虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第13話 故郷のありか

 

 追走してくる三体の軍用魔獣《ガリオンクーガー》。

 その姿を有体に言うなら、装甲を身にまとった豹といったところか。統率の取れた動きでガリオンクーガーは距離を詰めてくる

 リィンは馬の速度を上げて、前を走る二頭に近付いた。

「軍用魔獣が三体追って来ている。《ARCUS》は通信、リンク機能とも作動しないが、アーツなら駆動するようだ。応戦しつつ振りきるぞ!」

 声を張り上げ、端的な状況だけを伝える。クレアが繰る馬の後ろで「《ARCUS》が……!?」と驚愕するマキアスだったが、迫る軍用魔獣の群れを目にして、件の動作不良を確かめるよりも早くショットガンを引き抜くしかなかった。

「待て、撃つな!」

 逆に速度を緩め、リィンたちに並走してきたガイウスが制止の声を発した。

「馬上で反動の大きい銃はダメだ。驚いた馬に振り落とされるぞ」

「そ、そうか」

 引き金にかけた指を強張らせ、マキアスはショットガンを背のホルダーに差し戻す。ならばと《ARCUS》を構え直した彼に、ガイウスはさらに重ねた。

「攻撃アーツは風限定だ。戦いに慣れた馬でないと、水や火が背から飛び出すだけでパニックになる」

「今は風属性のクオーツをセットしていない。ゼンダー門で借りた馬だぞ! 戦いには慣れているんじゃないのか!?」

「そうかもしれんが断言はできない。この速度で落馬したら危険だ。下手なことはしない方がいいだろう」

「それだと打つ手がないじゃないか! どうすれば――」

「マキアスさん!」

 割って入ったクレアの声に、はっとしてマキアスは視線を転じる。敵の一体がすぐそばまで肉薄していた。

 ガリオンクーガーが牙をむいて跳躍する。咄嗟にクレアは手綱を引いて、馬を向きを変えてやる。鋭い牙の一噛みが、マキアスの足をかすめた。

 その危なげな光景を視界の端に入れながら、リィンはこちらに向かってくる別の一体に意識を戻した。

「エリゼ、風属性のクオーツは付けているか?」

「回復系ならありますが……攻撃系はありません」

 レキュリアとブレスのみだというエリゼは、自分の腰に携えた細剣に目を落としていた。しかし、それは無理だと判断したのだろう。結局彼女は剣を抜かなかった。

 逡巡したがリィンも太刀に掛けかけた手を止める。騎馬同士の対人戦ならともかく、体躯の低い四足型魔獣相手では切先さえ届かないのだ。これでは牽制にもならない。

 そうなると頼りは――

「はっ!」

 突き出されたガイウスの槍が、飛びかかろうとしたガリオンクーガーを怯ませた。

 その後ろでフィーが言う。

「ガイウス、反対からも来てる」

「了解だ」

 馬上で器用に長い柄を反転させて、逆側面から襲ってくるもう一体も打ち据える。

 フィーがすかさず双銃剣を乱射した。狙いなど定まっていないが、足元で弾ける銃弾が敵の機動力を確実に削いでいる。小口径で反動も小さい双銃剣の銃声程度なら、自分の足音にかき消されて馬も気付いていなかった。

「マキアス側の魔獣も引きつけておきたい。三体同時を相手取ることになるが構わないか?」

「問題なし」

 進路を変え、クレアたちの馬に駆け寄っていく。

 攻防が続く中、遠くから甲高い笛の音がした。

 一、二、三回と断続的になったそれを聞くや、急に軍用魔獣は攻撃をやめた。そろって方向転換し、ガリオンクーガーたちは監視塔側へと走り去っていく。

 

 程なく離れていた三頭の馬は合流した。

「……一体何だったんだ?」

「わからない」

 マキアスの疑問にそう返して、ガイウスはガリオンクーガーが撤退した監視塔方面に視線を移す。

「ただおそらく、貴族連合軍か猟兵が放ったものだろうな」

 彼の話では高原に猟兵が入り込んでいて、父――ラカンも巡回中、何度か遭遇しているのだという。クロイツェン州もそうであったように、貴族連合はいくつかの猟兵団と契約している。この地に彼らがいても不思議ではなかった。

 もっとも、契約は貴族連合全体としてではなく、担当する戦域の領主がそれぞれで結んでいるようだが。

「そうでしょうね」

 クレアがうなずいた。

「軍用魔獣を使用するのは猟兵団と一部の領邦軍だけですから。問題は私たちを襲った理由です。単に警戒区域に入ったからなのか、それとも何者かが故意に襲わせたか」

「ん、後者かな」

 フィーが言った。

「魔獣たちが退く時、呼び笛が聞こえた。明らかに正規軍でもなく、ノルドの人たちでもなさそうな私たちを怪しんだんだと思う」

 そして軍用魔獣相手に武器を持って立ち回ってしまった。

「また来るとも限らないけど、注意だけはしておいた方がいい」

 静かな緊張が全員の間を走る。

 悠久の大地に燻る火種が、確かな炎となって拡がりゆく。嫌な感覚が足元から這い上がってくるようだった。

「なんにせよ、早くアリサたちと合流しないとな」

 今のノルド高原は思っていた以上にかなり危うい状況だ。彼女たちも無事だといいのだが。 

 ただ一つ以前と変わらない青空を見上げて、リィンは手綱を握り直した。

 

 ● ● ●

 

 以前訪れたノルドの集落跡を抜け、高原北部へと移動する。いくつかのゲルは残されていたものの、人も馬もおらず閑散とした風景だけが広がっていた。集落はラクリマ湖畔に移動しているとのことだ。

 湖畔に寄るのは後に回し、岩壁の巨人像を横切りながら東へ向かって進む。

 馬を走らせることおよそ一時間。一同は高原北東部へと足を踏み入れた。

「リィン、馬はここに繋いでいこう」

 北東部に入るや、その足を止めてガイウスが言う。この先は風が強い上に切り立つ崖が連なっている。不慣れな扱いで、馬でここを越えるのは難しいそうだ。

 入口からでは分かりにくいが、北東部は高地である。両側面を挟む最初の岩壁を抜けると、遮るもののない日光に照らされた。冬の日差しなので、さすがにそこまで暖かいわけではなかったが。

 ここからさらに北方に位置するのがカルバード共和国だ。例の監視塔襲撃はこの辺りの空域を、軍用艇でまたいで来たということなのだろう。

 リィンは周囲を見渡した。

「アリサたち、いないな。そういえばグエンさんも一緒だったか」

「ああ、グエン老がこの場所に行きたいと言われてな。もっと奥に進んだのだろう」

 そもそも通信不調を調べるのに、なぜこんなところを訪れたのか。ガイウスにもよく分からなかったらしい。

「アリサ……一ヶ月ぶりか」

 彼女の顔がふと脳裏をよぎる。ガイウスの話によると、トリスタからの道中、ノルドに到着してからも、アリサの意気消沈ぶりは見ている方が辛かったほどだという。

 よほど皆のことを心配してくれていたんだな、とリィンが再会の足を急ごうとした矢先、

「あの、兄様」

 エリゼが歩み寄ってくる。どこかためらいがちな足取りだった。

「やっぱり心配ですか。アリサさんのこと」

「そうだな。このエリアにも猟兵がいるかもしれないし」

「ミリアムさんは?」

「もちろん気になるが。それがどうかしたのか?」

「何でもありません。ただ……最初にアリサさんの名前だけ口にされたので」

「え?」

 ほとんど意識していなかったので、エリゼがどの言葉を指したのか、すぐには分からなかった。

 ちょっと考えてから、それが『一ヶ月ぶりか』のくだりだと思い至った。

「別に大したことじゃない。ちょっと思い出したからさ」

「そう、ですか」

 まだ何かを訊きたいようだったが、それ以上は口ごもってしまう。

 黙したエリゼの真意など分かるわけもなく、リィンは先ほど脳裏に映ったアリサの顔をもう一度思い出してみた。

 辛そうだった。涙を堪えているような、こちらに心配かけまいと無理をしているような。強がり半分の気丈な表情。

 なぜ彼女はそんな顔で俺を見ている?

(――ああ、そうか)

 これはあの日のアリサだ

 離脱するヴァリマールの中から見た、あの時の顔だ。あんな状況でも、自分の身より俺のことを案じてくれていたのだろう。

 一か月前の無力感が、胸の内からにじみ出てくる。もう何度目になるかわからない。もっとうまく騎神が扱えていたなら、蒼の騎神に勝てないまでも、みんなを逃がす時間ぐらい稼げたかもしれないのに。

 結果として仲間たちは無事だったし、今さら思い返したところで詮無いことではあるのだが。

(そういえば……)

 リィンは自分の胸に、手の平を押し当てた。

 騎神の核で眠っていた時、虚ろに漂う意識の狭間で誰か――そう、誰かに何かを訊かれた気がする。まるで洞窟の奥から響いたみたいに、ずいぶん遠くから聞こえた声だったような――

「うっ……?」

 急激な目眩。ずきりとこめかみに刺すような痛みが走る。胸に添えた手が強張り、膝を折ってしまいそうになった。

 荒くなった呼吸をなんとか整え、周囲に悟られないよう顔を上げる。

 騎神に乗るのは、体力は元より精神も消耗する。その影響だろうか。

「あ」

 前を歩くフィーが声を上げる。距離はまだ遠いが、彼女が指さす先に一台の導力車が見えた。

 

 

 その道は橋のようになっていたが、人が整備したものではない。高地を抜ける風にさらされ続け、長い年月をかけて出来上がった地形だ。

 当然左右に手すりなどなく、足を滑らせでもすれば、崖下に真っ逆さまである。

「この高さから落ちたら、アタシが障壁を張ってもさすがに無理ね」

 さらりと言ってのけたセリーヌは、涼しい顔をして歩を進める。体が小さいから、狭い道幅もそこまで影響しないのだろう。

 難所の通り抜けには慣れているのか、クレアとフィーも変わらない足取りだ。ガイウスに至っては庭のような感覚である。

 一方、苦戦しているのは、

「に、兄様。もう少しゆっくり歩いて頂けると……!」

 リィンの背を掴み、おそるおそる足を踏み出すエリゼと、

「下を見るな、下を見るな。大丈夫だ。僕なら大丈夫だ」

 自分自身に暗示をかけて、恐怖を薄れさそうとしているマキアスだった。エリゼは震える声で彼に言う。

「よかったら背中、半分どうぞ」

 ちょっとだけ右にずれ、兄の左半身を差し出す。「た、助かる」とマキアスはリィンの背を掴んだ。

「軌道修正だ。リィン、道の中心からちょっとずれているぞ」

「そ、そっちじゃありません。右へ少し、あ、行き過ぎです!」

 ぐいぐいと後ろから左右に引っ張られ、よたつくリィン。

「頼むから変に動かさないでくれ。本当にそろって落ちるぞ」

 リィンを先頭に歪なトライアングルを形成しながら、三人はのろのろと進むのだった。

 どうにか橋状の細い道を渡り切ると、開けた場所に出る。例の導力車はそこに停めてあった。リィンはその車に見覚えがあった。

「これってやっぱり」

「ああ、グエン老の車だ」

 ガイウスも辺りを見渡すが、アリサたちの姿はなかった。

「さっきの細い道の上を、この車で通って来たんでしょうか?」

 エリゼの疑問にガイウスが答えた。

「いや、迂回すれば広い道があるからな。そこを通って来たのだろう」

「……ガイウスさん」

「ふむ?」

 物言いたげな視線を注ぐエリゼに、ガイウスは首を傾げるだけだった。

 その折、離れたところから話し声が聞こえてくる。

「――確信は持てんが、おそらくあれじゃろうな」

「ガーちゃんで飛んで行って壊してきてもいいよ」

「哨戒艇に見つかったらただじゃ済まないわよ。もう少し現実的な方法を――」

 それぞれで言葉を交わしながら、リィンたちに近付いてくる三人。

 その中の一人が彼らに気付いた。

「あれ、ガイウスに……みんな? あ、リィンもいる!?」

 一番幼く見える少女――ミリアムが飛び跳ねる。彼女にしてみればリィンもそうだが、クレアがこの場にいることにも驚いたようで「クレアもいる!」と脇目も振らずに走り出した。

 飛びついてきたミリアムを抱き止め、クレアは安堵の息をつく。

「良かった。本当に。変わりはありませんか?」

「うん、元気だよ。でもどうやってここに来たの? 街道も鉄道もまともに使えないはずだよね?」

「それは後で説明しますよ」

 優しげにミリアムの頭を撫でるクレア。

 ――そして、駆け出した少女がもう一人。

「リィン……!」

 溢れる感情に押されて、今にも泣きそうな顔をして、真っ直ぐにリィンへと向かうアリサ。距離が縮まるにつれて、この一か月の陰鬱を吹き飛ばすような明るい表情に変わっていく。

 狭まる二人の間に、すかさず割って入る小さな影。いや、立ちはだかったというべきか。

 進路を塞ぐついでに、エリゼがアリサの胸に飛び込んだ。

「ええっと。会いたかったです、アリサさん。ご無事で何よりでした」

「え? あれ、エリゼちゃん? ええ、こちらこそ……? というかリィンが、あの、ちょっと?」

 先制の抱き付きに戸惑うアリサ。エリゼは中々彼女を離そうとしなかった。しかしこの後の事は考えていなかったらしく、なんだか困っているようでもある。

「二人とも仲いいんだな」

 妙な雰囲気の中、朴念仁だけが安穏とした感想を述べていた。

 

 

 グエンの見立てでは、高原の通信不調の原因はやはり監視塔にあると言う。

 この北東部は南部の監視塔を、かなりの高さから見渡せる位置にある。監視塔の屋上部。そこに導力波を妨害する装置が設置されているそうだ。

 フィーはグエンから借りた双眼鏡をのぞき込んだ。

 確かに屋上に何かの機械が置かれている。かなり大きな物だ。

「でもどうして貴族連合だけが通信を使えるんだろ」

 先のゼクス中将の話によれば、貴族連合は通信を使っている節があるとのことだった。

 白いあごひげをしゃくり、グエンは言った。

「エリア内の通信波を無条件に遮断する一方、特定の通信波には影響を及ばさないような設定ができるんじゃろう。《ARCUS》の不調もそのせいかの」

 通信とは技術系統が異なるが、突き詰めていくとリンク機能も導力波を利用した技術だ。妨害波が高原一帯に流されていることで、リンク時の固有波長を《ARCUS》が認識できない状態になってしまっている。

 オーバルアーツの使用に影響がないのが幸いだったが、これでは一世代前の戦術オーブメントと変わらない。

「一度ラクリマ湖畔に戻らない? ここで話をしていてもなんだし」

「ああ、それもそうだな」

 アリサの提案にリィンが同意して、全員が移動を始めようとした時、

「待て! みんな注意しろ!」

 槍を抜き、ガイウスが警戒を呼びかけた。周囲を見回す一同。辺りに魔獣の姿はなかった。いや――。

 景色が揺らぐ一角があった。蒼とも銀とも言えない光が瞬いている。輝きが押し拡がる中に、幽鬼のように顕現した巨大な影。

 前に鋭く突き出した角がそのまま顔を成し、太い四本の足が地面にめり込む。背から伸びた一対の羽を始め、体表の至る所に青い鉱石をまとっているようだった。

 蒼き氷獣《アンスルト》の咆哮が高地にこだました。

「旧校舎の地下にも出た……!?」

「こいつは……幻獣!」

「げん――?」

 太刀を抜くリィンの足元、セリーヌが予想外の敵に焦りを見せる。聞きなれない言葉を問い返すよりも早く、アンスルトが襲ってきた。

 巨体からは想像できない俊敏さで繰り出された体当たりを、横っ飛びに回避する。特攻したアンスルトの鼻角が、後ろの導力車を横腹から突き貫いた。

 首の力だけで持ち上げられた導力車は、まるで木箱のように崖底に投げ捨てられた。

 フィーが双銃剣の銃口を敵に向ける。しかし、引き金は引かない。

「マキアス、射線上から離れて」

「え? あ、ああ!」

 慌ててマキアスが退く。タイミングを逸し、結局フィーは撃てなかった。もしリンクで繋がっていたなら、声に出さずとも意志が伝わり、逃げるどころか、マキアスはフィーの攻撃に合わせてショットガンで援護していただろう。

 普段と同じ感覚では戦えない。下手をすれば、自分の攻撃に仲間を巻き込む可能性もある。何とも言えない動き辛さに歯がみしながら、リィンは叫んだ。

「撤退する。逃げられそうな道はあるか!?」

「こっちだ!」

 ガイウスが槍先で先の道を示す。

 またしても橋状の細い道だったが、今度は不平を言っていられない。エリゼもマキアスも先を行くリィンたちに続いた。

「あの体躯でここは渡ってこれないはず――」

 どうにか橋を渡ったマキアスが後ろを振り返る。彼は絶句した。アンスルトは飛んで追いかけて来ている。骨組みだけの翼を、ほとんど羽ばたかせてもいなかった。謎の浮力である。

「ありなのか!」

「ありなのよ!」

 セリーヌが声を荒げる。

「この次元の存在じゃないって言ったでしょ。アンタたちの物理常識は通用しないわよ」

「くそっ、だったら何の為の羽なんだ」

 翼を広げたアンスルトは、そこにまとっていた水晶の塊を放った。弾丸のようにマキアスの傍らを過ぎ去り、離れた岩壁に深々と突き刺さる。

「……この為らしいわ」

「う、うわああ!」

 悲鳴を上げて疾走するマキアス。

 クレアは走りながらも冷静に周囲を観察していた。

「あそこに洞穴があります。横幅からしてあの敵は入って来れないはずです」

「洞穴? いや、そんなものこの辺りにはないはずだが」

 ガイウスがそう言うが、しかし洞穴はあった。岩壁を繰り抜いたようなトンネル。さして長くなく、そこを抜けた先の光も見えている。彼は不可解そうな顔をしたが、リィンたちは構わずそこを目指した。

 もう少し。だが迫るアンスルトの方が早かった。とりわけ足の遅く、最後方にいたエリゼが狙われた。

 鋭利な翼がエリゼに向けられる。さっきマキアスに見舞った攻撃をするつもりだ。

「っ! エリゼ!」

 気付いたリィンが引き返すが、間に合わない。

「エリゼちゃん、伏せて!」

「きゃ!?」

 撃たれる寸前、近くにいたアリサがエリゼを押し倒す。

 一発は避けれた。しかしすぐに二発目が来る。この体勢では回避できない。エリゼを庇うように、アリサは彼女の上に覆い被さった。

 アリサは固く唇を噛みしめる。しかし、いつまでたっても攻撃はこなかった。

 地に降り立ち、アンスルトは動きを止めている。まるでこの先に進みたくないかのように。

 しばし沈黙した後、幻獣は光に巻かれて消え失せた。

 

 

 洞穴を抜けてみると、今までの景色とは少し違っていた。周囲は高い崖に囲まれて、両側を渓流に挟まれた道が緩やかに伸びている。

 やはりこんな場所はなかったと訝しむガイウスを連れ、一応その道の先も確かめてみる。

 少しばかり進むと、そこにはガレリア間道で見たものと同じ様式の遺跡があった。近付いて、リィンはその入口扉を軽く叩いてみる。奥からくぐもった反響音。広い空間だと分かる。

「またこの遺跡か。ガイウスも知らないのか?」

「ああ、聞いたこともない」

 以前と同じで、セリーヌは何かを知っている素振りを見せたが、またしても教える気はないらしい。入るなとも言ってこないので、どうやら行動はこちらに一任するつもりのようだ。

 ただ幻獣ついては教えてくれた。曖昧な内容ではあったが、要約すれば帝国内、いやもっと大規模な“歪み”が原因で、あれらは顕現するのだという。

 意識を遺跡に戻す。時間があれば調べてみたいところだが――

「……湖畔に急ごう」

「構わないのか?」

「ああ」

 ガイウスも気になっているみたいだが、しかし優先すべきは他にあった。それに消えた幻獣がまた現れないとも限らない。

 少し離れたところで、エリゼがアリサに頭を下げていた。

「アリサさん、さっきはありがとうございました」

「いいのよ。どこかケガしたりしてない?」

「大丈夫です。アリサさんは?」

「私? 私も問題ないわ」

 何気なく手を後ろに回すアリサ。リィンの位置からは見えたが、彼女の腕にすり傷があった。多分、幻獣の攻撃から庇った時のものだ。エリゼが自分自身を責めないように隠したのだろう。

 本来なら俺がやるべきだったのに。

 もし“あの力”を使っていたら、間に合うどころか、撃退することさえ出来たかもしれない。アリサに危険な役割をさせる必要もなかった。

 しかし発動することと制御することは違う。衝動的に使用してしまって、我を忘れて暴れ回る可能性だってあるのだ。

 守るべき人を、自分の手で傷つけてしまうことだって――

 背に寒いものを感じ、リィンはぐっと拳を握る。

 未だに扱えない力を疎ましくも思いながら、彼は階段に向かう。ふと気付いた。皆が洞穴側へと引き返す中、その場から動かない者が一人。

「……フィー?」

 フィーは遺跡を眺めていた。そばまで行って声をかける。

「どうした。気になることがあるのか?」

「ん。ちょっと」

 おもむろに腰をかがめ、フィーは地面に手を付いた。

「地下に風が渦巻いている」

 遺跡が地下に続いているのは、先ほどの反響音からリィンにも察しはついていた。それが彼女の気になっていることなのだろうか。

「ねえリィン。さっきのガイウスのこと、気付いた?」

「ガイウス? この遺跡を知らないって驚いていたみたいだが」

「その前のことだけど。ううん、何でもない」

 話を切り上げ、フィーは立ち上がった。そのまま皆を追って、すたすたと歩いていってしまう。

「………?」

 要領を得ない会話で、リィンにも彼女の意図は分からなかったが、少し思い出すことがあった。

 ガレリア間道で同型の遺跡を見た時である。そういえばあの時もフィーは妙な反応をしていたのだ。それを思い出したからといって何かに思い当たるかと言えば、そんなことはなかったが。

 相変わらず読めない小さな背中を一瞥し、リィンもその遺跡を後にした。

 

 

 ラクリマ湖畔に到着するまで、さしたるアクシデントは起こらなかった。例の幻獣の出現には警戒していたが、幸いにも遭遇せずに済んだ。

 湖畔の集落に着いてすぐ、出迎えてくれたのはガイウスの妹のシーダとリリである。そのままウォーゼル家のゲルまで案内された一同は、ラカンとグエンを交え、事の次第を報告していた。

 話を聞き終えて、ラカンはしばし黙考していたが、

「やはり高原を離れるべきだろうな。少なくとも内戦が収まるまでは」

 精悍な顔をしかめて、その見解を口にする。

 日に日に拡大する貴族連合と第三機甲師団の戦闘。戦火を逃れて湖畔まで移動してきたが、もはや安全は保証できない。

 高原に放たれた猟兵。そして件の導力通信の妨害。入るべき情報さえ遮断されてしまえば、身を守るためにはただ戦場から遠ざかるしかない状態だ。

 やむを得ないといった体で、ガイウスもうなずいた。

「移動の準備なら俺も手伝う。リィンたちにはすまないが、少々時間をもらっても構わないか」

「ガイウス、だけど――」

「どうにもならないことだ」

 何よりも優先すべきは集落の人々。その安全。愛する土地とて、住まう民がいればこそ。

 本意とは離れた苦い声音に、リィンは二の句を詰まらせた。

 本当にどうにもできないのだろうか。彼らを巻き込んだのは、他ならぬ帝国だというのに。

「……俺は自分の生まれた場所を知らない」

 つぶやくように言って、リィンはガイウスを見た。虚を突かれたようにガイウスもリィンを見返している。

「でもユミルが俺の故郷だ」

 父さんがいて、母さんがいて、妹がいて、郷のみんながいる。リィン・シュバルツァーという人間を育んだ、何にも代えられない無二の場所。

 帰りたいと思える場所が、守りたいと思える場所が、きっと故郷と呼ぶべき場所なのだ。

 だから、ガイウスの気持ちが分かった。

 帰るべき場所に帰れず、守るべき場所を守れない、その辛さが。

 そうだ。見過ごすことなどできない。

「やれるだけのことをやろう。集落の移動はそれからだ」

 

 

 集落の雑貨屋で付け替えたクオーツ。教訓を生かして風属性だ。とはいえ攻撃系のアーツはあまり得意ではなく、エリゼは不安げに《ARCUS》の状態を確認していた。

「……やっぱり通信は使えないのかしら」

 何度か機能切り替えを試してみるも、結果は変わらなかった。反応は依然としてない。

 手近な段差に腰掛けて、周囲に視線を巡らしてみる。

 ガイウスが人数分の馬を調達していて、マキアスはその手伝いだ。馴れない仕草で馬を誘導している。

 クレアは高原の地図を広げて、何やら考え込んでいる様子だ。

 少し離れたところで、リィンとアリサが会話をしている。何の話かまでは聞き取れなかったが、ちょっと落ち着かない気分になった。

 思わず逸らしてしまった目線の先、近くのゲルの傍らに一人の少年が座り込んでいた。

 ガイウスから紹介は受けている。彼の弟で、名はトーマといった。年は聞かなかったが、多分自分と同じぐらいだろう。

 どうも落ち込んでいる様子だ。そばにいる友達らしい女の子が、彼を元気づけている。

 その辺りの事情は、エリゼには想像しようもなかった。

「エリゼ、何してるの」

 フィーが近寄ってきた。

「ちょっと《ARCUS》の具合を確かめてて」

「私もやったけど、やっぱり動かないよ」

「そうですよね。リンクも出来ませんし」

 じっとフィーが顔をのぞき込んできた。

「嬉しそうだったね」

「え?」

「さっき、リィンがユミルを故郷だって言った時」

 顔に出ていたらしい。実際嬉しかったのだ。

 時折、自分を外に置くような態度を見せるリィンが、そう断言してくれたことが。

「きっとⅦ組の皆さんのおかげです」

「どうだろ。リィンと一緒にいて、むしろ私たちが変わったところもあると思うけど」

「だとしても、フィーさんたちも兄様を変えてくれました」

 フィーは首をひねった。

「リィンは出会った時から今のリィンだったよ。あんまり変わってない」

「そんなことありません」

 心なし胸をそらして、エリゼはそう言った。兄の変化には人一倍敏いのだ。

「ところで何か悩んでた?」

 エリゼの隣に腰を下ろし、フィーはそう訊いてくる。先のことといい、彼女は人の表情から心情を察することに長けているらしい。当のフィー自身は、あまり表情に感情を出してこないのに。

「ちょっと戦闘に自信がなくて、皆さんの足を引っ張ったりしないか心配で」

「エリゼはあんまり戦うのが上手くないからね」

「あう……」

 自覚はあるものの、直球で返されると中々響く。今まではリンク機能のフォローもあって、どうにかやってこれたのだ。それがこの高原では通じない。

「でもエリゼが本格的に戦い方を覚えたのは最近のことだし、それを考えるとよくやってると思う」

 今度は褒められた。言葉に嘘がないだけに、そう言われると面映ゆい。

 フィーは何かを取り出し、手渡してきた。

「これ一個あげる。戦闘で困ったら使って」

「なんですか、これ?」

 受け取ったものを手の平で転がしてみる。エリゼには見慣れないものだった。

「それ手榴弾」

「しゅっ……!?」

 平然と告げるフィー。手の平に汗が滲み出てくる。なんてものを渡してくれるのだ。それも文房具を貸し借りするような気軽さで。

「大丈夫。閃光手榴弾だから。音と光は凄いけど」

 何が大丈夫なのか分からない。固まるエリゼに、フィーは淡々と使用法のレクチャーを始めている。ピンを抜いたら何秒後に炸裂だとか、どのくらいの距離を投げれば自分は安全圏になるだとか。閃光で敵を怯ませたら迷わず攻めろだとか。

 もう一五歳の女子同士の会話ではなかった。女学院でこんな話をしようものなら、教職員は天地がひっくり返ったような顔をして卒倒するだろう。

 エリゼは手榴弾を突き返す。

「いりません!」

「遠慮しないでいいよ」

「してません!」

 結局、半ば強引に持たされてしまった。とりあえずフィーお勧めの方法とやらで、手榴弾側面のホックを腰に引っかける。この形が安全かつ即座に取り出しやすいそうだ。

 同年代の友人たちは可愛らしい小物で身を飾るというのに、よもや自分は手榴弾で武装することになろうとは。

「ん、似合ってる」

「あまり嬉しくないのですが……」

 その折、リィンから召集の号令がかかる。出発の準備が整ったようだ。

 

 

 用意した馬は四頭。

 ゼンダー門で借りた二頭にガイウスの一頭、そして新たに集落の馬を一頭である。現在の人数は八名。二人乗りで割り切れる。

 リィンは馬にまたがった。

 彼が全員に告げた“自分たちにやれること”。それは件の導力波妨害装置の解除だった。

 それを目的にするなら、結果的に貴族連合と対立する形になる。クレアからそう指摘されたのだが、相手はノルドの人々とゼンダー門の連絡を絶ち切って、高原制圧の為に猟兵まで送り込んでいる。この状況では十分な対処ができないと見越した上でだ。

 正規軍の協力を仰ぐ形での行動はしない。だが、せめて通信だけでも復旧させて、ここにいる人たちの安全を確保する。

(――この内戦における足場を見極めるがいい)

 ガレリア要塞でクレイグ中将から言われた言葉だ。

 まだ確たる答えは自分の中にない。それでも立つべき場所は、今ここをおいて他にない。

 異論を差し挟む仲間もいなかった。

「よし、行こう」

 リィンは後ろに振り返った。アリサとミリアムが加わったため、来た時とは馬の乗り合わせを変更している。ある程度の戦闘も考慮した上での組み分けだ。

 リィンとミリアム。

 クレアとエリゼ。

 ガイウスとマキアス。

 アリサとフィー。

 それぞれのペアで馬の背に乗っている。

 成功確率はさておき、作戦は思いのほか単純だ。

 以前の実習で迫撃砲が設置されていた、高原南部の高台。あそこなら死角になっている上に、崖伝いに降りれば監視塔の敷地裏まで出られる。

 哨戒艇が動き出すのを待って、人気の少ない裏手からアガートラムで屋上まで急上昇。塔に接着した状態からの浮上ならば、監視網にもかかりにくいという算段である。

 屋上への潜入メンバーは、アガートラム使用の為、ミリアム。導力機の仕組みに強いアリサ。護衛役としてリィンが随行する形となった。

 アリサが妨害装置の内部構造を理解できれば、メインの基盤を焼き切るなど、容易な復旧をできなくしてから即時撤退。理解できなければガーちゃんパンチに頼るしかないが、これは確実に兵士たちを呼び寄せてしまうので、可能な限りやりたくない。

 それ以外のメンバーは高台待機。リィンたちが発見されたり、予定外のことが起きれば、状況に応じて彼らも動く。しかし《ARCUS》の通信が使えないので、細かなアクシデントの伝達はできない。巡回する兵士たちの雰囲気を見るなりして、状況判断をせざるを得なかった。

 つまり最善は、隠密行動を完遂することである。

「ちょっと緊張してきたわね。私に構造が分かればいいんだけど。お祖父様を連れて行くわけにもいかないし……」

 作戦の成否の鍵を握るアリサは、さすがに不安な様子だった。

 ともあれ、馬は高原南部に向かって走り出す――

 

 

「ボクがリィンと一緒に乗ってよかったのかなー」

 リィンが繰る馬の後ろで、ミリアムはそんなことを言う。「何がだ?」と聞き返すと、「組み分けの話」と答えて、彼女はにししと笑った。

「アリサとかの方が良かったんじゃない?」

「馬に乗れるメンバーは限られてるし、これで妥当だと思うが」

「分かってないなー。それでこそリィンだけど」

「……?」

 含み笑いを浮かべながら、リィンの背を指でつつくミリアム。

 当たり前のように付き合ってくれている彼女に、リィンはふと疑問を抱いた。

「ミリアムは俺たちに付いてきてよかったのか?」

「んー?」

 彼女の所属は情報局。Ⅶ組への編入は《C》の調査の為だった。学生は仮の身分である。クレアとも合流した以上、鉄血の子供達(アイゼンブリード)としての行動に戻らなくていいのだろうか。

 言わんとしたことを察したらしく、「水くさいことは言いっこなし!」と、さらに強くリィンの背中を突っついた。

「ボクがⅦ組としてみんなと一緒に過ごしたのは二か月くらいだし、確かに任務もあったけど。それでも楽しかったのはホントだし、みんなのことは大切だよ」

「……そうか。ありがとう」

「だから水くさいのはなしだって。とことん付き合ってあげるからね!」

 共有した時間は、目的の為の演技ではない。気持ちを偽らない言葉だった。

 ――だったら、クロウ。お前はどうなんだ? 俺たちやトワ会長たちに見せた表情は、その時々の仮面を付け替えていただけだったのか?

「リィン!」

 隣を走るガイウスが叫ぶ。一言、彼は「来たぞ」とだけ告げた。

 切迫した声音に、何がと問うまでもなかった。後方、左右から距離を狭めてくる軍用魔獣の群れ。来るときにも交戦した《ガリオンクーガー》だ。

 装備は整えてある。風属性のアーツで今度こそ迎撃を。

「いや、あれは……!?」

 ガリオンクーガーに混じって追走してくる馬が数頭見えた。乗っているのは領邦軍ではない。まさか――

「猟兵か!」

 この地における自分たちは、いわば“イレギュラー”である。故に相手の警戒の裏を突けるのではないかと、そう考えていた。

 違う。すでに存在を認知され、マークされている。遭遇した軍用魔獣は偶然ではなく、やはり偵察だったのだ。

 そしてこのタイミングで、操り主の猟兵が姿を見せたということは――確実にこちらを敵と断定し、捉えるか仕留めるつもりだ。

 いずれにせよ、監視塔への隠密潜入は失敗だ。

 下手に散開すれば各個で襲撃を受ける。リィンたちは一定の距離を保ちつつ、何とか牽制を試みた。

「く……っ!」

 しかし馬上戦闘の錬度は、総じて猟兵たちの方が上だった。ガイウス騎の奮戦も数に押し切られた。

 追いついた軍用魔獣が隊列をかき乱し、割って入った猟兵たちが銃弾をばら撒いてくる。

 互いに指示を出し合う暇もない。あっという間にリィンたちは四方向に分断させられた。

 

 

 離れていくガイウスとアリサ、そしてリィンの馬を見やりながら、エリゼは《ARCUS》を駆動させた。

「エリゼさん、ダメです!」

 クレアがアーツの使用を制止してくる。

「なんでですか!?」

 言いながら振り返ると、ガリオンクーガーの数体がすぐ近くに迫っていた。軍用魔獣だけではない。馬に乗った猟兵たちが皆、自分たちを狙ってきている。一刻も早くアーツを撃たなければならないのに。

「下手に手を出せば反撃されます。彼らが私たちを狙っているのは、一番捕獲しやすいと判断したからでしょう」

「そんな……どうして」

「私の乗馬術は、リィンさんやガイウスさん程ではありません。アリサさんの方が慣れているくらいです。正直、士官学院の授業で乗って以来でしたしね」

 そのブランクでここまで馬を走らせていることの方が驚きだったが、クレアは申し訳なさそうに言う。

「あの偵察で不慣れが見抜かれたのでしょう。私のミスです」

 別にクレアのせいだとは思わない。乗り手が限られていたし、仮に自分が騎手を務めていても、結果は同じだっただろう。

 どうすればとエリゼは思考を巡らした。

 さっきもらったばかりの手榴弾に手が触れる。ここで使ってしまおうか? 多分有効だ。上手く行けば、反撃も受けず、音と光に紛れて逃げられるかもしれない。

 どうせ手詰まりなら、これに賭けてみたって―― 

 ピンに指をかけたところで、思いとどまった。

 馬の視界はおよそ三五〇度。後ろに投げたとしても、閃光は視界に入る。自分たちの馬をパニックにさせてしまえば、それこそ終わりだ。

 並走する猟兵が警告を飛ばしてきた。

「武装を解除して馬から降りろ。従わない場合、身の安全は保証しない」

 馬上から銃口を突きつけられ、エリゼは生きた心地がしなかった。クレアの腰に回した手をぎゅっと掴む。

「彼らは私たちの目的を知りません。まずは情報の入手を優先してくるはずです。大丈夫。私のそばから離れないで下さい」

 彼女は小声でエリゼに言った。窮地だと言うのに、安心させるような、穏やかな口調だった。

 馬の足が止まる。地面に降りて両手を上げた二人を、軍用魔獣と猟兵が取り囲んだ。

 彼らの中の一人が言った。

「やはりノルドの民でも機甲師団の連中でもなさそうだな。答えろ。お前たちは何者だ」

 クレアは落ち着き払っている。汗一つ浮かべず、平然とこう告げた。

「鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト憲兵大尉。身分証は腰のホルダーに入れてあります。確認したければご自由に」

 明らかに猟兵の顔付きが変わる。

 それを言えばさらに立場が悪くなるのでは……? 心配そうにその顔を見上げるエリゼに、クレアはかすかにうなずいて見せた。その口許が『大丈夫』と小さく動く。

 信じるしかない。クレアの堂々とした口調をなるべく真似て、エリゼも続いた。

「ユミル領主、シュバルツァー家の娘。エリゼ・シュバルツァーです。あいにく身分を証明するものは持ち合わせておりませんが」

 奇妙な組み合わせに、猟兵たちは互いの顔を見合わせる。

 しばらくの後、一人が言った。

「事情が変わった。お前たちを監視塔まで連行する」

 細剣と導力銃、そして《ARCUS》を奪われ、エリゼとクレアは後ろ手に拘束された。

 一体ここからどうすればいいのか。仲間に状況を伝える手段がない。隙をついて《ARCUS》を取り返したところで、通信が使えなければ同じこと。

 どう考えても、どうにもなりそうになかった。

 

 

 ~続く~

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《黒色ミステリーツアー②》

 

 屹立する石柱に囲まれて、静かに眠るヴァリマール。

 その足元から「うふふ」と怪しげな笑い声がした。

 赤いカチューシャに、垂れ気味の三白眼。オカルト部部長のベリルである。ヴァリマールの膝下に自分の頬を押し当ると、彼女はまた笑んだ。

「感じる、感じるわ。大いなる力の胎動を」

 リィンたちがコドモドランゴに追われて間もなくのこと、彼女はこの場所にやってきた。転移の光を目にしたからか、それとも本当に何かを感じたのか、それは誰にも分からない。

身の危険自体は察知していないらしく、ヴァリマールも休眠状態から戻る気配はなかった。

 ベリルは騎神から離れると、青い空を振り仰いだ。

「無遠慮な日差し。太陽は嫌いよ。帽子でも持ってくれば良かっ――」

 頭上に手をかざしたところで、何かを思い出したように彼女は言葉を止めた。

「まだ眠っているみたいだし、もう行きましょう。ねえ、ベラ・ベリフェス」

 使役しているらしい守護精霊に話しかけ、彼女は元来た道を引き返す。それも偶然なのかどうなのか、ベリルを襲ってくる魔獣は一匹としていなかった。

 高台を降りて少し歩くと、

「動くな!」

 鋭い制止の声が背に刺さる。

 ベリルが構わずに振り向くと、「動くなと言っている!」と小銃を構えた男が二人、大股で近付いて来ているところだった。

「あら、どちら様かしら」

 焦る態度も見せず、ベリルは平然と問う。

「お前に教える必要はない」

 男の一人が横柄な口調で言った。何者かは分からないが、その装いから猟兵であることはベリルにも理解できた。

「ここで何をしている。先ほど高台に奇妙な光が見えた。何か知っているなら答えてもらうぞ」

「……ふふ」

 突き付けられた銃口に怯えもせず、彼女は低く笑った。訝しむ表情を濃いものにし、男たちはさらに問い詰めてくる。

「やはりお前が何か関係あるのだな!」

「私に関係? そうね。ないとは言えないかしら。そしてあなた達にも。いえ。歴史の上に生きる以上、全ての人々に関係があると言えるでしょう」

 ゆらりとベリルは前に出る。

「う、動くなと何度言えば」

 得体の知れない雰囲気に気圧される猟兵たち。しかし彼らは戦闘のプロ。相手が女子供であろうと、それが先々の不利益となりそうなら、迷わず排除する冷徹さを身に付けている。

 この少女は不気味。怪しさ抜群。拘束して尋問する必要があると、そう彼らは判断した。

「足を撃つ。悪く思うな」

 迷いなく引かれたトリガー。弾ける銃声。

 しかし、ベリルは平然と立っていた。

「この距離で外した……?」

「おい、待て」

 もう一人の男が言う。

「お前、弾を装填したか?」

「あ」

 今のは空砲だったのだ。普段そんな失敗などまずしないのだろう。なぜ今に限って初歩的なミスを犯してしまったのか、撃った男が一番驚いているようだった。

 彼らをクスクスと嘲笑するベリルは、「不思議よね。さあ、どうするの?」と見透かした声音を投げてよこす。

「お前……!?」

「でも弾を込めるなら早くした方がいいと思うわ」

 ドドドと魔獣の足音。岩場の陰から次々と現れたのはコドモドランゴの群れ。彼らはリィンたちを追いかけていたのだが、戦車砲の音に驚いて、縄張りに逃げ戻って来たのだった。そこにまた新たな侵入者である。七匹のコドモドランゴは二人の猟兵を見据えた。

「ひっ!?」

 吐き出される火球。反撃する暇もなく、男たちは炎に巻かれながら撤退した。逃がすつもりはないらしく、コドモドランゴは二人を追いかけ始める。

 なぜかベリルには見向きもしなかった。

「次はどこに行こうかしら。ええ、そうね。そこにしましょう」

 誰ともなく独り言ち、ベリルはすたすたと高原を歩いていった。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

《魔獣珍道中③》

 

 理屈ではなく本能が告げていた。

 マキアスはこのケルディック地方にいると。それは間違いではなかったし、距離も徐々に縮まっていたはずだった。

 しかし不可思議な事が起きる。

 彼の気配が急に途絶えてしまった。いや、正確に言えば遠くに行ってしまった。遥か遠くに。それもほとんど一瞬で。

 理由は何も分からなかったが、はっきりしていることが一つ。

 マキアスはもうこの地にいない。その事実だけである。

 二匹の魔獣はそれでもあきらめなかった。離れたのなら、また近付けばいい。

 そうして彼らは鬱蒼とした森林に足を踏み入れる。ここはヴェスティア大森林の一角、ルナリア自然公園と呼ばれている場所だ。

 独自の生態系があり、それぞれの縄張りがある。ここを通り抜けようとするなら、戦いは避けられない。

「シャーッ」

 木々の間を飛び回り、そいつに体当たりを繰り出す。しかし敵の振るった腕に打ち据えられ、クロは地面を転がる羽目になった。

 間髪入れず、ルーダは二本の触手をしならせた。風を切る鞭のような二連撃を、相手は見た目とは逆の素早さで回避してみせる。

 敵の魔獣はクロとルーダより大きかった。濃い体毛に覆われた筋肉質な体付き。猿顔の両こめかみから突き出すのは、まるで悪魔を思わせる湾曲した大角。《ゴーディオッサー》と呼ばれる大型魔獣だった。

 ゴーディオッサーはルーダの触手をがしっと掴むと、それぞれを左右にぐいいっと引っ張った。

 びよよーんと伸ばされる二本の触手。ルーダは苦しそうにもがいていた。

「グルッホホ!」

 勝ち誇ったように彼女を見下すゴーディオッサー。ルーダの透き通った青い体表が、ほのかに赤みを帯びてくる。

 く、くやしい! こんな恰好、あの人(マキアス)にだって見られたことないのに……!

 そんな屈辱的なことを思っている感じで、ルーダはプルプルと身を震わせる。

「グッホグホ」

 くくく、存分に可愛がってやるぜ。

 いやらしく口を釣り上げ、ゴーディオッサーは太腕を持ち上げた。落下のダメージが残っていて、クロはまだ動けない。

 涎を垂らした大口が開き、鋭い牙がルーダに近付いた。

 下衆な猿め。あたしの体は目玉の中から触手の先まで、全部あの人のモノなんだから――

「キュイー!」

 気安く触ってんじゃないわよ!

 初めてルーダが鳴いた。彼女の意志に呼応したかのように、その体が激しく輝く。

 ありったけの内部導力を解き放ち、青い光が弾けた。

 ビキビキビキと相手の口元を氷が覆っていく。口だけではなく鼻もだ。呼吸ができなくなり、ゴーディオッサーは辺りをのたうち回る。

 好機。逃げ惑う猿の体に、何度も何度も触手の乱打をお見舞いしてやった。

「ぐるほほほう……」

 とうとう敵は降参した。どすんと重たく地面に腰を落とす。

 

 ようやくクロも身を起こしたところで、森の奥から轟音が響いた。驚いた鳥たちが一斉に飛び立っていく。

 何だろう。クロとルーダは音のした方へと向かった。

 道から外れ、草木をかき分けながらさらに進む。たどり着いたのは、自然公園最奥の開けた場所だった。そこには先ほどのゴーディオッサーなど比べ物にならない程、巨大な猿型魔獣がいた。

「グルオオオオ!!」

 森の主、《グルノージャ》が雄叫びを上げる。

 クロとルーダは戦慄した。どうやっても勝てないと分かったからだ。これも本能。あれはこのエリアにおける生態系の頂点だ。逃げることさえできないかもしれない。

 しかし、

「オオオオン……」

 それは咆哮ではなく断末魔だった。膝を折ったグルノージャは、顔面から地面に倒れ込む。

 巻き上がる土煙の中に何かが立っていた。

 グルノージャの脇を片手で持ち上げて姿を見せたのは、明らかに異質な存在。クロとルーダはその物体を見て、ゴーディオッサーの亜種だと思った。少なくとも、マキアスと同じ種族――人間だとは思わなかった。

 鼻息だけで粉塵を吹き散らし、そいつは言う。

「これ、どうやって料理したらいいのかしらあ」

 圧のある声量に、ビリッビリッと空気が震える。

「大きなフライパンがいるわねえ……ああん?」

 頬肉で押し上げられた細目が、二匹の魔獣に向けられた。その人間――マルガリータは低く笑った。

「前菜も見つけたわあ」

 この生き物は危険だ。生物の次元が違う。

 迷わずクロたちは逃げ出した。マルガリータは追ってくる。

 凶暴な足音が距離を詰めてくる。二匹は川にかかる橋の上に差し掛かった。相手はすぐそこまで迫っている。もう逃げられない。

「シャーッ!」

 急旋回してクロはマルガリータに特攻した。ハエを払うかのように彼女は腕を振る。

「シャッ!?」

 羽をばたつかせて咄嗟に中空に留まった。際どいところで直撃はしなかったが、生み出された凄まじい乱流に煽られて、クロは遥か遠くに吹き飛ばされてしまった。

「あらん。まあ、もう一匹残ってるから……グフフ」

 手が伸びてくる。抗えない力を目の当たりにして、諦めたように触手がうなだれた。

 ルーダの旅はここで終わった。最後にあの優しい笑顔が浮かぶ。

 せめてもう一度だけ、彼の淹れたコーヒーを――

 背後の森の中から大きな影が躍り出る。

「グルホホホッ!」

 さっき倒したゴーディオッサーだ。回復したから仕返しにやってきたのだろう。

 しかし唸りながら跳躍したゴーディオッサーは、ルーダの頭上を飛び越えて、マルガリータに殴り掛かった。

「グムッフォ!?」

 不意打ちの一撃を受け止めて、マルガリータはゴーディオッサーと組み合った。

「グルホウ」

 逃げろ、と彼は言った。

「キキュイ」

 どうして助けるの。あたしはあんたにひどいことしたのに。

「グホ、グホホン」

 お互い様さ。会いたいヤツがいるんだろ。行けよ。

「キューイキュ」

 あんた一人でそいつに敵いっこない。あたしも戦う。

「グルッホ~」

 つくづくお前はいい女だ。痺れるぜ。

「キュイン、キュ」

 やめてよ。そんなこと言わないで。

「ホッホウホ」

 同時にやるぞ。俺の攻撃に合わせて、さっきやったみたいにあいつの口を固めちまえ。

「キュン」

 任せて。

「グムッフォオ!」

 何を長々話しているのお。私はお腹が減っているのよお!

「グルホホッ……!」

 おっと、野郎本気出してきやがった。こいつは予想以上の力だ……!

「……ホホウ」

 ……悪いな。

「キュ?」

 え?

 組み合う手を解いたゴーディオッサーは、ルーダの体を持ち上げると橋の下に放り投げた。川の流れは早く、ルーダはあっという間に川下へと流されていく。

 触手を川底の岩に巻きつかせて、ルーダは水面に体を押し上げた。

「キュキュ!」

 何よ! 一緒に戦うって言ったじゃない!

「ホホングホホン」

 見たかったぜ。お前ほどの女が好意をよせる、世界一幸運な男の顔をな。

「キュキュイ!」

 バカ! 何で――

 その鳴き声を最後に、ルーダの触手は川底から離れる。いつぞやの用水路の時のように、彼女は流れの中に消えていった。

「グホッグルッホ」

 いつだって恋は、惚れた方の負けなのさ。

 喉をうならして、ゴーディオッサーはマルガリータに向き直った。これ以上、あいつは追わせない。強い意志が瞳に宿っている。

「グルッホオオオオ!!」

「グムッフォオオオ!!」

 激突する二つの咆哮が押し拡がり、ヴェスティア大森林は震撼した。

 

 ☆ ☆ ☆




お付き合い頂き、ありがとうございます。ノルド編が進んでまいりました。

ようやくアリサ、ミリアムと合流ですが、波乱は続きます。《ARCUS》が使えないと、やっぱり弊害は多そうですよね。

ゴーディオッサーの彼の名はゴディです。ゴディ先輩です。愛に殉じる漢はかっこいいと思います。ゴーディオッサーには毎シリーズ何かと痛めつけられるのですが、Uマテリアル欲しさに何度も立ち向かったものでした。ところでUって何の略なんでしょうか? あ、Tもあったっけ……。

ベリルのサイドストーリーは時間軸的には前話ですね。移動経路といい、本当に謎の少女です。

ではでは! 
次回は『監視塔攻略戦(前編)』。引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。

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