虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第60話 ケルディック寄航日(一日目) ~十字の影

 まだ日の昇りきらない早朝。

 他の寝ている女子たちを起こさないよう、ラウラはそっと仮眠室を抜け出ていた。

 普段の習慣で、この時間であっても目は覚める。ベッドで寝転がっているだけなのも何なので、とりあえず起床した次第だ。

 さて、どうしよう。食堂に行って皆の朝食をこしらえてもいいが。

「ラウラ? 早いな」

 三階の通路で思案していると、リィンに声をかけられた。男子の仮眠室もこのフロアにある。

「おはよう。そなたも起きていたのか」

「ああ、もう少し寝ていてもよかったんだが、勝手に目が覚めてさ」

「同じくだ」

 聞けばリィンは朝稽古に勤しんでいたらしい。二階の訓練室から先ほど降りてきたという。自分よりもさらに早く動いていたわけだ。

「これからラウラはどうするんだ?」

「あまり考えてもいなかったが、そうだな……」

 朝に剣を振るのはいいかもしれない。場所は変われども、鍛錬を続けるのは当たり前のことだ。

 でもせっかくなら、合稽古でもしたいが。

「ん……」

「どうした?」

「……別に」

 一緒に稽古をしよう。前まで普通に言えていたことが、なぜか今になって言えない。

 どうにも落ち着きが悪く、もじもじと指を動かしていると、リィンが真面目な顔でこちらを見つめてくる。

「ラウラ」

「な、なんだ。そんなに見るな……」

「付き合ってくれないか。剣の稽古に」

「付きあっ……ああ、剣な! わかっている! 剣だろう! いい加減にするがいい!」

「なんで怒るんだよ。今じゃなくて昼くらいでいいんだが。……って顔が怖いぞ」

「そなたは、そなたは……!」

「紛らわしいのよ!!」

 仮眠室のドアが急に開いて、寝巻き姿のアリサが登場する。

 自分が訴えたいことを一発で代弁してくれると、彼女は「……紛らわしいんだから」ともう一つ言い残して仮眠室へと引き下がっていった。

 

 

《☆☆☆十字の影☆☆☆》

 

 

 昼下がり。約束通り、リィンとラウラは訓練室で向き合っていた。

 対面しての素振りを三百本程度。自分の刃筋を正面から見てもらえるので、双方にとって効果的な稽古法である。

「少し休憩するか」

「そうだな」

 太刀を鞘に納めて、リィンは床に腰を降ろした。

 首元に滲んだ汗をタオルで拭いながら、ラウラもそれに続く。

「この後はどうする。もう打ち稽古にするか?」

「ウォーミングアップは十分だしな。……実はこの機会にラウラに頼みたいことがあるんだ」

「そうなのか? 私もそなたに頼み事があったのだが」

 一拍置いて、

「俺にアルゼイド流を教えて欲しい」

「私に八葉一刀流を教えて欲しい」

 二人は同時に口に出し、『え?』とそろって、お互いに相手の顔を見返す。

 妙な展開にとまどいつつも、先にリィンが説明の口を開いた。

「ヴァリマールで戦う時は機甲兵用のブレードを使うわけだが、太刀とは勝手が違うから感覚がずれることが多いんだ」

「カテゴリーとしては大剣だからな。形状分類で言えばバスタードソードになるだろう。……なるほど、それでか」

「察しの通り、実は十分に扱えていない」

 並の機甲兵相手なら力押しでどうにかなっていた。騎神リンクもある。しかし実力が切迫している敵には、攻めきれない場面もあった。

 たとえばヴァルカンの乗るヘクトルや、クロウの繰るオルディーネなどがそれだ。

 決定打として放ったつもりの一撃が、本来の実力を下回る威力しか出せない。タイミングもイメージよりずれる。その差は些細なものだが、強敵相手ではより顕著に現れてしまう。

「ラウラは?」

「そなたと似たような理由だ。知っているだろうが、私は双竜橋での作戦時から新しい剣を使っている」

「ああ、確か名前は蒼耀剣だったな」

 レグラムでカスパルから渡された剣。ラウラにとって最適たる一振りを彼が選んだのだ。

「手の内には驚くほど馴染むが、以前使っていたものに比べるとかなり軽く、刀身も薄い。どうしても剣捌きが速くなるから、自分の体の動きを調整する必要が出てきた」

「攻撃速度に対応できる体捌きを覚えたいってことか。そっちの事情も理解した」

 つまり今、リィンが求める技術はアルゼイド流にあって、ラウラが求める技術は八葉一刀流にある。

 しかしどのような仲であろうが、同門でない人間に自流派の技を指導することはできない。

「伝えられるのは太刀の扱い、その基礎に限られると思うが構わないか?」

「もちろんだ。私も大剣と振り方と体の使い方までなら教えられる」

 それも承知の上での頼みごと。休憩もそこそこに、二人は稽古を再開する。

「太刀の基本は引き切りか押し切りになる。瞬発的な剣速を出す為には、柄を締めた際に生じる力を途切れさせずに切先まで伝えることが重要だ」

「遠心力を利用するのか?」

「それもあるが、肩を動きの起点にすると勢いは乗らないぞ」

「力みが出るからだな。足の重心位置は?」

「戦闘スタイルにもよるが、俺は前後で均等に置いている」

「攻守のバランス型か」

 さすが幼い頃から剣を学んでいるだけあって飲み込みが早い。

 一から十までを説明しなくても太刀の特性を理解し、すでに蒼耀剣の扱いに取り入れつつある。

 指導交代。次はリィンがラウラに教わる番だ。

「大剣は切先を相手の目に付けるように、鋭角度をつけて構えるのが基本だ。重心はやや後ろ足寄りで、支持基底面を維持するために少し左右にも開く」

「ぐ……重いな、やっぱり」

 ラウラの大剣を借りて構えるリィンは、腕が下がらないよう力を込めた。

「男子だろう。気概を見せるがいい。とはいえ腕力だけ持つとそうなる。丹田に意識を置き、体全体で支えるようにするのだ」

「なるほど。確かに力だけで振れるものじゃないか」

「そなたはもしかして、今まで私がそれを力任せに振り回しているとでも思っていたのか?」

「いや……その、ちょっとだけ」

「……西部との定時通信の時、父上に言う」

「待ってくれ! 嘘だ、冗談だ!」

「私も冗談だ」

 脱力してリィンは膝から崩れ落ちる。もし本当に訴えられでもしたら、確実に首が宙を舞うだろう。カレイジャスの外装色が、より濃い赤に塗り染まってしまう。

 くすくすとおかしそうに、ラウラは腰をかがめた。

「冗談だと言ったではないか。父上だって笑い話で済ますだろうに」

「それは……分からないぞ」

 いつ何時、《ガランシャール》を携えたヴィクターが枕元に立っているか。想像しただけでも夢見が悪くなりそうだった。

「それにしても――」

 ラウラはリィンの太刀に視線を落とした。

「大剣の扱いに慣れるのもいいが、しかし限度はある。そもそも騎神というのは乗り手の動きを映すものなのだろう。本来なら、そなたが慣れた武器が一番いいと思うのだが」

「確かにそうだが……ヴァリマールが使えるような太刀があるとは、正直思えないな」

「まあ、もっともだ」

 ないなら作れないか? 一瞬思いはしたものの、それは無理だと考え直す。

 一体誰が、どうやって、どんな材料を使って、どれだけの時間で作れるというのか。

「ところでリィン。たまには今日みたいな、普段と違う稽古もいいとは思わないか?」

「ああ。有意義だった。ありがとう」

「礼などいい。なんならまた一緒に……一緒に稽古をしてくれないか。そなたが良ければだが……」

「もちろんだ。むしろ俺からも頼みたい」

「そ、そうか!」

 妙な歯切れ悪さから一転、安堵の表情でラウラは笑顔を見せた。

「だったら明日の同じ時間にでも、もう一度――」

「失礼するわよ!」

 バンと扉が開いて、アリサが飛び込んできた。今朝とまったく同じ登場の仕方だ。

「リィン、緊急招集かけて!」

「いきなりどうしたんだ。召集は別にいいが……」

「私の機甲兵が完成したの。その名前募集!」

「全員で?」

「全員で!」

 大切だったらしい話が中断され、そこはかとなく不機嫌な様子のラウラ。その彼女の向こう、戸口の隙間から、トワがそそくさと離れていく姿が見えた。

 

 ●

 

『オーバーラーイズ!』

 フィーとミリアムの掛け声が重なる。一帯に響き渡っただけで、さしたる変化は起こらなかったが。

 リィンの招集を受けたⅦ組メンバーが船倉に集まっていた。

「ダメだね」

「なんでかなー。もっと大声で叫ばなきゃいけないのかも」

「それは関係ないと思うけど」

「だったら形から入ろうよ。フィー腕上げて」

「こう?」

「うんうん、で、シャキーンって感じで。せーのっ」

『オーバーラーイズ!』

 《ARCUS》を片手に交差させて謎のポーズを取るちびっこ二人に、リィンは訝しげに歩み寄った。

「二人とも何をやってるんだ?」

『オーバーライズ?』

「俺に訊かれても。まあ、一応察しはつくが」

 西部へ発つトヴァルが、艦を降りる間際に伝えてくれた“あれ”を試しているのだろう。

 強い意志同士を繋げることによる、戦術リンクの機能強化。

 見込まれる向上能力は、《ARCUS》の導力伝達効率が通常値を遥かに超えるということ。そうなれば理論上、極めてゼロに近い駆動時間でアーツを放つことができる。

 他にも未知数の力が発現する可能性もあるが、あくまでも可能性の話だった。

 しかし意志の強弱や想いの浅深など、心中の状態が実際に《ARCUS》に作用するのは事実である。

 ジョルジュに言わせれば、リンク機能に次の段階があることは否定できないが、そこに至る為にどうすればいいのかは分からないらしい。

 そもそも開発段階から想定されている機能ではないのだ。

 結局は示唆をされただけで、つまるところ正体も詳細も不明。

「限界を越えていく力――すなわち“オーバーライズ”か。本当にできるなら確かに奥の手にはなるが……」

 実現できる手掛かりさえない。できるという前提で色々と試していく他なかった。思わせぶりに言っておきながら、後は投げっぱなしのお兄さんである。

「みんな、集まってる?」

 ドックにアリサが降りてくる。これで全員がそろった。

 オーバーライズのことはひとまず置いて、リィンはアリサに場を任せることにした。

「急に呼び立ててごめんなさい。リィンから聞いてると思うけど、ようやく私の機甲兵が完成したの」

 皆の視線がその機体に集中する。シュピーゲルを素体としつつも、完全に別物と思える造形だ。

 ラウラが言った。

「見たところ丸腰のようだが、装備の類はないのか? 五つの武装があると聞いているのだが」

「まだ接続調整中なのよ。本体と繋げるとなぜかエラーが起きてて――ってミリアム、フィー! 勝手にコックピットに入ろうとしないで!」

 最高の玩具を見つけたとばかりに、さっそく彼女らは機甲兵の足をよじ登ろうとしていた。

 二人の首根っこをむんずと捕まえたユーシスが、じたばた抵抗するちびっこ達を連れ戻してくる。

「離してよ! ボクが一番に乗るんだ!」

「一番は私だから」

「お前たち手間をかけさせるな。それでアリサ、この新型の名前の案を募りたいのだったか」

 二人のぐるぐるパンチなど意に介さず、ユーシスは機甲兵を見上げた。ふっと不敵な笑みが浮かべて、

「ノブリティ号がよかろう」

「そ、それはちょっとどうかしら? 号がつくと馬っぽいし……というかユーシス、ルビィの名前決めの時も同じこと言ってなかった?」

 仕返しとばかりにフィーとミリアムがにやついた。

「かっこ悪い名前ー! ぜんぜんだね!」

「ノーセンス金髪」

「覚悟はいいようだな」

 逃げ出す二人を追うユーシス。

 始まったいつもの鬼ごっこは放っておいて、残った面々は名前決めを続けた。

 が、すぐに難航する。これだと言うものが中々浮かばないのだ。

「鍔、物打ち、切先、鎬……」

「ラプソディ、ワルツ、コンチェルト、セレナーデ……」

「グリル、ボイル、メルト、ドレイン……」

「チェック、キャスリング、スキュア、サクリファイス……」

「赤い月のロゼ、カーネリア、人形の騎士、クロックベルはリィ……はっ!?」

 リィンは剣術用語、エリオットは音楽用語、ラウラは料理用語、マキアスはチェス用語、エマは小説のタイトルから使えそうな語句を探そうとしているが、まだまだ時間がかかりそうだった。

「ノルド、ノルディー、ノルディアス……いや違うな。ノル……ノル、うーむ、ノルノル?」

 いたって真面目に頭を抱えるガイウスは、これでもかとノルド押しのネーミングを試行錯誤している。

「すぐには決まらないものね……どうしよう、やっぱり自分で考えた方がいいのかしら」

 真剣に悩む仲間に申し訳ないとは思いつつアリサがぼやいた時、パタパタとトワが走ってきた。

「みんなー、準備できた?」

「何がですか?」

 不思議そうにリィンが聞き返すと、「もー」とトワは頬をふくらます。

「午後からケルディックに買い物に行くって伝わってるでしょ。購入するもの増えちゃったから、早めに動かなきゃね」

「それは初耳なんですが……」

「え、ちゃんとミリアムちゃんにみんなへの伝達を頼んだけど――」

「絶対忘れてると思います」

 船倉内を走り回るミリアムに目をやる。ちょうどユーシスに取り押さえられたところだった。

 

 ●

 

「物資の補給やな! よっしゃ任しとき!」

 パッチーンと気合い十分に手を鳴らして、ベッキーは大市へと走り出した。

 ケルディックのゲートをくぐった一同を待ち構えていた彼女は、双竜橋戦に介入するに至った経緯を聞くなり、自分から乗艦を願い出てきたのだ。

 いつぞやの消沈ぶりは欠片も見えなかった。

 貴族連合から開放され、大市に活気が戻ったのが嬉しいのだろう。そしてカレイジャスの遊撃活動はそれを守ることにも繋がる。

 もっとも願い出るというより、『ウチも乗るで! ええやろ! もう決めたんや! 力になったるわ!』と有無を言わせぬ強制ではあったが。

 ともあれリィンたちは数人のグループに分かれ、大市を回ることにした。

「うふふ、活気がありますわね」

 足取りも軽く、声を弾ませるアルフィン。

 リィンは彼女の護衛役だった。

「殿下はカレイジャスで待っていて下さっても良かったんですよ? 荷物運びなら俺たちだけで十分ですし」

「わたくしは足手まといですか? お役に立てませんか?」

「い、いえ。決してそんなことはありませんが……」

「わかっています。トワさんにも同じことを言われました。周りの人に知られたら騒ぎになってしまうから、艦内で待機していた方がいいと。でも実際にケルディックの様子を見たかったんです」

「それで、その恰好ですか」

「ええ。久しぶりに袖を通しました」

 カムフラージュの為にアルフィンの装いは聖アストライア女学院の制服だが、ふわりと鮮やかなブロンドヘアーが目立たないわけではない。

 領邦軍が撤退した今、滅多なことは起きないだろうが、それでも最重要人物には変わりないのだ。どこであろうとも警戒を切らすわけにはいかなかった。

「わたくし達は何を買いますの?」

「とりあえず細かな雑貨を……ん? やけに少ないな」

 トワから渡された購入物のメモを開き、リィンは眉をひそめた。

 おそらくアルフィンの同行だからと、大荷物にならないよう配慮されたのだろう。重たいものや、かさ張るものは他のメンバーに振り分けられているはずだ。主には男子にだと思うが。

「……なんだか悪いな」

「なにか?」

「なんでもありません。どの店から周りましょうか」

 広場一帯を出店のテントがところ狭しと立ち並んでいる。折り重なるように飛び交う威勢のいい客引きは、これぞ大市と呼ぶに相応しい賑やかさだ。

 アルフィンは目に付いたものから、興味深々に立ち寄っていく。あっちに行ったりこっちに行ったりと、行動の読めない彼女の後ろを、リィンは苦心しながら付いていった。

 三つ目の雑貨屋を見終わったところで、アルフィンが楽しそうに振り返る。

「リィンさんはわたくしのボディーガードも務めて下さっているのですか?」

「人通りが多いですから。わずらわしいかとは思いますが、やはりこればかりは」

「むしろ嬉しいのですけど。……なんだか騎士のようですわね?」

 騎士とはずいぶん大仰な例えだ。冗談と受け取ったリィンは肩をすくめた。

「はは、俺には似合わない言葉ですよ」

「そうでしょうか?」

 まるで反応をうかがうように、アルフィンは上目で顔をのぞいてくる。

「リィンさん、実はちょっとお話が――」

「おーい、そこのにいちゃん」

 彼女が何かを切り出そうとした矢先、近くの出店から手招きされた。

 呼ばれるまま店前まで行くと、覚えのある顔がにっと笑っている。

「久しぶりやな」

「ええと、ベッキーのお父さんでしたね」

「ライモンっちゅー名前や。さっきベッキーが走ってきてな。あの赤い艦に乗る言うて聞かんのや。迷惑かけると思うけど、どうか娘をよろしゅうに」

 いかにも商売人らしい挙動の軽さで、ライモンはぺこりと頭を下げる。

「俺たちも本人から言われましたが、本当にいいんですか? カレイジャスは先日みたいに正規軍と貴族連合の間に介入することもあります。絶対の安全は保障できません」

「そりゃどこにいたって同じやろ。少なくとも部屋にこもって腐ってるよりは余程マシや。元気あってこそのベッキーやからな」

 父親までそう言うのであれば、これ以上念を押す必要はない。彼女のバイタリティと商才は艦の活気にも繋がるだろう。

「そういうわけで、こいつは礼代わり。食っていきや。ほい、お嬢ちゃんも」

「まあ、リンゴですか? 蜜たっぷりでおいしそう。ありがとうございます」

 ライモンが差し出したクォーターカットのリンゴを受け取るアルフィン。一口かじると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

「おいしいですわ!」

「嬉しいリアクションやなあ。ほら、そっちのにいちゃんも……ん?」

 ピタリと動きを止めたライモンは、しげしげとアルフィンを見つめる。

「……アルフィン殿下?」

 口に出したものの、すぐにかぶりを振る。

「そんなわけあらへんか。いや、けど……似てんな。そういえば双竜橋で、皇女のものらしい声明があったとか聞いたが。……ま、まさか本物?」

 ぶつぶつとつぶやいては、男はしきりにアルフィンをちら見する。

 ここでばれてしまってはまずい。どう切り抜けたものか。

 内心で焦るリィンの腕に、アルフィンが自分の腕を絡めた。

「リィン兄様。わたくし、あっちのお店も見てみたいですわ」

「え? は?」

 戸惑ったのはリィンだけではなかった。

「にいさまって、あんたたち兄妹なんか? あんまり似てへんが……」

「親戚のお兄様ですわ。小さな頃から可愛がってもらいましたから、そう呼んでいるんです。ね、リィン兄様?」

 シュバルツァー家とアルノール家は遠縁にあたる。一応は親戚の括りに入るので、アルフィンの言うことはあながち間違っていない。そもそもその関係で、エリゼとアルフィンの仲がある。

「あ、ああ。そうだな」

「離れた血縁なので結婚もできちゃうんですから」

「いっ!?」

 これにはとっさに相槌を打てなかった。アルフィンがつんつん脇を突っついてくる。

 冷や汗をかきながら曖昧に肯定すると、男は小刻みに震える手でリィンにもリンゴを渡してきた。

「いやあ……仲がよくて何よりやわ。まあ食いや」

「い、いただきます」

 どうして妹分の少女が《紅き翼》に同乗しているのか。幸い、そのことについては言及されなかった。

 ふう、と小さく息を吐き、しゃくっとリンゴにかじりつく。

 美味い、と言いかけてえづく。美味くない。みずみずしさなどなく、ざらざらした砂のような食感だ。

「んぐふっ!?」

「そっちのは特製や。うまいか、リィン兄様よお……」

 ライモンの目になぜか憎しみの色が宿っている。

「あー! りんごもらってるー!」

「ずるい。私たちも」

 そこにフィーとミリアムがやってくる。彼女たちも近くの露店で割り当て分の買い物をしていたようだ。

「よっしゃ、お嬢ちゃんたちにもサービスや」

 二人とも満足そうに食べている。なぜ自分にだけ不味いのを渡してくるのか。

「おいしいね、リィン兄様」

「リィン兄様ももっと食べたら?」

 さっきのやり取りを見られていたらしく、フィーたちまで冗談めかして言ってくる。

 ライアンの目付きがさらに険しくなり、眉間に細かなしわが寄った。

「そうか、そうか、そうなんか。年下の子には“兄様呼び”を強要しとんねんな」

「あの、何か勘違いをしていませんか」

「黙れや、このリィン兄様が。もう一発砂リンゴ食らわせたろかい」

「す、砂リンゴ?」

 悪意しか感じられない品種名だ。砂っぽいリンゴなのか、リンゴっぽい砂なのか。せめて前者であって欲しいが。

「みんな、集まってどうしたの? 買い物終わった?」

 今度はトワが近付いてきた。彼女を見るなり、ライアンの全身が怒りに震え出した。

 かろうじて理性を残したような危うい声音で言う。

「き、君もリィン兄様とか呼んじゃうんか……?」

「はい?」

 トワは並ぶ背の小さな少女たちを順に見やると、状況を理解したのかどうなのか、こほんと咳払いをしてみせる。

「私は年上ですから。トワお姉さんです」

 小さなプライドだったのかもしれないが、それがライモンの地雷を踏み抜いた。

「弟属性もあるんかーい!!」

「ぶぐっ!?」

 意味不明なツッコミと同時に、砂リンゴがリィンの顔面を直撃した。 

 

 ●

 

 カレイジャスはケルディックから少し離れた場所、元の保有者が放棄して久しい荒れ農地に停泊中だ。

 船体が大き過ぎて、街道沿いに降りることができない為である。

「遠い、重い……」

「もう少しだ。がんばろう」

「……まだまだ買物は増えそうだが」

 そういうわけで男子たちの役割は自ずと決まっていた。

 女子たちが見繕い、購入したものをせっせとカレイジャスへと運び、町まで戻り、そしてまた運ぶ。

 果てなき往復を強いられる働きアリのごとし。真夏の炎天下でないことが、唯一の救いだった。

「それにしても……リィンは殿下の護衛があるから仕方ないとして、ユーシスはどういうことなんだ」

 袋いっぱいの食材を両手に抱えるマキアスは、その重みによたよたとふらつきながらぼやく。

 前を歩くガイウスが、背中に担いだ材木越しに顔を振り向けた。

「野暮用があると言って教会の方に向かっていた。すぐ手伝いに戻るとも言っていたが」

「僕たちは町と艦をもう三往復しているんだぞ! すぐって言ったらすぐだ。ユーシスの時間の感覚はどうなってる!」

 憤慨するマキアス。ガイウスは苦笑しつつ歩を進めた。

「俺に言われても困る」

「エリオットを見てくれ! 半死半生でアンデット系の魔獣みたいになってるじゃないか!」

 列の最後尾でマキアスと同様に両手に大きな袋を下げるエリオットは、今にも倒れそうな前傾姿勢で、足をずりながら歩いている。時折「ああ゛、んあ゛……」と言葉にならない声をもらす感じが、まさに動く死体そのものだ。廃墟で徘徊していたら、有無を言わさず額に銃弾をぶち込まれるだろう。

 唯一そこまで疲れていなさそうなのはガイウスだ。

「エリオットは最近走り込みをしているだろう。かなり体力もついてきていると思うのだが」

「そうなんだけど、今日は午前中から訓練室でムービングドライブの練習をしててさ……もう体力なんか残ってないよ」

「なるほど。なら片方の袋を渡してくれ。俺が半分持とう」

「ええ? そんなの悪いよ」

 彼らのやり取りを横目に見ながら、マキアスはいまだ合流する気配のないユーシスに苛立ちをあらわにする。ぶつけどころのない憤りが骨身に走り、雪合戦以来の修羅化が始まっていた。

「くそっ! そもそも街道に人通りはないんだし、アガートラムに荷物持ちをさせたらいいのに。それにアリサの機甲兵だってもう動くんだから、資材運搬に利用すればいいだろう!」

「どうした。そうイライラするな」

「糖分足りてないんじゃない? ミラーデバイス使ったら頭が疲れるんでしょ?」

「足りないのは糖分じゃない。癒しだ! 最近のカレイジャスには癒しが足りないんだ!」

 エリオットとガイウスはそろって首をひねる。

「癒し? 俺は絵を描いていると落ち着くが」

「だったら僕は音楽かな。弾くのも聴くのも良いよ」

「わかってないな、君たちは! 癒しの何たるかをまったく理解していない!」

 精神の安定を欠きつつある修羅眼鏡は、固く拳を握りしめ、寒風荒ぶ冬空に向かって吼えた。

「クレア大尉ーっ!!」 

 

 ● ● ●

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《女王への階段⑤》

 

 実を言えば、機械に対する興味は以前からあった。

 たとえば飛行艇。どうやったらあれほど重く大きなものが空に浮かぶのか不思議だ。

 身近なもので言えば、熱を生むコンロ。どうやって火を起こしているのか不思議だ。

 七耀石(セプチウム)の力を抽出する導力器(オーブメント)だから。そう説明されてしまえばそれまでなのだが、しかし何事にも仕組みはあるだろう。

 それがとても気になるのだ。

 だからアリサの機甲兵にフィーとミリアムが乗り込もうとした時、ユーシスの制止がもう少し遅れていたら、危うく自分も仲間入りしていたかもしれない。

「このグリップを回すと走るのか。なら、こっちのレバーはなんだ?」

 止まらない好奇心を胸に、ラウラはケルディックのゲート前に停めてある導力バイクをいじっていた。

 リィンがアンゼリカから譲渡された導力式二輪走行車。荷物の運搬に役立つかもということで、今はサイドカー付きにしてある。

「ラウラ? どうしたんだ?」

 リィンが戻ってくる。もっと時間がかかると思っていたのだが。

「担当分の買い出しが終わったのでな。ちょっとバイクとやらを見ていたのだ。というかそなたこそ、その顔はどうした」

「なぜかリンゴを思いきりぶつけられてさ……」

「いきなりか? まるでテロリストの所業だな」

 リィンの顔の中心には、まさしくリンゴ型の打撲痕があった。

「待て。アルフィン殿下の護衛は?」

「危険度は低いみたいだから、トワ会長とフィー、あとミリアムが交代してくれた。俺は荷物運びに戻るよ」

「その顔で危険度が低いとはよく言ったものだが……ん、ということは今からバイクを動かすのだな?」

「ああ、そのつもりだ」

「私を乗せて行ってくれ」

 考えるより早く口から出る。

「それは構わないんだが、乗るところがないぞ。荷物はサイドカーに詰まなきゃいけないし」

「……よく考えてくれ。可能性を精査するのだ」

「サイドカーにラウラが先に入って、荷物を抱えるとか? うーん、それだと量を運べないな……」

「………」

 他の答えを持ち合わせない男の言葉を、それでもラウラは辛抱強く待ったが、しかし無い答えはどれだけ待とうとも出てこない。

 とうとう業を煮やして、彼女は言った。

「私をそなたの後ろに乗せればよかろう!」

 

 ●

 

「こんな場所で会えるとは思わなかったわ。元気そうで何よりよ、ラウラ」

「ポーラこそ。よくぞ無事でいてくれた」

 二人乗りで導力バイクを走らせ、カレイジャスへ向かっていた途中のことである。偶然、ラウラは見覚えのある人影を見かけた。

 まさかとは思いつつリィンに頼んで進路を変えた先、街道から外れた雑木林の手前で、彼女はポーラと予期せぬ再会を果たすことになったのだった。

「それで、そなたは何をしていたのだ?」

「話すと長いんだけど、実はね――」

 ポーラは要点をかいつまんで経緯を説明する。

 トリスタを出て二ヶ月あまり。農家を転々としながらケルディック地方に滞在していたのだが、頃合いを計って別方面へと移動することにしたそうだ。

 その道中、馬術部部長ランベルトの愛馬マッハ号と、この雑木林付近で偶然に出くわす。おそらくはトリスタ襲撃のどさくさで学院から逃げ出したのだろう。

 放っておくこともできず、なんとか捕まえられないか策を巡らしているところにラウラがやってきた――そういう事情らしい。

「あなた達に同行したいのは山々なんだけど、やっぱりマッハ号を保護するまでは一緒にいけないわ」

「それはそうだな。――リィン」

「わかってる。俺たちも手伝おう」

 同じことを考えていたようで、リィンもうなずいた。

「ありがとう。人手も足りてなかったし、助かるわ」

「他にも誰かいるのか?」

「ええ、偵察に行かせてるところよ。ほら戻ってきた」

「ひぃい、危ない道ばかりなんだけどぉ!」

 木の枝や葉っぱにまみれたアントンが、林の奥から姿を見せた。

 

 

「あの黒い馬がいるのはこの先だよ」

 生い茂る枝葉をかき分けながら、アントンが先導を務める。

 リィンもラウラも彼との面識は一応あった。

 実習で各地を回った際、なにかと遭遇していたのだ。だからといって深い関わりがあるわけでもなかったが。

 ポーラの弁では気が向いたから同行させたとのことだが、その使い勝手は完全に召使いとか下僕とか、あるいは玩具とか、その類である。

「ねえアントン。あそこの木の幹に穴が開いてるじゃない?」

 歩きがてら、ポーラは言った。

「うん、開いてるね」

「ちょっと腕入れてきてよ」

「いやだよ! なんの目的があって!?」

「何かが釣れるかもしれないわ」

「釣れないし、よしんば釣れたとしてもロクなものは出てこないよ!」

「ふーん。じゃあ、しないのね」

「うっ……」

 蔑みを孕む女王の瞳に射竦められ、アントンは身を萎縮させる。その様子を見たラウラは「やれやれ」と呆れ半分で笑った。

「相変わらずだな、そなたは」

「逆に私はあなたが変わったように思うけど」

「そうか?」

 歩調を緩め、ラウラと並んだポーラはそっと耳打ちした。

「リィン君となにかあった?」

「な、なな、なにがだ。なんでそう思う」

 動揺に震える声。紅潮する頬。額に滲む汗。

 それだけでポーラは概ねを理解した。

「別に。導力バイクだっけ? 見慣れない乗り物に二人で乗ってたし。ま、大した意味はないんだけどね」

 うつむき、口を閉ざすラウラ。余計な失言はしまいとしているのだろう。

 まもなくアントンの案内する地点に到達する。彼が無言で指さす先、群生する木々の間に黒い毛並の馬がいた。確かにマッハ号である。

 リィンは木陰からその様子をうかがった。

「馬はこういう場所を好まないのに。やっぱり迷い込んだんだな」

「で、どうする。保護するとはいえ、そう簡単なことではないぞ」

 ラウラが考え込んでいると、アントンが提案した。

「実はこの先にかなり深いくぼみを見つけたんだ。そこに追い込めばイチコロ――でっ!?」

「狩りじゃないのよ、狩りじゃ」

 その頭をポーラがはたく。

「というかもう、あんたがそこに落ちなさいよ。あ、でも死んだらダメだからね」

「き、急に僕の心配をしてどうしたんだい。まさかこれがうわさのツンデレ?」

「中途半端に生きながらえて、限界まで苦しんで欲しいわ」

「ツンしかなかった!」

 アントンの大声が届き、マッハ号は逃げ出してしまった。

 リィンとラウラは同時に茂みから飛び出す。

「見失うとまずい! 少々手荒だがひとまずは囲もう」

「やむを得んな。ポーラも急ぐのだ」

「了解よ。お仕置きは後でするわ」

「やっぱりあるんだ……今日はBコースかな……Fはやだな」

 全員広く散開して、少しずつマッハ号の行動範囲を狭めていく。どうにか林の開けた場所まで誘導することができた。

 問題はここからどうするか。慎重に距離を測るリィン達だったが、またしてもアントンが余計なことをした。

「よーし、今ならいける。みんなで一斉に押さえ込むんだ! せーのっ」

 一人で勝手にかけ声をあげて、そして一人で勝手に特攻するアントン。興奮したマッハ号が身を返す。

「ぶべらあっ!?」

 強靭な蹴足が炸裂した。無様に宙を舞ったアントンは、一瞬で皆の視界から消えた。

 気勢収まらないマッハ号はラウラに向かって走る。

「ラウラ!」

「わっ」

 間一髪リィンが覆い被さり、体当たりを回避する。旋回したマッハ号は今度はポーラに突進した。

「仕方ないわね!」

 寸前で身をかわしたポーラは、付きっ放しになっていた手綱をすれ違いざまにつかんだ。手繰り寄せるようにして自分の体を密着させ、その背によじ登る。

「どうどう、いい子ね。大丈夫よ、きっとランベルト部長もあなたを心配しているわ」

 暴れるマッハ号を巧みに乗りこなし、リラックスさせるよう優しく首筋を撫でる。

 しばらくすると、マッハ号は落ち着きを取り戻した。

「無事保護っと。あとはトリスタに帰ればいいだけね。ところで、あなた達はいつまでその恰好でいるの? このまま踏み潰しちゃってもいいの?」

 ポーラが見下ろす先には、ラウラに覆い被さったままのリィンの姿があった。彼女の手並みに見入っていた二人は、ようやく思考回路が周り始め、

「ふ、不埒なー!」

「え!?」

 ラウラの蹴り上げからのぶん投げが鮮やかに決まり、リィンは近くの木に背中から激突した。頭を下にズルズルと地面に落ちる。

「あーあ。リィン君、白目むいちゃった」

「ふ、不埒だから……」

「……変わったと思うのは私の気のせいかしら。ま、“人にはムチを、馬には愛を”ってね」

「……? よくわからない格言だ」

「それでいいの。早くブリジットとモニカにも会いたいわ」

 マッハ号とポーラを連れ、リィンとラウラはカレイジャスに帰艦する。

 回収すべき人物がもう一人いたことに気付いたのは、カレイジャスが空に飛び立ってからだった。

 

 

 

《修道女の願い⑤》

 

 領邦軍が撤退して、大市もにわかに活気づいてきた。

 前に訪れた時よりも、すれ違う町人たちの雰囲気に張りがある。当然だろう。厳しい徴収に売買の制限。彼らは圧制を強いられてきたのだから。

 言葉で表すなら解放と呼べる。

 だとしてもユーシスは、この町を自由に歩くことに引け目を感じていた。

「浮かないお顔ですね」

 ロジーヌが言う。様子を見に教会まで会いに行った折、ちょうど出かけるところだったので、話しがてらユーシスも同行することにしたのだ。

「そう見えるか?」

「私の勘違いなのかもしれませんけど」

「いや、そうなのだろう。お前が言うことは大体当たっている……気がする」

 ロジーヌは大市のゲートをちらと見た。

「ユーシスさんがケルディックのことを気に病む必要はありませんよ」

「……気にしてなどいない」

「でも、そう顔に書いてあります」

 なぜ何も言っていないのに分かるのだ。表に出すまいとしていた心中を言い当てられ、ユーシスはごまかす気を失くした。

「父上の――アルバレア家の指示が町の皆を苦しめたのは事実だ。家を出たとはいえ、俺がその血族であることは変わらない。中には恨んでいる者もいよう」

「そんなこと……現にケルディックが明るさを取り戻したのは、ユーシスさん達のおかげです」

「それは結果論だ。エリオットの姉上が卑劣な手段で拉致された事実がなければ、カレイジャスがこの地に介入することはなかった。俺個人としては、何もできていない」

「でしたら実際に確かめてみましょう」

 黒い修道服が風になびく。いつも通り楚々として、ロジーヌは歩調を早めた。

 

 

「お話はうかがっております。さ、どうぞ」

「……頂こう」

 テーブルの向かいから差し出されたティーカップには、ほのかな湯気が揺れている。

 着いた先は元締めの邸宅だった。

 オットーの妻であるペルムのお手製のハーブティーとのことだ。勧められるまま飲んでみると、独特の風味が口中に広がっていく。

 商品として出せる完成度ではなかろうか。そんな見当違いをふと思い立ち、ユーシスは一心地ついた。

 オットーが深く頭を下げる。

「此度の件、まずはお礼を述べさせて頂きたい」

「礼などいらん。ロジーヌにも言ったが、ケルディックを解放しようとして動いたわけではない。これは付随的な結果だ。それに楽観はできまい」

「ええ、ここからどう転ぶかはまだ分かりませんので」

 領邦軍が撤退したというだけだ。ケルディックがクロイツェンの属州であることに変わりはないし、故に領主への納税は継続しなくてはならない。

 現状の問題として挙げるなら、その仕組みと税率が曖昧になったことだ。

「なんにせよ、この町は公爵様の土地。お上から離れるつもりも、盾突くつもりもありません。状況が落ち付けば滞っていた分の税も治めるよう、町人には通達しています」

「それは……」

「義務あっての権利。それくらいは弁えております。ただでさえ商人の町ですからな」

 先の見えない不透明さの中、それでも状況を受け入れて前を向いている。たくましい人たちだ。

「オットー殿、すまなかった」

 逆に頭を下げ返すユーシスを、オットーは不思議そうに見た。

「頼まれていた減税のことだ。バリアハートに戻ってから父上に話しはしたが、取り合ってももらえなかった。結局何も変えられず、負担だけを強いている」

「元々が無理な願い。ユーシス様が謝られる必要は一つもありません。あなたが動こうとしてくれたことが嬉しいのです」

「………」

「確かにアルバレア公の方針に思うところはあります。ですがそれはユーシス様個人とは関係のないこと。この町の皆が、あなたに感謝をしていますよ」

「……そうだろうか」

「もちろんですとも。もしもあなたのような人が領主だったなら――」

 それは言えないと留まったのだろう。先の言葉は呑み込んで、オットーは椅子に深く座り直した。

 自分が領主だったら――。

 できるのだろうか。彼らの想いを吸い上げて、その期待に応えることが。

 所詮は出奔した身。今はそんなこと考えられないし、考える資格もない。

「そういえばあいつは? 姿が見えないようだが」

「ロジーヌ君ですか? 彼女は二階でペルムから調薬法を学んでいます」

「調薬?」

「すみません。お待たせしました」

 ちょうどその時、ペルムとロジーヌが階段から降りてきた。年齢差も関係なく、ずいぶんと仲良さげに見える二人。彼女たちもテーブルへと付いた。

「薬の調合を教わっていたとはな。習得できたのか?」

「いえ。とても難しくて私にはまだ……」

「そんなことありませんよ。ロジーヌちゃんは覚えも早くて、もう私が教えることが少なくなってきたぐらいですから」

「ペ、ペルムおばさま」

 恥ずかしいようで、ロジーヌは顔をうつむけてしまう。

「調薬の指導の代わりにロジーヌちゃんのクッキーの作り方を教えてもらってるのですけど、これが美味しくて」

「ああ、あれは確かに美味いな」

 正直な感想を述べただけなのだが、ロジーヌは伏せた顔をますます赤らめた。

 その様子をじいっと眺めるペルムは、何かを察したらしく、

「ユーシス様。ロジーヌちゃんは料理も上手で、優しくて、気立ても良くて、おまけにべっぴんさんで。こんなに器量の良い娘さんはそうはいません。十年、いえ百年に一人の逸材です」

 急に褒めちぎり始めた。ずいと身を乗り出すペルムの圧に押され、ユーシスは背もたれから倒れそうになった。

「そ、そうか」

「ええ。私が保証します」

 その静かな剣幕と凄みには、オットーも口を挟めないでいる。

 ユーシスのとなりに座るロジーヌは、今にも火が出そうな顔色のまま、石のように固まっていた。

「その上、調薬を覚えた彼女に死角はありません。どうですか、あなた?」

 急に話を振られたオットーは口に含んだハーブティーを吹き出しそうになりながら、「……その通りだと思うが」と妻の弁に追従する。

「それに見て下さいな。このお二人の横並ぶ姿。私たちの若い頃にそっくりじゃありませんか。これはきっといい――」

「ペっ、ペペペペ、ペルムおばさま!? 私、急用を思い出しました! また来ますね!」

「あら残念。うふふ」

 とうとう黙っていられなくなったロジーヌは、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、ユーシスの手を引いて外へと飛び出した。

 

 玄関先でロジーヌは息を切らしている。

「ごめんなさい……」

「俺は別に構わないが、一体どうした?」

「なんでも、なんでもないんです。気にしないで下さい……きゃあ!? あうっ!」

 ユーシスの手をつかみっぱなしであることに気付いたロジーヌは、慌てて振り解き、その勢い余って自分の腕を門壁にぶつけてしまった。

 痛みに耐えようとして、やっぱり無理で、彼女は涙目でうずくまる。

「んー……ごめんなさい……」

「あやまってばかりだな、お前は。大丈夫か?」

「打ち身に効く薬も調合できるようになりましたから、平気です」

「そういう問題か。見せてみろ。とりあえず回復系のアーツを――……しまった」

 ユーシスの《ARCUS》は手元にない。魔導剣作成に不可欠な“パーツ”としてジョルジュに渡している。

「せめて教会まで送ろう。痛みが引いたら行くぞ」

「いいのですか。買い出しのお手伝いは?」

「……まあ、大丈夫だろう。男手も多い」

 ほどなくしてロジーヌは立ち上がり、元来た道を戻る。

 道すがら、ユーシスはケルディックの景色に視線を巡らせた。

 忙しなく行き交う人々。大市の雑多な様相。酒場から聞こえてくる笑い声。その笑い声の中に、サラのそれが混ざっていたような気がするのは気のせいか。

「オットー殿に感謝していると言われた。この町の人たちもそう思っていると」

「ええ」

 何もできなかったのに、しようとしてくれたことが嬉しかったのだと。

 心のどこかで、理解はされないものだと思っていた。

 結果が伴わなければ、状況が変わらなければ、裏では非難の目を向けられるものだと思っていた。

 そうではなかった。

「みんな懸命に生きています。だから他者の懸命も汲み取れるのでしょう。ユーシスさんの気持ちは届いていますよ。その立場が難しいことも」

「……俺のやるべきことが少しずつ見えてきたな」

「え?」

 教会に到着する。別れ際にユーシスは言った。

「ロジーヌはカレイジャスに乗らないのか?」

「皆さんのお力にはなりたいのですが、調薬法をもっと形にしてからでないと……」

「そうか。ではいずれ迎えに来る」

「はい、お待ちしています」

 領主が上で、領民が下ということもないのだ。各々が持つ役割が違うだけで、どちらが欠けても成り立たない。

 民は主を支え、主は民を守る。きっとそれが、二者の本来あるべき姿。

 揺らいでいた心に芯が通りかけたその時、踵を返したロジーヌの背中が不意に薄れて見えた。

「!?」

 かけようとした声はとっさに言葉として固まらず、彼女の姿は扉の向こうへと消えていく。

 言い表しようのない嫌な予感を覚えて、ユーシスは町に向き直った。

 視界に映る多くの人々。彼らこそが守るべき人々。守るべきものを守るには、やはり力がいる。

 魔導剣はまもなく完成する。自分が手にする新たな力。

「その力があれば――」

 守れるのだろうか、ここに生きる人々を。

 

 

 ――続く――

 

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。

今回は繋ぎ回としての寄航日ストーリーでした。
いつもは話末に持ってくるサイドストーリーも、今話ではメインの括りの中に入れている形となります。ベッキー、ポーラ合流!

次回のタイトルは寄航日二日目《魔女の特急便》。サイドも含めてコミカル回ですね。

エマ「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」
ガイウス「その者、蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし……」
ミリアム「ほんとだもん! ほんとにトトロいたんだもん!」
アリサ「私が欲しいものは、あなたには絶対出せない」
ラウラ「生きろ、そなたは美しい」
フィー「蛍、なんですぐ死んでしまうの」
リィン「一度あったことは忘れないものさ……思い出せないだけで」
エリオット「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」
ユーシス「バルス!」
マキアス「(メガネ)が、(メガネ)が~!」

ジブリの台詞は本当にいいですね。引き続きお付き合い頂ければ幸いです。

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