「私たちも連れて行って下さい!」
シュバルツァー邸玄関口の前に、少女二人が両手を広げて立ち塞がっている。
頑として道を開けないエリゼとアルフィンに、トヴァルはほとほと困り果てていた。
「いやいや、殿下にエリゼお嬢さん。アイゼンガルド連峰には危険な魔獣も生息していますし、ここはやはり自分が行くべきでしょう」
エリゼが謎の人物から通信で聞いたという、リィンの居場所。罠という可能性も考えないではなかったが、しかしもし本当にそうなら、もっと賢いやり方をするだろう。
怪しさは拭いきれないが、いずれにせよ確認はしておく必要があった。
「そういうわけで、そこを退いて頂いて――」
「ダメです」とアルフィン。
「イヤです」とエリゼ。
アルフィンは可愛らしい仕草で通せんぼをし、エリゼは城門を守る番人のごとく、どんと構えている。
帝国皇女と領主令嬢の双璧。突破困難の厳しすぎる関門である。
後ろから笑い声がした。
「エリゼ、そうトヴァル殿を困らせるものではない」
精悍な顔立ちに、がっしりとした体躯。ユミル領主、テオ・シュバルツァーだ。その傍らには妻のルシアも控えている。
「父様、私は!」
「わかっている」
はやるエリゼを短く制し、テオはトヴァルに視線を移した。
「私からも頼もう。エリゼを連れて行ってはくれないか」
「しかし閣下……」
「トヴァル殿が同行しているのなら任せられる。それに自分の目で確かめねばエリゼも納得しないだろう」
娘の性格を心得ている父親の言葉だった。
観念したようにトヴァルは肩を落とした。
「もちろん、わたくしも行きますわ」
当然のようにアルフィンは言って、《ARCUS》を掲げてみせる。
これにはテオもルシアも難色を示したが、サポートに徹するの一点張りで、最終的には押し切られる形となった。
彼女達に《ARCUS》を渡し、その指南をしたのは他ならぬトヴァルだ。後方援護や回復役としての立ち回りは、十分に戦力になると分かっていた。
しかし、これだけは言っておかなくてはならない。
「絶対に前衛には出ない事。それから俺の指示と判断には従って下さい。これはお二人の身を守る為でもあります」
「は、はい。お約束します」
表情を明るくするエリゼ。
こほんと咳払いし、「それから――」とトヴァルは付け加える。
言っておくべきがもう一つ。
「……俺のコートは防火仕様ですので」
言葉の意図が分からない様子のテオとルシアとは逆に、何かしら心当たりがあるらしいエリゼとアルフィンは、そろって目を逸らしていた。
● ● ●
当然の事だが、リィンは混乱していた。
こちらの理解を待つ気はないらしく、喋る黒猫――セリーヌは一方的に状況の説明を続ける。が、それは説明と呼べるほど親切なものではなかった。
まともに働かない頭の中で、何とかして話を繋げてみる。
自分は“灰の
そして、力の一角を担う存在こそが、身の丈七アージュはあろうこの騎士人形――《灰の騎神》。
その騎神は今、
「ワケが分からない……」
セリーヌの説明をまとめてはみたが、知らない語彙ばかりだった。まるで話についていけない。
騎神に目を向ける。反応はなかった。
「“彼”の名前、アンタはもう知っているはずよね」
「名前……」
そう、知っている。むしろ知っていたという感覚に近い。心の奥底に沈殿していた知識が、何かをきっかけに浮上してきたと言うべきか。
その名を口にする気にはなれなかった。あれほどの力を行使しても、仲間を守ることはできなかったのだ。
守る? 何から?
「っ!」
ここでようやく思い出す。
全力で挑み、そして敗れた相手。
「クロウ!」
意識を失う直前の光景が脳裏をよぎる。自分を逃がす為に、その場に踏みとどまった仲間の姿。彼らに刃を向ける青色の騎神。
「貴族派という勢力に伝わっていたもう一つの力、《蒼の騎神》オルディーネ。起動者があのお調子者だったなんてね。アタシも騙されたもんだわ」
「どうして、クロウは……」
「アタシに分かるわけないでしょ。ただ、相当乗りこなしていたし、執念の賜物ってやつかしらね」
執念。
あいつを突き動かしていたものはなんだ。どんな経緯があって《C》などと名乗っていた。全てを置き去りにして放った、取り返しのつかない一発の銃弾。何を思ってあの引き金を引いた。
いや、それは後からくる疑問。本当に知りたいことは、ただ一つ。
――俺達の事を、どう思っていた。
「起きてくれ! 俺をトリスタに帰してくれ!」
仲間達の、Ⅶ組の皆の所へ。
騎神に駆け寄り、足元をがんと叩く。光の宿らない瞳で見返してくるだけで、何も応じてはくれなかった。
「核が傷ついてるって言ったでしょ。こんな所まで飛んで来た上に、初めての“同期”で消耗したアンタの回復を優先したみたいだし。しばらくは動けないわよ」
歯噛みし、辺りを見渡す。
地形に見覚えがあった。ノルティア州北方、アイゼンガルド連峰だ。
ならば徒歩で下ればいい。ここでじっとしていることなど出来ない。
セリーヌの制止には耳を貸さず、リィンは一歩を踏み出した。
「ねえ、待ちなさいよ。彼をここに置いていくつもり?」
「どの道動けないんだろう」
「それはそうだけど……あ、ちょっと」
構わず進む。
少し先であるものを見つけた。
「これは、俺のか?」
岩陰に隠すように置かれていた、一振りの太刀。セリーヌが「ふふん」と得意気に鼻を鳴らした。
「雨風に晒されないように私がそこに運んだのよ。苦労したんだから感謝しなさい――って聞きなさいよ!」
刀身の損傷具合を確認したリィンは、すでに歩き始めている。
足は止めないまま鞘を腰に差した時、急な目まいが襲ってきた。
「うっ……?」
――お前の剣は、どれだ
歪む視界の中に、男の声が響く。幻のように薄れて消える、虚ろな声。
「なによ、どうしたの?」
「いや、なんでも、ない」
目まいはすぐに収まった。幻聴も聞こえない。気のせいだろうか。やはり、まだ本調子ではないらしい。
太刀の柄に軽く手を添え、リィンは山塊の向こうを見据えた。
前を行くリィンの背を眺めながら、セリーヌは何度目かの嘆息を付いた。
トリスタで何かと自分に話しかけてきたこの男は、もう少し愛想がよかった気がする。もっとも以前はただの猫を演じていたし、あの時はあの時で鬱陶しいくらいにしか思っていなかったけど。
人間の機微には疎いと自覚しているが、なんというかこれは居心地が悪い。
こういう時はどうすればいいのか。エマと口ケンカすることは多々あったが、大体は向こうから折れてきた。
しかし、この男はそんな素振りを見せない。振り返りもせず、すたすたと尾根伝いに山道を進んでいく。
あれだ。気まずい。
「もう、待ちなさいよ!」
結局それ以外の言葉が見つからなかった。
ぴたりと止まり、リィンはじろりと振り返る。何かを言おうとはしない。若干気圧されつつも、セリーヌはその目を見返した。
「な、なんか言いなさいよ。ひょっとして怒ってるわけ?」
「別に」
顔を正面に戻したリィンは「こちらの意志を無視して、勝手な事をしてくれたと思っているだけだ」と棘のある声音で言った。
やっぱり怒ってるじゃないの。
あの時、灰の騎神に離脱を指示したのは確かに自分だ。そうしなければリィンがどうなっていたかは分からないし、騎神自体が失われている可能性もあった。正しい判断だと思っている。付け加えるなら、消耗しきったリィンの回復の為、核を通じて
感謝こそされても、恨まれる筋合いはない。
そんな物言いをする度に、よくエマが諌めてきたものだが――それはともかく。
「あれからもう一か月も経ってるんだし、山を下りたからってすぐにどうなるものでもないわよ」
「い、一か月!?」
どうやら、その言葉が一番衝撃を与えたらしい。
絶句したリィンは、その場にへたり込んだ。
黙して何かを考えていた様子だったが、ややあって口を開く。
「……今さらだが聞いておきたい」
戸惑いは隠せていないが、それでも彼は質問を重ねてきた。
「君は何者だ。どうして色々なことに通じている」
まさかただの猫とは言わないだろう、そう続けられた言葉に、多少は溜飲が下がった心地になる。
ようやく来た。もはや隠す必要もない。というかタイミングを逃していたので、どこで言うべきか微妙に迷っていたのだが。
教えてあげるわ、このアタシの正体を。
「そういえば言ってなかったわね。アタシは――」
ちょっと勿体ぶった前置きをして、その問いに答えようとした時だった。重い地響きが辺りを震わした。
「な、何だ? どこかで岩盤が崩れたのか」
「違う!」
ズン、ズンと地鳴りが近付く。これは足音だ。そして、騎神とは似て非なるこの霊力。
そいつは岩肌の狭間から、ぬっと姿を現した。
体の至る所から紫煙を立ち昇らせる、巨大な異形。人型ではあるが、騎神ではない。
「こいつは、魔煌兵!」
鉈のような大剣を振りかざし、魔煌兵――オルトヘイムが襲い掛かってきた。
さして広くなく、両側面を岩壁に挟まれた場所。相手の攻撃が避けにくく、背後にも回れそうにない。戦うには適していない地形だ。
「ここから離れる!」
「分かったわ!」
走り出すリィンとセリーヌ。背後から追い迫るオルトヘイム。
「あいつについて知っていることがあったら教えてくれ」
速度は緩めないまま、セリーヌに尋ねる。
「暗黒時代の魔導のゴーレムよ。その戦闘力は凄まじいわ」
「あ、暗黒時代!?」
《大崩壊》から七耀教会が史上に現れるまでの、七耀歴0年から500年程の時代区分を指す。つまり今からおよそ700年前から1200年前ということだ。
「
「それは《大崩壊》以前の技術でしょ。魔煌兵は違うわ」
「どうしてここに現れた? なんで俺達を襲ってくるんだ!?」
「確かなことは私だって分からない。ただ魔煌兵と騎神の目覚めには何らかの関連性がある。そして、狙われているのはアタシ達じゃなくて、多分起動者であるアンタよ!」
「……!?」
開けたところに出る。覚えのある場所だった。
「そうか、ここは」
五年前に師である《剣仙》ユン・カーファイと修行にきた場所。ユミルの町まで数時間の場所だ。
急制動をかけて、背後に向き直る。
「何止まってるの!? このまま走り抜けるわよ!」
「いや、だめだ」
すぐに魔煌兵もやってきた。
歩幅は相手の方が段違いに大きく、体力を消耗するような様子もない。いずれ追いつかれる。身を隠してやり過ごす方法もあるが、魔煌兵に《起動者》を感知する力があるのなら、それも叶わない。
「ここはユミルに近い。あれを野放しには出来ないし、俺を追ってくるのなら、片付けない限り人里には向かえない」
「ア、アンタってどうしてそう固いのよ! 人里で助けを借りる手もあるでしょうが」
「町の皆を巻き込みたくはない」
「ああ、もう! どうすんのよ!」
それに何より。
ここを乗り切らない限り、仲間の元へは辿り着けない。何一つ分からないまま、知らないまま、ここで倒れるわけにはいかない。
だったら、今やるべきは一つ。
「全力で立ち向かうまでだ!」
決意を乗せた太刀が、陽光を受けて煌めいた。
「お二人とも大丈夫ですか?」
後ろを付いてくるエリゼとアルフィン。トヴァルは二人のペースに合わせながら、進行ルートの安全確認を行っていた。
雪山用の靴に履き替えてはいるものの、いかんせん一五歳の少女達。足の疲労は溜まっているはずだ。
「ええ、ご心配なく」
「大丈夫ですわ」
それでも小言一つもらさず、休みたいなどとも訴えず、険しい山道を登り続けている。
自分達から同行を願い出た以上、弱音を吐かないと肚に決めているのだろう。少女ながら本当にどちらも気丈である。芯の部分で似た者同士。だから親友でいられるのかと、トヴァルは改めて納得した。
「少し休憩しましょう」
ならば、こういう配慮はこちらからしなくてはならない。
年上のお兄さんだからこそ成せる、この細やかな気遣い。遊撃士として培った豊富な人生経験は伊達じゃない。
「ありがとうございます。でもまだ進めます」
「エリゼと同じく、わたくしも問題ありません」
遠慮している。仕方ない。
「実は俺が疲れてしまいまして。はは、少し休憩に付き合ってもらえると助かるんですが」
自然な呈で下から促す。こうすれば相手は応じやすい。安いプライドにこだわらず、あえて自分の腰を低くできるのも、熟達した男の度量の一つ。
溢れ出る年上の包容力。しかし二人は顔を見合わせる。
「ですが……兄様が近くにいるかもしれないのに」
「まあまあ、エリゼ。ではトヴァルさんが休憩中、周りの警戒は私達でしておきましょう」
エリゼは前方に立ち、山間の地図を再確認している。
アルフィンは後方に視線を巡らしながら、手早くクォーツの再チェックをしている。
トヴァルはその中心で、手近な段差に腰掛けている。
「………」
なぜこうなった。
早く進みたいエリゼがちらちらと視線を飛ばしてくる。座っていることに罪の意識さえ覚える。
お兄さん、いたたまれないぜ。
「よ、よし! 体力全快! 出発しましょう」
一分にも満たない休憩を早々に切り上げ、トヴァルが立ち上がる。
同時、轟音が響き渡り、周囲の木々を揺らした。
「殿下、お嬢さん、俺のそばに!」
一瞬で意識を張り巡らし、神経を集中させる。
音は近かった。大型の魔獣かもしれない。ルートを迂回するか、先行して不意打ちで仕留めるか。
少し登った所に、先を見渡せそうな場所があった。
息を殺し、慎重にそこに向かう。
「おいおい、なんだありゃあ」
見た事のないものがいた。二腕二足の巨大な人型。機械人形にしてはどこか雰囲気が違う。生物と人工物の中間のような印象を受けた。
そして、その人型と対峙する誰か。
トールズ士官学院の赤い学院服。特科Ⅶ組の証。見間違えるはずもなかった。半信半疑だったが、まさか本当に見つかるとは。
「兄様っ!!」
エリゼが身を乗り出す。
どうやら劣勢らしく、リィンが膝を付いた。人型が大きな剣を振り上げる。
「任せろ!」
トヴァルの《ARCUS》が輝きを放つ。
専用カスタマイズされた戦術オーブメントの高速駆動。高位アーツでさえ、通常のおよそ半分の駆動時間で発動することができるのだ。
敵の足元に十字の光が浮き立つ。衝撃が波紋を拡げ、噴出する閃光が魔煌兵を呑み込んだ。
相手はかなり大きい。これだけで倒せるとは思っていない。狙いは立っていたその場所――切り立った崖際だ。
ビキリと地面に亀裂が入る。
「今だ、リィン! そこから飛び退け!」
大声で叫ぶ。「トヴァルさん……?」と反応したリィンだが、すぐに退避しようとしない。
「何やってる、早く!」
「い、いや。もう足が動かな――」
亀裂が深くなる。オルトヘイムが身じろぎする。足場が限界を超えた。
崩落する岩盤。落ちる敵。巻き込まれたリィン。
「え、あれ。ちょっと……」
「うそ、兄様……」
「リ、リィンさん」
その光景に固まるトヴァル達。
『えええええ!?』
三人の絶叫を浴びながら、リィンは崖下へと消えていった。
お付き合い頂きありがとうございます。
連載形式だとストーリーの区切りによって一話とするので、話の短い回や長い回が出てきますね。ストーリーが進むと、おまけやアナザーシーンをわっさわっさ盛り込んでいけるので、そうそう短くはならない気がしますが。
ちなみに今回は短めで次回は長めです。
『虹の軌跡』として動き出すのは、大体5話を過ぎたあたりからでしょうか。そこまでリィンが無事ならいいのですが。あーあ、トヴァルさんやっちゃったよ。
次回もお楽しみ頂ければ幸いです。