虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第67話 紅翼の守護者

 計器類がぐるぐると回り、メインモニターに映る景色も上下左右斜めと不規則に回転していた。

 どこまでも拡がる青い大空。蒼穹の一点の染みとなり、朱色の機甲兵《レイゼル》が単身地上へと落下する。

「機体の揺れが不自然だわ。それに動作が私の感覚と微妙にずれてる」

 これは風のせいじゃない。いくつかのセンサーが誤作動している。出撃前に環境データを入力していないせいだ。

 強風に翻弄される機体の操縦席で、アリサはコンソールパネルを操作した。

 湿度、温度、天候、風力、想定地形のローディング。

 みるみる下がっていく高度計とディスプレイを交互に見ながら、すさまじい早さでデータを打ち込んでいく。

 最後に並行感覚を司るジャイロセンサーの傾きを左にコンマ2、下にコンマ1で修正し、エンターキーを弾く。

 オートバランサーが正常に作動し、続いていたコックピットの振動が収まった。

 落下速度は時速300セルジュ。現在の高度は1600アージュ。

 機体の手足を振る勢いを使って、頭部を上に体勢を戻す。直下に分厚い雲が広がっていた。白い被膜を裂いて突っ切り、さらに地上との距離が狭まる。

 高度1000まで下降。地表の隆起がうっすらと視認できてきた。しかしパラシュートはまだ早い。

 900、800、700――

「見えた、アイゼングラーフ……!」

 倍率を上げたカメラアイが、連なる赤い車両をモニターに映す。

 その先頭車両近くに膝をついているのはヴァリマールだ。そこに領邦軍の機甲兵部隊が接近中。敵は八機。シュピーゲル二機、ドラッケン六機の編成。もう間もなく到達してしまう。

 高度500。

「開傘!」

 肩部に装着していたパラシュートを使用。完全に傘が開き切るまでに、さらに120アージュ落下。思いきり上方に引っ張られるような衝撃が襲ってきた。

「っ……!」

 口を開けば舌をかむ。声は出さずに耐える。減速はしているが、まだ勢いはかなりあった。

 迫りくる岩の大地。

 まだだ、もう少し――。

「二次開傘!」

 続いて上背部のパラシュートを開く。胃の腑が浮き上がるような感覚が喉元にまで這い上がってくる。吐きそうだ。

 ぐっと嗚咽を飲み込み、パラシュートの向きを調整する。高度80アージュから半滑空状態へ。

 ヴァリマールと機甲兵部隊に近づく。こちらに気付かれ、狙い撃ちされないかが心配だ。逆に上を取っている内に数減らしをするべきか。

 そう逡巡して腰部のアサルトライフル《オーディンズサン》に腕を回しかけた時、ガクンと機体が急落下した。

「な、なに? あ!」

 パラシュートの紐が絡まっている。

 そういえば一昨日ぐらいに、『いつ使うことになるかわからないし、ばっちりチェックしておくからねー』と、パラシュートをミントがいじっていた記憶があるが、たぶん――というか絶対にそれが原因だ。しまった。最終確認をジョルジュ先輩に頼んでおけばよかった。

 勝手に紐がほどけてくれるとも思えない。やむを得ず装着部分から切り離す。まだビル五階ぐらいの高さがあるというのに。

「な、なんとかしなきゃ!」

 私がぺしゃんこになってしまう。

 操作をセミオートからマニュアルに。脚部フレームを一時伸縮フリーに。各関節のショックアブソーバーを全開に。

 こんなもの焼け石に水だ。他に落下エネルギーを減殺する方法は――

「……! 《ヴァルキリー》起動!」

 無我夢中で操縦桿を引く。

 同時、高度計の残量が0になり、尋常ではない衝撃が走る。すさまじい土煙が舞い上がり、レイゼルの姿は見えなくなった。

 

 

《――紅翼の守護者――》

 

 

 そのドラッケンの操縦兵は、突然の轟音にとっさに身構えた。

 なにかが降ってきたらしいことは理解していたが、立ち込める噴煙のせいで落下物の正体まではわからない。

『全機警戒。一番機のみ先行し、状況を確認せよ』

 隊長の指示が無線に流れる。「一番機、了解」と応答して、彼は機体を慎重に進めた。

 もう少しで騎士人形を鹵獲できたのに。内心で舌打ちしながら、目視とセンサーで周囲を走査する。

 アイゼングラーフ号のコンテナに機甲兵がこれほど待機していたのは、鉄鉱山近くの地形を使って模擬演習をしていたからだった。

 自分たちの長であるゲルハルト・ログナーは、軍事訓練を軽視しない。いかな優勢も慢心によって容易に瓦解する。そのことをよくわかっているからだ。

 故に我々も主に倣い、あらゆる技術を身につけてきた。機甲兵の操縦もその一つだ。とりわけ今回の演習に参加したのは、選りすぐられた上級メンバーばかり。

 ルーレに帰還する為の待機中にいきなりアイゼングラーフが発車したことにも、灰色の騎士人形が現れたことにも、確かに驚きはあったが――すぐに頭を切り替えた。

 本部からの緊急通達では、襲撃者の目的はおそらくイリーナ・ラインフォルト。

 先んじてアイゼングラーフを動かす指示を出していたのは、情報をいち早くつかんだハイデル・ログナー。

 どうして彼がザクセン鉄鉱山の内部状況を把握できたのかは知らない。

 結果としてその指示は有効だった。列車は止められてしまったもの、騎士人形の驚異的な力を削ぐことに繋がったからだ。

「くそ、よく見えんな……砲撃ではなさそうだが」

 砲撃なら単発ということはあるまい。依然として悪い視界に目を凝らす。

 その時だった。

 もうもうと滞留する塵芥の向こうで、何かが揺らめいた。薄い人影。だがおかしい。判然としないシルエットは、どう見てもこのドラッケンと同じぐらいの大きさがある。

「いったい何が――」

 続く言葉を発する前に、視界を埋めていた噴煙が爆発するように吹き飛んだ。

 ほとんど同時、眼前で大写しになる朱色の装甲。

「なに! ぐっ!?」

 直後に右肩部に衝撃。攻撃を受けたのか。

 敵だ。見たことのない型だが、相手も機甲兵に乗っている。しかし立ち位置は離れていたはずなのに、なぜここまで接近されているのだ。

 距離感が狂っているような錯覚さえ覚える。とにかく反撃をしなければ。

 速射銃を持ち上げようとしたが、なぜか右腕が動かない。動作不良のアラートが鳴り響いていた。まさか今の一撃で? 確認できる相手の武器はナイフ一本なのに。

「う、うおおお!!」

 この敵は普通ではない。得体の知れない恐怖に衝き動かされ、彼は機体を走らせた。

 

 ドラッケンが捨て身の体当たりを仕掛けてくる。ふと、あの容赦のない特訓を思い返した。

「……シャロンよりは遅いわ」

 ごく冷静にアリサはコントロールレバーを操作し、レイゼルに《レヴィル》を構え直させた。片刃式の大型ナイフ。鋭利な切れ味を有するが、これは敵の装甲を裂くことを目的としていない。

 特攻を右にかわし、すれ違いざま左肩に一閃。頑強なアーマーの隙間を刃が擦過し、その奥に隠れる重要なケーブルをまとめて切断した。

 動作伝達に必要な信号が届かなくなり、先の右腕と同様に左腕も脱力する。

 続けて腰部、膝部の装甲に守られていない場所――すなわち関節部にレヴィルを刺し入れる。人間に置き換えれば、筋肉と神経の機能を失うようなものだ。

 あっという間に自身の重量を支えられなくなり、ドラッケンは糸の切れた人形さながらにくずおれる。

「まずは一機」

 機甲兵は正面に八、背面なら十二、隙間を狙える箇所がある。完全に破壊せずとも、アリサの技量なら無力化することは容易い。

 残りの七機は素早く散開し、レイゼルを囲もうとしていた。

 正体不明の機甲兵が介入した上、味方がやられたのに動揺するような気配は感じられない。細かな動作の錬度も高く、おそらく一人一人がかなりの実力者だ。

 先に敵部隊の連携を崩す必要がある。

 アリサは腰裏から《オーディンズサン》を引き抜いた。レイゼル専用に威力と連射性を底上げした大型のアサルトライフルだ。

 それを軽々と片手に携え、フルオート射撃。扇状にばら撒かれた銃弾が土煙を巻き上げ、敵の隊列を分断する。

 ドラッケンの一機が足並みを乱した。見逃さずにフットペダル横のスイッチを踏む。モニター下部に『Driven wheel』の表示が光り、両足の踵部にホイールが下りた。

 自動で前傾になった機体が、ローラー機動で前進する。瞬く間に加速したレイゼルは、砂塵を蹴立ててドラッケンに迫った。

 進行方向に十字火線が張られる。他の敵機の援護だ。やはり立ち回りが巧みで、よく訓練されているとわかる。

 感心している場合ではない。四方八方から狙われているのだ。

「手数では負けてるけど、つかまらないわよ」

 アリサは自在に機体の軌道を変え、複数に交錯する射線から瞬時に逃れてみせる。通常の機甲兵にはまず不可能な動きだった。

 高回転グランドホイール。レイゼルは足の踵部だけでなく、足裏にもローラーが装備されている。車輪型ではなく円球型のそれは、旋回に加えて転回をも実現する。

 つまり直進しながらも、まるで氷上を滑るようにして機体の向きを変えることができるのだ。車のカーブみたいにしか曲がれない既存の機甲兵とは、そもそも確保できる動線の数が違う。

 コックピット内に警報。熱源感知のアラートが上方を示す。

「あれは……」

 何かを投げられている。放物線を描いて向かってくるのは、投擲式の手榴弾だった。機甲兵が使う武器としては、初めて目にするものだ。

 爆発系でおそらく効果範囲も広い。しかもそれがいくつも。こちらの足を止めてから、確実に仕留める気だろう。

 アリサはスティックを弾いた。

 羽にも似た背部のバックパックユニットがスライド拡張し、そこに収納されていた計四つのブースターが顕わになる。展開した翼を背に携えるその姿は、飛び立つ寸前の大鳥のような力強いフォルムだった。

 《ヴァルキリー》起動。

 翠耀の力が巡り、高密度に圧縮された空気がウイングから一気に爆ぜる。

 一秒とかからず、機体がトップスピードに押し上がる。0から100へ、段階を踏まない超加速だ。

「うっ!」

 この装置を使うときは自動で座席シートが後ろに傾く。正面からのすさまじい加圧を流す為だが、さすがに負荷を完全に無くすまでには至らない。

 肋骨がへし折れてしまいそうな圧迫に耐えながら、アリサは機体を繰った。

 背後で起きた手榴弾の爆発を置き去りにして、狙いのドラッケンに肉薄。敵の操縦兵はまったく反応できていない。

 喉輪をわしづかむ。そこでようやく振り払おうとしてきたが、もう遅い。

 重ねてヴァルキリー発動。このブースターはヴァリマールのような持続性がない。極めて短距離の、かつ瞬間的な加速だ。

 降下からの着地時は地面に向かって風圧を放つことで、落下の衝撃を殺すことに成功していたのだ。

 首をつかまえたまま、激しく突進。そばの岩場に叩きつける。砕けた装甲と岩の破片が派手に散った。

『な、なんだ、こいつは……!』

 思わず漏れ出したというような声が、どの敵かの外部マイクから発せられる。

 一機のドラッケンがその場から離れた。向かう先にいるのは、うずくまるヴァリマールだ。こちらは足止めだけしておいて、騎神から片付けようというのだろう。確かにこう群がられていては、すぐに追いつけない。

 アリサは慌てていなかった。そのドラッケンの後ろ姿めがけて、左腕を持ち上げる。

「リィンに手は出させないから」

 腕部にマウントされたショートシールドからワイヤーが射出された。その速度は銃撃のそれと変わらない。先端のアンカーが大腿部に突き刺さり、バランスを崩したドラッケンは盛大に転倒した。

 《(ブレイズ)ワイヤー》。多様な場面で攻守、移動補助に効果が期待できる武器で、作業クルーたちは簡略化してB装備と呼んでいた。

 すぐさま別のドラッケンが駆けつけ、引き抜こうとワイヤーに手をかける。いや、引きちぎろうとしているのか。どちらにしても悪手だが。

 ワイヤーから鮮烈なスパークが弾け、そこに接触していた二機がビクリと仰け反った。直後に排熱口の至るところから黒煙を吐き出して、ドラッケンたちは全機能を停止する。

 ワイヤーを伝わせて、電流を直接流し込んでやったのだ。貴族連合のユミル襲撃時にも機甲兵と交戦していたが、そこで電気が有効であることは判明していた。

 風と雷。七耀属性の中で唯一、翠耀だけが二種の特性を有している。アリサがこの属性を選んだのは、その汎用性と応用性を見込んでのことだった。

 残りは四機。シュピーゲルとドラッケンが二機ずつ。半分まで減らしたが、隊長機は健在だ。撤退の指示を出さないあたり、まだ自軍が優勢だと思っているからか。

 アリサは先制の射撃を見舞った。

 シュピーゲルの前面の空間に青白い障壁が生まれ、貫通力の高い徹甲弾が阻まれる。

「リアクティブアーマー……! 機甲兵に乗って対峙するのは初めてだけど、なかなか厄介そうね」

 リアクティブアーマーは常時展開型ではなく、操縦兵の判断によって使用される防御システムだ。絶対的な防御力を誇る反面、障壁展開中は中側からも攻撃ができない。

 故に大まかな対応は二つ。意識外からの不意打ちか、敵の攻撃に合わせたカウンターか。

 こんな向き合った状態からでは、普通ならカウンターしか狙えないが――アリサは不意打ちを選び、そしてそれをすでに終えていた。

 手前にいたシュピーゲルの挙動が不自然に鈍る。

 突然、右肩から先が地面に落下した。間を置かず、左膝、右腿、左手首もばらりと外れ、ただの鉄塊同然になった巨体が崩れ落ちていく。

「なんとか狙った場所に巻き付かせられたけど……力加減が難しいのは相変わらずね。――リバースロール」

 シュピーゲルの残骸から四本の線がスルスルと戻ってきて、右腕のショートシールドの枠部に収納される。

 《(アサルト)ライン》。近、中距離を制するレイゼルのメイン兵装だ。この通称A装備を扱う為に、シャロンとの特訓はあったのだ。

 強靭だが細い鋼糸は、機甲兵のモニターに映りにくい。攻撃の初動が読めなければ、リアクティブアーマー発動のタイミングも遅れる。

 残りは三機。

 周囲の敵は何が起こったのか分からず、ようやく動揺らしい動揺を見せていた。

 レイゼルの機動性を前にして、その隙は致命的だ。

 一番焦りが出ているドラッケンに高速で接近。かたわらを通り過ぎる刹那に縦軸回転し、勢いを付けたアサルトラインを飛ばす。

 巻き付いた四本の鋼糸が絞られていき、相手の鎧体を五つに分断した。それぞれの切断面から血しぶきのような火花が噴く。

 残る二機に目を向けると、どちらも撤退をしようとしていた。数の有利の及ばない戦力差を理解したのだろう。彼らは本隊へ損害報告もしなければならない。だから――

「逃がさない」

 ブレイズワイヤーを撃つ。隊長機の背中に直撃。コックピットブロックの真上――背部から胸部を貫いたアンカーが傘状に開き、がっちりとシュピーゲルをホールドした。

 それでも無理やりに逃れようとしている。無意味な抵抗だ。

 ワイヤーを巻き取る力だけで、シュピーゲルを引きずりよせる。眼前に来たその頭部を、レイゼルはわしづかんだ。力づくで押さえつけ、両膝を地に着けさせる。

『お、お前は一体誰だ!? この赤い機甲兵は何なんだ!?』

 ほとんど悲鳴に近い声だ。ここにきて隠す必要もない。いいわ、知っておくといい。あなた達の相手が誰なのか。

 双竜橋でエリオットがそうしたように、彼女も告げた。凄みたっぷりに。

「トールズ士官学院特科Ⅶ組、アリサ・ラインフォルトよ。それと、この機体の名前はレイゼル」

『レイゼル? ま、待て、ラインフォルトだと!?』

「機甲兵は戦車を倒すことに重点を置いた設計をしているんでしょう。事実、戦車の有効可動範囲を上回ることで、一定以上の戦果を挙げている。でもレイゼルの開発コンセプトはそれとはまったく異なるの」

『なにを言っている……?』

「教えてあげるわ。このレイゼルはね――」

 かつて成す術もなく、トリスタは機甲兵によって奪われた。みんなの大切な場所を、よりにもよって実家の企業が造ってしまった兵器で。

 だから必ず取り返す。私のこの手で。

「機甲兵を狩るための機甲兵よ」

 連立式オーバルエンジンが吼える。ジェネレータ最大出力。レイゼルの双眸が、操縦者と同じ深紅の輝きを発した。

 他の追随を許さない強大な膂力が、シュピーゲルの頭をみしみしと握り潰していく。『ひっ』と形になった恐怖が耳朶を打ったのと、完全に頭部が圧潰したのは同時だった。

 まだ使える機能は残っているはずだが、操縦兵が戦意を失ったのか、そのシュピーゲルは二度と動こうとしなかった。

「……あと一機」

 最後のドラッケンは、もう逃げることを止めていた。また戦意喪失かもと思ったが、そうではなかった。

 大剣を構えて、こちらを睨みつけている。

 逃げても無駄だと悟ったのか、仲間の仇討ちのために一矢報いようとしているのか。いずれにしても大した気概だ。

 そのまま全速力で突っ込んでくる。決死の特攻だ。

 ヴァルキリー起動。振り上げた大剣を振り下ろされるより早く懐に踏み込み、レイゼルは逆手に持ち替えたレヴィルをドラッケンの首元に刺し入れた。

『ぐっ……しかし、これで捕まえたぞ!』

 敵機が言う。まだ若い男性の声だ。傾いた首のまま、ドラッケンは割れたゴーグルをこちらに向けてきた。装甲越しにも殺気が伝わってくるようだった。

 相手の判断は正しい。ここまでの至近距離になると銃では狙えないし、ブレイズワイヤーもアサルトラインも扱いづらい。

 大剣を手放したドラッケンが、拳を固めて腕を引く。この操縦席に打撃を入れるつもりだろう。操縦士を戦闘不能にするというのも、この場面では有効な手段だ。

 隊長機でなくとも、機転の利く兵士が搭乗している。部隊のエースかもしれない。今までのレイゼルの戦い方から武装の系統を推察し、とっさにこの戦法に打って出たのだろうが、彼は一つ見誤っている。

 ナイフの白刃に雷光がほとばしった。

「当然、(レヴィル)にも電撃は伝うわ」

『がっ……』

 レイゼルに押さえの武器は存在しない。全てが必殺の威力だ。

 電流によって駆動系を焼き切られたドラッケンは機能不全に陥る。構えていた拳がほどけ、両の腕がだらりと力を失った。わずかに身じろぎしたあと、重々しく土煙の中に沈んでいく。

 これで八機の制圧が完了。

 アリサはヴァリマールと脱線したアイゼングラーフをモニターの枠に収める。

 ひとまずリィンは大丈夫そうだった。肝心のもう一人は――

「……母様」

 いた。見えた。

 まったく毅然とした足取りでアイゼングラーフから降りてきたイリーナ・ラインフォルトが、まっすぐにレイゼルを見つめていた。

 お祖父様が造ったこの機体と、それに乗る私を見て、母様は何と言うのだろう。

 

 

「とんだ不良娘だわ」

 まさかの一言だった。互いの無事を喜ぶわけでもなく、今日までの経緯を訊くわけでもなく、開口一番の言葉はそれだった。「なっ」と絶句するアリサに、「だってそうでしょう」と、イリーナはたたみかけた。

「機甲兵なんか乗り回して、挙句に敵部隊を単身で掃討するなんて。あなたには過ぎた玩具だわ。まあ、それを与えた人物は予想がつくけれど」

 肩をすくめたイリーナの視線が、後ろに控えるメイド服に移った。

「あなたも一枚かんでいるのよね、シャロン?」

「はい」

「武器の扱いの指南役あたりかしら」

「おっしゃる通りですわ」

 あっさりと認めるシャロン。

 彼女もまたイリーナを救出すべく、先んじてアイゼングラーフに乗り込んでいたのだ。アリサとは数日ぶりの再会になる。

「それにしても、さすがはお嬢様。初めての実戦であの機体を手足のように扱ってみせるなんて」

「まったく、そろいもそろって」

 浅く嘆息するイリーナは呆れ顔だ。彼女の態度に納得できないアリサは食い下がった。

「せっかく助けに来たのに、その言い草はないでしょ!」

「別に頼んでいなくてよ」

「~っ!」

「大体ね。助けるつもりがあるのなら、車両を持ち上げるなんて真似はやめて欲しいものだわ。彼にもそう言っておいてもらえない?」

 跪いたままのヴァリマールは霊力(マナ)の強制回復に入っている。あれができるということは、リィンにそれなりの体力が戻っている証拠だ。

「普通に事故よ。同じ車両に乗っていた猟兵はあちこち体をぶつけ回ってたし。シャロンが守ってくれなかったら、私も無事ではすまなかったでしょうね」

「それは……ごめんなさい。言っておくから」

「なんなら私から言ってもいいけど」

「ま、待って。それはやめて」

「どうして?」

「だって……そういうのなんか嫌だし……」

「ふうん」

 返答を濁すアリサに、イリーナは察しのついた目を向ける。「ま、いいけどね」と続けて、屈んで待機姿勢になっているレイゼルを今一度見上げた。

「隊長機の改修型ね。現行の機体を圧倒できるような設計と武装にしてあるようだけど、中核はその出力を支える心臓部といったところかしら。特殊なエンジンを搭載しているのね」

「み、見ただけでわかるの?」

「私を誰だと思っているのよ」

 怜悧な細目がレイゼルを品定めするように動く。ややあって、イリーナは怪訝そうに小首をかしげた。

「全体のバランスが微妙に悪い気がする。というより、わざと重心位置をずらしているというか。……ああ、なるほど、そういうこと。そうとしかできなかったのね」

「なにが?」

「アリサ。大きな力を持つ以上は相応の責任が伴う。同時にリスクも。さっきの戦闘中、この機体は『機甲兵を狩るための機甲兵』と言っていたわね。それが開発コンセプトだと」

「そうだけど……お祖父様もそう言っていたし」

「多分違う。いえ、確かにそれも一つなのでしょうけど、製作者が本当の目的にしていたのは……この機体の中に隠しているのは――」

「……?」

 イリーナは言葉を止める。最後までグエンの名を口にはしなかった。

「母娘で仲が良くて何よりだ。私も見習いたいな」

 そこにアンゼリカがやってきた。他の仲間たちもアイゼングラーフを降りて、今はヴァリマールのそばで休んでいる。

「お久しぶりです、イリーナさん。無事の再会を祝いたいが、あいにく時間に余裕がない。さっそく状況を説明しても?」

「ええ、お願いするわ」

 アンゼリカは手短に要点だけを伝える。

 経緯を話し終えると、彼女はリィンを除く全員を招集した。

「プランは変更だ。《紅き翼》の力を借りたい。トワに通信を繋いでくれ」

 

 ●

 

「アンちゃんから報告があって、地上の状況がわかったの。カレイジャスはこれより、リィン君たちが進行中の作戦に参入します」

 艦長席に座るトワは、スクリーンに一帯の地図を映し出した。

 結局、降下できるポイントが見つからず、カレイジャスは上空1000アージュ付近に滞空している。

 アンゼリカの話を聞くに、元々の作戦では第一段階がアイゼングラーフに軟禁されているイリーナ・ラインフォルトの解放。

 第二段階がラインフォルト本社を牛耳っているハイデル・ログナーの確保。

 最終段階が黒龍関に陣を敷くゲルハルト・ログナーの打倒だった。

 しかしイリーナの救出こそ成功したものの、あまりに派手にやり過ぎてしまった。

 アイゼングラーフが発進した時点でこちらの侵入には気付いているのだろうが、すでに本隊とルーレの両方に情報は回っていると考えていい。

 警戒が強くなっている今、リィンたちが改めて市内に入るのは絶望的だ。

「そこでボクたちがハイデル取締の確保班になるってわけだね」

 ミリアムが言った。ブリッジに集まっているのは、待機中だったユーシス、ガイウス、ミリアム、エリオットである。

 トワはうなずいた。

「そう。順番に進むはずだったミッションフェイズを同時に展開する形だね。ヴァリマールの霊力回復を待って、アンちゃんたちはそのまま黒竜関に直行してもらうから」

 どちらかが失敗してもいけない。迅速に双方の作戦を完遂する必要がある。

「ちょっと待って下さい」

 エリオットが質問した。

「カレイジャスがルーレ近郊に降りたって、どのみち僕らは市内に入らないといけません。降下はまず気付かれますし、条件で言えばリィンたちより潜入しにくいんじゃないでしょうか?」

「うん、そのとおり。だからカレイジャスはルーレ近郊には降下しないよ」

「じゃあどこに?」

「ルーレ空港」

「え」

 エリオットだけではなく、以外のメンバーも耳を疑っていた。トワは敵陣のど真ん中に着陸すると言っているのだ。

 ガイウスが確認するように言う。

「かなり危険では? 俺たちを降ろしたあとカレイジャスは再浮上するのだろうか?」

「それは……しない。すぐに空に退避しちゃうと、潜入班のみんなが目立っちゃうから。目くらましの役目も兼ねて、私たちはその場に留まらないと」

「無茶だ、さすがに」

 ユーシスがかぶりを振った。

「確実に攻撃を受ける。下手をすれば艦内に乗り込まれる。戦闘員がほとんど離れた状態では、持ちこたえることができない」

「それについての策は用意してる。だから、みんなはハイデル取締を確保することに集中して」

 アンゼリカからの協力要請が来た時、はっきり言ってトワも手詰まりだった。彼らが指摘するリスクを、彼女自身も想定したからだ。

 要となるのは、時間を稼ぐ方法。

 実用的な手段など一つも浮かばなかったが、ある人物から案が提示された。最後の最後まで彼女は悩んだが、結局それを実行するという判断を下した。

 提示した本人ができると言ったとはいえ、トワにとってそれは苦渋の決断だった。

「エリオット君、ムービングドライブの調子は?」

「はい、前より安定して駆動できます」

 トワは一人一人のコンディションを確認した。

「ガイウス君、新しい槍術は習得できた?」

「感覚は身に付きました。やれます」

 クララの技術を転用した、“貫く槍”

「ミリアムちゃん、特訓の成果のお披露目だね」

「任せて! ガーちゃんもやる気十分だよ!」

 ミリアムの見識を広げることによる、アガートラムのトランス能力の拡張。

「ユーシス君、魔導剣(オーバルソード)はもう扱える?」

「訓練は続けてきました。問題ありません」

 強大な力を誇る魔導の剣《スレイプニル》。

 それぞれが得た新たな能力を手に、この四人がラインフォルトビルの攻略にあたる。

「では作戦を開始します。潜入メンバーは後部デッキに待機。目的地はルーレ空港。最大船速!」

 

 ●

 

 ザクセン鉄鉱山に侵入者があったことは、先ほどハイデル取締役からの通達を受けていた。

 不届き者の素性は知れなかったが、灰色の騎士人形が現れたとの情報もある。ならば《紅き翼》が近くに控えている可能性も高い。

 双竜橋のように、このルーレの戦局にも介入するつもりなのか。

「全員警戒を厳にして、私に続け。このままRF本社ビルに向かう」

 市内警護を担当している領邦軍部隊は多い。彼はその分隊長の一人だった。

 総動員した十数名の部下を率いて、一層区の中央広場を走る。小銃を肩に物々しい行軍。いったい何事かと市民の群れは慌ただしく道を開けた。

 空に轟音が響いて、地に巨大な影が生まれる。見上げると、視界を埋め尽くさんばかりの紅い船体が頭上を通り過ぎていくところだった。

「《紅き翼》……! やはり来ていたか!」

 しかしどこへ行くつもりだ。ここまで低空飛行ということは、着陸態勢に入っているはずだが。

 一人の部下が言った。

「この方向。まさか空港に着けるつもりでは……」

「そんなバカな――」

 遅れてきた突風が路面をなぶり、先の言葉をかき消した。巧みに旋回したカレイジャスが、部下の危惧したとおり、ルーレ空港のゲートの奥へと巨体を沈ませていく。

 大胆不敵にも程がある。奴らの目的を考えても予測の域は出ないが、なんであれ、このような暴挙を許せるわけがない。

「目的地変更。各員、空港に急行せよ」

『はっ!』

 部下の了解を背に受けながら、彼も足を早めた。

 良いことを思いついた。普段は手の届かない高空にいる《紅き翼》が、無防備な状態で停まっているのだ。むしろこれは千載一遇のチャンスかもしれない。

 走りながら彼は一人に命じた。

「掘削用の炸裂弾を持って来い。遠隔起爆式をな。工業区で保管しているはずだ」

「わかりました。量は?」

「ありったけだ。急げ」

 いかな巨船といえども、機関部に損傷を与えれば致命打だろう。少なくとも空は飛べまい。それで十分。翼をもがれた鳥など死んでいるも同然だ。

 貴族連合にとって目障りな《紅き翼》の撃沈。それをこの私が成す。

 その功績を鑑みれば、幹部昇格も決して夢ではない。《パンタグリュエル》への配置転換も望めるかもしれない。

 降って湧いた出世への階段だ。確実にものにしなければ。

 勇み足で空港のゲートをくぐる。スチール製の階段を駆け上り、飛行艇発着場へ。

 《カレイジャス》はすでに着陸していた。が、それだけだ。見える限りではどこのハッチも開いておらず、特にアクションを起こした様子はない。

 本当に何をしにきたのか。いや、この際そんなことはどうでもいい。双竜橋の戦いに介入し、貴族連合に打撃を与えた事実と、今ここにいるという事実さえあればいい。

 そう、奴らが我々にとって不利益であることが重要なのだ。

 慎重に近付いていると、さっきの部下が追いついてきた。

「隊長、炸裂弾を運んできました。すぐに取り付けを?」

「うむ、機関部は……どこかわからんが、手あたり次第に仕掛けろ。誘いの罠ということはなさそうだ」

 爆薬の量は申し分ない。それらしいところで爆発を連鎖させれば、あっという間にでかいだけの鉄屑にしてやれる。

 部下たちに散開の指示を出し、自身もまたさらなる接近を試みようとした――その時だった。

 船首側の前部デッキから階段状のタラップが展開された。発着場の床まで到達したそれを伝って、誰かがゆっくりと降りてくる。一人だ。

 なんの真似か知らないが、妙な交渉などされたら面倒だ。適度に抵抗してもらう方が、都合のいい口実もできるというのに。

 聞く耳を持つつもりはなかった。

「全員、撃ち方構え……え?」

 その人物を取り囲み、即時射撃位置に部下たちを配置して、そこで彼は継ぐ言葉を失った。

 発着場に立つ少女は見覚えのある人物だった。その波打つ豊かな金髪も、目の冴えるような赤いドレスも。

 その口が静かに開かれる。

「わたくしはエレボニア帝国皇女、アルフィン・ライゼ・アルノール。ごきげんよう、ノルティア州領邦軍の皆さん」

 気品のある立ち振る舞いが、兵士たちを萎縮させる。困惑の極みだった。

「こ、ここ、皇女殿下!? な、なぜ……!?」

 どっと滝のような汗が噴き出てくる。頭の中でいくつもの疑問と葛藤がぐるぐると回る。

 これはどういう状況だ。どうすればいい。銃を、ライフルを構えていてはまずいのではないか。

 続く指示を出せない彼に、「銃はわたくしに向けたままで結構」と、アルフィンは物怖じせずに押し重ねた。

「カレイジャスの現所有者はわたくしです。同時にこの艦の正当性を認可し、守護する者でもあります。あなた方は見たところ、問答無用でこちらに攻撃を仕掛けようとしているようですが」

「あ、い……いえ、それは……」

「かまいませんよ。そのつもりなのでしょう? ただし、先にわたくしを撃ってからです」

「は……!?」

「あなた方にはあなた方の正義があるはず。それを否定することはしません。ですが通すべき道理と意思は、わたくし達にもあります」

 巨大な飛空艇を守るにはあまりに小さな体で、しかし胸を張って両の腕を開く。

「己が正義にそぐわぬ者を悪と断じるならば、その引き金をお引きなさい」

 

 

 ――続く――

 

 


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