虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第65話 黒銀の鉄座

 唐突な通信だったこともそうだが、何よりその通信相手がアンゼリカ・ログナーだったことに一同は驚いた。

 ブリッジの受信モニターには、紺色のベリーショートと切れ長の細面が大写しになっている。

『やあ、久しぶり。学院祭以来だが、皆変わりないようで何よりだ』

 それを言う本人が一番の変わらなさで、淡々と状況を説明する。

 今はルーレにいること。父親であるログナー侯と“親子ゲンカ”中で、協力者の力も借りた上で、近々一戦交えるであろうこと。

『それとアリサ君。君の母上の居場所を突き止めた』

「本当ですか! 母様は無事なんですね!」

 朗報にアリサが前に出る。

『ああ、大事ない。しかし軟禁されている場所が厄介でね。得た情報では、ザクセン鉄鋼山に停車中の《アイゼングラーフ》の中だそうだ』

「そんなところに……」

『貴族連合が陣取っていて、おいそれと手は出せないが……必ず助け出す。こっちは私に任せて、君たちは君たちの活動を続けてくれ』

「待って、アンちゃん。なんとか合流できないの?」

 トワが言った。画面の中のアンゼリカは、首を横に振る。

『そうしたいとは私も思うが、親父殿のことにけじめを付けなくては――』

 銃声が響き、会話が中断される。複数の足音がノイズ混じりに聞こえてきた。『姫様、お早く!』と、協力者とおぼしき声が慌ただしく錯綜する。

 突然の騒々しさにジョルジュが焦る。

「アン!? どうしたんだ!」

『親父殿に手を回されたようだ。まあ、ここで捕まるヘマはしない。また連絡するよ』

 その言葉を最後に、通信が一方的に切れる。

 どう考えてもまずい事態だ。

「行きましょう、ルーレに」

「待ちなさい」

 最初に声を上げたリィンを、サラが諌めた。

「カレイジャスの運用には理由がいること、わかってるわね? 個人の感情だけでは動かせないわよ」

「それは……」

 あくまでも“第三の風”を謳う艦。アンゼリカに助力する為にルーレに赴くことは、正当な理由にならない。フィオナ・クレイグ救出の為、正規軍と領邦軍の戦闘に介入した時とは事情が異なるのだ。

 介入の必要性を示し、大義名分を掲げる必要がある。

 マキアスが提案した。

「イリーナ会長の救出を理由にはできないのか?」

「難しい、というか不十分だろう。フィオナ殿の時と違い、生命に危険が及んでいるわけではないからな」

「ううむ……」

 ユーシスの見解に不服そうにしながらも、マキアスは続けて案を出す。

「ラインフォルト社の不当占拠はどうだ?」

 今度はエマが難色を見せた。

「理由としては少し弱いかもしれません。イリーナ会長が軟禁されているのなら、経営は別の人物が行っている可能性が高いと思います。そこに別の誰か――たとえば貴族連合側の誰かを取締役代理として任命するような書類が一枚でもあれば、単なる権限移行であって占拠とは言えなくなってしまいます。それが偽造文書であっても」

「なら兵器の独占開発は?」

「そもそもラインフォルト社は国の認可を受けている民間会社。法に基づく一企業として適正な範囲なら、独占とも言えません。もっとも軍需製品を貴族連合にしか回していない現状は問題と言えますが、カレイジャスの遊撃活動の対象とするには際どいところです」

「うーん……」

 マキアスのみならず、全員が渋面を浮かべる。動くに動けないジレンマだ。

「承諾なく占拠している場所ならありますよ」

 可憐な声音が沈黙を破る。それまで成り行きを静観していたアルフィンだった。

「アンゼリカさんが言っていたではないですか。貴族連合がザクセン鉄鋼山を陣取っていると。あの場所はアルノール家の所有地です。つまり不当ですらなく不法占拠ですね」

 確かにと納得する面々の前でアルフィンは続ける。

「しかも採掘された七耀石や鉄鉱は、全て直通で兵器生産のみの資材にされているのでしょう。これは明らかに一企業として行える適正範囲を超過していますしね」

 ここではき違えたらいけないのが、兵器生産自体を咎めるわけではないということだ。そこを理由にしてしまうと、正規軍の所有する兵器工場も対象にしなくてはならなくなる。

 今回絞るべき焦点は、あくまでも一つ。

 “ザクセン鉄鋼山の不正採掘と不正運用、それに伴う無用な戦闘状況拡大の防止”

 これである。

 当然、その為にはラインフォルト社を通常の運営に戻す必要があるから、軟禁されている現会長イリーナ・ラインフォルトの解放を作戦プロセスに組み込むというのは、一応の筋が通る。

 仮にそのあと彼女自身の意志で貴族連合に肩入れするというのであれば、それはそれ。過度の介入をすることなく、《紅き翼》としては撤退する道を選ぶのみだ。

 無論イリーナの性格上、そうはならない見込みもあってだが――その前提を踏まえた上で、全員の意志は一致した。

 まずは現地の様子を知る為に、アンゼリカとの合流を目指す。

 全ての方針が固まったところで、トワは艦長帽をかぶり直して号令を発した。

「目標地点はノルティア州、ルーレ市。カレイジャス発進します!」

 

 

《――黒銀の鉄座――》

 

 

 ルーレ方面とは言ったものの、リィンたちが降り立ったのはユミルの山麓だった。

 ノルティア州の領邦軍は強力で守りも固い。街から街道はほぼ丸見えで、カレイジャスが安全に着陸できる場所を見つけられなかったのだ。

 そこで出た案が、ユミル地方からボートで川を下り、スピナ間道沿いまで漕ぎ着けるというものだった。

 ちなみにそのアイデアの大元はグエン・ラインフォルトである。

「最初に聞いた時はいい案だと思ったんだけどな……」

 手漕ぎボートの繋がれた上流の川縁で、マキアスは誰ともなしにぼやいた。

「これ、危険過ぎないか?」

 昨晩大雨が降ったらしく、川の水量は多くて流れも激しい。誤ってボートから落ちようものなら、まず助かる見込みがない。

「今さらどうこう言っても仕方あるまい。うまく舵を取るしかないな」

「そうだね。リィン、操縦よろしく」

 あっさり腹を括っているラウラの横を抜けて、さっさとフィーがボートに乗り込む。

「操縦って言われても、流れのままに進むしかないぞ」

「確かに運次第ではありますが……。アリサさんの為にもなんとか乗り切りましょう」

 先頭席にリィンが付き、不安そうにエマが続く。

 イリーナの救出には自分も加わりたいと、当然アリサは同行に立候補した。しかしラインフォルト家令嬢である彼女の顔は、ルーレでは特に知られている。市内で情報収集をするにあたって、リスクが高すぎるのだ。

 よって潜入班はリィン、ラウラ、フィー、マキアス、エマ。

 待機班はアリサ、ガイウス、ミリアム、エリオット、ユーシス。

 アリサの気持ちは承知しつつ、しかし彼女を外す編成を取らざるを得なかった。

「よし、みんな。しっかり掴まっていてくれ。動き出したら一直線だ」

 振り返ってリィンが言う。

 小さな木製ボートに五人が収まっていた。

 船首側の二席にはリィンと、さりげなく彼の横に座ったラウラ。真ん中二席にはエマとフィー。そして最後尾にマキアスが控えるという並びだ。

「リィン、準備はいいか?」

「やってくれ」

「了解だ」

 マキアスが岸と船体を繋いでいたロープを解くと、すぐさまボートは進み出した。

 みるみる内に速度は増していき、あっという間にハードなラフティングが始まる。

「右へ行くのだ! 大きな岩がせり出している!」

「わかってはいるが……!」

 ラウラが叫び、リィンが舵をきる。船尾に付いている方向制御板が稼動し、船体の向きを変えようとするが、この激流の中ではさほどの効果も得られなかった。手漕ぎ用のオールも備えついてはいるが、そんなものを悠長に使う余裕などない。

 船体の左側を岩にこすられながら、かろうじて切り抜ける。雪解け混じりの凍えるような水滴が容赦なく降り注いだ。

「っ! リィンさん気を付けて!」

 濡れた三つ編み髪を波打たせながら、今度はエマが前方を指し示す。

 進路を塞ぐようにして、大きな木が水面に横たわっていた。おそらく川縁の地盤が緩んだことによる倒木だ。ボートが抜けられる程の隙間はない。

「よけられない! ぶつかる!」

「なんとかします!」

 手をかざし、エマは転移術を発動。大木を丸ごと後方へと移動させた。

 衝突寸前でどうにか事なきを得たが、せき止められていた流れが一気に動き出したことで、船速がさらに増す。

 右に左に翻弄されながら、それでもボートは進んだ。

「う、うわ! 浸水してるぞ!」

 マキアスが焦りの声を上げる。船底に薄い亀裂が走り、川の水が入り込んでいた。

 全員でかき出そうとした矢先、ボートが派手に跳ね上がる。勢いよく乗り上げた岩がジャンプ台代わりになってしまったのだ。

「あ、まずいかも」

「フィーちゃん!」

 その衝撃で一番体重の軽いフィーが船外に投げ出された。すかさずエマが転移術を使い、落水ぎりぎりでフィーを引き戻す。

 確実にゴールは近付いていた。しかしボートも壊れかけだ。

 目前に大きな岩が水面から頭を出して待ち構えている。直撃コースだ。リィンは思いきり、全力で舵を操作する。

 ベキッと操作レバーが根元から折れた。

 真正面から大ジャンプ。重なる悲鳴。フィーをかばうエマ。リィンにしがみつくラウラ。一人吹っ飛ばされるマキアス。

「うわあああ!!」

「マキアスさん!」

 再びエマが転移術で救出。同時に着水。盛大な水しぶきが弾ける。

 側面の板が剥落して、ついにはボロッと外れた。ネジ止めと木材の組み合わせで作られたボートの耐荷限界だ。大部分の外装を失い、ほとんどイカダと化したボートは流されるままに川を下り続ける。

 操縦不能のまま岸辺に突入して――……ようやく止まってくれた。

 目的地のスピナ間道沿いである。町には近いが死角になっていて、目論見通り領邦軍にも気付かれていない。

「た、たどりついたな……。みんな無事か」

 おぼつかない足取りの面々が川縁にしゃがみ込む。リィンは仲間たちに改めて目を向けて、首を傾げた。

 ラウラ、フィー、エマはいるが、一人足りない。

「……マキアスは?」

 顔を見合わせるラウラとフィーの後ろで、エマが青ざめた顔をしていた。

「マキアスさんはボートから投げ出されて……」

「だけど委員長が転移術を使って助けてくれたんだろう?」

「それがフィーちゃんを抱き止めていたので、術の発動が遅れた上に目測もずれてしまって……これだけしか」

 開かれた両手の中には、彼の眼鏡だけがあった。あまりにも悲しい結末だった。

「そ、そんな」

「私の力不足のせいでマキアスさんが……」

「委員長のせいじゃないよ。とりあえず眼鏡だけでも連れていく?」

「そういう問題だろうか」

 いつぞやの地雷の時と同じく、仲間たちの脳裏に仮想葬式の映像が浮かびかけた刹那、ざばあっと川の中からマキアスが現れた。

「死んでないからな! というか捜索ぐらいしようとしてくれ!」

 自力で生還してきたマキアスが合流する。「まったく君たちは……」と不平をつぶやきかけた彼は、何かを見つけて言葉を止めた。

 その視線の先、誰かがボートの下敷きになっていた。慌ててリィンが駆け寄る。

「ん? あれ?」

 気を失っているその顔を見てとまどう。白い学院服にハンチング帽。近くに転がっている釣竿。

 ケネス・レイクロードだった。

 

 

「――というわけで、ここを拠点にしてたんだけど、まさかボートが突っ込んでくるとは思わなかったよ……」

 ケネスはすぐに意識を取り戻した。事情を聞くに、アナベルの指輪を呑み込んだレインボウを釣り上げようとしているらしい。

「アナベルさんならユミルに来ているぞ。ケネスのことを心配していた」

「そうなんだ! はは、よかった」

 リィンが彼女のことを伝えると、ケネスは安堵したようにしゃがみ込み、そして釣り餌の交換を始める。

「まだ釣りを続けるのか? ケネスの腕前は知っているが、狙った個体だけ釣るなんて無茶だ」

「無茶だけど、無理じゃないよ。可能性はまあ……低いけどね」

 ケネスはどうしても指輪を取り戻したいと言う。どのみち今は彼の手伝いをすることも、カレイジャスで迎えに来ることもできない。

 一段落してからまた様子を見に来ると告げ、その場を離れようとした時、

「ケネス」

 フィーが歩み寄った。「ひっ」と小さな悲鳴をもらし、ケネスは釣竿を取り落としそうになる。

「目当てのレインボウを釣りたいんだよね。いいこと思いついたんだけど」

「な、なんですか?」

 かたかたとケネスの足が震えている。学院にいた頃、彼はフィーにトラウマを植え付けられていた。パイナップルにあいた弾痕から果汁の直飲みを強要されたり、背中をぐりぐりと踏み回されたり。

 ケネスの“いじめられて悦ぶ本質”を開花させた張本人なのだ。なお、もう一つの原因は紫色の用務員だったりする。

 当のフィーにその自覚はまったくないが、ケネスにしてみれば本能レベルで逆らえない相手になっているのである。

「でも今はやっぱり時間ないか。今度協力してあげるよ」

「あ、ありがとうございます」

「また来るから」

「お待ちしています……」

 もう敬語だ。

 全身の震えは蛇を前にした鼠の恐怖か、あるいは仕置きを待ち望む豚の期待か。

 彼の真実を知るものはおらず、一同は改めてルーレに向かって歩き出した。

 

 ●

 

 市街地への潜入は容易だった。

 入出ゲート前で警備していた二人の領邦軍兵士に怪しまれる場面があったものの、バリアハートの時と同じくエマが魔女の力で暗示をかけてくれたのだ。

 兵士の内一人が何かを言いかけたようだっだが、発言の暇さえ与えず、彼女は速攻で催眠状態に落とした。

「委員長、大丈夫か?」

「はい、なんとか……」

 ゲートを抜けて人通りのない裏路地まで進んだところで、リィンは憔悴気味のエマに声をかけた。

 川下りの時点で大木とフィーと眼鏡を続け様に転移した上、そこから兵士二人に暗示術。ついでにカレイジャスに積んであったボートを川まで運んだのも、彼女の転移術によるものだった。

 さらに付け加えるなら、水浸しになった全員の衣類を短時間で乾かせたのも、エマが炎系のアーツを持続して駆動してくれたからである。

 万能委員長の名に違わぬ活躍ぶりだったが、さすがに疲れは隠せていない。

「委員長をどこかで休ませたいところだが……」

「倒れるほど疲れてるわけじゃありませんから気にしないで下さい。それよりこんな風に固まっていては目立ってしまいますね」

 人通りが少ない分、余計にだ。巡回兵に声をかけられでもしたら、事態がややこしいことになる。

 辺りを見回しながら、フィーが言う。

「とりあえず情報収集に回ろっか。手分けすれば効率もいいし、領邦軍に目もつけられにくくなると思う」

 その提案に異論はなかった。

「じゃあフィーちゃんは私と行きましょう。手を繋いで下さい」

「行くのはいいけど、手を繋ぐのはちょっと」

「はぐれないようにと、どこにでもいるような姉妹に見えるようにです」

「どっちかというとお母さん――」

「フィーちゃん?」

「ごめんなさい」

 おとなしくエマの手を取るフィー。“どこにでもいそうな姉妹”チームに確定だ。

 ラウラが咳払いをした。

「ならば私はリィンとペアか」

「ああ、よろしく。でも俺たちはどう振る舞うのが自然なんだ?」

「そ、それは」

「って同年代だし、そこは普通に友人で通るか。ははは」

「ん……うん。そうだな」

 朴念仁が軽く笑い、“どこにでもいそうな友人”チームが決まる。

 マキアスだけが残っていた

「いやいや、僕はどうするんだ。いったい僕はどこにでもいそうな何なんだ?」

「マキアスは単品でどこにでもいそうだし」

「どういう意味だ!」

「汎用性が高いってこと」

「そういう意味なら、まあ……」

 フィーに丸め込まれた感のあるマキアスだが、本人は納得したらしい。“どこにでもいそうな普通の人”チームの完成である。一人だが。

「ここからは別行動だ。気を引きしめて行こう」

 三班にわかれたリィンたちは、それぞれが別ルートを使って市街地へと赴いた。 

 

 ●

 

 寂しくもただの一人で行動することになったマキアスは、ひとまず目に付いた商店に入ってみることにした。そこで予想していなかった人物たちと再会する。

「君たちも無事でよかった。ルーレにはいつから滞在しているんだ?」

「だいたい一ヶ月半前くらいです。あてもなく町の中を歩いていたら、運よくボロニアさんに声をかけてもらえて」

 商品陳列の手は止めず、桃色髪の少女――リンデが言う。

 レジカウンターに座る店主のボロニアは「よく働く子でね。助かってるよ」と、収支計算の帳簿を脇に置いた。

「もう一人の居候とは大違いだね。まったく、もう二日も戻ってきやしない」

「でもちょっと心配です。大丈夫だとは思うんですけど」

「……?」

 他にも誰か匿ってもらっているのだろうか。質問を口に出す前に「ヒューゴ君も心配だよね?」と、リンデは店内の一角に視線を送った。

 話を振られたヒューゴ・クライストは、片手に見ていた商品リストから目を離す。

「まあ問題はないんじゃないかな。……わからないけど」

 幅広く事業を展開するクライスト商会の跡取りである彼は、内戦勃発後にいち早く実家のあるヘイムダルに戻ったそうだ。貴族連合の支配下にある地区の方が、むしろ安全と考えたらしい。商人らしい強かさである。

 自ら先頭に立って食料や医薬品などの流通ルートを確保する傍ら、情報収集に努めたとのことだが、帝都方面の規制はかなり厳しく有益な情報はいまだ手に入れられてないという。

「ただ皇族の方々は、一部の要人と一緒にバルフレイム宮からどこかに護送されている。帝都占領後すぐのことで、目撃者もいるからこの情報の信憑性は高い」

「一部の要人……? もしかして」

「ああ、その中にはレーグニッツ知事もいたらしい」

「父さんが……そうか。ありがとう、良い情報だ」

 立場を鑑みて軟禁という形だろうが、そこまで手酷い扱いは受けていまい。問題は移動先。しかし現時点では推測も立たない。

「僕からも君たちに伝えておこう。ベッキーもヴィヴィもカレイジャスに搭乗している。二人とも元気だ」

「よかった、ヴィヴィ……! ずっと心配だったから」

「まあ、ベッキーなら無事だと思ってたけどね。俺なんかより相当たくましいだろうから」

 ヴィヴィはリンデの妹で、ベッキーはヒューゴと商人同士の仲といったところである。二人とも気にかかっている人物の安否が知れて、ほっと息を付いている。

 一通りの情報交換はできた。

 市内の工場のほとんどに領邦軍の手が入り、兵器開発を独自のラインで作っているらしいが、それは概ね予想通り。それ以上の深い話はヒューゴもつかんでいなかった。

「すまないな。君たちの役に立つ情報ではなかったかもしれない」

「十分だ。少なくとも再確認はできた。僕はもう行くが、色々と片が付けばまた戻ってくる。カレイジャスに乗るかどうかは自由だから、それまでに考えておいて欲しい」

 同乗は強制ではなく、あくまで本人の意志だ。

「あ、そういえばもう一人こちらでお世話になっているんだったか。その人も学院生なら、今の内容を伝えておいてくれ」

「それはもちろん伝えますけど……」

 そこでようやく作業の手を止めて、リンデが不安そうに窓から外を見やる。視線の方向はルーレ工科大学だ。

「何か問題が?」

「うーん、ステファン先輩、全然戻って来ないので……」

「ステファン先輩がここにいるのか!?」

 第二チェス部の部長で、マキアスの先輩だ。

 私生活でもチェス盤の上でも裏表のない熱血漢。カールの他にマキアスが身を案じていた一人でもある。

 事情を聞くと、導力システムを学ぶ為にルーレ工科大に乗り込み、AIとのチェス勝負に勝利した結果、かのG・シュミットに連れ去られたという。

 先輩はこうと決めたら突き進む人だ。何を考えたのかはわからないが、一直線に行動に移したのだろう。

「それにしてもG・シュミットなんて名前が出てくるとは……高名な人だし、あまり心配する必要もなさそうだが」

 マキアスの言葉を聞いて、リンデとヒューゴは無言でうつむく。

 沈黙する彼らを見て、不意に胸騒ぎがした。

 

 

 切断、溶接。金属を加工する音が絶え間なく響いてくる。

 内戦前と変わらず工場は稼働しているが、異様なのはその敷地内に領邦軍の兵士が歩き回っていることか。

「ファクトリーごとに専門は違うっぽいけど、メインで製造してるのは機甲兵用のパーツや装甲車用の弾頭だと思う」

 散歩の雰囲気を出しながら、フィーが小声で言う。「貴族連合の主力ですから、まず間違いないですね」と返して、エマは繋いだままの手を軽く握った。

「ねえ、まだ手つなぐの?」

「もちろんです。あ、領邦軍の人が来ましたよ」

 道の向こうから巡回兵の男が近付いてきていた。

「フィーちゃん、演技を」

「おかあ……お姉ちゃん。今日の夜ご飯なに?」

「今日はお魚にしましょう。焼き魚と煮魚ならどっちがいいですか?」

「フライ」

 何気ない会話をかわしながら、目を合わせないように兵士とすれ違う。普通にしていれば見咎められることはないはずだったが。

「待て、お前たち」

 しかし男は足を止め、二人を呼び止めた。一瞬ぎくりとしたが焦りは見せず、フィーを自分の背に隠すようにエマは振り返る。

「はい、なんでしょう」

「ここは工業区だぞ。一般人は立ち入りを制限されているはずだ。姉妹のようだが、なぜこんなところにいる」

「それは……」

「名前と住所地を言え。親に連絡させてもらう」 

 人の往来がほとんどなかったのはそのせいだったのか。名前はともかく、区名を知らないから住所なんて適当にでっち上げられない。

 なるべくなら多用したくないが、この状況を切り抜ける方法が暗示術の他にない。

 さりげなく眼鏡を外そうとして、ふと思いとどまった。

 かつてドロテ部長がやってのけたあの方法なら、あるいは。

「う……うぅ」

 顔を伏せたエマは小さな嗚咽をもらした。

「ど、どうしたのだ」

「……父は私たちが幼い頃に事故に遭って他界しました。それ以降、身を切り詰めて働き通しだった母も先日……うぅっ。貯金も尽きて路頭に迷い、足の向くまま工業区に入り込んでしまったんです。申し訳ありません……」

 ぐすんと鼻をすすりながら、悟られないようフィーの袖を引く。理解してくれたらしく、フィーもその場にうずくまって、すすり泣く演技を始めた。

「もう二日も何も食べてない。今日の夜もご飯がない」

「いや、フライがどうとか言っていなかったか?」

「えっとフライっていうのは……このままだと高い建物の屋上からフライするしかないってこと。お姉ちゃんが」

「え、私ですか? そ、そうです。今からフライしちゃいますよ!」

 いきなりの飛び降り宣言に男は慌てていた。

「待て、若い身空で早まるな! 女神の御許へ旅立った父上と母上もそんなことは望んでいないだろう!」

「ああ……お父さん、お母さん。娘二人、先立つ不孝をお許しください」

「先立ったのはご両親ではなかったのか!?」

 とっさのことで設定がむちゃくちゃだったが、もう押し切るしかなかった。あれやこれやと思いつく限りの悲しいストーリーを並べ立てていると、とうとう男の方が先に折れた。

「わかった、もうわかった。すぐに居住区に戻るなら、上への報告もしない。以後気を付けるように」

「はい、ありがとうございます」

「それとこれを持って行け」

 男はメモ紙を胸ポケットから取り出し、エマに手渡した。簡略化した町の見取り図で、一部分に赤丸で印が打たれている。

「そこは身寄りのない子供たちを保護する施設だ。きっと受け入れてくれるだろう。夕方になって冷え込む前に訪れるがいい」

「いえ、ちょっとここまでご丁寧にして頂くわけには……」

「強く生きろ。姉妹で力を合わせれば、どんな困難も乗り越えている」

 そう告げて踵を返した男は、二人に背を向けたまま何かを放り投げてきた。

 放物線を描いたそれは、超絶コントロールでフィーの手にすとんと落ちる。一枚の銀貨だった。

「これはひとり言だが」

 前置きの後で男は続ける。

「この時間、中央広場の露店では揚げたてのフィッシュフライが売られている。硬貨一枚で二人分は買えよう」

 ひとり言を終え、颯爽と去っていく。

「なんでしょう、この罪悪感……」

「500ミラ、ゲット。とりあえずフライ食べに行く?」

 指でコインを弾くフィーに、良心の呵責に苛まれている様子はない。とても良い人だったのに、騙しに騙しまくってしまった。これを平然とやってのけるドロテ部長のメンタルの強靭さを見習っていいのかどうなのか。

 振り返らず遠ざかる背中を見送りながら、エマは痛む胸中で何度も彼に謝った。

 

 

「詳しいことを知りたいが、やっぱり中に入るのは無理だよな」

 中央区第二層フロア。軒を連ねる専門店の陰から、リィンはラインフォルト本社ビルを眺めていた。見上げても視界に収まりきらないほどの巨大さは、ルーレ市のみならずエレボニアを象徴する大企業だと言っても過言ではない。

 リィンの横からラウラも顔をのぞかせる。

「あれがアリサの実家か。話には聞いていたが、正直言って想像以上だ。何階だ。いったい何階建てなのだ」

 ルーレ実習には参加していなかったラウラは、しきりに感嘆混じりの吐息をついている。子爵家の令嬢である彼女からしても、これはさすがに規格外らしい。

「見ているだけじゃどうしようもないし、とりあえず近付けるだけ近付いてみるか。自然に通りがかるような感じで行こう」

「わかった。……確認するが普通の友人を装えばいいのだな」

「……?」

 普通の友人というのは、つまり普段通りでいいということだ。あえて装う必要もないのに。

 妙な確認に疑問を覚えつつも、リィンはうなずいた。

「ああ、頼む」

「……了解した」

 何を目で訴えるラウラだったが、結局そうとしか言わなかった。どことなく不機嫌になったような気がした。

 むすりとした顔付きでとなりを歩く彼女に「表情が硬いぞ。あともう少し歩調をゆっくり」とリィンは指摘したが、「普通の友人なのだろう。余計な口を開くでない」と、そっぽを向いたラウラは逆に歩調を早めてしまった。

 リィンも早足で追いつき、肩を並べる。

「普通の友人だからこそ、普通の会話がいるんじゃないのか?」

「ああ、そうですか。ではそうしましょう」

「ラ、ラウラ……?」

 ラウラらしからぬ態度にリィンは当惑する。なんなんだ、その敬語は。普通どころか、どんどん他人行儀になっていくような。

 ラウラは完全に社交の場での言葉遣いに切り替えている。

「大きなビルですね。リィンさん、こちらはどのような建物で?」

「え?」

「わたくし、ルーレは初めてで何もわかりませんから。説明して下さいませんか?」

 すまし顔のラウラが、細くした目をじとりと向けてくる。

「わ、わかった。ここはラインフォルト本社ビルで、国内トップの軍需メーカーだが、取り扱う商品は一般家庭にも置かれるような機器もあったり――」

「あれは階段が動いているのですか。なんとも珍しい」

 自分から頼んでおきながらリィンの説明に耳を傾ける様子もなく、ラウラは明後日の方向を向いたままだ。

「……ラウラ……さん?」

「なにか」

 そっけのない微笑。

 俺はまた何かを間違えたのだろうか。しかし本当に心当たりがない。怒らせるようなことは言っていないはずだ……多分。

 本社ビルの前に車が停まっていた。見るからに高級そうな、リムジンタイプの導力車だ。付き人らしき男が先に降車して、後部ドアを開けに行く。

 尊大な態度を滲ませながら出てきたのは、細身長身で貴族然とした身なりの男。やたらと主張しているもみあげが印象的だった。

「ラウラ」

「わかっている」

 雰囲気からして重役だと察したのだろう。瞬時に態度を通常に戻したラウラと、声の聞こえる距離ぎりぎりを時間をかけて通り過ぎようとする。

 その時、ビル正面の扉から早足で誰かが出てきた。

 前回の実習でリィンは彼の顔を知っていた。本社ビルの支配人――名前は確かダルトン。ダルトン支配人だ。

「ご連絡頂きましたらお出迎えに上がりましたのに……」

「んん? 連絡がなくとも出迎えに来るのは当然だと思うのだが。違うかね?」

 鼻につく物言いで、男はダルトンを萎縮させる。

「申し訳ありません、ハイデル様」

「わかればいい。こんなことで私の時間を取らないで欲しいな。会長代行の任で忙しいのだよ。まったくイリーナ会長のご病気が早く快方に向かうことを願うばかりだ」

 理不尽な嫌味に頭を下げるダルトンに、彼はさらに白々と上から押し被せる。

 あのハイデルという男が今のラインフォルト社を牛耳っている人物か。イリーナ・ラインフォルトが病気とはいかにも嘘くさい。

 もう少し話を聞きたいが、ここで歩みを止めるのは不自然だ。

 どこかに身を隠せるいい場所は――

(リィン、あそこはどうだ?)

(なるほど、よさそうだ)

 小声でつぶやくラウラが視線で示したのは、エスカレータと呼ばれる自動昇降階段の手前。入り組んだ市内を案内するタウンマップを張り付けた、大きめの掲示板だった。裏に回れば、どうにか二人が潜むくらいはできそうだ。

 目立たない足取りで、二人はそれとなく板の後ろに移動した。

「そういえばここ最近、工場全棟で生産効率が落ちてきている。これは我々貴族連合にとって由々しき事態だ」

「はあ……我々、でありましょうか?」

「なにか不服かね」

「いえ……」

 返答に選択肢もなく、ダルトンは押し黙る。

「ザクセン鉄鋼山の採掘を急がし、資源調達をもっと進める必要がある。工場も二交代制にしてフル稼働にしよう」

「に、二交代制ですか!? せめて三交代制にして頂きませんと従業員の体が持ちません。それに鉄鋼山の採掘量は規定で制限されております。これは代々の皇帝陛下との――」

「支配人、君ねえ……」

 深々と嘆息してから、ハイデルは呆れ口調で言った。

「会長代行の任に就いているということは、すなわち会長権限が私に移行しているということだ。君はイリーナ会長相手にも、そんなふうに立場を弁えぬ進言をしていたのかな」

「そ、そのようなことは決して……」

「それにだ。私は君に意見を求めてはいない。自重したまえ」

「……申し訳ございません」

「わかればよろしい。では私は24階で休んでいる」

 目を丸くしたダルトンは「そこは……!」と焦りをみせたが、「なにかね」と威圧的なハイデルの一瞥を受けて、口をつぐむより他なかった。

 24階。リィンの記憶では、ラインフォルト家の居住フロアのはずだった。

「……アリサが知ったら激怒するだろうな」

「まったくだ。厚顔無恥も甚だしい。できるならこの場でどうにかしたいが……」

 今すぐ飛び出したい気持ちはラウラも同じようだが、この場で事を荒立てるのは得策ではない。それにあのハイデルという男の素性も知れない。

 まずは皆との合流。それぞれの得た情報を合わせてから、この後の行動を決めるべきか。

「行くぞ、ラウラ」

「ああ――え?」

 掲示板の裏から出ようとした際、リィンはラウラ側に、ラウラはリィン側に動いてしまった。ただでさえ至近距離。反応も回避も間に合わず、二人は額をごちんとぶつけてしまう。

 お互いによろめき、一歩ずつたたらを踏んだ。

「す、すまない」

「いや、私こそ――」

 ラウラの引いた足が何かに当たる。落ちていた小さなスチール片だった。蹴り飛ばされたそれは、アスファルトの路面を転がり、チャリチャリと金属のこすれる音を響かせた。

「ん?」

 大きな音ではなかったが、ハイデルの耳に届いてしまった。

「誰もいないようだが……今の音はなんだ。あー、そこの君、少し確認してきたまえ。この立場になってから、どうも用心深くなってね」

 ハイデルの指示を受けて、護衛の一人がこちらに近付いてくる。

「まずい……!」

 隠れる場所なんて他にはない。必ず発見される。やり過ごす方法はあるか。掲示板の裏に潜んでいることを正当化するような、もっともらしい理由はないか。

 ない。思いつかない。

 男との距離が狭まり、リィンが生唾を飲み下したその時、

「きゃあっ!」

 女性の悲鳴。ふらりと歩み出てきたシスターが、護衛の男とぶつかったのだ。

 シスターは地面に尻もちをついている。男が顔をしかめた。

「ちゃんと前を見て歩け」

「わたくしとしたことがなんという不注意を。女神よ。非のない御仁にこの上ない無礼を働いたこと、どうかお許しください」

 両の手を組み合わせ、往来のど真ん中で懺悔を始める。線の細い、可憐な声音だった。

「お、おい」

「ああ、道行く方々、どうかお聞きください。女神に仕える身でありながら、わたくし罪を犯しました。この方にぶつかってしまい、あろうことか怒らせてしまったのです! この方を! この方をー!」

 やたらと大声で叫び、嘆き、うなだれる。

 これにはハイデルも呆気にとられていたが、すぐに周囲の目が集まっていることに気付き、「もういい。面倒になる前に戻ってこい」と、早々にラインフォルトビルの中へと消えていった。護衛も彼のあとを追う。

 人通りが少なくなるのを見計らって、シスターは立ち上がった。

「さて、そこのお二人?」

 こちらに気付かれていた。分かった上で助け船を出してくれたのだろうか。

 訝しむ気持ちはありながらも、リィンとラウラは掲示板の裏から出た。

「俺たちを助けてくれたんですか? あなたは一体……」

「まさか今朝の通信一つで、いきなりルーレに現れるなんて思いませんでしたわ」

 通信? 何を言っている?

 小首を傾げ、顔を見合わせる二人に「意外にこんな服も似合うものでしょう?」と、シスターが頭のケープを外す。その素顔を見て絶句するリィンたちに、彼女はにっと笑いかけた。

「そういうわけで私だ。とりあえず落ち着ける場所に行こうじゃないか」

 柔らかな声色をハスキーボイスに転じさせ、アンゼリカ・ログナーはそう言った。

 

 

――続く――

 

 

 





お付き合い頂きありがとうございます。

ようやく舞台はルーレ編へと移りました。原作とは人物の動きが大きく異なる部分も出てきますので、その辺りにもぜひご注目頂ければと思います。

今回登場したリンデの話口調に関して一つ注釈を。
彼女は慣れた相手(たとえばヴィヴィ、ヒューゴ、ガイウスなど)には普通に話しますが、あまり接点のない相手だと基本丁寧語です。ですのでマキアスには、ちょっと差が出ていたりします。

初見プレイ時にあのシスターがアンゼリカだと気付いた方っておられるのでしょうか。
声優さんってすごい……。

ここまでの各班の戦果
・リィン、ラウラ班……イリーナの情報。ハイデルの存在。アンゼリカとの合流。
・マキアス班……複数の学院生とカールの安否。帝都方面の一部情報。
・エマ・フィー班……500ミラ(後にフィッシュフライに変換される)

引き続きルーレ編をお楽しみ頂ければ幸いです。

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