虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第136話 三色の騎士

「あ、あの……変じゃないですか?」

 第三学生寮の扉を開けてエリゼが登場した瞬間、待ち構えていた全員から歓声が上がった。

「いい! すごくいいわ! エリゼちゃん!」

「うむ、似合っているぞ」

 色めき立ったのは女性陣だ。いち早くアリサとラウラが彼女に駆け寄り、実の妹よろしく猫可愛がる。

 エリゼはトールズ士官学院の制服――Ⅶ組の証でもある赤服を着ていた。四月から新一年Ⅶ組として入学するにあたっての、初お披露目だった。

「どうでしょうか、兄様」

 エリゼの視線が自分に向いて、リィンは感慨深げにうなずいた。

 彼女が聖アストライア女学院の高等部に進学しないと決めたことについては、何の口出しをする気もなかった。士官学院生としての厳しい実地カリキュラムをこなせるのかは心配なところもあったが、それこそ過保護というものだろう。エリゼもしっかりと自分の考えを持てる年齢だ。

 今はただ、妹の新たな門出を祝福する兄であればいい。

『正直言って驚いたよ。もう立派なレディーだな。これからは下手に年下の妹扱いもできないか。はは、兄としては嬉しかったり寂しかったりで複雑な気分ではあるが』

「そんなふうに仰って頂けるなんて……兄様ったら」

「それレジェネンコフだから! 兄様じゃないから!」

 テーブルにどんと置かれている鉄兜。そのフェイスモニターに映る美化補正されたリィンがウィンクをする。キラキラのエフェクトがかかっていた。

 それをうとましくつかみ上げた本物のリィンは、問答無用で戸棚まで運ぶと一番奥にしまって施錠までした。

「ははあ……それが例の自律型機械人形の頭部ですか。話には聞いていましたが」

「レジェネンコフR式とかいう俺の偽物だ。触るんじゃないぞ。あと会話もダメだ」

「でもびっくりしました。兄様より兄様らしいセリフ選びといいますか。ちょっと揺らいじゃいますね」

「俺より俺らしいってどういう意味だ。揺らぐって何がだ……!」

 その折、せっかく封印したレジェネンコフは、早くもフィーとミリアムに救出され、体のいい遊び相手になっていた。

 頭部にある小型オーバルバッテリーの導力回復機能のおかげで、あれはエネルギー切れを起こさないらしい。なんて厄介なんだ。本当に対処に困る。パトリックあたりにでも押し付けて、分解してもらうというのも一つの手か。それでもダメなら、水に沈めるか土に埋めるかヴァリマールで踏み潰すくらいしか思い浮かばない。

「レジェネンコフのことはまあいい。さっそく荷物の運び入れをするか? 手伝うぞ」

「申し訳ありません。結構な量でして、ひとまず玄関先に置いたままにしているのですけど」

 入学に伴い、エリゼもこの寮に住むことになる。セドリックとアルフィンも今日の夕方には荷物入れに来訪する予定だ。

 リィンを除くⅦ組は三か月から半年の休学扱いだが、いずれ復帰はするので各々の部屋は現状のまま置いておくことになっていた。それでも空き部屋はまだあるので、住人が増えるのは問題ない。

「私の部屋は何階になるのでしょうか?」

「女子は三階を使ってる。ちょうど二室空いてるから、エリゼとアルフィン殿下で使うといいだろう」

「兄様のお部屋は二階でしたよね」

「ん? そうだが」

「………」

 物言いたげな視線が向けられる。

「なるほど。遠慮するな。三階だろうと荷物運びは手伝うさ。他の男子も協力してくれるからすぐに終わるぞ」

「……それはありがとうございます」

 まったく嬉しそうじゃないお礼の言葉だった。エリゼの瞳がじとりじとりと粘度を持つ。これは俺が見当違いの答えを出したときの目だ。しかし現時点でこちらに非はないはず。一体何が妹の不興を買っているというのだ。

「エリゼちゃんは二階でいいんじゃないですか?」

 と、助け舟を出したのはエマだった。

「三階の二室はセドリック殿下とアルフィン殿下でいいと思いますよ。家族なわけですし、問題ありません」

「けどそれだと……みんなが戻ってきたら、セドリック殿下は女子フロアで男子一人になるんだが」

「問題ありません」

「いや、この場合の問題があるかどうかを決めるのはセドリック殿下では……」

 エマは微笑んだまま、しかし首を縦には振らない。

「それに二階の空き室っていうのは……」

「クロウさんの部屋ですよね」

 エリゼが言った。

 そう。まだあいつの私物が残っている。もちろん取りに来ることはないだろうし、いつかは片付けなくてはならない。だがそこにエリゼを住まわせるのは――

「私は構いません。むしろ気にするとすれば姫様とセドリック殿下だと思いますし。いえ、姫様は気になさらないでしょうが……」

 セドリックは微妙かもしれない。それはリィンも思うところだった。

「わかった。じゃあエリゼはクロウの部屋を使ってくれ。俺の真向かいだ」

「かしこまりました」

 表情一つ変えないが、エリゼのつま先はぴょこぴょこと動いている。どういう感情の表れだ。

「ではさっそく手持ちの物から運んでまいります。早く片付けて、私もサラさんのサプライズや卒業式の準備を手伝いますね」

「そんなのは俺たちでやるし、エリゼの手を煩わせるつもりは……」

「先輩に協力するのは後輩として当然のことです」

 エリゼにもサプライズイベントの企画のことは伝えていた。今日の夜がその実行日である。

 早くも後輩として振る舞う新参Ⅶ組に、同期たちの目は優しかった。

 小走りで二階に上がり、クロウの部屋に入ったエリゼは、

「きゃああああ!?」

 いきなり悲鳴を上げた。

 すぐにドタドタと顔を赤くして戻ってくる。

「部屋の壁に卑猥なポスターが張られてるんですけど! どういうつもりですか、兄様!?」

「俺のせいじゃない!」

 

 

《――三色の騎士――》

 

 

「まったく卑猥です! 不埒です! ハレンチですっ!」

 プンスカとエリゼは眉を吊り上げる。

「聞いてます!? 兄様!」

「聞いてるよ。そんなに怒らないでくれ……」

「いいえ、怒ります。これから淑女が暮らすという部屋にあんな……あんな!」

 卑猥と言うが、せいぜいモデルの水着姿程度のものである。それでもエリゼにとっては衝撃的だったようだ。

 確かにクロウがそういうポスターを貼っていたのは知っている。だがさっきの時点でそんな事実は頭の隅にもなかったし、あの部屋をエリゼが使うとなったのも今しがたのことだ。リィンの失念を責められるものでもなかったが――

「そもそも厳格な士官学院の寮でしょう。世俗にまみれた私物をこれ見よがしに飾るだなんて、品性を疑います! 今一度生活のルールを見直すべきではないでしょうか!」

「わかった、もうわかった! クロウが全部悪い! あいつめ、よくもエリゼにひどいことを!」

「そうですよ!」

 すまない、クロウ。妹の機嫌を直すためにお前を売った。

 というか他に何も隠してないよな。デスクなんかはそのまま使うから、後日に秘蔵アイテムなんかが発見されようものなら大炎上は必至だ。そこにアルフィン殿下も加わって騒ぎ立てでもしたら、俺にはもう収拾する方法が思いつかない。

 頼むぞ。ないと信じてるからな。

「――で、この表通りにあるのがブティックやブックストアだ。あとそっちの裏通りには《ミヒュト》って質屋があって、何かと顔を出すことになると思うから覚えておくといい。ちょっと店主が気難しいんだけど」

「わかりました。入用なものの一通りはこの町でそろうのですね」

 日用品の買い出しも兼ねて、トリスタを改めてエリゼに案内しているところだった。彼女も何回かは町に来ているが、学院生として利用頻度が多い施設は知っておいたほうがいい。

「あのぅ、ずっと気になっていたのですけど、トールズの制服ってスカート丈が短すぎません? なんだか落ち着かなくて……」

 エリゼはもじもじと頬を赤らめていた。すらりと伸びた細い足が、頼りなさげに内またになる。

「大丈夫だ。もしもいかがわしい目でエリゼを見るやつがいたなら、すぐに俺が狩る」

「大丈夫の意味がよくわからな――狩る!?」

「八葉一刀流はそういう時の為にあるんだ」

「ユン老師に怒られますよ……?」

 第一の要注意人物はやはりパトリックか。彼はまだエリゼが入学することを知らない。あえて教えていない。万が一、下心満載で妹に接近してきた場合、鬼の力の行使も辞さない覚悟だ。なるべくなら、水に沈めるか土に埋めるかヴァリマールで踏み潰すか、その辺りの穏便なやり方で処理したいが。

「はあ、スカート丈も含めて要精査ですね。風紀委員とかありますか?」

「風紀取り締まりの役割は、生徒会が担ってる部分もあるからな。やりたいなら入るか?」

「うーん、もう少し考えてみます。学院生活に慣れるのにも時間がかかるでしょうし、最初から何にでも手を出すのは良くないかもしれません」

「それもそうか。二年からは俺も正式に生徒会に籍を置こうと思ってるから、気が向いたらいつでも声をかけてくれ」

「入ります」

「決断早いな!」

 微塵の迷いもない即答だった。意外にも士官学院の気風に会っているのかもしれない。

「さっきの話ですが、寮の生活ルールの改善はエマさんと協力して本当にやろうとしていたんですよ。フィーネさんプロジェクトのトリスタ編です」

「あれ続いてたのか。でもエマは……」

「知ってます。最近聞きました。数か月の休学ですよね。エマさんだけじゃなくて、兄様以外のⅦ組の皆さんは全員」

「色々な事情があってさ」

「それも知っています」

 アリサはイリーナと向き合い、ラインフォルト社のことを学ぶために。

 ラウラはヴィクターに付き、アルゼイド流の核を成す奥義の継承のために。

 ユーシスは内戦時におけるアルバレア家の諸々の対応をするために。

 フィーはゼノとレオニダスの言動の真意と、ルトガー・クラウゼルの詳細を探るために。

 エマは失われた魔女の力を取り戻すために。

 マキアスはカールの元で学び、政治の道に進むための足掛かりを作るために。

 ガイウスはノルドに戻り、いまだ予断の許さない状況である故郷の支えとなるために。

 エリオットは家族から受けている何らかの疑惑を晴らすために――ではなく、音楽院への一時転学のために。

 ミリアムは情報局への帰還命令が出たために。

「ですがなぜ休学なんです? 何人かは休学で済む事情であるのはわかりますが、たとえばエリオットさんやマキアスさんはご自身の将来に関わることなのでしょう。であればトールズに中途復学するのは、先々の進路を考えるとデメリットもあるのではないですか。私がこんな意見を言うのは差し出がましいのも承知していますし、個人的な気持ちとしては戻ってきて下さるのはもちろん嬉しいのですが……」

 エリゼの疑問はもっともだ。

 無理に復学する方が、それぞれの目的に支障が出てしまう場合もある。ガイウスやユーシスはそれが特に顕著だろう。

 だとしても戻ってくるのには理由があった。皆から俺に告げられた、たった一つの理由が。

「ああ、それはな――」

「あら、リィンさんにエリゼさん」

 言いかけた時、前方からクレア・リーヴェルトが歩いてきた。エリゼの表情がぱっと明るくなる。

「クレアさん! 今はトリスタに在中しているんですよね。お会いできてうれしいです!」

「私もですよ。これからは毎日顔を合わせることになりますし、宜しくお願いしますね」

「え? 毎日?」

「おっと、エリゼにはまだ言ってなかったよな」

 うっかりしていた、とリィンは頭をかいた。

「ほら、アリサといっしょにシャロンさんもラインフォルト社に戻るだろ。だから四月からはシャロンさんのポジションにクレア大尉が付くんだ」

「ほ、本当ですか! わあ……!」

 難しい立場であるリィンの護衛、そして皇族二人の護衛という意味合いでの、あくまでも任務である。そしてもう一つは“とある人物の監視”という役割もあった。多種の目的を担うための最適な役どころが、現在のシャロンの立ち位置だったというわけだ。

「私見で言わせてもらえば、そもそも“灰の騎士”に護衛などいらず、むしろ殿下たちの護衛としてもリィンさんで十分だとは思っています。厄介な世話係かもしれませんがご容赦を」

「……買いかぶり過ぎですよ」

 灰の騎士。望まぬままに与えられたその名。俺は冠された称号を背負ってどこに向かうのだろうか。

 英雄なんかになりたいわけではない。

 ふとドライケルスの顔がよぎる。叶うなら、もう一度あなたと話がしたい――

「まったく、これだからリィンは。もっと喜ぶ顔をしたらどうなんだ」

 クレアの後ろからマキアスが姿を見せた。両脇に大量の紙袋を抱えて汗だくだ。

「ごめんなさい。荷物運びを任せてしまって。私も持ちますよ」

「いえいえ! 僕から言い出したことですから! ちょうどいい運動ですよ。こう見えて体育会系? みたいなところもありますから。ははは!」

 白い歯を見せてマキアスは清々しく笑った。クレアも今後の生活に備えて、日用品を買い込んでいたらしい。

「マキアスの言う通りか。大尉がいて下さるなら、なんの心配もいらなさそうだ」

「それこそ買いかぶり過ぎですよ。……ただまあ、一つ困ったことがあるといえばあるのですけど……」

「なんでしょうか?」

「シャロンさんからメイド服を渡されまして。第三学生寮で仕事をする時はそれを着ることが鉄の掟だそうで……」

『メ、メイド服のクレア大尉……!』

 マキアスとリィンのセリフが見事に重なった。そしてどちらも“そんな掟はありませんよ”とは言わなかった。

 表情に笑みを張り付けたマキアスが、つかつかとリィンに歩み寄ってくる。肩にぽんと気安く手を置くと、

「リィン。僕は数か月不在にする」

「もちろん知ってるぞ」

「僕は君のことを親友だと思っている」

「それは……ありがたいが……?」

「だからさ――」

 肉がえぐられんばかりの握力が、ぎちぎちと肩にかかる。

「親友のままで、いさせてくれよぉ?」

 修羅の低い声音が耳朶を打ち、マキアスは寮に向かって歩を進めた。

「ふふ、仲がよろしいんですね」

「男の友情というものでしょうか」

 硬直するリィンをよそに、クレアとエリゼは微笑んでいた。 

 

 ●

 

「調子はいかがですか?」

 扉を開けて、アルフィンがひょこりと顔を出す。「まあまあね」と返して、スカーレットはベッドから身を起こした。

「魔煌兵戦の傷もほぼ完治。リハビリも終わり。さすがに体力は落ちてるけど、普通に動けるレベル」

「何よりです。多少の暇は我慢してもらわないといけませんが」

「窮屈なのは仕方ないわ。でも言うほど時間は持て余してないかしら。話し相手にあの子がいるし」

 あの子と言って目を向けたのは、部屋の隅で伏せている子犬――ルビィのことだった。

 最終決戦を終えて尚、スカーレットの立場は微妙だ。色々な審議の上、彼女は一般病院ではなくバルフレイム宮の一室で治療を受けていた。

 もちろん部屋から出ることはできないし、扉前には常に見張りが二人立っている。時間制限の中で出入りできるのは担当医師とアルフィン、そしてルビィぐらいのものだった。

「司法取引の結果が出ました」

 そう言うと、アルフィンはベッドに対面する形で椅子に座る。

「ずいぶんと時間がかかったわねえ。一応こちらとしては、極刑の覚悟もしてるから」

「もう、そうさせない為にがんばったんですよ。私は全力を尽くしましたし、お兄様も様々な手で後押しをして下さいました」

「そんなお兄様に億越えの負債を笑顔で押し付けたって聞いてるけど」

「噂というのは怖いですね。でも完済ですよ。愛の力と競馬の力で借金ゼロです」

「やり口が狂ってるわ……」

 スカーレットは嘆息をついた。アルフィンの行動力は身をもって知っている。たとえ世界が闇に包まれても、彼女だけは光り続けている気がした。根拠もなくそう思わせるのは、やはり彼女が大物――いや、本物だからだろう。

「で、肝心の結果は?」

「かいつまんで言うとですね」

 アルフィンは持参していた書類を取り出した。ズラズラと書き記された正式文書を、要約して読み上げる。

「“カレイジャスの保有する機甲兵《レイゼル》と共闘の上、魔煌兵《イスラ=ザミエル》を撃退し、同艦とエレボニア皇女、並びにクルーであるトールズ士官学院生の生命を救った功績を元に、帝国解放戦線に属して行動した事案の一部を減刑とする”」

「一部? 減刑?」

「形式上でそう記されていますけど、具体的な刑罰が決まっていたわけではないので、実質はほぼ不問ということになります」

「そんな都合のいい話がある?」

「お兄様の散々の根回しが効いたんでしょう。かなり多方面に力添えの依頼をかけて下さったようですし。とはいえ誓約事項もあります。それが“対象にはエレボニア帝国の発展と繁栄のため、身命を賭し恒久的に同国に尽くすものとする”の一文です。あ、対象というのはスカーレットさんのことですよ」

「わかるけど……つまり?」

「わたくしの騎士になって、これから頑張りましょうねって意味です」

「適当! なに勝手な解釈つけてるの!?」

「え~、まだそんなスタンスでいるんですか? 素直じゃないです」

「はああ!? ちょっとその文書見せなさい!」

 アルフィンの手から用紙を奪い取って、高速で目を通す。

「……帝国解放戦線に関わる記述は多くあるけど、騎士うんぬんの部分はまったく見当たらないじゃない」

「だって騎士の選定は皇族の権利ですから、司法取引に直接の関係はないですよ。今回はスカーレットさんの立場が公に保証されたというだけです。まあ、この文書は国のトップシークレットなので外部には一切出せませんけど」

「じゃあなに? ということは騎士にならなくてもお咎めなしってこと?」

「まあ、そういうことになりますが、その場合“身命を賭し恒久的に同国に尽くす”に対してのエビデンスが取れませんよね。公文書なので“やれたらやる”では通りませんから、何かしら目に見える役割が必要でしょう」

「くっ、搦め手を……」

「……どうしてそんなに嫌なんですか?」

 アルフィンがわずかに目を伏せた。

「過去を無かったことにはできないですけど、裁かれない状態にはできました。しばらくは枷もつきますが、いずれはそれもなくなり正式な身分証も発行されます。たくさんのハードルを越えて、下地を整えたのに……」

「……ごめん。正直に言うとね、いっぱい考えた。でもやっぱり無理だった。自由に動ける許可が降りたらアルテリア法国に出立しようと思う」

「アルテリア法国に?」

「教会のシスターになるの。そこで生涯を捧げる。たとえ裁かれなかったとしても罪は償わないといけない。自分で自分を許せる日が来るかはわからないけど……」

 スカーレットも顔をうつむけた。

「うそ」

 アルフィンが言った。

「今の言葉が偽りだとは思いません。でもそれは後付けの理由ではないですか?」

「まったく……すごいわね」

 彼女は人の気持ちを見透かす資質がある。そしてそこにまっすぐ踏み込んでくる。追い込みも駆け引きもなく。

 そう、本当は。私の本当の想いは――

「私だけ、そんな都合のいい話は受けられない」

 拳を握りしめる。これが本音だ。

「だってそうでしょう。解放戦線や貴族連合に組した者は、その立場に応じて罪に問われている。同じ幹部だったギデオンやヴァルカンは死んだ。クロウは生きてるってあなたは教えてくれたけど、追われる立場であるのは変わりない。そんな中で私が……私だけが新しい人生を手に入れていいわけがない」

「………」

「死んでいったかつての仲間たちに怒られるわよ。どうしてお前だけ笑っていられるんだってね」

「亡くなってしまった人は……もう何も思いません。発する声もありません。生きている人がその人を想い、その人ならこう言うだろうと言葉を決めるだけです。今のは自責の念が生んだスカーレットさん自身の言葉に聞こえました」

「そんなことない」

「だったらヴァルカンさんなら何て言うんですか。私よりスカーレットさんの方が彼のことを知っているでしょう。スカーレットさんの知るあの人は、こういう時なんて言うんですか」

 考えてみる。

 デリカシーに欠けて、配慮がなくて、豪快なあの男なら。

 馬鹿じゃねえのか。なんでそんなことで悩むんだ。関係のない行道に自分が付き合う必要があるのかよ。他人の業まで背負って勝手に贖罪した気になってんじゃねえぞ。

 きっとそんなふうに私の悩みを一笑に伏して――

「お前がやりたいようにやりゃいいだろ……って、そう言うわ」

 泣いていた。

 彼が死んだと聞いた時には涙一つこぼれなかったのに。今になって結露した感情があふれてくる。よかった。泣けた。

 お前はこっちじゃねえだろ。心に映る彼は笑いながら、そうも言っていた。

「私はあなたの騎士になりたい」

 本音の奥の本心が、やっと口に出る。“ここでいい”ではなく、“ここがいい”と確かに言える。私の居場所は、あなたのとなりがいい。

 潤んだアルフィンの瞳が大きく開かれた。

「い、いま、言いましたよね」

「言ったわ」

「本当に? 撤回はなしですよ? 絶対ですよ?」

「ええ」

 彼女の手を取って、スカーレットはかしずいた。

「これからよろしくね。私のお姫様」

 アルフィンに抱きつかれる。勢いに押されて背中からベッドに倒れた。自分の上に乗るアルフィンをどかそうとして、やっぱりやめる。主の好きにさせておこう。

 そのままの姿勢でアルフィンは言った。

「ではわたくしの騎士に命じます」

「なんなりと」

「トールズ士官学院の教官になって下さい」

「仰せのままに――ん? はい?」

 がばっと起きて、アルフィンを押しのける。

「冗談?」

「まさか」

「説明して」

「わたくしがトールズに入学するのは言いましたよね。エリゼとセドリックと一緒に新Ⅶ組です。でもサラさんは遊撃士に転職しますから、担当教官がいません。リィンさんはあくまで二年Ⅶ組で、わたくしたちのメンター役。となると――」

「いやいやおかしいってば! だとしてなんで私よ!?」

「騎士としてわたくしのそばに控えること。武術教官としてサラさんの跡を継げる能力があること。クレア大尉が寮にいて、学院にはヴァンダイク学院長もいるので、行政的なスカーレットさんの監視の意味合いも含められること。全ての条件を満たすポジションは、むしろそこしかありません」

「あああぁあ……」

 やられた。お姫様の頭の中でシナリオが完璧に組み上がっている。これ、私が騎士にならない選択をしたらどうなっていたのよ。

「それと追ってスカーレットさん専用の機甲兵が配備されます。《イスラ=ザミエル》戦で半壊したケストレルを回収し、ラインフォルト社経由で修復強化したものです」

「そ、そんなことまでやってたの」

「レイゼルと同格の連立式オーバルエンジンを搭載した最新鋭機。エレボニアを守護する新たなる炎の剣。その名も《ケストレル・レギンレイヴ》。スカーレットさんには(あか)の騎士として、有事の際はその力を振るってもらいます」

 紅の騎士。

 国家転覆を企てたテロリストが、身を挺して国を守る騎士を務めることになるとは。

「いったい私の人生の振り幅どうなってるのかしら……」

「さっそく今からトリスタに行きますよ。荷物の運び入れとか手伝ってください。エリゼより先にリィンさんに近いお部屋をキープしないといけませんから」

「え? 今から!?」

「トワさんたちの卒業式は明日ですし、今日の夜にはサラさんへのサプライズパーティをするそうですし、Ⅶ組の先輩方に挨拶も必要でしょう」

「それ私も出ないとだめ? さすがに顔出しづらいっていうか」

「どうせこれから顔出しまくりなんですから、気にしないでいいです。それにスカーレットさんはサラさんからの引継ぎも受けないと。とにかく時間がありません。必要なものはトリスタで買いそろえますので、早く出発しますよ。セドリックも待たせてますし」

 どったばったと準備を急かされる。どのみち持っていけるような手荷物なんてほとんどなかった。

 その部屋を出る直前に、スカーレットは訊いた。

「ねえ、一つだけ教えて。今さらなんだけど、どうして私を騎士にしようと思ったの?」

「……そうですね。一言では難しいですけど……そのスカーレットという名前は本名ですか?」

「そうよ?」

「スカーレットって鮮やかな緋色のことですよね。皇族と赤色は繋がりゆくものなんですよ」

 答えになっていないと首をかしげるスカーレットから視線を外し、アルフィンは訳知り顔でこちらを見送るルビィに手を振った。

 

 ●

 

 鬱蒼と生い茂る樹木の列が、日光さえも遮る。

 うす暗い森の奥。手頃な切り株を椅子代わりにして、クロウ・アームブラストはわずかばかりの木漏れ日を浴びていた。

 やることがない。鈍らないように適度な運動はするが、それくらいだ。ヴィータに本の購入でも頼めば良かったかもしれない。いや、どのみちこの暗さでは十分に読めないか。

 本で思い出した。寮の俺の部屋の机。その二段目の隠し棚に、激・秘蔵本を忍ばせたままだった。リィンあたりが見たら天井まで鼻血が到達するようなハードな代物だ。マキアスなんかメガネからビームが発射されるほどだろう。

「あー、やっちまった。ま、男子勢の誰かに小粋なプレゼントってことで有効に活用してもらえりゃ――」

「なにかしら、プレゼントをくれるって?」

 薄闇の晴れる輝きが拡がり、そこにヴィータが現れた。大量の買い物袋を抱えている。

「食料の買い出し行ってきたわよ。平伏して感謝なさい」

「ありがとよ。あと追加で暇つぶし用のアイテムを買ってきてくれ。今すぐに」

「なら氷の迷宮を作ってあげる。一日中迷い続けるといいわ。すぐに時間が経つと思うから」

「おっかねえ」

 煌魔城を離脱して数か月。人目につかない各地を転々として、現在はルナリア自然公園の中腹を拠点にしていた。ヴィータが結界を張っているおかげで魔獣は近づけない。

 必要物の買い出しは、ミスティさんモードの彼女がケルディックまで転移術で赴いて調達してくる。不便ではあるものの、生活に困ることはなかった。

「だいたいねえ。この私と日がな一日いっしょにいるのよ? これ以上ない贅沢で至福の時でしょうが。余暇を持て余すという発想にすら至らないはずよ」

「その自信がどこから来んのか、一回マジで聞きたかったんだよな……」

「はあ、買い出しで疲れたわ。水浴びしてくるから」

「おう」

「のぞいたらダメよ」

「おう」

 奥に泉があって、洗身はもっぱらそこを使う。ヴィータは着替えを持ってその場を離れた。

 隠遁暮らしも飽きたものだが、占拠されたトリスタから逃げた学院生たちもこのような生活を送ったのだろう。巡り巡って次は俺の番とは、人の世の因果はうまくできている。

 それもそろそろ切り上げたいところだ。しかしオルディーネの回復が終わらなければ動きようもなかった。

 “エンド・オブ・ヴァーミリオン”との戦いで左腕右足を失い、(ケルン)に損傷も受けた。ここは霊力の濃い場所だから回復が早くなるというのはヴィータの談だが、休眠状態はいまだに解けない。

「ちょっと何やってるの!」

 表情険しく、ヴィータが戻ってきた。

「なんでのぞきに来ないのよ! 逆に失礼だわ。逆にね!」

「逆ってなんだ……」

 なんて扱いの難しいやつなんだ。委員長も大変だったろうに。

「今、エマに同情するようなことを考えたわね?」

「念話術を使うのはやめろよ」

「使ってない。それくらいは普通にわかる」

 つくづくおっかねえ女だ。

 水浴びはやめたらしく、ヴィータも近くの切り株に腰を据えた。

「さてと……これからの話をしましょうか」

「また急だな。てっきり一生をここで過ごすつもりかと」

「それも悪くないかと思い始めた今日この頃だったんだけど、そういうわけにもいかないでしょ。ここを出ないとオズボーンの動向はつかめないし」

「……だな」

 煌魔城に現れ、幻焔計画を乗っ取ると宣言したギリアス・オズボーン。表ではクロスベルやカルバードとの対外折衝に動いているらしいが、裏の動きはまったく読めなかった。

「色々考えたけど、私は《身喰らう蛇》に戻ろうと思う。そこで今後の細かな方針を決めるわ」

「そうか」

「あなたはどうするの?」

 準契約者になったトワたちの顔が脳裏によぎる。確たる繋がりはある。だが、まだそこには戻れない。

 やはりオズボーンにじいさんの落とし前を。たとえリィンの実の父親だったとしてもだ。

 ただ命を奪うことだけが落とし前だとはもう考えていなかった。考えてはいないが、どういう形かでのけじめはつける。

 復讐という後ろ向きな理由であっても、それが俺の生きる目的だ。そう、人間は目的なしには生きられない。

 だが具体的にこれからどう行動していくというのは――

「ねえ、クロウ。あなた、結社に入りなさい」

「は? そりゃまた……いきなりの誘いだな」

 ヴィータの目を見る。いつもの冗談ではないようだった。

「そして執行者になるの。ちょうどナンバーのXIIIが空席になってる。推薦は私がするわ。執行者は実力だけで任命されるわけではないけど、多分クロウなら問題ない」

「実力以外での査定ね。……ま、そこにネガティブな要因が絡んでるのは察するが。けどどうして俺を執行者にしたいんだ?」

「執行者には束縛がない。あらゆる自由が認められる。心の置き場なら、あの準契約者のお嬢さんたちのところでいい。でも身体の置き場もいるでしょう。《身食らう蛇》を都合よく使いなさい」

「いいのかよ、仮にも蛇の使徒がそんなこと言って」

「いいのよ。おそらくはそれが、今の状況であなたがあなたらしく生きられる唯一の手段」

 ヴィータは困り顔で、けれど口元には笑みを浮かべた。

「はあ……誘うべきはエマではなく、最初からとなりにいたなんてね。グリアノスが幸せの青い鳥を示唆していたってことなのかしら」

「言っている意味が全然わからん……。けどまあ、確かに都合が良さそうだ。入るぜ、結社に」

「では正式に契約ね。今日よりあなたは帝国解放戦線の頭目でも、貴族連合の協力者でもなく、深淵の魔女を守護する蒼の騎士よ。互いの力をもって、オズボーンを討つその日まで」

 蒼の騎士。不思議としっくり来る呼び名だなと思った時、「それとね」とヴィータは続けた。

「そのXIIIの前任者は結社を離脱した。元いた仲間たちから離れ、一度は結社に戻り、そしてまた同じ場所へと帰っていった。いつかはあなたもそうあれるように。もう一度、彼らと共に太陽の下を歩けるように。その願いを込めて、そのナンバーを贈らせてもらうわ」

「さて、そうなりゃいいが」

「なる」

「魔女の予言か」

「願いと言ったでしょう。予言よりも的中するかもね?」

 ヴィータは立ち上がった。

「ところで明日よね、卒業式。どうするつもり?」

「ああ……」

 “三月二十三日。その日が二年生の卒業式だ。それを着て、式に参加しろ”

 煌魔城で別れる前にリィンから言われた言葉だ。押し付けられたそれ(・・)は木の枝に引っかけてある。トールズの、Ⅶ組の証である赤い学院服。

 トワたちと同じ日に卒業させると、あいつは朦朧とする意識の中でも豪語していた。

 あれから考える時間はたっぷりあった。もう結論も出している。俺はな、リィン。

「卒業式には行かねえよ」

 

 

 ――つづく――

 

 


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