第44話 交錯の鎖
これからⅦ組がどう動いていくか。
バリアハートからユミルに戻り、十分な休息を取った数日後。この日、彼らは鳳翼館の食堂で話し合っていた。
Ⅶ組の面々に、サラ、クレア、トヴァル、シャロン、エリゼを含めた全員が一堂に会している。
「難しいな。俺たちの今後か……」
リィンが言う。簡単に答えなどだせそうにもなかった。
貴族連合、正規軍のどちらかに付くのは違う。しかし独自で動いていくには、所有する騎神の力が大き過ぎる。状況に介入していくなら、相応の責任も伴ってくるのだ。
身内の安否をはっきりさせたいという、それぞれの目的もあった。
アリサの母、イリーナ。エリオットの姉、フィオナ。マキアスの父、カール。ラウラの父、ヴィクター。
「私も姫様を救出するまでは、皆さんと一緒に行動したいです」
「エリゼ……」
彼女も意志を決めていた。
内戦に関わっていく中で、今まで以上に危険な局面があるかもしれない。テオの看病やルシアの手伝いなどを理由に、ユミルで待機するようリィンが説得したものの、エリゼはこれを受け入れなかった。
どうしても自分の手で、アルフィンを助けたいのだと言う。
「これだけの大人数を精霊の道で移動させるのも控えた方がいいわ。ヴァリマールの霊力を使い過ぎるもの」
エマの膝上からセリーヌが卓上に顔をのぞかせる。
拠点にする場所も考えなくてはならないが、何よりも必要なのは具体性のある方針だった。
その鍵はやはり、灰の騎神だ。
「俺たちだけの――第三の道……か」
それでも何かは掴めそうな気がしていた。
議論を続けようと口を開きかけたところで、虚空に澄んだ声が響いた。
『お話中に申し訳ないけど、お邪魔させてもらうわよ』
「この声……!」
誰よりも早く反応したのはエマだった。席から立ち上がるが早いか、窓際に駆け寄って空を見上げる。
「パ、パンタグリュエル!?」
貴族連合の旗艦がユミルの空を塞いでいた。
事態を理解したサラが指示を飛ばす。
「全員臨戦態勢! 郷の人たちは絶対外に出ないよう伝達。バギンス支配人たちに協力してもらって!」
緊張と焦燥が満ちていく中、皆が鳳翼館の外に飛び出した。
郷の中央に向かって走る彼らの足が、不意に止まる。
「よう。久しぶりだな」
小雪ちらつく広場に一人、クロウ・アームブラストが立っていた。
《――交錯の鎖――》
一人一人の顔を見回すと、彼は口元を緩めた。
「元気そうじゃねえか。……ガイウスは相変わらずか? エリオットは……ちょっと顔色悪そうだな」
「うん、体調不良が続いててさ。これでも持ち直した方なんだけどね」
「クロウも思っていたよりは変わっていないようだ」
「おう、この通りだ」
クロウは視線を移す。
「ラウラはまだ料理作ってんのか? ほどほどにしとけよ。そういやアリサはその後進展したのかよ? 離れていた時間って大切だぜ?」
「ほどほどにする意味が分からんが……これからは菓子作りにも挑戦しようと思ってる」
「し、進展って何よ! 余計なこと言わないで!」
くくっと笑う。見慣れた笑みだった。
「まだユーシスとマキアスは小競り合いを続けてんのか? ま、聞かなくても大体わかるけどな」
「競り合っているつもりもないが、その男の方から勝手に絡んでくるのでな。適当にあしらってやっているだけだ」
「こっちの台詞だ! ……先輩……なんで……」
言葉として固まらない問いを待たず、クロウはミリアムに目を向けた。
「俺が鉄血宰相を撃った。恨んでいるか?」
「んー。よく分かんないや。まだ実感がないんだよね」
「そうか」
敵意を隠そうともしていないのは、すでに銃を構えているクレアだ。彼女は鋭くした視線をクロウに注いでいる。
「フィーは……身長伸びてねえな」
「こんな短期間に伸びるわけないし」
「はは、違いねえ」
会話は続く。奇妙な静けさがあった。
かつてと同じようで、何かが違う、その距離感を確かめるように。
「委員長が魔女だったことはヴィータから聞いていた。俺から見てだが、隠すのけっこう下手だったぞ」
「ふふ、自覚はありましたよ。ローエングリン城の時は特に開き直ってましたし。……ここにヴィータ姉さんも来ているんですね?」
「まあな。さて――」
リィンとクロウの視線が交わった。
「一か月半ぶりか。どいつもこいつも変わらねえな」
「変わったさ」
リィンは言った。
裏切られて、打ちのめされたあの日。目覚めて、途方に暮れたあの日。
それでも前を向き、散り散りになった仲間と再会しようと決めたあの日。
今日まで、少しずつでも進んできた。
「何が変わった? 力か? 心か?」
「両方だ」
上空に控えるパンタグリュエルに動きはない。ただ話をしにきたわけでも、顔を見にきたわけでもないことはリィンも理解している。
今や蒼の騎士と名乗るクロウが、一人この場に現れた意味。
ガレリア要塞、ノルド高原監視塔、アルバレア城館。いずれも派手にやったが、特にバリアハート。四大名門の膝元で起こした騒動は、さすがに看過できないというところだろう。
「一応訊くが、退くつもりはないよな?」
「わかってるんだろ。なら、退かせてみろよ」
仲間たちが下がる。息を呑む気配が伝わってきた。
もう一度お前に会うことができれば、言いたいことが、問い質したことがたくさんあった。あったはずなのに。いざ顔を合わせてみると、何を言えばいいのか分からない。
どうしてもっと冷たく突き放そうとしない。どうして赤の他人のように振る舞おうとしない。
あまりにも以前のままだから、恨み言の一つも出てこないじゃないか。
いや、違う。
語るべき言葉は、他にある。
「いくぞ」
「おう」
それだけの受け答えの後、互いに腕を掲げた。当たり前のような自然さだった。ずっと前から、こうして戦うことが決まっていたみたいに。
『来い――』
重なる声。大気が震え、風が逆巻く。
「《蒼の騎神》オルディーネ!」
「《灰の騎神》ヴァリマール!」
起動者二人の意志が宙を走り、呼応した巨いなる力が目を覚ます。
パンタグリュエルの甲板からはオルディーネが、渓谷道の最奥からはヴァリマールが。輝くスラスターの軌跡を引いて、それぞれの主の背後へと同時に降り立った。
光に包まれてリィンとクロウは騎神の
先制したのはリィンだった。
全開にしたブーストで一気に肉薄し、オルディーネに組み付いたまま急浮上。加速しながら地上を離れていく。
「おおおおお!!」
あの時とは違う。この刃、必ず届かせてみせる。
オルディーネ共々に上空へと飛翔するヴァリマール。
そのタイミングを見計らっていたかのように、郷の数カ所に光陣が浮き立った。
「あれは転移陣! 皆さん注意を――」
エマが警戒を促すより早く、立ち昇る光の中に人影が現れる。
結社や猟兵を始めとする貴族連合の協力者たちだ。それぞれの出現位置が離れていて、応戦するにはこちらも分散するしかなかった。
「あの二人とは私がやる」
先陣を切って駆けていくフィーの先には、ゼノとレオニダスの姿があった。
「私の相手も決まっているようだ」
「ア、ル、ゼ、イ、ドの娘えーっ!」
大剣を振り上げたデュバリィが突撃してくる。迎え撃つラウラも、前に出ながら剣を抜いた。
その後ろでユーシスもまた、別の方向を見据えていた。
貴族連合総参謀、ルーファス・アルバレアが騎士剣を手にゆっくりと歩いてくる。
「まさか兄上が直々にとは……相手は俺がさせてもらう」
立場を違え、対峙する兄弟。そして姉妹も――
「エマ、お出ましよ」
「わかっているわ、セリーヌ」
遠くに微笑むは青いドレス。深淵の魔女が妖艶に手招きしている。
各々が相手に立ち向かう中、アリサは動きを止めた。
「ちょっと待って。この音……」
耳を澄ます。山道側から響く重い足音。
「機甲兵が近付いてる!」
それも複数。
「シャロン、ついて来て!」
「ですが――」
「鋼糸は機甲兵には有効だわ。お願い!」
間接に巻き付かせたりすれば、その動作を制限したり狂わせたりできる。
シャロンはちらとある男に目をやる。結社のナンバーI。《劫炎》のマクバーンが気だるそうに頭をかいていた。
「わかりました。――サラ様、後をお願いします」
「任せておきなさい。あの男とは数人がかりでやるわ。トヴァルもいいわね」
「ああ、《怪盗紳士》もいるしな。ガイウスは前に出過ぎず、エリオットは後衛で援護。クレア大尉もサポート頼む」
「連携を取って立ち回りましょう。マキアスさんは私に合わせて中距離からのフォローを」
「了解です!」
唐突な貴族連合の襲撃。雪郷に戦いの音が拡がった。
「ははっ、一人で突っ込んできよったで」
「いい意気だが、我ら二人を同時に相手取る気か」
ゼノはブレードライフルを、レオニダスはマシンガントレットを装備した。それらの武器は常識を逸脱した巨大さだ。
対するは双銃剣を携えて特攻するフィー。相対距離が見る間に詰まる。
ブレードライフルの横薙ぎ。瞬時に姿勢を沈ませて回避。手加減する気などない鋭利な斬撃が、フィーの銀髪をかすめて過ぎた。
「やるやんか!」
「次だ」
レオニダスの巨体が視界を埋める。振り下ろされるマシンガントレットが、路面を木っ端微塵に打ち砕いた。
飛び散る破片を身に受けながら、フィーは一対の銃口を二人に向けて発砲。彼らは自分の得物を盾にして銃弾を防ぐ。
その隙を突いて回り込み、素早くゼノの背後を取る。もらった。
「っ!?」
ゼノの目が向けられる。反応が追いつかれた。身を返した彼は、懐のナイフを抜いて牽制。すかさずフィーは飛び退いた。
「ふう、あっぶな」
「また早くなったようだ」
「……なんで」
自分のイメージの中では、今ので決まっていたはずなのに。
「仕留められなかったのが不思議か? そらあんだけの反応と反射速度に、そんなちっこい体が付いていくわけないやろ」
「急激な加速と減速。急角度の旋回。そこからの止まらない連撃。確かに体躯を活かした戦術ではあるが、今のお前には無茶な機動だ。負担が限界を超えれば体はもたんぞ」
「……そうかもね」
すでに膝と腰、背。動きの軸となる部分が痛んでいた。
普通の敵ではこうはならないだろう。実力が上の敵だから――この二人が相手だからこそ、自分の容量を越えた速度を出さなければいけないのだ。
たとえ私の体が壊れても。
「やめとけ」
距離を取り、もう一度攻撃を仕掛けようとしたフィーをゼノが止めた。
「分かっとると思うが、戦う以上はお前相手やからって手心を加えたりはせん。無理せず退くのも判断の一つやぞ」
「無理する理由があるから」
「理由?」
手心を加えないといいながら、どうしてこっちの心配をする素振りを見せたりするの?
戦場で遇えば敵同士。単なる殲滅対象。なのに、なぜ、どうして。
どうして――
「どうして、私をみんなと一緒に連れて行ってくれなかったの?」
結実してあふれた疑問。団が無くなったあの日から、ずっと知りたかった。
「それは……教えられん」
「だと思った。だから聞きだす。ここで二人を倒して」
それが猟兵の流儀。不変のルール。
フィーは双銃剣の刃をゼノに向けた。
「勝つよ。自分の体を引き換えにしても」
「こんの……アホが!」
初めてゼノの瞳に怒気が宿った。
「ようやく来ましたね。この時が」
「あ。クーちゃんと、えっと……」
「アルティナです。あとクラウ=ソラスをその名で呼ぶのはやめて下さい」
背後に黒い傀儡を従えたアルティナがミリアムの前に立つ。
「クーちゃんはクーちゃんだよ。じゃあアルティナはアーちゃんでいいのかな?」
「いいわけないでしょう。だったら私だってあなたのことをミーちゃんって呼びますよ」
「うん、いいよ」
「……想定外です」
こほんと咳払いしてから、アルティナは続けた。
「余裕でいられるのも今の内だけです。私はあなたの弱点を調べ上げてきましたから」
「弱点なんかボクにあったっけ?」
「強がりを……。もう泣いて謝ったって許してあげません。クラウ=ソラス、さあ練習通りに見せつけなさい」
『Π§ЁЁΘΠ∃』
指示を受けたクラウ=ソラスが宙に浮かぶ。ぎゅるるっと黒い球体に変形するや、上部から角にも見える二本の突起物を生やした。仕上げに大きな丸い一つ目を球の中心に浮かび上がらせる。
「なにこれ?」
「あなたの弱点、お化けです。足がすくんで動けませんか?」
そこはかとなく勝ち誇った様子のアルティナ。
「お化けってこんなのじゃないよ」
「え」
けろりと言うミリアムに、彼女はしばし固まる。
「……作戦に修正が必要のようですが、この場は押し切ります」
「よくわからないけど負けないぞー! やっちゃえ、ガーちゃん!」
クラウ=ソラスとアガートラムが空中で激しく打ち合い、その直下ではアルティナとミリアムが組み合った。
「尻尾ぎゅうう!」
「やっ、それは尻尾ではありません」
「ほっぺた、びいー!」
「ひゃめゃああ」
涙目の黒兎を白兎が攻め続ける。
厄介なのは四属性の宿った、この特殊な剣技だ。
炎をまとった斬撃をかわして、ラウラは慎重に相手との距離をはかる。
刀身に燻る火の粉を払ったデュバリィは、自信も満々に言った。
「こうして剣を交えるのは初めてですわね。ようやく実力の違いを見せつけてやれますわ」
「前はおたまだったからな。私もそなたとはもう一度戦いたいと思っていた」
アルバレア城館での手合わせの時、ラウラは剣を持っていなかった。代わりにおたまを武器にしたのだが、条件を同じにしたかったらしいデュバリィもおたまを使用した。
「ふんっ!」
デュバリィが大剣を地に突き立てた。剣先に青白い光が集まり、生み出された氷の刃が地面の上を走る。
「はあっ!」
逃げようとはせず、ラウラも上段からの一刀で応戦。アルゼイド流、地裂斬。力と力が衝突し、互いの威力が相殺された。
「まだですわ!」
研ぎ澄まされた風が大気を裂く。振りのモーションだけで見えない刃の軌道を読み、ラウラは間一髪かわしてみせる。
その後ろの家屋の壁に、鋭い刀傷がずっぱりと刻まれた。雑貨屋《千鳥》だ。窓の内側から赤い液体がビチャアと大量に付着する。かなり凄惨な光景だ。
「あっ」
真っ青な顔になるデュバリィ。にわかに焦る彼女にラウラが言う。
「安心するがいい。窓際にあったトマトの山が潰れただけだろう」
「どこにそんな根拠が! 人だったらどうしますの! 関係ない一般人ですのに!」
「そもそも今のはそなたの攻撃だろう」
「この人でなし~!」
デュバリィのテンションの度合はつかみにくいものの、しかし押されているのはラウラだった。
初動のきれ、間合いの取り方、打ち込みの鋭さ、大剣の重さを巧みに利用した体捌き。彼女は一流だ。
隙がないから大技が決められない。それ以前に、溜めの構えにさえ入れない。いや、たとえ大技を放てたとしても通じるかどうか。
じりじりと相手の速さに手数が削られる。防戦に回らざるを得ない立ち合いはいつ以来だろう。
デュバリィが踏み込んでくる。払いが間に合わなかった。
「終わりですわ!」
刀身に電気の筋が走っている。ほとばしる雷光がラウラの視界を染めた。
避けられない。こちらも強力な技を、洸刃乱舞を――
「へっ、あっ!?」
間の抜けた声。迫っていた光が遠ざかると、デュバリィが後ろに倒れ込んでいく姿が見えた。足湯場の段差にその足が引っ掛かっている。立ち回っている内に、いつの間にかここまで移動していたのだ。
どぼーんと盛大な水しぶきをあげて、デュバリィは足湯の中に落ちてしまった。
「あきゃあああ!」
湯の中で、自分の電気に感電している。金属製の軽鎧もダメージ追加に一役買っていた。
ほどなくすると沈黙し、ぷしゅうーと黒い煙を頭から立ち昇らせる。
「あ、その。大丈夫か?」
返事はない。それ以上かける言葉も浮かばなかったラウラだが、とりあえずフォローを入れることにした。
「その湯は打ち身や火傷にも効能があるらしいので、一応不幸中の幸いと言えると思うが」
「なにが幸いなものですか……これだからアルゼイドは――」
怒りと痺れに身を震わせるデュバリィが、湯の中から勢いよく立ち上がった。
「いいかげんにしやがれですわ!」
交錯する兄と弟の剣。
宮廷剣術同士の流麗な太刀捌きは、さながら儀式演武のようでもあった。
「筋が良くなったな。さらに腕を上げたようだ」
「兄上には遠く及びません」
「戦いの最中に下回る実力を認めるものではない。ましてや敵相手に」
敵。その言葉はユーシスの胸に重たかった。
ずっとただ一人、自分の寄る辺であった兄。トールズに入学し、友人と呼べる人間ができても、ルーファスだけは特別な存在だった。今でもそれは変わらない。
もうあの優しい笑顔は向けてもらえず、代わりに突き付けられるのは鈍色に光る剣先。
分かっていた。道を違えるとはこういうことだと。
「出奔したと聞いている。思い切ったものだが、もう家には帰れないかもしれんぞ」
サーベルを振るいながらルーファスは言った。
「承知しています」
「戻るつもりはないのか? その気があるのなら私から父上に口利きしよう」
「ありません。全て覚悟の上で家を出ました」
ユーシスははっきりと答えた。
「短絡的な判断ではないと言うのだな。では、そなたが選んだ道は正しいのか?」
「まだ分かりません。正しいか否かは、これから証明していきます」
「知っているか、ユーシス。正しさを解くだけなら言葉でいいが、示す為には力が必要だということを」
互いに飛び退き、戦術オーブメントをかざす。アーツの駆動は同時だった。
二つの光弾がぶつかり、弾ける。押し負けた衝撃を身に受け、ユーシスは吹き飛ばされた。
「そなたは剣もアーツもそれなりに扱えるが、所詮はそれなりだ。メンバーとして戦う分に汎用性はあるのだろう。だが決め手に欠ける」
「ぐ……」
指摘されずとも理解はしていた。魔導杖を操るエリオットとエマのアーツには敵うべくもない。剣における突破力で言えば、アルゼイド流のラウラや八葉一刀流のリィンの方が上だ。
どちらかといえば自分は、それらの繋ぎ目。彼らが戦いやすいように、前衛と後衛の中間を立ち回るスタイルでいるべきなのだ。
だからこうやって実力者と一対一で戦った時は、劣勢に陥りやすい。一点突出型の戦術を持っていないからだ。
体を起こし、尚も剣を構えようとするユーシスに、ルーファスは厳しく告げた。
「己の道を示したければ、今のままでは不可能と知れ」
無数の鋼糸が舞い、一体のドラッケンがその動きを止めた。
跪く体勢となった腹部に取りつき、シャロンはコックピット付近、装甲の隙間にナイフを突き入れる。
そのナイフを狙って、アリサはスパークアローを駆動させた。雷撃の矢がナイフを伝い、装甲内部のケーブルを焼き切った。
ロック機能を失ったコックピットハッチが勝手に開いていく。スライドして顕わになった操縦席には、突然の事態におろおろする操縦兵の姿。
すぐさまシャロンの糸が絡みつき、兵士は機外に放り出された。
「お嬢様!」
「任せて!」
慣れた手付きでアリサが操縦席に乗り込む。同時に拘束の糸が解除される。
彼女の手に渡ったドラッケンが立ち上がった。
「機甲兵の奪い方が鮮やかになってきましたわね。強奪お嬢様ですわ」
「変な名前を付けないで。巻き込まれないようにシャロンは下がっててよ」
山道を上がってくる機甲兵部隊。ドラッケンが三機だ。騎神がいると分かっているのに、これは少ない編成だ。
「いえ、オルディーネがヴァリマールを抑えてるから、この布陣で十分というわけね」
ケーブル自体を焼き切ったから、マニュアル操作でもコックピットハッチは閉まらない。
四肢は問題なく動くが、サイドモニターの片方が完全に潰れていた。重要な配線のいくつかもダメにしてしまったらしい。
「正面は目視したらいいだけだし、問題ないわね」
ペダルを踏み込み、ランドローラーで高速前進。ブレードを前にして突撃。
敵機もブレードを振ってくる。すかさず急ブレーキ。
目測が狂って空振りした半身に、シールドの体当たりを見舞う。バランスを崩して山道を転がり落ちていくドラッケンは、後続の一体も巻き込んで消えてくれた。
「あと一機!」
動揺が動きに出ている最後の敵に、豪快に雪を蹴立てて接近。大剣を首元に突き入れ、頭部を跳ね上げる。メインカメラを封じた上で足払いを決めた。こんな地形で転倒してしまえば、リカバリーは簡単にできない。
アリサは二分足らずで三機の機甲兵を無力化した。
このまま郷に戻れば、これは十分な戦力として機能する。
「まだです、お嬢様!」
「きゃあ!?」
シャロンの警告と衝撃はほとんど同時だった。
なんとか持ち直し、状況を把握する。機体の状態を示す簡略データは、右腕が無くなっていることを示していた。
まだ敵がいたのか。機体を転回させ、視線を巡らせる。その敵はすぐに見つかった。小高い崖の上に悠々と立っている。
「なにあれ……」
見たことのない機甲兵だった。シャープな造形に赤いカラーリング。
外部音声が告げた。
『新型機甲兵《ケストレル》よ。初めましてではないわよね、お嬢ちゃん』
「その声、帝国解放戦線の《S》――スカーレットね」
『そうよ。ドラッケンを持っていかれても困るし、それ壊しちゃうわね。ケストレルの試運転にも丁度良さそう』
ゴーグルタイプのアイセンサーが緑色に光り、ケストレルは跳躍した。身軽にアリサの前に降り立つと、手にしていた剣を閃かせる。その形状は機甲兵用ブレードではなく、ナイトソードに近い。
間合いはまだ遠かった。しかし攻撃が当たる。今度は左腕が宙を舞っていた。
ただの剣じゃない。無数に分割された刀身の間をワイヤーが通っている。まるで鞭のようだった。
『私以外には扱えないケストレル専用の法剣よ』
「この!」
盾も失い、身一つでぶつかりにいく。他に手段がなかった。それすらもケストレルは難なくかわす。凄まじい機動性だ。まるで追いつけない。
『まだ出力は60パーセントぐらいなんだけどね。ようやく操縦に慣れてきたわ』
「お嬢様、脱出を!」
「まだやれるわ!」
シャロンが言うが、アリサは従わなかった。
蛇のようにしなる法剣が、ドラッケンの周りを自在に踊る。
『さあ、切り刻んであげる』
炎が雪を溶かし、おびただしい蒸気が立ち込める。
「全員下がってろ」
トヴァルが風属性のアーツを駆動させる。吹き散らされた蒸気の向こうにマクバーンはいた。
「こいつはまた大層な人数だな。まあ、関係ねえけどよ」
その手に生み出された火球が投げ放たれる。サラが叫んだ。
「姿勢を低くして、絶対に息は吸わないで!」
こんな熱波を吸おうものなら、喉がただれて一瞬で呼吸困難に陥ってしまう。
肌にひりつく高熱が過ぎ去るのを待たず、サラは攻撃を仕掛けようとした。導力銃を持ち上げた矢先、上空から降ってきた短刀が射線を阻む。ブルブランだ。
「私がいることも忘れないで欲しい――な!」
さらに投げられた短刀が、後衛でアーツの準備に入っていたエリオットへと向かう。
「うわ!」
「エリオット!」
割って入ったマキアスが、ショットガンの銃身で短刀を払いのける。
そこで二人の動きが止まった。
「う、動けないよ」
「これは……!」
いつの間に投げたのか、マキアスたちの影に短刀が刺さっていた。ブルブランは口角を吊り上げる。
「先のは囮。本命はこっちだ。ミスディレクションは手品師の基本だよ」
「ペテン師でしょう、あなたは」
マキアスとエリオットの動きを止めていた短刀が撃ち抜かれる。家屋を迂回して飛び出したクレアがミラーデバイスを展開した。
ショットからのリフレクト。反射するレーザー光がブルブランのマントに焦げ跡を残す。
「うおおお!」
荒ぶ熱気の中をガイウスが突っ切っていく。彼の狙いはマクバーンだった。
「ずいぶんやる気だな。面倒くせえ」
顕現される巨大な炎の障壁。
「やめなさい、ガイウス!」
サラの制止を振り切り、ガイウスは槍を構えた。
烈風をまとった打突を繰り出すが、轟く炎壁を破ることは出来なかった。高熱に炙られた穂先が溶け、炭化した柄が崩れ落ちていく。
これが執行者のナンバーⅠ。次元が違う。
炎の向こうに見える人影が、歪な魔物のように揺らめいていた。
「最後に顔を合わせてから、もう何年になるかしら。久しぶりね、エマ」
「……姉さん」
禁忌を犯して故郷を離れた、かつての姉弟子。今や結社《身喰らう蛇》において、深淵の名を冠する第二柱。
魔女として自分より遥かに優れた才覚を持ち、ずっと憧れだったその人。ヴィータ・クロチルダ。
「せっかくだし、再会の語らいでもしましょうか?」
「ふん、よく言うわよ!」
エマの足元で、セリーヌが毛を逆立てる。
「嫌われちゃったものね。あなたがいたらゆっくりお話もできなさそう。――グリアノス」
蒼い羽を広げて、きらびやかな鳥が飛来する。ヴィータの使い魔たるグリアノスがセリーヌを追い立てた。
防護陣を展開するセリーヌだが、空からの執拗な追撃にその場から離されていく。
「セリーヌ!」
「じゃれてる程度だから大丈夫よ。ふふ、これで可愛い妹と二人きりでお話できるわね」
周りの戦闘は続いていた。
フィーはレオニダスとゼノ相手に立ち回っているが、俊敏さに陰りが見え始めている。明らかにスタミナ切れだ。
ルーファスと切り合うユーシスも、まるで歯が立っていない。姿勢が前に傾き、疲弊が表に出ていた。
マクバーンと戦っている仲間は防戦一方だ。サラやトヴァルを起点になんとか競り合っているが、自在に姿を変える火炎の群れに攻めあぐねている。
ラウラの戦況はよく分からない。デュバリィが足湯のただ中で、何やら憤慨している。
アルティナを追い回すミリアムだけが唯一優勢だった。
「意外に善戦してるじゃない」
ここまで届く熱波に目を細めて、ヴィータは前髪をかき上げる。
じわりと溶けだした足元の雪が靴に浸みていくのを感じながら、エマは魔導杖を握る力を強くした。
「話なら私にもあるわ」
「あら、なにかしら?」
エマが取り出したのは、一枚の封書だった。
「ローエングリン城の一室で見つけたの。……どうしてこんなことを書いたの? 姉さん」
「ちゃんと読んでくれたみたいね。嬉しいわ」
それは破れた肖像画の部屋に置いてあったものだ。封書の宛名にはこう記されていた。
“親愛なる妹へ”と。
筆跡と名題から、エマにはそれがヴィータの手回しだと一目で分かった。
同時にあの時、ローエングリン城で起きていた異変の正体にも。
「来ていたのね、あの場に」
「ええ」
一人でに浮く食器の数々。動き回る怪しげな影。あるはずのない隠し通路。降りているはずなのに、いつの間にか昇っていた螺旋階段。
全てはヴィータの幻惑だ。
霧の古城を包み込むほどの強力な幻の力が、訪れた者たちの認識を大幅に狂わせていた。
たとえばリィンとエマが再会した隠し通路。あれもただの通路だ。その時そばにいたエリゼとラウラもそれに気付かず、目鼻の距離の彼らが、まるで壁の向こうにいるかのように会話している。
内部の構造など何一つ変わっていないのに、リィンたちは迷宮に迷い込んだ感覚に陥っていたのだ。
「あの場所に元々あった歪みに私の力を同調させたの。単なる余興のつもりだったから怒らないで欲しいわ」
「………」
「それで手紙の返事は?」
「答えはもちろん“いいえ”よ」
エマの返答を予期していたらしいヴィータは納得したようにうなずく。
あの手紙にはこう書かれていた。
“《身喰らう蛇》に入りなさい。また私と一緒に歩きましょう。それで全てがうまく回っていく”
「そう言うと思ったわ。でもね、あなたはいずれその選択をする」
「そんなこと――」
あるわけがない。そう続けようとして、エマは言葉を止めた。ヴィータが何かを掲げている。クオーツにも似た、輝く何か。
「私もあの時、ローエングリン城にいた。だから灰の騎神と幻獣の戦いも見ていた」
不気味な鳴動が拡がっていく。異様に寒気のする空気が、ヴィータを中心に渦巻いていく。
「あなた達は気付かなかったようだけど、倒された幻獣はこれを生み出してから消えたの。古の力の塊――そうね、宝珠とでも呼ぼうかしら」
鋭い光が弾ける。
曇天を穿ち、燦然と輝く光の大剣が無数に降り落ちてきた。一つ一つが破滅級の威力を備えた光剣。それらを中継として、巨大な陣が形成されていく。
息さえまともにできないほどの凄まじい圧迫に、エマは立っていられず膝を付いた。手から離れた魔導杖が雪に沈む。
「失われた力の一つ、《ロストオブエデン》。名の通り、このユミルという楽園を丸ごと消しちゃうこともできるのだけど」
「や、やめて!」
「そう。じゃあ、どうする?」
「姉さん、お願い!」
どこまでが本気か分からない。
ユミルを消すことも、自分を結社に誘うことも。
「考え直して、エマ。私はあなたが辛い思いをするのが嫌なの。私と一緒に来てくれたなら、あなたが知りたがっていることを教えることだってできる」
「あ……」
どうして禁を犯して、自分の前から去ったのか。ずっと知りたかった、その理由。
「可愛い妹。あなただけはやっぱり特別なのよ。心配しないで。結社に入ったからと言って道理に外れたことをやるわけじゃないし、ただ私の手伝いをして欲しいだけ」
あなたは執行者にもならないし、なれない。ヴィータはそう続けた。
「もちろん断るのは自由。だけどね、私たちの敵という立場が確定したら、当然今みたいな状況は必ずまた訪れる。意地を通すだけで大切なものを守り通すことはできないわよ」
こんなものは脅しだ。強大な力を見せつけて、選択肢を奪おうとしているだけだ。屈してはいけない。
どうにか立ち上がろうとするエマに、ヴィータは微笑みかけた。
「むりやりに連れて行くつもりはないわ。あなたが望む形で私の元に来るのが一番いい。一つ予言をしましょうか。魔女の予言を」
「予言……?」
不意にヴィータは力を解いた。光が消え、圧が薄れていく。宝珠を胸元にしまうと、彼女は言った。
「私は勧誘の問いを三回する。今のが一回目、答えは“ノー”だったわね。きっと二回目も断るでしょう。でもね、三回目であなたは首を縦に振る」
「私はそんな誘いには応じないわ」
「本当に言い切れる?」
甘い毒を飲まされている気分だった。体の内側から見えない何かに蝕まれていくような、そんな得体の知れない不安があった。
「まあ、今日はここまでね。そろそろ上も決着がつきそうだし」
上空から響く剣戟の音が、少しずつ下がってきていた。
「あとは導き手として、自分たちが見込んだ騎士同士の戦いを見守るとしましょう」
ダブルセイバーとシュピーゲル用ブレードが衝突し、鉛色の空に火花が散る。
力で押したヴァリマールが上を取り、さらに追撃を加える。双刃を翻したオルディーネがそれを捌き、ブースターの推力で押し返す。
「そう簡単には通じないか」
間合いを開けて、ブレードを構え直す。
『やりづらそうだな、空中戦』
オルディーネからクロウの声。
『灰の騎神の戦歴は把握している。お前、ほとんど空で戦ってないよな。理由は大体分かるけどよ』
「何がだ」
『単に感覚が掴めないんだろ』
オルディーネが高速接近。とっさに後退するも勢いの乗った斬撃はかわせず、ヴァリマールの右肩部に刃傷が刻まれた。
「ぐっ!」
クロウの言う通りだった。自分でも気付いている。
騎神は機甲兵と違い、己の身体感覚をトレースして操る。地に足を付けない剣術など存在しない。守りも攻めも、その動きを支える重心移動も、全て足が要だ。
だから今までリィンは地上戦を好んできた。幻獣相手などに空中戦をやる機会もあったが、そういった時は一切剣を使っていない。自分にない感覚だから、満足に扱えなかったのだ。
それでも何とかなっていた。少なくとも空を飛ぶ機甲兵はいないから。
しかし相手が同じ騎神となるとそうはいかない。
「上へ……!」
スラスターを炊いて上昇。有利な位置だけはキープする。
郷を壊さないように自分で選んだ戦域ではあるが、まさかここまで差が出るとは思わなかった。しかもずっと飛び続けている上に、回避の度にブーストを使っていたせいで、
『霊力残量、35パーセント』
ヴァリマールが告げる。滞空しているだけでもジリジリと霊力は消費するのだ。
だが条件は向こうも同じ。ほぼ同等の霊力を使っているはずだ。
『霊力切れを狙うとか、まさかそんなぬるいことは考えちゃいねえよな?』
見透かした声が届いた直後、機体が激しく前後に揺れた。腹部に入った膝蹴りが、ヴァリマールの体勢を崩す。離したつもりが、あっという間に追いつかれていた。
『言っておくが、こっちの霊力はまだ70パーセント近く残ってる』
「っ!?」
なぜ。どうしてそんなに消費量が違う。
『騎神がすぐにエネルギー切れで動けなくなる仕様なら、例えば物量作戦なんかやられただけで簡単に封殺されちまう。でもそうはならない理由がある。仮にも巨いなる力と言い伝わる存在だからな。戦い続けられるんだよ、たった一体でも』
ダブルセイバーを胸前に掲げる。
「これがお前にできるか」
周囲に輝粒が舞い、二つの刃が光をまとう。装甲の各部がスライド展開し、全身から霊力を噴き出すオルディーネが、ヴァリマールに向かって空中を疾駆する。
あれを受けたら終わりだ。剣を縦に構えて防御するが、無駄だった。手から弾かれたブレードが、不規則に回転しながら眼下へと落ちていく。
返す刃が再びヴァリマールに迫った。
突然、灰白の装甲が琥珀色に輝く。これは――
「マキアスか!?」
地上から戦術リンクの光線が伸びていた。こちらの状況に気付いて、瞬時に騎神リンクを繋いでくれたのだ。
マスタークオーツ《アイアン》の特性が身に宿る。琥耀の力に覆われた腕が、斬撃を素手で弾き返した。
すかさず開いた胸部に拳を打ち込む。決定打には程遠いが、ようやくまともな一発が当たってくれた。
『へえ、今のが騎神リンクってやつか? 報告は聞いてるぜ』
「そうだ。これが俺たちの力だ」
『俺たち、ね』
意識をマキアスと同調させる。
開いた五指を突き出し、霊力で増幅したニードルショットを放った。尖石の弾丸をくぐり抜け、オルディーネが再び距離を詰めてくる。
また防御を。腕を交差して身構えた時、急に《アイアン》の力が消失した。
「なんだ!?」
地上に目を向けると炎に追われるマキアスが見えた。マクバーンの猛攻のせいでこちらへの意識が完全に途絶え、リンクブレイクを起こしたのだ。
はっとして視線を正面に戻すが、遅かった。大きな衝撃。喉元をオルディーネにわし掴まれている。
そのまま急降下。
高度がみるみる下がり、地上が近付いてくる。ブースターを全開にして抵抗。しかし相手の推力に押し負けた。
ヴァリマールは郷のすぐ近く、積雪の深い丘陵に叩きつけられた。
ダメージは深刻だ。すぐには起きられない体に、今度こそ逃げ場のない切先が突き付けられる。
『ま、こんなもんだろ』
「ぐ……騎神リンクを使わさない為に、総攻撃を仕掛けてきたのか」
『一応それもある。俺は必要ないって言ったんだけどな。主催者様が念には念をとうるさくてよ』
「主催者?」
その時、パンタグリュエルから拡声された音声が響き渡った。
『諸君、その辺りにしておきたまえ』
聞き覚えのある、どこか鼻につく声。
「カイエン公か!」
『いかにも』
貴族連合の総主催。事実上の頭目。彼の言葉が合図になったように、敵の攻撃は止まっている。
『顔も見せずに失礼は承知だが、まずはこちらの用件を先に伝えよう。リィン・シュバルツァー君、君をこの艦に招待したい』
「俺をパンタグリュエルに?」
『そう。直接顔を合わせて話をしようではないか。君らの行く末にも関わることだろう』
まったく予想しない言葉だった。しかも自分一人をとは。
『案ずる必要はない。会談の席はすでに用意している』
ユミルを戦場にしておいて、この悪びれる素振りさえない物言いはなんだ。まるで、そう――これで手打ちにしてやると暗に言い含めているような。
この内戦を仕組んだ者。何をもってこの動乱を引き起こしたのか。その真意を確かめたい気持ちはあった。
だが裏があったらどうする? ヴァリマールの破壊や無力化が目的だったら?
安易に応じていいものか、逡巡するリィンにクロウが言った。
『カイエン公がお前と話をしたいってのは本当だ。騎神から降りた直後に拘束なんて真似はしねえ』
「それは信用できるのか?」
『まあ、警戒して当然か。それとお前に伝えることがもう一つ』
その先の言葉はカイエンが継いだ。
『この艦は現在、アルフィン皇女殿下を保護している』
臆面もなく“保護”を口にする厚顔に、静かな怒りが胸の内に広がる。
「……クロウ。それは間違いないか」
『ああ』
何にせよ、その一言で全てが決まった。
行く。そして自分の目で見極める。
『決断したらしいな。俺が先導するから付いて来い。甲板デッキまで飛ぶくらいの霊力は残ってるだろ?』
刃を引いたオルディーネが背を向けた。
緩やかに浮上する蒼い機体に続くべく、リィンが立ち上がった時、
「兄様!」
ヴァリマールの足元にエリゼが走ってくる。肩を激しく上下させ、息を切らしながら彼女は言った。
「私も連れていって下さい!」
「ダメだ。皆と待っていてくれ」
貴族連合の旗艦。安全の保障など口約束のレベルだ。ましてエリゼはアルフィン共々さらわれかけている。
リィンは聞き入れようとしなかったが、しかしエリゼも退かなかった。ヴァリマールの足にしがみつき、必死に飛ばすまいとしている。
「離れるんだ、エリゼ!」
「姫様を救う為に兄様たちに同行してきました。ここでただ待つことなんてできません。お願いです、兄様!」
モニターに映るエリゼが見上げてくる。ここが彼女の目的の全てなのだ。
その臆さない瞳を真正面から受け止め、とうとうリィンは折れた。
「絶対に俺のそばから離れるな。それが条件だ」
「あ、ありがとうございます!」
準契約者でないエリゼは核には入れない。ヴァリマールをかがませ、手の平に彼女を乗せる。
戦闘を切り上げたらしいフィーが走ってきた。エリゼと何やら短い会話を交わした後、フィーはあっさりと引き下がる。
「もういいのか?」
「ええ、大丈夫です」
手の角度を変えないよう、ゆっくりと立ち上がる。
「行くぞ、パンタグリュエルへ」
「待っていて下さい、姫様……」
ブーストバインダー展開。放出された霊力が輝きを散らし、周囲の積雪を吹き上げる。
エリゼを抱えたまま、ヴァリマールは白銀の巨船へと飛翔した。
――続く――
《another scene ホワイトエンド》
ユミル渓谷道を郷に向かって進む男たちがいた。彼らはユミル襲撃の別働隊だった。
郷には協力者を中心とした主力部隊を。山道側には騎甲兵部隊を。そして渓谷道側には歩兵部隊を。
これが今作戦の布陣である。
「戦闘はもう始まっているようだ。予定時刻より早い。こちらも急ぐぞ」
三分隊からなる一個小隊。総勢は九人。その統括隊長を務める男がそう言った。
「……とはいえ、俺たちの出番などないかもしれんがな」
部下たちには聞こえないようにぼやき、彼は雪道の先を見る。
自分たちの役目はユミルの住人が逃げ出さないよう、退路を封鎖すること。抵抗する者がいれば、手段問わず拘束して捕虜にすることも許可されている。
正直なところ、住民の捕虜など必要ないと思っていた。利用価値がなく、扱いづらいだけだからだ。
交渉用の予備だと人づてに聞いたが、それが誰に対しての、どんな交渉なのかは説明されなかった。
まあ、自分が知らなくてもいいことなのだろう。知りたいとも思わない。
「むしろ抵抗してくれた方がいい。その方がてっとり早く事が済む」
これは周りに聞こえるように言った。
「はは、確かにそうですね」
「違いありませんな」
追従する部下たちが笑う。
こんな辺鄙な雪郷まで出張って、その役割は裏方と来たものだ。早々に作戦を終わらせて帰艦したいというのが本音ではあった。
所定の待機位置まではもう間もなく――
「ん?」
気付けば視界が白くかすんでいる。周囲に粉雪が舞っているようだ。
「なんだ、別に吹雪いてはないぞ。これは
濁っていく白景色の向こうに、一瞬だけ人影が映る。メイド服……?
目を凝らす彼のすぐ横を、今度は小さな影が通りすぎた。目で追い切れないほどの速さだ。
影は分裂しながら駆け回り、隊列を乱していく。
「た、隊長! 何か、何かがいますっ、ぎゃあああ!?」
耳をつんざく悲鳴に振り返ると、部下が宙に浮き上がっていた。後ろから誰かに首根っこを掴まれている。大熊のようなシルエットの誰か。
襲撃を受けている? どの勢力から?
「全員散開!」
「うわああ!」
不可解さを拭えないまま指示を発した時、空から大量の弾丸が降り注ぐ。
「身を低くして散れ! 散れえっ!」
妙だ。銃撃にしては銃声がない。頭をかばいながら上を見上げると、木の上にも人影があった。他の地方でも見たことがある。あれは駅員用のスーツだ。
何者かなど、この際どうでもいい。撃ち落としてやる。
小銃の筒先を持ち上げ、狙いを付けようとした直後、近くの地面が爆発した。巻き込まれた何人かの部下が、土砂をかぶりながら宙を舞っている。
塞がれた視界の中で誰かが叫ぶ。
「今のは戦車砲だ! 戦車が潜んでいるぞ!!」
「どうなってる!? こんな地形に配置できるわけが……」
「そもそもユミルになんで戦車が――ぎゃああ!」
二発目の砲撃が至近距離で着弾。メキメキと巨木が倒壊し、無様な恰好でその下敷きになる部下の群れ。
容赦ない攻撃は続き、もう隊長の男以外残っていなかった。
「くそっ、くそ!」
こんな話は聞いていない。彼は脇道に転がり込んで、雪深い林の中を逃げ惑う。
次第に靄が薄れてきた。攻撃も止んでいる。敵はこちらを見失ったらしい。あとは何とかして本隊に合流を――
「……!?」
足が止まる。進行方向の先、木々の間に誰かが立っていた。線の細い立ち姿。女性だった。
吹き抜ける冷たい風が、清楚なロングスカートと深い藍色の髪をなびかせている。
とっさに彼は思った。なんでこんなところにいるのかは知らないが、あの女を人質にしてやる。姿の見えない襲撃者どもへの盾にもなるかもしれない。
「おい女! そこを動くな……あ?」
しなやかに腕を振る女性。
その手の平に空気の渦が生まれ、周囲の粉雪が集まっていく。
瞬く間に生成された雪玉を携え、彼女は優しげに微笑んだ。
「ようこそユミルへ。そして、さようなら」
それが最後に聞いた言葉だった。目に映る全てが白に染まり、彼の意識は途絶えた。
☆ ☆ ☆
お付き合い頂き、ありがとうございます。
《休息日アナザー インサイドアウト》でヴィータが「私は用事があるのよ」と言ってどこかに行く描写は、ちょうどローエングリン城に向かうところだったりします。
《霧の古城》《導きの証明》での異変は全てではありませんが、ほぼ彼女の仕業です。手紙を見つけた時のエマの反応は「近くに姉さんがいるかも……?」という焦りからくるものでした。
さて今回から幕間。第Ⅱ部へと繋がる重要なパートですね。
第Ⅰ部の締めまでもう間もなく。どうぞ引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。