虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第46話 表裏の弦

 その部屋からは上機嫌な声が響いていた。

「いやー、そうかそうか。フィーのやつ、がんばってるみたいやんか」

「しかし園芸部とはな。花を育てるフィーか。見てみたいものだ」

 しきりに相槌を打つのはゼノとレオニダスである。

「その上、勉強の方もがんばってるときたもんや。年下やのに大したもんやで。年下やぞ? わかっとるか、そこんとこ」

「よく面倒をみてくれる委員長とやらには感謝せねばならんな」

 歴戦の猟兵二人に挟まれて、リィンは居心地悪くソファーに座っていた。目の前のグラスには未だに手を付けられないでいる。

 話をしようと座らされたものの、振ってくる話といえばフィーのことばかりだった。

 朝はちゃんと起きているか。授業にはついていけているか。部活は楽しんでいるか。

 そういうあれこれだ。

「こんなものでいいか? 妹も待たせているし、この辺りで失礼を――」

「まあ、そう急きなや」

 立とうとしたリィンの背を引き、ゼノが元の位置に引き下ろす。ぼふっとソファーに沈み込んだ肩に、再び両側から腕が回された。

「ほな……本題や」

 ゼノはちらと横を見た。視線を合わせたレオニダスは無言でうなずく。

「ちょいとここらでフィーの交友関係でも聞いとこか」

「ああ、重要なことだ」

 それが本題なのか。そんなもの先の雑談の最中に聞けばいいだろうに、なぜ今さら改まる必要がある。

 訝しむリィンに、ゼノは人懐こい笑みを浮かべた。

「ま、兄貴心みたいなもんや。おっと、話に夢中で水を飲んでもらう間もなかったな。ほれ一服」

「遠慮せずに飲むがいい」

 レオニダスが卓上のグラスをリィンに手渡す。

「いや、本当にそろそろ行かないと――」

「黙って飲まんかい」

 急にゼノの声音が変わる。反対側のレオニダスに顔を向けると「飲め」と一言、威圧的な強要をされた。

 断ることなどできなかった。グラスに口をつけ、ぐびりと水を喉に流し込む。部屋に冷気が充満している気がするが、果たしてこれは空調のせいなのか。

「そんじゃ質問や。フィーと仲のいい人間はおるか?」

「……いる。園芸部の部員に、俺たちⅦ組だってそうだ。トリスタの町にだっているだろう」

「その中に男はおるか? まずはお前らのクラス以外でや」

 問われて首をひねる。なんだ、この要領を得ない質問は。

 記憶をたどってみて、一人思い当たった人物の名前を口に出した。

「ケネスとか……。フィーと絡んでるところをよく見かけたな」

 どちらかと言えばフィーから声をかけていることが多かった気がするが。まあ、別に仲は悪くないと思う。

 猟兵たちの瞳が鋭い光を放った。まるで獲物を見つけたとばかりに。

「誰や、そいつは」

「詳細の説明を要求する」

「詳細って言われても。釣りが好きな穏やかな性格の男子だ」

 顔を見合わせたゼノとレオニダスは『そうか』と同時につぶやいた。

「とりあえずそいつは魚のエサにしたったらええか」

「うむ、妥当だろう」

 いきなり飛び出す殺害宣言。

「な、なんでだ!?」

「釣り好きなんやろ?」

「丁度いいと思うが」

 何が丁度いいのか。なぜかケネスの命が《西風の旅団》にロックオンされてしまった。

 冗談だと笑う彼らだが、その目は笑っていない。

「さて、もう一つ。これは釘刺し半分やが」

「釘刺し?」

「フィーの戦い方に関してや。あの持ち前のスピードだけ頼った戦闘スタイル。あれは長くもたん」

 レオニダスも横から続く。

「スタミナなどの話ではなくてな。急激な速度のチェンジアップに体が耐えられないのだ。実際に戦ってみて、それがよく分かった」

 フィーは反応から行動に移るまでのタイムラグが極端に短いそうだ。それがあの機敏性と俊敏性を生み出している。

 だが反応と行動の時間差が縮まるに連れて、体の負担は増大していくという。

「普通、反応を超えたスピードには体が追いつかん。せやけどフィーの場合は無理矢理に速度を引き上げて、それに合わせようとしとる」

「下半身、特に膝関節周りの筋肉。あとは腰部、背骨付近の著しい損耗と引き換えにな」

「そんな……でも今までにそんな素振りも兆候もなかった」

 ゼノはかぶりを振る。

「並の敵ならそこまでせんでも仕留められるからやろ。無意識に力をセーブしとるはずや。が、俺らみたいな相手に立ち回らんとあかん時は――」

「リミッターが外れるのだろうな」

 太い腕を組んで、嘆息するレオニダス。

 まさかフィーの速度上昇にリスクがあったとは。

「つまり、それを止めさせたらいいのか?」

「そうは言わん。フィーは今まで通りに戦うことを望むやろうし、そもそも止めたからって止まるとも思えん」

「それは……そうかもしれないが」

「多分フィー自身も分かっとることや。きっと打開する何かを探そうとする。だから自分らに頼むことは、そのフォローをして欲しい。それだけや」

 フォローと言われても、その方法などすぐには思いつかなかった。

「わかった。必ず何とかする」

 それでもそう答える。フィーの身体に関わることなら、放っておくことはできない。

「そう言ってくれると思っとったわ。ほらもっと水飲め」

「水はもういいが……俺からも一つ訊きたい」

「お、なんや?」

「どうしてフィーを置いて、あんた達は姿をくらましたんだ」

 これほど彼女の性格を知り、その身を案じる人たちがなぜ。

「それは答えられん」

 きっぱりと告げる硬質な声音。「言うべき時が来たら、フィーには直接伝える」と言葉を継いだレオニダスは、それきり沈黙した。

 彼らには彼らの事情があるのだろう。それ以上問い質すことはできず、リィンは二口目の水を飲んだ。

 二人はフィーのことを大事に思っている。それが分かっただけで十分だ。

「そしたら本題の続きな」

「え」

 話が終わりかと思いきや、ゼノはそう言った。

「お前自身はフィーに手え出してへんか。ん?」

「正直に答えろ。生きてこの部屋を出たいならな」

 威圧的な尋問口調。殺気じみた圧迫感が左右から膨れ上がる。

「水練の授業でボディタッチしたことはあらへんか? 勉強を教えることを口実に必要以上の接近をしたりしてへんか?」

「シャワールームで出くわしたりはないか? 不可抗力などと言って不埒な真似をしていないか?」

「い、いや。ない……と思う」

 基本的にない。しかしいくつは断言できない。プールでは不可抗力が起きた気がしないでもない。もちろんフィーにだけではないが。

 突然グラスが破砕し、ガラス片と一緒に水が飛び散る。

「ああ!? 思うってなんやねん! コラこっち見んかい、ああん!?」

「貴様、まさか……小指から順にへし折ってやろう」

「ない! ないから!」

 過保護も程々にした方がいいのかもしれない。

 ふとエリゼの顔がよぎり、リィンは彼らと自分を重ね合わせた。

 

 

 《――表裏の弦――》

 

 

「話? 俺とか」

「はい。その紅茶を飲み終えるまでで結構です。その頃には兄様も戻られるでしょう」

 エリゼが言うと、クロウはティーカップを手に取った。

「いいぜ。そうない機会だ。と言っても話せることと話せないことはあるけどな」

「かまいません」

 エリゼはテーブルを挟んで、クロウと対面して座った。

 現在の情勢や、今後の展望、彼らの思惑。

 それらを聞くつもりはなかった。知ったところで話が大き過ぎて、自分にはどうしようもない。これからどうしていくかの決断は最終的にリィンと、その仲間たちが決めることなのだ。

 だからこれは、今の状況とは直結しない、とても小さな個人的な問い。

「あなたと兄様――いえ、Ⅶ組の皆さんとの関係は全部偽りだったのですか?」

 本来ならば、それこそⅦ組の人たちが聞きたいことだろう。

 この問いを自分がするのは筋違いなのかもしれない。ただ内戦が始まってしまう前の、彼らの日常の風景を何度も目にしていたから。

「それは――」

 紅茶を一口すすり、クロウは言った。

「その通りだ。事を順調に運ぶ為、カムフラージュ用に作った関係だ」

「どうしてですか? 私が寮にお邪魔した時も、ユミルに来て下さった時も、体育大会の時も、あなたは楽しそうにしていました。全部が演技とは思えません」

 何気ない会話も、その時に見せた笑顔も。

「さあ、どこまでが嘘だったのかね……リィンにも言ったが、俺の本分は帝国解放戦線のリーダー《C》。それだけは動かねえ」

 何かとても大事なことを聞いた気がしたが、言葉を熟思するより早く「そのことがお前と何か関係あるのか」とクロウは問い返してきた。

 気分を害した様子はない。単に興味のようだった。

「……私には分からないんです。あなたを悪という言葉で括っていいのかが」

「エレボニアという国をここまで乱し、多くの血を流させた。そのきっかけを生んだのが俺だ。そりゃもちろん悪だろ」

「革新派から見れば、そうなるでしょう。私だってクーデターを起こしたあなた達を許すことはできません」

「そいつは当然の感情だな」

「だけど……」

 兄様たちの想いを度外視にして、あなたを悪と断じられない。理解したい気持ちと、理解したくない気持ちが、自分の中でせめぎ合っている。

 だからこの人が彼らをどう思っているか。建前の奥に隠しているものがあるのなら、それを知りたい。

「アイゼンガルド連峰に兄様がいると、私に連絡をくれたのはなぜですか?」

 ただの敵であれば、そんな情報は流さずに、鹵獲するなり破壊するなりすれば良かったのだ。今このタイミングで仲間に引き入れようとするより、よほど話が早い。

 あの時の通信はカイエン公の指示ではなく、おそらくクロウの意志による行動だ。

「別にあいつの身を案じていただけじゃない。温情をかけたわけでもなく、そうする必要があったからそうしたんだ。ここからは言えねえよ」

「わかりました」

「ずいぶん簡単に引き下がるんだな。もっと詰められるかと思ったぜ」

「聞きたいことは聞けましたから」

「大したことを教えたつもりはないんだけどな」

「そんなことありません。私にとっては、ひとまず十分です」

「そうなのか? まあそれならいいさ」

 ほんの少し柔らかくなった表情で、エリゼはティーカップに口をつけるクロウを眺めた。

 “あいつの身を案じていただけじゃない”。他の思惑があったとしても、案じる心も持っていたのだ。無意識に言ったのだろうから、含みも裏もなく信じていい言葉だ。

 彼はようやく本音と思しき言葉をこぼしてくれた。

「じゃ、エリゼとの話はここで終わりだな」

「な、なんでですか? まだ――」

「紅茶を飲み終えるまで、なんだろ?」

 冗談めかして傾けたカップの中身は空になっていた。

 憔悴したリィンが戻ってきたのは、ちょうどその時だった。

 

 ●

 

 ひとしきりエリゼに謝ったあと、リィンもテーブルに着いた。

 機嫌を損ねているかと思ったが、むしろ心配してくれていたらしい。彼女は心底安堵した様子だ。

「リィンも帰ってきたし、昼食にするか」

 そう言ってクロウは戸口に置いていたバスケットを持ってくる。

「どうせルームサービスなんかは頼まないと思ってな。作ってきてやったぜ」

「クロウがか?」

「おう。故郷のソウルフードってやつだ」

「故郷……旧ジュライ市国か」

「ん? お前に話したことはなかったと思うが……ああ、ヴィータがやってたあれを見たのか」

 オズボーンを狙撃し、そこに駆けつけたクレアとのやり取り。その光景はヴィータの術によって、士官学院の中に限定し“実況”されていた。

 会話の中に出てきたのが、《旧ジュライ市国》という名である。

 クロウは二人にそれを手渡した。

「フィッシュバーガーだ。白身魚のフライに特性ソースをかけてバンズで挟んである」

「クロウの分はないのか?」

「自分のも作っといたんだけどよ。腹空かしてそうなやつがいたから、つい渡しちまったんだよな」

 らしい、と思った。適当に見えて、面倒見がいい兄貴肌なのは変わっていない。

 一口食べてみると、歯ざわりのいい衣の感触とスパイスの風味が舌の上に広がる。絶品だった。

「どうだ。ラウラの料理よりは食えるもんだろ?」

「はは……」

「失礼ですよ、お二人とも!」

 エリゼはラウラの料理が兵器と同義であることを知らない。苦笑いするリィンとクロウを、目くじらを立ててにらむ。

 そんなエリゼだが、フィッシュバーガーには手を付けていなかった。

「どうした。あまり好みじゃないか?」

「そういうわけではありませんけど……あの、ナイフとフォークは?」

「手だろ、手」

 クロウがひらひらと手を振る。しかし人前で手づかみは抵抗があるらしい。

「カミラさんが作ってくれる饅頭は手で食べるだろ。同じだ」

「そういうものですか。では……」

 リィンに言われて、おずおずとフィッシュバーガーをつかみ、小さくぱくつく。その目が輝いた。

「お、おいしいです」

「だろ? 無敗記録更新中だぜ」

 満足気なクロウ。誰相手の無敗なのかは知りようもなかったが。

 エリゼより先にバーガーを平らげたリィンは、一息ついて背もたれを軋ませた。

 今この話をしていいものか。逡巡したが、ここを置いて先、腰を据えて話せる場があるとは限らない。

 そう判断して、リィンは質問の口を開いた。

「……昨日、騎神で戦った時のことだが」

「はは、何か訊きたいって顔してたぜ。出し抜けにどうした?」

「同じように動いていたのに、なんでヴァリマールとオルディーネでは霊力(マナ)の消費量が違ったんだ?」

 戦局終盤。ヴァリマールは35パーセント。オルディーネは70パーセント。霊力残量にざっと二倍の開きが出ていた。

「そのことか。難しいことじゃない。導力と霊力。その性質の違いを理解するだけだ。――エリゼ、ちょっと導力のことをかいつまんで説明してみな」

「え、あっ。はい」

 夢中になっていたフィッシュバーガーから口を離し、気恥ずかしそうに居住まいを正す。

 そういえばいつの間にか“お嬢さん”ではなく“エリゼ”呼びに変わっているなとリィンが気付く横で、エリゼはいそいそと口元を拭った。

「えーと、まず導力は今から50年程前にエスプタイン博士が古代遺物(アーティファクト)研究の過程で確立させたエネルギー源で――」

「そこらはパス。特性から頼むわ」

「え……」

 話の腰を折られ、むうと頬が膨れるエリゼ。しかし年上同士の会話に水を差す無粋は心得ているようで、おとなしく言われた通りの説明に移る。

「こほん……七耀石から抽出され、その特性は使用しても時間経過で回復することにあります。抽出元ごとに属性は七種に大別されていて、用途もまた多岐に渡り――」

「ストップ。そこまででいい」

「もうですか……」

 不承不承の体でエリゼは沈黙する。不完全燃焼のようだ。二人で行動していた時、いきいきと絵画の説明をしてくれたことも鑑みるに、彼女は人に物を教えるのが好きらしい。

「じゃあ次、リィン。霊力のことを説明しろ」

「………」

 答えられなかった。よく分からない力を、感覚で使っているからだ。

「やっぱりそうか。委員長やあの黒猫――セリーヌったか。あの二人から教えてもらってないのか? いや、そもそも起動者になった時点で基本情報は騎神からフィードバックされただろ?」

「そう言われてもな。操縦ぐらいの知識しかないぞ」

「まったく。……そういや灰の騎神はメモリーが一部破損してるらしいし、その辺も関係あるのかもな」

 頭をかいて、クロウは続ける。

「霊力っていうのは自然界に存在している精霊の力だ。それを吸収することで直接のエネルギーに変え、騎神は動いている」

 地域によって精霊が根付く数や密度も違い、騎神の霊力回復時間にも影響を与えるそうだ。

 そういえばルナリア自然公園やレグラム地方、特にローエングリン城は回復速度が早かった。

「霊力は導力みたいに属性がない。だから騎神は身の内に入れた霊力を用途に応じて変換する。噴出することで浮力を得たり、刃に纏わせることで攻撃力に転用したり、な」

「なんでもできるってことか」

「応用力はあるが、万能というわけじゃない。出てくる問題が霊力の枯渇だ。お前も経験しているように、行動するほどエネルギーは減少していく。そして騎神に任せる自然回復は速度が遅い」

 そう。騎神は驚異的な力を持つが、持久戦は不得手だ。損害覚悟の物量で押されれば、やがては力尽きる。特殊な騎神リンクを使用するリィンにおいては、その消耗はさらに激しい。

「だから戦闘が長引くようなら、起動者は自然回復を待たず、強制回復をしないといけない」

「強制回復? そんなことができるのか」

「言っただろ。霊力は精霊が生み出してるって。精神を呼応させて、大気中から力を吸収するんだ。騎神と精霊の仲介に起動者が入るってことだな」

「なら俺と戦っていた最中、攻めずに守りに入っていた時は――」

「強制回復をしていた。さすがに動きは止めないと集中して霊力吸収ができないからな」

 その技術を会得すれば、騎神リンクの使用にも幅が出てくる上に、早々の霊力切れにも悩まされずに済む。

 ヴァリマールを主軸にした戦略も立てられるのだ。

「導力は取り出すもの。霊力は取り込むもの。そう覚えておけ」

「……どうしてそんなにも簡単に教えてくれるんだ」

「自分が仲間にならなかったら、そっちが不利になるのに、か?」

 リィンはうなずいて、クロウの返答を待った。彼は少し考えてから言った。

「敵になるにせよ、張り合いがねえとな。ま、とっとと仲間になってくれりゃ済む話ではあるんだが」

「兄様に余計なことを言わないで下さい」

 エリゼが口を挟む。会話に水を差す無粋は弁えど、ここは聞き過ごせないところらしい。

「おっと、怖いお目付け役がいたんだったな。それより口元にソースがついてるぜ」

「や、やだ、私ったら」

「冗談だ」

「……私、クロウさんのことが嫌いになってきましたけど」

「そいつは何よりだ。さて――」

 からかわれてお怒りのエリゼを後目にクロウは立ち上がる。

「もう行くのか?」

「おう、艦内にはいるけどな」

 戸口に向かう途中、ふと足を止める。

「ああ、忘れるとこだった。アルフィン皇女がいるのは二階の貴賓室だ。あとで顔みせてやれよ」

 さらりと言い残して、クロウは部屋を出ていった。

「あ……」

 もう一つ訊きたいことがあった。

 クロウ自身のこと。全てを捨ててまで、引き金を引いたその理由を。

 呼び止めかけて、喉を詰まらせる。白い扉に阻まれて、その背中はもう見えなくなっていた。

 

 ●

 

 目の前に大皿が差し出される。ローストビーフがてんこ盛りにされていた。

「いりません」

 アルフィンは顔をそむける。しかしヴァルカンは引き下がらなかった。

「何でだよ。スペアリブに比べれば相当ヘルシーだろうが!」

「へ、ヘルシー?」

 これのどこがヘルシー。野菜もなく、肉の山だけが豪快に築かれているのに。

 どっかりと正面に腰を据えたヴァルカンは、やれやれと深く嘆息した。

「おいおい、お姫さんよお。ここまで来ると、もう好き嫌いだぜ。宮廷料理ばっかり食べてると偏食家になっちまうのか? いけねえぜ、本当にいけねえ」

 憐れむような口調。多分本気でそう思われている。

 好きも嫌いも肉しか出してこないのに。偏食家はどっちですか。

 ああ、ものすごく言い返したい。でもここでムキになって反論すると、今まで貫いてきた態度が崩されたようで、ちょっとした敗北感もあったりする。

 自分でもよく分からない意地に囚われて、アルフィンが黙るしかなくなっていると、

「ちょっと下がってなさいよ」

「ああ?」

 割って入ってきたのはスカーレットだった。

「さあ、皇女殿下。今日という今日は召し上がって頂きますわ」

「何を出されても食べません。お腹減ってませんし」

「これを見ても、そう言えますかしらね」

 テーブルいっぱいに所狭しと並べられる、趣向を凝らした料理の数々。

「ふふふ、いつまでも目をそむけていられますか? ご覧ください、このウインナー。タコさんの形にしてみましたのよ」

「うっ」

 なんて可愛らしい。ぴょこぴょこ転がしてから食べてみたい。でもここは我慢しないと……

「あら、まだ耐えるのですか。なら……これならいかが!」

「っ!?」

 前に置かれたのはオムライスだった。卵にかけられたケチャップはウサギさんの絵になっている。皿の端にも『ハロー、アルフィン! ぼくを食べてよ』なんて台詞付きだ。

 なんということでしょう。ウサギさんがわたくしにあいさつを。

 ぷるぷるとスプーンに手が伸びた。卑怯なやり口に抗えない右手を、必死で左手がつかんで止める。

「うう……」

「どんどんいきましょうか。星をあしらった果物に、クマさん型のゼリー! あはは! どこまで我慢できるか見物だわ! なんならオムライスのてっぺんに旗を刺してもよくてよ?」

「いやああ!」

 今日のこの人は本気だ。地が出て、かしこまった言葉ではなくなっている。それは別にいいけど、このままじゃ衝動を押さえきれない。タコさんとクマさんとウサギさんがわたくしの周りを楽しそうに踊っている。

 左手が右手から離れていく。スカーレットの巧みな誘導にアルフィンが屈しかけた時、

「姫様に何をやってるんですかーっ!」

 勢いよく扉が開き、予想外の人物が飛び込んできた。

 

 

「姫様、ご無事ですか!?」

「え、エリゼ? 本当にエリゼ?」

 エリゼに抱き付かれ、戸惑うアルフィン。

 ユミルの空で別れてから、二週間ぶりの再会だった。まったく先の見えない二週間は、実時間よりも遥かに長く感じられたことだろう。

 互いが互いの気持ちを察して、その眼をうるませる。

「殿下!」

 エリゼに追い立てられて退散するスカーレットとヴァルカンと入れ違うように、一拍遅れたリィンがやってくる。

「あ、リィンさんまで!」

 アルフィンはリィンに抱き付こうとして、すかさずガードポジションに入ったエリゼに止められた。

「そっちはダメです」

「エリゼのいじわる」

 変わらない友人同士のやり取りを見て、リィンは安堵の笑みを浮かべた。

 ひとまず三人椅子に座り直したところで、それぞれの状況を説明し合う。

 アルフィンはパンタグリュエルに乗って以降、戦地跡に赴いては慰問を行っていたという。

 貴族連合による皇女を利用した不満緩和であることは明白だったが、それで元気づく人がいるならと、アルフィンも断ることはしなかったそうだ。

「――そうでしたか。カイエン公爵がリィンさんを連合側に引き入れようと……」

 リィン側の経緯を聞いたアルフィンが言った。

「それで、どうするかお決めになったのですか?」

「まだです。正直、カイエン公の話を聞いて理解できる部分もあります」

「……兄様」

 正しさの是非を問う前に、事が起きてしまった後なのだから、やはり割り切って内戦の鎮静化に尽力すべきなのか。

「俺が貴族連合として、クロウのオルディーネと共にヴァリマールの力を行使すれば、確かに争いを最短で収めることができるかもしれません。長引く戦禍を打ち切ることで、これから傷つく人たちも傷つかずに済む。でもそれは――」

「すでに傷ついた人たちから目をそらすということ」

 先の言葉を紡がれ、リィンはアルフィンを見返した。

「千人は辛い思いをしたけれど この先一万人が幸せになるのだから、長期的に見れば正しい。それがカイエン公爵の主張です。全てを納得させる道なんて、この世界には存在しない。そのくらいはわたくしにもわかります」

 政治のお勉強もしましたから。そう付け加えてアルフィンは控え目に笑った。

「大きく物事を動かす時は、いつだって取捨選択です。きっとクロウさんもそう。何かを成す為に、何かを捨ててきたのだと思います」

 不意に出された名前が、リィンの胸を圧迫する。

 自分とクロウの力の差は、経験だけではない。あいつは選び、俺は選べないでいる。進む道を決断できるかどうか、突き詰めれば迷いがあるかどうか。その差だ。

 ならば、どうする。どうやって選べばいい。

 アルフィンの言葉を借りれば、誰もが納得する道なんてないのに。

「少し難しく――というか大きく考え過ぎてはいませんか?」

 定まらない心中に、柔らかな声が差し込まれる。

「世界にとって正しい道はなくても、リィンさんが正しいと思う道はあるでしょう?」

「俺が正しいと思う道が、正しいという保証はありません」

「てい!」

「いたっ?」

 ぽこんっと頭をはたかれる。「ひ、姫様!?」と慌てるエリゼをよそにアルフィンは続けた。

「もう、ああ言えばこう言うのですから。何が正しいかなんて誰にもわかりません」

「で、ですが重要な選択ですし、もっと慎重に考えないと」

「ていっ、ていっ!」

 ぽこん、ぽこんと繰り出されるプリンセスチョップ。

「それがもし間違っていたのなら、周りの人に修正してもらえばいいじゃないですか」

 よぎる仲間の顔。そんなことを頼るだなんて――いや、そういうものか?

 確かに俺の知る彼らなら、そうしてくれるだろう。逆の立場なら、きっと俺もそうする。

「リィンさんはもう少しわがままになってもいいと思います。……そんなに自分を後回しにしなくたって」

「わがまま……?」

 傍らではエリゼが小さくうなずいていた。

 アルフィンの言葉の一つ一つが、虚ろに揺れていた何かを固めていく。据えどころのなかった気持ちに芯が通っていく。

 力を持つ責任? 情勢にもたらす影響? そんな理屈はいい。もっと単純に。もっと明快に。

 ただ自分がどうしたいのか。それだけを。

「あ、あの? もしかして痛かったですか?」

 うつむき、口を閉ざしたリィンの顔を、澄んだ瞳がのぞき込んでくる。シュバルツァー家とアルノール家が遠縁にあたる故か、エリゼと同じ空色の瞳だった。

「近いですよ!」

「あっ、本当に心配してるのに!」

 抵抗しつつも、エリゼによって引き離されていくアルフィン。

 かしましい二人の声は、もうリィンの耳に届いていなかった。深く集中し、自分の心と向き合う。

 その最奥に浮かんだ光景は――

「……そうか。俺たちはそうだったな」

 アクシデントに見舞われ、先行きが見えなくなった特別実習の数々。その中で自分たちはあがき、必死で歩ける道を探してきた。

 ずっと、いつも、そうしてきたじゃないか。

「貴族連合には(くみ)さない」

 唐突に結実した意志が、思うよりも早く告げた。あるいは心のどこかに始めからあった答えが、幾重もの枷を抜けて表に出てきただけか。

「それで本当にいいのですか?」

「具体的な指針や目的はまだ打ち出せませんが、そうします。殿下の言う通り、複雑に考え過ぎていたかもしれません」

 上辺の言葉に流されて彼らに協力したところで、納得しきれない自分が燻るのは目に見えている。

 正しいかどうかの判断ではない。これは後悔しない為の決断だ。

「差し当たっては殿下、まずは俺たちと一緒にこの艦を脱出しましょう」

「え?」

 いきなりの提案。大きな目を丸くして、アルフィンは当惑しているようだった。

 気持ちを固めた以上もうパンタグリュエルにいる必要もないが、ここまで中枢に入り込んだ人間を連合側がすんなり見送るとも思えない。

 何よりアルフィンをこのままにして、二人だけ退艦するなど出来るわけがない。

 ならば方法は一つ。

「エリゼもいいか?」

「はい。元々私はそのつもりでここに来ていますから」

「そ、そうだったのか。だったら逃げる方法も考えていたりしたのか?」

「いえ。ヴァリマールがいたら何とかなるかも、くらいにしか」

「……時々すごい行動力を見せるよな、エリゼは」

 その踏ん切りのよさは、むしろ見習うべきかもしれない。

 アルフィンが含んだ笑みを向けた。

「だってリィンさんに会いにトリスタまで押しかけるほどですもの。ね?」

「ひ、姫様!」

 真っ赤になって顔を伏せるエリゼ。

「まあ、でもあながち間違ってないな。こんな高空から脱出するなら、ヴァリマールに頼るしかない」

 ヴァリマールは甲板デッキに係留されているはずだ。そこまでたどり着けたら、追っ手が掛かる前に全速で離脱。オルディーネの追撃を振り切ってしまえば、あとは何とでもなる。

 問題はこの艦に相当の実力者たちがそろっていることだ。

「絶対誰にも見つかったらダメだ。万が一戦闘になったら俺一人では二人を守り切れないかもしれない」

「私だって戦えます。足手まといにはならないよう、兄様を援護します。それにこんなものだってあるんです」

 エリゼが上服の中から取り出したのは、白い毛糸で編まれた小物入れ用の袋だ。

「なんだ、それ?」

「エマさんから頂いたものです。可愛いから気に入っていまして、ずっと持ち歩いていたんですけど……」

 なんでも数日前にエマはセリーヌに手作りマフラーをプレゼントしたらしい。その余った毛糸でエリゼにも小さな編み物を贈ってくれたそうだ。

 エリゼは妙に慎重な手付きで、袋の閉じ紐を緩める。

「それでこれはフィーさんから頂きました」

 可愛い白色の小袋からごろっと出てきたのは、くすんだ深緑色の手榴弾だった。

「こ、こんなものいつの間に。ヴァリマールが飛ぶ直前にフィーと何か話していたが、まさかこれを手渡されていたのか!?」

「ええ、お守りだって言って……あ、心配しないで下さい。手榴弾を使うのはノルドの監視塔に続いて二回目ですし、それに閃光手榴弾ですから」

「どんなお守りだ……下手にそれ使ったら音を聞きつけた兵士が殺到してくるぞ」

 危険物を所持する妹を心配しなくていいなら、心配していいレベルのハードルが高すぎる。閃光弾だから大丈夫という理屈も分からない。

 エリゼが言った乙女の秘密とやらはこれか。こんな物騒な乙女の秘密があっていいはずがない。とりあえず無事に帰ったらフィーを説教だ。

「まあ、なんだかエリゼが頼もしいわ」

 直接アルフィンを守る力になれて、エリゼは嬉しいのだろう。

 気力も十分。安心させる為か、虎の子の閃光手榴弾を掲げて言う。

「お任せください、姫様。必ずこの艦から逃げ遂せてみせます」

「失礼します、殿下。室内のお掃除に――え」

 釈明しようのない力強い宣言と、清掃用具を持った女中が部屋に入ってきたのは同時だった。絶句し、固まる一同。

 そして四人分の『……あ』が重なる。

 照明に照らされた手榴弾が、エリゼの手の中で鈍く黒光りしていた。

 

 

 ――続く――

 

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。

幕間三話目、各人物の心情が動く回となっていますが、ここの動きはゲーム本編とは一部――特にリィンが――異なっています。

いよいよここからですね。

それでは次回、幕間四話目も引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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