クロウ・アームブラストはパンタグリュエル内をぶらついていた。
少し前まではオルディーネを駆って戦場に出ずっぱりだったのだが、戦局が固まりつつある最近では、機甲兵部隊だけで事足りるようになってきた。
よほど重要な局面でしか《オルディーネ》は前線に出ないことになっている。わざわざ表に立たずとも、裏に控えている印象を刻み付けておくだけで戦術的には有効なのだとか。
そういう理由で空いた時間が増えたのである。
「っても暇つぶしできるような相手はいねえしな」
西風の二人はほとんど部屋から出てこないし、ブルブランとカードゲームをしてもイカサマ合戦になるだけだし、デュバリィはアルバレア城館から戻ってから様子がおかしいし。
意外にマクバーンは話せる奴だが、今の時間はお昼寝タイムだろう。フィーに負けじ劣らず、あいつもよく寝る。
「そうなってくると……」
スカーレット、ヴァルカン。やっぱりあいつらだ。付き合いが長い分、他に比べて気安さはある。
しかしどこにいるのだろう。新型機甲兵の試運転に行ってるとばかり思っていたが、建造ドックに二人の姿はなかった。
「あら、クロウ」
青いドレスがなびく。ヴィータ・クロチルダが通路の向こうから歩いてきた。
「相変わらず神出鬼没だな。大人しく貴賓室にいりゃいいのによ」
「そんなのつまらないじゃない。あなたはどこに行くの?」
「別に。とりあえずヴァルカンたちを探そうと思ってる」
「あなたも暇なのね。ま、もう少ししたら忙しくなると思うけど」
「なんでだ?」
「さっきブリッジからカイエン公の笑い声が聞こえたから」
「マジかよ」
あのオッサンが上機嫌な時はロクなことがねえ。
……出番が近いのかもしれない。
「それじゃ、忙しくなる前に鋭気を養っとくか」
「私の歌でもいかがかしら? 元気になれると思うけど」
「そいつは豪勢だが、遠慮しとく。変な暗示にかかっても嫌だしな」
「つれないわ。ちょっと意識が飛ぶだけなのに」
「……やべえやつじゃねえか、やっぱり」
冗談よ、と魔性の笑みを浮かべて、ヴィータは去っていった。
その含み笑いが不安なんだっつーの。
▽ ▽ ▽
《黒兎のお・も・て・な・し》
足の赴くままに進むと来賓区画に着いた。協力者たちにはそれぞれVIPルームが割り当てられている。
一つ開きっぱなしの部屋があった。
何気なくのぞいてみると、頭に黒フードをすっぽり被った少女がベッドの上で寝転がっている。
「アルティナの部屋か。寝てるみたいだな」
「……誰ですか」
眠っているわけではなかったらしい。アルティナは身を起こすとクロウに向き直った。
「悪い、ドアが開いてたからよ」
「……嘘ではないようですね。不埒な真似をしようと入ってきたならクラウ=ソラスが迎撃していたはずですから」
「安心しろ、対象外だ」
「む……」
最初に会った時より、幾分か感情が見えるようになってきた。感情が薄いのは、そういう
出し方自体が分からなかったのだろう。きっと成育環境が関係している。
「用事は特に無いんでな。これで失礼するぜ。あとボディーガードがいても寝る時はドアくらい閉めとけよ」
「待って下さい」
「ん?」
「入って下さい。あなたに訊いておきたいことがあります」
珍しい誘いもあるものだと、クロウはアルティナの部屋に足を踏み入れる。
何一つ私物は持ち込んでいないらしく、モデルルームのような整然さだ。それなりの期間を滞在しているはずなのに、あまり生活感がない。
「座って下さい」
無表情のままに椅子を指し示された。とりあえず言われた通り座る。
「で、何を訊きたいんだ?」
「……先にもてなしてからです」
「は?」
「客人を招いたら、もてなすものなのでしょう。お茶を出しますので」
そういう認識らしい。
ふとベッドの下に目が向く。まるで隠してあるみたいに、いくつかの本が重なっていた。
一応私物は持ち込んでいるようだ。もしかしたら、あの中に接待について書かれた本があって、それに影響を受けたのかもしれない。
なんで隠蔽してあるのかは不明だが。思春期なのか?
「ん……おかしいですね」
備え付けの湯沸かし器をつんつんと突いては、しきりに首をかしげている。
「お前、まさかそれ使ったことがないのか?」
「………」
ないらしい。手間のかかるやつだ。手伝ってやるつもりで立ちかけた時、「させません」と棘のある声が飛んで来た。
同時に現れたクラウ=ソラスが、胸のビーム発射口をクロウに向ける。
「客人はおとなしく座っていて下さい」
「だってお前、湯沸かし器の使い方がわからないんだろ?」
「クラウ=ソラス。客人がその椅子から立ち上がったら撃っていいです」
「客人の扱いじゃねえぞ」
四苦八苦するアルティナ。口を出そうとすると非難の目を向けられ、ついでに砲口も向けられるのでクロウは何も言えなかった。
奮闘の末にようやく正解の手順へとたどり着く。こぽこぽと湯の沸く音がしていた。
少し疲れた様子のアルティナは戸棚に向かった。置台に乗り、精一杯の背伸びをして、棚の奥から小瓶を取り出した。
紅茶の葉が入った瓶だ。しばしその茶葉を眺めて、
「あ、おい!」
クロウが制止するより早く、ティーカップに茶葉を入れた。直接、しかも大量に。
沸いたばかりのお湯をそこに注ぎ、じっと待つ。
「お待たせしました」
目の前にカップが置かれる。香りはいいし、味もしっかり紅茶だろう。
表面に浮きまくっている紅茶の葉さえなければ、文句はないのに。なぜポットに入れて茶葉をこさなかったんだ。
「どうぞ」
「お、おう」
悪意はない。不器用極まりないが、これは善意のおもてなしだ。
クロウはがんばってそれを飲む。なかなか厳しい舌触りだった。
とてもゆっくりとは味わえない。早々に本題を聞かねば。
改めて問うと、少々言い辛そうにアルティナは言った。
「ミリアム・オライオンのことです。彼女の弱点を教えてください」
「弱点? そう言われてもな」
「一時期とはいえ、同じ寮にいたのでしょう。何かあるはずです」
「んー……そういえば、あいつはお化けとか幽霊とかが苦手だったと思うが」
「お化け? 幽霊? そんな確たる存在を立証されていないようなものが?」
「だから怖いんだろ」
意外そうに目を瞬いたのもわずか、アルティナは小さく、ほんの小さく頬を緩めた。勝機は我にありといった感じだ。
彼女はノルドでミリアムと交戦した際、嫌がらせに近い責めを受けていた。フードの耳やら尻尾やらを引っ張られるという耐えがたい恥辱を。もっとも彼女に言わせれば、それは耳でもなく尻尾でもないらしいが。
つまりこれは仕返しの準備なのだろう。
「こんなもんでいいか? それ以上役に立ちそうなことは俺も知らないからな」
「十分です。有益な情報でした」
「おう、それじゃ――」
「お礼にもう一杯紅茶を淹れます」
☆ ☆ ☆
《鉄機な一皿》
「う……喉がざらざらしやがる」
結局二杯目の紅茶も飲まされてしまった。早く口をゆすぎたい。
そう思うクロウはレストランに向かった。何を食べたいわけでもなく、目当ては水だ。
「あら、クロウじゃありませんか」
レストランに入ってすぐ声をかけられる。
むっつり顔のデュバリィが立っていた。
「飯でも食いに来てたのか?」
「違います。でも丁度いいですわ」
「何がだ――っておい?」
クロウの袖を引っ掴んだデュバリィは、彼を近くの席に無理やり座らせた。
「いや俺は食事じゃなくて、水をもらいにだな」
「つべこべ言わずにこれをお食べなさい」
彼女はそう言って、一つの皿をテーブルに置いた。
パスタである。上にかかっているのはミートソースのようだ。
「お前が作ったのか? つーか料理とかするんだな」
「どういう意味ですの!? これでも
「……ああ、悪い。女子だもんな」
「えーえ、超淑女ですわ!」
淑女に超はつけないだろ。一気に淑女感が失せた気がする。
「なんで急に料理なんてしたんだ? ここ一か月で初めて見たぞ」
「そ、それは」
口ごもりながら続ける。
「ア、アルゼイドの娘に負けたくなかったから」
ラウラのことだ。どうしてここまでデュバリィが彼女を敵視するのかは、クロウにも分からない。
「剣の勝負じゃなくて、料理なのか?」
「剣でもですけど、アルバレア城館でちょっとありまして」
「……?」
そこまでの詳細な報告はさすがに挙がっていないが、デュバリィはラウラの料理によって先制攻撃を受けていた。
負けず嫌いの彼女のこと、いつか剣のみならず、料理でも目にもの見せてくれようと思っているわけである。
ちなみに最近のデュバリィは、アルバレア家から自分宛に多額の請求書が届いたりしないか、毎日戦々恐々としているのだが、その理由を知る者はいない。
「で、俺はこれを食ったらいいのか」
「そうです。感想を聞かせて下さいな」
「仕方ねえな」
断わる理由も見つからず、フォークでパスタを巻きながらミートソースを絡める。
それをパクリと一口。そわそわしながら見守るデュバリィ。
「ぐっ!?」
芯の残るパスタ。ドロリとした不快そのもののミートソース。ひき肉は生焼けと焦げが混在している。どうやったら一つのフライパンの上で生焼けと焦げが混在できるんだ。無意味な奇跡を起こしてんじゃねえよ。
「ふふーん、どうですか? オリジナリティを加えたデュバリィ特製、神速パスタの味は」
こいつはラウラと一緒だ。独創性の意味をはき違えてやがる。
こんなもんまともに食ったら意識が吹き飛ぶぞ。それこそ神速で。
「かっは……ドローだ。引き分けだ……」
同レベルである。甲乙など付けられるはずもなく、クロウはむせ込みながら判定を告げた。
「まだまだというわけですか。ですが、そうでなくては研鑽のしがいがないというもの」
「お、おう。程々にしとけよ」
「そうですわ。今度マスターにも味見して頂こうかしら?」
「マジでやめとけ!」
☆ ☆ ☆
《ナンバーワンな昼寝》
ふらふらとよろめきながら、ラウンジフロアに戻る。
胃がねじ切れそうなくらい痛い。本当にラウラといい勝負だった。
リィン、お前は今でもあの料理を食い続けているのか。食い続けているんだろうな。そこに関してだけは本気で同情する。
部屋で落ち着きたかったが、この状態で休まずに歩くのはきつい。
確か近くに談話用のソファーがあったはずだ。そこで休憩してから向かうことにしよう。
「おいおい」
たどり着くと、ソファーには先客がいた。
どっかりと広い座面を一人で占領して、ぐーぐーと寝息を立てている。
執行者のナンバーI、《劫炎》のマクバーンだった。
「よりによってこいつかよ……」
どこかで寝ているとは思っていたが、わざわざここを選ばなくてもいいだろうに。部屋で寝ろ、部屋で。
マクバーンが起きる気配はない。
結社最強と謳われる実力者。そこを疑うつもりはない。しかしいいのか。こんなに堂々と隙だらけで眠って。
あれだろうか、殺気や闘気を敏感に感じて目を覚ますとかいう。
「ちっと試してみるか」
興味が湧いた。ちょっとだけいたずら心が動く。しばらくぶりに顔を出した感情だ。それを結社最強に向けるのもどうかという話だが。
あえて気配を殺さずに接近を試みる。起きない。もっと接近。まだ起きない。
「マジかよ」
とっくに攻撃範囲内なのに、身じろぎさえしようとしない。
咳払いをしてみる。マクバーンの耳がぴくりと動いた。右腕が持ち上がり、ゆっくりと顔に近付く。
来るか、起きるか。
ぽりぽりと頬をかき、寝息が再開された。
「くそ!」
何だかもう起こしたくなってきた。
ポケットから硬貨を取り出す。10ミラ硬貨。それをピンと親指で弾く。
弧を描いた10ミラ硬貨は、マクバーンの額に命中した。一瞬だけ寝息が止まる。が、それだけだった。
「……もうやめとくか」
何やってんだ、俺は。
ここまで人前で眠れるのは単に神経が図太いからか、強さからくる余裕の表れか。あるいはその両方か。
掴みどころのない男の寝姿に背を向けて、クロウはその場を離れた。
十歩ほど離れたところで、
「……いってえ」
額をさすりながらマクバーンが目を覚ます。
タイミングおかしいだろ。
☆ ☆ ☆
《仮面の美》
「ふふ、もしかして蒼の騎士殿はお暇かな?」
マクバーンの元から立ち去ろうとしていた時、声をかけてきたのはブルブランだった。
いつもの定位置――つまりフロアの隅っこのテーブルから、にやつきながら手招きしている。
面倒な奴に見つかった。クロウはそのまま通り過ぎようとする。
「悪いが暇じゃない」
「それはそうと、カードゲームに興じようではないか」
「俺の話を聞けよ」
ブルブランは一人だった。卓上にトランプを並べては自分で引き、絵札を確認してはまた同じ場所に戻している。時々シャッフルもしていた。いったい何が楽しいんだ。
「お前こそ暇だろ」
「異なことを。退屈を楽しむことと、人生を有意義に過ごすことは同義だというのに」
「……分からなくもないけどな」
あくびが出るほど呑気な日々。それは価値あるものだと知っていた。自分の意志で手放してしまったが。
「そうだろう。とはいえ灰色の日常ばかりでは気が滅入る。刺激が欲しいのも確かだね」
「刺激?」
「美とも置き換えられる」
仮面の男は大仰に天井を振り仰ぐ。悦に入った口元が吊り上がり、オペラの一幕のように両腕を広げた。
「美の探求こそが私の存在意義だ。一つ君に問いたいが、至高の美とはなんだろうね?」
「考えたこともねえな。そういうのには疎いからよ」
「それは形あるものが壊れる瞬間だ」
答えはさして期待していなかったらしい。大した反応も見せず、ブルブランは自分の話を続けた。
「永続する美など存在しない。儚く散る瞬間にこそ、何よりも美は輝くものだ。逆説的に儚いからこそ美しいとも言えるだろう」
「そうかい。俺には理解し難いが」
「ならば分かりやすく説明しよう。たとえば《パンタグリュエル》。技術の粋を結集した壮大で荘厳な船だが――」
そう言って、彼は床を軽く踏み鳴らす。
「もしもこの白銀の巨船が、大勢の人々の暮らす町に墜落することがあったとしたら、君はどう思う?」
「……お前」
「美しいだろうな、最高に! どんな一流の劇場でも表現することのできない至極のエンターテインメントだ!」
多分冗談では言っていない。口振りからして、自分がその破壊の中心で果てることさえ本望なのだろう。
普通の思考じゃない。屈折した自己破壊願望までも感じる。本人も気付かない心のどこかに、それは確かにあるのかもしれない。
何を想って生きてきたら、こんな考えにたどり着くのだ。
「お前、結社に入る前は何をやってたんだ?」
「ん? 私の過去に興味があるのかい」
ブルブランはトランプを一枚引く。ピエロが嗤う絵札。ジョーカーだった。勝手に納得したらしく、おもむろに口を開いた。
「さて……君は「恋多き詐欺師X」、「悲劇の画家Y」、「華麗なる武術家Z」の話を知っているかな? とある記者がまとめたレポートだ」
「いや……?」
「ではそこから話そう。少し時間はかかるが」
「遠慮しとくぜ」
こいつの長広舌だと二時間コースだ。気にはなるが、そこまで付き合ってられるか。
「それは残念。まあ、それでも一つだけ私のことを語るなら――」
何かを思い出すように、彼は言う。
「私は貴族というものがあまり好きではない。彼らは格式に縛られ、また感情も縛る。心は本来自由であるべきだ」
その言葉が何を意味するのか、クロウには分からなかった。だが、初めて仮面の下の本心が見えた気がした。
虚構に塗り固められる前の彼の姿が。
「無論、貴族連合への協力に私情は挟まないがね」
「ああ、そうしてくれ」
「しかしなんだな。このような話をしていると、やはり誰かと美を語らいたくなってくる。君は知らないか? 自らの美に信念を持つような人を。私も何人かは知っているのだが、気軽に会える相手でもなくてね」
「そんなやつ、心当たりは――」
ふと丸いシルエットが脳裏をよぎる。
愛のままに全ての障害を突破する、肉玉戦車のシルエットが。
「……マルガリータ。マルガリータ・ドレスデン。そういう奴がトールズにいた」
自らの美を信じて疑わない、一輪の巨大な薔薇。ちなみにクロウは、学院で彼女に四回吹っ飛ばされている。
ブルブランはその名に興味を持った。
「ドレスデンといえば、グランローズの逸話で有名なドレスデン男爵家のことかね! その息女が士官学院に在籍していたとは。これはいい話を聞いたものだ」
「いや、なんつーか今のはなし。聞かなかったことにしてくれ」
「なぜだ? かのグランローゼだろう。マルガリータ嬢。おお、なんと響きのいい名か。その容姿もまさに薔薇のごとく見目麗しかろう」
「俺、用事あるからもう行くわ」
いつか語らい合いたいものだと思いを馳せる怪盗紳士。
それ以上かける言葉をクロウは持たなかった。
☆ ☆ ☆
《がんばるSV戦線》
マクバーンとブルブランに時間をかけている間に、調子の悪かった胃が多少なり持ち直してくれた。
これなら休む必要もなさそうだ。
ガチャンと大きな音。
「ひ、ひえ~!」
音の方向に目をやると、叫びながら部屋から飛び出して、一目散に逃げていく使用人の姿が見えた。あの部屋は西風の二人が滞在しているはずだが、何かあったのだろうか。
明らかに面倒そうな雰囲気だったので、クロウは近付かないことにした。
「ほら、今日こそやるわよ」
「俺は別にいいだろうが」
どこで時間を潰そうかと考えていた時、スカーレットとヴァルカンの声が耳に届く。来賓区画の二階。特別客室があるフロアからだ。
あそこにはアルフィン皇女しかいない。あの二人は何をしでかすつもりだ。
ひとまず様子を見に行く。
クロウが二階に上がった時には、すでにスカーレットたちは客室の中に入っていた。
扉を少し開けて、そっと室内をのぞいてみる。
「うふふ、皇女様。ご機嫌麗しゅうございますわ」
「邪魔するぜ」
部屋の中央に座るアルフィンの前に、スカーレットとヴァルカンが立っている。なんだか威圧的だ。なんつー絵面だよ。
アルフィンは喋らない。沈黙を貫き通している。
そんな彼女の前に、二人はどんと何かを置いた。小さく肩を震わすアルフィン。やっぱ怯えてんじゃねえか。
仲裁に入るかと嘆息をつくクロウだったが、机の上に置かれたものを見て、動かしかけた足を止めた。
あれはバスケットだ。食べ物を入れておく為の。
ヴァルカンが低い声で言った。
「最近、また食ってねえそうだな。育ち盛りがいけねえな。おい」
おいってのはやめろ。皇女にケンカ腰で絡むな。
スカーレットが間髪入れずにヴァルカンの後頭部をはたく。あの辺りの良識はスカーレットの方がある。そういえば元々は良家の育ちだったもんな。
「申し訳ありません、皇女殿下。お体に障るといけないと思い、お節介ながらまた一品作ってきたのですが」
バスケットにかかっていた布を取る。サンドイッチが見えた。
以前、カイエン公爵に命じられて、クロウを含めた三人でアルフィンに食事を摂らせようとしたことがあった。
色々手を尽くしたが、結局クロウのフィッシュバーガー以外には手をつけなかった。
それが悔しかったのか、あれから度々、二人は料理を作ってはアルフィンの元を訪れている。もっともヴァルカンはスカーレットに付き合わされている感じだが。
「いりません」
一言告げて、アルフィンは目を伏せる。スカーレットはあきらめない。
「どうかそう仰らずに。今日はフルーツサンドにしてみました。いかがかしら?」
具材にはオレンジ、ピーチ、パインなど彩のある果実に、たっぷりの生クリームが挟んであった。女子が好きそうだ。
薄目を開けて、ちらりとそれを見るアルフィン。
「……い、いりません」
皇女殿下が揺らいでいる。手ごたえを掴んだのか、スカーレットはさらに攻めた。
「残念ですわ。捨ててしまうのももったいないですし、ならこのフルーツサンドは私が責任を持って頂きます」
言いながらバスケットに手を伸ばす。
「あ……」
「え? え? 何か仰いまして?」
「な、なんでもありません。いりませんから!」
揺さぶりのやり口が姑息だろ。皇女にSっ気を出すな。
横からヴァルカンが「その辺にしとけ」と自分のバスケットを差し出した。
「意地を通すのもいいけどよ。体調崩しちゃ元も子もねえ。気持ちは分からんでもないが、飯を食う食わねえで抗議をするのは子供のやるこった」
「それは……」
「俺らのことを正当化するつもりはねえよ。ただ食事はしろ。弱って倒れることが一矢報いることだと思うのは間違ってる」
不器用な言葉。だがまっすぐな言葉だ。下手に慮る言葉をかけるより、よほど効果的かもしれない。
「わかったら食いな」
バスケットの布を取る。ギトギトのスペアリブが姿を見せた。
「それは普通にいりません」
「ちくしょう!」
作る前に想像できた結果だろうが。
今日もスカーレットとヴァルカンは敗退した。
二人が去ってから、クロウは室内に入る。
「あ、クロウさん」
「よう。相変わらずらしいな」
クロウを見るなり、アルフィンは言った。
「フィッシュバーガーが食べたいです」
「それは食うのかよ……」
厨房に戻ってご希望の品をこしらえ、クロウはアルフィンの元に戻った。
なぜかクロウの作ったものは拒否なく食べる。今もおいしそうに、出来たてのフィッシュバーガーにぱくついていた。
自分たちと同じように手で持って食べているのだが、それでも上品に見えるのが不思議だ。
食べ終えたアルフィンはクロウに言った。
「近頃はこの船にいることが多いのですか?」
「戦闘に出ることが少なくなったからな」
「そうですか……」
うつむき、手を組み合わせる。戦闘が少なくなる意味は分かっているのだろう。貴族連合の制圧が進んでいるということだ。
「ま、そろそろ出番みたいだけどな」
「え?」
アルフィンが顔を上げた時、艦内放送が流れた。
『只今より緊急ブリーフィングを行います。協力者の方々はブリッジに集合願います』
やはり来たか。
「あなたも戦うのですか?」
「さあ、ブリーフィングの内容次第だが。なんにせよ、状況は動くらしい」
「状況……?」
もし自分がオルディーネと共に出撃するのだとすれば、おそらく相手は――
☆ ☆ ☆
「諸君、迅速な集合感謝するよ」
クロウがブリッジに着くと、上機嫌なカイエン公爵が出迎えた。その傍らに立つルーファス・アルバレアは変わらない涼しげな表情を浮かべている。
すでに他の協力者たちは集まっていた。
「では始めよう。まずはこれを見てくれたまえ」
カイエンは手にしていた帝国時報を広げてみせた。正面モニターにもそれが拡大して映されている。
数日前の記事。見出しは『アルバレア城館に騎士人形が襲来』となっている。
「灰の騎神がバリアハートに現れ、この通りアルバレア城館で大立ち回りをしたそうだ。世間はこれをどう見るだろうね」
ブルブランが答えた。
「当然、灰の騎神は貴族連合に敵対していると思うでしょうな」
「その通り。記事には載っていないが、アルバレア家が独自に開発していたらしい新型機甲兵も破壊されている。屋敷内の人間に箝口令は敷いたようだが、いつまでも隠匿できる情報ではあるまい」
その現場にいたマクバーンは興味もなさげにあくびをしていて、デュバリィは城館の話になると、こそこそと後ろに隠れた。
「そう、世間の認識では灰の騎神は我々の敵となっているだろう。結論から言えば、私はかの騎神とその起動者、リィン・シュバルツァーを貴族連合に迎え入れたいと思っている」
「なんでだ?」
クロウが言う。反射的に口を開いてしまっていた。
「理由は二つある。一つ目は戦力の増強。蒼の騎神に続き、もう一体騎神を保有できれば我々の地盤は完全に固まることとなる。二つ目は認識の逆転。灰の騎神がこちらの陣営に加われば、世間の印象も変わるだろう。どちらかと言えば、これは内戦締結後に関わってくるところだが」
大きな力が敵対しているだけで、民衆は不安を感じる。それを払拭したいと言うのだ。
でもそれだけじゃないはずだ。三つ目の理由もあるんだろ。
カイエンは申し訳なさそうな顔をルーファスに向ける。
「おっと、これは配慮が足らなかった。君の前で口にする話題ではなかったかな」
「いえ、お気遣いなく。幸い城館内で重傷を負った者はいないと聞いています。父を含めて」
「おお、それは何よりだ!」
モニターにまで、でかでかと晒しておいてよく言う。
面の顔が厚いこの男は、状況を最大限に利用しようと考えている。
アルバレア家に攻め込んだ灰の騎神が、カイエン公爵の手腕によって貴族連合の傘下に入る。
するとどうなるか。
確かに世間の認識は変わるが、もう一つ別の認識が生まれることになる。
貴族連合の主柱はカイエン公爵。逆にアルバレア公爵は、その格を落とされていくだろう。
カイエンはそれも狙っているのだ。緩やかにアルバレア公爵を切り離しにかかっている。
彼の思惑は理解しているはずなのに、ルーファスは涼しい顔を崩さなかった。
「だが具体的にはどう仲間に入れる? ゆっくりお話できるような状況は簡単には作れないぜ」
「だから諸君らの力を借りたい。少々強引な方法を取れば、会談の席はいくらでも用意できるだろう」
「そんなやり方であいつがこちらに付くとは思えないが」
「この船に招くことができれば、説得のしようはある」
クロウは直感する。アルフィン皇女を餌にするつもりだ。
カイエンは段取りを説明する。異論を唱える者は元よりいなかった。
「君もかまわないな?」
ルーファスに確認の目を向ける。彼はうなずいた。
「弟が出奔したとの報告も受けています。私も一度、顔を合わせておきたい」
「結構。では準備が整い次第、向かうとしよう」
今一度全員を見回し、カイエンは告げた。
「進攻は二日後。目的地はユミルだ」
――END――
――Side Stories――
《西風お兄ちゃんズ》
パンタグリュエル来賓区画。
クロウがブルブランと話している頃、《西風の旅団》の二人、レオニダスとゼノは部屋の中で向かい合って座っていた。
「ヴィンテージもんのワインがあったで。さすがは貴族様の船やな、なんでもそろえてあるわ」
言いながらグラスにワインを注ぐ。応じるレオニダスは「そうか」と一言だけの反応だった。
片や陽気。片や寡黙。正反対の性質である。とはいえ、ひとたび戦闘になれば、その性質は攻撃的にシフトされていくのだが。
「美味いな。こら、つまみもいるで」
「ルームサービスで頼めばいいだろう」
来賓区画には専用レストランもあるが、もっぱら彼らはルームサービスを利用していた。
食事時は隙が出やすい。あまり広い場所での摂食を好まないのは、猟兵の性というやつである。
ソファーから立ち上がったレオニダスは、壁付けの内線器を手に取った。
「――102号室だが、軽食を頼みたい。そうだ、各種チーズとハム、チキンもな。クラッカーはどうするかだと……不要だとでも思っているのか」
「それくらいええやんか……」
注文を終えて、レオニダスがソファーに戻ってきた。
つまみの到着を待ちがてら、二人は適当な雑談を交わす。今後の情勢についてなどは、ほとんど話さない。自分たちには関係ないからだ。考えるのは損をしない身の振り方だけでいい。
それが猟兵。雇い主のオーダーを確実にこなし、それ以上は介入しない。
金だけで繋がる関係というのが、一番あとくされがなくていいのだ。
「久しぶりのフィーはどうやった?」
「技にキレが増していたな。動きも鋭くなっていた」
だから雑談と言えば、大体は彼女の話になる。今回の話題はガレリア要塞での再会時だ。
「反応も早くなっとったな。戦況予測もできてたわ」
「ちゃんと周りを見て、自分の立ち回りを決めているようだった。あとは――」
褒めちぎりである。
「背も大きなっとたぞ! 前はこんなにちっちゃかったのにや!」
「今でもよく寝ているのだろうな。あとは食事をバランスよく食べているか気になるが」
「肉食ってたらええやろ?」
「馬鹿を言うな。フィーは成長期だ。野菜、果実、肉類、乳製品を必要分摂取しなければならないのだ。偏った栄養は体調を崩しやすく――」
この時ばかりはレオニダスも多弁になる。ゼノと合わせて、妹を猫可愛がりする歳の離れたお兄ちゃんみたいになっていた。
「勉強はどうやろか?」
「それは……厳しい戦いになっていると予想できる」
「部活とかやってへんかな」
「自由に昼寝ができる部があればいいのだが」
「さすがにないやろ」
運動系の部活で活躍しているフィーを思い浮かべてみる。
「悪くない、悪くないな!」
「うむ。さすがはフィー、短距離走で首位独走とは。あんなに差をつけられて、第二走者が哀れなものだ」
妄想の中のフィーは光輝いていた。
不意にレオニダスの表情が陰る。
「どうしたんや?」
「これだけ活躍できるフィーだ。周りが放っておくだろうか」
「周りっつーと……学院の
雰囲気が重くなった。
「たとえば同行していたⅦ組の連中。ガレリア要塞での戦闘時、男は四人いた」
「おったな……確か」
リィン、マキアス、エリオット、トヴァルである。
「あの背の低い橙毛はフィーの好みではなさそうだ」
「地雷踏んだ眼鏡のやつもインテリっぽいから、ちゃうやろな」
「白コートを着ていた年上の男はどうだ?」
「ちょっと年上過ぎな気がせんでもないし、多分対象外や」
『……となると』
声を重ね、ワイングラスを卓上に置く。
「黒髪のあいつか」
「リィンとか呼ばれていたな」
二人の額に稲妻のごとき青筋が浮き立つ。溢れ出す殺気が部屋の空気を震えさせていた。
「いらんちょっかいとか、かけてへんやろうな……」
「ちょっかい……だと……」
手も触れていないのに、突然グラスが粉々に割れた。壁にかかっていた絵画が額ごと真っ二つに裂けた。
ワインボトルも砕け散り、中身を辺りにぶちまける。
「あいつには話を訊く必要がある」
「手段は問わへんな?」
「無論だ」
充満する殺気。
扉をノックする音がした。
「失礼します。ご注文の品をお届けにあがりました――ひぃっ!?」
つまみを乗せた台車を押してきた、エプロン姿の女性はその光景に戦慄した。
まるで巨大な獣の爪に引き裂さかれたような壁の傷跡。床に散乱したグラスの破片。
極めつけは、鮮血よろしく卓上から滴る真っ赤なワイン。
「あ、ああ! 申し訳ありません! クラッカーは……クラッカーならここに……!」
「は?」
クラッカーが必要かなどと戯けた質問をしてしまったから、彼ら、いやでっかい方の彼はこんなに憤慨したのだと、その女性は確信した。
狼狽全開で彼女は走り去っていく。
その後厨房では、西風の
☆ ☆ ☆
《分岐たる銃弾》
ルナリア自然公園などとは違い、そこは人の手によって完璧に管理された森林だった。
頭上を覆う木々の合間から、彼女は高空に浮かぶパンタグリュエルを眺めていた。
「あれが貴族連合の旗艦だってさ。でかいよね」
感想は他にないらしい。嘆息する彼女は貴族連合の軍服をまとっている。
青と白を基調とした格式を感じさせるデザイン。彼女にとってはどうでもいいことだったが。
「そう思わない?」
問う彼女の足元には一匹の子犬がいた。首元に赤いスカーフを巻いた茶色い毛並みの犬だった。
子犬は首をかしげて彼女を見上げる。
「わかんないか。わかんないよね、そりゃそうか」
パンタグリュエルが移動を始めた。空をわななかせ、白銀の巨船が前進する。
「おい、どこにいる! くそ、また勝手に持ち場を離れおって……」
地上まで届くオーバルエンジンの振動音に混じって、男の怒声が近づいてきた。
「あ、隊長が気付いたみたいだ。ほら、お前ももう行きな。いつものことだし、帰り道は分かるんだろ?」
ポンと頭を軽く叩くと、子犬は走り去っていく。中々の素早さだ。
「リゼット!」
「はっ!」
名前を呼ばれて彼女――リゼットは木の陰から出て行く。ピシッと踵を合わせて直立不動の姿勢だ。
「貴様、こんなところで何をしている」
「怪しい物音を聞いたので確認に参りました。こちらは異常なしであります」
隊長は舌打ちして、道を引き返す。
「もういい、持ち場に戻れ!」
「了解しました」
この程度の叱責は慣れっこだ。最近は効率のいいサボり方も覚えてきた。
歩みを止めて、リゼットはもう一度空を見上げる。
パンタグリュエルはもう見えない。散らされた雲の向こうに青い空が広がっていた。
つまらない日々の繰り返し。前を行く隊長に聞こえないように、小さく彼女はつぶやいた。
「何か面白いことでもあればいいのにね」
――Connecting to the next stage――
お付き合い頂きありがとうございます。
休息日アナザーということで、今回は連合サイドにしています。
基本クロウ視点にして、短編を重ねる形で一話を構成してみました。初めてやってみた構成だったので楽しかったです。
とりあえずデュバリィの現最強の敵は、アルバレア印を押された請求書ですね。
では次回――ようやく舞台が整いました。思惑入り乱れる雪合戦!
タイトルは『雪玉に願いを』
第一部の総決算、お楽しみ頂ければ幸いです。