ユミルの郷を舞台に、四つ巴の雪合戦が始まった。
一チーム五人。一人でもやられればその都度、確実に不利となっていく。まずは様子見。どのチームも迂闊には動かず慎重に距離を計ると――そう思っていた。
「来たぞ! 全員構えろ!」
Aチーム、リィンが叫ぶ。
開幕早々、フィーとミリアムが特攻を仕掛けてきた。ケーブルカー駅を背にして、エマは二人の出方を窺う。
「やはり狙ってきましたね。エリオットさん、エリゼちゃん、迎撃用意を」
「うん、任せて」
「了解です!」
何が何でもペナルティを回避したいちびっこ達が、さっそくAチーム殲滅にかかる。縦に並び、フィーが前衛、ミリアムが後衛というフォーメーションだ。
Aチームの雪玉が襲撃者を迎え撃つ。縦横無尽に駆け回るフィー。攻撃をサイドステップで俊敏にかわして、さらに距離を詰めてきた。
フィーの投擲距離は短く、威力も高くない。本人も理解しているのだろう。急速接近からのヒットアンドアウェイを狙うつもりだ。
すれ違いざまの一投がエリオットを捉える。
「危ない!」
「わ!?」
とっさにエリゼがエリオットを突き飛ばす。フィーの雪玉はかろうじて外れた。
「だ、大丈夫ですか。私ったらつい」
「助かったよ、エリゼちゃん」
「二人とも気を抜くな! まだ来るぞ」
雪煙を巻き上げながらフィーは方向転換。滑りやすい雪上だというのに、機動力が平地と大差ない。上手く遮蔽物も使いながら、Aチームの手数の多さを凌ぐ。
一人でも厄介なのに、もう一人が――
「ミリアムちゃんは?」
後衛に控えていたはずの彼女だが、フィーの攻撃に加わってこない。嫌な予感がして、エマはミリアムの姿を探した。
「ふふーん、準備完了。下がって、フィー!」
離れた民家の前にミリアムが立っていた。その足元には、寝かした丸太にベニヤ板を乗せたものが置かれている。
「! いけない、全員散って――」
「遅いよ」
素早く退避しながらフィーが言う。ミリアムはベニヤ板の片側を思いきり踏みつけた。
丸太を中心に、シーソーのように反対側が跳ね上がり、そこに乗せられていた大量の雪玉が一斉に放たれる。
特別ルールの②番。道具を利用した戦術。
フィーが派手にAチームの目を引き付け、その間にミリアムが簡易投石器を作り上げたのだ。これは規定の反則事項には抵触しない。
上空に打ち上げられた無数の雪玉が、雨となって降り注ぐ。
この量を全てかわし切ることは至難の技だ。何人かは必ずやられる。
「全員、私の指示に従って下さい」
浮き足立つメンバーに対し、クレアは落ち着いていた。
「リィンさんは二歩前へ、エマさんは右斜め後ろに半歩、エリオットさんは左に一歩、エリゼさんは動かなくて大丈夫です」
すぐに指定された位置に移動する。その隙間を縫うようにして、雪玉の群れは全弾地面に落ちた。
「全部の軌道を読まれた……?」
「ク、クレア~!」
宿題免除の夢が砕かれかけたその時、風景が白くかすんだ。
「
払おうとするエマだが、不鮮明な視界は晴れない。靄はケーブルカー駅一帯を包み込んでいた。
どこからともなく、恨みがましい声が響いた。
「見つけたわよ、三つ編み巨乳」
「あいつら先行しやがって。防衛主体の策だって言ってんのに」
一方のBチームでは、トヴァルがぼやいていた。
開始の笛が鳴るや走り去ってしまったフィーとミリアムは、さっそくAチームとの戦端を開いている。
鳳翼館前からみだりに動かず、ユーシスはせっせと雪玉をこしらえた。
「予測できた行動だ。一人でも敵の人数が減らせたら御の字だろう」
「ねえ、なんだかあの場所だけ白い霧みたいなのが出てない?」
訝しげにアリサが目を向けたのは広場中央、足湯場とヴァリマールのさらに向こう。ケーブルカー駅が靄に覆われていた。
「どうやら《幻惑》が動き出したらしいな」
唐突な低い声と、重量を感じさせる足音。
隠れることもなく、正面からその場に現れたのはジェラルドだった。何ら気負うこともなく、彼は言う。
「三人か。五人まとめてやりたかったが、まあいいだろう」
「ずいぶんと余裕だな。三対一で勝てるとでも思っているのか」
ユーシスは手にしていた雪玉を投げる。挨拶代わりの先制攻撃を軽くかわし、ジェラルドは喉をうならせた。獰猛な熊を連想させる大男の口から、蒸気のかたまりが吐き出される。
みっしいのエプロンがひどく不似合だった。どうみてもお菓子作りをするようには見えない。姿恰好は完全に精肉工場の解体屋だ。
「和やかな親善試合にしてやりたいところだが、そうもいかねえ事情が出来た」
ひゅんと風を切る音。
「伏せろっ!」
反応したトヴァルが叫ぶ。とっさに身を屈めたアリサの頭上を白球が抜けた。
「な、なんなの?」
ジェラルドは動くどころか、腕を振ってさえいない。
「さすがはトヴァルさんと言うべきか。いい勘をしている。だが、いつまでもこの《暗技》のジェラルドから逃げきれるかな。それに――」
別方向からさらに追撃。一発ではない。一人の人間から放たれるとは思えない連投が襲い掛かる。
トヴァルたちは地面を転がるようにして回避。急いで体を起こした時、ジェラルドの横にはもう一人立っていた。
駅員専用の赤みがかったスーツが白い景色に映える。
「あの娘はいないみたいだな。まあ、あぶり出せばいいか」
《乱撃》のラック参戦。彼はパキパキと指を鳴らした。
「始まったばかりで悪いけど、もう終わりだ」
一騎当千と謳われるユミル六柱。その二人が肩をそろえ、Bチームに牙を突き立てる。
マキアスの指示で散開したCチーム。
相手を囲うように扇状に展開し、集中砲火を浴びせて一チーム丸ごと一網打尽にする作戦だった。
しかしその包囲を完成させる前に、
「みんな、前に出るな! 何かいる!」
いち早く敵の気配を察したガイウスが制止の声を飛ばす。
そうでなくても戦闘センスの高い者が集うCチームである。即座に陣形を切り変えて、ガイウスはラウラと、サラはシャロンと背中合わせになって周囲を警戒した。
襲撃者の姿は見えないが、確かにいる。ひりつくような空気が肌を泡立たせ、ガイウスはさらに感覚を研ぎ澄ました。
ザザザと雪を踏む音が近付く。木と木の間を黒い影がよぎった。
「そこだ!」
進行方向を先読みし、力強く雪玉を投げる。外れはしたが、進路を阻まれた黒い影は急停止した。
「なかなかやる……だあよ」
ずんぐりとした小柄な男。モリッツである。飲んだくれて、普段の緩慢な動作からは考えられないスピードだ。
侮って勝てる相手ではない。その実力を即座に見抜いたラウラは「速さはフィー並だ。手数で攻めろ!」と両手に雪玉を携えた。
「どれだけ速くたって、この人数相手に立ち回りきれると思っているの?」
「私が足を止めますわ。サラ様は胴を狙って下さい」
いざ戦闘になれば、そこにあるのは一切無駄のない連携。開始前の諍いなどおくびにも出さず、サラとシャロンは軽快なステップを踏むモリッツを目標に定めた。
ガイウスはラウラに言う。
「むしろ全員の距離が離れる前に来てもらってよかった。この場で確実に倒すぞ」
「同感だ。それぞれがMVPを狙っているが、チーム自体がやられてしまっては意味もないからな」
「う、うむ……」
MVP。その言葉にガイウスの口元が引き締まる。
彼だけは知っているのだ。ラウラの欲しい特典が、未曾有の大惨事を引き起こしかねないことを。
皆の為にも負けられないと、意志を乗せた拳を固めるガイウス。
それに何より、彼には自分の希望もある。
「トーマ、シーダ、リリ。お前たちの為にも俺はユミルの名産品を必ず持ち帰ごあああっ!?」
決意表明の途中で、ガイウスの顔面に雪玉がめり込んだ。
狙撃と見紛うほどの強烈な一撃。ガイウスは吹き飛び、背後の岩塀に長身を打ち付けた。どしゃりと地面に伏し、ピクピクと指先を痙攣させる。故郷への想いは一瞬で刈り取られた。
『ガイウス・ウォーゼル、被弾ノ為、失格』
フィールド全域に伝わるように、ヴァリマールが判定を下す。
「ガイウス!?……新手か!」
戦友の遺体から目を正面に戻し、ラウラは
モリッツがにやりと笑う。
「来ただよ。次代の最強に最も近いと呼ばれる人が」
スカイブルーのセミロング、そして鳳翼館の使用人服が風になびいていた。
「このチームのポテンシャルは高そうですね。先に潰しておくとしましょう」
《紫閃》のパープルが振りかぶる。
まだ距離は十分にあった。球すじを見切って避けられるとラウラは思っていた。
振り下ろす刹那、相手の腕が消える。
「っ!」
ほとんど反射で上体をそらす。空気を切る破裂音が耳をかすめ、遅れて発生した乱流が頬を撫でて過ぎた。
かわした自覚さえなかった。前衛として鍛えられた危機感知が、考えるより先に体を動かしたに過ぎない。
ちなみに外れた剛速球は倒れているガイウスの脇腹に命中していた。ぴくぴく震えていた指先が、ぴくりとも動かなくなっている。完全なオーバーキルだ。
「こっちも忘れてもらったら困るだよ」
俊足で距離を詰めてきたモリッツは、すでにラウラの目前に迫っていた。
ここまで乱されては、もはや陣形の敷き直しは難しい。
「私がモリッツ殿を引き受けます。お二人はパープル殿を。あとで合流しましょう」
シャロンとサラに言いながら飛び退き、ラウラは民家の間をすり抜けるように走った。
一人の方が仕留めやすいと踏んだのか、モリッツはその誘導に乗り彼女を追走した。
ぐんぐんと間が詰まってくる。
「なんという速度だ。これではすぐに追いつかれてしまうな」
あれほどの手練れと一対一。正攻法ではまず勝てない。策がいる。
策、でラウラは思い出した。そういえば彼はどこだ。
走りながら開始位置、シュバルツァー邸に視線を振る。しかし、そこに彼の姿はなかった
どこにいったのだ、マキアス――
視界の全部が靄に覆われる。
白濁する景色は数アージュ先を見通すことも出来なかった。
「ふふふ、怖いでしょう。自分がどこから狙われているかも分からないんだから」
依然、声だけが響く。空気に溶けてしまいそうな浸みる声だ。近いのか遠いのか、距離を悟らせないようにあえて声質を変えているのだろう。
「エリゼ、この声は……」
「ええ、メイプルさんです」
リィンとエリゼは声の主をすぐに特定する。
「でもこの靄は何なのかな。これじゃ動くに動けないよ」
「それは私が解説しよう!」
エリオットが不安げに言った時、シュバルツァー邸の二階窓が開いて、コメンテーター役のテオが声を張った。もちろんAチームの面々からその姿は見えなかったが。
「これはユミル六柱の一人、《幻惑》のメイプルの能力である。継続的に粉雪を巻き上げることで、相手の視界と方向感覚を奪うのだ。さらに驚くべきは――」
「ち、ちょっと男爵様!? 暴露しまくらないで下さいよ!」
メイプルが焦って余計な解説を諌めると、「おお、これは失敬」とテオは窓を閉めて奥に引っ込んだ。
瞬時にエマは現象の仕組みを理解する。
「皆さん、走って下さい! これが粉雪だとしたら広範囲に影響はありません。靄の中から出ればいいだけです」
「そう、そこにいるのね」
叫んだのは失策だった。詳細な位置を掴んだメイプルが、声に愉悦を滲ませた。
投げ入れられた雪玉が白景色を突き抜け、一直線にエマへと向かう。球さえ見えない彼女に回避の術はなかった。
メイプルの一投は狙いすましたかのようにエマの胸を捉えた。
「きゃっ!」
「巨乳は滅びるがいいわ!」
膨れ上がる負の妬み。反対に粉雪は薄れていく。
想定外の出来事が起きていた。
直撃し、砕け散るはずの雪玉が、形を保ったまま跳ね上がっていたのだ。メイプルにとっては忌まわしき弾力が、衝撃を吸収したのだろう。
「んなっ!?」
「委員長!」
エリオットが滑り込み、雪玉が地面に落ちる前に受け止める。特別ルール①番の適用によりセーフだ。
「こんのおおおー!」
メイプルの激昂はなぜか彼に向けられた。
「間接ボインを狙ってたのね! エリオット君のバカ、エッチ、変態、猛将!!」
「か、かんせつぼいん? というか何で猛しょ――ぶっ!?」
噴き出す怒りがエリオットにぶつけられる。あっという間に雪まみれになって、彼は敗退した。そしてユミルにも根付きつつある猛将疑惑。
『エリオット・クレイグ、被弾ノ為、失格』
淡々と告げるヴァリマールの声と、メイプルの高笑いが重なって響く。
「あーはははは! 今度は弾かれないように全力投球よ。覚悟なさいな、三つ編み巨乳!」
「そ、その呼び方はやめて下さい!」
真っ赤になりながら反撃するエマ。激しく動いた彼女の胸がゆさっと上下に揺れた。
「挑発のつもりかあ!」
「なんのことですか!?」
砕けんばかりに奥歯を噛みしめ、メイプルは積もった雪を思いきり蹴り上げる。
溶けかかってもいない柔らかな雪が一気に巻き上がった。そこに勢いよく回し蹴り。竜巻が起きるかと思わせるほどの旋風が、雪塵をさらに微細な粒子へと変えた。
再び発生した靄が、一帯に拡散されていく。
「ここは相手のフィールドです。固まらずに一度二手に分かれましょう」
クレアが言う。残った四人は彼女の提案に従った。
「俺たちはこっちだ!」
「は、はい!」
「エマさんは私と」
「了解です!」
エリゼとリィン。クレアとエマ。
雪煙の結界を抜けて、二組に分かれたAチームはそれぞれ別方向へと走った。
殺到する雪玉がBチームを追い詰める。
《乱撃》の名が示す通り、ラックの連投は凄まじかった。
「お前さん達、まだ無事か!?」
目視で状況を確認する余裕はなく、木の陰に飛び込んだトヴァルは叫ぶ。「なんとか!」「一応な」と返してきたアリサとユーシスもまた、近くの木の後ろに身を屈めていた。
反撃したくとも迂闊に顔も出せない。しかし、まごついてばかりいると、
「ほらよ」
「くそっ!」
いつの間にか移動し、射線を通したジェラルドの雪玉に狙われる。間一髪、トヴァルはその場を跳び退くが、今度はラックの連続砲火にさらされる羽目になった。
Bチームの三人は鳳翼館前から未だに脱出することができないでいた。
幸い十分に動き回るだけの広さはあり、数本の木と多少の柵もあったが、それだけだ。防衛主体どころか防戦一方を強いられている。
加えてこのスペースは段差の上に作られており、周囲を植え込みで囲まれていた。退路は一点。ラックが立ち塞がっている出入り道だけだ。
「先手を取られたことが悔やまれるわね……」
「このままでは追い込まれるだけだ。俺が活路を開く」
矢面に立って回避に専念するトヴァルを一瞥したユーシスは、手元の雪をかき集めた。
「どうする気?」
「虚を突いてどちらか一人を倒す。厄介なのはあの連携だからな。攻撃手段を限定させることができれば、あとはどうとでもなるだろう」
この場を切り抜けることもできるし、あるいは力押しも通じるかもしれない。
「危険な賭けね。虚を突くなんてチャンスは一度きりよ。もし外したらユーシスは――」
「その先は言わなくていい」
帰路が保証されない死地に赴く兵士の目。もう雪合戦などというゲーム感覚ではない。生きるか死ぬかの戦場だ。
アリサも覚悟を決めた。
「私も協力する。逆方向から同時に仕掛けた方が成功確率は上がるわ」
「下手をすれば二人まとめてやられるぞ」
「リスクは承知の上よ。私だってMVPになったら欲しいものが……あるし」
最後の方は聞き取れない程の小さな声だった。彼女の欲しいものが何なのか、ユーシスは尋ねようとしてやめた。
「話し込んでいる時間はないな。三秒後に仕掛けるぞ」
スリーカウント。三本目の指が折り畳まれると同時に、二人は木裏の左右から飛び出した。
狙うはジェラルド。ユーシスとアリサは動きの鈍そうな巨体にそろって雪玉を投げる。二軸の交点に相手を捉えていた。
命中を確信した直後、突然二人分の雪玉が空中で弾け散る。
「え……?」
「な、何が起きた?」
粉々になって飛散するそれらの向こうで、ジェラルドが口元を笑みの形にゆがめた。
「この程度で《暗技》を仕留めようなんざ、俺も安く見られたもんだ」
彼はインパクトの寸前、ユーシスたちの投球軌道上に合わせるように、自分の雪玉をふわりと投げ入れた。そして接触した三つは砕け、ジェラルドの身を守ったのだ。
完璧なタイミングを読み取る目。神業を実現する超絶技巧。迫る攻撃に動じない肝の座り。
これがユミル六柱の名を冠する者。肌で理解した二人は、遅れて彼の正面に立ち尽くす危うさに気付いた。
すぐさまユーシスは近くの柵の裏へと移動し、アリサも
「悪いな、嬢ちゃん。あんたにも負けられん理由はあるんだろうが、それは俺も同じこと」
ジェラルドは遠くに見えるヴァリマール――その片手に収まるキキに視線を移した。
その隙にアリサは動こうとしたが、それは甘い見立てだった。
射るような眼光が向け直され、行動を無言で抑えつける。逃げられない。
動きを止めたアリサにジェラルドはとどめを刺そうとした、その時。
「むおっ!?」
身をひるがえし、バランスを崩した体がたたらを踏む。寸前まで彼がいた場所に、上空から飛来した雪玉が着弾した。
二アージュあまりの岩塀と、そこに隣接する木までも駆け上り、しなる枝をばねに跳躍した小さな影がアリサとジェラルドの間にすたんと着地する。
「……来たな」
トヴァルへの攻撃を止めたラックが、険しい視線を彼女に向ける。
黄色がかったスカーフと銀髪を風になびかせ、軽やかにフィーが帰還した。
「フィー、早いよー」
「ミリアムが遅いだけ」
もたもたと遅れて植え込みを潜り抜けてくるミリアム。彼女たちもメイプルの靄にまぎれて撤退していたのだ。
再びそろうBチームの五人。にらみ合う両陣営。
「ようやく戻ってきたか。これで五対二だ。一気に片付けるぞ」
「いや、作戦を変更する」
攻勢を見せるユーシスにトヴァルはそう言った。
「アリサとユーシスはこの場から離れて独自で動け。ここは俺とフィー、ミリアムが引き受ける」
「せっかく人数の利ができたのにか? 意図は?」
「相性の問題だ。ラックの手数の多さと、ジェラルドさんの奇をてらった攻撃。あれらを相手に数で攻めたら、こちらの損害も大きくなる」
この後も他チームとの戦いが控えている。戦力分散は望むところではないが、無用の被弾者を出さない為には最低人数で勝つ必要があった。
「それに勝算がないわけじゃない。頼れるお兄さんが言うんだから間違いないぜ」
『………』
余計な一言が全員の不安を煽ったが、内容自体は的外れではない。
五人は体勢を低くして、
「行け!」
トヴァルの号令で全力疾走。
「特攻とは浅はかな――え?」
ミリアムとフィーがラックの左右に分かれる。ジェラルドの正面にはトヴァルが回り込む。
一瞬だけターゲットがぶれたラックの両脇をスライディングで滑り抜けて、ユーシスとアリサは広場側へと脱出した。
ラックはユーシスたちを追おうとしなかった。
「この状況であえて仲間を逃がすなんてな。……まあいいさ。俺の狙いは初めから一人だ!」
「やるよ、ミリアム」
「うん!」
俄然やる気を増したラックを、ちびっこ二人が迎え討つ。
一方のトヴァルはジェラルドと対峙していた。
早くも戦闘を開始したフィーたちを視界の端に入れながら、慎重に敵との間合いを測る。
ジェラルドは肩を軽く回してみせる。太い腕がシャツの袖を破かんばかりに膨れていた。
「なあ、トヴァルさん。店のオーブン窯が壊れちまったんだよ。俺がMVPを取ったら新しいものを用意してくれるかい?」
「もちろんだ。約束は守る。……あんたがそこまで本気になるってことはキキの為、か?」
トヴァルはある程度の事情を知っていた。
「俺がキキにしてやれることは多くない。だからせめて、笑顔だけは守ると決めた」
左手を掲げる。それを自然と目で追うトヴァル。
悪寒が背に走る。まずい。直感が体を動かし、雪玉が右足をかすめた。
舌打ちするジェラルド。
「相変わらずいい勘してるな。遊撃士仕込みかい?」
「まあな。しかしあんたも見た目に反して小技が多いようだ」
「……見切られたか」
上げた左手に視線を誘導させ、注意をそらした隙に右手で投擲。しかも腕を振りかぶらず、手首のスナップだけで放つノーモーションスローだ。
普通の人間なら、どこから玉が飛んで来たかさえ分からないだろう。
トヴァルは機敏なフットワークでジェラルドを翻弄しようとする。相手は巨体に関わらず、素早さもある。うまく隙をつかなければ、こちらの攻撃は当たらない。
「甘い、甘いぜトヴァルさん。チョコレートケーキより甘え」
「なんだよ、その例えは……」
ジェラルドは両手に持った二つの雪玉を放り投げる。
一つは速球。もう一つは遅球。絶妙なタイミングのずれが回避のタイミングを狂わせた。足がもつれ、動きがにぶる。直撃コース。避けられない。
頼りになるお兄さん復活への方程式がこんなところで――
「やられるかよおっ!」
トヴァルは羽織っていたコートをはぎ取ると、自分の前面に勢いよく広げる。それは盾の役割を果たし、相手の雪玉を防御した。
手で持ちさえすれば道具とみなされ、当たり判定は発生しない。彼が考えたルールだ。応用方法は誰よりもシミュレートしてきている。
「なにいっ!?」
「うらあ!」
この機は逃せない。渾身の一投だ。
焦るジェラルドだったが、またしても自分の雪玉で向かってくる雪玉を相殺してみせた。もうトヴァルは何も持っていない。巨体が前に踏み出してくる。
「これで終わりだ!」
「ああ、そうだな」
後ろに回したトヴァルの右手から、背中越しに雪玉が放たれる。完全な予測外の一投に、ジェラルドの反応は間に合わなかった。
肩口に命中。
「こう見えて俺も器用な方なんでな」
「……やられたよ」
がくりと両膝をつく。「おじいちゃんアウトー、なの」と拡声器越しのキキの声がジェラルドの敗北を告げた。無慈悲な孫娘だった。
「すまねえなキキ……不甲斐ないじいちゃんでよ。やっぱり俺はお前の為に出来ることなんて――」
「あるさ。あの子のそばにいてやればいい。きっとそれ以上はキキも望まないだろ」
「だ、だが俺は……」
「分かってる。お菓子作りも大事なんだよな。だから、オーブンは俺が修理する」
「え?」
ジェラルドは目をしばたたいた。
「そもそも、そんなの最初から俺に頼めばいい話なんだ。中身を見てみないことには何とも言えないが、もしかしたら買い替える必要もないかもしれないだろう」
強面の瞳が潤んでいた。
「ちくしょう……なんだよ、なんだよこれ……今日の雪は目にしみやがるぜ」
「遊撃士の本分だ。あんたの力にならせてくれ」
「トヴァルさん……あんた、やっぱり最高だ」
末期の力で親指を立ててみせると、ジェラルドはどさりと倒れ、体全部を雪にうずめた。
「……いや、そこまでのダメージはないだろ」
トヴァルがジェラルドを制した時、同じ戦闘フィールド内――その反対側でフィーとミリアムはラックと激戦を繰り広げていた。
前衛フィー。後衛ミリアム。そのフォーメーションを維持しつつ、二人は途絶えることなく襲ってくる無数の雪玉から逃げ続けていた。
「ちょこまかと! 反撃できるなんて思うなよ!」
連投速度は圧倒的だが、その分命中精度は低い。
自分に向かってくる玉だけを見据え 持ち前の運動センスと動体視力で、フィーはその全てをかわしていた。
しかし長引けば体力ばかりが削られる。
「あっ」
足が地面につんのめり、フィーは雪の上で転がった。
「もらったぞ!」
「準備完了!」
ラックの声をかき消してミリアムが叫ぶ。
ようやく来た。あと二秒遅かったら負けていた。雪下に仕込んだ紐を手探りでつかみ、思いきり引っぱる。張りつめていた紐が途端に緩み、連鎖的に作用した仕掛けが駆け巡った。
近くの木や茂み。そこら中にセットされたあらゆる罠が作動する。蔓や木の枝ばかりを利用した自然のトラップだ。
「な、なんだ!?」
多方面から膨大な量の雪玉が打ち上げられた。上空を埋め尽くさんばかりの白一色。
二人はただ逃げ回っていただけではなかった。フィーはその最中にも少しずつ仕掛けを組み上げ、そこにミリアムが雪玉を装填していたのだ。
互いにラックの視線をうまく引き付けながらの作業。炸裂するちびっこコンビネーション。
Aチームに見舞ったものとは桁が違う。避けられるような隙間はない。
「うおああああ!!」
駅員の咆哮が大気を震撼させた。
流星群と化した雪玉に、ラックは自分の雪玉を投げ始めた。
彼の連投の要は、雪をすくってから球状に生成するまでの速さにある。微細な手の平の動きが、瞬時に雪玉を作り上げ、それを延々と繰り返すのだ。
だとしても本来、これほどの量に追いつけはしないはず――なのだが。
「ぬあああ! フィーネさああーん!!」
沸騰する心が肉体の限界を超えた。
集雪、成形、投擲。一連の流れのピッチが急速に上がっていく。腕が視認できないほどの速さで稼動し、足元の雪が瞬く間に減っていき、すくい上げられたそれらの全てがマシンガンのように空へと放出された。
撃墜、撃墜、撃墜。弾けた雪飛沫が頭上で咲き乱れる。空が爆発したような豪快な景色だった。
《乱撃》のフルパワーが、全ての雪玉を撃ち落とした。
ぜいぜいと肩で息をしながらラックは言った。
「こんなところでやられるわけにはいかない……俺は必ず、必ず……勝つんだ!」
命を振り絞って再開される連投。先ほどよりも幾分か勢いを失った雪玉をかいくぐりながら、ミリアムは近くの植え込みへと走った。
「フィー、もうこれを使おうよ!」
茂みから取り出したのは通常よりも二回りは大きな雪玉。それは開幕すぐに作製し、隠しておいた奥の手だった。
「それは委員長用の切り札。ここで使うのは……」
「でも仕掛けは使い切っちゃったし、このままじゃラックに負けちゃうよ」
「何を企んでいようが無駄だ。俺はフィーネさんの為にMVPを手にする!」
『え?』
ラックの言葉に二人が反応する。
「何言ってるのさ、フィーネさんとフィーは――」
「ふんっ!」
「わっ!?」
ばら撒かれた雪玉の一つがミリアムの頭に当たった。
『ミリアム・オライオン。被弾ノ為、失格』
ヴァリマールの判定より先に、彼女は持っていた大玉をフィーに投げ渡していた。
もう出し惜しみはしていられない。鬼の形相をした駅員が迫ってくる。
フィーは受け取った雪玉を高く放り上げた。
「玉を大きくすれば効果的だとでも!? 無駄無駄、無駄なんだよお! ファハハハ!」
テンション高く特攻するラック。
突如、中空の大玉が鮮烈な光を押し広げた。
まったくの不意打ち。まばゆい閃光を直視してしまったラックの視界が白一色に染まる。
「あああ、目があーっ!」
顔を覆って地面を転がる。そんなラックを指さしたフィーは、加勢しようと機を窺っていたトヴァルにさらりと言った。
「はい。やって」
「や、やってって言われてもな」
さしものトヴァルも戸惑っている様子だ。
「お前さん、雪玉の中に閃光弾入れただろ。それルールで禁止してるんだぞ」
「禁止されてたのは石。だからセーフのはず」
特別ルールの④番。“石”ではなく“石など”と記載するべきだったのだ。事実、ヴァリマールから反則のアナウンスは入っていない。規約通り。騎神は倫理を考慮しないのだ。
ぽりぽりと頭をかくトヴァル。ルールの穴を抜けられて複雑な心境らしい。
「あー。悪いな、ラック」
結局、身悶えるラックに手加減した一投をくれて、Bチームは六柱の二人を倒したのだった。
剛速球が唸りを上げる。その威力はライフルと変わらないレベルだった。
身体能力が高いシャロンとサラをもってしても、パープルの一撃をかわし続けることは困難を極めた。
今彼女たちがいるのは西側区画。雑貨屋《千鳥》の近くである。
「パープルさんってあんなに強かったの!?」
「私たち二人を相手に息も切らさないなんて……正直、驚いていますわ」
雑貨屋前の木柵を遮蔽物にして、二人は続く攻撃に備えた。
「どうする? なんだったら私が囮役を引き受けてもいいわよ」
「あら。珍しいお申し出もあるもので」
「言っとくけど、捨て石になるって意味じゃないからね」
サラが狙っているのはあくまでもMVP。そしてそのMVPは総合的な活躍を加味した上で、ヴァリマール、テオ、セリーヌによって選定される。ここで重要になってくるのは騎神が収集したデータなのだ。
単に敵を倒せばいいわけではない。自分の行動がチームの役に立ったか、それが敵撃破に繋がっているか。
そのような事も重要になってくる。一番よくないのは、策もなく無意味に逃げ続けることだった。
「あたしが近付いて相手のペースを乱すから、あんたはその間に――っ!?」
会話を遮る高速の雪玉。反射で体を引く。もう感覚でしか避けようがない。
ズドンと重い音が背後から響く。《千鳥》の窓ガラスに丸い穴が開き、その周囲にはクモの巣状のひびが走っていた。まるで弾痕だ。
「え、えええ?」
「割れないところが逆に恐ろしいですわね……」
パープルが投げているのは足湯場の向こうからだ。軽く60アージュは離れている。
続く二発目。盾代わりになった柵が、痛ましい音と共に破砕される。粉々に舞う木屑を払いながら、サラは三投目を構えるパープルに視線を据えた。
「ああ、もう! 埒があかないわ。続きなさい、シャロン!」
「承知しました」
雪を蹴立てて疾走する二人。放たれた三発目が『ゴッ』と風を切り、サラの右腕をかすめる。
身を低くして、走りながら雪をかき集めたシャロンはさらに加速。パープルを射程内に捉えた。
「来ましたか。そうでなくては面白くありません」
「ふふ、接近戦のお相手もして頂けるのですか?」
距離を詰めての雪玉の応酬。幾度も交錯しながら、《紫閃》と《死線》が戦場を駆ける。
シャロンは開けた両腕をしならせ、双方の手から雪玉を飛ばす。地面すれすれの低い弾道がパープルの足元をえぐった。
「やりますね」
「慣れた動きなもので」
鋼糸を扱う際の要領と同じだ。シャロンはサイドスローとアンダースローを織り交ぜながら、相手の移動経路に制限をかけていく。
やはり長距離戦で持ち味を発揮するタイプらしく、パープルはシャロンを引き離そうとしていた。
とはいえ守りに入る気配はない。わずかな隙を見逃さずにきっちりと反撃してくる。総じての戦闘バランスが高く、どの距離でも対応できるようだった。
「ここまでとは……ですが――サラ様」
「はいよっと」
足湯場の屋根からサラが跳躍する。
位置的にパープルの背後を取っていた。空中で体を回転させながら一投。タイミングを合わせて、正面からシャロンも投げる。平面ではなく三次元を使う空間戦術だ。
「さすがに分が悪いようですね」
ダイナミックな側転回避。巧みに体の隙間を通らせ、パープルは二つの雪玉を避けてみせる。体勢を戻すと、そのまま彼女は後退した。
「追撃……はやめておこうかしら」
「同感です」
この辺りの判断は誤らない二人である。
「初めての連携にしては、まあまあじゃない?」
「呼吸も合っていましたし、さすがはサラ様ですわ」
笑みを交わすサラとシャロン。なんだかんだ言いつつも、このタッグは無類の強さを誇るのだ。
山道側に撤退していたパープルがおもむろに足をとめて、サラたちに向き直った。そして再び振りかぶる。
彼女は逃げてなどいなかった。ただ単に自分の間合いを取っただけだ。
それにシャロンが気付く。背を向けているサラは気付かない。
「危ない!」
「え?」
シャロンはサラの袖を掴み、引き寄せた。
「ぶっ!?」
剛球がサラの顔面に直撃する。首がぐきっと嫌な音を立てた。
安堵の息をもらす黒メイド。
「ふう……今のは危なかったですわ」
「シャ、ロ、ン~!? どういうつもりよ、あんた!」
顔にへばりついた雪がずるりと落ちると、憤怒の表情があらわになる。ついでに首の角度がおかしい。
「いえ、雪玉が迫っていましたので」
「だからあたしを身代わりにしたっていうの!?」
「囮役を引き受けて下さると仰っていましたし」
「囮と盾は違うわよ!」
「勉強になりましたわ。それでは水着を楽しみにしていて下さいませ」
「く、くううー!」
斜めに傾いた顔のまま、サラはシャロンに食ってかかる。
その折、パープルは今度こそ姿を消していて、ヴァリマールがサラの敗退を告げた。
いくつかの民家を抜けた先、山道側に繋がるゲートの前。
あっさりとラウラはモリッツに追い詰められていた。
走りにくい雪の上だというのに、あの異常な速度は何なのか。
「《瞬皇》からは誰も逃れられないだよ」
適当な距離を保って止まると、モリッツは勝ち誇ったように笑う。丸い肩が上下に揺れた。
二つ名に恥じない俊足だった。
失礼ながら運動には不向きと見えるその体躯で、よくここまで動く。半ば感心しながらも、ラウラは背景も含めた相手の全体を視界に収めた。遠くの雪山まで見据えるように、全てを。
武を心得る者ならば習得していて然りの目付け。敵はとにかく初動が鋭い。対応する為にはコンマ一秒でも早い行動予測が必要だ。
「元より逃げ続けるつもりはない。勝負はここでつけさせてもらう」
「若さゆえの無謀は嫌いじゃないだよ……けど――」
モリッツは足踏みを始めた。だんだんとその速さが増していく。
「だっ!あっ!よっ!」
あまりの速さに両足がぶれて見えだした。
まだ勢いが増す。振動で足元の雪が散り、隠れていた路面が露出した。
「だだだあああよよよ」
異変が起きた。モリッツの体が横に広がり、分裂したのだ。
「こ、これは?」
「だだだだだあああああよよよよよ!」
これは最高速度で繰り返されたサイドステップが見せる残像だ。ラウラが理解した時には、その分身体は十体にまで増殖していた。十倍の『だあよ』が重なり、不協和音として耳の奥にこびりつく。
「どこからでも投げてくるといいだ。それを投げ返された時が、君の最後になるだあよ」
反響する声でモリッツが言った。彼は雪玉を持っていない。新しく作ろうとすれば足を止めなければいけないから、ラウラの攻撃でカウンターをするつもりなのだ。
取られないくらい強く投げてみるか? 多分無理だ。的が速くて狙えないし、外せば終わりが確定する。そもそも強弱の問題ではない。
「ほらほらほらあ!」
「くっ!」
しかし投げなくては勝てない。
モリッツは嘲るように口笛を鳴らしたり「へいへいへーい、ビビってるだあ? お嬢ちゃんってばビビっちゃってるだあ? ワーオ!」などと腰を振り振り、執拗に煽ってくる。ちなみにワーオの発音はホワァーウォだ。
さすがに一発投げつけてやりたいが、それが自分に返球されるとなると迂闊に手は出せない。
どうする。振りかぶったまま動けないでいると、
「早くするだあよ、早く……!」
にわかに焦り出したモリッツ。気付けば十体いた分身が七体に減っていた。
「だだだあああよよよ!」
がんばって十体に戻す。が、すぐに失速。今度は三体に減少。辛そうな息遣いと咳き込みが聞こえてきた。
ラウラはそれを黙って眺めている。
「お願いだから、早く投げ……」
懇願しながら二体に減る。ラウラは眺めている。
「……だあよ」
全ての分身が本体に収束する。
モリッツの速さの秘密はその短い脚にある。上下運動と回転数のピッチを早くすることで、驚異的なスピードを生み出していたのだ。当然、体力消費は激しい。
故に何もしないことが、モリッツの攻略法だ。
力尽き、へたり込み、ラウラを見上げる。
「一日程度の禁酒では体力は戻らないみたいだよ」
「鍛錬は続けてこそです」
「ジェラルドさん……お菓子作り続けて欲しかっただあ」
「お菓子?」
ラウラが眉をひそめると、モリッツは語り出した。ジェラルドがなぜお菓子を作り続けているのか。誰の為に作っているのかを。熱く、激しく、そして物悲しく、情感たっぷりに訴える。
「だから! だからっ! あのオーブン窯はとても大切な――」
「ふうむ……」
考え込んでいたラウラは、思案顔で言う。
「そういえば……お菓子は今まで作ったことのないジャンルだ」
モリッツの話など、彼女は聞いていなかった。
「なぜ今まで気付かなかったのだ。それなりに上達してきたし、私もそろそろステップアップする段階かもしれん」
リィンは甘いものは好きだろうか。なぜか一番によぎる彼の顔。
早く厨房を使いたい。シュークリーム? ケーキ? チョコレート? ああ、女子らしいではないか。
「恥を忍んでお願いするだよ。もしMVP特典に希望がないなら、どうかあのオーブンを――」
「よし、がんばるか」
何やら懇願しているらしいモリッツの鼻柱にベシャッと雪玉をぶつけて、ラウラは颯爽と歩きだした。
「ずいぶん走ったけど大丈夫か?」
「はい、問題ありません」
メイプルから逃れて、リィンとエリゼは渓谷道へと移動していた。岸辺の雪を溶かしながらせせらぐ小川近く、群生する木々に紛れて二人は身を隠していた。
リィンは注意深く周囲を見回す。
遠く、木と木の間に張られた赤いカラーテープが見えた。あれがトヴァルの言っていた競技エリアを限るものだろう。あの向こうに足を踏み入れるとヴァリマールに感知され、失格にされてしまうのだ。
メイプルが追ってくる気配はない。狙いはエマだろうか。理由は知らないが、やたらと敵意を抱いているようだった。
『サラ・バレスタイン。被弾ノ為、失格』
渓谷道まで届くヴァリマール審判の音声。
「サラ教官がやられるなんて。一体誰が……」
雪合戦とはいえ、彼女を倒すなんて相当な実力がないと不可能だ。もしくは、よほど上手く不意を突いたか。
「どのチームも少しずつメンバーが減ってきましたね。私たちも慎重に動かないといけません」
現在の失格者はAチームがエリオット、Bチームがミリアム、Cチームがガイウス、サラ。そしてユミルチームがラック、ジェラルドだ。
「……なあ、エリゼ。ユミル六柱って何なんだ?」
テオの解説で初めて耳にした言葉。
リィンは知らなかった。いつ、誰が、どうやって選ばれているのかも。
「それは――」
エリゼが口を開きかけた時、顔のすぐ横で雪のつぶてが弾けた。
「っ!」
「兄様!?」
どこからか攻撃された。エリゼの腕を引き、木の裏に隠れる。
意識を集中。近付く気配は二つ。何者かの声が告げる。
「隠れても無駄だ。場所は分かっている」
「エリゼはそこにいろ」
小声で言ってから雪玉を手にし、リィンは単身で木の裏から出た。
雪景色の中に立っていたのはユーシスだった。
「チームから離れての単独行動か。何にせよ、出くわした以上はここで倒していくぞ」
「こちらの台詞だ。やすやすと負けるつもりはない」
いや、待て。気配は二つだったはず。もう一人はどこへ――
「エリゼ! そこから離れろ!」
リィンが叫ぶよりわずかに早く、雑木林の中に雪玉が飛んだ。それはエリゼのいる木の真裏に命中した。
ヴァリマールのアナウンスが響く。
『モリッツ、被弾ノ為、失格』
「え、モリッツさん? え?」
「私なら無事です!」
リィンの横へとまろび出るエリゼ。
今のコールは、どこかでやられたらしいモリッツの分のみだ。かろうじて反応が間に合ったエリゼは、ギリギリで回避に成功していた。
「雪の上での動きに慣れてる感じね。さすがはエリゼちゃん」
エリゼの後方、木々の間からアリサが現れた。リィンたちはユーシスとアリサに挟まれた形である。
「一発で仕留めるつもりだったのだがな」
ユーシスにこちらの気をそらせておいて、回り込んだアリサが奇襲をかける算段だったのだろう。
もし今のをエリゼが避けていなかったら、続く前後からの攻撃で自分もやられていたに違いない。
「エリゼはアリサの相手を頼む。ユーシスとは俺がやる」
「お任せください、兄様」
すでにユーシスとアリサも雪玉を手に臨戦態勢だ。
「先に二体一の状況を作った方が勝つ。攻撃を受けないことを優先しろ」
「わかってるわ。地形を上手く使っていきましょう」
対峙するA、Bチーム分隊。ポジション的にはリィン側が不利だ。
二体二の乱戦が開始される寸前、木々がざわめいた。まるで何かに怯えるように枝葉が揺れている。
淀む空気が周囲に押し拡がっていく。
「見つけたぞ」
棚の下に逃げ込んだ害虫に向けるような、酷薄で冷淡な声音。その異様さに全員の動きが止まった。
吹き抜ける風が慟哭をもたらす中、負のオーラをまとうその人物が渓谷道を下りてくる。
妄執に取り憑かれた修羅眼鏡。闇に堕ちたマキアス・レーグニッツ。
彼は雪玉を片手に禍々しく嗤っていた。
――中編②に続く――
中編①をおつきあい頂きありがとうございます。
久々の四部制でお送りしています。
以下、現時点での生存者の状況となります。
《Aチーム》
リィン、エリゼ(渓谷道側、林道にてユーシス、アリサと開戦)
エマ、クレア(メイプルから逃れて、他チームの戦闘にも巻き込まれないよう郷内を移動中)
《Bチーム》
フィー、トヴァル(ラックとジェラルドを撃破)
アリサ、ユーシス(渓谷道側、林道にてリィン、エリゼと開戦)
《Cチーム》
シャロン(サラを盾に生存。仲間との合流を考える)
ラウラ(モリッツ撃破。テンション上昇中)
マキアス(リィンたちの戦闘区域に乱入。修羅ってる)
《ユミルチーム》
パープル(サラ撃破後、一時撤退)
メイプル(行方をくらましたエマを追跡中)
このようになっています。強者の雰囲気を醸し出していたユミルチームが一番減っているという。Ⅶ組勢のポテンシャルの高さたるや。
それでは次回は中盤戦! 引き続き中編②もお楽しみ下さい。
最後になりましたが、前作『虹の軌跡』、続作『虹の軌跡Ⅱ』を合わせた話数が今回でちょうど100話となりました(おまけ、人物ノート含む)
ひとえに読者の皆様の応援のおかげです。虹の軌跡Ⅱはまだまだ続きますが、完結までお付き合い下されば幸いです。
今後とも宜しくお願い致します。