(左腕と右足を失っても、動けないわけじゃなかった――)
ヴァリマールのすぐ前に光が広がり、舞い上がる輝きと共に一振りの太刀が姿を見せる。
あれは並の剣じゃない。刀身そのものが淡い光を放っている。間違いなくゼムリアストーン製だ。
なんだよ。ちゃんと作ってきてるじゃねえか。
いきなり剣が現れたことには驚いた。ヴィータがエマに力を貸して精霊の道を開いたことも、あのアルティナがミリアムの助けに応じてバリアを張ったことにも驚いた。
けれど、それよりも何よりも一番驚いたのは、お前たちが来たことだった。
『届けに来たよ、二人とも!』
トワのはつらつとした声が響き渡る。迷いのない声音。前にバリアハートで出会った時の沈んだ表情はどこにもない。何があったのか知らないが、どうやら吹っ切れたらしい。
彼女の両脇を固めるのはアンゼリカとジョルジュだ。憮然とした態度でこっちを見ている。そうだった。トワと違って、あいつら二人とは内戦が始まって以降、一度も顔を合わせていない。
『君に言いたいことは山のようにある。夜通し文句を言いたい気分だ』
『ご覧のとおりアンはいたくご立腹でね。文句だけじゃなく手も出るだろうから、そこは覚悟しておいた方がいい。聞こえてるかい、クロウ。もちろん僕も怒っているよ』
なんともまあ、わかりやすいぐらいの仏頂面だ。
「聞こえてるっつーの。おっかねえな。オルディーネから降りたくなくなっちまったぜ」
核の中で一人、肩をすくめる。もれ出たぼやきに、アンゼリカが口の端を上げた。
『無論、引きずり降ろすさ。とはいえ、さすがにそいつを倒してからの話だがね。精霊の道でここに来る途中にトワから聞いている。それが緋の魔王で、核にエリゼ君を取り込んで操っているのか』
「エリゼが操ってる可能性もある。あくまでも主導権は起動者側に与えられるものだからな」
『彼女の意思でこちらに攻撃を加えていると? それはあり得ない』
「根拠は?」
『可愛い女の子はそんなことをしないからだ』
微塵の迷いもない即答。なんだそりゃ。ブレなさすぎだろ。どこまでもゼリカ過ぎる。
だが冗談でもなんでもなく、エリゼの意志でというのはあり得るのだ。《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の意識と交ざりあって、自身の意思を緋の魔王と混同しているという意味で。
危険だ。意識の溶融が行きつく先は一体化だ。下手をすれば二度とエリゼ・シュバルツァーとしての自我を取り戻すことができなくなる。
「リィン、時間がねえ! 太刀が届いたなら、お前の剣技も使えるだろ。もう一回、二人がかりで攻撃を仕掛けるぜ!」
俺の呼びかけにリィンは反応しなかった。ヴァリマールは膝をついたまま首を垂れ、目の前の剣をつかもうとしない。その両眼には光さえ宿っていない。
さっきエマはリィンが戦える状態ではないと言った。胸を撃たれたとも。
いつ撃たれたんだ。誰に撃たれたんだ。どの程度の負傷をしている。煌魔城への突入がヴァリマールだけ後続だったのは単なる作戦だと思っていたが、不慮の事態が起きていたということなのか。
「おい、返事しやがれ! 寝てんじゃねえだろうな!?」
オルディーネの機能で、ヴァリマールの核にバイタルスキャンを試してみる。読み取れなかった。搭乗者の生体情報が何一つ表示されない。
嫌な予感がする。お前、ここまで来て、そりゃねえだろ。
「ちっ……!」
黒い熱波が波濤のように押し寄せる。生身のやつらの為にオルディーネで盾になるのも、アルティナとミリアムでバリアを張り続けるのも、そろそろ限界だ。
ついに《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が足を踏み出した。今までは熱波を放つか、受けのカウンターを繰り出してくるかで、積極的に動こうとはしなかったのに。
ヘイムダル全域から吸収していた霊力が、とうとうまともに行動できるほどに充填されたのだ。しかもまだ地上から力を吸い上げ続けている。
ここまでになると帝都の人々の生命にも影響が出てくる。騎神としての形態を取っているが、あいつの本質は暗黒竜《ゾロ=アグルーガ》だ。かつて百年に渡って帝都を瘴気の渦に沈めた存在。人の生き死になど、爪のひとかけら程の価値もないのだろう。
八十万の人間は一人の例外もなく、霊力を吸い尽くして捨てるだけの消費材でしかないのだ。
「野郎が……」
させるか。
心中にそう思い、我に返って俺は呆れた。
俺はテロリスト集団のリーダーで、帝都に被害を出したこともある。どの気持ちで憤り、どの立場で人々を案じたのか。俺にそんな資格はない。誰よりも自分がわかっている。
俺は人々を守ろうとは思わない。帝都を守ろうとも思っていない。ただ、ここで戦わなければ、俺も含めて、皆も終わる。
それはまあ、寝覚めの悪い話だ。俺はともかくとして――
「いや……歩ける道は探さないといけないんだったか」
苦しんででも生きろと、リィンに言われた。あれはリィンだけの言葉ではなく、あいつらの総意のようにも聞こえた。
ああ、捨て鉢にはならねえよ。ならねえからさ――
「俺が敵を少しでも抑えておく。お前らは全員でヴァリマールに呼びかけ続けろ! リィンをたたき起こせ!」
Ⅶ組とトワたちに叫ぶと同時に、オルディーネを《エンド・オブ・ヴァーミリオン》に特攻させる。
こんなところで終わりじゃねえだろ。俺も、お前も。
(避けるべきだったのかもしれない―――)
こちらの進撃を阻むようにうねる炎を双刃の旋風で散らしながら、一気に《エンド・オブ・ヴァーミリオン》との距離を詰める。
火の粉を払うオルディーネの鋭い一閃が、しかし素手で受け止められた。
「想定内だっつーの!」
止まらず機体を回転させ、遠心力も加えた二撃目を打ち込む。それも止められた。相手の全身を覆う赤い障壁が、戦い始めた時よりも厚くなっている。まったく刃が通らない。
「このダブルセイバーもゼムリアストーン製なんだけどな……!」
武器に込めた霊力が、わずかだが漏れ落ちていく感覚がある。見れば刃が焦げて、欠けていた。敵の炎を防ぎ続けたせいだ。呪いを孕んだあの黒い炎は、ゼムリアストーンでさえも炭化させるのか。
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が片手をかざした。
オルディーネを囲むように、空間の至るところに歪みが生まれる。その歪みから、一斉に無数の槍や剣が撃ち出された。
「またあれか!」
武器精製。《テスタ=ロッサ》の能力だ。迎撃できるような生ぬるい攻撃じゃない。
回避を。どこへ? 下手に動けば、あいつらに流れ弾が当たっちまう。一発でも壊滅級の破壊力だ。バリアなんざ紙っぺらみたいに突き破る。
オルディーネで真上に飛ぶ。急角度で軌道を変えた敵の武器が追ってきた。
一つ、二つの剣を切り払って落とす。三、四、五撃目の槍も落とす。六撃目の矢――間に合わなかった。腕をかすめる瞬間、矢じりが爆発した。衝撃でダブルセイバーが手から離れないよう握りしめる。襲い来る追撃。七、八、九、十――そこからは数えられなかった。
連鎖する爆発に包まれて、視界が炎一色に染まる。平衡感覚も奪われた。今どっち向きだ。とにかく体勢を整え直さないと。
スラスターを噴かしたが、姿勢制御が終わるよりも早く、黒煙の中から太い腕が伸びてきた。
「ぐぅ……っ!」
禍々しい形の五指が、オルディーネの首をつかみ、ぎりぎりと締め上げる。一対の巨大な緋翼がばさりと広がり、竜を思わせる輪郭の威圧が黒煙を押し晴らした。
飛んできやがった。しかも速い。そしてこの膂力。首が圧し折られる……!
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》はそのままさらに上昇。100アージュほど上がったところで、向きを変えて急降下。戦闘フィールドの床に、オルディーネは背中から激突させられた。
体が座席から跳ね上がる。どこをぶつけたかもわからない。眼前で閃光が弾け、続けざまに闇が視界を狭めてきた。
(避けようと思えば、避けられたとも思う――)
ぎりりと歯を食いしばる。
絶対に気は失えない。俺が戦えなくなったら、それでゲームオーバーなんだよ。
『クロウ。撤退ヲ推奨スル。単機ナラ可能ダ』
オルディーネが言ってきた。
「しねえ」
『何故ダ』
「なんつーか、言葉にしにくいっつーか。逃げるにしても全員を運ぶ方法が必要だしな……。とにかく、この状況で撤退はしねえ」
『全員トハ――ヴィータ・クロチルダ、アルティナ・オライオン。コノ両名カ?』
「違う……というか。お前、わかって聞いてやがるな。なんの確認だよ、ったく」
『ソウ怒ルナ』
「面倒な性格になったもんだぜ」
『起動者ニ似タノダロウ』
出会った頃に比べると、ずいぶんとおしゃべりにもなった。しかもどこか斜に構えていて、ああ言えばこう言う感じの会話の切り返しをしてくるのだ。
なるほど、確かに俺に似ている気がしなくもない。しかし騎神が起動者に似る? 飼い犬じゃあるまいし。リィンのところのヴァリマールはどうなんだか。
「まだやれるよな、相棒」
『応』
よろめきながらオルディーネが立ち上がる。《エンド・オブ・ヴァーミリオン》はすでに武器を精製していた。葬列のごとく虚空に並ぶ刃が、こちらを捉えている。
『クロウ先輩!』
外部からの声が核に響く。俺を先輩と呼ぶのは、この中では一人しかいない。
「前に出てくんな、マキアス! どうした!?」
『呼びかけにリィンが応じないんです。ヴァリマールも応答しません!』
「さっきと同じってことだろ。それでも声をかけ続けろ。どういう状態か詳しくは知らねえが、失血状態での昏睡だとしたらまずい。戦える戦えないは二の次として、意識は覚醒させとけ!」
『呼びかけは続けます。そうじゃなくて!』
「なんだよ?」
『先輩があの剣を使ってください!』
マキアスの視線は未だ突き立ったままのゼムリアブレードに向けられていた。
ヒビの入ったダブルセイバーより頼りになるのは確かだが、しかし。
「使わん」
『な、なんで。太刀が扱えないからですか?』
「……あれはそう易々と精製できる武器じゃねえ。作り上げるのに相当苦労したんだろ」
『そうです! 材料集めから、剣の成型、何よりここまで運ぶのも艦のみんなが協力してくれたからだってトワ会長が――』
「だったら、俺が持ったらダメだろ」
『え?』
マキアスの怪訝顔を振り切り、オルディーネで前に出る。
一気に襲い掛かってくる武器の数々。前後左右、そして上。全包囲から殺意の群れが容赦なく降り注ぐ。
致命傷になる軌道の攻撃だけをダブルセイバーで防ぎながら、それ以外のダメージは構わずに突っ込んだ。
不意にぴたりと攻撃が止む。
「だろうと思ったぜ。この間合いが境界線か!」
読み通りだ。攻撃を止めたのは、自分にも当たる角度に入ったからだろう。近接戦にさえ持ち込めば、武器の撃ち込みはしてこないと踏んでいた。
敵の足元からぐらりと炎が立ち昇る。
「っと! それがあったな。攻防一体の黒炎。厄介だぜ」
とっさに急制動をかける。《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が態勢を半身に変えた。逆手に構えた手に光が生まれ、そこに巨大な白銀のレイピアが出現する。いや、レイピアのような細剣ではない。円錐状の突起はランスと呼ぶべきものだった。
魔物じみた異形にはおよそ似つかわしくない武の構え。
エリゼはシュバルツァー家の剣術を習得していると聞いたことがある。つまり彼女の身体感覚がトレースされている。
どっちなんだ。本当に意識が残っているのか?
敵にエリゼの影を重ねた刹那、俺は動きを止めていた。
コンマ一秒にも満たない瞬間の隙に、ランスの一撃が繰り出されていた。
見えなかった。反応もできなかった。えぐるように斜め上に放たれた刺突が、オルディーネの左肩を穿った。肩口からねじり切られた左腕が、衝撃波に巻かれて微塵に粉砕されていく。波動はさらに突き抜け、彼方の雲まで蹴散らした。
「ぐっ、あああああっ!!」
片腕を失っても、ひるまず前へ。
見逃さなかった。全身を覆う障壁の赤い光が薄まっている。溜めた霊力の一部を放出したせいだろう。防御の力を攻撃に回したのだ。
千載一遇の勝機。
全力でダブルセイバーをランスの腹に突き立てる。貫通した刃をひねり上げ、敵の手から武器を弾き飛ばした。残された右手でダブルセイバーを回転させ、鋭い連撃を全て同じ位置に見舞う。
一点集中の攻撃が、ついに通った。《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の腹部に傷が走る。
その部位だけは、今は障壁に守られていない。脇まで刃先を引き、フルパワーの突きに構えた。
背後で空間の歪む気配がした。武器精製だ。自身に当たるのも厭わず、俺を撃つ気か。
「やってみやがれ。今さらそんなんで引けるか――……っ!?」
生み出された矢が、俺を狙っていない。爆裂の矢じりの延長線上にいるのは――トワだ。ジョルジュもアンゼリカもいる。三人固まっている。
くそが。ふざけやがって。
このまま刃を出せば、緋の魔王に致命傷を与えられる。絶対に逃せない勝機だ。その代わり、あいつらは攻撃から逃れられない。
この勝機は二度と巡ってこない。これを外すという選択肢はない。
とにかく先に貫く。こいつを戦闘不能にすれば、あの矢も消える。結果的に全員が助かる。理屈は間違っちゃいない。それがベストの選択だ。
「……!」
気づいた時には刃を引いて、最大出力のブーストでトワたちの元へ向かっていた。
矢が放たれる。
滑り込むように急転回し、三人の前へ。ほとんど同時に矢がオルディーネの右すねに刺さる。爆発。膝から下がちぎれ、片足が転がっていった。
『クロウくん、無事なの!?』
「お前ら、無事か!?」
トワの声をかき消す勢いで叫ぶ。モニターに三人の姿が映る。無事だ。
「早く下がれ!」
『聞いて、クロウくん! あのね――』
「話はあとだ!」
トワが何かを言いかけた時、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の背中側に何かが蠢いた。
尾だ。竜の尾。硬質な鱗に覆われた槍の穂先のような鋭い尾がうねり、こちらに狙いを定め――突き出された。
(でも避けられるわけないだろ。だってさ――)
「あなたがクロウ・アームブラスト? 初めまして。公爵閣下からお噂はかねがね」
一人ジュライを離れてから、偶然の巡り合わせでカイエン公爵とのコネクションができて、しばらく経ったある日のことだ。引き合わせたい人物がいるとのことで、俺はオルディスの公爵家城館に招かれた。
そこで初めて彼女と出会った。
知っている顔だったのは、帝国時報で写真付きのその記事を目にしていたからだ。新人にも関わらず、確かな歌唱力と表現力で観客を魅了する注目のオペラ歌手が帝都にいると。
「私はヴィータ・クロチルダ。魔女よ」
そいつは歌手ではなく、おとぎ話の存在で自分を語った。最初は妄想癖をこじらせたメルヘンな女だと思ったよ。
諸々の能力を見せられて、すぐに本物だと認めざるを得なくなったが。
彼女は俺の顔を覗き込んで、
「ふーん。五年後が楽しみねえ。もっとも五年後があるかどうかは、これから行う試しを突破できるかどうかにかかっているけれど。なんにせよ、あなたの導き手になれて光栄よ」
それは魔女の
おいおいおい、まじかよ。なんでよりにもよって今、昔のことを思い出すんだよ。
思い出を振り返るより、感傷に浸るより、先にやらなきゃいけないことがあるだろ。
だけど意志と意識が乖離している。やけにゆっくりと流れていく時間の中で、脳裏に否応なくこれまでの出来事が巡りゆく。
「思ったより若いな。君が我々を束ねるのか」
インテリっぽさを隠せない眼鏡の奥で、こちらを値踏みするような視線が向けられる。鼻を鳴らしつつ、卓上のコーヒーカップに指をかけたギデオンの背中が、大きな手のひらによってバンと叩かれた。
「年齢なんざ関係ねえだろ。いい面構えしてるぜ。なあ?」
テーブルを挟んで座るスカーレットに、豪快なヴァルカンの笑い声が浴びせられる。笑い声だけじゃなくギデオンのカップから飛び散ったコーヒーも、彼女の顔面から滴っていた。スカーレットは頬を引きつらせながら、
「ええ、そうね。ついでにコーヒーまみれになったこの私の面構えを見て、何か言うことはないかしら?」
「余計に美人になったじゃねえか」
「あら、嬉しいわ。お褒め頂いたお礼に、あなたの顔の傷を増やしてあげようと思うんだけど」
頼むからやめてくれ。
ヴィータの野郎。テロリスト集団の幹部同士の初顔合わせの場を、街中のこじゃれたカフェテラスにセッティングしやがって。どういう神経してんだ。
さっそくヴァルカンとスカーレットがもめ出す傍ら、ギデオンは新しいコーヒーを注文すると、二人の諍いには見向きもせず読書に興じ始めた。
最悪だよ。俺にこいつらをまとめきれるのか。
それでもそれぞれがギリアス・オスボーンに抱く憎悪は本物だった。
負の感情を根底に繋がった関係ではあったが、どんな集団でも長く付き合っていると連帯感が生まれてくる。
やがてギデオンが死んだ。西ゼムリア通商会議に合わせてテロを仕掛けて、果たせず、オルキスタワーの中で返り討ちにあって死んだ。
帰れない可能性の方が遥かに高いとわかっていた。無論、本人も。
だから要するに、予定通りの死に別れ。
ギデオンと最後に会った時、俺は《C》の仮面をつけていた。彼も兵士に紛れるために、鉄面のフェイスガードを身に着けていた。
妙に大きく聞こえた初夏の虫の鳴き声。風に撫でられてそよぐ草花の囁き。煌めく星屑が散りばめられた漆黒の空。青白い月明かりだけが頭上にそそいで、永遠の別れを予感させたあの夜。
お互いの仮面の下で、俺たちは一体どんな顔をしていたんだろうか。
ヴァルカンが死んだ。
灰の騎神との激闘の果てに《ゴライアス》はオーバーロードを起こし、黒竜関で爆発大破した。
俺はオルディーネで黒竜関に向かっていた。結局間に合わず、爆発の瞬間に《ゴライアス》のコックピットから、リィンが外に押し出されたところだけを見た。
リィンはヴァルカンを機外に脱出させようとしていたようだった。おそらくヴァルカンは応じなかった。自分の意志で操縦席に残ったのだろう。
リィンを道連れにしなかったのは、それが目的で戦っていたわけではなかったからだ。自分自身に区切りを付けるための相応しい相手が、リィンだっただけの話だ。
ブラックボックスに残されていた最期の『お前は――』という言葉の先は、解析できないまま終わってしまった。そもそも爆発の方が先で、声を吹き込めていないという結論だった。
お前はリィンに何かを伝えようとしたのか? それとも俺か? もう知ることはできない。
ただお前とケンカ別れになってしまったことだけが、どうしても――
スカーレットが死んだ。
ヴァルカンと同じく《ケストレル》をオーバーロードさせて、オーロックス砦での戦いの最中で機体が爆発したと報告を受けている。
夜明けと共に正規軍が駆け付けたから、彼女の遺体はおろか、ケストレルの残骸すら回収できていない。
アルバレア公爵がやったケルディックの焼き討ちを、スカーレットはどう思っていただろう。
住む場所を失った自分と重ね合わせて、辛い気持ちになったかもしれない。
一緒にいる内になんとなく感じていたことだが、あいつは復讐の手段と自分の終わる場所を帝国解放戦線に求めていただけで、全てを荒事で片付けようとするような性格じゃあなかった。
言っても聞かなかっただろうから、最後まで言うことはしなかったけどよ。もしかしたらきっかけ次第では、お前には別の生き方があったんじゃないのか。
時間はさかのぼり、偽りの仮面をつけて第三学生寮で過ごした日々が思い起こされる。
「先輩、もう昼ですよ!」
階段を降りてラウンジまで出てきた俺に、マキアスが言う。昨晩は解放戦線の今後の行動をまとめていて夜更かししてしまったのだ。
そんな理由で不眠だとは思いもしないだろうマキアスは、ソファに腰かけて一人でチェスをしている。
「……暇なら付き合ってくださいよ」
なんだ。やっぱり誰かに相手して欲しいのか。
つーか暇なわけあるか。考えることも手回しも、やることは山済みだ。
また今度な、そう告げるとマキアスは捨てられた子犬のような目をした。面倒くせえな。仕方ないから一回だけやってやるか。
マキアスとの一勝負を終えて、適当に寮内をぶらつく。
屋上からバイオリンの音色が聞こえてきた。ちょっと覗きに行くと、演奏していたのはやはりエリオットだ。その横ではガイウスが、真っ白いキャンバスに絵の下書きをしていた。
「あ、クロウも屋上に来たんだ。いい天気で気持ちいいよね。ほら、あれ見てよ」
演奏を止めたエリオットが声をかけてくる。あれと言われて視線を動かすと、屋上の端でフィーとミリアムが寝っ転がる姿があった。
まるで子猫のひなたぼっこだ。この日差しと柔らかな旋律に包まれれば、そりゃ眠くもなるってもんだ。いや、あいつらはいつでもどこでも寝てるか。
よくよく見れば、ガイウスの下絵はそんなフィーたちを描いている。
「なんならクロウも入るか?」
ガイウスの提案に肩をすくめて、俺は再び屋内に戻る。
あくびが出るほど呑気な光景だった。自由行動日を満喫してんなあ。
「フィーちゃんとミリアムちゃんを見ませんでしたか?」
途中、廊下を行き違ったエマが聞いてきた。
脇に分厚い参考書を抱えているのは、二人とのお勉強タイムだからだろう。
子猫たちの気持ちよさそうな寝顔がよぎる。仕方ねえな。
委員長には悪いと思いつつ、さっき二人して寮の外に出て行ったぜ、と適当な嘘を伝えてやると、
「屋上ですね。わかりました」
一発で見破られてしまった。お母さんスキルの一つかと思いきや、「大体において、クロウさんの言うことの反対が正解です」と丸眼鏡を光らせる。おお、怖え。
俺まで勉強会に参加させられそうだったので、そそくさと退散した。
「昼食は済ませたか?」
二階まで降りてきたところで、出会いがしらのユーシスからそんな質問をされる。
「まだなら外にでも食べに行かないか」
珍しい誘いに目をしばたたいていると、ユーシスは廊下の先をあごで指し示した。
それが視界に入るや、やかましい声も聞こえてくる。リィンとアリサとラウラだ。口論か?
「不可抗力で済むと思ってるわけ!?」
「そうだ! 不可抗力なんだ!」
「そなた、なんでもかんでもその言葉で済まそうとするでない!」
「だけど不可抗力には違いないんだ!」
「私たちが使用中のシャワールームにさも当然のように入ってくるのが? 使用中のプレートをかけてたわよね!?」
「プ、プレート? なかったぞ!」
「言い訳なんか聞きたくないわ。見たんでしょ!?」
「正直に言うがいい! ここで死にたくなければな!」
「……くっ、アリサは白のレース柄で、ラウラは黒のシルクの――」
「ちょっ、詳細を言えとは言ってないのよ!」
「不埒な……不埒な! どういう了見だ!」
「いわゆる観の目という全体を俯瞰するように捉える剣術の目付けを使ってしまったという不可抗力な不可抗力で――」
『はあ!?』
口論と言うか、一方的な責めが延々と続く。またリィンがやらかしたらしいが、さっきマキアスとチェスをしていた時に横を通り過ぎたシャロンの手に、件のプレートが持たれていたことは黙っておくことにしよう。
「見ての通りだ」
ユーシスが気だるげに言う。
「部屋で本を読んでいたのだが、うるさくて敵わん。日差しは強いが、それでもこれを聞かされ続けるよりは外の方が幾分マシだろう」
まったく同感だ。
ユーシスと一緒に一階へ降りようとした時、俺に気づいたリィンがすがるような目で見てくる。
悪いな。声には出さず、口元の動きだけで伝えてやる。リィンはがくりとうなだれた。
ああ、そういえば。
あいつから借りっぱなしの50ミラをまだ返していなかった。
「ねえねえ。みんなは将来の夢とかあるの?」
出し抜けにトワが聞いてきた。
真夏の炎天下。技術棟のそばの空きスペース。恒例行事となった導力バイクのメンテを、いつもの四人でやっている時だった。
滝のような汗をぬぐいながら、ジョルジュが言う。
「ふう……。色んな国の工房を渡り歩きながら自分の技術を磨きたいっていうのは、漠然と頭の中にあるけどね」
「あはは、ジョルジュ君らしいね。アンちゃんは?」
暑そうなバイクスーツのくせに、ゼリカは涼しげな表情で腕を組んだ。
「私も明確に将来のビジョンがあるわけではないが……諸国漫遊武術の旅というのは楽しそうだ。まあ、なんにせよ親父殿への反抗は続けていこうと思う。とりあえずは次から次にやってくる縁談を足蹴にするかな」
「それはアンちゃんらしいと言っていいのかな……。あんまりお父様を困らすのもどうかと思うけど……」
トワの嘆息に隠れて、ジョルジュがほっと息をついている。
「そういうトワはどうなんだい? なんなら私に永久就職してくれても一向にかまわないが。むしろ望むところだが。いや、そうするべきだ。して下さい」
「ア、アンちゃん?」
はあはあと息遣い荒くトワににじり寄るゼリカから目を逸らし、ジョルジュは沈んだ顔を地面に向けていた。
まとわりつくを越えて絡みつくゼリカを、トワはどうにか引き離し、
「私もあんまり決まってないんだよねえ。広く世界を見てみたいなっていうのは思うんだけど、具体的な進路が思い浮かばなくて」
そこまでの話が出て、他の三人の視線が俺に集中していることに気づく。
「俺か? 俺は特にねえよ」
「はっ」
そっけなく答えると、ゼリカが鼻で笑ってきた。
「そうだろう。君みたいな軽薄な男は、せいぜい適当な賭場で全財産をスった挙句、絵に描いたような転落人生で身を持ち崩すんだ」
「それは違うよ、アン。クロウはギャンブルに強いから、身を持ち崩すとしたら別の原因だ」
「あ、それはジョルジュ君の言う通りかも。なんだろう。異性関係かな。ダメだよ、クロウ君。身持ちは固くしとかないと」
「俺が身を持ち崩す前提で話を進めんなよ!」
失礼なやつらだ。とはいえ身を崩すというのは、ある意味あながち間違いでもなく、妙に確信をついてくるあたりがこいつらの不思議なところだ。
「つーかトワ。なんで急にそんなこと言いだすんだよ」
「何かあるわけじゃないんだけど。ほら私たちもあと七か月くらいで卒業でしょ。ふと気になっただけだよ。一年後はリィン君たちもこんな話で盛り上がるんだろうね」
「いや別に盛り上がっちゃいねえけどな。それに七か月ってまだ先だし」
「えー、すぐだよ」
「でもあれだな。お前らは進路が漠然としてるっていうけど、世界中を見て回りたいってところは共通してるんだな」
「本当だね。うんうん、気が合うよ!」
「クロウ以外だがね」
「もう、またアンちゃんはすぐにそんなこと言うんだから」
オズボーンを暗殺するのは二か月後。七か月後の卒業の日に、俺はいない。
そもそもお前らが卒業できるかさえわからない未来が来るんだ。俺がそうしてしまうんだ。
お前らが思い描いていた未来を、俺が壊しちまうんだよ。
そうなった未来のお前らは今日のことを思い返して、俺のことを軽蔑するだろう。
どういうつもりであの会話に参加していた。どういう気持ちで自分たちと笑っていたんだって
想像して、小さく胸が痛んだ。痛むような心は捨ててきたはずなのに。
「卒業しても、またみんなでこんなふうに集まりたいな」
トワが言い、なんとなく全員の目線が空に向けられる。太陽が輝いていた。
なんでか俺たちの口数が少なくなって、バイクの組み上げに戻る。エンジンを調整し、取り外していた外装を付け直し――
「あれ、パーツが一つ足りないな……?」
ジョルジュがぼやく。はっとして手の感触に気づいた。小さな留め具を持ったままでいる。それはエンジンと導力供給パイプを連結する重要なパーツだった。
「すまん、これだろ」
「ああ、それそれ。どうしたんだい。なんだかぼーっとして」
「暑さで参っちまったのかな。それ片付けたら学生会館で冷たいもんでも飲みに行こうぜ」
「うん。でも気づいてよかったよ。部品が一つでも欠けたら走らないから」
「そうか。そうだよな」
二か月後。
予定通りの段取りを済まし、俺はトリガーを引いた。
そこで全ての関係は切れると思っていた。
けれどそうはならなかった。呆れるよ。
Ⅶ組の連中は越えようがなかったはずの巨大な壁を一人一人が乗り越えて、煌魔城の最上層に顔をそろえた。重奏リンクとオーバーライズなんていう隠し玉を引っ提げて。
トワたちだってそうだ。
俺を怒って、恨んで、軽蔑して当然なのに、こんなとこまでやってきた。いやまあ、怒ってはいるんだろうな。でも軽蔑はしていなかった。
友人としての怒りだった。
なんで俺のことをまだ友人と思っているんだよ。俺はお前らを裏切ったんだぞ。そうさ。お前らの事なんてなんとも――
左腕と右足を失っても、動けないわけじゃなかった。
避けるべきだったのかもしれない。
避けようと思えば、避けられたとも思う。
でも避けられるわけないだろ。だってさ。
「お前らが後ろにいるんだからよ」
《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の尾が、オルディーネの装甲ごと
「がっ……あっ……っ」
貫かれた。胸を。寸分違わず心臓の位置だった。
『あああ!! クロウ君! クロウ君! やだ、やだよ!!』
トワの絶叫が頭蓋を揺らし、けれどすぐに聞こえなくなる。ゼリカもジョルジュも何かを叫んでいる。わからない。
傾いていく視界の中に、ヴァリマールが映り込んだ。
リィン。起きろよ。立てよ。あとはお前に任せるから。しっかり、やれよ。
『――いつかお前は、守りたいものを守れるようになりなさい。私の願いはそれだけだ』
崩れ落ちていく意識の中で、最後に思い浮かべたのは、じいさんの言葉だった。
じいさん――じいちゃん。
俺、守ったぜ。
でも、もう、俺は。
きっと褒めてはくれないよな。でもせめて、怒らないでくれ。
じいちゃんがいなくなってから、ずっとつけていた仮面を、初めて外せた気がしたよ。