虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第126話 雪解けて芽吹く

「さっそく緊急ミーティングを始めよう。特別アドバイザーとして、クレア大尉にもご参加頂く運びとなった」

 リィンが長机の奥に座るクレアに視線を移すと、彼女はぺこりと頭を下げた。

「事情はリィンさんから聞いています。微力の範囲内ですが、ぜひお手伝いをさせて下さい」

 今日が最後の授業。午前までの短縮カリキュラムを終えた午後一番。Ⅶ組一同は第三学生寮のリビングのテーブルを囲んでいた。

 議題は一つ。“離職するサラ教官に感謝を贈るためには”である。

 何食わぬ顔でマキアスが椅子から立ち上がった。

「副議長は僕が努めよう。議事録も担当する」

「相変わらず二番手の肩書きが似合う男だな」

「うるさいぞ」

 律儀にユーシスの茶々にも返しつつ、そそくさとクレアの横まで移動したマキアスは、そこに設置してあるホワイトボードにマーカーの先をつけた。

 ユーシスの体は快復の兆しが見えたそうで、このミーティングにも参加してくれている。顔色を見るにずいぶんと調子が良さそうだった。

 上機嫌で議題名をボードに書き連ねていくマキアスを一瞥し、リィンは深い嘆息を吐き出した。

 昨日はあいつに殺されるところだった。

 街のど真ん中にヴァリマールを召喚したところで《キルシェ》からクレアも飛び出し、何事かと仲裁に入ってくれたのだ。話の流れでサラの一件を相談していたことを察したらしいマキアスは、すぐに何かしらの勘違いを認め、修羅化を解いた。

 黒く染まっていたメガネのレンズは白く戻り、『不測の事態に対応するリィンの勘が鈍っていないか試したかったんだ。全ては君という友人を守りたいがためのこと。悪く思わないでくれよ。でもヴァリマールを呼ぶのはやり過ぎだぞ? ははは』とクレア大尉の前で明るく肩を叩いてきた。

 守るべき対象に迷わずショットガンを向ける友人がどこにいるというのだろう。ヴァリマールだって呼びたくて呼んだわけじゃない。なんで俺の判断ミスみたいにされてるんだ。

「会議が始まる前からため息? どうしたのよ」

 となりに座るアリサが言う。

「すまない。ちょっと疲れ気味で……」

「大丈夫? 眠れてる? ご飯は食べた?」

「別に体調不良ってわけじゃないし、心配しないでくれ」

「ならいいけど……」

 胸を撃たれたり、戦禍のクロスベルに赴いたりと色々あったからか、アリサは俺に対してちょっと過保護になった気がする。カレル離宮でかばったことなら気にするなとは何度も言い含めたのだが。

 と、反対側から不意にわき腹を小突かれる。ラウラがむすりとした表情でこちらを見ていた。

「私だって心配している」

「す、すまない」

「謝らなくてもいいが」

 両横をアリサとラウラに陣取られているのだ。なんというかこう、静かな圧力がすごい。精神的にも物理的にも、肩身が狭い。

 果たして会議は始まった。

「まずはプランの洗い出しからやってみましょう。実現の可否は問いませんので、自由に立案してください」

 クレアがそう言うと、次々と手が挙がった。

「サラ教官のための演奏会はどうかな。学院祭の時みたいに」と無難なエリオット。

「んー、食べる系がいいんじゃないかなー。だってサラだよ?」と偏見なミリアム。

「ならば酒でも贈ってみるか。城館の地下に貯蔵庫があったはずだ」と直球なユーシス。

「未成年からアルコールのプレゼントというのはどうなんでしょう? 同じプレゼントなら実用性もある万年筆とか」と真面目なエマ。

「そんなのサラなら三日で失くすよ。欲しいものって言えば恋人とかを求めてると思う」とにべもなくフィー。

「まあ。それだと殿方一人を人柱にする必要がありますわ。あとサラ様を見くびってはいけません。仮に恋人ができたとしても、万年筆と同様に三日で失うことでしょう」と厨房からひょこりと顔を出すシャロン。

「そもそも生き物はダメでしょ。飲食やイベントを絡めるなら立食パーティとかは?」とお嬢様思考なアリサ。

「悪くないが、サラ教官だからな。これまで指導してもらった集大成ということで、全員で挑んで勝利するというのはどうだ? 感激にむせび泣くと思うが」と武闘派なラウラ。

「主賓を倒してどうする。俺は絵画を贈るのもいいと考えているが」と文化系なガイウス。

「よし、チェス大会を――」「やめておけ」と言い終わらない内にユーシスに否定されるマキアス。

「もういっそ全員のを一度にやってみるとか?」と統括姿勢のリィン。

 皆が思い思いに提案するが、当然決まりきるものではなかった。

 しばし考え込んだクレアは、

「あえて絞る必要はないかもしれませんね。リィンさんの意見で検討してみましょう。全員の案をまとめたらどうなるか、ちょっと書いてみてください」

「了解しました!」

 マキアスはこれまでに出てきたものを一つにして、ホワイトボードに書き記した。その結果。

「じゃあ読み上げるぞ。『立食パーティーの中で演奏会を開き、食事とお酒を楽しんでもらいながら、絵画と万年筆と調達してきた恋人を贈呈し、感激にむせび泣いているサラ教官を全員で倒す』」

「……『倒す』を一番最後に持ってきたら、何をどうやってもバッドエンドではないでしょうか」

 恩返しと言うよりはお礼参りである。しかもやり口が鬼畜の所業だ。

 もっと案を煮詰める必要がある。さらに議論を重ねようとした矢先に、玄関の扉が開いた。

「たっだいまー。ん? みんなそろって何やってんのよ?」

 サラが帰ってきた。

 今日は短縮授業だが、教官勢は庶務仕事が残っている。すぐには戻って来ないと踏んでいたのに。

 動揺を隠しつつ、「ちょっとした雑談で――」と切り出しかけたリィンは、ドンと最奥に置いたままのホワイトボードの存在に気づいた。

 隠しようのない大きさのボードには、でかでかと『立食パーティーの中で(中略)サラ教官を倒す』と明記してある。

 一目でも見られたらおしまいだ。せっかくのサプライズが企画倒れとなってしまう。

 誰の顔にも緊張が走る中、弾かれたように飛び出したガイウスがその長身で文字を隠そうとした。

 ダメだ、ガイウス。それだと露骨過ぎて、逆に怪しまれる。しかしなんてピュアな隠し方なんだ。

 ひゅんと風を切る音が聞こえた。次の瞬間、ホワイトボードが一秒とかからず細切れになった。きらりと光に反射したのは、宙を踊る無数の細い糸。

 あれは鋼糸か。厨房の戸口からシャロンの指だけが見えた。さすがのアシストだ。

 すかさずミリアムがアガートラムを呼び出し、床に落ちたばらばらの破片を、ライアットビームで消し炭に変えていく。

「いや、あんた達、ホントに何やってんの。ていうか今、あたしの名前書いてなかった……?」

 呆然していたサラがそんなことを言い始めるや、そそくさと全員が席を立った。

「あ、あー! 僕そろそろバイオリンの練習しようと思ってたんだった!」

「お、俺はバイオリンの練習をするエリオットの絵を描く予定だったように思う」

「私は剣の稽古をしたい気がしてきた……」

「教会に用事があるので失礼する」

「コーヒー豆を買い足しに行かないと……」

 等々と独り言ちつつ、まばらに解散していく。

「な、なによ。なんなのよぅ」

 異様な雰囲気に気押されたのか、サラはたじろぐばかりだ。

 ちょっと申し訳ないとは思いつつ、リィンもその場を離れようとしたとき、エマがそばまでやってきて耳打ちをした。

「この流れで私たちも出て行きましょう。フィーちゃんを連れて、ユミルに」

 

 

《☆☆雪解けて芽吹く☆☆》

 

 

 さすがに雪は積もっていないが、一般的な三月の気温というわけでもない。ユミルの郷はまだ肌寒かった。

 シュバルツァー邸の客間の一室で、トヴァル・ランドナーは領主であるテオ・シュバルツァーと対面していた。呼び出されたのである。

「どうか私たちのことを認めて下さい!」

 呼び出されたのは、開口一番でそんなことを言い放つパープルにである。彼女は鳳翼館の女中だ。

 遊撃士協会の本部経由でトヴァルに届けられた召集令状の送り主は、パープル並びユミルの住民の連名になっていた。

 内容が内容だけに慌てて飛んできたのだが、郷に一歩踏み入るなり、ほとんど捕獲されるような形で領主邸まで連行されてしまったのだ。

「郷の皆もそれを望んでいます。反対する者などいません。もしもテオ様にお認め頂けるなら、郷を上げて盛大に祝うと若衆たちも豪語しております」

「ふうむ」

「私は賛成ですよ」

 思案するテオの横から歩み寄ってきたルシアが、トヴァルたちの前にお茶を差し出した。紅茶ではなく東方由来の緑茶のようだ。

「ほらあなた。見て下さい。茶柱も立って縁起がいいでしょう。これは吉報です」

「茶柱、倒れているように見えるが……」

「そうですか?」

 ルシアはちらりと湯飲みに視線を向ける。沈みかけていた茶柱が急浮上し、不自然なくらいにビーンと突き上がった。

「お? やはり立っているな」

「でしょう。ふふふ」

 いやいや奥方、今何か神通力的なものを使いませんでしたか。

 しかし余計なことを口走ると、その異能が自分にも向けられそうなので、トヴァルは目を伏せて口をつぐむ。

「私は反対というわけではないんだ。ただ郷の者たちが浮足立っているようにも思える。トヴァル君がよいかどうかが気がかりでね」

「さすがは閣下。俺は――」

「いいに決まっています!」

 机を叩き割らんばかりのパープルの勢いに押され、言葉が喉の奥へと引っ込んでしまった。テオもテオで「そ、そうか」と納得してしまっている。

「わかった。しかし第三者の意見も聞きたいところだが……。おお、そうだ。おーい、ちょっと来てくれ」

 テオは誰かを呼んだ。すぐに二階から小さな足音が降りてくる。

「お呼びでしょうか、父様。あら、お客様がいらしていたとは知らずに――」

 戸口をくぐったエリゼと目が合う。数秒の沈黙のあと「……トヴァルさん」とだけつぶやいた彼女の瞳から輝きが失われた。

「よ、ようエリゼお嬢さん。久しぶりだな。体の方はもういいのかい?」

「ええ、もう普通の生活に戻れています」

「無事で何よりだ」

「おかげ様で」

 淡泊に応じつつ、エリゼはテオの横に腰かけた。

 《エンド・オブ・ヴァーミリオン》から解放されたあとも、彼女の意識はしばらく戻らなかったそうだ。数日後に唐突に目覚めたものの、そこからさらに三週間寝込むほどに体調が悪化したという。

 煌魔城での顛末は聞いている。一時的とはいえ、《緋》の魔王を制御した反動が出たのだろう。

 実はトヴァルとエリゼがこうして直接顔を合わすのは、あの《パンタグリュエル》での別れ以来だったりする。

「それで父様。ご用向きは?」

「うむ。これを見てくれ。嘆願書というか計画書というか、郷の皆が持ってきたのだ」

 テオから渡された書類の束をさらさらとめくるエリゼ。ページがすすむごとに、その表情が次第に険しくなっていく。

「……“遊撃士協会ユミル支部の設立、及び支部長としてトヴァル・ランドナーの任命を希望する”……なんでしょうか、これは。確か雪合戦で勝利した場合におけるユミルチームの要望ですよね」

「説明させていただきますわ、お嬢様」

 パープルが語り始める。

「このユミルには遊撃士支部が必要なのです」

「なぜ」

「厳しい環境と辺境。日々様々なトラブルが起こりますが、それらをスムーズに解決できる人材が不足しております」

「大きなアクシデントであれば憲兵隊にお願いするのが筋だと思いますが」

「ユミルは地形柄、いつでも憲兵が迅速に駆け付けられるとも限りません。それが冬ならなおさらのこと。常駐できる役割が必要と考えました」

「ではトヴァルさんを指名した理由は?」

「信頼と実績です」

「え、あります?」

 おそろしく辛辣だぜ、お嬢さん。しかも口調からして、本気の疑問じゃないか。

 少し首を持ち上げよう。さすがのお兄さんも上を向いていないと涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。

「な、何を仰るのです。壊れた備品を修理して下さったり、悩みを聞いて下さったり。それに雪合戦で所属チームを優勝に導いたのはトヴァルさんではありませんか。まさしく信頼と実績でしょう」

「雪合戦は……そうですよね。アリサさんとラウラさんと私で激闘の果てに母様を倒し、満身創痍で郷まで戻ってきたところで、最後まで姿を隠していたトヴァルさんから一撃を頂いてしまったんですよね。雪玉が頭に当たった寒々しい感触、まだ覚えています」

 やばいぜ。あまりの居心地の悪さに、体中の関節がギシギシいってやがる。この冷えた威圧感は半端じゃねえぞ。お嬢さんも修羅場を潜り抜けてきたんだろうが、まさかここまでとは。

「あっ……あのっ、勝負に妥協しないトヴァルさんのストイックさが表れた結果かと……」

「目的の為に手段を選ばない卑劣さがストイック?」

「あひゅぅっ」

 パープルの口から変な空気が漏れた。

 お兄さんもそろそろ血を吐きそうだ。

「第一ですよ。遊撃士支部を作ると言っても、トヴァルさん一人で運営ができるわけじゃないですよね。細かな雑事の管理はトヴァルさんじゃ無理です」

 言い切られてしまった。お嬢さんの俺に対するイメージはどうなってるんだろうか。俺、細かい作業は結構得意なんだけど。

「ご安心ください。私が受付諸々を務めます」

「鳳翼館のことは? メイプルさんだけで繁忙期を乗り切るのは難しいでしょう」

「もちろん忙しい時期はそちらのフォローにも入ります。バギンス支配人にも承諾は頂きました」

「パープルさん。もう一度聞きます。トヴァルさんですよ?」

 どういう意味だい、お嬢さん。

「私はトヴァルさんのことを知っています。だからパープルさんのことを心配しているんです。ユミルの未来のことも」

「お言葉ですが、私もトヴァルさんのことを知っています。誰にだって色んな一面があるものではないですか!」

「やはり認められません。トヴァルさんを郷に放つことは、安全ピンの抜けかかった手榴弾を転がしておくようなものです。いつどこでどんな被害を巻き散らすものか」

 お嬢さんの中で俺はどんな怪物と化しているんだ。しかもその物騒な例えはどこから出てきた。手榴弾なんて見たことすらないだろうに。

 強硬な姿勢を崩さないエリゼ。パープルはうなだれ、ハンカチを手にさめざめと泣いている。

 正直、不本意な形ではあるが、成り行きとしては都合が良かった。

 ユミルに遊撃士支部があった方が良いというのは本部も同じ考えだ。地形であったり緊急時の出向だったりは、パープルの説明の通り。特殊な条件下だから、業務縮小が言い渡されている帝国においてもおそらく活動は認められるだろう。事情は若干異なるが、レグラムと同じようなケースだ。

 だが。そもそも俺自身がユミルに常駐するなんてことは、一言も言っていない。四月からは遊撃士に復帰するサラとしばらくタッグを組むことになっているのだ。

 それをこちらから切り出せない話の流れだったので、助かるって言えば助かる。

「まあ……けど」

 と、エリゼは嘆願書から手を離した。

「私が《緋》の魔王に囚われている頃、トヴァルさんがカレイジャスの助けに駆け付けてくれたと聞いています」

「え……」

「《紅き翼》が保有する機甲兵を操縦して、最強の魔煌兵を撃退して下さったとか。その行動がなければヴァリマールの剣は煌魔城には届かず、決め手を欠いたまま最悪の状況を変えることはできなかった。そして私が帰還することもできなかった。つまり私がこうしてここにいられるのは、間接的にはトヴァルさんのおかげということでもあります」

「エリゼお嬢様……!」

 待て待て、なんか流れが変わったぞ。これは、このままだと。

「パープルさん。やはり鳳翼館との二足の草鞋(わらじ)はしんどいでしょう。どっちつかずの中途半端が一番よくないことだと私は思います」

「いいえ、いいえ。ユミルのため、皆のため、身を粉にして尽くします」

「苦難の道のりを歩む覚悟はできていますか? 病めるときも健やかなるときも、困っている人はやってくるのです。その人たちと向き合う覚悟はありますか?」

「はい! トヴァルさんと二人三脚で末永くがんばっていく所存です! 誓います。色々と誓います!」

「トヴァルさんのことですから、やっぱり何かこう……不埒な行為を迫ってくるかもしれませんよ」

「望むところです!」

 いや、なんで望むんだよ。そんな人じゃありませんって否定してくれよ。

 くそ、この展開はまずい。なんとかしなくては。

「トヴァルさん」

「な、なんだい、お嬢さん」

 手のひらの汗をテーブルの下でぬぐう。

「私、トヴァルさんのことを少し誤解していたのかもしれません。パープルさんの言う通り、あなたの一面だけを見て。いくつかの非礼は世間知らずの小娘の至らなさとして、どうかご容赦頂ければ」

「そ、そんなこと気にすんなよ。俺も気にしてないぜ」

「まったく気にしないのもどうかと思いますが」

 鋭い切っ先が胸に刺さる心地だ。

「父様も母様も宜しいでしょうか?」

「ええ、私は最初から異存なんてないですよ」

「いい機会だ。承認はエリゼがやりなさい。その方がトヴァル君も嬉しいだろう」

 エリゼが両親を見やると、二人はそろってうなずいた。

「……ではユミル領主が長女。エリゼ・シュバルツァーの名において、遊撃士協会ユミル支部の設立を認可します。手続き等々はこれからでしょうが、パープルさんもトヴァルさんも、どうかよろしくお願いしますね」

「はい! エリゼお嬢様! 生涯感謝いたしますわ!」

「そんな……大げさですよ」

「ああ、そうです。郷のみんなにも報告してこないと! これから忙しくなりますね、トヴァルさん! ……トヴァルさん?」

 やばい。どうする。どんな成り行きだよ。お兄さん最大のピンチだ。

 何か断る理由を探せ。パープルさんやユミルの人々を失望させることなく、エリゼお嬢さんの好感度を下げることもなく、それは仕方ない事情だなと思ってもらえる理由を。

「は、ははは。ユミルのためにがんばるぜ。なんてったって俺は、頼りになるお兄さんだからな……」

 そんな都合のいい事情が、あるはずもなかった。

 遊撃士協会ユミル支部、設立決定。

 

 ●

 

 郷の中央では、そういうオブジェであるかのように灰の騎神が屹立している。ヴァリマールは両腕を高く掲げて、その手のひらに二人の子供を乗せていた。

 キキとアルフだ。怖がった様子もなく、ここまで楽しそうな笑い声が届いてくる。あの子たちからヴァリマールに頼んだのだろう。なんともほのぼのした光景だ。

 対して異様な光景と言えるのは、ヴァリマールのさらに向こう側にあった。シュバルツァー邸の門のあたりに人垣ができている。郷の全員が勢ぞろいしたのではないかというほどの頭数だ。

 家の玄関が勢いよく開く。パープルが中から飛び出してきた。彼女は胸前でばっと巻物状の紙を拡げる。その手持幡には『勝訴』と、でかでかと書かれていた。

 人だかりの山から、大歓声が上がった。

「……あれはなんなんだ?」

 至極まっとうな疑問がリィンの口から出た。自分の家でいったい何が起こっているのか。

 トヴァルが訪ねてくるという予定は聞いている。まさかついに訴えられてしまったのだろうか。余罪は確かに多そうではあるが。

「ラックなら知っているか?」

 モノレール駅のすぐそばの屋外休憩所。簡素な木製テーブルを挟んで対面するラックに訊いてみる。

「えーそうだな。うんうん、なるほど」

「ラック?」

「ははは。え? 何か言ったか?」

「いや……もういい」

 完全にラックは浮かれている。原因はリィンのとなりにちょこんと座るフィーが――もといフィーネさんがいるからだった。

 この場にはエマも同席している。ユミルに到着する前にエマがしつらえた今日のフィーネさんは、清楚なお嬢様系だった。スカイブルーのワンピースの肩口にはワンポイントのフリルがあしらわれ、腰にはボディラインを浮きだたせる赤いリボンベルト。くせっ毛を解きに解いたショートストレートの髪は、花飾りのついたカチューシャでシンプルにまとめ上げている。

 フィーのポテンシャルの高さにはリィンも驚いていた。これを《西風》の二人が見たら発狂するかもしれない。

 そのフィーネさんを、エマとリィンで挟んだ配置である。いわゆる娘の父母懇談スタイルだ。

「フィーネさん、元気にしてた? しばらくお屋敷から出て来なかったから心配したんだよ」

「風邪を引いていたのでございます」

「そ、そんな。僕に風邪をうつさないために家から出なかったなんて……天使っ! エンジェルッ! エンジェッ!」

「そんなこと言ってないでございますけど――あぅ」

 エマがフィーの脇をちょんちょんと突く。そしてフィー越しにリィンにささやいた。

「リィンさん。そろそろ言わないと……」

「あ、ああ」

 今日はそのためにユミルまで来たのだ。

「聞いてくれ、ラック。大切な話があるんだ」

「わかってるよ。ディナーの予約はちゃんと取ってあるから」

「そうじゃなくて……そうじゃなくてだな。じ、実はフィーネさんは……!」

「ん?」

 なんて嬉しそうな顔なんだ。とっても胸が痛い。そのままを伝えるのは、俺にはハードルが高すぎる。

「その、ユミルを離れて故郷に帰ることに――」

 言いかけて、エマの視線に気づく。念話術は使えなくても、彼女の言わんとすることがわかった。

 ごまかしてはいけない。真実を語るべきだ。

 喉を詰まらせたのは一瞬、リィンは深呼吸をしてからラックに居直った。

「フィーネさんは……フィーなんだ」

 しん、と空気が止まる。依然として続く大歓声さえ届かないくらい、空間が隔絶されたかのようだった。

 ラックの目がきょとんと丸くなる。

「どゆこと?」

「Ⅶ組の女性陣がプロジェクトを立ち上げて、乙女から程遠いフィーを淑女に仕立てた。その結果生まれたのが、本人の望まぬ変貌を遂げたこのフィーネさんなんだ。金メッキを塗っただけの虚構の存在と言えるだろう」

「どゆこと?」

 これはフィーの発言だ。「リィンさん?」とエマの責めるような視線が向けられる。フィーちゃんを貶めたら許しませんよ的なマザーの警告だ。

 わかってる。ラックが抱くフィーネさんへの幻想を、少しでも緩和するのが狙いだ。

 しかし効果はあまりないようで、ラックは不思議そうに小首をかしげている。

「つまりだ。フィーネさんなる人物は、この世のどこにもいない。すまない。本当はもっと早く伝えるべきだったのに……」

「え。だってフィーネさんは目の前にいるじゃないか。変なリィンだな」

「違うんだよ! フィーネさんは偽物で、空想の産物で、現世に顕現する前の幽鬼系モンスターに近い存在で」

「どゆこと?」

「リィンさん?」

「くっ、言葉選びが難しい……!」

 ラックは全然信じようとしない。いや、焦点が左右で定まっていない。あまりの衝撃に思考が停止しているのか。

 ここまで話がこじれるのは、ラックはフィーネさんが好きだが、同時にフィーを天敵として認識している。その二つが水と油のように反発しあって、どうしても脳裏で同一のものとして結合できないのだ。

「現実を見るんだ! フィー、悪い!」

「わぷっ?」

 フィーの髪をわしゃわしゃっといじり、いつもの外ハネくせっ毛に変えてやる。

「どうだ!?」

「うあ、ああ……っ」

 たったそれだけのことで、彼の認識は正常に戻ったらしい。ぶれていた瞳がすんと定まり、しかしすぐ動揺に震え始める。

「ラック! 気をしっかり持つんだ! 大丈夫、大丈夫だから!」

「フィーネさんはいない……? フィーちゃんが本体ってこと……?」

「本体っていうか、実体っていうか」 

「ははは、ハハハハッ!」

「唐突に笑うな! 不安になる!」

 すくっとラックは立ち上がった。

「そんなことなら早く教えてくれたらよかったのに。そりゃいきなりで驚いたけどさ。よくよく考えたら顔立ちは似てるもんな」

「フィーネさんがフィーと知れば、ショックを受けると思ったんだ」

「どゆこと?」

 経緯がわかっていないフィー。成り行きに任せてとりあえず横にいてくれ、とだけ言って彼女は連れてきたのだ。

「おいおい、リィン。お互い子供じゃないんだ。それくらいでショックを受けるか」

 言いながら、ラックはモノレール係留用のロープをほどき始めた。

「俺の考え過ぎだったか。胸のつかえが取れた気分だな」

「まったく。昔からお前はさ……だからエリゼちゃんも――っと、この話をすると長くなるからやめとくよ」

「はは、勘弁してくれ」

 テキパキと慣れた手つきでロープをモノレールの後部パーツにくくり付けている。

「で、それは何をやってるんだ」

「ああ、ちょうどいい。そっちの端末の赤いボタンを押してくれるか」

「かまわないが、押すとどうなるんだ?」

 ラックはロープの端に輪を作り、そこに自分の頭を入れた。

「モノレールが動くだけだけど」

「そのままだとラックの首が絞まるんじゃ……」

「ふもとに着くころには楽になってるさ」

「早まるな! なんでそんないい笑顔でいられるんだよ!」

「会いに行くからね、フィーネさん……」

「やめろ! そっちに彼女はいない! フィーネさんを人殺しにさせたいのか!? ラァーック!!」

 リィンの絶叫がユミル中に響く。崖際の説得は尚も続いた。

 その後ろで、

「ねえ、私が何か悪いことしたの?」

「フィーちゃんは何も悪くないですよ。ひとまずリィンさんはあとでお説教ですね」

 丸眼鏡がギラッと光った。

 

 ●

 

「そういえば、エリゼちゃんには会いましたか?」

 ユミルからの帰路の途中、そんなことをエマが訊いてきた。

「ああ、ラックとの話の前に会ってきたよ。俺もエリゼを心配してたけど、その百倍くらい心配されてたな」

 最後の戦いのあと、エリゼは三週間寝込み、リィンはヴァリマールの中で一か月もの期間を回復に要した。

 クロスベルに発つ前にユミルを訪れ、その際にエリゼと出会ってはいるが、お互いゆっくりと話のできる状態でもなかった。

 今日に会うのが二回目だ。撃たれた胸のこと。クロスベル滞在中のこと。たくさんのことを聞かれた。

 話している内に感じたことだが、少しエリゼの雰囲気が変わった気がする。落ち着いたというか、俺の話もよく聞いてくれるようになったというか、ちょっとだけ大人びたような印象を受けるのだ。

 エリゼも色々な経験をしたのだろう。兄としては嬉しくもあり、どこか寂しくもあるといったところか。

 その話の流れで聞いたのが、遊撃士協会ユミル支部の件だった。あの『勝訴』はそういう意味だったらしい。しかし本当にトヴァルはそれでいいのだろうか。

「ラックさんの方は?」

「そっちもまあ……大丈夫。首をくくるような真似はしないってさ。やるにしても周りに迷惑はかけないって言ってたし……」

「やる選択肢が残ったままじゃないですか……」

「今はそっとしておこうと思う。時間が解決してくれればいいんだが」

「……そうですね」

「んん……」

 リィンの膝元で身じろぎしたのはフィーだ。彼女はすっかり眠っている。いわく、フィーネさんモードは精神を極限まですり減らすのだとか。

「狭くて悪いな。委員長ももう少し我慢してくれ」

「私は問題ありませんので」

 そう言うエマもリィンに密着している状態だ。ここはヴァリマールの(ケルン)の中。ユミルとトリスタの往復は、ヴァリマールに空を飛んでもらっている。

 二人でもギリギリなのに、三人ともなれば空きスペースはないに等しい。 

 そう、仕方がないのだ。少し動いただけでも色々触れてしまうのは、こればかりは不可抗力といって差し支えないだろう。

「アリサさんとラウラさんには黙っていてあげます」

「な、なにをっ?」

「声が上ずってますよ」

「うっ」

「ところで。そのお二人への告白の返答、まだなんでしょう?」

「……ああ」

 エマだけは俺たちの事情を知っている。もしかしたら他のみんなも薄々感づいているのかもしれないが。

「あの時は夢幻回廊が出現したり、続けざまにカレル離宮奪還作戦が始まったり、リィンさんが撃たれたり、煌魔城決戦だったりとそんな余裕はなかったでしょうけど、こればかりは時間で解決できるものでもありませんから」

「わかってるさ」

 どこかで答えは出さないといけない。想いには真摯に返さないといけない。わかってはいるが、その話をするにあたって、どんな場を用意すればいいものか。事の次第によって、俺は切腹もあり得る。

「相談は遠慮なくしてくださいね。と言っても、私がリィンさんのそばにいられるのはあと二週間もないですが」

「だな。色々と話を聞いてくれると助かる」

「一人で抱え込みませんか?」

「もちろんだ」

 俺を除くⅦ組は、それぞれの事情で三か月から半年の休学をすることになっている。

 エマの場合は、失った魔女の力を取り戻すために、一度故郷に戻るという理由だ。

 もっともこの二か月で何度か故郷――エリンの郷というらしい――を訪れようとしたらしいが、そもそも霊力がないと入れないそうだ。

 セリーヌの力も借りてどうにかエリンの郷に進入し、その郷長である彼女の祖母に会うのが彼女の目的だという。

 すーすーと寝息を立てるフィーに視線を落とす。

 彼女がトールズを離れる理由は、ルトガー・クラウゼルの情報を得るためだ。ゼノとレオニダスが言った『団長を取り戻すために動いている』という言葉の真意は、やはりフィーにとって後回しにできない事情なのだろう。

「………」

 さびしくなるな。

 そう出かかった声を、かろうじて喉に押し留める。 

 朝には帰りたかったから、ユミルは夜中に出発した。次第に東の空が白んでくる。まもなく日の出だ。トリスタも近い。地面が湿っているから、こっちでは雨が降ったのかもしれない。

 なんだかんだでエマと夜通し話していたから、お互い一睡もしていない。寮に帰ったら一眠りしようか。今学期のカリキュラムはもう終わり、二年生の卒業式まで自由行動日になるのは幸いだった。

「あら? あれってなんでしょう?」

 モニターに映り込んだ何かに、エマが反応した。

「トリスタ街道に黒い筋みたいなものが見えるな。ヴァリマール、拡大できるか? 明度調整も頼む」

『了解シタ』

 映像がズームされる。黒い筋は、どうやら人の列のようだった。

「こんな夜明け前に人が? しかも相当長い列だぞ。どこまで続いてるんだ?」

「この方向だと間違いなくトリスタですね。というかちょっと待ってください。この人たち、軍服着てますよ!?」

「な、何がどうなってる」

 ヴァリマールの速度を上げ、数キロに及ぶ行軍の上空を飛ぶ。並ならぬ事態だ。どこかで戦闘があるのか。しかしそんな情報は……。

 朝日が地平を照らし始めた。さらに映像を詳細に拡大。軍服の隊章を確認する。

 甲冑をまとう軍馬の横顔に重なるようにして、白文字で施された『3』の刻印。

「この人たちは第三機甲師団だ……!」 

 列の先頭に、見慣れた顔があった。馬にまたがって進むのは、ゼクス・ヴァンダール中将だった。

 トリスタの東門の前で止まったゼクスは、機甲師団の旗をざすっと地面に突き立てた。その物々しい空気たるや、まさしく戦闘直前のそれだ。

 リィンは緊張の面持ちで、ヴァリマールの集音機能を最大にした。これで地上の声も拾える。

『諸君……ついにこの日が来た』

 後ろに振り返ったゼクスが、高々と片手を天にかざした。兵たちは一斉に踵をそろえ、背すじを伸ばす。

 固唾を飲んで、リィンも彼の言葉に備えた。

『今日は《猛将列伝・下巻》の発売日である!! 全軍、ケインズ書房に突撃せよーっ!!』

「いや、ゼンダー門の警備はあ!?」

 リィンとエマは叫ばずにはいられなかった。

 

 

 ――つづく――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――another scene――

 

 キィイィと甲高い音を上げながら、技術棟の扉が開かれていく。

 耳障りな音だ。

 長年の経年劣化によるものには違いないが、油を差すなり、蝶番を変えるなり、いくらでも対応の仕方はあるだろうに。わけてもこの棟には、そういった作業に秀でた人材が活動しているのだから。

 とはいえ、人の感覚は麻痺するもの。最初は煩わしく感じていても、慣れていくうちに気にならなくなってしまい、その先が放置へと繋がっていく。

 それは人や物に限った話ではなく、環境においても同じことが言える。特に顕著な一つが政財界だ。生臭い停滞が蔓延る沼床は、希望に満ちた新人政治家の意欲を腐らせ、いつしか先達が生み出す泥と同じ汚れを被らせていく。

 ――というのはあまりに穿った物の見方か。良い未来を信じ、確固たる信念の下に突き進む若者も多いのだ。自分もその一人を目指すのだから、あまりネガティブな考えは持たない方がいい。

 扉の開閉一つから飛んだ思考を戻しつつ、マキアスは技術棟に足を踏み入れた。

 工具だとか資材だとか、工房特有の独特の空気と、それらが醸し出す特有の臭いの奥に、目当ての人物はいた。

 トレードマークの黄色いツナギ服が、こちらに背中を向けている。

 時刻は夕方だ。窓から差し込む日差しは潜まり、部屋の中は薄暗い。

「明かりをつけたらどうですか? ジョルジュ先輩」

 彼は背を向けたまま、肩を揺らした。笑ったらしい。

「つい製作に没頭してしまっていてね。集中すると周りが見えなくなるのは僕の悪い癖だ」

「何を作っていたんです」

「卒業作品……にするつもりなんだけど、今一つ案がまとまらなくてね。ただの手遊びさ」

 作業台の上には、なるほど、取り留めもなくパーツを組み合わせただけの用途不明の代物がある。

「ところで、マキアス君は僕に何か用だったのかな? 君が技術棟に来るのは珍しい――」

「僕はあなたの隠し事を知っている」

 ぴくりとジョルジュが反応する。

「隠し事? 心当たりがないな。いったい何だろう」

「卒業作品……ね。いいと思いますよ。二年間の集大成を残していくというのは。なんでも先輩は卒業後に各国の主要な技術工房を巡られるとか」

「……話が見えないね。察しの悪い僕に、ぜひとも教えてくれないか? その隠し事というのを」

 つかつかと壁伝いに歩くマキアスは、一つの棚の前で足を止めた。素人目には何に使うかわからない部品が、いくつも束になって置かれている。その棚の一番下に、外から見えないようシートをかけられているスペースがあった。

 断りもなく、マキアスは一息にシートをはぎ取った。露わになるその中身。予想通りのものがそこにあった。

「気付いちゃったんだね?」

 ゆっくりとした動作でジョルジュが振り返る。部屋の影が濃くなった気がした。

「偶然ですよ。先輩がカレイジャスからこれを運び入れるところを見たのは」

「はは、失敗しちゃったなあ。技術者の血が騒いだんだろうね。誰にも見つからないように、こっそりとしたつもりだったんだけど。それで、内緒にしてくれるのかい?」

「それは先輩次第と言っておきましょうか」

「取引きということかな。聞こうじゃないか」

「一方的な要求を突きつける気はありません」

 強い風が窓をガタガタと揺らした。暗雲が立ち込め、空がゴロゴロと唸る。

 マキアスはそれを無造作につかみ上げると、作業台の上に転がした。

「このゼムリアストーンで作って頂きたい。未来永劫、決して割れることのない究極のメガネを」

 カッと雷光が閃き、広がったジョルジュの影が、壁に一瞬の像を刻みつける。遅れて轟いた雷鳴が腹の底を震わせ、振りだした雨がばたばたと技術棟の屋根を叩いた。

「僕は僕の望みを叶え、同時に先輩は卒業作品を残すことができる。どうです。悪くない話でしょう?」

「……いいだろう。僕の持てる技術の全てを注ぎ込んで製作してみせよう。この世に二つと存在しない、君のためのゼムリアメガネをね」

 淡い光を滲ませる最硬度の鉱石を手にし、ジョルジュは口元に小さな笑みを浮かべた。

 

 

 ● ● ●

 






一歩話運びを間違えていれば、マキアスは第二のアンちゃんになっていたのかもしれません(ただし助からない)

次回『猛将列伝のすすめ ファイナル』

引き続きお付き合い頂ければ幸いです。

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