俺はどうなった。確か崖から落ちたはずだが。運よく助かるような高度ではなかった。
体が冷たい。雪の上に横たわっているのだろうか。
ずっと前にも同じことがあったような。
その時、優しい声で何かを言われた気がする。確か、切実で――悲壮とも言える、願い。そう、あれは願いだった。
――どうか、健やかに――
記憶に霞がかかっている。白いもやの向こうに見える湿った瞳。
誰だろう。
――リィン
吹雪が強くなる。遠ざかる背中。白く塗り潰されていく視界。
――リィン!
待って。行かないで。置いていかないで。
「おいリィン!」
現実の声に呼ばれ、リィンは重いまぶたを開いた。
「う……」
「よかった。気が付いたか」
誰かの肩越しに見える景色が揺れている。背負われていると分かった。
「いやー、お前さんが落ちた時はどうなることかと思ったぜ。エリゼお嬢さんは泣き出しちまうし、アルフィン殿下からは責めるような目で見られるし」
この声はトヴァルさんだ。エリゼ? アルフィン殿下? あの場に二人ともいたのか。エリゼはともかく、どうして殿下まで。
いや待て。その前に、なぜ俺は助かった。
「あのしゃべる猫――セリーヌって言ったか。崖から落ちる寸前、彼女が不思議な力をお前さんの周りに張ってくれたんだよ。その防護壁のおかげで何とかなったってわけだ」
セリーヌが助けてくれたのか。俺は色々と険のある態度をとっていたのに。
「俺だけが捜索を続ける形にして、お嬢さん達には先に町まで戻ってもらった。このまま見つからなかったら一生恨まれるとこだったぜ……」
トヴァルの息は切れていた。相当探し回ってくれたのだろう。
「魔煌兵ってやつはもう一段下の崖まで落ちたみたいだし、多分助からんだろう。もう少しでユミルだ。頑張れよ」
訊きたいことがいっぱいある。
だが、それ以上は意識がもたなかった。
「………――――」
大きな背中。温かい背中。安心できる背中。
漠然とした懐かしさを感じながら、リィンは再び瞳を閉じた。
脳裏に映像が流れていく。
自分がシュバルツァーの名前を与えられてからの記憶だった。
心配そうに自分の顔をのぞき込むエリゼがいて、優しく微笑む母さんがいて、父さんが今日からお前は私達の家族だと言ってくれた。
初めて町に出た時、ユミルの人達は俺を受け入れてくれた。色眼鏡で見ることもなく、何者とも知れない自分に笑顔を向けてくれる。
じきにエリゼも懐いてくれた。どこに行くにも後ろをついてくる。
渓谷道に二人で遊びに行ったあの日。その妹を危険に合わせた。
赤く染まる視界の中で暴走する力。魔獣を引き裂いた感覚が手に残っている。エリゼは怯えていた。自分の力を怖れた、始まりの日。
やがて《剣仙》ユン・カーファイに出会い、八葉一刀流を学ぶことになった。剣の腕を磨くと言うよりは、自分の力を制御する術を知る――その意味合いの方が強かった。
結果、出来なかった。というよりも力自体を体の奥底に押し込めて、使わないようにしていたからだ。
自分に向き合うことをしなかった。目を逸らし、伏せて、背を向けた。いつだって、それはそこにあったのに。
だから、身の内に巣食う怖れが消えることは、いつまで経ってもなかった。
ある日、ユン老師は突然に俺の修業を打ち切った。戸惑いや失意はあったが、絶望まではしなかったように思う。それは老師の人柄を知っていたから。簡単に弟子を切り捨てるような人ではない。何か理由や意味があるのだとは、おぼろげながら察していた。
あの時からだろうか。漠然と自分の道を模索し始めたのは。
時は流れ、トールズ士官学院に入学する。
特科Ⅶ組として仲間達と過ごした。特別実習先では色々な事件に巻き込まれたりもしたが、それでも日常は充実していた。
二か月近く皆で子犬の世話をした。とんでもない料理を食べさせられたりもした。二班に分かれて屋台の売り上げ勝負もしたし、帝都の地下水道で猫を探して走り回ったりもしたし、ユミルへ温泉旅行にも行った。罠だらけの学院を駆け抜けたり、全員で子供達の為に劇をやったり、トラブルだらけの運動会もあった。
そして学院祭のステージ演奏。
いつまでも続くと思っていた日常は、一発の銃声にかき消された。
俺はこれからどうすればいいのか。
過去、現在、未来。
全てが混在する夢現の狭間で声がした。砂嵐のようなノイズの向こうから届く言葉。
どうも不明瞭な声がよく頭に響く。一ヶ月も騎神の中にいた影響だろうか。
ただ、この時に限っては知らない声ではなく、確かに知っている声だった。
――あ、ちょっと待って。
誰だったか思い出せない。女性の声だ。
――今日のお礼にいい事教えてあげる。
お礼? 俺は何かをしたのか。もう少しで顔が見える。
――この先、あなた達の内、誰か一人が、
声の主は気負いもせず、当然のように言った。
――命を落とすわよ
背すじを走った悪寒に上体を跳ね起こす。かかっていた毛布がベッドの下にずれ落ちた。
「はあっ、はあ……」
背に汗が滲んでいる。今のは何だ。夢なのか。ずいぶんとはっきり聞こえた声だったが。
「……ここは」
見慣れた部屋だった。ベッドを離れて、そばの窓に近付く。窓を開けて外の景色を眺めてみた。小雪がちらつく街並み。ただよう湯気が風に乗って、町中に温泉の匂いを運んでいる。
故郷――ユミルだ。
「寒いわね。早く閉めなさいよ」
足元で丸まる黒猫が、こちらを見上げていた。
「セリーヌか」
「もう動けるの?」
「まあ、体はちょっと重いけどな」
一度深呼吸してから、ベッドに腰掛ける。安らげる場所だと体が覚えているようだった。心も落ち着いた頃合いで、改めてリィンはセリーヌを見た。
色々と状況の確認はしたい。しかしまずは、これを訊かなくては進まない。
「あの時の質問の続きをさせて欲しい」
「あの時?」
「君は何者だ」
「ああ……はいはい」
答えを聞こうとしたタイミングで、魔煌兵に襲われたのだ。
ぴょんとベッドに飛び乗ったセリーヌは、リィンの横に腰を下ろす。
「アタシはいわゆる使い魔ってやつよ」
「使い魔?」
「そう。
魔女とは帝国に伝わる伝承の一つだ。
古の妖術を受け継ぎながら、郷に紛れ込んでいるという存在。地域によって伝承は様々あるが、悪しき魔女もいれば善き魔女もいるという。
《巨いなる騎士》といい、まるでおとぎ話の世界である。
だが実際に目の前にそれが現れたのであれば、否定する理由はなかった。
「……察するに、君のご主人である委員長は魔女。そういうことでいいのか?」
「まだ新米だけどね。ちなみに別に主人ってわけじゃないわよ。アタシの方がお目付け役なんだから」
思い当たる節が無いわけでもなかった。
以前、オーロックス峡谷道で魔獣相手に負傷した時、エマはアーツとは違う力で――あの時は薬だと言っていたが――傷を癒してくれた。
ローエングリン城でも不思議な力を使っていたみたいだし、何かを知っているような素振りもあった。
「彼女に事情があることは俺達も薄々感じていたが……魔女、か」
突拍子はないが、納得はできる。
がちゃりと部屋の扉が開いた。
「あ……」
呆然とした様子のエリゼが立ち尽くしている。体を起こしているリィンを見るや、たちまちにその目を潤ませた。
「エリ――ぐっ!?」
「ふぎゃっ!」
名前を呼ぶより早く、抱き付いてくる。勢い負けして後ろに倒れて、セリーヌが腕の下敷きになった。
「良かった……本当にっ」
リィンの胸に顔をうずめ、エリゼは嗚咽混じりに何度も肩を震わせる。
「帝都があんなことになって、兄様も行方が分からなくなって! 私、私……」
「心配かけたよな。すまない。でももう大丈夫だ」
そっと頭を撫でる。
廊下側から感嘆の声が上がった。
戸口の左右からそれぞれ顔を半分だけ覗かせたアルフィンとトヴァルが、にやついた笑みを投げよこしている。
「まさかリィンさんをベッドに押し倒すなんて……エリゼったら大胆」
「まだ昼前だってのに。お兄さん、照れちまうぜ」
「姫様っ!? トヴァルさんまで!」
赤面するエリゼ。
「邪魔して悪かったな。昼食にはちと早いが食事の用意が出来てる。食えそうか?」
食欲は……ある。腹が減っていた。
「ええ、何か食べたいです」
アルフィンが嬉しそうに手を合わす。
「ふふ、きっとおばさまも喜びますわ。それよりもエリゼ。いつまでそうしているの?」
リィンに乗り掛かったままのエリゼは、ようやく自分の体勢に気が付いたようだった。
「ご、ごめんなさい兄様! すぐにどきますから」
わたわたと焦るエリゼ。
「それはアタシからもお願いしたいわね……」
兄妹の下に組み敷かれたセリーヌは、いかにも気だるげにそう言った。
● ● ●
テオとルシア、そしてエリゼ。そこにトヴァルとアルフィンを交え、六人で食卓を囲む。
久方ぶりの母親の手料理は心に染みるものがあった。
「せっかくですから郷の人達に顔を見せてきたらどうですか? ずっとみんな、あなたを心配していたのですよ」
食事の終わり頃、ルシアはそんな事を言った。
みんなが俺を心配して。そうだったのか。
「分かりました、母さん」
全員が食事を終え、その場は解散となる。
リィンは午後から町を回ることにした。
支度を整えて玄関に向かう途中、いい香りが鼻先をくすぐった。キッチンからだ。何気なく覗いてみると、ルシアの後ろ姿と、ぐつぐつと湯気を上らせる大鍋が目に入る。
「いい匂いですね。これってもしかして……」
振り返ったルシアが柔和な笑顔を見せた。
「ええ、あなたの好きなキジ肉のシチューですよ」
よく見れば、それ以外の料理もかなり気合が入っている。どれも自分の好物だ。
「皇女殿下もいらっしゃって、賑やかで何だか娘が一人増えたようです。トヴァルさんも町の手伝いをして下さいますし。私としてもここが頑張りどころでしょう」
戦禍がユミルまで及んでいないといっても、この情勢で不安はあるはずなのに、それを一切見せない明るい声。
母さんは温かい。優しい。そして、強い。
どうしてこうも惑わずに、自分の役目を見失わないでいられるのだろう。
俺は、どうして惑ってしまうのだろう。
「俺も……息子として見習えたらよかったんですが」
「リィン」
ルシアはリィンを抱きしめた。
息子が何を言いたいのか、何を悩んでいるのか、その一言だけで分かったようだった。
「心配でしたよ、ずっと。あなた達の安否が分かるまで。でも、私は二人の無事を信じていたから――」
抱きしめる力が強くなった。
「だから、あなた達の母親でいられたんです」
鼓動が伝わってくる。
「母さん……」
「ここはあなた達が帰ってくる場所。人は誰だって一人で歩き続けられるほど強くはありません。疲れたらいつでも戻って来なさい。少し休んでから、また歩き出せばいいんです」
止まりさえしなければ、いつかは必ず目的地に辿り着けると、ルシアはそう言った。
「そうでしょう、あなた」
「うむ」
いつの間にか、テオがキッチンの入口に立っていた。
「全てルシアが言った通りだ。それ以上私から言う事はない。さあ、元気なところを皆に見せてきなさい」
「父さん、母さん……ありがとうございます」
この人達の子供で――子供と呼んでもらえて本当によかった。
気分を新たに玄関を出ようとした時、テオに呼び止められる。
「何ですか? 父さん」
「うむ。今日の夕飯はキジ肉のシチューとは聞いたな」
「ええ」
咳払いをしてから、テオは言った。
「あのキジは私が仕留めたのだ」
「え? あ、はい。え?」
「それだけだ。行ってくるがいい」
テオは踵を返し、書斎へと戻っていく。
全てを妻が伝えたとはいえ、それでも何かを言わねばならない父親の性だった。
冷えた空気が頬を撫でていく。澄んだ山間の風は以前と変わらなかった。
玄関を出て一番に出迎えてくれたのは、シュバルツァー家の猟犬、バドだ。
嬉しげにじゃれてくるバドを一通り撫でてやってから、リィンは町中に視線を巡らした。積もる雪はまだ薄い。
とりあえず少し歩いてみることにした。
「貴族連合に帝都が占領されてから大体一か月……か」
先ほどの食事時の話を思い出す。自分が意識を失っている間の状況は大まかに理解できた。
帝国全土の主要都市は帝都と同様に占領されているらしい。各地に配備されていた正規軍もことごとく退けられたとのことだ。
アルフィン皇女とエリゼを安全な場所まで逃がすようトヴァルに依頼したのはオリヴァルト皇子。しかし当の本人は行方知れずとなり、ユーゲント皇帝、プリシラ皇妃、セドリック皇太子は“保護”という名目で貴族連合によって軟禁状態にあるという。
そして、トリスタ及びトールズ士官学院も完全に占拠された。
学院勢は最後の最後まで激しく抵抗していたそうだが。
「……みんな無事だといいが」
唯一望みを持てる情報といえば、かなりの数の学院関係者が行方不明になっていることか。上手く逃げ遂せている可能性もあるのだ。
少なくともエマが無事ということは、セリーヌを介して知ることができた。何でも使い魔と魔女は繋がっていて、安否程度ならお互いに分かるそうだ。
「あ、リィンさん! もう体は大丈夫なんですか」
「心配した、の」
子供達が走ってきた。
「アルフにキキ。元気だったか?」
男の子がアルフ。女の子がキキだ。
「よかったあ。僕、リィンさんに何かあったらどうしようかと……」
「アルフは浮わつき過ぎなの。そわそわしてて情けない、の」
アルフのどこか気弱なところも、キキの辛辣ぶりも変わっていない。
二人と話していると、
「リィンじゃないか! おーいリサ姉、リィン出て来てるよ」
幼馴染で、今は駅員として働いているラックが駆け寄ってきた。ラックに呼ばれて、教会の玄関口を掃除していたシスターもやってくる。日曜学校では年長だったリサだ。
「ああ、本当に無事でよかった」
「リサ姉。わっ?」
安堵の表情で、リサはリィンを抱きしめた。
騒ぎは広がり――
「リィン坊ちゃんが?」
「元気になっただか?」
「だから心配いらねえって言ってただろうが」
雑貨屋からはライオとカミラの夫婦が。宿酒場からは店主のジェラルドと、昼間から飲んでいたらしいモリッツが。
他にも喧騒を聞きつけた人々があちらこちらから集まってきて、辺りにちょっとした人だかりができた。
痛いところはないのか。飯は食べられたのか。休んでなくていいのか。畳みかけるような質問が矢のように飛んでくる。収拾がつかない。何だか大変なことになってきている。
「まあまあ、皆さん落ち着いて下さいよ」
助け船を出したのは、トヴァルだった。
「まだ体調も戻り切ってないようですし、リィンのペースで回らせてやってくれませんか」
エリゼ達を護衛してきたからか、町の手伝いを買って出ているからか、この一ヶ月の間でそれなりの信頼関係を築けているらしく、「トヴァルさんの言う通りだな」「まあ、元気な顔は見れたしな」などの声が上がり始め、その場は次第に収まっていく。
まばらに散っていく人々を見やりながら、リィンはトヴァルに礼を言った。
「いいってことよ。しかしリィン、町の人達から慕われてるんだな」
「そうでしょうか」
あまり意識したことがなかった。
「人に好かれるのも資質の一つだ。そういえばお前さんの周りには自然と人が集まるよな」
「自分ではよく分かりませんが……」
「はは。将来いい領主になると思うぜ」
一瞬、言葉に詰まる。その反応を敏く読み取ったトヴァルは「悪い。軽く触れる話じゃなかったな」と鼻柱をかいた。
「いえ。俺は気にしていませんから、トヴァルさんも気にしないで下さい」
実際、昔ほど気にはしていない。もちろん、思うところはあるが。
「ああ。そういえば」
トヴァルは話題を変えた。
「ここの温泉いいよな。鳳翼館だったか」
「ええ、温泉郷としての象徴みたいなものですし」
「入ってきたらどうだ。俺もあとで行こうと思ってる。心と身体を休めることも大事なことだ。この先どう進むべきか――お前さん自身がどうしたいか、考えをまとめるといい。なんなら相談にも乗るぜ」
迷う心中を慮り、トヴァルなりに気遣ってくれているのだと分かる。
「トヴァルさん、その……ありがとうございます」
「人生の先輩からのささやかなアドバイスってやつだ」
去り際、「じゃあ、また後でな」とトヴァルは気さくな態度でウインクをして見せる。
頼りがいのある人だ。もし兄さんがいたら、こんな感じなのかもしれない。
取り留めもなくそんな事を思う。
「ん?」
トヴァルと別れて歩き出そうとした時、教会の中に入っていくアルフィンが見えた。
憂い、想う。
アルフィンは両の手を組み合わせ、ただ一心に祈りをささげていた。今の自分にはそれしか出来なかった。
思い返すはあの日。帝都が占領されたあの日の朝のことだ。
弟――セドリックとケンカをした。些細な姉弟ケンカ。珍しいことではない。いつものことで、口での言い合いになれば、自分が勝つのもいつものこと。
ケンカの理由はなんだったか。
確か、そう。セドリックにもう少し帝国男子らしく毅然としなさい。そんなことを冗談半分で言ったことからだった。
気にしていた部分だったのか、珍しく強い口調でセドリックが言い返してきた。アルフィンこそもっと慎ましくしたらどうだとか、少しはエリゼさんを見習ったらどうだとか。
エリゼはエリゼ。私は私。親友を引き合いに出されて、ちょっとだけムッとなった。
セドリックなんてもう知らない。
僕だってアルフィンなんか知らないよ。
お互い背中を向けて話を打ち切って、その後は顔を合わすこともなく、聖アストライア女学院へと登校する。
そしてそれが、セドリックと交わした最後の会話になってしまった。
「……なんで」
なんであんなことを言ってしまったんだろう。
女学院でエリゼにその事を話したら、姫様から謝った方がいいと思います、なんて言われた。こういう時、エリゼはあまり私の肩を持ってくれない。
口を尖らせはしたものの、こちらから余計なことを言ったという自覚はあったので、帰ったら謝ろうと思っていた。
双子だからか何となく分かるけど、セドリックも同じようなことを考えていて、多分自分と同じタイミングで謝ってくる。
それで終わり。あとは笑って仲直り。
そのはずだったのに。
「アルフィン殿下」
後ろから名を呼ばれた。声の主は分かる。硬くなっていた表情を申し訳程度に取り繕って、アルフィンは振り返った。
「あ、リィンさん。あら、だいぶ顔色もよくなったようですね」
「ええ、おかげさまで。殿下は何かご不便はありませんか? とにかく辺鄙な所ですから」
申し訳なさそうにリィンは言う。
「とんでもないですわ。素晴らしい温泉に風情ある雪景色。ルシアおばさまの手料理も絶品ですし、何一つ不自由はありませんよ」
「そうでしたか。ですが――」
心を見透かすような目が、自分の瞳の奥を捉えてくる。
ああ、いけない。もっと笑顔を見せないと。もっと明るい声を出さないと。
「思いがけないところでリィンさんとも会えましたし、セリーヌさんなんていう喋る猫さんともお知り合いになれました」
「殿下」
「リィンさんが乗ったという《灰色の騎士》にも会いたいんですけれど、今は眠っているんでしたよね? いつ目を覚ましてくれるのかしら」
心を隠す程に、言葉が溢れてくる。自分の意志で発しているのに、まるで自分の言葉ではないような空々しさ。
歩み寄ってきたリィンは、何も言わずに見つめてくる。案じるような、優しい瞳。
彼だって辛いはずなのに、どうしてそんなに温かい目ができるのだろう。
もうだめだった。抑えていたものが、留めていたものが、せき止めきれなくなった。
「すみません……ごめんなさい」
リィンの胸に顔をうずめ、アルフィンは泣いた。
幼いながら皇族として学んできた立ち振る舞いとその心持ち。心乱してはならない。民の前に立つ者として、帝国の象徴たる者として、態度に不安を滲ませてはならない。そう教えられてきたのに。
アルフィン・ライゼ・アルノール。
アルノールを冠する、皇族の証たる己の名。
その名のなんと無力なことか。
「俺が力になります」
虚を突かれたように顔を離し、アルフィンはリィンを見る。何かを成したくとも、力が及ばない苦しさを知っている――彼は自分と同じ苦しみを知っていると直感した。
「俺だけじゃない。エリゼも、父も母も、トヴァルさんや郷のみんなも、きっと殿下の力になりますから」
安心させる為でも、なだめつかせる為でもない。この人は本心からそう言っている。
「……もう大丈夫です。ありがとうございます」
照れ隠し混じりで続ける。
「その、わたくしよりもエリゼに優しくしてあげないと。せっかくの再開ですし、あまり独り占めしては悪いですし」
本気半分、冗談半分だ。
首をひねったリィンは、「心配させてしまったみたいですし、後で機嫌でもとっておきますよ」と軽く笑った。
「………」
そういう意味じゃないんだけど。これを天然でやるのだから、リィンさんは色々とずるい。
「もう! もうっ!」
ポクポクとリィンの胸を叩く。
「な、なんですか?」
「やっぱりわたくしもリィン兄様と呼ばせて下さいっ!」
本気七割、冗談三割だ。
少し話をした後、今から温泉に行くと言ってリィンは礼拝堂から出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、アルフィンは《ARCUS》を取り出した。
「あ、エリゼ? いい事教えてあげる。今からリィンさんが――」
この名を持つからこそ、出来ることがあるはずだ。それを探していこう。支えてくれる人達と一緒に。そしていつか、必ずセドリックと仲直りの続きをするのだ。
その第一歩はコレにしちゃおう。
なんだろう。この数分にも満たない会話で自分らしさが戻ってきた気がする。
「これはエリゼお嬢様。ようこそおいで下さいました」
鳳翼館。受付カウンターで事務仕事をしていたバギンス支配人は、扉を開けたエリゼを見るなり、深く頭を下げた。
「こんにちは、バギンスさん。今、露天の方は空いていますか?」
「ちょうど若がお一人で入っておられますが」
もちろん知っている。アルフィンから連絡があったからだ。ちなみにバギンスはリィンを若と呼ぶ。
「そうですか。では私も入らせて頂きます」
「お、お嬢様?」
「露天風呂は混浴でしょう。問題ありません。それに兄妹です。なおさら問題ありません」
「客足も少なかったので若にはお一人で入浴して頂いております。落ち着いて考え事もしたいと仰っておられましたし、ですので――」
「ですので?」
「うっ……」
妙な凄みに気圧されているバギンスに、エリゼは静かに重ねる。
「兄の背中を流すのは妹の務めです」
「そ、それはどうなのでしょうな……。ちなみにそれでもお通しできませんと申し上げたら、ご納得はして頂けるのでしょうか」
「………」
「ご案内致します」
無言の非難。抗えない相手と再認識し、バギンスは露天風呂への通路を指し示した。
板目調の床の上を歩き、女性用脱衣室へ。女鹿の刺繍が施された赤い
「あら、エリゼお嬢様?」
「営業時間にはちょっと早いけど」
先客ではなく従業員。慇懃な一礼で迎えてくれたのがパープル。手を止めずにタオルの片付けがてら声をかけてきたのがメイプル。雰囲気通りではあるが、パープルが先輩でメイプルが後輩だ。ちなみに郷では“プルプル姉妹”などと呼ばれている。
それが彼女達の耳に入った際、『私はパープル姉さんみたいにプルプルしてないけど!』などと放ったメイプルの一言によって、郷の男性陣達に物議を醸したらしいが――それはともかく。
「ごめんなさい。バギンスさんに少し無理を言ったんです」
顔を見合わせるパープルとメイプル。心得たと言わんばかりに、手早く二人は引き上げの準備を始めた。異常なまでにテキパキしている。
「あ、あの。そんなに急がなくてもいいですから」
「いえ、お嬢様。私共はすぐに出ていきますので」
「どうぞ、ごゆっくりー」
物の一分足らずで二人は出ていってしまう。
「えっと……うん」
兄がいるであろう露天風呂の入口に視線を移し、とりあえずエリゼは気合いを入れた。
煙る湯気の中、リィンは大きく息を吐く。
湯に肩まで浸かり、足を伸ばす。この開放感。溜まっていた疲れが芯から溶け出していくかのようだった。
「ふう」
落ち着いてきた心と頭で、今一度考える。
これからどうすべきかを。
一か月前、騎神の中でクロウと対峙した時。
――俺達と過ごした時間も、トワ会長やジョルジュ先輩、アンゼリカ先輩と過ごした時間も、あの学院祭でのステージも全部嘘だったのか。
その問いにクロウはただ一言、こう答えた。
――ああ、そうだ。
「……クロウ」
問いただしたかった。本当にそうなのか。だけど、ろくな会話さえ出来ずに、あのオルディーネという騎神に打ち負かされた。今なら分かるが、クロウは全力を出していなかった。それなのに圧倒された。
挙句、仲間を置いて自分だけが逃げ延びることになってしまった。
あの場で踏み止まれていたら、何かが変わっていたかもしれないのに。
想いも、力も、届かなかったのだ。
だから失くしてしまった。居場所、仲間、進むべき道さえも。
「兄様」
扉が開く音がして、湯着をまとったエリゼが浴場に入ってくる。
「エ、エリゼ?」
「失礼します」
呆けるリィンをよそに、エリゼはしずしずと歩み寄ってきた。
「どうしたんだ、一体?」
「色々とお疲れの様子ですし、せめてお背中でも流そうかと思いまして」
「いやいや、子供の頃は一緒に入ったりもしたけど、さすがに今は……」
「家族なんですから普通です」
力説するエリゼ。
「でもな――」
「普通です!」
力の入った両拳。もう普通と認める以外の道はなかった。
兄妹二人、背中合わせで湯に浸かる。
「いい湯加減だな。エリゼはよく入りに来ていたのか?」
「内湯なら時々。でも露天風呂は久しぶりですね」
やはり気恥ずかしさがあった。他愛ない会話で場を繋ごうとするも、どうにもぎこちない。
少しの沈黙のあと、
「すまない」
ふとリィンが言う。
「お前にここまで気を遣わせてしまって」
「兄様、私は別に――」
傷心が隠せていなかったのか。それで少しでも気を紛らわそうとしてくれているのだろう。
アルフィン殿下の力になるなどと大層に言っておいて、肝心の俺がこんな様では――。
自嘲にも似た感情が込み上がってくる。
「だけど俺は、俺には……」
シュバルツァー家の養子になった時。ユン老師の下で剣の道を学んでいた時。一か月前に仲間達が自分を逃がしてくれた時。
いつだってそうだった。
与えてもらうばかりで、何も返せていない。だから……
「気遣われることも、優しくしてもらうことも。その資格が、俺にはない」
かつてパトリックに言われた“出自も知れぬ浮浪児”――その言葉が鉛となって、虚ろなこの身にのしかかる。
最初から間違っていたのだろうか。
こんなことになるんだったら。みんなを巻き込むぐらいだったら。
「こんなことなら、士官学院に入らなければ――」
「兄様」
取り返しのつかない言葉を、エリゼが遮った。
「その先は言ってはだめです」
強い眼差し。怒っているようだった。
「大切だからです。優しくすることにそれ以上の理由なんてありません。私だって、父様も、母様も、ユン老師も、Ⅶ組の皆さんだってきっと……!」
エリゼはリィンの手をそっと握る。
優しい手だった。どこか母さんにも似ている。
「ここに来るまでに、郷のみんなが心配して駆け寄ってきてくれたでしょう。逆にみんなに何かあれば、兄様は自分の事を置いてでもその人に駆け寄るんでしょう」
「………」
「資格がないだなんて、そんなこと言わないで下さい。兄様はそんなにも大切な人たちの事を想っているのに――」
真っ直ぐな視線を注ぎ、エリゼは言う。
「どうしてそれと同じくらい、兄様を想っている人達がいると気付かないんですか」
「あ……」
最後に見た仲間たちの顔がよぎる。
暗い表情など、誰一人していない。せめてお前だけでも逃げろ――そんな悲壮感でもなかった。
一縷の希望を託して、再会できることを信じていたのだ。
「……みんな」
もしあの時、自分と誰かと立場が入れ替わっていたらどうしていた?
例えば騎神に乗っていたのがユーシスだったら? ガイウスだったら? マキアスだったら? エリオットだったら?
他の誰であっても同じことだ。
きっと俺はみんなと同じ気持ちで、同じことをしただろう。再会を信じて、あの場に残り、全力で戦い抜いたに違いない。
「ああ、そうか」
俺が仲間を信じるように、仲間も俺を信じてくれていた。
自分が信じていなかったのは、他ならぬ自分自身だ。
迷っても、悩んでも、焦ってもいい。歩き続けることにこそ、意味がある。目的が同じなら、いつか必ず道が交わる。歩みを止めなければ、やがてはそこにたどり着ける。
これはルシアにも言われたことだった。
「やっぱり、母さんに似てきたよな」
「え?」
「いや、何でもない。肚を括れた気がするよ。ありがとう、エリゼ」
いつも近くで助けてもらってきた自慢の妹。俺もいつかエリゼにとっての自慢の兄になれるだろうか。
「私はいつだって兄様の力になります。たとえそばにいなくても、離れていても。必ず」
エリゼは笑って、そう言った。
「一件落着ですね」
「邪魔するわよ」
湯着に身を包んだアルフィンと、その腕に抱えられたセリーヌがやってきた。
どうやら出てくるタイミングを図っていたらしい。もう少し慎んで欲しいというリィンに構わず、アルフィンは桶を二つ持ってきた。
「固いことは言いっこなしですわ。エリゼ、髪を洗うのを手伝ってもらえないかしら。もちろんリィンさんでも構わないんですけど」
「私がやりますから!」
エリゼがアルフィンから桶を受け取った時、がららっと勢いよく男性更衣室側の扉が開く。
「よう、リィンいるか? お前さんの悩み、このお兄さんが聞いて――」
『きゃあああ!?』
陽気に浴場に踏み入ってきたトヴァルの顔面に、二つの桶が直撃した。
「いってて」
あごをさするトヴァルの背をリィンが流す。
「なんでお前さんはよくて、俺はダメなんだ……」
「急で驚いただけみたいで。条件反射みたいなものらしいです」
「なんだそりゃ……」
すでに何事もなかったかのように、アルフィンとエリゼは楽しげに湯の中で戯れている。一方、リィンとトヴァルは男だけの洗身タイムだ。
そこにセリーヌが近付いてきた。
「ん? どうした、セリーヌ」
手を止めてリィンが尋ねると「えっと……」と少し言い淀んでから、セリーヌは意を決したように再び口を開いた。
「悪かったわね」
「何がだ?」
「今までの色々よ。アタシ、人間の機微っていうのに疎くてね。その、色々と無神経なことを言った……かもしれないわ」
エマにもよく怒られるんだけど、と付け加えてセリーヌは罰悪そうに尻尾を垂らした。
「いや……こちらこそ八つ当たり半分で悪態をついたと思っている。それに崖から落ちた時、セリーヌが助けてくれたんだよな」
「えっ? ま、まあ、そうだけど」
「助かったよ。これでお互い水に――いや湯に流さないか」
「アンタってやっぱり変な奴ね」
「そうか?」
「そうよ」
ともあれ和解である。トヴァルが横から口を挟んだ。
「はは。仲直りできて何よりだな。セリーヌも素直じゃないっていうか、リィンが屋敷で眠ってる間は心配でずっとそばに付いてたくせに――」
「うるさいわよ! 余計なこと言わないで!」
そのやり取りを見て、リィンはアリサを思い出した。反応がセリーヌとどことなく似ている気がするのだ。
彼女も無事でいてくれればいいのだが。
「そういえば猫の姿とはいえ、使い魔って風呂とか入るのか?」
トヴァルがそんなことを訊いた。
「実体はあるからね。これでも毛並には気を遣ってるのよ」
「ふーん。服を着てるわけでもないし大変そうだよな」
「い、いやらしい目で見てるんじゃないわよ!」
「見てないぞ!?」
フシャッと鳴いて爪の一閃。慌ててトヴァルは飛び退がる。
悲劇が起きた。
セリーヌの爪が、腰に巻いたトヴァルの湯着に引っ掛かったのだ。運悪く留め具が外れる。はらりと落ち行く白い防壁。
まずい。視界の中、スローモーションではだけていく腰布。一秒が引き伸ばされる感覚の中、リィンは判断を迫られた。
刹那の内に視線を振る。代わりになりそうなタオルはない。桶は離れた所に置いていて、すぐに手が届かない。近くには一五歳の少女たち。こちらを振り向かれたら諸々アウトだ。
どうすればいい。このままではお兄さんのお兄さんが。隠せるもの。何でもいい。
それは咄嗟の選択だった。
「くっ!」
「フニャッ!?」
セリーヌを掴み上げ、その黒い毛並をトヴァルの一点に掲げる。
「……不可抗力なんだ」
「アンタ、それ言えば許されると思ってるわけ?」
殺気を湛えた鋭い猫目から、リィンは目を逸らし続ける。動くに動けず、トヴァルは仁王立ちのまま静止している。
乾いた風が吹き抜ける。立て掛けてあった桶がカラカラと転がっていった。
「……真面目な話をしてもいいか……?」
消沈した様子のトヴァルは、引っかき傷が刻まれた顔をリィンに向けた。「ええ、どうぞ」と答えたリィンの顔にも同じ引っかき傷がある。ちなみにセリーヌはエリゼ達のそばに行っており、当然だが戻ってくる様子はない。
「昨日、お前さんを探しにアイゼンガルド連峰に行っただろ。結果としてビンゴだったわけだが……」
「それは俺も気になっていました。一体どうしてあのタイミングで?」
トヴァルは不可解そうに首をひねった。
「エリゼお嬢さんの《ARCUS》に通信があったんだ。通信相手は不明。一方的にリィンの居場所を告げたら、そのまま通信を切っちまったらしい」
確かにおかしな話だった。仲間なら名乗るだろうし、場所まで分かっているなら直接助けに来そうなものだ。逆に敵なら灰の騎神をそのままにはしない。というより、そもそもエリゼに連絡する必要がない。
「心当たりはあるか?」
「……いえ」
首を横に振るしかなかった。該当する人物は思い当たらない。
味方でもなく、敵でもない、誰か。
そんな相手なんて――
その時、咆哮が轟いた。
腹の底まで響くような、くぐもった雄叫びが水面を波立たせる。
「な、なんだ!?」
「今の声は……!」
「静かに! 感知してみるから」
セリーヌが全身の毛を逆立てた。
「この霊力……あの魔煌兵よ! 渓谷道からこっちに移動してる――ってちょっと待って、この位置……」
表情を強張らせたセリーヌは戸口に向かって駆け出した。
「アンタ達、すぐにここを出るわよ。急いで!」
「感じるのか? あいつは今どこにいるんだ」
「もうそこまで来てる。郷に入ってくるわ!」
鳳翼館を飛び出したリィン達が目にしたものは、すでにユミルの町に足を踏み入れた魔煌兵、オルトヘイムの姿だった。
オルトヘイムはしきりに首を巡らしながら、何かを探すような素振りで歩き回っている。
渓谷道側の門は破壊されているが、今のところ家屋に被害は出ていない。
混乱の中、郷の人々が逃げ惑っていた。
「そこにいたか。姿が見えないから探したぞ」
剣を携えたテオが息を切らして走ってきた。
「父さん、郷のみんなは!?」
「ルシアが逃げるよう声を掛けている最中だ。あれが話にあった魔煌兵とやらか?」
「そう。多分リィンを探してここまで追ってきたんだわ」
セリーヌが横合いから口を挟み、トヴァルが舌打ちする。
「崖に落とすだけじゃ甘かったか。閣下、避難の状況は?」
「ケーブルカーでは全員が逃げられんからな。渓谷とは反対側の山道に移動している。まだ七割程度といったところだが。この情勢下では助けも呼べん。退避が済みし次第、郷の男達であれを迎撃する算段だ」
テオはそう言うが、おそらく何人束になっても敵わないだろう。銃や剣では足止めにはなっても、決定打にはならない。それは一度オルトヘイムとの戦闘を経験しているリィンが一番理解していた。
もっと力がいる。襲い来る脅威に、理不尽な力に打ち負けない為の、強大な力が。
「父さんはみんなの安全確保に専念して下さい。あいつはこちらで何とかします」
「しかし――……いや、分かった。だが無茶だけはするな。私もすぐに戻ってくる」
リィンの声音には迷いがなかった。この数時間の内に変わった何か。
息子の背に浮かぶ決意を感じ、テオはその場を預けることにした。
山道側へ走るテオを視界の端に入れながら、リィンは言う。
「エリゼは殿下を連れて避難してくれ。トヴァルさんは父さんと一緒にみんなの誘導と護衛をお願いします」
「まさか一人で……? 兄様、それはできません!」
「そうです、援護くらいはわたくしにも出来ます」
「連携を取れば動きくらいは封じられる。逸るんじゃない」
反対する三人に「大丈夫」と静かに告げ、リィンはセリーヌを一瞥した。
セリーヌは意を察した。
「呼ぶのね?」
「ああ」
リィンは握った拳を空へと掲げた。
辺りの大気が逆巻き始める。
その異様にオルトヘイムが気付いた。咆哮を上げて向かってくる。
「一つ言っておくわ。アンタが今から行使する力は『時に災厄を退けて人々を守り、時に全てを破壊し、支配するもの』と伝えられている。その言葉は常に頭に留めておきなさい」
「……わかった」
力を使う意味。力を持つ責任。
もう逃げてはいられない。目を背けてはいられない。向き合うべき、己の問題。
今度こそ俺は、この手で道を切り拓く。
「来い――」
胸のあざ、そのさらに奥で焔が揺らぐ。生まれた熱が押し拡がり、覚悟を決めた心を燃やす。
身体から溢れ出る力を声に変えて、リィンはその名を叫んだ。
「《灰の騎神》――ヴァリマール!」
早くも三話となりました。加速するお兄さんの不幸。
今作ではメイン、サブ、敵含め、ほとんどのキャラクターにそれぞれのテーマを割り振っています
その中で出てきた『剣の問い』と『死の予言』は、後々ストーリーの中核に絡んでくるワードです。
それはそうとして、呼んで応じてくれるロボットはロマンですな。ヴァリマール、何かと合体しないかな。リィンと二人で『騎神合体!』とか叫んだりしながら。
次回『Awakening』
またお付き合い頂ければ幸いです。