虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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ストーリー上、75話以降が反映されています。本編のおまけ的ショートストーリーです。


続・夢にて夢みて
夢にて夢みて ふぁーすと


 工房の隅に置かれた木箱。ジョルジュがジャンク品を詰めているその箱には、まだ生きている装置があった。

 深夜も二時を過ぎた頃、その装置が起動した。

 《見たい夢を見る機械》改め《夢を繋ぐ機械》が。

 

 ●

 

《☆★☆皇女の休日★☆★》

 

 なぜか今日は護衛がいない。いつもはどこへ行くにもお供の人がついてくるのに。

 変なの。でもいいわ。そんなの些細なことだもの。今日はとても楽しみなことがあるのだから。

 約束の場所にアルフィンが小走りで向かうと、エリゼがこちらに気付いた。

「あ、姫様」

「お待たせしちゃったかしら?」

 帝都ヘイムダル。ヴァンクール大通りにある導力トラムの停留所前が、二人の待ち合わせ場所だった。

「いいえ。私も今来たところです」

「よかった。じゃあさっそく行きましょう。天気もいいし、お散歩しながら」

 アルフィンとエリゼは並んで歩き出した。他愛もない話で盛り上がりつつ、目的の場所を目指す。トラムの線路に足を取られないよう、エリゼが手を引いてくれた。

 なんだか彼女もそわそわしている。公の場では淑女としての立ち振る舞いを心掛けているからか、あまりエリゼはそういうのを顔に出さないけど、こう付き合いが長いと手に取るようにわかる。

 きっとわたくしと同じ。楽しみで仕方ないんだわ。

「あれじゃないですか? わあ、すごい行列ができてますね」

「だってすごい人気なのよ。雑誌でも紹介されていたみたいだし。あれが噂のクレープ屋さん……!」

 薄く焼いた生地で、フルーツやクリームを包んだ夢のデザート。いつか一緒に食べようって約束したデザートの一つ。

 エリゼの目も輝いている。

「姫様、早く私たちも並びましょう」

「もう、そんなに急かさなくてもクレープは逃げないわ」

「逃げます」

「え、逃げるの?」

 二人も列の最後尾につく。

 ああ、トッピングは何にしましょう。イチゴは外せないわ。当然ピーチもオレンジも。もちろん生クリームたっぷりで。

 エリゼは指折り数えて何やら呟いている。彼女もトッピングを考えているらしい。かなり真剣だ。

 先にクレープを買った前の人たちが減っていくにつれ、店構えも見えてくる。カラフルなテント屋根に、ポップなフルーツのイラストが描かれたカウンター。良い匂いも漂っている。

 もはや期待値はマックスだ。

「ご注文はどうなさいますか?」

 そしてアルフィンたちの番になった。カウンター越しに店員がオーダーを聞いてくる。

「えっとですね、わたくしは――え?」

 聞き覚えのある声に、メニュー表から顔を上げる。店員のお姉さんはラウラ・S・アルゼイドだった。固まるアルフィン。

「おお、エリゼにアルフィン殿下も。よくぞお越し下さいました」

「ラ、ララ、ラウラさん……!?」

「こんにちは。どうしてラウラさんがこちらに?」

 驚くべき状況だが、エリゼはごく普通の反応だった。

「実はアルバイトをさせてもらっている。これで中々の世間知らずなのでな。社会勉強にもなるし、菓子作りのレパートリーも増えるしで一石二鳥だ」

「それはすばらしいですね」

「エ、エリゼ?」

 ちょっと自然に受け入れ過ぎでは? どういう経緯でヘイムダルでアルバイトをしているか、もう少し気になったりしない?

 しかしエリゼはそれ以上の質問をせず、さらりとクレープを注文していた。

「私はこのフルーツミックスで」

「承知した。殿下はどうされますか?」

「………」

 え、ラウラさんが作るの。この前のみたいになるのでは。

 あら、この前ってなんだったかしら。うまく思い出せないけれど、とても重要なことだった気がする……。

「殿下?」

「あ、ごめんなさい。ではエリゼと同じものを」

「フルーツミックス・ラウラスペシャルですね。かしこまりました」

「いいえノーマルで! ものすごくノーマルで!」

「ふふ、遠慮なさらずに」

 なんということ。帝都のど真ん中に煉獄への入口が出来ていたなんて。

 ラウラはさっそく生地を焼き始めた。カウンターの奥の鉄板から、ジュッと控え目な油の音がした。

 彼女の手際は意外にも良かった。焼き上がった生地を慣れた手付きで平皿に移し、オーダー通りのフルーツを盛り付けていく。最後に生地を上手に折って、さらに受け紙で包んで完成だ。「どうぞ」と渡されたそれは、見栄えで言うなら紛れもなくクレープだった。

「おいしそう……では頂きますね」

「待っ――」

 とっさに止めたが、エリゼはぱくりと一口行ってしまった。

「うん、おいしいです! さすがラウラさん!」

 テンションも高くエリゼは表情をほころばせた。

 成功している? つまりこの前のは偶然だということ? でも肝心の“この前”というのが思い出せないのだけれど。

 とにかくおいしいなら良かった。

 アルフィンも一口食べてみる。

「くふっ……!?」

 ゴムのような生地。濁流のごときクリーム。互いの味を打ち消し合うフルーツ。

 出た。例えようもない混然一体の凄まじいアレ。

「あ、あふうぅ~……!」

「どうしたんですか」

「エ、エリゼ? あなたはなんともないの?」

「なにがでしょうか?」

 すでにエリゼは半分くらい食べている。無理をしている様子もない。本当に美味しいらしい。

 なぜわたくしのだけ、こんなにアレなのでしょう。

 ふとアルフィンの視線が、ラウラの背後に留まった。そこに見えたのは、調理スペースの片隅に折り重なって横たわる無数の人たちの姿。

 リィンを筆頭に、ユミルのヴェルナー、アルゼイド流の門下生たちである。もっともアルフィンはアルゼイド流の彼らとは面識がないので、道着の男たちが誰なのかはわからなかったが。

「あれを見て! リィンさんが……!」

「兄様?」

 エリゼは小首をかしげている。まったく見えていないようだ。ラウラも同じらしい。どうして自分にだけ見えるのか。

 しかし直感で分かる。あの人たちは被害者だ。彼女の料理を食し、屍となり果てた方々だ。

 先にクレープを完食したエリゼが言う。

「姫様は召し上がらないんですか?」

「もしやお口に合いませんでしたか……?」

 そこにラウラの追撃。そんなに不安そうに見つめないで下さい。そんな目をされたら、わたくし、わたくし――

「ま、まさか! おいしいですから! 好きなものはゆっくりじっくり食べるタイプなんです!」

 またしても自ら退路を断ってしまう。

 パクッ。粘度のあるクリームが気道を塞ぐ。

 パクッ。目まいがして、意識が遠のいていく。

 パクッ。視界に映る全てが、グニャグニャと歪曲して、そこに景色が吸い込まれていく。

 最後の一口は気力で――パクッ。

 

 

「ふぁっ!?」

 ベッドから跳ね起きる。レースのパジャマの背が、じっとりと寝汗に濡れていた。

 薄暗い貴賓室に、荒い息遣いが染みていく。前髪をかきあげたアルフィンは、枕もとの置き時計を手繰り寄せる。

 カチコチと進む秒針が、まるで何かのカウントダウンを刻んでいるかのようだった。

 

 ――☾ ☾ ☾――

 

 

 

 

《☆★☆トライアングル・マイナス★☆★》

 

 今年もこの時期がやってきた。

 Ⅶ組の教室の真ん中で、サラ・バレスタインは静かにその時を待つ。

 コンコンと扉をノックする音。どうやら一人目が来たらしい。

「はい、どうぞ」

 がらと扉を開き、「失礼します」とリィンが入ってくる。その後ろには彼の父母であるテオとルシアの姿もあった。

 深々と二人は頭を下げた。

「いつも息子がお世話になっております」

「平素より行き届いたご指導を賜り、改めて御礼申し上げます」

「そうかしこまらずに。さあ、お掛けになって下さい」

 彼らを椅子に誘導すると、向かい合う形でサラも座った。

「それではさっそく、三者面談を始めさせて頂きます」

 今日は教師、生徒、保護者による三者面談が行われる日。進路相談がメインの二年生と違い、一年生の半ば過ぎでは、授業態度や今後の課題なんかが主な話だ。

 サラは机にいくつかの書類を並べていく。成績表や個人考察を記載した諸々である。

「まず成績に関してですが……リィン君は特に問題ありませんね。苦手教科もなく、全て平均点以上をキープしています」

 彼の両親はうんうんと満足そうにうなずいている。

「交友関係も広く、放課後は自ら生徒会活動を手伝い、学院内トラブルも積極的に解決してくれています」

「さすが私の息子だ。充実した学院生活を送っているようだな」

「交友関係……お友達もたくさんできたのですね。とても嬉しいです」

 感慨深げなルシアは、一つ質問をしてきた。

「実際、学友の方々からの評判はどうなのでしょう?」

「それでしたらこちらに」

 もう一枚の資料を取り出す。多角的な意見を元に、個々のさらなる成長を促すという意図で実施したマルチアンケート結果だった。

 平たく言えば他者によるリィンの評価表だ。やはり仲間から長所を認められるのは、改めての気付きと意欲向上に繋がる。

 事前に内容は読んでいるが、彼の場合はⅦ組メンバーからリーダーシップや責任感の強さに高い評価を受けていた。

「じゃあ読みますね。リィンもよく聞いておきなさい。モチベーションアップになるから」

「皆からの意見か。なんだか緊張しますね」

 リィンは自己評価が低い。もっと自分に自信を持っていいのだ。啓発の為の試みだが、きっといい影響を及ぼしてくれるだろう。

「えーと、『どんなことにもすぐに対応してくれて感謝しています』、『優しくて頼りになる人』、『友人として誇りに思う』ですって」

「みんな……」

 テオとルシアも感激しているらしく、特にルシアは目じりをハンカチで拭っている。よほど嬉しいようだ。

 サラは続きを読む。

「まだあるわよ。『誰にでも優しいのはいいが、無自覚に歯の浮く台詞を口にするのはいかがなものか』、『不可抗力で済ませていいことと悪いことがあると思います』……あら?」

 こんな意見あったかしら。そこはかとなく、ご両親の顔色が曇ってしまった。

「あ、安心して下さい。えーっと『入学初日に胸を触られました。というか顔をうずめられました』、『まじめに勉強を教えていたのに、いつの間にか視線が胸に向いていました』、『シスター服を興味深げに見ていました。多分頭の中で『着やせするタイプだな』とか考えていたんだと思います』……だって」

「いやっ、それ……?」

「あら?」

 いったいどういうことなの。面談前に見た時には、こんなの書かれていなかったはず。

 リィンは額に大量の冷や汗を浮かべている。よりにもよって両親の前では読まれたくなかった内容だろう。

 その用紙がうっすらと光り、新たな文字を浮き立たせていく。

「な、なに?」

 追加された文章は、またしてもリィンの暴露話だった。へえ、そう……プールでもやらかしてるのね、この子。

 今の光。けっこう目立ったはずなのに、なぜかあたし以外は気付いてない。

「うむ。さすが私の息子……と言っていいのか。そういえば私も若い頃は不可抗力を盾にして温泉に突撃したことがあったが」

「リィン、お話があります。ちょっといらっしゃい。あなたもです」

「……はい、母さん」

「むう、失言……」

 罪人疑いのリィンと、前科のありそうなテオが、まとめて連行されていく。

「あのー、三者面談中なんですけどー……」

 ピシャリと閉められたドアは、どれだけ待っても開く気配がなかった。

 

 

 気を取り直して。

「それでは次の方、どうぞ」

 教室の中からサラが呼びかけると、ガララッとドアが開く。次はガイウスだ。そして彼の父――ではなく、まず馬が姿を見せた。

 パカラパカラと蹄が教室の床を打ち、その背にまたがるラカン・ウォーゼルが頭を下げて戸口をくぐってくる。

 待って待って。二人目から濃いのよ、濃すぎるのよ。先導するガイウスは普通に真面目顔だし。これってあれ? つっこんだら負けなヤツ?

 親御さんとのコミュニケーションは大切だ。とりあえずサラは質問してみる。

「ノルド高原から、わざわざ馬でお越し下さったので?」

「ノルドの馬は強い。この程度の距離は物ともしませんぞ」

 そこは列車で来てよ。ていうか列車でも八時間の距離でしょ。馬も馬でぶるるっと『まだまだ行けますぜ!』みたいな感じで鼻を鳴らしてるし。

「とりあえずお席にどうぞ」

「お心遣いに感謝しますが、馬の背の方が落ち付きますのでな」

「……その位置では私が終始見上げながらお話をすることになりますから」

「おお、これは私としたことが。息子がお世話になっている教官殿を見下ろすなど、実に無礼なことでありました」

 首が痛いだけだし。しかも一回断るってのも、それはそれでどうなのよ。馬に乗ったお父さんとの面談とか前代未聞だわ。

 馬から降りたラカンは椅子に座った。

「まずガイウス君の成績ですが、新しい環境の中での努力がうかがえますね。特に歴史学はがんばっています。導力学は苦戦しているようですが、こちらでもサポートをしていくつもりです」

「ほう。導力学は苦手なのか」

「まあまあ。オーブメントの機構や概念なんて、学ぶ機会もなかったでしょうし」

「私はガイウスに聞いています」

「え、あ。すみません」

 首を引っ込めるサラ。なんか怒られてしまった。

「父さん、俺は……すまない。導力学が……わからない」

「ガイウス……そうだったのか」

 空気重っ。

「大丈夫よ。ちゃんとサポートするって言ったじゃない。マカロフ教官にも個人補講の相談しておくから」

「これは私とガイウスの話です。教官殿には少々控えて頂きたいが」

「す、すみません」

 なんでよ。なんで教官が控えるのよ。でもこれ以上怒られるのは嫌なので、ひとまず口をつぐむ。

「ガイウスよ。人の価値は試験結果では決まらん。学びの形は様々。己の糧となるべきは何かを常々考えろ。数字の得点だけで物事を語るのは愚かなことだ」

 サラはガイウスの成績資料をそそくさと片付ける。どうにも居心地が悪い。

「わかった、父さん。ありがとう」

「驕ることなく邁進(まいしん)せよ。サラ教官、これからも息子を頼みます。今日は有意義な時間でした」

「は、はあ。どうも」

 颯爽と馬に乗り直したラカンは、教室を後にした。

 自己完結型の面談って珍しいわ。とりあえず次からは家でやってもらおう。

 

 

「どうぞお手柔らかに」

「まあ、こちらこそ。うふふ」

 意識せずとも声音にしなができる。三番手はラウラ。すなわち保護者はヴィクター・S・アルゼイド。

 渋い。最高。声も外見も精悍そのもののナイスミドル。ああ、この胸の高鳴り。先の二家族を一発でチャラにできるわ。

「ラウラさんはそうですね。やはり実戦系、武術カリキュラムなんかは特に優秀です。かねてよりのお父様のご指導が活きているのでしょう」

 決して世辞ではないが、さりげなくヴィクターを褒めることも忘れない。

 ヴィクターは鼻柱をかいた。

「いやお恥ずかしい。男手で育ててしまった故、いささか勇ましさが目立つようで」

「ち、父上」

 ラウラは顔を赤くしてうつむいている。偉大な父のとなりだからか、普段よりおとなしい。

「もちろん武道も結構だが、せっかく遠方の学院に入学したのだ。レグラムでは学ぶ機会のなかったものに挑戦してもらいたいが」

「それなら日々料理を学んでいます。なかなか奥深く、いまや趣味の一つです」

「おお、そなたが料理に興味を持つとは。もしや花嫁修業の一環でもあるのか?」

「か、からかわないで頂きたい……」

「はは、すまんな」

 仲睦まじい父娘の会話に心が癒される。

「して教官殿。実際のところ、ラウラにそんな対象はいるのかな?」

 雑談のような雰囲気で話を振られる。しかしその目にジョークの柔らかさはなく、害敵を仕留めんとする剣士の険しさのみがあった。明確な敵意と殺意。

 気圧されてとっさに声が発せないサラに、「どうなのですか」とヴィクターは父の険をも重ねてくる。

「それは……生徒たちのプライベートにはあまり干渉しておりませんので。ただ自己の責任の下、士官学院生として自覚ある行動を各自が心がけていると思いますが……」

「自己責任であれば、何をしても良いとおっしゃる?」

「言ってませんけど!?」

「ふむ……ラウラよ」

 険を吹き消して、ラウラには優しげな声で問う。

「さっき料理を学んでいると言ったな。当然それを食べる人間がいるわけだが、それは不特定多数の友人か?」

「恥ずかしながら、まだ多くの人に振る舞えるほどの腕はありません。講評をもらう相手としては……あの、リィンが主なのですが」

 名前を出しただけでこの反応。あら、まあ。

「リィン・シュバルツァーか。なるほど。……聞いたな、クラウス」

「は」

 教室の隅に老紳士が控えていた。アルゼイド家の執事だ。いつからいたのか、クラウスはうやうやしく頭を下げる。

 ヴィクターは低く喉を鳴らした。

「アルゼイドの試練第二撃、蒼天活殺の儀を」

「おお、暴虐の極みですな。ただちに準備にかかります。我らレグラム三将も動きましょう」

「頼む」

「おそらくはリィン様の骨も残りませんが」

「望む」

「御意」

 クラウスの姿がふっと消える。

 続けて席を立ったヴィクターは、パキリの指の関節を鳴らした。

「所用ができました故、これにて失礼させて頂く。気にせず面談を続けて下さいますよう」

「へっ?」

 肩で風を切るようにして、ヴィクターは教室から出て行く。その背中に謎の闘気が立ち昇ってる。

 しばらく黙っていたラウラは、おもむろに言った。

「では続きを」

「これ三者面談だから……」

 

 

 半分も消化してないのに、すごく疲れた。そして疲れたところに、さらに疲れる相手がやってきた。

 強面の髭面でどっかり座するのは、紅毛のクレイグことオーラフ・クレイグ准将。エリオットの父親だ。姉であるフィオナも同席している。

 挨拶もそこそこに、さっそく本題に進もうとしたところで、

「猛将」

 オーラフが一言口にした。

 二人の間に挟まるエリオットがびくりと肩を震わせ、フィオナは表情を暗くする。まるで呪いの言葉のようだった。

 この重苦しい雰囲気はなに。

「バレスタイン教官。我々は真実を知るために来た。なに一つ偽ることなく、ありのままの息子の姿を教えて頂きたい」

「もちろんそのつもりですが……」

「では率直に訊こう。息子は……エリオットは猛将か?」

「はい?」

 猛将って呼ばれてるのはあなたでしょう。出かけた言葉を喉に引っ込め、サラはオーラフの次の言葉を待った。

「私はエリオットを信じている。もちろんフィオナも。しかし《猛将列伝》なる書籍が、クレイグ家の安寧を崩そうとしている」

「はあ……エリオット、どうなの?」

 どうにも要領を得ず、とりあえずエリオット自身に質問してみる。彼は顔をうつむけたまま、「違うって言い続けてるんですけど……」と、疲れを隠せない声で答えた。

「ていうか猛将ってなに?」

「それを説明すると長いので……」

「エリオット」

 話をさえぎり、フィオナが静かに言った。

「お姉ちゃんはエリオットが大好きよ。エリオットも私のこと好き?」

「う、うん」

「だったら姉弟の間に隠し事はないわよね。お願い、エリオット。お姉ちゃんの目を見て、僕は猛将じゃないって言って欲しいの。たった一言。そう、簡単なことよ」

「うん、何回も言ったよね……」

「ならエリオットがベッド下に隠してるダンボール箱の中身を見てもいいのかしら?」

「いいよ。ダンボールなんてないけど」

「ま、迷いなく快諾するだなんて。見られて興奮するタイプということ……!?」

「違うから!」

 わかったコレ。信じてるっていうか信じさせてくれパターンだわ。

 一度心に生じた疑心暗鬼はなかなか払えない。

「あー、でしたら提案なんですが、そのような疑惑を晴らすには根元から取り除くべきだと思うんです。誤解を解くためにも、ひとまずもう一度エリオット君と話し合ってもらって――」

「根元から取り除く……つまりケインズ氏を始末せよと?」

「は?」

「ふふ、灯台下暗しの案だ。さすがはⅦ組を率いる担任教官か。このオーラフ・クレイグ、貴女を見誤っておった。かような強行策は嫌いではない。嫌いではないぞ!」

 どうなってるの。あたし、変なスイッチ押した?

 オーラフは胸元から携帯通信機を取り出した。

「聞こえるか、ナイトハルト。今はトリスタ西門前に待機中だな。ただちに戦車大隊を動かせ。攻撃対象はトリスタ市内、ケインズ書房。繰り返す、攻撃対象はトリスタ市内、ケインズ書房! 目標を消し炭にせよ!」

 ひどく物騒な指示を一息に発したあと、オーラフはあご髭顔をサラに向け、爽やかな笑みを浮かべてみせた。

「これで良いのだろう」

「いやー、ダメじゃないですかね……」

 

 

 遠くに砲声が轟く中、五人目がやってきた。

「さ、早く始めて早く終わりましょう」

 かつかつとヒールを鳴らし、こちらが勧めるよりも早く椅子に座ったイリーナ・ラインフォルトは、続けて机上の資料を手に取った。ペラペラと内容を流し読む。

 遅れてその横に腰かけたアリサは、母のそんな態度に慣れていつつも、やはり不満気な様子だ。

「ちょっと母様! そんなに早く進めなくてもいいでしょ!?」

「で?」

 娘の抗弁を聞きもせず、イリーナは成績資料をぱさりと机に戻した。

「で? と言われますと……」

 こちらのペースで進行していいのかわからず、そう聞きかえしたサラに「三者面談でしょう?」と、イリーナは細いあごをくいと上げる。

「現状の成績と、それに伴う今後の課題を教えて下さる? 簡潔に」

 やりにくいってーの。理事ってだけでも気を遣うのに、そもそもの性格が絡みづらい。

 でもそんなこと、口にも顔にも出すわけにはいかない。

「アリサさんは座学全般が高得点で、提出物も期日に遅れることがありません。修学態度は至って勤勉。なかでも導力学に関しては飛び抜けていまして――」

「ふうん。導力学が得意なの、アリサ」

「得意っていうか、普通に分かるだけだけど」

 この子もこの子で、すごいことをさらりと言う。そういえばアリサの導力学のレポートを読んだマカロフ教官が、そのあまりに専門性の高い内容に、『こいつヤバイ』ってぼやいていたことがあった。

 イリーナは成績表をトントンと人差し指で叩く。

「この程度で満足しているのなら、まったくもって視野が狭いわ。そんなことでは学識の向上に繋がらなくてよ」

「別に満足してるつもりはないけど、導力学は満点だから。これ以上は点数の取りようもないし」

「私なら120点取るけど」

 ラインフォルトの会長様が変なことを言い出した。「取れるわけないでしょ!」と戸惑うアリサに、イリーナは鼻で息をつく。

「まず設問に対して完璧に答えた上で、さらに改善点を列挙するわ。より相応しいと思える例題から、テストの構成に至るまで。建設的、効率的、実用的に最適なものを」

「なによそれ! 無理だし!」

「私はやったわ」

「本当に母様は……。それでどうなったの?」

「だから120点よ。点数の横には『もう大丈夫です。ありがとうございました』って、講師からの感謝の言葉も書かれていたかしら」

 それ単なる皮肉。厄介者扱いされてるじゃない。

 と、また口から飛び出しそうになった言葉を、サラは必死に胸の奥へと押し戻す。

「試験における満点っていうのは、出題者が定めた上限のこと。紙一枚の評価で登り詰めた気にはならないことね」

「わ、わかってるわよ!」

「期待しているわ」

 それだけ言い残すと、イリーナはさっさと退室した。このあとに商談が控えているのだという。

 一応は娘の背中を押しにきたっぽいけど、あっという間にアリサ一人になってしまった。

「……三者面談続けます?」

「だから三者になってないのよ!」

 

 

「さすがは私の弟だ。まったく鼻が高いな」

 六番手で現れたルーファス・アルバレアは、弟であるユーシスを褒める。やたらと褒めて、褒めちぎる。

「あ、兄上……ご評価頂けることは嬉しいのですが……」

「おや、殊勝な反応じゃないか。成績も上位で、馬術部の活動にも精力的に取り組み、生活態度も規則正しく模範的。学生ながらアルバレアの名に恥じない立ち振る舞いとなれば、褒め言葉の一つも出よう」

「は……」

 いつもの傲岸不遜はどこへやら。尊敬する兄のとなりで、ユーシスは借りてきた猫のごとくだ。

「これも優秀な教官殿のおかげかな。色々とご面倒はおかけてしていると思いますが」

「恐縮です。ユーシス君は特に目立つ問題もありません。充実した学院生活を過ごしていると思います」

「ああ、そっちの心配はしていません。ただ交友関係は気になっていましてね。こう見えて弟は少々人見知りなのです。その態度がマイナスに転じて、周囲に近付きがたい印象を与えていないかどうか」

 さすがは兄の見解というべきか。よくユーシスの性格をわかっている。ちなみに彼の父、ヘルムートは忙しいという理由で来ていない。

 交友関係については直接本人からがいいだろう。

「ユーシス、あなたから教えてくれるかしら」

「……承知した」

 不承不承で了解するユーシス。普段なら応じないだろうが、そこは兄の手前ということか。

「Ⅶ組の皆は……気の置けない友人です。共に切磋琢磨する良好な仲であると感じます。まあ、一人反りの合わない者もいますが」

「ははは、そうか。順調のようで何より。ところで学生らしい浮いた話はないのかな?」

「浮いた話? ありませんが」

「同年代のお嬢さん方は魅力的だろう?」

「そう言われましても……」

 困ったようにユーシスは首をひねる。

 ああ、言いたい。あの娘がいるでしょう。

 いつも甲斐甲斐しく正門前で待ってるあの娘が。教会までの短い距離でも、あんたと一緒に帰りたいと思ってるあの娘が。

 Ⅳ組の面談はもう終わってるみたいだから、今日も彼女は待ってるはずだ。

 ……ということは、このあとお兄様と初対面ってことね。

「なんだ、いないのか?」

「はあ……そうなります」

 あんたもたいがい朴念仁よ。近い内に通知表に色恋の欄を作っておくとしよう。

 

 

 青いドレスの裾が柔らかに波打つ。その煌びやかな衣装は、この教室において場違い以外の何者でもなかった。

「うふふ、よろしくどうぞ」

 微笑を浮かべたヴィータ・クロチルダが着席する。

「婆様は来られないからね。私が代理だけど問題あるかしら」

「教官としては問題ないけど……エマはいいの?」

「私も別に大丈夫です。保護者ではありませんが……」

 なにやらエマも物言いたげだ。ちらちらヴィータを横目で見つつ、落ち着かない肩を小さく揺らしている。

 どうしよう。あたしの前に魔女が二人も並んでる。しかも片方は結社の使徒だし。

 ま、いっか。

「じゃ始めるわよ」

「可愛い妹の成長を知れるなんて、とても楽しみだわ」

「………」

 この特異な空気。今までとは違う意味でやりにくいわ。

 とりあえずセオリー通りに成績から。とはいえ、ここに関してエマは非の打ちどころがない。

「試験結果は学年首位で」

「そこしか取柄がないものね」

「Ⅶ組ではクラス委員長も務めていて」

「型にはまった優等生ということね」

「放課後は文芸部として小説作りに勤しんで」

「空想の世界に現実逃避かしら」

「学院祭では皆の中心でボーカルを」

「私の方が上手いけど?」

 なにしに来たの、この女。可愛い妹って言ったくせに、全否定してくるじゃない。どうやったらプロのオペラ歌手に勝てるってのよ。

 ルーファスは弟を褒めまくってたけど、ヴィータは妹をけなしまくってる。

「どうしたの、エマ。教官が褒めて下さってるじゃない。ほらもっと嬉しそうな顔をしなさいよ」

 あんたが散々言うからでしょうが。エマはうつむけた顔を上げようともしない。

 なんとかフォローしなければ。

「文芸部で出した作品が確か賞を取ったのよね? うん、それはすごいことよ」

「まあ、本当? エマは昔から本は好きだったもの。あなたの努力が実って私も嬉しいわ。そうだわ。ちょっと今と昔を比べてみましょうよ」

 軽く掲げたヴィータの手の平に光が生まれる。その中から一冊の雑記帳が現れた。

 たちまちにエマの表情が強張った。

「ど、どうして姉さんがそれを……!?」

「細かいことは気にしないで」

 ペラペラとページをめくると、幼少時のエマが書いたらしい物語をヴィータは音読し始めた。オペラの一幕のように、力強く朗々と。

「『私は森の主に囚われた姫。ああ、王子様。早く私を荊の檻から連れ出して。そして優しく抱きしめて。多くは望みません。ただあなたの愛を――』」

「や、やめて! お願い! いやああ!」

 耳をふさいで、エマは机に額を押し付ける。どこかで聞いたようなストーリーなのは気のせいか。

「ふふ、あはは……アーッハハハ!」

「うわっ」

 いきなりの高笑い。思わずうわって言っちゃった。三者面談でそんな笑い方する人、初めて見たわ。

「ああ、楽しい。あなたはどうかしら、エマ?」

「……楽しくない」

「もしかして拗ねちゃったの? 愚かな妹」

 エマの肩が小刻みに震え出す。可愛い妹だったり、愚かな妹だったり、どっちなのよ。

 コンプレックスを植え付けるだけ植え付けると、深淵の魔女は何事もなかったかのように姿を消した。

 胸はあなたの方が勝ってると思うわ。そんなフォローを入れようか迷って、結局やめた。

 これ以上下手を言うと、この子たぶん泣く。 

 

 

「いやー教官さん、フィーがいつも世話になっとりますなあ」

「これは土産だ」

 和やかなムードだった。上機嫌なゼノの横から、レオニダスが小袋を差し出してくる。

「これはどうもご丁寧に……」

 袋の表には『西風まんじゅう』と、ふわふわのレタリングでプリントされている。その下に小さく『とらっぷますたー、べひもす監修』の印字も。

 手広くやり過ぎでしょ。

 肝心のフィーはといえば、『私昼寝してくるから。レオとゼノで話しといて』と、ついさっき教室を出ていった。

 この時点で、すでに三者面談ではなくなっている。

「それで教官さん。学生としてのフィーはどないですか?」

「うむ。気になるところだ」

「そうですね。実技演習は常に好成績ですが、座学は苦手のようです。授業中も良く寝てるし、起きてる時もぼーっと窓の外を眺めて――え゛」

 凄まじく殺気のこもった視線が向けられていた。さっきまでの態度とは打って変わって、ゼノは机から身を乗り出し、まくし立ててくる。

「ああん!? 誰かて得意不得意はあるやろが! 授業かて眠いんやったら寝させたれや! つーか眠とうなる授業をする教師陣に問題あるんとちゃうか!?」

「窓の外を眺めることにしても、そこに蝶でも舞っていたからだろう。つまり蝶が悪い。引いては蝶の侵入を許した学院が悪い」

 レオニダスも腕を組んで、ぎろりとにらんできた。

 ヤバイやつらよ、この二人。褒める系、けなす系に続いて、典型的な甘い系だ。近年貴族生徒の保護者に急増中の、無茶ばかり要求してくる教師泣かせのモンスターなにがしだ。

 サラが警戒していると、二人ともすぐに表情を和らげた。

「すんませんなあ、教官さん。つい熱くなってしもうて。別にあんたを責めてるわけやないねん。確かフィーは園芸部やったな。そっちの話を教えて下さいや」

「部活ですか……主には花壇のそばのベンチで寝て――い、いえ、色んな種類の花を育てているようです。晴れた日に花の世話をしている姿をよく見かけますよ」

『は、花の世話……!』

 胸を打たれたように、二人そろって天井を仰ぎ見た。

「優しい……優し過ぎるやろ! 天使か!」

「うむ。天使だ」

 が、また二人の表情が険しくなる。

「けどなあ……そんな天使にちょっかい出しとる輩がいるらしいな、ええ?」

「私は知りませんが……」

「ケネス・レイクロードや。名前は知っとるか?」

「ああ、貴族生徒の」

 釣り好きの彼だ。池やら川沿いでよく見かける。彼がフィーに?

「おお、そうそう。ほい」

 問い返す間もなく、ゼノは持っていた携帯スイッチのボタンを押した。同時にズッドーンとシャレにならない爆発音が轟き、押し寄せる噴煙が廊下を埋めた。

「これでケネスはバラバラのパラッパラや。Ⅰ組の教室丸ごといったったからな」

「な、なんてことを。しかもなんでⅠ組を……」

「貴族クラスってⅠ組やろ」

「そうだけど、彼はⅡ組だし……」

 貴族学級は二クラスあるのだ。ちょうどⅠ組で面談中だったらしいハインリッヒ教頭とパトリックが、黒こげになって空に打ち上げられていた。

「かー、やってもうた! 余りの火薬あったか?」

「ないな。全部使った」

 忌々しげに彼らは言う。

「くそっ、出直しや。必ずケネスを仕留めたる!」

「ああ、また来よう」

「いや、あなた達もう出禁だから」

 

 

 しんどい。三者面談ってこんなに大変だったっけ。

 でもあと少し。あたしがんばる。

「はい、次~」

「やっほー!」

 今のサラには少々厳しいテンションで、元気いっぱいのミリアムがドアを開けた。

「え、ミリアム? 保護者って誰?」

「私です。書類上ですけど」

 続いて教室に入ってきたのは、クレア・リーヴェルトである。

「あんたでいいの?」

「はい」

「手早く済ませていい?」

「どうぞ」

 さっそくミリアムの成績について講評する。

「通信系の導力学は、まあいいわね。でもそれ以外がさっぱり。フィーといっしょで授業中よく寝るし。テスト用紙には落書きするし」

「なるほど。ある程度予想していました。これをどうぞ」

 クレアが渡してきたものは、A4サイズのレポートの束だった。かなり分厚い。

「なにこれ?」

「カリキュラムの見直しプランです。私が考案しました」

 授業全般の進め方、各科目における重要ポイント、試験作成における適正な難度。などなどが事細かに記載されている。

「あとは時間割も変えた方がいいでしょう。ホームルームが週三回って多過ぎません?」

「いるわー、あんたみたいなの。こっちの運営方針に口出ししないでよ。せいぜい『学食のメニューにもっとバリエーションを』くらいの提案に留めときなさいよね」

「では私のプランを実行した場合に見込める成績向上と、それに伴う複数のメリットについて。僭越ながらプレゼンさせて頂きます。指摘、質問はその後で」

「えーえー、いいわよ。教育の現場を知らない堅物に言い負かされるもんですか。かかってきなさい!」

 わずか三十分後。サラは完膚なきまでに言い負かされていた。

 

 

 くやしい。だって何言っても理屈をつけ返してくるんだもの。教師ってつらい。今日は絡み酒がいいわ。トヴァルはトリスタに来てないのかしら。

 クレアが残していったプレゼン資料の束を机の中に押し込んで、サラは最後の一人を待つ。

 ノックの音がした。これでラスト。気合いを入れて声を張る。

「はい、どうぞー!」

 十人目はマキアス。保護者はカール・レーグニッツだ。彼も優等生で、父も穏やかな性格。当たり障りなく、速やかに終わらせたい。

 入ってきた二人を見て、サラは絶望した。

 いきなりマキアスの表情は暗く、カールの表情は硬い。

 学院理事と帝都知事を兼ねる男は、憮然として椅子に座った。

「始めてくれたまえ」

 愛嬌の欠片もなければ、政治家らしい上辺の振舞いもない。よくわからないけど、なんだか怒ってらっしゃる。

 とにもかくにもつつがなく。危うきに触れないまま、この場を乗り切ることが先決だ。

 それまでの教え子同様に、一通りの成績と生活態度を書面を元に伝えてみる。

 相づちも入れずに黙って聞いていたカールは、サラの話が終わったタイミングで重い嘆息を吐いた。

「私が聞きたいのは、そういうことではない」

「……では何を?」

「バレスタイン教官。あなたは私に隠し事をしていないかね?」

 なんだろう。私が隠していること?

 ハインリッヒ教頭にいわれのない説教をされたあと、こっそり彼のコーヒーに練りがらしを注入してやったことだろうか。それとも教官室の自分のデスクの中に、秘蔵のボトルを隠していることだろうか。はたまた――ていうか思い当たることが多くて絞りきれないわ。

 でも、その中で彼を怒らせるような案件は、正直覚えがない。

 答えるに答えられず、口を開けないでいると、

「黙秘か。その反応、心当たりの裏返しと見た。率直に問おう。私は特科Ⅶ組におけるいじめを疑っている。そう、息子に対するいじめをだ」

「い、いじめ?」

 まったく寝耳に水だった。貴族の家柄によるトラブルは例年聞くのだが、知る限りⅦ組ではない。初期はそのような事情に端を発するいざこざがあるにはあったが、少なくとも今はない。

 しかもマキアスだなんて。

「マキアス君は活発な生徒で、副委員長も務めてくれていますし、いじめだとかそのようなことは……」

「あくまで否認のスタンスを貫くと。ではこれをご覧いただきたい」

 机に木箱が置かれた。何の変哲もない30リジュ四方の箱だ。

 上部が開かれ、サラは中をのぞき込む。

「こ、これは……!」

 割れたレンズ。折れたフレーム。砕け散った眼鏡の欠片たち。おびただしい量だ。まるで遺骨のようにも思える。

「レーグニッツ家に代々伝わる眼鏡の墓場(メガネ・セメタリー)だ。魂の一部とはいえ、眼鏡は消耗品。買い替えはするし、壊れる時もいずれくる。だがその期間は短くても数年といったところだろう。しかしだ!」

 語気を荒げて、カールは机をだんと打ち据えた。

「これらを見たまえ! 十近い眼鏡が、入学以降たった半年でこの有様だ! その壊れっぷりも常軌を逸している。木っ端微塵は当然として、消滅したものまであるそうじゃないか! 眼鏡はな、普通消滅しない!」

「お、落ち着いて下さい」

「これが落ち付いていられるものか! まさかとは思うが、バレスタイン教官はこの状況を黙認していたのではないだろうな。いや、あるいは加担していたとか……!」

「断じてそのようなことはありません!」

「ではあなたは息子の眼鏡を割ったことがないと言い切れるのだね! 女神に誓って!」

「もちろんです。ねえ、マキアス」

 ただ沈黙しているマキアスに確認の目を注ぎかけて、心の何かが急ブレーキをかける。この話題は振っちゃいけないと、無自覚の領域が警鐘を鳴らしていた。

 とっさに思い返したのは、クロウ、フィー、マキアスの三人で実施した銃だけを使ったサバイバル訓練。

 戦闘の終盤、私の注意をそらすためのトラップに彼の眼鏡が使われて――

 あ、私もマキアスの眼鏡壊してるわ。

「ああ~っと、壊してないって言いますか、あれは見方によるっていうか。女神に誓うかと言われれば、誓えないんですけど……」

「やはり帝国の教育は死んでいたか! 革新派だとか貴族派だとか、そんなくだらんことより私が取り組むべき問題はここにあった!」

「誤解なんですって!」

「聞く耳持たん! バレスタイン教官は懲戒免職、良くて七割減俸だ!」

「七割!? 死んじゃいますよ!」

「砕かれたレンズの痛みを知るがいい!」

「いやあああー!」

 ショックのせいか涙のせいか、ぐにゃあと景色が歪んでいく。

 

 ●

 

 深夜二時過ぎ。明かりも消え、薄暗いカレイジャスの食堂。

 そのテーブルの一つに突っ伏し、サラはうなされていた。

 彼女の晩酌の相手をしていたシャロンが、先に酔い潰れたその耳元でずっとささやいている。

「エスカレートする家族の要求、叩かれる現場教師、信頼の失墜、暴徒化する教え子、追い詰められる精神、教室はやがて牢獄に、学級崩壊、ねつ造される不祥事、減俸、懲戒免職……うふふ。お酒も買えなくなっちゃいますわ。永遠のただ働きはお好きでしょうか」

「いや、いやよ……許してえ……ひっく。うええん」

「まあ、可愛らしいサラ様」

 悪夢を外部から促すメイドの声は、まだまだ止まりそうになかった。

 

 ――☾ ☾ ☾――

 




《夢にて夢みて ふぁーすと》をお付き合い頂きありがとうございます。サブのサブ的な扱いで、各種データのさらに下に、ひっそり更新欄を設けてみました。

例の装置が稼動した結果、タイミング問わず好きなことができるようになったものです。

夢の中の注釈ですが――
《皇女の休日》では夢の主格者はアルフィンとなっていますので、ラウラのアレが色濃く反映されています。彼女が見た死屍累々は、先に夢に入ってくたばったリィンが想像した人たちなので、被害者の皆と直接面識のないアルフィンにもその姿が見えるようになっています。
反面、エリゼはラウラのアレを知らないので味覚に反映されず、おいしいクレープを頂けたのでした。

《トライアングル・マイナス》は色々な人が取り込まれています。サラが会ったことがなくても、Ⅶ組としての縁で繋がっている状態です。
西風の二人がケネスうんぬん言ってますが、それはフィーも知らないことなので、彼らは誰かのイメージなどではなく紛れもなくご本人たちですね。というかこの話の場合は、全員ご本人となっています。

など読み解きが少々ややこしいのですが、そこはさらりと流して頂ければ!


と、閃Ⅲの情報が来ましたね! 空ではずっとパーティに入れていたので、ティータが絡んでくれて嬉しい限り。そしてアガットの揉み上げがなくなってる……
多分剣の稽古中とかに、なんかこう……ゾリッといったんでしょうね。

次回は本編の更新となりますので、引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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