虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第124話 そして

 一刀と共に切り抜ける。刹那、遅れて荒ぶ一陣の風。

 血振るいの所作で刃を払うヴァリマールの背で、正中線から左右に分かたれた《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が断末魔を上げた。

 顕現していた武器の数々は瞬く間に消えていき、それと同時にひと際大きく周囲の空間がゆがみ始める。

『緋の魔王の支配下にあったフィールドが解かれていくわ。次元の狭間に取り残されないようにしてあげるから、あなた達もこちらに来なさい』

 ヴィータが魔杖を掲げると、その足元に青い光の波紋が拡がった。Ⅶ組の面々にトワたち、アルティナが彼女のそばへと駆け寄る。

『よくやったな、リィン』

 ヴァリマールの肩をオルディーネがつかむ。クロウの声が聞こえた。

「……ああ、俺たちもクロチルダさんの近くに行った方がいいのか?」

『騎神の中にいりゃ大丈夫だ。……大規模の転移が始まるぞ』

 緋色の空がねじれ、渦を巻き、その中心に収縮されていく。暗転は一瞬、爆発的に膨張した光が帝都の上空に押し広がる。雷鳴にも似た轟音が鼓膜を震わし、束の間に視覚と聴覚を麻痺させられた。

 これで終わる。

 そう思った瞬間、ぴりりと肌を刺す感覚が走った。これは殺気だ。現実の景色が見えなくなった白い視界の中で、両断した《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の片割れが、首から上をこちらに振り向けている。

 

 “マダ終ワラセナイ”

 

 邪悪な意志が不吉を訴え、しかし何を仕掛けるでもなく、そのまま緋の魔王は溶け崩れるように消滅した。

「お前が復活することは……もう二度とないんだ」

 自分の発したその声で、意識が正面に戻る。ヴァリマールの核の中。モニターに映るのは、煌魔城の最上層。天上のフィールドから戻ってきたのだ。

 鬼の力はすでに解いている。完全に自分の意志で制御できていた。

 ヴァリマールの周りに仲間たちが集まっている。何も言わず、ただ待ってくれている。

『降リルノカ?』

「降りるよ」

 ヴァリマールにそう告げ、リィンは(ケルン)の外に出た。

 カレル離宮で撃たれてから、こうして顔を合わせるのは初めてになる。

「あ、その……みんな心配をかけて――」

『リィン!』

 言い終わらない内にアリサとラウラに抱きつかれた。勢いに負けて尻もちをつく。続いて他のみんなにも、もみくちゃにされた。

 心配されて、怒られて、泣かれて、喜ばれて。感情が追いつかなくて、どんな顔をしていいのかわからなかった。

「そ、それで体は? 胸は……? 散々手荒にしちゃったあとで確認するのもなんだけど……」

 少し落ち着いた頃合いで、アリサが聞いてくる。

「……ああ、あまり大丈夫じゃない……かな」

 もう隠すような真似はしなかった。

 呼吸はつらいし、痛みも強い。ヴァリマールから降りた時点で、騎神からの霊力供給が及ばなくなるから、苦痛はひどくなっている。

 案じた仲間たちが一歩を引き、その割れた人垣の隙間から倒れている人影を見つけた。

 セドリック皇太子だ。消耗はしているらしいが、遠目にも目立つ外傷はない。安堵する傍ら、リィンは少し離れた場所に、もう一つの伏す人影に気づく。

「カイエン公……?」

 装飾過多の羽織は焼け焦げて見る影もないが、見間違えようもない。ところどころ火傷はしていて、意識もない。しかし息はあるようだった。覚醒した《テスタ=ロッサ》の放つ火柱に飲み込まれた彼が、どうして。

「助けたんじゃねえか、こいつがさ」

 オルディーネから降りたばかりのクロウが首をすくめた。そのオルディーネは、手のひらで守っていたエリゼを慎重に床に寝かせる。

「火柱が上がった瞬間、カイエンと炎の間に空気の断層を入れたんだろ。暗黒竜に侵食されかけた自我の中で、無意識に《テスタ=ロッサ》に歯止めをかけた。憶測だけどな」

「……そうか」

 なぜカイエンなんかを、と疑問には思わなかった。それが誰であれ――たとえ怒りを向けるべき相手でも――自身がきっかけで人を殺めることをエリゼが良しとするはずがない。その想いが根底にあったからこそ、クロウも守れたのだろう。

「さて、事態をどう収拾させるかね」

 クロウは嘆息した。

 ヴィータの見解では、煌魔城はまもなく元のバルフレイム宮へと姿を戻すという。

 だが帝都の混乱は続いている。ヘイムダル近郊での正規軍と貴族連合の戦いも継続中だ。

 表裏でいうところの裏の危機は《紅き翼》によって払うことができた。しかし当面の表の危機――両軍激突は依然として激化の一途をたどっている。そこに介入する方法はないし、また余力も残されてはいない。

「その先は、我々が引き継ごう」

 低い声音が響き渡る。

 現れたその人物に視線をやり、全員が困惑した。

 不敵な笑みを湛えたギリアス・オズボーンが、かつかつと軍靴を鳴らしながら乱れのない歩調で近づいてくる。

 しかも絶命したはずの彼の後ろに続くのは、よりにもよってルーファス・アルバレアだった。

 誰よりも驚愕し、目を見開いていたクロウは、しかしすぐに冷徹な面持ちとなった。

「リィン。お前……なんか知ってるな? 反応が俺たちと違う。把握していることを話せ」

「………」

「リィン」

「……わかった」

 クロウにとっては捨て置けない事態だ。いや、誰にとってもか。

「ここに来る途中で、俺は彼らに会っている。ギリアス・オズボーンが生きている理由は知らない。ただ……ルーファス卿と宰相は繋がっていた。ルーファス卿は《鉄血の子供達(アイアンブリード)》の筆頭を務めているそうだ」

 皆が、中でもユーシスの息を呑む気配が否応なく伝わってきた。ルーファスはユーシスと目を合わせ、すぐに逸らす。ユーシスも何かを言いかけ、結局は口をつぐんで沈黙した。

「あー、そうなんだ。そういう人がいることは知ってたけど、ユーシスのお兄さんっていうのは予想外だったなー」

 同じく《鉄血の子供達》の一人であるミリアムが言う。

 それだけで察したらしく、クロウは諦念とも怒りともつかない声を仇敵に向けた。

「なるほどな。出来レースだったわけか」

「陳腐な言葉だが、そうなる」

「ここで姿をさらしたんだから、筋書きと目的くらいは教えてくれるんだろ」

「まずはそれだ」

 オズボーンは倒れたままのカイエンを一瞥した。

「度重なる皇族への不敬。そして魔城の顕現に端を発する、帝都市民へ不安を与えた張本人を見過ごすことはできん。もっとも、見過ごせなかったのは彼だがね」

 カイエンから移った視線が、ルーファスに止まる。

「貴族連合の重役にいながら、カイエン公の強硬なやり方に疑問を覚え、かろうじて一命を取り留めた私と水面下で接触。事態の早期収拾を図るために、革新派と保守派の垣根を越えて手を取り合った。というシナリオが一般に発信するところだ。無論、細かな辻褄合わせはするが」

「いけ好かねえ。反吐が出る」

「今さらのことではないのかな」

「そこまで回りくどいことをした目的は」

「回収したまえ、黒兎」

 その指示にアルティナが動いた。クラウ=ソラスが荒っぽくカイエンをつまみ上げる。幸か不幸か、彼はまだ気絶したままだった。

 その様を目の当たりにして、ヴィータが得心いったようにうなずく。

「……彼女がどのルートでルーファス興に貸与されたのかは気になっていた。あなただったのね。ということは、信じがたいけど……」

「そう。《黒の工房》はすでに私の傘下だ」

 一つ一つの言葉の意味を、リィンは理解できていなかった。ただ結社側にも不測の事態であることはわかった。

 自分たちのあずかり知らぬ深淵で進行している何か。それもとてつもなく巨大な何か。

 その帰結たる言葉をオズボーンは口にした。

「幻炎計画」

 今度こそヴィータの顔色が変わった。

「《身喰らう蛇》の中核を成すその計画。このギリアス・オズボーンが頂こう。それが此度の――否、当初からの目的だ」

「許されると思って?」

「強奪に許可はいるまい。不服なら、ここで私を止めてみるかね?」

 オズボーンの背に霧のような黒い瘴気が立ち昇った。揺らぐ黒霧は形を成し、歪な人型を浮き立たせる。

 なんだ。あの影は。胸が。痣が。心臓が。わしづかまれるように萎縮する。冷や汗が止まらない。

「生憎とそんな力は残っていないわ。私こそ聞きたい。私たちをどうするつもりなのか」

「どうもしない。少なくとも今この場では。おとなしく巣に戻って、事の顛末を他の蛇共に伝えるがいい」

 一触即発の空気だった。

 力が残っていないと言いながらもヴィータは魔杖を握りしめ、クロウは後ろ手に構えた銃の引き金に指をかけている。

「双方、やめてくれ。特にあなた達だ」

 リィンが間に割って入った。

 失血のせいで強い目まいがしていたが、それでもどうにか立ち続ける。

 大団円とまではいかなくとも、それぞれの道の先に光が見えかけていたんだ。水を差してくれるな。台無しにしてくれるな。

 色々と画策していたのは知ってる。一から十まで踊らされたつもりはないが、思惑通りの展開になっているならそれで良しとしろ。

 その明確な怒気をもって、リィンはオズボーンとルーファスを見据えた。

「それと、クロウ。把握していることを話せということだから言う。……ギリアス・オズボーンは俺の実の父親らしい」

 皆にとって、それが最大の衝撃だったようだ。一様に絶句して、硬直した視線だけがリィンに注がれていた。

「……こんなタイミングで冗談なんか言うわけないよな」

「全部を思い出したわけじゃないが……間違いない」

 自分を見返す彼の目は、先に対面した時の父としての瞳ではなかった。湿度も温度も感じさせない情の読めない目だ。どうしてか、寂しくなる。

「ふむ。いささか無粋なタイミングであったことは認めよう。諸君らの関係を鑑みれば、積もる話もあるだろうしな。事は迅速に収めてこそ。用も済んだので、我々は失礼させてもらおう」

 リィンの発言に言及はせず、オズボーンはルーファスに目配せをする。瞑目を返事にして、彼は一足先に去っていった。最後までユーシスに言葉はかけなかった。その後ろに、カイエンを抱えたクラウ=ソラスとアルティナが続く。

「ではいずれ改めて」

「待て」

 踵を返しかけたオズボーンを、クロウが止めた。

「お前が生き延びた理屈はどうだっていい。だが必ず銃弾は届かせる。必ずだ。俺の復讐は終わっていない。たとえお前が、本当にリィンの父親であっても」

「いいだろう。亡国の遺児よ。その悲願、やり遂げて見せるがいい」

 オズボーンは最後にリィンを見やった。

「お前には帝都を救った英雄として、私の為に働いてもらおう。その時まで命が長らえていればの話ではあるが」

 そう言い遺すと、彼の足音は闇の奥へと消えていった。それだけの会話の中で、やはり親子の情を感じることはできなかった。

 その時、地鳴りがした。周囲の景色がぶれ始める。

「クロウ。オルディーネの近くまで戻りなさい。離脱するわ」

 ヴィータが言った。

「煌魔城がバルフレイム宮に戻ろうとしてる。面倒なことになる前に退散するわよ」

「……元の皇城になれば、駆け付けてくる近衛兵もいるか。さすがに俺がこのまま登場ってわけにはいかねえよな」

「オルディーネに残った霊力を利用して転移する。陣の固定に少しだけ時間がかかるから、やることあるなら済ませておきなさい」

「おう」

 クロウが向き直った先にはトワたちがいた。彼の同輩三人はクロウに歩み寄って、

「この馬鹿者め」

「ぐお!?」

 まずアンゼリカが脳天を殴った。欠片ほどの遠慮もない。

「悪いが僕のも受けてくれ」

「ぬがっ!?」

 次にジョルジュが拳を振り下ろす。ハンマーのようだった。

「お仕置きだよ! あ、あれっ……」

 締めのトワは、つま先立ちになっても届かなかった。

 アンゼリカが鼻を鳴らす。

「クロウ。頭が高いぞ。膝をついてそこに直れ。トワが君を殴ると言っているんだ」

「へいへい。ほらよ」

「むー。私だけぞんざいな感じ……」

 かしずくクロウの頭に、ふくれっ面のトワのグーがぽかりと落とされる。

 口元だけでかすかに笑い合う四人。

 きっとあれが、彼らなりのけじめのつけ方なのだろう。

「復讐は終わらないって、まだそんなことを言うの?」

 トワは案じるように、クロウの顔を上目で見た。

「まあ、な。どういう形になるかはわからんが、過去の清算はつけさせる」

「命を奪うの?」

「さあ。野郎が這いつくばって「ごめんなさい」って言うんなら許してやらんでもねえけどよ」

「なにそれ……」

 呆れるトワたちだが、リィンにはそれがクロウの本音のように思えた。区切りの付け方の意味が、彼の中で変わっている気がした。

 ……行ってしまう前に伝えなくては。

 とうに限界を超えている体を引きずって、リィンはクロウに歩み寄った。

「リィン、悪いな。俺はまだ、こうとしか生きられねえ。だから――」

「ヴァリマール。出してくれ」

 もはやクロウに応じる体力もなく、朦朧とする意識の中でそう言う。

 ヴァリマールの核から、光に包まれた何かがリィンの手まで誘われた。それを半ば倒れ込むようにして、クロウの胸に押し付ける。

「お、おい。これ……!?」

「三月二十三日。その日が二年生の卒業式だ。それを着て、式に参加しろ」

 渡したのは、Ⅶ組の証である赤い学院服だった。

 トリスタに帰還した日。リィンはクロウの部屋で、クローゼットにしまわれたままのそれを見つけた。以降ずっと、その学院服をヴァリマールの核に持ち込んでいたのだ。

 いつかどこかで、渡せる時が来ると信じていたから。

「クロウを……先輩たちと同じ日に、卒業させる……絶対に」

「お前……行けるわけねえだろ」

「言ったからな。約束だ……」

「クロウ! そろそろよ!」

 ヴィータの周囲に光が満ちていく。

「ちっ! トワ、リィンを頼む」

「あっ、ちょっと!」

 今にもくずおれてしまいそうなリィンを彼女に託し、クロウは転移陣の中へと下がる。

 転移の直前に、ヴィータはエマに言った。

「エリンの里に行きなさい。婆様ならあなたの失せた力を取り戻す方法を知っているかもしれない」

「姉さん。でもそれは……」

「思いつくことはなんでも試すこと。いいわね?」

「わかったわ。ありがとう」

「それとリィン君はすぐに灰の騎神の中に戻って」

 リィンの目の前が暗くなっていく。ヴィータの声は聞こえていたが、思考はほとんどできなかった。

「鬼の力を使ったのね。その特能の一種なのか、リィン君には体力が、ヴァリマールには霊力が、わずかながら戻ってる。まだ助かる可能性がある。私の見立てでは一割くらいの確率だけど。ただ――」

 ヴィータはユーシスに視線を転じた。彼は消耗していた。異常なほどに。

「そっちの彼はおそらくもう無理だと思う。理の外の障害を受けている。マクバーンの黒炎ね? 魔女の治癒術でも効果は期待できない」

「理の外……? 姉さんでもなんとかならないの?」

「なんなら婆様に伺いを立ててみてもいいんじゃない? 多分、私と同じことを言うわ」

「そんな……」

 輝きが濃くなり、クロウとヴィータの姿が光の中に消えていく。

「あなた達はよく戦い抜いた。一つの未来を勝ち取った。それは誇りに思うといい。分岐した未来がどこに向かうのかはわからないけど……とにかく今は休むことよ。ああ、それから――」

 ヴィータは思い出したように付け加える。

「クロウを救ってくれてありがとう」

 でもそれは、最初から言うつもりの台詞だったように聞こえた。

 オルディーネを起点とした転移が発動すると同時、位相空間のねじれは収まり、煌魔城は完全にバルフレイム宮へと戻っていた。

 ヴァリマールはリィンを自身の手のひらに乗せ、胸へと近づける。

 綺麗な光。水の中のような浮遊感。ただ眠い。

 そこからのことは、リィンにはもうわからなかった。

 

 

 

 

 そして、時は流れ――

 

 

 

 

 七耀暦1205年、3月初旬。

 帝国領クロスベル州。その東端に位置するタングラム丘陵に、止むともない戦闘の音が響き渡っていた。大地を削るキャタピラ。大気を破裂させる砲撃。視界を濁す黒煙と炎。金属の焼けつく刺激臭。

 高低差の激しい岩の地形を物ともせず、カルバード共和国軍の戦車部隊が侵攻する。

 迎え撃つはエレボニア帝国軍、第九機甲師団《シュナイゼル》戦車大隊。

 膠着も交渉も発生する余地はなく、互いを殲滅する砲弾の嵐が吹き荒れる。

 烈火のごとき攻撃の応酬の果てに、戦車戦術ではエレボニアに軍配が上がった。巧みに隊列を組み替えながら、カルバードの戦車隊を各個撃破していく。

 さらに援軍。

 鋼鉄の兵士が戦場に現れる。機甲兵《ドラッケン》だ。戦車にはできない機動でフィールドを踏み荒らし、多角度からの射撃で敵陣営を蹂躙した。後退するカルバード軍を追い詰めていく。

 地上に影が流れた。直後に帝国軍の戦車が爆発する。機甲兵もだ。太陽を遮って空を駆けるのは、五機の戦闘揚陸艇。カルバードの空挺機甲部隊《カノープス》だった。

 縦横無尽に上空を飛ぶ飛空艇に、地上の戦車砲は届かない。砲塔の可動域の問題で、真上に位置取られたらそれで終わりだった。

 形勢を逆転される。このまま西方面へと押し込まれた先にあるのは、クロスベル市だ。

 その時、空中に閃光が走った。

 一機の飛空艇の片翼が真っ二つに裂かれ、ばらばらと墜落していく。

『は、灰色の騎士だ!』

 敵の誰かが外部音声で叫んだ。

 残る四機の中央に滞空した巨人は、陽光の下で灰白の装甲を煌めかせる。

 空挺部隊の挙動が変わった。即座に散開し、広範囲から十字火線を交錯させてくる。

「ヴァリマール」

 彼は巨人の操縦空間の中でそうつぶやき、操縦桿代わりの水晶球に手を添えた。

 背部のウイングユニットが展開し、不可思議な光が放出される。輝きを乱舞させ、加速。三次元軌道で射線の全てを潜り抜け、飛空艇とのすれ違いざまに一閃。また片翼が吹き飛んだ。

 敵機はまだ撃ってくる。重さを感じさせない鋭い飛翔で、巨人は急上昇。続けざまに太陽を背負い、光の中から急降下。まともな回避もできなかった飛空艇の一機に、ずんと荒々しく着地した。

 すかさずブリッジの正面に向き直り、大剣の切っ先を突き付ける。

「これより先は帝国領だ。これ以上進むのであれば、この刃を振り抜くことになる」

 逆光が巨人を悪魔じみたシルエットに映し出す。警告は済ませた。容赦はしない。その圧が言葉に乗り、一帯の空気を震わせる。

 敵わぬ圧倒的な力に立ちはだかられ、敵軍の攻勢が失せていく。飛空艇と戦車部隊はすぐにアルタイル市方面へと撤退を始めた。

『シュバルツァー殿! さすがの手並み、感服いたしました!』

 空爆による大破を免れたドラッケンが近づいてくる。

「いいえ。警戒は厳のまま、負傷者と捕虜の回収後、速やかにタングラム門へ帰投しましょう」

『はっ! 内戦を終わらせた英雄と戦線をご一緒できて光栄であります』

「………」

 英雄。寒々しい響きだった。そのような栄誉など望んでいない。内戦を終わらせた? 違う。終わらせたのは俺じゃないし、少なくとも俺一人じゃない。象徴として担がれることに、言い知れない空虚さを感じる。

 ドライケルス・ライゼ・アルノール。あなたもこんな気持ちになったのか?

『シュバルツァー殿?』

「念のため、自分は北側の確認をしてきます。こちらは任せていいですか?」

『もちろん構いませんが……お一人で?』

「何かあれば報告は入れます。では」

 噴煙のくすぶる空を飛び、灰の騎神は単機で戦場の跡を離脱した。

 

 

『リィン』

 しばらくして、ヴァリマールが言う。

『大丈夫カ?』

「体は回復している。この通り――」

『体ノ事デハナイ』

「ああ……まあ、そっちも大丈夫だ」

 一月の初旬。後に《十月戦役》と呼ばれることになるエレボニア帝国の内戦は、ルーファス・アルバレアを筆頭に貴族連合がギリアス・オズボーンへの全面協力を表明したことで終結を迎えた。

 ただ貴族連合軍の総司令だったオーレリア・ルグィンと副指令のウォレス・バルディアスは停戦には応じたものの、その後も五万の兵たちと共にジュノー海上要塞で籠城していたそうだ。領邦軍存続のための交渉を帝国政府と続けており、その要望や条件は思いのほか早くに通ったらしい。

 身内のごたつきを片付けてからの帝国の動きは迅速だった。

 すぐさまクロスベル征討軍を編成し、クロスベル市に電撃侵攻。たったの一日で占領を終えた。大きな抵抗もなかったようで、犠牲者の出ない無血占領となった。

 クロスベル自治州議会議長とクロスベル市長を暫定兼務していたヘンリー・マクダエルは、エレボニア帝国との条約に調印。これにより自治権を失ったクロスベルは、自治州から帝国領のクロスベル州へと、その名前と形質を変える。

 俺が目覚めたのは、その少し後。二月に入ってからだった。

『今サラデハアルガ、断ル事モデキタノデハナイカ?』

「……そうだな。でもここに来たのは強制されたからじゃなくて、あくまでも俺の意志なんだ。話しただろう」

 クロスベル併合に、当然カルバードは反発した。クロスベル州への侵攻が開始され、エレボニアとの交戦状態に陥るまでに時間はかからなかった。

 二月の中旬、皆に安心と心配を受けながらもリハビリを続け、体力が回復してきた頃だった。

 鉄血宰相からの使者を名乗る、レクター・アランドールという男が俺を訪ねてきた。どこか軽薄な物言いで、しかし三手先を見通すような会話の運びで、彼は自身を《鉄血の子供達》の一人であるとも明かす。

 その上で、レクターはこう提案――いや、要請をしてきた。

『臨時武官として、クロスベル総督府の力になれ』と。

 レクターが去ったあと、Ⅶ組の皆が津波のように部屋に押しかけてきて、それはもう筆舌に尽くしがたい猛反対を一身に受けた。

 みんなの言いたいことは痛いほどに理解しているつもりだった。

 死にかけて、かろうじての生還。なぜリィンが行かなくてはならないんだと、アリサは人目をはばからず大声でわんわん泣くし、ラウラは部屋の隅でみっしぃのぬいぐるみを抱きしめながらしくしく泣くし、フィーは実力行使で拘束してこようとするし、居たたまれない気持ちでいっぱいだった。

 それでもクロスベルに来たのは、かの街を戦火に巻き込みたくなかったからだ。被害を最小限に抑えたかったからだ。

 クロスベルの人々にしてみれば、いの一番に占領してきた国の人間が、何をか言わんやといったところだろう。

 だがカルバードの侵攻を許せば、確実に街は戦場になり、燃えてゆく。ケルディックの何十、何百倍という規模で。

 たとえ何様のつもりだと後ろ指を刺されても、そこに欺瞞や矛盾を孕んでいたとしても、守れる力が手の内にあるのなら守りたかったのだ。

 ギリアス・オズボーンのこともある。

 今回のことはレクターを通じてだが、発信は宰相名義でのもの。俺の本当の父親。もしかしたら、どこかで彼と話せるかもしれない。真意を問い質せるかもしれない。

 そんな淡い期待があった。

 しかしクロスベル入りしてから、オズボーンはリィンに一度も会いに来なかった。通信での会話さえなかった。

「はは……ちょっとユーシスの気持ちがわかるな……」

『モウ一ツ聞キタイ』

「ん、なんだ?」

『ナゼ、戦闘デソノ太刀ヲ使ワナイ。敵ヲ制圧スルナラ、ソチラノ方ガ遥カニ効率的ノハズダ』

「ああ……」

 ゼムリアブレードのことだ。先ほどの戦いでも、リィンはその剣を腰に携えたまま抜かず、振るったのは初期から使っていた機甲兵用の大剣だった。

「この剣はさ。そんなことの為に使っちゃいけない気がする」

『フム』

「わかりにくいか?」

『イヤ、ワカル。ナントナクダガ』

 なんとなくと来たか。苦笑をこらえきれなかったリィンの耳に、接近警報のアラームが聞こえた。

『三時方向、カルバード軍ノ飛空艇ヲ確認。一機ダ』

「撤退していないのか? いや、違うな……」

 おそらくは巡回機だ。こちらには気づいていない。わざわざ攻撃を仕掛ける必要はないだろう。

 しかし妙だ。やけに高度を下げている。何かを追っている……?

「映像を拡大してくれ」

『了解』

 モニターがズームアップされる。映し出されたのは、逃げるようにして道を走るトラック式の導力車。農耕用のローカルな型だ。その道の先にあるのは、地図上ではアルモリカという村だった。

 明らかに一般用で、軍用でないことは一目でわかる。まさかあの車を標的にしているのか。

「荷台に誰か乗ってる!? 子供だ……!」

 見えたのは三人。桃色の髪をした少女が、かばうように年下の子たちに覆いかぶさっている。全員同じ髪の色だ。姉弟かもしれない。

「最大速度で切り込む。ヴァリマール!」

『応!』

 スラスター全開。鮮やかに輝く霊力の尾を引いて、ヴァリマールが疾駆する。

 守るための剣ならば。

 リィンはゼムリアブレードを抜き放った。

 

 ●

 

 三月九日。

 窓の外に景色が流れゆく。がたんごとんと定期的にやってくる揺れが、心身の疲れと気の緩みと相まって、心地よい眠気を誘う。

「双龍橋を抜けました。あと三十分というところでしょうね」

 澄んだ声音が耳朶を打ち、リィンはまどろんでいた意識を覚醒させた。

 まだ虚ろさの抜けない眼差しで横を見やると、クレア・リーヴェルトがとなりに座っている。

「あ、ごめんなさい。眠っていましたか?」

「いえ……問題ありません」

 少しだけそっけなく答えた。クレアは困ったように微笑み、背もたれに腰をうずめる。

 自分たちを乗せて運ぶこの列車は《クルセイダー》というらしい。クロスベルからトリスタへの直行便を担う、鉄道憲兵隊の高速車両だ。

 ヴァリマールは貨物部に係留されている。飛ぶのは霊力を消費するし、空間転移では距離があり過ぎる。もっとも現実的な移動手段は、やはり物資扱いだった。

 ちょっとだけ沈黙があって、

「そ、そうでした。お弁当を作ってきていたんです。サンドイッチ、食べませんか?」

 クレアは自前のトランクから取り出したバスケットを、ハンカチを敷いた膝の上に置いた。

「これはチキンで、こっちはサラダ。それはフルーツ入りですよ」

「大尉」

「男の子はフルーツサンドは好みじゃないでしょうか。でしたらこっちのローストビーフサンドを――」

「俺とオズボーン宰相の関係は知っていたんですか?」

 つい棘のある口調で問うてしまう。クレアは一瞬だけ指先を固まらせ、開きかけたバスケットのふたを閉めた。

 煌魔城での顛末は、《鉄血の子供達》である彼女なら知っているはずだった。

「……いいえ。そのことを聞いたのは正規軍と貴族連合の戦闘後。事後処理に奔走している最中です。閣下が存命だったことはもちろん、ルーファス興が私たちの筆頭であったことも、私は知らされていませんでした。ただ――」

「ただ?」

「面影はどことなく感じていました」

「……似ていますか?」

「容貌ではなく、端々の雰囲気から。立ち姿勢や歩き方、言葉のイントネーション、ちょっとした反応とか。不意にリィンさんと閣下の姿が重なって見えることもありました。不思議ですよね。ずっと離れていたのに」

 彼女は聡明だ。わけても、ばらけたピースを組み合わせて一つの事象を読み解く能力に長けている。

 だからその“どことなく”を気のせいでは片づけず、もしかしたら真実に近いところまでは繋げていたのかもしれない。

「どうして……可能性の話でもいいから、教えてくれなかったんですか」

「それは……」

「ふんっ!」

 リィンは勢いよく窓ガラスに頭をぶつけた。ごんっと重い音が弾け、クレアが目を丸くした。

「リ、リィンさん!?」

「……すみませんでした。変な態度をとって」

 こんなことを言いたいわけじゃなかった。不確定な上に荒唐無稽でもある。仮にであっても、クレアが言えるわけないだろうとはわかっていた。

「なんというか、その……拗ねてみただけでして」

「――っ」

 いきなり抱きすくめられた。香水だろうか。春花のような優しい匂いが思考をとろけさせる。

「クロスベルではつらい思いをしたでしょう。私はなんの支えにもなれず……」

「そんなことはありません。大尉がいたから折れずにいられました」

 彼女はずっと気にかけてくれていた。戦後処理の激務の中でも足しげく、何度も自分のところに顔を出してくれた。

 柄にもなく硬化した態度で当たってしまっていたのは、それこそ“拗ねていた”のだろう。ぶつけようのない気持ちのぶつけ先として。自分でも経験したことのない感情の動きだった。ああ、いや、これは拗ねるというよりは――

「甘えていたのかもしれません」

「甘えて下さい。甘やかしちゃいますから」

 トクン、トクンと心音が聞こえる。とても落ち着く。でもなんだろう。これは人に見られちゃいけない光景なんじゃないだろうか。アリサが、ラウラが、エリゼが。それぞれの横顔が脳裏によぎる。ついでになぜか闇に染まったメガネもフラッシュバックした。

 冷や汗が背に滲み、リィンは姿勢を戻す。

「焦らずとも、いずれ閣下とは話す機会もあるでしょう。かまえなくても大丈夫。私にとっても父のような方ですから」

「だったらクレア大尉は俺の姉さんみたいな感じですか」

 冗談で言ったつもりだったが、クレアは嬉しいような、悲しいような、複雑な表情を垣間見せた。その意味はわからなかった。

「……サンドイッチ、もらっていいですか」

「もちろん。どれにします?」

「じゃあフルーツサンドで」

 クロスベルでの戦いは終わった。明確な勝敗こそついていないものの、カルバードが戦線を下げたのだ。共和国内でも色々な政治情勢が動いている中で、これ以上の泥沼化は避けたいようだった。

 三月中に帰って来られてよかった。これからたくさんのことが――やりたいことが待っている。

 フルーツサンドを一つ食べ終えたタイミングで、頭上にブザーが鳴り響く。

『まもなくトリスタ駅。下車の準備を』

 一般のそれとは異なり、軍用列車と思い出させるような、簡素な車内アナウンスが流れた。

 

 

「え!? 大尉がトリスタに滞在されるんですか?」

 駅のホームにリィンの声が反響する。

「少しの期間ですけどね。休暇ではないので、お仕事はしますが」

「トリスタでの仕事……?」

「名目はリィンさんの護衛です。クロスベル戦役における《灰色の騎士》は有名になり過ぎましたから」

「狙われる可能性があると?」

「その意味での護衛も含まれますが……実はそこはあまり心配していなかったりします。危機察知はリィンさんが一番優れているでしょうし。それよりはマスコミや記者などの、報道関係の対応と制限ですね」

「なるほど……助かります」

 自分というよりはトリスタの人々に迷惑がかかってしまう。そちら方面のカバーをしてくれるなら、クレアの滞在はありがたい申し出だった。

「宿泊場所は決めてあるんですか?」

「第三学生寮です」

「え」

「ヴァンダイク学院長から承諾を頂きました。サラさんにも話は通っているはずですよ」

 空き部屋はまだあるし、俺の護衛ということであれば、確かに近い方が都合がいい。しかし寮には件のサラがいて、シャロンがいる。期間限定とはいえ、この三人が一つ屋根の下で生活をするというのは、正直どうなるのか想像がつかない。

 やけに汗ばむ手のひらを拭いながら、改札を抜ける。

 それまで先導していたクレアが、駅の出口の直前で不意に立ち止まった。

「リィンさんからどうぞ」

 促されるまま、扉を押し開く。

 柔らかな陽光が全身にかかる。どこか懐かしい若葉の匂い。吹き抜けていく初春の風。街路樹の木漏れ日が地面に揺れている。

 変わらない穏やかな景色の中で、彼らが待ってくれていた。

「おかえり」

 代表してサラが言った。彼女の周りにはⅦ組が勢ぞろいしている。

 リィンは精一杯に笑ってみせた。

「ただいま」

 卒業式は三月二十三日。約束のその日まで、あと十四日。

 悔いの残せない大事な時間。みんなと過ごせる大切な時間。ずっと帰りたかった日常へ。

 そして、最後の二週間が始まった。

 

 

 





ラストバトル編を無事に終了させることができました。
《虹の軌跡Ⅱ》は次話以降の“最後の二週間”を描き切った時、最終回となります。長い道のりでしたが、もうカウントダウンに入りました。
ここまでお付き合い頂けた読者の方々には、エンディングまで今しばらくお付き合頂ければ幸いです。

そしてお知らせです。
前作の《虹の軌跡》を全話リファインしました。
ストーリーの構成自体は変わりませんが、セリフや地文の大幅な加筆修正や、閃Ⅲ、Ⅳにも連動した内容に組み替えています。一部にはおまけの書き下ろしも追加しました。

全話のリファインは正直超大変でした……。
詳細は活動報告に上げていますので、興味を持って頂けた方は一度のぞいて頂けると嬉しいです。

それでは!

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