虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

23 / 154
第22話 霧の古城

 

 レグラム方面へ出発する朝。

 トヴァル・ランドナーは平静を装いながらも、その実ひそかに焦っていた。

 一同はユミル渓谷道最奥、ヴァリマールが控えるその場所に顔をそろえている。

「さあ、それじゃあメンバーを決めようか」

 そんなお兄さんの心中など分かるはずもなく、リィンはぐるりと仲間を見渡した。ここまでくると中々の大所帯である。

「私を連れて行って下さい」

 エリゼが挙手する。彼女はアルフィンの手掛かりを探すのが目的だ。リィンがそばにいる方が安全だろうという理由もあって、これには誰も異を唱えなかった。

「じゃあ、私も行くわ」

「俺もだ」

「ボクも!」

 順々に名乗りを上げたのはアリサ、ガイウス、ミリアムだ。いわゆる前回合流したノルド組である。ケルディックで合流したメンバーはノルドに同行していたので、順当な流れではあるのだが――

「うう……ごめん、みんな」

 顔色の悪いエリオットが咳込み交じりで頭を下げる。

 ケルディックでの体調不良が尾を引いていて、彼だけはノルドについていけなかった。今回はと意気込んでいたらしいのだが、この数日で体調がさらに悪化していた。

 調子の戻りきっていない体を朝から雪かきで酷使したり、スノーボードで魔獣を追いかけた挙句に大クラッシュして、雪山を転がり回ったりしたのが原因だ。ガイウスも同じ目には合っているのだが、体のつくりが頑丈だからか、エリオットほどのダメージは受けていないらしい。

 ちなみに鳳翼館で休んでおくように仲間から言われていたのだが、無理して見送りに来ているのは彼なりのけじめだったりする。

「気にしないでくれ、エリオット。必ずみんなを連れて帰ってくる」

「うん。ありがとう、リィン」

 Ⅶ組メンバーはこれで確定。残りはユミルで待機して、万が一の有事に備える役割だ。

「郷の防衛は任せてくれ。なによりこちらにはクレア大尉がいるんだからな!」

「ええ、期待にお応えできるよう頑張ります」

 微笑するクレアの隣で、なぜか得意気にマキアスが胸を張る。クレアが防衛の為にユミルに残ると言った直後、『僕もそのフォローをする。最優先事項だ!』と強く、それはもう強く宣言した。

 エリゼはクレアが一緒に行けないことに、少々残念そうだったが。

「ミリアムも気を付けて」

「ボクは大丈夫だよ。フィーは帰ってきた時に食べるおやつを確保しといてね」

「了解」

 フィーとミリアムもしばしの別れである。休息中に厳しいレッスンを二人して受けさせられたからか、連帯感が生まれつつある子猫たちだった。

 そして例の選択がやってきた。リィンが思案顔を傾ける。

「あとはもう一人、シャロンさんかトヴァルさんに付いて来て欲しいところだけど……」

 来た。トヴァルは小さく拳を握る。こほんと咳払いをして、彼はさりげなく一歩前に出た。リィンの視線に今気付いたような素振りで言う。

「んん? 別に俺は同行してもいいが」

 トヴァルもノルドでの話は聞いている。《ARCUS》のリンク、通信機能の不通。分断され、連携も取れない中での仲間救出。大変だっただろう。不安だっただろう。

 彼らはこう思ったに違いない。戦術オーブメントの内部機構に詳しい人がいれば心強いのに、と。

 事実、自分がその場にいたなら、より効果的なアドバイスをもって彼らを導けた可能性は大いにある。ちなみに俺は馬にも乗れる。

 今後もどんなトラブルが起こるか分からない。そんな時、悩む若者たちに必要なのは人生経験豊富で冷静さと判断力を併せ持ち、そして行動力と包容力を兼ね備える年上のお兄さんに他ならない。

 エリゼお嬢さんの顔が一瞬曇った気がしたが、それはきっと気のせいだ。

「そうですね。なら今回はトヴァルさんに――」

「シャロンが来なさいよ」

 リィンの言葉の途中でアリサが言った。シャロンもシャロンで「かしこまりました、お嬢様」とさらりと応じる。

「その、何かとフォローはできるでしょうし……べ、別に一緒に来て欲しいってわけじゃないから」

「うふふ、承知しておりますわ」

 完全に雪解けした二人のやり取りを微笑ましげに見守る面々。トヴァルが口を差し挟む隙間は微塵もなかった。

 エリゼお嬢さんの顔が一瞬安心したように見えたが、それは気のせいだと――そう信じたい。

 そんなことを思うトヴァルには構わず、エリゼは灰の騎神を見上げていた。

「えーと、ヴァリマールに確認したいことがあるんですけど」

『ドウシタ』

 応じたヴァリマールが、エリゼを見下ろす。

「精霊の道で各地に飛ぶと、到着する度に魔獣に襲われている気がするんですが……」

 ケルディックではグルノージャに、ノルドではコドモドランゴの群れに追いかけられる羽目になっていた。その都度エリゼは涙目で逃げている。

「あれ、ちょっと困るんです」

『到着場所ハ選ベナイガ……フム、善処シテミヨウ』

「や、約束ですよ!」

『任セルガイイ』

 明るくなった顔で、エリゼはセリーヌに振り向いた。

「ではセリーヌさん。お願いします」

「アンタも大概な娘よね。ヴァリマールのせいじゃないでしょうに」

 軽く嘆息して、セリーヌは光陣を展開させた。精霊の道だ。

 リィン、エリゼ、ガイウス、ミリアム、アリサ、シャロン。以上のメンバーが光の中へと進む。

 何とも言えない目をしたトヴァルを置き去りに、その六人はレグラム方面へと転移した。

 

 ● ● ●

 

「いやあああっ!!」

「エリゼ、走れ!」

「うむ。振り返らない方がいい」

 リィンとガイウスに急かされ、全力疾走するエリゼ。その後ろから、これまた大量の魔獣が追いかけて来ていた。植物系、昆虫系、獣形とよりどりみどり。これまでで最多の数だ。

 転移して着いた先はエベル街道。濃い霧も出ていた。

 リィンたちは以前の実習で来たことがあって、地理も大体把握できているらしい。まずは町まで行こうという話になったところで、例によって魔獣が襲ってきた。

 というか転移した時点で、すでに囲まれた状態だったみたいだ。うそつき。ヴァリマールのうそつき。約束したのに。

 当のヴァリマールはといえば、何事もなかったかのように休眠状態に入っている。

「エリゼちゃん、大丈夫!?」

 並走するアリサが声をかけてくる。肩で息をしながら、エリゼは涙で滲んだ目を向けた。

「だ、大丈夫です。どうぞお構いなく……」

「どうみても大丈夫じゃなさそうなんだけど……でももう少しだから――ッ!?」

 後ろを見たアリサが息を呑んだ。ただならぬ雰囲気を察して、エリゼも彼女の視線を追う。

 開口したまま言葉を失う。

 並みいる魔獣たちを押し退けて、姿を見せたのは一際大きな巨体。鎧のような外殻を身に纏った大型魔獣――ゴルドサイダーが地面を踏み鳴らして突進してくる。

「な、なんですか、あれ!?」

「シャロン、あの魔獣を糸で足止めできないの!?」

 スカートの裾を持ち上げながら器用に走るシャロンは、ゴルドサイダーを一瞥すると「うふふ、あれは無理ですわ」と微笑むなり、さらに逃げる速度を上げた。

「ち、ちょっと置いていかないで! というかミリアムはずるいわよ!」

 見上げると、アガートラムに抱きかかえられたミリアムが、のほほんと空を飛んでいた。

「ガーちゃんはいい子だからねー」

「片腕空いてるんだったら、私たちも乗せなさいよ!」

「アリサさん、きました! 迫ってきました! 角っ、角がっ!」

 獰猛にうなりながら、ゴルドサイダーが距離を狭めてくる。

『いーやああーっ!!』

 二人して絶叫を重ならせ、エリゼとアリサは濃霧の中をひたすらに走った。

 

 

「死ぬかと思ったわ……」

「同じくです……」

 ぐったりとしてぼやくエリゼとアリサ。荒い息を整える面々の前には、白くかすむ街並みがあった。

 レグラム。幻想に佇む“霧と伝説の町”。

「まずは子爵邸を訪ねてみよう」

 リィンは町の奥、高台へと視線を移した。

 ヴァリマールの感知ではこの地方には二名いるとのことだった。レグラムであれば、おそらくはラウラだろう。もう一人はエマかユーシスか予測が立てにくいが。

(……変だな)

 歩きながら、リィンは思った。

 この霧のせいで、外に出ている人が少ないというのは分かる。だが練武場から稽古の掛け声も聞こえないというのは妙だ。町中まで届く威勢のいい発声は、以前来た時にも印象的だったものだが。

 自分も武道に携わる人間だから分かるが、剣の稽古というのは世の情勢などによって左右されない。それが勇名高きアルゼイドの道場なら、尚のことだろう。なのになぜ。

 たまたま休憩中だから? それならばいい。だが這い上がってくる不安は拭えなかった。

 屋敷へと続く階段を登り、門前に立つ。嫌な予感を抱えたまま、リィンは扉をノックした。

 しばらく待つが応答はない。

「リィン、何かおかしい」

 ガイウスが言った。彼も何かを感じたようだ。来訪者も多いはずの領主邸に、誰も控えていないなど考えられない。

 ドアノブに手をかけると鍵は掛かっていなかった。

「失礼します」

 ゆっくりと慎重に扉を開く。

 薄青色の絨毯が敷かれた広いエントランス。ホールと言っても過言ではないその空間に、一人の老人が立っていた。

「あ、クラウスさん!」

 子爵家の執事を務め、アルゼイド流の師範代も兼ねる人だ。年齢を感じさせない颯爽とした立ち姿は、積み重ねる修練で得た一流の剣士のそれと見て間違いない。

 しかしリィンの呼びかけに、彼は反応しなかった。

 こちらに背を向けたまま、ただ立ち尽くしている。

「……クラウスさん?」

 もう一度呼ぶ。

 ぽとり、と彼の右手から何かが落ちた。銀色のスプーンだ。左手にも何か持っている。あれはスープ皿――!

「くっ!」

 リィンには分かった。直感だ。おそらくトリスタで一番多く被害にあっていたのは自分なのだから。

 たまらずに駆け出して、クラウスの正面へと回る。

「……あ」

 続く言葉は出て来なかった。

 水平にキープされたスープ皿。その中身は空になっていた。

 まさか食べたのか。あろうことか完食したのか。なんという覚悟。これが仕える者としての矜持。

「あなたは……」

 そっとクラウスの手首に触れる。もう脈はなかった。全てを成し遂げた安らかな顔をして、アルゼイドの老執事は息絶えていた。

 

 ● ● ●

 

 一応生きていた。同じ苦しみを知るリィンの温もりがそうさせたのか、クラウスはその場で意識を取り戻した。

 そこからほんの数秒足らずで襟元を正し、うろたえることなくさらりと一礼してみせたのは、さすがという他ないだろう。おかげで彼の惨状に気付いたのはリィンだけだった。

 練武場から声がしなかったのも、きっと同じ理由だ。同情を禁じずにはいられない。

 ――それはともかくとして、クラウスからいくつかの近況を教えられた。

 アルゼイド子爵は一か月前――つまりはトリスタにカレイジャスで駆けつけた後、行方が分からなくなっていて、連絡も取れない状態らしい。光の剣匠のこと、滅多な事にはなっていないはずだから、おそらくはどこかで機を窺っているのだろうが。

 そして、レグラムにいた二人――ラウラとエマは現在、ローエングリン城の調査に出向いているという。

「それでは皆様、お気をつけて」

 船着き場。用意された小型ボートに乗り込んだリィンたちに、クラウスは言った。

 二人が戻ってくるのを待つより、こちらから合流する方が早いし、何かできることがあるかもしれないとも考え、彼らもローエングリン城に向かうことにしたのだ。

「それでは行ってきます」

「はい、行ってらっしゃいませ。お嬢様方もお喜びになると思います」

「その……クラウスさん」

「何も仰る必要はありません。私はお嬢様の笑顔の為、己の役割を全うしたまでです」

 深みのある笑みを湛え、クラウスはリィンに優しげな目を向けた。

 動き出すボートがエベル湖を波立たせる。ローエングリン城までは十数分といったところだ。 

 ボートが完全に霧で見えなくなってから、クラウスはその場にがくりと膝を折る。

「リィン様……トリスタで日常的にあの料理を召し上がっていたというあなたになら……あなたにならお嬢様をお任せできます。どうかアルゼイドの……レグラムの未来を――」

 言葉はそこで途切れる。湖畔のざわめきが、葬送曲を奏でているようだった。

 

 

 揺れるボートの上で、アリサはそわそわとしていた。

 舟上は狭く、座席も限られている。対面して座っているのはガイウスとミリアムだ。ミリアムのちょっかいにガイウスは慣れた様子で付き合っている。

 そしてこちら側の座席には、船首からエリゼ、リィン、自分の順だ。ちなみにシャロンは船尾エンジン側でボートを操縦している。相変わらず何でもできるわね。

 ちらと右側を見る。となりはリィンなのだが、かなりの密着状態である。

(……やっぱりなんだか……落ち着かない)

 体温まで感じてしまう距離。早鐘を打つ鼓動が彼に聞こえてしまわないだろうか。

 置き場のない手を膝上で組んでは離し、離しては組み直す。そんなことをしていると、

「どうした、アリサ?」

「ふぇっ!?」

 いつの間にかリィンがこちらを向いていた。予測していない不意打ちに、間の抜けた声を出してしまった。

「さっきから静かだし、調子でも悪いのか?」

「そ、そんなことないわ。えーと、そう。ちょっと酔っちゃったのよ。船酔いね、船酔い」

「大丈夫か。そういえば顔がちょっと赤いみたいだけど……」

「あ……う」

 至近距離で目と目が合う。

 言葉を詰まらせるアリサ。リィンを挟んで向こうからエリゼがじーっと見てくる。違うのよ、エリゼちゃん。これは違うのよ。何がどう違うかは分からないけど、とにかく違うのよ。

 突然、前後に船が揺れた。

「きゃっ!?」

「アリサ!」

 バランスを崩したアリサは、勢いよくリィンに胸に倒れ込む。リィンは彼女を抱き止めた。

 赤らむアリサの頬。ふくらむエリゼの頬。

 シャロンが困ったように言う。

「申し訳ありません。ボートの操縦など慣れないもので、つい」

 さっきまで普通に動かしてたじゃないの。そんな抗議の意を込めて、アリサはシャロンをにらむ。

 と、ガクンとまた舟が揺れる。エンジン停止と起動を交互にやっているせいだ。

「う、うわ!」

「やっ、ちょっと」

 反射的にアリサを抱く力を強くするリィン。

「ああ、なんということでしょう。このままではお嬢様の船酔いがさらに大変なことに。シャロンはこの上なく焦っております」

 大仰に空を振り仰ぐ彼女の口元は、ほんのわずかに緩んでいる。

 シャロン……覚えてなさいよ。

 

 

 慣れないというシャロンの操舵で幾度となく不可抗力を発生させながらも、ようやくボートはローエングリン城へとたどり着く。

 長い階段を登り、リィンたちは城門の前まで進んだ。

「よし、開けるぞ」

 リィンとガイウスが両開きの扉を、それぞれで押した。ラウラたちが先に入っているから、やはり開錠されている。ギギギと重い音を立てて、入口が開いていった。

 濃い空気の中に足を踏み入れる。石造りがベースの城内は、相変わらず年代を感じさせた。

「気をつけなさいよ。ここも上位三属性が働いてる。それもかなり強い影響が出ているわ」

 セリーヌがそう言って首を巡らせた時、硬質な剣戟の音が響き渡った。

 即座にガイウスが槍を構える。

「リィン、この気配は」

「ああ、魔獣――いや違う。魔物だ。それともう一つ、これは――」

 右奥に見える木製ドアが弾け飛んだ。木屑を散らしながら飛び出してきたのは、大剣を手にした青髪の少女。

 見間違えるはずもない。ラウラだ。しかし彼女はリィンたちに気付かない。警戒の視線を戸口の奥に注いでいる。

 ラウラを追って現れたのは、四体の魔物の群れ。

 足の代わりに車輪を付け、体前面には単身の砲塔らしきものが見える。導力バイクの前半分を切り取ったような異形だ。

「くっ、ここまで押し戻されたか。だが!」

 振るわれた大振りの横一閃が、三体をまとめて切り伏せる。

 しかし一体は捉え損ねていた。攻撃を回避したその敵が、ラウラへと向き直る。撃つ気だ。攻撃後のわずかな硬直で、彼女は回避ができない。こちらからのアーツ援護も間に合わない。

「ラウラ!」

 刀身を鞘に納めたまま、リィンは素早く柄に手掛けた。

 腰は正面に据えたまま、鋭く鞘を引く。踏み込みと同時に放たれる白刃が、淀みのない左半円を描いた。

 大気を切り裂いて、闘気を乗せた斬撃が飛ぶ。

 弧影斬と呼ばれる八葉の剣技が魔物を両断したのは、砲塔が火を吹く寸前だった。

 黒いもやになって消えていく魔物を呆然と見やってから、ラウラはリィンに視線を移した。

「リィン……なのか?」

「ああ、久しぶりだな」

「ほ、本物か?」

「何言ってるんだよ。いや……心配をかけたよな」

 リィンと後ろの仲間たちに交互に目をやり、ラウラは肩を小さく震わせた。

「リィン……っ!」

 抑えられなくなった感情が溢れ出して、ラウラはリィンへと走った。

 その彼女の前に飛び出す小さな影。アリサの時と同様、先制のエリゼがラウラの胸に飛び込んだ。

 アリサよりは勢いがあったらしく、押し負けて『ズシャアア』と石畳の上をいくらか滑ったが、エリゼは乙女パワー全開で何とか踏みとどまってみせる。

「……ご無沙汰しています、ラウラさん。ご無事で何よりでした」

 突然のエリゼディフェンスに阻まれ、困惑するラウラ。

「そ、そなたはリィンの? どうしてここに? というかリィンが」

「えっと、会いたかったです」

「う、うん。私もだが。しかしこれはどういう……一度離してもらえると助かるのだが……」

「会いたかったので、離しません」

 その後数分に渡り、エリゼホールドは継続された。

 

 ● ● ●

 

「そうか、委員長とははぐれたのか」

「うむ、城内の調査中に先ほどの魔物に襲われてな。分断されてしまったのだ」

 簡潔にここに至る経緯を説明し合うリィンとラウラ。再会を喜びたかったが、それはエマと合流してからだった。

「とにかく手分けして委員長を探そう」

 魔物も徘徊しているので、単独では動けない。リィンたちは三つのグループに分かれることにした。

「早く委員長を見つけてあげないとね」

「ああ、急ごう」

 ミリアム、ガイウス組は左奥の扉から。

「私たちも行くわよ」

「はい、お嬢様」

 アリサ、シャロン組は右奥の扉から。

「離れるなよ、エリゼ」

「大丈夫です、兄様」

「後ろは任せるがいい」

 リィン、エリゼ、ラウラ組は正面の扉から。

 彼らは古城の探索を開始した。

 

 ● ● ●

 

「エマ、いないわね」

「もっと奥に行かれたのかもしれません」

 アリサとシャロンがいるのは一階フロアの大きな一室だった。

 部屋の手前から奥に向かって伸びる、古びて破れたクロスのかかった長いテーブル。蜘蛛の巣の張った食器棚には、ほこりの被った装飾皿が陳列されている。

 設えから察するに、ここはおそらく食堂だ。

 遥か250年もの昔、ここで鉄騎隊やリアンヌ・サンドロットが食卓を囲んだりしたのだろうか。

 アリサがふとそんな物思いにふけっていると、「ところでお嬢様」とシャロンが声をかけてきた。

「なに?」

「お嬢様はリィン様と同行したかったのではないですか?」

 つんのめって、危うく椅子にぶつかりそうになった。

「な、な、な!?」

「違うのですか?」

「ち、違うに決まってるじゃない。何を言うのよ!」

「これは失礼しました。班が決まった時、ラウラ様とエリゼ様を羨ましそうに見つめておられた気がしましたので」

「き、気のせいでしょ」

「まあ、残念ですわ」

 何が残念なのよ。まったく。

 あまり話し込む時間もなかったので、グループ分けはその時の立ち位置で決まった。もう少しリィンのそばに近付いていれば同じ班になれたのかもと、ちょっと思わなかったわけでもないが――

 それにしても、シャロンはそんなところを見ていたなんて。まったく油断も隙もない。

 そういえばさっきのボートでも、色々やられたんだったわ。

「ねえ、ちょっとシャロン」

 せめて一言くらいは文句を言ってやろうと、口を開いた時だった。

 長テーブルの上に設置されている燭台に、ぼうっと火が灯った。

「え……」

 天井から吊り下がるシャンデリアが揺れ始める。風なんか入り込んでいないのに。

「シャロン? 何かした?」

「わたくしは何もしておりませんわ」

 あくまでも穏やかにシャロンは答える。口調のニュアンスで分かったが、彼女は冗談も嘘もついていない。

 戸棚の中で皿がパリンと割れた。一枚、二枚、三枚と、神経に障る音を立てながら、なおも割れ続ける。

「ど、どど、どうして、ここ、こんなことが」

「うふふ、亡霊の仕業だったらどうしましょう」

「なんで笑ってられるのよ! というか、あれ……」

 定まらない指先で、何かを指し示すアリサ。

 鈍い銀色を閃かせて、フォークとナイフがふわふわと浮いている。中空で回転し、刃先を二人に向けるや、いきなり猛スピードで飛んできた。

「きゃ――」

「ご心配なく」

 アリサが悲鳴をあげる前に、鋼糸に絡め取られたカトラリーの数々は、一息に軌道を変えさせられて向かいの壁へと突き刺さった。

 しかし安堵する間もなく、宙を舞う食器は次々に増えていく。

 虚空に五線の尾を引いて、シャロンは薄く笑んだ。

「たとえ何者の仕業であっても、お嬢様にはかすり傷一つ負わせませんわ」

 

 

 眼前で展開される光景を直視しながら、ミリアムは二階廊下のど真ん中で固まっていた。

 薄暗い廊下を挟んだ両側面には、いくつもの部屋が等間隔で並んでいる。

 その部屋の扉が、勝手に閉まったり開いたりを繰り返しているのだ。ギィギィと錆びた蝶番を軋ませながら。

「ガ、ガイウス」

 ミリアムは彼の袖を掴み、か細い声を絞り出すので精一杯だった。腕を組むガイウスは「うむ、不思議だ」としきりに首をかしげている。

「不思議っていうか、これ、ボク……これ、アハハ」

 それ以上言葉にならないミリアムは、引きつった笑みを口の端からこぼしている。

 訝しんでいる様子はあるものの、ガイウスは割と平然としていた。

「なに、なんなのさ。うう……もうヤダよ。やっぱりユミルで留守番してればよかったかも」

 ガイウスの足にしがみついて、ミリアムは離れようとしない。

「これでは動きにくいのだが……」

「そんなこと言われても――ひっ?」

 不意にゆらりと現れた黒い人影が、廊下を横切って部屋の一つへと消えていった。

 その影は一瞬だけミリアムを見た気がした。彼女の恐怖メーターが振り切れる。

「やだやだやだ! もうやだ! ボクもう無理! ガイウス、抱っこして! おんぶして!」

「いや、両方同時にはできないが」

 

 

 三階の回廊を抜けた先に、いくつかの部屋があった。

 机と椅子だけが置かれた、あまり広くもない簡素な部屋ばかりである。

 どこか物悲しい、くすんだ灰色の風景。使用人の居住区か、あるいは単なる物置か、今となってはその用途を想像することさえ、リィンには難しかった。

 その一室でリィンは異変に気付いた。というより、急に思い至ったとでも言うべきか。

(……どうして俺は疑問も持たずにここまで来た?)

 自分たちは正面の扉に入って探索を開始したのだが、そもそもここからおかしいのだ。

 なぜなら以前実習で訪れた時には、エントランス正面に扉などなかったのだから。

(何で最初に変だと思わなかったんだ?)

 初めて来たエリゼが気付けないのは当たり前である。しかしラウラまで異常に気付かないのはどういうわけだ。

 ローエングリン城は代々アルゼイド家が管理している。彼女は幼少時より何度もこの場所に足を運んでいるはずだ。

 そのラウラが何の違和感も抱いておらず、自分も今になってようやく変だと感じ出している。

 こんなことがあるのだろうか。どうも感覚がずれている気がしてならない。

「アンタも気付いたの?」

 いつの間にか足元にセリーヌがやってきていた。彼女はリィンのグループについてきている。

「ということはセリーヌもか。これってもしかして上位三属性の影響なのか?」

「いくらなんでも城の構造が変わるなんてあり得ない。この異常現象は上位属性の働きとは関係ないと思う」

「だったら原因は?」

「分からない。それに構造が変化しているのとは少し違う気がする。いえ、確かに変化しているんだけど、物理的な作用じゃないというか……ううん、うまく言えないわ」

 セリーヌは珍しく言い淀んでいた。

 彼女が分からないのに、自分に分かるとも思えない。とりあえず、リィンはエマの捜索に意識を戻すことにした。

 ちょうどそのタイミングで、

「どうやら三階にはいなさそうだ。痕跡もない」

「兄様はどうですか」

 別の部屋を見に行っていたエリゼとラウラが戻ってきた。

「いや、俺も手がかりは見つけらなかった」

「心配ですね……」

 《ARCUS》に通信が入らないところを見るに、他の班もまだ発見できていないのだろう。これ以上このフロアに長居はしていられない。

「そろそろ上階に移ろう。捜索範囲も狭まってきたはず――」

 言いかけて、リィンは言葉を止めた。

 そうだ。こちらから委員長の《ARCUS》に通信を入れればいいじゃないか。彼女から直接話を聞けば安否も分かるし、今いる場所も特定できる。

 リィンは腰のホルダーから《ARCUS》を取り出した。

 通信先設定でエマを選択する。コールボタンを押す直前になって、彼はふと思う。

 こんな簡単な事に、自分も含めて誰も気付かなかった。

 何より、こういった機転に関してはこの城のどこかにいるであろうエマが一番長けている。同行していたラウラに、自分から連絡をしそうなものだが。

 やはり何かおかしい。ここは本当に、俺の知っている(・・・・・・・)ローエングリン城か?

 不意に湧いた突拍子のない思考を、リィンはすぐに振り払った。今は連絡をするのが先だ。

 止めていた指を動かして、改めてボタンを押そうとした時、視界がぐにゃりと曲がった。

「うっ?」

 目まいにも似た感覚によたついて、近くの壁に手をつく。その瞬間、リィンが触れている壁面の一部が、ぐるんと横に回った。

「――っ!?」

 隠し扉? こんな何の変哲もない普通の部屋に? そんな馬鹿な――

「リィン!」

「兄様!?」

 ラウラたちに振り返る間もなく、リィンは扉の奥へと巻き込まれてしまう。

 扉の先は真っ暗闇だった。着地した足が止まらない。細い通路が下りの斜面になっているようだ。

 意志とは関係なく走らされる。なんとかして止まりたかったが、掴めるようなものも見えない。

 つま先が床に――おそらく小さな窪み――に引っかかった。体が勢いよく前のめりになる。

「うわっ!」

 体勢を戻すことはできそうにない。ぐっと歯を食いしばる。

 思いっきり転倒してしまったが――衝撃は思っていたほどではなかった。幸いにも転んだ先の床が柔らかい材質だったおかげだ。

「う……いてて」

「兄様、ご無事ですか!」

「状況を教えてくれ、リィン。私たちもそちらに向かう」

 二人の声が耳に届く。

「すまない、俺は大丈夫だ。下り坂になっているから気を付けてくれ」

 床に手をつき、うつ伏せ状態から上半身だけを起こす。

 壁掛けの燭台が勝手に明かりを灯した。闇が薄れ、わずかだが視界が戻ってくる。

 そして一瞬で思考停止。

 何百年も前の蝋燭に火がついた不気味さも忘れ、リィンは絶句した。

「あ、あ、あ……」

「……リィンさん。お久しぶりです。ですけど、あの……」

 柔らかい床。そんなものあるわけがなかった。

 自分が体の下に組み敷いているその人物こそ、Ⅶ組の委員長――エマ・ミルスティンだった。

「い、委員長……? なんでこんなところに?」

「積もる話はあると思うんですけど、ちょっとそれをどかして頂けると……」

 エマの頬が赤らんでいた。リィンは遅れて気付く。自分の手のひらが、エマの胸をわし掴んでいることに。

 『むぎゅっ』とした感触。いやこれは『ぎゅむっ』かもしれない。はたまた『もにゅっ』と形容すべきか。

 いや、いやいやいや。そんなことは問題じゃない!

「ふ、不可抗力だ! け、けしてわざとでは」

「あの、いいですから。は、早く」

 しかし予想外の出来事に動揺しているせいか、体が強張って思うように手が離れない。

 その後方から、

「今行きます!」

「待っているがいい!」

 ラウラとエリゼで回転扉を動かす気配が伝わってきた。

「だ、ダメだ! 今こっちには来ないでくれ!!」

 額に汗をびっしりと浮かべ、リィンはそれだけを叫び続けた。

 

 

 ――続く――

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

《その頃のユミル》

 

 

「ラック」

「………」

 ケーブルカー駅近くの広場。フィーが声をかけるも、ラックは背をびくりと震わしただけで、振り向こうとしなかった。

「ラック」

「お、おはようございます」

 もう一度呼ばれて、彼は怖々と向き直る。挨拶はしっかり敬語だ。先日のキジ解体ショーを目の当たりにしてから、ラックはフィーを恐れていた。

 そんなことなど知る由もなく、フィーは訊いた。

「何してるの?」

「し、仕事です」

 運休していないケーブルカーの整備など、ほとんど無いに等しいわけだが、ラックは忙しそうな素振りで手元の資料をペラペラとめくり出す。

 そんな彼に構わず、フィーは後ろ手に隠していた小さな四角い容器を差し出した。

「これあげる」

「え?」

 ふたを開くと、中にはキジ肉が詰め合わせてあった。

「遠慮しなくていいよ」

 頼んだわけではなかったが、これは自分の代わりにキジ狩りに行ってくれたラックに対しての、ちょっとしたフィーのお礼である。

 本来ならキジを捌いたあの夜に渡してあげるつもりだったのだが、その前にラックは血相を変えて走り去ってしまったのだ。

 しかし件のキジさんのなれの果てを見たラックの反応はというと、

「ひっ! ひぃっ!」

 大きく仰け反り、ただただ後じさる。

 ラックの脳裏。フラッシュバックされた光景の中に映るのは、頬に鮮血を垂らし、双銃剣を手に携えたフィーの姿。

 今まさに彼のトラウマそのものが、眼前に立っているのである。

「あ、ああああ!」

 資料を全て地面に落として、ラックは全力疾走で逃げ出した。

 十数アージュ走ったところで、ずでんと転倒したが、それでも這うように遠ざかろうとしている。

 そんな彼の奇行を見て、フィーは一つの結論に至った。

「そっか、キジ肉が苦手なんだ」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「熱出てるんだから、冷やすのが当たり前でしょ!」

「違います。この程度の体温ならあえて温めて、汗と一緒に体の熱を外に出すんです」

 鳳翼館二階。エリオットの部屋で言い争っているのはマキアスとメイプルだった。

 体調不良のエリオットの看病をしようと訪室したところで、二人は出くわした。看病の方向性の違いから当の病人を差し置いて、ああでもないこうでもないと口論を繰り広げている。

「見てくれ、エリオット。厨房を借りて作ってきたんだ。正直、Ⅶ組女子のそれよりは自信がある」

 身も蓋も無いことを言って、マキアスが見せたのは皿いっぱいのコンソメスープだった。香草を煎じて入れていて、発汗作用もあるという。

「そもそもエリオット君はそんなの食べる元気ないでしょ。ほら」

 そう言ってメイプルが枕横の台にドンと乗せたのは、バケツに並々と注がれた氷水だった。

「手拭いをこれに浸して、額に乗っけたら気持ちいいと思うわ」

 ふうとため息をついて、マキアスが眼鏡を押し上げた。

「仲間の体調がかかってるんです。ここは僕に任せて下さい」

「何よ、その言い方! 私が悪化させるみたいじゃない」

「処置を誤ると逆効果になることもあるんです」

「年下のクセに生意気だぞっ」

「あなたも年上だったら、もう少し慎重になるべきです!」

 やいのやいのと騒ぐマキアスたちの横、ベッドに横たわるエリオットはごほごほと咳き込んだ。

「あ、あの二人とも。気持ちは嬉しいんだけど、もう少し静かにしてもらえると」

 しかしエリオットの頼みなど聞こえていないらしく、マキアスとメイプルの舌戦はますますヒートアップしている。

 基本的にマキアスは年上の女性に弱いが、どうやらメイプルは対象外のようだった。付け加えるならサラもだが。

「とにかく僕のスープを飲むんだ!」

 埒があかないと判断して、マキアスが実力行使に出た。「させないわよ!」とメイプルが割って入る。彼女の振った腕がスープ皿に触れた。

『あ』

 二人がそろって気付いた時にはすでに遅く、傾いた皿から熱々のスープがエリオットの顔に被さった。

「あ、あああっつい!!」

「きゃ!? あいたっ!」

 跳ね起きるエリオットに驚いて、メイプルは横の台に腰を強打した。そのはずみで、今度は氷水入りのバケツがぐらりと傾く。

 メイプルもマキアスも止めようとしたが、間に合わなかった。

 一分と手を浸けていられないような冷水が、氷のつぶてもミックスして、滝のようにエリオットの顔面に襲い掛かる。とどめは空になったバケツだ。

「エ、エリオット……?」

「あはは……ゴメンね?」

 二人してエリオットの肩を揺すってみるが、彼はベッドに沈んだまま二度と動こうとしなかった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 珍しい組み合わせの二人が、宿酒場《木霊亭》のテーブルに座っている。

 トヴァル・ランドナーとクレア・リーヴェルトだった。

 どちらが誘い合わせたわけでもなく、今後の動きや情勢を話している内に、なんとなく場所がここになったという経緯だ。

 ひとしきりの話が終わる頃にはいい時間になっていたので、二人はそのままランチを取ることにした。

「――というわけでな。どうにもエリゼお嬢さんの俺を見る目が厳しいというか」

 店主ジェラルド特製の出来たてドリアを食べながら、トヴァルはここ最近の間の悪さについて打ち明けていた。

 ちなみにその間の悪さと言うのはトヴァルが自覚していないものも多かったりするが。例えば直近では、アリサがキキからもらった『幸せの雪うさぎ』を台無しにした、などである。

 クレアは苦笑した。

「トヴァルさんに悪気がないことは、エリゼさんも分かっていると思いますが」

 彼女がオーダーしたのはカルボナーラだった。黒コショウとチーズの香りが絶妙だ。フォークでパスタを巻いて、上品に口元に運んでいる。

「大尉はエリゼお嬢さんに慕われてる感じだけどな」

「私が?」

「内戦が終わったら、一緒に帝都に買い物に行く約束をしたんだろ。この前お嬢さんが嬉しそうにリィンに話しているのを聞いたんだ」

「ええ、それは確かにしましたけど。……私はエリゼさんに慕われているんですか?」

「何を今さら。どうでもいい相手とそんな先の約束なんかしないって」

「そ、そうですか。い、いえ。私も買い物のことは楽しみにしていましたが」

 戸惑っているようで、しかし嬉しそうなクレアだった。

 取り繕うようにこほんと小さく咳払いして、彼女は言った。

「間が悪いだけでしたら、その内払拭されるでしょう。あまりお気になさらずに」

「ああ。そうだな」

「例えば、ちょっとした催し物を企画してみるのはどうですか。そういうものを通じてお互いを知ることも出来ます」

「催し物? レクリエーションみたいな感じか?」

「ええ、意外かもしれませんが、軍でもそういうのやるんですよ」

 それはいい案かもしれない。しかしどんな催しがいいだろうか。全員が参加できて、もちろんだが楽しいものがいい。

 しばし考えた後、窓の外に視線を移してトヴァルは言った。

「……雪合戦」

「はい?」

「だから雪合戦だ。チーム制の」

 これなら多人数でできる。そもそも雪があるから、用意する道具も最小限で済む。

 なにより、本気の雪合戦となれば、物を言うのは戦術と戦略、そして乱戦の中での冷静さと行動力。勇ましくチームを勝利へと導く俺の姿は、若者たちの目には軍神に映ること請け合いだ。

 頼れるお兄さん復活への方程式が見えた。

「協力してくれ、クレア大尉。色々と細かなルールを決めたい」

「本気ですか? 私は構いませんが」

「おお。せっかくだ。ユミルの町全部を使わしてもらおうぜ。郷の人たちも交えてさ」

 そうしてトヴァルとクレアはかつてない規模の雪合戦を立案し始めた。

 

 ● ● ●

 

「いやー、大尉のおかげで面白くなりそうだ」

「ふふ、盛り上がるといいですね」

「それにしても手慣れてるというか。もしかして以前にも、こんな大規模のフィールドを使った企画を立てたことがあったりするのかい」

「それは――内緒ですね」

「なんでだよ。まさか軍事機密とか」

「そんなところです」

 かつてトールズで惨事を引き起こしたトラップ騒動の黒幕は、はぐらかすように話題を変えた。

「まだチーム分けだったり、郷の人たちへの周知だったり、男爵閣下から許可も頂いたり、やることは多いですけどね」

「まあな」

 二人が店を出たところで、「あ、トヴァルさん」と優しげな声がかけられた。

「お、パープルさんか」

 買い出しに来ていたらしいパープルは、トヴァルを見て嬉しそうに駆け寄ってくるも、隣に立つクレアを見て一転、立ち止まってその表情を曇らせた。

「……お二人で食事ですか」

「ああ、ちょっと今後のことを話しながらな」

「今後のこと……先のこと……? ま、まさか将来のこと……!?」

 雷にうたれたように、パープルはショックを受けている。

「ど、どうしたんだ。ああ、そうだ。近々ユミルで雪合戦大会をやろうと思ってるんだよ。詳しいことはまた後日ってところだが、よければパープルさんも参加しないか?」

「雪合戦……?」

 うなだれたまま、パープルは呟いた。

「あなたも参加されるのですか?」

 その言葉はクレアに向けられていた。

「ええ、私も出ますが」

「……そう、ですか」

 パープルは薄く積もった雪を集めて手の平大の雪玉を作ると、ゆらりと顔を上げる。それから離れた場所にある木を指さした。ここからだと三〇アージュほどの距離がある。

「?」

 怪訝な表情でその木を見るクレアとトヴァル。次の瞬間、二人の間を割くように抜けた、雪玉の剛速球が枝の一本を『ベキィッ!』とへし折った。

「私も参加します」

 言葉を失くして、トヴァルたちはパープルに振り返る。

「これでもユミル生まれのユミル育ち。《紫閃》のパープルの力をお見せしましょう。それにまだまだユミルには雪合戦の猛者がひしめき合っています」

「紫閃? 猛者?」

 雪合戦に現役があるのか。雪郷だから凄腕ばかりなのか。実はそんな二つ名をみんな持っているのか。

 これは大変なことになってきたかもしれない。

 パープルから沸き立つオーラは本物だった。普段の粛々とした立ち振る舞いはそのままに、謎の凄みが増している。

「クレアさん。あなたに勝負を申し込みますわ」

「わ、私に?」

 それだけを告げると、あくまでも丁寧に一礼して、パープルは鳳翼館へと戻っていった。

「大尉、パープルさんに何かしたのか?」

「まったく覚えがないのですが……」

 小首をかしげる二人。その上空では曇天が広がり、大粒の雪が降り始めていた。

 

 ☆ ☆ ☆

 




お付き合い頂きありがとうございます。

レグラム、バリアハート編スタートとなりました。ヒロイン勢が顔をそろえ、ここから恋愛模様も動いていきます。あくまでも前作の人間関係を軸に展開していくので、大番狂わせも大いにあり得ますが――とりあえずエリゼディフェンスが稼働しまくりです。

さて本編ですが、まずはローエングリン城が舞台となります。
霧の古城というと、個人的にはICOというゲームを思い出しますね。作品のテーマも素敵で、いまだに手放せないソフトの一つだったりします。
これを語り出すと熱が入り過ぎるので、この辺で止めておきまする。

サイドストーリーはお決まりのお留守番ユミルメンバーでお送りしました。ついでに久々のでっかいイベント予告です。
協力者含めたメイン、町人などのサブも加えた全員参加。ここまで広い規模のイベントは前作でも限られていたので、今から気合いが入りますね。トヴァルさんは勝てる気でいるけど、ユミル勢の本気をなめたらいかんぜよ!

では次回もお楽しみ頂ければ幸いです。リィンは四の五の言わずに爆発せよー

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。