虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第26話 Choice in right and left

「よくも……よくもやってくれましたわね」

 迎賓室に怒気が膨れ上がる。ラウラは相手がどうして怒っているのか分からなかった。なぜ自分がアルゼイドの者だとばれたのかも。

 メイドの演技も忘れて、とりあえず思ったままのことを口に出す。食事についてだ。

「いや、そなたが急いで食べたから、むせ込んだのであろう?」

「んなっ!?」

 ぷっつーん、と何かが切れる音。乾いた笑みをもらし、彼女はゆらりとラウラに向き直った。

「これだから。これだからアルゼイドは……ふ、ふふ」

「……そなたは何者だ?」

 アルゼイドの名を出したことといい、挙動の一つ一つに妙に隙がなかったり、ただの来館者ではなさそうだ。

 隠すつもりもないらしく、思いのほかあっさりと彼女は名乗った。

「わたくしはデュバリィ。《身喰らう蛇》が第七使徒、《鋼の聖女》に仕えし鉄機隊――その筆頭隊士を務める者ですわ」

「結社の!?」

 再会の折にリィンから聞いている。あのブルブランをはじめ、《身喰らう蛇》が協力者として貴族連合に組していると。故にアルバレアの屋敷にいること自体は不自然ではない。しかしよりによってこのタイミングでとは。

 ――待て、おかしい。たとえ結社だとしても、私を知っている理由にはならないはずだが。

 鋼の聖女。鉄機隊。他に気にかかる言葉もあったが、それ以上の質問をする時間はなかった。

 デュバリィが光を纏う。顕現されていく具足、籠手、胸当て、額兜。最後に現れた身の丈ほどもある大剣をぶんと振り回し、その切先をラウラに突きつける。

「この地に足を運んだのはクロイツェン州の状況確認、そして“紅き翼”の情報収集。トールズの連中のことは気に留めておく程度でしたが、顔を合わした以上、見逃すことはできませんわね。それがアルゼイドの者ならなおの事」

 剣先から放たれる圧。この女の実力は本物だ。ラウラは腰を落として身構える。

「数日前はレグラムにいたくせに。どうせ何かを企んでここに来たのでしょう。ふん捕まえて、公爵に突き出してやりますわ。さあ、あなたも剣を抜きなさい!」

「それがだな……」

「今さら臆したとでも? まあ、このわたくしと対峙しているのですから、それが当然の反応ですが」

「困ったことに……」

「ふふ、困りましたか? 泣いて謝るのなら許してあげてもいいですけど? 許して欲しいですか? 許して欲しいですわよね? ふふ……あーはははっ! でえも許してあげませんわあっ!」

 勝ち誇った高笑いをあげるデュバリィ。ラウラは申し訳なさそうに言った。

「今は剣を持っていないのだが」

「そうでしょう、そうでしょう。剣など持っているはずが――は?」

 ぴたりと哄笑が止まる。予想外の返答だったらしく、目を丸くするデュバリィ。

 潜入作戦の真っ最中なのだ。加えて自分の得物は大剣。どこの世界に大剣を担いで歩くメイドがいるというのか。

 武器は敷地に入る前に、近くの目立たない茂みに隠してきた。アリサの弓も同様である。自分の武器を携帯しているのは、収納の容易なシャロンだけだ。

「剣を手放すとは、それでも剣士の端くれですか!?」

「そう言われてもな。無いものは無いのだ」

「く、くううう!」

 掲げた剣先が所在なさげに宙を揺れる。彼女もまた剣士。素手の相手に切りかかってくるようなことはしなかった。

「だったらこれでも持ってなさい!」

 配膳台車にかかっていたレードルをひっ掴むと、それをラウラに突き渡した。レードル、つまりおたまである。

「……どうしたらいいのだ、私は」

「剣の代わりです。あなたなんか、おたまでも振ってればいいのです」

 とりあえず受け取るラウラ。

「これでそなたと戦えばいいのか?」

「見くびらないで下さい! おたま相手に剣で戦うわけないでしょう!?」

 ぷんすかと怒って、デュバリィは台車にかかっていたもう一本のレードルを引き抜いた。

「これで条件は同じ! 心置きなく戦えますわ。そもそもあなた程度の剣士を負かすくらい、最初からおたまで十分なのです」

 どうも相手はハンデのある状態で勝つのが嫌らしい。こちらを屈服させるのが目的なのだろうか。

 デュバリィの意図は分からなかったが、素手対大剣を強いられるよりは遥かにマシだ。ラウラはおたまを剣よろしく構えてみせる。同様にデュバリィもおたまを構えた。

 双方真剣そのものだが、なんというか間抜けな絵面だった。

「ふん、覚悟なさいな。アルゼイドの娘」

「やるからには負けるつもりはない。それに私は他にすべきこともある」

「な、生意気な!」

 なぜこんなに敵視されているのかも不明だったが、この期に及んで避けられる立ち合いでもなさそうだ。

 幸いというべきか、デュバリィにしか自分の素性は割れていない。ちらりと壁掛け時計を見る。シャロンが指定した脱出時間まで、あと四十分。

 それまでにこの部屋の中で、彼女を無力化する必要がある。いや、リィンたちを探す時間を考えれば、もっと早くにだ。

 かなりの手練れのようだが、やれるだろうか? というかおたまで。

「っ!?」

 時計を見て、デュバリィに視線を戻すまで、およそ一秒弱。しかし、その間に相手は床を蹴っていた。

 電撃的な初速。眼前に迫ったおたまを打ち払い、ラウラは後ろに飛び退いた。

「対峙中に気を逸らすとは、素人ですか!」

「くっ」

 身のこなしが早い。速度で攻めてくるタイプだ。こちらの決定打が当てにくい。

 おたまを横に薙ぎ、間合いを確保。当たり前だが、大剣に比べて圧倒的にリーチが短い。

 普段の感覚が狂うが、それはデュバリィも同じらしく「あっ、このっ!」と目測を見誤った空振りを何度かしていた。

 ソファーを踏み台にして、デュバリィが跳躍。縦一閃のおたまをかわし、ラウラは反撃を繰り出す。

 がつんと衝撃。手ごたえはあったが、自分のおたまは相手の体に届いていなかった。

 どさくさに紛れて手にしていた鍋のふたを盾のように使い、デュバリィはラウラの攻撃を防いだのだ。

「せいっ!」

 鍋のふたごと体当たりをされた。体重の乗った当身にラウラは吹き飛ばされる。

 背後の扉に背中からぶつかった。体勢を戻す間もなく、二回目の体当たりを続け様に受ける。蝶番が弾け飛び、傾く扉が開いた。そのまま勢いに押し切られ、ラウラは部屋の外に飛び出してしまう。

「しまった!」

「逃がしませんわよ!」

 高そうな壺を蹴り飛ばしたり、高そうな絵画を盾にしたり、高そうなクロスを切り裂いたり。絨毯敷の回廊を駆け回りながら、おたまの応酬は続く。この時点で被害総額は、すでに計り知れない。

 通路にいた使用人たちが慌てふためいている。完全に騒ぎになってしまった。

 

 ● ● ●

 

「俺はお前たちと同行するつもりはない」

 ここに至る話をあらかた聞き終えたユーシスは、一言そう告げた。

 その答えをリィンは意外に思わなかった。そうなる可能性も考えなかったわけではないからだ。

 レグラムを離れて、バリアハートでアルバレア家の領地運営を手伝う。ユーシスのこと、悩みに悩んだ上での決断だったのだろう。

 自分の言葉一つで、彼の気持ちは覆せない。

「個人として俺にできることは少ない。だがアルバレアの者としてなら話は違う」

「それはそうかもしれない。けどそれは――」

「一個人にできるか?」

 リィンの言葉を制して、ユーシスは続けた。

「税収で苦しむ人たちの窮状を変えることが。彼らの声を受けて、領主に働きかけることが――」

 彼はかぶりを振った。そして自嘲気味に言う。

「いや、それは俺にもできなかった。期待に応えることができなかった。結局、家に戻ったところで、何も変えられなかったのかもしれない」

 誰からの期待なのか。リィンには推測も立たなかった。

「……先日、ユミルのことも聞いた。父上の指示で猟兵が襲撃をかけたと。すまなかった。謝って済むことではないが」

「ユーシスのせいじゃないだろう。父さんは傷を受けたけど、もう目を覚ましてる。他に大きなけが人はでなかった」

「そうか。本当によかった。本来は直接謝罪とお見舞いに伺うべきなのだろうが……」

 負い目を感じている瞳が、床に向けられた。

「それもユーシスの責任じゃない。それよりも、ここに残るということは貴族連合のやり方に賛同しているのか?」

「それは……していない。だが内側から与えられる影響もある。俺の力が微々たるものでもな。だからこそ留まるのだ」

 それがユーシスの選んだ道。目指す先が違うのではなく、やり方が違う。敵対ではないが、結果としてⅦ組の中にはいられないということだ。

 もし本人の意思をねじ曲げてまで説得するというのなら、それは筋違いだ。

「わかった。ユーシスがそう言うなら、俺たちは無理に誘わない。実際、立場の問題はあるだろう」

 後ろで静観しているエマたちは何も言わなかった。成り行きをリィンに任せている。

「……お前たちが屋敷を――いや、バリアハートを出るまでの手引きはしよう。陽が落ちてからの方がいいだろうから、それまでは俺の部屋にいるといい」

「ユーシス、最後に一つだけ訊きたい」

「なんだ?」

「立場や家の事情を度外視したとしたら、ユーシスの気持ちはどうなんだ?」

 彼は多くのしがらみに囚われている。立場。責任。それぞれがそれぞれを引っ張り合い、枷になっている。

 ユーシスが選んだ道は、本心からのものなのか。状況に狭められた中での、消去法の選択じゃなかっただろうか。ふと、そう感じた。

 それを聞いてどうなるものでもない。だが問わずにはいられなかった。

「それは――」

 一瞬言葉に詰まるユーシス。何かを逡巡し、再び口を開きかけた時、扉をノックする音が聞こえた。

「ユーシス様。アルノーです。入室しても宜しいでしょうか」

 

 ● ● ●

 

「リィンったらどこにいるのよ!」

 本館外周をぐるりと回り、再び正面近くまで戻ってきた所でアリサは肩を落とした。

 ここに来るまでにも、それらしい茂みや別館の裏手も見回ってみたが、彼らは発見できなかったのだ。

 シャロンから指定のあった巡回兵には、すでにシフトの変更を伝えている。最初は怪しまれたようだったが、アルバレア公爵の執務の関係や、客人の移動経路の兼ね合いだとか適当に言うと、その巡回兵はすんなりと了承した。

「館内にはまずいないでしょうし、あと隠れてそうな場所っていったら……」

 自分が探していないのは西館側だが、そちらはラウラが探す段取りだと、シャロンからもらったメモ紙に書いてある。

 こっちにはいなさそうだし、自分も西館側の捜索に加わるべきだろうか。そんな考えがよぎったが、それは容易でないことを思い出す。

 アリサは中央庭園に目を向けた。

「……やっぱりまだいる。なんで庭園だけあんなに警備が厳重なのかしら?」

 どういう理由か、警備兵が庭園にばかり集中しているのだ。西館に行くには中央庭園を突っ切るのが早そうなのだが、いくらメイド服とはいえ、あの中を走り抜ける度胸はない。

 かといって庭園を迂回すると、時間が掛かり過ぎる。シャロンがいうタイムリミットを超過してしまうだろう。

 腰元に隠してある《ARCUS》を取り出してみた。このメイド服というのは意外にも動きやすく、機能性と収納性に優れている。

 ラウラからの連絡はない。まだ彼女もリィンたちを発見できないでいるようだ。

「時間がないのに……っ」

 迫る刻限。去来する焦り。

 もうやむを得ない。最終手段だ。悪いタイミングでないことを祈るしかない。

 アリサは通信ボタンを押し込んだ。

 

 ● ● ●

 

「ア、アルノーか? どうした」

 上ずりかけた声を何とか正し、扉の外に問いかける。

「お疲れのところ失礼します。報告がございまして」

「わかった。少し待て」

 言うが早いか、ユーシスは部屋奥のクローゼットを開いた。

「お前たち、とりあえずこの中に隠れていろ」

「え、ちょっと!」

「狭いですけど!」

「エリゼ、委員長早く入ってくれ! セリーヌは俺の頭の上だ」

「痛い、痛いわよ!」

 人二人入るのが限界のクローゼットに、三人と一匹をぎゅうぎゅうと押し込む。いや違う。四人(・・)と一匹だったか。

 閉まりきらないクローゼット扉。その取っ手に無理やりつっかえ棒を挟み込んでから、ユーシスは室内にアルノーを迎え入れた。

「おや、お一人でしたか? 話し声が聞こえたような気がしたのですが」

「気のせいだろう。それよりも報告とはなんだ。手短に済ませるがいい」

 ユーシスはさりげなくクローゼットを自分の体で隠した。

「これは申し訳ありません。実は館内でトラブルがありまして、一応お耳に入れるべきかと」

「業務的なことならそちらで対処すればいい。事後報告で構わんぞ」

 アルノーの歯切れが悪くなる。

「それが……ご来館者とのトラブルなのです」

「来館? 父上の客人か。どのような内容だ」

「今し方報告を受けただけですので詳細は分からないのですが、端的にお伝えしますと、そのお客様と当館のメイドがおたまを手に、西館で大立ち回りをしているとか」

「聞き間違えたようだ。もう一度言ってくれ」

「お客様とメイドがおたまで戦っているそうです」

「……おたま?」

 どういう状況だ、それは。しかし父の客人とのトラブルとなると放ってはおけない。早々に収拾しなければ後々厄介だ。とりあえずそのメイドはクビにしたい。

「父上はまだ知らないな? お前は先に詳細と経緯を調べておけ」

「かしこまりました。侵入者の可能性もあるかと思い、もし怪しい者が他にいれば、身分の確認をするよう全員に通達しております」

「そ、そうか」

 内心焦ったが、侵入者たるリィンたちはここにいる。おそらくリィンたちとは関係ないトラブルだろう。

「相変わらず指示が早いな」

「お屋敷を任して頂いている身ですので。万が一不逞の輩が入り込んでいたとしても、ご心配は無用です」

「……ああ」

 アルノーは長くアルバレア家に勤めている。今や彼はあらゆる部署を統括し、おそらくは屋敷について一番詳しい。ヘルムートやユーシスが関わらない場合、有事の際の指揮系統は、アルノーを中心にして動く。

 報告は済んだが、アルノーはすぐに部屋を出ようとしない。彼はユーシスの相貌を眺めていた。

「やはりお疲れのようですな」

 ぽつりとそう言う。

「気遣いは無用だ。査察の疲れは多少残っているが、どうということはない」

「……私が口を差し挟むようなことでないとは承知しているのですが」

 そんな前置きをしてから、

「どうかご無理はされませぬよう」

「気遣いは無用と言った。自分の体のことは自分が一番わかっている」

「お体のことではありません」

「なに?」

 アルノーがこのように進言してくるのは、珍しいことだった。

「あなたはまだ学生なのです。様々なことを学ぶ立場にあります。家の責任を背負うにはまだ早い」

「この情勢下で学生などとは言っていられまい。それに年齢など関係ない。アルバレアの名を持つ以上、相応の責任を持つのは当然だ」

「その心構えには感服致します。ですが、アルバレア家があなたの全てではないのです」

「どういう意味だ」

 何かを諭すような口調だが、はっきりとは真意を語らない。束の間の沈黙の後、アルノーは深々と頭を下げた。

「……いささか出過ぎたことを申しました。思い詰めたお顔をされていたもので」

「いや、気にしなくていい。そういえば昔から俺に正面きって話してくるのはアルノーか兄上だけだったな」

 そこに父親の名は挙がらなかった。寂しげな目を浮かべたのも一瞬、アルノーは執事の顔を取り戻す。

「私はユーシス様に多くのものを見て頂きたいのです。領地運営に携わるのは、それからでも遅くないかと存じます」

「……覚えておこう」

「では私はこれで。詳しい状況が判明次第、またご報告に参ります」

 踵を返すアルノー。その間際、視線が自分の後ろのクローゼットに向けられたと感じたが、気のせいだろうか。

 扉に向かう背中を見ながら、小さく息をつく。

 クローゼットの中から《ARCUS》の受信音が鳴り響いたのは、アルノーが部屋を出た直後だった。

 

 

 取っ手にはめ込んでいたつっかえ棒を外すと、クローゼットから勢いよくリィンたちが転がり落ちてきた。

 エマの顔は真っ赤になっていて、エリゼは両眉を吊り上げて怒っている。

 開口一番にリィンが叫んだのは、例によって例にもれず弁明だった。

「わざとじゃないんだ!」

「兄様! エマさんのどこを! どこを触っているんですか! いいえ、あれはもう触るなどという次元を越えています……!」

「エリゼちゃん、もうやめて下さい。私が恥ずかしいですし、それに……今に始まったことじゃないですから」

「い、今に始まったことじゃない……!?」

 ドギャアンとエリゼの背景に雷が落ちる。衝撃を受ける彼女をよそに、這いつくばったままのリィンは鳴り続ける《ARCUS》に手を伸ばした。

 通信相手はアリサだった。

『リィン!? 今大丈夫? 通話しても問題ない?』

「俺は大丈夫じゃないが、通話するのは大丈夫だ」

『そうなの? 簡単にこっちの状況を説明するわ。実は――』

 アリサの話を聞いて、リィンたちは驚いた。

 アリサ、ラウラ、シャロンの三人は自分たちを助ける為、すでに城館敷地内に入っているという。今はそれぞれで分かれて捜索や時間稼ぎの真っ最中とのことだ。

『リィンたちはユーシスの部屋まで行ってたのね。それは見つからないわけだわ。というかよくたどり着けたわね?」

「色々無茶はやったけどな。アリサは本館の近くにいるのか」

 こうなってくると皆と合流して脱出の手筈が整うまで、ユーシスの部屋に匿ってもらのが一番いい。

 ラウラは西館、シャロンは厨房らしいが、彼女たちもなんとかして本館まで来られないだろうか。

 そこまで考えたところで、ユーシスがリィンの《ARCUS》を取った。表情に余裕がなくなっている。

「一つ訊きたいことがある。お前たちはどのようにして屋敷に入り込んだのだ。いや、もっと端的に問う。お前たちは今、どんな格好をしている」

『あ、ユーシス? アルバレア家のメイド服よ。色々あってシャロンが調達したの』

「……ラウラは西館に行ったと言っていたな」

『そうだけど?』

 《ARCUS》をリィンに返して、ユーシスは全員と目配せをした。皆が理解していた。件の“おたまメイド”はラウラだ。トラブルの渦中に、彼女がいる。

 リィンが言った。

「予定の変更が必要だな」

「西館には俺が行く。リィンはアリサを迎えに行って、合流できたら部屋まで戻ってこい。出来る限り、本館の警備は払っておく」

「協力してくれるのか?」

「バリアハートを出るまでの手引きはすると言っただろう。それに放っておけるか」

 その場の混乱を収めて、ラウラのことを煙に巻けるとしたら現状ユーシス以外にはありえない。

 ぶっきらぼうな物言いと、その裏に見え隠れする人の好さは、自分たちの知る変わらない彼の人となりだった。

「リィンさん、私も行きます」

 エマが言った。暗示の術で手伝うつもりだろう。しかしここに来るまでの術の連発で、疲弊しているのは明らかだ。

「委員長は休んでいてくれ。エリゼもな。気配を読みながら進むつもりだから、俺は大丈夫だ。それに一人の方が身軽に動ける」

「でも――いえ……すみません。何かあれば連絡を下さいね」

「兄様、十分にお気をつけて」

「というかアタシにも触れなさいよ」

 セリーヌの不機嫌に気付かないリィンは、さらりと話を進める。彼女はふくれっ面で、そっぽを向いた。

「もう一つ問題があるな。シャロンさんとどう連絡をつけるかだが……」

 アリサは自分が。ラウラはユーシスが。しかしシャロンに状況を伝える手段がない。厨房にいるのなら周りは人だらけだろう。通信は使えない。直接赴くのも危険だ。もっとも彼女なら、自分でなんとかしそうな気がしないでもないが。

「それなら一人適任がいる。というかどうして出て来ないのだ?」

 ユーシスの視線は、先程リィンたちが隠れていたクローゼットに向けられていた。

 ごそっと音がして、何やら出にくそうに一人の女性が姿を見せる。

「あー、君たち。久しぶりね。でも気付いてくれても良かったんじゃないかしら……。誰かさんの足に散々蹴られまくってたのよ?」

 突然の再会はⅦ組の担任教官、サラ・バレスタインだった。

 

 ● ● ●

 

 作戦が破綻しつつあることを知らないシャロンは、依然として厨房を牛耳っていた。

 料理を作りつつ、それっぽい理由をつけては、従業員たちのタイムシフトを動かしていく。さすがに警備の方をいじるのは限界があったので、今はメイド側を中心に細かく調整をかけているところだ。

 使用人たちは直接警備に関わらないが、撤退ルート上に配置されていれば結局は同じこと。不審者の報告でもされようものなら台無しになってしまう。

 仕切り直しをする為には、侵入したことも脱出したことも悟られてはならないのだ。

「次のお料理は何の予定でしたか?」

 近くで盛り付けをしているメイドに問う。忙しそうにしながら、「ポトフです。仕込み済みの物があそこにあります」と、彼女は少し離れた台を指さした。そこにはいくつかの寸胴鍋が並んでいた。

「ああ! で、でも、もう一度温め直さないといけません。間に合うかしら……」

「なるほど」

 本来なら出来上がりと配膳のタイミングを合わせるべきだが、この混乱で段取りが狂ってしまったのだろう。誰も気が回らなかったようで、鍋は手付かずで放置されていた。

 指示しようかとも考えたが、皆それぞれの作業に全力で取り組んでいる。シャロンは自分がやることにした。

 その台に近付いてみると、寸胴鍋は五つあった。

 近いものからふたを開けていく。四つ目まで空だった。

「大きなお鍋。私一人で運べるでしょうかね」

 残るは一つ。重さからして空ではなさそうだが、シャロンは何気なしに中身を確認してみた。

「……あら?」

「……あれ?」

 鍋の中にポトフはなく、代わりに入っていたミリアムとばっちり目があった。しばし無言で見つめ合い、シャロンはとりあえずふたをする。

 その後ろから、

「ポトフを火にくべるんだよな。コンロの上に運ぶんなら手伝うぞ」

 大柄なコックがやってきた。

「……いえ。やはりポトフはやめようかと思うのですが」

「何でだ。せっかく俺が下ごしらえをしたのに。今から煮立てれば何とかなるだろう」

「あまり強火にしては煮崩れしてしまいますし」

「素人じゃないんだ。その辺は調整する」

「調整しても熱いものは熱いかと……」

「何の話だ? そうだ。さっきの騒動で中身が潰れていないか、一応確認しておくか」

 寸胴鍋に歩み寄るコック。止める理由など思い当たらない。

「うふふ、困りましたわ」

 いつも通り微笑んでみたが、実際困っていた。

 当然そんな事情を知るはずもない彼は、あっさりと鍋のふたを持ち上げた。

 

 ● ● ●

 

 本館を出ることは比較的容易だった。

 元々エマの術で警備を庭園側へ誘導していた上に、ユーシスが警備の配置を変えるように指示を出してくれたからだ。

 それでも館内に警備兵は残っているが、この程度の人数なら気配読みを駆使すれば何とかなる。

 リィンは一階の正面扉を出て、建物の裏手に回った。

「やっと来たわね」

 そこで待機していたアリサと合流する。どうみても怒っている彼女から、まずはお小言を頂いた。

「なんで一番最初に城館を見にいったのよ。もうちょっと情報収集してからでしょ、普通」

「すまない。ユーシスの姿くらい見れるかと思って」

「見てもコンタクトとれないとどうしようもないじゃない。しかも巡回から逃れる為に敷地に入るって、状況をより悪くしてどうするの?」

「それは軽率だったと反省している。だけどあの時はああするしか……」

「その上、まさか本館に突入するなんて。一歩間違えれば、とんでもないことになってたのよ。私たちがどれだけ心配したか分かってる?」

「だ、だけど」

「だけど、なに?」

 アリサの目が鋭くなる。

「正当性があることなら聞いてあげるわ」

「ありま……せん」

 視線だけで封殺され、リィンはそれ以上の釈明をあきらめた。

「本当にもう。無事だったからよかったけど」

 アリサから安堵の吐息がこぼれる。

 ひとまずのお許しを頂けたと内心で胸を撫で下ろし、リィンは状況の説明をした。

 西館でトラブルが起きていること。おそらくはその原因たるラウラの救出に、ユーシスが向かったこと。シャロンに事情説明、あわよくばそこから遠ざける為に、サラが動いていること。

「サラ教官がここにいるの? どうして?」

「詳しい経緯はまだ聞けていない。俺たちより早くにユーシスと合流していたみたいだが」

 それでサラもあの部屋にいたそうだ。ユーシスが扉を開ける時に、念の為クローゼットに隠れたはいいが、話の流れで出てくるタイミングを逃してしまったらしい。

 そうこうしている内にアルノーがやってきて、自分たちもクローゼットに押し入って、いつの間にか彼女をもみくちゃにしていたという流れだ。

 焦っていた上に、サラは中の服に紛れていたのでまったく気付かなかった。

「でもシャロンは厨房よ。サラ教官でも普通には入れないと思うわ」

「そこは何か考えがあるらしい。教官のことだし、大丈夫だと思う」

 屋敷の見取り図を見て、凄く嫌そうな顔をしていたのは気になるが。

「心配だけど、どのみち任せるしかないわよね。それで、この後はどうしたらいいの?」

「ユーシスの部屋で待機だ。夜になったら屋敷から逃がしてくれる。一度ガイウスたちにも連絡を入れなきゃな。町で待ってるだろうし」

「……ユーシスは一緒に来ないの?」

 不安げな声だった。“逃がす”という言葉から、彼の同行がないと察したのだろう。

「それは」

「ああ? なんだ、お前ら」

 口を開きかけた時、気だるげな声がした。数アージュも離れていない距離に、男が一人立っている。

 真紅のコートを羽織った青年。ハーフフレームの眼鏡にのぞく瞳は、どうにも眠たげだ。その細目が二人を見る。

「公爵の客って感じじゃねえよな。屋敷の使用人ってわけでもなさそうだし」

 リィンはアリサの手を引いて、自分の体の後ろに移動させた。

 相手の素性は知れないし、寝覚めたばかりの呆けたような雰囲気だが――直感でわかる。一瞬たりとも気を抜けない。抜いてはいけない。

 体の奥がざわざわと波立ち、何かが激しく警鐘を打ち鳴らしていた。

 アリサと会話している間も、周囲の警戒を怠ってはいなかった。それなのに、ここまで接近された。どうして気配を読めなかったんだ。

「………」

 果たしてうまく場を取り繕えるか? それとも先にこちらから何かを問うか? 

 動くに動けず、対応を模索している最中、リィンは気付いた。男が訝しむ目を自分に向けている。やはり怪しまれたか? ここで人を呼ばれるのはまずい。

 しかし特に騒ぎ立てられるようなことはなかった

 気だるげな態度はそのままに、緑がかった乱れ髪をうっとうしそうにかき上げて、彼はこう言った。

「お前、混じってやがるな」

 

 ● ● ●

 

 ミリアム入りの鍋のふたが持ち上がろうとした時、厨房の外から「おい、西館で問題が起きたみたいだぞ!」と焦った声が割り込んできた。

「問題? 一体どうしたんだ?」

 ふたを開けようとしていたコックの手が止まる。報告にやってきた使用人が言った。

「お客様とうちのメイドがおたまで切り結んでるって話だ」

「はあ?」

「縦横無尽に暴れ回るもんだから、もう館内はズッタズタらしい」

「おいおい、本気で言ってるのか?」

 当惑するコックの横で、同じく話を聞いていたシャロンは理解した。

 事情は知りようもなかったが、おそらくラウラが原因の騒動だと。

 これではアリサ側がうまくやっていたとしても、このまま当初の作戦を遂行し続けるのは難しい。本来ならシャロンも隙を見て、厨房から離れるべきだった。

 しかし鍋の中のミリアムを置いてはいけない。シャロンにはミリアムがここにいる理由は分からない。何となく察してはいたが――とりあえずこのままにしておくと、火にくべられて彼女は調理されてしまう。

 “旬の野菜と白兎のポトフ~白銀のガーちゃんを添えて”。そんなタイトルである。

「あのー、リサはこちらにいますか?」

 別のメイドが一人、厨房に入ってくる。リサはシャロンが使用している名前だ。彼女の名札プレートを見て、コックが「おう、こっちだ」と手をあげた。

「ああ、よかった」

 小走りで近付いてくるメイド。彼女は新人リサ(・・・・)の教育係らしかった。

「やっとみつけたわ。この時間はあなたは厨房じゃなくて西館のお掃除でしょう。午後からは私に同行だって説明したじゃない。さあ行くわよ、リサ……――え?」

 一番憂慮すべきことだった。本人を知る人間と対面してしまった。

「……リサ、じゃない。でも名札はリサの……ど、どうして? あなた……誰?」

「ふふ、さあ? 誰でしょうか」

 はぐらかしながら、シャロンは一歩足を引く。

 何かに思い当たったように、使用人が言った。

「そ、そういえば西館のトラブルは侵入者の可能性もあるって、アルノーさんが言っていたぞ。他にも紛れ込んでいる人間がいるかもしれないから注意しろとも……」

 コックの表情が険しくなる。

「見たことのないメイドなのは新人だからだと思ってたが……まさか」

 シャロンに不審の目が注がれる。この場の強行突破は可能だが、それをしてしまうと大量の警備兵を呼び寄せてしまう。自分一人ならそれでもいいが、アリサたちに飛び火してしまう可能性があった。

 鍋の中のミリアム共々、シャロンは追い詰められていた。

 

 ● ● ●

 

 確認したのは屋敷の見取り図ではなく竣工図。

 内部構造まで網羅されたそれを見たが、やはりこのルートしかなかった。

「もう最悪だわ……」

 ぼやきながら、ほふく前進の要領で進む。サラがいるのは東館。一階と二階の間にあたる排気ダクトの中だった。

 構造上、ここを通れば厨房の真上にいけるのだ。そこから小声でシャロンに話しかけられればそれでいいし、無理なら状況を書いたメモでも落としてやる。それでひとまずの現状は伝えられるはずだった。

 気付かれずに本館を出ることも、東館まで移動することもサラにとっては容易な事だった。外壁の通風口からダクト内に潜入するのも、一切手間取らなかった。

 問題は予想以上にダクト内が汚れていたということか。厨房の排気を出す仕組みだから、当然なのかもしれないが。

「な、なによ、この黒ずみ。うっ、油くさっ! ベタベタするし、ああ、もう……」

 定期清掃はあるだろうが、さすがに日々の清掃区画ではないようだ。

 正面切って潜入するほうが、どれほど楽だったか。とはいえ、まさか自分までメイド服を着て変装するわけにもいなかない。いや、そこそこ似合う自信はあるが。しかしすれ違う男性執事たちの視線を釘付けにしてもいけない。

「なんてね」

 半分は本気だが。

 通風ダクトと違い、厨房用の排気ダクトは独立している。図解は頭に入れているが、ほぼ一本道だったので迷うようなことはなかった。

 しばらく進むと、通路の途中で明かりが見えた。その部分だけ金網になっている。サラは慎重にのぞき込んでみた。

 厨房だ。予定通り真上に到着している。

(……いた)

 アルバレア家のメイド服だったが、間違いなくシャロンだ。

 大きな寸胴鍋の前に立ち、コックと使用人に詰め寄られている。もしかして、こっちでもすでにばれてしまったのだろうか。

 彼女を助ける、というのは数年前のギルド襲撃事件のこともあって、正直複雑なところだった。

 だがシャロンはここまで自分の教え子達の力になってくれていた。大まかにしか聞いていないが、ノルド高原でも危機に駆けつけ、今も身を挺してリィンたちの窮地を救おうとしている。

「……ったく。貸しだからね」

 自分の感情はさておいて、今回はシャロンを助けなければ。

 サラは金網の縁を小さく、コンと叩く。コックたちは気付いてすらいないが、シャロンだけはその異音を聞きわけた。

 彼女の視線が上を向く。金網越しに目が合った。驚いた顔をしたのもわずか、シャロンは口元を緩めた。

 小声でも話ができる状況ではなさそうだ。メモも読めない。じゃあこれなら?

 サラは金網をコンコンと不規則に叩く。これはノルドでマキアスもしてみせたサウンドシグナル。暗号化された軍仕様ではないから、やたらとスキルの多いシャロンのこと、すぐに理解するだろう。

 た・す・け・に・き・た。と打ってみる。

 シャロンはこくりとうなずいた。よし、伝わった。あとはこの場をどうするかだが。

 おもむろにシャロンが右手を持ち上げた。人差し指がピッとまっすぐに示す先は、天井の金網。サラである。

 それを追って、コックたちの目も天井に向く。そのタイミングで、

「きゃああああ! 侵入者ですわーっ!!」

 シャロンは叫んだ。厨房に混乱が巻き起こる。

「ほ、本当だ。誰かダクトにいるぞ!」

「警備を、警備兵を呼べ!」

 微笑みながらシャロンは、ひらひらとサラに手を振ってみせる。金網を握りしめ、このしたたかなメイドを思いきりにらみつけてやった。

 あんたってやつは。助けにきてやったこのあたしを囮に使おうなんて。

 視線にありったけの険を乗せて放ってやるも、シャロンはどこ吹く風で、さらに声をあげた。

「ああ、大変です! 酒癖の悪そうな二十代半ば、赤毛の女性の侵入者はエントランス側に向かいました。外に逃げ出すつもりですわ。警備の方々をそこに集中させて下さい」

「こ、このっ!」

 わざわざエントランスを通って、大量の警備を引きつけろと言っているのだ。しかもご丁寧にこっちの身体情報までぶちまけて。一見して酒癖悪そうとか分かるわけないでしょうが。というか年齢は言うんじゃないわよ!

 厨房に降り立ってシャロンの胸倉を掴み上げたい衝動に駆られながら、サラは汚れたダクトの中を這い進んだ。

「覚えてなさい……!」

 

 

 ~続く~

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

《その頃のユミル》

 

 軽い足取り。弾む心。

 マキアスはクレアを探していた。その腕にチェス盤と駒のセットを抱えて。これは折り畳んで持ち運べるような簡易式で、シュバルツァー邸にあったものを借りている。

 リィンたちを見送った後、午前中は前みたいに雪かきをしていたのだが、先ほど切りのいい所まで片付けたところである。

 時間が空いたので、兼ねてから約束していたクレアとのチェスに興じようと思い立ったのだ。

「鳳翼館にはいなかったしな。一体どこだ?」

 色々と忙しくしているのだろう。うまくタイミングが合えばいいのだが。

 町の広場まで歩き進めたところで、彼女の姿を見つけた。

 足湯場に座っている。よかった。休憩中らしい。

 雪のように白い肌が、蒸気になでられてほのかに赤らんでいる。大人びた艶やかさだった。ああして座っているだけでも絵になる。

「あ……クレア大――」

 一瞬見とれて、思い出したように口を開きかけた時、彼女のとなりに座る人物が視界に映る。

 白いコートに短い金髪。トヴァルだ。

 二人並んで座り、何やら話し込んでいる。仲がよさそうだ。少なくともマキアスにはそう見えた。

「――それでチーム分けだが。バランスを考慮してこっちで組んだ方がいいかな?」

「チーム数の上限だけ決めて、あとは各個人に任せてもいいかと」

「でもなあ。ユミルの人たち凄腕っぽいぜ。パープルさんの剛速球見ただろ」

「ああ……そういえば」

 何の話だろうか。つい足を止めてしまっていると、トヴァルがマキアスに気付いた。

「マキアスじゃないか。どうしたんだ」

「えっ? いや……別に」

 反射的にチェス盤を自分の背に隠す。

「トヴァルさんたちこそ、何を話していたんですか」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれた」

 ちょっともったいぶってから、彼は言った。

「雪合戦を企画してるんだよ。郷中を使った大規模なやつをな」

「雪合戦?」

「そうだ。それで細かいルール決めとかエリア設定とか、クレア大尉に協力してもらっているんだ。な?」

「ええ、微力ながらお手伝いしています」

 心中は穏やかではなかったが、

「そうでしたか」

 平坦な口調で言う。

 それは自分にかまって欲しいお姉さんを、誰かに独り占めされたかのような心地。そんな比喩がマキアスの頭に浮かんだわけではなかったが――つまりはそういうことだった。

 チェスをするせっかくのチャンスを。この厄介なお兄さんは、また余計なことをしてくれて。

 体の内側にメラメラと黒い炎が燻る。

 マキアスの気持ちなど知るはずもなく、トヴァルは爽やかに笑った。

「当然、お前さんも参加してくれるよな」

「……もちろん」

 トヴァルを見据えたまま、マキアスは眼鏡を押し上げた。白雪を反射したレンズがきらりと光る。

「トヴァルさんに見せてあげますよ。レーグニッツ投法をね」

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《魔獣珍道中④》

 

 バリアハートよりは東。オーロックス砦よりは北。ルナリア自然公園よりは南。

 その地区には小さな森がある。誰かが管理しているわけではなく、自然のものだ。

 森の中腹に湖があった。といってもエベル湖などに比べれば、規模はそこまで大きくないが。その湖はヴェスティア大森林から繋がる小川が源流となっている。

 湖の岸辺で二匹の魔獣が争っていた。

 この一帯を縄張りにしているサメゲータと、一匹のドローメ――ルーダである。

 サメゲータは水陸に対応した肉食魔獣で、その名の通りサメとワニを足したような容姿をしている。

 マルガリータに襲われ、飛び猫のクロと分断され、ゴーディオッサーに逃がされ、小川に流されるままにルーダはここまでたどり着いていた。

「ギシャー!」

 鋭い牙が迫る。ルーダは二本の触手で地面を叩き、反動でその場から回避した。サメゲータの強靭な顎が、すぐそばにあった流木を粉々にかみ砕く。

 冷たい川からようやく抜け出せたばかりだと言うのに、息つく間もなかった。

「ギッシャシャ」

 ここはアタイの縄張りなんだよ。よそ者は出ていきな。

 魔獣同士にしか分からない言語である。ちなみにこのサメゲータはメスだ。ルーダは強気で返した。

「キュイ」

 出ていくわよ。そのでかい図体がどいてくれたらね。

「ギャシャー」

 言ってくれるじゃない。チビのくせに。

 サメゲータが突進してくる。これはよけきれなかった。敵の鼻先に突き上げられ、ルーダは吹き飛ばされる。地面を何回も転がり、のろのろと身を起こしたところで、眼前に再び迫る牙。

 それも間一髪で避けて、相手の懐に潜り込もうとする。しかしサメゲータの太い尾が、ゼラチン質の体を打ち据えた。

 宙を舞い、近くの巨木に衝突する。ずると地にうなだれる触手。

 ずっと流されっぱなしでここまで来たのだ。ルーダの体力は限界だった。動けない彼女の元に、サメゲータがずしずしと近付く。とどめを刺すつもりだ。

 あの顎にかかればルーダのやわらかボディなど、一撃で四散してしまうことだろう。笑えない殺人現場――否、殺獣現場になること請け合いだ。

「……キュ……」

 ここで終わりなのだろうか。まだあの人にも再会できていないのに。せめてクロだけでも無事でいれば。

 いや、何を弱気なことを。力を振り絞って、ルーダは鳴いた。

「キュキュイ」

 知ってる? この二本の触手が何の為にあるのか。

「ギャシャーシャ」

 決まってるでしょ。敵を倒す為よ。

「キュン、キュキュ」

 違う。愛する人を抱きしめる為よ

「ギャッ!?」

 愛!?

「キューキュキュ」

 わからないわよね。あなた、まだ子供だもの。

「ギャシャアア!」

 馬鹿にして! 許さない!

 裂けんばかりに開けられたサメゲータの大口。ルーダは体に残された全ての導力を結集させた。

 青い光が弾け、アーツが発動する。

 相手の口腔内に太い氷柱が生成された。まるでつっかえ棒のようになって、サメゲータは口を閉じることができない。

「キューイ」

 どう? それなら何もできないでしょう。

「ア、アガ」

 う、うう。

「ア、ア、ア……」

 あ、あ、あ……

「キュンキュキュン」

 ふふ、よだればかり垂らして、はしたない。

「アガ――――ッ!?」

 あんですってー!?

 吼えてみせるも、しかし氷柱は砕けない。その隙にルーダは、触手でビッシビシとサメゲータを打ちまくる。

「アギャッ、アギャ!」

 いたっ! 痛い! 愛する人を抱きしめる為の触手じゃないの!?

「キュイッキュ」

 時と場合によるわ。

 しばらくムチ責めが続いた後、とうとうサメゲータは降参した。

「キュンキュ」

 それじゃあ私は行くわ。これからは相手を見てケンカを売ることね。

 背を向けたルーダを、サメゲータは呼び止めた。

「アギャンギャ」

 一つ教えて。愛ってなんなの? それがあるからあんたは強いの? アタイもそれを知りたいよ。

「キュッキュン」

 あなたにもいつか分かる日がくる。背伸びなんてしなくていい。自分のペースで生きていきなさい。

 でもそうね、とルーダは続けた。

「キューキューイ」

 知りたいならついてきなさい。ただし安全は保障できないけどね。

 サメゲータは身をかがめ、ルーダに平伏した。

「アギャース」

 姐さんと呼ばせて下さい。

 

 ☆ ☆ ☆

 




お付き合い頂きありがとうございます。連日暑すぎて執筆速度が上がりませぬ……

スニーキングミッションも中盤戦に入りました。ぼちぼち隠れてばかりいられなくなってきていますね。

さてユーシスの心情ですが、ゲーム本編とは若干異なっています。
ゲームでは『お前たちと道が分かたれた=立場上、敵となることも辞さない』でしたが、本作では『お前たちと道が分かたれた=立場を使うことでしか出来ないこともある』となっています。
これは前作の『ちょっとだけ閃Ⅱ』でアルゼイド邸を離れた時の心持ち、そして今作のストーリー進行を踏まえ、変化が起こっています
すべてはロジーヌさんのおかげです。天使嫁です。リィンの周りは鬼嫁多いですが。

魔獣たちも話が進んでいますが、ここで現時点での主たる登場魔獣のプロフィールを紹介しましょう。誰得とか言わないで欲しい。かっこ内は彼らの名前です。


《ゴーディオッサー》(ゴディ)…9歳、♂。人間年齢に換算すると25歳。
ルナリア自然公園の一角を縄張りにする荒くれ者。いつかグルノージャを倒して森の覇権を手にしたいが、正直あんなでっかいの無理だろと思っている。
将来を約束した恋人がいたが、別の群れのオスと二股をかけられていたことを知り、不変の愛なんてこの世に存在しないのだと思い知った。
やけを起こしていたところでルーダと遭遇。もう誰も信じられないとか言ってたくせに、あっさりと惚れる。自己犠牲をかっこいいと感じる陶酔型モンキー。
マルガリータとの戦闘後、生死は不明。

《サメゲータ》(シャクティ)……5歳、♀。人間年齢に換算すると16歳。
バリアハート東の森、その湖畔を縄張りにするヤンキー鮫。両親は自然界のルールなどを教えようとするが、彼女は聞く耳を持たない。だって16歳の女子。反抗期だもの。
別の群れのサメゲータ♂が気になるが、中々アプローチをかけられないでいる。自分の歯並びとか、牙の間に引き裂いた獲物の肉とかが挟まったりしてないか気になっちゃう年頃。表面上は突っ張っていても、案外乙女。
興味はあるけど恋には臆病。だって16歳の女子。思春期だもの。
ルーダの強さに惹かれ同行を決める。姐さんが想いを寄せる人間にも興味が出てきた。


魔獣が増えていくの楽しいです。いつかこんな感じの魔獣図鑑作りたい。
では城館潜入後半も引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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