『マキアス・レーグニッツ。被弾ノ為、失格』
ヴァリマールの判定の直後に、ズタズタのボロボロにされたマキアスが地面に墜落した。ぐしゃりと頭から雪に埋まり、続く下半身も力なく沈んでいく。
彼に遅れて、粉々に粉砕された眼鏡の残骸が降り注いだ。きらきらと反射するレンズの欠片。ガラス片のダイヤモンドダストを背景に、ルシア・シュバルツァーは立っている。どこか幻想的で、荘厳な光景だった。
その口が静かに開かれる。
「パープル」
「は、はい」
身を強張らせ、パープルは直立不動になる。
「申し訳ございません……ユミル六柱がことごとく破られ、このような不甲斐ない結果を残すことになろうとは」
「あるまじき失態です」
「で、ですが! まだ勝負はついておりません。この《紫閃》の力があれば――」
「違いますよ、パープル」
柔和な瞳がわずかに険しさを帯びる。辺りの温度が下がった気がした。
「あなたは六柱として禁を犯しました。私の言う意味が分かりますね」
「は……」
顔を蒼白にしたパープルは視線を落とす。雪にうもれた拘束衣が散乱していた。
「彼女の相手は私がしましょう。あなたは山道側に行きなさい。アリサさんとエリゼがそちらに移動しています」
「そんな! 先にクレアさんとの決着をつけさせて下さい! その為に私は今日まで……」
「戦いに私情を持ち込めば粗が出ると常々言い含めておいたはず。これはあなたの未熟が招いた結果です」
悔しそうに拳を固めるパープル。
「六柱の一角として責務を果たしなさい。いいですね?」
「……《雪帝》のお言葉のままに」
クレアを一瞥したあと、パープルは山道側へと走っていった。
「さて、時間を取らせてしまいました」
ルシアはクレアに向き直った。
この圧迫感。意識していないと足を引いてしまいそうになる。
「あなたがユミル六柱を束ねる存在でしたか。《雪帝》と言いましたね」
「隠していて申し訳ありません。ですが自分から語るようなことでもなかったので」
「その称号は最強と同義。その認識でいいですか」
「ええ。先代から引き継いだものですが」
ルシアの向こう、クレアは救護テントに視線をずらす。バギンス支配人は緊張の面持ちでこちらを見ていた。おそらく先代の《雪帝》とは彼なのだろう。
「あら、よそ見とは余裕ですね」
「まさか。あなたを倒す為の策を考えているところです」
言いながら、判明している情報を頭の中に高速で並べ立てる。先ほどマキアスを屠った技。変化球に連投、威力もあった。命中精度も高い。
回避力はどうだろう。たおやかな動作は普段と変わらないから、そこまで速くはないかもしれない。実力を測る為にも、まずは先制すべきか。
思考を巡らせるクレアを、ルシアはきょとんとして見返した。
「倒す? 私をですか? そういえばあなたは
「自ら名乗ったわけではありませんが」
「ふふ……」
ルシアから小さな笑みがこぼれる。
風がぴたりと止んだ。耳の奥が痛くなるほどの静寂が訪れる。世界が沈黙したかのようだった。
「氷の乙女がどうやって雪の女王に勝つというのです」
瞬間、その姿が消えた。
気配、後ろ――
「!?」
素早く身を返す。背後にルシアが立っていた。すでに投げられていた雪玉が、間一髪クレアの足元をかすめる。斬撃の鋭さだ。
ずっと正面に捉えていたはずなのに、初動も見えなかった。
「いい反応です」
「行きなさい、ミラーデバイス!」
ほとんどはパープルの一投に散らされてしまったが、まだ扱えるものがいくつか残っている。
間合いを詰められては危険だ。少しでも牽制を。
ミラーデバイスが空中を滑空し、ルシアに迫る。
死角に回り込みながら距離を縮める最中、見えない壁にでもぶつかったかのように、突然鏡面が砕け散った。
不規則に動きを乱しながら、それらの全てが地面へと落ちる。相手はまったく動かず、腕を振ってもいなかった。
「い、今のは」
「目も良いようですね」
ルシアは小粒の雪玉を指で弾いていた。弾丸と化した雪玉が、恐ろしい程の正確さでミラーデバイスを撃ち抜いたのだ。
驚異的な技術だ。最強の名は伊達ではない。だとして、どこかに付け入る隙はないか。
あくまでも冷静に実力を推し量るクレアに、ルシアは言った。
「この程度の芸当でしたら、ジェラルドさんもできますよ」
「六柱にできることなら、その長たるあなたにもできて当然というわけですか」
「いえ、少々ニュアンスが違いますね」
ルシアは優雅なステップを踏む。可憐に身を翻す足元から膨大な粉雪が舞い上がり、瞬く間に濃い
「これはメイプルさんの術?」
先の交戦時、メイプルは自分に与えられた力だと言った。
だとするならば、《幻惑》のスキルを与えたのは他ならぬルシアということか。いや口振りからすると、おそらく彼女だけではない。《乱撃》も《暗技》も《瞬皇》も、そして《紫閃》も。
まさかユミル六柱とは――
「彼らは《雪帝》の能力――その一端を分け与えられた者たち。そしてユミルにおける雪合戦とは、その資質を持つ人間を選定する為の、言わば“振るいの儀式”……ですか」
「本当に聡明な方ですこと。順序の話で言えば《雪帝》の選出が先ではあるのですけどね」
六柱は《雪帝》に連なる者であり、同時に次代《雪帝》の候補でもある。
バギンスが救護テントの前に立ち上がり、深くうなずいた。
「私の若い頃は雪合戦が開かれる度、《雪帝》は頻繁に代替えをしていました。それほど六柱の力が拮抗していたからでしょう。誰しもが最強に届き得る実力を有していたのです」
彼は遠い目で空を見上げた。
「ですが一人の天才が現れた事で、その様相は一変しました。ルシア様が頂点に立たれ早八年。その間、一度も《雪帝》は交代していません」
すなわち無敗。八年もの間、雪玉の一発さえ彼女には当たっていないのだ。
クレアは靄の中を走る。
まずはこの場から離脱しなくては。正面からぶつかっても勝機は薄い。幸い、この靄が自分の姿を隠してくれる。
白煙をかき分け、外に抜ける。目の前にはすでにルシアがいた。
「なぜ私がここから出てくると?」
「空気の流れで動きは読めます。メイプルと同じと侮ってもらっては困りますね」
しかし意せず接近した形だ。とっさにクレアは雪玉を投げる。避けられる位置ではない。
命中したかに思えた一投は、ルシアをすり抜けた。その虚像が薄れて消える。
「残像……!?」
「ご明察」
また背後を取られていたが、ルシアは雪玉を持っていない。攻撃権はまだこちらにある。二撃目を構えかけたところでルシアが言った。
「お見せしましょう。《雪帝》の力を」
彼女は五指を開き、腕をしなやかに振ってみせた。指の間を抜けた風が、手の平に小さな空気の渦を作り出す。
天から降る雪。地に積もる雪。宙に滞空する雪。
あらゆる雪の粒子が吸い寄せられるや、勝手に球状として固まっていく。掲げる手に、ほとんど一瞬で雪玉が形成された。
驚く暇もなかった。投げられる前に回避行動を――
投げてはこなかった。それを手に携えたまま、ルシアは瞬時に懐に踏み込んでくる。
掌底と共に、クレアの右脇腹に雪玉が直接叩き込まれた。
「うっ」
「投げて当てるというルールはないのですよ。この『雪帝掌』から逃れられた者は一人もいません」
これが最強。人が戦える相手ではない。エリゼさん、リィンさん。あなたたちのお母様は何者ですか。
頭の片隅でそんなことを思いながら、クレアは膝からくずおれる。
『クレア・リーヴェルト。被弾ノ為、失格』
ヴァリマールの判定が終わらない内に、ルシアは踵を返している。白一色に彩られた山道を見やり、彼女はつぶやいた。
「残るはあの子たちですか」
エリゼとアリサは山道で戦っていた。
回避力はエリゼがやや上、命中率はアリサがやや上。総じての実力は、ほぼ互角である。
この山道はスノーボードを楽しむためにと、郷の若衆が定期的に整備していて、目立つ遮蔽物が少ない。
いくつかの木々が散見される他は、動かそうにも動かせないような大岩が点在するぐらいだ。あとは山道故の坂道と、そこまでの高さはないものの、ボードのジャンプ台代わりにしている崖状の段差が各所にある。
それらがこのフィールドの特徴的な地形だった。
お互いに決定打を刺せず、二人の勝負は長引いている。
膠着する戦局。そこに一発の砲弾が撃ち込まれた。着弾の衝撃に山道が激しく揺れる。
「戦いの最中に申し訳ありませんが、お二人ともここで倒れて頂きます」
見晴らしのいい坂の上に立つパープルが、丁寧な一礼をしてみせた。
「な、なにこの威力? 本当に雪玉!?」
驚愕に身を引くアリサとは逆に、エリゼは前に歩み出た。
「……パープルさん」
「心苦しい限りですが、たとえエリゼお嬢様であっても手を抜くわけには参りません」
アリサが割って入る。
「ラックさんやジェラルドさんと同じで、あなたもユミル六柱なの?」
「いかにも。《紫閃》の称号を冠しております」
エリゼに目を向けるアリサ。
「ねえ、エリゼちゃん。ユミル六柱ってなに? 何ていうか、ユミルの人たちってみんなそういう感じなの?」
「……わかりません」
「え?」
「私にもわからないんです」
渓谷道でリィンにユミル六柱のことを訊かれた時、ユーシスの襲撃で返答が中断されたが、エリゼはこう続けるつもりだった。
それは――私も知りません。
「エリゼお嬢様はご存知ないはずですよ。もちろんリィン様も」
「どうして私たちだけ……」
急にパープルがその場から飛び退いた。外れた雪玉が地面に当たって砕ける。
「そういえばもう一人おられましたね」
「状況は掴めぬが、この局面をどうするべきか」
パープルの背後に姿を見せたのはラウラだった。メイプルの乱入でエマたちから逃れた彼女もまた、山道側に来ていたのだ。
彼女を見るや、アリサは言った。
「ラウラ、今だけ協力して! エリゼちゃんもいい?」
個々では勝てない。全滅させられる。肌で直感した故の提案だ。
「わかりました!」
「異論はない。パープル殿を倒した後で、改めて仕切り直しということだな」
エリゼもラウラも同感だった。即決して、それぞれが手に雪玉を構える。最後の生存者たちによる、即席ABC連合チームの結成だ。
ラウラが背後を取っている今なら、挟み撃ちができる。パープル目がけ、三人は一斉に投げた。
「いいでしょう。むしろ手間が省けるというもの」
パープルは自身の真下に雪玉を振り落とす。
もはや隕石の落下。彼女を中心に円状のクレーターが生まれた。凄まじい轟音と波動。まるで瀑布が逆流したかように、周囲の積雪が天に向かって勢いよく噴き上がる。
アリサたちの攻撃は、白き障壁に呑まれて消失した。
「いかん、散開だ!」
ラウラが叫ぶと同時、漂っていた
明瞭になった視界の中に、彼方へと伸びゆく閃光が一同の目に映った。少しの間のあと、ずずうんと重い音が遠くから返ってくる。
数百アージュは離れた丘陵に届いた雪玉が、局地的な雪崩を引き起こしていた。
「なんですか、これ……」
「さ、災害レベルなんだけど」
「尋常ではないな」
呆然とする連合チームをよそに、パープルは再び振りかぶっていた。
逃げ惑うアリサたちを容赦なく砲弾が襲う。
爆発に次ぐ爆発。根元からへし折れた巨木が宙を舞い、弾け散った岩石のつぶてが八方に跳ね回る。
「止まるな! かすっただけでも助からん!」
「誰か作戦はありませんか!?」
「考えてるけどまとまらないわ!」
撒き散らされる破壊。
ようやく攻撃が止んだ時、山道には無惨な光景だけが拡がっていた。その荒涼たる有様は、かのガレリア要塞跡地を彷彿とさせる。しばらくはスノーボードに興じることもできないだろう。
「……少々やり過ぎましたか。見失ってしまいましたね」
パープルは周りを見回す。三人の姿は見つからなかった。
「隠れていても無駄です。いつまでも出て来ないのなら、怪しい場所に雪玉を撃ち込んであぶり出しますよ」
もう雪玉は放り投げるものではなく、撃ち込むものらしい。
近く、斜めに傾いた木の裏からエリゼが飛び出した。
「こっちです!」
「囮のつもりですか?」
領主令嬢にも容赦ない一撃。エリゼの髪をかすめて過ぎた雪玉が、奥の瓦礫の山を派手に吹っ飛ばした。
エリゼはかろうじて残っていた、もう一本の木の陰に滑り込む。しかし、そんなものが盾代わりにもならないことは明白だった。
「こちらにもいるぞ」
反対側の岩陰からラウラが雪玉を投げる。かなりの速度だったが、最小限の動きでパープルはかわした。彼女は回避力も高い。
前後からエリゼとラウラで攻める。うまくタイミングをずらして、連撃を切らさないようにしていた。
パープルの一投には溜めがいる。投擲のモーションを取らさなければ、すぐの反撃は来ないと踏んだのだ。
「考えましたね。ですが本命は姿を見せないアリサさんでしょう?」
「……やはり読まれているか」
投げる手は休めず、ラウラは目だけを巡らす。
実際その通りだった。先の砲撃の嵐の中、まともな打ち合わせができるはずもない。
散り散りになる前に三人が決めたのは、二人が囮役となり、一人が死角から狙う。ただそれだけのことだった。
だからラウラもエリゼもアリサがどこにいるか知らない。もしかしたら、もう瓦礫の下敷きになっているかもしれなかった。
足元に作っておいた雪玉のストックがもう無くなる。これが尽きた時が彼女たちの最後だ。
「まだかアリサ、早く……!」
最後の一球が手元から離れた。待ち構えていたように、パープルが振りかぶる。
その時、別方向から雪玉が飛来した。斜め上。小高い崖上からだ。完全な死角だったが、パープルは容易く見切ってみせた。
「そこでしたか」
「誘いの隙だ! 逃げろ、アリサ!」
ラウラが言い終わらない内に、的を定めたパープルの一投が突き進む。
獣の咆哮にも似た風切り音。崖の岩肌が抉り上げられ、アリサが潜んでいるであろう場所が木っ端微塵に破砕した。
バラバラと崩れ落ちる木片や土くれの残骸の中に、しかし彼女の姿はなかった。
「いない!?」
「ここよ!」
被弾した横の茂みからアリサが立ち上がる。今の雪玉は場所を欺くためのフェイク。しならせた木の枝に雪玉を引っかけて飛ばし、パープルの目測を狂わせるのが目的だったのだ。
投擲直後のわずかな硬直。ようやく見せた隙。
その一瞬を見逃さず、高低差の利も借りたアリサの全力投球が放たれる。初めてパープルの表情に焦りがよぎった。
俊敏なバックステップで、ぎりぎりで回避に成功するパープル。しかしその足首に何かが引っ掛かる。
「な、いつの間にこんなもの!」
「気付かなかったでしょう。これだけ辺りを荒らしたから」
エリゼの手に蔓が巻かれていた。何本もより合わせて長さを増した蔓は、最初に彼女が隠れていた木の根元に括りつけられている。この蔓はえぐり返された地面から見つけ出したものだ。
寒い地方の植物はしなやかで強い。紐代わりにするには十分な強度である。フィーが多用するトラップの一つでもあった。
エリゼはあの砲撃の嵐の中でこれを作り上げ、蔓を持ったままここまで移動していたのだ。
ピンと張られた蔓のロープが、パープルの足元をすくう。
「くっ!」
大きく体勢が傾くパープル。その視界に映るのは、力強く腕を振るラウラの姿だった。
「当たれえっ!」
伸びのあるストレートが走り、ついに《紫閃》を捉える。
『パープル。被弾ノ為、失格』
どさりと仰向けに倒れ、彼女は言った。
「お見事です。事前の打ち合わせもせず、個々の判断だけでこれほどの連携をこなすなんて」
「……教えてくれますか。私の知らないユミルの秘密を」
歩み寄るエリゼを見て、パープルは唇を小さく動かした。
「それは――」
「私が教えましょう」
何者かの声が言葉を継ぐ。
「え?」
エリゼが顔を上げた先には、雪玉を手にしたルシアの姿があった。
「すみません、負けてしまいました」
救護テントにクレアが戻ってくる。ここは今、敗退者と怪我人の控え場所になっていた。
「あ、おつかれさまでした。Aチームはこっちですよ」
エマが手を振ってクレアを呼ぶ。
参加者の面々は、ある程度チームごとに固まって待機しているらしい。
クレアはテント内を見回して、浅く嘆息をついた。
「何と言いますか、まあ……負傷者だらけですね」
地べたに座るフィーの片腕には包帯が巻かれていた。その横では首をコルセットで固定されたサラが、何やらシャロンに詰め寄っている。
処置用ベッドに寝かされている人たちはもっと重傷のようで、ラックは目を押さえたまま呻き続けているし、ガイウスは気を失ったまま微動だにしない。
中でも悲惨なのはマキアスで、全身がぼろ雑巾のようにズタボロの上、ところどころ間接が変な方向に曲がっていたりもする。
その傍らに立つユーシスは不機嫌そうに彼を見下ろし、ツンツンと患部を突いては地味な仕返しをしていた。マキアスにやられたのがよほど悔しかったのだろう。
ヴェルナー料理長に至っては最奥のベッドに横たわったままだが、接続された心電図モニターに反応はなく、代わりに『ピ―――』と途切れない高音が鳴り続けている。容態を看ていたリサが「ご家族に連絡を」などと教区長にひそひそ耳打ちしていた。
もしかしたら、もう彼の料理は二度と口にすることはできないのだろうか。漠然とクレアはそんなことを思った。
その時、パープル敗退のアナウンスが響く。
「あのパープルさんが……一体誰が彼女を倒したのでしょうか」
「山道側の状況はここからじゃ分からないですね」
ふとエマが言った。
「そういえばクレア大尉は大丈夫ですか?」
「え? ええ、問題ありません」
実際は脇腹に鈍痛があったが、心配はかけまいとクレアは平静に振る舞った。
雪帝掌とやらの威力は生半可ではない。正直、普通に立っているのも辛い。壁に背を預けたいくらいだった。
「まさかルシアさんが六柱の筆頭とは思いませんでしたよ」
「私もです。突然跳んでいってしまいまして」
上を見るエマ。テント上部の幕が破れ、空が見えていた。どんな出撃の仕方なのか。
「それにしてもユミル六柱……相当の実力者ばかりでした。これを言っていいのか、正面からの戦いでは猟兵にも引けは取らない気がします」
「それは私が解説しよう」
クレアが言った時、例の鳩時計男爵が窓から顔を出した。その都度付き合わされるセリーヌはうんざり顔だ。
「ほんと、なんでこの位置から救護テントの会話が聞こえるわけ?」
「領主だからな」
「免罪符のように使うんじゃないわよ。ちなみにアンタの息子は不可抗力って言葉を免罪符のように言うけどね」
テオはクレアを見た。
「なぜ六柱がそろっていながら猟兵に後れを取ったか、だったな。その答えはただ一つ。あの日は雪が十分に積もっていなかったからだ」
「はい?」
「だから雪が積もっていなかったのだ。雪玉を作れなければ彼らの力は一般人と変わりない」
「雪玉じゃなくてもボールとか石とか、投げられるものはいくらでもあると思うのですが」
「他のものではダメだ。スイッチが切り替わらん」
モチベーションが上がらないということだろうか。
テオは不敵に笑ってみせた。
「もしもあの時に雪が積もっていれば、六柱の力で猟兵など数分で殲滅したであろうな。いや、ルシア一人でもそれをやってのけたはずだ」
「もうやめなさい。アンタのケガの台無し感がぐんぐん上昇中よ」
シュバルツァー邸の窓が閉まる。
テオの解説が終わったタイミングで、リィンが渓谷道から戻ってきた。
「お帰りなさい、リィンさん。遅かったですね」
「ちょっと落とし穴に足がはまってまして。他にもマキアスが罠を仕掛けてたみたいで突破に時間が――ってマキアス!?」
クレアに近付くリィンは、半死半生のマキアスに気が付いた。力だけを求めた修羅のなれの果てである。
「今の状況は? ヴァリマールのアナウンスだけは聞こえていましたが」
「各チームの生存者は一人ずつ。アリサさん、ラウラさん、エリゼさんですね。ユミルチームからはヴェルナー料理長の枠を使ってルシアさんが参戦しています」
「えっ、母さんが!? 大丈夫でしょうか。ケガなんかしなかったらいいんですけど」
むしろケガをさせる方だから大丈夫だと思いますよ。そう言いかけて、クレアは口をつぐんだ。
リィンは母親の実力を知らないようだった。いや、この様子だとユミルの雪合戦のことも把握していなさそうだ。
「うーん……?」
「どうしましたか?」
「あ、いえ。大したことじゃないんですが」
テント内を見ながら、リィンはしきりに首を傾げている。郷の事で思い当たることでもあるのだろうか。
「何かを忘れているような……」
「母様が《雪帝》……?」
ただ一代に一人しか名乗ることを許されない最強の称号。雪合戦の勝者が《雪帝》として君臨し、続く実力者たちが六柱として連なる。遥か昔から紡がれてきたユミルの習わし。
それがルシアから語られた郷の真実だった。
「お、おばさま」
「……ユミル恐るべしだな。もしかしてレグラムにも私の知らない風習があったり……いや、それはないか」
エリゼの両隣、アリサとラウラは何をどう受け入れていいものか困惑気味である。
ルシアはおもむろに両手を振り仰いだ。巻かれた風が雪を吸い、程なく手の平に雪玉が生成される。
魔法のような光景にエリゼは目をこすった。
「い、今何をしたんですか?」
「水の中に開いた手を沈めると、指の間に渦ができるでしょう」
「はい」
「つまりそういうことです」
「母様が何を言ってるのか分かりません!」
ルシアはエリゼたちを順々に見据えると、まとう気配を変貌させた。温和な賢母から歴戦の猛者へと。
「この三人が残ったのは何かの因果かもしれませんね。きっとあなた達にとって私は、いずれ形を変えて立ちはだかる壁となるでしょう」
その言葉の真意には誰も気付けなかった。
「勝ちたい理由が――叶えたい希望があるのなら、その想いの根幹を成すものが何かを知ることです」
地鳴りが郷の全域を震わせた。分厚い雲が太陽を覆い隠し、降る雪の勢いが強まっていく。
エリゼはしんと冷えた空気を頬に味わいながら、「連合チームは続行でいいな」と確認するラウラの声を聞いた。
「ええ、パープルさん以上の力を持ってるのは間違いなさそう。まだちょっと信じられないけど」
「エリゼもいいか? 母君と戦うことになるが」
「少なくとも母様は本気のようです。私も引きません」
エリゼにはまだ訊きたいことがあった。でもきっとそれは、ルシアを倒さなければ知ることができない。
「いい意気です。さあ、全力できなさい。あなた達の願いを雪玉に乗せて――!」
ぱんと地面が弾け、ルシアの姿が全員の視界から消える。
「全方位警戒!」
ラウラが指示を飛ばし、三人背を合わせる。
ルシアは離れた岩の上に立っていた。先制しようとしたラウラは動きを止める。その姿が分裂し、至るところに出現していた。
「これはモリッツ殿の分身か!?」
高速移動による残像。彼は横一列に十人が限界だったが、彼女は違う。縦横無尽に分身しながらも、その数は《瞬皇》のモリッツよりも遥かに多い。
その足元が雪を蹴立て、広範囲の靄を湧き立たせた。《幻惑》のメイプルの靄だ。白く濁っていく景色の中で、大勢のルシアが振りかぶる。
「みんな走って!」
アリサが叫ぶと同時、分身体の全てが投擲する。しかも連投だ。《乱撃》のラックを越える弾数と威力は、連射されるショットガンに等しい。
いくつかは幻のはずだが、その攻撃密度にはさほどの影響もなかった。穿たれて穴だらけになる地面を転げるようにして、全員必死で回避する。
「きゃあああ!」
「何これ、何これー!」
「頭を低くしろ!」
殺到する弾丸。重なる悲鳴。パープルとの戦闘で荒れていた山道がさらに崩壊する。大地が割れ、沈み、雄叫びを上げ、地形が目まぐるしく変わっていく。まるで世界の終わりを見ているようだった。
「……っ! アリサさん、左後方!」
終末のただ中で、エリゼの目がルシアを捉える。分身は動きを止めた本体に等速で戻る。それらの収縮の中心にいるのが本物だ。
「了解よ、ラウラも合わせて!」
「承知!」
反撃の機を逃すことはできない。弾幕の隙間を縫うように三方向から雪玉を投げる。いずれも直撃コースだ。
焦る素振りも見せないルシアは、向かってくる軌道上に三つの雪玉を放った。
針穴に糸を通す正確さで三球ともに相殺され、宙に白い飛沫が飛び散る。
「今のはジェラルドさんの!?」
「はあああ!」
アリサが驚愕する間にも、ラウラは渾身の一球を放っていた。彼女はこの三人の中で一番球速がある。
ラウラの直球に真っ向から相対するは、同じくルシアのストレート。しかしあらゆる次元が違う。
音速の壁をぶち抜いた雪玉の衝撃波が、周囲の気圧を瞬間的に下げ、円錐状の水蒸気を爆発的に発生させた。
衝突することすら敵わず、圧力だけでラウラの雪玉は霧散する。
「避けて!」
「ラウラさん!」
かろうじて彼女の体を逸れた音速弾は、後方の岩壁へと突き刺さった。それでも雪玉は砕けなかった。回転を止めない雪玉がギャリギャリギャリとえぐり続け、幾重もの亀裂を岩壁に刻み付ける。
「な、なんという威力だ。もしかするとパープル殿よりも……」
最終的に砕けたのは岩壁の方だった。ラウラの後ろで、けたたましい音を立てて岩石の欠片が崩落していく。
原点にして頂点。これが全ての白を統べし《雪帝》の力。
ルシアは言った。
「ラウラさん。あなたの望みは何ですか?」
「……鳳翼館の厨房を貸して頂こうと思っています。お菓子作りをしたいのです」
「まあ素敵。誰に食べて欲しいのかしら?」
「誰に……?」
即答はできなかった。またルシアが消える。
「そう。分からないのですね」
「!?」
いつの間にか彼女はラウラの背後にいた。振り向くがすでにそこにはおらず、今度は離れたアリサのそばに立っている。
「アリサさんの望みは?」
「い、言えません」
「なるほど」
何かを納得したルシアは再び距離を取る。すでに心得ているのか、エリゼに同じ質問はしなかった。
出方を窺っているのか、あるいは興味があるのか、ルシアは攻撃してこない。合流した三人は敵に意識をおきながらも、短い策を練った。
「二人とも分かっていると思うが、次にあの猛攻が来たら多分誰も凌ぎきれん。こちらから先に仕掛ける他ない」
「だけどこっちの攻撃は通じないわ。何とか近づければいいんだけど」
「……私が囮になります。お二人が勝負を決めて下さい」
エリゼが言った。迷った末の提案だった。言葉を止めたラウラとアリサが、目を開いて見返してくる。
「何を言ってるのか分かってるの!?」
「あんなものをまともに食らえば確実にもげるぞ」
「も、もげる? もげるのはいやですけど……でも」
接近する為には狙いを誰かに引き付けておく必要がある。一秒でも長く自分を狙わせて、一アージュでも長く仲間を走らせるのだ。
もし一瞬でも隙が生まれるなら、それは間違いなく球を投げた直後だ。
この中で命中率が高いのはアリサ。球速があるのはラウラ。回避に長けているのはエリゼ。役割分担は他にない。
「だがルシア殿の初動は読めない。一度動かれたら目では追い切れん」
「広範囲の連投だって警戒しなきゃ。全員まとめて狙われたら囮の意味もなくなるのよ」
「わかっています。すぐにラウラさんとアリサさんは雪玉を作って下さい。――母様!」
ルシアに向かって声を張る。ここまで強く母を呼んだことは、おそらく初めてだった。
あくまでも穏やかな声でルシアは応じた。
「作戦会議は終わりましたか」
「ええ、今から三人で特攻します」
両脇から息を呑む気配が伝わってくる。策をいきなり暴露したのに、しかし止めようとはしてこない。これが策の内だと信じてくれているのだ。
「逆転してみせます。受けて下さいますか」
あえて言った言葉だった。もし相手が本気なら先の作戦会議など許すはずもない。何度も背後を取られているし、自分たちを仕留める機会なんていくらでもあった。
それをしない理由。
勝ちを譲ろうなどの甘さではなく、遊ばれているわけでもなく――
試されている。というのが一番腑に落ちる表現だった。何をと問われれば、明確な答えは返せないが。
「わかりました。受けましょう」
やはり乗ってきた。何かの試しと言うのなら、それを確かめようとするだろう。ここにきて破壊を撒き散らしたり、搦め手で幕を引くような真似はしないように思えたのだ。
これはその確認だ。
エリゼは大きく深呼吸をした。
「行きます。お二人とも準備はいいですか?」
「問題ない。そなたに命を預ける」
「無茶しないでね、エリゼちゃん」
目配せ。無言のうなずき。三人同時に地を蹴る。
距離は30アージュ程。岩盤はあちこちめくれ上がっているものの、遮蔽物などはない平地。
的は自分だと言わんばかりに先行するエリゼ。走る邪魔になるからと、彼女は雪玉を持たなかった。遅れてその左右に続くアリサとラウラは、雪玉を二つ両手持ちしている。
正真正銘最後の攻撃。隠し玉もない。
残り15。ルシアが振りかぶる。この距離であの超速球なら、到達まで一秒とかからない。
絶対に避けなくては。避け――
エリゼの視界全部が白く染まる。すでにルシアは投げ終わっていた。唐突に引き伸ばされる時間の感覚。スローモーションで景色が流れていく。
粉雪の一粒一粒までもが明瞭に見えた。それらを蹴散らして猛スピードで迫る、白銀の弾丸も。
脳の指示より早く、脊髄反射で身を沈める。すぐ頭上を荒れ狂う烈風が走り抜ける。押し拡がる空圧がエリゼを地面に跪かせようとした。
両膝をついてはいけない。まだ走らなくちゃ。無我夢中で顔を上げると、前に出たラウラとアリサが同時攻撃を放つところだった。
「ええい!」
「はあ!」
至近距離からの一投。ルシアの回避は間に合わず、二つの雪玉が命中した。
確かに当たっていた。その左右の手の平それぞれに。
その瞬間、ルシアは投球速度に合わせ、素早く腕を引いた。衝撃を吸収緩和された雪玉は潰れることなく、キャッチされてしまう。
それをそのまま同じ軌道で二人に投げ返す。
「きゃっ!」
「く……!」
予想外のカウンターを受けて、アリサとラウラは地面を転がった。
『アリサ・ラインフォルト。ラウラ・S・アルゼイド。被弾ノ為、失格』
残るは雪玉を持っていないエリゼのみ。
「残念ですが、終わりです――え?」
エリゼの両手に雪玉があった。
それは一発目で仕留め損なったと判断したラウラとアリサが、カウンターを受ける直前に後方のエリゼに投げ渡していた二発目だった。
取りこぼしていればエリゼも被弾扱いだが、彼女は託された雪玉を確かに受け取っていた。
「絶対に負けません!」
左右二つの雪玉を押し固め、一つとなったそれを腰に構えて特攻する。投げたって当たらないし、今みたいにはね返されるかもしれない。
ならば、直接当てるまで。
「雪帝掌!? まさか!」
しかし女王の貫禄。ルシアは浮足立たず、腕を振った。輝きが凝集されていき、雪玉が生み出される。
「母様!!」
「エリゼ!!」
母と娘の雪帝掌。お互いの手の平が激突し、指の隙間から放射状に雪が飛び散った。
相討ちだ。
打ち合った姿勢のまま、エリゼは言った。
「教えて、母様。どうして私と兄様にはユミルの雪合戦のことを教えて下さらなかったんですか?」
「……《雪帝》としての私は知らないでいて欲しかったんです。あなた達の母親で――母親だけでいたかったから」
「私は知った今でも大好きですよ、母様のこと。きっと兄様だってそう言います」
「戦いに私情を持ち込めば粗が出る……私もパープルのことは言えませんね」
ルシアの手の平からぼろぼろと雪が崩れ落ちていく。エリゼの雪玉は形を残していた。
『ルシア・シュバルツァー。被弾ノ為、失格』
最後の判定が響き渡り、二人の手が離れる。
「雪玉の生成に時間が足りませんでした。対してあなたは二つ分の密度……いえ、二人分の想いも込めていたのですから打ち破れるはずがありませんね」
「母様……」
「ふふ……胸を張りなさい。今日からはあなたが《雪帝》ですよ」
「え。それって引き継がないとダメですか」
ここに新たな女王が誕生した。
「それにしても散々な有様ね。これ修復にどれくらいの時間がかかるのかしら」
「我らも手伝うべきか。しかしどこから手を付けていいのやら」
「……なんだかすみません。こんなユミルですみません」
エリゼ、ラウラ、アリサの三人は、荒れに荒れた山道を郷に向かって歩いている。
ルシアとパープルは一足先に撤収していた。あの《雪帝》の猛攻の中でも、きっちり被害を避けていたパープルはさすがと言うべきか。
「Aチームが優勝か。フィーとミリアムにとっては痛手だろうが」
「そうね。エマやクレア大尉は喜びそうだけど。ところでエリゼちゃんのお願いごと、そろそろ教えて欲しいわ」
「アリサさんが教えてくれたら考えます」
「それって考えるだけで結局言わないパターンよね?」
などと話し合いながら歩を進めていると、ほどなく郷の入口門が見えてきた。
「兄様たちは救護テントにいるみたいですね」
我知らず足を早めてアーチをくぐり、エリゼは一番に郷に足を踏み入れる。
その時だった。
ひゅーんと放物線を描いて飛んできた一発の雪玉が、エリゼの頭にべしゃっと当たった。
『エリゼ・シュバルツァー。被弾ノ為、失格』
ヴァリマールがそう言うが、誰も事態を理解できない。
呆ける三人の視線が重なる先、すぐそばの宿酒場《木霊亭》――その店脇にある雪だるまの後ろからトヴァルが立ち上がった。
「はーははは! 油断したな!」
「な、なんでトヴァルさん?」
自信満々に笑う彼を見て、同じチームのアリサは戸惑う。
「いやーなんか俺、失格認定を受けてないらしいんだよな」
「え?」
閃光に呑まれた後、倒れたトヴァルの姿だけを見てアルフがアウトと口走ったが、主審であるヴァリマールは敗退の判定を告げていなかった。
彼は至近距離で炸裂した閃光弾のせいで、気を失っていただけだったのだ。
そしてパープルは彼に雪玉を当てていない。ルシアが彼女に言う『禁を犯した』は、倒すべき敵を見逃したことである。
「山道側で戦ってたみたいだから無理に深追いはせず、ここで狙撃ポイントを確保しておいた。お兄さんの頭脳プレイってやつだぜ」
一時気絶していたトヴァルに、戦局の全てを把握する術はない。それは確かに有効な作戦ではあった。
しかしエリゼたちは《紫閃》と《雪帝》との連戦に命がけで挑み、チームの枠を越えて、結集させた力と心で勝利を掴んだのだ。
三人には充足感と連帯感が生まれていた。誰が勝者かなど、取るに足らない些細なことだった。少なくとも彼女たちにとっては。
そこにきて、これである。
彼に悪意はない。繰り返すが彼に悪意はない。
ただ今回ばかりは過去に例を見ない程、絶望的で破滅的な間の悪さだった。
「………」
エリゼの目がにじむ。ぷるぷると肩が小刻みに震える。スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
「あ、ああ……エリゼちゃん。大丈夫よ、泣かないで」
「トヴァル殿、これはさすがにちょっと……」
「へ?」
やらかした事の大きさに、トヴァルはまだ気付いていない。
「トヴァルさんなんて……」
嗚咽を交えながら、エリゼは顔を上げる。
「トヴァルさんなんて大っ嫌い!!」
● ● ●
開会式と同様に、表彰式は中央広場にて執り行われた。
「優勝はBチーム。では代表は前へ」
進行役に転じたテオが言うと、ひどく出辛そうにしながらトヴァルが表彰台に上がる。彼にとってその台は針のむしろと変わりない。
表彰状が手渡されると、遠慮がちにそれを掲げてみせた。
「よ、よーし。やったぞー」
パラパラとまばらな拍手が上がる。勝負の結果に徹するユミル勢だけは、相も変わらず『さすがはトヴァルさん』系の、惜しみない称賛を送っているが。
テオは手元の別紙に目を落とした
「ではBチームの優勝特典は……ふむ。『学院再開時における課題レポートの低減。及び宿題の撤廃』となっているが、これでよいのかな?」
「問題なし」
「当然!」
フィーとミリアムが即答し、軽快なハイタッチの音が響く。ちびっこ達は欲しいものを手に入れ、自由の身となった。付加要素として『フィーネさんプロジェクト』も終了である。
教育計画がご破算となったエマはうなだれ、クレアも残念そうに肩を落としている。
そしてその安請け合いをし、実行に移さねばならなくなったサラは焦りの表情だ。
「こ、これ学院長になんて説明したらいいのかしら。まずい、非常にまずいわ……」
そんな彼女の肩に優しく乗せられるシャロンの手。
「きっと大幅な減給です。お酒なんて買えなくなりますわね」
「生きていけないわ、そんなの!」
「別口でお金を稼いでみてはいかがでしょうか。水着で屋外掃除をするだけの簡単なお仕事があるのですけど」
「絶対いや!」
ともあれ結果は結果。約束は約束。教官としてあるまじき嘆願を、サラはヴァンダイク学院長に直訴せねばならなくなった。
テオの足元にいたセリーヌが言う。
「寒いんだからとっとと進めるわよ。次MVPの発表ね。アンタよ、エリゼ」
「え?」
「だからアンタがMVP。ほら行って、早く」
「え? え? え?」
訳も分からないまま表彰台に乗せられるエリゼ。
「わ、私がですか? でも負けてますけど……」
「別に贔屓はしてないわよ。ヴァリマールの集計データに基づく結果だから。一応あとで全員分の得点を掲示するつもりだけど」
セリーヌが言うには、移動距離、生存時間、回避率、そして特別評価の各ポイントが総合的に高かったらしい。
中でも移動距離は郷から渓谷道に行き、そこから反対方面の山道まで移動するという断トツの動きっぷりだ。そういえば最初の説明で、最後まで残った者がMVPになるとは限らないとも言っていた。
参加者たちから歓声があがる。
「えっと……あの、ありがとうございます」
未だに半信半疑だった。
「それじゃアンタの叶えたい望みを言いなさい。MVP特典よ」
「あ」
その権利が今、自分の手にある。今さらながらエリゼは思い出した。
「もう決まってるんじゃなかったの?」
「き、決まってはいますけど」
この段になってようやく気付く。願いを叶えるためには、叶えたい願いを宣言しなければならない。
ここにいる全員の前で。あの願いを。
「遠慮せずに言いなさいよ。責任持ってトヴァルが何でも叶えてくれるって言うし」
「そうだぜ、エリゼお嬢さん! 俺に任せてくれ」
トヴァルがぐいと前に出てきた。
色々と台無しにした勝ち方をしてしまったトヴァルは、少しでもエリゼの印象を回復しようと必死だ。
「その……それは…」
ちらりとリィンを見る。彼自身もエリゼの希望に興味がある様子だ。
「それは何だ? さあ、言ってくれ!」
「うう……」
ずいずいと詰め寄るトヴァル。追い詰められるエリゼ。
どんなに考えたところで、言えるわけがなかった。
「知りません!」
「何が――ぶっ!?」
手にした雪玉を、無神経な顔面に押し付ける。新女王の雪帝掌が炸裂した。
仰向けに倒れていくトヴァルを後目に、エリゼは宣言した。
「私の望みは『Bチームの勝利特典の撤回、及びフィーネさんプロジェクトの続行』です!」
フィーとミリアムは石化していた。天の上から地の底へ急降下である。
最後にテオが閉会の言葉で締め括り、波乱に満ちた雪合戦は幕を閉じたのだった。
「はあ……」
この後は鳳翼館を使って立食形式の親睦会である。料理はヴェルナーではなく、パープルやシャロンが作る予定だそうだ。
思い思いに時間を潰すメンバーの中、一人ベンチに座ったエリゼは深いため息を吐いた。
まったく実感が湧かないが、自分が勝ってしまったらしい。《雪帝》とかいう称号も受け継いでしまった。
これからどうするの私。これからどうなるのユミル。
「おつかれさま、エリゼ」
「あ、兄様」
リィンに声をかけられて、慌てて座り姿勢を正す。その横に彼は座った。
「MVPだなんてすごいな。母さんも参加してたんだよな? 俺は会ってないけど」
「え、ええ。……そうなんです」
リィンはルシアの暴れっぷりを知らないようだった。知らないなら知らないままでいいかもしれないと、エリゼはやんわりとはぐらかした。
「それで本当の願いごとは何だったんだ?」
「え?」
「他にあったんだろう。叶えたいことが」
試合開始前、リィンとはMVP特典について会話をしていたことを思い出した。あの時は開会式でBチームの優勝時の希望を聞く前だったから、彼だけはエリゼの望みが他にあることを知っていたのだ。
だとしても当然言えない。ましてや本人を前にしては。
「兄様には内緒です」
「教えてくれたっていいだろ」
「絶対ダメです」
「余計気になるな」
リィンは肩をすくめた。
「でもBチームの……というかフィーたちの希望を聞いて、エリゼは自分の希望を変えたんだろ。あれを実現させたらまずいと思って」
「ええまあ、そんな感じもありますけど」
「やっぱりそうか。えらいな」
リィンはエリゼの頭を撫でた。当たり前のような自然さだった。
「あ……」
優しげな手の平。柔らかな手付き。いつかと変わらない心地良い感覚。ほんの少しだけ勇気を出して、自分からリィンに頭を傾ける。
ああ、叶った。
――『雪玉に願いを』 END――
☆おまけ~親睦会の一幕☆
鳳翼館の食堂。雪合戦後の親睦会。
賑やかな立食パーティーの最中、ルシアがマキアスに歩み寄った。
「お体の具合はどうですか?」
「え、ええ……まあまあです」
修羅化したマキアスだったが、今は通常通りだ。戻った直後にルシアの攻撃を受けたので、彼の体は傷だらけではあったが。
ルシアはにこりと微笑んだ。
「それは何よりです。ちゃんと急所は外していましたから」
「いや、急所以外がズタボロなんですが」
それでも回復が早かったのはリサの処置のおかげだろう。
マキアスはこんなことを訊いた。
「ところでエリゼちゃんとリィンには、ユミルの雪合戦のことを内緒にしていたそうですね」
「郷の者に口止めをしまして。それがどうかしましたか?」
「これだけ大規模な雪合戦を、どうやって二人に気付かれずに続けてきたんですか?」
「基本的には夜間です。朝起きた時に郷が荒れていることを不思議がっていましたが、まあそれは何とかしてごまかしました」
「どうやってだ……」
マキアスをじっと見つめるルシア。
「あの、何か?」
「マキアスさん。あなたを新たなユミル六柱に推薦したいのですが」
「ぼ、僕が!?」
「ヴェルナーさんは一命を取り留めましたが、現在は再起不能。空いた席に座るのは、今回の戦績を見てあなたが相応しいと思ったのです」
新《雪帝》のエリゼの補佐役を務めて欲しいらしい。
「僕にも何か称号が付くんですか?」
「もちろん。そうですね――」
まんざらでもない様子の彼に、ルシアは言った。
「《眼鏡》のマキアスとかどうでしょう?」
「なんのひねりもない!」
●
「ねえ、訊きたいことがあるんだけど」
料理の乗った皿を片手に、フィーはメイプルのとなりに座った。
「フィーちゃん、どうしたの?」
「私とミリアムがAチームに攻撃を仕掛けて、メイプルが乱入した時のこと」
開幕早々の戦闘である。フィーたちは反撃を受ける寸前だったのだが、メイプルの靄のおかげで無事に撤退できたのだ。
「私たちに雪玉を当ててからエマたちを標的にした方がポイントも稼げたはずなのに、どうしてしなかったの?」
「決まってるじゃない」
メイプルはフィーの胸を見た。
「あなたも私の同志だからよ。今まで辛かったでしょう。我慢しなくていいから今日は思う存分に泣きなさい」
「でも私はこれから成長すると思うけど」
「私には未来さえ無いって言いたいかあ!」
皿の肉にフォークを突き立て、瞬間沸騰で憤るメイプル。
修羅モードが解除されていない輩がここにいた。
●
「トヴァルさんがオーブンを見てくれたんだけどよ。どうも直せるそうだ」
「はあー、やっぱり遊撃士様は違うだあよ」
モリッツの酒に付き合いながら、ジェラルドは件のオーブンについて話していた。
副審のキキとアルフもこの親睦会には参加で、豪華な料理を求めてテーブルからテーブルを渡り歩いている。
屈託ない笑顔の二人を優しげな眼差しで眺めるジェラルド。
その近くで、彼らの会話を聞いている者がいた。
「……そうか。考えてみればお菓子作りにはオーブンがあった方がよさそうだ。鳳翼館のオーブンは大きすぎる気もするし――うん」
何かしらを納得したラウラは、ジェラルドに声をかけた。
「失礼。一つお願いがあるのですが――」
●
「ほ、ほらエリゼお嬢さん。ローストビーフ取ってきたぞ」
「いりません」
領主令嬢のご機嫌を直すべく、トヴァルは必死だった。
「デザートはどうだ。このリンゴなんか美味そうじゃないか」
「トヴァルさんが食べたらいいと思います」
ぷいっと顔をそむけ、エリゼはスタスタと歩いて行ってしまった。
「あ、あの」
気遣わしげな声。振り返るとパープルが立っていた。あの勇ましさはなりを潜め、今はしおらしい彼女である。
「すみませんでした。私のせいでエリゼお嬢様のご機嫌が」
「拗ねちまっただけだろ。可愛いもんさ」
「でも……」
「第一パープルさんのせいじゃない。それにまだ挽回のチャンスはあるからな。俺はあきらめないぜ」
これしきの事ではへこたれないお兄さんだった。懲りない、とも言えるが。
「でもなんで俺に雪玉を当てなかったんだ? 気も失っていたし、簡単だったと思うが」
「それは――」
ちょっと言葉を詰まらせて、パープルは言う。
「光で手元が狂ったんです」
「なるほど、そりゃそうか」
「トヴァルさん」
「ん?」
「私もあきらめませんから。ユミルに遊撃士協会支部を作って、トヴァルさんに支部長を務めて頂くこと」
それだけを告げると、パープルは赤い顔をして走り去っていった。
――FIN――
《ヴァリマールの雪合戦データ》
雪合戦個人成績ポイント(ヴァリマールのデータより抜粋)
ポイント算出基準は以下の通り
①回避数×0.5ポイント
②撃破数×3ポイント
③時間数1分×0.1ポイント
④移動数10アージュ×0.1ポイント
⑤特別評価加減算……主審、副審、解説者の合議及び、事前設定の評価項目により別途付与。
※回避に関して。雪玉が投擲された時点で軌道上に位置しており、その状態から避けたものだけを回避数として計上する。
※ルシア・シュバルツァーはヴェルナー枠を使用しての途中参加の為、評価対象外とする。
『19位』…ガイウス(合計−0.4ポイント)
回避数(0) 撃破数(0) 生存時間(2分)総移動距離(40アージュ)
『特別評価補正/全プレイヤー中、最初に被弾した(−2)/敵の接近を仲間に告げた(+1)』
『18位』…エリオット(合計4.8ポイント)
回避数(2) 撃破数(0) 生存時間(5分)総移動距離(30アージュ)
『特別評価補正/雪玉をキャッチした(+3)』
『17位』…モリッツ(合計7.7ポイント)
回避数(5) 撃破数(0) 生存時間(19分)総移動距離(230アージュ)
『特別評価補正/攻撃を促す意図で敵を挑発した(+1)』
『16位』…サラ(合計7.9ポイント)
回避数(7) 撃破数(0) 生存時間(17分)総移動距離(170アージュ)
『特別評価補正/高低差を利用した攻撃を行った(+1)』
『15位』…ジェラルド(合計8.8ポイント)
回避数(3) 撃破数(0) 生存時間(12分)総移動距離(90アージュ)
『特別評価補正/雪玉で敵の雪玉を相殺した(+5)』
『14位』…ミリアム(合計9.3ポイント)
回避数(9) 撃破数(0) 生存時間(13分)総移動距離(150アージュ)
『特別評価補正/道具を利用して攻撃した(+2)』
『13位』…シャロン(合計12ポイント)
回避数(10) 撃破数(0) 生存時間(28分)総移動距離(220アージュ)
『特別評価補正/道具を利用して攻撃した(+2)/道具を利用して防御した(+2)/仲間を故意に盾にした(-2)』
『12位』…ユーシス(合計12.7ポイント)
回避数(8) 撃破数(0) 生存時間(21分)総移動距離(360アージュ)
『特別評価補正/相手に悟られることなく雪玉を投げた(+1)自分を囮にして仲間を行動させた(+2)』
『11位』…メイプル(合計12.8ポイント)
回避数(4) 撃破数(2) 生存時間(36分)総移動距離(420アージュ)
『特別評価補正/アウト判定が告げられた相手に対し、故意に雪玉をぶつけた(−3)』
『10位』…エマ(合計14.7ポイント)
回避数(8) 撃破数(1) 生存時間(32分)総移動距離(250アージュ)
『特別評価補正/道具を利用して攻撃した(+2)』
『9位』…ラック(合計15ポイント)
回避数(3) 撃破数(1) 生存時間(14分)総移動距離(110アージュ)
『特別評価補正/雪玉で敵の雪玉を相殺した(+5)/投擲数トップ(+3)』
『8位』…リィン(合計17ポイント)
回避数(7) 撃破数(0) 生存時間(30分)総移動距離(450アージュ)
『特別評価補正/敵の接近を仲間に告げた(+1)/道具を利用して防御した(+2)/道具による防御数トップ(+3)』
『7位』…マキアス(合計19.5ポイント)
回避数(3) 撃破数(2) 生存時間(39分)総移動距離(610アージュ)
『特別評価補正/他チームとの共闘(+1)/自分を囮にして仲間を行動させた(+2)/道具を使用して敵の行動を制限した(+2)/眼鏡を割られた(−3)』
『同率6位』…クレア(合計29.1ポイント)
回避数(12) 撃破数(1) 生存時間(44分)総移動距離(270アージュ)
『特別評価補正/自分の指示で仲間を回避させた(+1)自分を囮にして仲間を行動させた(+2)/他チームとの共闘(+1)/道具を利用して防御した(+2)/道具を利用して攻撃した(+2)/道具を使用して敵の行動を制限した(+2)/《幻惑》の撃破(+3)』
『同率6位』…アリサ(合計29.1ポイント)
回避数(20) 撃破数(0) 生存時間(61分)総移動距離(1.1セルジュ)
『特別評価補正/他チームとの共闘(+1)/高低差を利用した攻撃を行った(+1)』
『5位』…トヴァル(合計32.4ポイント)
回避数(15) 撃破数(3) 生存時間(最後まで生存。特別評価にて加点)総移動距離(190アージュ)
『特別評価補正/自分の指示で仲間を回避させた(+1)/道具を利用して防御した(+2)/相手に悟られることなく雪玉を投げた(+1)/《暗技》の撃破(+3)/《乱撃》の撃破(+3)/撃破数トップ(+3)※パープルと同率/生存時間トップ(+10)/10分以上、同じ場所に留まっていた(-3)』
『4位』…ラウラ(合計33.4ポイント)
回避数(13) 撃破数(2) 生存時間(61分)総移動距離(780アージュ)
『特別評価補正/他チームとの共闘(+1)/《瞬皇》の撃破(+3)/《紫閃》の撃破(+3)』
『3位』…パープル(合計36.1ポイント)
回避数(16) 撃破数(3) 生存時間(55分)総移動距離(760アージュ)
『特別評価補正/試合開始後、初撃破(+1)/ヘッドショット(+2)/撃破数トップ(+3)※トヴァルと同率』
『2位』…フィー(合計36.8ポイント)
回避数(42) 撃破数(0) 生存時間(25分)総移動距離(330アージュ)
『特別評価補正/道具を利用して攻撃した(+2)/敵の接近を仲間に告げた(+1)/高低差を利用した攻撃を行った(+1)/回避数トップ(+3)/道具による攻撃数トップ(+3)』
『1位』…エリゼ(合計53.3ポイント)
回避数(21) 撃破数(1) 生存時間(68分)総移動距離(1.3セルジュ)
『特別評価補正/自身の行動により仲間を回避させた(+1)/道具を使用して敵の行動を制限した(+2)/自分を囮にして仲間を行動させた(+2)/他チームとの共闘(+1)/移動距離トップ(+3)/雪玉をキャッチした(+3)/《雪帝》の撃破(+8)』
『チーム別ポイント累計』
Aチーム『118.9ポイント』
Bチーム『120.3ポイント』
Cチーム『72.4ポイント』
ユミルチーム『65.4ポイント』※ルシア分は含まれないので、実質四名計算。
――以上――