虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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閃Ⅲの内容に触れております。未プレイの方はご注意下さい。


夢にて夢みて さーど

 ●

 

「――ルってば――、アル!」

 快活な声が頭の上から降ってきて、私は目を覚ました。

 ぼやけた視界に、明るいピンク色の髪の少女が映り込む。その声音と同様に、快活な印象を受ける顔立ちだった。

「………?」

 寝ぼけ眼で周囲に視線を巡らせてみた。ここは一体どこなのか。《パンタグリュエル》で割り当てられていた部屋と違うようだが。

 それにこの人は誰だろう。アルというのは自分のことか? アルティナだからアル?

「おはようございます、ユウナさん」

 口に出してから戸惑う。知らない人のはずなのに、普通に名前を呼んで、しかも私から挨拶までした。

 挨拶。コミュニケーション手段の一つ。概念は知識として与えられているけど、必要性を感じず、事実今まで一度も実施したことのない挨拶を。

 私がユウナと呼んだ少女は、「もうっ」と腰に手を当てた。

「ほらほら早く起きて! いっつもタイムでも計ったみたいに決まった時間に起きてくるのに、今日はどうしたのよ!?」

「はあ……そう言われましても」

「もしかして体調悪いの? 先月のオルディスでの特務活動の疲れが出たとか? おでこ出して」

「いえ、バイタル値は正常範囲で――あ、ちょっと」

 有無を言わさず体を抱き起こすと、ユウナさんは自分の額を私の額にくっつけた。

「んー、熱はないわね。ってことは普通に寝坊? 良かった~……いや良くない!」

 ころころと表情を二転三転させると、壁にかかっている時計をびしっと指さす。

「今8時25分! 朝の! 早く着替える、準備する!」

 言うが早いか寝巻きを脱がされ、続いて枕元にたたんであった衣類を押し付けられた。

 状況は飲み込めないものの、なぜか手は勝手に動く。ブラウスのボタンをとめ、スカートをはき、上着に袖を通す。まるでそれが体に染みついた動作であるかのように。

 ふと鏡に映る自分の姿に目をやる。銀色の髪が腰まで伸びていた。なんだかいい匂いもするし、サラサラと艶もある気がする。

 疑問は尽きないが、とりあえずこれを訊くことにした。

「えっと……どこかへ行くんですか?」

「まだ寝ぼけてるし!? はいカバン持って! ホームルーム開始まであと15分しかないんだから!」

 軍事学やら歴史学やら、テキストのぎっしり詰まった肩掛けバッグを渡される。かなり重い。それに支給されたバッグでもない。これは私の私物? そんなものあるはずが――

「準備完了! 一階で顔洗ってそのまま直行! 朝食はセレスタンさんが食パン焼いてくれてるから、それをくわえてゴーよ、ゴー!」

「行儀悪いです。クルトさんが見たら、また呆れられますよ」

 次々と自分が発する言葉の奇妙に、またしても当惑した。マナーなどを指摘したこともそうだが、クルトというのも覚えのない名前だったからだ。

「非常事態だからいいの! ていうか、またって何よ! ああもう! いいから走る!」

 私の腕を引いて、ユウナさんは足早に部屋を出る。かなり焦っている様子だ。

「本当にどこに向かおうとして――」

 トールズ士官学院第Ⅱ分校。

 言いかけた時、脳裏にその言葉がよぎる。

 私はそこで初めて、自身の上着の左腕に〝青い有角の獅子”の腕章が縫いつけられていることに気づいた。

 

 

《――☆ゆめうつつの狭間に★――》

 

 

「だー! 二分前セーフ……」

 校舎二階の奥、教室の一つに滑り込んだユウナさんは、その勢いのまま机に突っ伏した。

 私もあとに続き、空いている席にちょこんと腰かける。

 自分たちの到着を見ていた仲間たちが、三者三様に声をかけてきた。

「すまないな、アルティナ。ユウナを起こしてきてもらって」

 と、利発そうな顔立ちの男子が言う。彼の名はクルト・ヴァンダールだ。

「ふふ、ユウナさんったらお寝坊さん」

 ミント髪の女子がくすくすと笑う。彼女はミュゼ・イーグレット。

「パンくわえて街中を爆走してきたって聞いたぜ。チビ兎もつき合わされて災難だったな」

 見た目も口調もガラ悪く言う男子はアッシュ・カーバイド。

「いやいや待ってよ! あたしがアルを起こして来たんだけど! なんでそういう流れになってるの!?」

 心外だとばかりに首を横にぶんぶん振るユウナ・クロフォード。

「往生際が悪いな、君は」

「そうですよ。認めることも勇気ですよ」

「あきらめろや」

「納得いかなーい!」

 初めて見る人たちの、初めて見る掛け合い。なのに見慣れた光景として、自然と受け入れている自分がいる。

 それにさっき、私は無意識に彼らに対し、仲間という言葉でひとくくりにした。

 なんだか頭がふわふわする。よくわからない。

「みんな、おはよう。朝から元気そうだな?」

 教室のドアが開いて、出席簿らしきバインダーを脇に抱えた青年が入ってきた。

 さすがに目を丸くして、強く警戒する。

 リィン・シュバルツァーだ。自分が持つ身体情報よりも成長している気はしたが、そんなことはどうでもいい。

 来て、クラウ=ソラス。とっさに戦術殻を呼び出そうとする。しかし反応がない。同期が途切れている。

「それじゃアルティナ。号令を頼む」

「はい、リィン教官」

 なんであなたがここにいるとか、そもそもなんの号令だとか、問いただすより早く、私は驚くほど素直に応じていた。

 教官という言葉に違和感さえなく、「起立」と発し「礼」と告げる。

 鳴りやむことのないセミの大合唱。容赦なく照り付ける夏の日差し。窓の向こうに見える景色は、熱が生み出す蜃気楼で揺らいでいる。

 知らないことが知っていることのように混在するこの世界で、私の一日が始まった。

 

 ●

 

 状況が少しづつ理解できてきた。あくまでも断片的にだが。

 ここはトリスタにあったトールズ士官学院の分校で、地理的な場所はリーヴスという帝都ヘイムダルの近郊都市になる。

 そこに私は入学した、ということだろう。先の四人はクラスメートだ。

 内戦の最中で新たな任務を与えられたということか。だけどリィン・シュバルツァーの出で立ちはどういうことだ。

 記憶が判然としなくて、前後の出来事が繋がらない。その上、この状況に順応している自分も不可解だし、クラウ=ソラスも依然として呼び出せない。こんなことは初めてだ。

 その時、チャイムが鳴った。

「今日はここまで。みんな予習復習きっちりやってね」

 トワ・ハーシェル教官の政治経済の授業が終わり、彼女は専用の台の上から降りる。あれがないと黒板に手が届かないのだそうだ。一部の男子にはその様子が人気なのだとか。むしろ俺の中でポイントが高いんだぜと、以前に主計科のシドニーさんが教えてくれた覚えがある。そして私は興味を示さなかった。

 Ⅶ組特務科の人数は少ないから、カリキュラムの多くは他クラスと合同だ。今もⅨ組主計科の人たちと一緒に授業を受けていた。

 Ⅶ組? なるほど、私はⅦ組らしい。

 困惑してばかりもいられない。どうにか午前を乗り切り、不意に湧いてくる情報を受け入れられるくらいにはなっていた。

 号令が終わるなり、パブロさんが女生徒の一人に駆け寄った。

「ヴァレリー、昼飯いこや! そんで歌詞のこともうちょい詰めたいねん」

「大きな声で呼ばないで。恥ずかしいし。グスタフは?」

「先に食堂の席押さえとく手はずやで!」

「わかった。……だから声のボリューム押さえてくれない?」

 銀髪怜悧な風貌のヴァレリーさんが立ち上がる。自分と同じ銀髪でも彼女はショートヘアだ。あのツンツンした感じがなんとも言えず、太ももにのぞくガーターベルトは至宝に匹敵する北国からの贈り物――というのもシドニーさんの談だけど、それも心底どうでもいい。

「ティータ、あたしたちも行こうよ」

「あ、はい!」

 サンディさんとティータさんがそろって教室を出て行く。料理研究会の二人だ。昼食をいっしょにとるのだろう。

 お決まりのグループに分かれて銘々が席を立つ中、私もユウナさんとミュゼさんとⅦ組の教室へと移動した。

「はー、やっとお昼ご飯食べられる……」

「あら、寝坊したのにお弁当作る時間があったんですか?」

「だからあたしは寝坊してないって!」

 例によってミュゼさんをかわしつつ、ユウナさんは弁当箱を二つ取り出す。その内の一つが私に手渡された。

「はいこれ、アルの分」

「え?」

「材料余ったから、まとめて作ったの。味には自信ありよ?」

 弁当箱のふたを開けてみる。色とりどりのおかずに、一口サイズのおにぎりがいくつか添えられていた。おいしそうだ。

「あ、ありがとうございます」

 たどたどしくお礼を言う。横からミュゼさんが言った。

「ユウナさん、私の分は?」

「いやいや、あんたは自分で作ってるでしょうが。って、なんでそっちも弁当箱が二つあるわけ? ……まさか?」

「ええ。リィン教官への愛妻弁当です」

 瞳をうるませて、うっとりと微笑む。黒塗りのいかにも高級そうな弁当箱だ。

「愛妻違うし。しかも三段重ねってどんだけよ! 弁当箱の両端からエビの頭と尻尾がはみ出してるんだけど!」

「カプア特急便でオルディスから取り寄せまして。愛情をたっぷり注ぎ込みましたので、午後からのリィン教官は私たちに欲情しっぱなしですよ」

「なにを入れたのよ、なにを! アルもミュゼを止めて!」

 二人掛かりでミュゼさんを押さえて、重箱を押収する。このまま行かせると、確実に女子の身に危険が及んでしまう。

「あん、お二人ともひどい。かくなる上は私自身にお料理を盛って教官にご提供を……」

「やめい! あんたは()るっていうより(さか)ってるから!」

「んー、ユウナさんサイズになると目玉焼きで隠さないと……」

「なんであたしも皿候補なのよ! ……目玉焼きでどこを!?」

 クルトさんとアッシュさんは食堂に行っているらしいが、内心で良かったと思う。これはなかなかどうしてお聞かせできる会話じゃない。

 自身の内にあるそんな感性を不思議にも思いつつ、私は何気なくカバンの中を探った。今の状況を紐解くヒントはないかと、望み薄の期待を持って。

「あ、これは……なんでしょうか?」

 指先がこつんと固いものに当たる。それを取り出してみたが、用途不明の物体だった。手のひらよりちょっと大きめで、ウサギ耳らしき二本の突起がぴょんと上に伸びている。全体は黒色で統一されていた。どことなくチープな造形で、正式支給されたものではなさそうだ。……玩具?

「なにそれ、可愛い。アルの?」

「黒うさぎをモチーフにしていますよね。どこかで手に入れたのですか?」

「よくわかりません。わかりませんが――、っ!?」

 唐突に白い影がノイズのように走った。

 そうだ。これは誰かにもらった気がする……。

 あれこれいじっていると、カシャッと小さな音が鳴った。玩具の背面のスイッチに手が触れたのだ。

「なに?」

「なんでしょう?」

「あ、何か出てきました」

 〝黒うさぎ”の下部から薄い用紙がゆっくりとスライドしてくる。

 それを手に取り、みんなでのぞき込む。長方形型の型紙には、ユウナさんとミュゼさんの顔が写っていた。

 

 ●

 

 真新しい校舎の中を、ユウナさんと二人で歩く。目的は特になく、時間潰しだ。

「まさかカメラだったとはねー。そういうのリーヴスで取り扱ってる店に心当たりはないけど」

「あったとしても私が買うとは思えません」

「でも現にアルは持ってるし」

「確かに」

 言いつつ、黒うさぎカメラでユウナさんをパシャッと撮った。

「ちょっと不意打ちはやめてよ!」

「その割にはばっちりポーズを決めてましたが。超反応でしたね」

 時の結界を砕いたかのごとくだ。

 ジジーッと出てきた写真を渡す。

「えへへ、いい角度じゃない。あ、でも髪が少し乱れてるかも。もう一回!」

「ノリノリじゃないですか。《ARCUSⅡ》で自分撮りでもしてみては?」

「無理だって。だいたいカメラ機能の私的使用は禁じられてるし。抜き打ちチェックとかされたら、恥ずかし過ぎるでしょ。公開処刑に等しいわ」

「はあ……そういうものですか」

「とにかく、それミュゼには渡せないわね」

「同意です」

 ミュゼさんはこれがカメラだとわかると、しきりに自分を写すよう要求してきた。かなり際どいアングルと、あざとい恰好のポージングで。

 用途を聞くと、リィン教官の私物に仕込みまくって第三者に発見されるよう仕向けて、既成事実を捏造していくつもりだったらしい。もちろんユウナさんがシャットアウトした。

 ちなみに例の重箱弁当もリィン教官には渡せずじまい。おかげでつつがなく午後のカリキュラムを終え、ビースト教官を見ることなく、こうして放課後を迎えることができている。

 ちなみに愛情という名のあやしいエッセンスが入った弁当は、主計科時代にお世話になりましたということで、ミュゼさんがトワ教官に手渡していた。トワ教官は感激していたが、その後に彼女がどうなったのかは知らない。

「だあっ! うらあっ! くそ……まだまだっ! はあ、はあ……」

 医務室前で誰かが苦しげにうめいている。シドニーさんだ。彼は自分の体を廊下の壁に打ち付けていた。

「な、なにやってんの!?」

「ああ、心配はいらねえぜ。今から俺の男気を解放するところだからな」

 ユウナさんがあわてて駆けよると、彼はふっとニヒルな笑みをこぼす。ふらふらと立ち上がり、傷だらけの体で医務室の扉を開けるなり、中へと転がり込んだ。

「リンデさん! 俺ケガしちゃいました! 体の隅々まで検査して下さいっ」

 嬉色満面。理解に苦しむ行動だ。しかし喜びは一瞬、医務室からは悲鳴が聞こえてきた。

「な、なんでカイリがいやがる!? リンデさんはどうしたんだよ!」

「レポートの提出があるとかで、ウルスラ医大に戻ってますよ。わっ、すり傷だらけじゃないですか。早くこっちにきて服を脱いで下さい。処置しますから」

「いやめろおおおあぁ!!」

 扉をぴしゃりと閉める。

「これは救えないわね」

「自業自得かと」

 医務室から離れてしばらく、

「探したわよ、ユウナ」

「こんなとこにいた~」

 凛とした声と、のんびりとした声に呼び止められた。戦術科のゼシカさんと主計科のルイゼさんだ。二人ともテニスウェアを着ている。

「あれ、どしたの? 部活の時間にはまだ余裕あるけど」

 首をかしげるユウナさんに、ルイゼさんはにこにこと笑い、ゼシカさんはため息をもらした。

「やっぱり忘れちゃってたねー」

「部活の前にミーティングやるって言ったでしょ。だから早めに集合だって」

「えっ、あっ、今日だっけそれ。あはは、ごめん!」

 ユウナさんがこちらを向いて、両手を合わせる。

「アルもごめんね。あたし今から部活行くから。でもそっちも部活よね?」

「部活?」

「うん。もしかして水泳部休みの日だった?」

「いえ。それでは」

 水泳部? 私が?

 

 

 天井の照明がまぶしい。音が反響して聞こえた。

 たゆたう水に身を任せる。どこか懐かしい。心が溶けてしまいそうだ。

「おーい、アルー」

 屋内プールの中で仰向けに浮かんでいると、レオノーラさんがそばまで泳いできた。姉御肌というのだろうか、面倒見と気風の良い女子で、入部当初から何かと私の面倒を見てくれる。

 まただ。記憶が混ざった。知らないことが知っていることのように――経験したことのようにそれらの情景が胸に浮かぶ。

「今日はあまり泳がないね。調子悪いのかい?」

「そういうわけではないのですが。あの、レオノーラさん」

「ん?」

「私は泳げるんですか?」

「変な質問だね。たくさんがんばって、この前ようやく40アージュを泳ぎ切ったんじゃないか」

「………」

 がんばるとは、一般的に継続的な努力の実行を指す。そんなことを私が……いや覚えている。私はそれをした。同じ水泳部の人に応援をしてもらいながら。

 私が目標を達成した時、彼らはとても喜んでくれた。その日の夕ご飯はお店に食べに行って、みんながお祝いしてくれた。

「アル?」

「すみません、先に上がります。体調が優れないわけではないので、ご心配なく」

「ならいいけどさ。無理すんじゃないよ」

 プールサイドに戻ると、ウェインさんが腕立て伏せをしていた。彼も水泳部員だ。

「ふんッ、はあッ! ふふ……徹底的に筋肉をいじめ抜かないとな。さらに強靭な肩を、足を手に入れるためにも!」

「お疲れ様です。ウェインさんは泳がないんですか?」

 声をかけると、ぷるぷると腕を震わしながら顔を上げてくる。

「もっと筋肉を乳酸漬けにしてからだ。疲労した体が心地いいぞ。君も付き合うか?」

「遠慮しておきます」

 私とウェインさんの横を、もう一人の水泳部員のスタークさんが歩いていく。

「スタークさんも上がりですか?」

「まあね。ちょっと野暮用で端末室まで」

 彼は何か探し物があるのだという。端末室の放課後の使用許可が降りたから、これからさっそく足を運ぶそうだ。

 更衣室で制服に着替え直し、プール場をあとにする。どこに行く当てもなかった。

 軽音部の演奏がどこかから響いてくる。それを聞くともなしに耳に入れながら、黒うさぎカメラで適当に周囲の写真を撮ってみた。味気ない通路の写真だ。

 そうこうしていると、不意にきゅるるとお腹が鳴った。

「空腹のようですね……」

 昼食はユウナさんのお弁当を食べたけど、それなりに動いたからなのか早くも空腹だ。

 確かこの上は食堂だったはず。少し立ち寄ってみることにしよう。

 階段側に移動する途中、射撃訓練場から銃声がした。扉が開いていたので、隙間から中をのぞいてみる。

 黒髪ショートの女子生徒がライフルを構えていた。マヤさんだ。自主練習中らしい。

「……なんでよ」

 ぼそりとマヤさんは言う。弾丸は30アージュ先の的に当たっているものの、中心からは外れていた。精度の高い射撃をする彼女にしては、低い方のスコアだ。

 目についたのはライフルに付けられている新しい小綺麗なスコープ。以前はもっと年代物のスコープを使っていたと記憶しているのだが、あれが不調の原因だろうか。

 かける言葉は思い浮かばない。私はそっとその場を離れた。

 

 

 放課後の食堂にも生徒たちはいた。

 キッチンカウンターと調理場は同一の作りになっていて、注文と同時に調理してくれるのだ。

 ただいつものキッチン担当の女性は、今はいないようだった。だけど調理場の奥には人影が見える。

「どうかご賞味あれ!」

 この特徴的な声はフレディさんか。彼が差し出す皿には、昆虫の唐揚げらしき物体が山になっていた。それを受け取ったのはリィン教官だ。虫唐揚げをひとつまみすると、躊躇なく口の中に放り入れた。

「ふむ。見た目はともかく、味は悪くないな」

「フハハ! 教官もお好きですね!」

 食事の基本は栄養摂取が主だ。だから食べられたらなんでもいいという理屈になるのだが、あれにはちょっと抵抗がある。

「り、リィン教官すごいですよね……あんなの食べちゃうなんて」

 遠慮深げな細い声に振り向くと、近くの席にタチアナさんが座っていた。開いた本で口元を隠している。

「ですね。私は真似できませんが。タチアナさんは読書ですか?」

「はい。文芸部の活動の一環として」

「文芸部と言えば、アッシュさんは?」

「あ、あちらに」

 おずおずと指し示す先にはクルトさんとカードゲームに興じるアッシュさんの姿があった。《VM》というのだったか。学内でも人気だ。

「いいんですか? 同じ部活なのに」

「大丈夫です。文芸部って言っても、いっしょに本を読むわけじゃないですから。それにあのお二人を眺めているだけで十分なんです」

 タチアナさんが持つ本のタイトルに目が留まる。彼女もそれに気付いた。

「ア、アルティナさん! もしかしてこちらに興味があるんですか!?」

 こちらとはどちらだろうか。返答に困っていると、普段の寡黙な態度から一転、彼女は饒舌に語り出した。

「この本の作者さんはなんと、あのドロテ先生にも影響を与えたと言われる偉大な人でして! ファンの間では同志《G》と敬われているんです。伝説の《クロックベルはリィンリィンリィン》の生みの親なんです!」

「あのドロテ先生と言われましても。クロック……リィン?」

「そしてこれは《クルルンとラッシュの螺旋撃》という新作で、それはもう……それはもう、とっても螺旋撃で!」

 主人公のクルルン・ヴァンダームと、その悪友ラッシュ・カーバニトとのひと夏の思い出をつづった物語だそうだ。どこかで聞いた名前なのが妙に引っ掛かる。

「前作の《ソードダンスオブクルルン》ではなんと! ななな、なんと彼が二刀流であることが明かされたんです! 罪深さここに極まれりですよ!」

「二刀流、ダメなんですか?」

「むしろ歓迎です。もはや(クル)ルンとファンは呼んでいます」

 うっ、と鼻を押さえて、タチアナさんはよろめいた。その拍子に本が床に落ちてしまう。

「い、いけない。聖典が……はっ!?」

 めくれたページはあとがきだった。そこに書かれた文章を見て、彼女は動きを止める。そしてカタカタと小刻みに震えはじめた。

「う、うそ。信じられない。ああ《G》。あなたはなんということを……」

「あの……タチアナさん?」

「《クロックベルはリィンリィンリィン》のスピンオフ作品が発表されました! とある軍事学校の教官になったリィンの同僚のお話です。ということはランドリル教官とミサイル教官ですね。これは寝られませんよ! ふはぁっ!」

「ちょっと落ち着いて下さい。興奮しすぎでは」

 タチアナさんの鼻息がゴーディオッサーのそれと大差ない。しかもやっぱり人物の名前に聞き覚えがあるし、リィン教官に至ってはそのものだ。もちろん偶然の一致ではあるのだろうが。

「タイトルも出てます! えっと……《激突散花――ドリル&ミサイル》……え、えっ、えっ」

「え?」

「エーックス!!」

 両腕をクロスさせると、タチアナさんはブパァッと大量の鼻血を噴いてくずおれた。その勢いたるや、出血が天井に到達するほどだ。

「だ、誰か。タチアナさんがブレイク状態に……」

 恍惚の笑みを浮かべながら、彼女は血だまりの中に沈んでいく。白いタイツはすでに真っ赤だ。

 騒ぎを聞きつけて、《VM》を中断したアッシュさんとクルトさんが様子を見に来た。

「うおっ、なんだこりゃ。この出血、絶対致死量だろ。おいタチアナ、しっかりしやがれ」

「ぼ、僕がカイリを呼んでくる!」

 クルトさんが走っていき、ほどなくカイリさんが到着。応急処置を済ましたあと、タチアナさんは改めて医務室へと搬送された。彼女の言う〝聖典”をがっちりと抱きかかえたまま。

 

 

「あいつ、本読んでたら時々あんな感じにはなるんだけどよ。さっきのは格別だな」

 ようやく喧騒の収まった食堂で、アッシュさんは言った。本を読むたびに流血するとは。

「ったく、もうすぐ品評会もあるってのに」

「品評会?」

 そのぼやきにクルトさんが聞き返す。

「自作小説の品評会だ。ノベルズ・フェスティバルだったか。ヘイムダルでやってる年に一度の文芸部の祭典なんだと。数年前には暴動が起きたらしいけどな」

「なんで品評会で暴動が起きるんだ……。というか君も出展するのか? 意外だな」

「俺はタチアナの付き添いだ。読むのはともかく、書くなんて面倒くせえことやってられるかよ」

 アッシュさんは気だるそうに首を回した。

 なんでも審査委員長に件の《G》と、副審査委員長にはその暴動鎮圧の立役者である《紅のグラマラス》という人が招かれているそうだ。

 《G》とドロテ先生に次いでタチアナさんが尊敬している人で、それだけに今年のノベルズ・フェスティバルにかける彼女の熱意は並ならぬものだったらしい。

「ん? 三人だけか」

 食堂にリィン教官が戻ってきた。彼はタチアナさんの搬送に同行してくれていたのだ。

「タチアナは大丈夫だ。失血はひどいが容態は安定した。今は血液生成の補助として、にがとまとジュースを一気飲みさせられている」

「いや、その処置はどうなんだよ」

「カイリは案外アバウトなのか……?」

 その最中、なにかに気付いた様子で、リィン教官が私に言った。

「もしかしてアルティナ、お腹が減っているのか?」

「え? まあ、はい。空腹ですね」

 私の視線がキッチンに向いたのを見たのか、目ざとく察してくる。もう少し別のことにも敏感になればいいのに、とはユウナさん初め、不特定多数からよく聞く話である。

「あー、ドタバタしたからか俺も腹減ったな。ちょうどいい。なんか作れや、チビ兎」

「君ってやつは、頼み方というものがあるだろう。だが、思い返してみればアルティナの料理は食べたことがなかったな」

 アッシュさんをたしなめつつ、クルトさんがこちらを見る。その視線をそのままリィン教官に流してみると、「そうだな。アルティナさえよければ何か作ってくれ」と、気楽に言い返されてしまった。

「仕方ないですね。わかりました」

「なんなら手伝うぞ?」

「援護不要です。では少々お待ちを」

 料理などしたことはないが、作れないこともない。幸い、キッチンにはいくつかのレシピがあった。

 厨房にあったサイズの合わないエプロンを着けて、調理台の前に立つ。

「ふむ……」

 レシピをペラペラとめくる。なるべく簡単なものがいい。これだ。ハンバーグにしよう。

 ひき肉。たまねぎ。パン粉。卵。

 これらを混ぜ合わせるのか? やってみるも、うまく形にならない。何か手順を抜かしたのかもしれない。とりあえずこねなくては。手がベタベタだ。クラウ=ソラスが呼べたら楽なのに。

 なんとか肉ダネが丸くなってくれた。ちょっといびつだけど、胃に入れば同じだ。

 熱したフライパンに投入。急ぎで作りたいから、火力をアップ。黒い煙がもわもわと立ち昇っていく。

「できました」

 完成したハンバーグを大皿に無造作に盛り付けて、それを三人が待つテーブルへと運ぶ。

 アッシュさんはそれを見るなり、顔をしかめた。

「できましたじゃねえだろ、できましたじゃ」

「これはハンバーグ……と呼んでいいのか?」

 クルトさんも首をひねる。

「レシピ通りには作ったのですが。ちょっと焦がしてしまったようです」

「お前が見たレシピってのは呪いの魔導書か」

「これはちょっとってレベルじゃないぞ。あ! 中まで火が通ってないじゃないか! さては油を引かなかったな」

 半分に割った中身は生焼けのままだ。

 一向に手を付けようとしない二人に、「さあ、頂こう」とリィン教官は当然のように告げる。アッシュさんたちの戦慄が伝わってきた。

「し、正気かよ!」

「これはさすがに危険では……」

「二人ともまだまだだな。まるでわかってない」

 教官に迷いは一切見えなかった。

「世の中には、見栄えがいいのに魔獣の胃酸のような風味を放つ、毒と紙一重の料理もある。一口で意識を煉獄に叩き落とすような、殺戮兵器じみた料理もある。焦げた? 生焼け? 可愛いものだろう。それにアルティナが厚意で作ってくれた料理を無駄にするな」

「んだよ、その修羅場をくぐり抜けてきた的な大物感は……」

「なにかと損な人生を歩んでそうだよな……。しかしそう言って下さるなら心強いです。リィン教官、僕たちにこの場を乗り切るためのオーダーを!」

「ああ、任せてくれ」

 教官は手を前方に力強くかざすと、指揮官の声音で発令した。

「防御陣《鉄心》! 死力を尽くして生き延びろ!」

「耐えろってことじゃねえかよ! ちくしょうが!」

「待てアッシュ! 先に小さいのを取ろうとするな!」

 揉めに揉めるその光景を見て、なんとなくわかった。これは失礼なことを言われている。

 

 

 げふっと餌付く男子二人を黒うさぎカメラで写真に収める。椅子にだらしなくもたれかかって、息も絶え絶えだ。そんなに失敗したハンバーグだったのか。

「ははは、そのカメラか。この前もらって、さっそく使ってるんだな?」

 鋼鉄の胃袋の持ち主のようで、リィン教官は平然としていた。私のカメラを見て、どこか嬉しそうに笑う。

 やっぱり誰かからのもらい物? 彼はこれの出元を知っているのか。

 質問するより先に、今までに撮った写真を見せてくれと頼まれた。ポーチに直していた写真を取り出し、束にして渡す。

「へえ。ユウナは笑顔がいいな。ランディさんもポーズ取ってくれてるし。なんでシドニーが傷だらけなのかはわからないが。……ミュゼのこのショットは倫理的にまずいだろ……。ん?」

「どうしました?」

「アルティナの写真がないな」

「自分では撮れませんから。別に撮りたいとも思わないですが」

「そうか……」

 なにやら考え込んで、

「せっかくだ。撮ろう。三十分後に正門前に集合だ。クルトもアッシュもいいな」

「鬼か、てめえ……」

「了解です……うぷっ」

 有無を言わせず指示を出し、リィン教官は去っていった。

 そして三十分後。

 私が正門前に行くと、Ⅶ組特務科はもちろん、Ⅷ組戦術科、Ⅸ組主計科の皆がそろっていた。リィン教官が声をかけて集合してもらったそうだ。

 写真一枚にそんな労力をかけるだなんて。そして集まった学院生たちも楽しそうに騒いでいる。

「はい、アルはこっち!」

 ユウナさんに手を引かれ、私は全員のセンターに立たされてしまった。

「あの、私は端でいいのですが……」

「なーに言ってんの。アルのカメラなんだし、当然真ん中よ。ミュゼもそう思うでしょ?」

「ええ、その通りです。なんでしたら私たちと一緒に、アルティナさんも悩殺ポーズで写りません?」

「なんであたしもそのポーズをする前提なのよ!」

 カメラ係のリィン教官が叫ぶ。

「おーい、全員中央に寄ってくれ!」

 黒うさぎカメラが私たちに向けられた。みんな急いで思い思いのポーズを取る。

 風に乗って届く、カシャッという小さな音。

 ほどなく現像できた写真を、リィン教官は私に手渡してくれた。

「とてもいい写真だ。大切にするといい」

「ありがとうございます。……教官は私にこのカメラを誰がくれたか知っているんですよね?」

 言いながら写真に目を落とす。知らないはずの、知っている人たちに囲まれた私は、一体どんな顔をしているのだろう。

 教官は不思議そうに言う。

「なにを言ってるんだ。だってそのカメラは――」

 急に蜃気楼のような歪みが濃くなって、景色がねじれていく。

 その先の言葉も、写真の私がどんな表情をしているのかも、確認することができないまま――

 

 ●

 

 目が開いて、私はベッドから身を起こした。

 うす暗いパンタグリュエルの私室だ。頭が混乱している。でもわかった。

 これが夢か。初めて夢を見た。

「え、なんで勝手に出てきて……?」

 部屋の真ん中にクラウ=ソラスが浮いている。呼び出してなんかいないのに。なぜかその体表がぼんやりと薄く光っている。

 私はベッドから降りて、窓際に向かった。カーテンを開けると、夜の星空が見えた。

 《パンタグリュエル》は高度3000アージュで滞空中だったはずだ。

 でも変だ。眼下に見える雲が、作りもののように動かない。月も闇に塗られたかのように真っ黒だった。

 全てが制止した気味の悪い世界。

「まるでまだ、夢の中にいるみたい」

 ふと口に出して気付く。これはまだ夢の中なのか? 私はあの制服を着たままだ。

 いつかの時間、どこかの場所で、私が見ている私の夢……?

「かっ……!?」

 いきなり首に圧迫感を覚えて膝をつく。息ができない。抗えない。頭蓋の奥で、お前はそうなるモノだ、と誰かの声が響いた。意識が遠のいていく。

 苦しさにうずくまった時、胸元のポケットから一枚の写真が落ちた。

 ずっと大切にしていた宝物の写真。かすむ視界でそれを見る。

 みんながいた。ユウナさんも、クルトさんも、ミュゼさんも、アッシュさんも、分校の人たちも。……そこには私も。

 ああ、私はそんな顔をするのか。

「守らなきゃ……」

 みんなを。身の苦しさも忘れて、必死に膝を立てる。

「お願い、力を貸して……! クラウ=ソラス!」

 水の牢獄に閉じ込められているかのような窒息感と閉塞感を突き破って、めいっぱい腕を頭上に伸ばした。限界まで開いた手のひらの先で、充満していた闇が裂けていく。

 永遠に幸せな夢の中じゃなくていい。目を背けたくなる現実の中でいい。

 私を戻して。私の生きる世界へ。

 景色に亀裂が走る。天井が破けて、光が差し込んでくる。体がそこに吸い込まれていく。

 夢と現の狭間の海を、私はまっすぐに泳いだ。意識が覚醒に近付くにつれ、今の記憶が戻ってくる。なぜこうしてここにいるのかを。なんの為にそこにいたのかを。

 ただ一つだけ。あの黒うさぎのカメラは誰からもらったものだったか。

 それだけが、思い出せない。

 

 

 ――――☾ ☾ ☾――――

 

 




閃Ⅲを終えて、戻って参りました。

今回は閃Ⅲクリア記念ということで、アルティナのストーリーにしました。例外的に《夢にて夢みて》に必須のあの機械は使っていません。
プレイ済みの方であればどのタイミングでの夢だったのか、察して頂けるかと思います。

ちなみに今回はストーリーの中に、第二分校の学生たちをいずれかの形で全員出演させています。
サブキャラで特に好きなのはフレディですね。最初は猟奇的なヤバいヤツかと思いましたが、普通にいいヤツでした。ボイスもいいね!

それでは虹の軌跡Ⅱの更新を再開致しますので、引き続きお付き合い頂ければ何よりです。
閃Ⅳまでには完結だ!

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