床に伏せるユミル領主の元を、ユーシス・アルバレアは訪れていた。
目的は見舞い、そして謝罪である。
「猟兵に郷を差し向けた此度の一件、申し訳ありませんでした。謝罪して済むものでないとは承知していますが……」
それでも誠心誠意詫びる。それしかできなかった。
弁明の一切を行わず、頭を下げ続けるユーシスに、テオは諭すように言った。
「そなたが謝ることではない。幸い郷に被害は出なかった。故に気に病む必要もない」
「い、いえ。しかし」
気遣わしげにテオに視線を向ける。郷に被害はなかったと言う彼こそが、唯一の負傷者だというのに。
言わんとしたことに気付いたらしく、テオは精悍に笑ってみせた。
「私の傷などすぐに治る。もう歩き回ってもいいのだが、ルシアとエリゼがうるさくてな」
「奥方もご息女も心配なさっているのでしょう」
「狩りにも行きたいのだが、教区長殿にも止められている。それだけが辛いところだ」
冗談めかす口調は、こちらを慮ってのことだろう。自分は恨まれたって仕方がないのに。それなのに。
芯から強い人だ。育ての親とはいえ、リィンの父上だと納得するほどに。
「そういえば、テオ殿に狩りの作法を教わったことがあると、兄から聞いたことがあります」
「ああ、ルーファス興か。ずいぶん前のことになるが、あの時はずいぶんと楽しそうにしておられた。腕も上げられただろう、機会があればもう一度ご一緒したいものだが――」
そこで言葉を区切って、テオは上体を起こした。
「兄君のこと、父君のこと、家のこと。思うところは多いと察する。だがそなたはルーファス興でもアルバレア公でもない。そなたにしか歩めぬ道を行くのが一番いいと、私は思う」
「……過分のご厚意、痛み入ります」
謝罪に来たはずなのに、逆に背中を押されてしまった。
これでは面目がない。
「せめて郷の為に、何かお役に立てることはありませんか?」
「はは、Ⅶ組の諸君は働き者が多いのだな。午前中はアリサさんが屋敷の掃除を手伝ってくれていたようだし」
「アリサが? そうでしたか」
意外には思わなかった。礼節を弁えた彼女のこと、当然のこととして手伝いを申し出たのだろう。
「休める時には休んで欲しいというのが正直な気持ちなのだが――うむ、そうだな。強いて挙げるなら、私から頼みたいことが二つある」
「何なりと申し付けて下さい」
「郷の子供たち、アルフとキキのことだ。人づてに聞いたのだが、あの子たちは私が撃たれたことを自分たちのせいだと思っているらしい」
テオの目が枕元に置かれた二羽の折り鶴に向けられる。フキの葉で折られた、赤色と緑色の鶴だった。それが何を意味するのかユーシスにはわからなかったが。
「だから、あの二人に私は元気だと伝えて欲しい。直接会って話したいのだが、まだ外出許可を頂けなくてな」
「わかりました。必ず伝えましょう。それで、もう一つの頼みと言うのは?」
「これからも息子の良き友人であってもらいたい。ユミルのことで負い目を感じることなく、な。リィンもそれを望んでいよう」
力強い瞳に見つめられ、ユーシスは胸を詰まらせる。
とっさに何かを言おうとしたが、しかし言葉は出て来なかった。かろうじて頷いてみせると、テオは安心したようにベッドに背中を戻した。
テオは平気だと言うが、長居は容態に障るかもしれない。ユーシスは彼の部屋を後にした。
扉を閉めたところで、小さく嘆息する。
彼がリィンに注ぐ深い愛情は、血縁の有無など関係ないと分かる。血が繋がっていなくても、あの二人は紛れもない親子なのだ。
かたや自分はどうだろうか。
血が繋がっていながら、ヘルムートから愛情と呼べるものを向けられた記憶はない。
温度のない形式だけの会話。交わることのない視線。寒々しい平行線の関係。
果たして父と俺は、親子と呼べるのだろうか。
「リィンが少し……羨ましく思えるな」
☆☆☆《ユミル休息日 ~ちびっこウィッシュ》☆☆☆
時刻は十五時に差し掛かるところである。
屋敷を出たユーシスは、ぐるりと辺りを見渡した。この時間なら、件の子供たちは外で遊んでいることが多いという。
それらしい光景はすぐに見つけることができた。《木霊亭》のすぐ近くで、男の子と女の子が走り回っている。彼らだろうか?
近付いて声をかけてみる。
「お前たちがキキとアルフか?」
子供たちは動きを止めて、ユーシスを見返した。
「あ、はい。そうですけど」
「お兄さん誰? 新顔、なの」
正解だ。いきなり名前を呼ばれて不安そうにしている二人に、ユーシスは事情を説明した。
「テオ殿からお前たち宛ての伝言を受けている。“私はもうすっかり回復したから心配は無用だ。外出許可をもらったら一番に顔を見に行く。それとフキの折鶴をありがとう”――だそうだ」
アルフとキキは互いの顔を見合わせ、途端に表情を明るくした。
「ありがとうございます、ええと――」
「ユーシス・アルバレアだ。礼はいらん。俺は伝言役を務めただけだからな」
「新顔の割にいい仕事をした、の」
「……俺が礼を言う流れだったのか」
ともあれ安心したらしく、二人は嬉しそうにしている。
この後は特に用事もない。ユーシスは近くに腰を据えて、遊ぶアルフたちを何気なく眺めていた。
思い出すのはトリスタの子供たち。数か月前に成り行きで日曜学校の一日教師をやってから、妙に懐かれるようになったのだ。
泣き虫な子もいれば、生意気盛りの子もいたし、おしゃまな子もいた。
ロジーヌはケルディックで無事にいてくれたが、子供たちはそのことを知らない。心配しているだろう。あいつは誰よりも慕われていたからな。
「んー、ないなあ」
「どこかにはあるはず、なの」
きょろきょろしながら、アルフたちが何かを探している。
「どうした?」
たずねると、『あれ』と二人同時に指さした。大きな雪玉の上に小さな雪玉が乗っかかっている。店の横にあるそれは雪だるまだった。
「ほう。よく二人だけで作ったものだ」
「でも顔を作る為の小枝が見つからないんです」
「困った、の」
「そんなことか。待っているがいい」
近くに手頃な木があった。あれくらいなら自分の身長で十分届く。ユーシスは手を伸ばして、枝の先を少しだけ折り取った。
「これを使え」
枝を受け取った二人は、さっそく雪だるまに顔をつけた。枝が少ないので目と口だけの淡白な表情である。申し訳程度の湾曲をつけて、口元だけは笑っていたが。
「何だか不愛想、なの」
「目をへの字にしたらまだマシかなあ。枝がもっとあるんだったら、木の枠を二つ作って眼鏡にしてみても面白いかも」
「それはやめておけ。理屈くさくて頭の固い雪だるまになるぞ」
「どんな雪だるまですか、それ……」
「夜な夜なチェスの相手を求めてさまよう厄介な雪だるまだ」
「チ、チェスを!?」
雪だるまを完成させた矢先、アルフとキキは次に何をして遊ぶか話していた。外はかなり冷え込んでいるが、屋内で過ごすなどの案は出てこない。さすがは雪郷の子供たちといったところか。
「鬼ごっこは?」
アルフが言うと、キキは呆れたように首をすくめた。
「二人でやって楽しいわけがない、の」
「そ、そうだよね。ごめん」
「でも――」
キキはユーシスを見上げる。
「三人なら話が違う、の」
期待の映る無垢な瞳に見つめられ、鳳翼館に戻るとは言い出せなかった。少し考えたが、結局ユーシスは首を縦に振る。
「いいだろう。付き合うぞ」
「ふっふーん。ボクも付き合うぞ」
「私も付き合うぞ」
ユーシスに続いたのは、二つの別の声。
胸をそらし、両腰に手を当てたミリアムと、眠たげなあくびをするフィーが近くに立っている。
なんだ、お前たちは。どこから湧いて出た。
無言のまま冷たい視線を注いでやると、
「ボクも付き合うぞ」
「私も付き合うぞ」
ちびっこ達は繰り返す。
面倒なヤツらがやってきた。
● ● ●
フィーとミリアム。朝から姿を見なかったので、今までどこにいたのかと問うたところ、驚くべき返答をよこしてきた。
なんと昼過ぎまで寝ていたという。しかも誰も部屋に入れないように、鍵まで閉めて。
起床後もうだうだと室内で時間を潰し、前もって備蓄してあった菓子類を食い、今になってようやく外に出てきたわけだ。
この怠惰極まる乱れに乱れた生活習慣。後で委員長に事細かに報告してやる。今日と同じ明日を迎えられると思うなよ。
それはともかく――
「いい加減に待たんか……!」
ユーシスは鬼ごっこの真っ最中だった。ちなみに鬼である。
「待つわけないし」
「だよねー」
フィー以外なら、基本的に足の速さはこちらが上なのだ。その気になればいつでも捕まえられると、そう思っていたのだが。
逃げるアルフの背中に追いつき、手を伸ばしたその時――
「ΠЁΘΠ§Ё」
空間が歪んでアガートラムが現れる。大きな銀の腕で進路をブロックされ、ユーシスは雪の上を転がった。
「反則だろう! 何回も何回も忌々しい!」
体中にまとわりついた雪を払いながら、ユーシスは憤慨する。こんなもの何百回やっても終わらないではないか。永遠に鬼のままだ。何の罰ゲームだ。
ミリアムがけらけらと笑う。
「あはは、ユーシスって鬼が似合うよね」
「というか鬼そのものだし」
「……いい度胸だ」
ふつふつと怒りが込み上げてきた。怒気を宿した足が地を蹴り、自分たちの勝利を確信しているちびっこ共に全力疾走する。
「よーし、ガーちゃん。立てなくなる程度にやっちゃえ」
それが仮にも仲間に言う言葉か。
アガートラムが腕を振り回し、行く手を阻む。走りながら軌道を見切り、スイングの隙間を縫うように跳躍。勢いそのままにスライディング。
路面を滑ってアガートラムを突破したユーシスは、逃げるタイミングを逸したフィーとミリアムを同時にむんずと捕まえた。
じたばたと逃れようとしているが、もちろんそれは許さない。
「言いたいことがあるなら聞くぞ」
「お、鬼~!」
「金髪悪魔」
「よくわかった」
『むぎゅ』
首根っこを押さえられた二人は、積もった雪に顔型を残す羽目になった。
それからしばらく絞り上げた後、
「次はかくれんぼがいいな」
ミリアムが懲りもせずそう言った。
「まだやるつもりか?」
元々はアルフとキキの相手をするつもりだったのだ。お前らが余計な介入をしてきたせいで、俺は雪まみれだぞ。
「かくれんぼ? 大勢でやるのは久しぶりです」
「楽しみ、なの」
しかし二人はやる気らしい。付き合うと言った以上、ユーシスは彼らが満足するまで付き合うつもりだった。
「まあいいが……だが条件がある。アガートラムの使用はなしだ」
隠れ場所付近に控えさせて、近付いたら攻撃――など普通にやらかしてきそうである。ミリアムはしぶしぶ承諾した。
「あとトラップの使用もなしだ」
隠れ場所付近に仕掛けて、近付いたら発動――など普通にやらかしてきそうである。フィーはしぶしぶ承諾した。
なぜこいつらは仕方なしに納得してやるみたいな感じなのだ。
フィーが挙手する。
「だったらこっちからも条件があるんだけど」
「どうしてお前たちが対等に条件を出せるなどと思った」
「ちょっとした追加ルールだから。その方が面白いと思うよ」
「言ってみるがいい」
「普通に私たちは隠れるんだけど、探す制限時間は三十分。その時間内に見つけられなかったら、ユーシスは私たちの言うことを何でも聞く」
「待て。色々とおかしい」
鬼が俺前提になってるだろうが。そして俺にデメリットしかない。
「俺が全員見つけた場合はどうなる」
「おめでとうくらいは言うつもりでいるけど」
ここまで嬉しくない特典が他にあるだろうか。突っぱねるのは簡単だが、この上変なルールを持ち出されても面倒だ。
今のところ、ペナルティがある以外は普通のかくれんぼである。要は勝てばいいのだ。
「いいだろう。ただし俺が聞くのはアルフとキキの言うことだけだ。それ以外には一切耳を貸さん」
万が一負けたとしても、彼らならまだ良心的だろう。余計な入れ知恵をされないよう、フィーたちに目を光らしておく必要はあるが。
「ユーシス、男らしくない」
「ロジーヌに言いつけるぞ~」
露骨に煽ってくる。アルフとキキがこいつらの態度を真似しないよう願うばかりだ。しかもロジーヌの名前がそこで出る理由が分からん。
「三分数える。とっとと隠れてこい」
会話を打ち切って苛立たしげに告げる。四人のちびっこ達は一斉に駆け出した。
三分経過し、ユーシスは隠れた子供たちの捜索を開始した。
刻限は三十分。単純に考えて、一人につき七分強の割り当てだ。
あまり余裕があるとは言えない。にも関わらず、今し方数分を無駄にした。最初に探しに行った足湯場で、マキアスと遭遇したせいだった。
声をかけずに過ぎれば良かったのだが、ついつい絡んでしまったのである。
「くそっ」
悪態を突きながら走る。
三分間ではあまり遠くに行けまい。安直な隠れ場所を選んでいればやりやすいのだが。
屋内か、屋外か。時間の都合もあるから、しらみ潰しというわけにもいかなかった。
「ん?」
これは完全に運だったが、一人目はすぐに見つけることができた。先ほど作った雪だるまの陰に、誰かが身を屈めている。
そっと後ろから近づき、その肩を叩く。
「もう少しひねった場所を探すべきだったな」
「あっ」
アルフだった。
あと三人。この調子ならキキも簡単に見つけられそうだ。問題はフィーとミリアムである。
彼女たちと言えど、郷の隠れやすいスポットを熟知しているとは思えない。限られた時間しかなければ、少しでも知る場所に向かおうとするはずだ。
「鳳翼館、か?」
可能性はある。実際、潜むところも多そうだ。
急ぎ足で鳳翼館にたどり着くと、入口付近には真新しい靴跡が雪の上に残っていた。フェイクという線も無きにしも非ずだが、そんなことをしている余裕はなかったはずだ。
館内に入るとロビーは閑散としていた。今は出払っている人間が多いようだ。
談話スペースのソファーにはサラが座っていた。コーヒーを片手に読書中である。
フィーたちが訪れたかをたずねるのはルール違反か。
「あら、ユーシスじゃない。息を切らしてどうしたのよ?」
「いや、別に」
ユーシスは訊かないことにした。アガートラムの件でルール違反について散々文句を言ったのだ。後でフィーたちにそこを突かれるのは面白くない。
一階に視線を巡らしてみると、ビリヤード台などが置いてある遊戯コーナーにガイウスが一人で立っていた。
「珍しいな、ガイウス。ビリヤードに興味があるのか?」
雑談に興じる時間はなかったが、少し気になって声をかけてみる。「ああ、まあ。そんなところだ」とどこか歯切れの悪い調子で、彼は曖昧に肯定した。
なんだか様子が変だ。ユーシスはガイウスを注視する。
違和感があった。上衣が不自然に後ろに引っ張られている。まるで誰かが背中にしがみついているような。
ガイウスの右から回り込んで確認しようとする。しかし彼はユーシスに合わせて体の向きを変えて、背中を見せようとしない。左に回り込んでも同じだった。
「ガイウス。何か隠していないか?」
「今日はいい天気だ」
はぐらかすのが絶望的に下手だった。
ユーシスが一歩前に出ると、ガイウスは一歩下がる。
「どうした。俺はお前の背中を見たいだけだ」
「今日の夕飯は渓谷で釣れた魚を出してくれるらしい」
さらに一歩出る。やはり一歩下がられる。
「そろそろ止まった方がいいぞ」
「雪かきは中々重労働でな。いい運動にはなるんだが」
もう一歩出て、そしてガイウスが足を引いたところで、
「ぎゃっ!?」
彼の背中から悲鳴がはみ出た。正確には背中と壁の板挟みになった空間からだ。ずるずるとミリアムがガイウスの後ろから落ちてくる。
「ひどいよ、ガイウス」
「すまない。何とか粘ってはみたのだが……」
「よし。あと二人か」
予想通りミリアムは鳳翼館にいた。フィーもここにいれば手間が省けるが。
不服そうにしているミリアムに、ユーシスは言う。
「フィーは鳳翼館のどこにいる」
「ふーんだ。言わないよー。絶対見つからないもんね」
「ということは館内にいるのだな」
「え? あ!」
咄嗟につぐんだ口を両手で覆うミリアム。これで諜報部所属というのだから呆れる。今のが演技なら感心してやるが。
「ず、ずるいー!」
などと腕を振り回しているあたり、演技ではなさそうだった。プンスカ怒るミリアムを置き去りに、ユーシスはとりあえず二階に上がることにした。
真っ先に向かったのはフィーの部屋。
内側から鍵を閉めて立てこもっているかもしれないと思ったからだ。もしそんな暴挙を実行していたら、もはやかくれんぼとは呼べない。然るべき制裁を与えてやるつもりだった。
が、ユーシスの予想は外れた。部屋の鍵は開け放たれ、中にフィーの姿もなかった。
「……どこから手を付けるか」
部屋の全てを確認するとなると、かなりの時間が掛かるし、しかも半数以上は女子の部屋だ。いちいち事情を説明して、室内を探し回るなど馬鹿げている。
しかしよく考えてみれば、そもそもそんなことをする必要はない。
今は外出している人間が多いのだ。部屋の施錠はしっかりしている。外からは入れない。
開けっ放しにしているのはフィーやミリアムのような無頓着な輩か、あとはその辺りのこだわりが薄いガイウスくらいなのだ。
となると必然、狙う部屋は絞られてくる。
ユーシスはとある扉をノックした。すぐに部屋の主が顔を出す。
「あ、ユーシスどうしたの。僕に何か用?」
「急にすまない。体調はもういいのか?」
そこはエリオットの部屋だった。
「うん、もう十分休んだし、問題ないよ」
ケルディックで潜伏生活を送っていたというエリオットだが、リィンたちとの合流の折、食中毒に似た症状で体調不良となったそうだ。
一度回復しかけたらしいのだが、カエルに食われたレーグニッツを助ける為に渓谷道の川へ飛び込み、そしてまた体調が悪化したとのことだ。
まとめるとレーグニッツが悪い。
「少し部屋に入ってもかまわないか?」
「え? 別にいいけど」
「失礼する」
最初に目に留まったのは、机に置かれていたバイオリンだった。
「エリオットらしいな。弾いていたのか?」
「ううん。これから調律しようと思ってたんだ」
彼の演奏も久しぶりだ。またあの音色が聞けると思うと楽しみだ。
意識を当面の目的に戻し、今一度室内に目をやる。気になるところは――
「ユーシス?」
「……ああ」
訝しげにしているエリオットに向き直ると、ユーシスはおもむろに問う。
「まだ体調が戻り切っていないのではないか?」
「多少だるさは残ってるけどね。でも大丈夫だよ」
「もしかして、さっきまで横になって休んでいたのではないか?」
「え? なんで」
橙色の髪に若干の寝ぐせが付いている。そして普段着ではなく、少し軽めの寝着を羽織っていたからだ。
「例えばの話だが――安静に休んでいた所に、突然“銀髪の小さい奴”が押し入ってきて、ベッドを追い出されたのではないか?」
「な、なんのこと」
「しかもそいつはろくな事情を説明もせず、ただ俺がやってきたら『シラを切り通せ』とだけ告げて、この部屋に隠れたのではないか? そうだな……その毛布の中あたりに」
ベッドの上で不自然に丸まった毛布のかたまりが、びくりと動いた。
そこで初めてエリオットの瞳に動揺が滲む。状況がしっかり整っていれば、多分見抜けなかっただろう。秀逸な演技だ。見習え、ミリアム。ついでにガイウスも。
もそもそ動く毛布のかたまりが、ベッドからずるりと床に落ちる。ずりずりと一人でに移動しながら、戸口からの脱出を図ろうとしていた。
毛布をひっぺ返す。中からごろんと“銀髪の小さい奴”が転がり出てきた。床に寝そべったまま、そいつは言う。
「エリオット、もうちょっと上手くやって」
「ご、ごめんね、フィー」
「エリオットは完璧だった。お前の隠れ場所が悪い。せめてバイオリンケースの中にでも入っていろ」
「さすがに無理……いや、間接外せば何とかなるかも……」
「やめてよ。ケース開けた時にそんなフィーが入ってたら、僕トラウマになるから」
残すはキキ一人。時間はあと三分。
手あたり次第に探す時間はない。しかしユーシスには、彼女が隠れている場所の目星がついていた。
一階に戻って、談話スペースまで足を運ぶ。そこには変わらずサラがいた。
「上に行ったり下に来たり忙しいわね。ゆっくり読書もできやしないわ」
苦笑交じりのサラにユーシスは言った。
「さっき見たページから、まったく進んでいないようだが」
「ほら、私って文章を一字一句味わうタイプだから」
「考えてみれば最初からおかしい。サラ教官が椅子に座ってあからさまな読書など。自然を装いたいなら、だらしなく寝そべって、つまみを片手に女性誌を流し読みする姿を見せるべきだった」
「あ、あんたね。あたしを何だと思ってんのよ」
「時間がないから単刀直入に言う。そのひざ掛けの下を確認させてもらいたい」
サラは足首まで隠れるタオルケットをひざに被せていた。普段、彼女がこういうものを使うイメージはない。
「……いやよ」
「なぜ」
「だって寒いもの」
時計を見る。あと一分。ロビーに集合していたフィー、ミリアム、アルフはカウントダウンに入っていた。
もう猶予がない。リミットをオーバーすればペナルティが待っている。
「申し訳ないが、それをはぎ取らせてもらう」
ユーシスはタオルケットの端をつかむが、サラは抵抗した。
「やめなさい」
「確認だけだ。すぐに済む」
ぐいぐい引っ張るユーシス。負けじと引っ張り返すサラ。
「だ、ダメよ! 私とあなたは教師と教え子の関係なのよ!?」
「なんの話だ!」
あと二〇秒。
ユーシスは無理やりタオルケットを奪おうとするが、予想以上にサラが耐える。
そのちょっといけない感じの光景を、厨房から顔をのぞかせるシャロンが導力カメラでバッシャバッシャ連写していたが、必死の二人はどちらも気付かない。
『――4、3、2、1』
そしてカウントは進み――ゼロ。
ユーシスの負けが確定し、直後にひざ掛けの下からキキが這い出てくる。
「ふふん。キキちゃん、ご依頼にお応えしたわよ」
「お姉ちゃん先生ありがとう、なの」
「約束通り、《木霊亭》のビール三杯無料券お願いね」
「今後ともご贔屓に、なの」
子供相手になんという密約を交わしているのだ、この教師は。
しかし負けは負け。ユーシスはちびっこ達に取り囲まれた。
「言い訳はしない。何なりと言え」
「それじゃあ」
「お前たちではない」
口を開きかけたフィーとミリアムを、ユーシスはぎろりとにらんで黙らせる。
アルフとキキは小声で相談していたが、すぐに決議したらしく、並んでユーシスの前に立った。
「な、なんでも聞いてくれるんですよね」
「二言はない、の?」
「ああ」
だったら、と彼らは声をそろえた。
「また遊んでください」
「なの」
拍子抜けする。
「そんなことでいいのか?」
首をうなずかせる二人は、屈託のない笑顔を浮かべていた。
今日アルフたちに付き合ったのは、心のどこかには残っているであろう、猟兵に襲われたという恐怖――それを一時でも忘れて欲しかったからだ。
子供は笑って成長するべきだ。
トリスタの子供たちの姿もそこに重ねて、ユーシスはそう思う。
「えっと、ダメですか」
「いや。約束したからな」
「遊んでくれる、の?」
アルフとキキ、それぞれの頭に軽く手を乗せる。お前たちが本当の意味で、毎日を笑って過ごせるようになるその日まで――
「ああ、いくらでも付き合ってやる」
――END――
――Side Stories――
《修道女の願い④》
ここ数日、領邦軍の態度がほんのわずかに変わった。以前のような横柄さが、なりを潜めた気がするのだ。
その理由は分かっている。先日までこの町に滞在していた彼のおかげだろう。『査察』の効果が大なり小なり出ているわけである。
これは一時的なことで、効果が長続きしなさそうなのが残念だが。
ケルディック教会前の道端。そこに溜まった枯れ葉をほうきで掃きながら、ロジーヌは空を見上げる。
バリアハートに発った彼――ユーシスを見送ってから数日が経った。
「……今日は寒いですね」
独りごちながら、落ち葉を集める。
次に会えるのはいつになるかしら。できるならいつも近くに控えて、彼の役に立ちたいのだけど。
しかし今の自分は“ただの学院生”で“修道女見習い”。
同行する理由は作れないし、ユーシスの力となるスキルもない。
少し違う。
同行する理由は作れるし、ユーシスの力となるスキルもある。ただそれを、表立って使うことができない。
そういうことだった。
「ロジーヌ君」
「す、すみません」
「いや、別に謝らなくてもいいのだが」
突然名前を呼ばれ、止めていた手を動かす。オットー元締めだった。
挨拶も程々に、オットーは帝国時報の紙面を開いてみせた。
「今日発行の最新分だ」
「これって……」
まず目に留まったのは、記事中央にでかでかと載せられた写真。
灰色の騎士人形が降り立つ瞬間を捉えている。背景に映るのはどこかの広場。あの噴水には見覚えがある。これはバリアハートだ。
見出しには『アルバレア城館に騎士人形が襲来』と印字されていた。
「ア、アルバレア城館に!?」
騎神を操っている人間がリィンであることを、ロジーヌは知っていた。
経緯は一切書かれていない。目的に関しても憶測ばかりだ。その憶測というのも、反貴族勢力を前提とした考察ばかりが並んでいる。
さらにユーシスのバリアハート到着予定日とタイミングが重なっている。
単なる偶然か。いやタイミングはそうだったとしても、騎神とアルバレア家が絡んでいる以上、ユーシスが無関係ということはあり得ない。
「ユーシス様がご無事ならいいのだが……」
「大丈夫だと思います。いえ、それどころか――」
直感だが、彼はもうバリアハートにいないのでは?
根拠なく、そう思う。
きっと仲間たちが彼を迎えに行ったのだ。
実家に騎神で乗り込むのは、さすがにやり過ぎな気がしなくもなかったが――しかし彼を縛る鎖を断ち切るなら、それくらいで丁度よかったのかもしれない。
ロジーヌはくすりと頬を緩ませる。事の真相はいつか本人に直接訊いてみよう。
用事はそれだけだったようで、ロジーヌから帝国時報を返してもらうと、オットーは話題を変えた。話題というよりはいつもの雑談だ。
「ところで今日は道の掃除をしてくれているみたいだね。いつも助かるよ」
「いえ、私にはこれくらいしかできませんから」
「これは提案なんだが……君さえよければ、調薬の勉強をしてみないかい?」
オットーは急にそんなことを言った。
「調薬、ですか?」
「実は前から勧めてみようとは思っていたんだ。君は覚えが早そうだし、性格的にも合いそうだしね」
考えたこともなかった。せっかくの機会なのだから、お受けしてみようか? 何よりも“表に出せるスキル”である。
たくさんの人を助けられるし、いつか彼の役に立てるかもしれない。
「どうかな? もちろん無理にとは言わないが」
「いいえ、ぜひお願いします。私に調薬を教えて下さい」
「おお、そうか。若い頃の杵柄と言うか、ペルムが調薬法に詳しくてな。いつでも訪ねてくるといい」
「奥様が? そうだったのですか」
「私がしがない行商人の頃、路傍で足を怪我をしたことがあって。そこを通りすがったペルムが調合薬で処置してくれたのだ。まあ、それが妻との出会いだったわけだが――と、すまないね。年寄りの思い出話はやめておこう」
なぜかロジーヌは固まっていた。
「……つ、妻……」
「ロジーヌ君?」
「……少し失礼します」
「は?」
てきぱきと残りの落ち葉掃きを済ませ、手早くほうきを片付ける。呆気に取られているオットーの前まで再び戻ると、彼女は言った。
「それでは今からペルムさんにお会いしてきます」
「い、今からかね? 別にそこまで急がなくても」
「今から行きます」
優しげな相貌も柔らかな口調もそのままである。しかしおよそ修道女らしからぬ気迫を立ち昇らせて、ロジーヌは元締め宅へと歩き出していた。
☆ ☆ ☆
お付き合い頂きありがとうございます。
さて次回より休息日は二日目に入ります。
初っ端はお姉さんたちのストーリー。
タイトルは『レディーズクッキング』。さすがにガールズじゃないですものね。前作からお付き合い下さっている方は嫌な予感しかないかもしれません。
引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。