「どうして私は作戦に参加できないの!?」
突入班の双竜橋降下と時を同じくして、艦内の訓練室ではアリサがシャロンに詰め寄っていた。
「それは申し上げました通り――」
「新型機甲兵の操縦技能を覚えるためでしょ。それは聞いたわ。そうじゃなくて、どうしてそれを今もやらないといけないのよ!」
フィオナさんを助ける為に皆が一丸となっているこの時に。
ユーシスも作戦に加わっていないのだが、その事情はわかる。彼は武器開発に自分の騎士剣、そして《ARCUS》さえも提供している。これでは戦闘に参加できない。
だけど私は違う。たとえ機甲兵が動かなくとも、私には弓がある。サポートにつくことは十分可能なのに。
どうして私だけ。
「今からでも降りるわ。だいたいシャロンも作戦に入れば、それだけで戦力は厚くなるじゃない」
ここにいるだけで、単純にマイナス二人だ。
どこまでも納得しないその視線を受け止めて、しかしシャロンはそれでも首を縦には振らなかった。
「お嬢様。新型の装備はいくつあるかお聞きになりましたね?」
「五つでしょ」
「それらの詳細は?」
「“レヴィル”以外は大まかにしか知らないわ。武装の構想と設計図はお祖父様の頭の中にあるみたいだし」
もちろん詳しく訊きたかったのだが、休む間も惜しんで開発に全力を尽くすグエンの手を止めることには躊躇した。
だから基本スペックを頭と体に叩き込むことを、アリサは第一に考えてきたのである。元々のセンスもあってそれは順調だった。
「通常の機体操作であれば問題ないでしょう。ですが装備の取り扱いとなると、おそらくアリサお嬢様であっても一筋縄ではいかないものばかりです」
「なんでそういうのを私より先に把握してるのよ、ほんとに……」
「理由はいくつかありますが、単に私が先に知っておくべきことだったからですわ」
「……?」
操縦士の私よりも先に知っておく理由とはなんなのか。言いかけた先を制して、シャロンは続けた。
「五つの装備とは、近接用の“レヴィル”、中遠距離用の“オーディンズサン”、特殊移動用の“ヴァルキリー”。そして戦闘の要となる“A”と“B”です」
「A……B?」
概要はよく分からなくとも、装備の名前くらいはアリサも知っていた。しかしアルファベット一文字で表されたそれは、聞いてさえいない。
「装備名称の頭文字を取って便宜上そう呼んでいるだけですわ。開発はこの武装にもっとも時間をかけています。扱いの難度も“レヴィル”とは比べ物になりません。それだけに自在に使えるようになれば、対機甲兵戦闘では無敵を誇るでしょう」
「話は理解したわ。でも質問の答えにはなってない。その装備の扱いを覚えるのは今じゃないといけないの? エリオットの大切なお姉さんの救出を差し置いてまで」
責めるような目でシャロンを見る。彼女はつかのま黙った後、静かに口を開いた。
「この作戦が終わり次第、
「母様の……」
予想外の、けれど頭のどこかにはずっとあった言葉に不意を突かれ、アリサの喉はぐっと詰まる。
「あの方のこと、切迫するほどの危機にはなっていないと思いますが、それでも自由に動ける状態にはないでしょう。極力早く所在を見つけだし、おそばに控えるように致します。万が一の有事に備えて」
最後の一語に、喉だけでなく胸も詰まった。
ラインフォルト社の現会長。悪意を持って考えれば、その利用価値はいくらでも出てくる。
「お嬢様の専属指導をできる時間は、もう私にも残されていません。作戦に加われないお気持ちは重々承知の上ですが、どうか」
深く頭を下げるシャロン。
今日のフィオナのようなことが、明日のイリーナに起こらない保証はどこにもない。
そしてそれが起こってしまった時、自分に半端な力しかなければ、私はその無力をひどく後悔するだろう。自責の念に潰されるくらいに。
シャロンはそれだけはさせまいとしているのだ。
理解して、憤懣が引く。
「ごめんなさい、シャロン。少しわがままを言ったわ」
「いいえ、意見を押し通したのは私の方です。では……」
「ええ、教えてちょうだい。必ず覚えてみせるから」
今には全てを懸けねばならないが、さりとて今が全てではない。
この瞬間は信じる仲間に託し、自分は先の脅威に備えなければ――
《――彩る錬――》
ドラッケンの喉元をわしづかみ、力いっぱいに地面に組み伏せるヴァリマール。増援として東ゲートにやってきていた最後の敵機が動かなくなった。
倒した機甲兵は十機あまり。まだ増援が控えているかは分からないが、今のところその気配はない。
『霊力の強制回復に入る。しばらく頼めるか?』
片膝をつくヴァリマールからリィンの声がした。
騎神が停止するタイミングを計っていたのか、代わりに歩兵部隊が基地内から現れる。猟兵、領邦軍合わせてかなりの人数だ。
「任せてくれ」
ラウラは剣を引き抜きながら、ヴァリマールの前へと進み出る。
「フィーは敵隊列のかき乱しを、ガイウスは私とで数減らしをする。ミリアムはヴァリマールの近くに待機して、不意の攻撃があれば騎神リンクのオートガードを発生させてくれ」
「了解。ま、数減らしもするけどね」
「なるべくこちらに引きつけよう。突入班が動きやすくなる」
「ボクはヴァリマールの防衛かー」
各々の武器を手に、迎え撃つ準備をする。人数はこちらの三から四倍と言ったところか。
普通なら策を巡らしたり、地形を活用したりして、正面からのかち合いは避けるような戦力差だったが、
「では、いくぞ!」
ラウラは迷いなく号令を発した。
弾かれたように先陣を切るフィー。
双銃剣を両手に携え、姿勢を低くして特攻。敵のど真ん中に躍り出る。
「なんだ!?」
「馬鹿が、一人で突っ込んでくるとはな」
「構うな、やれ!」
雑言が飛び交う中、フィーはすっと目を閉じた。
集中。研ぎ澄まされていく神経。ラカンとの訓練の後も、ひたすら感覚を磨き続けた。
一人が発砲。
大丈夫、これは当たらない。弾は避けようともしないフィーの足元に着弾する。
「わかるよ、なんとなく」
「こいつ……!?」
物体が動けば、必ず空気も動く。それは微細な風となり、大気密度の変化を伝える。
それだけではない。小さな衣擦れの音、筋肉の強張り、攻撃的な気の発露。全てがサインとなり、その後の行動をフィーに予見させる。
「撃っ」
「撃たせない」
動く前から、彼らの動きは読めている。
反応のスタートラインが違うのだ。彼女から先手を奪うことなど、誰にもできはしない。
銃口を持ち上げた、否、持ち上げようとした敵の小銃から順に即座に撃ち抜いていく。戸惑う暇も与えない。視界の外にいようがいまいが関係ない。
全身で空気の流れを読み取り、隙を見せた相手を察知し、敵の反応をはるかに上回る速度で接近し、応戦さえ許さずに仕留める。
この力でいつかゼノとレオニダスにも追いついてみせる。かつての家族に。
そう、家族――
「家族を人質にする、か。ちょっと許せないね」
銀色の髪と刃が風を切り、ほとんどが引き金を引くこともできずに崩れ落ちた。
銃声、怒号、震える地面。
フィーとの会戦を避けた貴族兵たちが迫ってきた。
「ガイウス!」
「ああ、正面は俺が引き受ける」
振るうは二本槍。薙ぎ払いの二槍が旋風と化して猛威を振るう。考えなしに間合いに踏み入った兵士たちは、次の瞬間、まとめて宙を舞っていた。
「クララ部長の技術は対人では使えないからな。今日はこっちでやらせてもらう」
持ち手の位置を変えることによる変幻自在の攻撃範囲。そこから繰り出される途切れない連撃。
穂先、柄が巧みに回転し、ガイウスは近付く者を容赦なく打ち据えていく。
しかしそれで怯みを見せたのは、やはり領邦軍だけだった。先方を務めた者を囮にして、猟兵はしたたかに間合いを詰めてきていた。
「こちらは私が相手をしよう」
澄んだ青光を放つ大剣を構え、ラウラは複数の猟兵と対峙する。
猟兵たちの武器は短刀、片手剣、銃と、バリエーションに富んでいる。距離にはもちろん注意を払わなければならないが、じりじりと包囲を狭めてくる彼らを前にしても、ラウラの平常心は一切揺らがなかった。
経験もあり、実戦にも長けた強者たちには違いない。しかし圧を感じない。錬度から来るものではなく、心の内から発するような無二の圧を。
たとえば、父から受けたようなあの圧を。
「蒼耀剣……使わせてもらうぞ、カスパル」
後の先は性に合わない。攻めたのはラウラからだった。
敏速な踏み込みで前に出て、鋭い一撃を見舞う。虚空に刻まれた美しい蒼閃が、一人目の剣を切り飛ばした。
イメージより早く体が動く。もちろん剣が軽くなったことに起因するものだが、それは言うほど単純な話ではない。
剣は長すぎても短すぎても、重すぎても軽すぎてもいけない。自分の動作の枷にならず、実力をいかんなく発揮できるものでなくてはいけない。
すなわち体躯に合った“適正な重量”そして“適正な刀身”。
この蒼耀剣はそれら二つの条件を、ラウラに対して完璧に合致させている。その結果、剣捌きと体捌きの鋭敏さが向上した――というより、本来彼女が持ち合わせていた力を引き出せるようになったのだ。
「次!」
真向から二人目を倒す。猟兵など、まるで相手にならなかった。
「調子に乗るなよ、貴様!」
勢いづくラウラを止めようと、残った猟兵が周りを取り囲んでくる。リンクで繋がっていたガイウスが状況に気付き、援護に戻って来ようとした。
大丈夫だ。彼を目で制すると、ラウラは剣先を地面に突き立てた。
「あまり得意な技でもないし、今まではあえて使ってこなかったのだが……この蒼耀剣は気の伝移性にも優れているらしくてな。ようやく実用レベルで扱えるようになった」
「何の話だ?」
「こういうことだ」
切先から生まれた光が地を走り、敵の足元へと伸びる。そこから突き上がるは闘気によって生成された実体無き大剣。
アルゼイド流《熾洸剣》。逃げる術はなく、猟兵たちは立ち昇る幻影の刃によって吹き散らされた。
「……良い剣だ」
手の内に馴染み、体の延長として扱える。まるで初めから私の為に作られたかのような錯覚さえ感じるほどだ。この剣となら、さらなる高みも目指すことができよう。
その時、ズンと重い衝撃が地面を揺らす。これは機甲兵の足音だ。まだ増援が控えていたのか。
ラウラはゲート口に目を向ける。そこに現れた機甲兵は一機だけだった。
「アルバレア城館にもいた新型か……!」
『ずいぶんと派手にやってくれるじゃねえか。だがこの《ヘクトル》を突破できるとは思うなよ』
この声は帝国解放戦線のヴァルカンだ。まさか彼も双竜橋に来ていたとは。
張り出た厚い装甲を前面に、重装型機甲兵が威圧感を醸しだす。両肩のキャノン砲がラウラたちに向けられた。
『降伏勧告はいらねえよな?』
「無論」
『いい度胸――だっ!?』
発射の寸前、射線の間に割って入ったヴァリマールがヘクトルの顎を殴り上げた。仰け反った上半身から、空に向かって一対の砲弾が放たれる。
轟音の中でラウラは叫んだ。
「攻守交代! 歩兵を警戒しつつ、全員リィンのサポートに回れ!」
騎神を主軸としたオフェンスとディフェンスの切り替え。これがⅦ組メンバーで行う基本戦術だ。リィン一人だけを矢面に立たせるつもりなど最初から毛頭ない。
ヘクトルと激しく打ち合うヴァリマールの後ろ姿を見上げ、それぞれが《ARCUS》を手にした。
●
西ゲート目がけて突進する装甲車。そのルーフ部にしがみ付き、エリオットは振り落とされないように歯を食いしばった。
両隣にはトヴァルとサラが同様の姿勢で屈んでいる。これだけのスピードでジグザグ走行をしているというのに、二人ともまったくバランスを崩さないのはさすがと言うべきか。
「エリオット、魔導杖落っことすなよ!」
「は、はいい!」
トヴァルの声かけに返事をするのが精一杯だった。ゲート入口まではあと150アージュ程度。
歩兵たちの銃撃が始まった。殺到する弾丸が車体のそこかしこに火花を散らす。装甲車というだけあって防弾性能には優れているようだったが、それはあくまでも車体の話だ。
外に身をさらしている自分たちに当たれば、ただでは済まない。
「もっと速度を上げなさい! アクセル、アクセル、アクセール!」
サラが運転席側のサイドウインドウをがんがん叩く。中からマキアスの余裕のない声が返ってきた。
「無茶言わないで下さい! これでも必死でやってるんです!」
「前! 前見て下さい、マキアスさん!」
助手席のエマが悲鳴をあげた。進路上、ゲート前に停まっている敵装甲車のルーフが展開し、機銃がせり上がってくる。
ガトリング式の銃口が回転し、激しいマズルフラッシュが瞬いた。
歩兵の持つ小銃とは比べ物にならない威力のそれが絶え間なく撃ち込まれ、フロントバンパーが穴だらけにされる。
容赦なく削られた前面装甲の破片が飛び散る中、トヴァルは叫んだ。
「こっちも応戦しろ! 機銃を出せ!」
「屋根が開くんでしょう!? トヴァルさんたちも危ないですよ!」
「かまうな! 運転席まで弾が到達したら、お前さんのメガネは蜂の巣だぞ!」
「な、なんで眼鏡限定? くそっ、機銃の起動スイッチはどれなんだ……!」
ゲートまであと50。接近するにつれて敵の銃撃はさらに苛烈になる。もう装甲がもたない。
「マキアスさん! ハンドル左横のレバーを!」
「エ、エマ君わかるのか?」
「勘です、魔女の!」
「……信じる! 上の三人、注意して下さいよ!」
Ⅶ組きっての秀才タッグが、どうやら当たりをつけたらしい。
「いっけえええ!」
マキアスの気合いと共に、フロントガラスのワイパーが作動した。カッチョン、カッチョンと間の抜けた音が往復する。
「どうした、マキアス。機銃は?」
「……視界が綺麗になりました」
「お前ーッ!!」
「い、今のはエマ君が!」
「ごめんなさいー!」
ブレーキを踏む時間もなく、フルスピードで突貫。相手の装甲車と激突。耐荷限界を越えたガラスが粉々に砕け、めきめきと金属がひん曲がる音が鼓膜を不快に引っかく。
ルーフから投げ出されるエリオット。縦に横に目まぐるしく回転する視界の中に、炎を噴きながら横転する装甲車が見えた。ついでにへし折れたワイパーもだ。
だめだ。地面に叩きつけられる。そう思った直後、腹に鈍い衝撃が走る。
「無事か!?」
「うえぇ、え?」
上下が正常な景色に戻った時、いつの間にかエリオットは着地していた。宙でトヴァルが抱えてくれたらしい。一拍遅れてサラも横に着地する。
背後では二つの装甲車が炎上――今、爆発した。
マキアスとエマがまだ車内に残っているのに。
「そ、そんな……!?」
「なんとか生きてるぞ。ちょっと焦げたが」
「転移術覚えておいて本当に良かった……」
マキアスたちはエリオットの真後ろに立っていた。ぎりぎりで脱出できていたようだ。
どうにか西ゲート内に到達。
ここは中央区画と呼ばれていて、東ゲートとは一本道で繋がっている。物資搬入などにも利用する空間なので、天井も高い上に相当の幅広さがあった。
ひとまずは全員が五体満足だが、一息つけるような状況でもない。
派手過ぎる登場をやらかした侵入者たちに、殺気立った大勢の歩兵が押し寄せてくる。
その群れの向こうに、自分と同じ橙色の髪が揺れたのをエリオットは見た。
「姉さん!」
指揮官らしい男に拘束された腕を引かれ、フィオナが中央区画から基地内部へと通じる扉に連れられている。
声に気付いた目がこちらに向けられた。途端に見開かれる瞳。彼女はエリオットの名を呼び返そうとしたが、その姿が扉の奥に消える方が早かった。
「追うぞ、遅れんなよ!」
トヴァルとサラを先頭に一同駆け出す。進路を阻む貴族兵。銃撃と剣戟の応酬が、正面の敵群を突破した。
司令官とフィオナが入った扉までたどり着く。しかしドアが開かない。内側からロックされている。
「どいて下さい!」
マキアスはショットガンの筒先を扉に押し当て、三度発砲。散弾が施錠部位を破壊した。弾痕が作った破孔に手を突っ込み、トヴァルと二人掛かりで無理やり左右に引き開く。
サラが言った。
「あんた達は先に行きなさい。後ろから追ってこられても厄介でしょうから、あたしが残りの敵をここで食い止める。あと頼むわ、トヴァル」
「一人でやる気か? かなりの人数だぞ」
「時間稼ぎが目的だし、なんとかなるわよ。それに一人の方がいい」
「……わかった。無理はするな」
何かしらを察した様子のトヴァルに急かされて、エリオットたちは基地内部へと踏み入った。
扉を背にして、サラは振り返る。
実際に立ち合ってみて、貴族兵はさほどの脅威ではないと感じた。
連携の錬度は低く、動きも読みやすい。確かに人数の多さは厄介ではあるが、ここまでに戦闘不能にした人数も少なくないし、ケガをしたくない奴は自ら後ろに下がっていたりもする。自分を標的にされるのが嫌で、後衛からの銃撃援護をしない者もいた。
論外だ。そいつらはいい。問題は――
「クロイツェン州と契約した猟兵団。最初に話を聞いた時から気にはなっていたのよ。アルバレア家が直々に声をかけるほどの団ってどこだろうって」
猟兵がサラを取り囲む。足運び一つをとっても相当の手練れだとわかる。ゲート側を守っている者たちより、中央配備の彼らの方が数段上なのは当然か。
耳からうなじまでを守るバイザーメットをかぶり、着用する青みがかった装具は体の動作の邪魔をせず、機能性と防御性を合わせ持つ。
知っている。六年前まで、私もその姿だったから。
「《北の猟兵》。帝国の内戦にも関わっていたなんてね。仕事を選ばず、報酬を第一に考える団だから、らしいっちゃらしいけど」
「貴様……?」
訝しげに一人の猟兵が口を開いた。部下に制止を命じる振る舞いからして、部隊を取りまとめる隊長格のようだ。
「まさかサラ・バレスタインか?」
「そ。お久しぶり、と言っていいのかしら」
「こんなところで出くわすとはな」
古株なら自分の顔を知っていても不思議はない。ノーザンブリア出身で固められた団員構成だから、顔なじみもいるだろうとは思っていた。
「風の便り程度だが、遊撃士になったと聞いている」
「二年くらい前まではね。今は士官学院の教官よ」
「主義もなく転々とする人生か。故郷を捨てたお前に似合いだな」
「なんとでも。とりあえず訂正が二つ。故郷を捨てたつもりはないし、主義もある」
《塩の杭》事変に端を発し、ノーザンブリア大公国は壊滅。サラが生まれたのはその直後。自治州となり、国内が混乱に満ちていた時代だった。
他国の援助もあってどうにか現状を維持しているノーザンブリアだが、いまだに貧困と飢餓はある。《北の猟兵》が稼ぎを送金し続けなければ、やがて自治州としての体裁も保てなくなるだろう。
だから彼らの自分に向ける感情は理解できる。故郷を捨てたと思われても仕方がない。
「弁解も釈明もしないわ。でも団を抜けたことに後悔もしない。それで出会えた人もいるし、教え子たちもできたもの」
「自分さえ良ければいいと言うのか。勝手なことを!」
「人生の道を強制されるのが性に合わなかっただけよ。私と違って故郷の為に戦い続けるあんた達は本当に立派だと思う。嫌味じゃなくてね。ただ……一番大切なものが今はお互いに違う」
この立ち位置がそれをそのまま表している。
「自分さえ良ければいい。その台詞はそのまま返すわ。報酬の為に、故郷を救う為に、そんな大義の下であんた達は平然とユミルを襲った」
そのせいでリィンの父親は重傷を負った。そして今は、エリオットの姉を危機にさらしている。
持ち上がった銃口の全てがサラに向けられた。
「どけ」
「どかない」
大切な教え子たちが大事に想う人を、自分の古巣の事情で奪わせるなんて絶対にさせない。
「当たり前のようにユミルの郷に火を放とうとしたあんた達は、いずれきっと取り返しのつかないことをする。多くの人を悲しませることをする。だからここで止める」
「なんだそれは? どこにそんな根拠がある」
「あたしの勘ってね。当たって欲しい時には外れて、外れて欲しい時には当たんのよ。根拠なんて、それで十分」
男が舌打ちする。
「話にならんな」
「それもこっちの台詞。なんにせよ、ここは通さない」
左手の銃、右手のブレードが雷光を宿した。
もう猟兵ではない。遊撃士でもない。彼らを導く担当教官として。
「改めて《紫電》のバレスタインよ。突破できるもんならやってみなさい!」
●
中央区画のシンプルさに比べると、双竜橋の内部は入り組んだ構造をしていた。
飾り気のない灰色の通路を何度も曲がり、階段を駆け上り、また走る。
至るところに物資の入っているらしいコンテナが放置されているのは、乗っ取った拠点故、そこまで整理や荷分けをする必要がないからか。
ごく少数の領邦軍は残っているようだったが、ほとんどが外での戦闘に出払っていて、敵兵との遭遇は避けつつ進むことができた。
しらみ潰しに全設備を回るわけにもいかなかったが、あらかじめ目星は付けている。セキュリティにも優れていて、侵入者が一番到達しにくい場所。
「多分ここだな。……部屋の中に誰かいる」
最上層、四階。指令室前で一同は足を止める。扉に耳を当てるトヴァルにエリオットがたずねた。
「トヴァルさんも気配みたいなのわかるんですか?」
「いや、リィンとかガイウスみたいには感じられん。息遣いとか足音でな」
「十分すごいと思いますけど……」
「若い頃の杵柄って言っていいのかね。アウトローな生活やってると、嫌でも耳と鼻が良くなるもんなんだよ」
物理的な感覚だけの話ではなく、直感の話でもあるようだ。彼の過去について、エリオットはあまり詳しく聞いたことがなかった。
「さっそく突入と行きたいところだが、またロックされてる。マキアス、頼んだ」
「了解です」
機械仕掛けの導力錠だったが、施錠結合部を破壊してしまえば大した障害ではない。
両開き式ドアの上部、下部、最後に中央に向けて、マキアスはショットガンを発砲した。
あとはロック機能を失った扉を、レールに沿って手動で開く。先程とまったく同じ手順だ。
指令室に入ると、やはりそこには司令官らしき男と、彼に腕をつかまれたフィオナの姿があった。
「姉さん! ケガはない!?」
「ほ、本当にエリオットなのね……? ええ、私は大丈夫よ」
存外落ち着いた様子のフィオナとは反対に、司令官は狼狽をあらわにしていた。
「くそ、貴様ら一体何のつもりだ!? アルフィン皇女はパンタグリュエルにいるはずだろう! そうか、わかったぞ。皇女の偽物をこしらえて、紅い翼と正規軍が結託して共同戦線を張ったわけか……!」
「あー……そういう解釈か」
アルフィンが奪取された事実など、一拠点の司令官にあえて伝えるはずもない。
面倒そうにトヴァルは頭をかいた。
「間違ったイメージが広がっても厄介だしな。一応誤解を解いといてやる。まずこれは《カレイジャス》の独自行動で、正規軍の作戦とは一切関係がない。ついでにアルフィン殿下は本物だよ。声を聞いたことくらいあんだろうが」
「そ、そんな馬鹿な……」
「お前らが一般人を人質なんかにしなけりゃ、俺たちはここに来なかったさ。たとえ正規軍が劣勢だとしてもな。これは姉想いの弟が自分の手で姉ちゃんを助けに来たっていう、ただそれだけの話だ」
「でたらめを言うな! そんなことの為にここまでするものか!」
「そんなことの為に、ここまでできるのが紅き翼だ」
ようやく状況を理解したのか、男は絶句し、足元をふらつかせた。が、すぐに持ち直す。その表情には不敵な笑みが浮かんでいた。
「ふ、ふはは……だからなんだ。東ゲートの騎士人形は、あの鼻持ちならない査察官が仕留める。この女さえいれば状況はどのようにもできる」
査察官というのが誰のことなのかは、エリオットたちには分からなかった。
「おいおい、いい加減に――」
「黙れ! どのみちお前たちも生かしてはおかん。ここで果てるがいい」
男は隠し持っていた端末のスイッチを押した。指令室の壁面の一か所がスライドして開く。緊急脱出用の隠し通路からのそりと姿を現したのは、巨大な体躯を誇る軍用魔獣が一頭。
マキアスが身構えた。
「バリアハートの地下で襲ってきたやつか!」
「万が一に備え、待機させておいたガイザードーベンだ。さあ、不届き者を食いちぎれ!」
男の号令で、四足型魔獣が凶暴に吼える。こちらが怯んだ一瞬の隙に、司令官はフィオナを連れて逃げだしていた。
飛びかかってきたガイザードーベンの牙を避けながら、トヴァルはエリオットに言った。
「お前はマキアスと一緒にヤツを追え! ここは俺とエマが引き受ける」
『ふ、二人で!?』
エマとエリオットの驚声が重なる。トヴァルはエマに横目を向けた。
「なんだよ、俺とじゃ嫌か?」
「嫌じゃないですけど、貧乏くじを引いた感が……」
「嫌ってことじゃねえかよ! ワイパーの借りは返してもらうぞ!」
「うぅ……それを言われると辛いです。やっぱりエリゼちゃんの言う通りでした」
「ちょっと待て、エリゼお嬢さんから何を拭き込まれた?」
鋭利な爪が会話を割く。戦力分散の可否をじっくり話している時間はなさそうだった。マキアスがエリオットの手を引っ張る。
「行くぞ!」
「だ、だけど」
「あの司令官はフィオナさんが正規軍に対して有効だと、まだ思い違いをしている。このままだと何をしでかすかわからないぞ!」
彼女の危機は継続中だ。
そうだ、優先すべきは一つ。目的を腹に据え直し、「すみません、お願いします!」とエリオットは戸口に走った。
ガイザードーベンを引き付けながら、その背中に向かってトヴァルが叫ぶ。
「止まるなよ。自分を信じていけ!」
作戦前にも言われたその言葉を胸中に反芻し、エリオットは通路へと飛び出した。
その荒々しい性格とは真反対に、ヴァルカンの操縦は巧みなものだった。
ヘクトルの特徴を把握し、格闘と射撃を上手く使い分けている。彼はクーデター勃発前から機甲兵の操縦訓練を受けてきたのだろう。
研ぎ澄まされた技能。猟兵として培った戦の嗅覚。
今まで戦ってきたどの操縦士より強い。
「やるわね……! 性能は騎神の方が上なのに」
「同型の機甲兵とはアルバレア城館で交戦してるが、完全に動きが別物だ」
厄介なのは各部に仕込まれた重火器の数々。近、中、遠、どの距離でもカバーしてくる。
逃げ回っていては消耗するだけだ。至近距離ならば爆弾系の武器は使えまい。
ダメージは承知で、リィンは近接間合いに入った。
「四肢の一本でも落とせば!」
『殴り合いが希望か? いいぜ、乗ってやる』
太い声が外部マイクから発し、重厚な巨体が応戦の姿勢を見せる。
縦一閃のヴァリマールの斬撃を半身になってかわすと、ヘクトルは勢いのある拳を繰り出してきた。
これは押さえられる。そう判断したリィンは、左手で打撃を受け止めた。
手の平に衝撃が爆ぜる。予想を遥かに超える威力に、ヴァリマールはたたらを踏んだ。真っ向から押し負けたのは、機甲兵相手では初めてのことだった。
「こ、このパワーは……!?」
『騎神なら押し切れるとでも思ってたか? 甘えぜ!』
ヘクトルの右拳が光をまとっていた。おそらくオーバルエンジンの出力を意図的に誘導し、手へと集中させているのだ。
そんなことができるのか。いや、多分正規の仕様ではない。ヴァリマールの力と並ぶために、ヴァルカンが即興で編み出したのだろう。
『力でねじ伏せられねえ相手は、工夫でその差を埋めるもんだ。死線の一つ二つ越えたぐらいで一人前にでもなったつもりか、小僧!』
「どの立場から説教をするつもりだ!」
すぐに体勢を戻す。一足一刀の間合い。力強く踏み込んで、横薙ぎを振るう。
青い光壁がヘクトルの前面に出現した。リアクティブアーマーだ。まずい、このタイミングで使われるとは。
引かねばという頭はあったが、体はもう止められる状態になかった。《ブレイブ》とのリンクも間に合わない。
エネルギー壁に接触した刃が弾かれ、反動を直に受けた手からブレードが離れてしまう。
「しまっ――がっ!!」
大きく開かされた上体に、ローラー機動で加速した当身を食らう。さらに追撃の膝蹴り。腹部装甲の一部が砕けて、剥落する。
ヘクトルの肩部のツインキャノン、腕部の榴弾砲、脚部の八連装ミサイルポッド。その全ての砲門が一斉にヴァリマールへと向けられた。
こんな距離で撃つのか? 自機だって爆発の影響を受けるのに。
いや、ヴァルカンは撃つ。唐突に湧いた根拠のない確信が、背に冷たいものを滲ませた。
『くぐった修羅場の数が違うんだよ! ぶっ飛べ!』
『リィン! リンクするよっ!』
ミリアムの声。《イージス》の能力でガードをするつもりだ。凌ぐにはそれしかなかったが、
「ダメだ、まだ使うな!」
とっさにそう叫んでいた。
ヘクトルが全弾発射。爆発に次ぐ爆発。強烈な衝撃。巻き起こる紅蓮が視界を埋め尽くした。方向が分からなくなるほど機体を翻弄され、核内が激震する。どっち向きでもいい。とにかくブーストを。
押し拡がる爆炎と黒煙の中から、ヴァリマールが高速で抜け出した。
直撃の寸前で《イージス》をキャンセルして、フィーの《レイヴン》とリンクしたのだ。とはいえ、いかに速度を上げようとも被弾を避けきれるものではない。
ヴァリマールの損傷は大きかった。
『往生際の悪さは大したもんだ。……ま、それでこそだが』
呆れとも感嘆とも取れる声音でヴァルカンが言う。
例によってひっくり返っているセリーヌが恨みがましい目を向けてきた。
「どうすんのよ、リィン!? こんな状況じゃ強制回復もできないわ!」
先の強制回復では全快にならなかった。その前にヘクトルが現れたから、中断せざるを得なかったのだ。再び霊力が減少しつつある。
ヴァルカンの言うことは正しい。
危機と呼べるものは今まで何度も切り抜けてきたが、それでも彼には及ばないのだろう。
自分たちには経験が絶対的に少ない。それは場面場面における選択肢と応用力の幅に影響してくる。
……そんなことは百も承知だ。
「俺だけじゃどうやったって敵わない相手はいる。あんたはその一人だろう」
『ああ? 急に物わかりがよくなったふりか? だったら潔く――』
「でも俺は一人じゃない」
ヴァルカンは強い。個々の騎神リンクを使っても攻めあぐねるほど。
言葉の意味することを察したセリーヌがリィンを見上げた。
「アンタまさか……」
「ああ」
一人では限られる幅を拡げ、一人では埋められない差を埋める。
それが選択肢と応用力と言うのなら、まだ手はある。
「あれを試してみる」
リィンは《ARCUS》に手の平を添える。繋がり、連なっていく力の先。カバーに刻印された有角の獅子紋が熱を帯びていた。
――続く――