虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第24話 邂逅の黒旋風

 ぴりぴりと張り詰める空気が肌を刺す。

 相手はただ構えているだけなのに、城塞を前にしたかのようなこの威圧感。

 これがサザーランド領邦軍を束ねる、ウォレス・バルディアス准将。これが《黒旋風》と謳われる比類なき剛の槍手。

 臆するな。こちらも対峙しろ。

 不安げにしている仲間たちの視線を背に受け止めたガイウスは、両足に力を込めて槍を構えた。幼少より教わった、伝統的な騎馬槍術の構えだ。

「悪くないな。――いくぞ」

 ウォレスが腰を落とす。彼を中心に、風が爆ぜた気がした。

 刹那、間合いが蹂躙される。初動を察知することさえできなかった。

 とっさに体をそらす。顔の真横を十字の穂先がかすめ、遅れて届いた刃風が頬を撫でた。

「っ!?」

「いい反応だ!」

 目で追えなかったのに反応など出来るはずもない。今のは反射と勘だ。

 流れを切らさず、相手の横薙ぎが迫る。屈んでかわして、ガイウスは反撃の突きを狙った。

 ウォレスは槍を片手で回転させて攻撃を弾く。

 間合いが近い。柄を短く持ち変えなくては。しかしその行動も相手の方が早かった。一つ一つの動作が洗練されていて無駄がない。

 かろうじて追いつき、全身の力を総動員して、ウォレスの切り払いを受け止める。衝撃が走り、両の腕が痺れた。

「中々食らいつくな。だが足りない」

「何がだ」

「お前自身がだ」

「……?」

 言葉の意味を理解する時間は与えてくれなかった。ウォレスは力付くでガイウスを押し離し、嵐のような猛攻を繰り出す。

 踏み込みは激烈。打ち込みは苛烈。連撃は熾烈。一転、体の捌きは流水の如く。

 先も読めず、動きも捉えられない。凌ぐのが精一杯で、それも長くは持たない。

「槍は間合いで自在に用途を変える。剣にもなるし、棒にもなるし、杖にもなる。お前の言う通り、守る為の力にだってなるだろうさ。けどな――」

 柄の打突。ガイウスとの距離を開けて、ウォレスは言う。

「槍の本質は貫くこと。刃を交わして分かった。技術もまだまだだが、お前に欠けているのは心構えだ」

「どういう意味だ」

「例えば、自分の後ろに守るべき仲間がいるとする。そして前には自分よりも強い敵がいる。お前はそんな時、身を挺して仲間の盾になるタイプだろう」

 的確だった。客観的に考えても、その状況なら自分はそうすると思った。

「それが間違ってる。どうして他者を守るのに自分まで防御に回る。立ちはだかる障害を破れば、それで済む話ではないのか?」

「それは……」

「守る為の槍じゃなくて、お前の場合、守りの槍になってる。だからここぞの時に踏み切れていない。何が何でも敵を穿つという気概が感じられない。もう一度言う。槍の本質は貫くことだ」

 ウォレスは構え直した。左体側を前に一重身(ひとえみ)となり、下げた右半身で長槍を引き絞っている。

 紛うことなき突破の型。思わず息を呑む。まるでウォレス自身が一条の槍と化したかのような凄みがあった。

 おそらくこれは、かわすも防ぐも出来ない。生半可な技では迎撃も不可能だ。全力で応じなければ、一撃で終わる。

 強く相手を見据えて、ガイウスも構えを変えた。こちらも突きだ。貫けというなら貫いてみせる。

 研ぎ澄まされた意志が穂先に伝わった。

「それでいい。あとは実力が伴うかだな」

 互い、同時に床を蹴る。烈風をまとって放たれた二つの刺突が激突した。

 激しく散る火花。膨張して弾ける大気。その中で一本の槍が不規則に回転しながら飛んでいく。

 膝を付いたガイウスの喉元に、ウォレスの刃先が突き付けられた。

「勝負あり、だな」

「ああ……だが礼を言いたい」

 槍を引いたウォレスは、「いいさ」とガイウスを立たせてやる。

「俺は帝国生まれだ。同郷というわけじゃないが、同じノルドの血を引く同族として――そうだな、ちょっとした節介をしたくなったんだろう」

 彼はオーレリアに向き直る。

「戯れに時間を頂戴して、申し訳ありませんでした」

「いや、構わない。よいものを見せてもらった。してあの者たち、このままでいいのか?」

 リィンたちがガイウスに駆け寄る。その様子を視界の端に入れながらウォレスは言う。

「正規軍には属していないようですし、仮にも中立地帯ですからな。気になる者たちではありますが、今は顔を覚えるに留めるべきかと」

「うむ」

「再び相まみえることになれば、その時は……その時でしょうな」

 オーレリアはうなずいた。

「いささか度が過ぎた挨拶となったようだが、我らはこれで失礼するとしよう」

 あっさりとした幕引きに反応を遅らせたラウラが、クラウスに見送りを指示しようとした時だった。

「待てよ!」

 勢いよく玄関の扉が開いて、カスパルが駆け込んできた。

 

 

 突然のことに誰もが状況を理解できなかった。

 彼を知る何人かは、どうしてここにいるのかの疑問の方が先に生じているようだったが。

 カスパルの視線はオーレリアに向けられている。がくがくと足を震えさせながら、彼は絞り出すように声を出した。

「門下生の人たちに聞いた。あ、あんたがオーレリア将軍だな。ラマール領邦軍司令の」

「相違ない」

 侮った様子もなく、オーレリアは肯定した。カスパルはごくりと喉を鳴らす。

「俺の故郷はラマール州だ。家族もそこにいる。無事かどうかも分からない。あんた達が戦いを起こしたから……!」

「やめろ、カスパル!」

 慌てて制止をかけたのはラウラだった。しかし彼は敵意の目でオーレリアを捉え続けた。

「母さんや父さんに万が一のことがあってみろ。俺はあんたを一生許さないからな!」

「なるほど。そなたの言いたいことは分かった。それで、どうするのだ」

「え?」

 横から「将軍、その程度で」とウォレスが止めようとしたが、オーレリアは構わずに続ける。 

「勢い込んできたのは一言物申す為だけか? そなたの家族の安否など私には知りようもない。もしやすでに戦火に巻き込まれた後かもしれんぞ。だったらどうすると訊いているのだ」

「お前……っ!」

 彼の激昂を煽るかのように、オーレリアは嘲笑した。

 拳を握りしめるカスパルは、後ろの壁にかかっている飾り用の儀礼剣を目にした。激情にかられるままに、それを留具ごと引きはがして両手に携える。

 真剣は初めて手にしたのだろう。見様見真似で中段に構えてみせたが、お世辞にも様になっているとは言えなかった。

「カスパル、何をしている! 早くそれを離せ!」

 顔を蒼白にしたラウラが叫ぶが、彼の耳には届いていない。

 オーレリアは腰のサーベルを静かに抜き放った。

「戦いが起こればこのような民も出てこよう。その血気の盛りは嫌いではないが、私に刃を向ける意味は理解しているのだろうな?」

 彼女の周囲が闘気に揺らいだ。発せられた屋敷を潰さんばかりの圧が、カスパルに重くのしかかる。

「かっ……」

 ただ一秒の抗いも許されず、カスパルの意識は完全に刈り取られた。剣を取りこぼして、膝からくずおれる。

「さて」

 伏したカスパルを見やる。オーレリアはまだサーベルは納めていない。

 さらに彼に近付こうとして――その足をピタリと止めた。

 鋭敏な感覚で、彼女は感じ取っていた。

 自らの大剣に手掛けるラウラの戦意ではなく、ラウラに合わせて動くつもりのクラウスの気配でもなく、割って入ろうとするⅦ組――その最奥から届く凶暴なまでの殺意を。

「カスパルから離れろ」

 臓腑が冷えるような暗い声。

 赤黒いオーラを立ち昇らせるリィンが、紅に染まりかけた瞳をオーレリアに向けていた。

 驚愕、不安、焦燥。さまざまな感情を顔に映す仲間たちの間を抜けて、彼は前へ進み出る。

「これは……」

「……ほう」

 ウォレスとオーレリアがそろって声を漏らす。

 焼き付くような殺気にたじろぐ気配も見せず、泰然とオーレリアはサーベルを納めた。

「これ以上事を荒立てるつもりはない。そちらも攻勢の気を鎮めるがいい」

 彼女の意識がカスパルから外れたのを察して、噴出し続けていたリィンの力が収縮していく。

 胸を押さえながら、彼はぜいぜいと肩で息をした。

「血のような瞳に白き髪。鬼を連想させる異様だ。もっとも全ての力を解き放ったわけではなさそうだが」

「鬼……?」

 予想外の言葉に、リィンは一瞬戸惑う。

「少年。名は何という?」

「……リィン・シュバルツァー」

「今日は面白い出会いが多いようだ。これが風の導きというやつかな? 准将」

「そうでしょうな。それが良いか悪いかが分かるのは、もう少し後になりそうですが」

 わずかに肩をすくめてみせたウォレスに「違いない」と返して、オーレリアはラウラに居直った。

「こちらとしても予想外のことがあった故。しかし非礼を重ねたことは詫びよう。次に会う時を愉しみにしている。それが談笑の場となるか戦場となるかは、女神のみぞ知ると言ったところだがな」

「……はい」

 固いラウラの返答を聞くと、外套を翻して彼女は玄関へと歩先を向けた。

 ウォレスは束の間、ガイウスと視線を合わせる。

 言葉はなかった。目で何かを語った後、彼もオーレリアの後ろに続く。

「ああ、そうだ」

 戸口をくぐる直前に立ち止まり、オーレリアは言った。

「現在ラマール州で、戦闘に巻き込まれた一般人は確認されていない。そもそも都市近郊での戦闘は避けているからな。その少年が目を覚ましたら伝えてやるといい」

 そう言い残し、貴族の将はアルゼイド邸を後にした。

 

 ● ● ●

 

 家紋が刻印された両開きの扉の前で、一つ二つと呼吸を整える。

 この先に進むのはいつだって気乗りのするものではない。小さく嘆息をつき、ユーシスは眼前の扉をノックする。

「ユーシスです。ただいま戻りました。入室して宜しいでしょうか」

 少しの間の後、「構わん」と素っ気ない声が返ってきた。これもいつものことだ。「失礼します」と断りを入れて、ユーシスはその部屋へと入る。

 凝った調度品が整然と並ぶそこは、父の執務室だ。奥にはデスクに座っているアルバレア公爵の姿があった。

 ヘルムート・アルバレア。クロイツェン州を治める当代にして、ルーファスとユーシスの実父である。父としての愛情が、妾の子であるユーシスに注がれたことは未だないが。

 いくつかの報告文書に目を通しながら、彼は椅子の背もたれを軋ませていた。

 書類から目を離さないまま、ヘルムートは言った。

「ケルディックの査察が予定よりも長引いたようだな。さして見るようなものがあるとも思えんが」

「申し訳ありません。馴れぬことで手間取ってしまいました」

 息子への労いの言葉など、一言もなかった。

「雑務の報告は後でアルノーに書面で渡せ。他に用がなければ下がるがいい」

 アルノーとはアルバレア家の執事だ。査察を雑務と言い切られ、ユーシスは悟られないように奥歯を噛んだ。

「父上」

 その声音には緊張の色がある。

「なんだ」

「ケルディックの税率ですが、もう少し減らして頂くことはできないでしょうか。鉄道が規制され物資の流通が滞っている現状では、満足な商いも成立しておりません」

「だからどうした。減税の必要はない」

「その上さらに物資の徴収を予定されていると聞きました。このままでは民の生活が立ち行かなくなります。どうか――」

「必要ないと言った」

 ユーシスの言葉は、聞く耳を持たない硬質な声に遮られた。それでも食い下がろうとする彼を、ヘルムートは荒く机を叩いて黙らせる。

「お前はいつから私に意見できるようになったのだ」

「っ……!」

「領民が領主の為に働くのは当たり前だ。ましてや今は戦時下にある。いつの世も民などというものは大局を理解できない生き物で、そもそも理解させてやる必要もない。しかし身分相応の義務だけは果たさせろ」

 頑なな態度に傾聴の姿勢は一片もない。

 ケルディックで暮らす人たちの顔が脳裏によぎる。彼らは税を納めるだけの道具ではない。もう自分にすがるしかないのだと言ったオットー元締めの言葉が胸に重かった。

 あの頼みを受けた時から、本当は分かっていた。父が自分の声に、耳を傾けるはずがないということぐらい。

「話は以上か。ならば行け」

「いえ、まだあります」

 これは訊いておかねばならなかった。

「先日、ユミルの郷に猟兵を差し向けたそうですね。父上の指示で」

「耳が早いな。誰に聞いた。アルノーか?」

「誰でもいいでしょう。なぜ、そのような暴挙を?」

 かなり自制しているものの、初めて見せるくらいの抗議の姿勢だった。

「お前の関与するところではない」

「父上! あの場所は――」

 リィンの故郷だ。言いかけて、ぐっと堪える。土地は財を生み出す畑と認識しているこの人に、自分の声が届くとは思えなかった。

 行き場を失くした憤りを、握った拳の中に押し隠す。

「……差し出がましい進言をしました。この後は私室にて書類をまとめておりますので、ご用命の際はお呼び立て下さい」

 ヘルムートからの返事はなかった。冷えきった互いの間には、紙をぺらぺらとめくる音だけがあった。

 慇懃な礼をしてユーシスは執務室を出る。

 最後まで父が自分と目を合わせることはなかった。

 

 

 ユーシスが退室した後、ヘルムートは立ち上がって窓際へと移動する。

 彼は苛立っていた。

 ユーシスに指摘されたばかりの、ユミル襲撃の件である。

 ユミルに差し向けた猟兵は、口々に異常なしと繰り返しながら戻ってきたのだが、その直後にアルフィン皇女を保護したと、あてつけのようにパンタグリュエルから連絡が入った。

 しかもその場所がユミルだという。どう考えても横槍を入れられている。

 苛立たしいのはそれだけではない。あのカイエン公爵だ。

 我が物顔で旗艦を運用し、その上、自分一人の権限で新型機甲兵の開発を進めているらしい。

「アルバレア家がどれだけ出資してやったと思っているのだ! 私の協力があってこそだと理解しているのだろうな!」

 ルーファスもルーファスだ。貴族連合筆頭の位置に立つのはいいが、あろうことかカイエンの腹心のように動きおって。

 そして今し方のユーシスの反抗的な態度。言われたことだけこなしておけばいいと言うのに、余計な口まで出してくるようになった。

 思うように従わない息子たちに、忌々しささえ感じる。

「旦那様。宜しいでしょうか」

 扉をノックする音に続いて、アルノーの声が聞こえた。

「どうした」

「例のお客人方がご到着されました。すぐにお通ししますか?」

「ふん、必要ない」

 どうせ状況の確認に来ただけだろう。煩わしいことこの上ない。門前払いをしてやりたいぐらいだった。

「ですが……」と迷うアルノーに「屋敷内を好きに見回らせておけ。地下庫以外をな」と扉越しに告げて、ヘルムートはデスクに戻った。

 もう一度鼻を鳴らして、その書類を手に取る。用紙には機体スペックの羅列や、武装の型式が所狭しと書き込まれていた。

 それは《ヘクトル》と銘打たれた機甲兵の図面だった。

「カイエンめ。自分だけが新型を開発していると思うな。こちらはもう完成しているのだ」

 あの男が各地で出現している灰の騎神を、陣営に引き入れたいのは分かっている。

 お前の思い通りになどさせん。もし例の騎神がこのバリアハート方面に現れることがあれば、その時は――

「必ず破壊してやる。搭乗者もまとめてな」

 ヘルムートは陰惨な笑みを浮かべた。

 

 ● ● ●

 

 エベル街道を進み、南クロイツェン街道に抜ける。

 晴れた霧の遥か遠く、翡翠の町並の一角が見えた。傍らに流れる小川に沿って北上すれば、バリアハートはまもなくだ。

 石で舗装された道を歩く一同。

「ユーシス、実家に戻ってるんだよね。会えるかなー?」

 ぴょんぴょん飛び跳ね、わざわざ落ち葉の上を踏んで歩くミリアムが、隣のガイウスに言った。しかし彼は無言のまま歩き続けている。

「え、無視? ちょっと寂しいんだけど」

「………」

「ねえったらねえー! ガーちゃんで後ろから小突いちゃうよー?」

 袖を引っ張られて、ようやく呼ばれていたことに気付いたガイウスは、ぷんぷんとむくれるミリアムに謝った。

「すまない。なんだ?」

「もう。ユーシスにうまく会えるかなって話」

「ああ。タイミングが合えばいいのだが、屋敷の中にいるのなら難しいだろうな」

 そしてまた閉口する。普段から口数は多い方ではないのだが、今はさらに物静かだった。

 だが、そんなものはお構いなしなのがミリアムである。背中に飛びついたり、周りを走り回ったりと、とにかく元気にガイウスに絡みまくる。

 ちなみにリィンにも抱き付きに行っていたが、そこはエリゼによって阻まれていたりする。

「んー、もしかしてさっきの勝負を気にしてるの?」

 そう問うと、ガイウスは否定しなかった。

「相手が悪過ぎると思うけどなー。ガイウスも分かってるんでしょ」

「あれでも彼は手加減していた。どういうつもりだったのか、俺に足りないものを教えてくれもした」

 ウォレス自身は同族としてお節介を焼きたくなったと言うが、その意図は分からない。もっとも、オーレリアの真意の方が読みにくくはあったが。

 去り際の態度を見るに、初めからカスパルを切るつもりなどなかったようにも思えた。

 しかし『彼があの場で武器を落としていなければ、本当に剣を振るっていたかもしれない』というのは、屋敷を出発する前に言ったラウラの言葉である。

「……突破する力。俺に必要なものか」

 誰ともなく口にして、ガイウスは前を行くリィンたちを目で追った。

 頭の後ろで手を組んだミリアムが、小さく呟いた。

「ボクもそろそろ必要なのかな」

「何の話だ?」

「戦う時にね。ボクに足りないもの。あとでガーちゃんに訊いてみようっと」

 ガイウスには意味が分からなかった。ただミリアムもミリアムで何かを考えているようである。

 その折、バリアハート市内へと繋がる壁門が近付いてきた。

 

 ● ● ●

 

 久々に訪れたバリアハートだが、その活気は以前のまま――いや、どこか浮かれたムードさえ漂っている。

 職人通りを抜けて、大通りに出てからは余計にそう感じるようになった。

「貴族の町ですからね。今の情勢なら間違っても戦火は及ばないですし、一部を除けば羽振りもいいようです。経済の中心がバリアハートに移行しつつあるんでしょう」

「そういうものなのか」

 エマの考察にリィンは納得した。

 ケルディックやノルドで見てきたような切迫さが、この町にはない。

「人通りも多いな。離れるなよ、エリゼ。あとセリーヌも」

「なんでアタシはついでみたいなのよ。扱い雑だわ」

 華やかな街並みの間を優美な装いの通行人とばかり行き違い、さしものエリゼもいささか当惑しているようだった。

 彼女もこれまで内戦の現状を目の当たりにしてきたのだ。この差をすぐには受け入れられないらしい。

 リィンと同行しているのはエマとエリゼ、そしてセリーヌの二人と一匹である。

 ユーシスとコンタクトを取る為に、直接《ARCUS》で連絡を付けてはどうかという案も出たのだが、彼の状態が分からないので迂闊な通信はできなかった。

 ユーシスの周囲に人がいるタイミングで通信などしようものなら、すぐに警戒態勢が敷かれてしまうだろう。《ARCUS》で通信が出来る人間など限られているのだから。

 そういうわけで彼の情報を得る為には、歩き回って聞き込みをするしかなかった。

 あくまでも怪しまれない程度にだが、この人数では嫌でも目立つ。そこで班分けしての、少数行動というわけである。

「兄様、私たちはどこに行きましょう?」

「そうだな。聞き込みを始める前にユーシスの実家――アルバレア城館を見に行ってみないか」

 エマが表情を曇らせる。

「それって結構危ないですよ?」

「分かってる。だから塀の外を周ってみるだけだ。運がよければユーシスの姿くらい見つけられるかもしれないしな」

 先導するリィンが移動しようとした矢先、エマが「あれ?」と中央広場の一角に目を留める。見覚えのある人物がいたのだ。

「あれってもしかして……やっぱり。ドロテ部長! 私です、エマです!」

 彼女が声をかけると、ドロテは驚いたように振り向いた。

「エ、エマさん? こんなところで会えるなんて……無事でよかったです」

「部長こそ。トリスタを出てからバリアハートにいらっしゃったんですか?」

「ええ、写真部のフィデリオさんと一緒にここまで来ました。と言っても到着したのはつい先日ですけどね。それまでは街道暮らしですよ」

 ドロテがここに至る大まかな経緯を説明する。魔獣に襲われたり、拾ったものを食べて食中毒になったり、路銀を失ってフィデリオに詰められたり、などと言ったあれこれを。

「それはまあ、ドロテ部長にも多少の非はあったかと」

「エマさんまで、ひどい! ってあら?」

 ドロテの視線がエマの後ろに向く。先輩後輩の再会に水を差すまいと控えているリィンだ。

「リィンさんも久しぶりですね。でも、どうしてエマさんと二人で? まさか逢引!? 激しい戦火の中で愛まで燃え盛ったとかいうオチですか!?」

「違います」

 否定したのはなぜかエリゼだったが。

 ちなみにフィデリオは買い出しに行っていて不在だ。

 エマはそばに並べてある詩集を手に取った。ペラリと何ページか目を通してみる。

「……?」

 書いてある内容は意味不明だった。聞けばこういった文章を、フィデリオが現像した写真に一筆添えているのだという。

「売れてるんですか?」

「売れてます」

「でも何というか、ドロテ部長の文章じゃないといいますか」

「だって私の小説じゃ売れないもの」

 ぼそりと呟いた言葉を、エマは聞き取れなかった。

「エマさん。この世で一番大切なものって知ってますか?」

「え?」

「お金です」

 ドロテの断言に、エマは耳を疑った。ドロテはあまり金品に執着しないタイプである。ペンとノートがあって、好きな物語を作れればそれで満足するような性格だ。

「あ、あの。ドロテ部長――」

「ちょっと失礼」

 横から割って入ってきたのは年配の女性だった。

「最近話題の写真屋というのはここかしら?」

「いらっしゃいませ! 撮影担当の者は席を外しておりますが、すぐに戻ると思いますので――」

 一瞬でドロテの表情が変わる。満面の笑みだが、それは張り付けたような薄い笑み。この女性客には分からないようだったが、長く一緒に過ごしたエマにはその不自然さが際立って見えた。

「……リィンさん、エリゼちゃん。お仕事の邪魔をしてもいきませんし、もう行きましょうか」

 二人の返事を待たず、どこか寂しげにエマは歩き出した。

 

 ● ● ●

 

「そうだったんですか。お父様と……」

 駅前通り。高級ストア《クリスティーズ》の二階、小さな休憩スペース。そこでアリサも部活の先輩と再会していた。

「ええ、色々あってね。本当に分からず屋なんだもの」

 ラクロス部副部長、テレジアである。

 彼女の実家はこのバリアハート。幸いにもテレジアは戦闘に巻き込まれることなく、ここまでたどり着き、以降は父であるカロライン男爵の元にいるのだそうだ。

「景気がよくなってきたせいなのか、お父様ったら浮き足立って……お仕事で関わる方のご機嫌取りばかり毎日やって、私もそこに付き合わされて……」

 トリスタの現状を知っているだけに、テレジアはそんな父の姿勢に疑問を持っているようだった。

 もうすぐその接待の時間らしいのだが、もとより乗り気しない上に、父の言葉に耐えかねて逃げ出してきたのだという。

「後輩に格好悪いところ見せちゃったわね」

「いえ、そんなこと……でも何を言われたんですか?」

「エミリーのことよ」

 ラクロス部の部長で、テレジアとは同期だ。以前からカロライン男爵はテレジアとエミリーの交友関係を快く思っておらず、事あるごとに彼女のことを平民だと貶める発言を口に出している。

 特に今日はそれが顕著で、さすがのテレジアも腹に据えかねたそうだ。

「ごめんなさい、話が逸れたわ。えーと、それでユーシス君のことよね。ええ、確かにバリアハートに戻ってきたのを見たわ」

「やっぱりそうですか」

「クロイツェン領邦軍の指揮の一部を任されているみたい。査察で出る以外は大体お屋敷にいるみたいだけど……会うのは難しいんじゃないかしら」

「ですよね……そこは色々と考えてみます」

 テレジアは立ち上がる。

「そろそろ私も戻るわ。何だかんだ言ってもお父様の顔を潰すわけにもいかないしね。気は重いけど」

「すみません。私にはがんばって下さいとしか……」

「いいのよ。また皆で――エミリーとフェリスとも再会して、一緒にラクロスをしましょう」

「ええ、必ず」

 にこりと微笑んでみせて、《クリスティーズ》を出ていくテレジア。去り際に落ち込んだ様子を見せなかったのは、後輩に心配をかけまいとしたからだろうか。

「私たちも行くわよ」

「はい、お嬢様」

 アリサが振り返ると、後ろにはシャロンが控えていた。

「そういえばラウラは?」

「お嬢様がテレジア様とお話の最中、外で聞き込みをすると仰っていました」

 この班はアリサ、シャロン、ラウラの三人である。

 シャロンを連れて、とりあえずアリサは店の外に出てみた。辺りを見回すと、ちょうどラウラが戻ってくるところだった。

「すまない。待たせただろうか」

「今出てきたところよ。そっちの聞き込みはどう?」

「あ、いや……」

 ラウラは歯切れ悪く視線をそらす。

「すまない。その……実は迷子の子供がいたので送ってきたのだ」

「迷子の子供?」

「うむ。その子が泣きかかっていてな。迷ったのだが、やむなく保護者を探すことにした。大丈夫だ。その子は無事に知り合いを見つけたようだからな」

「ようだからなって……直接保護者に引き渡したんじゃないの?」

「私より先に気付いたみたいで、一目散にその人のところに駆け出していった。追う必要もなさそうだったので、私はそのまま戻ってきた訳だ」

 ラウラらしいというか何というか。そういうお人好しなところは少しリィンに似てきたような。

 ふとそんなことを思った時、胸の内に何かが引っ掛かった気がした。ちくりと棘が刺さったような感覚に、どうしてかアリサは落ち着かない気分になった。

「アリサ?」

「あ、なんでもないの。出掛けてなければユーシスは城館にいるみたい。ひとまず近くまで行ってみましょう」

 判然としない心のもやを払うように、アリサは歩調を早めた。

 

 ● ● ●

 

 この班はガイウスとミリアムの二人である。

 今回のメンバー分けは戦闘を考慮していないので、他班との人数差はさしたる問題ではなかった。むしろ兄妹を装えば、自然なペアと言えなくもない。

 唯一の誤算。それはやはりミリアムだった。

 動く前に腹ごしらえがしたいと近くの露店に彼女は向かったのだが、しばらく待っても戻って来ない。

 もしや何かあったのかと、ガイウスはそこらの店を探し回り、ようやくミリアムを見つけたのは《ソルシエラ》というレストランの中でだった。

 テーブルの上には積み重なった皿。椅子にもたれるミリアムは満ち足りた顔を浮かべている。その横には困ったようなウエイターが立っていた。

「こちらがお会計になりますが……」

「あはは、これはさすがに予算オーバーかなー」

 ミリアムはあっけらかんと笑っている。

 露店へ向かったものの、大方匂いに誘われてこの店に入ってしまったのだろう。そしてお金が足りなくなったというところか。

 軽く息を吐いて、ガイウスは駆け寄った。

「すまない。その子が迷惑をかけたようだ。差額分は俺が払う。いくらだ?」

「お連れ様で? それはよかった。こちらなのですが」

 差し出された伝票を見て、ガイウスは顔をしかめる。

「待ってくれ。この伝票は間違っている。値が一桁多いぞ」

「いえ、これであっております」

 しばし考える。難解な数式を解かされている気分だった。最終的に導き出した答えをもう一度言う。

「いや、間違っている」

「あっております」

「な、なんだと……」

 料理にこんな値段が付くというのか。学食三食三週間分に匹敵するではないか。

 石像のように固まるガイウス。

 そういうわけで――

「三番テーブル用の丸皿が出てない! もう料理あがるぞ!?」

「前菜用の角皿はまだか!」

「洗い物追加だ! 早くしてくれよ!」

 昼の厨房は戦場である。その片隅でガイウスとミリアムは皿洗いに追われていた。

「なんでこんなことに……」

「お金が足りなかったからだよ?」

「それはそうなのだが……ううむ」

 ホールから運ばれてくる皿があっという間に山になっていく。

「しかしこれではユーシスの情報を得るどころではないな」

 みんなに連絡を入れるべきだろうかと考えていると、「ユーシス? 君たちユーシス様と知り合いなんですか?」とコック帽を被った男性が近付いてきた。

 Ⅶ組の立場のまずさも忘れて、つい彼の名を口走ってしまった。どうする。続く言葉を出せないでいると、先に男性が名乗った。

「私はハモンド。この店の料理長を務めております。ユーシス様とは――そうですね、多少のご縁がある者です」

 

 ● ● ●

 

「気を落とすなよ、委員長」

「ええ、まあ。ちょっと驚いただけです」

 せっかく会えたドロテの変わり様に、エマは少々落ち込んだようだった。

 貴族街に足を踏み入れたリィンたちは、心なし警戒を強くする。

 特に見咎められたりはしていないが、領邦軍の巡回も他の地区より頻繁だ。人通りも少ない分、妙な行動は目立ってしまうだろう。

 もちろん城館の正面門に近付くのも危険だ。

「兄様。あそこから裏に回れそうです」

 エリゼが指差した先、植え込みや茂みに隠れた細道があった。

 そこを通り抜けると、うまい具合に屋敷の裏側に出ることができた。塀で囲まれている上に柵格子もないから、中の様子を見ることはできないが。

「ユーシスの部屋が分かればいいんだけどな。そこが特定できれば、外から窓に小石でも投げて顔を出さすのに」

「けっこうアグレッシブな作戦を考えてたんですね……」

 塀を見上げながら、エマも考え込む。おもむろに彼女は言った。

「リィンさんがエリゼちゃんを肩車して中をのぞいてもらう、というのはどうでしょう」

「え!?」

 予想外の提案に驚くエリゼ。反してリィンは冷静だった。

「この高さは肩車でも無理だろう」

「ええ、ですけど肩車の状態から、エリゼちゃんがリィンさんの肩に立てれば何とかなります」

「さすがにそれは難しいだろ。なあ、エリゼ」

「なにがでしょうか?」

 リィンが振り向くと、エリゼは余念のないストレッチの最中だった。すでに靴も脱いでいて、道の端にきっちりそろえて置いてある。

「え、本気でやるのか?」

「問題ありません」

 そう言いつつもやはり恥ずかしいのか、かがんだリィンの背を見ながらもじもじと手を動かしている。

 程なく意を決して「し、失礼します」と兄の肩にまたがった。

 リィンはゆっくりと立ち上がる。

「あの、重たくありませんか?」

「ああ。しかしエリゼを肩車なんて何年振りだろうな」

 リィンが完全に腰を上げたのを確認してから、エリゼは正面の塀に両手をついた。両足と合わせて四点でバランスを取りながら、彼女は慎重にリィンの肩に足をかける。

「う、動かないで下さいね。あと上は絶対に見ないで下さい」

 ひらひらとスカートの裾が視界の上部にチラつく中、「女神に誓って約束する」とリィンは強い口調で言った。

 塀の上にひょこりと頭を出し、敷地内を確認するエリゼ。

「お屋敷は何棟かに分かれてるみたいです。ここはその内の一つ、何かの建物の裏側ですね。それ以外は特に――」

「静かに! 誰か近付いてくる!」

 エリゼの言葉を遮ったのはセリーヌだった。リィンも気配を感じた。しかも左右から一人ずつ。隠れる場所もない。

「こんな裏手も巡回ルートなのか? さすが警備に穴がないな」

「感心してる場合じゃないわよ。こんなところ見られたら言い訳もできないわよ!」

「委員長、さっきのように何とかならないか?」

 バリアハートに入る際、エマは門兵に対して暗示のような術を使った。そのおかげで難なく警備を抜けられたのだ。

「最初から警戒されている相手にはうまく効きません。不意打ちみたいに意識の隙間を狙わないと……」

「まずいな。もう塀の向こうに行くしかない。エリゼ、聞こえたな!」

「は、はい!」

 肩に立った状態からなら、そこまで難しい事ではない。エリゼは上体を乗り出し、塀の先へと飛び降りた。

「委員長、続け!」

「重いと思いますけど、ごめんなさい! あと上は見ないで下さいね!」

「大丈夫だ! 大丈夫だ!」

 大事なことなので二回言って、同じ要領でエマも塀の向こう側へと送る。

「アタシはどうすんのよ!?」

「それも大丈夫だ!」

 セリーヌの胴を掴むが早いか、リィンは彼女をぶんと放り投げた。

「やっぱりアタシだけ雑!」

 放物線を描いた黒猫が、悪態を付きながら視界から消えていく。

 脱いであったエリゼの靴も同じように塀の向こうに放ってから、街中で目立たないよう白布に巻いてあった太刀を取り出した。

「不作法だが、今は仕方ない」

 鞘に付いている下げ緒を手に持ち、壁に太刀を立てかける。柄頭に足場にして、リィンは一気に塀の上へと駆け上った。置いたままの太刀は、手にしている下げ尾を手繰って引き上げてやる。

 間一髪、敷地内に降り立ったリィンたちは、巡回が行き過ぎてから胸を撫で下ろした。

 しかし安堵はしていられない。状況がより悪くなったからだ。

 外側より内側の方が地面が低くなっていたのだ。要するに、今度は塀を登れない。外に出られない。

「やってしまったな」

「やっちゃいましたね」

「どうしましょう」

「とりあえずリィンはアタシに謝りなさいよ」

 状況を改めて確認し、全員沈黙。彼らは敵陣ど真ん中でうなだれた。

 

 ● ● ●

 

「ちょ、ちょっともう一回言いなさいよ! 今なんて!?」

『いやだから、アルバレア城館の敷地内に不本意ながら潜入した。ついでに出られない』

「何やってるのよ! 本当に!」

『すまない、この通り反省してる』

「どの通りなのよ!」

 リィンからの状況報告を聞くなり、アリサは焦燥の全てを《ARCUS》の通信口に叩き込む。

「とりあえず私たちも手立てを考えるから、下手に動いて見つかったりしないで!」

 通信を切った後、アリサはシャロンとラウラに向き直った。

「聞いての通りよ。困ったことになったわ」

「うむ。ユーシスに会う前にリィンたちを何とかしなくてはな」

 手立てを考えるとは言ったものの、正直何も浮かばなかった。一応こちらも貴族街まで来ているが、同じルートから様子を見に行くのはリスクが高すぎる。

「私たちも潜入しましょう。退路を確保しながらリィン様たちと合流すればよろしいかと」

 シャロンが平然と言った。唖然とする二人だったが、我に返って反対する。

「それは難しいと思うのだが」

「私たちも隠れながら動くのよ? できるわけないでしょ」

「隠れることなく城館内に入り、そして怪しまれずに動く方法があります」

 怪訝な顔を見合わせるラウラとアリサ。辺りを見回したシャロンは「あの方々をご覧ください」と何かを指し示した。

 メイド姿の若い使用人が三人。手に袋を下げて歩いている。

「このような城館は来客用の正門とは別に、使用人用の裏口がいくつかあるものです。そこを使いましょう」

「だからそこを通ったって誰かの目には留まるから――って、どこ行くのよシャロン!」

 シャロンはすたすたと三人のメイドたちに歩み寄って行く。

 何かを話し込んだ後、彼女たちはシャロンに連れられて、物陰へと姿を消した。

「なんか談笑してたみたいだけど」

「ふむ……?」

 ほどなくシャロンが戻ってきた。その手には丁寧に折り畳まれたメイド服が三着あった。

「これを着れば、ある程度自由に屋内を歩けます。あとこれもどうぞ。左胸に付けるようですわ」

 二人にメイド服と身分証カードが渡される。

「お嬢様はアイリーン・ランチェスター。ラウラ様はヴァネッサ・ブラン。私はリサ・ハインドル。呼び名をお間違えなきよう」

 どう考えても先程の三人組のものだった。

「というかさっきの人たちはどうしたの?」

「この気候では寒いと思いましたので、毛布にくるんでおきました」

「拘束してるってことじゃない!?」

「それよりも早くお着替えを。時間が経てばそれだけリィン様たちに危険が及びますわ」

「はぐらかしてるし!」

 それから少しして、屋敷に向かう三人のメイド姿があった。

 

 ● ● ●

 

「ユーシス様のご学友でしたか。以前実習で来られた方々と同級生ということですね」

 店の裏手でハモンドはしきりにうなずいていた。

 彼はユーシスの叔父にあたる人物だった。

 信用できる人間と判断して、ガイウスとミリアムはここまでの経緯を大まかに伝える。ユーシスに会いに来たことも、つい今しがた通信があったリィンたちの状況も含めてだ。

「外からじゃ何もできないし、ただ待ってるだけっていうのも落ち着かないしなー」

「下手に介入すると状況を悪くしてしまう可能性もある。しかし放ってはおけないな」

 リィンたちが自力で脱出できれば一番いいが、外からの手引きがないと困難だろう。

「お屋敷に入りたいのですか?」

 どうするべきかと二人して考え込んでいると、ハモンドが訊いてきた。

「そうだが、こちらまで捕まってしまっては意味がない」

「方法がないわけではありません。少々お待ちください」

 調理場に引き返したハモンドは、大きな配膳台車を押して戻ってくる。

「今日は城館から食材の発注が入っておりまして。何でもお客人が来るからだとか。丁度これからお届けに上がるところなのです。人手が足りていないので、ぜひあなた方にお願いしたいのですが」

「俺たちに?」

「これもどうぞ」

 ガイウスに給仕服が手渡される。《ソルシエラ》で使用されているものだった。

 これなら確かに怪しまれない。それでも行動は制限されるが、正面から屋敷内に入ることが出来る。

 ミリアムがかぶりを振った。

「待ってよ。ガイウスならいいかもしれないけどさ。ボクだっているんだよ。さすがに給仕係は無理があるんじゃない?」

「大丈夫ですよ」

 そう言ってハモンドは、配膳台に乗っている寸胴鍋に目をやった。

「お嬢さんくらいならこの中に入れます」

「やっぱりユーシスの叔父さんだよね。容赦のない天然なところとか……」

 のそのそと寸胴鍋に収まるミリアムを眺めながら、ガイウスはハモンドに訊いてみた。

「ばれたらこの店の迷惑になるのではないか?どうしてここまで協力してくれるのだ」

「あなた方はユーシス様のご友人なのでしょう。それが理由ではいけませんか?」

「しかし――」

「あの方に対等と呼べる同年代の方がいてくれて、私は嬉しいのです。妹もきっとそう思っているでしょう」

 妹。亡くなったユーシスの母親のことだ。

「ユーシス様がどのような道を選ばれるのかは分かりませんが、あなた方はその意志を知るべきだと感じました」

 それは甥を慮る叔父としての言葉。ガイウスはその厚意を受け取ることにした。

 が、一つ気になることを思い出した。

「さっきミリアムが食べた料理。まだ会計分は働いていないと思うのだが……」

 寸胴鍋に入ったミリアムが、上蓋をパタンと閉めた。こんな時は逃げる白兎である。

 ハモンドは笑った。

「あなた方はユーシス様を仲間だと言って下さった。料理の代金など、その一言で十分です」

 ガイウスは彼に礼を言って、配膳台車に手をかける。

 向かうは四大名門、アルバレア家城館。

 三班三様の潜入ミッションが始まった。

 

 

 

 ~続く~ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《続・A/B恋物語 Bパート③》

 

 ブリジットは焦っていた。人通りの多い雑踏をかき分けるように走る。冬だというのに額には汗が滲んでいた。

 彼女は必要な物品の買い物の為に、町へと出ていた。

 家に子供たちを残しておくと、またケンカをしそうだったので、末っ子のハイネだけを自分に付いて来させることにしたのだが――

「どこに行ったの、ハイネ……」

 ほんの少し目を離した間に、ハイネとはぐれてしまった。

 迂闊だった。自分の過失だ。ずっと手を握っていてあげればよかったのに。

 立ち止まり、肩で息をして、辺りを見回す。帝都ほどではないとはいえ、バリアハートは人口三十万を超える大都市だ。子供一人を探すのも、そう簡単にはいかない。

 領邦軍の兵士がいたので事情を話してはみたのだが、ほとんど取り合ってもらえなかった。

 駅前通りは探した。大通りも広場も見た。近くの店も大方回った。

「あとは――」

 優美な雰囲気とは打って変わって、物静かな街路地にブリジットは目を向ける。

「職人通りくらいしか……」

 

 ここはあまり訪れたことがなかった。

 食品も服も市内のショップで事足りるからだ。この職人通りには“本物”を求める顧客が足を運ぶ。

 衣類は基本的にオーダーメイドだし、宝飾類もブランドで一点物が多い。

 実際には手軽で入りやすい店もあると知っているのだが、それでも自分には早い品々だと思っている。

 ショーウィンドウに飾られているドレスには、普段ならちょっと目移りしてしまうところだが、今はそんな場合ではない。

「ハイネったら、ここにもいないわ」

 落ち着かない足取りで、ブリジットは何度も視線を巡らした。

 見付からなかったらどうしよう。そんな弱気が、知らずの内に歩幅を狭くする。

 こんなことじゃダメだ。もっとしっかりしないと。不安なのはあの子なのに。私があきらめてどうする。

「姉ちゃん、また値段書き間違えてるぞ! 定食一つが七万ミラってどういうことだよ!?」

「ごめーん。でも一食売れたら大儲けじゃない?」

「売れるかっ!」

 《アルエット》という宿酒場の前で、言い争っている二人が見えた。十二、三歳くらいの男の子と、自分と同じくらいの女の子。

 その少女には見覚えがあった。

「え? コレットさん?」

 名前を呼ばれて、コレットは振り返る。記憶の糸をたどるように顔をしげしげと眺めて、ようやくこちらが誰か思い出したようだった。

「えーと、ブリジットさん?」

 

 クラスは違うものの、トールズの同じ一年生ということで一応の面識はあった。

 再会の挨拶も程々に、ブリジットはハイネのことを訊いてみる。

「小さな女の子かー。私は見てないなあ。ビスケ君はどう?」

 先ほどまで小競り合いをしていた少年に、コレットは横目を向ける。ビスケは「うーん」とうなって考え込むが、やがて首を横に振った。

「見てないよ。この辺でそのくらいの年の子っていったら、向かいのトゥーリーくらいなもんだし」

「そっか。ううん、ありがとう」

 心なし肩を落として、来た道に向き直る。いないことが分かっただけでも十分だ。他の場所を探しに行ける。

「こっちで見つけたら送り届けるから安心して。どこの地区かな?」

「貴族街よ。C区の3番。ハンコック男爵家ね」

「ひえ~、私なんかが入っちゃっていいの?」

「もちろん。よかったらいつでも遊びに来て。ハウスキーパーをしてるんだけど、子供たちの遊び相手になってくれたら助かるわ」

「どうせ子供に遊ばれるだけだろうけどな――ってて」

 余計な一言を付け加えるビスケの頬を、コレットはぎゅーっとつまんだ。

「行く! 絶対行く!」

「うん、楽しみに待ってるわ」

「ていうか離せよ、暴力女! あ、いてええ!!」

 ビスケとケンカを再開したコレットと別れ、ブリジットはハイネを探しに戻った。

 

 再び中央広場に足を運ぶ。

 噴水の女神像に束の間の祈りを捧げた。瞳を閉じて、両手を組み合わせ、ハイネの無事を願う。

 そういえば、と思い出すことがあった。

 子供の頃のことだ。町で遊んでいて、迷子になったことがある。

 知らない場所。知らない顔。行き交う人々の声でさえ怖くて、私は路地のすみっこに隠れて泣いていた。

 日が傾き、夕暮れになる。お気に入りの服は汚れて、顔は乾いた涙の痕が痛くて。

 誰にも見つけてもらえず、ずっとこのまま一人なの? 

 子供心にそんなことを思った時、差し出される小さな手があった。

(やっと見つけた。こんなとこにいたのか)

 汗だくで息も絶え絶えなアランだった。

 一緒に遊んでいたけど、自分が勝手にいなくなったから、とっくに帰ったものだと思っていた。そんなことはなくて、あきらめずに何時間も探してくれていたのだ。こんなに泥だらけになってまで。

 彼は手を引いて、私を立たせてくれる。

(ケガないか)

(うん)

(泣いてるのか?)

(うん。でも今は悲しいわけじゃないの)

(ごめん)

(なんでアランがあやまるの?)

(すぐに見つけてやれなくて)

(ううん。来てくれてうれしかった)

 そのあとは手を繋いだまま、家まで送り届けてくれた。あの時の優しい手のひらの感触は、今でも覚えている。

 ブリジットは静かに目を開き、自分の手をそっと胸にあてた。鼓動が高鳴っているのが分かる。

 ハイネを探さなきゃいけないのに。こんな時に気付いてしまった。

「あ、あれ……私」

 ずっと一緒にいたから、逆に分からなかったのかもしれない。幼い頃から心の奥にあったその感情が、特別なものだったということに。

「変なの……あはは……急に、こんな」

 なんだか顔がすごく熱い。だめだ。今は早く動かないと――

「おねえちゃーん!」

「ひゃい!?」

 どきっとして、間の抜けた返事を叫ぶ。しかしすぐに我に返った。この声は。

「ハイネ!」

 振り返ると同時、走ってきた少女が胸に飛び込んできた。よかった。泣いていた様子はない。元気そうだ。

「ごめんね」

「どうしておねえちゃんがあやまるの?」

「すぐに見つけてあげられなくて」

「ううん、大丈夫。違うおねえちゃんが送ってくれたんだよ」

「え?」

 ハイネが指さす方を見るが、それらしき人影は見えなかった。いや、噴水のアーチに見え隠れする、髪の長い女性が視界に映る。

 どこか見覚えのある後ろ姿と思ったのもわずか、その女性は通行人に紛れて姿を消してしまった。

 追おうとしたが、どんな人かもう分からない。

「お礼言いたかったんだけど……」

 とりあえずハイネが見つかってよかった。

 安心したけど、別の理由で未だに鼓動は収まってくれていない。胸の内からこみ上げてくる想いに押されるまま、ブリジットは小さく息を付く。

 ほんのりと熱を持った吐息が、翡翠の町並に溶けていった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。

今回はガイウスVSウォレス戦に続き、黄金の羅刹VSカサギンでお送りしました。カスパルがんばったです。

ステージはレグラムからバリアハートに移り、そこからのアルバレア城館潜入。地下水道なんて使わず、堂々正面突破だ!

ちなみにリィンが塀を乗り越える為に刀に乗りましたが、実際にあるやり方だったりします。とはいえ跨がない、担がないが作法の現代で、あんなことをやろうものなら半端なく怒られちゃいますが。
皆様も領邦軍に追われている時以外は使わない方が賢明でしょう。

次回は城館内が舞台となります。引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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