虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第50話 パワーエクステンション

 しけった草を踏みながら、でこぼこした土の上を歩く。吹き抜けていく風は、見えない何かが哭いているようにも聞こえた。

 たいていの人は薄気味悪いと、そんな感想を抱くのだろうが、兼ねてよりガイウスはこの石切り場を気に入っていた。人の介在する余地のない、この完璧な静けさがいいのだ。

 遺跡の中から出てきたばかりの彼の腕には、ズンと重たい石の塊がある。

 上位三属性の影響のせいで、魔獣だけでなく魔物も湧いている遺跡内から、これを運んで来ることはさすがに大変な作業だった。

 閑散とした、どこか物悲しい光景。

 積み重なった巨大な石が囲む日陰のスペースに彼女はいた。

「クララ部長。お望みのものを調達してきました」

 簡易シートの上に腰を下ろすクララはガイウスに見向きもせず「そこに置け」とだけ、ぞんざいに言った。

 わざわざ骨を折ってきた後輩に、ねぎらいの言葉一つもない。

 しかしこれはいつもの事。機嫌が悪いわけでもなく、むしろ今日は良い方だ。同じ部活で付き合いも長いから、そのくらいのことはガイウスにも分かっていた。

 この浮世から隔絶された場所は、絵画や彫刻を問わず、創作活動に打ち込む人間にとっては最高の環境である。

「それで部長、先ほどの頼み――石を穿つ術についてなのですが」

 そう切り出してみる。

 頼みとは他でもない。ラカンから彼女に教われと言われた“貫く技術”についてだ。確か“石の目の見切り”とも言っていた。

 クララは答えない。無言で眼前の石塊にノミを突き立てている。コツコツと石の削れる音だけが響く。

 気難しい人なのは承知している。作品制作中ともなればなおさらだ。彼女の興味を何とかして自分に向けなくては。

 幸いと言うべきか、ガイウスはその方法を知っていた。

 おもむろに上衣のボタンに指をかける。

「ふふ、クララ部長。これならどうですか」

 ばさあっと気前よく服を脱ぎ捨てる。鍛えられたノルドボディが陽光に黒光りした。

 クララはよく他人の肉体をモデルにする。ガイウスやリンデを始め、美術部員の面々は何度彼女に衣服をはぎ取られたか分からない。

 毎日誰かが半裸にされて、しくしくとすすり泣く声が絶えない。それがトールズ士官学院の美術部なのだ。

「さあ、存分にご覧になるといいでしょう。はぁっ!」

 腹筋に力を入れ、さらに体全体を引き締める。たくましい筋肉のラインが首や腕に浮き上がった。

 至極真面目にポーズを決めるガイウスを一瞥したクララは、一言こう告げた。

「黙れ」

「………」

 マッスルポーズのまま固まったガイウスは継ぐ言葉を持たなかった。刺すような冷風が容赦なく半裸の身をなぶっていく。

 不意にクララの腕が止まった。

「私は指導というものを好まない。自分の感性など人に教えるものではないし、また教えられるものでもないからだ」

 センス、インスピレーション。その人だけが持つ、その人だけの“色”。

「お前は私にようになりたいのか?」

「俺は……」

 この問いは重要だ。多分、これの返答で全てが決まる。

 かと言って思ってもいないことや、取り繕った言葉を返したとて、彼女はそれを看破する。人に興味がないように見えて、その実もっとも人の本質を知っている。そうでなければ、人を模し、そこに魂の宿る彫像など作れるはずもない。

 ガイウスは偽らず、そのままを口にした。

「クララ部長みたいになろうとは思わないし、なれるとも思いません。今の自分の実力を高める為、あなたの持つ技術を身に付けにきました」

「ふん、技術だけか」

「はい」

 想いも主張も個人のもの。ただ一つの技術がそれらによって色を変え、味を変えるからこそ芸術は奥が深い。

 芸術だけに限らず、たとえば槍術とて同じこと。でなければウォレス准将との手合せで見出したものが、意味を失う。

 教えは乞うが、自分の色を塗り替えたり、消すつもりは元よりないのだ。

 自分の、自分だけの、守る為の槍を貫く為に。

「……まあいいだろう」

 あえて言葉には出さなかったが、クララの何かを動かしたようだった。

「気分転換は私にも必要だ。そろそろ場所も変え時かもしれん」

「ありがとうございます。場所というならカレイジャスはどうですか。これから各地に散った学院生たちを迎え入れに行くことになっています」

「紅き翼か。足はあった方が何かと便利ではある。作業環境は整えられるんだろうな?」

 学院奪還というよりは、あくまでも制作優先のようだ。美術室に置きっぱなしの作品も気になるという。

 彼女らしいと納得するガイウスに、クララは重ねた。

「それと灰色の騎士人形。お前の話ではあれも艦内に保有しているのだったな?」

「はい、普段は船倉に待機しています」

 なぜずっとここにいた彼女が騎神のことを知ってるのか。疑問に思ったが、枕代わりにしているであろう本の束の中に、帝国時報が混じっているのを見つけた。おそらく情報源はこれだ。

 ガイウスは詳細を深く訊いていなかったが、クララはラカンと決闘して勝利を収めている。その際、勝者からの一方的な取り決めで、ラカンは彼女が望む生活用品を無償で提供することになっていた。

「紅き翼には乗ってやる。お前に技術も仕込んでやる。その代わりに、私を騎士人形の専属整備士にしろ」

「ヴァリマールの?」

 乗ってやるときたものだが、それはさておいて。騎神のメンテナンスなどできるのだろうか。

「興味が湧いた。いじり回してみたい」

 メンテをする気はないらしい。知的欲求を満たすのが目的だ。

「それは一応リィンの承諾を取ってからでなければ……」

「お前が後で説得すればいい。これは決定事項だ」

 頼みではなく命令だった。迷いはしたものの、ガイウスは首を縦に振る。

 もしかしたら今度はヴァリマールの装甲が脱がされるのかもしれない。あとで謝っておこう。

「ではさっそく教えて頂けますか?」

「これを持て」

 渡されたのは槌とノミだった。クララは手近な石を拾うと、それをガイウスに投げ渡した。

「一発で割れ」

「……どうやって」

「知らん。とりあえず割れ」

 それ以上の指示はなく、ガイウスは呆然と立ち尽くす。クララはさっさと引き上げの準備に取りかかっていた。

 

 

《――パワーエクステンション――》

 

 

 お勉強場所は食堂である。

 ミリアムの前のテーブルには山積みの参考書、横にはトワ会長改めトワ先生が立っていた。

「マキアス君は5000ミラを持ってメガネを買いに出かけました。ミヒュトさんのお店にあるメガネは8500ミラです。あといくらお金を足せばメガネを買えるでしょうか?」

「どうせすぐ割れるのに買っても意味ないよーだ」

 トワの質問にミリアムはそんな答えを返す。おとなしく勉強する気はないアピールだ。

 反抗的な小さな生徒に対するは、負けじ劣らずの小さな先生である。

「そうだね。じゃあマキアス君はメガネを買うのをやめました」

「へ?」

「その帰り道。彼は二人組の不良にからまれてしまいました。不良たちは言います。『黙ってメガネを渡せば見逃してやろう』。しかしマキアス君は『眼鏡は僕の魂に等しい』と言って応じません」

「な、なに。この問題?」

「じりじりと悪漢に追い詰められ、絶体絶命のマキアス君。そこに偶然やってきたのはミリアムちゃんでした。さあ、どうする?」

「どうするって言われても……一応助けてあげるかな。ガーちゃん呼んでさ」

 トワは質問の形式を取りつつ、その物語を続けた。

「アガートラムを見た不良は二手に分かれる戦法を取りました。一人はミリアムちゃんを取り押さえようとして、もう一人はマキアス君のメガネを割ろうとします。相手を出来るのはどちらか片方だけ。さあ、どうする?」

 執拗なまでにメガネを狙う想定上の不良だった。

「ふっふーん! ガーちゃんを甘く見てもらったら困るね! ビームでまとめてやっちゃうよ!」

「しかし彼らは人体改造されたカスタマイズ不良だったのです。ビームは弾かれてしまいました」

「ず、ずるいよ。だったら直接攻撃するから! 両方の腕をびょーんと伸ばしてガーちゃんパーンチ!」

 そこで即興のストーリーは終わった。

「両方の腕を伸ばすって、できるの?」

「やったことないけど、ガーちゃんならできちゃうよ」

 その答えはトワが予想していたものだった。期待していたというべきか。

「うん。今のはテストみたいなものだけど、これで確信が持てたよ」

「なんのこと?」

「たとえばアガートラムにビームを撃って欲しい時、ミリアムちゃんはどうやって指示してるの?」

「ビーム撃ってって言うだけだけど。あ、思うだけでもやってくれるかな」

「だよね」

 通常兵器で熱線を発射しようとするなら、通常はエネルギー収束器や専用のジェネレータが必要になる。

 もちろんミリアムはその仕組みを理解していない。にも関わらず、彼女の指示でアガートラムはビームを放つ。

「アガートラムはミリアムちゃんの望みに応える形で、瞬時に外部形状と内部機構をオートで組み替えちゃうんだ。それがあのトランスを実現させる核なんだと思う」

「よくわかんないんだけど、つまりどういうこと?」

「ミリアムちゃん次第で、トランスの種類は大幅に増えるってこと」

 アガートラムを用いるミリアムの戦術は“殴る、撃つ、守る”の大きく三つ。

 基本の打撃にしても、その方法は極めてシンプルだ。直接アガートラムで殴るか、ハンマーに変形して叩くか。威力はあれど、単調であるのも否めない。

「さっきの想定の話だけど、ビームが効かなくて、同時に攻撃しないといけないシチュエーションになった時、“両腕を伸ばす”って選択をしたよね。他の人なら思いつきもしないよ。だって、そもそも出来ると思わないから」

「んー、そうかなあ?」

「それが今まで当たり前の感覚だったんだよね?」

 ミリアムが望むことを望むままに。主の希望をアガートラムは実現させる。物理法則を無視して、かつ柔軟に、迅速に。

「トランスのバリエーションはボク次第っていうけど、具体的にどうしたらいいの?」

「だからお勉強だよ」

 トワは机の上の参考書の一つを開いた。動物図鑑である。よく見れば他の資料も単なる教科書などではなかった。

 玩具のカタログ、絵本、パズルなどの小さな遊具、スケッチブックなど、ミリアムの興味を引くようなものばかりだ。

「わあ、面白そう!」

「えへへ、でしょ?」

 見ること。聞くこと。識ること。考えること。感じること。

 感性と知識こそがトランスの幅を拡げる。自分の外側に目を向け、それらがイメージとして固まった時、彼女は全てを可能にする。

「さあ、がんばろうね! 目指すは“反則のオールラウンダー”だよ!」

 

 

「――というわけで、造形はこのようにしたい。柄に刻印を入れて、刀身は光の加減で紋様が浮き立つような細工をして――」

『それは無理だ!』

 止まらないユーシスの要望に、トヴァルとジョルジュはそろって首を横に振る。「なぜですか?」と納得いかない様子の彼を、二人して説得にかかった。

「いやいや、ただでさえ難しいものを作るんだぜ。見栄えよりも機能面が先だろうが」

「そうさ。それに剣だけじゃなくて《ARCUS》だっていじるんだから、時間だって足りないし」

 魔導剣(オーバルソード)の構想はできている。それは当初ユーシスが希望した仕様とは少々異なるが、それでも極めて近いものになっていた。

 ユーシスの騎士剣をベースにして、繰り返される改造と調整。この短期間で形になりつつあるのは、一重にトヴァルとジョルジュの高い技術力と発想力あってのものである。

 この二人がいなければ魔導剣の実現は不可能だった。

「分かりました。しかし優れた物こそ造形美と機能美が両立しているものです。ですのでフォルムに関しても同時進行でお願いします」

 だというのに、この振りである。殊勝な態度は最初の頼みの時だけで、いざ作ると決まったら怒涛のノーブルオーダーだ。

「分かりましたって、何が分かったんだろう……」

「いい性格してるぜ。ったくよ」

 本人に聞こえないようにつぶやいて、トヴァルたちは肩を落とした。

 ここはゼンダー門西側区画に位置する整備、開発棟。その一角にスペースを借りて、二人は作業している。先ほどカレイジャスはレグラムに向かって発ったところだ。

 本来は彼らもカレイジャス内に残る予定だったのだが、その予定は完全に潰されていた。

 手元の置時計からアラームが鳴る。

「あ、やべ!」

「も、もうこんなに時間が経ってる」

 慌てて器具や部品を片付けると、トヴァルとジョルジュは駆け出した。

 ユーシスが訝しげに訊ねる。

「お二人ともどこへ?」

「掛け持ちなんだよ、俺らは! 特に俺はエリオットのコーチもするしな!」

「これから丸三日寝られないんだよね。はは、確実に痩せるよ……」

 次は新型機甲兵の開発である。

 技術的な開発に関われないユーシスは、ここからの時間が手持ち無沙汰になるわけだ。

「悪いな。話途中だったが、機能面優先ってことで」

「そうだね、そうしよう! やっぱり時間がない!」

「ない時間は作ればいいでしょう」

 無理やりにまとめようとしたが、さらりと流される。

「戻ってきたらスムーズに作業に入れるよう、俺は魔導剣のデザインを考えておきますので」

 スケッチブックを片手に、天然貴族は手近なパイプ椅子に腰かけた。

 

 

「――という感じで、操縦席のクッションは柔軟性に優れたものを用意したいんです。あと機体のカラーリングなんですけど――」

 新型機甲兵建造用の仮設スペースにトヴァルたちがたどり着くや、待っていたのは天井知らずのお嬢様オーダーだった。アリサもアリサで容赦がない。

 連立式オーバルエンジンを搭載した規格外の機甲兵。シュピーゲルを素体としながらも、まったくの別物だ。内部フレーム構造にも手を加えてある。

 完成度合でいうなら約80パーセント。基本形はほぼ出来ていて、あとは特殊武装の製作である。

 この機体に付与する、アリサが選んだ七耀属性の一つ。その特性を最大限に活かす為の武装を。

「こっちでもかよ……」

 げんなりとするトヴァル。ジョルジュなどはここまで走ってきただけで、ぜえぜえと肩で息をしていた。

 そんな二人はさておいて、アリサは設計図面を拡げているグエンに問う。

「ところでお祖父様。この機体を私が受け取るにあたってのことなんですが」

「言いたいことは分かっておるよ」

 どれだけ改修したところで、正規軍が押収した貴族連合の機甲兵をアリサが譲渡されるのは、“第三の風”を謳う艦がそれを保有するということである。

 正規軍からの力添えをそのまま迎え入れてしまえば、カレイジャスの意義そのものが崩れてしまうのだ。

 この機体は存在自体が危うい。

「こいつは正規軍のものではない。今現在、所有権はこのワシ、グエン・ラインフォルトにある」

「え?」

「じゃから、この機甲兵はワシのなんじゃ。それをアリサに渡す。この繋がりに正規軍は噛まん。ゼクス中将も了承しておる」

「いえいえお祖父様? そんな理屈は」

「屁理屈か? しかしこれは、まかり通るよ」

「と、通りますか?」

 仮に所有者がグエンだったとしても、改修場所に正規軍の基地を使い、資材と技術者の提供を受けている。詰められれば苦しいところである。

「はて、証拠はあるのかの。ワシが彼らの力を借りた証拠が」

 清濁併せのむ老練な物言いに、そばで作業していた汗だくの技術者たちが苦笑した。

「まず見た目ではシュピーゲルだと分からん。ふむ、仮にこの機体が奪われ、細部まで調査されたなら確かに足はつくじゃろう。軍用部品も一部に使っとるしな。だとしてもこれが組み伏せられ、鹵獲される事態にはならない」

 改めてグエンは機甲兵からアリサに視線を転じた。

「既出の機甲兵の全てを凌駕するハイエンドな性能に、それを扱いきる無二の操縦士。断言しよう。この機体はどんな相手にも勝利を収める」

「そんな……大げさですよ」

「ワシは本気じゃよ。アリサを乗せたまま、倒れることがあってはならん。絶対に」

 グエンは話を戻した。

「それで譲渡における問題じゃったな。まあリスクはあるが、危惧するほど厄介な事態にはならんじゃろう」

 実際そうだろう。受け取るのは受け取るつもりだからこそ、アリサはこうしてここで開発に立ち会っている。あれこれ口出しできるのは、専属操縦士の特権だ。

 グエンは笑った。

「そう難しく考えずともよかろう。今年のワシの誕生日に帽子を贈ってくれたな。気に入っておるよ。これはそのお返しと思っとくれ」

「また大きいお返しですね」

 そう言ってアリサも口元を緩める。

 帽子一つのお返しが機甲兵である。一体何万倍返しなのか。

 一歩間違えれば味方の立場をも悪くしてしまう。それでもこれは今の自分に必要な力だ。毒杯をあおる心地で、アリサは物言わぬ鋼の巨人を見上げた。

「わかりました。私にもできることはありますから協力させて下さい。次は――」

「アリサお嬢様」

 操縦桿の反応度合を確かめさせて欲しいと切り出しかけたところで、背後からシャロンに声をかけられた。

「お嬢様には他にやることがあります。どうぞ、(わたくし)と一緒に屋外へ」

「やることって何よ?」

「ワシがシャロンちゃんに頼んどいたんじゃ。操縦技術は天性のようじゃが、武装の扱いとなると話が違ってくる」

 グエンの言葉を継いでシャロンが説明した。

「剣も盾も持たないこの機体には特殊な武装が五つ追加されます。その一つの名は“レヴィル”。ありていに言えばコンバットナイフですね。もちろんただのナイフではありませんが」

「なんで私より先に武装の情報を把握しているのよ……つまりナイフ術の扱いに慣れろってこと?」

「ええ。フィー様の双銃剣では感覚が違うでしょうし、何より今はご自分の能力を高めておられる最中です。私が適任かと思いまして」

「そういうことなら宜しくお願いするわ」

 シャロンは楽しそうにスカートをひるがえす。

「うふふ、一時間後には服面積を三分の一にしてみせますわ」

「何をするつもりなのよ、何を!」

「でも残念ですわ。そんなお嬢様の艶姿をリィン様にお見せできないなんて」

「またそんなこと言って――ってリィンいないの?」

「はい。ラウラ様と一緒にレグラムに行くことになったと仰っていました」

 どうしてラウラと? 二人で? てっきりリィンもノルドに留まると思っていたのに。

「あら、気になりますか? 落ち着きませんか? どうしてですか? シャロンに教えてくださいませ」

「な、何でもないわよ! ナイフでしょ、ナイフやるんでしょ! 言っておくけどCQBの基本は士官学院でも習ってるからね! 容赦しないわ!」

「まあ、怖いこと」

 変わらずに微笑むシャロンの後を、苛立ち顕わにアリサが続く。

 

 

「っくしゅん!」

「風邪か?」

 鼻をすするリィンを、横からラウラが心配そうにのぞき込む。

 エベル街道を進み、レグラムの町まではもう間もなく。今日は霧も薄かった。

 さすがに街道沿いでカレイジャスは着陸できないので、離れた場所に降りて、そこから徒歩である。

「ハンカチを使うか?」

「大丈夫だ。ありがとう」

「寒いから冷えたのであろう。もしくは誰かがそなたの噂でもしていたのかもしれん」

「それはないだろ。俺よりラウラは大丈夫なのか?」

「レグラムの気候には慣れている。問題ない」

 リィンと肩を並べて歩くラウラは上機嫌のようだった。

 二人の後ろにはヴィクターが続いている。後方から魔獣を警戒するからと、この配置を彼自身が希望したのだ。

 傍目にも仲の良いリィンたちの背を見るヴィクターの目が険しいのは、果たして魔獣だけを警戒してのことなのか。

 不意にラウラが振り返る。

「我々が来ることは、町の皆はもう知っているのですね?」

「ああ、すでに伝えてある」

 瞬時に険を吹き消し、ヴィクターはそう答えた。

 このあとラウラは奥義を伝授される。使用する場所はローエングリン城だという。

 しかしリィンはそこまで同行しないことになっていた。同行しないのに、名指しで連れて来られたのだ。

 道中、二人してその理由を訊ねてみたのだが、ヴィクターからの説明はなく「行けばわかる」の一点張りだった。

 町の入口が見えてきた。ユミルとは違う石造りの重厚なアーチ門。そこをくぐれば風光明媚なレグラムの風景が広がっている。

「ん?」

 ラウラが眉をひそめた。

 門に垂れ幕がかかっているのだ。そこにはきらびやかな文字で大きくこう書かれてあった。

 “子爵閣下、ラウラお嬢様、お帰りなさいませ”と。

「ははは、さすがに愛されているな」

「いや、リィン。そなたの名前もあるようだが」

「え?」

 ラウラたちの装飾が施された垂れ幕とは違い、すすけて所々が破れた白布に『リィン・シュバルツァーを歓迎する』と太文字で殴り書きされている。文字の色は血のように真っ赤だ。さらにその垂れ幕は留め具の片方が外れて、バタバタと風にはためいていた。

 ヴィクターがリィンの肩をぽんと叩く。

「良かったな、歓迎されているぞ」

「は、はあ」

 これは歓迎されているのか。言い知れぬ不安を抱えながら、リィンは急に濃くなってきた霧を見回した。

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

 

《女王への階段④》

 

 ケルディック地方を抜けたはいいが、検門の厳しい街においそれと入ることもできず、結果ポーラは街道でテント暮らしをすることになっていた。

 とはいえ特に不自由はなかった。温室育ちのお嬢様というわけでもないし、雨風さえ凌げればどうとでもなる。

 あとは食料確保が当面の課題だったが、それもクリアしていた。手となり足となる労働力を手に入れたからだ。

「ポーラさん、木の実採ってきたよ。今日はいっぱいさ」

 テントの前で待っていると、その労働力が戻ってきた。

「遅い。一時間で帰るように言っておいたはずよ」

「え、ちょうど一時間だけど……」

「一時間と五秒経っているわ。超過分のお仕置きが必要ね」

「ひぃいい!」

 これ見よがしにムチをちらつかせると、労働力ことアントンは悲鳴をあげる。

 彼はポーラの女王センサーに感知され、半ば無理やり旅に同行させられたのだ。

「五秒だから、そうね。一秒十回として計五十回は叩きたいのだけど」

「一秒のペナルティが重い! お尻をぶつつもりかい!?」

「耳よ」

「ピンポイントで!?」

 この反応がポーラ様の嗜虐心を刺激してしまう。この上ない悪循環だが、そのことに気付けないアントンは(てい)のいい玩具と成り果てていた。

「それよりも木の実だけじゃ足らないわ。肉が欲しいと思わない?」

「僕もお腹減ったし、できるなら食べたいな」

「だったら捕ってきなさいよ。魔獣でもなんでもいいから」

 さらっと言って裏手の雑木林をあごで示す。

「む、無理だよ。素手だし」

「へえ、断るの? それともなに、フランさんとやらのお願いなら聞けるわけ?」

 クロスベル警察に務めている受付員の名前だ。

「フランさんはそんなこと言わないよ。ま、まあ彼女の頼みなら聞いちゃうけどさ」

「玉砕したくせに、よくもそんなに鼻の下を伸ばせるものね。ちぎってやりたいわ、その鼻」

「ひどい! ちぎってどうするんだ!」

「……埋める?」

「なんで疑問形!? 用途が決まってないならやめてよ! 決まっていてもイヤだけど!」

 その時、近くの茂みがガサガサと動いた。

「今、何か……」

「静かに」

 何かがいる。動物の動きのように思えた。

 茂みからそれが顔を出す。馬だった。

 アントンが身を低くして、手の平大の石をつかむ。

「や、野生かな? でも馬肉ならおいしいよね……えへへ」

「あ、こら! やめなさい!」

 お仕置き回避の為に馬を仕留めるつもりだ。迷わず駆け出したアントンに、ポーラはすかさず足払いを決めた。

「ぶべっ!?」

 顔から転倒し、無様に地面を滑る。無防備な後頭部に、手から離れた石が落下した。

 もだえるアントンに構わず、ポーラはもう一度その馬を注視する。

「間違いない。ランベルト部長のマッハ号だわ」

 どうしてここに。トリスタ襲撃のどさくさで逃げ出したのだろうか。

 保護しなければと思った矢先、マッハ号は雑木林の中に姿を消してしまう。

「いつまで寝てるのよ。早く立ちなさい!」

「うーん、フランさんがいっぱいだ。でへへへ……うぇいい!?」

 幸せな幻想に浸るアントンの鼻が、思いきりねじあげられた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

《パトリックにおまかせ⑤》

 

「《ケインズ書房》……ここか」

 フリーデルに命じられるまま、パトリックはトリスタ唯一の書店を訪れていた。

 ここの店主が何やら困っているらしく、しかし何に困っているのかは定かでなく、とりあえず力になってこいとのお達しが出たのである。

 そんなものフリーデル部長が行けばいいでしょうと、そう断れたら楽なのだが、そんなことを口にしようものなら、確実に明日の朝日を見られなくなってしまう。

「そういえば書店を利用する機会などなかったな」

 店の前で立ち止まり、一人つぶやく。

 基本的に必要なものは誰かが買いに行く。執事であったり、使用人であったり、友人であったりだ。

 小間使いをさせ、それに応じる人間が果たして友人と呼べるのか。呼べまい、と自嘲の笑みをこぼしたパトリックは、不要な思考を隅にやってからドアをノックした。

 中から応じる声はない。

「……ああ、そうか」

 店にわざわざノックは必要ないのだ。当たり前の感覚にずれを覚えながら、扉を開けて戸口をくぐる。

 依頼主の人物はすぐに見つかった。

 この店の主であるケインズである。カウンターに突っ伏した彼は、客の来店にも顔を上げようとしない。

「士官学院のパトリック・ハイアームズと言います。困っていることがあると聞いて足を運んだのですが」

 ケインズがピクリと反応した。

「……ない」

「なに?」

「書けないんだ……」

 がばっと顔を上げるや、カウンター越しにパトリックの胸倉に掴みかかる。

「書けないんだよお! 《猛将列伝》があっ!」

「猛将……!? な、なんの話だ!」

 ぶんぶんと力任せに体を揺さぶられる。必死になだめつかせ、彼が落ち着いたのは30分後だった。

 

「すまないね。取り乱してしまったよ」

「いえ……構いません」

 正直、危ないところだった。サーベルを持っていたら、普通に抜いていた自信がある。

 出された紅茶には手をつけず、パトリックは件の内容に移った。

「それで猛将なんとかの話ですが」

「《猛将列伝》だ。私が執筆している著書のタイトルなんだが、実は――」

 ケインズは言い辛そうに口を開いた。

 その《猛将列伝》の上巻はすでにかき上げ、信頼できる人間に宣伝がてら渡しているそうだ。

 問題なのは現在執筆中の下巻。要はストーリーに詰まってしまい、筆が進まなくなったという。

「つまり、執筆作業が止まってしまったと。他に困っていることは?」

「それだけだが?」

 もう帰っていいだろうか。僕がわざわざ来た意味はどこにある。

 パトリックが席を立ちかけると、ケインズは深い嘆息をついた。

「こういう時の情勢は本屋が一番煽りを受ける。娯楽雑誌は贅沢品だと規制されるし、他の書籍も自由に発注ができない。せいぜい検閲済みの帝国時報が出回る程度。売り上げはがた落ちだ」

「事情は理解しましたが……」

 利益低下はかなり深刻な状況まで来ているらしい。

「内戦が終わっても、普通ならすぐに取り返せるような損額じゃない。だけど私には起死回生の秘策がある」

 ケインズは書きかけの原稿用紙の束を持って来た。かなりぶ厚い。500ページは下らないだろう。

「私はこの《猛将列伝》に全てを賭けている。今、ミント君が各地でこの作品を広めてくれているはずだ。内戦が収束して通行規制が解除されれば、相当の人数がトリスタに訪れるはずだ。もちろん《猛将列伝》の下巻を求めてね」

「はあ、そううまくいくものですか。そもそも、肝心のその下巻が書けなくて困っているのでは?」

「そこで君に協力して欲しい。執筆の上で私が悩んでいるのは猛将の行動だ。“こんな時、彼ならこうする”というイメージが中々固まらないのがスランプの原因なんだ。元より私などの物差しで測れる人でもないからな」

「待って下さい。原作者のあなたに分からないものが僕に分かるわけない。だいたい猛将とは何です。小説の想像上のキャラクターでしょうが?」

「はっ」

 ケインズは鼻で笑った。肩をすくめ、やれやれと小声で吐き捨てる。これが人に物を頼む態度なのか。

「ああ失敬。物を知らないことは罪ではない。知ろうとしないことが罪なのだよ。なげかわしいな。いやいや君のことじゃないがね」

「こ、この男……!」

 お前の物言いこそ罪だ。

 怒りに拳がぷるぷると震える。我慢だ、パトリック。ここで投げ出しては、あとでフリーデル部長に何をされるか分かったものじゃない。

「猛将とは実在の人物だ。《猛将列伝》も完全な創作ではなく、実録記のようなものだと思ってくれればいい」

「実録記なら行動に悩む必要はないと思いますが……まあいい。それで猛将とは誰のことなんですか」

「エリオット・クレイグ。知っているだろう」

 知っている。Ⅶ組の背の小さい橙髪だ。まともに話したことはほとんどないが、穏やかそうな、あまり前に出るタイプではなさそうな印象を受けた。少なくとも猛将などと、いかつい二つ名が似合う男ではない。

「彼が……?」

「見た目で判断しないでもらいたい。彼はケダモノの皮をかぶったケダモノだ」

「ケダモノそのものじゃないか」

 ケインズはさっそく原稿用紙をめくってパトリックに質問を始めた。

「まずはここだな。町を歩いていると、猛将は道端に落ちているゴミ屑を見つけた。こんな時、彼はどうするだろう?」

「それは、まあ――」

 エリオットのことはよく知らないが、あの風体からしてマナー違反はしなさそうだ。

「拾ってゴミ箱に入れるでしょう」

「なるほど。近くにいた通行人の口をこじ開けて『ちょうどいいゴミ箱があったぜ』とねじ込むわけだな」

「そ、そんなことするか!」

 なんだそれは。どう考えてもゴミ屑なのは猛将だ。

「では次に行こう。猛将の目の前で誰かがこけてしまったとしよう。ここで猛将の取る行動は?」

「……手を差し伸べるでしょうね、普通に」

「うむ。その背に靴裏を押し付けて『ちょうどいい足拭きマットがあったぜ』と高笑いするわけだな。手を差し伸べるフェイクを入れるのは、相手の期待感をへし折る効果を狙ってか」

 これもう、僕の意見いらないだろう。がんがんペンが進んでいるぞ。

「というかエリオットってそんな奴なのか!?」

「急に興奮して、猛将の気に当てられたのかね? これだから初心者は……」

「違う! それに初心者ってなんだ!?」

 不毛な質疑応答は続く。

 

 その最中《ケインズ書房》の外から店内を盗み見る影があった。

「た、たた、大変ですわ!」

 パトリックの様子を見にきたフェリスだ。彼女は一連の会話を全て聞いていた。

「Ⅶ組のエリオットさんがそこまでの猛将だったなんて。女子は警戒しなければいけませんし、早くみんなに広めないと」

 豊かな紫髪を振り乱して、焦るフェリスは学院へと走っていった。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。

前回に引き続き、Ⅶ組勢のパワーアップ編でお送りしました。それぞれ苦労していますが、ユーシス様は悠然と椅子に座っておられます。絶賛ノーブルお絵かき中です。

第Ⅱ部では各地の学生達が次々と合流していくのですが、カレイジャスに搭乗してサイドストーリーが終わるわけではなく、むしろ本格化していくサブキャラクターの方が多いです。
皆さんが気になっているキャラなどいましたら、是非教えて頂きたいですね!


では……いよいよ朴念仁を裁く時。

次回『アルゼイドの試練』

引き続きお付き合い頂ければ幸いDEATH――



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