虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第20話 休息日アナザー ~インサイドアウト

 

 アリサが部屋を飛び出していく。

 シャロンさんとの仲を戻すことができるだろうか?

 きっと大丈夫だ。あの二人の過ごしてきた時間は確かなものだと、そう思うから。

 ベッドに横たわったまま、リィンはアリサの背を見送った。

「アンタにしたら、いいこと言ったんじゃないの」

 一人になってまもなく、どこからかそんな声がした。

 ベッド下の隙間から出てきたセリーヌが、ぴょんと枕元に飛び乗ってくる。

「セリーヌ、まさかずっとそこにいたのか?」

「いたら悪いわけ?」

 いつもの口調に、いつもの態度。鼻を鳴らすものの、機嫌が悪いわけではなさそうだった。むしろ、リィンが目を覚まして安心したようでもある。

「セリーヌにも心配をかけたな。すまない」

「し、心配なんかしてないわよ!」

 むきになるのは大体図星の時だ。

 リィンは起きようとしたが、うまく体に力が入らなかった。アリサの話では丸一日と半分寝ていたことになる。それなりに体力は戻っているようだが、倦怠感は抜けきっていない。

「無理しない方がいいわよ。あんな無茶な力は前代未聞なわけだし」

 無茶な力。騎神を通じた仲間たちとのリンクのことだ。

 ヴァリマールにマスタークオーツの特性が宿ることによる、一時的な能力付加。

 圧倒的な力ではあったが、その分反動も並ではない。今の自分の状態が、まさにそれだ。

「アリサからは釘を刺されてたみたいだけど、アタシからも言わせてもらうわよ。今後、準契約者たちとの騎神リンクは乱用しないこと。いいわね?」

「ああ。分かってる」

「特性にもよるみたいだけど、霊力消費が桁外れだわ。特にあの《エンゼル》は尋常じゃない」

 強化された空属性の広範囲アーツ。威力も凄まじかった。それ故に使用する場所も、タイミングも考えなくてはならないが。

「次点では《レイヴン》ってところかしら。何にせよ、各々の消費霊力が異なるってことは、戦闘状況に応じた特性の組み合わせが重要になってくるわ」

 霊力の総量を百とするなら、十ずつ使うか二十ずつ使うか、あるいは一気に五十使って、残りを節約して使うか。

 その判断と組み立ては自分に委ねられている。

「ま、アンタがあんまり無茶するようなら、仲間たちの方からリンクを切るようには言ってあるけどね」

「Ⅶ組のみんながストッパーということか」

「リミッター兼ね。正直アンタにはそれぐらいで丁度いいと思う。何だかんだで切羽詰まったら、結局自分の身を差し置いて力を使おうとするでしょうし」

「そんなこと――」

「ないって言い切れるの?」

 ……言い切れない。使ってしまいそうだ。

 騎神搭乗時の相棒を務めてもらっているからか、セリーヌには自分の性格を把握されているようだ。

 ふと、先ほどのアリサとの会話が脳裏によぎる。そういえばセリーヌは、俺が言うことを聞かないと怒っていたんだったか。

 確かにそうかも知れない。下がりなさいと言われれば突っ込むし、やめなさいと言われてもやめないし。

 それを謝ったところ、当のセリーヌは戸惑っていたが、

「わ、わかればいいのよ」

 なぜか照れた感じで許してくれた。

「――ああ、そうそう。あとこれも重要だから覚えておきなさい」

「まだ何かあるのか?」

 俺が気を失っている間に、色々調べていてくれていたらしい。前例もないはずだから、ノルドでのヴァリマールの戦闘データを基に分析するしかなかったはずだ。 

「覚えてる? フィーと――《レイヴン》とリンクした時のこと。あの時、本来なら在り得ないことが起きていたのよ」

「フィーとのリンク? 在り得ないこと?」

 高原から迫る二機のシュピーゲルに先制する為に、高速機動でこちらから打って出たのだったか。

 一体何が――いや、今考えてみると確かにおかしい。

「有効距離超過によるリンクブレイクが起きなかった……?」

 通常リンクを繋げられる距離は、実はそこまで長くない。

 お互いのコンディションなどにも左右されるが、せいぜい五〇アージュも保てば上出来だろう。

 《レイヴン》とリンクした後は、監視塔から高原側に移動して戦闘をした。その際、リンク相手のフィーとはかなり離れてしまったが、それでも力は途切れなかった。

「そう。リンク範囲までも増大してる。おおよそだけど、その距離は五〇〇アージュ。通常の十倍ね。つまりこれが準契約者と繋がって戦う場合のフィールドだと理解しなさい」

 逆に言えば、五〇〇アージュ離れてしまうと、途端にリンクブレイクを起こすということだ。

 制約とデメリットは確かにある。だがこの力なら、足りない技術を補える。

 届くかもしれない。蒼の騎神(オルディーネ)――クロウに。

 リィンは無意識に拳を握りしめていた。

「ま、とりあえずアンタはもう少し休んでなさいよ。次の出発までに体調も整えてもらわないといけないしね」

「ああ、そうさせてもらう」

 瞳を閉じる。眠気が強い。まだ完全には回復していないからだろう。すぐに意識が遠退いていく。

 虚ろな意識の中で、思い出すことがあった。

 ミリアムとリンクして哨戒艇の砲撃から仲間を守る直前に、あの声が響いたことを。アイゼンガルド連峰に続いて二度目だ。さすがに幻聴ではないと分かる。

 あの問い掛けの真意は何なのだろう。そもそもあれは誰なのだろう。いや、“誰”という表現が正しいのかさえ分からない。

 それに何より。

 あの声がだんだんと明瞭に聞こえ、少しずつ近付いてきていると感じるのは、果たして気のせいだろうか?

 

 ● ● ●

 

 貴族連合旗艦《パンタグリュエル》の船倉ドックは膨大な面積を誇っている。

 機甲兵数十機が整然と立ち並ぶ様は、壮観の一言に尽きる。メンテナンスや補修だけでなく、新型の機甲兵を造る設備、資材も潤沢にそろっているのだ。

 忙しなく動き回る大勢のメカニックの向こう。ドックの一角に、その二体の新型はほぼ完成していた。

 一体は要塞と見紛うような巨大さで、もう一体は対照的にスマートなシルエット。

 最終調整やら試運転やらがあるから、機体が出来ても実戦投入はまだ先になりそうだが。

「騎神がアーツとはな」

 視線を正面に戻し、クロウはひとりごちる。

 ガレリア要塞とノルドの監視塔で起きた戦闘。その詳細の報告は彼にも届いていた。

 ガレリア要塞では水属性のアーツを操って、機甲兵数機を押し流したらしい。ノルド高原では光の矢を降らせて、監視塔部隊を一網打尽にしたそうだ。

 それだけではない。

 銃弾を防ぐ琥珀色の装甲。黒い残光を引く高速機動。

 そこまでの報告で、クロウは理解した。

「灰の騎神――いや、リィンとあいつらの力か」

 Ⅶ組メンバーの扱うマスタークオーツは把握している。おそらく、これらの力は《アイアン》と《レイヴン》からもたらされたものだ。

 身体的特徴から察するに、フィーとマキアスも戦闘に参加していたそうだから、この見解で間違いはないだろう。

 リンクを通じて騎神にマスタークオーツの特性を映すとは。まったく、あいつらは予想の斜め上を飛んでくる。

「お前はアーツを使えるか?」

 苦笑交じりに問う。眼前に佇む蒼の騎神《オルディーネ》は、双眸に光を灯すと『不可能ダ』と応じた。

「まあ、だよな」

『本来ノすぺっくニハ無イ機能ダ』

「一応確認しただけだ。期待はしてねえよ」

 そもそも導力魔法(オーバルアーツ)が確立されたのは近代に入ってのことで、リンク機能に関してはことさらに最近だ。

 騎神が造られた時代には、そんな言葉や概念さえもない。いや、魔法に関してなら、違った系統のものが存在していたかも知れないが。

「それに現状で戦っても……やっぱり俺らが勝つだろうしな」

 侮って言っているわけではない。どれだけ能力を上乗せしようと、リィンが自分には勝てない理由がある。心持ちだとか覚悟だとか、そんなものとは別次元の話だ。

 騎神の力の本質を、あいつはまだ理解していない。

『ドウシタ?』

「何がだよ」

『気ニナル事ガアルノデハナイカ?』

「……どうにも相棒らしくなってきやがったな」

 オルディーネとの付き合いも三年を越えた。最近はこちらの雰囲気さえ察してくるような節がある。

「例えばの話をいくつか聞きたい」

『フム?』

「準契約者についてだ」

『以前ニモ伝エタト記憶シテイルガ』

 オルディーネからだけでなく、それに関してはヴィータから説明も受けている。主たる資格者と共に試練を乗り越えた者たちが、騎神によって選定されるものだと。

 その役目は起動者のサポートなどではなく、ただの予備。起動者が戦えなくなった場合、次に資質を有する準契約者へと起動権が譲渡されるという。

 戦えなくなった場合というのも様々で、想定されるのは逃避、病気、身体精神の著しい損耗、そして死亡だ。

「それは分かってる。だから例えばの話って言ったろ。もしも――もしも俺に準契約者がいたなら、お前はアーツを使えるのか?」

『質問ノ意図ガ不明』

「意味は不明じゃねえだろ。どうなんだ?」

 少しの間のあと、オルディーネは答えた。

『灰ノ起動者ト同ジ条件ナラ、可能ダ』

「そうか。……なら、新たに準契約者を作ることはできるのか? お前のシステム的に」

『ナゼ、ソンナ事ヲ問ウ?』

「なんとなく気になっただけだ。別に準契約者が欲しいわけじゃねえ」

 また沈黙するオルディーネ。先ほどよりも長く黙ったあと、『可能ダ』と告げた。

『起動者ト騎神ノ双方ガ認定スレバ、“規定”デハ問題ナイ。ダガ――』

 今までにそのような事例はなかったという。まあ、そうだろう。実際、興味本位で訊ねてみた程度だ。

 俺に準契約者はいらない。もし自分がどこかで倒れることがあれば、そこで終わりだ。

 戦う力を失い、オルディーネは再び眠りにつく。

「よっと」

 騎神の足元に、クロウは座り込んだ。

 整備中の機甲兵に視線を向ける。報告にあったもう一つの案件を思い出した。

「そういえば機甲兵が奪取されたんだったな」

 監視塔でドラッケンを乗り回して、挙句に一体を撃破している。報告ではブロンド髪の少女となっているが、これは多分アリサだろう。

 とんでもねえお嬢様だ。リィンのやつ、確実に尻に敷かれるな。

 気になるのは、正規軍に機甲兵が渡ってしまったことだ。

 大破したドラッケンが二機。中破したシュピーゲルが一機。はっきり言ってしまえば、それはさしたるアクシデントではなかった。

 戦場で破壊されて、敵陣営に鹵獲される可能性も開発段階から懸念されていた。それに対するプログラムも組み込まれていて、万が一の時には全ての機能にロックが掛かるようになっている。

 もし無理に内部機構にアクセスしようものなら、回線自体が焼き切れてあらゆるデータが消失するのだ。

 それでも構造に関して調べようと思えば調べられるが、所詮は表面上程度。仮に正規軍が機甲兵を開発しようとしても、まず不可能だ。細部のシステムまでは復元も再現もできない。

 故に、こちらが不利になるような状況は発生しない――はずなのだが。

「………」

 報告文書を読んだ時に感じた違和感。

 何か――重要な何かを見落としている。そんな気がしてならない。

「こんなところにいたのね。探したわよ、クロウ」

 呼ばれて思考を中断する。声の主はヴィータ・クロチルダだった。こちらに向かって歩いてくる。

「ヴィータには不似合いな場所だな」

「そうかしら?」

「歌姫様がわざわざ足を運ぶところじゃねえだろ。アンタのステージと正反対だ」

「私が歌えば、そこが舞台よ」

 工具の音と金属の臭いの中で、おどけたように青いドレスがひるがえる。

「で、何か用か?」

「私が、じゃないけどね。私たちの契約主様からよ」

 契約主。カイエン公爵。嫌な予感だ。

「……面倒なやつじゃねえだろうな?」

「もちろん面倒なやつよ」

 深淵の魔女はクスクスと笑った。

 

 ● ● ●

 

「気がめいるぜ」

 深く息を吐きだすクロウ。

 あの男は何を考えている。いや――何も考えてはいないのだろう。そうでなければ、こんな依頼を平然と、しかも俺に出すはずがない。

 ――アルフィン皇女の機嫌を直せなどと。

 パンタグリュエルに連れて来られてから、アルフィン皇女は水以外に一切口を付けていないそうだ。世話係の侍女も色々手を尽くしたそうだが効果はなく、ほとんど話もしないらしい。

 そりゃそうだろ。無理やり連れてきたんだからな。保護という名目の、拉致という方法で。

 せめて食事ができる状態にしろとのお達しだが、侍女でもできないのに俺ができると思っているのか。

 ヴィータはヴィータで『あなたの健闘を祈っているわ。私? 私は用事があるのよ』とか抜かして、どこかに行っちまうし。逃げやがったな、あれは。

 とりあえず一人は無理だ。助っ人がいる。

 そう考えて、クロウは来賓区画――貴族連合の協力者たちの居住区へと戻ってきていた。

「さて、誰にすっかな」

 視線をロビー内に巡らすと、ワイングラスを片手に座る男が見えた。ブルブランだ。先日ノルドから帰ってきたばかりだが、特に変わった様子はない。

 その彼と対面して座っているのはデュバリィだ。片眉を吊り上げ、口元をひくつかせている。

 二人はトランプゲームをしていた。

「ふははは! これで私の五戦五勝だな。どうする。まだやるのかね?」

「やりますわ! やってやりますわ!」

 以前イカサマにやられていたのに、性懲りもなく。哄笑を上げるブルブランの前に、デュバリィはだんとカードを叩きつけた。

「もう一勝負願います!」

「その意気やよし。ただ、次に私が勝ったらペナルティでも受けてもらおうかな」

「えーえ、構いませんことよ。そちらこそ覚悟しやがれですわ!」

「やめとけって」

 割って入ったクロウが、二人を――どちらかといえばデュバリィをいさめた。今の所イカサマはされていないようだったが、それを差し引いても彼女はこの手のゲームに弱いらしい。多分、思いっきり表情に出るのだろう。

 ……この二人に皇女説得を頼むのはどうか?

 思いかけたが、やはりそれは止めた。

 デュバリィに説得は不向きそうだし、途中で「あーもう!」とか言って逆ギレしそうだ。

 ブルブランなど登場しただけで、相手の感情を逆撫でするかもしれない。一応協力者ではあるのだが、人をイラつかせることに関しては、無類の性能を誇る。

「な、なんですの。人の顔をまじまじと見て」

「ふーむ。何やら失礼な事を考えていないかい?」

「なんでもねえよ。つーか、お前はレグラムに行くんじゃなかったか?」

 デュバリィにそう言う。彼女は露骨に顔をしかめた。

「……そんなことを思い出させないで下さい。はあ、なんであの人と同行なんて――」

 ぶつぶつとつぶやきながら、デュバリィは自室に戻っていく。

 代わりにカードゲームの相手をしないかとブルブランは誘ってきたが、それは断っておいた。

 他に頼れそうなやつは――

「ん?」

 ドアが開きっぱなしの部屋があった。通りがてらにのぞいてみると、奥のベッドにアルティナが寝転んでいた。

 枕をぎゅうと抱きしめては「嫌い……嫌いです」とぷるぷる震えている。

 詳しくは聞いていないが、ノルドでひどい目にあったらしい。一体なにがあったのだろうか。

「これは耳じゃないし、尻尾でもないし……」

 ……なにがだ?

 下手に声をかけに入るとクラウ=ソラスに迎撃されるので、彼女はそのままにしておいた。

 何よりアルティナこそ、そう言った説得には向いていない。皇女と黒兎が押し黙り、二人して延々と沈黙を貫き通す光景が目に浮かぶ。

 じゃあ、どうする。あとは《西風》の二人に、《劫炎》のあいつ。

 無理だ、絶対に無理だ。まともなやつがいねえ。

「マジでやべえな」

 悩んでいると、

「あら、難しい顔でどうしたの?」

「次の作戦か?」

 スカーレットとヴァルカンがやってきた。何でも例の新型機甲兵を見てきたのだという。あれらの専属操縦兵は、この二人に決定している。

 彼らとは帝国解放戦線として、長く行動を共にしてきた。それなりに気心も知れている。

 物は試しだ。

「ああ、大したことじゃないんだが――ちょっと頼みたいことがある」

 クロウが肩をすくめると、二人は顔を見合わせた。

 

 

「あなたも大変ねえ」

 来賓区画二階。件のアルフィンがいる部屋の前で、スカーレットはそう言った。

「まあな」

「というか、そういう類のことをクロウに頼むのもどうかと思うけど。配慮に欠けるというか」

 スカーレットの言い様はもっともだった。もしかしたら自分は、一番皇女に会ってはいけない人間かも知れないのに。

 ヴァルカンが気だるげに言う。

「上に立ち続けられる人間ってのはな。カリスマ性で周りを引っ張っていけるタイプか、人間性で周りに慕われるタイプか、逆に他人の心や周囲の機微にひたすら鈍感なタイプか。大体そんなもんだ」

「なるほどな」

 妙に説得力のある言葉だった。

「頼んでおいて言うのもなんだが、ヴァルカンも協力してくれるのかよ。なんつーか意外というか」

「特に今やることもないからな」

「あなたが入室してきたら、皇女様泣いちゃうんじゃないかしら。そうなったら歌でも歌ってご機嫌取り直しなさいよ?」

 筋骨たくましい強面である。ヴァルカンは豪快に笑った。

「これでもガキの面倒事には慣れててな。まあ、見てろ。飯食わせればいいんだろ?」

「いえ、まあ、そうなんだけどね。というか皇女殿下をガキってあなた……」

 不安げにスカーレットはクロウを見た。

 三人がかりで一度に部屋に入っても、アルフィンを萎縮させるだけかもしれない。だから一応一人ずつチャレンジする話にはなっているのだが――ヴァルカンに関しては同行があった方がいい気がする。

 スカーレットの視線を受け止めて、クロウはヴァルカンを呼び止めようとしたのだが、その前に彼は扉を開いてた。まさかのノックなしだ。

 止める間もなく、堂々とした歩みで、ヴァルカンはVIPルームへと押し入ってしまった。

 

 

 アルフィンは部屋中央のソファーに座っていた。

 彼女はヴァルカンを見るなり驚いた表情を見せたが、すぐに視線を正面に据え直し、口元を結ぶ。

「失礼するぜ」

 小さなテーブルを挟んで、アルフィンの対面のソファーに着席した。どすんと重い音に、一瞬皇女が身を固くする。

 その様子を扉の隙間からクロウとスカーレットはのぞいていた。

「ちょっと。早くもアルフィン皇女怯えてない?」

「大熊と遭遇したリスみたいになってんな」

 何てアンバランスなツーショットだ。

「おう。皇女様よ」

 アルフィンは応えない。黙って大男の挙動を見ている。

「ここ最近何にも食ってないらしいな。体壊すぞ。おう」

 その『おう』ってのをやめろ。なんで挑発的なんだよ。

 そんな心の声が届くはずもなく、ヴァルカン流の発破術は続く。

「これ持って来てやったぞ。遠慮せずに食いな」

 卓上にドンとバスケットを置く。中にはゴツゴツしたスペアリブが大量に詰め込まれていた。

 さっき三人で厨房に立ち寄って、それぞれアルフィンが好みそうなものを見繕ってきたものだ。お互いが何を用意していたのかは知らない。

「ヴァルカン、やらかしたわね」

「やらかしたな」

 どんなチョイスだ。ナイフもないし、フォークもない。皇女が肉に素手でかぶりつくわけねえだろ。

 アルフィンが小さく口を開いた。

「いりません」

 案の定の返答に、ヴァルカンはのそのそと戻ってきた。

 

 ヴァルカンと入れ違いで、スカーレットが続く。

「ごきげんいかがですか。皇女殿下」

 間違っても先だってのような威嚇はなく、相手に警戒させないように努めている。

 ヴァルカンは多少砕けた感じの方が友好的だと思ったらしいが、あれでは酒場のノリだ。

「お邪魔しますわね」

 彼女は楚々と腰掛け、ヴァルカン同様にバスケットを差し出した。小慣れた感のある女性的な振る舞いだ。ここまで失態らしき失態はないが、やはりアルフィンに反応はなかった。

「先ほどは不調法な男が失礼を。いきなりあんな胃に重たい物をお出しするなんて、あとでよく言い含めておきます」

 クロウの後ろで、「不調法な男って俺のことかよ!」とヴァルカンが憤る。「静かにしろって。ていうかスペアリブはダメだろ」と改めてたしなめると、彼はむすりとして不承不承ながらも押し黙った。

 その折、スカーレットがバスケットの中を見せていた。

 彩り鮮やかなフルーツの盛り合わせだ。アルフィンはそれを一瞥して、

「いりません」

 下を向いて口をつぐむ。スカーレットはあきらめなかった。

「ですが殿下。何も召し上がらないとお体に触りますし」

「………」

 話さない。

「ほ、ほらマスカット。実も大きくて美味しそうです」

「………」

 話さない。

「イ、イチゴなんかは、よく熟れて血のように赤いし」

 沈黙に耐えかねて、スカーレットの勧め文句に余裕が無くなってきている。血のようになんて言うなよ。

「メロンなんてその辺の鈍器くらいの重量がありますわ」

 アルフィンは見向きもしない。

「リンゴなんて七十キロの握力があれば、握りつぶすことも出来るのですわ」

「………」

「………」

 もはや何の話なんだか。結局二人とも沈黙してしまった。

 限界らしい。スカーレットが視線で助けを求めてくる。クロウは身振り手振りで「もう少し頑張れ」と指示を出した。せめて気分を持ち直せればいい。

 それでもスカーレットは首を横に振って、一時撤退を要求してくる。ほとんど懇願に近い。

 なんなら歌でも歌うんだろ? 何でもいいから、やるだけやってくれ。

 口元の動きとジェスチャーで理解したらしく、スカーレットはしばし黙考する。激しい苦悩の表情が見えた。内なる葛藤と戦っているようだった。

 つうっと一すじの汗が頬を伝い、彼女はこほんと咳払いをする。直後、ゆらりとその場に立ち上がった。

「ええと……歌いますわ」

 本当にやってくれた。ああ見えてスカーレットは真面目な性格だったりする。

 彼女は美声を室内に響かせた。初めて聞いたが、かなりうまい。途中、拳を握ったり腕を掲げたり、パフォーマンスまで入れてきている。

 しかし悲しいことに、当のアルフィンには何が起こっているのか分かっていないようだったが。反応がない、というかこれは反応のしようがない。

「ご、ご清聴ありがとうございました」

 一曲丸々歌い上げたあと、居たたまれなくなった様子のスカーレットが早足で戻ってくる。

 顔を真っ赤にして、そのまま廊下を走り去ってしまった。

 

 結局、出番がやってきた。

 気乗りしないまま、クロウは部屋へと入る。アルフィンは相変わらずの様子だ。

「お久しぶりで。お邪魔しますよ」

 クロウとアルフィンは面識がある。ザクセン鉄鋼山の一件の後に、特科Ⅶ組としてバルフレイム宮で謁見しているし、彼女がトリスタに来た際も顔を合わしていた。

 アルフィンの視線がクロウに向く。意外そうな顔をしたのも一瞬、その表情は硬くなった。

 当たり前だ。だから会いたくなかった。

 オズボーン宰相を撃ったのは、この俺だ。クーデターを起こし、内戦勃発のトリガーを引いた張本人。

 アルフィンの――アルノール家が治める国を滅茶苦茶にしたのだ。

 恨まれて当然。仇とも元凶とも言える相手に、どうして彼女が心を開けよう。

「さっきの二人は申し訳ありません。あれでも殿下の身を案じてのことなので、ご容赦のほどを」

 薄い言葉だ。本当に身を案じているなら、さらった挙句、こんな所に軟禁などしない。

 アルフィンが顔を上げる。

「普段通りの話口調で結構です。今さら私にかしこまる必要はありません」

「そうかい」

 すんなり会話をしたことに内心で驚きながらも、クロウはすぐに応じた。この状況で相手を敬い、慮るなど、嘲っているように感じられても仕方がない。その理解はある。

「まあでも、何かしらは食べた方がいい。スペアリブはともかく、フルーツなら食べやすいだろ」

 スカーレットが置いたままのバスケットに目をやる。

「いりません」

「まいったぜ」

「クロウさん。訊いてもいいですか」

「何なりと」

 わざとらしく首をかしげるクロウに、アルフィンは言った。

「どうして、何を思って、あなたは……」

 オズボーンを撃ったのか、だろう。話すつもりもないし、立場を正当化するつもりもない。

 適当にはぐらかそうと思ったところで、

「リィンさんたちの元を離れたのですか?」

 予想していない質問だった。

「……離れたってのは違う。俺は元々帝国解放戦線のリーダー。リィンにも言ったが、俺の本分は《C》だ」

「仲のいい同級生の方もいたのでしょう。何も思わなかったんですか」

「ああ、思わなかった。元々が隠れ蓑だったからな。あの学院は」

 そうだ。それが全てだ。俺はあいつらを裏切り、ここにいる。

「リィンさんたちと一緒にいるあなたを、私は何度か見ています。あの笑った顔が、楽しそうな表情が、演技だとは思えません。それにあなたは私を助けてくれました」

「何を――」

「あの体育大会の日。私がⅦ組の皆さんからルビィちゃんを預かった日のことです。捕らわれた私の為に、あなたも学院中を走り回ってくれたと聞いています」

 些細なきっかけから執り行われた、Ⅶ組と貴族組の体育大会。ルビィと言うのは、その時世話をしていた子犬の名前だ。もうずいぶんと昔のことのように思える。

 帝国解放戦線の残党が乱入してきたせいで、大会は途中で中断。あれは自分にとっても不測の事態だった。

「あの時はクーデターも控えていたからな。俺も下手には動けなかった。リィンたちと足並みをそろえていただけだ」

「本当にそれだけなんですか」

 大きな瞳がのぞき込んでくる。そこに非難はなかった。ただ知ろうと、理解しようとしている。俺に対して、どうしてそんな目ができるんだ。

「……どうなんだろうな」

「クロウさん?」

 自分でも全てが演技ではないと分かっている。

 トワたちと過ごした時間。リィンたちと過ごした時間。慌ただしい学院生活。

 楽しいと感じる自分は確かにいたと思う。同時に、本気で楽しんではいけないと思う自分もいた。

 いずれ去る場所。いずれ消える関係。信頼の全てに背を向ける自分に、その資格はないのだと。

「俺自身にもよく分かっていない……かもな」

 その時、本当は何を思っていたか、なんて。

 ずっと偽っていたから。

 気持ちと目的の狭間。表と裏。そのどこかに、自分の心は隠れてしまった。今さら探そうったって、簡単には見つからないんだ。

 思いがけず本音を吐露してしまったのは、この不思議な瞳に見つめられているせいだろうか。

「分かる時が――思い出す時がきっときます」

「思い出す?」

「そうです」

「俺は何も忘れちゃいない。仮に何かを思い出したところで、何も変わらない」

 アルフィンは静かに聞き入れている。

「言っておくが、後悔もしていない。引き金は俺の意志で引いたんだ。内戦勃発は予定通りだ。あんたには到底納得できないだろうが」

「……これからあなたはどうするのですか?」

「契約通り、貴族連合に協力するさ」

 オズボーンを討った以上、自分の目的は果たしている。あとはバックアップしてくれていたカイエン公爵の目的に力添えするのみだ。ヴィータにはヴィータで、他の目的があるらしいが。

 貴族による統治を取り戻すなど、正直自分にはどうでもいいことだ。ただ立ちはだかる敵を排除する。彼らが呼ぶところの《蒼の騎士》として。

「質問を変えます。これからあなたは、どうしたいのですか?」

「それは――」

 はじめて返答に詰まった。その場しのぎの適当な答えも出て来なかった。

 問われて考えたのは今のことではない。少し先の未来のこと。

 貴族連合が勝利し、戦いが終わる。

 その先、自分はどう生きるのだろう。何を望み、何を目的に生きるのだろう

「………」

 口を閉ざすクロウ。それ以上はアルフィンも何も言わなかった。

 アルフィンが不意に何かを指し示す。クロウが持って来たバスケットだった。

「私の為に用意して下さったのでしょう。頂いても構いませんか?」

「え? あ。ああ」

 どうして急に食べる気になったのか。

 とりあえずクロウはバスケットを差し出した。何にせよ、食べてくれるならそれでいい。

「あら、何でしょう。見たことがないですけど」

「故郷の料理でな。簡単にだが、さっき作ってきた」

「クロウさんが?」

 驚いた表情を浮かべて、アルフィンはそれを取り出す。二枚のバンズに揚げた白身魚と特性ソースを挟んだ、通称フィッシュバーガーだ。郷土料理というほど大層なものではなく、若者に人気のソウルフードといった感じだ。

「っと、ナイフとフォークを忘れちまった。普通はそのままかぶりつくんだが、さすがに食べにくいだろ」

 うっかりしていた。これではヴァルカンのことを言えない。そういえばスカーレットは大丈夫だろうか。あとで謝らないとな。

「ちょっと取ってくる。少し待っててくれ」

「かまいません」

 そう言うと、アルフィンは小さな口を開けて、はむっとフィッシュバーガーにぱくついた。

 たちまちに瞳が輝く。やはり腹は空いていたのだろう。すぐに二口目。三口目。上品な食べ方が崩れないのは、さすがというべきか。

「すごくおいしいです」

「そいつはよかったぜ。けど作ってから時間経ってるし、冷めちまってるだろ?」

「ええ、外側は。でも中身はあたたかいです」

 食事の手を止めて、アルフィンはクロウを見た。

 

 

 ――END――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

《修道女の願い③》

 

「税率の引き下げは俺から父に取り合ってみよう」

 手元の資料に目を落としながらユーシスはそう言った。

 内戦が起こって以降、上がり続ける税金。それに加えて物資の徴発まであれば、町民の生活はますます厳しいものになってくる。

 流通が制限され、大市さえ縮小しているケルディックにとっては死活問題とも言えた。

「よろしくお願いします。ユーシス様」

 教会の応接室で深々と頭を下げるのは、大市を取り仕切る責任者、オットー元締めだ。

 彼は何度も領邦軍の詰所に陳情を申し出ているのだが、まったく取り合ってもらえなかった。そんな中、査察でケルディックを訪れたユーシスに、無理を承知で直談判してみたのである。

 拘束されることも覚悟の上だったが、ユーシスはすんなりと面談の席を用意したばかりか『こいつらがいたら話しにくいこともあるだろう』と、秘書役の付き人をその場から外させた。

「だが、期待はしないでもらいたい。父上が俺の話を簡単に聞き入れてくれるとも思えん」

「それでも、私たちはあなたに望むしかないのです。ユーシス様」

 町の想いを一手に背負うというのは、重いことに違いなかった。しかし、領地運営を学び始めたばかりの自分でも分かる。こんな税収を続ければ、この町は立ち行かなくなる。もちろん父も分かっているはずだ。

 これでは搾取だ。ここに暮らす人々が苦しむだけなのに。

「ユーシス様?」

 考え込んでいたところで名を呼ばれ、ユーシスは意識をオットーに戻した。

「ああ、分かっている。最善は尽くそう。ところで――」

 言いかけた時、ノックに続いて扉が開いて、ロジーヌが入ってきた。

 軽く礼をすると、彼女は二人の前に紅茶の入ったティーカップを並べる。

「難しい話ばかりではお疲れになると思いまして」

「おお、済まないね。この教会での生活も慣れたようで良かった。働き者の学生が来てくれて助かってると、シスター・オリーヴから聞いているよ」

「こちらこそ長く厄介になってしまい申し訳ありません。私にできることなんて微々たるものですが」

「はは、謙遜を。子供たちも懐いているようだし、ずっと滞在してくれても構わんのだがね」

 ティーカップを手にしようとしたオットーが何かに気づいた。

「おや、ユーシス様の方にはシュガースティックとミルクがついていないようだが……」

取るカップを間違えたと思ったのか、気遣わしげなオットーに「いえ、それでいいのです」とロジーヌは言った。

「ユーシスさんはミルクなしで砂糖が少し。ちょっとだけレモン果汁を入れていますので」

「ああ」

 それが当たり前のようなやり取りをして、ユーシスは紅茶に口をつける。その隣で相変わらずの微笑を浮かべたまま彼女は控えていた。

 オットーは訝しげにその様子を見て、

「えっと……お二人は……?」

『何か?』

「あ、いえ」

 そろった声で聞き返され、オットーは口をつぐむ。不思議そうに見返してくる二人の視線は受け止めきれず、カップの中の紅茶を眺めながら彼は話題を変えた。

「そういえば、先ほど何かを言いかけていませんでしたかな?」

「別に大したことではないが」

 そう前置きしてユーシスは言った。

「俺に対して無用にかしこまる必要はない。前回の実習で他のⅦ組が世話になったと聞いているが、そのように応対してもらって構わん」

「そ、そうは言われましても」

 うむむ、とうなる彼に助け舟を出したのはロジーヌだった。

「オットーさんが困っていますよ、ユーシスさん」

「……そうか。無理を言った」

 すんなり引き下がり、ユーシスは立ち上がる。オットーも慌ててソファーから腰を上げた。

「私などにお時間を割いて頂き、ありがとうございました。査察の続きに行かれるのですか?」

「いや、滞在した二日間で大体の状況は分かった。この後は別の用事が控えている」

「別の用事?」

「別の用事だ」

 そう言って、ユーシスはロジーヌに目をやった。

 

 

「あったぞ」

 岩陰に手を伸ばし、ユーシスはそれを手に入れる。採取したのはキュアハーブ。これで五つ目だ。

 その後ろでロジーヌは意外そうな顔をしていた。

「あっという間にこんな……ユーシスさん、すごいです」

 薬の調合にキュアハーブという薬草が必要。

 数日前に彼女がふと呟いた言葉を、ユーシスは忘れていなかった。査察が一区切りしたから、その事でロジーヌに声をかけたのだが、彼女にとってはまったく想像していなかったことらしい。

 驚いたり、慌てたり、焦ったりとめまぐるしく表情を変えていたが、最終的には喜んだ様子だった。

 大市にほとんど出回っておらず、野生のキュアハーブを探す以外になかったのだが、幸いルナリア自然公園に生えているとの情報は得ていた。

 馬を借りて一人で行ってくると告げると、ロジーヌは同行を申し出てきた。

 一度は必要ないと断ったのだが、それでも彼女は『魔獣もいるし一人では危ないでしょう』『サポートの手はきっと必要になります』などと引き下がろうとしない。

 ならば護衛代わりに待機させている付き人を連れて行くと言うと、ロジーヌは悲しそうな――それはもう非常に消沈した様子で『……やっぱり私なんかでは足手まといですよね』と顔をうつむかせるので、これにはさすがのユーシスも折れざるを得なかった。

 そういう訳でルナリア自然公園。キュアハーブの捜索を開始して一時間も経たないが、すでにそれなりの数が集まっている。

「もしかしてキュアハーブが生えてそうな場所が分かるんですか?」

「なんとなくだがな」

 この薬草は自分にとって馴染みのあるものだ。それに以前にも特別実習の中で、キュアハーブ探しを依頼されたことがある。

「もう少し森の奥に行けば、採取できる量も増えると思うが」

「それはやめておきましょう」

「なぜだ」

「上位三属性が――」

 はっとしてロジーヌは言葉を止めた。「分かるのか?」と驚いた目を向けてきたユーシスに「あ、あの。なんとなくです」と言葉を濁して、彼女は口をつぐむ。

 そういった気配を察知できる人間がいることをユーシスは知っている。珍しいとは思ったが、訝しむほどではない。ロジーヌも気にしているようだったので、それ以上は何も言わないことにした。

「量はもう十分か?」

「え? はい、これだけあれば足りると思いますが」

「なら、そろそろケルディックに戻るぞ。遅くなっては無用な心配をかけるからな」

 キュアハーブを手早く袋に詰めると、ユーシスは道を引き返した。

 

 

 夕焼けに染まる街道を、一頭の馬が駆ける。

 その背に乗って、二人はケルディックへ向かっていた。

「町に着いたら、あの入口柵のことも伝えておかないといけませんね」

「そうだったな」

 自然公園を訪れた際に気付いたのだが、入口の鉄柵がひん曲がって半開きになっていた。ちょうど人ひとりが通れる程度の歪みである。魔獣が逃げ出したような形跡はなかったが、放っておくわけにもいかない。簡単に隙間を防ぐだけの応急処置はできたので、あとは管理人まで報告する必要があった。

「そういえば、ジェイクにキュアハーブをくれた人。結局、誰か分かりませんでしたね」

「ああ、捜索も打ち切らせたからな」

 先日のことである。

 大市で町の少年ジェイクと領邦軍兵士が、キュアハーブをめぐって揉めごとを起こしていた。その際近くにいた青年が場を収めたのだという。収めたというか、兵士二人をぶん殴って逃走した形らしいが。

「どんな人だったのでしょう」

「分からんが、話を聞くに非は兵士側にあった。とりあえずあの二人には便所掃除を命じてある」

「まあ……」

 ユーシスらしい采配だと、ロジーヌは内心で苦笑した。

「……その、さっきのことは」

「さっき? ああ、三属性を感じたことか」

「……はい」

「別にどうということはない。稀な能力だとは思うが、初めて見たわけでもないしな」

 当たり前のようにユーシスは言った。

「自分は自分、なのだろう」

「え?」

「お前がよく俺に言う言葉だ。そういうことではないのか」

「はい、多分……そう、なのだと思います」

「なら、気にするな」

 足りない言葉。不慣れな気遣い。不器用な優しさ。だけど、それが嬉しかった。

 その後も取り留めのない会話を交わす。

 この時間がずっと続けばいいのに。馬を繰る彼の背中を見ながら、心の片隅でロジーヌはそう思った。

 ユーシスは明日、ケルディックを発つ予定だ。バリアハートに帰ったあとはどうするのだろう。これまで通り、父であるアルバレア公の下で動くのだろうか。

 彼が決めたことならばそれでいい。だけど、この数日一緒にいて、彼はまだ迷っていると分かった。態度も口調も普段通りなのだが、それでもそう感じた。

「………」

 彼の背を押し、迷いを断つことが出来る人がいるとすれば、それは――それはきっと私じゃない。

 やるせない心のまま、自分の額をユーシスの背中にそっと押し当てる。

 お互いに沈黙し、街道には馬の足音だけが響いていた。

 

 

 自然公園の管理人に事の次第を報告し、教会に戻った時にはすっかり日が暮れてしまっていた。

 教区長は執務室で書き物をしているようで、出掛けているのかシスターも見当たらなかった。

 礼拝堂には誰もいない。いや、一人だけ最前列の長椅子に座っている。こんな時間まで熱心に祈っていたのだろうか。

「では俺は宿に戻る。薬の調合とやらは程々にして、お前も早く休むがいい」

「わざわざ送って頂いてありがとうございます。おやすみなさい、ユーシスさん。よい夢を」

 受け取ったキュアハーブを手に、ロジーヌは微笑んでみせる。

 ユーシスが戸口に向かおうとした時、座っていたその女性がおもむろに立ち上がった。

「ようやく会えたわね」

 聞き覚えのある声。

「ここまで来るのにはそれなりに苦労したけど、それでも所在がはっきり掴めたのはあなただけだったから」

 そう言って彼女は振り返る。

 予期しない出会いに、ユーシスは小さな声をもらした。

「サラ……教官?」

「久しぶり。元気そうね」

 サラ・バレスタイン。Ⅶ組の担当教官だ。トリスタ襲撃のあの日から、彼女も行方不明だと聞いていた。

「積もる話は色々あるけど、まず伝えることがあるの。数日前、あなたがケルディックに来たのとほとんど入れ違いに起こったことよ」

「……?」

 彼女は顔から笑みを吹き消した。

「ユミルの町が襲撃されたわ。襲ったのはクロイツェン州と契約している猟兵団」

 絶句するユーシスに、サラは告げた。

「その指示を出したのはアルバレア公爵よ」

 

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。

休息日アナザー。主にクロウサイドのお話ですが、サイドストーリー共々重要な回だったりします。

ちなみに今回のサイドストーリー、登場の順番の都合で、時間軸がちょっと遡っていますね。ジェイクを助けた青年とは、言わずもがなクレインの兄貴です。

さてさて、あと一話だけ休息日アナザーを描いたら、本編の進行に移ろうと思います。
次回はレグラムメンバーがメイン! 引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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