《選び取れないライトアンドレフト》
「うーむ」
喉をうならすマキアス。彼にはどうしても気になっていることがあった。
難しい顔をして通路の真ん中で物思いにふけっていると、後ろからリィンが近付いてきた。
「そんなところで立ち止まってどうしたんだ?」
「ああ、すまない。邪魔だったな」
「マキアスが呆けてるなんて、なんだか珍しいな。考え事でもあるのか?」
「大したことじゃないんだが……リィンはどこかに行く途中か?」
「導力バイクの調整をしようと思ってる。なんとなく運転した時に違和感があってさ」
「そうなのか」
「だけどそれは後でもいい。悩みがあるなら聞くぞ」
気遣われてしまったらしい。本当にそこまで重大な内容じゃないのだが。
しかしリィンならいいだろう。少し話してみようか。
「じゃあ、ちょっと時間をもらおうか」
「もちろんだ。場所を変えるか?」
「立ち話で構わない。込み入った話でもないからな。実はユーシスのことなんだが、彼は僕を“レーグニッツ”と呼ぶだろう? それについてなんだが――」
これまでは特に気にもしなかったのだが、ある一件から妙に意識しだしてしまった。
その一件というのは、ラウラがエリゼの呼び名で悩んでいたことだ。その時に相談を受けたのがマキアスだった。
結局は“エリゼ”呼びに落ち着いたのだが、その後でふと思い立ったのがユーシスの自分に対する呼び名である。
みんなは名前なのに、自分だけが姓なのだ。
そこまで経緯を聞いて、リィンは不思議そうに言った。
「最初の頃の名残だろ。深い意味はないと思うが……」
「それは僕もわかってる」
入学当初は控え目にも良好な関係だとは言えなかった。
現在では仲がいいとまでは言わずとも、仲間として認め合っている。無論、そんなことお互いに口にしたりはしないが。
「結局どうしたいんだ。ユーシスに名前で呼んで欲しいのか?」
「誤解を生む言い方をしないでくれ! 僕はユーシスのことを名前で呼んでいるのに、どうにもフェアじゃないというかイーブンじゃないと言うか……」
「うーん、よく分からないぞ」
「……だろうな」
僕だってどうしたいか分かっていないのだから。
今さら呼び名を変えるのも、それはそれで違和感があるし。
「初めに言った通り、大した話じゃない。しばらくすれば気にもしなくなるだろう。とりあえずリィン」
「なんだ?」
「話の内容は他言無用だ。もしばらしたりしたら、ミラーデバイスで追い回すからな」
冗談では済まない声音に息を呑むリィン。マキアスの眼鏡がキラリと光った。
☆ ☆ ☆
《素直になれないツンツンハート》
気になって声をかけてみる。
「ねえ、何やってるの?」
「アリサか。見ての通りだ」
慣れていないのだろう、どうにも収まりの悪いスパナの持ち方をしたリィンは、振り返りながら滴る汗を拭った。
「見てわからないから聞いたのよ。導力バイクいじってるのはわかるけど」
「なんだか以前より加速が悪い気がしてさ。それでちょっと直せるか試してみたんだが……」
「結果は?」
「そもそもどこから手を付けたらいいか分からない」
「でしょうね」
ジョルジュから工具箱を借りてきたらしいが、そのほとんどがケースから出てもいない。
「そんな手際じゃ何時間あっても終わらないわ。ちょっと場所変わって」
アリサはリィンと位置を入れ替わると、おもむろにエンジンを噴かした。
「……エンジン音が不規則。チェーン周りに引っ掛かりがあるみたい。カバー外さないと細かく見えないわね。工具借りるわよ」
「手伝ってくれるのか?」
「ちょっと時間が空いたから、その暇つぶしよ」
「悪いな、助かるよ」
「べ、別にこれくらい手間じゃないし。ドライバーとスパナ取ってくれる?」
リィンから工具を受け取ったアリサは、手際よく外装を外していく。多くの機器部品がそれぞれの役割を持ち、連結し合っているのだが、リィンにはまったく理解できない代物だった。
「見た感じだと砂も噛んでるみたい。でも根本の原因はもう少し内部かしら」
「わかるのか? やっぱりすごいな」
「だいたい勘だけどね。次は六角レンチお願い。10号の」
「任せてくれ」
そう言いつつ工具箱の中を探るリィンだが、指示された物が見つからずにもたついていた。
「……まだ?」
「えーと、これだな?」
「ちょっとそれ8号じゃない。一回り小さいんだから見たらわかるでしょ」
「そ、そうか。同じに思うんだが」
「もう! だったら自分で調節できるのでやるから。イグザグトレンチの方を貸して」
「じ、ジグザグ?」
「イ、グ、ザ、グ、ト!」
怒られたリィンは慌てて工具箱を漁るが、手を滑らしてケースをひっくり返してしまった。けたたましい音が散らばる。
「きゃ! なにやってるのよ!」
「すまない! すまない!」
「向こうで待ってて! 終わったら呼ぶから!」
「はい……」
しゅんと肩を落としたリィンは、すごすごとドックの隅に移動する。
その様子を離れたところから見ていたジョルジュは、何かしらを納得したようにうなずいた。
「……これは確実に尻に敷かれるね」
☆ ☆ ☆
《走って走ってメンテナンサーズ》
カレイジャスはとにかく大きい。艦内設備も多く、内部機器も最新規格でそろえられている。
だから機器トラブルがないかと問われれば、決してそんなことはないのだが。
「お邪魔しまーす。なんか三階の水道から水漏れしてるんですけどー」
わずかばかりの昼休憩に浸る間もなく、船倉の工房にヴィヴィがやってきた。
口にしかけたおにぎりを横に置いて、「どの程度の?」とジョルジュは状況を確認する。
「レバーを閉めてもポタポタ水滴が落ちてるんです。あ、蛇口の根元からも水がにじみ出てたような気も」
「なるほど。すぐ見に行くよ」
「さすがジョルジュ先輩、頼りになっちゃう。ついでに各部屋をのぞき見れるような、あたし専用のモニタールームを作って欲しいなあ」
「ついでにやる規模じゃないし、用途に悪い予感しかしないし」
「ざーんねん、んふふ」
多分また何かを企んでいる彼女のことはさておき、ジョルジュは件の水道を見に行くことにした。
新造艦でパッキンの劣化はさすがにないだろう。無理な戦闘機動を取った時に、配管のどこかがずれたか痛んだか。
応急処置くらいなら10分もあればできる。
愛用の工具セットを片手に三階でエレベーターを降りると、見覚えのあるお団子頭が水道前にかがんでいた。
「ミント君じゃないか。なにやってるんだい?」
「あ、ジョルジュ先輩」
ミントも工具を持っている。水道に直結している配管口が開かれていた。
「水漏れがあるって聞いたから、あたしが直そうと思って」
叔父であるマカロフ教官の才覚を受け継いでいるのか、ミントは機械工学に強い。仕組みを調べるよりも直感で理解するタイプのようで、ゼンダー門にいた頃は戦車のメンテナンスなんかも手伝っていたそうだ。
カレイジャスに乗艦してからは、何かと忙しいジョルジュの補佐役として技術班に配属されていた。
「僕より早く来てくれていたんだね。直りそうかい?」
「多分大丈夫。ここのナットを一度取り外して、歪みを強制しちゃえば――」
「ま、待ってくれ。止水栓はちゃんと閉めてから」
言い終えるより早く、ミントはスパナをひねる。
ずれた給水管から噴射されたジェット水流がジョルジュに襲い掛かった。
●
十数分後。着替えを済ましたジョルジュの元に、今度はカスパルが訪れていた。
「すみません。食堂の戸棚ががたついてるみたいなんですが」
ヴィヴィよりは多少申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「設置の仕方が悪かったのかな。分かった。今から見に行くよ」
名残惜しそうに机の上のおにぎりを一瞥して、ジョルジュは二階の食堂へと向かった。
現場に着くと、またもミントがそこにいた。彼女の姿を見るだけで、無条件に嫌な予感が湧く。
「ミント君、今度は何を……」
「またまたジョルジュ先輩だ。ちょっと棚が傾いてたみたいだから」
どうやら彼女も戸棚の不調を知ったようだ。いったいどこから嗅ぎつけてくるのか。
「あとはこれを入れれば大丈夫だと思うんだけど、うぅ……重いなあ――」
「あ、危ない!」
「ほえ?」
ベニヤ板を下部に挟み込んで微妙な傾きを調整しようとしていたみたいだが、前面の引き扉をロックするのを忘れている。棚を前後に揺らしたせいで、積み重なった食器がずれ落ちてきた。
「ふむっ……!」
ミントの頭に食器が落ちないよう、とっさに自分の体を棚に押し付けてかばう。無理な体勢で重量を引き受けた腰に、ピシピシピシッと痛みが走った。
「ジョルジュ先輩!」
「僕のことはいいから、早くそこから退くんだ……!」
「よかったー。そのままちょっと右側を持ち上げておいて下さい。今の内に板を差し込むから」
「ええー!?」
空気を読まないお団子娘が、ごそごそと足元で作業を再開する。
「ふぬあああ!」
気合いで戸棚を支える。
ピシ、ピシ、ピキピキパキ……ゴキッと腰からいやな音。鈍い衝撃が頭蓋にまで響き、ジョルジュの視界に電流が散った。
●
「もう少し左で……」
「この辺りかな?」
工房の床にうつ伏せで横たわるジョルジュの腰に、トワがペタペタと湿布を貼っている。
「やっぱり根を詰めて働き過ぎだよ。少し休んだ方がいいと思う」
「今日のは働き過ぎとかいう問題じゃないんだけどね……よっと、あいたた……」
「あ、まだ無理に動いちゃダメだってば」
腰をかばいながら、慎重に身を起こす。
「ジョルジュ先輩いますか!?」
そこにアリサが駆け込んできた。とても慌てている様子だ。
「ミントが機甲兵の頭から特大のペンキ入りバケツをひっくり返して、機体全身が真っ黄色になっちゃったんですけど!」
「え、カラーリングって君の指示待ちだったよね。色を決めるからって」
「そうです。でもミントが勝手に! とりあえず状況を確認してもらえますか? フレーム内部でペンキが固まると除去が大変なんですから! というか黄色ってイヤです!」
「アリサちゃん待って。ジョルジュ君は今腰が――」
「よし、行こう」
トワが制止しようとする横で、ジョルジュは緩慢に立ち上がる。
「先に戻ってます。とりあえずこれ以上余計なことをしないようにミントを見ておかないと」
「同感だ。任せるよ」
アリサが工房を出てからトワは言った。
「ジョルジュくん、大丈夫? なんならペンキくらいは私がやるし」
「ありがとう。でも大丈夫だ。いや大丈夫じゃなくても僕は行く」
自分は前線に立って戦うわけではない。だから艦内のマシントラブルは全て自分が解決すると決めたのだ。それが裏方でいることの役割であり矜持でもある。
すっかり固くなってしまったおにぎりを口に放り込み、ジョルジュはつなぎに隠れた腹太鼓を叩いてみせた。
☆ ☆ ☆
《誰が為フレンドリークッキング》
「最近は菓子作りに凝っていてな。バリエーションを増やしている最中なのだ」
しゃかしゃかとボウルの中のクリームを泡立てながらラウラが言う。彼女のクッキングの様子を見守っていたポーラとモニカの額からは、つつーと一すじの汗が流れていた。
「そ、そうなんだ。うん、お菓子とか女の子らしいよ」
「ついにそこまで手を染めたのね……」
二人はラウラの料理が壊滅的なことを知っていた。その上で、本人に気付かれることなく、料理の腕を上達させようという目的がある。
それは学院にいたころから何度も試みているのだが、間の悪さやタイミングも相まってことごとく失敗し、今に至っているのだ。
「よし完成したぞ。さっそく試食をして欲しい」
一人分に切り分けられたケーキの乗った皿が差し出される。
「えーと、これはティラミスかな?」
「見栄えは良い分、タチが悪いわ」
目配せするポーラとモニカ。どんな劇物であれ、友人が手間暇かけて作ったものを食べないわけにはいかない。
問題なのは、食べた後の自分たちのリアクションだ。万が一にも二人そろって白目をむいて倒れてしまえば、さすがのラウラも気付くだろう。
今まで作ってきた様々な料理は、実は他に類を見ない殲滅兵器であったと。
多くの人を――たとえばリィンを幾度も煉獄の淵に叩き落してきたのだと。
そうなってはいけない。ラウラが傷つく。下手をすれば料理から離れてしまうかもしれない。せっかく楽しんで続けている女の子らしい趣味なのに。
「あ、あー? ラウラ? せっかくこんなに上手にできてるのに私たちだけで頂くのはもったいないなあ……」
「気にしないでくれ。そなた達の為に作ったのだから」
「あ、ああ、ありがとう」
モニカでは切り抜けられない。代わりにポーラが口を開く。
「でもモニカの言う通りかしら。確かに他の人にも食べて欲しいわね」
「ふむ、と言うと?」
「リィン君よ」
「なっ、なぜそこでその名が出る!?」
ぼっとラウラの顔が赤くなる。
「深い意味はないわ。騎神って動かすと疲れるらしいし。そして疲れた体には甘い物でしょ?」
「な、なるほど」
「じゃ、さっそく呼んで来て」
「今からか? 私がか?」
「それはそうでしょ。ほら早く、ティラミスが冷める前に!」
「元々温かいものではないのだが……ま、待て、そんなに急かさなくても」
二人掛かりでラウラを無理やり廊下に押し出す。
困り気味にエレベーターに乗る彼女の背中を見送ったポーラとモニカは、緊急作戦会議を開いた。
「どうしよう。状況は変わってないけど」
「なんとかして胃に詰め込むわ。ひとまずは意識を保っていればそれでいい」
捨てるなどの処分は絶対にしない。
命を削る覚悟を決めて、ティラミスという名の何かに手を伸ばしかけた時、
「たかが呼び名一つ、どうでもいいことなのにな……」
そんなことを独りごちながら、マキアスが食堂に入ってくる。
「ん、先客か。すまないが僕も使わせてもら――ってなんだなんだ!?」
両脇からマキアスの腕をひっつかみ、有無を言わせず椅子に押し付ける。
「ちょうどよかった! マキアス君、これ食べて! それで感想も教えて!」
「飛んで火にいる割れ眼鏡とはこのことね。さあ、ぐぐっと」
「説明をしてくれ! 僕はコーヒーを飲みに来ただけなんだ!」
嫌な予感だけは感じているらしいマキアスは、ぶんぶんと首を振って拒絶する。
「ティラミスにもコーヒー成分は入ってるわよ。飲むか食べるかの違いじゃない。ほら口開けなさい! 抵抗するなら力ずくよ!」
「ごめんなさい、マキアス君。ラウラの為なの!」
「な、なんだと!? まさかこれはラウラが作ったやつか……!? くそっ離してくれ!!」
「彼女の料理上達の礎となりなさい!」
「生贄の間違いだろ! むぐうっ!?」
叫んで開いた口に、ポーラがティラミスを押し込んだ。
同時に爆散する眼鏡。木っ端微塵のレンズ片。絞り尽くされた雑巾のように、関節という関節をねじらせながら、マキアスは床に顔面を激しく打ち付ける。
「まだ意識を飛ばしちゃダメよ! 言いなさい、感想を! どうだったの!?」
「ぐぶっ、ぐぶふう……」
焦点のずれた瞳を天井に移ろわせながら、マキアスは息も絶え絶えに言った。
「ティ、ティラミスの三層が……それぞれ異常な苦味と臭みとえぐみを有していて、ごひゅっ……それらが交わることで終焉を迎える三重奏を……がはっ!」
「クリーム混ぜてたはずなのに、なんでそこに甘味がないの!? どうしたら改善できるか答えなさい!」
ぐったりと首を垂れたマキアスは何かを言おうとするが、喉からヒューヒューとかすれた吐息がもれるだけだった。
「モニカ、書く物持ってきて! 彼、もうしゃべれないみたい」
「で、でもペンも紙も見当たらない……そうだ、インクの代わりに!」
モニカが持って来たのは瓶詰めのイチゴジャムだった。
それをマキアスの指先に塗りたくって、床に文字を書かせようとする。マキアスは最後の力を振り絞って、末期の言葉を書き記す。
リィンを連れたラウラが戻ってきた。
「遅れてすまない。探すのに手間取ってな……って、なぜマキアスが床に寝ている?」
「さ、さあ? 訓練で疲れちゃったのかな」
「甘いものが欲しいって言うからあげたんだけど、喜びのあまり失神したみたいよ」
べったりと床に伏し、動かないマキアス。その手の先にはイチゴジャムで『HELP』と、血文字よろしくつづられている。
その凄惨な事件現場を目の当たりにして、彼が身代わりになってくれたのだろうということを、リィンだけが察していた。
☆ ☆ ☆
《見切ってロックブレイク》
ガッと石にノミを突き立てる。表面が削れただけで、石自体は砕けない。衝撃の反動が手の内を痺れさせる。
自らの槍術に取り入れる為、ガイウスは“貫く技術”をクララから学ぼうとした。
最初はもちろんしぶられた。ヴァリマールの専属整備士になることを条件に、一応の承諾を得られたのだ。
「むう……」
渋面を浮かべて、もう一つ手頃な石をつかむ。ガイウスは後部デッキの片隅に座っていた。ここは風が吹き抜けるから心地良い。
クララから指示されたことはたった一つ。
“石をノミで割れ、一発で”
これだけである。以降の手解きや指導は一切なかった。
とりあえず言われた通りやり続けているものの、その中で新たにつかんだ感覚もない。せめてこの取り組みがどこに繋がるのか、それだけでもクララ部長に聞いてみようか。
そう思わないでもなかったが、結局訊ねることはできなかった。
おそらく取り合ってもらえない。自分で気付かねばならないことなのだろう。面倒くさがって、適当に石を渡してきた――なんてことはないはずだ。絶対ないはずなのだ。
「ううむ。絵だけではなく、彫刻も学んでおくべきだったか」
自分の後ろ、今までに砕いてきた石の山に振り返った。割れたものもあるが、割れなかったものもある。
先の見えない特訓は精神的にも辛い。手の中の石に視線を落とす。
「……なぜ割れたものと割れないものがあるのか」
ふとそんな疑問を抱く。
たとえば力加減だとか、石の硬度だとか、ノミを打ち込む角度だとか、漠然とそのようなことが原因だと思っていた。
本当にそうだろうか。
クララはさして力を込めた様子もなく、易々と石を削っていく。それがどんな材質の石であっても、その手腕は変わらない。
別の要因があるのかもしれない。
「そういえば……クララ部長は初手のノミを打つ時、かなり時間をかけていたな」
じっと睨むように石を眺めて、対話をしているようにも見えたものだ。どんな作品にしようかイメージしているのかとも思ったが、もしかして違うのか?
何を見ていた。何を読み取っていた。
それは自分にもできるものなのか?
「………」
石に集中する。五感を鋭く研ぎ澄ます。
風を読むのとは違う。流動的に自分の周囲を取り巻くそれとは異なり、石には動きがない。
そこから感じ取れるものはなんだ――
深く意識が没入していく。ごうごうと吹き荒んでいた風の音が聞こえなくなった。
静かにノミを持ち上げ、軽く打ち下ろす。甲高い音が響き、ガイウスは神経の緊張を解いた。
「……難しいな。やはりクララ部長はすごい人だ」
立ち上がり、艦内へと戻る。
ガイウスが立ち去った後、そこには真っ二つに割れた石塊が転がっていた。
☆ ☆ ☆
《翼冠して地を舞いて》
誰もいない資料室に入って扉の内鍵をかける。適当な机に突っ伏すと、アリサは深いため息を吐き出した。
「なんで私はいつも、あんな言い方しかできないのかしら……」
たまらずひとりごちて、もう一度大きな嘆息をつく。
さっきの導力バイク修理。リィンが困っているようだったから力になろうと声をかけたのに、どうしても尖った物言いになってしまった。
怒っていたわけではないのだ。緊張したら余裕のない口調になるだけである。
それが刺々しい印象を与えていないか心配だ。
いつもの事と流していて欲しいけど、逆に私がいつもあんな感じと思われているのも、それはそれでちょっと困る。
「嫌われてない……わよね?」
心配の元はそこだ。
この程度で……そう思う反面、やはり不安もある。そういえば面と向かって訊いたことなどないが、彼の好みのタイプとはどんな女性なのだろう。
一般的によく言われるものを列挙すると、
「気が利くとか、優しいとか、家庭的とか、料理が上手とか?」
それらを自分に当てはめてみる。
「気が利くか、優しいかは自分ではわからないわね……あ、でも家庭的は家庭的かも。壊れた家庭用導力器具は大体自分で直せるし。それに料理は作れるものが少ないだけで、努力すれば増やせるし」
言っていて虚しくなる。
色々並べ立てて無理やり安心しようとなんかせずに、一言リィンに謝ればいいだけの話なのだ。
さっきは言い過ぎたわ、ごめんなさい、と。
「それが言えたら苦労はしないってね。ほんとに私はもう。シャロンがいたら絶対いじられてたわ……」
おでこを机に押し付ける。シャロンは今頃ルーレだ。母様の安否はわかったのかしら。
沈んでばかりもいられない。過ぎたことは過ぎたこと。気持ちを切り替えないと。
「そうだわ、機甲兵の名前決めなくちゃ」
五つの兵装接続の作業はようやく形になりつつある。
“レヴィル”は当初から問題なし。“オーディンズサン”は通常モードであれば運用に支障なし。“A、B”に関しては自分の扱い次第だが、こればかりは出撃ギリギリまで調整する必要がある。
唯一、接続エラーが起きていた“ヴァルキリー”は、先日グエンから渡された専用パーツを組み込むことで、どうにか実用にまで漕ぎつけられそうだ。
あとは名前。
機体コードの登録も重要である。初回起動シークエンスの際には機体名を打ち込まなければならない。本体と装備を同期させる認証キーのようなものだ。
もちろん登録名称など何でもいい。しかし自分の専用機となるのだから、そこはやはりこだわりたい。
ちょうどここは資料室。本棚の前まで移動したアリサは、適当な書籍をパラパラとめくり始めた。
オリヴァルトの趣向なのか、本のジャンルは幅広い。それこそ歴史書から、最近のゴシップ雑誌に至るまで。
その中にネーミングのヒントになる言葉でもあればいいのだが。
「言葉だったら……辞書とか」
単なる思い付きだったが、語句を調べるならこれに勝るものはない。
あまり固い名前も嫌だけど、などとは思いつつ、ずしっと分厚い辞書を棚から抜き出した。
とりあえず頭に浮かんだ関連ワードを片っ端から並べてみる。
「大きい。強い。機械。人型――」
ピンと来ない。
この機甲兵が生み出された意義はなんだ。
カレイジャスを守るもの。迫りくる強大な敵の力を、同等以上の力を以て阻むもの。
戦場を駆け抜ける自分だけの翼。
「……そうだわ」
それは唐突に決まった。
☆ ☆ ☆
《患い果てなく白い夢》
今日のユミルは晴れていた。しかしこの二人の表情は曇っていた。
『はあ……』
ケーブルカー駅近く、広場を一望できるベンチに座るのはラックとパープルだった。意せず重なったため息に、二人は横目を見合わせる。
「どうしたの、パープルさん。元気ないけど。またメイプルが何かやった?」
「メイプルが何かやるのはいつものことです。元気がないのはラックさんも同じに見えますが」
広場ではキキとアルフが遊んでいる。雪だるまを削ったり固めたりして、どうやらヴァリマールを作ろうとしているようだったが、超難度の造形に子供たちは四苦八苦していた。
「あの子たちはいいなあ。会いたい相手といつでも会えて、一緒に過ごせる」
「だって子供ですから。自由な時間も多いでしょうし」
ラックは足元の石を軽く蹴った。
「トヴァルさんのこと、残念だったね」
「ええ……そうですね」
あの雪合戦の優勝チームへの特典。ユミルチームは遊撃士協会支部をこの郷に設立し、トヴァルをその地区担当に据えようとしていたのだ。
それをもっとも強く望んでいたのは、他ならぬパープルだった。
「でも私はあきらめていません。男爵閣下も乗り気でしたし、改めて強く進言してみるつもりです」
「その為にはエリゼちゃんを説得しなきゃいけないかな。どういうわけかトヴァルさんのこと警戒してたみたいだし」
「何かの勘違いでしょう。無事にお戻りになられたら、まずはエリゼお嬢様の誤解を解かなくては……」
テオがOKを出しても、エリゼがNGを出せば通らない。《雪帝》の称号を持つ者の発言力は、時として領主をも上回るのだ。
「それで、ラックさんが元気がないのはどうしてですか?」
「あー、うん。実はフィーネさんが最近外に出てこなくて」
「あら。そのような名前の方、ユミルに滞在されていましたか?」
「パープルさんは会ったことないんだっけ。エリゼちゃんの親戚って言ってたな」
「親戚……?」
ラックはシュバルツァー邸を見やると、肩を落とした。
「やっぱりエリゼちゃんが貴族連合に連れて行かれたのがショックなんだろうな。すごく繊細そうだし。はかなげな表情が目に浮かぶよ」
「会いに行かないのですか? もしかしたら元気になってくれるかもしれませんよ」
「俺はフィーネさんの中で、まだそこまで大きな存在じゃないから」
無駄に男の渋みをかもしだすラックは、世の中の酸いも甘いも知り尽くした50代前半のワイルドダンディーのような雰囲気だった。
「……そろそろ休憩も終わりか。午後からはケーブルカーの点検だな」
「私もメイプルに任せた仕事のチェックに戻らないと。それじゃラックさん、お互いがんばりましょうね」
二人は立ち上がり、膝に薄く積もった粉雪を払う。
先に歩き出そうとするパープルにラックは言った。
「俺、次にフィーネさんに会ったら、自分の操縦するケーブルカーに乗ってもらうんだ」
力強い宣言と同時に、制作途中のヴァリマールだるまが崩れ落ちた。
☆ ☆ ☆
《すたでぃおぶほわいとらびっつ》
乱読と言うには偏っているが、それでもミリアムはこの短期間に多くの本を読んでいた。もっとも活字ばかりではすぐに飽きてしまうので、絵本や図鑑などが主だが。
興じているのは本だけではない。一人でも遊べるボードゲームに、ちょっと頭をひねるようなブロックパズルもある。
これらはトワの計らいで用意したものだ。全てはミリアムが興味を持つ為に。
「どうかな、ミリアムちゃん。面白い?」
「うん、カエルって舌がびょーんって伸びるんだね。あとヘビは温度に敏感だって知らなかったなー」
「あ、今は爬虫類ゾーンなんだ。私はちょっと苦手だけど……」
前部デッキに寝転がるミリアムは、図鑑をペラペラめくりながらトワに得意げに説明した。
「あのね、聞いて! 猫の爪って普段は出てないんだよ! 犬も寝てる時は夢を見るんだって! あとあと鳥の羽っていうのはさ――」
「うんうん、そうなんだ」
にこにこしながら、ささやかな自慢話に耳を傾けるトワ。
得たばかりの知識を披露したがる姿は、年相応の幼子のようで可愛らしかった。
「そうだ。かいちょーにも付けてあげる。そのほうがわかりやすいでしょ」
「なにが?」
「ガーちゃん、お願い」
「∃ШΔΓЖ§」
現れたアガートラムが形状を変化させる。
一対の銀色の翼にトランスすると、天使の羽のようにも見えるそれがトワの背中に装着された。
「わ、わわ! なにこれ!?」
「鳥の気持ちになれるよー」
直接装備するようなタイプのトランスなんて今までになかった。それだけではない。撃つ、叩く、守るの三系統からも離れた、ミリアムの発想があって初めて成せる自由な変形。
「これ! こういうことだよミリアムちゃん!」
「んー?」
ミリアムは意図してやっていないので、トワの示すところは分からなかったが。
「せっかくだから行ってきてよ。楽しいから!」
「行くってどこに――きゃあ!? ひゃああああ!!」
勝手に羽ばたき、トワは宙に浮きあがる。
銀翼の天使と化した生徒会長は、カレイジャスの周囲を猛スピードで飛び回る羽目になった。
☆ ☆ ☆
《えすけいぷおぶきゃっと》
「さっそくお勉強しましょうか」
「いや」
机を前に椅子に座るフィーは、エマの講義を拒む。食堂には二人しかいなかった。
「どうしてですか?」
「気分が乗らない」
「だったら気分を入れ直しましょう」
「いや。気分を入れ直す気分じゃないし」
「それでは気分を入れ直す気分を入れ直しましょう」
「いや。気分を入れ直す気分を入れ直す気分じゃないから」
なんとか逃れようとする子猫を、しかしお母さんは逃さない。微笑みは絶やさないまま、柔らかな口調で諭しにかかる。
「最近はミリアムちゃんもお勉強をがんばってるんですから、フィーちゃんもお姉さん分として負けていられませんよ」
「ミリアムのは絵本とかパズルとかばっかりだし。遊んでるようにしか見えないけど」
「学びの形は色々ありますから」
「じゃあ私は睡眠を学びたい」
「それはもう首席合格です。フィーちゃんのお勉強はこっち」
ドーンと教材が登場する。積み重なった本の束だ。
「礼儀作法、色々な場面でのマナー、淑女の嗜み。覚えることがいっぱいですね」
「……必要ない。いらない」
「今は使っていないだけです。いつか役に立つ日が来ます」
「来ない」
「あら、それはわかりませんよ。それにエリゼちゃんが始めた《フィーネさんプロジェクト》を絶やしちゃうわけにはいきませんし」
「絶やせばいいのに……」
フィーの淑女化計画。担当講師を変えたり、増員したりしながら、プロジェクトは継続中である。エマにとっては願ってもない企画だった。
「だいたい今はそんなことやってる場合じゃないんじゃない? 内戦中でどこも大変なのに」
「今だからこそやるんです。非日常にあって日常を忘れないことが、人が生きていく上で一番重要なんです」
自分にとっては戦いこそが日常で、勉強こそが非日常なのに。いや、それは少し前までの話か。学院に入ってからは、それが逆転しつつある気がする……。
どうがんばって反論しても、弁舌の巧みさではエマには勝てなかった。あれよあれよの間に、いつの間にかノートが開かれ、手にはペンを持たされている。
「ではテキストの12ページを開いて下さい。まずは“すれ違いざまに道を譲り合った結果、同じ方向によけてしまって、お互いが進めなくなってしまった時の淑女的対応”から――って、なんですかこのシチュエーションは……いえ、でもやります!」
「やるんだ……」
なんの教材なのか、かなり限定的な想定ばかりだ。しかしエマはいたって真剣で、一つの項目も飛ばさずに説明する。
ああ、眠たい。文字を見ると、どうしてこんなにも眠たくなるのだろう。委員長の優しげな声も眠気に拍車をかける。
意識が落ちないようにがんばっているが、こればかりはどうにもならない。形だけでもメモを取っていたはずの白ノートには、ぐじゃぐじゃと文字になっていない線だけが量産されている。
高空ということもあって少々肌寒いが、今日は天気がいい。甲板に出て寝転がりたい。
よし、逃げよう。
「次は14ページ。“レジの店員さんが温かいものと冷たいものを同じ袋に入れてしまった時の、淑女的で慎ましやかな怒りの伝え方”……発行元どこですか、これ」
訝しげに本の裏表紙を確認するエマ。視線と意識が自分から外れた。
今だ。
鋭い身のこなしで、フィーは食堂の戸口へと飛んだ。扉も開け放しだし、トップスピードのまま逃げきれる。まぶしい外の光が――
「え?」
白光が失せると、フィーは机の前に戻っていた。
ノートを新しいページにめくりながら、エマは言った。
「休憩時間はまだですよ」
「……転移術」
見越されていた。ひとまず大人しく席につく。
それにしても術の発動はあれほど早かっただろうか。自分の速度に軽く合わせられてしまった。
「はいフィーちゃん、16ページの5行目から読んで下さいね」
「ん。“度重なる不埒な行為を不可抗力だと言い張る男への物理的対処について”」
「はあ……ようやく実用的な例が来ましたね」
「ある意味、一番限定的な気がしないでもないけど」
会話しながらそれとなく視線を振る。もう一度状況を整理だ。
出入口は後方に一つ。そこまでは目算で7アージュほど。机やイスはあるものの、脱出ルートを阻む配置ではない。
やはり直線のスピード勝負。しかしエマの転移陣展開は早すぎる。退路が一点しかない以上、避けて通るには困難を極める。この部屋に入った時点で詰んでいたのだ。
ふと足元に目をやると、真っ赤な塗料で『HELP』と書かれていた。自分と同様に、この牢獄から逃げ出そうとして果たせなかった者の渇望のメッセージだろうか。下手をすれば自分も同じ運命を辿ることになる。
それでもやるしかない。寝る為に。
「――以上の観点から、不可抗力という言葉は免罪符として捉えられがちだが、だとしても行為自体に情状酌量の余地はなく、事実のみを厳しく罰することでリィン・シュバルツァーに罪の意識を――って名指し!? 本当に誰が書いた本ですか!?」
動揺が見えた。隙あり。二度目のダッシュを試みる。
「ダメですよ、フィーちゃん」
反応された。扉前の床に陣が敷かれ、光の粒が立ち昇る。
あれに触れたらアウトだ。急減速したフィーは後ろに飛び退いた。
「素早く術を使えても、持続には力を使うんでしょ」
弱まり、術が途絶えた時に食堂から出ればいい。そう思うフィーの背後に新たな転移陣が浮き立った。
勢いを殺して着地するや、横回転して方向を変える。術に捕まる寸前で、かろうじて回避することができた。
「転移陣を一つしか出せないだなんて言っていませんよ。さあ、椅子に戻って下さい」
「悪いけど、寝るって決めたから」
ダンと跳躍。机、壁面を縦横無尽に飛び回り、エマを翻弄する。
「あ! カウンターに乗っちゃダメですよ!」
術の早さは凄いけど、動きの速さなら負けない。私にだって得た能力がある。
神経を鋭敏に。委員長の呼吸を読んで、転移の発動を予見すればいい。
空気が揺らいだ。――来る。
「よっと」
“風”を見切り、光陣が生成されるより一瞬早く方向転換。驚いたエマの精神が反映され、宙に浮かんだ陣が霧散する。
退路が開く。ここからは純粋な速度の戦い。
「絶対寝る」
「お勉強です!」
体勢を低く、疾駆するフィー。腕を突き出し、先んじて転移陣を作るエマ。
互角の戦いだったが、勝負を制したのはフィーだった。
残像を残すほどの勢いで食堂を突破する。
「勝った」
「そ、そんな……でも眠気は払いましたから!」
確かにさっきまでの強烈な睡魔はない。それどころか動き回ったせいで目が冴えている。
今日のところは、どうやら引き分けらしい。
☆ ☆ ☆
《ないとおぶぷりんせす》
艦運用における細かな雑務はほとんどトワが取ってくれているから、アルフィンに忙しない業務というのは回って来なかった。
故に空く時間も多い。そういう時は大抵、調達してきた帝国時報などに目を通し、現状把握や今後の立ち回りを思案するのに努めている。
が、今は切れ間というのか、本当に手が空いてしまった。
最新版の帝国時報は読み終わったし、先ほどトワと艦の運用方針についても話し合ったところである。
「んー、どうしましょうか」
座っているばかりも退屈だ。せっかくだし艦内の様子を見てこよう。
アルフィンは貴賓室を後にした。
4階フロアは訓練区画。どうやらアーツ訓練室を誰かが使っている。
「エリオットさんかしら? お手すきなら音楽の話でも聞きたかったけれど……」
特訓中なら邪魔はできない。例の特殊駆動の練習だろうか。
そっと室内をのぞいてみると、そこにいたのはエリオットではなかった。
「ユーシスさん?」
少し意外に思って、うっかり声に出してしまった。気付かれたようで、「皇女殿下?」とユーシスが扉を開けにきた。
「ごめんなさい。中断させるつもりはなかったのです」
「いえ、ちょうど休憩するつもりでしたので」
こちらを気遣って、そんなことを言ったのだろう。一見すると冷たい印象を与えがちだが、本当は優しい人だと知っている。
「それで私に何かご用事でしたか?」
「そういうわけではなくて、ちょっと艦内を見回ろうかと。ユーシスさんは剣のお稽古ですね。あら、でもここはアーツ訓練室では……」
「剣の訓練とは少し違います。これの扱いに慣れる為です」
ユーシスは手にしていた剣に視線を落とす。
白銀に彩られた騎士剣。柄上のガード部分に埋め込まれた魔玉が煌めいている。
「もしかしてこれが
「はい。銘は《スレイプニル》。名の通りといいますか、中々の暴れ馬で難儀しています」
「それでもあなたなら乗りこなしてみせるのでしょう?」
「ご期待にはお応えします。この八つを繋ぐ魔導の剣は、これからの戦いで大きな力になる」
「八つ……?」
その意味は分からなかった。
それにしてもナイトソードが似合うというか、様になっているというか。
彼も騎士という役柄がしっくり来そうである。
「そうですわ。休憩ついでにわたくしのお話に少しだけ付き合って頂けませんか?」
「は、なんなりと」
この機会に彼にも相談してみる。オリヴァルトから騎士を決めてみてはと勧められたことを。
「騎士ですか。なるほど……」
「お兄様は冗談半分、本気半分で言ったのでしょうけど」
「重責を背負われる殿下ですから、補佐も兼ねてそのような人間をそばに置くのは良いかもしれません。それで、もう候補は挙がっているのですか?」
「ユーシスさんにお願いしちゃおうかしら」
「リィンですね」
「あう」
切れ味抜群に見抜かれる。トワだったり同性に打ち明けるのに抵抗はないのだが、なぜだか異性だと少々照れてしまう。これが恥じらいというものだろうか。
「ええと、まあ……そうですね、一応。はい」
歯切れ悪く肯定すると、ユーシスは控え目に笑った。
「騎士は単なる護衛役ではありません。その点を踏まえても俺はリィンを良いと思いますが、あいつが受けるかは分かりませんね」
「トワさんにも似たようなことを言われました。ユーシスさんはどうしてそう思うのですか?」
「恐縮半分、遠慮半分。務まらないとも考えるでしょう。リィンは無意識に自分で自分を過小評価している節があります。卑屈というわけではないですが」
「んー……?」
彼の中でまだ引け目のようなものがあるのだろうか。出自が不明だということはエリゼからも聞いている。その辺りの事情が関係しているのかもしれない。
「騎士役がリィンにしか務まらないわけでもない。資質はもちろん性格も重要でしょうし、ご自身に合う人物を色々と探してみてもいいかもしれません」
「その通りですね。親身な助言、感謝しますわ」
「もっとも殿下が考え抜いた上でお決めになるのであれば、誰であろうと反対意見など起こらないでしょう。その判断は尊重されるべきですから」
「その結果、たとえばマキアスさんを選んだら?」
「全力で止めます」
「どういうことですか、それは……」
確かに候補を拡げるのも必要なことかもしれない。
しかし本当に騎士を決めるとして、リィン・シュバルツァー以外に自分が選ぶ人間なんているのだろうか?
――続く――
お付き合い頂きありがとうございます。
休息日恒例の(二部からは寄航日ですが)ショートショートの詰め合わせでお送りしています。カレイジャス内での場面が主となっていますね。
猛将の行く末をこの回に入れようと思っていたのですが、どうにも尺が足りず……。とりあえず次回もショートショートになるので、そこに詰め合わせようと思います。
今回エリオットがどこにも登場していない理由は、なんとなくお察しください。
フィーちゃんの一幕ですが、睡魔と戦いつつ、うつらうつらと舟を漕ぎながらノートを写していて、講義中など私もよくあんな感じになっていました。
ペンを持って、それなりの姿勢をキープして、テキストに向き合い悩んでいる振りをして、そっと目を閉じて寝息を付いて、時々ガクッてなって、後ろの席の人にクスクス笑われる。気付けばノートもぐじゃぐじゃ。でもいいんです。
睡眠は三大欲求の一つだし? 抗うことはできないし? 抗うこと自体が本能を押さえつける的な行為なわけだし? 地球に生きる一生物としてそういうのどうかと思うし?
……言い訳じゃないです。
次回も引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。