虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第121話 翼を冠する者

 機甲兵の手のひらにパトリックを乗せ、慎重に地面まで降ろしてやる。すぐに近くにいた女子生徒が駆け寄ってきて、意識のない彼を背負ってその場から離れていく。

『私の後輩を助けてくれてありがとう。気を付けて』

 一度こちらに振り返った彼女はそう言った。何か言葉を返したかったが、拡声マイクが壊れていてできなかった。

 コックピットはひどい有様だ。三面モニターの右側は映らず、左側はノイズの砂嵐だけが乱れ、正面はスクリーンの半分以上が割れていた。照明は不規則に点滅し、途切れ途切れのアラートが機体の不具合を訴えている。

 左右の操縦桿は、どちらも血が滲んでいた。

 大した根性だ。本当によくやってくれた。ここからは俺の出番だ。

 トヴァル・ランドナーはパネルキーを叩いて、システム画面を呼び出した。ざっと機体の情報を読み取る。

「……《レイゼル》? これがこいつの名前か」

 製作段階では名前はつけられておらず、『シュピーゲルカスタム』としか呼ばれていなかった。アリサが名付けたのだろう。

 レイゼルには出力制限がかかっていた。セカンドパイロットであるらしいパトリックの為か。あり余るパワーに振り回されないようにしているのだ。ピーキーなレスポンスも極力抑えられている。

 そのリミッターを、トヴァルは解除した。

 連立式オーバルエンジンの駆動が大きくなる。導力が全身に巡り、この機体の持つ本来の力が戻ってきた。

 迅雷の息吹をまとい、関節を凍らせる氷を粉々に散らせながら、ゆっくりとレイゼルが立ち上がっていく。

 カレイジャスに歩を進める《イスラ=ザミエル》が足を止め、肩越しにこちらに振り向いた。

「そうだ。無視なんてできないよな。感じるだろ。お前を脅かすほどの力が、ここにあるんだぜ」

 《イスラ=ザミエル》を挟んだ向こうで、ケストレルも足を立てていた。火炎の熱を揺らめかせ、レイゼルと同様に受けていた氷結の枷を溶かし、白い蒸気を噴き上げる。

 あれは貴族連合の機体だ。事情はわからないが、魔煌兵と戦ってくれたようだ。

 誰が乗っているんだ? 外部マイクがダメならと通信も試してみたが、これもまともに機能してくれなかった。

 まだケストレルは交戦の姿勢を見せている。

 連携が取れるなら二対一で立ち回れるが、ケストレルの操縦士と意思疎通をする手立てがない。だから相手の技量とセンスに任せる他なかった。

「さあ、第二ラウンドと行こうか」

 機体の深奥がグォンと低く唸る。

 朱色の装甲にまばゆい雷光が弾け、レイゼルは荒れ果てた地面を踏みしだいた。

 

 

《――翼を冠する者――》

 

 

「精霊の道を開く……?」

 おうむ返しにしたマキアスは、「で、できるのか?」と質問を重ねてきた。

「やったことはありません。でもやります」

「肝心なところの説明がないわ。魔女の力と引き換えにって、どういう意味なの?」

 アリサが割って入ってくる。

「……言葉通りの意味です。限界を超えて力を行使した場合、魔女の能力は枯渇し、そして回復も二度としない。私は魔女の眷属(ヘクセンブリード)の枠から外れ、ただの人として生きることになるでしょう」

「そんな……それでエマはいいの?」

「正直に言うと、私にもわかりません。そうなった自分が想像できないですから。でも、きっと後悔はしないと思います」

 それでこの場に希望を呼べるなら。それでリィンの望みが叶うなら。失うだけの価値がある。

 精霊の道は複数人の魔女が力を合わせて、霊脈のトンネルを開くものだ。これまでの旅では、セリーヌがヴァリマールの霊力を使い切る勢いで使用することで、各地への道を開いていた。

 単身で精霊の道を形成するなど、見たことも聞いたこともなかった。

 ヴァリマールの霊力は尽きかけているから、ここで術に転用することはできない。力の収束補助の役割を果たす魔導杖もない。しかも私自身、万全ではない。

 けれどこれは最悪の状況で打てる、たった一つの手。

「私はリィンさんの――いえ、Ⅶ組の導き手になりたい。……ただ、それをする前に一つだけ……そうですね、一つだけ聞いておきたいことがあります」

 全員に言う。

「私がただの人になっても、皆さんは一緒にいてくれますか……?」

 瞬間、女子の全員からはたかれる。アリサからビンタを食らい、ミリアムにはふとももをつねられ、フィーには胸を揉まれ、ラウラには拳骨をされた。拳骨は痛すぎた。胸は、なぜ……。

「馬鹿」

 アリサに抱きしめられる。 

「友達でしょ。あなたを大切に想うのは魔女だからじゃない。エマだからよ。わかってるくせに」

「……私は今から、私の中心にあるような大事なものを失くします。やっぱり不安なんです。心のよりどころまで失くしてしまわないか、言葉にしないと立っていられなくなりそうで……ごめんなさい」

「ずっとそばにいるわ。あなたにその選択をさせてしまう、私たちこそ謝らないといけない。ごめんなさい。それと……ありがとう」

 二人の横を通り過ぎ、歩み出たマキアスが眼鏡のブリッジを押し上げた。

「副委員長として指示を出す。男子全員、エマ君の前に立て。Ⅶ組の委員長に火傷一つたりとも負わせるな」

 《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の力は秒単位で増し続けている。高熱の波動が絶え間なく押し寄せてきた。

 マキアスを筆頭に、ガイウスが、ユーシスが、エリオットが体を大きく広げ、熱波を遮る壁となる。そこに女子も続く。さらにアガートラムがバリアを張った。

 最後の力を使う前に、エマはヴィータを見た。目と目が合う。

 姉さんにも、ごめんなさいを言いたい。

 子供の時からたくさんのことを教えてくれたのに、結局私は未熟なままだった。結社に引き入れようとしていたのも、意図はわからないけど、私のことを気にかけるがゆえの勧誘だったのだろうと思う。

 いつか姉さんに追いついて、捕まえて、エリンの里へ連れ帰るつもりだった。おばあちゃんのお叱りを受けて、それでもまた前みたいに一緒に暮らせたら、なんて夢想する日もあった。

 ヴィータに視線をそらされる。何を考えているのか、相変わらずよくわからない人だ。

 ああ、おばあちゃんにも謝らないと。許してはもらえないかも。能力を失ってしまえば、そもそも里に入ることさえ、できなくなるかもしれない。

「まあ、なるようになる……ですね」

 らしくなく楽観的につぶやき、口元が緩んだ。

 エマは丸メガネを外した。レンズに度の入っていない伊達メガネ。自らを偽るために着けていたアイテム。もうこれはいらない。

 自分の前に、仲間たちの背中がある。なんと頼もしいことか。胸に燻る不安など、全て吹き飛んでしまった。

 遠く、マーテル公園の方角に意識を向け、精神を集中させる。

 無数の霊脈をイメージ。視覚化する。ほとんどの“道”が、緋の魔王によって赤く浸食されてしまっていた。その道はもう使えない。

 他を探せ。感知しろ。私が力を失う前に。

 エマの足元から光が立ち昇る――

 

 ●

 

 ケストレルとレイゼルが立ち上がり、《イスラ=ザミエル》がカレイジャスへの進攻を中断する。その様子を、トワは伏したまま見ていた。

 首の皮一枚が繋がった形だが、二機がかりでもあの敵には敵うかどうか。加えて剣を守ったところで、どのみちカレイジャスは飛べないのだ。

「誰か! 誰かいないの!?」

 セリーヌの声が耳に届いた。体の痛みをこらえて、トワは近くのひん曲がった鉄骨の柱に寄り掛かるようにして腰を上げる。

 声のする方に歩いていくと、そこに黒猫の姿を見つけた。肩と頭だけを出して、瓦礫の下敷きになっている。

「セ、セリーヌさん!? すぐにそこから助けるから!」

「大丈夫よ。一応潰れてない。でも下半身ががっちりと挟まってて、抜け出せそうにない」

「だったらなおのことすぐに」

「下手に動かして瓦礫が崩れる方が危ない。ここから出るなら人手がいるわ」

「人手……」

 ブリッジに連絡したが、誰の応答もなかった。

 当然だ。退艦命令を出したあとなのだ。怪我人を優先に、ほとんどのクルーが脱出している頃合いだった。

 爆発には巻き込まれていないはずだから、アルフィンは無事だろう。クララとジョルジュを探して、自分も早く逃げないといけない。外で誰かを見つけて、セリーヌの救出に戻ってくるのがベストか。

 しかし火の手の回りが早い。壁伝いに炎が燃え広がってきている。時間の猶予はどれくらい残されているのか。

「アタシのことはひとまずいいわ。聞きなさい。今からエマが精霊の道を使う」

「精霊の道って……」

 カレイジャスと合流する前、リィンたちは霊脈の流れを利用して、各地に移動していたという。その道を、煌魔城とカレイジャスとで繋ぐということだろうか。

 セリーヌは念話で聞き取った内容を教えてくれた。

 多くの想定外が相次いでいたが、結論を言えば、エリゼ・シュバルツァーをトリガーとして《緋の騎神》が覚醒。そして彼女を取り込むことで、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》へと変貌した。

「エ、エリゼちゃんが起動者に!?」

「エリゼも危険だけど、エマもよ。魔女の力を――」

 毒杯をあおるように喉を絞り、しかしセリーヌは最後まで言い切らなかった。

「……来た! 来たわよ!」

 足元に光が滲み出す。転移の陣ではない。もっと輝かしい霊力の燐光が、床に鮮やかな光の泉を拡げていく。

 初めて目にする。これが精霊の道。

「……本当にエマ一人で開いたのね。小さい道だけど、ブレード一つならぎりぎり通せる。早く剣を光の中へ!」

「ちょ、ちょっと待って」

 ゼムリアブレードは台座から床に落ちたまま、離れたところにあった。

 あれを持ってくる? この場所まで? 不可能だ。

「無理だよ! 精霊の道の位置をずらせないの?」

「転移術とは違うのよ。霊脈を接続しているんだから。移動なんてできないし、繋ぎ直しだって容易なことじゃない」

「そ、そんな」

「なんでもいいから、方法を考えて! 精霊の道を持続させるにも限度がある。時間がない!」

 すぐに頭を切り替える。

 あの質量の剣を、ここまで移動させる方法なら一つだけある。

 レイゼルかケストレル、どちらかに運んでもらうことだ。人間サイズでは手も足もでないが、機甲兵であれば話は別だ。

 だがそれをやるためには、やはり《イスラ=ザミエル》を倒さなければならない。

 トワは立ち尽くし、自分の介入する余地のない巨人たちの戦いを見守り続ける。

 手を固く握り、祈り、待つしかできなかった。勢いを増す炎が荒び、動きようのない己の影を焼いている。

 

 ●

 

 振るわれた大刃が、レイゼルの頭部をかすめる。とっさにかがんでいなければ、間違いなく首が飛んでいた。

 距離を開けたい衝動に駆られたが、どうにか理性で耐えて、反撃の体当たりをぶちかます。

 その当て身を、《イスラ=ザミエル》は正面から受け止めた。リミッターを外しているから、こちらのパワーはさっきより格段に上がっている。勢いに任せて押し込み、たたらを数歩踏ませはしたが、そこまでだった。

 ずしりと踏み止まってみせ、四本腕の一つを振りかぶる。

 凶刃が振り下ろされようとした時、敵の腕に法剣が絡みついた。ケストレルの援護だ。連結を解いた蛇腹構造の法剣を、まるで鞭のように扱っている。

 いい動きだ。まさか幹部クラスが乗っているのか? 

 一瞬よぎった疑問は思考の隅に追いやり、トヴァルはレイゼルの左腕を突き出した。

 至近距離でブレイズワイヤーを発射。振りかぶったまま止まっている剣の持ち手に、アンカーが命中した。剣は《イスラ=ザミエル》の手から離れ、くるくると吹き飛んでいく。

「よし――うおっ!?」

 失った剣に執着を見せることはせず、残った剣で袈裟を裂いてきた。間一髪で飛び退いて逃れる。力任せに法剣を振り払い、ケストレルも引きはがされた。

 強い。二機で連携を取っても押し切れないのか。

 やはり核を狙うしかない。腹部に見える紫光を滲ませる球体。どれほどの力を持っていようと、あの部位が魔煌兵の中枢であることは間違いない。あれを貫くことができれば……。

「ま、そう易々とやらせてくれるわけないよな」

 おそらく鉄壁に等しい硬さだろう。相当の攻撃力がないと、まず粉砕できまい。

 だとすれば《オーディンズサン》だ。通常のライフル弾はパトリックが使い切ってしまっているが、電磁加速砲の特殊弾は一発だけ残っていた。このトールハンマーバレットなら強固な核も破れる可能性がある。

 問題はどのタイミングで撃つかだった。充電のチャージ時間中は動けないし、虎の子の一発を外せば終わり。敵だって止まってはいない。

 ……囮役がいる。

「察してくれよ……」

 トヴァルは機体の向きを変えて、腰部の裏にマウントされた《オーディンズサン》を、ケストレルのパイロットに見えるようにした。さりげない動きだが、今やる必要のない動作。この不自然から、意図を汲み取ってくれるか?

 ケストレルが首をうなずかせる挙動を取った。

 伝わった。勘のいい操縦士が乗っていることに感謝だ。もっともこれがただのアサルトライフルでないことまでは知らないはずだから、こちらが何を狙っているかまではわからないだろう。それでも策があり、その為に隙を作って欲しい旨は届いたのだ。

 双方が同時に動く。

 レイゼルとケストレルは常に挟み撃ちの位置をキープしつつ立ち回った。

「頭の裏にも目を付けとくんだったな。二体を一度には見れないだろ!」

 敵の視線がケストレルに移った瞬間に左腕で狙いをつけ、即座にブレイズワイヤーを発射。

 冷気の気配。地面から突出した氷の塊が盾となり、猛スピードの一撃を防御した。それでも先端のアンカーは氷壁を貫通したが、勢いを殺されて失速したワイヤーが敵につかまれてしまった。

「引きちぎる気か!」

 右腕を失っている現状、唯一の中距離攻撃の手段だ。すぐにワイヤーの巻取りをしなければ――ダメだ。接触部が氷結させられて、リバースロールができない。戦車をまとめて数台は牽引できる頑強なワイヤーから、ぶちぶちと断線の異音が発する。

 赤い残光が眼前を擦過した。

 ケストレルの斬撃だ。炎を宿した法剣が空を切り裂き、高熱の剣閃が氷の盾を両断する。おかげで氷結部が溶けて、断線寸前でワイヤーを引き戻せた。

 安堵する暇はなかった。

 今度はこちらを取り囲むように氷の刃が空中に精製され、八方から一斉に襲い掛かってきた。

 ヴァルキリーブーストで包囲網から離脱を。しかしこの物量では逃げきれない。

 トヴァルが次の操作を逡巡した間に、ケストレルは素早く跳躍していた。

 ブースターを巧みに吹かし、深紅の機体が鮮やかに舞い踊る。渦を描くように広範囲に法剣を振るい、灼熱の連撃をもって、氷刃の全てを迎撃してみせた。

 気化した氷が水蒸気となって、視界を白く濁らせる。それを目くらましに、さらに法剣の追撃。音速に達した剣先が破裂音を弾けさせ、《イスラ=ザミエル》の剣の一本を叩き落とした。

 発生した水蒸気はすぐには晴れない。濃霧の中で、敵の影が惑ったように蠢く。こちらを見失っている。今しかない。

 トヴァルはオーディンズサンを装備した。

 電磁加速砲モードへ可変。踵のフックを地面に食い込ませ、機体を固定。手のひらのコネクターをグリップに接続。導力を電力に変換し、銃身に莫大なエネルギーを注ぎ込む。

「まだ気づいてくれるなよ……!」

 機体ダメージのせいか、チャージが遅い。充填率30、35、40パーセント――

 《イスラ=ザミエル》の影がこちらを見た。力の伝導による空気の振動を察知されたか。近づいてきた。人型の輪郭が濃くなってくる。

 充填率75、80パーセント――

 霧の向こうで、悪魔の双眸が妖しい光を揺らめかせた。悪寒が背を震わせる。

「っ!!」

 トリガーを引く。

 激発した雷光の矢が、一瞬で水蒸気を吹き飛ばした。

 《イスラ=ザミエル》の光輪が膨れ上がる。

 レイゼルの放った最強の一発は、十字に構えた鉈剣の交点で受け止められていた。ひと際大きな稲妻がバリバリと唸りを上げ、しかし敵の核には傷一つ付けられずに終わった。

「くそっ……!」

 中途半端な威力で撃ったせいだ。フル充填まで待つべきだった。エネルギーを使い切らなかったおかげで行動不能にこそ陥っていないが、これで有効な攻撃手段は使い果たしてしまった。

 《イスラ=ザミエル》の背後にケストレルが接近する。不意打ちだ。しかし異常な反応速度で《イスラ=ザミエル》は振り向き、剣を横一文字に斬り払った。

 逆に不意打ちを食らったケストレルの胴体が真っ二つに切断される。生き別れた下半身が火花を散らして転がっていき、上半身はぐしゃりと地面に落ちた。微塵の慈悲もなく、《イスラ=ザミエル》はケストレルの頭を踏み潰す。

 再び敵の目がこちらに向けられた。

 “人間ごときが何をした”

 感じる傲慢で横暴な意志。明確な殺意の発露と同時に、レイゼルの首がわしづかまれた。

 荒々しく引きずられる。

 すぐ近くに一面がガラス張りの建物があった。クリスタルガーデンだ。アルフィン皇女が園遊会で出席し、テロに巻き込まれた場所。その地下には暗黒竜《ゾロ=アグルーガ》の骸が眠っていたという場所でもある。

 戦っている内に、いつの間にかこんなところまで移動してきていたらしい。

「おいおいおい、まさか……」

 ぐんとレイゼルの巨体が持ち上げられた。抵抗の間もなく、クリスタルガーデンに叩きつけられる。盛大に壁面が砕け、大量のガラス片が降り落ちてきた。

 

 

「……大丈夫? お姫様」

「ん……ど、どうにか」

 スカーレットに額を撫でられ、アルフィンはまぶたを開いた。

 メインモニターはブラックアウトして、何も映っていない。開いたままのコックピットハッチの隙間から外の様子が見える。クリスタルガーデンにレイゼルが投げ入れられたところだった。

「レイゼルまで……。え、血!? スカーレットさん、血が!」

「わめかないでよ。余計に痛くなるから」

 スカーレットの頭から鮮血が流れ落ちている。アルフィンは彼女の腕の中にいた。身を挺して守ってくれたのだ。

「とりあえずケストレルは大破。下半身がない。頭も潰されてる。機能不全のオンパレード。爆発していないのが奇跡ね」

「脱出しましょう」

「何言ってるの? まだあの魔煌兵を倒してないわ。そうしないと司法取引の材料が手に入らないじゃない」

「そ、そうですけど」

 スカーレットは何かを考え込んだあと、また口を開いた。

「……レイゼルのパイロットがさっきと違う。動きの癖が異なってる。多分、誰かが乗り替わってる」

「カレイジャスには他にレイゼルを動かせる人なんていません」

「事情は知らないわよ。でも確かね」

 スカーレットは戦闘のプロだ。彼女が言うならそうなのだろう。だが思い当たる人物はいなかった。

「大きな戦いには流れがある。必ず勝機はやってくる。問題はその波が来た時に、自分が生きているか死んでいるかということだけ」

「耐えることも戦いということですか」

「私はここでその時を待つ。もちろん、あなたには降りてと言いたい。でもどうせ私の言うこと聞かないんでしょ?」

「はい」

「なら、どこまでも付き合ってもらう。お互い死んだらそこまで。私から離れなかった選択が間違いだったと、煉獄の底で悔いなさい」

「生き延びるときも一緒ということなら、悪くない提案ですね。ですがその機が来たとして、私たちに何ができますか?」

「これを」

 スカーレットは機体状況をモニターに表示させた。もはや無事な箇所を探す方が難しい。

「ケストレルは這いつくばって、移動さえままならない。でも右腕だけは動かせる。そして幸い右手の法剣は握ったままよ。まあ、振れるのは一度きりでしょうけど。……お姫様に頼みがあるの」

「何でも言ってください」

「腕を痛めたわ。激痛のせいで細かなレバー操作ができそうにない。だから、あなたにも手伝って欲しいの。タイミングは私が主導するから」

「わたくしが……いえ、やります」

 腹はくくったあとだ。操縦桿に手を伸ばしかけた時、

「もう一つ。私の眼帯、外してもらえる?」

「それは……いいんですか?」

「いいの」

 恨みだけを抱いていられるよう、物事の半分を見まいとするが為、その象徴としてつけていたという眼帯。

 それをアルフィンは優しげな手つきで取り外した。彼女の人生を蝕む呪縛ごと外すかのように。

「どうですか?」

「良く見えるわ」

 綺麗なエメラルド色の瞳が、アルフィンから正面に据え直される。

 もう言葉はいらなかった。静寂の中に、二人分の吐息の音だけが聞こえる。

 いつ来るとも知れない好機を待ち続け、操縦桿を握るスカーレットの手の上に、アルフィンは自らの手の平を重ねた。

 

 

「……待てよ。それでとどめを刺したつもりなのか?」

 右腕を失い、全身をズタズタにされてなお、全身に被っていたガラス片をばらばらと振りまきながら、レイゼルはまだ立ち上がる。普通の機甲兵ならとうの昔に破壊され尽くしているだろう。

 カレイジャスに向かおうとしていた《イスラ=ザミエル》は、再三に足を止めさせられ、ある種の怒りを発しているようだった。無表情のはずの鉄面に、塵クズを払えない苛立ちが浮きだっているようにも思える。

「お怒りか。悪いが怒っているのはこっちも同じでね。見ろよ、このクリスタルガーデンの有様を。誰が修繕費用を払うと思ってる。そうだ、オリヴァルト殿下だ!」

 大穴の開いた壁。ことごとく割れた一面ガラス。木っ端微塵で見る影もない調度品の数々。原状回復費がいかほどの額になるか、想像するだけで頭痛がする。

 そうとも。俺のせいじゃない。許せねえぜ、魔煌兵。

「あー、いってぇ……」

 元々ひどい状態だったコックピットが、もっとぐちゃぐちゃだ。どこかの破損した器具が、右の肩口に突き刺さっていた。操縦しにくいから先に抜きたいところだが、それをすると出血が激しくなる。

 機体も、俺も、限界が近い。まともに戦える時間は少ないだろう。だったら後先考えずにやってやるさ。

「《フルストームモード》起動……!」

 駆動系が導力から電力依存に切り替わる。青白い光が内部フレームを包み、装甲の隙間から露出した関節部に稲妻が走った。操作レスポンスの極限強化だ。

 レイゼルが地を蹴る。凄まじい速度で《イスラ=ザミエル》との距離を詰める。片刃ナイフ《レヴィル》を装備。刃に電気が伝わり、雷光の尾を引いた。

 本来、フルストームモード使用時はレヴィル以外の武装をパージする。重量を減らすことで最大速度を出すためのものだが、そんな状態でまともな操縦ができるのはアリサしかいない。むしろ彼女以外の場合は速度制限が必須のため、トヴァルはあえて装備を残す判断をしていた。

 敵の二刀が圧を放ち、レイゼルに切りかかってくる。刃の軌道を読んで、紙一重でかいくぐった。臆せず懐に踏み込む。

 高速回避からの雷撃一閃。

 切り上げが《イスラ=ザミエル》の手首に深い傷を刻み、止まらず返す刀で切り下ろし。電光石火の二連撃が敵の手を切断した。三本目の剣が落ちる。

「うぐっ……!」

 目まぐるしく左右に回転する視界の中で、さらに最後の一本を狙う。が、突き出した刃は直接握って止められた。万力に固定されたかのごとく、引くも押すもできない。

 このまま電撃を食らえ。

 ばりばりと電気を放出。それをものともせずに、《イスラ=ザミエル》はレヴィルを握り潰した。

 相手が膝蹴りを繰り出してきた。レイゼルも膝蹴りで応戦する。ズガンと衝突する互いの装甲。レイゼルが押し負け、数歩後退する。

 攻めは緩めない。拳を固め、殴りかかる。

 氷の盾がまた現れた。厚さは二アージュ強。ブレイズワイヤーでさえ防いだその盾に、レイゼルの拳が阻まれる。

「なめんなよ……!」

 腕そのものに電撃をまとわせる。氷は絶縁体だ。電気はほとんど通さない。

「属性の相性なんざ関係あるか! 根性と気合でぶち破れよ、レイゼル!」 

 《レイゼル》――翼という意味だったか。いい名前だ。その名の通り、力強く羽ばたいていけ。

 バックパックウィングがばんと開く。圧縮空気を全解放。背中を巨大な手のひらで押されるような瞬間加速が乗り、氷に拳をめり込ませた。

 ひび割れる氷塊。雷をほとばしらせながら、突き進む拳。

 突破。炸裂。重さと速さを加算させた殴打が、四本目の剣の腹を捉えた。マニピュレーターの五指が圧砕するのも構わず、全力の拳を振り抜く。手は痛ましく砕け散り、そして敵の剣もど真ん中から砕けた。

 これで全部の剣を無力化した。だがこちらの両腕も使い物にならなくなった。

 攻撃できる手段が次々と消えていく。トヴァルは倒れ込むようにして、身一つでタックルを仕掛けた。

 また掴んで止められる。武器はなくても、相手は使える腕がまだ三本あるのだ。ホールドする中心に力をかけ、こちらを圧壊させようとしている。ミシミシとコックピットが悲鳴を上げた。

 捕まえられたまま、ブースト起動。フルパワーの推力で《イスラ=ザミエル》を押し返す。しかし離してはくれない。土くれをえぐって後退しながらも、踏み止まられる。まだだ。重ねてブースト起動。さらに押し込む。

 カレイジャスが不時着した広場と違って、ここは休憩所もある談話区画だ。大地を激震させる巨人の足が、ベンチや花壇、噴水をことごとく蹴散らしていく。

 その内に、倒されたケストレルの残骸付近にまで戻ってきていた。

 操縦士は無事なのか。目をそちらに向けかけた時、地面から突き上がった氷の刃が、レイゼルの腹部を貫いた。操縦席の真下に衝撃が走る。しまった、そこには。

「エンジンが……!」

 連立式オーバルエンジンに致命傷を受けてしまった。

 行動不能になるのを待つ気はないらしく、《イスラ=ザミエル》は三本腕で執拗に殴りつけてくる。上下左右に激しく揺さぶられるコックピット。シートベルトまでも外れ、トヴァルはモニターに何度も体を打ち付ける羽目になった。

 心臓部をやられた。出力が下がり続けている。どうにもならない。

 まもなくレイゼルは死ぬ。

 何かないか、一矢を報いる方法は。せめて巻き添えに。たとえば自爆装置なんかは――あるわけがなかった。

 この機体の製作には俺も携わっている。だから曲がりなりにも操縦ができるし、性能も特徴も知っている。

 だから、レイゼルが何のために作られたのかを知っている。

「……!」

 そして思い出した。翠耀石の特性を転用したレヴィルを始めとする五つの武装に、高速機動特化のフルストームモード。この六つの能力とは別に、七つ目の力があったことを。

 兵装選択。起動。

 反応しない。使えない。エネルギーが不足している。

「そうだよな。……そういう仕組みだった」

 どう使うかは、おそらくアリサも知らない。元々の仕様から変えられているから、そもそも使えるとも思っていないかもしれない。グエン・ラインフォルトの意図に気づいてさえいないだろう。

 戦闘動作の為にレイゼルの手足に送られていた導力を、トヴァルはほとんどカットした。機体のパワーがさらに落ちる。その四肢に回っていた分の導力が、自動的に一点に集約されていく。それでもまだ使えない。《イスラ=ザミエル》の猛攻は続く。

「紅翼の守護者なんだろ! 今日までその身を盾にしてきたんだろ! だったら最後まで……最後までなあ……っ!」

 落ちるコックピットの照明。暗転するメインスクリーン。音を失う警報アラート。ヒビだらけのディスプレイに、しかしわずかな光が灯った。

「守り抜いてみせろよ!!」

 《REACTIVE ARMOR》

 光は文字となって浮き立ち、末期の力の名を示す。

 瞬時にして、輝く障壁がレイゼルの前面に広がる。シュピーゲルだけが有する絶対防御――リアクティブアーマーが《イスラ=ザミエル》を弾き飛ばした。

「離れてもらっちゃ意味がないんだよ!」

 内側から障壁に触れないように、斜め前に向けてブレイズワイヤーを撃つ。アンカーに備えられた噴射口から圧縮空気を放ち、弧を描いたワイヤーが《イスラ=ザミエル》の鎖骨部を穿った。

 機体を特攻させると同時に、リバースロールで引き寄せる。一気に縮まる相対距離。高密度のエネルギー壁が敵に衝突し、接触面の体表を削り散らしていく。

 このまま核もやってやる。

 しかしそれ以上《イスラ=ザミエル》に密着できない。腕で押し返されている。なんてやつだ。アーマーを出現させていられる時間が刻一刻と減りつつある。

 急に《イスラ=ザミエル》の姿勢が傾いた。その足首に何かが巻きついている。法剣だ。大破したはずのケストレルが剣を振るったのだ。

 バランスを崩した敵が背中から倒れゆく。追うようにしてレイゼルも前に倒れ込み、覆いかぶさる恰好になった。マウントポジションを取ったこの体勢なら。

 《イスラ=ザミエル》が狂暴に唸った。二本の腕でレイゼルの密着を拒みながら、手首から先のない方も合わせて、残りの二本でレイゼルに拳を叩き込む。

 装甲がめくり上がり、フレームが損壊しても、レイゼルは耐え続けた。

 呆れた耐久度だ。

 レイゼルのコックピット周りは、特に堅固な補強を施されている。何十にも編み込まれた金属製の鋼線と、特殊なカーボン素材で何層にも覆われているのだ。数発なら戦車砲にも耐え得る強度だ。

 だがそのせいで機体バランスと重心位置に、微妙なずれが生じている。

 ここさえ修正すれば、より精細な高機動を実現できると、トヴァルはグエンに何回も進言した。しかしその提案を、彼は頑として受け入れなかった。

 搭載しているだけでエネルギーを食うリアクティブアーマーの機構も、取り外そうとしなかった。そうすれば基本出力はまだ上がるし、五つの武装に導力が回されるせいで、アーマーはどのみち使えないと指摘しても、やはり聞き入れてくれなかった。

 完璧に手の届く帝国最高峰の技術者が、あえて完璧を目指さない理由。

「わかってたさ。そんなこと……」

 目指さなかったんじゃない。

 そうとしかできなかったんだ(・・・・・・・・・・・・・)

 今は強制的に使ったが、本来のレイゼルのリアクティブアーマーの発動条件は違う。

 機体が敗れ、武器を失い、手足を欠損し、戦う力を削がれたその時、供給先のなくなった導力を一点に集めることで、自動で防護壁を展開させるというものだった。

 たとえ完璧なバランスを持つ機体じゃなくなっても、無駄にエネルギーを食うスマートな機体じゃなくなっても、一つでも多くの守りの手段を残したかったんだ。

 レイゼルの設計コンセプトは“機甲兵を狩る為の機甲兵”などではない。それは手段であって、目的ではなかった。

 “操縦士を必ず戦地から帰還させる為の機甲兵”

 グエンが心の内に描いていた真のコンセプトは、それだった。

「……グエン老も、イリーナ会長も、アリサ嬢も、本音をひた隠しにするのはラインフォルト家のお家芸ってか」

 だからグエンが、レイゼルが、本当に守りたかったものは、きっと、ずっと、たった一人だけ――

「魔煌兵は一体で完結する存在だ。お前は違う。積み重ねられた技術の系譜と、たくさんの想いに紡がれて作られてる。人の生み出した力を見せてやれ……!」

 《イスラ=ザミエル》が背の光輪を激しく瞬かせた。無理やりに上半身を持ち上げてくる。

「ああ、知ってるよ。人の手では決して倒せない。それが魔煌兵の伝承なんだってな。まったく参るぜ。そりゃいったい――」

 操縦桿を握りしめる。

「何百年前の話だ!!」

 最後のヴァルキリーブーストを直上に向かって放つ。爆発的な推進力の全てが、強大な圧となって直下へと注がれた。

 起き上がりかけていた上半身を一気に押し返し、四本の腕もまとめて《イスラ=ザミエル》を圧し潰す。

「らああああっ!!」

 負けるな。相手が最強の魔煌兵なら、お前は最強の機甲兵だ。

 束なる蒼い雷光が、虚空に巨大な亀裂を刻みつける。

 障壁の界面が、ついに敵の核に到達した。身じろぎさえ許さず、鮮烈に爆ぜるスパーク光。雷鳴と断末魔が轟いた。

 《イスラ=ザミエル》の全身が崩壊し、紫色の光の粒へと変わる。他の魔煌兵と同様に、その姿がかき消えていった。

 同時にレイゼルも力尽きた。守護の役目を終え、全機能を停止させる。

「……はっ、見たかよ」

 トヴァルはレイゼルのコックピットから這い出ると、リィンたちがいるであろう煌魔城のてっぺんに人差し指を向けた。

「どうだ。お兄さんは頼りになるだろう?」

 

 ●

 

 トワはゼムリアブレードを押していた。身をかがめて、大きな柄に小さな手をかけて。

「な、何やってんのよ!? そんなやり方でこっちまで運べるわけないでしょ!」

 瓦礫の下からセリーヌが叫ぶ。言われるまでもなく、承知の上だ。

 レイゼルとケストレルは《イスラ=ザミエル》を倒してくれた。だがその代償として、両機ともに行動不能。とてもではないが、カレイジャスまで来て、剣を運べるような状態ではなくなっていた。

 せっかく地上の危機が去ったのに、ブレードを天上へと送る手段が無くなってしまったのだ。

 だからこれは、ただの意地だった。

「んっ……」

 力いっぱいに押す。全長7アージュを超す大剣は、ピクリとも動いてくれない。

 無意味なことだと、頭ではわかっている。でも諦めたくないと、心がそう思っている。

 詰まるところは、受け入れられない現実をわめいて拒絶しようとする子供の駄々に近いもの。

 そう、わかっている。わかっていても、剣に背を向けてこの場所を離れることが、どうしてもできなかった。

「もういいから、早く誰か呼んできなさいよ! 無理だってば!」

 トワは答えなかった。

 ブリッジに通信が繋がらないのは先刻試した通りだし、そもそもクルーが艦には残っていない。

 船倉はすでに火の海だ。一人で足掻いている間に、避難できるような安全地帯もほとんどなくなっていた。

 この期に及んで悪い癖、というべきなのか。

 なんでも一人でどうにかしようとするようになったのは、いつの頃からだっただろう。

 覚えている限りでは、お父さんとお母さんが飛行艇の事故で亡くなって、叔母夫婦に引き取られてからだ。

 両親との別れはつらかったけど、天文学者の祖父が可愛がってくれて、私の寂しさを埋めてくれた。叔母さん達だって優しかった。この手の境遇にありがちな、存在を疎まれて、引き取られ先で肩身の狭い思いをしたなどの経験もない。

 私は愛情に恵まれていた。

 してもし足りないくらいの感謝をしているが、どうしてか自分は周囲をあまり頼ろうとしなかった。それは多分、心の底に、他人に無用な迷惑をかけちゃいけないという気持ちがあったからだ。生来の抱え込みがちな性格も影響していたと思う。

 もっとがんばらないと。もっとしっかりしないと。

 そうして、たくさんの本を読んだ。学者である両親が遺してくれたものだ。難しい本もあったけど、お父さんたちが読んだものを自分も読むことは、もはや叶わないはずの親子の会話をしているようで苦にはならなかった。

 知識は得た。知識に基づく判断もできるようになった。

 奨学金制度が充実していたトールズ士官学院に入学して、生徒会に入って、日々発生する業務と舞い込む依頼に追われて、けれど気質に合っていたからか、それも苦ではなくて、気付けば生徒会長になっていて――

 そうなってからも、一人でなんでもやろうとする癖は変わらなかった。

 暑い日も、寒い日も、雨の日も、風の日も、雪の日も、一人で学院中を駆け回って。

 手伝おうとしてくれる人もいた。その人に私は決まってこう言うのだ。『ありがとう。大丈夫だよ。心配しないで』と、笑顔で。

 本当は手伝って欲しい時もあったくせに。

「あ、あれ……」

 どうしてこんな時に、そんなことを思い出すんだろう。

 ああ、同じだからか、今と。

 退艦命令の後でも、もっと早い段階で救援を求めるアナウンスの仕方はあったかもしれないのに、それを思いつけなかった。

 頬を伝った涙がぽつりと腕に落ち、すぐに蒸発して消える。

 もう、わかっていた。何に意地を張っていたのか、何を認めたくなかったのか。

 この戦いの敗因が、私であることだ。

 否定してもしきれない。やっぱりアルゼイド子爵の采配だったなら、ここまでの窮地に陥ることはなかったかもしれない――

「また無茶なことをやろうとしてるな、トワは」

 太い腕が伸びてきて、トワの左横から剣の柄に手を掛ける。 

「あ……! よ、よかった。無事だったんだね」

「まさか。一張羅が台無しさ」

 焦げ付いたツナギ服を見せ、ジョルジュは首をすくめた。建材が盾となって、際どいところで爆風から逃れられたという。

「その光のところへゼムリアブレードを移動させるのかい? 控えめに言っても無茶というか、無理だろう」

「他に方法がなくて。……一人だったし」

「一人じゃないさ」

 その声はジョルジュではなかった。今度はトワの右横からアンゼリカが柄に手掛ける。

「アンちゃん!?」

 ジョルジュのツナギと同じように、彼女のバイクスーツも焦げ、ところどころが破けていた。炎の中を突っ切ってきたのだろう。パンタグリュエルから帰還したアンゼリカは、医務室で手当てを受けていたはずだった。退艦命令に従わなかったのか。

「はは、いつものメンバーがそろっちゃったか」

「いつもというなら一人足りないがね。とりあえずは三人だ」

「ま、待ってよ!」

 ありがとうと言いたかったはずなのに、口を衝いて出たのは文句だった。自分のここまでの意地は置き、トワは二人に言う。

「三人だってどうにもできないよ。数人はもちろん十数人いても動かせるかどうか――」

「なら、数十人ではどうだろう」

 アンゼリカが言った直後、船倉ドックの後部扉があった位置の破孔から、多くの学院生がなだれ込んできた。

 クレインとロギンスに続き、ハイベルやエーデル、アランにブリジット、ニコラスにエミリー、ロジーヌ、ポーラ、ベッキー、フィデリオ、ドロテ、モニカ、ヴィヴィ、リンデ、ステファン、コレット、他にも大勢、先輩も後輩も突入班も待機班も関係なく、おそらくはクルーのほとんどが姿を見せていた。

 上級生たちの威勢のいい指示が飛び交う。

「まずは火を消せ! 消火剤じゃ間に合わねえから、魔導杖持ちは水属性アーツをぶっ放してこい!」

「剣を動かすんだとよ! ロープで縛って引っ張れ! 刃の側に立つやつは気をつけろ!」

「マッハ号とシュトラールに手綱をつけろ! 文字通りの馬力だ。あとバーサーカー化してるケネスとムンクも連行してこい!」

「つーかマルガリータは!? あいつがいりゃ一撃だろうが」

「医務室でヴィンセントの手当てに注力してる。愛に殉じている最中だし、呼び立てるのはちょっと……」

「ああ、やめとこう。俺らが死ぬ」

 あっという間に火は消えていき、剣の周りに集まった学生たちが、牽引のセッティングを見事な手際で進めていく。

「な、なんで? どうしてみんながいるの? 私の退艦命令は!?」

「いわゆる命令違反だ」

 混乱するトワにアンゼリカが言った。

「違反って、どういうこと? 軍紀は守るべきって学院のカリキュラムでも厳しく教えられてるのに」

「軍だったらね。軍属の在り方を学ぶとはいえ、私たちはあくまでも士官学院生だ。お咎めを受けるいわれはないはずだが」

「そんな理屈……」

「わかってるよ。すまない。けど私が指示したことじゃない。彼らが示し合わせたわけでもない。本当だ。個々の判断の結果、たまたま皆がここにいる」

「あり得ないよ」

「あり得たから、この光景がある」

 牽引の準備が整う。それぞれが配置につく。トワの号令を待っている。

「みんなの顔を見て欲しい。トリスタが占拠された日、学院に残った者も、町の外に出た者もいた。散り散りになったんだ。だがどうだ? あれから二か月、カレイジャスには再び全員が集まっている。それは君がそう指示したからか? 必ず戻ってこいと、そう命令したからか?」

「ううん……私は何も言ってない」

「そうだ。一人一人が赴いた場所で誰かと繋がり、学び、成長し、自らの得た技能と経験を役立てようと、《紅き翼》に合流した。それは彼らの意志だ。だから旅の最後になる場所も、自分たちで決める」

「その場所が……ここでいいの?」

「ここがいいんだ。さあ、君の言葉で君の望みを教えてくれ」

 トワは顔を上げた。自分を見る者たちを、トワもまた見返した。

「ここに来てくれてありがとう。この剣をリィン君たちに届けたいの。お願い。みんなの力を貸して!」

 踵のそろう音が重なり、『了解!』の返答が船倉に響く。

 全員の力を合わせて、ブレードを引き、あるいは押す。魔獣のルーダとクロもやってきて、助力してくれた。

 少しずつ、少しずつ、巨大な刀身が動いていく。

「……“ありがとう、力を貸して”か。パンタグリュエルに制圧戦を仕掛ける直前にも同じことを言っていたね。ああいう言葉は、普通は艦長の立場にある人間は使わない。従え、でいいんだ」

 剣を押しながら、アンゼリカが言う。

 トワは苦笑した。

「うん。私ね、つくづく艦長には向いてないと思うよ」

「私もそう思う。必ずしも能力と資質が一致するとは限らない。君は有能な指揮官だが、優し過ぎる。たとえば戦いの中で、私たちを切り捨てざるを得ない局面が出たとしても、結局そうできないのがトワだろう。いついかなる時も冷酷になれとは言わないが、大局の為に戦果を求められる艦長として、やはりそれは致命的だ」

「そうだね」

 まったく正しい見解だった。否定する気もない。

「トワ。おそらく君は一つ、理解していないことがある。私たちがどうして船倉に集まったかだ」

「どうしてって……自分たちで決めたからだって、さっき言ってたじゃない」

「剣がそんな状態になっているなんて、私たちは誰ひとり知らなかった。わかっていたのは艦が修復不可能な大打撃を受け、君が船倉から放送で退艦命令を出したことだけだった」

「……?」

「もしもその命令を下したのが元の艦長たるアルゼイド子爵だったら、きっと私たちは従ったと思う。だがね。私たちの艦長はトワで、そして私たちは誰もがトワ・ハーシェルという人間を知っている」

「よくわからないよ。子爵閣下の判断の方が私より説得力があるってことなら、そんなの自分でもわかって――」

「私たちに退艦しろと指示したトワこそが、どうせ最後まで艦から逃げないだろうと、みんなが思ったのさ」

「え」

 危うくブレードから手を離しかけた。

「な、なんで……?」

「知っているからだと言った。みんな君を見てきた。艦長代理をやる前、学院にいた頃からずっとだ。暑い日も、寒い日も、雨の日も、風の日も、雪の日も、私たちの為に学院を駆け回る姿を。……知ってるんだよ、君がどんな人間であるかなんて。みんなトワのことが好きなんだ。君の安否を確かめずに艦を離れることができないくらいには」

 今度こそ、視界が滲んで何も見えなくなった。蒸発してくれない雫が、いくつも床に落ちる。

「非情に徹することができない君は、確かに艦長としての器ではないのかもしれない。でも私たちを切り捨てられない君を、私たちもまた見限らない。開戦直前に私が言ったことを覚えているかい?」

「うん……うん……っ」

 “君は勝つ。私たちが君を勝たせる”

 ブリッジでアンゼリカに告げられたその言葉。

「この戦いの勝因は君だ。私たちにとって、君以上の艦長など存在しない」

 剣が勢いよく床の上を滑る。

 皆の想いを乗せたゼムリアブレードが、ついに精霊の道へとたどり着いた。

 届いた。繋がった。希望の灯火は消えていない。

「……?」

 しかし変化が起きない。そういえばさっきより光が弱まっている。

 セリーヌが首を垂れていた。

「……間に合わなかったわ。……エマの力が消えていく」

 

 ●

 

 限界を超えた。いや、限界はとうに超えていた。超えた限界のまま、力を持続させ続けていた。

 ついに力の終わりが来た。

 急速に霊力が失われていく。というよりも霊力の感知ができなくなってきているのだ。

「エマ!」

 こちらに振り向いたアリサが叫び、エマは折れかけていた膝をかろうじて保った。

 強い虚脱感が全身を襲う。立っていられないほどだ。

「け、剣は……?」

「まだ、まだ来てないの……」

 朦朧とした意識の中で問うと、アリサはそう告げた。

 精霊の道は繋がっている。ならば私の力が足りないのか。

 カレイジャスの状況を確認するために念話術を使ったが、セリーヌは応答しなかった。術自体がもう使えなくなっているのだ。今までどんなふうに魔女の術を行使してきたか、当たり前に持っていた感覚が思い出せない。

「エマ、大丈夫!?」

「わ、私は……」

 思考が定まらず、視界が狭まっていく。

 荒ぶ炎に炙られて歪んだ視界の向こうに、《エンド・オブ・ヴァーミリオン》の影が揺らいでいる。最初はまだ届きかけていたオルディーネの攻撃が、今はまるで効いていない。竜の鱗を思わせる緋色の外皮も、赤みが濃くなってきた気がする。

 熱波の勢いが増してきた。

 ユーシスが倒れた。彼をかばうマキアスも、続いて膝をついた。

 ミリアムがアガートラムでバリアを張っているものの、強力な熱線まで防ぎ切れていない。

 それでも仲間は、自分の前から動こうとしなかった。

「ごめん……なさい……」

 決死の覚悟は偽りではなかった。しかし及ばなかった。投げ打った私の全部でも、足りなかったのだ。

 光は薄れ、精霊の道が閉ざされていく。

 魔女としての自分が消えていく――

「前を向きなさい」

 ぴしゃりと叩きつけられた声音に、エマは顔を上げた。

 ヴィータが真横に立っていた。差し出してきた杖に、エマの指が触れる。

 瞬間、凄まじい霊力が流れ込んできた。

「あっ!?」

 体中に電流が走ったかのように、エマの目が見開かれる。暗澹としていた意識が一気に覚醒した。

 ヴィータがため息ともつかない呻きを、口の端からもらす。

「魔女の力を捨てるなんて、馬鹿げているとしか思えない。しかもそこまで霊力を酷使してしまったなら、もう私にも歯止めをかける術はない。ただ……それがあなたの決意であることはわかった」

「……姉さん」

「そうまでして、成したいことがあるんでしょう。私の力を貸すわ」

「それは……どうして?」

「緋の騎神の復活が私の望みだった。でも魔王の顕現までは望んでいない。あれは放置のできないもの。利害の一致という言葉が適当かしら」

 騎神を復活させたあとの目的は相変わらず語ろうとしないが、利害の一致であることは本当なのだろう。

「私と一緒にこの杖を持ちなさい。盟主から授かった世界に二つとない至高の魔杖よ。自分以外に触らせたことはないんだからね」

「あとで見返りとか要求しない?」

「可愛くないわ。妹が困っていたら、助けてあげるのが姉の役目でしょうに」

 ヴィータとエマ。二人の手が、杖のシャフトを握る。

 増大する力。しかしそれでも、精霊の道は安定しない。

 ヴィータが眉根を寄せた。

「なるほど。この熱の波動のせいね。私たちの収束させた霊力に干渉してる。開いた精霊の道を侵食しようとしているんだわ」

「ミリアムちゃん……!」

 人の壁では限度がある。アガートラムの障壁で防御する以外に方法はない。

 最前列に立つミリアムは、苦しそうに耐えている。

「ボク、がんばるよ! がんばってるけど、これ以上はガーちゃんのパワーが上がらないんだよ……!」

「そうです。あなたはその程度なんです」

 我が意を得たりと言わんばかりの声に、「へっ?」と首をかしげるミリアム。その直後に、頭上からアルティナが飛び降りてきた。

「アーちゃん!?」

「なんでしょう……仕返しに来たのですが、私の想定していない状況のようです」

 彼女に続いて、クラウ=ソラスも降りてきた。

「まずはここに至る経緯の説明を求めます」

「そんなことやってる場合じゃないってば!」

「それでは次に取るべき行動を決めかねます。必要な情報です」

「見たらわかるじゃん! 力を貸してよ!」

「私が? あなたに? なぜ? ……え?」

 心底意味がわからないらしいアルティナは、エマと並んで立っているヴィータに気づき、さらに困惑したようだった。

「ど、どうしてクロチルダ様が敵方に助力を……? 理解の範疇を越えています。だ、誰か早く説明を……」

「もう!」

「ふぃいっ」

 ミリアムがアルティナのほっぺたをびいぃと引っ張った。

「理由とかどうでもいいの! お姉ちゃんが困ってたら、助けてくれるのが妹でしょ!」

「あなたを姉なんて認めまひぇえええっ!?」

 ぎゅむーと伸びる頬。

「いいから! 助けて! もっと引っ張っちゃうよ!」

「ひゅらうひょらひゅ!」

 クラウ=ソラスと叫んだようで、黒い障壁が展開された。アガートラムのバリアに合わさって、防御の威力が格段に跳ね上がる。

 阻害されていた霊力の流れが、正常に戻った。

「いける!」

「ええ……!」

 ヴィータとエマが杖を掲げる。

 二組の姉妹の協力が、途切れかけていた精霊の道を再び繋げた。

 

 

 呆然とするトワの目の前で、煌びやかに輝く粒子が精霊の道からあふれ出す

「こ、これって、さっきよりも」

「精霊の道が安定してるわ!」

 言葉の先を継いだセリーヌは、想像していなかった事態に目を丸くしていた。

「でも……エマだけの力じゃない。ヴィータの霊力も混ざってる。ど、どういうことなのよ!? でも今なら――!」

 セリーヌも霊力を放ち、“道”の入り口を固定した。

 全員の見守る中、ゼムリアブレードが光の泉に沈んでいく。

 やれた。託せた。これで、あとは――

「アンタ達はどうすんの!」

 いきなりセリーヌに怒鳴られ、トワはびくりとした。

「ど、どうって」

「事情は知らないけど、ヴィータも協力してくれてる。おかげで精霊の道の幅が広がった。余裕があるわよ、三人分(・・・)なら!」

 トワは息を呑む。心臓の鼓動が高まり、汗ばんだ手のひらを握りしめる。

 託すしかないと思っていた。その為にバックアップに全力を尽くした。役割は確かに果たしてみせた。

 でも本当はどうしたかった? リィンたちだけに託したかったのか? 違うだろう。違うはずだ。

 本当は、私たち自身の手で――

「アンちゃん、ジョルジュ君」

 彼らは自分の両どなりに立っていた。「ああ」「そうだな」と一言ずつ返し、二人はトワの肩を左右からぽんと叩く。

 言葉に出して気持ちを確かめる必要なんてなかった。

 ゆっくりと後ろに振り返る。駆け付けてくれた学生たちの視線が、トワに集中していた。

 ここまで守ってきた艦から、最後の最後で艦長が離れることになる。《イスラ=ザミエル》を退けはしたものの、さらなる不測の事態が起きない保証はない。

 今さらながらに思うところがあり、トワはおずおずと口を開いた。

「あの、私――」

「行ってこい。こっちは心配するな」

 言いかけた矢先、先頭にいたクレインが即答した。それ以外の皆もうなずいている。

 知っているのだ、彼らは。

 私たち三人は、この内戦をどうにかしようという気持ちだけで戦ってきたわけではないことを。

 根底にある想いは、もっと個人的なものだということを。

「うん、ありがとう。行ってきます!」

 三人同時に腕を掲げて、光に向かって一斉に駆け出す。

「セリーヌさんもありがとう!」

「僕らが行ったあとで、すぐに瓦礫から助けてもらってくれ!」

「わかるようになってるじゃないか、人間の機微ってものが」

 走りながら彼女にもお礼を言い、トワたちはゼムリアブレードに続いて精霊の道へと飛び込んだ。

「う、うるさいわよ! 黙って行きなさい!」

 セリーヌの照れた声が遠ざかり、上も下もない無重力に近い浮遊感に体が包まれる。

 眼前に広がったのは、鮮やかな光が入り乱れるトンネルのような空間。これが精霊の道の内部か。

 緋の魔王が張り巡らせたおびただしい数の赤い霊脈が、周囲に錯綜していた。

 その流れに逆らうただ一すじの虹色の光が、トワたちを乗せて突き進む。マーテル公園からドライケルス広場へ。煌魔城の直下から角度を変え、そして天上へ。邪悪な意志を蹴散らし、揺るぎなく立ち昇る希望の光。

 光が見える全てを埋め尽くした。ややあって視界が戻る。まず血のように赤い空が目に映り込んだ。

 透けた足場から帝都の街並みが一望できる。驚愕に口を半開きにするⅦ組の後輩たち。片膝をつくヴァリマール。赤黒い火焔をまとう《エンド・オブ・ヴァーミリオン》。その異形と単身で戦うオルディーネ。

 まさしく死地だ。

 最悪と呼べる状況の中で、持って来られたものは、たったの二つだけ。でもそれが私たちの持ち得る全て。

 リィンに力を。

 クロウに想いを。

「届けに来たよ、二人とも!」

 

 

 ――つづく――

 

 


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