パンタグリュエルから離脱した翌日。
高速巡洋艦《カレイジャス》。その4F大会議室に一同は集まっていた。
リィン側とオリヴァルト側。まずは双方の経緯を共有しあう。
オリヴァルトたちは内戦勃発後からカレイジャスの運用を始め、一か月に渡って密かに情報収集を始めとした遊撃活動を続けていた。表立った行動は控えていたものの、Ⅶ組勢を迎え入れる準備も水面下で進めていたと言う。
「ヴァンダイク学院長が手引きをしてくれて、学院を抜け出した私たちもこの艦に合流することができたの」
そう言ったのはトワ・ハーシェルだった。「つい先日のことなんだけどね」と彼女に続くのはジョルジュ・ノームである。
トワは士官学院の生徒会長で、ジョルジュは技術部の部長。《ARCUS》運用諸々含めて、彼らはリィンたちの先輩だ。
大方の情報を交換しあった後、オリヴァルトが言った。
「――それで、これから君たちはどう動いていくつもりだ」
まさにそれはユミルが襲撃を受ける直前まで、リィンたちが話し合っていたことだった。
オリヴァルトの話では帝国西部の状況は、この東部よりも悪いらしい。
正規軍は劣勢で戦闘も激しく、街にまで被害が出ている。進攻、防衛、撤退。陣取り合戦を繰り返しながら、その戦線は東部にも及んできているそうだ。
戦禍は拡大しつつある。
リィンは机の下で拳を握りしめた。ここまで大規模の内戦を、たかが一介の学生である自分たちに収められるはずもない。目の前の妹一人でさえ、救い出すことができなかったのに。
「……俺の手はエリゼに届きませんでした。何もできなかった」
「それはリィンのせいじゃ――」と否定しかけるアリサを制し、オリヴァルトは無言で言葉の続きを待った。
「気丈にしていたけど、不安だったと思う。それでもエリゼは俺の選んだ道を閉ざさない為に、自分からパンタグリュエルに残ったんだ」
転移の光の中、最後に見えた彼女の顔は笑っていた。どこか申し訳なさそうに微笑んでいた。
あれは悲壮に満ちた別れの表情ではない。送り出してくれたのだ。希望を失わず、また会えると信じて。
「オリヴァルト殿下。大きくうねりながら取り巻いてくる状況の中では、俺の力はあまりに小さいんです。たとえ騎神を扱えたとしても、とても抗えない。パンタグリュエルでは実際にそうでした」
言葉を切って、ぐっと奥歯をかみしめる。
「だけどそれは、諦める理由にならない」
今までならこの台詞は言えなかっただろう。どうにもならない現実に無力感を味わされ――きっとそこで止まっていた。
しかしエリゼに告げたのだ。必ず助けると。
悩み、うつむき、足を止めている時間などない。どこまでも、もがいてやる。その覚悟ができた。
「この戦いを止めるなんて大きなことは、やはり言えません。でも俺たちにはそれぞれ集まった理由と目的があります。それらを成し遂げていくには、この現状を変えていく必要があるんです」
「並大抵のことではないよ。さっき君が言った取り巻く状況というやつは複雑で根深い。ままならないことは多々あるだろう」
「だけど俺たちはそうやって今日まで歩いてきました。これからもそうするつもりです」
重ねてきた特別実習。その中で直面した壁も多い。乗り越えられなかったものもある。
それでもここまで来たのだ。
特別なことを新たに始めるわけではない。積み重ねてきたことを、今後も続けていくだけだ。
さんざん悩んで、ぐるぐると巡り巡って、余計なものを振り落として、結果戻ってきた場所は振り出しだった。だがその過程にこそ意味がある。
これが白銀の巨船の中で、自分を見つめ直して得た全て。
「今のが君の――君たちの答えでいいのかな?」
「はい」
リィンは強く肯定した。他の仲間たちも迷いのない視線をオリヴァルトに注いでいる。
サラが感慨深げに鼻をすすった。教え子たちの成長が涙腺にきたのだろう。横から差し出されたシャロンのハンカチは、うっとうしそうに拒んでいたが。
ヴィクターが深くうなずいた。
「上出来でしょう。宜しいですな、殿下」
「ああ、これなら安心できる。諸君、君たちにこのカレイジャスの運用を任せたい」
いきなりの提案に誰もが目を丸くする。
前々からそのつもりだったと、困惑を隠せない一同にヴィクターが説明した。
「状況を変えるにしても足掛かりは必要であろう。それに我々は艦を降りて西部へと向かう。第七機甲師団や中立勢力と連携をとりながら、市街地への被害を抑えていくつもりだ」
「カレイジャスだと少々目立ちすぎるからね。ま、派手なのは望むところだが。この艦を君たちに託すのは、私たちがいない東部を頼みたいという理由もある」
戦局を鑑みても、確かに合理的ではあった。
恐縮しつつも、リィンたちはその申し出を受け入れた。
「ではこの後は艦内の設備などを紹介して――」
「待って下さい」
まとまりかけたところで、クレアが話を割った。
彼女はトヴァルに目配せし、何かしらの同意を得てから口を開く。
「私はそろそろ鉄道憲兵隊に復帰しようと考えています。部下たちは良くやってくれていますが、あちらをおろそかにもできませんからね」
「先に殿下たちと打ち合わせたんだが、俺も西部へ行くことになった。お前さんたちとは一度お別れだな」
トヴァルが言ったあとで「……ですが」とクレアは続けた。
「あなたたちには足りないものがあります。ここを離れるのは、それを伝えてからです」
「足りないもの……?」
聞き返すリィンに、彼女は告げる。
「力です。単に個々の実力というだけでなく、決め手、戦術、戦略の意味を含んでいます」
単純だが、避けられない問題だった。
今日に至るまで、危機は何度もあった。しかしその都度、誰かが助けてくれたのだ。
アイゼンガルド連峰ではトヴァルが、ガレリア要塞ではクレアが、監視塔ではシャロンが、アルバレア城館ではサラが。
彼らがいなかったら、乗り切れていなかったかもしれない。
「エリゼさんを助けられなかったのは、両陣営の総合力が拮抗していたから。だから直接戦闘は避けたのです。お互いに無用の被害を出さない為に。それは皆さんも分かっているでしょう」
言われるまでもないことだった。その歯痒い思いは全員が経験している。
「ではその被害が出るとしたら、まずはあなたたちの中からだったという自覚はありますか?」
「あ、あんたねえ!」
「よせ」
サラが食ってかかるのをトヴァルが諌めた。
Ⅶ組の表情が陰る。多分そうなっていただろう。あるいは防衛の手を割かないといけなくなり、ヴィクターたちが全力で戦えなかった可能性もある。
それも一つの事実。言い返すことなどできるわけもなく、彼らはただ沈黙するしかなかった。
にわかに重くなる空気の中、トヴァルが言った。
「大尉は別に責めてるわけじゃねえ。エリゼお嬢さんを助けられなかったのは俺たちも一緒だからな」
「ノルドの監視塔。シュピーゲルを前にして生身で戦うことになった時、私はこう言いましたね。あなたたちは今よりも強くならなければならない、と」
クレアは立ち上がる。
「今がその時です。足りない力が何か、それぞれ考えて下さい。その答えはあなた達が歩んできた道の中に必ずあります」
《――反撃の牙――》
ひとまずは解散となり、誰もいなくなった会議室。
そこに一人、マキアスだけが残っていた。
「力を付ける……か」
クレアの言葉を反芻する。椅子の背もたれに深く寄りかかり、漫然と天井を見上げた。
「マキアスさん」
「え?」
不意に声をかけられる。クレアが会議室の戸口に立っていた。マキアスは慌てて座り姿勢を正す。その様子を見て彼女は苦笑した。
「楽にして下さい。あなたを探し回っていたんですけど、まだこの部屋にいたとは思わなくて」
「すみません。何かご用でしたか?」
「ええ。少しお時間を下さいね」
クレアはマキアスのとなりに座った。それだけの動作が優雅だった。甘い香水の香りが鼻先をくすぐり、否応なく感じていた緊張を溶かしていく。
「さっきは厳しいことを言いました。気にしていますか?」
「いえ、大尉の言葉は正しいと思います」
「でもマキアスさんには、もう一つ厳しいことを言わなくてはいけません」
クレアは正面の壁から視線を動かさず、こう告げた。
「この先、あなたはⅦ組の戦力から外れます」
胸に刺さる言葉だった。しかしショックはさほど受けなかった。そうなる自分をどこかで感じていたからだ。
存外動揺しないマキアスに、クレアは意外そうだった。
「分かっていたのですか?」
「なんとなく、ですが」
マキアスの武器はショットガン。導力圧の操作で一時的なリミット解除はできるが、通常攻撃力は変わらない。かといってアーツに頼るにも、その腕前は並だ。
どちらの手段を用いても、強敵に致命打を与えることができない。
そうなると補助に徹するしか道はなくなる。
「昨日、エリゼさんをパンタグリュエルに残していくしかないと知った時、マキアスさんはどう思いましたか?」
「くやしかったです。僕には何もできなかったし、それに何も思いつかなかった」
力が足りないなら頭で補うしかない。だけど、それすら叶わなかったのだ。
「僕からすれば、リィンは自分の力を過小評価している。剣術が使えるし、騎神だって動かせる。十分だ。僕には何もない……!」
自分を鍛えたところで、銃の性能は変わってくれない。立ち回りを変えたり、命中精度を上げることでカバーはできるが、いずれ限界は来る。
マキアスは弱いのではなく、強くなる為の手段が少ないのだ。
「仲間が強くなる分だけ置いていかれるかもしれない。そんな焦りがあるのでしょう。でも大丈夫」
「どうしてそんなことが言えるんです」
テーブル上で震えるマキアスの手。クレアはそこに自身の手を重ねた。
「私はもう皆さんと一緒にはいられません。その代わり、私の力をあなたに託します」
「クレア大尉の……どういうことですか?」
「正確には並列思考、瞬間判断、状況予測。それらを限りなく私に近付ける形で、マキアスさんにトレースするんです」
総じていえば情報処理能力だ。導力演算機並と称される彼女の頭脳を、僕に?
「それが出来るのは、Ⅶ組の中ではあなただけです。思考のルーティンや物事の優先順位が、元から私と似ていましたから」
「僕と大尉が……?」
考えたこともなかった。実感が湧かないが、大尉が言うならそうなのだろう。
「ま、待って下さい。そもそも、そんな思考力なんて一朝一夕で身に付くはずがない。しかもクレア大尉ですよ!」
「あら、買いかぶり過ぎですよ。あなたなら出来ると見込んだから、ここに来たんですから」
「そ、それは嬉しいですけど」
本音ぽろり。クレアはおかしそうに笑った。
「確かに普通なら無理でしょうね。自分と他人の思考を重ねるなんて。ですがこの先を戦い抜くなら、あなたにしかない武器が必要です」
「仮にそうだとしても、どうすれば……」
「方法ならあります。マキアスさんにとって、もっとも良い方法が。約束していたことがありましたよね?」
何かあっただろうか。にわかに焦るマキアス。
「チェスです。私とゲームをしましょう。少々特殊ルールを加えますが」
「え?」
もちろんその約束は覚えていた。しかし前後の言葉がつながらず、マキアスは戸惑う。
そんな彼の手を開かせ、クレアは何かを乗せた。
「いつか敵わない相手を前にして、成す術のない窮地に陥ることがあるでしょう。その時こそ策を巡らして状況を打開し、あなた自身の手で仲間を救って下さい」
手の平で光沢を瞬かせるのは、白いビショップの駒だった。
高度は1500アージュまで落としているそうだが、やはり高空を渡る空気の冷たさは地上と段違いだ。
この後部デッキなら考えもまとまるかと思ったが、これは体に悪い。来たばかりだけど、早く戻るとしよう。
「なんだか体調不良のイメージを持たれてる気がするんだよね、僕。仕方ないけどさ……」
エリオットはケルディックからユミルに着いて以降、ほとんど寝込んでいた。びっくりするくらい旅に同行していない。元を正せばフィーの野草サラダのせいではあるのだが。
寒さに身をすくめて踵を返す。その時、甲板と艦内を繋ぐドアが開いた。
「よっ、エリオット。ここにいたのか」
「あ、トヴァルさん」
「つーか寒いな、おい。こんなとこに来て大丈夫かよ。艦内の方が温かいぜ?」
気の遣い方が病弱前提だ。ありがたいけど、申し訳ないというか。
「それでお前さんに足りないものは見つかったか?」
「いえ、まだ考えてる途中で」
「難しく考えるなよ。今までの戦闘で困ったことを思い返してみな」
「うーん……」
魔導杖使い。主戦術はアーツ。戦術オーブメントのスロット特性上、エマは攻撃、エリオットは回復サポートに回ることが多い。
戦闘配置は当然後衛。前衛に駆動の隙を守ってもらう必要があるからだ。
「……一つありますけど」
これを困ったことの枠に入れていいものか。そもそもが仕様みたいなものなのに。
「お、なんだ?」
「敵の攻撃を受けて、アーツの駆動が解除されることです」
特に三日前。ユミルにおけるマクバーン戦はその最たる例だった。
サラやガイウスを始めとした前衛組は彼の相手で手一杯。隙間を縫って飛んでくる射程の長い炎から守ってくれる味方はおらず、結果、駆動まで持っていけたアーツはほとんどない。仲間のサポートは何一つできなかった。
「だな。アーツ使いはそれが最大の弱点だ」
予想していた答えだったらしく、トヴァルはエリオットの橙髪をぽんと叩く。
「戦闘が激化してきた局面こそ、範囲攻撃や回復のできるアーツは重要になる。だけど敵に追われて駆動準備にも入れないようじゃ本末転倒、ただのお荷物だ」
「……はい」
まったくの正論である。こればかりはどうにもならない。
「そこで!」
トヴァルはビシッと人差し指を立てて、ずいとエリオットの面前に近付けた。
「今からある特殊な駆動法を教える。これは理論上は可能とされていたが、実戦には不向きという理由で普及しなかったやり方だ」
「そ、そんなものがあるんですか」
「一つ訊くが、お前さんはピアノを弾きながら歌えるのか?」
容量を得ない質問だったが、エリオットはとりあえず答える。
「一応できますけど……?」
「ならよし」
答えに対する説明はなかった。
「この駆動の仕方は多分エマにもできないだろうし、もちろん俺にもできん。教えることはできてもな。習得できる可能性があるのは、今のところエリオットだけだ」
先の話が見えず戸惑うエリオットに構わず、トヴァルは指先を雲海の向こうへとかざした。そして、とんでもない宣言をする。
「俺が直々にコーチしてやるぜ。明日からお前さんのポジションは前衛だ!」
ラウラはブリッジ内を一通り見回すと、感嘆の吐息をついた。
カレイジャスの航行を一手に担う操舵席には、速度、高度、船体傾度、あらゆる操縦をこなす為のフロートシステム管制機能が集中している。
ツイングリップのハンドルレバー。舵取り用ラダー。付随するコンソールパネルに大小様々なスイッチ。可動折り畳み式モニターボード。各種計測機。
初めて目にするものばかりである。
「ほう……ふむ……なるほど」
レーダーやセンサー類に視線を這わせては、分かりもしないのにしきりにうなずいている。
あっちのペダルを踏むとどうなるのか。こっちのボタンを押すと何が起きるのか。一体どんな仕組みでこんな巨大なものが宙に浮かぶのか。
お嬢様の好奇心は尽きなかった。
そんな彼女の様子をヴィクターは艦長席から眺めていた。
「ははは、それほど興味があるのなら少し操縦してみるか?」
「良いのですか」
「ん……まあ、ダメだが」
悩みもせず即答してきた娘に、父は冗談の口を閉ざす。本当に期待したらしく「そうですか……」と彼女は心なしか肩を落していた。
それでも諦めきれないようで、
「このラウラ、父上にお願いが」
「それはさておき」
ずっぱりとヴィクターは話題を変える。というより本題に入った。
「クレア大尉の話。そなたはどう考える?」
「もっともだと思います」
自分に力があれば、エリゼを一人残したりはしなかった。
「その割に、そなたはあまり悩んでいないように見えるが」
「足りない力なら付けるまでです」
案じても仕方がないのなら、悩む時間が無意味だ。
過ぎたことは変えられない。ならば次に来るであろう救出の機会に後悔しない為、少しでも己の実力を伸ばさなければならない。
Ⅶ組の中でも、ラウラの割り切りは早かった。
「力を付ける為の方法は大きく三つある。全て答えてみるがいい」
「短所を補うこと、長所を磨くこと、新たな技術を習得することです」
「その通り。ではそなたなら、どれに重きを置く?」
これは考えた。
自分の短所。速度がないこと。得物が得物である。あの大剣を携えての高速戦闘は不得手だ。
自分の長所。すなわち短所の逆。敏速に駆け回らない代わりに、一撃の重さ、破壊力はⅦ組トップだ。
新たな技術。体捌き、剣捌き、駆け引き。しかしこれらは鍛錬の果てに身に付くもの。
今の私なら――
「長所を重点的に鍛えようと思います」
「うむ。そなたに限っては小手先の選択肢を広げるよりも、その方がよいと私も思う」
「ですが……それだけでは倒せない相手もいます。《神速》のデュバリィ。相当手練れの剣士です」
戦って実感したが、彼女の速度にはどうやっても追いつけない。いかな大技を持っていても、繰り出す隙さえなかったのだ。
あのまま戦っていれば勝敗は明らかだった。勝手に足湯に落ちてくれたから、事なきを得たものの。
「あの鎧の女性か。我らに対して含みのある目をしていた気がしたが」
「我ら? アルゼイド家ですか」
「はっきりとは分からんがな」
ヴィクターはモニターパネルを見た。艦の予定航路が赤い線となって表示されている。
「カレイジャスは現在ノルド高原に舵を取っている。そこで一度何人かを降ろした後、私たちはレグラムに向かう」
「レグラムとノルド……なぜですか?」
「ゼンダー門から通信が入ってな。まあ、何人かは集落にも用があるようだが」
レグラムとノルド地方は真反対に位置しているが、カレイジャスならさほどの時間をかけずに移動することができる。
「確かに攻撃力だけを高めても打ち破れない敵は出てこよう。故に、長所だけを伸ばす方法ではいずれ壁に当たる」
「しかし全体的な底上げをしようとすれば効果は浅くなるでしょうし、何より今は時間がありません」
「それも承知している」
「……方法があるのですか?」
長所である攻撃力。短所である速さ。その両方を強化する方法が。
「ある。が、ラウラよ。その前に、そなたに伝える技がある」
「技?」
「獅子洸翔斬。アルゼイド流の奥義の一つだ。そなたの言う通り、今は時間がない。少々荒っぽい伝授となることは覚悟してもらおう」
望むところではあるが、父が荒いと言うなら相当だ。これは腹を括らねばなるまい。
「よろしくお願いします。ところで攻撃力と速力を上げる方法というのは、一体どのような?」
「実はユミルに向かう前にレグラムには一度寄っていてな。皆の顔を見てきたのだが」
「そうでしたか」
それは皆、安心したことだろう。しかしなぜ今その話を。
「そこでカスパルという少年に出会った。トールズの同級生らしいな?」
「ええ。同じ水泳部です」
「彼はそなたに渡したいものがあるそうだ」
それ以上は教えてもらえなかったが、その渡したいものが自分の長所短所に関わるものなのだろうか。何にせよ、行けばわかることか。
強くなる手段はまだある。ラウラは不思議な高揚を感じていた。
「ああ、そうだ」
ヴィクターはおもむろに付け加えた。
「リィン・シュバルツァー。彼もレグラムに連れて来なさい」
「リィンを……どうしてですか?」
「レグラム総出で歓迎しよう。……アルゼイドの試練でな」
最後の一語は、凄みのある低い声音だった。ラウラは不思議そうに小首を傾げた。
ミリアムは食堂の戸棚を漁っていた。
「おやつはあるかな~」
「食料は多めに積んであるけど、お菓子とかはないよ?」
そんな彼女の後ろで嘆息を付くのはトワである。
「ちょっとしたクッキーぐらいならあると思うけど……ってミリアムちゃん?」
椅子を台代わりにして、ミリアムは棚の上に手を伸ばす。背伸びした足元が不安定にぐらついていた。
「もう、危ないってば! 私が取ってあげるから」
「んー、でもトワ会長も身長低いし」
「むう、それでもミリアムちゃんよりは高いんだよ」
「エリゼもさ。よくボクに同じようなこと言うんだよね。それは危ないから私がやりますって」
がさごそと手探りしたままミリアムは言った。
「なんで危ないのにわざわざ自分がやるんだろうって、その時はよく分からなかったけど。昨日のこともそんな感じだったのかも」
「私はその場にいなかったけど、きっとエリゼちゃんは……誰かが辛い目に合うくらいなら、自分がそれを引き受ける方がいいって思ったんじゃないかな」
「……やっぱり分からないや。でもなんとなくリィンに似てるよね。血は繋がってないけど、そういうのって似るものなの?」
「一緒に過ごしてきた兄妹だもん。それは似るよ」
「そっか。じゃボクとアルティナは似ないかもね」
ミリアムは椅子から飛び降りた。目当てのお菓子は見つからなかったらしい。
「ボクも考えてたことがあるんだよねー。ガーちゃんのパワーアップ!」
「どんな感じの?」
「こうドギャギャギャーンでズバババーンみたいな」
「な、なにそれ」
具体性がゼロの強化案を聞いて、トワは軽く咳払いした。
「アガートラムに主眼を置くのは間違いじゃないと思う。でも今のまま強くなってもダメだよ」
「どういうこと?」
「ミリアムちゃんってアガートラムを攻撃に使う時、殴る、撃つのほとんど二択だよね」
一撃一撃は強力だが、全てが単発だ。そのフリーな動きとも相まって、戦術として組み込みにくい。
「ジョルジュ君とも話してたんだけど、アガートラムの能力は不明な部分が多いの。でも一つ言えるのは、ミリアムちゃんの望みに応じる変形機能にはまだまだ可能性があるってこと」
「うん……うん?」
「要は変形のバリエーションを増やして、状況にすぐ合わせられるようになる。今の攻撃特化型からオールラウンドタイプに転向すること。それがミリアムちゃんの課題だよ」
「ふーん、でもさ。どうしてボクの課題がそんなに的確に分かっちゃうの?」
「そ、それは……」
返答に窮したトワだったが、正面切っての隠し事は不得手である。ささやかな葛藤を見せた後で「クレア大尉に頼まれたから」と彼女は白状した。
「クレアが?」
「全員にじゃないけど、今頃は他の人たちもⅦ組のみんなに声をかけてるんじゃないかな。これ内緒だよ、ぜったい内緒だよ?」
彼らに自分自身と向き合うような問いを投げかけるから、サポートできる相手には折を見て協力してあげて欲しい。クレアは会議の前、ヴィクターたちにそう頼んでいたのだ。
「にしし、クレアも水くさいなー。それでガーちゃんの変形のバリエーションを増やすって、どうするの?」
「簡単だよ。よいしょっ、と!」
ズンとミリアムの前に本の束が置かれる。教科書、参考書、図鑑、辞典。あらゆるラインナップがそろっていた。
「アガートラムの変形はミリアムちゃんの意志や感情に直結してるから、その感性と知識を拡げることが、そのまま変形の多様性に繋がるんだよ。分かるよね、ミリーちゃん?」
ピシッとミリアムが固まる。
トワはミリーちゃんと言ったのだ。フィーネさんプロジェクトに巻き込まれたミリアムが、淑女勉強の過程で付けられたその名を。
逃げ出そうとしたミリアムを、トワは背後からガシッとホールドした。
「もちろん私だけじゃなくて、専用のスペシャルチームを用意してるから」
「や、やだ!」
「楽しいお勉強の時間だよ」
じたばた逃れようとするミリアムの耳元で、生徒会長は小さくささやいた。
集中して玉を突く。よく狙ったつもりだが、外れてしまった。
「下手ね」
「だって初めてやるんだもの」
呆れ口調のセリーヌを一瞥すると、エマはビリヤード台にキューを置いた。
「セリーヌもやってみる?」
「どうやってやんのよ」
「私が玉を打つから、それを台の上で避け続けるとか」
「やるわけないでしょ!」
「冗談なのに」
一応は戦闘艦なのに、このような遊戯室があるのはオリヴァルト皇子の趣味だろうか。
「それにしてもなんで急にビリヤードなんてしてんの? やったことないくせに」
「ちょっとした気分転換よ。ねえ、セリーヌ」
「エリゼのこと?」
姉妹同然の長い付き合いである。互いの思考も何となく分かるとはいえ、今のは早い反応だ。
察したというか、セリーヌも同じことを考えていたようだった。
エマはポケットに落とし損なった玉に視線を向けた。
「私がもっと上手くやれていたら、結果は違っていたかもしれない」
「そうかもね」
皆の手が届かない領域をフォローすることこそが、自分の能力の活かし方だというのに。自在に扱える術が限られているのは、魔女としての未熟さだ。
ならば私が優先して覚えるべきは――
「“転移”と“念話”。この二つを完璧に習得するわ」
ノルド高原では妨害電波のせいで《ARCUS》の通信機能が使えなかったと聞いている。その時点でエマは合流していなかったが、もし通信に頼らない意思伝達が可能であったなら、もっと容易な情報共有と位置把握ができていたはずだ。
通信が使えない区域などで、今後も同様の事態が起こらない保証はない。
「念話はコツさえつかめば何とかなる。けど本気で転移もやるの? わかってると思うけど術の難度は他と桁違いよ」
「ええ」
エマは単独での転移術を発動できない。パンタグリュエルにおける転移はセリーヌの術に同調して、いわばサポート役を務めただけだ。
もし念話と合わせて十分に扱えていたなら、たとえばアルバレア城館からの脱出もあそこまでややこしいことにならなかっただろう。
そして昨日であれば。
捕まっていたエリゼだけを転移させることで、彼女を救出できていたのかもしれなかった。
「これからみんなの危機は全て私が払う。その為には応用の利く術が必要なの。協力して、セリーヌ」
「本気なら拒む理由はないわ。アンタが魔女としてそうするように、アタシも使い魔としての役目を果たすだけよ」
導き手たる魔女として。Ⅶ組の委員長として。私はみんなの力になる。
見ていて、姉さん。あの予言は実現させない。
ユーシスはジョルジュとトヴァルを訪ねていた。船倉の別室に設けられた工房である。
「お二人に頼みがあります」
そこで彼は、出し抜けにそう言った。
相手がユーシスということもあってか、二人とも目を
「珍しいっつうか、柄にもないっつうか。その頼みってのは何なんだ?」
トヴァルが訊く。彼はエリオットとの話を済ました後、ここに降りてきていた。その事情までは知りようがなかったが、二人がここにそろっていることはユーシスにとって都合がよかった。
腰のホルダーから《ARCUS》を取り出し、差し出す。
「高速駆動ができるように改造して欲しいのです」
「できなくはないが正規の仕様じゃない。お前さんたち、あくまでもテスターとして《ARCUS》を預かってるんだろ。その辺はどうなんだ?」
「先方を納得させる方便はいくらでも。いざとなったらアリサにも協力してもらいます」
《ARCUS》はエスプタイン財団とラインフォルト社の共同開発だ。だからアリサ――というか彼女を介してイリーナ会長の口利きがあれば、独自改良の是非などどうとでもなる。母との確執があるアリサは心底嫌がるだろうが。
それに単なる高速駆動だけが目的ではない。
続いてユーシスは自分の騎士剣をジョルジュの前に置いた。
「改めて聞いて頂きたい。頼みというのは――」
彼の話が終わっても、二人は渋面の腕組みを崩さなかった。顔を見合わせては、しきりにうなる。その要望を叶える難しさを態度が物語っていた。
「どうかお願いします」
ユーシスは頭を下げた。こんな風に人に何かを頼むのは初めてかもしれない。
その真摯な態度にトヴァルたちは驚きを隠せていなかった。
「お、おい。とりあえず顔上げろって」
「話は分かった。結論から言えば、構想を形にすることはできると思う。僕とトヴァルさんで君の案にアレンジを加えさせてはもらうけど。でもいくつかのリスクを理解してもらう必要があるよ」
横並びにした剣と《ARCUS》に視線を落とし、ジョルジュは言った。
「まず、今までのようにアーツを使うことは二度とできなくなる。おまけに扱い方を誤れば、その効果さえ発揮されないだろう。下手をすれば、戦闘における君のポジションはなくなる。それでもいいんだね?」
「承知しています」
迷いなく答える。ユミルでルーファスと剣を交えた時、思い知ったのだ。剣もアーツも突出していない自分では、単独で格上の相手と渡り合うことができない。
「エリオット君たちの提出レポートはずっと読んでいた。僕が特性と機構を知っていたことが功を奏したね」
「では……」
ジョルジュはうなずいた。
「ああ、制作しよう。世界でたった一振り。君の為の
カレイジャスを着陸させるのに、ノルド高原の広大さは打ってつけである。
遊牧民の集落。この場所に来たいと言ったのは、やはりガイウスだった。
ゼンダー門からの通信もあったのは丁度良かった。もっとも、呼び出し要請を受けたのは彼ではなかったのだが。
「――そうか。ウォレス准将と槍を交えたか」
「ああ、とても敵わなかった。強い人だった」
成り行きからアルゼイド邸にて黒旋風と戦ったこと。ウォーゼル家のゲルの中で、ガイウスはラカンにその話をする。弟妹たちは外で馬の世話の最中だ。
ラカンはウォレスのことを知っているようだった。
「色々なものを見てきたようだが、ここへ戻ってきたのは近況報告の為か?」
「それだけじゃない。父さん、俺は新しい槍が欲しい」
ガイウスの槍はマクバーンの炎に炙られ、柄も残さず消し炭にされていた。
作りの堅実さ、頑強さ。ノルド製の槍に代用品はない。
「槍か。一つ問うが、ウォレス准将の槍をどう思った。そして自分の槍に何を見る」
「あの時、相手は全力を出してもいなかった。もし本気を出されていたなら……俺は今日ここにいなかったと思う。このままじゃ俺の槍はどうやっても届かない」
それは新しい槍一つで埋められる差では到底ない。
優れた才覚とたゆまぬ研鑽の果てに、あの《黒旋風》と称される男は立っている。追いつこうと思って、追いつけるものではないのだ。
「だからといって俺は自分の槍を――今の戦い方を変えたくはない。何があっても揺れることなく、みんなを支えていける柱でありたいんだ」
「柱が不安定だと、その影響は全体に広がる。たとえ誰にとって辛いことがあっても、お前だけは泰然としていなければならない。それは苦しいことだ」
「構わない。俺はそうしたい。みんなを守りたい」
守る為の槍は本質から外れていると、貫くものなのだとウォレスからは言われた。たとえそうであったとしても、まだ及ばなくても、届かなくても――
「槍が貫くものならば、俺は自分の意志を貫く」
芯を曲げない精神は、それだけで支柱たり得る力。
息子の答えを聞いたラカンは立ち上がり、無言のままゲルから出ていく。しばしの後戻ってきた彼の手には、十字の穂先を携えた年季物の槍が握られていた。
それも一本ではなく二本。
「持って行くがいい。私が若い頃に使っていたものだ」
「ありがとう、父さん。でも二つ……?」
「二槍術は扱えるな? お前がそう決めたなら、あえて戦い方を変えなくともよい。しかし選択の幅を拡げることは必要だろう。状況に応じて二本目を使い、守りたいものを守れ」
ラカンは二つの槍をガイウスに託すと、その肩を力強く叩いた。
「だがガイウスよ。意志を貫き通すには、理不尽に屈しない為の力がいる」
「それも分かってる。集落に戻ったのは新しい槍を手に入れたかったのと、父さんに稽古を付けてもらいたいからだ」
「ならば最適の相手は私ではない。教えを乞うべきは別にいる。お前もよく知るお方だ」
誰のことだ。父がこのように敬意を示す相手。しかし額にあぶら汗を浮かべているのはなぜなのか。
ラカンはその人物の名を口にする。
「クララ殿だ」
「クララ部長……!? ノルドに来ているのですか?」
「うむ。彼女こそが一点突破の高度な技を有している。貫く意志を固めたのなら、貫く力も会得するのだ」
貫く力とはなんだ。彼女が槍を扱えるなどという話は聞いたことがない。いや、もともと自分の話など滅多にしない人であるのだが。
槍術とは関係のない、貫く技術。そんなものがあるのか……?
「行くがいい、石切り場へ。そして彼女から学べ。“石の目”の見切りを」
「話は終わった?」
ゲルの戸口をくぐってガイウスの後ろに現れたのは、トーマたちと馬の世話をしていたフィーだった。
彼女もガイウスに付いて集落に来ていたのだ。
「ああ、時間を取らせたな。俺は今から石切り場に行くことになったが、フィーの用事とやらは終わったのか?」
「私の用事があるのはガイウスのお父さんだから。ガイウスでもよかったんだけど、やることがあるっぽいし」
「……どういうことだ?」
「ラカン」
ガイウスから視線を外し、ラカンを見る。フィーの呼び捨てはデフォルト仕様だ。悪気がないと分かっているのだろう。ラカンも普段通り平然と応じた。
「私に用とは?」
「ガイウスの代わりに、私の鍛錬に付き合って」
「私が……?」
さすがのラカンも困惑気味である。
「君は特殊なナイフを使うのだろう。私の槍では効果的な模擬戦闘にならないと思うが」
「模擬戦がしたいわけじゃない。教えて欲しいのは別のこと」
「ふむ。それは何だ?」
「その前にちょっと確認。ねえ、ガイウス」
そう言って、フィーはすぐ横の長身を見上げた。これほどの至近距離だと、いつもより身長差が目立つ。
「この前ノルドにきた時、高原の北東部で幻獣に襲われたよね」
「ん? ああ……アリサたちと合流した直後だったな」
「そう。あの場面で一番最初に注意を呼びかけたのはガイウスだった」
「そうだったか? すまない、よく覚えていないのだが」
とっさの事だったから、誰が最初に警戒を促したかなど印象に薄いのだろう。
しかしフィーははっきりと覚えていた。あの違和感を。
「どうしてあんなタイミングで注意しろって言えたの? まだ何も起きてなかったのに」
空間が歪んで幻獣が現れたのは、そのすぐあとである。少なくともガイウスが声を発した時、周囲に異常はなかった。
「……何かを感じ取ったのだと思う。何かが来るという予感だ」
「どうやって?」
「そう言われてもな。理屈ではないのだ」
概ね予想通りの返答だった。これが理屈で説明付けられるものなら、正直困る。
ラカンが口を挟んだ。
「それはこの地に住まう民特有の勘のようなものだ。我らは“風”の変化に敏感だからな」
「風……そっか」
ラカンの言う“風”は、単に空気の動きという意味ではない。
目には映らず、観測もできない微細な力。しかし確かにそれらが及ぼす影響。ここには精霊の概念も含まれているのかもしれない。
漠然とフィーにも理解できていた。
「教えて欲しいのは、その“風”の感じ方」
「それは無理だろう。これはノルドの民の感覚だ。口で説明できるものではないし、まして後天的に覚えられるものでもない」
「それでもお願いでございます」
「な、なんだ急に」
フィーネさんモード発動。お願い事は淑女の方が通りやすいと、誰かが言っていた気がする。
私に足りないもの。
ゼノたちと戦って、自分のスピードに体が付いていけないことを実感した。負担が限界を超えれば体がもたないとも、彼らに指摘された。
なら、力をセーブして戦うのか。制御できるレベルに速度を落として。
それは違う。それでは勝てない相手との差がより開くだけ。
身に付けるべきは、体の負担を抑えながらも、さらに鋭敏に動く為の能力だ。
「すごくお願いしているのでございますが」
「ございますがと言われても……こ、こら、離さぬか」
ラカンの袖をつかみ、フィーは食い下がる。
彼らの“風”を読む力。それを額面通りに習得しようとは思っていない。自分の特性に落とし込んだ使い方を考えてある。
それさえできれば、さらに最速の戦闘が可能となるだろう。ゼノやレオニダスとも渡り合えるのだ。
何より風読みはおそらく先天的な能力ではない。環境によって形成される後天的なものだ。勘の相性さえ合えば、自分にも扱える可能性は十分ある。
ガイウスが助け舟を出した。
「父さん、俺からも頼む。下手に断ったら、寝床に罠を仕掛けられるかもしれない」
「な、なに!?」
「できるできないはともかく、まずやらせないとフィーは納得しないと思う」
「ううむ……やむなしか」
不承不承の了承。フィーはガイウスに小さくブイサインを決めた。フィーネさんモード終了である。
「それじゃさっそく連れて行って欲しい場所があるんだけど」
「こうなればどこへでも付き合おう。馬は出す」
「地下に風がうずまくあの遺跡。ずっと気になってた」
ゼンダー門からの呼び出しを受けたのはアリサだった。名指しである。
カレイジャスは近くに着陸してくれたから、徒歩で来れる距離だ。しかし直々の招集とは何をしたのか。身に覚えがまったくない。
「ちょっと緊張するんだけど……」
そわそわしながら、案内役の兵士に付いていくアリサ。
その途中、遠くに見えるカレイジャスにやたらと反応している兵士たちとすれ違った。
「あれが猛将の艦だ!」や「ご尊顔を! そのご尊顔を拝見したく!」とか「ついに翼を手に入れなさったか!」など異様にハイテンションな人の群れ。まったくもってアリサには意味不明だった。
その後ろに続くのはシャロン。さらに彼女に付いて来てほしいと頼まれたジョルジュとトヴァルである。
彼らも詳細は聞かされていないみたいだ。通信相手と直接話したシャロンだけは何かを知っているようだが、例によって説明しようとはしない。
基地内には入らず、建物を迂回して裏手に回る。
見えてきたのは戦車などのメンテを行う整備ドック。忙しなく往復する整備兵たちの中に、こちらに向かって手を振る人物がいた。
「二週間ぶりくらいじゃな。元気そうで何より」
「お、お祖父様!?」
白髪の老人の名はグエン・ラインフォルト。ラインフォルト社の先代会長にして、アリサの祖父である。
「どうしてゼンダー門に? 集落で過ごしているものとばかり……」
「お前さんたちのおかげで高原の危険はひとまず去ったからの。行き来は前より自由じゃ」
「そういう意味じゃなくてですね」
「わかっておる。ついてきなさい」
すたすたとドック内へと歩を進めるグエンを、アリサは慌てて追った。
「ワシがここへ来たのはアリサたちがノルドを発ってすぐ、ゼクス中将から連絡を受けたからでな。とあるものを製作しておった。突貫作業の末、先日ようやく形になった」
歩きがてら簡単な経緯の説明を受ける。
やがて一同はドックの最奥に連れて来られた。
薄暗いその一角でグエンは壁付けのスイッチを操作する。照明が一斉に点灯した。
「まぶし……え?」
ライトアップされるその姿。そこに佇んでいたのは鋼鉄の巨人だった。
「き、機甲兵!?」
間違いない。しかし自分の知るどの機甲兵とも違う。剣も盾もない。纏う重厚な鎧は軽装化が図られ、幾分スマートになった印象を受ける。全体的にシャープなデザインだ。
「お前さんが監視塔で機甲兵を操縦したという情報は、ワシの耳にも届いておる。あの日、その活躍のおかげで数体の機甲兵を鹵獲できたのだが、それが何の機体だったか覚えているかね」
「え、ええと……」
「お嬢様が乗り、中破したドラッケン。その戦闘の末に大破させたドラッケン。そしてクレア大尉の指揮の元で倒した、ほぼ無傷のシュピーゲル。計三機ですわ」
横からシャロンが言う。
「では、その改修をお祖父様が任されたのですか?」
「そう。ただし機甲兵は敵に奪われても使えないように、厳重なシステムロックをかけてある。それはワシでも解除できなかった」
パスコード認証を介さずに内部にアクセスするとシステムダウンを起こしてしまう。そうなると貴族連合側の承認コードを入力しなければ二度と起動しない仕様だそうだ。
「そこで、アリサが使っていたドラッケンのコックピットブロックを、そのままシュピーゲル側に移設することにした。規格は同じじゃから難しいことではなかったよ」
「む、難しいと思いますけど。配線をいじるんですから、下手をすれば機能不全を起こしていたでしょうし」
「ワシを誰だと思っとるんじゃ」
タイミング的な幸運ではあったが、アリサが搭乗したドラッケンは起動直後のものだった。労せずシステム解除された機体だったのである。
「要するに今ここにある機甲兵。素体はシュピーゲルというわけじゃな。改修には二機のドラッケンのパーツを使わせてもらったが」
「でも、姿かたちは全然シュピーゲルじゃありませんが……」
「そりゃそうじゃ。そんなもんと一緒にされたら困る。こいつはアリサ――お前さんの為に新たにチューンアップされた機体じゃからな」
「わ、私!? これ私の機甲兵!?」
「コックピットブロックを移す前に、ドラッケンからお前さんの乗った戦闘データの抽出をしておいた。そのデータに基づいて再設計し、さらに基本スペックを限界以上にまで引き上げてある。その最大の理由があれじゃ。ま、ここからでは見えんが」
グエンが指し示したのは機甲兵の腰部。
「核となる機関部がそこにある。元々あったシュピーゲルのエンジンに、もう一つドラッケンの物も併合しておいた。名付けて“連立式オーバルエンジン”。あれがこの機体を他と隔絶する要因と言えよう」
「並列式じゃなくて連立式……。相互作用があるということですか?」
「その通り。出力もさることながら、特筆すべきは導力の回復速度。これによって余剰エネルギー、いわゆる“遊び”ができた。つまり――」
「追加機能を搭載できる……?」
「いやはや理解が早いの。さすがワシの孫娘じゃ。……さて、その話をする前に一つ確認しておくことがある。作っておいて、今さらの質問ではあるのじゃがな」
グエンから好々爺の表情が消えた。
「アリサよ。お前さんはこの機甲兵を受け取るか?」
アリサ自身、質問の意図は理解していた。これをもし手にすれば、機甲兵の闊歩する戦場へと出向き、最前線で戦うことになる。
傷つきもするし、傷つけもする。
諸手を上げて受諾するようなものではない。
「はい」
しかしアリサはそう答えた。
この機甲兵が仲間の盾となり剣となるのなら。そして矢面にリィンだけを立たせずに済むのなら。
その覚悟の元に戦える。
彼女の返答を聞いて、グエンは一瞬だけ複雑そうな顔をした。辛そうにも、悲しそうにも見える。その表情にアリサは気付けなかった。
すぐに態度を戻し、グエンは言う。
「わかった。では改めて追加機能の説明に移らせてもらう。この機甲兵に七耀の属性――そのいずれかを付与する。そして特性を最大限発揮できる武装も作製しよう」
「そ、そんなことが可能なんですか? 上位三属性まで」
「うむ。付けたい属性はアリサが自分で選ぶといいじゃろう。……完成された機器に別の結晶回路を組み込むのは、お前さんの父親――フランツが秀でていた技術じゃ。覚えておらんかもしれんがな」
「父様の……」
「それをよりにもよって機甲兵に搭載する、か。因果なものじゃな」
「……?」
ふと母が持っていた懐中時計を思い出した。あれは父が贈ったものだと聞いている。ネジを巻くと綺麗な音がするのだ。もうどんな曲だったのかも思い出せない。
もしかしてあの仕掛けも父様が? そういえばあの時計、今はどこに――
「アリサ?」
「あ、ごめんなさい。属性、そうですね……」
地、風、水、火、時、幻、空。この中から私が選ぶのは。
しばし黙考した後、アリサはそれをグエンに告げた。
「うむ、承知した。断っておくが、手がけ始めたら変更はできんぞ」
「ええ、お願いします。でもこの機甲兵って正規軍に所有権があるんじゃないですか? それを私が譲渡されるのは色々と問題があると思うのですけど……」
「それについては考えてある。まあ、心配無用じゃ」
目覚めの時を待つ新たな力。グエンは孫娘に託した機甲兵を見上げた。
「あのー、話を割って申し訳ないんですけど……」
おずおずとジョルジュが挙手した。トヴァルも色々聞きたげな顔だ。
「僕らってなんで呼ばれたんですかね?」
「そんなもん機甲兵製作の手伝いに決まっておろう。ここの整備班は腕もいいし気合も入ってるから、短期間でここまで漕ぎつけたが、それでもまだ八割程度。手はいくらあっても足らん」
『ええー!?』
「使えそうな若いのを見繕ってくれとシャロンちゃんに頼んどいたんじゃ。それがお前さんらじゃろ?」
「どういうことですか!?」
「聞いてねえぞ、俺!」
「あら、申し上げませんでしたか?」
澄まし顔のシャロンは、二人の抗弁を体よく流す。ジョルジュとトヴァルは隅っこでうなだれた。
「魔導剣の構想も固めなきゃいけないのに、こんなの寝る時間もないですよ」
「俺なんざ、エリオットの個別指導も請け負ってるからな。完全にオーバーワークだぜ」
トヴァルはやけ気味に頭をかいた。
「しばらくの間、俺はこっちに残るか。西部行き遅れるって閣下に謝ってこないとな……」
屈強な整備兵に連行されていく二人。彼らに振り返ることもなく、アリサは自分のものとなった機甲兵に歩み寄る。
「私の……機体」
父の技術を身に宿し、祖父が作り上げた唯一無二の機甲兵。ヴァリマールと対を成し、紅き翼を守護する鋼の騎士。
これなら勝てるだろうか。スカーレットの繰る《ケストレル》に。
「……とりあえず、この子の名前は何にしようかしら」
先々のことは置いておき、ひとまずアリサの興味はそこだった。
武器、オーブメントの調整に利用できる工房を始め、カレイジャスの船倉には様々な設備が整っている。
ヴァリマールの待機場所もここだった。
専用のスペースを設けられ、各種メンテナンスを受けられるように配慮されていた。とはいえ騎神のメンテをできる人間など、あいにく一人もいなかったが。
リィンはヴァリマールの足元に座り込んでいた。
視線の先にはユーシスの馬――シュトラール用の簡易馬舎がある。
パンタグリュエルから離脱したあと一度ユミルに戻ったのだが、再出発の折、ユーシスの希望でシュトラールも連れてきたのだ。
ユミルの郷。
そこで父さんと母さんには全てを伝えた。どうすることもできず、エリゼが敵艦に残ってしまったことを。
やっぱり二人は俺を何一つ責めようとはしなかった。
エリゼは必ずユミルに連れ戻す。そう言い残して、リィンはカレイジャスに乗り込んだのだ。
「こんなところで何をしているんですか?」
「アルフィン殿下」
船倉に降りてきたアルフィンは「おとなり失礼しますね」とリィンの傍らに腰を下ろす。
「殿下、このようなところに座られては……今、椅子をご用意しますので」
「気を遣わないで下さい。これから同じ艦で一緒に生活するのですから」
くすくすと彼女は含み笑いを浮かべた。
「カレイジャスに残るのですか?」
「元からそのつもりでしたけど、お兄様にも頼まれましたしね」
カレイジャスの所有者はユーゲント皇帝。つまりは皇族だ。その艦にアルフィンが搭乗することは、何かと都合がいいのである。
「今後の皆さんの活動の正当性は、このアルフィン・ライゼ・アルノールが保証します。その先でいつか、絶対にエリゼを助けましょう」
迷いのない声音だった。彼女にも譲れない目的ができたからだろう。
俺も同じだ。
立ち上がったリィンをアルフィンは見上げた。
「リィンさん?」
「俺にも課題があります」
一つ目はクロウが教えてくれた霊力の強制回復を習得すること。これが出来れば今まで限定的だった騎神運用の自由度が高まる。
二つ目は鬼の力を制御できるようになること。決して好むものではないが、凄まじい力であることは違いない。
そして三つ目は――
「仲間との騎神リンク。あれをさらに使いこなす必要があります」
「一応話は聞いています。準契約者の皆さんとリンクすることで、マスタークオーツの特性をヴァリマールに反映させるんですよね。実際には見ていませんが、今のままでは不十分なのですか?」
「いえ……ですが騎神リンクにはまだ先が――二段階目がある」
「二段階目……?」
「多分、俺にしかできない何か……」
それ以上は言葉として固まらなかった。だが確かに可能性を感じるのだ。これが形を成した時こそ、全てを覆す切り札となる。そんな予感があった。
今頃は他の仲間たちも、何かしらの答えを見出したのだろうか。
これまでに知り合ってきた人々が、繋いできた縁の数々が、きっと俺たちの力になる。
クロウ。それはお前が背を向けて、置いていった全てだ。
「俺はもっと強くなる。もう負けない」
今度こそ届かせてみせる。そして必ずエリゼの元へ――
● ● ●
パンタグリュエル付きの小型飛行艇に乗り替えた後、とある場所へとエリゼは移送されていた。
どこへ向かうのかは聞かされなかった。そもそも、質問の権限さえ彼女にはないのだ。
窓は全て閉められ、どこを飛行しているのか憶測もつかない。
不意に揺れが大きくなった。足元に軽い衝撃。
「着いたぜ」
となりに座っていたクロウが言った。リィンと別れてから、彼はずっと自分のそばにいた。見張りのつもりなのだろうか。
クロウに連れられて飛行艇を降りる。
収監施設のような場所に送られると思っていたエリゼにとって、眼前に広がる光景は完全に予想外だった。
広大な敷地。数棟の壮麗な建物。一帯を取り囲む高い岩壁からは、澄んだ水が滝となって流れ落ちている。細かな飛沫が幾重もの虹を生み出していた。
「カレル離宮だ。知っているか?」
「姫様から聞いたことはあります」
ヘイムダル近郊に位置する、皇族が所有する離宮。実際に目にしたのは初めてだった。
中央に建てられた一番大きな建物に近づいていく。
扉の前まで来ると、数名の兵士たちが二人を出迎えた。カレル離宮を警護する貴族連合の精鋭だろう。
胸に勲章をつけた男が一歩前に出る。どうやら彼らの隊長らしい。
「連絡は受けておりましたが、まさか蒼の騎士殿が直々お見えになるとは。では、となりにいる少女が?」
「離宮詰めの新しい侍女だ。細かい事情は知らなくていい。よろしく頼むぜ」
侍女? パンタグリュエルの甲板で捕虜にはしないと言っていたが、てっきり方便だとばかり思っていた。まさか本当に捕虜以外の扱いを考えていたなんて。
「じゃあな。俺はこれで――」
クロウが踵を返しかけた時、犬の鳴き声がした。
扉の隙間を鼻でこじ開けて、その犬はエリゼの元に駆け寄ってきた。茶色い毛並の子犬だ。首には紅いスカーフが巻かれている。
「え、ルビィちゃん……? なんでここに?」
二か月くらい前まで、リィンたちが第三学生寮で面倒を見ていた子犬だ。新しい飼い主を探していて、最終的にはアルフィンが引き取ってくれることになったのだ。
バルフレイム宮にいるはずなのに、どうしてカレル離宮にいるのだろう。
ルビィは尻尾を振って一吠えする。
「お、久しぶりだな。お前もこっちに来てたか。今度ビーフジャーキーでも持ってきてやるよ」
「もしかして陛下や皇妃、セドリック殿下がこちらにいらっしゃるのですか?」
それしか考えられなかった。離宮に移動させられた際、ルビィも連れてきてくれたのだ。おそらくはセドリック皇太子が。
「おう。帝都知事のおっさんもいるぜ」
カール・レーグニッツ。マキアスの父親だ。つまりは保護という名目の、要人の軟禁である。
クロウはエリゼにしか聞こえないような小声で言った。
「お前は皇族方の身辺の世話係だ。さすがに貴族子女じゃなきゃ入れないところだったが、自分の家柄に感謝するんだな」
確かに最大限の便宜である。彼はリィンとの約束をちゃんと守ったのだ。
「……お礼を言うべきでしょうか」
「いらねえよ。俺に出来るのはここまでだ」
「それでも十分過ぎる配慮をして頂きました」
「そりゃどうも。まあ、様子はちょくちょく見に来るさ。あいつのエサやりついでにな」
クロウは飛行艇に戻っていった。
こほん、と後ろから咳払い。
エリゼは慌てて隊長に向き直る。
「エリゼ・シュバルツァー。まずは君を侍女用の集合部屋へと案内する。そうだな――」
一列に並ぶ部下の一人に目を留める。
「リゼット。お前が案内しろ」
「はっ」
リゼットと呼ばれた兵士が返事をする。この場で唯一の女性だ。後ろで括られたホワイトブロンドの髪が風に揺れている。
彼女はエリゼの前まで来ると、素っ気ない態度で「ではこちらへ」と館内に誘導した。うなずいて、その背に続く。
女性もいるのかと、最初の印象はその程度だった。
これがリゼットとの出会い。
そしてそれは、エリゼにとって二度と忘れられない出会いとなった。
――第I部 完――
お知らせありますので少々長めです。
まずは第一部終了までお付き合い頂きありがとうございます。当作は幕間までが第I部という扱いです。ここで予定している全体の3分の1を消化したくらいでしょうか。
ではお知らせですが、第Ⅱ部に入る前に本編の更新を少しの間お休みします。
単なるリフレッシュ休憩というわけではなく、以降のストーリーのクオリティをさらに高める為に使おうと思っています。
エンディングまでの道のりはできていますが、物語の細部と登場人物の心情をさらに詰めたり、敵味方含め一人一人の動きの再確認などですね。
とはいえ止まるのは本編だけなので、この期間中に魔獣図鑑と料理手帳をおまけに追加する予定です。前作からの料理ラインナップ大全と、現時点でクロたちの仲間になっている魔獣のプロフィール。そちらはお暇つぶしがてらに!
本当はこのタイミングでもう一つ別のお知らせをするつもりだったのですが、準備が間に合わず次の機会に送ることになりました。
そのような理由で第Ⅱ部再会までに少々お時間頂きますが、引き続き完結までお付き合い頂ければ幸いです。Ⅶ組共々パワーアップだ!
ご感想、ご意見、アドバイスなど随時お待ち致しております。