虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第36話  ユミル休息日(三日目)~そんなユミルの一日

《トライアングルモーニング》

 

「お、今日の朝食は焼き魚か」

 ヴェルナーが倒れてしまったので、食事の用意を取り仕切っているのはシャロンである。

 食堂への一番乗りはリィンだった。自分のトレイを手に、適当なテーブルに着く。

 おいしそうだ。さあ食べよう。

「いただきま――」

「早いのね、リィン」

 いつの間にかアリサがそばに立っていた。

「おはよう、アリサも朝食か?」

「ええ。……い、一緒に食べてもいい、かしら?」

「もちろんだ」

 言葉がたどたどしく、動きはぎこちない。

 アリサはリィンの右横に座った。

 二人しての食事。会話はほとんどない。こちらから話題を振っても「そう」とか「へえ」などで済まされてしまう。

「………」

 どういうことだ。俺はまたアリサを怒らせたのだろうか。しかし心当たりがない。もし怒っているのだとすれば、こんなふうにとなりに座るなんてないはずだし。

 ふと気付く。

 椅子の距離が妙に近い。横並びだから、食べているお互いの腕が触れあってしまいそうなくらいだ。

「ええと、アリサ?」

「なによ」

「いや、何と言うことはないんだが……少し近いような。席が」

「も、問題あるわけ?」

「問題はないが……」

 また黙々と食べる。喉に食事が通りにくい。さっきから水ばかり飲んでいる気がする。

「二人して食事か。私も同席して構わないか?」

 そんな時にやってきたのはラウラだった。

 リィンは安堵した。これでよく分からない重苦しい空気から解放される。

 トレイを手にした彼女はリィンの左側に座った。

「では頂くとしよう」

 食べ始めたラウラ。彼女もまた無用に口を開かない。

 これはおかしい。重苦しい空気が払拭されない。それどころかさらに雰囲気が重くなったような。食事のペースが落ちていく。

「失礼します、兄様」

 ダメ押しの三人目が現れた。じとりとした目付きのエリゼが正面に座る。

 味などほとんど感じなかった。早く食べ終わって、この場から撤退しなくては。事態はさっぱり呑み込めないが、どんどん不利になっていく予感がする。

 アリサがしょう油の入った小瓶を差し出してきた。そういえば魚に何もかけていなかった。

 ラウラがおかずを勝手に追加して持ってくる。俺は別に頼んでいないんだが。

 空になったグラスにエリゼが水を注いでくれた。表面張力限界のぎりぎりまで。

 色々と気を遣ってくれているはずなのに、この居心地の悪さはなんだ。胃がちくちくと痛む。とりあえず誰か何か言ってくれ。

 リィンはキッチン側に目を向ける。

 顔を半分だけのぞかせたシャロンが、にこにこと楽しそうにこちらを見ていた。

「お、俺は何かしたのか?」

 その問いに答えるものはおらず、沈黙の朝食だけが続く。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《黒猫とマフラー》

 

「ふんふんふーん」

 セリーヌは上機嫌だった。珍しく鼻歌まで歌っている。

 一昨日もらったマフラーを首に巻いたり、体にかけてみたり、気が付けばそれに触っている。

 これはエマが贈ってくれたものだ。凝った模様も編んであって、デザインも気に入っていた。自分の好みを心得た彼女にしか作れない、世界にたった一つのマフラー。

 もう一度首に巻こうとしたところで、不意にドアノブが回る。

「セリーヌいる?」

「いっ!?」

 エマの声。当然だ。ここは鳳翼館の彼女の部屋なのだから。

 ゆっくりとドアが開いていく。

 瞬間的に猫のしなやかさを全開に。身をひねって一息にマフラーを脱ぎ捨てると、セリーヌはその場から飛び退いた。

 エマが姿を見せた時には、普段のツンとした彼女だ。

「エマじゃない。何か用?」

「別に大した用じゃないけど……あ、そのマフラー」

 床に落ちているマフラーを見つけるエマ。

「もう、せっかく編んだんだから大切にして」

「ふん、大体猫にそんなもの贈るのがおかしいのよ」

「普段は猫扱いしたら怒るくせに。いいわ、昼食は一人で食べてくるから」

 ふいとそっぽを向いて部屋の外に出ていってしまった。もちろん、エマがこんな態度を取るのはセリーヌ以外にいない。姉妹のやりとりの一幕だ。

「あ……」

 セリーヌが何かを言う前に、ドアは閉まっていた。

 一人になった部屋でしゅんとして、寂しげに尻尾を垂らす。

 落ちたままのマフラーを引っ張ってきて、器用に自分の体をくるんだ。

「何よ、エマったら」

 不機嫌になっちゃって。今のはアタシも悪かったとは思うけど。

 謝ったほうがいいかしら? 一言ごめんって。

「それは……」

 多分無理。きっと謝れない。

 昔からそうだ。ケンカしてこっちが悪くても、いつもエマから折れてきた。私も悪かったわ、仲直りしましょう、なんて言って。

「アタシも……もう少し素直になれたらいいのに」

 こぼれた本音もマフラーに包んで、セリーヌは深いため息をついた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《料理長の受難》

 

「はおおお……」

 鳳翼館の一室から聞こえるうめき声。

 苦悶の表情を浮かべたヴェルナーが、ベッドの上でもだえている。

 ラウラが作った料理という名の兵器によって、彼の体はズタボロにされていた。

「ぬっ、ふうっ!」

 絶対安静にしなくてはならない。しかし彼は起きようとする。

 なぜか。やるべきことがあるからだ。それは料理長の責務とは違う使命。

「ゆ……雪合戦……っ!」

 ユミルの民にとって雪合戦は重要な意味を持つ。ましてや彼は、

「行かねばならぬっ! ユミル六柱の一人として……《千変》のヴェルナーとして!」

 男、ヴェルナー。ここで立たねば掲げる称号が泣くというもの。

 雪上を縦横無尽に駆け、千変万化の戦術でいかなる相手をも打ち倒してきた。

 眼前に立ちはだかる敵は、皆等しく調理される食材のごとし。

 その自分がよもや、ただ一皿の料理によって伏すことになろうとは。恐るべしサモーナのマリネ。恐るべしラウラ・S・アルゼイド。

 部屋のドアが開く。バギンスが姿を見せた。

「おや、ヴェルナー料理長。まだ動いてはなりませんぞ」

「む……これはバギンス支配人。ご迷惑をお掛けしております。すぐに復帰しますので」

 床に足をつけたヴェルナーを、バギンスは物腰柔らかに制する。

「全ては体が資本。無理はなさらない方がいいでしょうな」

「ですが明日は雪合戦があります。私が出ないわけには……」 

「出るなという意味ではありません。明日の為に今日を養生するべきだと言っているのですよ」

「は……」

 言い返す言葉もなく、手渡された水を飲む。実際、体調は回復しつつあった。

 深みのある笑みを見せるバギンスにヴェルナーは言った。

「あなたは参加しないのですか」

「ははは、この老体がかね。それは無茶というもの。そもそも引退した身ですからな」

「あなたほどの人が何を仰るのか。バギンス殿はかつて最強の称号を持った――」

「料理長」

 たったの一言。それだけでヴェルナーは口をつぐまざるを得なかった。静かな威圧が部屋に満ちていく。

 眼力を見ればわかる。この人の実力は衰えていない。ヴェルナーは息を呑んだ。

「も、申し訳ありません」

「気にしないで下さい。私の抜けた穴はパープルとメイプルが十分に埋めるでしょう」

 バギンスはベッド横の台にスープ皿を置いた。

「これは?」

「滋養強壮に効果のあるスープです。作りたてですから体も温まると思いますよ」

「おお、かたじけない。支配人自ら私の為に作って下さるとは……」

 感激しながらスープをすくう。

「いやいや、私ではありません」

「そうなのですか?」

 不思議そうに一口。舌の上で味わう。どこか覚えのある味。味というかこれは、これは味の――

「あなたが心配だと言って先ほど持ってきてくれたのです。リィン坊ちゃんのご友人のラウラ様が」

「ヒギャアアア!」

 味の暴力。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《リサ姉の懺悔室 前編》

 

 懺悔(ざんげ)とは罪を告白し、悔い改めること。

 その罪を赦し、新たな道を提示する。それが教会に務めるリサの仕事の一つである。

 今日も胸の内に抱えた想いを吐露すべく、様々な人たちがやってくる――。

「では次の方、どうぞ」

 リサに呼ばれて、誰かが懺悔室に入室する。

 その部屋は人ひとりが収まる程度のスペースしかない。暗幕に遮られた隣室にリサがいて、そこで罪の告白を受けるわけだ。

 当然相手の顔は見えないようになっている。しかし小さな郷だ。ユミルの人たちなら声で大体分かってしまうが、そこはそれ。

 形式が大事だし、来訪者たちもその辺りは折り込み済みだったりする。

 さっそく罪の語りが始まった。

「私は罪を犯しました。ダメだと分かっていたのに……」

 この声は雑貨屋《千鳥》のカミラさんだ。

「打ち明けなさい。女神は慈悲深い御心をもって聞き入れて下さいます」

「は、はい。私には夫がいるのですが、先日彼に黙ってある商品を入荷してしまいました」

「なぜ黙って?」

「反対されると思ったから……普段からよく注意されるんです。不要なものは店に並べるなって」

 カミラは続ける。

「でも買う人もいると思うんです。だからつい、夫には何も言わずに……うう」

「お客さんを一番に想うあなたのお気持ちは理解できます。ですが夫婦の信頼関係があってこその商売でしょう。お客さんが喜んでくれても店主である旦那様が喜ばれなければ、いつかお店は回らなくなっていくものですよ」

「反省しています。謝ったら許してくれるでしょうか?」

「女神はすでにあなたを許しています。旦那様が許さない理由はありません。さあ、真心を込めて謝ってきて下さい」

「あ、ありがとうございます!」

 カミラの声が明るくなる。懺悔は大体こんな流れだ。

 こちらから事情に深く立ち入ってはいけないのだが、ちょっと気になったのでリサは訊いてみることにした。

「ところで何を入荷したのですか?」

「魔獣系の食材です。目玉とか触手とかゼラチンとか。ぷるんぷるんしてるんですよ、ぷるんぷるん」

「……売れました?」

「ええ、お一人に。滋養強壮に良いって言ったら、ラウラさんが買っていってくれました」

「女神は嫌な予感がすると仰ってますよ」

 

 ▽ ▽ ▽

 

 

 

《ホークとトーク》

 

「何やってるの?」

「フィーか。空を見てみろ」

 山道側の入口で空を見上げるガイウスに、フィーが近付いていく。

 言われるまま彼に倣う。青い空の中、一羽の鳥が円を描くように飛んでいた。

「……鷹?」

「目がいいな。その通りだ」

 その鷹は旋回しながら徐々に高度を下げ、やがて二人の前に降り立った。

「彼はゼオ。故郷の友人だ。ノルド高原から俺たちを追ってきてくれたらしい」

「こんなところまで?」

 位置的にはまだ近い方ではあるが、アイゼンガルド連峰を越えなければならない。

「俺たちの力になってくれるのだろう。と言っても馴れ合うつもりはないようだが」

「ふーん」

 甲高く一鳴きして、ゼオは再び羽ばたく。

「あ、休むんだったら教会の屋根がいいと思うよ」

「フィーはゼオの言葉が分かるのか?」

「分からないけど、何となくそんな気がしただけ」

 飛び立ったゼオはフィーの言った通り、教会へと向かう。が、すぐに戻ってきた。不服そうに一鳴き。

「どうしたのだ?」

「あ、そっか。あそこは今、山鳩の親子が巣を作ってるんだった。急に鷹が来たから驚いてるって」

「ふむ」

「ごめん、ゼオが危害を加えないことは伝えておくから」

 納得したらしく、とりあえずゼオは手近な木の枝にとまる。

「それじゃガイウス、私ちょっと行ってくる」

「屋根に登るつもりなら、滑るから気を付けるがいい」

「了解」

 てくてくと去っていくフィーを眺めながら、ガイウスは腕を組んだ。

「……完全に会話をしていた気がするのだが」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《名前と呼び方》

 

 引っ掛かるものがあった。

 ラウラからエリゼの呼び名に悩んでいたことを相談された、あの時から。

 ユーシスはマキアスのことをレーグニッツと呼ぶ。

 出会った当初は良好な関係とは言えず、もちろん名前で呼び合う仲とは程遠かった。二人は様々な出来事を乗り越える内に和解。仲良しこよしと言うわけでもないが、一応関係は改善されたと言っていい。

 しかし名前の呼び方は最初のまま『レーグニッツ』。

 慣習で呼んでいるのだろう。今さら変えるのもおかしな話だ。

 だが姓で呼ばれるのが自分だけなのも、また事実。

「どうでもいいことなんだけどな」

 適当に郷をぶらつきながら、ふともらす。

 実際それは些細なこと。今まで気にしたことはない。が、一度意識するとやけに気になってしまう。

「あ、マキアスだ。散歩?」

 ミリアムと出くわした。ぴょんぴょん飛び跳ながら、彼女はやってくる。

「そんなところだ。ミリアムは?」

「ボクもそんなところ。難しい顔してるけどどうしたの? あ、それはいつものことか」

 からからと笑う。失礼なヤツだ、相変わらず。

「別に大した話じゃないが――」

 なんとなく呼び名のことを話してみた。腹にため込んだままだと、もやもやしたものが晴れないと思ったからだ。

「んー? よく分からないんだけど、ユーシスに名前で呼んで欲しいってこと?」

「それは語弊があるぞ。別に呼んで欲しいなんて思ってない。ただ、ちょっと気になってるだけだ」

 きょろきょろと辺りを見回すミリアム。

「あ、ちょうどユーシスいるよ」

「え?」

 ユーシスはシュバルツァー邸の前でシュトラールの世話をしていた。

「ねえ、ユーシスー! マキアスが名前で呼んで欲しいって――」

「お、おい、やめろ!」

 手を振って駆け出そうとするミリアムを、マキアスはヘッドロックで無理やり止めた。

「むぐっ、何するのさー!?」

「余計なことをするな!」

「むー……ユ、ユーシス……マキアスが名前で……」

「まだ言うか!」

 さらに絞める。幼女を落とそうとする副委員長がここにいた。それは二日前のラウラとのやり取りとまったく同じだった。

「むぎゅうぅ……ガーちゃん!」

 ミリアムが叫ぶ。主の危機を察知したアガートラムが、マキアスの背後に現れた。

 銀の太腕がマキアスをがっちりホールドする。

「ぐっ!?」

「へへーん。これならどうだ」

「卑怯だぞ……!」

 ぎりぎりと絞めつけられる。骨が軋みを上げた。加減を知らない力が、あばらを持っていこうとしている。

「マキアスが気を失ってからユーシスに言いにいっちゃうもんね」

「させるものか。その前に僕がミリアムの意識を奪う」

「ΠЁΘΠ§Ё∃」

 ミリアムを絞めるマキアスを絞めるアガートラムという謎の絵面が出来上がる。

 その折、シュトラールを連れたユーシスは山道へと姿を消していた。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《ルシアさんのジャッジ》

 

 ルシア・シュバルツァー。ユミル領主の夫人。

 彼女は忙しい日々を過ごしている。が、以前に比べると心身の負担はずいぶん減っていた。

 凶弾に倒れたテオが歩けるまでに回復したこと。リィンとエリゼの旅が順調に続き、ちゃんとユミルに帰ってきていること。

 合わせてリィンの仲間や同行者が増え、彼らが郷の為に色々と協力してくれていること。

 それらが理由だ。

 日課である家掃除の最中、ルシアはユミルに滞在中の彼らの顔を思い浮かべた。

 気付けば中々の大所帯。比率で言えば女性の方が多い。

 ふとこんなことを考える。

 リィンの周りは素敵なお嬢さんばかりだ。もしかしたらあの中の誰かが、将来郷に嫁いでくれる可能性も無きにしも非ず。

「今のところ、そういう関係の人はいないみたいだけど……」

 息子の朴念仁ぶりは母親の私が一番よく分かっている。自分からアプローチをかけるタイプでもない。

 でも候補くらいはいるんじゃないかしら。

 リィンからではなく、リィンに想いを寄せてくれるような女性が。

「ちょっと気になってきちゃったわ」

「ルシアおばさま」

 水に浸した雑巾を絞った時、ほうきを持ったアリサが声をかけてきた。

 彼女は連日、屋敷の手伝いをしている。色々と気を回して動くので、ルシアはとても助かっていた。

「一階の掃き掃除は終わりました。二階に行ってきます」

「いつもごめんなさい、ありがとう」

「いいえ、何でも申し付けて下さいね」

 アリサさん。かのラインフォルト社のご令嬢。それを鼻にかけることもなく、献身的に家事に協力してくれる。節度やマナーも弁えていて、どんな公の場に出ても恥ずかしくない器量の持ち主だ。

 じっとアリサを見つめる。

「……おばさま?」

「あ、なんでもないの。お買い物に行ってくるから、あとをお願いできますか?」

「はい、もちろん」

 二階に向かうアリサ。ルシアはリビングに財布を取りに行く。

「ルシア殿、皿洗いが終わりました」

 キッチンから顔をのぞかせるのはラウラである。今日は彼女も手伝いに来ていた。

 ラウラさん。アルゼイド子爵家のご息女。一本芯の通った凛とした立ち振る舞いが印象的だ。よく剣のことをリィンと話していて、性格も合うらしい。

「ラウラさんもありがとう。私はお買い物に出ますが、キッチンは自由に使ってもらっていいですからね」

「お言葉に甘えさせて頂きます」

 お料理もできるようで、この後は過労で倒れてしまったヴェルナーさんの為にお見舞いの一品を作るのだという。

 アリサさんとラウラさん。この二人は会話の端々にリィンを意識するような言葉を口にする時がある。

 それが無自覚なのかそうでないのかは分からないけど、もしかして――

「それじゃ行ってきますね」

「ええ、お気をつけて」

 ルシアはバッグを片手に屋敷を出た。

 

 足りない調味料の補充程度だったので、買い物はすぐに終わった。

 そのまま帰ることもできたが、ルシアは郷を歩くことにした。

 直接住人の顔を見て、彼らの声に耳を傾けることが重要なのだと、テオは日頃から彼女にも言い聞かせていた。

 夫が動けない今、代わりに目となり耳となるのが妻たる自分の役目である。

「あら、あれは……」

 ケーブルカーの駅近くのベンチに銀髪の少女が座っている。

 フィーさん。リィンよりも年下だが、同じⅦ組メンバー。飛び級というわけではなさそうだが、詳しい経緯は知らない。確かエリゼと同い年だったはずだ。

 気まぐれな猫のような性格だが、リィンには懐いているみたいだ。

 今日は日差しもあるからか、うつらうつらと日向ぼっこをしている。駅の中からラックがその様子をうかがっているが、あからさまな警戒をしているのはなぜだろう。

「フィー見っけ! ボクも横に座っていい?」

「……ん、いいよ」

 彼女の隣にさらに小さな少女が飛び乗る。

 ミリアムさん。Ⅶ組に編入した少女と聞いている。振る舞いは天真爛漫。行動は自由奔放。そんな感じだ。

 まさか、あの子たちが……なんてことはないと思うけれど。

 リィンは面倒見がいいから、年下にも好かれやすい。

「フィーさん、ミリアムさん!」

 そこにやってきたのはエリゼだ。彼女はちびっこ達の肩をゆする。

「せっかく昼前に起きたのに、また寝たら意味がないじゃないですか!」

 リィンと一緒に各地を回るようになってから、目に見えてたくましくなったエリゼ。

 しとやかさは以前のままだが、感情を表に出しやすくなった気がする。

 ルシアはそれを良い傾向だと思っていた。大事だけど箱入りにするつもりはない。綺麗なものもそうでないものも見て、ありのままの世界を知って欲しいのだ。

 それがきっと、彼女の成長に繋がる。 

「起きないと氷水持ってきちゃいますよ! 今日だって本気ですよ!?」

 しとやかさは以前のまま……だと信じてますよ。

 そっとその場を離れる。

 足湯場まで来ると、湯気の中に横並ぶ三つの影が見えた。

 サラ、クレア、シャロンだ。そろって湯に足をつけて、吐息をついている。

「ふう、気持ちいいですね」

「あー、お酒が欲しい……」

「サラ様ったら。お酒はないですけど雪ならいくらでもありますよ」

「……食べろって言うの?」

 サラさん。Ⅶ組の担任教官。美人だけど普段の生活習慣がやや気になるところ。とはいえ、さすがに生徒に手を出すことはしないだろうが。

 クレアさん。現役の軍人。優しげで落ち着いた大人の女性で、包容力がありそうだ。何かとリィンを気にかけてくれている。

 シャロンさん。スーパーメイド。家事能力は多分最強。リィンには半分からかうように接する時もあるらしい。

「年上の方々は……どうかしら」

 色々とリィンの世話を焼いてくれそうだ。どこか危なっかしい彼を諌めたり、導いたりもしてくれるだろう。

 そう考えるとリィンは年下でも年上でも相性がいいことになる。あの息子のポテンシャルは高かったのだ。

 さらに歩を進めていると、道端でルシアはエマと出会った。

「あ、ルシアさん。こんにちは」

「あら、お散歩ですか?」

 エマさん。Ⅶ組の委員長。穏やかな性格で、定期試験では学年首位とのこと。皆に平等に接しているので、リィンに対して特別な感情があるのかは今一つ読めない。

 ただ、いいお母さんになりそうな雰囲気は凄まじい。

 挨拶程度の会話を交わすと、エマは丁寧なお辞儀をして歩みを再開する。

 その彼女をこそこそと追う黒猫が一匹。

 セリーヌさん。しゃべる猫。ずっとリィンのサポート役を務めてくれている。一応彼女も候補に入れていいのかしら……?

 いつの間にか滞在中の女性陣を全員見つけていた。いい人ばかりだ。果たしてこの中の誰かが、シュバルツァー家に入る日は来るのだろうか。

「母さん?」

 屋敷に帰る途中、鳳翼館に差し掛かった辺りでリィンと会う。

 そうだ、当のリィンはどう思っているのか。

「一つ訊きたいことがあるのですが。あなたは気になる異性はいないの?」

「ええ!?」

 予想もしていなかったのだろう。突拍子のない質問にリィンは焦っている。

「どうなのですか?」

「どうもこうも、そんな相手俺にはいません」

 鼻柱をかきながら答える。

 あんなに魅力的な女性に囲まれているのに、これはなんということ。逆に失礼ではないかしら、逆に。

「リィン、一緒に家へ帰りましょう」

「え? はい」

「そして帰ったらお説教です」

「な、なんで!?」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《リサ姉の懺悔室 中編》

 

「次の方、どうぞ」

 コツコツと足音を鳴らして、誰かが懺悔室に入ってくる。

「へー、懺悔室ってこんな感じなのね」

「では罪を告白して下さい」

「あたしはとある士官学院の担任教官なんだけど」

 とあるも何も、ユミルに滞在中の教官など一人しかいない。

「ちょっと前にマキ――教え子の飲み物にウイスキーを混ぜてみたのよ」

 いきなり教職にあるまじき罪が出てきた。いや、そう思うのはいけない。それは私の価値観だ。

 第一ここは罪の大小を問う場ではない。

「どうしてお酒を入れたのですか?」

「その教え子が堅物でさあ。少しは砕けた感じになるかもと思って。まあ、興味半分ではあったけど」

 嘘だ。きっと興味九割だ。そして残りの一割は悪意だ。

 そう思うのはいけないと思いつつも、話ぶりから確信する。

「そのあとはどうなったのですか?」

「酔っぱらったその子がユー……別の教え子に突っかかっちゃってね。そこからは普段通りの小競り合いよ。蒸気でメガネが曇るくらい興奮してたわ」

 その生徒は眼鏡をかけているらしい。

「それであなたはどうしたのですか?」

「別に何も。そういうのって下手に教官が仲裁しない方がいい時もあるの。青春の一幕ってやつね」

「ですけど、事の発端はあなたがお酒を混ぜたからですよね?」

「そうだっけ? 細かいことはいいのよ」

 この人、懺悔以前に罪の意識がないのですけど。どうしてここに来たんですか。

 その他にもあれやこれやの余罪を語り尽くすと、彼女は気持ち良さそうに伸びをする。

「あースッキリした。それで女神様は許して下さるかしら?」

「……限りなくブラックに近いグレーゾーンですが、女神は一応……お許しになると仰っています」

「はーい、ありがと」

 満足気に教官さんは帰っていった。

 

「次の方どうぞ」

「ん」

 懺悔室にまた一人やってくる。一言だけだったが声で分かった。フィーちゃんだ。

「それでは罪を告白して下さい」

「大したことじゃないけど」

 そう前置きしてから続ける。

「マキ――じゃなくてクラスメイトの眼鏡のレンズを、マジックで黒く塗り潰したんだけど」

 それはどう考えても大したことだ。

「なんでそんなことを?」

「暇つぶし?」

 なんで疑問形。訊かれても困るんですけど。

「そのあとはどうなったんですか?」

「犯人を勘違いしたそのクラスメイトが、ユー……別のクラスメイトに突っかかっていっちゃって。そこからは普段通りの口論かな」

「その時あなたはどうしたのですか?」

 もちろん仲裁しましたよね。それなら女神も許して下さいますよ。

「言い合いがうるさかったから、離れて昼寝した」

「え……」

「許してくれる?」

 どうしましょう、これ。許す要素が何一つないですが。限りなくブラックに近いグレーなら百歩譲れるけど、これはブラックの中のブラックなんですが。

「許してくれないの?」

「う……」

 思い直しなさい、思い直すのよリサ。

 この無垢な瞳は許しを乞うているのよ。

 女神は平等に罪をお許しになるのではなかったの? 私の感情だけで可否を決めるなんて、間違っているわ。

「女神はっ……悩みに悩んだあげく、崖際限界のラインでかろうじてあなたを許すと……そう仰って下さいました」

「了解。ま、許してもらわなくても別にいいんだけどね」

「………」

 全てを台無しにする一言を吐いて、気まぐれな子猫は去っていった。

 とりあえず、眼鏡の生徒にいいことがありますように。

 

 ▽ ▽ ▽

 

 

 

《オヤジたちの誓い》

 

「ジェラルドさん、もう一杯だあよ……ヒック」

「まっ昼間から飲んだくれてよ。キキの教育に悪いぜ、まったく」

 苦言を呈しながら、ジェラルドはカウンターに焼酎瓶をどんと置く。モリッツはおぼつかない手つきで、とくとくとコップに酒を注いだ。

 モリッツの職業は、いわゆる木こりだ。

 材木を調達したり加工したりして生計を立てている。木々が育たない冬はオフシーズン。だから彼はこんな時間から酒を飲んでいるのである。もっとも繁忙期であっても、何かと理由をつけては飲みにくるのだが。

「それでキキちゃんはどこだあよ」

「アルフと外で遊んでる。子供は元気なもんだぜ」

 二人の笑い声が店の中にまで届いていた。裏手で雪だるまでも作っているのだろう。

 ほんのわずかに強面を緩め、ジェラルドは調理場のオーブンの調子を見に戻った。

 今はケーキのスポンジを焼いている。最初はよく失敗したものだが、最近はコツをつかめてきた。

「ジェラルドさんがお菓子作りを始めるって聞いた時は耳を疑ったけんど、よくもまあ、そこまで上達したものだあよ」

「ふん……自分でもそう思うさ」

 元々お菓子なんて興味がなかった。見た目通りだ。分かるだろう。クッキーやらケーキなんて柄じゃねえのさ。

 それを始めたきっかけは一つ。

 コップを置いたモリッツが窓の外に目を向けた。

「キキちゃん、また笑えるようになってよかっただ」

「……ああ」

 元々帝都で暮らしていたキキは、ある日に事故で両親を失ってから口を閉ざしてしまった。幼い少女には受け止めきれない現実だったのだろう。

 ユミルの祖父――つまりジェラルドが彼女を引き取ってからも、キキは落ち込んだままだった。

 ずっと下を向いていて、時々思い出したように涙をこぼす。

 見ていられなかった。

 生来の無骨さが恨めしかった。かける優しい言葉が出てこない。

 だからジェラルドは子供の好きそうなお菓子を手あたり次第に作ることにした。柄じゃないクッキーやらケーキやらを。

「初めて作ったケーキは大失敗だった。焦げ付いててよ。一応、それを皿に乗っけてキキに出してみたんだが」

「いや、それは出しちゃダメなやつだあよ」

「仕方がなかった」

 ケーキなんて食べたことがなかったから、その時は成功か失敗かさえ分からなかったのだ。漠然と『多分これは違うんだろうな』とは思っていたが。

 一口食べたキキは言った。『お母さんが作ったケーキのほうがおいしい、の』って。

 それでまた泣いたけど、声を聞いたのは久しぶりだった。俺が泣きたかったぐらいだ。

 何回も何回も作り続けて、ようやくケーキらしい味と形になったのは、それから一か月後。

 その日にやっと、キキはほんのちょっとだけ笑った。全てが報われた気持ちになった。

「だからあいつが笑い続けられるように、俺はお菓子を作り続けるのさ」

 言いながらオーブンの火加減を調整する。良い具合だ。もうすぐ焼き上がる。

 モリッツに振り返ると、一升瓶の中身はほとんど減っていなかった。

「全然飲んでねえじゃねえか。せっかく出してやったのに」

「そんな気分じゃなくなっただあよ……ぐす」

「変な奴だな……ん」

 オーブンから異臭がした。ついでに異音もだ。焦げ臭い臭いが調理場に充満する。

「おいおい、どういうこった」

 見る見る内に温度が下がってオーブンの火が消える。

 このオーブンは薪を使うタイプではなく、窯の中に紅耀石を組み込んだ導力式だ。オーブメントの故障かもしれない。

「くそっ、ずいぶん古いもんだしな。修理っつーか買い替えになるだろうな」

 しかしこれは高価なものだ。壁付けの窯だから、取り付け工事費もかかってくる。正直そこまでの金銭的余裕はない。

 頭を抱えるジェラルドを見て、モリッツはつぶやいた。

「……雪合戦」

「あ?」

「明日の雪合戦でMVPに選ばれた人には、欲しいものを何でも用意するってトヴァルさんが言ってただ」

「でもよ、さすがにこれは高いぞ。無理だろ」

「トヴァルさんは『遊撃士に不可能はないぜ!』って言ってただ」

「もし本当ならありがてえ話だが……」

 しかし彼に二言はないだろう。やると言った以上はやる男だ。人脈もありそうだし、思いもしないルートから安く購入してくれるのかもしれない。

 道は見えた。あとは勝ち取るだけ。

「明日は親善試合と聞いてたから、そこまで本気になるつもりはなかったが……事情が変わった」

 ユミル六柱が一人、《闇技》のジェラルド。全力で敵を叩き潰してみせる。

「そんな話を聞かされたあとじゃあ、オラもやるしかねえな」

「俺に力を貸すってのか? まさかお前がやる気になるとは。《瞬皇》の名、さび付いちゃいないだろうな?」

「……だあよ」

 不敵に片口の端を上げてモリッツは焼酎をとっくりに注ぐと、それをジェラルドに渡した。

 キキの笑顔を守る為に。

 誓いの標語を胸に納め、オヤジたちは無言で盃を交した。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《B!B!P!》

 

 お客さんは少ないけど、仕事は少なくならない。

 どういうことなのよ、これは。

 釈然としないものを感じながら、メイプルは浴室の掃除をしていた。

「ふう……終わりっと」

 額の汗をぬぐって、モップを用具置きに片付ける。

 大きなカゴを抱えたパープルがやってきた。

「メイプル、次はシーツの洗濯お願いね。私は夕食の下準備をしてくるから」

「うー」

 宿泊客はと言えばリィンの仲間くらいだ。

 しかし一人でも客がいるのなら、日常業務はこなす必要がある。百人いようが一人しかいなかろうが、誰かが使う以上、浴室掃除はしなくてはならないのだ。

 別に仕事が嫌いなわけじゃないけど、ちょっと息抜きしたい時だってある。

 そうだ、またエリオット君を手伝わそう。

「よからぬことを考えてる顔ね」

「うっ!」

 なんて鋭いパープル姉さん。

「ダメよ、お客様を働かそうなんて考えたら。シャロンさんは厚意でお手伝いして下さっているだけよ」

「別にシャロンさんに頼もうなんて思ってないって」

「じゃあ誰なの?」

「だ、誰でもないの!」

 はぐらかすようにメイプルはシーツの入ったカゴを受け取る。予想以上に重かった。体勢を崩して、おまけに足まで滑らせる。

「わ、わわ!」

「ちょっと!?」

 顔から前に倒れる。とっさにパープルが支えようとしたが、その手をすりぬけて、メイプルは彼女の胸に突っ込んだ。

 クッションにはならなかった。弾力に押し返され、逆に後ろへ吹っ飛ぶ。

「ぐふっ」

 背中を壁に打ち付けて、ずるずるとへたり込んだ。

「メ、メイプル?」

「……不公平」

 うなだれたままつぶやく。

「ずるいよ。パープル姉さんばっかり、そんなに大きなものがあって」

「え?」

「もう知らない!」

 急に惨めさが込み上げてくる。敗北感に駆られるように、メイプルは走り出した。

「待ちなさい、シーツはどうするの!」

「あとでやるもん!」

 浴室から飛び出したところでボムッと何かに衝突する。サラの胸だった。

「わぷっ」

「っと、危ないじゃない」

 またも弾力に押されてたたらを踏む。止まろうとしたところで、今度は近くにいたクレアの胸にダイブする。

「もぷっ」

「きゃっ!」

 さらにボムッと弾かれる。

 ピンボールの玉になったメイプルはロビーを跳ね回った。

 なに、この不条理な世界。みんな(ボイン)(ボイン)(ボイン)。あたしだけ(ペッタン)

 この人たち、なんでそんな破壊力のある爆弾を持ってるの。なんでそんなにボンバーなの。嫌がらせなの? そうなの? 

「あらあら?」

「ふぁあっぷ!」

 エントランスまで来て、ぶつかったのはシャロン。ボンバーボインにバイーンとされて、メイプルは玄関側に押し出された。

 そのタイミングで、がちゃりとドアが開く。

「戻りました。外は寒いですね――って、きゃああ!?」

「ぶふぉあっ!」

 エマだった。炸裂するミラクルボイン。一撃一倒の破壊力。必殺技を食らったみたいに吹き飛んで、メイプルはごろごろと床に転がった。

 なんてみじめなの。乳なき者は地べたに這いつくばるのがお似合いだとでも言うの? ああ、恨んでも恨み足りないこの世界。

「はあう……」

「だ、大丈夫ですか、メイプルさん!」

 エマが駆け寄ってくる。ぶるんぶるんと揺らしながら。

 手榴弾レベルの爆弾じゃないわ。これは――

「だっ、ダイナマイッ」

 最後の力で言い捨てると、メイプルはそれきり動かなくなった。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《マッスル談議》

 

 シュトラールの世話を終えた昼下がり。鳳翼館の遊戯室でユーシスはダーツに興じていた。

「トリプルリングの18。まあまあと言ったところか。次はお前の番だ」

「さすがはユーシスだな」

 相手を務めるのはガイウス。

 物珍しげにダーツ盤を眺めていたので、ユーシスが誘ったのだ。

 彼はダーツに触るのも初めてだったらしい。加点式の簡単なルールを覚えて、教えてもらったばかりのフォームで投げる。

 初めてにしては様になっていた。しかし外れだ。盤の枠に弾かれたダーツが床に落ちる。

「難しいものだな。だが面白い」

「ゲームの種類はいくつもある。戦略を必要とするものもあるから、なかなか奥が深いぞ」

「せっかくだから挑戦してみたいのだが」

「いいだろう。だがその前に少し休憩だ」

 飲み物を片手に、適当に腰かける。

 雑談を交わす内に、ふとこの話題になった。

「エリオットの体調は大丈夫なのか?」

「ううむ……」

 難しい顔をして、ガイウスはカップに口をつける。

 浮き沈みはあるものの、ここ数日でエリオットの状態は良くなりつつあったのだ。

 しかしそこに昨日の試食会である。被害は甚大だ。

 サラたちの介抱で事なきを得たが、元々弱っていたエリオットは自分たちに比べて回復が遅かった。今は部屋で寝込んでいる。

「あいつはもう少し体を強くした方がいいかもしれん。今後も頻繁に動けなくなっては、何よりエリオット自身が辛かろう」

 彼の性格的に自分を責めそうだ。昨日も今わの際に『僕がいる意味ってあったのかな』などと口走っていた。

「ユーシスの言うことは正しいと思うが、具体的にはどうする。今さら走り込みなどしたところで、いきなり効果は得られまい」

「確かにな。少し改善イメージをまとめてみるとしよう」

 遊戯室の隅にホワイトボードがあった。ダーツに限らず、ゲームの得点集計用に置いてあるもののようだ。ユーシスはそれを引っ張り出してきた。

「絵があった方が分かりやすい。頼めるか?」

「任せてくれ」

 マーカーを受け取ったガイウスは、ホワイトボードにエリオットの立ち姿を描いた。写実系かと思いきや、意外にも簡略化したイラスト調の絵柄である。

「こういうのも描けるのか」

「リンデの画風を真似してみたのだ」

 双子姉妹の姉。同じ美術部所属で、何かとクララ部長の被害に遇う“脱がされ仲間”だ。

 さっそく二人はエリオットの強化について談議を始める。

「とりあえず体付きをしっかりさせんとな。足、腰、腕、首、一通り鍛えてみよう」

「承知した」

 ユーシスのオーダーを受けて、ガイウスがボードのイラストに変更を加えていく。

「足はどの程度強化する?」

「山二つを休まず走破できるぐらいだ」

「腕力は?」

「素手で鉄パイプを曲げられるのが理想だ」

「腹筋は?」

「もちろん割れているだろう。六つ……いや八つでいこう」

 筋骨隆々のエリオットに描き直されていく。修正箇所の画風はガイウスのそれなので、体の描写はやたらとリアルだ。

 すでにイラストチックなのはエリオットの顔だけだ。異様にシュールな絵面になっている。こいつが夜中に現れたら一秒で変質者認定をされるだろう。

「ここまでくると身長も必要だな」

「髪ももう少し荒っぽい感じが映えそうだ」

「魔導杖はどうする?」

「いらん。拳があれば事足りる」

 修正、加筆、試行錯誤。

 二人ともちょっと楽しくなってきていた。

 唯一残っていた顔さえも、彫りの深い精悍な顔立ちに仕立て上げ、完成である。

「いい出来だ」

「充実した時間だったな」

 ホワイトボードのエリオット(改)を眺めながら、満足そうに額の汗をぬぐう二人。ダーツの合間の休憩ということはすっかり忘れているようだった。

 遊戯室にシャロンがやってきた。

「ユーシス様、ガイウス様。ケーキが焼き上がったのですが、いかがなさいますか?」

 時計を見ると、もう一五時。いつの間にかずいぶんと時間が経っている。

「頂こう」

 リビングに向かうユーシス。その背を追おうとしたガイウスは、足を止めてホワイトボードに振り返った。

「何かが足りない気がするが……ああ、あれだ」

 ささっと口周りにヒゲを書き加える。納得したらしいガイウスは、改めてユーシスに続いた。

 

 その一時間後、エリオットが遊戯室を訪れた。

 朝から安静にしていたおかげで程々に回復できている。

 寝ていてばかりもよくないと思って部屋から出てきたのだが、あいにく誰もいなかった。

「みんな外かな?」

 さすがに外に出ようとまでは思わない。部屋に戻ろうかと踵を返したところで、それに目が留まる。

 これ見よがしに放置されたままのホワイトボード。

「………」

 その中の人物絵を不思議そうに見やり、エリオットは首をかしげた。

「なんで父さんが描かれてるんだろう?」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

《リサ姉の懺悔室 後編》

 

「かくれんぼしてるんだけど、アルフがどこにもいない、の。リサお姉ちゃん教えて欲しい、の」

「キキ、今の私はリサお姉ちゃんではなく、女神のお言葉を代弁してその者の罪を――」

「早く教えて欲しい、の」

「……教会の礼拝机の裏を見てみなさい……と、女神様は仰っています」

「さすがは女神様、なの」

 キキは懺悔室から飛び出していった。

 今日はこんなのばっかり。まともな懺悔なんてカミラさんしかない。みんな懺悔の意味を分かっているのかしら。

「邪魔するわよ」

 呼んでいないのに次の人が入ってきた。すでにフリールームと化している。

「では罪を」

「別に罪なんて犯してないわよ」

 もう私の心が折れそうです。

「ただ、まあなんていうか、実は――」

 その人は語り始めた。珍しく聞き覚えのない声なので、誰かは分からない。

 なんでも一昨日にマフラーをもらったが、その場でお礼を言えなかったそうだ。

 そして今日、自分の態度が原因で、マフラーをくれた人と些細なケンカをしてしまったらしい。

「アタシはどうするべき? 人間なら分かるでしょ」

 最後の一語はよく分からなかったが、彼女が悩んでいるのは伝わった。

「簡単ですよ。謝ったらいいんです」

「それができたら苦労しないわ。何て言ったらいいのか分からないし」

「相手の顔を見て最初に思ったことを口にして下さい。自分の態度が原因ということを自覚しているのですから、きっと自然に言葉は出てきます」

 少しの沈黙。

「……そんなもんかしらね」

「心配はいりません。女神はあなたを許し――」

「ああ、そういうのはいいから。ま、参考にはなったわ」

 そこが大事なのに。

 その人が退室して間もなく、また別の人がやってきた。

「これが懺悔室ですか。入るのは初めてです」

「この中での話が外に漏れることはありません。ご安心を」

 女性の声だが、先ほどに続いて聞き覚えがない。最近ユミルにきたリィンの仲間なのだろうか。

 ともあれ彼女も語り出す。

「実は一昨日、ある人にマフラーをプレゼントしたんですけど」

 あら?

「今日その人に会いに行ったら、私のあげたマフラーが部屋の床に落ちていたんです。それでつい怒った態度を取ってしまいました」

「大事にして欲しかったですよね。あなたが怒るのも当然でしょう」

「でも分かってたんです。それを大事にしてくれていることは。多分とっさの照れ隠しであんなことを言ったんだと思います」

 内容はぼかしていたが“あんなこと”の詳細は、さっき聞いて知っている。

「私からあんなふうに怒ったの久しぶりだから、謝りたいけどどう切り出せばいいか分からなくて……」

「そうでしたか」

 ならば、まったく問題はない。

「相手の顔を見て最初に思ったことを口にして下さい。それで全部がうまくいくと思いますよ」

「え、でも……」

「大丈夫です。女神様が仰っていますから」

 自信に満ちた声でそう答える。

 その人は気持ちが楽になったと言って帰っていった。きっとすぐに仲直りできるだろう。

 

 しばらくは誰も来なかった。そろそろ懺悔の時間はおしまいだ。

 他の仕事もあるから、部屋を閉めようかと思った矢先、最後の来訪者が扉をノックした。

「すいません、まだいいですか?」

「どうぞ」

 リィンの声だった。彼がここに来るのは珍しい。

「さあ、あなたの罪を打ち明けなさい」

「罪っていうか、母さんに懺悔して来なさいって言われて……」

 ルシアさんが? どういうことだろう。

 リィン自身も今一つ理解していないようで、かいつまんだ話を始めた。

「ええと、母さんから言われたのは……女性の気持ちが分かっていないとか、もっと周りに目を向けなさいとか、自分の言動を振り返ってみなさいとか――」

「そこまでで結構です。大体の事情は把握しました、罪深き者よ」

 リィンは昔からそうだった。傍でエリゼも見ていたから、余計にわかる。

「お母様の言う通りです。罪深き者よ」

「それがよく分からないんですが……というかその罪深き者ってなんですか、リサ姉」

「今の私はリサ姉ではなく、女神の代弁者です」

 無責任で無節操な言葉を無自覚に振り撒いては、無意識に周囲の女性を惑わせているのだろう。

 この子だけは、まったく。

「心を清らかにして女神の言葉をお聞きなさい」

「わかりました」

「罪深き者よ。女神はあなたを許さないと仰っています」

「な、なんで!?」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

《お兄さんといっしょ?》

 

「よう、エリゼお嬢さん」

「……こんにちは、トヴァルさん」

 気さくに声をかけたトヴァルに、エリゼはあからさまに警戒した態度で挨拶を返す。

「いい天気だな」

「今日の夜から明日にかけては雪だそうですよ」

「そいつは何よりだ」

 明日はいよいよ雪合戦である。積雪してくれた方がありがたいのだ。

「ところでお嬢さん、なんでそんなに距離を取ってるんだ」

「お構いなく」

 二人がいるのは足湯場。四角い湯船を挟んで、エリゼはトヴァルと対面している。トヴァルが右に移動すると、エリゼも右に移動して接近を許さない。

 常に対面状態を維持している。

「おいおい、どうしたんだよ」

「……また何かしそうです」

 警戒の理由はこれだ。再会したばかりのリィンを崖下に落としたことに端を発する、やらかすお兄さん疑惑。

 故意であろうがなかろうが関係ない。彼はやらかす。爽やかな笑顔を浮かべながら、やらかす。

 実のところ、直接エリゼが彼に何かをやらかされたことはない。トヴァルがやらかすのは、いつだって彼女の周囲に対してなのだ。それが余計に不信感を煽るわけだが。

「明日の雪合戦、お嬢さんも参加してくれるんだろ」

「皆さんが参加するんですから。当然私も出ます」

「それはよかった」

 元はと言えば、この雪合戦はエリゼの信頼を回復する為の企画だ。華麗に指揮を執り、優勝を手にする自分の姿を見ればエリゼのみならず、Ⅶ組の少年少女たちも見直すことだろう。

 トヴァルさんは間違いなく頼れるお兄さんなのだと。

「ふっふっふ……」

「!?」

 不敵な笑みを見て、邪悪な企みがあるとエリゼは誤解した。

「ああ、まったく楽しみだぜ」

「あ、あなたはやっぱり危険な人です!」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《託すは意志と》

 

 綺麗な景色だった。

 溶けかかった雪が日に照らされて、辺りはダイヤを散りばめたような輝きに満ちている。

 白に染まる渓谷道。流れる小川の前に立ち、クレア・リーヴェルトは釣り糸を垂らしていた。

「……釣れないものですね」

 一人ぼやく。

 釣りなど初めてである。釣竿をリィンに借りて、何となく足を運んでみたのだが、素人の腕前にかかってくれる魚はいないらしい。

 川を泳ぐ魚の動きなど、さしものクレアでも読めない。熟練者ならおおよその予測が立つのだろうが。

 釣りは経験と運がものを言う。私の計算など役に立たない。

「おとなり、宜しいかしら」

「え? ええ、どうぞ」

 釣竿を持った女性が近付いてくる。ユミルに滞在中の旅客の一人、アナベルだった。

「お目が高いですわね。そこはいいポイントですから」

「そうなんですか? 一匹もかかりませんが」

 ひょいと釣竿を振るアナベル。

 五分と経たない内に魚がかかった。容易く釣り上げていたが、中々の大物である。

 その後も次々と魚を釣り続ける。対して自分のバケツは空のまま。

 不思議だった。魚はそこにいるはずなのに、彼女にはかかって私にはかからない。技術の差だろうか。何か特別なことをしているようには見えないけど。

 それになんだか――

 漠然とアナベルを見ていたクレアは、こんなことを訊いた。

「どうしたんですか?」

「何がでしょう?」

「そんなにたくさん釣っているのに、どこか浮かない顔をしていたので」

「そんなことは……いえ、そんな顔をしちゃってましたか」

 アナベルは事情を話してくれた。

 トリスタを出た彼女は、途中で合流した知り合いと二人でユミルを目指していたという。

 しかしノルティア間道の小川で祖母の形見の指輪を落としてしまう。さらにその指輪はレインボウに食べられてしまったそうだ。

 すると同行していた少年がアナベルを先にユミルに向かうように促した。自分もすぐに追いつくからと言って。

 それから一か月近く。彼は未だ、ユミルに姿を見せない。

「ケネスさん、どうしたのかしら……」

「もしかして、そのレインボウを釣り上げようとしているんじゃないですか?」

「それはないと思います。狙った魚を釣るなんて私にもできないですし、仮にそうだとしても私と一緒に釣ろうとするでしょう。その方が確率は上がりますから」

「それは――」

 がんばったけどダメだったという落胆を彼女にさせない為に、ケネスという少年は一人残ったのではないか? そもそも釣れる可能性の方が遥かに少ないのだから。

 そう感じたが口には出さないでおいた。断じるほどの確証はない。

「その時に比べると検門も増えていますから、中々思うように進めないだけかもしれませんよ。安否で考えるなら、無事は無事でしょう」

 それが精一杯の励ましだった。にこりと笑ってアナベルはまた竿を振る。毎日釣りをするのは、半分は気を紛らわす為なのかもしれない。

 離れ離れは心配だろう。

 少し系統は違うが、その気持ちは分かる。

「私も……いつまでも彼らと一緒にはいられないから」

「何か言いまして?」

「いいえ」

 首を横に振りながら、釣竿を繰る。魚が餌に食いつく気配はない。

 Ⅶ組のメンバーは全員合流した。サラ・バレスタインもそばに付いている。ユミルの守りも可能な限り厚くした。

 そろそろ自分が離れても大丈夫だ。協力者の形とはいえ、あくまでも本職は鉄道憲兵隊。やるべきことは多い。

「……だけど」

 やっぱり心配だ。

 まっすぐに走るⅦ組の少年少女たち。あの子たちは強い。それでもこの先、今の彼らでは敵わない相手が必ず出てくる。

 彼らはどんな壁が立ちはだかっても諦めないだろう。傷だらけになってでも前に進む。しかし、力が及ばなければ倒れる。都合よく誰かが助けに来てくれるとも限らない。

 彼らが、彼ら自身の手で壁を乗り越えていかなくてはならない。乗り越えるどころか、その壁を壊してしまうぐらいの突破力が必要なのだ。

 ただひたすらに、前へ進むだけの力が。

「また釣れましたわ。やっぱりいいポイントですね」

 となりでまた釣り上げる。自分にはまだかからない。

 ここ最近、トヴァルと雪合戦の話をすることが多かったが、話していたのはそれだけではない。

 Ⅶ組の今後についても度々話していた。

 そこで一つ、決めたことがある。

「……たとえそばにいられなくても――」

 彼らに力を託していく。

 その手段も考えてある。

「ちょっと、引いてますわよ!」

「え、きゃっ!?」

 ぐんと強い引き。相当の大物。ようやく当たりがきたようだ。

 冷たい川に引きずり込まれないよう、クレアは竿を握りしめて、力いっぱいに両足を踏ん張った。

 

 

 ――END――

 

 

 




 

 お付き合い頂き、ありがとうございます。

 そんなユミルの一日。基本は時系列順になっていますが、一部前後したり、いくつかの話に跨ったりしています。《ルシアさんのジャッジ》あたりが特にそうですね。

《B!B!P!》に関しては急にそんな話を描きたくなったのです。
 びっくりするぐらいスムーズに執筆できました。タイプを叩く指がほぼ止まらず、30分程度で仕上がるという奇跡。だからボインがボインでバイーンなクオリティなのです。後悔? なんだそれ、焼いたら食えるのかい? 

 元々はこの半分くらいのボリュームを予定していたのですが、例によって大幅オーバー。
本来なら次話から雪合戦だったのですが、今回入りきらなかった短編集をもう一話だけやることにしました。

 引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。


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