ユミルの鳳翼館といえば、言わずと知れた名物旅館だ。
顧客がそういった宿泊施設に格を付ける場合、対象となるポイントはある程度均一化されている。
部屋の間取りや装飾は、風土や風景と調和できるように設えてあるか。従業員の接客接遇、その教育が一人一人に至るまで行き届いているか。
施設形態によってその基準項目の種は違えど、しかし例外なく重要視される個所がある。
それは食事。
腹と舌、その両方を満たす食事を提供できているか。そこに宿泊客が抱く期待のウェイトは非常に大きい。
それゆえに厨房を一手に取り仕切る料理長には、とてつもない重責が圧し掛かる。
「ふむ。厨房を使わせて欲しいというのか」
ヴェルナー料理長は意外そうに眉をひそめた。彼の元を訪れていたラウラは「いかにも」と肯定する。
「元々は昨日伺うつもりだったのですが、お忙しい時間だったようなので控えました。昼食時も過ぎた今なら大丈夫かと思い、お願いに参った次第です」
たとえ領主子息の友人、そしてユミルの客人だったとしても、部外者を厨房に入れることは本来なら許されない。
食材の衛生管理もあるし、外部に出せないレシピも保管している。
何より昼のピークを過ぎたとて、時間が余るわけではないのだ。すぐに夕食の仕込みが待っている。
「いいだろう。あまり長い時間は貸せないが」
「感謝します」
しかしヴェルナーは承諾した。
部外者を入れないといってもすでにシャロンの手伝いを受け入れ、事実その手並みには助けられている。加えて一般客が宿泊していないから、今は仕込みの量も少なくてすんでいる。
何より、この少女は料理に対して確かな情熱を持っていた。真摯に料理に向き合おうという姿勢が窺えた。
一見不愛想ながら、ヴェルナーは筋の通った男である。熱意ある彼女の頼みを無下にはしたくなかったのだ。
「お礼代わりと言ったらなんですが、まずは一品作らせて頂きましょう」
「ほう、私にも振る舞ってくれるのか」
「もちろん。故郷でもよく食べていた料理でして」
「それは楽しみだ。して、生まれは?」
「レグラムです」
若い頃、修業時代に訪れたことがある。風光明媚な町で魚料理が絶品だった。ますます期待が持てる。
ヴェルナーがテーブルに着くと、さっそくラウラは調理を始めた。
手慣れているのだろう、魚を捌くのもスムーズだった。もっとも彼の位置から、その手元は見えなかったが。
「鳳翼館に勤められて長いのですか?」
手は止めずにラウラが話しかけてくる。
「そうだな。先代から料理長を引き継いだのは十年程前だが、働き始めては二十年になるか……」
「私には及びもつかぬ研鑽を詰まれたのでしょう。感服します」
世辞ではなく、本心からの言葉だろう。鼻にかかるものがない。
「いや、まだまだ学ぶことは多い。私の目標は究極の料理を生み出すことだ」
「究極の料理?」
ラウラは興味をそそられたようだった。
「そうだ。人によって味覚は千差万別だが、誰の心にも届き、食べた人を満足させることのできる料理。私はそんな一皿を目指しているのだ」
「素晴らしい。その志の高さ、尊敬します」
年甲斐もなく面映ゆくなるのは、彼女が本当にそう思っていると分かるからだ。裏表のなさに好感が持てる。
彼女ならあるいは――
ヴェルナーは上着のポケットから一冊の手帳を取り出すと、それをラウラの前に置いた。
「ヴェルナー殿、これは?」
「料理手帳だ。新品だからまだ何も書き込まれていないがな。食材や調味料をまとめる欄があって、レシピを記入しておくのに優れている。私も修行時代から重宝しているものだ。使うといい」
「私に? よいのですか?」
「君はまだ若い。深く料理を学んでいけば、やがては私をも越える料理人となるかもしれん。その時、君になら見えている可能性がある。私の追い求める究極の料理が」
「買いかぶり過ぎです。私みたいな未熟者が、そのような……」
椅子に座り直し、ヴェルナーは言う。
「夢を託すなどと大仰なことを言うつもりはない。そもそも私自身の手で叶えるべきことだからな。ただ知って欲しいのだ。未知の可能性というやつを」
自分の想いを他人に語るなど、ヴェルナーにしてみれば実に珍しいことである。それでも彼がそうしたのは、ラウラに何かを感じ取ったからだった。
「……謹んで頂戴します」
「うむ」
もらったばかりの料理手帳を大事そうに胸元にしまい、ラウラは調理の続きへと戻る。
少しして料理は完成した。平皿がヴェルナーの前に運ばれてくる。
「サモーナのマリネか」
スライスオニオンを敷いた上に、薄ピンクの色合いをしたサモーナの切り身が盛られている。彩りもよく、特製のドレッシングを和えてあるようだ。
「トリスタでリィンによく作っていたものです。久しぶりなので腕がなまっていなければいいのですが」
「リィンに? 喜んでいただろう」
「ええ、それはもう」
「なんなら卒業後はユミルに移り住むといい。君の手作り料理が食べられるのだから、リィンも歓迎するはずだ」
「ご、ご冗談を」
「ははは、半分は本気だぞ」
ラウラは赤くなって黙り込む。リィンめ。あいつも中々どうして隅に置けない。
ヴェルナーはフォークでサモーナを口元に運んだ。
シンプルな料理こそ味をまとめるのが難しいが、果たして――
一口
「ヒャアア―――ッ!?」
ヴェルナーは甲高い悲鳴を上げた。
口腔内を得体の知れない波動が駆け巡る。
オニオンは刃、サモーナは槍、ドレッシングは毒。そこに食材の調和などない。あるのは混然一体となった悪辣なる味の暴力。味覚をぶち壊して与えてくるのはもはや痛覚。
「はっ、はふっ」
喉を焼かれたようだ。呼吸がままならない。
「ヴェルナー殿。そこまで急いで召し上がられずとも、料理は逃げませんよ」
照れたようにラウラがはにかむ。
「ひ、ひがっ」
違う。そう言いたかったが、言葉が出せない。視界がかすんで狭まってきた。内股になった足がぷるぷると震えている。
ダンディーなヴェルナー料理長は、今や生まれたての小鹿になっていた。
「あひゅっ……」
口の端から空気をもらしたのを最後に、椅子から転げ落ちる。食堂の床に横たわった彼を、お決まりの痙攣が襲う。意識に暗黒が迫ってきていた。
「ヴェルナー殿? ヴェルナー殿! もしやこれは……過労か?」
くっ、とラウラは喉を詰まらせた。
「この状況下で一人厨房を守ってこられたのだ。疲労と心労は相当のものだったろう。それをおくびにも出さずに私に付き合って下さっていたとは」
自分の料理が、張り詰めていたヴェルナー料理長の気を緩めてしまったのだと、この
「誰か、誰か来てくれ。ヴェルナー殿が倒れてしまった!」
叫ぶラウラの声を聞きながら、ヴェルナーの意識は薄れていく。
未知の可能性がもたらすものには、混沌と破壊も含まれている。これは究極ではなく、極限の料理。
虚無へと落ちる寸前、彼は悟った。
《☆☆☆ユミル休息日 ~レディーズクッキング☆☆☆》
不機嫌というほど大層なものではない。ご機嫌ななめという表現も言い過ぎだ。
釈然としない。そう、これが最も適当な感情だろう。
ラウンジのソファーに腰掛けながら、Ⅶ組の担任教官、サラ・バレスタインはむすりとした顔でその光景を眺めていた。
左側。食堂の戸口にシャロンが立っている。彼女はアリサとエマと親しげに話していた。
右側。遊戯スペース近くにクレアが立っている。彼女はミリアムとフィーと談笑していた。
対して自分は一人で座っている。特に話しかけてくる相手もいない。
「……なによ」
ぽつりとつぶやく。
トリスタ防衛戦の後、サラは各地を渡り歩いて様々な情報を仕入れていた。その最中にユーシスと再会し、バリアハートへ戻る後押しもした。
先のアルバレア城館における騒動では、大量の追っ手を一人で引き付けたりしたし、絶妙のタイミングで救援にも駆けつけた。もっとも前者はシャロンにはめられてだが。
とにかく、再会に至るまで全員のことを心配していた。それはそうだ。自分は彼らの教官なのだから。
だからというわけじゃない。だからというわけじゃないけど――
あんた達も、あたしのことを心配したらどうなのよ。
それが何。城館内で再会した子たちは仕方ない。互いの無事をゆっくりと喜び合う状況にはなかった。
だけどユミル組はどういうわけ?
フィーなんか「あ、いたんだ。まあサラだしね」ぐらいで流してくれたし。誰か一人くらいは胸に飛び込んできなさいよ。ナチュラルにあたしの存在を受け入れ過ぎでしょうが。
「ふん。そんなので腹が立つほど大人気なくないし」
机をとんとんと指で叩く。踵で床をこつこつと踏み鳴らす。
そんなことをしていると、二階からトヴァルが降りてきた。彼を見つけるなり、サラはむすっとしたまま手招きする。
「トヴァル、ちょっと来て」
「俺、忙しいんだけど」
「いいから来なさいよ」
ぼやきながらやってきたトヴァルは、サラの向かいに座った。
「で、なんだよ」
「見なさい、あれを」
「んー」
サラの目線を追うトヴァル。
「クレア大尉にシャロンさんか。もう普通に打ち解けてるよな。で、二人がどうしたんだ?」
サラは事情を説明した。どうにも釈然としない胸の内を。
ひとしきり話を聞いて、トヴァルは困ったように嘆息する。
「なんだ、ジェラシーか? らしくないな」
「そういうのじゃないわよ」
「いやいや、そういうのだ。自分の生徒たちを横から取られた気分になってる。ついでに生徒たちが懐いているのも面白くないんだ」
「そんな子供じみた嫉妬はしないって」
「相手があの二人じゃなかったら、そうだろうな」
「どういうこと?」
ほんのわずかにトヴァルの目が細まる。
「お前さん、まだあの二人とわだかまりがあるだろ」
「それは――」
ある。
シャロンとクレアがどんな人間なのかは知っている。ここまで教え子たちの力になってくれていたことも知っている。
少なくとも今は立場を抜きにして信用していい相手だとも理解している。
でもダメなのだ。完全に腹を割るには、忘れられない過去がある。
シャロン・クルーガー。結社の執行者。帝国ギルドを襲撃した中に、彼女もいた。
クレア・リーヴェルト。鉄道憲兵隊。そして《鉄血の子供達》。彼女の上司はギリアス・オズボーン。
この二人に共通するのは直接的、あるいは間接的に現在の遊撃士協会、その縮小事情に関係していることだった。
「トヴァルはどうなの。あの時のこと、何とも思わないの?」
「思うさ。だけど状況は変わってる。こうして同行することになった以上、引きずってばかりいたら肝心な時に連携が取れなくなっちまう」
「そりゃ戦闘時は背中を預けることもあるんでしょうけどね。でもそんな風に割り切れないわよ、あたしは」
どんな理由があってもだ。許容はできない。
正直なところ、別に彼女たち個人を嫌っているわけではない。個人として見ることができたらいいのだが、どうしても背後の組織がちらついてしまうのだ。
だからつい、斜に構える自分が出てくる。
「ま、サラの気持ちも分かる。こういうのはきっかけもいるし、無理に歩み寄る必要もないと思う。ただ、リィンたちに気を遣わせるような空気は出すなよ」
「それは分かってるわ、ありがと」
そこで彼は話を戻した。
「で、どうすんだ」
「え?」
「いや、担任教官様の悩みをな。生徒取られて悔しいんだろって」
にっと笑って、わざとらしい言い方をしてくる。面白がってるんじゃないでしょうね。
「別にどうもしないわ。何回も言うけど、悔しいとかそんなんじゃないから」
「そうかい。ま、なんだかんだでサラは頼りにされてると思うけどな。どうしても気になるんだったら、あの二人相手にこれだけは勝てるってものを見つけたらどうだ。できれば戦闘以外で」
「何それ。どういう意味があるの?」
「意外なところで実力を示すってこと。こういうのって案外効果的なんだよ」
「ふーん」
気のない相槌を返して、サラはソファーに沈み込む。
変な意識をするから必要以上に苛立ってしまうというのは、その通りかもしれない。同時に、意外な実力を示すというのは悪くない案に思えた。
尊敬されて然りの立場のはずなのに、教え子たちからちょっと軽く見られている感じ。それを払拭するいい機会にもなる。
「やってみようかしら」
「お。決断が早いな。で、具体的にはどうすんだ?」
「そうね……」
得意分野――つまりは模擬戦なんかで勝っても意味はない。フィーではないが『まあ、サラだしね』で終わってしまう。相手の得意分野で抜きん出てこそ、『さすがはサラ教官』と敬われるわけである。
「……料理、とか?」
「は?」
シャロンの料理の腕は段違いだ。学生寮で自分も味わっていたから、そこは疑いようがない。
クレアがキッチンに立つ姿は見たことがないが、あの
「い、いや。サラって料理できるのか? 作れてもせいぜい酒のつまみ程度だろ?」
「失礼ね。……まあ、その通りだけど。でも格上に勝ってこそなんでしょ」
「確かに俺が言ってるのはそういうことなんだが……。だけど分が悪すぎる。お前さんの料理なんざ彼女たちのそれと比べたら、夜空の星と路傍の石ぐらいの開きがあるぞ」
瞬時に身を乗り出して腹に一発。電光石火の一撃にトヴァルがうずくまる。
「そ、それはなしだろ……」
「ガラス細工のように繊細なあたしのハートに傷を入れるんじゃないわよ。今日の夜は涙で枕を濡らすから」
「よく言うぜ。どうせ酒飲んだら忘れるくせに」
「二発目の準備はできてるわ」
「わかった。俺が悪かった」
事実として単純な料理の腕は、やはりシャロンたちに劣っている。サラもそれは理解していた。
正面突破の勝利はあり得ない。ならば策がいる。
「トヴァル、私に協力して。乙女心を傷つけた罪を償いなさい」
「だから俺忙しいんだって。それに乙女って言える年齢じゃ」
シッと風を切って二発目が炸裂する。「ごふっ」とうめいてトヴァルは頭を垂れた。
「傷つき過ぎてつらいんだけど」
「そいつは俺の台詞だ……」
「大体忙しいって何がよ?」
「サラにも言っただろ。ほら、雪合戦企画してるって」
「ああ……」
同行人数も増えてきたから、名目は親睦を深める為の雪合戦。細かなルール決めや諸々の手配を彼が進めているという。
「だったらあたしもその雪合戦に協力するから、あんたもあたしに協力しなさい」
「俺に拒否権はないのか」
がっくりと肩を落とすトヴァル。断る理由を述べる間も与えられず、彼はサラの要求を呑むことになった。
「とりあえず俺は何をしたらいいいか教えてくれ」
「勝負のお膳立てと舞台のセッティング。あと、あたしの不利を埋める特別ルールの策定」
「全部ってことかよ!」
「あたりまえでしょ」
目的が目的だけに自分からの提案というのは避けておいた方がいい。理想はトヴァルの企画に参加
「大変なとこだけ押し付けやがって……」
「元同僚のよしみってやつで何とかしてよ。乗り掛かった船じゃない」
「むりやり乗せられた船だ、まったく」
ぴっと人さし指を立てて、トヴァルは言う。
「いいか。一応運の絡むルールを作ってはみるが、あくまでも勝負は公平にする。えこひいきもしないしズルもなし。それでサラが負けても、それは仕方のないことだからな」
「上等。望むところよ。あくまで実力を見せなきゃだし、それにからきし料理がダメってわけでもないしね」
それは本当だ。調達できた有り合わせの食材だけで、自炊しなければいけない状況は多かった。主に遊撃士協会に入る前のことではあるが。
「ほら早く。迅速、正確、慎重に。遊撃士の腕の見せどころよ」
「はあ、お兄さんは多忙だぜ」
トヴァルはしぶしぶの体で立ち上がった。
● ● ●
面倒なことに巻き込まれた。
一概に段取りを組むと言っても簡単なことではないのだ。
クレアとシャロンにも話を通さないといけないし、勝負事となれば判定する側だって必要だ。
場所の調達、人の手配。
企画の基本は雪合戦と同じだが、何分この案件も考えることが多い。
「まずは……場所か」
トヴァルは食堂に向かった。設備を使わせてもらうなら、ヴェルナー料理長に了承をもらわねばならない。
しかし厨房に彼の姿はなかった。代わりにいたのはパープルである。
「パープルさん一人か? ヴェルナーさんに用事があって来たんだけど」
「あ、トヴァルさん……」
パープルの表情は暗かった。トヴァルが事情を訊くと、今日の昼過ぎにヴェルナーが倒れたと彼女は説明した。丁度ラウンジでサラと話をしている頃だった。
「おいおい、大丈夫なのか。原因は?」
「過労だそうです。今は部屋で横になっています」
「疲れが溜まっていたんだろう。無理もない」
しんどい顔一つ見せずに、今日まで自分たちの食事の用意をしてくれていたのか。頭が下がる思いだ。
「先ほど様子を窺いに行ったのですが『極限に呑まれる……』とか『果てしない闇が……』だとかうなされているようでして。教区長様の見立てでは、しばらく安静にしていれば問題ないそうですが」
「……早く回復することを祈るばかりだ」
彼の不穏なうわ言は気になったが、何のことかを調べるすべはない。
「ところで料理長にご用事とのことでしたが」
「あ、そうなんだよ。しかし困ったな。話をできる状態じゃなさそうだし」
「私でよければお聞きしましょうか。料理長が戻られるまで厨房を預かるように、バギンス支配人から仰せつかりましたから」
「おお、パープルさんってすごいんだな」
トヴァルの褒め言葉に彼女は顔をうつむかせた。照れているらしい。
「い、いえ。長く勤めているだけですから。それでご用と言うのは?」
「実は――」
概略をパープルに伝える。もちろんサラの云々をそのままは言えないので、多少の脚色を加えて。
「まあ、懇親の為の料理品評会? 素晴らしいですわ」
ひとまずそんな設定にしてみたが、パープルには気に入られたようだった。
「ご自身で動いてまで皆様の和を取り持つなんて。トヴァルさんはそのような気配りもできる方なのですね」
「ま、まあな。もし使わせてもらえるなら、今日の夕食はそれで済ませるようにするよ。片付けもこっちでやるし、その方がパープルさんも楽だろ。ただでさえヴェルナーさんいなくて大変だしさ」
「私にまでそのような心遣いをして頂けるなんて。トヴァルさん……」
淡い熱を帯びた瞳が、トヴァルを見つめていた。
「そういうことでしたら、ぜひ厨房をお使い下さい。食材も調理器具も。支配人には私から許可をもらっておきます」
「本当か。助かる」
「ふふ、お役に立てて何よりですわ。ところでその品評会には誰が参加されるんです?」
「これから頼みに行くんだけどな。サラとシャロンさんと、あとはクレア大尉だ」
最後の名前を聞いた瞬間、パープルの眉根がぴくりと動いた。
トヴァルはその変化に気付かなかった。
「クレアさん……ですか。きっとお料理も上手なのでしょうね」
「んー、そうだな。何でも作れると思うが」
「……では私はこれで。他に雑務もありますので」
「え? ああ。ありがとな」
踵を返したパープルは粛々と食堂から立ち去っていく。
その少し後、鳳翼館の裏手では雪玉の剛速球が何本もの枝をへし折っていたが、トヴァルには知る由もないことだった。
場所は調達できた。
次は当人たちに参加依頼をしなくては。
「――というわけなんだが、どうだろうか?」
「もちろんお手伝いさせて頂きますわ」
シャロンは即答で承諾した。ちなみに彼女は館内清掃の手伝い中だ。
ひとまずの名目は“ヴェルナー料理長が倒れたので、夕食の準備を頼みたい”である。床に伏せているヴェルナーには悪いと思ったが、それが一番もっともらしい理由だった。パープルには品評会と言ってしまったが、さしたる影響はないだろう。
「ですが料理長が過労だなんて。今朝方はお変わりありませんでしたのに……」
「きっと無理をしていたんだろうな」
「今は休養が何よりの薬でしょうね。あとで
「よろしく頼むよ。ああ、それと」
トヴァルは説明を付け足した。これは言っておかなければならない。
「調理なんだが、せっかくだからサラとクレア大尉にも協力してもらおうと思ってる。ちょっとした遊びのテイストを入れてな」
シャロンは首をかしげる。
「せっかくだから? 遊び? どういうことでしょう?」
「深くは考えないでくれ。細かいことは追って説明するから」
不思議そうにしているシャロンにそれだけを告げると、トヴァルはいそいそとその場を離れた。
遊戯コーナ―にて。
「――とまあ、そんな事情でな。できれば協力してもらいたいんだが」
「ええ、私は構いませんが……」
クレアも了承してくれた。先ほどまで話していたフィーとミリアムの姿はない。二人してどこかに行ったようだ。
「普通に食事を作るだけじゃないんですか?」
「色々あってな。ちょっとした余興みたいなもんだ」
できれば詳細を伝えたかったが、具体的なことはトヴァルの中でもまだ決まっていない。現時点で言えることはこの程度のものだった。
「ところで大尉は料理ってできるのか? 頼んでから訊くのも変な話だが」
「仕事柄、各地を回ってばかりなので外食が多いのですが、一通りはこなせると思いますよ」
そうだろう。というか彼女にできないことを想像する方が難しい。
「得意な料理は?」
「いえ、特には。ですがレシピさえあれば問題ありませんので」
気取った様子もなく、当たり前のようにクレアは言う。
「食材の種類、調味料の分量、火を通す時間。レシピの通りに作れば、当然同じものができます」
「うーん、そういうもんか?」
「設計図に従って作っているのに、違うものができたら変でしょう?」
「まあ理屈ではそうなるか……ん、設計図?」
変わった例えだ。意味合い的には確かに間違っていないが。
しかし料理には目安ってもんがある。食材のコンディションだって様々なわけだし。とはいえ、そこまで断言するなら、それなりの物は作れるのだろう。
「じゃあ、十七時になったら厨房に来てくれ。俺ももう少しやっておくことがあるんでな」
「了解しました」
お膳立ては完了だ。
次にやることは、それを食し、優劣を決める審査員を探すこと。これは簡単だ。男子たちに頼めばいい。お姉さんたちの手料理が食べられるのだから、すぐに快諾してくれるに違いない。
「男子は館内に全員いるみたいだな」
反対に女子は全員出払っているようだが。小耳に挟んだ限りでは、シュバルツァー邸でちょっとした催しをやる予定らしい。女子会、というやつだろうか。
二階に上がるとマキアスの部屋から男子たちの声がした。
「トヴァルだ。入っていいか?」
ノックして、外から声をかけてみる。扉を開いたのはリィンだった。その後ろに男子が勢ぞろいしている。
「どうしたんですか?」
「ちょっとお前さん方に用事があってな。しかし全員集まって何やってるんだ?」
「大した話はしていないんですが、こうして顔を合わせるのも久しぶりだったので」
「なるほどな」
こっちはこっちで男子会を開催していたらしい。飲み物と軽食を用意して、他愛もない雑談に興じている。
これはあれだろ? コンセプトとしては“Ⅶ組の男子”っていう括りがあるんだろ? その辺は理解してるぜ。俺は気にしない。
別にいいんだ。お兄さんに声をかけてくれなくたって。
「……ちょっとサラの気持ちが分かった気がする」
「え?」
「いや何でもない。それで本題だが、お前さんたちに頼みたいことがあってだな――」
経緯を話すとリィンたちは驚いていた。
「ヴェルナーさんが……」
「そんなわけで、シャロンさんたちが夕食を作ってくれることになった」
エリオットがうなずく。
「じゃあ僕たちも夕食の準備を手伝ったらいいんですね?」
「そうじゃない。男子勢には出てきた料理を食べてもらうだけでいい」
「意味がよく分からないんですけど……」
「つまりだな。彼女たちが食事を作るから、男子たちはどれが一番うまかったか選んで欲しいんだ」
雰囲気たっぷりに揺らしていたグラスを、ユーシスは卓上に置いた。ちなみに中身はグレープジュースである。
「なぜそんなことをする必要があるのだ?」
「色々あるんだよ、大人には」
「………」
自然に納得してもらえる理由を探したが、あいにく思いつかなかった。サラの発案だと言えれば手っ取り早いのだが、それを口にしてしまうと三発目のボディを頂くことになってしまう。
もう少しマシな誘い文句を考えるべきだったかと逡巡する最中、ガイウスが言った。
「食べてうまいものを選ぶだけだろう。どのみち夕食は食べるわけだし、俺は構わない」
「お、おお。そうか!」
さすがはノルド仕込みの懐のでかさだ。彼の一声のおかげで、他のメンバーも訝しげな様子ながら首を縦に振ってくれる。
そんな中、一人の男だけが思案顔で腕を組んでいた。
「どうした、マキアス。お前さんは嫌か? うまい料理を選んでもらうだけでいいんだが」
「一つ訊きたいんですが……シャロンさんたち、と言いましたね。他には誰が料理を作るんです?」
「サラとクレア大尉だが」
一瞬リィンたちの表情が曇る。サラの名前を出したのは失敗だったか。やはり彼女が料理をできるというイメージはないようだ。
しかしマキアスは強い口調で断言した。
「引き受けましょう」
「それは助かるが、いいのか?」
「もちろん。断る理由などありませんよ」
くいっと眼鏡を押し上げて、不敵に口元を緩める。なぜだか知らないが、やる気になってくれたみたいだ。
「よし。十七時になったら食堂に降りてきてくれ。頼んだからな!」
● ● ●
人の手配は完璧だ。
最後にやること。それは調理におけるルール決め。これが一番厄介だった。
出来レースにならないようにして、かつサラとシャロン、クレアとの差を埋めなければならないのだから。
「……そんな方法あんのかよ」
館内をうろつき回りながらトヴァルは考える。
止まって考えるより、体を動かしながらの方がいい案が出る。それは遊撃士としての経験によるものだ。
サラが言ったように正攻法では勝てない。これは確定だ。ならば変則ルールを用いるしかない。即ち運の要素を取り入れるのだ。
思いついたアイデアをメモ紙に走り書きしていく。
「よし、まとまってきた」
このルールならシャロンと言えども苦労するはずだし、クレアの能力もある程度封じることができる。そしてサラの一発逆転も不可能ではない。
「いい感じだぜ。さすがは頼れるお兄さんだな」
自賛をひとりごち、トヴァルは一人厨房でセッティングに取り掛かった。
空いた時間は雪合戦の段取りを詰めておきたかったのだが、仕方ない。受けた依頼はきっちりこなすのがモットーなのだ。
そして依頼はこのセッティングまでである。
進行やらルールはサラにでも伝えて、あとは男子たちが判定してくれればいい。
「その間で雪合戦のことを考えるか。開催はいよいよ二日後だしな」
自分の役目はひとまず終了である。
手早く事前準備を済まし、トヴァルは食堂を後にした。
雪合戦に思考が傾いていたせいなのか、この時彼は見落としてしまっていた。
実力の差を埋める為に考えた“変則調理ルール”。
完璧に思えたそのルールの中に、致命的なミスがあったことを。
――後編に続く――
節子、それ過労ちゃう。毒殺や。
前編をお付き合い頂きありがとうございます。オープニングから事件が起きました。
せっかくそろったメンバーが減りそうで怖いです。第一部終了も近付いてきているというのに……
というわけでレディーズクッキング、後編も引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。