虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第14話 監視塔攻略戦(前編)

 高台にたどり着いたのは二人だった。

「ありがと、ガーちゃん」

「ああ、おかげで助かった」

 リィンとミリアムを腕から降ろすと、景色に溶け込むようにしてアガートラムは消える。二人は姿勢を低くして、高原側の様子をうかがってみた。

 猟兵の姿はなく、軍用魔獣も見当たらない。どうやら振り切れたらしい。

「みんなも逃げられたのか?」

「どうかなー。でも見える範囲にはいないね」

 リィンたちを追っていたガリオンクーガーは途中で方向転換し、おそらくは他のメンバーに目標を変えている。

 彼らが比較的容易に逃げられたのは、それが理由だ。高台に登る為に設置する予定だった縄梯子(なわばしご)はガイウスが持っていたのだが、アガートラムのおかげでその問題もクリアできた。

 残る気がかりは仲間たちの居場所だ。しかし今の段階では確認のしようもない。

「ボクたちだけでも監視塔の屋上は目指せるけど……」

「いや、今はみんなを待とう」

 見上げるミリアムにリィンは言った。

 自分たちの目的が妨害装置とまでは知られていないはずだが、素性不明の集団として猟兵にマークされてしまっている。監視塔自体の警戒も強まっている可能性が高い。

 第一アリサがいなければ、妨害導力波の遮断はスムーズに行えないのだ。

 今はまだ動けない。せめて皆の安否だけでも分かればいいのだが――

 

 

 外から見てもそうだが、この監視塔という建物は内部も殺風景なものだった。

 文字通りカルバード方面の監視を目的としているので、複雑な構造をしているわけでも、特殊な機能を装備しているわけでもない。

 強いて言うなら異変を察知した時に、速やかにゼンダー門に報告する為の通信設備だろうか。

 しかし貴族連合に占拠されてしまった今では、それさえも不要の産物と言える。

「お前たちが高原にいた理由を答えろ」

 鉄筋コンクリート造の室内に、男の声が低く反響する。

 簡素な机を挟んで向けられた猟兵の瞳に感情は見えなかった。事務的だが余談を許さない声音に、対面して座るエリゼは身を固くする。

 ここは監視塔の三階、その一室。入口扉の外には見張りが一人。部屋の中には尋問係の男が一人。後ろ手にされたままの縄拘束は、特殊な縛り方なのか抜け出すのは無理そうだった。

 奪われた細剣と導力銃、二人分の《ARCUS》は男を挟んで反対側――部屋の端にある小さな机の上に並べられている。男に隙があろうとなかろうと、拘束された手で武器を取り返すのは、どう考えても不可能だ。

 今一度状況を整理してみても、彼女に分かるのはその程度である。

 エリゼはとなりに座るクレアをちらりと見る。澄ました顔は相変わらずで、淡々と相手の質問に答えていた。

「私がこの地に来たのは戦況を知る為、そして第三機甲師団と合流する為です。鉄道が使えないので、高原にはアイゼンガルド連峰を抜けるルートで来ました」

「ユミル領主の娘が同行している理由は?」

 探るような視線がエリゼに向けられる。クレアのように平静を装う自信はないので、彼女はなるべく男と目を合わせないようにしていた。

「エリゼさんとは途中立ち寄ったユミルで知り合いました。元々領主夫人のご依頼で、ゼンダー門に到着した後は、ノルドの集落まで送る予定だったのですが」

「それはなぜだ」

 クレアは顔をしかめてみせた。

「あなたたちのせいでしょう」

「なに……?」

「あなたたちがユミルを襲ったせいで領主は重傷を負い、大勢が傷つきました。せめてご令嬢だけでも遠くへ。奥方や郷の人たちがそう望むのも無理からぬことかと。分かって言っているのですか?」

 静かだが刺さるような声音に圧されたのか、猟兵がわずかに体を引いたように見えた。しかしすぐに態度を戻して、

「知らんな。他の猟兵団だろう」

「猟兵などどれも同じに思いますが」

「我々は《ニーズヘッグ》。それなりに名の知れた猟兵団だ。大貴族が契約に来るほどのな。よそと同じに考えられるのは心外だな」

 クレアの瞳が細まった。

 ユミルを襲ったのが《北の猟兵》ということは彼女も把握している。端々に挟む挑発的な言動は、多分わざとだ。逆に情報を引き出そうとしている。

 もっとも、猟兵団の名を聞いたところで、それがどの程度のランクなのかエリゼには知りようもなかったが。

 その後も虚実織り交ぜながら、クレアは質問に対してのカバーストーリーを展開していった。言いよどんだり、考えたりする素振りは一切見せず、ほとんど即答である。

 あまりにもスムーズな弁舌に、エリゼでさえもどれが本当の話なのか混乱しかけるほどだった。

「他にも同行者がいたのを確認している。奴らは何者だ」

「ゼンダー門で保護されていた民間人。彼女と同じく、戦火に巻き込まれないようノルドの集落まで送る途中でした」

「それはおかしいな」

 男はせせら笑った。

「あの者たちは武器を持っていた。ガリオンクーガーの攻撃も凌いでいたように見える。あれが一般人か?」

「ええ、私も驚きました。何人かは武芸の心得もあったようですね。どういう経歴の持ち主だったのか聞きたかったのですが、その前にあなた方の軍用魔獣に襲われたので」

「そうか」

「はい」

 張りつめる緊張感に、エリゼは息を呑んだ。

「一度目にガリオンクーガーを仕向けた時、お前たちは確かに集落方面へと向かっていた。だが二度目は何だ? その娘もそうだが、集落に送り届けたばかりの“一般人”を連れて、どこへ行こうとしていた。不自然だろう」

 男はクレアの言動と行動に矛盾を探している。今の指摘は的を射たものだった。この流れで押し黙ってしまえば、疑いはより濃いものになってしまう。

 焦るエリゼだったが、クレアはまた即答した。

「私たちが到着した時、集落は移動の準備を始めていました。拡大する貴族連合と機甲師団の戦闘に巻き込まれないように。予想と違って集落もすでに安全といえる状況ではなかったので、私は彼らを連れてユミルに引き返すことにしました。どこにいてもリスクは付きまといますが、直接戦闘がない分、このノルドより幾分はマシでしょうから」

 方角的な辻褄は合っているが、それでも男は納得しなかった。

「たかが数名の一般人の為に、氷の乙女(アイスメイデン)がそのような任務を行うというのか。ありえんな」

「何か勘違いされているようですが――」

 クレアは涼しげに言う。彼女も拘束されているはずなのに、場違いなくらいの落ち着きぶりだった。

「保護とはいえ、やはり一般人が戦場にいるのは軍としてやりにくいもの。彼らの護送は必要でしたが、その為にわざわざ人員を割けないのも事実。だからゼクス中将に進言して、部外者である私がその役を務めたのです」

「………」

 不信な箇所があるにも関わらず、突き崩すも揺らがすもできない。男は露骨に苛立った様子だ。手にしたペンで何度も机を打ち鳴らしている。

「最後の質問をしよう。どうしてお前は隠そうともせず、ペラペラと情報を明かした?」

 捕縛されたことも含め、ここに至る全ての過程が、巧妙な計算の上ではないか。発言の一部、あるいは全部が嘘ではないか。彼はその可能性も考えているのだ。

 そういう疑い方もあるのか。エリゼは動揺を顔に出さないよう必死だった。

 平然とクレアは言った。

「隠す程の情報ではありませんので」

「隠す情報も持っているという口ぶりだな」

「立場上、それはもちろん。ただ秘匿すべき情報は、どんな拷問を受けても吐かない自信がありますよ」

「お前はそうだろう。だがそっちの娘ならどうかな?」

 昏い声がエリゼに向けられる。

 うつむいたままの顔を動かすことはできなかった。心臓が破れそうなくらい早鐘を打つ。平静を装うとしたが、荒くなる呼吸は隠せなかった。

 怖い。助けて。兄様。

「しないでしょう。少なくとも今は」

 見透かした声音でクレアは言う。

「なぜそう思う」

「あなた達が“それなりに名の知れた猟兵団”だからです」

「ふん……噂に違わんな」

 男は舌打ちして立ち上がり、部屋の隅に置かれていた別の椅子にどっかりと腰かけた。

「我々は依頼主のオーダーに応えるが、それ以上のことはしない。ここの責任者に命じられたのは、不審者の目的を調べることと、脱走しないよう監視することの二つだ。この後お前たちをどうするかは、依頼主が決めることだからな」

 領分を弁えるのがプロということなのだろう。クレアはそれを見越していたのだ。

 引いた血の気がようやく戻ってくる心地だった。

 エリゼは猟兵の目が自分に向けられていることに気付いた。

「しかし一人だけ安全な場所を求めて、領主の娘が逃亡か。いいご身分だ」

 嘲笑混じりの声。瞳に映る蔑みの色。

 恐怖を忘れてその場から立ち上がりそうになった。設定上のこととは言え、これ以上ない侮辱だ。

 クレアの足が自分の足に触れる。

 抑えて、と伝えている。

「……っ!」

 喉まで出かかった反論の言葉を、かろうじて飲み込む。

 ここで反抗的な態度を取ったところで立場が悪くなるだけ。クレアがどこまで考えているのかは分からないが、短慮な自分の行動でそれを台無しにしてはいけない。

 ぐっと手を固めて、エリゼはこらえた。惨めさと悔しさが、ないまぜになって身が震える。

 落ち着かないと。小さく深呼吸。それを三回繰り返す。うん、大丈夫だ。

 頭が冷静になってくると、不意に太ももに違和感を覚えた。

(そうだったわ……)

 フィーからもらった閃光手榴弾である。捕らわれる直前、腰に掛けていたそれを、咄嗟にスカートの中へと隠していたのだ。手榴弾のフックをむりやり内側の縫い目に差し込んだ形なので、後々変な破け方をしないか心配だが。

 どのみち手が縛られていれば使えないし、それに今使えたところで状況を変えるには至らないだろう。

 この場に私がいても、結局は何もできないのだ。

 手榴弾の冷たい感触がなんとも虚しい。守られるしかない無力な自分がいやだった。

 

 ● ● ●

 

 追って来ていた軍用魔獣が、犬型でなく猫型で良かった。

 少し離れた場所をうろつき回るガリオンクーガーを岩陰から見やり、マキアスはそう思った。

 犬型なら匂いで隠れ場所を見つけ出すかもしれないからだ。獣には違いないので感覚器は鋭いはずだが、あいつらの嗅覚はそれほどでもないらしい。

 だからといって安堵ばかりはしていられない。これからのことを考えなくては。

「さて、どう動くべきだろうか」

 マキアスはこの場にいる仲間に向き直る。ガイウス、アリサ、フィー。自分を含めればここには四人いる。

 彼らの馬は完全に分断されなかった。ある程度相手を振り切ったところで、合流することにも成功した。

 今優先して考えるべきは、リィン、ミリアム組とクレア、エリゼ組との合流だったが、むやみに高原を探し回るのはよくない。

 猟兵の姿は見えないものの、軍用魔獣は未だに自分たちを探している。

 この場所は元々の目的地である高台の反対側に位置していて、距離はそこまで離れていないが、高台までたどり着く為には、監視塔を迂回するか横切るしかないのだ。リスクが高すぎる。

「私たちだけで潜入してみる?」

「全員の状況が分からないのに、それは危険だと思う」

 アリサが言い、フィーが止める。

「アガートラムがいなければ、監視塔内部から屋上を目指さなければならない。この人数では厳しいな」

 腕組みしてガイウスは渋面を浮かべた。

 馬はすでにいない。隠れるには大きすぎる体躯だったから、先ほど高原に放したのだ。少々心配ではあったが、彼らは頭がいいから集落まで無事に帰りつけるという。

(どうする?)

 その場に座り込んで、マキアスは沈思黙考する。

 情報はない。予測だけで行動を決める必要がある。責任重大だ。

 一つ目の可能性。リィン、ミリアム、エリゼ、クレアが合流し、すでに高台で自分たちを待っている。

 二つ目の可能性。どちらかの馬が敵の手に落ちて、どちらかが高台に着いている。

 三つ目の可能性。どちらも敵の手に落ちている。

 四つ目の可能性。どちらも逃げ切れたが、誰も高台まではたどり着けなかった。

(……まずはこんなところか)

 一番望むべくは一つ目。最悪なのが三つ目。

 もちろん、それ以外のケースもあり得るが。しかし仮にこの中のどれかだとしても、仲間の場所や現状が把握できないと、やはり今後の動きは決めにくい。判断を誤れば、取り返しのつかないことになってしまうのだ。

 通信さえ使えれば、一瞬で済む問題だというのに。

 考えろ、考えろ。どうすれば状況が分かる? 全員とは言わない。リィン側かクレア側、せめてどちらかの状況さえ掴めれば――

「捕まったわよ。大尉とエリゼ」

 その声が耳に届いたのは、打開策が見えず、マキアスが悪態をつきかけた時だった。

 身を隠している大岩のてっぺんから、セリーヌが顔をのぞかせていた。

 

 彼女は唯一、クレア側の事情を知る存在だった。

 あの時、エリゼに抱えられる形で、セリーヌはクレアの馬に乗っていた。

 猟兵に襲われた際、彼女はエリゼの後ろへと移動する。防御をメインにサポートを行うつもりだったのだ。だが相手の数を目の当たりにし、さらにクレアが相手の警告に応じたのを見て、彼女は考えを変える。

 今こいつらと戦うのは得策ではない。そしておそらくクレアもそう思っている、と。

 馬の速度が緩まってきた頃合いで、セリーヌは飛び降り、その場から離れることにした。それは敵にも気付かれただろうが、さすがに猫一匹を追ってきたり、警戒したりはしなかった。せいぜい娘のペットぐらいにしか思われていなかっただろう。

 そして顛末を見届けた後で、彼女はマキアスたちの元にやってきたのだ。

「クレア大尉とエリゼちゃんが監視塔に!?」

 アリサが焦りを見せる。

「なるほど……」

 マキアスは妙に納得していた。

 セリーヌの話から推察するに、クレアはあえて捕まった節がある。それはもちろん、逃げきれないという判断をしたからなのだろうが。

 彼女が身分と名前を最初に明かした理由も、マキアスには理解できた。

 ――クレア・リーヴェルト憲兵大尉。氷の乙女(アイスメイデン)の異名は広く知られている。その彼女が何らかの目的を持ち、高原にいたのだ。興味本位のジャーナリストなどとは訳が違う。もしクレアを尋問しようとするなら、その場の口頭では行わない。捕縛の上、相応の場所で記録を取り、正式な調書として残そうとするはずだ。

 ――エリゼ・シュバルツァー。ユミル領主の令嬢。素性の真偽が分からなくても、その情報を知ってしまえば手荒な真似はできなくなる。猟兵の契約主は貴族連合に組するいずれかの大貴族である。

 そしてシュバルツァー家もれっきとした貴族。貴族連合に加担していなくても、爵位がある以上、猟兵は雇い主の指示があるまで慎重な対応にならざるを得ない。

 つまり素性を隠さなかった理由は大きく二つ。

 状況を利用して、監視塔内部に入るため。そして、エリゼの身を守るためだ。

「さすがというべきなんだろうな。限られた時間でそこまで考えたなんて」

 しかし不安要素はある。

 一度エリゼはアルフィン共々――確たる目的は分からなかったが――貴族連合に身柄を狙われたことがある。彼らがユミルを襲った猟兵団と同じかは不明だが、その命令がまだ生きているなら、エリゼが絶対安全とは言い切れない。

 さらに、これはクレア大尉にとっても不測であるはずの事態。監視塔に入ったものの、脱出までの方法を用意しているとはさすがに思えなかった。

 セリーヌが言った。

「エリゼはそれどころじゃなかったようだけど、あの大尉はアタシが馬から飛び降りたことに気付いてたみたいだったわ。多分、襲撃から逃げきった誰かにアタシが状況を伝えると踏んでるはずよ」

「リィンたちの居場所は?」

「それはアタシにも分からない」

 そこまで聞いて、マキアスは決断した。立ち上がって全員に告げる。

「作戦は続行だ。僕たちだけで監視塔に潜入する」

 

 ● ● ●

 

「右よし」

「左よし」

「進路クリア」

 アリサ、ガイウス、フィーがそれぞれの方向を確認し、マキアスに報告する。

「了解。次に哨戒艇が出ていったタイミングで動くぞ」

 高台とは反対に位置する場所だが、回り込んでみるとそれなりにいいポイントがあった。

 完全な死角にはなっていないし、定期的に兵士が巡回にやってくるので気も抜けないが、それでも正面から監視の目を盗むよりはよほどいい。

 かなり高いが、フェンスを乗り越えれば敷地内に入れる。幸い有刺鉄線の類も巻かれていない。

「見つかれば即戦闘だ。成功確率も一気に落ちる。慎重かつ迅速に行こう」

 ショットガンの弾数を確認しながら、マキアスは何度も作戦内容を頭の中でシミュレートしてみた。

 敵勢力は猟兵と領邦軍の二つ。個々の戦闘力は猟兵が上だが、貴族兵は数が多い。

 クレアたちを助けるまで戦闘状態に入るわけにはいかなかった。人数差で押し切られれば、作戦は確実に失敗してしまうからだ。

 まず塔内部に潜入したら、敵に発見されないように各フロアを散策。この発見されないようにというのが困難を極めるのだが、やってのけるしかない。首尾よく捕らわれたクレアとエリゼを救出した後は、そのまま屋上を目指す。そこからは当初の予定通りだ。

 だが、どんなにうまく事が運んでも、見張りは倒さなければならないだろうし、捕虜がいなくなれば追っ手もかかる。悠長に妨害装置の無力化をしている時間はないかもしれない。そうなれば装置は破壊一択である。

 マキアスは深く息を吐きだした。

「問題は明確な撤退ルートがないことか。屋上から飛び降りるのは勘弁願いたいしな」

「勘弁っていうか、絶対無理だから」

 アリサがぶんぶん首を振る。本気で嫌のようだ。

「壁面にうまく足をかけながら減速すれば、何とかなると思うよ」

 さらりとフィーは言う。

「できるわけないでしょ」

「スカートがすごいことになってそうだけどね。そのタイミングでリィンが助けに来るんだよ、きっと」

「それこそ勘弁願いたいわ」

 いかにもありそうな光景を想像したのか、アリサは肩を落とした。

 ともかく撤退に関しては運の要素も絡んでくる。捕虜がいないことに気付かれるのが、少しでも遅れるよう祈るのみだ。

「まあ、何とかしてみせるさ」

 シャープなデザインの眼鏡がキラリと輝いた。

 横からフィーが脇腹をつついてくる

「頼りになるね、副委員長」

「茶化すんじゃない」

「静かに。来たぞ」

 ガイウスが体を低くする。上空にオーバルエンジンの駆動音が響き渡り、軍用哨戒艇が高原に向かって飛び立っていった。かなり大きい。機甲兵の輸送も出来るのだろう。

 合わせるように、正面ゲートから二体の機甲兵が発進した。シュピーゲルが二機だ。隊長機とはいえ二体だけで正規軍との戦闘は考えにくい。巡回ついでに、プレッシャーを与えてくるのが狙いかもしれない。

 再確認。歩哨は近くにいない。今だ。

「よし、行くぞ。音もなるべく立てないでくれ。遅れるな!」

 マキアスの号令で、全員がフェンスに取り付く。

 一番にフェンスを越えたのはセリーヌだった。身軽な跳躍であっという間である。二番手はフィー、三番手はガイウス、四番手はスカートを気にしながらもアリサ。順々に敷地内に降り立つ面々の中――

「こ、この。意外に難しいな……くそ、思ったより揺れるし」

 マキアスが苦戦していた。フェンスががしゃがしゃと音を立てる。その騒音を兵士が聞きつけた。

「なんの音だ」

 足音が近付いてくる。アリサたちは近くの物陰に隠れた。マキアスはまだ手こずっている。

(な、なにやってるのよ、マキアス)

(副委員長なのに)

(それは関係ないと思うが……)

 さらに近付く足音。

 こうなったら、やむを得ない。三アージュ程はあったが、マキアスは意を決して飛び降りた。

 不運なことにフェンスに綻びがあって、ジャケットがそこに引っ掛かった。がくんと強い衝撃。同時、角を曲がってきた兵士が姿を見せる。

「………」

 兵士が見たものは、フェンスに宙ぶらりんに吊り下がった眼鏡の男だった。

 苦し紛れにずれた眼鏡を押し上げ、マキアスは不敵に笑ってみせた。兵士にしてみれば、未知との遭遇である。束の間、首からぶら下げた呼び笛を使うことも忘れていたようだった。

 この隙は逃せない。飛び出したフィーが急襲。一気に肉薄し、双銃剣のグリップで兵士のこめかみを鋭く殴打する。

「ぐ……っ」

 男の口からくぐもったうめきがもれる。

 わずかに間に合わなかった。倒れ込む寸前、彼は笛を口元に手繰り寄せると、残る力を振りしぼって思いきり吹き鳴らした。

 巡回中、整備中、待機中、全ての敵に甲高い緊急事態の音が届いてしまう。あちらこちらから領邦軍の兵士、そして猟兵が集まってきた。

「どうするのよ、これ!」

「さすがに全部撃退は無理」

 ガイウスの手によってフェンスから降ろされたマキアスは「いや、なんというか、すまない」と罰悪そうにしていた。

「なってしまった以上は仕方がない。マキアス、手立てはあるか?」

「そ、そうだな」

 失態の後悔から思考を切り変える。

 フェンスは乗り越えてしまった。撤退はできない。戦っても時間稼ぎが関の山。こんなだだっ広いフィールドでは突破も難しい。何より戦力差があり過ぎる。

 ――ならば。いや、だからこそ。

「戦うんだ。なるべく派手に。リィンとミリアムに伝わるように!」

 ミリアムが来ればアガートラムが使える。リィンが来れば騎神を呼べる。状況はまだ変えられる。

 自分たちが倒れるのが先か、増援が先か。

 彼らが近くに来ていることに望みを賭けて、マキアスたちはそれぞれの武器を携えた。

 

 ● ● ●

 

 激しい戦いの音は、高台にまで届いていた。

 静寂から一転、急に騒々しくなった監視塔。訝しみながらも、リィンとミリアムは様子を見てみる。

 起こっている事態は、二人とも理解できなかった。

「これってどういうこと? 正面から乗り込んだのかな?」

「俺にも分からないが……」

 迫りくる猟兵と貴族兵相手に、マキアス、ガイウス、アリサ、フィーの四人が大立ち回りを繰り広げていた。

 遮蔽物をうまく活用しながら抵抗を続けているものの、追い詰められているのは明らかだ。

 それに加えて、

「クレア大尉とエリゼがいない……?」

「どうするリィン。何が何だかさっぱりだけど、ボクたちも行くべきだよね?」

「いや、待ってくれ」

 控え目に見ても、加勢は必要だ。

 だがどうして彼らはそこにいる。軍用魔獣に追われて? だとしても場所がおかしい。

 あの面子だけで潜入しようとしたのか? 高台での合流をあきらめて? そうしなければならない理由が何かあるのか?

 敵の包囲は厳しいが、隙を作って逃げようという素振りさえ誰も見せていない。確かに逃げられるような位置ではないが――耐えられなくなるのは時間の問題なのに、徹底抗戦の姿勢を崩さない。

 がむしゃらな力押し。

 一言でいえば、らしくない。何の意図がある? このまま戦いに加わるのが、果たしてベストの選択なのだろうか。

「リィン!」

「……くそっ」

 動くべきなのは分かる。だが、どう動くべきなのだ。せめて意志を伝えることができれば――

 

 

 

 こちらのアーツ駆動より、相手の手数の方が多いし、早い。アーツ主体で戦うのはあきらめるしかない。

 矢を弓につがえ、アリサは狙いを定めた。少しでも牽制して、時間を稼がなくては。

 放つ。

 放物線を描いて飛んだ矢は、敵の一人――その足元の地面に突き刺さった。敵は一瞬だけ怯んだようだったが、足を止めたのはわずか間だった。

 反撃の銃弾がすぐそばをかすめ、後ろのフェンスに着弾の火花を散らせた。

「きゃっ」

 山積みの土嚢の後ろに体を引っ込ませ、アリサは息をつく。近くにこれがあったのは幸いだった。バリケード代わりになってくれる。四人はここを陣取り、攻撃の起点にしていた。

 貴族兵たちは小銃を手に果敢に前に出てくる。これはやりやすかった。マキアスとフィーが銃で応戦すれば、相手はすぐに引き下がる。攻撃の手は緩まないものの、まだ何とかなる範囲だ。

 問題は猟兵だった。無用に攻めてはこず、要所のポイントを確実に押さえながら、じりじりと距離を狭めてくる。

 接近戦に持ち込まれてしまえば、アリサとマキアスは十分に戦えない。ガイウスとフィーだけでは凌げないだろう。

 アリサは背中の矢を取ろうと手を伸ばす。しかしその手は空を切った。

「え……あ!」

 もう矢が残っていない。普段なら残数くらい頭に入れて、戦闘ペースを考えるのに。敵の足止めに必死で、そこまで意識が回らなかった。

 やむを得ない。攻撃頻度は落ちるが、アーツで戦おう。

 《ARCUS》に持ち変えようとした時、横から替えの矢が差し出された。ティーカップを卓上に置くような、柔らかな動作だった。

「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう、助かったわ」

「予備を持って来ていて良かったですわ」

「ええ、ほんとに。……え?」

 鳴り止まない銃声に混じって、懐かしい声が聞こえた。振り向いた先――すぐ真横にいたのは、穏やかな笑みを湛えるメイド服の女性。

「シャ、シャロン!?」

「お久しぶりでございます。皆様もお元気そうで何よりです。シャロンは嬉しいですわ」

 ラインフォルト家お抱え使用人、兼、第三学生寮の管理人、シャロン・クルーガーである。

 彼女は粛々と頭を下げてみせ、そしてまた微笑んだ。

「あ、あ」

 絶句するアリサ。

 一体いつの間にいたのか。その場の誰も、フィーでさえも気付けていなかった。

 再会の感慨にふける間も、ここにいる理由を問いただす間もなく、ガイウスが叫ぶ。

「アリサ! 伏せろ!」

「え?」

 こちらの攻撃が乱れた隙をついて、貴族兵の一人が接近していたのだ。土嚢を避けて、すでに射線を確保した位置に立っている。銃口がアリサに向けられた。

 男が引き金を引く直前、シャロンが腕を振る。煌めく何かが眼前を擦過したが、アリサにその正体は分からなかった。

 直後、男の小銃が手から離れて跳ね上がる。さらに中空で銃身が三つに分かれ、輪切りにされたそれが地面に落ちた。

「な、何したの?」

「これですわ」

「別に何もないけど……あ」

 目を凝らすと、シャロンの五指から垂れる糸が見えた。陽光に細かな光を反射させている。

 これは鋼糸だ。硬度の高い鉱石などの削り粉でコーティングし、切れ味と強度を増した戦闘用ストリング。先端にわずかな重さを持たし、微細な指の動きで操る、扱いづらさはトップクラスの特殊武器である。

「というかそんなの使えたの!?」

「護身用です。これも使用人の嗜みかと」

「絶対違うと思う。……聞きたいことは色々あるけど」

「はい、お嬢様。まずは窮地を脱しましょう。しかる後に捕らわれたお二人の救出。そして導力波妨害装置の無力化ですわ」

「どこまで把握してるのよ!?」

 シャロンが戦線に加わった。だが戦局はさほど変わらなかった。

 糸の攻撃範囲は広いが、そこまで飛距離は長くない。

 一対多数の乱戦、敵陣のど真ん中でこそ真価を発揮する鋼糸だが、今は相手が多過ぎるのだ。一息に仕留められなければ、逆に全方位からの反撃を受けることになってしまう。

 双銃剣の弾倉を取り換えながらフィーが言った。

「手榴弾投げ入れられたり、機甲兵を出されなくて良かった」

「それはそうね。今さらだけど」

 相変わらず防戦を強いられる中、アリサは敵の様子を土嚢ごしに確認する。

 たかが数名の侵入者に機甲兵は大げさと思っているのだろうか。おかげで助かっているが――いや。

 塔の中から出てきた兵士の一人が、敷地最奥に向かっているのが見えた。その先にあるのは、待機中の機甲兵だった。

「あれを動かされたら……!」

 防戦などと言っていられなくなる。予想以上にしぶとい侵入者に業を煮やしたのだろう。一気にかたをつける気だ。

 絶対にだめだ。阻止しないと。

「シャロン、援護して! みんなもお願い!」

「どうした、アリサ!?」

 マキアスが呼び止めてくるが、ゆっくり説明をしている暇はない。バリケードの裏から飛び出し、アリサは駆け出した。

 シャロンは意を察したらしく、戸惑った素振りも見せずに、遅れることなく彼女に続く。

 一斉に兵士たちが銃を向け、猟兵たちもアリサを標的に定めた。

 銃撃に次ぐ銃撃。アリサの周りで弾丸が踊り回る。

「な、なんとかして!」

「かしこまりました」

 アリサに並走しながら、シャロンはしなやかに腕を伸ばした。

 緩急織り交ぜ、縦横無尽に鋼糸が舞う。

 ある者は足をすくわれ、ある者は手にしていた武器を絡めとられた。仲間たちの援護もいいタイミングで入ってくる。

「もう少し!」

 走りながら弓を構える。上下にぶれて、狙いが定まらない。距離もまだ遠かった。

 兵士が機甲兵のハッチを開いた。胸の装甲がするするとスライドして、中の操縦席が顕わになる。

 アリサは矢を射った。外れた。わずかに届かず、相手の手前に落ちた。

「お任せを」

 シャロンが先行する。動きにくそうなロングスカートなのに、信じられない速さだ。

 あっという間に糸の射程圏内に入ると、彼女はするどく腕を振った。肩口から指先までが、まるで鞭のようにしなる。ひゅっと風を切る音が重なって聞こえた。

 コックピットに乗り込もうとしていた兵士の動きが不自然に止まり、そのまま地面に転げ落ちた。

 体に糸を巻きつかせたのだろう。相手の胴体が真っ二つにならなかったのは、シャロンの絶妙な力加減のおかげだ。

「お嬢様、こちらへ」

 機甲兵の陰に隠れるよう、シャロンが促した。

 こちら側には遮蔽物がないので、機甲兵を盾にしようというのだ。

 地面に転がったままの男を飛び越え、機甲兵の足元に滑り込もうとしたアリサだが、一瞬思いとどまってその足を止める。

 こちらを陣取ったところで、結局は同じこと。距離が開き過ぎていて挟撃にもならない。最悪の展開は阻止したものの、戦力を分散してしまった。

 戦闘が長引けば、いずれ哨戒艇も戻ってくる。

「………」

「お嬢様? お早く――」

 アリサは機甲兵を見上げた。隊長機ではない。確かドラッケンとかいう名称だ。

 ハッチを開いたままで、ドラッケンは片膝をついている。

 後ろから銃声。運良くそれた銃弾が、ドラッケンの腕部装甲に弾ける。

 猶予はない。是非もない。

 アリサは機体をよじ登り、コックピットに足をかけた。狭い搭乗口に体を押し込み、中の操縦席に収まると、内部の機器類に素早く視線を走らせる。

 直感が告げた。いける。

「シャロン、離れて!」

「お待ちくださ――」

 返答も聞かず、アリサは膝元にある赤いランプが灯ったボタンを押し込んだ。多分これだと思っていた。ランプは緑に変わり、同時にハッチが閉じていく。正解だ。

 上部に五つ、小さなレバーが並んでいた。左から順番にレバーを押し上げていく。グォンと足の下が唸り、断続的な振動が大きくなっていく。

 オーバルエンジンに火が入ったのだ。コックピットの照明と、正面、両側面の三面モニターが起動する。

 ディスプレイの端に機体情報の羅列が流れた。

「起動キーはパスコードだったのね。ハッチの開閉と連動していたんだわ」

 外部の端末からコード入力した時点で搭乗者を認知し、操縦席を開く仕組みだ。無理にこじあけたところで、システムロックがかかるようになっているのだろう。たやすく敵に奪取されない為のセキュリティだ。確かに差し込み式のキーなどよりは、遥かに安全といえる。

 図らずもさっきの兵士のおかげで、第一起動手順はクリアしたことになる。

「地形データのロード……姿勢制御はオート設定に。……各種デバイスはニュートラルで。……兵装選択? 量産型だし、どうせ銃か剣の二択でしょ」

 常人なら戸惑って当たり前の起動シークエンスを、これもアリサは直感だけで進めていく。

 ――いや、それはただの直感ではなかった。

「第五開発部、よくもこんなもの作って……!」

 幼少期よりアリサは工学の知識を頭に叩き込んでいた。あらゆる専門書を読みふけり、多岐に渡る膨大な自社の商品の特性、特徴、系譜、機構を把握しようとした。

 それは母に対しての複雑な気持ちもあったが――何にせよ、彼女は人並み外れた努力を継続した。エンジニアである祖父と父から受け継いだ才覚もあった。

 確かに機甲兵は革新的な技術を用いているが、アリサの理解と思考はそれに追いついていた。

 そして何より、

「どんな形にしたところで、機甲兵はラインフォルト社製なんだから!」

 開発者たちの癖は絶対に出る。既存の兵器との類似性は絶対にある。ボタンの位置から細かな機能に至るまで。言われても気付かないような些細なことだ。しかしアリサにはそれが感覚で分かる。

 どの操作とどの動作が連動しているか。

 それさえ拾えれば、どうとでもなる。現に機械に対してさほどの知識がないはずの、貴族兵たちでも動かしているではないか。

 彼らにできて、私にできない理由はない。

 アイドリングモードを解除。導力が機体全身を駆け巡り、力強い駆動音がほとばしる。

 全ての数値とメーターは正常を示していた。

「さあ、動きなさい」

 両手をディスプレイ前面のコントロールレバーに手がける。足元のペダルをゆっくりと踏み込む。

 装甲に鎧われた双眸に光が宿り、重々しく竜騎士(ドラッケン)が立ち上がった。

 

 

 ~続く~

 

 

 




 トヴァルです。

 アリサさんが命がけで機甲兵ぶんどってる頃、俺は鳳翼館のボイラー修理に勤しんでいるとです。



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