだけだ」

「あなたはノルティア州に向かいませんの? あの二人は先に行ってるのでは?」

「わざわざオルディーネを動かすほどじゃねえ。万一に備えて、俺はパンタグリュエルの守り。これも役割分担ってやつだ」

「そうですか」

 デュバリィはじっとクロウの目を見つめる。

「嘘ですわね」

 彼女はそう言い切った。

「あなた、本当のことを言ってない。万全を期すなら、蒼の騎神も出すべき。そこまでの戦力がそろって初めて盤石でしょうが」

「だから俺は旗艦の防衛を――」

「それも嘘。強い意志をもって何かを守ろうとする気配が感じられませんもの。いずれかの敵がきたら戦うっていう、ただそれだけ」

 鋭い指摘だった。

 普段間の抜けた言動が目立つ分、ここまでストレートに評されたのは驚きだ。

 だが得心はいく。

 武芸ごとに通じれば、人心の見抜きには長ける。彼女の観察眼は実力に裏打ちされた確かなものだ。

 敵がきたから戦う。己の役目に則って。

「それの何が悪い」

「自分の敵を、自分で決めていないのは問題でしょう」

 珍しくからんでくる。普段はこちらから話しかけても、大体素っ気ないくせに。彼女の表情にかすかな憂慮が見えた気がした。

「自分の敵、ね。だったら訊くが、お前の敵は誰だ?」

「もちろんマスターに仇なすもの全てですわ」

「また範囲が広いな……主の為ってことか。自分の為には戦わないのか」

「剣を抜く動機と、振るう理由があるのなら。そう言うあなたは何の為に戦っているんですか?」

 それはヴァルカンにも問われた。あの時は返答に詰まったが、今だって同じだった。

 はぐらかそうと思わないでもなかったが、適当に流したところでデュバリィには看破されてしまうだろう。

 だからクロウは正直に言った。

「前は鉄血宰相を討つためだった。今は……わからない。なあ、戦うのには理由がいるのか」

「当たり前です。目的のない無秩序な力はただの暴力。律することのできない垂れ流しの力が一番手に負えません」

 ふとリィンの鬼の力を連想した。

 あいつが自身の力を制御できないのは、もしかして明確な意思の元に使おうとしていないからか? 状況に追い詰められて、やむなく使っていたからか? 

 だとすればその手綱の在処は――

「あなたが行こうとしないのは、あの人――ヴァルカンと喧嘩したからでしょう?」

「……え」

 デュバリィはどこかバツ悪そうにしていた。

「たまたまその諍いの現場を目撃したのです。立ち見するつもりはなかったんですけど。一応謝っておきますわ」

「いや、いい。スカーレットにも場所を選べってたしなめられたしな」

 こいつは素直なのか頑固なのかよくわからない。性根は真面目なのだろう、とは思うが。

「話を戻しても?」

「ん? ああ、俺が行かないのはヴァルカンと言い合いしたからってか。ま、そりゃちょっとは顔合わせづらいけどよ。だからって……」

「自分の中でどうとでも理由は作れますわ。あなた、頭は悪くなさそうですし」

「まあ、多分お前よりは」

「んなっ!?」

 軽い冗談のつもりだったが、デュバリィは怒った。顔を真っ赤にして、足を踏み鳴らしている。脳天から蒸気を噴き出さんほどだ。優れた慧眼を垣間見せたかと思えば、すぐにこの態度である。

 よくわからんヤツ。

「人がせっかく心配してあげたというのに! もー知りませんわ!」

「心配してくれてたのかよ」

「はあ!? なんであなたの心配なんかするんです! 思い上がりも大概にしやがれですわ!」

「いや、言ったじゃねえか」

 憤慨した様子のデュバリィは、切っ先さながらにビシッと指を突き付けてきた。

「行きなさい! 今すぐ! あなたの仲間でしょう!」

「仲間とは少し違う。同じ目的を掲げて共に行動した……そう、同志だ」

 同じようでいて差がある。重きを置く部分が異なるというべきか。

 仲間は関係を信頼する。

 同志は能力を信用する。

 信頼。信用。俺はあの二人のことをどう思っているのだろう。逆に、あの二人は俺のことをどう思っていたのだろう。

 あまり考えたことがなかった。

「本音で感情をぶつけられる相手は仲間です。あなたは誰とでも上手く付き合えるくせに、一定以上の距離には踏み込まない気質がありますわね」

「お前……!」

 つくづく遠慮がない。まるで刃を突き立てるように、こちらの気持ちを彫り出してくる。えぐり出す、に近い。

 こいつに出くわしたことが今日一番の失敗だ。

 自分が気付いていなくて、気付くつもりもなくて、あるいは目を逸らしていたかもしれないことを、形にされてしまった。

「………」

 けれど、おかげで理解もした。やはりあの時、ヴァルカンは怒っていたのだ。

 どこまでも本音を見せようとせず、無意識にでも薄い壁を張り続けている自分に。

 俺たちにまで何かを偽るな、と。

「……だな。そりゃそうか」

「なにがですの?」

「黒竜関に行ってくる。今からでも飛ばせば間に合うだろ」

 急な心変わりを訝しげに思ったのか、デュバリィは目をパチクリとしばたたいた。

「だったら早く行けばいいですわ。私ももう出発しなければなりませんし」

「どっかいくのか?」

「ええ、クロスベルに。向こうでもちょこまか動いてる輩がいるみたいで」

「大変だな」

「マスターからのご指示ですので。私の力を見込んで呼び戻して頂いて光栄ですけれど」

 しかもクロスベルで用を済ましたら、またエレボニアまでのトンボ帰りだそうだ。

 それを光栄と言い切る忠誠心には感服するが、そこまで彼女に言わせるマスターとはいかなる人物なのだろう。使徒第七柱、アリアンロードという名前まではヴィータから聞いている。確か《鋼の聖女》とも呼ばれていたか。

 クロウの顔を一瞥したデュバリィは、鼻を鳴らして足早に去っていく。どうやら本当に時間がなかったらしい。

「……さて、俺も行くかね」

 ヴァルカンと顔を合わせた時、まず何から話せばいいのか。それは思い付かなかった。だが難しく考える必要はない。

 最初に浮かんだ言葉をそのまま出すことが、きっと一番重要なのだろう。

 

 ●

 

「さすがに太刀捌きが早いな……!」

 容赦ない斬撃をしのぎながら、ユーシスはレジェネンコフ零式の隙を探る。

 こいつの胸には一号機のマークがある。とすれば仲間たちが相手をしてる他の二体は、二号機と三号機か。

 離れた場所に位置する彼らに目をやると、二号機はガイウスと、三号機はミリアムと交戦中だった。

『セイッ』

「ちっ」

 わずかにずらした視線も見逃さず、袈裟切りを打ち込まれる。剣の腹で受け流そうとしたが、予想より衝撃は重たかった。

 たたらを踏んだユーシスに、追撃の刀身が迫る。こんな鉄の塊にぶつかられたら、ただでは済まない。

 立てた剣を盾代わりにしつつ、威力を減殺する為に後ろに飛び退く。

「機械のくせに掛け声とはふざけているな。しかし……」

 強い。

 こちらの挙動をセンサーで感知し、最適な対応をプログラムされたパターンの中から選び取っているのだろう。

 さらに武道特有の序破急も再現されていた。その上で当然呼吸は乱れないし、疲れによる動作の鈍りもない。極め付けはデータロードされた八葉一刀流。

 攻守のバランスが良く、ひどく攻めづらい。敵に回すとこれほど厄介だったとは。

「エリオット! 俺のフォローに付けるか?」

 エリオットは三組の戦闘域の中間でアーツによる援護をしている。呼びかけると、すぐにユーシスの横までやってきた。

「魔導剣を使う。が、これは少し隙が出る。相手の注意を引きつけて欲しい」

「わかったよ。なんとか保たすから」

 本来なら頼める相手ではない。しかし今のエリオットは動きながらアーツの駆動ができる。

 魔導杖を手に走り回るエリオット。回避と攻撃を織り交ぜたムービングドライブが、一号機を撹乱した。

 時間は十分に稼いでくれそうだ。

「よし……やるか」

 魔導剣《スレイプニル》。そして魔導剣専用ARCUSホルダー《ドラウプニル》。

 剣のガード部には装飾を兼ねた凹凸があり、左腰に装着したホルダー側にもその対となる窪みがあった。その二つを“接続”する。

 それは居合抜きの立ち構えのようだった。

 《ARCUS》にセットしてあるクオーツから発せられた導力が、そのまま《ドラウプニル》に蓄積され、そこから《スレイプニル》の魔玉へと流されていく。

 力を受け渡された白銀の刀身が、淡い光に包まれた。

「下がれ、エリオット!」

 魔導剣を振るう。

 虚空を走る真空の刃。間合外のはずの一号機の腕がずっぱりと切断され、くるくると宙を舞った。

「い、今のなに?」

 エリオットが戻ってくる。

「《エアストライク》だ。お前も使ったことくらいあるだろう」

「それって初級アーツだよね。こんな威力はどうやっても出ないけど……」

 鋼の腕を切り裂くに終わらず、そのずっと後ろの壁面にまで深い斬撃痕が刻まれていた。

 魔導剣の能力を端的に言えば、戦術オーブメントにセットしたアーツを剣に纏わせることだ。

 メリットは大きく三つある。

 一つ目が任意の発動。駆動終了後であれば、刀身にアーツ能力を宿したまま移動できる。多様性で言えば本家には及ばないものの、それでも簡易式のムービングドライブだ。

 二つ目が戦術幅の増加。数種の属性を使い分けながら立ち回れる。前衛でありながら、組み込むクオーツによって近、中、遠距離に対応できるようになった。

 三つ目が攻撃力の増強。効果範囲の広い攻撃アーツを、この魔導剣のみに集中させている。拡散させないゆえに有効距離は縮まるが、凝縮されたエネルギーが生み出す威力は従来の比ではない。

 ルーファスに剣でもアーツでも半端と評されたユーシスは、片方に偏るのではなく、両方を合わせることを選んだ。

 着想の元になったのは、アルバレア城館で交戦したデュバリィだった。あの時、彼女はラウラと合流したユーシスの前で、属性を宿した剣を使っていたのだ。

「はっ!」

 攻撃態勢に戻った一号機に、続けてもう一撃。次は首から上が吹き飛んだ。

 がたがたと耳障りな異音を発しながら、それでも太刀を振り上げている。

「うわ、頭無しになってもこっちに来る!」

「これで仕留める」

 構え。溜め。敵の攻撃が届くよりわずかに速くチャージが終わる。

 ユーシスは魔導剣の切先を、一号機の腹部装甲の隙間に刺し込んだ。

「機械には雷が有効なのだろうが、あいにくそれはセットしていなくてな」

 まばゆく青い光が爆ぜる。

 剣に宿らせたのは《フロストエッジ》。強烈な冷気が駆け巡り、内部フレームからケーブル、精密機器の全てを瞬時にして凍てつかせた。

 ぎしりと体を軋ませたのを最後に、レジェネンコフ零式一号機は両膝を付いて動かなくなった。

「す、すごい。一撃で倒しちゃった」

「……そこまで便利な代物でもないがな」

 魔導剣にはいくつかデメリットもある。

 トヴァルに頼んで《ARCUS》を高速駆動仕様に変えてもらっているが、それでもチャージ中の数秒間は動けない。さらに《ドラウプニル》と一体化してしまっているから、今までのようにアーツを撃つこともできない。

 致命的なのはこれだ。

 内部機構を大幅に改造したせいで、導力通信が使用不可能になった。仲間たちと遠隔で連絡することは、もうできない。

 どうにかリンク機能は失わないで済んだものの、強大な力の代償は決して小さいものではなかった。

 しかし自分には必要なものだ。

 ルーファス・アルバレア。ずっと支えだった兄。道を違いつつある兄。

「兄上に追いつく為に……いや、そうではないか」

 追い越すために。

 強い意思に呼応するかのように、ユーシスの持つ魔導剣は輝いた。

 

 

 ユーシスが一体片付けた。こちらもあまり時間はかけていられない。

 レジェネンコフ零式二号機の正面切りを、交差させた二槍で受け止めたガイウスは、巧みな槍捌きでいなしつつ相手の背後に回り抜けた。

「ふん!」

 すかさず渾身の払い。しかし鎧装甲に弾かれる。

 相手も止まってはいない。振り向き様の一刀で反撃してきた。槍の長柄で刃を滑らせながら、際どく回避。

 牽制しつつ、ガイウスは即座に間合いを離す。

 敵は手数も多い。こちらは槍二つで応戦しているが、それで精一杯だ。何よりこちらの攻撃が一切通らない。

 ――丁度いい。

「俺も試すか。どのみち実戦で扱えなければ意味がないしな」

 槍の一本を手放したガイウスは、残った槍だけで突きの構えをとった。

 手応えから感じた限りでは、この槍では敵の鎧を砕けないだろう。それは材質的な話でもあるし、そもそも人間の力で分厚い金属を貫くことなどできはしない。

 が、それを成す技があった。

 “石の目”を見切る。

 石の目は節理とも呼ばれる。あらゆる岩石には鉱物配列がある。そのどこか一点――形状によっては数点――に、形成構造上の脆さが存在しているのだ。つまりは“割れやすい方向”である。

 そこを突けば、物質は砕ける。力ではなく、作用によって。

 それがクララの持つ貫く技術の正体だった。

「ふう……」

 ガイウスは深呼吸し、集中力を高めた。

 理屈はあれど、容易なことではない。木目などと違い、石目は見てわからないからだ。しかも相手は石ではなく金属。それもただの塊というわけではなく、複合的に組み合って人型となっている金属。

 だが原理は同じだ。この世に完全はない。形あるが故の弱点は必ずある。

『トゥア!』

 二号機が掛け声と共に前進してきた。速い。この太刀筋、八葉一刀流《疾風》だ。

 構えを崩さないよう、最小限に体をひねって回避。敵の太刀が左腕をかすめ、裂けた袖にじわりと血がにじんだ。

 槍を持っていない左側でよかった。精度が保てる。

 どこにある。この人形兵器の弱点たる“石の目”は。

 全神経を研ぎ澄ませ――。

「……そこか」

 見えた。いや視えた。

 自身を一つの槍と化すように、ガイウスは上半身を引き絞る。呼吸を吐き切り、丹田に力を込める。

 二号機が返す刀で逆袈裟を狙ってきた。マスタークオーツ《ファルコ》の能力も使って、極限の集中。万象の動きが遅く感じた。空気の流れでさえ色付いて見えるようだった。

 相手がただの塊でない場合、“石の目”は常時出現していない。

 微細な動きの最中、攻撃に転ずる一定の動作、恰好。その条件を満たした瞬間にだけ、それは現れる。刹那の時間に露呈する、構造上の脆さが。

 今。

 弾かれるようにガイウスは槍を繰り出していた。ほとんど反射だった。

 脇下から入った穂先が心臓部である導力エンジンを穿ち、敵の首裏から突出する。驚くほど腕力を使わなかった。

 機体内部でショートが起こり、小さな爆発が連鎖する。駆動系から黒煙を噴き、レジェネンコフ零式二号機は機能停止した。

「ひどく目が疲れるな……俺と騎神リンクした時のリィンの状態が分かった気がする」

 ウォレス准将とはまったく種の異なる、ガイウスだけの貫く槍。

 それは何物をも突破する究極のカウンターだ。

 

 

「やっちゃえー!」

 レジェネンコフ零式三号機の切り下ろしを、アガートラムが腕で払いのける。硬い衝突音が弾けた。

「あっ?」

 アガートラムの腕に切り傷が入っていた。敵の大太刀は鋼を裂けるのだ。

『対象捕捉……紅葉切リ――レディ』

 三号機の手首が高速で回転し、複雑に交錯する剣撃がミリアムを襲う。すかさず割って入ったアガートラムが彼女を守ったが、銀色の体表にさらに多くの傷が刻まれた。

「うわわっ、こんのー!」

「ミリアム!」

 彼女が反撃の指示を出しかけた時、各々の相手を片付けたユーシスとガイウス、そしてエリオットが加勢に駆けつけた。

「無事か」

「ぜーんぜん平気。今から逆転するところだったんだから」

 ユーシスにそう返したミリアムは、視線を正面に戻した。三号機もハイデルのそばに戻っている。

 二機を倒されてしまったハイデルは、表情に余裕がなくなっていた。

「お、おのれ。このような狼藉を働くとは……もう許さん」

「ふーんだ。強がりってまるわかりだもんね。そっちこそ謝った方がいいんじゃない?」

「ぐっ、調子に乗りおって。私を追い詰めた気でいるなら大間違いだぞ!」

 そう言って、手元の端末を操作する。

 三号機の双眼がぎらりと光り、背部から排出された熱気が揺らめき立った。

「くくく、一号機と二号機の戦闘データを三号機に転送させてもらった。これで攻撃パターンも反応速度も桁違い。私がお前たちに負ける道理はない! いけい、レジェネンコフ零式!!」

 高らかに叫ぶハイデル。しかし三号機は反応しなかった。

 どうも様子がおかしい。

「なになに? どうしたの?」とミリアムが呼びかけると、三号機は『フ』と機械の合成音声を発した。 

『フ、フ、フフ、フ』

 笑い声ではなかった。しばらく『フ』の単音を続けたあと、ピタリと声を止める。

 しばしの沈黙のあと、

『フ……フカ』

「ふか?」

 ミリアムは首をかしげる。そして――

『フカ、コウリョク』

「ふかこーりょく?」

 不可抗力。確かにそう口にした三号機の視線が、ゆらりとミリアムに向けられる。

 仲間たちの表情が強張った。彼女の後ろで、ひそひそとささやき合う。

「聞いたか? あの機械人形、不可抗力と言ったぞ」

「八葉一刀流っていうか、リィンをスキャンしたんじゃない? まずいよね……うわ、すごいミリアム見てる」

「よくわからんが……不穏な風が吹いているな」

 三号機はなおも『フカコウリョク』と繰り返している。人間の手を模したマニピュレーターが、うねうねと妖しく動いていた。

 ユーシスが言った。

「あいつはダメだ。可及的速やかに倒せ!」

『フカコーリョクゥ!』

 散開するよりも早く、飛びかかってくる三号機。もちろんミリアムめがけて。

 異常な瞬発力。全員の反応が遅れる中で、ミリアムが腕を前に突き出した。

「特訓の成果、いくよ! ガーちゃんネット!」

『Γ§§ΔΕ』

 アガートラムの姿が溶けるようにして崩れ、ミリアムの前で再構成される。一瞬のことだった。

 収穫網のように変化したアガートラムは、突っ込んできた三号機を受け止めるや、その弾力性を利用して一息に弾き返した。

 ぶつかったイリーナの執務机が真っ二つにへし折れる。それを意に介することもなく、三号機は舞い上がる木くずにまみれて立ち上がった。

「まだまだ! ガーちゃんスネーク!」

 今度は網から一本の縄のように形状変化し、獲物を狙う蛇のように床を這い進む。足元から巻き付いた銀の蛇がとぐろを巻き、三号機の全身を締め付けた。ビキビキと鎧に亀裂が走る。

 これまでの打撃、射撃などのシンプルなそれと違い、自らの得た知識と感性、そこから生まれる発想を軸にした変幻自在のトランス。

 彼女の成長に合わせて、力は無限に進化する。

 指導役のトワは、その新能力を《グローイング・トランス》と名付けていた。

『フカコーリョク! フカコーリョク!』

「あ、もうちょっとだったのにー」

 機能不全に追い込める寸前で、三号機が拘束から逃れてしまった。

「不可抗力と言えばなんとかなると思っているあたり、やはりリィンだな」

「うーん、このまま『何から謝ればいいんだ』とか言いそうだよね……」

「待て二人とも。あの敵は不可抗力と言った上で事を起こそうとしているから確信犯だ。リィンのそれとは違う」

 戦闘そっちのけで、男子たちは議論を重ねていた。

 三号機が両腕を開く。胸の装甲が開き、中から砲門がせり出した。内部がギュンギュンと唸り、エネルギーが収束されていく。

『八葉一刀流、マキシマムビーム』

「へー、そんな技あるんだ?」

「あってたまるか! なんとかしろ!」

「さっきまでおしゃべりしてたくせにー!」

 ユーシスに抗弁している最中で、問答無用のビームが発射された。ミリアムは焦って言う。

「護って! ガーちゃんアンブレラ!」

 蛇から球体へ。そこから傘のように広がって前面展開。正面から受けたビーム光を、傾斜をつけた表面で拡散してみせた。熱線に炙られた天井と床が、あっという間に炭化していく。

 それでもあきらめない三号機。

『フッカッコッウッリョックゥー!!』

 八葉の呪いだか、リィンの特質だか、それ以外の何だかをロードさせられてしまった哀れな人形兵器は、とうとうやってはいけない実力行使に出た。

 太刀を捨て、身一つでミリアムに抱き付かんと走ってくる。

「よーし、だったらこっちも。ライアットビーム出力マーックス!」

 元の姿に戻ったアガートラムは両腕をばちんと合わせた。腕の先が融合し、巨大な砲口が形作られる。

 発射。鮮烈な光軸が会長室の壁を突き抜け、遠くに見える別のビルをかすめ、大気を焼き焦がしながら彼方へと伸びる。

 極太のビームに呑み下された三号機は、『何カラ謝ッタライインダ……』と発したのを最後に、足首から下だけを残して消滅した。

 全ての敵機を撃破。

 呆然としていたハイデルは、ややあって「あ、あ」と震える声を絞り出し、

「あれを見ろー!」

 と、明後日の方向を指さした。

「え、なになに?」とミリアムが引っかかり、「むっ!?」とガイウスも続き、「悪あがきを!」と意外にもユーシスも乗せられ、エリオットだけは「古すぎる手なんだけど……」と騙されなかったが、その隙をついてハイデルは逃げ出した。

 しかし戸口に差しかかったあたりで、不自然にその動きが止まる。

「な、なんだ? このっ、この!」

「あまり動かない方が良くてよ」

 カッカッと小気味よいヒールの音。通路の奥からイリーナ・ラインフォルトが姿を見せた。その一歩後ろに続くのはシャロンだ。

「扉付近にクモの巣状にして糸を張っておきました。もう少し勢いがあれば細切れでしたのに」

「やめなさい、シャロン。後片付けが大変よ」

「う、うああ、かかか、か、会長?」

 ハイデルの顔面から滝のような汗が落ちる。

「しばらくぶりの休暇を楽しめたわ。そろそろ仕事に復帰しようと思うのだけれど」

「な、なぜここに?」

「仕事に復帰するからと言ったわ」

 底冷えのする声、目付き。

「ああ、そうそう。ここに来る前にあなたの手配してくれたお出迎え(、、、、)に会ったの」

「へ?」

「彼ら、縛って道端に転がしておいたけど。魔獣に襲われてなければ幸いね。――シャロン」

「かしこまりました」

「ひっ?」

 ハイデルの体が糸に持ち上げられ、逆さ吊りの状態になる。Ⅶ組勢は何も言えない。ミリアムでさえも姿勢を正して、直立不動だった。

「別に会社を手中に収めようとしたことを咎めるつもりはないのよ。私もそうしたから。ただね、他人の家を荒らしてくれたことには落とし前をつけなきゃね?」

 ボディに一発。腰の入ったイリーナの拳が、ハイデルのみぞおちにめり込んだ。グーパンチである。

「ふぎゃあ! ほぐうっ! ぶへえっ!」

 さらに左フック、肘鉄、アッパーの流れるようなコンボ。ぐるんと回転し、遠心力を乗せた蹴りがフィニッシュブローとして炸裂する。

 ハイデルは白目をむいて気を失った。

「まだ収まらないわ。あなたはどう、シャロン」

「ええ、もう少しお仕置きが必要かと」

「そうね。バケツとホース、それとボールペンをニ本持ってきなさい」

「うふふ、はい」

 語尾にハートマークをつけて了解するシャロン。ユーシスたちには、それらのアイテムが何に使われるのか想像もつかなかった。

「それにしても滅茶苦茶やってくれたわねえ。原状回復費の請求書はどこに送ればいいのかしら? あなた達の手による部分も大きいわよ」

 辺りを見回し、彼らを一瞥し、イリーナは嘆息した。これも想像はつかないが、おそらく笑えない金額になるだろう。

 四人は顔を見合わせると、声をそろえて言った。

『オリヴァルト殿下で』

 

 ●

 

 ザクセン鉄鋼山と黒竜関は、ルーレ市を挟んで反対側に位置している。

 ヴァリマールの霊力回復を終えたアンゼリカ一行は、ルーレを大きく迂回するルートを通って、黒竜関までたどり着いていた。

 帝国の構える重要な関所の一つだが、灰色のブロック塀に固められた威圧的な佇まいは、むしろ城砦と呼ぶにふさわしい。

 正面の大門の前には大きな敷地が拡がっていて、右側には自然の川を整備した運河、左側には連なる岩壁がせり立っている。

 その黒竜関に、すでに多くの機甲兵が臨戦態勢でスタンバイしていた。装甲車、歩兵部隊もかなりの数である。

 70アージュ程度の距離を開け、アンゼリカたちは彼らと対峙していた。

「私の動きは察知されていただろうしね。ここまできて潜入をするつもりもなかったから、想定内と言えば想定内だが」

「アンゼリカ!」

 その時、野太い怒声が響き渡った。双竜橋と同じく凸型をした黒竜関、その屋上に誰かが立っている。

 がっちりした肩幅に、厚い胸板。濃い紺色の髪を後ろに撫でつけ、ハイデルよりも立派な口髭と揉み上げの主張が遠目にも見て取れた。

 彼がノルティア州を収める四大名門の一角、ゲルハルト・ログナー侯爵だ。

「久しいな、親父殿!」

 負けじとアンゼリカも声を張る。距離が離れているのに、二人とも地声の声量だけで会話を始めた。

「約束通り、力を示しにきた。盛大な歓迎を用意してもらっているようだが、それは自信の無さの表れかな」

「たわけるな、小娘! 易々と道を開いてもらえるとでも思っていたのか? お前が私の元までたどり着けたなら、直々に相手をしてやるということだ!」

 敵の大部隊が一斉に武器を構えた。

 アンゼリカは動じる気配を微塵にも見せない。後ろに控えるⅦ組勢に彼女は言った。

「砦に入るのは私一人だけでいい。屋上に出るまでにも敵は配置されているだろうが、それは問題ない。当初の予定通り、君たちには私と親父殿の決着が付くまでの露払いを頼みたい」

「了解しました」

 と、マキアスが応じる。

「僕とラウラ、エマくんとフィーで組んで歩兵の相手もしつつ、騎神リンクで連携を取っていこう。物量差は圧倒的に不利だが……やれそうか?」

 振り向き、見上げる。

 彼らの後ろにヴァリマールとレイゼルが並び立っていた。

『俺は大丈夫だ』

『私もよ』

 灰と朱。それぞれの機体からリィンとアリサの声が返ってくる。

 ヴァリマールがブレードを抜き、レイゼルが右手のアサルトラインを稼動させた。

「さて……」

 アンゼリカは遠くに見える父を見据えた。ゲルハルトもまた娘を睥睨している。一帯に充満していく息が詰まるような戦いの空気。

 

 ――来い、不良娘。

 ――待っていろ、頑固親父。

 

 意思を乗せた二人の視線が宙でぶつかり、見えない火花が散った。

『さあ、始めるぞ!!』

 異口同音に父娘の号令が弾け、両陣営が動く。

 敵味方の全員の中で、アンゼリカは誰よりも早く戦場へと駆け出していた。

 

 

 ――続く――

 

 

 

 




 お付き合い頂きありがとうございます。

 今話ではレジェネンコフ零式戦を、それぞれが得た力で戦っています。

一瞬の見切りからの急所貫きを使えるガイウスが、一対一の勝負においては無類の強さを発揮しますね。今後我らが風の兄貴は、ありとあらゆるものを砕いていくことになります。
ただ“石の目”に関しては解釈がややこしいので、少々捕捉をさせて頂きます。

 これは実際に石師の方等が使う、いわゆる職人技で作中の説明通りなのですが、兄貴がやったレジェネンコフ零式の貫きは、鉱物配列の割れやすい一点を突いたわけではありません。
 敵が攻撃の為に一定の体勢になった時だけ、そこにかかる微細な負荷が歪みを起こし、ごく一部分に構造的な脆さを発生させます。
 兄貴はその瞬間、その場所に、的確な角度で槍を打ち込んだのでした。石の目を利用した応用技ですね。通常まず見えないその一点は、きっちり風が導いてくれました。

 ミリアムは知識の幅をトランスの幅に繋げる形です。パワーアップしてもアルティナとのなんだかかみ合わない戦いは続く…

 そして魔導剣のお披露目となりました。そのうち上位三属性とかも宿してきます。かなり強力ですが、作中のようなデメリットもあります。
 ここで名付けの説明を――

『スレイプニル』……北欧神話の主神オーディンの愛馬で、8本もの足を有しています。ユーシスと馬は関係が深いので、このネーミングとなりました。

『ドラウプニル』……同じく北欧神話、オーディンが持つとされる黄金の腕輪です。同等の重量の腕輪を、9夜毎に8つ滴らせて作ります。売りたい放題ですね。

そして《ARCUS》にセットできるクオーツの数も8つ。

少し前の話のユーシスの台詞で、『8つを繋ぐ魔導の剣』という言葉が出ているのですが、これはそう言う意味でした。言葉遊びの類なので、本編に絡むほど深い意味はありません。

閃の軌跡は巨人伝説も絡むからか、北欧神話ベースのネーミングが多いですよね。軌跡シリーズは世界観が確立されているので、こちらの神話などはストーリーに落とし込みにくいのですが、この程度ならありでしょうか?
ちなみに《レイゼル》の武装名も全て北欧神話です。そのうち正式名称と併せて、ご紹介いたします。

それではルーレ編の佳境、引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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